完全防御の無防備都市

http://muboubi-net.com/manga/

ご存じの方もいるかもしれませんが「無防備都市宣言」という物が存在します。このサイトはそれを世界中に広め、この世から戦争を無くそうという活動をしているサイトです。

理想主義の権化とも言える活動ですが、辞めてしまっても良い活動でもありませんし、出来る場所があるなら少しでも増やしていくべきでしょう。
毎日連載しているブログマンガも、全てを語っている訳じゃないのが気になりますが、嘘を語っているわけでもありません。
非常に評価される活動内容だと思います。



ただし・・・



こういう活動をすると、やはり様々な人から様々な意見を言われる事になります。
真面目に批判する人も居れば、感情的に批判する人、そして面白半分に批判する愚か者・・・・。
身内だけで語り合うならそれを防ぐことも可能ですが、広く多くの人に知って貰おうという啓蒙活動には当然ついて回るリスクとも言えます。

そして、当然の如くこのサイトの掲示板は荒らされました。

このサイトを運営している人も、真面目な批判なら幾らでも受ける覚悟はあるのでしょうが、不真面目な批判には腹が立つのは仕方がありません。
人として当然だとも思います・・・・。

でもね・・・・

仮にも無防備都市を広めようという御仁が、完全防御態勢を取るのは如何な物か?


無防備都市という物は「我々は如何なる陣営に対しても協力しないし、攻撃もしない」「武装も抵抗もしないから非武装地帯として戦争を持ち込まないで下さい」という宣言です。
中立国家のように、何処の陣営にも属さない変わりに、攻撃されれば全力で抵抗すると言う方針を更に無抵抗な方向で推し進めた宣言です。

一見すると素晴らしい思想ですし、これを推し進めて世界中に広めることが出来れば戦争は無くなるでしょう。

しかし・・・・

現在の日本は無防備都市でも、中立国でもありませんが、憲法9条の元、竹島北方領土は蹂躙され略奪されたまま、返還される見込みもありませんし、自国民が拉致されても手も足も出せない状態にあります。

抗議は幾らでも出来ますけどね・・・・・。

そして日本もアイヌ人達が住んでいた北海道や琉球人の物だった沖縄を返還するつもりもありません。
更に、北方領土で言うなら、島々に派遣されていた旧日本軍の果敢な自衛戦闘があったからこそ、ソ連軍は北海道に手を出しませんでしたが、彼等が直ぐに降伏し無抵抗なままソ連軍を通していれば、北海道の一部もソ連領になったのは間違いのない事実です。

つまり、宣言が無視されて蹂躙されてしまったとき、成されるがままの存在であるというリスクも背負った宣言だという事です。
無論、そうすれば攻撃した陣営は国際的な批判を受けますが、無防備都市から攻撃されたのでやむなく反撃したという理論展開をされれば、仮に国際法廷で後に真実が明らかにされたとしても、それには長い年月が掛かりますし、その都市は既に蹂躙された後ですから「後の祭り」でしかありません。
そうしたリスクも覚悟の上で掲げるのが、この「無防備都市」宣言なのです。
無防備都市には、素晴らしい理想が有りますが、そうしたリスクを背負っていると言うことを無視してはいけないし、自分のサイト運営に於いてもその精神を貫くべきでしょう。

このサイトを運営している人は、先ず書き込みをする人に対してハンドルネーム・メールアドレス・サイトURL全て記入することを必須にしました。
ここまでは、まあ致し方がない事とも思えますが・・・・

次ぎに予告無しの書き込み削除・・・

そして掲示板の公開を取りやめ、過去の書き込み全削除という暴挙に出てしまったのです。
これでは無防備都市どころか、完全防御態勢・・・・。
本末転倒も甚だしいお粗末なことになってしまいました・・・・。

勿論運営者には運営者の理論が有っての行動なのでしょうが、自分の活動を妨げるような相手に対して実力行使に出たという事実に変わりはありません。
仮にどんな理論を自分の中で構築したにせよ、それは様々な理論展開で自分や自国に都合が良いように大義名分を作り上げる戦争好きの大国と何も変わらないと言うことです。

