ウソが本当になる!?

お久しぶりです
皆さんお元気ですか?
ご無沙汰してましたが生きてますよ


さて今日はエイプリルフールですね
皆さん もうしっかりうまい嘘はつきましたか?
僕は毎年エイプリルフールって忘れてるんですけど、
今年はちゃんと覚えてたので渾身の嘘をつきました
そしたら、さっきまで「エイプリルフールだねー」っていう話をしていたのに
全く嘘だと気づかれずに、完全に信じ込ませることができてしまって、
すごく気持ちよかったです



どんな嘘か気になりますか?
↓こんなのです!!↓

嘘をつきました
そしたら、さっきまで「エイプリルフールだねー」っていう話をしていたのに
全く嘘だと気づかれずに、完全に信じ込ませることができてしまって、
すごく気持ちよかったです


結構イタい文章ですが、
この嘘が成功していたらウソが本当になるという不思議な現象です


過去形のせいでうまくいきませんが、
もう少し頑張れば「嘘かつ本当」に持ち込めるかも・・・!?

第6回わかさあじさいマラソン

また1ヶ月ぶりのマラソン大会です
今回はハーフの部に出られるので、ハーフを走りました


実は前回の五木マラソンの直後に腰を痛めてしまったため、
練習する気が湧いてこず、体育の授業でしか走っていなかったので、
長い距離の練習は全くしていませんでした
腰はこの半月の間に少しは楽になったんですが、
痛む場所が何度か変わったので、全体的によくなったかどうかはわかりません
そんな中でハーフという長い距離を走るんですから、
当然、腰が悪化する、と周りからは反対されました


今回はお父さんがハーフに出ないため、
僕は最初から一人で自分のペースで走ることになります
実は今回初めて、自分の力だけでハーフを走るんです
そういう意味で、今回をのがしたくないという思いが強かったので、
周りの反対を押し切って走ることにしました
もっとも、
一番抑止力のある親はそれほど強くは反対していなかったんですけどね


去年のこの時期は、
新型インフルエンザが国内で感染し始めて、日本中がピリピリしてましたよね
その影響で、前回のあじさいマラソンは急遽中止になったんです
その時のゲストランナーがエリック・ワイナイナ選手だったんですが、
今回もワイナイナ選手がゲストランナーとして来てくださいました


そしてそのワイナイナ選手が僕たちハーフのスターターをしてくださいました
ワイナイナ選手は10kmに出場されたんですが、
僕が3kmあたりを走っていたときに、右側を颯爽と走っていくのが見えました
ハーフのランナーの声援に応えたり、
サービスをたくさんしてくださるので、トップではありませんでしたが、
かなり速いスピードでした
途中で、折り返してきた10kmランナーとすれ違うんですが、
ワイナイナ選手が現れると、ハーフのランナーの多くがそっちの車線に行って、
ワイナイナ選手とハイタッチをしてもらっていました
もちろん僕も同じようにハイタッチしてもらいました



折り返してから、知らないおじさん(55)から声をかけられました
走っていること自体楽しいんですが、
誰かとしゃべりながら走るというのはとても楽しいものです
しかもそこに見知らぬ人との出会いがあると、
走っていてよかったなぁと思います
で、そのおじさんとずっとしゃべりながら走っていました
ちなみにそのおじさんは、走ったあとは飲み会で半日飲むそうです
前回のハーフマラソンでは残り5kmぐらいからペースアップしたので、
今回も同じようにしようと思って走っていたんですが、
その頃になると逆にペースが落ちて、なかなかペースアップできませんでした
そして、残り2.5kmぐらいにある給水から、一気にペースが落ちてしまい、
おじさんにもついて行けなくなりました
それ以降もペースは落ちる一方で、どんどん抜かされていきました
終盤で抜くのは気持ちいいですが、ペースが上がらないととても辛いです
ゴールでは、すでにゴールしたおじさんがタイマーの横で待っていてくれました
記録は2時間を十数秒切るタイムでした
初めてのハーフのタイムを上回ることはできませんでしたが、
2時間以内に、楽しんで走ることができたのでよかったです


