ジャックとともに

ことばの奥行きに最近とても関心を持っています。
一文(、や。がひとつづつある文)の中にシンプルにまとまった、
多様性に満ちた物語や捉え方があること。
それは、誰もが共有できるような身近なことであり、
ことばの組み合わせ、ことばのリズムの掛け合わせによって、
無限の可能性があります。
それらのことをコピーライター真木準氏が本で、
「ジャック」と言っています。
それは「惹句」ということばからきており、
意味は『人の注意や興味をひきつけるための文句。広告などのうたい文句。キャッチフレーズ。』
であり、
ビジネス的な商業文でもあるが、
ビジネスを考えなくても、
心に響いてくる文がたくさんあるのが、
「ジャック」です。

今好きなジャックは、
「愛は無断でやってくる」です。

自分もジャックをつくり、
仕事に私生活に潤いをあたえていきたいです。

3日目

デザイン・ザ・ブート・キャンプも3日目でした。
基本から教えていただき、デザインバイブル本も貸していただいて、
プライオリティの重要性(デザイン優先順位)を教えていただいたのが、
自分のデザインのスキルではなく、
考え方がかわり、
方向性がはっきりとクリアになったのが大きいです。
4日目来週で、5日目はプレゼン。
スキルは今までの自分を試した結果、
デザイナーさんに良いモノができたといわれて、
自信がつきました。
あとは多くのものをたくさんみて、
考えて作っての繰り返しです。
そこのルーティンワークで自分を高めて、
もっと自分の和を広げていく。
ちょっと理想への一歩です。

今後の道に花があるか

自分がいつの間にか、
子供でも青年でもなくなっていることに
気づかされることがありますが、
見た目はどんどんとおじさん(秋には兄夫妻に子供ができるので本当のおじさんになります)にはなっていると
思いつつも、
友人や知人も同じように変っていくと、
いつまでも変っているのに変わっていない感じに思えてきます。
精神的にも二十歳くらいのままだと思い込み、
それはある意味で、
若さへの憧れと、老化へのアンチテーゼなんていうのとは少しちがいます。
なんていうか、それは曖昧なんだと思いますが、
この年になって、迷っていたら危ういということを、
デザイナーの人に言われて、
これはどんな時でもスキだと思えることをするのがいいといわれて、
それはなんなんだろう・・・と考えると・・・
デザインだったり、料理だったり・・・
ただ、デザインはまだスキルが・・・なんていっているのは、
ダメだ!と注意されて、
それでは本気ではないと言われ、
僕としてはそれは大切だけど、
ただ、なにもかも捨て切れなくて、
なあなあで成り立っているという変なことになっているのもいえており、
中途半端で何もできていないというのが危ういというものです。
一つ極める・・・そんな時期がきてると思います。
まったく違ったことをするのもいいかもしれない。
でも、デザインをつきすすむ。
料理を目指す。
それは自分が決めること。
何かをあきらめて、突き進むこと。
それが正しいのかというのではなく、
潔さが今の自分には足りないということに気がつきました。
そんなこんなで、
今年の夏で未知を道に変えて、
満ちたりた路へと方向転換しようかと思います。
さあ、どういうことが待っているかは今はわかりませんが、
今は目の前のあるデザインを仕上げることです。
さあ、始めます。
今夜はあと3時間はがんばります。

暖かい料理を暖かいままにおいしくタイミングよく出すこと

今、自分がやっていることの多様なことにふと気づきました。
デザインというのが一筋縄にはいかないということを最近気づきましたし、
大勢の人たちで成り立っているということも考えると、
いろいろな職種(みんながデザイナーでもあるかも)の人たちが集まり、
形にしていく。
今、自分はよく言われるデザイン的なものから、
オペレーター的な部分、ライター、写真、その他もろもろとやっていることに
気がついて、
どれもが半端に進んでいっていることにちょっと危機でもありつつも、
このやり方は自分での独学ではある一定のラインしかいかないなというのを感じます。
なにか今やっている中で自信となるものを磨き上げて、
すこしづつクリアして、
全部をやりこなせるような、風とロックの箭内氏や、
佐藤雅彦氏のような人にはほんとあこがれます。
あそこまでブランディングできる人はやっていてすごくたいへんですが、
やりがいはあると思います。

ただ、そこに達するには苦難の道だらけだとはわかりますが、
総合的になにかをするというのは、
独りよがりに近いのかもしれませんが、
自分で行うというより、
ディレクションをするには、
全体を把握できる能力がひつようかな・・・とも。
ただ、そこまで達成することも目標としてはありつつも、
今できる最善のことをやり遂げていけばいいのでは?というのが
僕の生き方です。
目標なんて本当はないといってもいいです。
暖かい料理を暖かいままおいしく出せるかどうかが大事だと思います。
つまり、あの時は暖かくてうまかったのに、
今には冷えたまずい料理になって、
それを出してしまうなんてことはしたくないということであり、
締め切りまでに最高のディナーに仕上げるということも含まれます。
もしかしたら、冷えたらおいしくなった料理なんていうイレギュラーもあるかもしれませんし、
そちらのほうがゆるくて受け入れやすかったりもするかもしれません。
それらを見極めることができるかどうか?
これが自分の今必要な部分です。
明日はプレゼン。
声はでるかどうか・・・
今回は準備万全にいきます。
3パターンはつくります。

