Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

アメリカ在住10年:初めてのカナダ旅行での心地よい「違い」たち

「たまには、遠出をしてみよう」、と思い立ち、春休みの旅行の行先はカナダにすることに。アメリカ暮らしは10年を超えるが、実はカナダは初めて。
食べ物、人の温かさ、旅のしやすさ——どれも想像以上で、家族みんな大満足の旅に。今回はアメリカと比べながら、カナダの魅力をざっくりまとめてみたい。

 

一品にかけられた手間と熱意:カナダ飯が旨いわけ

「カナダの料理にハズレ無し」、これは家族の総意であった。朝食はホテルで調達した和食を食べていたが、昼食と夕食はレストランやカフェで楽しんだ。入念に事前調査をしたわけではないが、どこも「えっ」という美味しさ。アメリカとの違いを一言で言えば、「かかっている手間」が違う、これにつきる。どの料理もアメリカで食べるものと比較すると3工程くらいは多くかけているだろう、というほど手の込んだ料理が多い。美味しさを追求する作り手の熱意を感じる料理が多かった。おまけに最近のアメリカと比較して遥かにリーズナブルな価格。さすが、フランスの文化が深く根付いているだけはある。

東海岸より遥かに近い:下手な米国内旅行よりカナダ

私はカリフォルニア北部に住んでいるので、サンフランシスコの空港まで車を飛ばして、今回はカルガリーまでの直通便を利用した。フライトは3時間ほどであり、カリフォルニアに住むわが家にとっては、アメリカ東海岸に行くよりもずっと近い。
また、さらに最高なのはカルガリー空港側にアメリカの入国審査があり、サンフランシスコでの入国審査をスキップできることだ。これは、アメリカ在住者あるあると思うが、主要空港での入国審査は500人くらい並んでいても何ら不思議はない。また、どこから来たのかわからん奴らを審査するので審査官は大体ピリついており、あまり良い経験をしたことはない。カルガリーの米国入国審査は主要空港とは異なり、対象がアメリカ人とカナダ人にほぼ絞れているからか、入国審査独特の緊張感もなく、列も適正でスムーズに済んだ。
なお、アメリカの自動車免許がそのまま使えるというのもありがたかった。レンタカーを借りるのにわざわざ国際免許をとらなくてもよいのもポイントがでかい。レンタカーが残念ながらクライスラーで運転しにくかったことこの上ないのはご愛嬌か。トランプさんよ、あんな車日本では売れんて。

カナダの人たちの温かさと心配りに感動

アメリカも基本的に人は温かいが、正直ムラがある。が、カナダはどこの店でも店員の対応が素晴らしく、温かみに溢れていた。カフェで飲み物のピックアップ場所がわからなかったので聞いた際は、「わかりにくいのよね、ごめんなさい」と言ってその場所まで連れていってくれた。
また、カナダの人は日本人好みの「丁寧さ」がある。料理の盛り付けやサービング方法なども、見た目だけでなく、食べやすさも考慮した工夫があったりして、「こういう細かい気配りは日本っぽいなぁ」と感じることが何度もあった。

多文化主義の理念は、オーストラリアやカナダでは高く評価されているが、アメリカでは批判的に評価されることが多いと言えよう。
『移民大国アメリカ』

アメリカは強力な建国理念に基づいて作られた国なので、移民を受け入れつつも同化しようという引力が強く働いている国だ。現政権の政策からもわかるように、肯定と否定の間を常に揺れ動いており、これは今後も続くだろう。

一方で、カナダは「モザイク文化(色々な文化がタイルのように並び一つの絵を作る)」という言葉に代表されるように、フランス語を公用語として残したり、多文化共生をありのまま受け入れようという国民性が強いように感じた。多文化を広く受け入れつつ、イギリス的な礼儀正しさも残し、大自然の中で育まれたおおらかさが、カナダ人に温かさと丁寧さをもたらしているのだろう。

価格は3割安、品質は3割高:カナダのコストパフォーマンス

これはあくまでアメリカと比較という話だが、カナダの物価は安い(というか、アメリカが高すぎる)。レストランで食事をするとランチのサンドイッチなどであればCAD13-15というところ。アメリカでは、大体がUSD13-15なので、現在のレートで3割安となる。先述した通り一品にかけている手間が異なるため、一品のクオリティはカナダのほうが圧倒的に高い。なので、一品の価値で考えると半値に近いという印象を受けた。
もちろん、日本と比べるとまだまだ高いとは思うが、アメリカよりも断然お財布に優しい国である。

