シェイク・ラトル・アンド・ロール ビッグ・ジョー・ターナー Big Joe Turner - Shake, Rattle & Roll

エルビス・プレスリーはじめ多くのロッカーがカヴァーしてる、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(Shake, Rattle & Roll)のオリジナルを1954年に放った、正統派ジャズブルースシンガーのビッグ・ジョー・タナーの、こちらの所謂ビッグバンド、ジャズコンポを従え歌う映像&音源を観て聴いて、当サイトでも再三ご紹介しておりますが、R&Rのルーツにジャズ、ブルースが入ってないと思う人はいないと思われますね。

で、こちらビッグ・ジョー・タナーの「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(Shake, Rattle & Roll)を、フォー・エイセズ・オブ・ウエスタン・スウィングというC&Wバンドが、黒人R&Bに感化されバンド名を変えたビル・ヘイリーと彼のコメッツが、詞を若干かえ(まあ、ブルースの定石、元はセックスを歌った助平な歌なわけです)万人に受けるようにブレンドし発表した所、大ヒット!、、、。

実はシングルB面で1954年に既に発売され、全く!売れなかった有名な「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が、1955年に映画「暴力教室」のオープニングテーマに使われるや、8週連続全米1位の記録的大ヒットになったビル・ヘイリーと彼のコメッツ人気で、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(Shake, Rattle & Roll)のオリジナル、ビッグ・ジョー・タナーは1911年生まれの44才にして、空前のR&Rブームの最中!黒人アイドルになるんですね〜。

教会のゴスペル音楽を聴いて育ち、4歳のとき父親を事故で亡くしたビッグ・ジョー・タナーは、当時のアメリカ黒人のご多分にもれず貧困に陥り、街で唄を唄って物乞いをする子供時代を過ごし、ここで後に成功する歌唱力を身につけたわけですが、学校も中退、小さなバーやクラブで、コック、バーテンダーとして働き、正に!第二次世界大戦以前の歴史的大不況時代(麻生元総理がリーマンショックの時に言っていた『百年に一度』の経済危機の、その百年前。百年は実際たっておりませんが)、そしてあの!アル・カポネアンタッチャブル禁酒法の時代を、密造酒とジャズ溢れる繁華街で逞しく生き抜いた方。

バーテンダーをやりながら、ブルースを唄うようにビッグ・ジョー・タナーはなり、音楽活動をやりながら、自分の店(クラブ)も開店。ジャズ、ブギウギ、ブルース時代から全くスタイルを変える事なく、R&B、R&R大ブレイクの1950年代半ば、44才にして「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(Shake, Rattle & Roll)で、白人社会にも認知される人気者になった、時代がビッグ・ジョー・タナーに追いついたという感じの、ある種、歩くアメリカの近代史、音楽史のような方。

R&Rは深いのであります!!