豆台風は英国に去る

  1. 桜満開の4月6日(土)、豆台風は英国に帰国しました。

迎え入れた老夫婦は「何とも疲れたが、85歳と83歳のジジババにしては良くやった、とちょっとした達成感です」という妻の言です。

以下、彼らの滞在について思い出すままに。

  1. 娘は最初の一週間は業務出張でした。

(1)子供二人が加わった後の1週間も、完全に休暇という訳でもなく、平日は仕事に時間をとられていました。PCやスマホでロンドンと会議をしたり、忙しそうでした。

(2)再認識したのは、IT環境にあっては、離れても支障なく仕事ができるということ。

私の現役時代、こういう状況は想像も出来なかった。

(3)これが可能なのはむろんITの支えがあってこそですが、加えて、物理的に同じ職場にいなくても仕事は可能なのだという「意識の変化」が大きい。その「変化」を推進したのは、コロナ禍だった。

「コロナ禍がなかったら、ここまで仕事の有り様が変わることはなかったと思う」と娘も言っていました。

  1. その間祖父母は、散歩したり室内で一緒に遊んだり孫と付き合いました。

(1) チェスとジンラミーというトランプ遊びを教えてもらいました。

日本語で人に教える時間も、彼らにとっては勉強になる筈です。

(2) 英国の学校生活についても聞きました。

12歳の孫息子は日本で言えば中学二年生。6歳の孫娘は小学2年生。

12歳はいまも週に2日は寮生活です。来年の9月からは全寮制の5年制の高校に入ります。

(3)学校での 教育のせいもあるか、二人ともITを自在に扱うことに改めて驚きました。日本の子どもたちも同じでしょうか。

(4)加えて、父方の祖父母から音楽のレッスンを受ける時間もありました。

6歳の方は短時間「能」のお稽古の時間もありました。「隅田川」で梅若丸という子供が出てくる場面です。生まれて初めて日本の古典文化に触れて、何か感じることがあったでしょうか。

4.12歳は、祖母の料理の手伝いもしました。

(1)娘は英国では、仕事をしつつ育児と家事をこなしていますから、彼も朝食ぐらいは自分で作れます。

(2)京都の料亭松長の若女将・長谷川真岐さんのコメントを思い出しました。

ブログで、英国の週刊誌「エコノミスト」の、「女性は日本の隠された資産」と題する記事を紹介しました。家事や育児や介護をしつつ働く女性を日本社会全体が支援する必要がある、しかし制度面の遅れと夫婦の役割分担が問題という趣旨でした。

(3)真岐さんのコメントです。

「日本の女性は、男性の5倍多く家事を負担している。深く共感します。たとえ共働きでも女性の負担が多い家庭が普通なのでは?

この状況を打破すべく息子には厳しく指導してます」

読んだ私も「深く共感」しました。日本の働く母親、頑張れ!

5.ということで、短い滞在でしたが、結構忙しい時間を過ごしたようです。

娘は、「何れ二人を広島に連れていきたい」と言いつつ帰っていきました。

映画「オッペンハイマー」をロンドンで観たという話も聞きました。

英国から我が家に

  1. 前回は、先々週の日曜日、英国から一時帰国した娘とホテルで会ったと

書きました。

彼女は京都行を含む業務出張のあと、さらに日本滞在を伸ばしました。

その後半の一週間、イースター休暇中の孫二人が日本にやってきて合流しました。狭い我が家に泊まったので、先週は「てんやわんや」の日々でした。

滞在中の4月4日、我が家の桜も東大の桜も満開になりました。

 

2.12歳と6歳の兄妹の日本到着は3月30日(土)。

ヒースロー空港までは父親が送り、そこからあとは、通関で旅券を見せることから始まり、初めての二人だけの大旅行です。

 母親が羽田空港まで迎えに行き、我が家に戻ってきたのが午後7時半、早速賑やかな夕食です。二人とも日本食が大好きで、妻が作ったハンバーグにご飯、なめこ入りの味噌汁に大満足でした。

3.二人とも英国で生まれ、育ち、現地校に通い、学校で日本語を使うことはありません。彼ら同士の会話はほとんど英語です。

母親はこんな機会に少しでも日本語を覚えさせようと必死です。祖父母へは、「下手な英語ではなく、日本語を使って欲しい」という注文です。

4. 二人とも二つのパスポートを持って旅行します。

(1)行きの英国の空港では英国の旅券で出国し、羽田では日本の旅券で入国し、帰りの英国での通関ではまた英国の旅券を見せます。

(2)日本は出生主義ですから、生まれた親が日本人なら日本国籍

英国はこれに加えて出生地主義も認めます。生まれた場所が英国なら英国国籍。

 

