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紅茶屋くいっぱのあれこれ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-29

無尽無心御恩送り元の黙阿弥

昨夜夜遅くにやっていた、井上ひさし「黙阿彌オペラ」が面白かった。

チャンネルぱちぱちで見掛けただけなのに見入ってしまい終わったら日付が変わってAM3時になっていた。

でも満足。ヨハマンゾクジャー!

http://www.nhk.or.jp/bs/premium/playlist.html?st=20120128

オペラとあるが、8時だよ全員集合的なセットで展開される舞台演劇だ。正直、舞台とか演劇とかをいままで欠片も面白いと思った事がない。だけど、たまたま見掛けた場面の台詞まわしがおもしろくてなんかぐっときた。誰がでてるとか、誰が書いたとかまったくしらなかったのだけど、あちらこちらに細部にまで考えられた後があり、ほぅほぅと思いながらみていた。ストーリーの構成や展開が落語の人情話みたいな感じなのもいい。三遊亭圓生あたりの話芸を演劇にするとこんな感じだろうという世界。井上ひさしって、ゲゲゲの鬼太郎にでてくる登場人物か?ぐらいしか物覚えがなかったのだけど、名前が売れているのにはわけがあったんだな。


さて、観劇の寸評を私が語ってもしょうがないので、面白かったからオススメだよというのに留めておく。

劇の中で効いてる風刺については、あれこれ考える価値があるのではないかと思うので、書き留めておこうと思う。風刺の意をくむのに少しストーリーや設定を紹介せねばならない。


おぅ、そうだな、話しの筋はこうでぇ。

時代は江戸後期から文明開化の数十年間。江戸は柳橋、蕎麦屋を舞台に知り合った人達の縁を描くってなもんよ。そいつらは蕎麦屋に捨てられた女の子を育てるために「株仲間」をつくった。出資金を出しあって、その子を育てるってんだ。粋な話しじゃねぇか。そこであれこれあるってな寸法よ。


株仲間と無心

株仲間ってのは、株式取引をしている仲良しのことじゃねぇぞ、なんせ黒船の時代だ。挑むために出資をしあおうっていう仲間のことさ。例えば貿易船をだす、うめぇことやって船がスパイスでも積んで帰ってきたら出資分に応じて株仲間で儲けを分け合うって寸法さ。それがここじゃ、子供を育てるのに株仲間をつくりやがった、みんなで出資しあって芸事など習い事を沢山させてあげよう、きっと15年後には器量よしになる、柳橋花柳界だから立派な芸妓になれば身請け金でおつりがくらなぁって算段さ。ちょっとした人身売買だけど、といっても、本当に連中が金儲けのためだけにやったわけではない。仕事にありつけねぇやつとか、食い逃げしようとしてた奴が無心された金を15年先に出資してんだ。げに真の出世払いよのぉ。


御恩送り

ぐっときたねぇ。いい話じゃないか。捨てられたお千ちゃんが株仲間の出資をうけて翌日に古着を買いに行く。古着屋は米と漬物を買いに行く。ひとつの恩は送られていろんな人が生きるために使われる。ご恩っていうのは廻るってもんだ。使うことによって巡り廻るんだ。消費されるもんじゃねぇ。ガキのころ先輩におごってもらったとき言われたんだ、俺に返さなくていいから、後輩ができたらおごってやれって。ペイ・フォワードだな。


税金と銀行と無尽

ころがりこんだ幸運で連中は銀行をつくることになる。文明開化組の浮かれぐあいに水をさすように、頑固ものが反対して、仲間に亀裂がはしるわけだな。「なんのための仕組みか、誰のためのものかそれを忘れて、作りだけを真似しても決してうまくいきやせんよ。」ってな具合にな。

ここが実に現代の様相と重ね写しのようだね。

江戸時代後期まであった無尽の仕組みは、仲間内でお金を出しあって、それをまとまった額にして融通しあう形だ。ソーシャルレンディングだな。興味があるなら無尽とか調べてみるといいぜ。

そう、でもな、仕組みを学んで(真似んで)もしかたねぇのさ。

一生懸命、金儲けの仕組みを考えても、それが誰のためになるかとか、どういう風につかわれるかとか、おめぇさまがたは一分も脳みそを使ってねぇ。いい台詞じゃねぇの。そうだよ、仕組みづくりに血反吐をはいてカラクリつくるが、それがどう廻るのかを考えない。オバマも言ってたな。それが機能するかどうかが問題なんだって。他がうまくいったからと声色真似たところで、そんなもんは廻らねぇって。


御恩送りや無尽が人と人を数珠のように横につなぐのに対し、明治以降の銀行の仕組みや政府の仕組みは、一度元締めが徴収して分配するという縦につなぐ幹事方式。マスメディアのありようが、ソーシャルメディアに変わりつつあるように、現代でまたすこし横のつながりに変化しつつある。


せっかく無心で恩を送っても、銀行で止まる、政府で止まる、政治家で止まる、組織で止まる、ぁあぁ、ちっとも廻らないねぇ。何?子供が捨てられている?養護施設に送れ。寄付をしたい?銀行を使って送れ。運営資金で足りない分は税金で補っている。税金は会社が集めろ。勤労は義務だ。納税も義務だ。なに?儲かってなくて払えない?金を借りろ。公的支援助成もあるぞ。金を貸してやるから税金払え。なんだと!?税収が足りない!?金を配ってやるから税金払え。


少ない負担で、効率をだせるように考えぬかれたのが税金や銀行などの仕組みであったのだが、いつのまにかまた廻らねぇものになってきちまった。耐久消費財が増えすぎて、トラフィックポイントが増えすぎたからだとおもうけど、あぁ、だからといって、ここでまた誰が何のためにそうなったかをわすれて、金利が悪いとかイスラム金融とか仕組みだけ真似たところで、そりゃおめぇさま、廻らねぇってもんよ。バランスを欠いたら元の黙阿弥と相成るのであります。

2012-01-10

ハイエクと仁徳天皇、ケインズとクフ王

西暦313年に在位した仁徳天皇には「民のかまど」という逸話がある。

夕時に街をみたら民の家屋からほとんど夕飯の支度の煙があがっていない困窮する民の生活をみて3年租税を免除を命令したというお話しだ。民の生活が戻ったあと課税を進める家臣を聴かず更に3年続けたという。

人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87


実際はどうだったのかはわからない。

朝廷が徴収しなくても豪族は租税を課しただろうし、免除をしても朝廷への献上物などはあったことだろう。だとしても寄付だけで6年まわせる政府ってちょっと信じられないね。


現代の政党政治パトロンがついて、それに少なからず影響をうけ税の再分配をおこなっている。耳障りのいいことを言った人しか当選しない仕組みのなかで徴収された税金が分配される。

ま、なんつうかあれだよな。

いっそ集まった寄付金だけで予算組めば?とか思ったりもする。義務徴収しないとお金が集まらないと思ってるんだろうね。実際は税率あげても全体が困窮すれば集まらないと思うんだけどね。



