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2017-10-04-水

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補給物資

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万葉集試訳

1874 詠月 【三首第一。】

 春霞 田菜引今日之 暮三伏一向夜 不穢照良武 高松之野爾

 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く今日(けふ)の 夕月夜(ゆふづくよ) 清(きよ)く照(て)るらむ 高松野(たかつのの)に

 春霞飄霏霺 高懸棚引今日之 夜暮夕月者 蓋當不穢清照臨 寧樂高松之野矣

佚名 1874

「春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く今日(けふ)の 夕月夜(ゆふづくよ)」,「夕月夜」指夕月本身。就第四句「清(きよ)く照(て)るらむ」之「らむ」觀之,此歌必為月出之後所詠。然而前兩句「春霞 棚引く」之朦朧與後句「清く照るらむ」清酣荊比差異令人存疑。或云於天霧之平城宮遠望月光照臨之高松


1875 【承前,三首第二。】

 春去者 紀之許能暮之 夕月夜 欝束無裳 山陰爾指天【一云,春去者,木隱多,暮月夜。】

 春去(はるさ)れば 木木暗(きのこのく)れの 夕月夜(ゆふづくよ) 覺束無(おほつかな)しも 山蔭(やまかげ)にして【一云(またにいふ)、春去(はるさ)れば、木隱(こが)くを多(おほ)み、夕月夜(ゆふづくよ)。】

 每逢春臨者 森間木蔭之所蔽 夜暮夕月者 朦朧飄渺無覺束 隱於山因匿不見【一云,每逢春臨者,多隱木蔭為所遮,夜暮夕月者。】

佚名 1875

「春去(はるさ)れば」,與「覺束無(おほつかな)しも」呼應。

「木暗(このく)れ」,樹木下方之陰暗或遮蔽處。

「木隱(こが)くを多(おほ)み」,隱於木蔭之下之陰暗處。

1876 【承前,三首第三。】

 朝霞 春日之晚者 從木間 移歷月乎 何時可將待

 朝霞(あさかすみ) 春日暮(はるひのくれ)は 木間(このま)より 移(うつろ)ふ月(つき)を 何時(いつ)とか待(ま)たむ

 朝霞飄霏霺 春之日暮晚時者 木間之所現 飄忽移歷明月矣 究竟何時可待得

佚名 1876

朝霞(あさかすみ)」,春日枕詞朝霞霏霺之春日

「移(うつろ)ふ」,移動。

「何時(いつ)とか待(ま)たむ」,需要等到何時?通常用在希望渺茫之時。


1877 詠雨

 春之雨爾 有來物乎 立隱 妹之家道爾 此日晚都

 春雨(はるのあめ)に 有(あり)ける物(もの)を 立隱(たちかく)り 妹(いも)が家道(いへぢ)に 此日暮(このひく)らしつ

 分明春雨者 稀稀落落非激降 然以頻雨宿 人往妹家道途上 未拜妻眉日已慕

佚名 1877

春雨(はるのあめ)に 有(あり)ける物(もの)を」,「物(もの)を」表逆接。分明春雨不會過於激烈,卻仍因此礙了行程。

「妹(いも)が家道(いへぢ)」,前往戀人居處之路上

1878 詠河

 今徃而 聞物爾毛我 明日香川 春雨零而 瀧津湍音乎

 今行(いまゆ)きて 聞(き)く物(もの)にもが 明日香川(あすかがは) 春雨降(はるさめふ)りて 激鷁(たぎつせのおと)を

 今徃行去而 欲得聽聞冀逢時 明日香之川 飛鳥河上春雨降 洶湧湍急激鷁

佚名 1878

「聞(き)く物(もの)にもが」,以本句為述語而「激鷁(たぎつせのおと)を」為主格。

「激(たぎつせ)」,流水抨急之湍鵝

1879 詠煙

 春日野爾 煙立所見 媙嬬等四 春野之菟芽子 採而煮良思文

 春日野(かすがの)に 煙立(けぶりた)つ見(み)ゆ 娘子等(をとめら)し 春野嫁菜(はるののうはぎ) 摘(つ)みて煮(に)らしも

 遠眺春日野 炊煙裊裊今可見 蓋是娘子等 摘取春野嫁菜而 烹煮羹湯所至耶

佚名 1879

「嫁菜(うはぎ)」,菊科多年草。花色淡紫。春日莖芽蔓延地中,可掘之食用

蓋與第十六卷竹取翁歌(3791)題詞「昔有老翁,號曰竹取翁也。此翁,季春之月,登丘遠望。忽值煮羹之九箇女子也。」呼應。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m16.htm#3791 通常「娘子等(をとめら)」用於妻問、歌垣時場。


1880 野遊 【四首第一。】

 春日野之 淺茅之上爾 念共 遊今日 忘目八方

 春日野(かすがの)の 淺茅(あさぢ)が上(うへ)に 思共(おもふどち) 遊(あそ)ぶ今日日(けふのひ) 忘(わす)らえめやも

 寧樂春日野 淺茅叢生原野上 志同道合者 相與交遊今日日 永銘心頭豈忘哉

佚名 1880

「野遊(やいう)」,按3808左注,村間男女相聚歌垣者稱野遊。時與日進,民間習俗之野遊亦昇華作宮廷行事。往後四首,可謂度跨雅俗之遊樂。

「淺茅(あさぢ)」,低木茅草,稻科多年草,其花穗稚嫩者可食用

「思共(おもふどち)」,親友、夥伴。

1881 【承前,四首第二。】

 春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 彌年之黃土

 春霞(はるかすみ) 立(た)つ春日野(かすがの)を 行歸(ゆきかへ)り 我(われ)は相見(あひみ)む 彌年每(いやとしのは)に

 春霞層湧兮 所立寧樂春日野 徃還每行歸 吾等相見觀彼野 歲歲年年彌翫之

佚名 1881

「我(われ)は相見(あひみ)む」,「見(み)む」之受詞雖為春日野,亦可解釋為一再往返春日野。

「彌年每(いやとしのは)に」,「彌(いや)」為彌更、一再之意。


1882 【承前,四首第三。】

 春野爾 意將述跡 念共 來之今日者 不晚毛荒粳

 春野(はるのの)に 心延(こころの)べむと 思共(おもふどち) 來(こ)し今日日(けふのひ)は 暮(く)れずも有(あ)らぬか

 春日原野間 欲將馳騁此心而 志同道合者 相與來兮今日日 還望察情莫早暮

佚名 1882

「心延(こころの)べむと」,舒展心情。

「暮(く)れずも有(あ)らぬか」,「ぬか」乃表希求之尾語。原文「荒粳(あらぬか)」乃自古語「籾粳(もみぬか)」之借訓。『名義抄』云「粳,あらぬか。」


1883 【承前,四首第四。】

 百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎插頭而 此間集有

 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 暇有(いとまあ)れや 梅(うめ)を髻首(かざ)して 此間(ここ)に集(つど)へる

 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 蓋有硫北蹇‥η炬臚為髻首 集於此間催遊興

佚名 1883

「暇有(いとまあ)れや」,「有れや」與「有ればや」同,疑問條件語。反語傾向強,一般有不當如此之含意。而此句卻非反語。當時京官,仕六休一,而原則上早朝出勤而正午退廳,午後、夜間勤務不多。

「此間(ここ)に集(つど)へる」,「集(つど)ひ」乃以某事物為中心聚集而來。『神樂歌』有「榊葉の 香を芳しみ 尋め来れば 八十氏人ぞ 円居せりける」之曲,此歌亦類似情境哉。

