ビジネスの神様に恥じることはないかどうか



河島は駆けだしのころのこの苦い体験をその後も忘れることなく、後年、企業参謀としてダイエーに迎えられてからも「ビジネスの神様」という言葉をしばしば口にしている。まとめあげた施策が合理性と整合性をそなえ、いかなる角度から見てもビジネス倫理や道徳律から逸脱せず、「神」に恥じることのない、間違いのないものであるよう心がけたのである。
『社長の椅子が泣いている』 〜第三章 P.95〜

ビジネスとは見えないものを見えるようにしていくこと

以来、住吉は生涯、河島博をビジネスの氏として仰いだ。のちのちまで「本質とは何かを考え抜くよう仕向けられた」「ビジネスとは見えないものを見えるようにしていくことだと教えられた」と語っていた。
『社長の椅子が泣いている』 〜第五章 P.192〜

現地法人の二面性

第一に、「現地主義」を推しすすめたことである。この「現地主義」という言葉は、えてして現地エゴとか、ヒト・モノ・カネを現地から調達するという意味だけにうけとめられがちであるが、河島のそれは異なる。すでに述べたように、現地法人には、アメリカの法人としてのベストインタレスト(全体最適)と追求し、出資者(株主)である本社の意思や方針を体現するという二面性がある。経営責任は、アメリカの会社として、現地従業員、ディーラー、地域社会に対して負わなければならないし、本社にたいしても負わなければならない。河島博は、現地企業の発展を第一義とし、そうすることが長い目で見れば本社にも益すると確信して、マネージメントを展開した。
『社長の椅子が泣いている』 〜第五章 P.207〜