そんなサイトの運営者が、幾ら素晴らしい理想を掲げても何の説得力もありません。

このサイトの運営者は猛省して、直ちにしかるべき対処するべきだと思う。
















なんてねw

ミーハーな私

偶々テレビを流していたら始ったのが昨日のボクシング。
尋常じゃない訓練と、兄弟3人が全員ボクシングをしていると言う特殊な環境で有名な亀田兄弟の試合だったんだけど、思わず見入ってしまいましたね。

いや〜〜〜本当に強いや!
試合時間の短い事、短い事!
少しはテレビと言う事も考えてやれよ!(笑)なんて下らない事を考えてしまうぐらい短い試合だったけど、その分圧倒的な強さが良く出てました。

個人的に言うと人間性として見たとき、亀田兄弟は明らかに嫌いな部類の人間なんだよね・・・言葉遣いも態度もやたらに偉そうで、正しく力に溺れているガキそのものだからね〜〜〜
「慢心」が服を着て歩いているような奴という印象なんだけど、その割にはテレビなんかで特集されてると、見てたりします(爆)
まあ、実際は慢心してると言うより、それ以外の方法を知らない筋肉馬鹿なのかもしれないけど(暴言?)、それも含めて面白い奴とも言えるような気がしています。

まあ、慢心しても許されるぐらい強くもあったけどねw

これはまた、ボクシングブームが来るかもねw

どうでも良いこと

本当にどうでも良いことなんだけど、一寸思ってしまったら、個人的に面白くて、しばらく愉快な気分を反芻していたので、書くことにしましたよ。

ご存じ漢字にはその一文字一文字に意味が存在しますよね。
そのおかげで、漢字を組み合わせるだけで何を指す言葉なのかが瞬時にイメージできて便利な文字です。
そして様々な職業も漢字だけで表記できる物は分かりやすい物が多い。
公務員・警察官・自衛官・自由業・会社員・裁判官・検察官・弁護士・医者(医師)・教諭・講師・弁士・映写士・まあ、幾らでもある訳なんですが、どれも読んで字の如くという漢字で、どう言った職業かがよく分ります。


しかし


ここで1つ引っかかるのが「消防士」
理屈では、消火をしたり、災害を防ぐ職業だとは分るんですが、字面だけで見ると消すのを防ぐ人・・・・w

消火を邪魔する人になるな〜〜〜なんて思えてきて、じゃあ、実際どんな事をするんだろう?とイメージし始めると更に面白い!
消防署に24時間態勢で勤務し、火事の通報を受けるやいなや飛び出して消防車に乗り込み、現場に駆けつけるやいなや、現場で消火活動をしている住民を押しのけて妨害する(爆
消防車と言うからには、邪魔する為の器具が満載されていて、どの様な消火活動も邪魔するというハイテク車両!(笑
これらを駆使して今日も消火活動を防ぐ消防士の皆さん!!

でも放火はしないんだ!!だってそれでは「放火魔」になってしまうからね!あくまで消防士は消火活動を防ぐだけ!

そんな事を考えていたら、1人で笑いのツボに填ってしまいましたw
消火士だったら何の問題もないんだけどね・・・先にも書いたように消防士の役割は消火活動だけじゃないからこうなったんだろうけど、やはり職業名としては異彩を放っているな〜〜〜



現時点では思い付かないけど、他にもこういう矛盾した名前の職業名って存在してるのかな?












まあ、こんな感じで現実から逃げ出したいだけなんですけどね

ヽ(  ̄д ̄;)ノ

注意という行為

ー状況説明ー

「男A」がタバコを吸っています。
そこにもう「男B」が登場。

男B:「ちょっとスイマセン」
男A:「はい?」
男B:「あなた携帯灰皿を持ってます?」
男A:「はい?」(良く聞こえなかった)
男B:「携帯灰皿持っています?」
男A:「いえ、持っていませんが、吸い終わったら靴の裏で消して、タバコの箱に吸い殻を入れていますけど?」
男B:「あっそう」

上記の2人の会話、皆さんはどう思いますか?
喫煙者のマナーを向上や、嫌煙運動も盛り上がっている昨今、特に珍しくもないやりとりでしょう。
街の美観や、住環境の向上という見地からも、男Bの発言は大変素晴らしい物とも言えます。