1884 歎舊 【二首第一。】

 寒過 暖來者 年月者 雖新有 人者舊去

 冬過(ふゆす)ぎて 春(はる)し來(きた)れば 年月(としつき)は 新(あら)たなれども 人(ひと)は舊徃ふりゆ)く

 寒冬既已過 暖春來兮萬象始 年月雖翻新 然歎空蟬浮身者 人唯古去舊往矣

佚名 1884

「冬過(ふゆす)ぎて 春(はる)し來(きた)れば」,原文「寒過 暖來者」,亦見於1844。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#1844

劉希夷唐詩『代白頭吟』:「年年歲歲花相似,歲歲年年人不同。」之詩趣與之相近。

1885 【承前,二首第二。】

 物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜

 物皆(ものみな)は 新(あらた)しき良(よ)し 唯(ただ)しくも 人(ひと)は古(ふ)りにし 宜(よろし)かるべし

 顧見此世間 年年歲歲物皆新 雖然空蟬兮 歲歲年年人老去 理宜如此何歎哉

佚名 1885

「唯(ただ)しくも」,用以補足上述事柄之接續詞,與「唯(ただ)し」、「但(ただ)し」同。

承接上曲,或為連作,或為撫慰前曲歎老內容之答歌。


1886 懽逢

 住吉之 里行之鹿齒 春花乃 益希見 君相有香開

 住吉(すみのえ)の 里行(さとゆ)きしかば 春花(はるはな)の 彌珍(いやめづ)らしき 君(きみ)に逢(あ)へるかも

 墨江住吉之 姬松之里行之者 春華之所如 魂牽夢縈彌珍愛 吾君與逢我欣懽

佚名 1886

住吉(すみのえ)の 里行(さとゆ)きしかば」,「しかば」乃偶然確定條件語。原文或書「住吉之 里得之鹿齒」,訛矣。

「彌珍(いやめづ)らしき」,「珍(めづ)らし」源自「愛(め)づらし」,於此既有愛慕亦有稀得相見之意。


1887 旋頭歌 【二首第一。】

 春日在 三笠乃山爾 月母出奴可母 佐紀山爾 開有櫻之 花乃可見

 春日(かすが)なる 三笠山(みかさのやま)に 月(つき)も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に 咲(さ)ける櫻(さくら)の 花(はな)の見(み)ゆべく

 寧樂春日之 御蓋三笠山頂上 皎潔明月可出哉 欲見京西北 佐紀山間開有之 櫻華絢爛咲狀矣

佚名 1887

旋頭歌」,由五七七五七七組成之六句格式。

「月(つき)も出(い)でぬかも」,「ぬかも」乃希求語氣。

佐紀山(さきやま)」,於平城京西北,挾京與東南之春日山對望。

「花(はな)の見(み)ゆべく」,此歌前三句表希求,而後三句闡明原因。

1888 【承前,二首第二。】

 白雪之 常敷冬者 過去家良霜 春霞 田菜引野邊之 鷪鳴焉

 白雪(しらゆき)の 常敷(つねし)く冬(ふゆ)は 過(す)ぎにけらしも 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く野邊(のへ)の 鶯鳴(うぐひすな)くも

 皓皓白雪之 積降常敷籠冬者 蓋已既過萬象新 春霞飄霏霺 高掛天頭野邊間 黃鶯出谷報春暖

佚名 1888

「常敷(つねし)く」,零雪不斷,積置於地。

「鶯鳴(うぐひすな)くも」,原文「焉」表詠嘆之情。


1889 譬喻歌

 吾屋前之 毛桃之下爾 月夜指 下心吉 菟楯頃者

 我(わ)が宿(やど)の 毛桃下(けもものした)に 月夜射(つくよさ)し 下心快(したこころよ)し 別樣此頃(うたてこのころ)

 吾宿屋前之 毛桃之下月夜射 灑落臨照地 此心此情難言諭 胸懷別樣此頃時

佚名 1889

「毛桃下(けもものした)に」,毛桃乃桃之品種名,下指木陰。

「下心快(したこころよ)し」,五味雜陳之奇妙之心情。

「別樣(うたて)」,與一般人性向相異,或稱與自身平常之心理有別。

寓意不明,或稱祝女兒初潮之曲,或稱表達初嘗女性喜G群痢

相聞

1890 春相聞 【七首第一。】

 春山 友鷪 鳴別 眷益間 思御吾

 春山(はるやま)の 友鶯(ともうぐひす)の 泣別(なきわか)れ 歸坐(かへりま)す間(ま)も 思(おも)ほせ我(あれ)を

 春日山林中 友鶯泣別發啼聲 離情依依兮 如是歸向別去間 還願繫吾在心頭

柿本人麻呂 1890

「春山(はるやま)の 友鶯(ともうぐひす)の」,引出第三句「泣別(なきわか)れ」之序。如鶯般鳴泣道別之意。


1891 【承前,七首第二。】

 冬隱 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨

 冬隱(ふゆごも)り 春咲(はるさ)く花(はな)を 手折持(たをりも)ち 千度限(ちたびのかぎ)り 戀渡(こひわた)るかも

 籠冬日已遠 手折新春咲妍花 取持將來者 千遍之限情無盡 戀慕不止永銘心

柿本人麻呂 1891

「手折持(たをりも)ち」,心念對象而折枝之狀。

「千度限(ちたびのかぎ)り」,無限

1892 【承前,七首第三。】

 春山 霧惑在 鷪 我益 物念哉

 春山(はるやま)の 霧(きり)に惑(まと)へる 鶯(うぐひす)も 我(あれ)に益(まさ)りて 物思(ものおも)ふらめや

 春日山林中 煙霧瀰漫籠霏霺 其間黃鶯者 迷濛無方勝吾身 沉溺物憂惑思哉

柿本人麻呂 1892

「春山(はるやま)の 霧(きり)に惑(まと)へる」,自上代語起,多以霞喻春,霧稱秋。而本歌為例外之一。黃鶯為濃霧籠罩,迷途之狀。

「物思(ものおも)ふらめや」,「らめや」乃現在推量「らむ」之反語形式。舊訓「物思(ものおも)はめや」,此依『類聚古集』作「物思(ものおも)ふらめや」。

1893 【承前,七首第四。】

 出見 向岡 本繁 開在花 不成不止

 出(いで)て見(み)る 向岡(むかひのをか)に 本茂(もとしげ)く 咲(さ)きたる花(はな)の 成(な)らずは止(や)まじ

 出戶放眼望 向丘之上草木茂 所咲妍華盛 吾人不棄亦如斯 豈將未實終徒花

柿本人麻呂 1893

1893

「本茂(もとしげ)く 咲(さ)きたる花(はな)の」,「本茂(もとしげ)く」指接近根源之處所分枝之小枝亦花葉繁茂,比喻心中懇意之狀。

「成(な)らずは止(や)まじ」,此云在未結實之前將不會輕易中止。

1894 【承前,七首第五。】

 霞發 春永日 戀暮 夜深去 妹相鴨

 霞立(かすみた)つ 春長日(はるのながひ)を 戀暮(こひく)らし 夜(よ)も更行(ふけゆ)くに 妹(いも)も逢(あ)はぬ哉(かも)

