『地球外少年少女』ネタバレ感想 那沙・ヒューストンというキャラクタについて

配信日にNetflixで全6話を鑑賞。
8年ぶりにブログ更新するくらいにはハマってます。

まず、タイトルが良い『地球外少年少女』
十五少年漂流記』みたいな普遍的で端的でプレーンな感じがカッコいい。

youtu.be

内容もジュブナイル物が好きなのでどストライクでした。
(最近、辻村深月さんの『かがみの孤城』を読了。これも良かった )

しかし、何度も見直すうちに魅了されたのは
「那沙・ヒューストン」というキャラクタでした。
以下、ネタバレ全開で考察しています。

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京騒戯画をみた感想――鏡都はだれを映し出す鏡なのか


京騒戯画10話見終わりました。いやぁ、良い作品でしたね!(まだ復習編あるけど・・・)
自分はテレビ放送から視聴をはじめたんですが、0話の爽快感あふれる演出にやられてしまって視聴継続を決意しました。
それから1〜9話とSFテイストを混ぜながら、最近の深夜アニメには少ない家族の関係性についての話を丁寧にやっているなーと見ていたんですが、
10話をみて「あれ?この作品ってもっと面白いことをやっているのでは?」と思いつき、いま記事を書いています。
その思いつきって何かというと
作品の内と外(現実)の状況がグチャグチャに混ざり合いながらもリンクした作品だったんじゃないか?
ってことです。ややこしいですね。以下で説明していきます。

京騒戯画という作品の身の上話

まず現実(外)での京騒戯画という作品の遍歴が結構特殊なんですよね。
じぶんもTVシリーズ見始めたので特別詳しくはないのですがwikiによると、
最初はネット上で公開される単発の30分アニメとして作られ、好評を受けて第2弾が10分程度の短編アニメとして作られネット上で公開されたらしいです。
そして現在テレビで放映されている『京騒戯画』は第1弾と第2弾を再構成して、1つの物語としてTVシリーズとして放映されているものらしい。
またテレビシリーズの第0話「予習編」はネット上で公開された第1弾を編集した物のようです。制作上いろいろ紆余曲折あったんじゃないかな・・・と想像してしまいますね。
京騒戯画とは (キョウソウギガとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


ここで大事なのは『京騒戯画』制作スタッフにとってTVシリーズはまさしく「やり直し」であっただろうということです。
そして『京騒戯画』は「ある一家を巡る愛と再生の物語である」ので再生という要素が現実とリンクしていると言えます。

メタ的なシリーズ構成

実質TVシリーズ1話といえる第0話はネット上で公開された第1弾が編集されたものですが
その内容はテレビシリーズの7話までのお話のダイジェスト版にもなっています。
よってテレビで各話が放送されるたびに「予習編」と同じ場面が登場するんですが、キャラクターの台詞や状況などが微妙に変わっているんですよね。
これは「編集」を視聴者に強く意識させますが、それがTVシリーズになったという現実(外)の要因によるものなのか、はたまたアニメの中で歴史改変がおこっているのか視聴者には判断できません。

ただわざわざ0話で「予習編」をやったこと(予習が出来るということは未来が確定しているということ)、
5.5話で「京都実録編」という実写をやったことを考えると制作スタッフが現実と虚構をごちゃ混ぜにしたメタを狙ってやっている可能性は高いと思います。

また各話のなかで過去や現在に時間軸がポンポン飛ぶ作りもそれぞれは断片であり、それらが再構成されたものという作品の構造を説明しているとも取れます。

鏡都は作り手を映し出している

京騒戯画』ではもともと12個の並行世界があり
認められていない13番目の並行世界である「鏡都」を舞台に話は進行します。
この複数の並行世界が存在するという設定も、元々はネット上で公開された作品だったものがTVシリーズとして再構成されている現実の『京騒戯画』の在り方とうまい具合にリンクしています。

