2005-08-02
海外にはやたらと中の人の性別にこだわるやつがいるらしいなぁ。意味ワカラン。某BBSでの英語の書き込みはやはりそういうのが多いし。
結局、「中の人」というどうでもいい情報にこだわらなければならないあたり、まだまだ真の着ぐるみ好き、あるいはオタクにすらなっていないなと思うのであった。
……たぶん解脱できてないからそんなくだらないことにこだわるんだと思う。
2005-07-16
某所の「キャラ名で呼ぶのがマナー」について。。。
正直、この話題自体に違和感を覚えてしまった。
そもそも着ぐるみを前にした時点で、そこにいるのはそのキャラクターであり中の人の存在などはありえないのではなかろうか、と。
つまり「中の人は誰か」などという意識自体が起こりえないものではなかろうか、と。
もちろん、完全にそうだとは言わない。
状況によって若干変わるとは言えるだろう。
例えばイベント。
イベントでは多くの人間 対 着ぐるみであるため、中の人が誰であるかなどは聞きづらい。
よってどうしても社交辞令的というか他人行儀な接し方になるだろう。
中の人としても「外」であるためキャラクターらしく、それらしく振舞うことだろう。
そしてオフ会などではちょっと違う。
オフ会などでは「楽しく撮影」が重要だと考えているが、そうするためには中の人の情報というものも必要であるかと思う。
ある程度、誰なのか知っていればサポートもしやすいしネタも振りやすいかと思う。
しかし「そこ」にいるのはやはりキャラクターであり、中の人ではないのだ。
このように、若干違いがあり、中の人の情報がまったく必要ないとは言わない。
目の前にいる着ぐるみをキャラクターとして見れるか、中の人として見るか。
これによって解脱……いや、素直に萌えられるかが違ってくるのではなかろうか。
そして「キャラ名で呼ばれないと違和感がある」について。
これは……確かに。
呼ばれたことはないが、着ぐるんでいるときに自分の名前で呼ばれたら違和感はあるだろう。
着ぐるんでいるときはもはやキャラの意識の中にあり、自我はかなり薄くなる。
もちろんキャラになりきるためにあるていど意識して自我を捨てているところもある。
そこで、HNで呼ばれたりすれば一気に現実に引き戻されたりしてなんだかテンション↓ではないか。
ちなみに、見る側としても着ぐるみが普通に喋ったりドタマ取ったりするとゲンナリでありもう犯罪だよそれは。
某氏も仰っているが、失ってはならないこだわり、重要なことだ。
もはやマナーというよりは考えるまでもない、当然のことだろう。
これらのことは。
まとまりがなくなってしまったが、まぁ気の向くままに書く場所なのでご勘弁してくらはい。
2005-03-29 BSアニメ夜話
■今日はアニメの話
ここは着ぐるみの話だけではないので注意が必要だ。テストにも出るので覚えておくように。
■BSアニメ夜話でエヴァが
直前にさらしるさんとこで知って見た。いやあダルダルでいろんな意味で面白かった。
もっとエヴァ信者をを10人くらい集めていくつか時間ごとにテーマ決めてトークさせれば良かったんだろーと思う。あそこにいたのはただのひねくれたオタクだけだったので中途半端なトークに終わっていた。だからそれぞれの選ぶ映像も「俺は頭いいんだよ?」みたいなところを見せようと小難しいシーンばっかり選んでいた。エヴァには庵野監督の目指したところのひとつである「映像」もあったのだからもっと迫力のあるシーンを選んでも良かったはずだ。まぁ一人女性はそれを選んでいたようだけれど。
左端のやせた伊集院みたいな人と右端の髪の長い人はわりともっともなことも言っていたし、トークもそこそこ聞く側として面白かったと思う。んでニット帽かぶったあのオタクはダメだ。司会もヤツに振るな。グダグダだ。というかよくも死ねだの殺すだのをNHKは使ったな。
■男の闘いのシーンについて
あのシーンは好きだ。まず逃げていたシンジへのカジさんのセリフがよかった。詳しくは覚えていないのでセリフは割愛するが、シンジに強制するわけでもないあのセリフはやはりカッコいいなと思う。そしてシンジがケージに走り出す。いままで逃げつづけてきたシンジが決意を決めてエヴァに乗りたいと言う。「逃げちゃダメだ……!」と拳を握り締めるシーンなどはまたカッコいい。そして碇に向かって叫ぶのも。指令所(?)にたどり着いた使徒を横から殴る。危機一髪のシーンでヒーローが登場するという王道をやってのける。ケージに使徒を押し戻し、腕を飛ばされるがそれでもひるむことなく痛みを打ち消すためか叫びながら使徒を圧倒する。降り注ぐエヴァの血(?)を浴びながらも動じることなく、エヴァなのかシンジなのかを見つめる碇。地上(?)