朝日新聞にエダノミクスvsマエハラミクスとかいうわけわからん記事がった。

ケインズハイエクを縦軸に、横軸を政治家の枝野と前原にした代表的な政治家のポジションマトリクスにしている。

http://digital.asahi.com/20120109/pages/politics.html

内容はともかくポジションマトリクスを作って視覚化するのは面白い取り組みではある。

人物名を評価軸にするんじゃなくて、経済か社会保証ぐらいの図にしておけばよかったのにと思う。そうすればもっとわかりやすいのに。


個人的にはケインズハイエクも言っていることはもっともだと思うが、経済に政治が絡むとろくでもねぇことになるのが大概だ。経済に関する未来予測は干渉可能な未来だ。予測を政策によって干渉することで外すことができるからだ。

例えば、円高になると予測されれば、円安にすることができる。予測は外れることになる。精度の良い予測は実行力の高い政策のもとでは常に外れる。ネガティブな未来予測は常に外れなければならない。

逆に政策がうまくいっている間はその実効性は観測もできない。失敗して初めて気がつく。よい予測も、いい政策も優秀であればあるほど事前に手当がされてしまうのでわからないのだ。

経済学者的因果関係はブラックジョークでしかない。(真面目に検索する人がでると悪いからいちおう断っておくと疫学的因果関係とかのパロディね) 結果、口ばっかりの評論家や批判家ばかりが幅をきかせることになる。残念だね。




ハイエク新自由主義という考え方がある。

小さな政府に代表されるように、税金とか政策は最小限に、介入はせんでおこうというスタンスだ。社会保障すらもいらないよねというお話。例えば東京都最低賃金は現在850円だが、こういう雇用に関する規制があることで長中期的には雇用機会や労働学習の機会を奪うことになる。社会はもともと柔軟性や迅速性をもっているものだから邪魔するだけだから介入は最小限にしようというお話しだ。


ひるがえってケインズは経済に介入し、刺激する必要があるっちゅうスタンス。

まあ、俺からするとケインズだとかハイエクとかふーん程度なものなので間違っているかもしれない。


んー。ちょっと検索してみたけど、あまりいい纏めがないな。

これが一番わかりやすいw

D



ケインズハイエクの100年前の古典論争からさらに古代にさかのぼってみる。仁徳天皇は政府の介入をやめ小さな政府で急場をしのぎり、ピラミッドを作ったクフ王はさかんな公共事業投資を行った。


古代の経済や政治はシンプルだ。

不作で飢饉の時に、税として米を徴収しようにも徴収すべきものがない。

現代のように国債を発行しようにも現物の食べるものが無ければ空手形は切れない。故に生活も改善しない。だから仁徳天皇は民の生活を回復させるために租税や武漢を免除した。


ひるがえってクフ王。ピラミッドは公共事業だったといわれている。

農閑期に人々に仕事を与えるために事業をおこした。報酬を与えることで、農業従事者以外も収入を得ることができ、社会を支える様々な技術が発達した。ハイエクケインズ。どちらがということなどない、どちらも重要である。その適用すべきシーンが違うだけだ。子供に勉強しなさい言い続けると勉強をする気が減るみたいなものだ。介入すりゃいいものでもないし、介入しなくてもいいものでもない。



若者は「働ける」という労働資産をもっている。労働資産をさまざまな資産に変えていくのだ。充分に働いた老人は資産を持っている。資産があれば働けなくなっても若者の労働力を買うことができる。

最近の若者は働かないという。

若者に働いたら負けかなとまでいわせしめたのは働いても得られる資産が少ないからだ。少ない? いや、その得られるものにたいする評価が低い、価値をそこまでのものと認めていないということだ。

手に職をつけても10年後には使えないかもしれない。10年下働きをしても、将来にその会社はないかもしれない。お金を稼いでも老後にはつかえないかもしれない。などなど理由は人の数だけある。


20年後、日本の労働人口は2/3になる。人口動態をみると現代の日本は労働資源が枯渇することが確実に予測できる。今、生まれていない子は20年後に20歳になることはない。干渉ができない未来だ。


この人口が問題。政府の未来への借金は人の労働力の先物取引をやっているようなものだ。限月がきて決済しようにも未来の労働力は物理的に少ない。公共事業などにおいて、耐久消費財に投資をおこなってしまうと経済への還流もあまり見込めない。ラッパーのハイエクの言う迎え酒状態だYO!


労働力の合計量の減少が見えている中で生活水準を保つためには生産性をあげるしかない。

Σ(労働人口×生産性)-Σ(人口×生活費)=経済

こんな風に経済を模式化したとすると、非労働人口労働人口の比率変化が2倍ぐらいにもなるので生産性を2倍にしても現状維持ができない。


将来を考えれば生産性の向上に寄与、評価できないものに投資、介入をつづける合理的な理由はない。だけど、合理的じゃない理由はいっぱいあるからしょうがねぇんだろうな。

予想通りに不合理。

無理が通ればなんとやら。

増税までするほど政府が市場に介入しても未来は明るくねぇかもしれない。日本だけの話しじゃなくてね。将来的にみれば生産性に寄与する知的財産の部門でどんだけ投資成果をだせるかにかかっている。

途上国においては、人間の健康に投資して病気を防ぐのが統計上経済成長の速度をあげたというし、日本のローカルケースを考えると老齢人口に投資して、健康管理で労働人口あげるのが現実的策。


このままいけば未来明るくないかもしれないけど、自分は楽観視しとる。

なぜならネガティブな未来予測は常に外れることになるからだ( ´,_ゝ`)

2012-01-07

近代科学バルス実装考

バルス」とはいわずと知れた「天空の城ラピュタ」の滅びの呪文である。

テレビで再放送され件のシーンにくるたびに、DOS攻撃にも強いという2ちゃんねるのサーバーを落とし、最近の再放送ではツイッターの秒間ツイート数で世界記録を更新した。バルスは世界のネットワークインフラを一瞬のトラフィック増で混乱に落とし、寸断しえる現代唯一の現存する滅びの呪文でもある。


さて、この「バルス」という単語。滅びのコマンドにしては短すぎるのではないかという論考があった。

ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか

http://mubou.seesaa.net/article/210212206.html


確かに、自爆コマンドが三文字では短すぎる。

「パズーがきたならば、留守だと伝えて頂戴」みたいなツン状態から、

「ぅん、私頑張る…。好きじゃなきゃこんなこと言えないよ。」みたいなデレ状態まで、文中にうっかりバルスが混在してしまうことは大いにありえることだ。注)このふたつのセリフはそれぞれ文中にバルスの音を含んでいる。

そんな、うっかりバルスのたびに、天空の城が崩壊していたのでは設計がどうかしているぜと言わざるを得ない。本当に「バルス」の一言で滅びるのだとしたらあまりにフェザータッチだ。