またメタ的に考えると「創造の力」をもった神様で生命を与えたり鏡都をつくったりできる明恵上人は『京騒戯画』の制作スタッフの依り代となるようなキャラクターとも考えられます。
物語の舞台となる鏡都をつくるということは、このアニメ自体を作ることにも意味合い的に重なってくることですからね。
「創造の力」が数珠という複数の球を束ねたもので表現されていることも注目に値します。

そういう視点で『京騒戯画』10話を見てみるとめちゃくちゃ面白いんですよ。

キャラクタと制作者 自己肯定の物語

僕が10話で面白いなっておもったのは明恵とコトが神様のいる高天原から、月の様なところにいる上人と古都のもとへ向かうシーンです。
明恵とコトがいままでの話の断片映像がバーッと浮かぶ空間に飛び込むシーン。

これは明恵とコトがこの場所に来るまでの道筋でもあるし、このアニメで視聴者の僕たちが見てきたことを映像的に表現しています。つまりこの空間が『京騒戯画』というアニメそのものなんですよ。
それをみたコトは「なんだこりゃ!」って笑顔でつぶやいて
明恵は「わけわかんねぇ」って叫びます。

京騒戯画』って「わけわかんねぇ」作品なんですよ、きっと。
そしてそんな光景をみて考えたコトが次のシーンで発した台詞が僕にはこんな風に聞こえちゃうんです。
「もう少し一緒にいられないかな。なんだかんだ今まで『京騒戯画』作っちゃったんだし、せっかくTVシリーズも放送できたんだし、やめるなんていつでも出来るんだしさ。嫌なこともあるかもしれないけどこのアニメ作って良いよ。ただの我侭なんだけどさ」
っていう制作者の声に聞こえるんだよー!!!(病気っぽい

そういってコトはアラタマでいままでの『京騒戯画』の世界をぶっ壊してリブート(再構成)します。このシーンもまた新しいものを作ろうという制作者の想いが伝わってきてめちゃアツくなりました。
そして物語の中で物語をぶっ壊すってのはやっぱ面白い。アラタマでガシャーン!とやるのも爽快感があって好きです。
アラタマでぶっ壊してるのは「鏡」でありテレビ画面の液晶でもあると勝手に思っていますw

そして明恵上人(=制作者)だという視点に立つなら、上人がじぶんの存在理由を確認するシーンは非常に重要です。
「消えないで、先生」とコトに訴えられ、上人はそこに愛があることを感じて「うん」と返事をします。すると『京騒戯画』は上人が存在してもいい世界に再構成されます。
それでもまだイジけてる上人に父親である神は「いるだけじゃいかんのか?理由としちゃそれで十分よ」と諭します。

このあとの上人が自分の存在を認めて笑顔を浮かべるシーンでは、
制作者もこの作品を認めることができたのかなー、でもそれってすごい自己完結してるよ!!と思えてとても面白かったですww
でも『京騒戯画』がすごいのはメタ視点をもって見ると「在ってもいい」と上人が納得することで『京騒戯画』という作品自体が「在ってもいい」ことになるところです。
キャラクターが自己肯定すると同時に作品自体が作品を肯定(救済)してるんです。
これってすごいです。そのような構造のおかげで『京騒戯画』という物語はきれいな球体のように閉じているように思えます。

まとめ

僕はこの作品があってほんとに良かったなと思います。もちろんほかのたくさんのアニメについても同様です。
「在るだけでいい」というメッセージは優しいもので、まず在ることで偽物の世界でも、偽物の家族でも、どのようなアニメ作品でも、そこに関係性が生まれて、愛が生まれるっていうのは希望があって好きです。
スタッフのみなさんには『京騒戯画』という作品を生み出してくれた感謝でいっぱいです!

  

いま女児向けアニメを見ていないオタクは今すぐオタクを名乗るのをやめるべき

最近ちょっともったいないなーと感じることが多いことがあって
僕は周りに日常的にアニメを見るという人たちが結構いる環境にあるんですが、
深夜アニメは見ていてもアイカツ!プリティーリズムRLを見ている人は圧倒的に少なくて、そのことがとてももったいなく感じてしまうんですよね。
なぜかというと僕はいまのTVシリーズアニメではアニメ史に残るような面白いことが現在進行形で起こっていて、そして女児向けアニメはそのことが一番感じられる場所ではないかと思っているからです。

いまアニメで何が起こっているのか?