また行きたくなる国、カナダ

大きなトラブルなく、大満足のうちに春休みの旅行は終わった。色々な国や地域を旅行している家族も、「また行ってみたい!」と声をそろえている。「今度はバンクーバーがいいんじゃない」と行先も決まってしまう始末だ。
食事が美味しく、人も温かく、雄大な自然が楽しめるカナダ。アメリカに住んでいる方には断然おすすめだし、「円安で海外旅行はなぁ」、と二の足を踏んでいる方も、サンフランシスコやロスなどのアメリカの主要都市よりも断然安いので強くおすすめしたい。

 

おのれ「名もなき家事」 地味に手強い奴め

私の妻は日本に一時帰国中。大学受験が終わった娘の日本での一人暮らし生活の立ち上げを支援しつつ、入学式に参列するためだ。仕事と学校がある私と息子はアメリカで留守番。夏の一時帰国の際に、一人暮らしをすることは毎年のことだが、息子と二人暮らし生活をするというのは初めてだ。

 

一人暮らしは毎年のことだし、息子も高校生なので手は殆どかからない。掃除、洗濯、料理という家事の三本柱も恐れるに足りない。
床掃除はルンバとブラーバがやってくれ、彼らがカバーできない隅っこの掃除機がけは普段から息子の担当だ。
洗濯はボタンを押せば、洗濯機が洗剤を適量いれてくれるし、乾燥も洗濯機から乾燥機にうつしてしまえば、ボタンを押すだけだ。
料理については、息子はかなり料理ができるし、私も好きな方なので苦ではない。元々晩御飯は妻と私と息子の3人で作る生活をずっとしているので、3人が2人になって、手間が増えることはあるが、その分サラダを作り置きしたり、2日同じものを食べたりして、ちょっとした工夫で乗り切っている。
いつも妻がやっていることを息子と協力してこなすという状況も楽しめている。

 

「妻がいなくても楽勝だぜ!」というブログでも書こうと思ったのだが、実際に妻が不在の生活を振り返ってみると、実はそうでもないことに気づいた。晩御飯の後、家事に追われることが多く、気づいたら寝ないといけない時間になっていることが少なくないのだ。昨晩も下記のような「名もなき家事」に追われ、気づいたら寝る時間を過ぎてしまっていた。

  • 冷蔵庫の古い食材の廃棄
    大量買いしたベビースピナッチが消費しきれず、、、

  • コンポストのゴミ出しと新しいゴミ袋のセット
    ディスポーザーを先日詰まらせて、ちゃんとコンポストに捨てることに

  • 食器洗い洗剤の補充
    洗剤がきれており、在庫の場所を妻に確認することに

  • 流しの隅っこの掃除
    ほっといても良いが、気になったので

  • 配送された食料品の冷蔵庫格納と段ボールや梱包材の廃棄
    段ボールをつぶすのがダルい

  • Amazonの宅配段ボールの廃棄
    やっぱり段ボールをつぶすのはダルい

  • 壊れてしまったブラインドの補修、調整
    初めて壊れた、今壊れないで欲しかった、、、

  • 回転が鈍くなった缶切りの油差し
    少し錆びてきて、ハンドルがまわりづらくなってきた

  • 洗濯乾燥機のフィルターのごみ取り
    大した手間ではないが、面倒

  • 汚れたコンロの清掃
    平日は妻の担当だが、私が代わりに

  • 食洗機の皿の入れ直しと追加投入
    入り切らない時は、いつも妻が完璧に再構成してくれる

 

上記に追加して、私の普段の下記のルーティン業務もやらなければならない。

  • 朝のヨーグルトの準備(プロテイン混ぜておく)

  • 次の日の昼ご飯と間食の準備とランチバッグへの投入

  • ブラーバの水の補充とタオルの交換(2日に一度)

  • 明日の朝と昼の飯炊き(息子と交代制)

 

