備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

レベッカ・ソルニット(高月園子訳)『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

 災害の後には、人間は利他的となり、他人同士の間に同感が生まれ、特別な共同体が突如として立ち上がる。著者は、1906年のサンフランシスコ地震から、2001年のニューヨークにおける9.11テロ、そして2005年にニューオリンズを襲ったハリケーンカトリーナにいたるまで、あまりマスコミ等では語られなかった被災地における初期行動、ボランティアの働きなどをジャーナリズム的な視点から捉え、そこには常に、かかわった人間を懐かしませるような特別な共同体が生じていたことを述べている。こうした共同体は、災害がもたらす非日常の中で生き延びる一方、日常の経済活動が戻ると、人々は再びばらばらな個人となり、共同体は消滅する。このつかの間のユートピアを著者は「災害ユートピア」とよんでいる。
 このような共同体を生じさせる心性は、伝統的な社会において、深く根付いていた責任と結合の原理と同じものであろう。無論いまでも、家族や親族間には強い結びつきがある。しかし、家族や親族間の扶養は、個人主義が強まり、都市化が進み、ほとんどの交換関係が市場を介したものに変わっていく中で、しだいにわずらわしさを感じさせるものとなる。ところが、災害という非日常において、目の前にいる人間の生命が脅かされると、人は危険をかえりみず利他的となり、共同して行動を取るようになる。さらにいえば、災害の中では、人々の日常を支えていた基盤は崩れ、あるいはいつ崩れてもおかしくはないという状況になり、より人を共同体の方へとかり立てることになるだろう。
 一方、日常を支える資本主義経済では、適者生存の原理がイデオロギーとなり、「共有地の悲劇」のように、共同体によって管理される資源は乱獲され、維持することができないとされる。このようなイデオロギーは、富裕層と権力層に最も都合のよいものである。このイデオロギーは、資源の希少性、すなわち「不足」を前提としたものであるが、一方、伝統的な社会における贈答経済では、「豊富」を前提としている。
 また、このイデオロギーは、災害によって、ホッブスのいう人間の原初状態のような状況が生まれ、人々は自己保存のための闘争状態に陥ることになると考える。本書は、そのような思想の代表として、ル・ボンの『群集心理』を取り上げ、その影響力の大きさを指摘している。警察や軍、行政などの災害時の対応において、このイデオロギーによる悪い結果──エリート・パニックが生じ、不必要な悲劇が起きることがある。関東大震災では、自警団による虐殺が生じ、本書の最終章で丹念に事実の検証が行なわれているハリケーンカトリーナでは、1600人の死亡者のうちに、ハリケーンや洪水以外の理由で亡くなった者が数多く含まれているという。

 本書の著者は、災害時に、不必要な悲劇を生んだイデオロギーとは異なる思想として、実用主義の哲学者ウィリアム・ジェームズのそれと、ピョートル・クロポトキンの『相互扶助』を取り上げている。ソルニット=ジェームズによる「戦争の等価物」という考え方については、大澤真幸による以下の記事に簡潔に整理されている。

 また、クロポトキンは、東シベリアと北満州の旅において動物の生態を観察した経験から、生存のためには、競争と同じくらい、もしくはそれ以上に協力が重要だと論じた。そして、この『相互扶助』の考え方は、アナキズム──「政府の不在」の理論を支えるものとなる。本書の著者であるソルニット自身の思想は、アナキズムとも親和的なものであり、非常時の共同体である「災害ユートピア」は、実は、長く生き長らえることが可能なものであり、ニカラグアのサンディニスタ政権のように、最終的にはある国家の政権に就くことも可能だとしている。

 本書の読後感からいうと、「災害ユートピア」を生じさせる心性は、己の心性をかえりみて理解できるものであるが、一方、ソルニットがさらに進んで述べるように、それを一般化し、日常を支える原理にまで高めることには大きな不安を覚える。この共同体を支えているのは、引用した大澤真幸の記事にもあるような、人間の生命の絶対性であろう。これに対し、日常の経済活動は、貨幣の絶対性に支えられている、として批判することも可能であろうが、経済活動を実用主義的な視点から見直せば、人間の総体としての幸福(効用)を高める上で、極めて有効なものであるとも考えられる。*1またこの原理は、「統治」のための原理である。「統治者」とは、ある究極的な場面において、ソフィーのような選択を下せる心をもつものである必要があるのではないか。例えば、現下の日本における低い成長率のもとで、所得は停滞し、失業は常態化し、自殺率もまた高水準で推移している。大澤のいう「偽ソフィーの選択」は、必ずしも「偽」ではないのである。

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*1:「そうではない」との意見もあり得るだろうが、それを可能にするフィージビリティのある仕組みを自分は知らない。