それは3DCGの急激な進化です。
いま放送されているTVシリーズアニメでは3DCGの進化が日進月歩でおこなわれています。
5年前だとモブや背景の車などが3DCGによって描かれるのは劇場アニメにしか見られないことでした、しかしいまでは多くのTVシリーズアニメでそのような3DCGの使われ方がされていますし、
今期放送中の『蒼き鋼のアルペジオ』は全編が3DCGで作られています、ほかにも機体が3DCGで作られたロボット物の『マジェスティックプリンス』など、アニメにおいて3DCGの技術はもはや切り離せないものになってきています。
この流れはますます加速していき、10年後のアニメという表現媒体において3DCG技術が重要な位置を占めることは容易に想像できます。
そしていまは3DCGという技術がTVシリーズアニメで使えるレベルに達して、試行錯誤し、日々進化しているのをリアルタイムで感じることのできる時代だと思います。そんなものを見せられてワクワクしないはずがありません!

最先端をゆく女児向けアニメ

じゃあ何故それがアイカツ!プリティーリズムといった女児向けアニメを見るべき!―――という大きな物言いに繋がるのかというと、
3つ理由があります。

  • 長いスパンで視聴できる
  • CGパートへの力配分が多い
  • 毎週見れる

という3点です。順番に解説していきます

長いスパンで視聴できる

最近の深夜アニメは1クール(12話)や2クール(24話)で3ヶ月ほどで終わるものが多いです。一方、女児向けアニメは1年を通して50話ほど放送するものが多く
アイカツ!は現在2年目に突入して現在61話まで放送されています。
1年という長いスパンでやっているからこそ同じ作品の中で技術レベルが上がっていっていることが実感としてわかります。

例として初期のアイカツ!のCGパートと今のCGパートを比べてみるとその違いがわかると思います。
これは放送されている中で試行錯誤を重ねた結果、進化してきたのだとハッキリと感じることができます。

CGパートへの力配分が多い

アイカツ!ではほとんどの回で3DCGで作られたライブシーンパートが必ずあります。
これはアーケードゲームとアニメをリミックスさせたためというビジネスからでてきた作品構造ではあるけど
そのためにビジネス的要請からライブシーンは非常に力の入ったクオリティの高いものになっています。(たぶんすごいお金が投入されてる・・・)
その結果、子供だけではなく大人も楽しめるハイクオリティなものがほぼ毎週放送されるという状態になっているんです。なにそれ怖い。

毎週みれる

前項と少しかぶるけど、3DCGによるライブシーンがほぼ毎週楽しめるというのは贅沢すぎる。
しかも毎回工夫をこらした演出があり、新しいものを見せてくれる。ライブ感をもってそれらを感じることができます。
1年間という長い期間付き合ってきたキャラクタが晴れの舞台にたつ姿がみられるというのも大きな魅力ですね。

まとめ

3DCGを使ったアニメーション表現の進化をリアルタイムで追いかけて目撃することはいつも僕に新鮮な感動を与えてくれます。
きっとCG技術者は今はやりたいことがありすぎてきっとすごく楽しいんだろうなーと想像してしまいますし、視聴者として僕も
毎週どんな表現が生まれてくるのか楽しみにしています。もう毎週の生きる希望がプリリズになっています。
最近だとプリティーリズムRLのジュネ様のプリズムショーがあまりに凄すぎて泣いちゃいましたし、
アイカツ!の風沢そらのライブシーンはPV的な演出を取り入れていて、まだまだ新しいものが出てくるなとワクワクしました。