に出た後もひたすら使徒を攻撃する。狂気に染まるシンジの表情。そして訪れる電源終了という危機。しかし戦意を喪失することなくひたすら再起動を願うシンジ。叫びつづけたのちに聞こえる魂の音、そして暴走。迫りくる使徒の攻撃を一発で止め、一瞬のにらみ合いのあと一気に弾き飛ばすエヴァ。使徒の一部を自分の腕と一体化させる。詳細は語られてはいないが初めて登場する新しいATフィールドの使い方。あれほど零号機や弐号機が苦戦したにもかかわらず、常軌を逸した力で圧倒するエヴァ初号機。喰うという行動や拘束具を弾き飛ばす、さらには手の込んだ作画と動画で生き物であると言うことを認識させる。また、この間シンジの様子が描写されていないことにも注目したい。
ということで、このシーンはわりと多くの人が好きなのではなかろうか。シンジが走り出す瞬間から一気に畳み掛ける迫力のシーンと、一時的な危機、そして復活した直後は更なる圧倒的な力で敵を倒す。エヴァはわりとひねくれたアニメであり、監督もそれをわかっていながら、臆面もなくこういう王道をやってのけると言うのはあきれるし何よりも驚き、そして素直にカッコいいと思える。
■シンジは逃げまくっているわけだが
ここにもひねくれているなぁと言うのを感じる。王道アニメであればちょっと逃げたあとに女の子とかに説教くらって立ち直り、さらには以前よりもパワーアップしちゃったりするわけだ。しかしエヴァはそれがない。シンジはただいつまでもだらだらと逃げるだけだ。純粋なヒーローモノに飽きていたアニメオタクにはかなり衝撃的だと思う。
アニメ夜話で語られていた、「シンジは掴まえて欲しくて逃げていた、拗ねていただけだ」と言うのには感心した。言われてみれば確かに、ただ環状線をぐるぐるしていただけだし、わざわざ友達のテントに行った。プチ家出みたいなものだ。現実から逃げるために家を出たわけだが、出た先からの逃げ場として元いた場所を残していたのか。
■よく語られるエレベーターのシーン
カオルくんの首が落ちるシーンもそうだが、尺の都合で切羽詰っているはずのアニメであそこだけやたらと長い。キャラクターが喋っているわけでもなく、ただ延々と同じ映像が流れる。何度もアニメを見直していると思わず飛ばしたくなるシーンだ。
こういう間の作り方がまたうまいと思う。わざわざアスカが鼻をすすっていたりする。もちろんたまたまその回だけ尺が足りなかったから延長してみた、という線も捨てきれないのだが。なんにしてもエヴァはテンポの速い大迫力のシーンとこういったゆっくりとしたシーンをきっちり使い分けていてとても見ごたえがある。つまらないと言われるアニメはこういうメリハリがないからつまらないと言われるのだ。
■エンターテイメント性がない?
確かに、言われてみればそうかもしれない。男の戦いや各種戦闘シーンなど視聴者が望む迫力のシーンは満載だった。キャラクターの萌えも十分あった。
しかし、これは視聴者のためと言うよりはガイナックスがただやりたいことをやっただけのような気もする。例えば、ガイナックス特有のサブメカの描き込みなど、不必要な部分にまで徹底している。アニメとして見せなければならないはずの設定が山積みになり、重要な部分も裏設定となってしまっている。他にもいろいろあるが、やはり視聴者の受けを狙おうとかタイアップ商品を売ろうとかそういうことは何も考えていない。
これらはそもそもガイナの体質であるともいえるが。相変わらずガイナはやりたい放題で、結果はあとから勝手についてきたのだと考えている。そのおかげでこれだけ魂の入った(途中までだったとしても)作品を見ることができたのだ。
■確かにエヴァ以降しばらくは模倣アニメが多かった
もう見ていられないほどに。中途半端にメカ的専門用語を盛り込んでみたり、中途半端に心理描写をしてみたり、なんかもうアニメも終わりだなと思ってしまうくらいひどいものが多かった。その中途半端な専門用語もぜんぜん関係ない意味で使われてたりもしたし。
しかし、いつからかエヴァの呪縛からとかれたアニメが出てきて安心もした。大張アニメなどの素直にカッコいいロボットアニメもあった。視聴者が求めているのは「エヴァのようなアニメ」ではなくただ単に「面白いアニメ」なのだ。
そういえばキャラのモロパクリはそれほど多くなかったような気がする。特に軟弱主人公として有能なシンジをパクるのはあまり見かけなかった。レイについてはまた別だろう。一見パクリに見えても、無口無表情青い髪、という記号が揃ってしまえばそれはレイになってしまうだけだから。
■ここまでにしておく
すでに十分長くなってしまったがこれ以上書くときりがないので終了にしておく。