(3) ですから今は二人とも二重国籍です。

しかし、日本の国籍法14条(国籍の選択)は「外国の国籍を有する日本国民は(略)22歳に達するまでに(略)いずれかの国籍を選択しなければならない」と定められています。

5.12歳の孫息子はあと10年でその「選択」を迫られます。

(1)世界には、「二重国籍」を認めている国の方が多いのですが、日本で法改正の動きは全くないようです。

(2)将来どちらを選択するか、本人はまだ考えてもいないでしょう。

しかし、何れどちらかを選ばなければならないとしたら?ということを多少は感じつつ日々を過ごしているかもしれません。

(3) 英語が母国語の日本人として生きるのか?それとも5歳のとき家族とともに英国に移り住み英国籍を取得したカズオ・イシグロを見習うのか?

自らのアイデンティについての探求が続きます。

6.いまはまだ、「どちらが良いか?」という比較の眼で両国を眺めているようです。

(1)日本は大好きと言うので、英国に比べてどこが良いか?と訊いたところ、「食べ物、天気、そして人」という答えでした。

(2)他方で、英国の良さは「住まいを含めた環境、自然災害の少なさ、ゆとり」でしょうか。

英国人は、優しさにやや欠けるように思う・・・この点は娘も同意見でした。

(3)どこまで真剣かはともかく、「将来、結婚する相手は日本人の女性がいい」という発言もありました。

 

 

東京も桜咲きました

  1. 先週の東京は寒かったですが、昨日は初夏の日和。東大駒場キャンパスの桜も咲きました。

  1. そんな中を、先週もあちこち出掛けました。

 昔の職場の仲間との昼食会が、2回ありました。

 アメリカ在住が長い元同僚の女性から、大統領選挙の話を聞きました。

(1) 今回の選挙は早々と民主党バイデン、共和党トランプの党候補者が決まり、よほどの事がない限り11月の本選挙は両人の「再対決」になるが、どちらがより「嫌いでないか」の選挙になる。

(2) 各種世論調査で、どちらも嫌いという「ダブル・ヘイター」の割合が非常に高いのが今年の特徴。有権者の17~24%を占める(過去は5%前後)。

(3)どちらが勝っても僅差になりそう。従って、ロバート・ケネディJRなど

「第3の候補」がどちらの票を奪うかも重要。

  1. 多くの訴訟を抱える問題人物のトランプがなぜ支持されるのか?トランプ信者の心に分け入ってみると

(1)根深いエリートへの恨み 

 (2)トランプは自分たちを救う救世主で聖戦を戦う戦士である

➡宗教的右派思想(人工中絶やLGBT)、社会的保守思想(銃規制・移民受けいれ)のために戦ってくれるのはトランプしかいない。

➡「正しいこと」をするためには暴力も法律に縛られないこともやむを得ない。

――というような話でした。アメリカ社会の分断と対立の深刻さを痛感します。

4.1週間前の日曜日(24日)には、

英国から出張で一時帰国した次女と今年初めて会い、ホテル・ニュー・オータニで朝食をともにしました。

日本庭園を眺めながらカフェに座り、1700円の珈琲にびっくり。

時々夫婦で、散歩を兼ねて朝食を頂く喫茶店のおいしい珈琲は470円です。 

それでも娘は、英国の物価の高さはこんなものじゃない、日本は安いと感激し、ホテルも家族連れの観光客で賑わっていました。

5.「日本の主婦は隠れた資産」と題する、英国エコノミスト誌1月20日号の記事の話もしました。

記事を要約すると、

(1)大洞静江という40代の女性を紹介し、彼女は大学卒業後保険会社に勤務

し、出産を機に退社した。しかし8年後にジャーナリストして仕事に復帰し、活躍している。3児の母でもある。

(2) エコノミスト誌はこのことを画期的な動きと捉え、日本社会が「女性労働

という隠れた資産」の活用に後押していると伝えます。

その結果、

・2022年には、25~39歳の女性の雇用率は80%と史上最高。

・専業主婦の割合は30%と史上最低に落ちた。

(3)しかし、旧態依然たる税制や福祉の制度が存続していることを批判します。

(4) 同時に、男性の家事負担の割合を上げることの重要性も指摘します。

・男女の育児休暇が制度的に認められているところでも、2022年の調査で女性の80%に対して男性は17%しか取得していない。

・日本の女性は、男性の5倍多く家事を負担している。

(5)こういう日本の現実を突きつけたうえでエコノミスト誌は、「大洞静江のような女性は、長く見過ごされていた大きな社会経済的な変化を象徴するものであってほしい」と結んでいます。