諸々こなしていると「あれ、もうこんな時間?」ということが多い。もちろん、「名もなき家事」も息子に振ることもできるし、たまにそうしている。だが、自分の朝食と昼食の準備(これは彼は普段からやっている)に追加して料理、洗濯の一部を受け持っている息子は、高校生にしては非常によくやってくれている。そんな彼に「缶切りが重くなってきたから油さしといて」とは正直頼みにくい。また、油がどこにあり、どうやってさすのかなど、教えている暇があったら自分でやったほうが早いし、教えたところで次にするのは2ヶ月後だ。

 

そう言えば、週末はクレジットカードが不正利用のため交換になってしまい、新しいカードを各サイトに登録する作業にかなりの時間をとられた。また、強風が吹きパティオのラグがひっくり返るという事件も発生。やっつけても、どんどん湧いてくる軽い雑魚キャラと、たまにでてくる中ボスの対応に結構時間をとられている。おのれ、「名もなき家事」。妻よ、いつもありがとう。お陰様で、晩酌の時間が短くなり、健康になっちまったぜ。

新社会人に伝えたい、人間関係と「礼節」の話

スタートダッシュを決めるカギは人間関係

新社会人でスタートダッシュを決める人と出だしにつまずく人を分けるとしたら、「うまく人間関係を作れるかどうか」が一番大きな要素だろう。

「コミュニケーション力」とか「論理的思考力」とかはよく注目されるビジネススキルだが、私は人間関係力こそ社会人としてスムーズに立ち上がるための肝だと思う。

  • 困った際に、上司や先輩からフォローをしてもらえる

  • 右も左もまだわからなくても、関連部署から支援をしてもらえる

  • 拙さが多少あっても、取引先から温かい対応をして頂く

社会人の出だしに良い人間関係を築き、上記のような対応を周囲から得られれば、後は自分の努力次第となる。が、

  • 上司や先輩のフォローが得られず、何をしたらよいのかわからない

  • 関係部署から雑魚扱いされて、相手にしてもらえない

  • 取引先が、新人である自分のビジネスの相手として見てくれない

という状況が続くと、努力はから回りするばかりだ。

厚生労働省の調査で、新卒が会社をやめる理由として、「職場の人間関係がつらい」、「仕事上のストレスが大きい」は上位にランクしている。人間関係からくるダメージを最小限に抑えつつ、良い人間関係を築き、仕事で成果をあげて、成長するサイクルにもっていくことこそ、新社会人には大事だ。

 

「礼節」は、良好な人間関係を築くための根幹

そのために、私は『CHOOSE CIVILITY (チューズ シビリティ) 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』を新社会人に強く勧めたい。

 

本書の核心はずばり「礼節」だ。わかりやすさを重んじた出版社の苦悩も感じるが、サブタイトルには「礼儀」ではなく、「礼節」を全面に出してほしかった。

傷つくのを避けて他人を寄せつけないのは無意味です。人間関係が引き起こす痛みを最低限にする努力をしながら、人間関係を築いていく方法を学ぶべきなのです。 人間関係によって生じる痛みを最低限に抑える方法とは〝他人と上手に接していけるようになること〟です。この大切な素養を身につけるのに、魔法を学ぶ必要はありません。礼節を学べばいいのです。
『CHOOSE CIVILITY (チューズ シビリティ) 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』

 

本書は、上記のイントロから始まり、礼節にかかわる25のルールが紹介されている。それぞれのルールは3-6ページと短く区切られており、簡潔な具体例とエッセンスとともに要点がまとめられ、非常に読みやすい。参考までにいくつかのルールを例示する

[ルール01] 周囲の人に関心を向ける
[ルール02] あいさつをして敬意と承認を伝える
・・・
[ルール07] そこにいない人の悪口を言わない
[ルール08] ほめ言葉を贈る。そして受け入れる
・・・
[ルール17] 自尊心を持って自己主張する
・・・
[ルール21] お願いするのは、もう一度考え直してから
[ルール22] 無駄な不満は言わない
・・・
『CHOOSE CIVILITY (チューズ シビリティ) 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』

1つ1つを取り出してみると、ありきたりに見えるかもしれない。が、25のルールを無理なく息を吸うようにできている人は実際には少ない。「礼節」という言葉でくくって、これらのルールを一塊で見ると、「一緒に仕事をしてみたい」、「何かあったら、惜しげないサポートを提供したい」という人物像が私には浮かび上がってくる。ぜひ、本書を参考にして「礼節」をわきまえた新社会人になってほしい。

 

