佐村河内守さん騒動に思う。作品が素晴らしいからといって罪が許される訳じゃ無いが作品には罪は無い。

もう何年になるだろうか?一杯のかけそばという物語が人気を博した。昭和の終わり頃だったと思う。

泣ける実話として人気が出たんだが実際は創作だった。

「実話だと思って読んで感動したのに騙された!」というバッシングが始まった。

泣けると評判のベストセラーが、一転バッシングの対象になったのだ。

私はこのとき激しい違和感を覚えたのを記憶してる。


作品が実話だったら感動するけど、創作だったら感動しないのか?創作だったとしても一杯のかけそばを読んで感動したのは事実だろ?

フィクションだろうがノンフィクションだろうが感動したなら高評価するべきじゃないのか?

当時はまだ二十歳前後の若造だったし、自分が感じた違和感がなんであるか良く判らなかった。


佐村河内守さん騒動に思う事

今は平成26年であるから、平成になって四半世紀が過ぎた事になる。

全聾の作曲家で現代のベートーベンとして人気を博していた佐村河内守氏が、実は彼の曲はゴーストライターが作曲した作品だったと明かした。


更にそのゴーストライターが、実は佐村河内守さんは全聾じゃないと暴露した模様。

BLOGOS 「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見


なんかまた一杯のかけそば騒動を思い出した。

そりゃね嘘は良くないと思います。嘘がいけないことだと言う事は大前提としてですよ。


作者が嘘つきだったら、その人の作品の価値は暴落するのか?作曲家が嘘をついて発表した作品は価値が無いのか?ゴーストライターを使った創作は違法なのか?


などなど、いろんな角度から考えてみる必要は在ると思うんですよね。


個人的な見解ですが、作者が嘘つきだろうが、詐欺師だろうが、はたまた人殺しだったとしても、その本人は罪を背負い、贖罪をしなきゃいけないと思いますが、その作品には罪は無いんじゃないかと思います。


人殺しが創作した小説でも、大泥棒が作った曲でも、はたまた連続暴行犯が作ったオブジェクトだったとしても、罪に問われ贖罪をするのは本人であって、その作品には罪はないと思うんです。


特にそれが多くの人々を感動させた名作ならば、なおさらの事です。


作品が素晴らしいからといって罪が許される訳じゃ無いけど、作者が悪い人だからといって作品が評価を下げるような事があってはいけないと思うんですよね。


さらにゴーストライターなんて出版業界では普通に活動してるし、他の業界にゴーストライターが居ても良いでしょう。それを罪だとは思えない。


問題なのは嘘をついて人々を欺いた事なんでしょうけど、それはその本人が償うべき罪で作品の評価とは別物だと思います。


私はクラシック鑑賞なんて高尚な趣味は持っていませんし、佐村河内守氏の作品を聞いた記憶が無いのですが、多くの人たちが評価している作品なのであれば、作品自体は世に出し続けるべきなんじゃないでしょうか。


多くの人を感動させる名作を作った人物が気に入らんから発禁なんて馬鹿な発想はありえない。

良い作品なら、これからもドンドン世に出し続けるべきだと思うし、佐村河内守氏とゴーストライターさんにおかれましては、これからも積極的に創作活動を続けて欲しいと思います。


最後になりますが、佐村河内守(さむらごうち・まもる)をさむらかわちのかみだと思った戦国武将マニアの私も許してください。