生き地獄な日々

ひどい喉の炎症で、
熱と体のダルさと喉の痛さと喉の異物感と食べ物が食べれないという生き地獄が続いています。
最悪の対応の医者に見てもらい、
薬は効いているのかわからない状態・・・
明日、耳鼻咽喉科に行く予定です。
点滴してもらい、あさっての仕事にはどうにか間に合わせたいというのと、
それまでの資料も用意しないと・・・
体が資本ですね。。。
今は全然やる気がないです。

経済ってこういうことだったのか

最近、佐藤雅彦氏と竹中平蔵氏の出している『経済ってそういうことだったのか会議』を読んでいます。
今までの経済のイメージが反転するくらいにわかりやすく経済が理解できます。
経済=エコノミクスというのは、
もともとギリシャ語でオイコノミコスというコトバが発端であり、
それは「共同体のあり方」という意味があるらしく、
経済はお金のためだと思っていたのが、
共同体=コミュニケーションのあり方であるということと結びつけると(たぶん意識はしていませんでしたが、コミュニケーションと経済の関係は
頭の隅にありました。)、
中沢新一氏の三位一体モデルにも当てはまりますし、
お金は多数の人たちの信用でなりたっているということも踏まえると、
お金のとらえかたが変わってきます。

コンペティティブという、
競争的なというコトバと、
コンピタントという、
有能なというコトバがあります。
前者は、
競争でほんの一歩くらい抜け出しているっていうイメージで、
後者は、
コトバは前者と似ていますが全然違っており、
何が起こってもやっていけるような力のことで、
それは競争のための競争ではなく、
小さく一歩一歩づつのちょっと抜け出している感じの競争では、
イノベーションは生まれずに、
競争のためだけの、
その場しのぎの解決にしかできなくて、
有能なことは生まれないということです。

自分がある職場でこれ以上は大きな成長がないな・・・ということに気づくか気づかないかというのが、
コンペティティブとコンピタントの差を生み出すのかもしれません。
自分の成長が理解できるかできないかというのは、
自分がありきであり、
まわりを見失っていないということがいえます。
ただ、自分にだけに向かいすぎると、
今度は独りよがりになります。
何十歩も前に進みたいと理解したなら、
そこから進まないと、
それはそれで独りよがりになります。
自分がそれの状態なのですが・・・苦笑

できない上司が自分の持ち場を守るためだけに、
依存しているなんていうことをよく聴きます。
それがそれで成り立つということもありますが、
できる部下になにもしないで愚痴っているというのは、
会社のモチベーションも下げてしまうだけです。
理のかなった競争があるかないか?
それがイノベーションの大きな一歩になるのだと思いました。

まわりよりお金を稼ぎたいというので、
アドバタイジング(企業理念)はゆらゆらとゆらいでいき、
小手先の目の先のセールスをあげて、
それは流行りにのったりしたり、
マイナーチェンジだけでとどまっては、
その場をしのいでいるという状況では、
イノベーションも会社の存続さえもが危うくなります。

恋愛に置き換えると、
最初は意気込んでいて新鮮な感じなのが、
マンネリになり、
ちょっとした上がり下がりなことだけになり、
そのまま自然消滅みたいな・・・・?笑

経済は奥が深いです。

当たり前が崩れる瞬間

無音で明かりの無い場所で、
人は眠る。
それが自分はできない派で、
テレビをつけて寝たり、
少し窓を開けて、
自然のノイズを聞きながら眠りにつく。
明かりは目が暗さに慣れてくると見えてくるので、
明るすぎなければ大丈夫な方で、
寝るときの状態を知人に聞いたときに、
無音でなければ寝れないという話から、
自分の日常の当たり前を認識することができた。

人と話をしている時、
自分にとっての当たり前が、
他人にとっては当たり前ではないということに気づかされる場合があったりする。
それは自分の思い込みが少しゆるむ瞬間でもある。
こうでないとダメだ!なんて、
自分勝手なことは少し言いたいこともあるが、
「自分の当たり前は当たり前ではないんだな・・・」と認めることがほとんど。
何気ない話を淡々とするというのは、
自分を知るきっかけがたくさんある気がした。
どうでもいい話をいろいろな人としてみる、、、
それはとても楽しい一時であり、
自分を知るための大切な行為だと思った。