"はんせい 第四号"
さあ、今晩のお供は、はんせい社の"はんせい 第四号"(B-37,http://hanseihansei.hp.infoseek.co.jp/)ですよ。A5版で、たしか100円だったかな。
コンテンツは以下。
- 特集 やっぱり三十代はアツい!
- P本「二十九歳! サラリーマン議員の孤軍奮闘! (〜一○○%当選する方法教えます〜)」
- 雨野晴子「三十代、その冷たい熱」
- 加藤真悟「三十路の食い物」
- 八積つかさ「二十代後半・三十代に捧ぐ横着者ダイエット」
- 若林悠「編集長VS巨大物体O」
- 阪東鋼一「姫&なよ捕物帳」
- 雨野晴子「すちゃらか神楽坂君」
- 萩原「わが藤沢、わが鎮魂」
- 田島慎朗「「今」から記憶を見つめ直す試み 〜萩原氏への返答〜」
「二十九歳! サラリーマン議員の孤軍奮闘! (〜一○○%当選する方法教えます〜)」は、新興IT企業を退職して市議会議員になった方を取材したルポ。取材に基づくこうした記事こそ、雑誌の本領といった感じがする。ただ、取材相手の鈴木議員の当選までの道のりをストーリーを持って描くことに終始しているのが瑕疵か。つまり、ルポの最後で
そういえば、インタビューの中で「主婦こそ議員をやるべきだ」と鈴木議員が熱弁した部分があった。
とあるように、鈴木議員は当選した戦略(どうやるか)がすごいだけではなくて、さまざまな政治的主張(なにをやるか)を持っているはずで、またそれをこそ大きく訴えたいはずでもあるのだから、その部分をもっと書いてほしかった。せっかくひととなりのアツさを説明したのだから、政治的主張にも説得力を持たせられたにちがいないのに。インタビューの再構成の難しさを感じた。
「三十代、その冷たい熱」は小説。35歳であるはずの主人公の一人称が、二十歳の顧客に対しても「僕」である点など、ちょっと若すぎやしないか。35歳という年齢はけっこう描きにくい、社会人としてはもうひよっことはいえない年齢だし、ロマンチックな悩みを抱えているかいないかぎりぎりのところだろう。この小説で描かれる「僕」はロマンチストだ。道具立て(望む夢を見られる機械)から考えても、三十代むけのファンタジーとして読むのがいいかもしれない。もっとじっくり読みたい。
「三十路の食い物」、エッセイを書きなれている感じ。ところで、たとえば池波正太郎なんかを読んでも、文章を読んで味覚が喚起されたことがないんだけど、やっぱりこれは料理をひんぱんにするようでないと想像がわかないもんなのかなあ。
筆者の座右の銘「人を良くすると書いて食」は、いいですね。三十代らしさも出ていて。
「二十代後半・三十代に捧ぐ横着者ダイエット」は、これ、おれが無意識に実践しちまってるからなあ……筋肉、保持できないっすよ。
「編集長VS巨大物体O」は、三十代の編集長が1キログラムの巨大物体と戦う記事。1キロか、すごいなあ。
「姫&なよ捕物帳」は時代小説と言っていいのだろうか、タイトルに「&」が入っていることからわかるように、別にがっちり時代考証をした読みづらい代物ではなく、カジュアルな時代ミステリ。
じつはこの"はんせい"、いったん完売になったあと急遽の再販売を開始していて、その再販売ものを買ったのだが、たぶんそのせいだろう、「姫&なよ捕物帳」の一部が大きな印刷ズレのため読めなかった。早めに買っとけばよかったな。というわけで内容については特に言えませんが、もっとはすっぱな登場人物がいたらもっと読み物としておもしろくなりそう、とは思った。プロット的な作品だと、どうしても人物はジェントルになりがちだけどね。
「すちゃらか神楽坂君」はマンガ。雑誌のカラーにあったマンガだと思う。位置はもうちょっと前でもおもしろかったかもしれないが、この位置のほうがいいのかな。特集があるしな。
「わが藤沢、わが鎮魂」「「今」から記憶を見つめ直す試み 〜萩原氏への返答〜」は、ちょっと言葉づかいが硬い感じもある、記憶にまつわるエッセイ。
本当に忘れたいことはそんな陳腐なことではないと自分ではっきり気づいているからだ。
が暗黙裡に示すのは、陳腐でないことなどほんとうはなにも体験していないという事実だろう。本当に忘れたいことが思い出せないのは、忘れたいような特殊な体験などしていないからであり、ないものを思い出そうとしているからだ。だから「忘れようとしても思い出せないのだ」というバカボンのパパの名台詞は、そのままで適用できることになる。
忘れるというのはドラマチックなことだ。たいていの場合はそんなドラマチックなことは起こってなくて、つまり、「いちど覚えたけど忘れた」のではなく、「はじめから覚えていない」のである。記憶喪失は重要人物の証ではないか。