というわけで今日は女児向けアニメを薦めたいがために、3DCGパートに注目して記事を書いてみました。
この「イマ」を目撃してないアニメオタクはこれからオタクを名乗れないとおもうけどな。
いや、書かなかったけどストーリーもいいんだよ!王道で!! ラブライブ!カレイドスターが好きな人は好きだと思うなー。
すこしでも興味がわいたらアイカツ!プリティーリズムを見て欲しいです! 後悔はしないと思います。
そして少しでも仲間が増えれば嬉しいんじゃ〜(>w<

  

風鈴がでてくるアニメをまとめてみた。

どうしても気になる存在

アニメに出てくるモノの中でなんだか気になって、どうしようもなく好きなものがあります。
それが「風鈴」

江戸粋風鈴(金魚)

江戸粋風鈴(金魚)

なんでかは上手く言語化できないけど、たぶんスィーリア先輩がテディベアが好きなことと似たようなものです!

注意してみていると風鈴ってけっこう色々なアニメに高い頻度ででてくるものだとわかってきました。
そこで、今回はアニメの中で見つけた風鈴シーンをまとめてみました。

うる星やつら ビューティフル・ドリーマー


自分が風鈴を意識するきっかけになった作品。
なぜか友引町から出られないことが判明し、一夜明けて登校のシーン。
しのぶが路地裏に目を向けると風鈴屋が横切り、合わせ鏡のような路地裏空間に閉じ込められてしまい、そこには無数の風鈴が舞っています。
ビューティフル・ドリーマーのなかでもこのシーンは非常に幻想的で大好きです。夜の街へ買出しに行くシーンと双璧ですね。
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攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG


第11話「草迷宮」に風鈴が登場。
素子が夢のような商店街に迷い込んだ直後に風鈴がありました。
風鈴のつかわれどころがちょっとビューティフル・ドリーマーと似ていますね。そもそも攻殻神山健治監督は
ビューティフル・ドリーマーをつくった押井守監督の弟子といえるので、もしかすると意図的なオマージュだったのかもしれません。

ドキドキ!プリキュア

第26話「ホントの気持ちは?六花またまた悩む!」に登場。
甘味処でお茶をしている主人公たち。六花が将来のゆめについて悩んでいると、風鈴が鳴って隠れていた亜久里へカメラが移るというシーン。
正確にいうと風鈴そのものは映ってないです^^; 風鈴の音がなるシーンではカキ氷の旗がたなびいてるのがみえる。

作中での描写はとても夏っぽくてBGMにはセミの声も入っています。最初のシーンで主人公たちは強い日差しの下でスイーツを食べているんだけど
そこで風鈴の音が鳴って、それをきっかけに暗く涼しげな室内にいる亜久里へカメラは移ります。
明暗、温度のコントラストの契機として風鈴の音がうまくつかわれています。
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のんのんびより

第4話「夏休みがはじまった」
いままであげてきたのとは違って今度は「鳴らない風鈴」です。
夏休みが始まってれんげが軒下でダラけているシーンで風鈴が映し出されています。
けれどここで映し出される風鈴は弱い風にふかれている描写があるものの鳴りません。弱い風はたぶんれんげが回している扇風機の風かな。
ここでの風鈴がならないという演出は、このシーンはれんげが「何も起こらない田舎に退屈している」という気分だから。
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そして、実は話のなかでもう1度風鈴が登場して、今度はちゃんと鳴っています。
それはどういう場面かというと、短い夏休みの間だけ友達だったほのかちゃんかられんげへ手紙がきて、それを読み上げてもらったシーン。
ここで再び「風鈴」が登場して鳴るのは何故かと考えると、元通りの退屈に戻ったように見えて
ちゃんと友達が出来ていたれんげへの「祝福」の意味かな?と思います。

まとめ

こうしてまとめてみると「風鈴」というひとつの道具を演出で使うにも様々な使い方があることがわかりました。
もしアニメに登場する道具ひとつひとつが意味をもっているなら、それはとってもすごいなって。(某魔法少女風に
じぶんが見たアニメはまだまだ少ないので、見落としがたくさんあるというか見落としまくりだと思いますがとりあえずまとめてみました!