あと、心配されていた腰ですが、走り始めた直後は痛みましたが、
走っているうちに痛まなくなりました
普段こわばっていた腰がリラックスしたのかもということです


走り終わったあとには、ワイナイナ選手のサイン会がありました
僕も、大会のTシャツの裏にサインをしてもらいました
本当によくサービスしてもらえて、「今日はどうでしたか?」と聞かれました
それにしてもワイナイナ選手は日本語がうまいですね
思わず感心してしまいました
そのあと記念写真も一緒にとってもらいました
写真を撮ったお母さんにも「お母さんも走りませんか?」と声をかけていました


いろいろなことが重なって、とても楽しい大会になりました
次のマラソンは秋になると思いますが、
その時はちゃんと練習して、万全の態勢で臨みたいと思います

第22回 美浜・五木ひろしマラソン

1ヶ月ぶりのマラソン大会です
この大会ではハーフの部はなく、最長で20kmの部までです
高校生でも20kmに出れるので、今回は20kmに出場しました


とはいうものの、
前回の若狭マラソン以降、練習は5月2日にしかしていませんでした
しかもその時は全然体が動かず、
かといって次の日に筋肉痛が出ることもなかったので、
20km走れる体力があるのかどうかさえわかりませんでした


運の悪いことにこの大会は制限時間があります
20kmの部では2時間です
京都丹波ロードレースで2時間以内だったんだから大丈夫だろ、
と思われるかもしれませんが
あのときはその前月にかなり練習していたおかげで完走できたわけで、
今月2日の練習のペースでは到底完走できません


そういった面で完走にかなり不安があったので、
今回もお父さんに15kmあたりまで一緒に走ってもらいました
スターターは五木ひろしさんでした
最初は完走ペースギリギリで走っていましたが、
走っているうちにだんだんペースが上がっていきました


このマラソンのコースはとても起伏に富んでいて面白いのが特徴です
ほぼ毎kmに大きなアップダウンがあります
坂を上るたびに、
♪エーッサエーッサエッサホイサッサ♪お猿のかごやだホイサッサ♪
と歌う陽気な集団にでくわしました
上り坂の時は妙に元気があるんですよね、あの集団。
でもあの歌を歌っているのを聞くと自然と元気が湧いてきました
また、
このコースはほとんどの場所から海を眺めることができます
雄大若狭湾です


この大会には初めて出場したんですが、とても良い印象を受けました
まず、スタート時にゴール予想タイムごとのプラカードがあって、
スムーズにスタートできるように配慮されていました
また、
距離表示は1kmごとにあるので、ペースの変化を見るにはとてもよかったです
他にも、給水がとても多かったので、楽に走ることができました
給水所でないところでも水を配ってくださる方もいらっしゃいました
コースの途中には、シャワーのゾーンもありました
海水浴場の近くを走ることになるので、
コースの途中に、仮設でないものも含めていくつもトイレがありました
海水浴場の広い広い駐車場から会場までシャトルバスが出るので、
駐車場に困ることもないです


15kmを過ぎて、お父さんがペースを上げたので、
僕は無理をせずに“お猿のかごや集団”についていきました
途中でその集団とは分かれてペースを上げましたが、
残り2kmあたりからはかなり足が疲れた状態で急な上り坂が襲ってくるので、
最後はとてもきつかったです
何がともあれ、完走することはできました
ペースとしては前回のハーフマラソンと同じくらいでした

第30回記念OBAMA若狭マラソン

久しぶりにマラソン大会に出ました
京都丹波ロードレース以来ですね
大会なので、さぞ練習したんだろうと思われるかもしれませんが、
体育の授業以外で走ったのは、3月30日以来です
20日ほど自分では何もしていませんでした