フェザータッチ

西部開拓時代。ガンマン達は早打ちの腕が生死をわけたため、引き金の感度をよくした。スナイパーも引き金を引くときの握る力で照準がずれないよう、まるで羽毛のような軽さで引き金をひけるように銃のバネを調整した。フェザー(feather)とは羽毛のことである。これがフェザータッチの語源である。


西部劇のように敵意を持って銃を構えている人物と対峙している状況下だったとしよう。実際ムスカは銃を構えていた。ここで、目の前の相手を一瞬で蝋人形にする呪文が「ビリーゲンブルーゲンヴァックスドッカ」ぐらい長かったとして、相手もこの呪文の存在をしっている状況下であれば、詠唱を始めようが詠唱が終わるまえに撃たれてしまうだろう。呪文もまたフェザータッチでなければならないのだ。


だが、軽い引き金は同時に誤爆という悲劇を生み出す。西部開拓時代にも銃がうっかり何かに触れた拍子に暴発し、自分の足を撃ちぬく者が続発した。そこで考案されたのが安全装置である。近代の銃は安全装置を外さないと引き金をひくことができない。ならば当然、ラピュタのシステムにも安全装置はあったはずだ。



言語インターフェイス

iPhone4Sから登場したSiriは世界に衝撃をもたらした。カーナビやスマートフォンなどで徐々にではあるが身近に体験できる言語インターフェイスが登場してきている。課題点も多い。日本語のように同音異義語、語彙が多いものはそもそも音声認識が難しいし、実際の動作環境を考えると環境ノイズをキャンセリングするのが難しい。

オープンソースで開発されている音声認識システムJuliusをいれてカフェとかで動かしてみればわかるが、ちょっと愉快なことになる。次々意味のわからない文章が登場して降霊術かと思ってしまうほどだ。

Julius

http://julius.sourceforge.jp/index.php

現代の科学水準で言語でのみ操作をしようと思ったら大変であるが、カーナビのように予め応答する単語を辞書で絞りこんでおけば実用に耐えうるレベルにはなっている。


先日、野生のプロでイオナズンを実装したひとがいた。

部屋の家電を音声操作可能にしてしまったようだ。話題になっていたので知っている人も多いだろう。

部屋にはいって「電気つけて」というと部屋のあかりが付き、「暖房つけて」というとエアコンが設定温度19度で動き始めるのだ! 本当に進化した音声認識は魔法と区別がつかない。まさに!


引越ししたので未来なお部屋を作ってみた。

http://d.hatena.ne.jp/rti7743/20120104/1325668680

なんかすごかったので、これを実現するのにご本人が公開しているプログラムのソースを見ながらツイッターで呟いてたら、「ルールベースで認識した結果の音声部分をもう一度 ディクテーションにかけて、誤認識をフィルタリングするのがミソです。 」と、ご本人からミソポイントをご指摘いただいた。みそみそ。


にゃるほどと該当部分を探してみた。

https://github.com/rti7743/kaden_voice/blob/master/naichichi/naichichi/RSpeechRecognition.cpp
hr = this->DictationGrammar->SetDictationState(SPRS_ACTIVE );
(略)
hr = this->DictationGrammar->SetDictationState(SPRS_INACTIVE );

この二行などはよく表していると思う。

この二行は()内の引数が違うだけだ。SPRS_ACTIVE と SPRS_INACTIVE というこの2の定数はMicrosoftAPIのドキュメントによると

SPRS_INACTIVE Grammar rule is inactive.
SPRS_ACTIVE   Grammar rule is active.
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/ms718917(v=vs.85).aspx
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/ms717272(v=vs.85).aspx

つまり、一度文法みたうえで、再度文法をみないチェックをかけているのだ。

こうすることで誤認識を防いでいるのだ。



音声認識の安全装置

バルス音声認識による操作だ。音声による操作はいくつかの安全装置を考慮せねばならない。文中の音節に反応してはならないし、オペレーター以外が発した環境音に反応していてはだめだ。


例えば環境音が多い駅の構内で音声を認識するには、まず人を認識してどの音を選択するかなど雑音抑制によるフィルタなどが考慮されている。

Kinect ヘのリアルタイム雑音抑圧処理の実装

http://spalab.naist.jp/kinect_bss_demo.html


考えてもみてほしい、そもそも飛行石は音声による操作インターフェイスをもっているのだ。それを外部に送る通信インターフェイスも当然もっているだろう。現代のKinect赤外線光を対象物に照射してものの立体を”みる”、動物のコウモリやイルカが音でモノを”みる”ように飛行石自体にその周辺環境をモニタする能力がないわけはない。レーザーのような可視光が出せるのだ。音も出せる。人間の目には見えない不可視光で、耳には聞こえない音域でオペレーターをとりまく環境をモニタリングし続けることが可能だ。


さらにペンダントという形で使用者本人と物理的に接触している。物理的に接触すれば情報量も増える。脈拍や発汗、呼気などをモニタし続けることで、使用者本人が酩酊状態や錯乱状態になく、どのような心理状態でそれを発したのかがわかることだろう。


使用者は王家の血族だ。代々モニタリングされ情報が蓄積されている。遺伝的特徴が行動パターンや身体的特徴の随所にあらわれる。現代でも静脈や目の虹彩、指紋、声紋などのバイオメトリクス生体認証)がある。もし、情報の蓄積が十分に進めば近代科学でも優性遺伝で発現する遺伝的特徴でそのものが血脈が否かぐらいはわかることだろう。例えば指紋ひとつをとっても日本人には流れ紋やうずまき紋など主には3種類があるが、こんなことでも確率的に血族かどうかはみわけられる。耳の形がそっくりとか鼻の形がそっくりとかで似てるわねーとおばちゃんが言ったりするが人間でもわかるのだからシステムだって学習できるだろってなもんだもんよ。


だとすれば、自爆コマンドを実行するのに使用者は正統な権限があるか否かの認証はすでに通っていることだろうし、興奮状態にある敵意を持った人物が近くにいるなどという環境も監視できているはずだ。本人は怪我をしていて、生命的にも危機状態である。それをシステム側が認知していたとすれば、「バルス」の発言前に、システム側が状況を判断し、安全装置を外してスタンバイをしていたことになる。


現代科学ですら尻の圧で個人識別できるんだから、声紋だけだって十分だよね。

自動車盗難防止に「お尻で」生体認証:日本の技術

http://sankei.jp.msn.com/wired/news/111226/wir11122617190001-n1.htm



ここでブレイク

はばキットカット! 昨日キットカットに自社のCMをいれたお年始をもらった。なんかすごいね。

なんか長くなったから紅茶タイムだよ。

うちは紅茶屋だから、おまかせ茶葉セットでも貼っておくよ! たまには紅茶でも飲もう。

http://item.rakuten.co.jp/hagurachaya/s-904/




環境センシング感情センシング

東京大学工学部の浅間教授がロボットを次のように定義していた。

1.リアルワールドのセンシングをおこない

2.アクチュエータ(運動機構)をもつもの

環境をセンシングするものが近代においてどれだけ重要な意味をもつことになるだろうか? その重要度は今後増す一方だと思われる。電子工学の世界ではセンサー類が重要度をまし、情報工学的にはセンシングした莫大な情報から”有意”を抜き出すアルゴリズムがより重要になるだろう。