相手を見極める力、賢く距離をとる技術

また、良い人間関係を築くためには、良い人についていかなければいけない。なので、職場の上司、先輩、取引先で、懐に飛び込んで緊密な関係を築くべき人と、少し距離を置くべき人を見極めることは非常に大事だ。その上で、相手が「礼節」をわきまえているかどうかは非常に重要な基準となる。もちろん、新人の間は、上司や先輩や取引先を選ぶことはできない(もちろん、経験を積んでも限りがある)。日々「礼節」をこころがけながら、懐に飛び込むべき人には思い切って飛び込み、あんまりという人とはうまく距離をとって欲しい。

なお、相手が「礼節」を欠くからといって、自分もその人に対して「礼節」を欠いてはいけない。そういうあなたの行為はどこかで誰かが必ず見ているし、「礼節」を欠く人と対立したところで面倒なだけで良いことは一個もない。「礼節」をもって距離をとるのが一番だ。

 

「礼節」を頼りに、社会人としての第一歩を

社会人としてのスタートにあたり、不安や緊張がいっぱいの人もいるだろう。あなたが「礼節」を大切にし、人との関係を丁寧に築いていけば、きっと良い人たちに囲まれ、成長していけるはずだ。

人間関係に悩み、好転させるための糸口が見えない時は、今回紹介した『CHOOSE CIVILITY』のルールを一つひとつ、見てみてほしい。必ず打開にむけてのヒントがあるはずだ。難しいことは何ひとつ書かれていない。だが、その一つひとつを丁寧に積み重ねていくことが、あなたの信頼となり、あなたの大きな力になるだろう。

新しい環境で、自分らしく一歩一歩前に進んでいけるよう、新社会人の方々に心からエールを送りたい。Good Luck!

 

#新社会人におすすめの本

日本に旅立った娘のはなし - 10年半のアメリカ生活を経て、自ら選んだ未来

昨年の6月、娘はアメリカの高校を卒業し、日本の大学に進学するために日本に旅立った。2013年11月にわが家はアメリカに移住したので、10年半のアメリカ生活に終止符を打ったことになる。

 

渡米当初からの葛藤:「早く日本に帰りたい」

娘は日本が大好きで、アメリカがそれ程好きではない。Grade 2(日本の小2)の頃に、英語が全く話せない状態で、アメリカの現地校に放り込まれ、必死に授業にキャッチアップすべく努力をしてきた。子どもはすぐに英語を話すことができるようになる、何ていうのは私から言わせれば都市伝説だ。多くの子どもは言語の壁、孤独、自分を出せないストレスを抱えており、娘も例にもれなかった。渡米当初から「早く日本に帰りたい」とよくこぼしており、その願いが書かれた七夕の短冊を見た時は、さすがに切なかった。親としてできうる限りの支援をしたが、正に悪戦苦闘という感じであった。

 

魔のGrade7、おとずれた限界と決断

Grade 7(日本の中2)の頃に、そのストレスと想いが大爆発する。アメリカではGrade 7は"the challenging seventh grade"と呼ばれるほど、勉強も難しくなり、友人関係も複雑になる時期だ。そして、思春期特有の難しい時期が娘にもおとずれていた。家族で会話を重ねたが、これ以上はいかんとも頑張り難いという悲痛な娘の想いに、親として上手く手を差し伸べる術を私は持たなかった。

結論として、娘のみ日本の高校に進学することを家族で決断した。アメリカに住む日本人家族で、子どもの一人がどうしても馴染めなくて、一人日本に戻るという話は、多くもないが、それ程珍しくもない。日本とアメリカはかなり異なるので、合わない人には合わないのだ。Grade 7という特有の難しさ、思春期の感情の起伏、アメリカとの相性というマイナス要素が一気に押し寄せ、娘は爆発すべくして爆発したと今となっては思う。

 

高校受験の勉強、そしてコロナがやってきた

娘の日本の高校進学を決めたので、一時帰国の際は、学校見学をしたり、予備校の夏期講習に通わせたり、準備を進めた。また、高校生で親元を離れて、寮生活を送るのだから、料理や掃除から、基礎的な金融教育まで、独り立ちができるように親としてしてあげられることは全部したつもりだ。