 心繫煙霞湧 春暖和煦日之長 戀如此慕間 不覺今宵夜已深 還願有望與妹逢

柿本人麻呂 1894

「妹(いも)も逢(あ)はぬ哉(かも)」,「ぬ哉(かも)」表希求。祈望今夜有緣相逢。

1895 【承前,七首第六。】

 春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

 春去(はるさ)れば 先三枝(まづさきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢(あ)はむ 莫戀(なこ)ひそ我妹(わぎも)

 每逢春日臨 先咲三枝之所如 幸命無恙者 其後必當復相逢 莫愁戀苦吾妹

柿本人麻呂 1895

「春去(はるさ)れば 先三枝(まづさきくさ)の」,以「三枝(さきくさ)」與「幸(さき)」雙關而為其序。

「幸(さき)く」,無恙。

「後(のち)にも逢(あ)はむ」,縱然今日無緣,但將來當可相會。

1896 【承前,七首第七。】

 春去 為垂柳 十緒 妹心 乘在鴨

 春去(はるさ)れば 垂柳(しだりやなぎ)の 撓(とをを)にも 妹(いも)は心(こころ)に 乘(の)りにけるかも

 每逢春臨者 楊柳垂枝隨風動 搖曳撓其絮 親親吾妹在我心 繚繞不絕據胸懷

柿本人麻呂 1896

 右,柿本朝臣人麻呂歌集出。

「撓(とをを)にも」,因自重而撓屈之壯,有穩重窈窕而憶及佳人之情。

「妹(いも)は心(こころ)に 乘(の)りにけるかも」,此云心中皆為所愛之人佔去。


1897 寄鳥 【二首第一。】

 春之在者 伯勞鳥之草具吉 雖不所見 吾者見將遣 君之當乎婆

 春去(はるさ)れば 伯勞鳥草潛(もずのかやぐ)き 見(み)えずとも 我(あれ)は見遣(みや)らむ 君(きみ)が邊(あた)りをば

 每逢春臨者 伯勞鳥之潛草間 其雖不可見 然吾將眺仔細望 端詳君許尋光儀

佚名 1897

「伯勞鳥草潛(もずのかやぐ)き」,「潛(ぐ)き」乃穿梭之貌。

「見(み)えずとも」,即便為春霞籠罩而無法眺望。


1898 【承前,二首第二。】

 容鳥之 間無數鳴 春野之 草根乃繁 戀毛為鴨

 貌鳥(かほどり)の 間無(まな)く數鳴(しばな)く 春野(はるのの)の 草根繁(くさねのしげ)き 戀(こひ)もするかも

 貌鳥閑古鳥 頻鳴無間喚不止 繚繞春野間 草根繁茂無絕處 吾心亦亂以戀繁

佚名 1898

「春野(はるのの)の 草根繁(くさね)」,引出後文「繁(しげ)き」之序。繁字上承草木密接,後繼相思不止。

1899 寄花 【九首第一。】

 春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒來鴨

 春去(はるさ)れば 卯花腐(うのはなぐた)し 我(わ)が越(こ)えし 妹(いも)が垣間(かきま)は 荒(あ)れにけるかも

 每逢春臨者 絡繹不絕吾頻訪 卯花傷而腐 佳人舊日垣間者 今頃蓋已荒漫哉

佚名 1899

「春去(はるさ)れば」,接第三句「我が越えし」,則可知乃回想過去習慣之語。

「卯花腐(うのはなぐた)し」,頻繁來訪,傷及卯花令其腐謝。

「我(わ)が越(こ)えし」,與戀人幽會,跨越牆垣潛行之狀。

蓋是訪問戀人故居,見彼庭園荒廢之懷舊之曲。

1900 【承前,九首第二。】

 梅花 咲散苑爾 吾將去 君之使乎 片待香花光

 梅花(うめのはな) 咲散(さきち)る園(その)に 我行(われゆ)かむ 君(きみ)が使(つかひ)を 片待難(かたまちがて)り

 暗香白梅花 花開花落汝苑矣 今日吾將往 久盼君使仍不來 更難長待忍相思

佚名 1900

「片待難(かたまちがて)り」,單方、一昧地等待。原文「花光(てり)」乃唐詩表示花朵輝照之借訓。

4041類歌重出。


1901 【承前,九首第三。】

 藤浪 咲春野爾 蔓葛 下夜之戀者 久雲在

 藤波(ふぢなみ)の 咲(さ)く春野(はるのの)に 延葛(はふくず)の 下(した)よし戀(こ)ひば 久(ひさ)しくもあらむ

 藤浪波濤之 所咲一面春野間 蔓葛之所如 不為人知隱忍者 此戀年久成就

佚名 1901

藤波(ふぢなみ)の」,以藤花隨風搖曳之狀比作波浪之雅語。

「延葛(はふくず)の」,葛乃秋草七種之一,延指不為人知地蔓延地中。

「下(した)よし戀(こ)ひば」,「下(した)」指目所不見之處,「よ」與「より」同,經由。

「久(ひさ)しくもあらむ」,(因為隱秘忍耐之故,)戀愛成就歷時長久。

1902 【承前,九首第四。】

 春野爾 霞棚引 咲花乃 如是成二手爾 不逢君可母

 春野(はるのの)に 霞棚引(かすみたなび)き 咲花(さくはな)の 如是(かく)なる迄(まで)に 逢(あ)はぬ君(きみ)かも

 嗚呼野間 煙霞棚引罩霏霺 於焉咲花者 直至今日如是而 不與相逢吾君矣

佚名 1902

「如是(かく)なる迄(まで)に」,「如是(かく)」乃現場指示用法。直至如此而。至於係指咲花滿開或落盡則不明

1903 【承前,九首第五。】

 吾鷸匱ぁ仝窈良久者 奥山之 馬醉花之 今盛有

 我(わ)が背子(せこ)に 我(あ)が戀(こ)ふらくは 奥山(おくやま)の 馬醉木花(あしびのはな)の 今盛也(いまさかりなり)

 親親吾兄子 妾身戀慕此情者 猶若深山之 人跡罕至處所綻 馬醉木花今盛也

佚名 1903

「奥山(おくやま)の 馬醉木花(あしびのはな)の」,以人跡罕至之深山,比喻深埋自身心中不為人知之情感。

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2017-09-19-火

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万葉集試訳

1838 【承前,廿四二十。】

 峯上爾 零置雪師 風之共 此聞散良思 春者雖有

 峰上(をのうへ)に 降置(ふりお)ける雪(ゆき)し 風共(かぜのむた) 此處(ここ)に散(ち)るらし 春(はる)には在(あ)れども

 蓋是峰嶺上 所零白雪積置者 乘風共馳來 散落此處斑白哉 分明雖在春日

佚名 1838

 右一首,筑波山作。

「峰上(をのうへ)に」,或云尾根、尾上。群山相連之稜線

「風共(かぜのむた)」,「共(むた)」表「與共」。

蓋於山麓風花舞落而詠。


1839 【承前,廿四廿一。】

 為君 山田之澤 惠具採跡 雪消之水爾 裳裾所沾

 君(きみ)が為(た)め 山田澤(やまたのさは)に 蘞摘(ゑぐつ)むと 雪消水(ゆきげのみづ)に 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ

 心欲為吾君 至於山田之澤間 摘採蘞草者 冰融雪水沁骨寒 霑濡裳裾令衣濕

佚名 1839

「蘞(ゑぐ)」,黒慈姑、荸薺,蚊帳吊草科多年草植物。自生於沼澤等濕地,塊莖可食用

「裳(も)」,相對於男子之褌(はかま),此為女子所著長裙狀衣物。

可與1249、2330類想。

1840 【承前,廿四廿二。】

 梅枝爾 鳴而移徙 鷪之 翼白妙爾 沫雪曾落

 梅(うめ)が枝(え)に 鳴(な)きて移(うつろ)ふ 鶯(うぐひす)の 羽白妙(はねしろたへ)に 沫雪(あわゆき)そ降(ふ)る

 春寒花未放 穿梭移徙梅枝間 鳴囀黃鶯者 餝妝其翼作斑白 沫雪紛降添淨絹

佚名 1840

「移(うつろ)ふ」,常用以表示變心、花謝等,而此單指穿梭移徙。


1841 【承前,廿四廿三。】

 山高三 零來雪乎 梅花 落鴨來跡 念鶴鴨【一云,梅花,開香裳落跡。】

 山高(やまだか)み 降來(ふりく)る雪(ゆき)を 梅花(うめのはな) 散(ち)りかも來(く)ると 思お(もひ)つるかも【一云(またにいふ)、梅花(うめのはな)、咲(さ)きかも散(ち)ると。】

 足曳山高嶮 嶺上零來白雪者 飄舞降繽紛 殆似梅花散落來 真假難辨迷目眩【一云,飄舞降繽紛,殆以梅花開而落。】 

佚名 1841

「山高(やまたか)み」,按次曲左註「問答」,本歌作者蓋居於山邊之人。

「散(ち)りかも來(く)ると」,見雪而誤以為是里間仁家所植之梅花乘風飄散而來。

1842 【承前,廿四廿四。】

 除雪而 梅莫戀 足曳之 山片就而 家居為流君

 雪(ゆき)を除(お)きて 梅(うめ)に莫戀(なこ)ひそ 足引(あしひき)の 山片付(やまかたづ)きて 家居(いへゐ)せる君(きみ)

 莫除雪景美 單戀梅花翫暗香 足曳勢險峻 山邊營室棲此地 以為家居吾君矣

佚名 1842

 右二首,問答。

「雪(ゆき)を除(お)きて」,「除(お)き」有捨棄、輕看之意思。對於前曲,提醒莫望美雪之雅致。

「梅(うめ)に莫戀(なこ)ひそ」,或訓「梅を莫戀ひそ」。按『古今集』等中古時代歌集,用「を」「を」字者多,然上代萬葉集』中以「に」為大宗。

「山片付(やまかたづ)きて」,「片付(かたづ)き」乃部分鄰接。

對話形式之問答歌,梅里之人用以撫慰雪中待春之遁隱人士的贈答曲。

1843 詠霞

 昨日社 年者極之賀 春霞 春日山爾 速立爾來

 昨日(きのふこそ) 年(とし)は果(は)てしか 春霞(はるかすみ) 春日山(かすがのやま)に 早立(はやた)ちにけり

 分明在昨日 年者極之冬方去 何以春霞者 早在春日山頂上 早湧霏霺春意濃

佚名 1843

「昨日(きのふこそ) 年(とし)は果(は)てしか」,「しか」乃回想助動詞「き」之已然形。「こそ」與已然形逆接。此云雖知曆法上新年已至,未料氣候立即轉變。

「春霞(はるかすみ)」,第五句「早立(はやた)ちにけり」之主語


1844 【承前。】

 寒過 暖來良思 朝烏指 滓鹿能山爾 霞輕引

 冬過(ふゆす)ぎて 春來(はるきた)るらし 朝日指(あさひさ)す 春日山(かすがのやま)に 霞棚引(かすみたなび)く

 寒冬既已過 暖春來兮萬象始 金烏朝日射 寧樂春日山頂上 煙霞輕引飄霏霺

佚名 1844

「冬過(ふゆす)ぎて 春來(はるきた)るらし」,原文「寒過 暖來良思」,其後1884亦有「暖來良者」。「寒、暖」各為「冬、春」之義訓。或以「冷」字表「秋」者類之。

朝日指(あさひさ)す」,地名春日枕詞。原文「朝烏」者,指三足之金烏、陽烏,見於『藝文類聚』「日」引用「五經通義」。


1845 【承前。】

 鷪之 春成良思 春日山 霞棚引 夜目見侶

 鶯(うぐひす)の 春(はる)に成(な)るらし 春日山(かすがやま) 霞棚引(かすみたなび)く 夜目(よめ)に見(み)れども

 耳聞報暖聲 黃鶯出谷春臨哉 寧樂春日山 煙霞霏霺掛頂上 縱雖闇夜可察之

佚名 1845

「鶯(うぐひす)の」,春之枕詞。以黃鶯出谷乃代表此季節之景物而來。

「夜目(よめ)」,夜間昏暗視線不清之狀。

1846 詠柳 【八首第一。】

 霜干 冬柳者 見人之 蘰可為 目生來鴨

 霜枯(しもがれ)の 冬柳(ふゆのやなぎ)は 見(み)る人(ひと)の 縵(かづら)にすべく 萌(も)えにけるかも

 霜摧草木枯 冬柳今日復始發 可為見人之 鬘蘰餝首裝身麗 新芽更萌欣向榮

佚名 1846

「霜枯(しもがれ)の」,草木遭寒霜摧打而枯萎。『歌經標式』有「霜枯(しもがれ)の 垂柳(しだりやなぎ)の」之語。

「縵(かづら)」,以蔓性植物或柳枝結作環狀之首飾。

「萌(も)えにけるかも」,「萌(も)え」指發芽。

1847 【承前,八首第二。】

 淺僉\懸有跡 見左右二 春楊者 目生來鴨

 淺(あさみどり) 染懸(そめか)けたりと 見(み)る迄(まで)に 春柳(はるのやなぎ)は 萌(も)えにけるかも

 一眼望見者 以為絹絲染淺僉¢然懸樹頭 寔乃春柳萌新僉/盪滂盪映新春

佚名 1847

「淺(あさみどり)」,「(みどり)」字本指艸木新芽,其後轉作顏色之用。

「染懸(そめか)けたりと」,將絹絲染色懸於架上晾乾之狀。

「見(み)る迄(まで)に」,殆將誤認。

「春柳(はるのやなぎ)は」,河楊。


1848 【承前,八首第三。】

 山際爾 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延爾家留可聞

 山際(やまのま)に 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ 然(しか)すがに 此川楊(このかはやぎ)は 萌(も)えにけるかも