そんなにも体がなまっている状況で、
ハーフを走るなんてことになったら完走すらできないかもしれませんが、
今回は10kmでした
ハーフに出る気がなかったわけではなく、
10kmまでしか高校生の出場権がなかったからです
幸にか不幸にか、10kmですんだため楽しんで完走することができました


この大会では、ゲストランナーとして、瀬古利彦さんが招かれました
瀬古さんは全種目のうち最終発走の5kmで走られたようですが、
スタートの前に僕たち10kmのスターターをしてくださいました


沿道では、中学校の時の担任の先生や同級生が応援してくれていたり、
母校や隣の中学校のブラスバンド部が、
ZARD「負けないで」を演奏してくれたりしていました
鳥肌立ちっぱなしでした


ランナーの中には市民マラソンには欠かせない着ぐるみの人もいました
しまじろうの着ぐるみで走っている人や、
虎やピカチュウや大仏のかぶり物をしている人もいました
去年、ハーフマラソンに出たときにはなすびの着ぐるみを着ている人がいました
見る度に思うんですが、いつかああやって走ってみたいですね
きっと中の人はとても暑いんでしょうけど、
見ているランナーは一瞬つらさを忘れて口元が緩みますよね
いつかそんな風に、走っている人を楽しませることができたらなと思います



10kmのスタートのあと、5分後に5kmがスタートしました
10kmには知っている人は出ていなかったんですが、
5kmには、中学校の時にかなり速くて駅伝にも出て、
陸上の強い高校に進学した3人が出ていました

圧倒的なスピードで追い抜かれたので、コース上から応援しました
2人は2,3位に入りました
大会の度に会えたらいいなと思います

入部!

高校生活が始まってもう一週間以上経ちました
月曜日には部活紹介があって、本格的に部活選び&入部が始まりました
僕の高校は部活は強制ではありませんが、
中学校の時に入っていなかったので、できれば入りたいなと思っていました
とはいえ、去年あった高校説明会頃から、部活はだいたい決めてたんですけどね


まず、運動部にはついて行ける気がしないので文化部限定です
走るんだから陸上部でいいじゃないかと思われるかもしれませんが、
陸上部の「走る」と僕の「走る」は違います
どんなに走るのが好きでも、結果を求めようとしないのでは、
周りに疎まれるだけになります
文化部を見ていくと、
僕はアコギをやっていますが、
軽音はソロギターをやれるようなところじゃないと思うので除外します
吹奏楽とか何にもできないので除外です
 ・
 ・
 ・
って感じでいろいろ除外してますが、
上にも書いたように最初から決まってたんですよ


さっそく火曜日が活動日だったので見学に行って、
次の活動日だった昨日、科学部に入部届を提出しました
3年生3人、2年生1人、1年僕だけの5人ですが、
全員同じ学科という何ともすごい集まりです
男子は僕の他に3年生の一人だけです



気まぐれで「書道とかできたらかっこいいんじゃね?」とか思ったので、
火曜日の科学部の見学が終わったあとに書道部に見学にいきました
小4から小6まで習字を習っていたので、中学でもある程度賞を取ってましたが、
中学校の間に硬筆の汚さが筋金入りなものになってしまったので、
書道部で酷い字を書くのは恥ずかしいなと思いつつも、
今日入部届を出しました
書道部の全体の人数を知りませんが、1年生の数はかなり多くなりそうです
ただ、男子が一人もいないという惨事でございます
今までは科学部の3年生の男子の人が僕と同じように兼部していて、
その人が一人だけの男子だったらしいんですが、
その人が3年になるときに抜けたらしく、
今年度からは僕が唯一の男子になってしまいました
顧問の先生が男性なだけ救いです


書道部の活動日は決まっていないので、科学部のない日にいこうと思います

佐久間勉艇長没後100年

佐久間勉という方をご存じでしょうか
明治時代の大日本帝国海軍の大尉です
潜水艇の艇長で、潜水艇の故障により乗組員13人とともに海底で殉職されました
その際、艇長含む乗組員14人中12人は各自の持ち場で殉職し、
残る2人は故障箇所の修理をしている状態で殉職しました