が、いよいよ受験という年にコロナ旋風が巻き起こる。少し心許ないところはあれど、私の子育てのゴールである「子どもが自律と自立できるようにする」ということは、大分達成できたかなぁ、というまでには娘は成長していた。なので、先の見えない状況ではあるが、娘が希望するのであれば、高校進学はサポートする気でいた。

 

「今は日本には帰らない」 コロナ禍の決断

娘にはその旨を伝えて、自分で考えて決断するように伝えていた。
ある天気の良い日に一緒に散歩をしながら、「で、どうするか、結論はでた?日本に帰国したいのなら、サポートするからね」と聞いてみたところ、「色々考えたけど、見送ろうかな」と娘。

その時、アメリカのGrade9(高校1年)になっており、高校で親しい日本人の友人もでき、中学と比べるとかなり学校の環境も改善され、娘なりのペースを確立しているようにも見えた。かくして、すったもんだの末、娘は日本への帰国を先延ばしすることになる。世界中にトラブルを巻き起こしたコロナ禍も、わが家にとっては今の家族を形作るパズルのピースの一つであったように思う。

 

高校卒業、そして本帰国へ

その後、カリフォルニアへの引っ越しに伴い、転校というイレギュラーも経験した。それでも、補習校の卒業、そして現地校の卒業と、娘は一歩ずつ着実に歩みを進めてきた。そして昨年6月、日本の大学の受験のために、ついに念願の本帰国を10年越しに果たすこととなった。
成長を重ね、大人びた雰囲気もそなえた娘は、Netflixを英語と日本語を切り替えながら楽しむほどの語学力を身につけ、「こういうことをできるようになった環境に連れてきてくれた親には感謝している」などと親を気遣うことも言うようになっていた。が、私は「あなたが、苦労をしながら自分の努力で身につけた能力なのだから、親に感謝する必要なんてないよ」と言っている。これは私の正直な思いだが、言葉の裏側にある娘の優しさと気配りに少し胸を打たれた。

 

家族3人での生活が始まって

「娘さんがいなくなって淋しいし、心配でしょう」
とたまに聞かれる。もちろん、家族4人の生活が3人(私、妻、息子)になり、静かになったところもあるが、実はあまり淋しさというのは感じていない。
自分の人生に対して主体的な決断をできるようになった娘を応援したいという気持ちと、娘が今後どのような人生を歩んでいくのかを見るのが楽しみという気持ちが、淋しさを遥かに上回っている。もちろん、助けを求められたら、いつでも助けるつもりでいるが、必要なヘルプを求めるという能力も含めて娘は「自律と自立」ができる素養を身につけているので、親としては学費と仕送りを送る以外にはできることは殆どない、と思っている。娘の子育てについては「やりきった感」が強く、晴れやかな気持ちで日本に送り出すことができた。

 

娘からの「嬉しい知らせ」

本命の大学の受験に、一人日本で取り組んでいた娘から、無事第一志望に合格したという「嬉しい知らせ」を先日受けた。親元を離れての最初の挑戦が、「一人暮らしを初めて大学受験をする」というもので、決して簡単なものではない。それでも、集中力をきらすことなく、コツコツと努力を重ね、良い結果を残すことができた。娘の一番希望する大学に進学できたということが親としては最も嬉しいが、その大学は私の母校でもあり、とても感慨深い。

これからも自分の人生に対して、主体的に決断し、人生を切り拓いって欲しい。よく頑張ったね、本当におめでとう。

校長室に呼び出された息子とゼロ・トレランス

「校長室に呼び出されちゃったよ、、、。」

今日、放送で校長室に呼び出されちゃったよ、、、。

学校から帰ってきた息子がいきなり物騒なことを言う。
「いったい何をやらかしたのか?」、いや、そもそも息子は素行が悪いタイプではない。「何があったの?」と聞くと、意外な答えが返ってきた。

  • ビデオプロダクションの先生の授業中の発言についての聞き取りだった

  • 具体的には、その先生が授業中にNワードを言ったかどうかの確認だった

  • 自分以外にも同じ授業の生徒が数名、個別に呼ばれていた模様

「えっ、授業中に教師が生徒にNワード!?そりゃまずいんじゃない」、というのが私が息子の話を聞いてぱっと思ったこと。

Nワードについては、補足は必要ないかもしれないが、いわゆる黒人に対する差別的な表現だ。ここでの詳述はあえてさけるが、知らない方はこちらのリンクをどうぞ。

 