本屋さんの店員はお客さんの動きで万引き犯がわかるという。それと同じように、監視カメラで人間の動きを検出し追跡をおこなうことで不審者や迷子パターンの検出はすでに商品化まで来ている。我々大人がうろうろする子供をみて「僕、迷子になっちゃったかも」と子供が認識するまえに、「あれ?あの子、迷子かな?」と認知することが可能なように、テクニカルにシステムがそれを認知するのだ。


近い将来には我々が意思を明確化、言語化するまえにノンバーバルからえられる莫大な情報から、それを監視するシステムが、まるで長年つれそった奥さんのように次の行動を察する可能性がある。

「お茶ー」と呪文を唱えるまでもなく、メイドロボがお茶を運んでくるのだ。予測行動。これこそが光よりも早い通信だ。よかったね光よりも早い通信あったよ。

生活パターンを学習し、最近のライフログ記録し、趣味嗜好をAmazonのリコメンド機能のように理解したシステムが駆動系を持って、実際の生活にはいりこんでくる。なんということだろう。


ロボは人間の感情を理解しないという過去のSFものはやステレオタイプかもしれない。

最近Twitterの自分のタイムラインをNTTデータのなづきAPIメタデータの感情APIにぶん投げて解析して、株価と連動比較とかしてみてたのだけど、まぁ、精度はいまいちどころかいまさんぐらいの余興レベルなんだけど、一日1万件ぐらいぶんまわした感触としては感情系もできなくもないなと思った。*1

マーケットも現代では投資家の気分がぶつかっている現代ではシステムのアルゴリズムの衝突を象徴した場所でしかない。事実アメリカでは87%の制度で連動がみられたという。個人的には残念な話しである。


http://lusty.sakura.ne.jp/senior/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A7%E6%A0%AA%E4%BE%A1%E4%BA%88%E6%B8%AC%E3%80%81%E7%B1%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%8C%E9%96%8B/

ツイッターを利用した株価予測システムを米 Indiana大学(Bloomington's School of Informatics and Computing)の研究者が開発した。ダウ平均株価(DJIA)のアップダウンを87.6%の精度で予測できたという。

140文字のつぶやきで人々の気分が拾えるのなら、人間をも含む環境センシングとロギングで、人間の機微を理解するアルゴリズムを作ることは十分すぎるほど可能だ。


問題があるとすればアルゴリズムの衝突。これについては、TEDの【ケヴィン・スラヴィン 「アルゴリズムが形作る世界」】がおもしろい。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/kevin_slavin_how_algorithms_shape_our_world.html


そう、そこまで機微に穿ってアルゴリズムが組まれるともはや我々人間にはそれを監視すること以前に、結果としてすら何がおきたかもわからなくなるというのだ。

ああ、なんということか、進化したアルゴリズムは神の見えざる手と区別がつかない。



アクチュエータ、運動機構

体重移動をするだけで進みたい方向に運んでくれるセグウエイのように、ボタンがないエレベーターがあってもいい。ラピュタのように目的地まで案内してくれる飛行ブロックがあってもいい。

ただ、運動機構は現代科学において難題だ。例えばロボットの価格はまだ高い。これは運動機構であるサーボモーターがたった一個で数万するからだ。なんでそんなに高いのん?って聞いたら、制御がやっぱり段違いなんだと。スイッチのオンオフしかできないようなモーターでは細かい制御は無理ちんらしい。


ロボでサバゲの多脚ロボットは一体10万以上するロボを2体ばらして、つくるそうだ。

http://youtu.be/sr7gehSsKXo


キネクト+ヘッドマウントディスプレイでロボを遠隔操作という謎い技術をやっている人がいた。これもまたとてつもなく未来だ。このロボットなんだろうと思って調べてみたら、フランスのAldebaran RoboticsのNAOという筐体らしく一体176万もしよるのだ。たっけぇ!



先の部屋の家電を音声操作するシステムをつくった方も学習型のリモコンが2〜3万していた、結局まだアウトプット系がその性能のわりに高くついている。アシモは油圧系にだけは手をだしたらいかんという社内の不文律を破って進化を遂げたらしい。結局保守コストがあがる。近年中に大きなブレイクスルーがあるとすればアクチュエータ、出力系なんじゃないかと思う。


動物の生体組織の部分培養が現代では技術的に可能になっているので、筋肉繊維でやるとかな。

そいえば人食いエレベーターみたいな映画があったけどあれは生体コンピューターだった・・・。

ここらへんの未来についてはまたTEDなんだけど、【フアン・エンリケズが新しい驚くべき科学について共有します】この動画がおもしろかったのでついでに紹介。なんか最近TEDみまくりなんだよ。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/juan_enriquez_shares_mindboggling_new_science.html


結局バルスって

コマンドラインのような対話型のインターフェイスなら、バルスというコマンドは短すぎる。

だけど、上記でのべたように予測しうる近未来のインターフェイスは対話型ではなく補助型になる。環境センシングをされていて、すでにシステム側が準備が通っている場合、バルスという単語は、対話型コマンドにおけるリターンキー、commitにほかならない。


テレビの視聴者のように主人公を監視しつづけた無数のシステムが、(もしかしたらシステムもハラハラどきどきするようになるかもしれない。)緊張、監視下のもとにとうとう発せられるその呪文はGOサインなのだ。


140年前、テレビが映る仕組みは幽霊よりも奇っ怪だった。

110年前、空を飛んだ人はいなかった。

50年前、インターネットを想像した人は皆無だった。

人間が具体的に想像しイメージを共有しえるものは実現可能なものだと思う。

*1:まーけっとかなりあ http://marketcanary.biz/

2011-12-21

分断されている世界を斜めに渡る

商店街の年末抽選会を手伝ってもらった若い子らと自分の干支が一緒だった…!

