御射鹿池や清里テラスももう秋の気配

1. 9月に入り、高原はもう秋の気配です。
稲穂が実り(あと1か月弱で刈り入れです)、蕎麦の花も満開。月見草、女郎花など秋の花も咲き乱れ、赤とんぼも舞っています。

我が家は借りている畑の後始末に行ってきました。
留め釘を外し、マルチ資材を畳み、うねをきれいにします。


この畑は友人が借りているごく一部をまた借りしているのですが、来年からオーナーの地元農家が自分で使うというので、利用できなくなりました。

友人が困っているので、長年親交のある別の農家の主人・堀内さんを家人と訪れ、貸して欲しいと依頼したところ、OKしてくれ、空いている土地を見せてくれました。
「来年の春先になったらトラクターで耕してやるよ」と言ってくれました。


彼はもう90歳を過ぎていますが、元気な一人暮らし。蔵のある立派な家に住み、広い農地も持っており、コメ作りはいまは他人に依頼していますが、野菜は自分で作っています。車の運転もトラクターの操作もこなします。
奥さんに先立たれ、一人娘は東京の商家に嫁ぎ、商売繁盛で帰ってきて農業を継ぐつもりはまったくない。

自分が死んだらこの農地がどうなるか?心配しても仕方ないが・・・・と言っています。こういう農家は少なくないでしょう。


何れにせよ、来年も畑で野菜作りが出来る目途が出来たので友人は大喜び。
当方老夫婦は自信ありませんが、彼らは一回りも年下なので、まだまだ元気です。


実は我々のような夏の間の一時滞在者と、地元の人との交流はさほど多い訳ではありません。
保守的な土地柄ですから、いろいろ心理的な抵抗も大きいでしょう。

それでもこの農家のご主人は、親切で、我々のような人間にも理解があり、助かります。
それと我が家の家人は、どちらかと言えば「田舎派」で、以前に借りていた有賀さんというおばあさんからは、「あんたは農家の嫁になればよかったなあ」としばしば言われていました。


2. ということで、田舎にいてもいろいろ雑用があります。
先週は、大学時代の友人2人が遊びに来てくれました。
台風の最中でしたが、当地は雨風も強くなく、外に出ることができました。

友人の1人は絵を描き、展覧会に何度も出品しています。
昨年来た時に、御射鹿池に連れて行っところ感激して、絵に描きたいと目下制作中、もういちど確認したいというので現場を訪れました。

御射鹿池は、山奥の農業用のため池で、観光地ではなく、周りには何もありません。
ただ、東山魁夷が描いたことで有名になり、TVのコマーシャルにも登場しました。湖畔を歩く、想像上の白い馬を配して、絵に独特の雰囲気をもたらしています。


秋の紅葉が見事で、何度も通っていますが、「知る人ぞ知る」という場所で、駐車場もなく、車は路傍に停めていました。

今回、友人を連れて訪れたところ、山道を削って駐車場が出来ていて驚きました。
もっと驚いたのは、柵が設けられ「立ち入り禁止」になっていました。


以前は、自由に湖畔まで降りて、歩き回ったり、座って絵を描いている人も見掛けました。
それだけ人出が増えたのでしょう。事故でもあったのかもしれません。
やむを得ない措置ですが、以前自由に歩いたことを思い出すと、寂しく感じます。
友人は「来年は、とうとうここに茶店が出来るよ」と予言しました。


3. 最後に珍しく家人と2人で清里まで出かけたことも記録しておきます。

台風一過の9月2日、約1時間、清泉寮でよく知られたリゾート地の清里に行きました。


人に勧められて知ったのですが、「サンメドウズ清里ハイランドパーク」という、眺めの良い場所です。
冬はスキー場で、夏はトラッキングが楽しめます。
スキーのリフトに乗って10分ほど「標高1900メートルの特等席」という「清里テラス」に到着。

開放的なソファにゆったり座ってパノラマの景色を眺めるというコンセプトです。
老夫婦は余計なことを心配して、「雨が降ったらクッションは濡れてしまう、どうするんだろう」とお店の人に訊いたところ、「確かにたいへんです。雨が降ったらスタッフが総動員で片づけます」と答えてくれました。

それともう1つ感心したのは、こんな高所にもきれいなトイレがあって、これがちゃんとウォッシュレットだということです。


昔、スイスのツエルマットで、マッターホルンを眺めながら1週間の夏休みを過ごしました。どんなに高い山にリフトで上がっても水洗の,洒落たトイレがあるのに驚きました。それに比べて日本はまだまだ遅れていると思ったものです。

それから20年以上経って、日本の技術や環境もここまで進んだかとすっかり感心しました。
もちろんウォッシュレットまで要るか、と思う人も居るかもしれませんが。
逆に、おそらくスイスでは、高山のトイレのみならず、どこにもウォッシュレットはなく、20年前とあまり変わらないでしょう、これが「保守」かもしれません。

ともかく、いろいろと進化し、変化し、成長を続けている日本社会です。
人間はどこまで行くのか?
例えば(「話が違うよ」と言われそうですが)、ウサイン・ボルト選手を越えて、100メートルを8秒台、7秒台で走る選手が出てくるのでしょうか?
それとも進化は、どこかで止まるのでしょうか?そのとき選手は、100メートル競走の意味をどこに見つけるのでしょうか?
駐車場ができ、「立入り禁止」になり、「茶店も出来るかもしれない」御射鹿池も思いだしながら、そんなことを考えました。