先生に下された「一発レッドカード」

その先生は、長年ビデオプロダクションの授業を担当していた大ベテラン。だが、結局その一度の失言が致命傷となり、残念ながら先生はしばらくの謹慎期間を経て、あえなく解雇となってしまった。まさに「一発レッドカード」である。

確か一学期も終わっていない時期の出来事だ。テーマの特殊性からかその後正教の先生が配置されることはなく、だましだまし代教の先生が代わる代わる来て授業を進めたらしいが、授業の体はなしてなかったとの息子談。

また、授業時間中にガンモーション(銃を打つジェスチャー)をしたフランス語の先生が3ヶ月停職処分後に復帰はしたものの、ある日忽然と姿を消してしまった、という話も聞いた。教員の問題行動での解雇は、アメリカではどうやら珍しくない話のようだ。

 

「差別教育」への世代間格差

子供の頃からアメリカの教育を受けている娘と息子が声をそろえていうのは、アメリカの人種差別の歴史に対する授業は、現代の若者の視点からすると過剰とのこと。色々な物語を散々読まされ、いかに人種差別はいけないことなのかを、熱っぽく、徹底的に教え込まれるらしい。毎年同じような授業を同じような熱量で受けている生徒からすると、「もうわかっているからいいよ」という感じらしい。

そのくらい社会として差別に対して敏感で、教育現場でも力をいれているというのは素晴らしいこととは思う。が、息子と話していると、黒人の生徒同士では「What's up, Nigga」のような表現はよく交わされている模様。一周回って市民権をえた印象を受ける。先生も時代の変化に流され、口が滑ってしまったんだろうか。

 

アメリカの「ゼロ・トレランス」

アメリカ企業ではコンプライアンス違反で社員が一瞬で消えたように解雇されることは時として見るシーンであるが、それは学校であっても同じ模様。アメリカには「ゼロ・トレランス」という言葉があるが、まさにそれだ。差別的な発言を一度でもやったら即退場。事情も意図も情状酌量の余地は一切ない。
が、先生が解雇された後、まともな授業がされることはあまりなく、「ゼロ・トレランス」のとばっちりで、生徒は無為な時間を過ごすことになってしまった

 

私が小学生の頃の昔話

そんな、息子のエピソードを考えながら、ふと自分の子どもの頃の出来事を思い出した。私は中学受験をするために、小6の時に塾に通っていた。その際の算数の先生が熱血指導で、痛いげんこつを頭にくらうことがしばしばあった。おまけに、先生はそのげんこつに「ヘッド」という技名までご丁寧につけておられた。先生が生徒を前に呼びだして、「ヘッド!」と叫びながら頭にげんこつを浴びせる、今からは想像できない光景が日常的にあり隔世の感がある(なお、無事志望校に合格し、合格体験記に「先生の痛いげんこつも今となっては良い思い出です」と書いたが、一般に公開された合格体験記には「先生の厳しい指導も今となっては良い思い出です」と修正されており、大人の世界の理屈もあわせて学んだ)。

 

まとめ

物理的な暴力行為にまで今の時代に及んだ場合は流石に情状酌量の余地はないが、生徒同士が日常的に使うNワードを、先生が生徒に使ったら一発退場というのは、私は厳しすぎると思う。
「ゼロ・トレランス」は「差別を絶対に許さない」という社会の意思の表れではある。が、それが「断固たるリーダーシップの証」のように捉えられ、「容赦なく処罰しさえすれば良い」と形骸化してきている、というのが何度となくそういうシーンを見たり、話を聞いたりした私の実感だ。学校教育においては一番大事なのは、教育現場から差別を無くし、どの子どもにも質の高い教育を受ける環境を整えることではないのか。処罰の結果、授業がまるまる自習時間になっては本末転倒だ。

締め付けが必要以上に厳しくなったり、その反動でやたらとゆるくなったり、いったりきたりするのはアメリカ社会でよくあること。それでも、一歩づつ住みやすい社会に前進していると願いたい、息子の学校の話を聞いたり、民主党と共和党政権で揺れ動くLGBTQなどを見て、そんなことを考えた。

