Phantomship Deadend

01 May 2009

一人

 私は一人です。

 一人であるということはどのように定められるか? 規定は内側から、また、外側からなされ得るのではないか。実際には、「一人」「内」「外」は同時に規定されるはずなのであるが、面倒臭いので、差し当たってここではこのように考えることにしよう。だとすれば、諸力の合力の輪郭としての一人というもの、他の個体の輪郭に対する一人というものを想定することができるのかもしれない。未対一、多対一。

 そして、それらは結局は同じ様態であるのかもしれない。一人以前と一人以後の稜線としての一人としての私。両方の世界を眺望する位置を憶えておきたい*1

羹に懲りて年寄りの冷や水

 ひょっとしたらおれは天才なのではあるまいか。その自覚が充分であれば、このような問題は未然に防がれたのではないか。

 こんな着想に襲われる機会が時々ある。他人についてそう思う経験はこれまでにも時々あった(ただし、口に出したことはない。「ひょっとしたらあなたは天才かもしれませんよ。そのつもりで重々用心してくださいね」などという発言は、災いの種になりやすいという予感がある…)。おのれについてそう思ったという経験はなかった。

 選択肢は二つ。密かにそのつもりで過ごすことにする。あるいは、そのような着想の自生を何らかの異変の徴候と認識し、この着想をなるべく気に懸けないことで精神衛生を図る。どうしようかな。

*1:連想。解離性同一性障害について、ある講師から聴いた言葉――「人格が幾つもあることが問題なのではない。幾つも人格があることによって、同一性の感覚が損なわれることがあるとしたら、それが問題。『解離性同一性障害』とはそのような意味」。

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