   

『のんのんびより』3話。家族とご飯のはなし

にゃんぱすー。
今期最強いやしアニメ『のんのんびより』は3話も素晴らしかったので感想を書くよー
いま『のんのんびより』がアツい!はてな界隈でもいっちゃん注目されてる気がするのです!(贔屓目か?)
でも、その証拠にほら!

のんのんびより論壇がはてな村で白熱中- 玖足手帖-アニメ&創作-
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20131020/1382251878

のんのんびより2話〜錦織博の距離感〜- まっつねのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20131015/1381832490

大好きなのんのんにはもっと伸びてほしいのでう↑ち↓も記事書くのん。
のんのんびよりの凄さって一見ゆるくみえるのに実はすごく計算されて作られてるという所だと思うのよー
では、ぼちぼちとAパートの感想から

Aパート感想

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今回は姉妹の妹のほう。夏海視点で物語が語られていきます。
Aパートは先生に遠足と騙されて、田植えを手伝う話。Bパートは姉妹が家出をする話でした。
共通するのは両方とも「食べ物」が出てくるところかな。
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Aパートで面白いなとおもったのは、ほたるんが先輩のおにぎりがもらえると聞いて鬼のように田植えをするところ
視聴者は2話のほたるんの濃い描写を見てるから「ほたるんガチレズキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!」って思ってるけど
これにたいして越谷姉妹やれんげは「ほたるんはおにぎり好きなんだね」って認識なところです。

よくあるアニメだとほたるんの「百合属性」は周囲に認知されて、ネタにしていじられるんだけど、のんのんびよりはちょっと違います。
あまりキャラクター同士が内面を覗きあってないというか、メタ視点をもっていない感じなんですよね。
登場人物はだいたい中学生以下なんで、他人に対しての視線をあまりもっていないのも自然に感じられます。

メタアニメと非メタアニメ

しかし最近いろいろなアニメを観ていると、どんどんメタ度が上がってきている気がするんですよね。
のんのんはそこに一石を投じてくれそうな予感があります。
作中キャラクターの認識で作品のメタ度が変わるってどういうことかを図にしてみました。

下の図は普通のアニメを見ているときの視聴者の視線です。視聴者は現実に寄ってキャラクターを視ています。
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次は作品中でのキャラクター同士の視線の図。アニメの世界観やキャラクターの認識に寄ってみています。

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ここでキャラクターが見ているものの認識と視聴者のそれが重なるとき、視聴者の第三者視点は薄くなって現実とアニメの境界があやふやになって
共犯関係めいたものも生まれて作品メタ度が増します。
今期の『てさぐれ!部活もの』とか声優をキャラクターにのせるってのが視聴者側で意識的に行われる作りで、もうなんだかすごいですよね。視聴者がキャラを作ってるというか。

こんな風にアニメと視聴者が共犯関係的な作品が増えたのは、ニコニコ動画まとめサイトで視聴者同士が気軽にアニメの感想を言い合える環境ができたせいかなっておもいます。
そんな環境ではリアクションに結びつきやすくて、視聴者同士コミュニケーションがとれるメタネタの需要が増してくるのではないでしょうか。

Bパート感想

さてさて、Bパートはまた非常に寓話的というか、物語になっています。
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家出をして、昔作った秘密基地にきた姉妹。夏海は姉に「姉ちゃん一人くらい私が養ってやるって!山菜取りとか猪狩りとか」というけど
Bパートのテーマってこれなのかなって思いました。「誰が誰を養っているのか」というお話です。
夏海は私が養うって姉に言うけど、猪を狩るとか非常に子供じみた案です。
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その後、小鞠からお菓子のキットカットをもらいます。実際食べ物を持ってるのは姉である小鞠なんです
でもそれも食べ物というか、小さいお菓子一つしか持ってない。