しかし



男Bの台詞のあとに全て(怒り)が付いたらどうでしょうか?
この男Aは、言うまでもなく私のことです。
私は先日背景素材集の資料撮影のために、写真を撮っていたのですが、その時タバコを吸っていたら掛けられた声が男Bの発言です。
外見は30歳前後の男性でしたが・・・

私が最初に感じた感想は「はあ?」って言う感じでした。
「この人は何を怒ってるの?」って言う感じでしょうか?正直、何か怒られるような事をしたかな?と言う焦りで、自分が置かれている状況を再確認していたのと、風が強かったので最初の質問が良く聞き取れなかったので「はい?」と聞き返したのですが、それが余計に怒りを煽ったのか、更にキツイ口調で「携帯灰皿持ってます?」と聞いてきました。

私は普段から携帯灰皿を持ち歩くようにしていますが、忘れてしまった時は箱の中に吸い殻を入れるようにしています。 ですから、その時に携帯灰皿は持っていませんでしたから、上記のように応えました。
そしたら、その答えが上記の「あっそう」です。

仮に怒りを込めた、敵愾心丸出しの言い方じゃなかったとしても、最後のシメが「あっそう」の一言というのはどう思います?

面識がある間でも、こんな締めくくりをしていたら、喧嘩にならないまでも「愛想の悪い奴」と思われても仕方がない対応じゃないでしょうか?
それが面識も無い赤の他人に対してこんな締めくくりをしていていたら喧嘩になっても不思議は無いと思うのですけどね・・・・。

先にも書いたように、最近は社会全体のマナーが低下していますから、マナーが悪い人にないする注意をすることは大切なことです。
特に、住環境や街の美感を向上させる為の行いは、マナー自体の底上げにも繋がる素晴らしいことです。 <それは認めます。





しかし、この場合マナーが悪いのはどっち?

嫌煙家の人が喫煙家の人を好きになる必要はないとは思います。
しかし、何も憎む必要は無いと思うのですけどね(苦笑)
仮に憎んでいたとしても、あかの他人に注意(今回の場合注意でもないですが)する時は、そう言う感情を最初から出していては本末転倒だと思いますよ。

「ああ、そうですか、失礼しました」とか「ああそうですか、どうも・・」ぐらいの締めくくりなら、円滑なコミュニケーションにもなるのでしょうに・・・・
「あっそう」では喧嘩になっても不思議はないですし、こんな会話で「住みよい街作り」に繋がるわけもないと思うんですけどね(苦笑)

それが「ちぇっ!!怒り損ねちまったよ!!」って言う感情を剥き出しで「あっそう」だもんな・・・いい年した大人が(笑
単に自分の気にくわない相手に、社会正義の名の元イチャモンを付けるだけの行為は、そこら辺のマナーの悪い困った人と何ら変わらないと思うんですよね・・・・

相手が明らかに違法行為をしているというなら問題無いかもしれませんけどね・・・・・・・・。


皆さんはどう思います?

戦車不要論③

冷戦終了後世界は大戦が起こる確率は減り、軍事費が削減されている中、紛争がそこら中で起こるようになり、本格的な大部隊の派遣よりも、緊急即応部隊を派遣する機会が増えました。

そうなると運ぶのも、派遣先で維持するのも大変な戦車を含む機甲師団よりも、維持が容易な(戦車に比べればの話しですが)装輪装甲車の活躍の場は益々広がっていきました。
その結果大量の戦車を保有するよりも、装輪装甲車を大量に保有したほうが有効なんじゃなかろうか?なんて言い出す人が急速に増えたわけです。

しかし

装輪装甲車や、対戦車ヘリは本当に戦車の変わりになるのでしょうか?
その答えは断じて「否」です。
装輪装甲車は戦車のサポートは出来ますが、戦車に成り代わることは出来ません。
しかし、戦車が装輪装甲車の変わりになることも出来ません。
戦車と装輪装甲車は似て異なる物。極めて近い存在ながら、運用局面に於いてまるで違う思想の元に開発された「道具」です。
そして対戦車ヘリもそういえます。

軍事関係に詳しくない人にはよく分らないかもしれませんが、兵器はあくまで「道具」という事を理解してください。
わかりやすい例では、近くのホームセンターに行ってみた時のことを思い出してください。