 顧見足曳兮 山際雪零未嘗止 縱然為此而 此處河岸川柳者 已然萌芽發新

佚名 1848

「此川楊(このかはやぎ)は」,「楊(やぎ)」與「楊(やなぎ)」同。

1849 【承前,八首第四。】

 山際之 雪者不消有乎 水飯合 川之副者 目生來鴨

 山際(やまのま)の 雪(ゆき)は消(け)ざるを 潀(みなひあ)ふ 川沿(かはのそひ)には 萌(も)えにけるかも

 顧見足曳兮 山際零雪未消融 而以水潀之 落激川邊沿岸上 川柳萌芽發新

佚名 1849

「潀(みなひあ)ふ」,原文「水飯合」,有疑。或「水激合」之訛。

「萌(も)えにけるかも」,主語楊柳因承接前曲而省略。


1850 【承前,八首第五。】

 朝旦 吾見柳 鷪之 來居而應鳴 森爾早奈禮

 朝(あさ)な朝(さ)な 我(わ)が見(み)る柳(やなぎ) 鶯(うぐひす)の 來居(きゐ)て鳴(な)くべく 森(もり)に早成(はやな)れ

 每朝復每旦 吾之所見小柳矣 願汝更成長 以為黃鶯所來鳴 可棲巨木鬱森矣

佚名 1850

「朝(あさ)な朝(さ)な」,「朝(あさ)な朝(あさ)な」之略,每朝。

「森(もり)に早成(はやな)れ」,「森(もり)」本意為神靈憑宿之木,現亦有以「森」稱「山」之語。「早成(はやな)れ」,帶有命令意志、願望之表現


1851 【承前,八首第六。】

 青柳之 絲乃細紗 春風爾 不亂伊間爾 令視子裳欲得

 青柳(あをやぎ)の 絲細(いとのくは)しさ 春風(はるかぜ)に 亂(みだ)れぬい間(ま)に 見(み)せむ子(こ)もがも

 青柳流春意 柳絲纖細美有緻 還望春風之 尚未吹亂彼絃前 欲得佳人令其翫

佚名 1851

「絲細(いとのくは)しさ」,「細(くは)し」乃纖細美麗之狀。

「見(み)せむ子(こ)もがも」,「がも」乃「欲得」,一般假想對象,未有明特定人物

1852 【承前,八首第七。】

 百礒城 大宮人之 蘰有 垂柳者 雖見不飽鴨

 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の 蘰(かづら)ける 下垂柳(しだりやなぎ)は 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 取之為蘰餝 玲瓏翠絲垂柳者 雖見百度未嘗厭

佚名 1852

「百敷(ももしき)の」,大宮枕詞。以諸多岩石所組成之城。

「蘰(かづら)ける」,用以飾首之藤蔓,蓋為觀梅之風流


1853 【承前,八首第八。】

 梅花 取持而見者 吾屋前之 柳乃眉師 所念可聞

 梅花(うめのはな) 取持(とりも)ちて見(み)れば 我(わ)が宿(やど)の 柳眉(やなぎのまよ)し 思(おも)ほゆるかも

 梅花綻幽香 折枝取持而見者 心中有所思 所念我宿吾庭間 仙姿玉質柳眉矣

佚名 1853

「取持(とりも)ちて見(み)れば」,仙覺本等原文作「取持見者」,而元曆校本等古寫本作「取持而見者」。

「柳眉(やなぎのまよ)」,以新柳之細葉比擬美人之眉之漢籍表現。「眉(まよ)」乃「「眉(まゆ)」」之古形。


1854 詠花 【廿首第一。】

 鷪之 木傳梅乃 移者 櫻花之 時片設奴

 鶯(うぐひす)の 木傳(こづた)ふ梅(うめ)の 移(うつろ)へば 櫻花(さくらのはな)の 時片設(ときかたま)けぬ

 每逢黃鶯之 傳枝穿梭白梅花 移落之際者 便是櫻花將代之 一面滿開盛咲時

佚名 1854

「木傳(こづた)ふ」,在枝頭間跳躍穿梭移動。

「移(うつろ)へば」,花謝凋零之狀。

「時片設(ときかたま)けぬ」,「片設(かたま)け」表時期將近。

1855 【承前,廿首第二。】

 櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之將落

 櫻花(さくらばな) 時(とき)は過(す)ぎねど 見(み)る人(ひと)の 戀(こ)ふる盛(さか)りと 今(いま)し散(ち)るらむ

 顧見時節者 櫻花盛時仍未過 何以今凋零 蓋是所念翫人之 戀盛之頃謝今朝

佚名 1855

「時(とき)は過(す)ぎねど」,「時(とき)」表最盛期。

「戀(こ)ふる盛(さか)りと」,「戀(こ)ふ」表溺愛花之心境。把握賞花人最愛花之時期凋謝。

1856 【承前,廿首第三。】

 我刺 柳絲乎 吹亂 風爾加妹之 梅乃散覽

 我(わ)が髻首(かざ)す 柳絲(やなぎのいと)を 吹亂(ふきみだ)る 風(かぜ)にか妹(いも)が 梅散(うめのち)るらむ

 吾之所髻首 柳絲為風吹紊亂 吾度同風者 亦拂窈窕吾妹兒 致其梅花零舞散

佚名 1856

「柳絲(やなぎのいと)を」,以絹絲比擬楊柳纖細之枝葉。

以風為媒介,偲慕伊人家梅之曲。


1857 【承前,廿首第四。】

 每年 梅者開友 空蟬之 世人吾羊蹄 春無有來

 年每(としのは)に 梅(うめ)は咲(さ)けども 空蟬(うつせみ)の 世人我(よのひとわれ)し 春無(はるな)かりけり

 年年復年年 分明梅花逢春咲 然此空蟬兮 憂世之人我身者 蓋是無復春可臨

佚名 1857

「空蟬(うつせみ)の」,人、世之枕詞

「世人我(よのひとわれ)し」,底本作「世人吾羊蹄」者,按『萬葉代匠記』云:「君字之訛矣。」故改之。

喟託此身不幸之曲,蓋為歎老之歌。

1858 【承前,廿首第五。】

 打細爾 鳥者雖不喫 繩延 守卷欲寸 梅花鴨

 打細(うつたへ)に 鳥(とり)は食(は)まねど 繩延(なはは)へて 守(も)らまく欲(ほ)しき 梅花哉(うめのはなかも)

 雖非鳥等者 必然喫之摧其落 然吾有所思 欲張繩守呵護之 楚楚可憐梅花矣

佚名 1858

「打細(うつたへ)に」,無闇、囫圇、無由,與後句取消反語結合,有「分明不是...」之意。

「繩延(なはは)へて」,「延(は)へ」乃擴張、拉長之意。

1859 【承前,廿首第六。】

 馬並而 高山部乎 白妙丹 令艷色有者 梅花鴨

 馬並(うまな)めて 多賀山邊(たかのやまへ)を 白栲(しろたへ)に 匂(にほ)はしたるは 梅花哉(うめのはなかも)

 列馬馳騁兮 多賀高山岡邊處 素廟白栲兮 令染艷色綻放者 蓋是幽雅梅花哉

佚名 1859

「馬並(うまな)めて」,列馬,地名「高(たか)、多賀(たか)」之枕詞。以「馲(たく)」為駕馭馬之意而來。

多賀山邊(たかのやまへ)を」,或本作「高山乎」,此依大矢本作「高山部乎」。

「白栲(しろたへ)に 匂(にほ)はしたるは」,染為白色。「匂(にほ)ふ」早期專用於赤色,而時修飾白色之用。

1860 【承前,廿首第七。】

 花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花

 花咲(はなさ)きて 實(み)は成(な)らねども 長日(ながきけ)に 思(おも)ほゆるかも 山吹花(やまぶきのはな)