いやあ、商店街はオワコンだと世間ではいわれていますが、残存価値(継続価値)という面からも、コミュニティからも、仕組としても興味深いです。なんとかして近代のテクノロジーを絡められないかなぁと模索しとる間に次の干支が来るようになっちまいました。時間の流れというのは早いものですね。うつろいゆくものです。



そんなわけで、最近の気になったトピックスをだらり発信。


出版業界と電子出版

スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/21/news044.html

読者が電子出版をされない本を自分でスキャンして電子化しているのを助ける業者がスキャン代行業者です。このスキャン代行業者に対して、著名な作家さんが異をとなえたのをアドバルーンに反対攻勢をかけているそうで、そんなんで、だいじょうぶかいなと思いました。

紙の出版業界はいよいよもって大変そうですね。放送メディアの人が指摘していたのだけど出版社には広報とか宣伝の部署がないと。担当編集者次第だと。だから担当がつかまらないと作家とコンタクトもできないのだそうです。本の販促なども担当任せ。

長らく出版社のお客さんは取次会社であり、取次は本屋さんがお客さんで、本屋さんは売れなくとも再販制度があるしで長らくまわってきた。だから、どんな本が最終的な読者に求められているかが、そもそも出版会社は興味がなかったのかもしれませんね。売れなければ重版しない的な。業界慣習が固定化して組織づくりがされてしまったのかもしれません。日本の家電メーカーも同じような感じで、いいものを作れば売れると長らく売る側の論理で市場がつくられてきました。

どのようなものが求められているか、せっかくそれが露見しているのに、そんなことをやっていては環境変化に耐えられないのではないかと心配です。出版側の電子化対応だって素人目にみても2年はかかります。このままでは環境からくる変化に対応できず作品をいくつも保有している出版社が倒産?そんなことでは、かつての日本映画業界のように債権者の権利関係を整理できず死蔵となってはあまりに悲しい。強く懸念します。ま、今のままだと、同じ道たどりそうだけど・・・。日本は仕組み上しかたないのだけど倒産時の清算下手糞だからね。


著作権

万国著作権条約ジュネーブ条文)、1952年に確立した比較的近代の権利。

誰が著作したかという著作者人格権はともかくとして、公衆送信権などの財産権については、今後大きく形を変えるのではないかと思う。特許などの知財についても同様。

プログラミング界隈のライセンスも取っ散らかってるもんな。実情にそぐわなくなっているので知財系は世界的な条約で再整理されるんじゃない?

あと、関係ないけど、人のキンドル借りてサンプル書籍のページをめくってたらいつの間にか買ってしまったようです。この場を借りて、お詫び申し上げ奉ります。



政治と教育

http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A91E0E3E2E1968DE0E3E3E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5

石原知事は、地域政党大阪維新の会」(代表・橋下市長)が府議会などで成立を目指す教育基本条例案に興味を示したといい「都でも出してみたい」と話したという。同条例は教育の目標設定に知事や市長が関与する内容が盛り込まれ、政治関与を打ち出しているが、反発の声も相次ぐ。

政治の体制の変化で教育が支配されると、戦中の教育勅語的な振る舞いになってしまうので、いままで政治と教育は分断されてきた。そこに手をつっこんでかき回そうとしているのが東京、大阪の両市長だ。

言い分はもっともで、聖域化されすぎたことで、教師の雑務が増えすぎて実際の教育に手を避けないなど、システム上の不効率化は指摘されてひさしい。

ただ、教育に政治が介入すると、例えば近隣の某国がやる反日教育のようなものがその時々の体勢の都合が教育に組み込まれてしまう可能性もあり、それはそれで危険を感じる。

だがしかし、だがしかし、ようやく、公立学校選択制こそはじまったものの、教科書は配給されたものを使い、教師はあてがわれた人から習わざるを得ない現状は、民主主義的ともおもえないし、正当な競争原理が働いているとは思えない。社会人になったこともない人が社会に出る子供たちを教育するのは適格なのだろうか? 大学などの専門教育ならなおのこと。どこぞの国みたいに10年も学校にいたら、5年ぐらいは外に出て、企業やフィールドワークで研鑽する制度ぐらいはつくろうぜにゃろうめぇめ。


あと、納税とか勤労とかを国民の義務とするなら、義務教育の間に納税の仕方ぐらい教えようよ。

まず、そっからじゃねぇかな。


あんま行き過ぎもどうかと思うけど、現状もどうかとおもうので、順を追ってほどよくいい具合に変わっていけばいいんじゃないのと思う。都知事大阪府知事も急先鋒だから、保守体制と必ずぶつかるので、足し引きちょうどいいぐらいなのかもしんないけど・・・。



幹事と税金

例えば、毎年開催されるほとんど強制参加の忘年会で会費を集められるとする。

最初は会費4000円ぐらいで、まあおいしい料理とか出てたのだけど、最近は会費が9000円ぐらいなのに、料理が6ピースチーズと発泡酒1本だけみたいな感じになってきているとする。

幹事が悪いからだと、幹事をころころ変えてみてもどうにも改善しないまままた年は暮れ、みんなが憂鬱な忘年会がやってきた!

料理はよくしなければいけない!

いいお酒を出さなければいけない!

そのためにはさらなる会費が必要なんですって、いう理屈で今年はとうとう16000円ぐらいになりそうだという。もう参加はやめて、俺たちだけで飲みにいっちゃう?と若い連中が言い出したとする。

これが分断された世界!


税金はみんなから信任された人物、つまり幹事のような人があれこれ考えて、再分配などをして、全体でうまくまわるようにするために集められた協賛金のようなものだ。少額でも集めることで投資効率をあげるのが目的だ。だが、場合によっては、あの、その、んーと、そう! 不幸な理由で効率が出なくなることもある。


お金持ちさんが海外に引越してしまって、大口の協賛金を出してくれなくなったとか、若い人達が忘年会に参加してくれなくなっただとか、過去のおいしい料理が忘れられずいい料理ばかり注文するだとか。ベテランの芸者に払うギャラが高いんだとかなんだとか。残った人の頭割りになるので、会費は更にあがって大変なことになる。やれやれだぜ。

若い人が持つ労働価値を提供しても資産が得られないのであれば、労働意欲がなくなって当然だ。



↓いい図があったので借り物。

f:id:okemos:20111221145102j:image

縦軸は政府債務の対GDP比、横軸は千ドル単位で表した国民一人あたりの政府債務、そしてサイズが債務の総額を表していて、右上の赤丸が日本です。

http://d.hatena.ne.jp/okemos/20111221/1324450108

忘年会を継続するために、会費をあげればなんとかなるものかもしれない。

チュニジアは20年、エジプト30年、リビアだって40年は持った。北朝鮮だってまだもってる。

ただ、6ピーチーズがおせちにのっちゃってるレベルになると、さすがにみんな怒りだすから気を付けないとダメだと思うよ。来年は本格的に復興にのりだしていかなきゃいけないんだし、まあなんつうか、大変だけど、前向きにいきまっしょい。



税収の推移

http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/010.htm

みんなが儲かって税収とかも自然と伸びるといいね!


「パーティーでかけたい曲」

http://d.hatena.ne.jp/shimamura-music/20111215/1323914813

これに答えるとデジタルDJコントローラーがもらえるらしい。

曲かー。んー。そうだなー。

ででーんと、宇宙戦艦ヤマトのトラックにアンパンマンのボーカルトラックをミックスして、それだけで1時間、ずっと遊んでやるよ!