そこで過去に家出したことがあるという回想が挿まれます。
過去の回想が入れられることでグワーンと姉妹のもつ関係性の歴史性が立ち上がってめちゃくちゃ良い。
昔、同じように家出したなつみがその辺に生えてる雑草(=食べられないもの)を食べてしまい、具合が悪くなって家に帰ったという回想です。
これは一人では生きていけない(=食べていけない)子供であることの暗喩かな? それと比べるとキットカットを持っている現在は少し成長していると受け取れます。
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家出の原因となった猫をみつける夏見
でも猫も家族のために食べ物を探していたことを知ります
ここの子猫が3匹なのは越谷家に対応してる。
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そして秘密基地(=大人のいない家)をでて家に帰ることにした姉妹
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家で待っていたご飯はおいしそうな鮎の焼き。やっぱり姉妹にもまだまだ親が必要だよねってわかります。

今回の話では夏見姉妹の関係性が深く掘り下げられてて面白かったです。
最後視聴者はやっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだよねってオチに感じますが、きっと夏見はその辺あまり分かってないですよね。
3話は周囲も、夏海自身もわかってない夏海の子供っぽさがうまく表現されていて流石だなーと思いました。
次回はれんちょん回ですが今から楽しみですわー。

    

『のんのんびより』1話のもつ寓話性について考えてみた

本編も良いということが言いたい

前の記事では『のんのんびより』のアバンについての感想だけで終わってしまって本編について触れることができなかったので
今度は本編についても感想を書きたい。どうせ暇だし、友達もいないし雨降ってるしですることがブログを書くぐらいしかないんです。
いや、暇だからじゃなくて本編も物語中毒者的にすごく美味しかったから書くんだけどね? まず1話のあらすじを紹介すると・・・

1話のあらすじ

第01話 転校生が来た
一条蛍は、両親の仕事の都合で、東京から「旭丘分校」に転校することに。しかしそこは、自分を含め、全校生徒が5人しかいない学校だった!東京から転校してきた一条蛍、ムードメーカーの越谷夏海、女子最高学年の越谷小鞠、独特の感性を持つ最年少の宮内れんげ、まったりした田舎の大自然の中で過ごす彼女達の日常がはじまる!

脚本:吉田玲子 コンテ:川面真也 演出:川面真也 作画監督:大塚 舞/井本由紀

「劇場版 のんのんびより ばけーしょん」公式サイト より

1話は一条蛍が田舎に迎え入れられる話


なんで1話本編の話がしたかったのかというと、『のんのんびより』1話は非常に寓話的な構造をもってるから心に響くのではないかと思ったからです。

前回語ったアバンが終わってリコーダーを吹いていた宮内れんげや越谷夏海、越谷小鞠が学校に到着すると、転校生として一条蛍が紹介されます。
のんのんびより』1話の主役は誰かというと東京から田舎にある「旭丘分校」に転校してきた一条蛍でしょう。
アバンではダンボールが軒先においてあったり、田舎らしくない洋風な家からでていく姿が描かれていましたがここで初顔見せです。
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転校生として田舎の学校に迎えられた一条蛍は鉄琴の手動チャイムにビックリしたり、全校生徒が5人しかいない事、1つの教室に色々な学年の生徒がいることなど、都会と田舎のギャップに驚きます。
休み時間は廊下に置いてあるバケツについて越谷夏海に説明される。ここでもちょっと会話がずれていて面白い。

その後グラウンドで中当て(ドッチボールみたいなもの)をするんだけどここでも都会と田舎のギャップネタ。(田舎ではカギを閉めないんですよね)
家に親がいないためカギを持っていた一条蛍は「変わってらっしゃる」といわれてしまう。
「都会」と「田舎」の違いが執拗に描かれて、それに戸惑っている一条蛍が描写されます。

こんなふうに1話の前半は一条蛍がじぶんの今までの常識が通じない「田舎」という場所に放り込まれたことがシュールギャグを挿みつつ描かれます。
そして学校が終わった後の帰り道に蛍は高台から「田舎」を俯瞰して不安げな表情を浮かべる。
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そんな蛍の表情をみて、宮内れんげは家に遊びにこないかと誘います。
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1話を通してれんげは蛍のメンター(指導者、助言者)的な役割をはたすキャラクタなんですよね。
何故かというとプロローグのギャグで示したように、いま彼女は自分のいる場所が「田舎」なのかという「自分の居場所に対しての疑問」をもっているからです。
だから「田舎という場所になじめない」蛍の気持ちをキャッチできます。