フォーレのレクイエムを聴く

1.1週間前の日曜日は昼前から外出しました。

電車を乗り継いで1時間、横浜みなとみらいホールでの「麻布OB+合唱団」の第2回演奏会を聴きに行きました。会場はパイプオルガンを備えた立派なホールです。

 

2.この合唱団は混声四部合唱で、男声は私の出た中高のOBですが男子校なので、女声は在校生と卒業生の母親です。

男声の最年長は85歳で3人登場。何れも同級生ですが、うち1人S君は義兄でもあるので妻と二人で聴きました。

 第1回は昨年の4月、モーツアルトの「レクイエム」(「モツレク」)を聴き、ブログでも紹介しました。

「モツレク」を聴きました。 - 川本卓史京都活動日記 (hatenablog.com)

3.「レクイエム」はもともと「死者のためのミサ曲」で、曲中で歌われる「主よ、彼らに永年の“安息(requiem英語でrest)”を与えたまえ」からこう呼ばれます。

今年の第2回は、モツレクの約90年後にフランス人フォーレが作曲した、やはり「レクイエム」でした。7楽章からなり、演奏時間は約40分です。 

4.同級生のU君夫妻と4人並んでで聴きました。

(1)彼は大学の合唱団で歌い始め、その後も長年続けていましたが、体調を壊し、5年前に辞めました。

フォーレのレクイエムは大学2年の時に初めて歌い、以来通算5回も歌ったことがある由。

(2)こういう友人が隣に座ってくれるのは、私のような素人には勉強になります。

「珠玉のように美しい、と評される」

「自分の葬儀にはこれを流してほしいという友人がいちばん多い」

など話してくれました。

(3)音楽会に出向くのも久しぶりだそうで、「ソロと合唱ともに素晴らしく、感動のしっぱなしだった」とも。

 と同時に、帰宅してからU君がS君に送ったメールに、「私もご一緒できたら本当に幸せだったのですが」とあったのを思い出し、彼の残念な気持も思いました。

5.この曲の解説を、井上太郎氏の『レクィエムの歴史、死と音楽との対話』(平凡社選書)から幾つか引用します。

 

(1)初演当時、「キリスト教的でない」という批判に、フォーレ自身反論している。

「この曲を死の子守唄と呼んだ人もいた。しかし、私には死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというよりもむしろ永遠の至福と喜びに満ちた解放感にほかならない」

(2)「フォーレ自身の楽譜を見ると、ほとんどどの楽章にも「ドルチェ」(優しく)という指定が出てくる。

(3)「第4楽章「慈悲深きイエズスよ」は、ソプラノの独唱だけの曲で、その単純さが、この世のものとは思えないほどの美しさを描き出している。

(4)最後の第7楽章「楽園にて」は、「これほど天国的美しさを描き得た曲がほかにあるだろうか」


6.この合唱団、もとはと言えば、2025年にベートーヴェン交響曲第九番を麻布OB+オーケストラと共に大合唱で演奏したいという目標で結成されたそうです。

現在85歳の同級生3人も、来年の目標達成のために、さらなる精進を重ねる意気込みでしょう。立派なものです。

読書会と『老人と海』再び

  1. 今回もヘミングウェイの小説『老人と海』です。原作は1952年ですから、

今や古典です。


2. 年老いた漁師のサンチャゴと彼を慕う少年マノーリンとの交流の場面が素

晴らしいとは誰もが言うことです。

  

(1)岡村さんからコメントを頂き、青春時代の海外一人旅の思い出を披露して頂きました。

 

(2)彼は、旅の途次、モロッコでもメキシコでもコスタリカでも、現地の少年と出会います。

例えば、「物をねだるわけでなく、いつまでも僕のそばから離れない男の子が居ました」。

「夕方公園のベンチに座って居たら、靴磨きの男の子が靴を磨かして欲しいというので、足を差し出して運動靴を見せたら笑っていつまでも僕の横に座っていました」。

 