そんなピストンさんみたいなことはできないんだけど。

2011-12-15

僕とはぐら

一体なんのことやら。

お金にならないことには目端が利くねといわれたkuippaです。こんばんわ。

たしかにね、で、さっき、せんべいをボリボリ食いながら、なんで金にもならないような無駄っぽいことのほうが好きなんだろうかと少し考えたのだ。


お金になるということは、イコール、収穫・回収の段階なわけですよ。もっと言うと、価値評価できるっちゅうことは、その分野で確立した価値算定基準のようなものがすでにあるということです。

たとえば会社の場合、価値評価学みたいな体系化されたものがあります。その会社が持っている資産などを値踏みして積み上げて、その会社の解散価値をわりだすみたいなやり方です。時価総額と呼ばれるものもあります。これは実際に取引された額面と発行された株式の総数から将来性やらブランド力などを吟味して会社の価値を推量した額です。


会社の解散価値といったところで、実際は買受してくれるところがなければ売却もできませんし、今回のある会社のように、そもそも虚偽が記載されていることもあります。価値があるといって回っていたものが実際は価値なんてないなんてことはよくある話しです。

時価総額については最後に取引された株価の単純積算なので、その額面で全部の株を手に入れられるものでもないですし、あくまで参考値。他には、会社ってどんな人達がいるかも重要じゃない? そんな感じで人材価値評価とか話しがひろがるんだけど、きりがないのでやめておきます。



何がいいたいかというと、価格を決めるために必要なのはそれを推し量るための尺度が必要だと思うのです。

この商品の原材料はこれくらいで出回っているようなものだから、それを加工したら、これくらいの値段が妥当だろうとか、これを導入すればこれくらいのコスト削減が見込めるから、価格はこれくらいだと。そういう経験に基づいた尺度が必要になるとです。これを間違えるとヒシャクで海を量るみたいなことになってしまうであります。

例えば銀行やさんがIT業界の価値を推量が難しいように、経験や実績がない分野や業界については”よくわからないから値段もつけられない”ということになります。not evaluable!


お金にならないということは、現代では必要とされていないから価値がないとほぼ同義でつかわれますが、必ずしもそれだけじゃないよねということが言えるのではないでしょうか。

種まきから収穫までの回収サイトの短いものをどれだけ回していくかが、近代の企業のスタイルですが、ちょっとのんびり土壌開発をしてるところがあっちゃだめかな?これから発散していくところとか芽吹くところのほうが好きなんだよね。

お店をやってみようかな言って、のこぎりとトンカチを取り出してる時点で、ちょっとどうかしてるよとか、それって無駄じゃね?と言われるかもしれないけど、能力の比較優位だけを争って、やる前から値踏み可能なことばかりをやるのって自分にはつまらんばい。と、競争社会にあるまじき悠長なことを言っているのでした。まあ、だからまわりに迷惑かけないように一人でやってんだけどね。まーた、あいつ・・・みたいな感じでいつも皆様ごめんなさい。

企業理念を稀生類成(稀から生まれて類を成す)にしたので、きちんと類になるぐらいまではなるたいとおもいます。この御礼は今生にて・・・ げふげふ。 バタ。



彼とはてな

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/12/15/092237

僕がはてなの計画を話すと、彼はひとこと、「久しぶりのホームランだ!」と嬉しそうに叫びました。僕を紹介してくれた人に、「君が連れてくる人はいつも平凡で、たまにヒットがあるくらいだけど、今回は久々の大ホームランだ!」と、心から喜んでくれました。

それで出資をしてくれるのかな、と思ったら、彼は1円も出資をしてくれませんでした。

”ホームラン”はヒットされたボールを返球するというルールを諦めるためのルールですよね。投資家が想定していた”ヒット”のものさしに収まらなかったということではないかと思います。たぶん人物評価が。


創業当時のはてな。当時人力検索でよく遊んでもいましたが、観察対象としても面白かったです。

公開されているリストの質問数とかから人力の手数料収入が簡単に類推できるので、一回、集計してみたことあったんだけど、ポイントからの手数料収入が数万もなくて驚いたの覚えてる。はてなが東京のほうでやってた受託とかを聞いたりして、もったいねぇなぁとか思ってた頃かな?システムとしても危なっかしいところとか変なところ、運用として変なところもいっぱいあったんだけど、言うと治ったりするんだ。

普通ここまでお金にならなければ、経営者としては選択と集中で売れないサービスはやめたりするのだろうけど、そこまでの判断が、がんこというか辛抱強い。儲かりそうだからやるとかでなくて、儲からないのに、なんだこの情熱はとか思いました。お金はないけど手弁当でもやってやるんだという情熱を感じたもんです。

金儲けのほうは考えてなかったのか、考えられなかったのか、中の人達像まではあまり知らないのでがわからないけど、なんだか動力がよくわからないエンジンがこの人達にはついてんなーと思ったのは記憶しとります。

でも、初期のはてなが潰れずにもったのはフロントでユーザーと板挟みってた奥方の成果だと思うんだけどな!

最近のはてなは防衛を強化している感じで、ちと、見てる側としては、つまんないけど、ま、そんな時期もあるさね!

2011-12-10

働き方が変わるで働き方を変える

ども、プログラマーで紅茶屋なkuippaです。紅茶でもコーヒーでも、お酒でも何でもいいけど、エンジニアにはこだわるひとが多いらしいですよね。逆に何についてもこだわりが一切ないひとはエンジニアというか技術職には向かないのではないかと思ったりもします。だからって本業にしちゃうのはどうなのよと説教をされちゃうような毎日をすごしております。


タイトルをこうしたのは、なんか今はてなダアイアリーで下記のテーマで投稿したら、MacBookAirあげるよというキャンペーンをやっているからです。

アイデム エンジニアキャリアHacks共有プロジェクト

5年後の「エンジニアの働き方」は、どう変わっていてほしいですか?

Macガレージバンドを弄りたいなーっとヨダレを垂らしておるのであります。

Airなんて10万ぐらいないんだから買えよというのもありますが、自分はアーリーアダプターっぽい動きをするラガードなのでちょっとやそっとじゃ流行りモノに飛びついたりはしないのです。

エンジンをかけてしまうと行き過ぎてしまう質なので「悩んだらやめておく」にしないと発散しすぎちゃうのです。ただでさえ取っ散らかってるのに・・・。

でも、欲しいな。チラ。



さて、掲題の件に戻ります。

どんな未来を想像するかはどのような状況を現在何を見ているかで違ってくるのだけど、紅茶屋が見る世界の範囲では実にドラスティックに状況が変遷している最中なんじゃないかと茶屋から世界を眺めている傍目八目的にみえるのです。話しに聞いていた第二次世界大戦前と同じぐらい劇的な変化なんじゃねぇかなぁーって。


目に見えるのは世界の政治経済の変化

金余りで先物などの価格高騰から、資源高になり、信用マネーのデュープで世界経済があれて、リーマンショックに発展したのがもう2年も前ですか?アジアを通貨危機という形で襲った金がコモディに流れたあと、サブプライムみたいな低信用のところを落として、今はとうとう国の信用を陥落させるまでになりました。ギリシャイタリア、そしてドイツまで攻めこんだところであります。