イタリア海軍ではこれ以前に、潜水艇から脱出しようとした乗組員たちが、
脱出用ハッチ付近で我先にと争いながら死んでいくという、
とても醜い姿をさらすということがありました
佐久間艇長の乗る潜水艇の事故の翌々日、
潜水艇を引き上げる際に、帝国海軍はそういった事態を心配しましたが、
佐久間艇長始め乗組員には一切醜態がなかったため、海軍は安堵したらしいです
乗組員の生死を心配しろよと思いますが、
当時の潜水艇の技術では生存は不可能だったらしいです


佐久間艇長は亡くなる前、手帳に39ページにもわたって、
潜水艇を沈没させてしまったこと、乗組員を死亡させてしまったことに対する、
明治天皇への謝罪と、事故の原因の分析、遺言を書き、
上級幹部・知人の名を記したあと、 12時30分の自身の状態を記し、
「12時40分ナリ」と記して30歳で亡くなりました
このあとも何か書きたかったのかもしれませんが、
そこまでに書かれた内容や艇長含む乗組員の姿は、
国内にとどまらず、海外へも大きな感銘を与えました



佐久間艇長は福井県三方郡八村(現在の若狭町)で生まれ、
僕の通う高校の前身である福井県立小浜尋常中学校を卒業されました
そういう縁で高校の入学式で校長先生から話があったので、
ここでも紹介しておきました
僕の高校の卒業生には、詩人のきむさんもいます
もしかしたら小学校も一緒かもしれません

お知らせ

いつもこのブログを読んでくださりありがとうございます
僕は4月7日に晴れて高校生になることができました
今まで勉強をサボり続けてきた僕ですが、
高校ではもうサボるわけにはいかないと思います
授業は毎日7限あり、数学では授業の進度は2倍以上になります
どの教科の先生からも言われましたが、
授業は予習してあるものとして進むので、家での予習・復習は必須です


中学校の間の生活スタイルは、
家に帰ってから晩ご飯を食べてパソコンをしつつブログを書いて、
時間があれば宿題をし、無ければ次の日の朝に持ち越すというものでした
どう考えても、ブログを優先して最低限のことをおろそかにしていました
このままの生活を続けていては、
予習・復習はもちろんのこと、宿題すらもやりきれなくなります
そうなってしまっては高校の授業について行けるはずが無く、
地域トップクラスの学力にもついて行けません


この場を借りて宣言します
これからは、帰宅後には宿題と予習・復習を最優先し、
クラスを引っ張っていけるように頑張りたいと思います



一日の中に、ブログを書く時間というものは設定されていません
しっかり勉強することが優先されるので、
僕の中でのこのブログの優先順位は今までに比べて大きく下がります
そのため、更新のめどは立ちません
少なくとも、今までのような定期更新はできなくなります

246日間続いた定期更新はいったん停止します

8ヶ月間もの長い間、ありがとうございました


更新の頻度は大きく減り、不定期更新になりますが、このブログは続きます
僕の時間のあるときに、更新していきたいと思います
たまに更新したときには、あたたかい目で読んでいただけるとうれしいです


このブログは、最初は固定読者は親戚と友達だけでしたが、
今では見ず知らずの方の中にも、
固定読者になってくださっている方がいらっしゃるようです
強要するというわけではありませんが、コメントしたことがない方でも、
一度温かいコメントをいただけるとうれしいです
僕のこれからの励みになります
よろしくお願いします
更新はできなくても、コメントを付けていただければコメントの返信はします
たまに覗きに来ますので、たまに覗きに来てください


今まで本当にありがとうございました
今後もこのブログをよろしくお願いします
それでは、お体に気をつけてよい新年度をお過ごしください