別に他のお店でも良いですけど(笑

そのお店の中でトンカチを見てみるとします。実の多くの種類のトンカチが揃っているのではないでしょうか?
鉄製のトンカチだけでも大きさは様々、先が強化プラスチックの物から木槌、ステンレス製の物もあったり、反対側が釘抜きになった物など多種多様の物が売られています。
これは何故か?と考えれば、この問題の答えが見えてくると思われます。

直径が数ミリの細い区議を使うような小さな細工をする時に巨大な木槌を使う馬鹿は居ないでしょう?
逆に太い木の杭を地面に打込む時に、直径数センチの小さな金槌を使う馬鹿も居ないということです。
料理をするのでも様々な包丁を使いこなした方が、多彩な料理が作れますし、レース用の高性能自転車で買い物をしに言っても多くのぬもつを載せることは出来ません。

道具には、それぞれ作る時にこの道具は、どういう事態に使うか?ということを想定して開発されます。
だからこそ、適切な道具を選択して使いこなせば、必要最低限の労力で、短時間に適切な行動を取ることができるわけです。

勿論様々な理由で、適切じゃない使われ方をすることはあります。
偶々手持ちの道具がそれしかないという状況下で、無理に目的を果たさなければならないと言う事もあります。
時間の都合だったり、予算の都合だったりすることもあります。
そうした時には時間的なロスや、労力のロス、戦場では人命を失う事になりますが、やはりそうした強引なやり方は例え目的が達成できたとしても、その引き替えにロスは必ず発生してしまうわけです。
つまり戦車が必要な局面に装輪装甲車を投入しても、最良の結果が得られる訳じゃありませんし、逆もまた然りと言う事なのです。

現代戦では、戦車は必要とされるからこそ存在しているわけだし、戦車が好きだからというロマンチズムだけでその存在が許されるほど、戦場は呑気な世界ではないということです。

それにもっと根本的な話しをしてしまえば、戦車という存在が驚異だからこそ、対戦車兵器は発達するのだということです。
つまり対戦車兵器が強力になったから、戦車は要らないという理論は、その根本的な部分で矛盾しているということです。

戦車不要論②

いきなり閑話休題になってしまいましたが、①の続き

対戦車ヘリは、ベトナム戦争でデビューしてから今日に至るまで、先進諸国の一部でしか本格的な物は開発されることは無く、戦車の驚異といっても世界大戦クラスの戦争か、大国対小国の虐めとしか思えない戦場にしか姿を現すことはなく、しかもそういった戦場では大国に対して正規戦を挑んでも勝てるわけもないので、戦車を先頭にした機動戦を挑む機会も少なく(そもそもろくな戦車自体が無い場合も多いし)戦車の驚異と言われながらも、先の湾岸戦争イラク戦争まで大きな活躍の場自体が無かった訳で、机上の空論でしかなかったわけですよ。

まあ、実際に戦ってみれば、アメリカ対イラクと言う事もあり、滅茶苦茶活躍したわけですが・・・・。

そして装輪装甲車の対等も見逃せないポイントです。
装輪装甲車自体は、戦車よりも歴史が古く、第一次・第二次を通し、戦後から現代に至るまで世界中で作られ、使用され続けてきました。
しかしその存在は、そもそも戦車が装甲車では走行できないか、もしくは走行性能ががた落ちになる不整地での良好な走行と、装輪装甲車では搭載できないような大口径火砲を搭載できる車両という事で登場したわけで、戦車のサポートという枠から出ることはありませんでした。

しかし、近年になって装輪装甲車の走行装置がドンドンと進化し、火砲に関しても大口径ながらも反動を抑えた低圧砲の開発や、対戦車ミサイルの進化、機関砲もその内容が進化したことで、戦車並の火力を持った装輪装甲車も登場するようになりました。

そして、そもそも装軌式よりもメンテナンスが容易であり、燃費も良く、キャタピラが切れたら走行不能である装軌式に対して、1つタイヤが吹き飛ばされても走行できる点などを前面に押し立て、冷戦終了後大幅に予算を縮小した世界の軍部に対して核兵器イカーは強力にその存在をアピールし始めました。