100円だかを切ったら日本のものづくりは終わるといわれてたのはいつのことやら、気がつけば77円であります。もう終わっちゃってるだろとも言いますが、まだ全国の中小企業のおっさんたちは岩に歯でかじりつく気概で踏ん張っているので幸いにもまだ終わっていません。

消去法で日本が選ばれているから円高なんだという言い方は支持できません。金は水みたいに高いところから低いところに流れる。堤の弱いところから攻め落としているだけで、その奔流はいずれ違う形で日本も襲うことでしょう。このままいけば、おそらくは国債という形になると思いますが、まだ、わかんねぇな。

経済や政治は観測可能な事象の結果で、政治や経済をみてこれからどうなるかと予測することはできませんが、環境の変化を政治経済として観測することはできます。利害関係構造が変化すれば経済や政治が遅行して変化するからです。

例えば、途上国から食を奪うために先進国は職を失っとるちゅうわけですな。(ちょっと!いまの笑うところね?)こういうのが構造の変化です。



これらをひき起こしたのは技術の変化

地球の人口は70億人を突破しました。これらを支えているのは技術が高度に変化したからです。農業の高度化が食料を支えました。肥料や機械化、種の品種改良、ビニールハウスなど。土木技術の進歩が治水を、流通を支えました。高度に発達した医療が人々から病による死から遠ざけました。掘削技術の進歩により海底からも油を掘り出せるようになりました。岩盤に溜まったシェルガスを取り出せるようになりました。技術の進歩が資源需要に対して変化をもたらすこともあります。衛星が天気予報の制度をあげ、測量を簡単にしました。そして重要なのはそれらの進歩に情報技術が加わり波及力と即時性をあげたことであります。この20年で隔絶の発展が起きたように思います。



リアルな環境変化

温暖化という言葉は支持できません。地球規模の気候変動という言葉のほうがより実態をあらわしているように思います。それが人間によるものか、そうでないかは別に議論を預けるとして、地球環境の変化が食料の問題、住環境の問題に直結してきています。地球が地震の活動期に入って10年が経過していますが、とうとう日本でもM9クラスの地震がおきてしまいました。これをきっかけとして生活を変化した環境にあわせて適応させなければいけない人は多くでたことだとおもいます。

そして同規模の地震は今後も世界的にも続くことでしょう。プレートテクトニクスはよくテーブルクロスに例えられますが、テーブルクロスの片方が落ちて反対側が動かないということはないっちゅうもんです。変化に巻き込まれる人が多ければ多いほど、全体の構造の変化にも直結します。

原発の事故は起きるまでそれがどのようなことになるかを考えてもいませんでした。生まれ育った地域が住めなくもなるというのは、三宅島の噴火のときのようにありえなくもないことですが、国土の3%だかがかつての基準で住めなくなるなどという事態は一体どのように収束するのか頭を抱えるばかりであります。でもこれが環境の変化です。


マインドの変化

おおよそ人間のような社会動物は飢えていないうちは戦争などにまで発展しません。飢えないために人は働きます。働いてお金を稼ぎます。それがライスワークです。お金を稼ぐために働くのは、お金でモノが買えるからです。お金が信頼をもって流通しているからです。しかし人はパンのみにて生くる者に非ず。ヒトは土地のみにて住むる者に非ず。ヒトは賃金のみにて鬻ぐ者に非ずであります。

日本で土地に価値がでだしたのはこの40年です。50年前に日本円には切手が貼られ、資産がリセットされました。国債は紙切れになりました。年金は戦費調達のために始められた制度です。


日本の労働者人口は今後30年だかで2/3になります。老人の数は倍?

老人は金融資産を持っているかわりに、労働資産を持っていません。若者は労働資産をもっていますが金融資産をもっていません。このバランスが崩れてお金をだすから働いてよといっても、労働力が買えなくなったときに、また大きな構造変化がうまれます。

ある種、働いたら負けかなとか言っているニートが跋扈している時点で、その傾向が顕在化しているのかもしれません。全員がそのような思考になってしまうのはとても危険なことですが、判でおしたような同じ価値観の人間ばかりでは、生物学上、環境の変化に適応できず絶滅しやすく危険です。ですが、変化に適合したマインドがいずれ主流になります。

マインドの変化は観測が容易でなく、経過も追いにくいし、そもそも気が付きにくいのですが、構造の変化を観測できるころには推測できるので、ま、後追いでもいいんじゃね。とりあげるまでもなかったかな?



技術者はどのように働くことになるか

リーマンショックの時には上場企業が33社退場しましたが、今世界でおきていることはそれぞれの国がリバーシゲームをやっているようなもので、リーマンの比ではありません。企業においても退場とかそういうインシデント的なことにはならないかもしれませんが、企業も金融ビッグバン的なガラポンはあるかもしれません。もしかしたら国についても再編みたいのがあるかもしれませんね。

アラブ諸国では30年つづいた独裁政権がひっくり返えったり、そいえば日本もなんだかんだで政権与党50年ぶりなんだよね。アメリカも動いているし、ロシアもなんかまた怪しいし。なんだかんだで、結局は人類の構造が変化しておるんだと思うんですわ。

でも、そんな激変する環境下であっても手に技がある技術者のほうが、環境の変化に適応しやすいですよね。

それに技術の変化を追う限りあと2〜3年でまた、現代からすると信じられないような変化がまたあることだとおもいます。それは5年まえにiPadがなかったように、現時点では言葉で説明するのが無意味なレベルの変化が今後も続くことだと思います。革新的な基礎技術がすでにいくつも登場しているので、それが生活を変えるアイテムに姿を変えて生活にはいってくるまであと2〜3年もいらんだろうという意味です。

iPhoneアプリ開発やアンドロイド開発、SNSまわりの開発がかつてはなかったように、大きなマーケット変化は今後もあるでしょう。これが働く先の変化です。変わり続ける先端を追うか、残存者利益を得るために、ポジションを死守するかの生き方を選ぶことになるでしょう。

そして働く場所の変化。

coworkingスペースだとか、スマートシティ構想だとかは、今後技術者はウオッチすべき単語かもしれません。総じて言えるのは組織へのコミットから、地域へのコミットに変化するのではないかと思います。IT技術者の場合、地域はクラスタと言い換えてもいいかもしれません。

もともと人材の流動性が高かったIT業界の技術者は渡り鳥的に組織を渡っていくやり方ができましたが、プログラマーズカフェとかで、お話しを傍聴しておる範囲では、相当狭いなと。6次の隔たりとかいうけれど、1〜2次の隔たりぐらいしかないんじゃないかなとか思ったりもするわけです。アクティビティの高い人達のせいかもしれないけど。



結論

なんか気がついたらすげぇ長文を書いてたんですけど・・・。


5年後、きっと多くの技術者が自分の気に入った場所をみつけて、ノコギリとトンカチで小屋を自作して、ここ俺の茶屋〜とか言いながら、プログラミングをすることになるんじゃないかなと思うんだよ。