 雖然花咲而 終不成實徒花者 然吾長所念 繫於心頭懷胸中 嗚呼八重山吹

佚名 1860

花咲(はなさ)きて」,「て」於此乃逆接用法

「實(み)は成(な)らねども」,栽培種之八重山吹開花而不結實,常用以比喻沒有結果之戀情。

「長日(ながきけ)に」,「日(け)」表日數,久待花開之狀。

1861 【承前,廿首第八。】

 能登河之 水底并爾 光及爾 三笠乃山者 咲來鴨

 能登川(のとがは)の 水底(みなそこ)さへに 照(て)る迄(まで)に 御笠山(みかさのやま)は 咲(さ)きにけるかも

 縱令能登川 水底之下能照臨 光及至如斯 御蓋三笠山之間 百花爭艷咲來矣

佚名 1861

「水底(みなそこ)さへに」,連水底都。

「咲(さ)きにけるかも」,主語或為櫻、山吹、梅。此歌或於能登川邊、御蓋山南麓、市之井池所詠。


1862 【承前,廿首第九。】

 見雪者 未冬有 然為蟹 春霞立 梅者散乍

 雪見(ゆきみ)れば 未(いま)だ冬也(ふゆなり) 然(しか)すがに 春霞立(はるかすみた)ち 梅(うめ)は散(ち)りつつ

 顧見沫雪者 則知寒冬未過也 然此為斯者 何以春霞湧霏霺 梅花散兮櫻將咲

佚名 1862

「梅(うめ)は散(ち)りつつ」,以「つつ」結尾之句,當其伴隨「もとな」者,以「の」承接主格。無此者以「は」為主格。


1863 【承前,廿首第十。】

 去年咲之 久木今開 徒 土哉將墮 見人名四二

 去年咲(こぞさ)きし 久木今咲(ひさぎいまさ)く 徒(いたづら)に 地(つち)にか落(お)ちむ 見(み)る人無(ひとな)しに

 去年所咲之 久木之花今亦咲 然吾有所思 彼蓋徒然將墮地 孤芳自賞無人

佚名 1863

「久木(ひさぎ)」,未詳。或云檟,或云赤芽槲,花期皆夏,錄於春歌者不合。

1864 【承前,廿首十一。】

 足日木之 山間照 櫻花 是春雨爾 散去鴨

 足引(あしひき)の 山際照(やまのまて)らす 櫻花(さくらばな) 此春雨(このはるさめ)に 散去(ちりゆ)かむかも

 足曳勢險峻 高聳山際今照臨 盛咲櫻花矣 今當為茲春雨摧 零落舞散凋逝去

佚名 1864

「散去(ちりゆ)かむかも」,原文「散去鴨」,『類聚古集』等訓「散(ちり)ぬらむかも」,此從仙覺本訓。


1865 【承前,廿首十二。】

 打靡 春避來之 山際 最木末乃 咲徃見者

 打靡(うちなび)く 春去來(はるさりく)らし 山際(やまのま)の 遠木末(とほきこぬれ)の 咲行見(さきゆくみ)れば

 搖曳隨風動 萬象復始春臨哉 若見山際之 樹梢枝頭遠木末 咲徃之者可知悉

佚名 1865

「遠木末(とほきこぬれ)の」,原文「最木末乃」者,古來訓字有所爭議。『萬葉考』以來,依異傳歌1422訓之。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1422

1866 【承前,廿首十三。】

 春雉鳴 高圓邊丹 櫻花 散流歷 見人毛我母

 雉鳴(きぎしな)く 高圓邊(たかまとのへ)に 櫻花(さくらばな) 散(ち)りて流(なが)らふ 見(み)む人(ひと)もがも

 春雉之所鳴 寧樂高圓山邊處 繽紛令目眩 櫻花散流猶吹雪 欲得同志可共覽

佚名 1866

「雉鳴(きぎしな)く」,原文「春雉鳴」之春字概為意訓。

「散(ち)りて流(なが)らふ」,「流(なが)らふ」乃梅、櫻之花瓣隨風飄落之狀。

1867 【承前,廿首十四。】

 阿保山之 佐案花者 今日毛鴨 散亂 見人無二

 阿保山(あほやま)の 櫻花(さくらのはな)は 今日(けふ)もかも 散亂(ちりまが)ふらむ 見(み)る人無(ひとな)しに

 寧樂阿保山 山間群生櫻花者 今日亦如斯 吹雪散亂落徒然 可惜無人能翫之

佚名 1867

「櫻花(さくらのはな)は」,原文「佐案花者」,「案」與「鞍(くら)」同。

1868 【承前,廿首十五。】

 川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬醉之花會 置末勿勤

 蛙鳴(かはづな)く 吉野川(よしののかは)の 瀧上(たきのうへ)の 馬醉木花(あしびのはな)ぞ 端(はし)に置(お)く勿努(なゆめ)

 河蛙田雞鳴 御芳野吉野河 宮瀧上所生 馬醉木花妍華矣 莫置端隅疏怠之

佚名 1868

「蛙鳴(かはづな)く」,吉野枕詞。以當地代表景色飾之。

「馬醉木花(あしびのはな)」,躑躅科落葉低木,早春開壺狀白花。枝葉有毒,馬畜誤食則舉止如醉,故云。

「端(はし)に置(お)く勿努(なゆめ)」,「端」乃角落,「端に置く」乃疏遠、怠慢之意。


1869 【承前,廿首十六。】

 春雨爾 相爭不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始爾家里

 春雨(はるさめ)に 爭兼(あらそひか)ねて 我(わ)が宿(やど)の 櫻花(さくらのはな)は 咲始(さきそ)めにけり

 春雨催華咲 與之相爭不能勝 是以吾屋前 含苞待放櫻花者 今日始咲綻芬芳

佚名 1869

「爭兼(あらそひか)ねて」,難以抵抗。此云春雨催促櫻花綻放,而櫻花拒絕之擬人表現。此類用法多見於漢籍

1870 【承前,廿首十七。】

 春雨者 甚勿零 櫻花 未見爾 散卷惜裳

 春雨(はるさめ)は 甚(いた)く勿降(なふ)りそ 櫻花(さくらばな) 未見無(いまだみな)くに 散(ち)らまく惜(を)しも

 紛紛春雨者 汝莫甚降零如是 可憐櫻花矣 尚未端詳賞翫間 倏然凋散誠可惜

佚名 1870

「甚(いた)く勿降(なふ)りそ」,禁止語法「な...そ」之上所用之「甚(いた)く」有過分之意。

「散(ち)らまく惜(を)しも」,「散らまく」乃「散らむ」之く句法,對於花謝之預想而為言。


1871 【承前,廿首十八。】

 春去者 散卷惜 梅花 片時者不咲 含而毛欲得

 春去(はるさ)れば 散(ち)らまく惜(を)しき 梅花(うめのはな) 片時(しまし)は咲(さ)かず 含(ふふ)みてもがも

 每逢春至者 倏然散落甚可昔 暗香梅花矣 還願片時暫不咲 留得含苞待人

佚名 1871

「片時(しまし)」,暫時。原文「片時」乃漢籍用法,多見於『遊仙窟』。


1872 【承前,廿首十九。】

 見渡者 春日之野邊爾 霞立 開艷者 櫻花鴨

 見渡(みわた)せば 春日野邊(かすがののへ)に 霞立(かすみた)ち 咲匂(さきにほ)へるは 櫻花(さくらばな)かも

 一眼望見去 寧樂春日野邊處 煙霞湧蕩而 花開一面爭豔者 概是盛咲櫻華矣

佚名 1872

「咲匂(さきにほ)へるは」,「匂」表光鮮亮麗、發光之狀。

「櫻花(さくらばな)かも」,「哉(かも)」乃詠嘆疑問詞。

1873 【承前,廿首二十。】

 何時鴨 此夜乃將明 鷪之 木傳落 梅花將見

 何時(いつしか)も 此夜明(このよのあ)けむ 鶯(うぐひす)の 木傳散(こづたひち)らす 梅花見(うめのはなみ)む

 還須待何時 漫漫此夜才將明 吾人有所思 欲見黃鶯傳枝頭 穿梭蹴散梅花矣

佚名 1873

「何時(いつしか)も」,要到何時。帶有期待早些之意圖。

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2017-09-07-木

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■真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞挽歌