アメリカの2024年の標準控除が442万円だった件

3月は私にとって日米の確定申告のシーズンだ。毎年期限ぎりぎりまで引っ張るのだが、今年は意を決して、2月中に全て終わらせた。今年はアメリカの証券会社の資料の不備で$15K近い追加納税を強いられそうだったが、ChatGPTやTurboTax(アメリカの納税ツール)のヘルプを得ながら、間違いに気付き、修正をして事なきをえた。怖すぎるだろう、証券会社の書類不備。アメリカあるあるだ。

日本では103万円の壁がしばらく話題になっている。維新の会と自民党の合意で、残念ながらかなり抑えられた金額に落ち着きそうだ。たまに、ニュースでアメリカの例も紹介されているが、Turbo Taxにお任せで、標準控除額(Standard Deduction)とかあまり意識してこなかったのだが、今年の金額を調べてみた。

 

アメリカの確定申告は、独身、世帯主、夫婦合算申告の3つがあるのだが、わが家は夫婦合算申告なので、今年は$29,920、IRSの年間平均レートで日本円に換算すると442万円くらいだ。日本と比較すると驚くような金額だが、物価の水準も給与も違うので日本とは一概に比較はできない。

 

なお、過去5年の推移をまとめると下記の通り。IRSの年間平均レートで年ごとに異なる日本円の金額も参考までに掲載する。なかなか面白い表なので、いくつか考察してみたい。

為替の影響でかすぎ問題

2020年から2024年でドルベースで18%増額しているのだが、円ベースも試しに計算すると67%増額となる。年間平均レートものせているので、為替の影響がわかるが、凄まじい円安である。わが家は、娘が日本に本帰国をして仕送りをしているので、大変ありがたいし、インバウンドの旅行客が増えるのもよくわかる。「今度、日本に旅行に行くのだけど、、、」という相談が最近多いのもうなづける。

 

年間平均の増額率4.19%

過去5年の平均増加額を均してみると4.19%となる。が、個別の年の増額率を見ると21年は1.2%で23年は6.9%とかなりばらつきがある。アメリカの標準控除額はインフレ率(特にCPI:消費者物価指数)と連動する傾向がある。なので、この増額はここ数年の凄まじいインフレ率の結果とも言える。日本もインフレと最近言われているが、「お客様の笑顔ために価格の据え置きを」みたいな店が一軒もないアメリカの物価上昇率は日本の比ではない

 

実はトランプ減税の効果が高い

が、上記の表には少しからくりがある。実は2017年から2018年に標準控除は$12,700から$24,000に+89%の大幅改正があったのだ。これは前回のトランプ政権の目玉政策の一つで、レーガン政権以来の大幅税制改革と言われている。
大統領が変わるとこれだけのドラスティックな税制改革が可能というのは、103万円をいくらにするかで延々と揉めている日本とは大分異なる。まぁ、103万円の壁が話題として大きくなったのも、自民党が少数与党に転落したことによるので、日本でも今後大幅に変わる可能性は十分にある。
また、この減税は実は2025年で期限を迎えるため、2026年以降大幅に増税になる可能性は十分にある。が、少なくとも共和党政権の間は延長がされるだろう。

 

高いのか安いのか

標準控除が442万円と聞くと、「高い!」というイメージを持つ方が日本には多いと思う。が、冒頭で述べた通り、給与と物価の水準が全く異なるので、単純に比較はできない。
「低所得者層」の定義という視点で少しデータを見てみよう。その定義は色々あるが、4人世帯の貧困ラインはアメリカでは$31,200、そして貧困ラインの2倍以下を「低所得者層」とみなす傾向にあるので、$62,200以下は「低所得者層」と言うことができる。これを日本円に2024年のレートで換算すると940万円になる。日本の感覚からすると冗談みたいな数字かもしれないが、それほどアメリカの生活費は高い。
そして、私の住むカリフォルニア州は全米で最も物価も税金も高いと言われている州だ。私の住む地域はサンフランシスコ・ベイエリアのような天文学的に高い地域ではないが、米国住宅都市開発省の基準で言うと$91,100(1,380万円)が「低所得者層」のラインとなる。そう考えると442万円というのは決して高すぎる金額ではない。2026年以降に減税措置が解除されると結構しんどくなるだろう。

 