(3)『老人と海』を読むと、いつもこういう一期一会の思い出が蘇ってくるのでしょう。 


3. 私はこの本を取り上げた読書会を振り返っています。

(1) 読書会では、話し合います。夫々の感想を聞くのが楽しみです。

自分ひとりでは気付かなかった発見があります。

 

(2) 私たちの会では、

「サンチャゴは孤独だろうか?」

「どの場面が印象に残ったか?」

などの質問が出ました。

 

(3) サンチャゴは、妻に先だたれ、貧しく、ベッド・椅子・机に煮炊きのできる土間だけの粗末な小屋に住み、魚を獲ってひとり暮らしている。古新聞で大リーグの野球記事を読むぐらいしか楽しみはない。客観的にみれば、「孤独な老人」としか言いようがない。

 

(4) しかし、「孤独ではない」という意見も出ます。

何よりも、彼を慕う少年がいる。

海を愛している。「老人はいつも海を女性ととらえていた」。

(5)そして沖合で漁をしながら、海鳥や魚に声を掛ける。ひとりごとを言う。思い出す。

舟に近づく二匹のイルカを見ると、いいな、じゃれ合い、惚れあっているんだな、と思い、洋上を飛んできた小鳥が釣り綱にとまれば、「なあ、チビ、たっぷり休んでいけ」 と声をかける・・・・                                                   

 巨大なカジキに出会い、苦闘の末釣り上げるが、その過程で相手に敬意と友情を抱く。

「人間は叩きつぶされることはあっても、負けはしないんだ」と呟き 、「だれでも何かを殺して生きている」と思い、執拗に襲い掛かる鮫と闘い続ける。

――それは、孤独など意識しない老人が、自然や動物と一体化して生きる姿ではないだろうか。


4. 印象に残る場面は沢山あります。

一つだけあげれば、つがいのカジキの片割れを釣ったときのこと。

―カジキの雄は、まず雌から先に餌を食わせる。この時も雌が引っ掛かって暴れている間、雄はずっと離れなかった。

―少年の手を借りて舟に引っ張りこんでも、まだ雄は舟から離れようとしなかった。

―それから、雄は高く跳ね上がって、雌がどうなったか知りたいように舟を見てから、ようやく深く潜っていった。

―「あれは立派だったと、いまも老人は思っている。(略)だからこそ、あのときは悲しかった・・・・」

  1. 岡村さんも海外での青春一人旅で、時には、少年や動物に声を掛けたり、

ひとりごとを言ったりしたことがあったでしょう。

「小料理屋namida」と『老人と海』

  1. 3月初めの土曜日、長女夫婦から誘われて、我が家から徒歩20分、井の

頭線下北沢駅近くの小料理屋で4人で夕食をともにしました。

 「日本酒とワインと小料理」と銘打ち、カウンターだけの10席しかない「小体(こてい)」な店です。

2.「namida」という珍しい店名です。

調理場がオープンなので店主と話が出來ます。

「泣く涙のこと?」と訊くと「そうです」という答え。

「誰もが訊くと思うけど、なぜ「涙」なの?」と次なる質問です。

 

3.「二つあります」という答えで、

一つは徳川美術館所蔵の「泪(涙)の茶杓」から。

秀吉に切腹を命じられた利休が、最後に開いた茶会のために自ら削った茶杓。弟子の古田織部が形見にもらい受け、窓を開けた筒に納めて「泪」と名付け、位牌代わりに拝んだと言われている。

もう一つは、フランスのブルゴーニュでワインを作っている女性の、「悲しみの涙と喜びの涙がある。涙の成分も違うらしい。そんなことを考えながら、良いワインを作ろうと努力している」という言葉から思いついた。

4.そんな説明でした。

二番目の説明が私にはよく分かりません。しかし、料理しながらの会話なので、これ以上質問するのは控えました。

そしておいしい料理とお喋りを楽しみながら、世界はいまも「悲しみの涙」に溢れている。ウクライナでも、ガザでも、能登半島でも・・・・。しかし、「喜びの涙」はあるか?と考えました。

 

5.たまたま翌日の日曜日には月1回の読書会があり、6人が集まりました。

今回のテキストは『老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ著)です。

「著者にノーベル文学賞をもたらした、文学的到達点にして永遠の傑作」と新潮文庫(高見浩)の帯文にあります。

京都の岡村さんの愛読書で、コメントに度々取り上げてくれました。

 