https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m09.htm



万葉集試訳

1814 【承前,七首第三。】

 古 人之殖兼 杉枝 霞霏霺 春者來良之

 古(いにしへ)の 人植(ひとのう)ゑけむ 杉(すぎ)が枝(え)に 霞棚引(かすみたなび)く 春(はる)は來(き)ぬらし

 松柏誠蒼鬱 曩古之人所手植 老樹杉枝上 煙霞霏霺牽樹梢 蓋是春日既臨哉

柿本人麻呂 1814

「古(いにしへ)の 人植(ひとのう)ゑけむ 杉(すぎ)」,蓋指卷向山之杣山之杉。『人麻呂歌集』多有見松柏老樹而發懷古幽情之詩。

1815 【承前,七首第四。】

 子等我手乎 卷向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏霺

 兒等(こら)が手(て)を 卷向山(まきむくやま)に 春去(はるさ)れば 木葉凌(このはしの)ぎて 霞棚引(かすみたなび)く

 伊人細腕兮 手纏枕之卷向山 每逢春日臨 煙霞霏霺凌木葉 飄然緩動邁林間

柿本人麻呂 1815

「兒等(こら)が手(て)を」,以戀人之手為枕。「卷向山(まきむくやま)」之枕詞

木葉凌(このはしの)ぎて」,推開障礙物而前進。此云雲霞穿過樹林移動之狀。


1816 【承前,七首第五。】

 玉蜻 夕去來者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏霺

 玉限(たまかぎ)る 夕去來(ゆふさりく)れば 獵人(さつひと)の 弓月(ゆつき)が岳(たけ)に 霞棚引(かすみたなび)く

 玉剋魂極兮 誰彼黃昏日暮時 狩師獵人兮 弓月之岳峰嶺上 煙霞霏霺掛高天

柿本人麻呂 1816

「玉限(たまかぎ)る」,夕之枕詞。「限(かぎ)る」有微微發光之意,以朱玉之輝耀比喻夕日之淡光。

「獵人(さつひと)の」,弓之枕詞


1817 【承前,七首第六。】

 今朝去而 明日者來牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏霺

 今朝行(けさゆ)きて 明日(あす)には來(き)なむと 云子鹿丹訓(未詳) 朝妻山(あさづまやま)に 霞棚引(かすみたなび)く

 今朝離去而 明日之夕再將來 所謂子鹿丹 逢鷂綉朝妻山 頂上煙霞懸霏霺

柿本人麻呂 1817

明日(あす)には來(き)なむと 云子鹿丹訓(未詳)」,難訓。原文底本「來牟等 云子鹿丹」,元曆校本作「來年等 云子庶」或較接近原形。「來牟」則為「こむ」而「來牟」為「こね」,而其後未詳。或云,用以帶出「朝妻」之序。「朝妻」乃後朝替良人送行之妻。「明日(あす)」,古時以傍晚為一日之始,故其概指當晚。


1818 【承前,七首第七。】

 子等名丹 關之宜 朝妻之 片山木之爾 霞多奈引

 兒等(こら)が名(な)に 懸(か)けの宜(よろ)しき 朝妻(あさづま)の 片山崖(かたやまきし)に 霞棚引(かすみたなび)く

 欲以佳人名 相懸付之吾心躍 逢朝妻之 片山之崖急坂處 煙霞掛兮飄霏霺

柿本人麻呂 1818

 右,柿本朝臣人麻呂歌集出。

「兒等(こら)」,此乃對不夠親暱之年輕女性之稱呼。

「懸(か)けの宜(よろ)しき」,「懸(か)け」乃與之相關連。對於相遇尚不熟稔之女姓,希望能發展成以妻子稱呼的關係。

片山崖(かたやまきし)」,山斜面之斷崖。

1819 詠鳥 【廿四第一。】

 打霏 春立奴良志 吾門之 柳乃宇禮爾 鷪鳴都

 打靡(うちなび)く 春立(はるた)ちぬらし 我(わ)が門(かど)の 柳末(やなぎのうれ)に 鶯鳴(うぐひすな)きつ

 搖曳隨風動 萬象復始春臨哉 吾宿屋戶前 楊柳枝頭末梢上 鶯鳴鳥囀報春暖

佚名 1819

「打靡(うちなび)く」,「春」之枕詞

「我(わ)が門(かど)の」,「門(かど)」指門外面向道路之處。

「鶯鳴(うぐひすな)きつ」,「鳴(な)きつ」指即時、瞬間之事實,與表習慣、連續之「鳴(な)きぬ」有異。


1820 【承前,廿四第二。】

 梅花 開有岳邊爾 家居者 乏毛不有 鷪之音

 梅花(うめのはな) 咲(さ)ける岡邊(をかへ)に 家居(いへを)れば 乏(とも)しくも非(あら)ず 鶯聲(うぐひすのこゑ)