そんなメンターのれんげの家に向かう道中、れんげは蛍に対してみかんの木があること、畑のこと、近くにあるお店のことなどについてレクチャーします。
でも蛍はれんげの家についてもまだ落ち着かない様子。
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蛍にとって「田舎」は異界

そんなこんなで蛍は田舎になじめないまま、翌日になって小学校での給食のじかん。メニューは地元で取れた山菜をつかったものです。
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これを食べた蛍は「美味しい・・・!」とはじめて笑顔らしい笑顔をみせます。
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ここが大事な場面で「異界のものを食べる」というのはじつは古くから物語的にすごく重い意味があるんデス。
日本最古の歴史書である古事記ではイザナギノミコト(伊耶那岐命)が黄泉の国の食べ物を食べてしまったため生き返れなくなってしまいますし
ギリシア神話でも冥王ハデスから与えられた冥府のザクロを食べてしまったベルセフォネーは一年のうち四ヶ月を冥府で過ごさなければならなくなることが書かれています。(これが季節の始まり)
最近のものだとジブリの『千と千尋の神隠し』でも「異界」のものを食べて帰れなくなってしまうというお話でしたね。

アリーズ 1 神話の星座宮 (秋田文庫 56-1)

アリーズ 1 神話の星座宮 (秋田文庫 56-1)

「異界のものを食べる」=「そこに同化・帰属する」という意味が発生しちゃうんです。食べることってすごく怖いことなんですよ。
いろんな漫画作品の「食事シーン」を見比べてみる - 紫の物語的解釈 この記事をよむと物語における「食べる」ことの深さがよくわかります。

なので「田舎のものである山菜」を「美味しい!」と食べた蛍は田舎に受け入れられたってことになります。
「受け入れられた」し「受け入れること」も少し出来るようになります。でも実はまだ続きがあったのです!

通過儀礼

そんな蛍の姿をみて、れんげは「デザートの桜餅は取っておくのん」って言います。
カットが変わって、おそらく学校の裏山であろう場所を3人に先導されて、蛍が桜餅を持ちながら登っている場面が映ります。
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しかし、この蛍がもってる桜餅がめちゃくちゃ落としそうなんですよね。わざわざ不安定な手元のカットも入れてきてる。
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みていて不安で仕方ないです。
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そして気がつきます。これって試練じゃん!!

これはアレですよ、ジョジョにあったやつですよ!
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ワインをこぼしてはいけなかったり…
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ポルポのライターをけしちゃいけなかったりするアレなんですよ!
ようするに通過儀礼というやつです

つまり蛍がこの桜餅をもし落としたりなんかした場合、死――にはしないでしょうがたぶん田舎でイジメられます。靴を隠されたりしちゃいます。
実際、蛍は一度木の根かなにかに足がひっかかって転びそうになるんですよね。危ない!汗

それでも蛍は頑張って、なんとか桜餅を落とさず山の頂上につきます。
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そこは綺麗な桜の木がある「ハレ」な場所で3人も待っています。
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この場所は試練を乗り越えた蛍へのご褒美かな
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そして山の上から「田舎」を見渡して蛍はおおきく深呼吸をします。
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そして全開の笑顔。はい!これで一条蛍は田舎に迎え入れられました!!
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というわけで1話は蛍ちゃんがどうやって田舎に受け入れられるかを描いた物語でした。
ほんと蛍ちゃんがイジメられる展開にならなくて良かったです。そういうのは『凪のあすから』だけで十分だと思うよ!

とまぁ、自分にとって『のんのんびより』1話は非常に寓話的な構造をもっているように思えてとても面白かったです。

追記:桜餅からの連想ゲームで桜の木という風にもなっていたんですね、さっき気づいた!