やはりアニメ夜話で語られていたように、エヴァには謎が多く残り、それをそれぞれの視聴者が見て考えて、「それぞれの自分だけのエヴァンゲリオン」が完成している。だからエヴァ談義などは不毛なのかもしれない。そもそも監督の意図などどこにあるかが通常の作品よりも不明で、視聴者は本当のエヴァンゲリオンなど知ることができない。だが、そのおかげで「アニメを考えて、見る」と言うことができるようになったのだろう。
一度エヴァについて物凄い勢いで語り合うオフなど開催してみるのも面白いかもしれない。多分どのオタクもかなり長時間語れるだろう。
2005-03-28
■着ぐるみと漫画
着ぐるみをジャンルわけするならば、それはコスプレになるのだろう。実際、肌タイを着て面を被るということ以外は同じなわけだし。だが、性格的にはむしろ同人誌に近いのではなかろうかと僕は思っている。
漫画を描いたことのある人ならわかるだろうが、漫画家にとって自分のキャラクターは自分の意志とは無関係であることが多い。それは漫画家のインタビューなどでよくわかることで、キャラが勝手に動く、という考えを持っていることである。特に自分のキャラクターをまるで別の一人の人間のように語っているのはとても興味深い。
着ぐるみについても似たようなことが言えるのではなかろうか。先日書いたように、着ぐるみをやるというのはそのキャラクターになりきるということである。そしていつのまにか自分が着ているはずの着ぐるみを第3者的な立場で見ることになり、着る服も、ちょっとした仕草でさえも、すべて自分の意志ではなく「そのキャラクター」の意志で行なわれるのだ。例えばウチの娘はエロいポーズなどすることはないだろうから、例え一人で着ていてもそういうことはしないだろうと思う。
■その人の中でのキャラ
で、同人誌だ。同人誌と言ってもパロディのことだ。同人誌を良く見る方ならご存知かと思うが、パロ本でもオリジナルのキャラクターと性格が違うことが良くある。もちろん大幅に変わることはあまりないのだが、ちょっとだけ元気キャラになっていたりちょっとだけおしとやかになっていたりするものだ。これは作者の中での理想のキャラクター像がオリジナルと違うことによる。特にそのキャラクターを好きであれば好きであるほど、オリジナルと違うことが多い。つまり、パロ本作家の中にももう一人の意識があるのだ。
着ぐるみでもそうだ。オリジナルの性格そのままを再現したいという方ももちろんいると思うが、自分の中のキャラクターを心の中に持っていてそれがそのまま表に出てきたと言う方も多い。なにしろオリジナルよりやたらおもしろい青い少女やオリジナルよりやたらおしとやかな緑い少女がいるのだから。
これらのように、俺の好きな○○ちゃんはこんな感じだ!という作者なり内臓の愛が伝わってくるとかわいいと感じられるんだろう。
■ウチの娘は
オリジナルとちょっと違う。というかいざ着てみると想像と違っていた。もっと某青い娘のように、オリジナルのように、とにかくおもしろいことをする娘だと思っていた。へたしたらアニメよりもネタまみれになるかと思っていたのだが……。
実際にはやたら物静かな、人見知りしそうな、設定では13歳なのに10歳くらいな、「少女」がそこにいた。僕の中にいた娘はこうだったんだと気付かされた。あと、どうでもいいことだが恋にはやたら消極的なわりに、なぜかやたらぱんつを見せたがるというわけのわからない性格も持っている。謎だ。
2005-03-26 着ぐるみ
■そもそも僕自身が異端なのか
結局僕が着ぐるみを始めた理由はなんだったんだろうか。
はじめは
はじめはホントにただ着ぐるみをやりたいというだけだった。昨日も書いたがまほろさんに憧れて、その横に立ちたい、そう思ったからだと思う。作り始めたときも深くは考えていなかった。ただ着ぐるみを作り、着ぐるみをやりたいと思っていただけだった。まぁ深く考えてしまうと自作などできないのだが。
いまは
いまはちょっと違う。今は着ぐるみ云々以前にヴァニラさんであることのほうが重要になっている。ヴァニラさんという存在が誕生したことにより、それで良しとしている節がある。なにしろ写真を見るだけで悶えることができるのだ。何度も着る必要などない、いやそもそも「着たいという思い」がそれほどないのである。
別に着ぐるみを着たくないというわけではないし、一人で着られないわけでもない。僕にとっては、この世にヴァニラさんが存在しているという事実と、それを証明する写真があればいいのかもしれない。
……
まぁそのうちまた着たくなるときが来るだろう。女装のときだって2万もはたいて買った服をたまにしか着なかったわけで。やっぱり着たいと思ったときに着ればいいんだろう。
……。というかそれは当たり前か。なにをプレッシャーに感じていたんだろう……。