先日、某iさんが「これからは常駐を条件にするといい技術者はとれなくなるよね」とかいってたけど、同意です。

2011-12-02

被災地のがれき処理受け入れ問題について

ネット上でぼろくそだったので、なんか書いておこうかなとおもいました。

佐賀武雄市、がれき受け入れ撤回 「脅迫続き」と説明

http://www.asahi.com/national/update/1201/SEB201112010011.html

東日本大震災で発生したがれきの処理について、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は1日、これまで表明していた受け入れ方針を撤回すると発表した。この日開会した12月定例市議会の冒頭、「電話などで市職員や市民への脅迫行為が続いているため」と撤回理由を説明した。


震災瓦礫受け入れ提案の見送りについて

http://hiwa1118.exblog.jp/

今日、私は断腸の思いで、市議会本会議において、震災瓦礫受入の提案の見送りについて表明しました。既に、Yahoo!のトップニュースになったりしていますので、ご存知の方も多いと思いますが、ぜひ、ちょっと長いのですが、私の表明をご覧いただければ幸いです。ほとんどノー原稿ですので、よ見苦しいところがあると思いますが。ユーストはこちらです。24分54秒から、震災瓦礫の件です。

http://www.ustream.tv/recorded/18848565/highlight/221927


現段階で評価して、放射能災害被災地のがれき受け入れについては、日本のどの地域でもその地域に住まう人の賛同を100%得られる内容ではないですよね。不安はどうやっても拭えません。



ただ、解決しなければいけない問題として被災地のがれき問題があるのも確かです。




樋渡市長に以前お話しをお伺いしたことがあります。なんで難しそうなことやんの?って聞いたら、「公の為になるかどうかで判断して、あとは難しいことから手をつけるかな」っていってたおっちゃんです。*1 現時点の市長のなかで日本では橋下市長の次ぐらいに脅されまくりの御仁なので、まず人柄として、ちょっとやそっとの脅しで屈する類の人ではないです。

その人柄を評価したうえで、今回のケースをあてはめると、公のためというのが「被災地復興のために瓦礫の処分」、目下難しいことは「その瓦礫が放射性物質を含んでいる」または「含んでいるかもしれない」ということなのかなと思います。



「瓦礫の処分」を課題とした場合、九州のような被災地から距離のあるところでの受け入れはあまり実際的ではないように思います。産業廃棄物の処理のコストは1立法で1万5千円程度です。これは国内の物流単価に比例し距離に応じてさらにふみあがるもので、重量物を遠隔地に搬送するのはコストがかかってしょうがありません。ですから廃棄物の処分として実効的な成果を狙ったものというよりは、(もともと樋渡市長も言われていることですが)各自治体で瓦礫処分を受け入れるという先鞭をつけたかっただけだと思います。まあ、それに失敗したわけですが・・・・・・。


自治体のがれき受け入れが決まらないのは処分にかかる費用的問題はもちろんありますが、住人による心情的懸念と感情的反発のほうが理由になっているということが今回の件でより鮮明に判明いたしました。

この感情や心情にはいろいろなものがあると思いますが、主なところは放射性物質でしょう。(他にもあると思うので寄せられた具体的理由を武雄市が纏めて発表してくれれば重要な意味をもつことと思います。)

科学的に安全だとかなんだとかいったところで安全だとあれだけいわれていた原発がこんだけ盛大に事故っている現時点で説得力をもつことは難しいってもんでござんす。



今回の提言から撤回までの流れは、脅迫という行為にでるまで強い反感を呼び出すことに成功しています。脅迫されるのを、成功しているというのかはわかりませんが。索敵のために石を投げたら本当に藪からベビが出てきたみたいなもんです。「やっぱ蛇いたね!」みたいなことを、噛まれるまえに確認できているので成功なのではないでしょうか。

問題は解決しなけばそこにずっと横たわり続けますが、問題があるのがわかれば対策をたてられます。

蛇に勝つ方法、蛇に噛まれない方法、もしくは目的地(がれき処分)にたどり着くために蛇のいない別の道はないかを探すなど、そういう検討をするために蛇(反発)がどこにいるのかを最初に見ておくのは重要なことです。

蛇がいないのなら目的地までまっすぐいくのが一番なのだけど、みんな蛇がいるかいないかわからず通れずにいたところで、「じゃあ一石投じてみればいいじゃない」っていって石をなげちゃったのが今回の武雄市の例なのかなと思います。思ったより強力な毒を持った蛇がいることもわかったけど、千件も意見が寄せられれば、参考になるものもあると思います。これらの意見を検討すれば、被災地復興という本来の目的、公の利に役立つ情報もあるかもしれません。そういう意味で、やぶ蛇ではあるけれど決して目的から後退したのではないのかなと思います。



他方、東京都石原都知事はあいかわらずの我が道をゆくがごとく受け入れを実施しました。焼却炉の問題、埋立地の問題は震災前からかかえているにもかかわらず、実施できたのは東京がそれなりに深刻な汚染地域で、低汚染瓦礫を受け入れることにたいして住民の反発がそれほどなかったこともあるでしょう。

違いは、石原都知事は蛇がでてくる前に近道を駆け抜ける脚力があったのだと思います。ここでいう脚力は実際に瓦礫を処分できる処理能力の事です。実際に処理できるのなら、蛇がでてくるまえに駆け抜けたほうが目的に近づきます。

他方、単独での処理能力は十分にはない場合、各所と調整が必要になります。続くひとのために問題点の洗い出しをおこなうのが精一杯もの後方支援なのではないでしょうか。どちらがより正しいかというわけではなく、どちらもやれることがあったのでやったということだと思います。



関東のような比較的低濃度汚染地域でさえ焼却灰や下水汚泥については、処分方法が決まらず悶絶しています。

http://mainichi.jp/area/chiba/news/20111201ddlk12040223000c.html

東京電力福島第1原発事故により、高濃度の放射能に汚染された清掃工場の焼却灰保管問題で、柏市の秋山浩保市長は30日、東京都千代田区環境省細野豪志環境相に対し「年内で保管場所はなくなる。年明けに大量に出るごみ処理に大変頭を抱えている」と窮状を訴えた。



そりゃ国の8千ベクレルだった基準も10万ベクレルになるってもんです。

10万ベクレル以下の汚染焼却灰、埋め立て可 環境省

http://www.asahi.com/national/update/0827/TKY201108270453.html

灰に含まれる放射性セシウムが1キロ当たり10万ベクレル以下なら可能とする。今年6月に示した暫定基準値(8千ベクレル以下)を見直す。


いや、ほんと理想と現実が乖離しすぎていて調整不能。というか、個人としてどうしていいかわかりません。

どーしょうもないよね。

瓦礫つみあげたところにヤマトシロアリでも放ちつつ、枯草菌でもまけばとか、ポリグルタミン酸で水中とか、重金属ミミズだの、マリーゴールド的な植物だの・・・あんだのかんだの、与太話をいうことぐらいしかできないし。

ま、悩んだところで人生はつづいていくからやれることやるしかないよね!