    

スロウな『のんのんびより』のプロローグがすごい

さて、そろそろストーブを付けたくなったり、邪魔な扇風機をかたす季節になってきました。10月からはじまった今期アニメも1話がだいたい出揃いましたね。
じぶん的には今期アニメはどうもノレる作品がでてこないなー、もうアニメ卒業かなー。なんて悲しく思っていたんですけど
そんな中でこれはスゴイ!ってやられてしまったのが『のんのんびより』のオープニング曲が入る前のプロローグです。それで久しぶりに記事を書く気分にもなりました。

あらすじ

第01話 転校生が来た
一条蛍は、両親の仕事の都合で、東京から「旭丘分校」に転校することに。しかしそこは、自分を含め、全校生徒が5人しかいない学校だった!東京から転校してきた一条蛍、ムードメーカーの越谷夏海、女子最高学年の越谷小鞠、独特の感性を持つ最年少の宮内れんげ、まったりした田舎の大自然の中で過ごす彼女達の日常がはじまる!

脚本:吉田玲子 コンテ:川面真也 演出:川面真也 作画監督:大塚 舞/井本由紀

「劇場版 のんのんびより ばけーしょん」公式サイト より

スロウアニメ万歳


アニメ『のんのんびより』が始まってまず映し出されるのは長閑な田舎の風景。

ひたすら田舎の風景が映し出される。後ろに流れる和やかなBGMには何故か下手くそなリコーダーの伴奏がついています。

通学路であることをしめす看板。田舎です。

古い和風の家で学校にいく準備をする子供。田舎にしかこういう家は無い。北海道ではこういう家は存在しません。

ダンボールが縛ってまとめてある

田舎っぽくない洋風の家。北海道にもこういう家はあります。

「ここがうちの村、のんびりのどかな所なん。でも時々おもうの、もしかしてうちは……」
アニメが始まって2分30秒ほどたってやっとここでキャラクターの台詞が入る。この時点でこのアニメのペースがめっちゃまったりなことに気がつく。

後ろから来た子にランドセルを背負った子が呼び止められて振り返る。ここでBGM伴奏の下手なリコーダーはこの子が吹いていたことが分かる。
そしてさきほどの台詞に続く疑問を発する

「田舎に住んでるの?」


そうだよ!!ってぼくのなかの全視聴者がツッコんだヨ!!!
というか、このボケのために2分半もひたすら長閑な田舎を映してたのかい!
2分半あったらてーきゅうなら1話終わってるし、キルラキルだったら蟇郡 苛のハイテンションなバトルシーンが始まってる時間だよ!!
でもこのめちゃくちゃスロウリィなテンポ。今まで無かったわー。めっちゃ癒されますわ〜(*´∀`*)
一瞬のカットに読めない字を書いたり、情報量を詰め込むだけ詰め込んで勢いをだしたりする昨今のアニメ作品へのアンチテーゼ。それが『のんのんびより』なのかもしれないと思ってしまいかねない。

まじめなはなし

ふざけて書いたけど、僕はこのアバンが大好きでめちゃくちゃ凄いことをしていると思ってます。
なぜなら、世界観を説明するのと同時にキャラクター紹介をして、しかもそれを1つのシュールコントとしても成立させるっていうハットトリックをやってるから。
2分半でだいたい『のんのんびより』がどんな作品かっていうのを説明できてるんですよー。みんなも見ればわかる!
しかもコントも『のんのんびより』の作風ままのもので、コント内容がたぶんこの作品のテーマになっていると思う。こんなに綺麗な導入みたことないデス!

というわけで、本編のことは一切書いてないけど本編も素晴らしかった!(中当てとか懐かしいね!あとカギっ子!)
やっぱり自分の映像作品の好みとして画を見て「読み取るもの」であって欲しいというのはあるかもしれないです。すごい勢いで説明すればいいってもんじゃないんだよ!>キルラキル
個人的に『のんのんびより』は今期で一番楽しく観れそうな作品になりそうで生きる希望が湧きました!スタッフのみなさんありがとうございます!