まとめ

色々話がとんだが、それだけ税金の話は奥が深い。今回のアメリカの確定申告では、システム任せにしていたら過払いしそうになり、税金の仕組みをきちんと理解するということが、自分のお金を守ることにつながると身にしみて感じた。また、標準控除の変遷を追うだけでも、アメリカの経済や政治の動きをみることができた。
日米の両方の申告をしないといけないので、確定申告の時期を「毎年くる憂鬱な時間」と捉えるのではなく、「税金という視点で社会を学ぶ期間」と捉えて、学習の期間として位置づけていこうと思う。

移民から見た、 “かつて報われた人”たちの自由な選択

以前、PIPに入れた私の部下が医師の診断書をとり、傷病休暇を取得したという話をした。結局、彼は4ヶ月半の傷病休暇後に辞表を提出した。退職届けを受けた人事の担当がにこやかな絵文字とともに

Sooooo glad he went this route, rather than returning to a situation that was not going to end well for him.
あぁ、彼がこっちの選択をしてくれて本当に良かった。戻ってきたところで結局彼にとって良い結果にはならかったからね。

と興奮を隠しきれないSlackを送ってきた。Soの「O」の多さが、人事担当の安堵を表している。忙しい年度末に人事と上司を巻き込んでしまい、痛恨の極みであった。

 

元をたどるとリストラリストにのせるべきところを下記の事情から手心を加えたため、この面倒が始まった。

通告を受けた日に失職すると医療保険が失われる。特に彼は子供が5人もいて、そのうちの一人は病気がちで通院をしている。医療費が天文学的に高いカリフォルニアで、医療保険がないのはかなりきつい。
外資の人事制度PIPでやらかした話

 

だが、自分の失敗を棚にあげてあえて言わせてもらえば、これは健康保険制度が社会のセーフティネットとして機能しておらず、健康保険を労働市場で勝ち取らないといけないアメリカ社会の問題でもある。

ご存知の通り、アメリカは日本と異なり国民皆保険制度がない。なので、約6割の人は勤め先の企業経由で民間の健康保険を購入する。即ち、大部分の健康保険は、行政からではなく、労働市場を通じて提供されるのだ。

転職をする際に年収は最も重要な要素の一つだ。が、アメリカの場合は、それと同様にどんな健康保険を転職先が提供するかも、年収と同じように重要な要素であることを私はアメリカで転職をして知ることなった。

前職では月5万円でそこそこの保険に入れたが、今の会社では同等の保険に加入するためには月15万円もかかる。差額が大きいので、今は安めの月7万円のプランを選んでいる。アメリカでは医療費のリスクは個人で引き受けなければならないのが現状だ。

 

最近、ナンシー・フレイザーという社会哲学者の『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』という本を読んだ。

 

アメリカの資本主義は、単なる経済システムという垣根を超え、社会システムとして組み込まれており、様々な問題を起こしていると、現代資本主義を批判的に論じている。

アメリカの健康保険制度はその典型的な例であろう。本来なら公共で守られるべき“健康”が、労働市場に組み込まれることで、”健康”がお金で買う対象となってしまっている。これは単なる制度の不備ではなく、資本主義が社会システムとして社会の奥底まで根ざしていることの証だ。

アメリカでは「労働市場に参加していないと、健康や老後の保障すら危うくなる」という構造がある。それでも多くの人、特に工場労働者のひとたちがトランプ政権を指示し、「小さな政府」を求め、市場原理を重視する方向に舵をきっている。今回の部下の退職を通じて、その危うさが改めて浮き彫りになった気がした。

 

「政府は手を引け」と叫ぶ声がある一方で、その結果としてセーフティネットが縮小している現実に、どれだけの人が気づいているのだろうか。特に、移民や女性の社会進出などの変化によって労働市場で不利な立場に立たされた人々こそ、その影響をもろに受けるのではないか。

アメリカ社会は、個人の“自由”を何よりも重んじる。しかし、その“自由”の名のもとに、多くのリスクは個人に委ねられる。私のような移民は、はなから大きなリスクを抱えたチャレンジャーで、アメリカの厳しい「自由」と「自己責任」の境界線を走り抜けて、今がある。既に「自己責任」の重さに押しつぶされている層が、「政府の介入を減らすべきだ」と叫んでいることに不思議さを感じてしまう(それがアメリカの保守であることはわかっているが)。

 

「かつてはもっと報われていたはずだ!」という彼らの訴えは、皮肉にも「もっと報われない」未来へと自らを導いている。だが、それが彼らの選び取った自由であり、それすらも尊重するのがこの国なのだ。

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