6.物語は、

――84日間不漁が続く老いた漁師は、慕ってくれる少年に見送られて、85日目もひとり小舟で海に出る。

沖に出て、5m半もある巨大なカジキを格闘のすえ釣り上げる。しかし、鮫に襲われて三日目に港に帰り着いたとき、船側に繰り付けられたカジキは鮫に食い尽くされ、骨だけになっていた。

疲れ果てた老人を少年が出迎える。

少年は老人に、元気になったら昔のように漁に連れていってほしい、「また一緒に行こうね」と何度も念を押し、物語は終わる―

「陸で待つ少年の存在がいい」「二人の会話や行動からにじみ出る、お互いへのリスペクトがすばらしい」と評されます。

6.この場面で少年は、大きな獲物を得たのに鮫との格闘で全てを失った老人が、怪我をしつつも無事帰港した姿を見て、何度も泣きます。

“cry”という英語が5回出てきます。

朝になって老人の小屋に行ってまだ寝ている彼の「手を見て、思わず泣き出した」。・・・小屋を出て「コーヒーを持ってこようと歩き出したが、ずっと泣きどおしだった」・・・・という具合に。

 

7.彼はなぜこんなに泣くのか?

敗者の心情を思いやる「悲しみの涙」か?

それとも,闘い抜いて無事生還した勇者と再会した「喜びの涙」か?

読書会で、そんなことを考えました。

京都で墨染寺にも行きました

  1. 今日は雛祭り。東京も梅が盛りです。

東京での梅見を楽しみつつ、まだ京都の話です。

2.2月16日、藤野さんと昼食をともにしながら「源氏物語」の話をしているうちに、「墨染寺(ぼくせんじ)に行きませんか?」という話になりました。

(1)京阪電車で、「東福寺」や「伏見稲荷」の先の「墨染(すみぞめ」駅で降りてすぐ、日蓮宗のお寺です。

(2)案内板には、「境内には、墨染の地名の由来となった墨染桜が植えられている」。その由来は、

平安時代歌人上野岑雄(かんつけのみねを)が、当時の関白の死を悼んで

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」

と詠んだ。すると「当地に咲いていた桜が喪に服するかのように薄墨に咲いたと云われる」。

(3) 古今集に載ったこの歌を、紫式部は「源氏物語」で2度引用(「引き歌」)しています。

例えば、桐壺帝の中宮藤壺の死に際して、源氏が悲嘆にくれる場面――「源氏は、住まいである二条院の桜を見て、藤壺との「花の宴」を思い出し、「今年ばかりは」と独り言を言って、終日念誦堂に入って泣き暮らした」(薄雲の巻)。

源氏の「独り言」が上記の歌からの引用であることを理解する、それが当時の読者の教養でした。

(4) この歌は以前のブログでも紹介しました。

それを読んだ岡村さんが、わざわざ出かけて写真を送ってくれました。

今回私も藤野さんに連れていってもらい、感謝です。

 

(5)2月ですから、むろん桜はまだで、訪れる人も我々二人だけでした。墨染桜自体はごく小ぶりで目立ちませんが、大きな桜もあり、満開の写真がJR の「そうだ京都行こう」に載っています。

3.最後に『源氏物語』についての補足です。

(1)本書について、以下は渡部泰明東大名誉教授の紹介です。

「千年も前に、一人の女性の手によって、これだけ繊細かつ雄大な物語が生み出されたことを、日本文学史上の、いや世界の文学史上の奇跡だという人もいる。すでに鎌倉時代から古典の地位を確立し、後世の文化に与えた影響は計り知れない」。

 

(2)『源氏物語』は、紫式部自作の歌が795首も載っていると同時に、「今年ばかりは」の例のように「引き歌」を初めとする古典からの引用が豊富です。歌が(男女の)コミュニケーションのもっとも重要なツールだった時代、本書は歌詠みに必須な教養を身に付ける書物でした。

だからこそ約100年後に歌人藤原俊成は、

「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」

と述べ、この言葉が本書の価値を決定づけたと言われます。

(3)京都で2月15日に「白梅」で夕食をともにしたときも、本書が話題になりました。

夕食に招いてくれた冷泉貴実子さんは俊成卿の子孫です。

彼女は、「この時代は、女性にとって生きづらい時代だったとは思う。しかしその中で、かな文字を駆使して、歌を詠み日記や物語を書き、自己表現をしていった女性が紫式部に限らず大勢いた。世界のどこを見渡しても、千年も昔に、文学の主要な担い手が女性だったのは日本だけではないか。そのことは素晴らしいと思う」とさかんに言っていました。