 暗香飄浮動 梅花所開此岡邊 家居於茲者 其音繞樑無所乏 報春鶯鳴鳥囀聲

佚名 1820

「家居(いへを)れば」,興室居此。

「乏(とも)しくも非(あら)ず」,「乏(とも)」於此指乏少。

1821 【承前,廿四第三。】

 春霞 流共爾 青柳之 枝喙持而 鷪鳴毛

 春霞(はるかすみ) 流(なが)るる共(なへ)に 青柳(あをやぎ)の 枝喙持(えだくひも)ちて 鶯鳴(うぐひすな)くも

 春霞飄霏霺 和之流動與共進 青柳發新僉〉嫉其枝啣彼梢 黃鶯出谷報春鳴

佚名 1821

「春霞(はるかすみ) 流(なが)るる共(なへ)に」,「共(なへ)に」表前述動作進行之同時。春霞流動概基於漢詩「流霞」之表現

「枝喙持(えだくひも)ちて」,「喙(くひ)」乃以齒或喙啣物之狀。仙覺本作「啄」而元曆校本作「喙」。或有通用

1822 【承前,廿四第四。】

 吾鷸匕叩’越山能 喚子鳥 君喚變鵝〔詛敬埒偲畆

 我(わ)が背子(せこ)を 莫越山(なこしのやま)の 呼子鳥(よぶこどり) 君呼返(きみよびかへ)せ 夜更(よのふ)けぬとに

 親親吾夫子 莫令汝離莫越山 嶺間喚子鳥 願喚吾君令更歸 珍惜春宵夜更前

佚名 1822

「我(わ)が背子(せこ)を」,地名「莫越(なこし)」之枕詞。阻擋不令訪妻之夫婿離去。

呼子鳥(よぶこどり)」,或云郭公而未必如此。『萬葉集』中除1941一曲,皆作春鳴之鳥。

「夜更(よのふ)けぬとに」,接續取消助動詞ず之連體形ぬ之,有在...之前之意。

1823 【承前,廿四第五。】

 朝井代爾 來鳴果鳥 汝谷文 君丹戀八 時不終鳴

 朝堰(あさゐで)に 來鳴(きな)く貌鳥(かほどり) 汝(なれ)だにも 君(きみ)に戀(こ)ふれや 時終(ときを)へず鳴(な)く

 朝日晨曦時 來鳴井堰閑古鳥 貌鳥有心者 汝亦戀君不止哉 見汝常鳴無終時

佚名 1823

「朝堰(あさゐで)」,「堰(ゐで)」或稱「井堰」,堰止川水之處。多以石堆砌,而引川水至田畝之間。

「貌鳥(かほどり)」,未詳。按日葡辭書,或指閑古鳥(郭公)。

「汝(なれ)だにも」,「だに」有至少。其後省略「心あれ」。汝若有心者。

「君(きみ)に戀(こ)ふれや」,疑問條件語。

「時終(ときを)へず鳴(な)く」,永啼不歇。

1824 【承前,廿四第六。】

 冬隱 春去來之 足比木乃 山二文野二文 鷪鳴裳

 冬隱(ふゆごも)り 春去來(はるさりく)れば 足引(あしひき)の 山(やま)にも野(の)にも 鶯鳴(うぐひすな)くも

 籠冬日已久 新春去來萬象始 足曳勢險峻 高山平野遍地間 鶯鳴報暖盈六合

佚名 1824

「冬隱(ふゆごも)り」,春之枕詞。或云冬日隱籠,春日來兮。

「春去來(はるさりく)れば」,原文「春去來之」之「之」與「者」同義


1825 【承前,廿四第七。】

 紫之 根延毀酣掘―嫐酊蹇〃乎懸管 鷪名雲

 紫草(むらさき)の 根延毀(ねばふよこの)の 春野(はるの)には 君(きみ)を懸(か)けつつ 鶯鳴(うぐひすな)くも

 暉曜緋茜射 紫草根延毀酣掘ゞ學峠野間 黃鶯慕君情難抑 來鳴迴蕩啼聲囀

佚名 1825

「紫草(むらさき)」,紫草科多年草植物。其根可用作紫色染料。又「茜さす」乃紫之枕詞http://www9.plala.or.jp/juken1/makurakotoba.htm

「根延毀(ねばふよこの)の春野(はるの)には」,紫草之根所蔓延之毀(地名),「の」字表同格。

「君(きみ)を懸(か)けつつ」,「懸(か)け」表繫心。


1826 【承前,廿四第八。】

 春之在者 妻乎求等 鷪之 木末乎傳 鳴乍本名

 春去(はるさ)れば 妻(つま)を求(もと)むと 鶯(うぐひす)の 木末(こぬれ)を傳(つた)ひ 鳴(な)きつつ元無(もとな)

 每逢春日時 黃鶯求妻探佳偶 鳴聲傳木末 梢間密林音繚繞 無由徒囀啼不止

佚名 1826

「春去(はるさ)れば」,原文「春之在者」,蓋以「されば」為「しあれば」之略。

「鶯(うぐひす)の」,末句「鳴(な)きつつ元無(もとな)」之主格。

「鳴(な)きつつ元無(もとな)」,無理由、吾原因、吾報償地徒然長鳴。無論主語千鳥、蟬、蟋蟀,皆用以隱喻作者思戀佳人之哀慕之情。

1827 【承前,廿四第九。】

 春日有 羽買之山從 狹帆之內敝 鳴徃成者 孰喚子鳥

 春日(かすが)なる 羽易山(はがひのやま)ゆ 佐保內(さほのうち)へ 鳴行(なきゆ)くなるは 誰呼子鳥(たれよぶこどり)

 自寧樂春日 兩翼交疊羽易山 到於佐保內 鳴度大虛發聲啼 呼子鳥者喚誰哉

佚名 1827

春日(かすが)なる 羽易山(はがひのやま)」,所在未詳。羽易指雙翼交疊之處,蓋指山形似此而言。

「誰呼子鳥(たれよぶこどり)」,其是呼喚何人之喚子鳥哉?類歌1713 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m09.htm#1713


1828 【承前,廿四第十。】

 不答爾 勿喚動曾 喚子鳥 佐保乃山邊乎 上下

 答(こた)へぬに 勿呼響(なよびとよ)めそ 呼子鳥(よぶこどり) 佐保山邊(さほのやまへ)を 上下(のぼりくだ)りに

 既然無人應 還冀莫喚勤如此 嗚呼喚子鳥 來鳴佐保山邊間 高飛低翔巡弋矣

佚名 1828

「答(こた)へぬに」,無論呼喚幾回,皆無人應答。

「勿呼響(なよびとよ)めそ」,「響(とよ)め」乃令周遭回響之意。

上下(のぼりくだ)りに」,鳥在周遭時高時低飛翔之狀。

1829 【承前,廿四十一。】

 梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鷪之音

 梓弓(あづさゆみ) 春山近(はるやまちか)く 家居(いへを)れば 繼(つ)ぎて聞(き)くらむ 鶯聲(うぐひすのこゑ)

 梓弓引弩張 春山之畔山麓邊 若家居於此 續而聞哉不絕耳 黃鶯報暖啼囀聲

佚名 1829

「梓弓(あづさゆみ)」,以「張(はる)弓」而為「春(はる)」之枕詞。『古今和歌集』多有「梓弓 春山の邊」之語,而『萬葉集』僅此一例。

「家居(いへを)れば」,假定條件語。

「繼(つ)ぎて聞(き)くらむ」,「らむ」乃基於習慣事實之推良助動詞

「鶯聲(うぐひすのこゑ)」,接續第四句之倒置用語

1830 【承前,廿四十二。】

 打靡 春去來者 小竹之末丹 尾羽打觸而 鷪鳴毛

 打靡(うちなび)く 春去來(はるさりく)れば 篠末(しののうれ)に 尾羽打觸(をはうちふ)れて 鶯鳴(うぐひすな)くも

 搖曳隨風動 向榮新春臨來者 篠末竹梢之 尾羽輕觸越林間 黃鶯報暖發聲鳴

佚名 1830

「打靡(うちなび)く」,春之枕詞草木受風搖曳之狀。

尾羽(をは)」,尾與翼。


1831 【承前,廿四十三。】

 朝霧爾 之努努爾所沾而 喚子鳥 三船山從 喧渡所見

 朝霧(あさぎり)に 濕霑(しのの)に濡(ぬ)れて 呼子鳥(よぶこどり) 三船山(みふねのやま)ゆ 鳴渡(なきわた)る見(み)ゆ

 晨曦霞霧漫 煙雲濕霑身所濡 嗚呼喚子鳥 自於三船山而來 鳴渡之狀今可見

佚名 1831

「濕霑(しのの)に」,遭雨露沾濕之狀。

「三船山(みふねのやま)ゆ」,「ゆ」表經由點。

「鳴渡(なきわた)る見(み)ゆ」,「見ゆ」為承接上句狀態持續之狀。


1832 【承前,廿四十四。】

 打靡 春去來者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管

 打靡(うちなび)く 春去來(はるさりく)れば 然(しか)すがに 天雲霧(あまくもき)らひ 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ

 搖曳隨風動 向榮新春臨來者 雖茲然為而 天雲蔽空霧一面 零雪紛紛仍未止

佚名 1832

「春去來(はるさりく)れば」,此句之「ば」乃表示後句「雪(ゆき)は降(ふ)りつつ」之意外性的逆接用法

「然(しか)すがに」,雖云如此,逆接接續詞。

「天雲霧(あまくもき)らひ」,「霧(き)る」之繼續態。

1833 【承前,廿四十五。】

 梅花 零覆雪乎 裹持 君令見跡 取者消管

 梅花(うめのはな) 降覆(ふりおほ)ふ雪(ゆき)を 包持(つつみも)ち 君(きみ)に見(み)せむと 取(と)れば消(け)につつ

 清雅梅花上 零來降覆沫雪者 今欲以手取 裹持將來令君見 無奈一觸逝無蹤

佚名 1833

「包持(つつみも)ち」,蓋指以衣袖包裹。

「取(と)れば消(け)につつ」,1116有「天露霜(あまのつゆしも) 取(と)れば消(け)につつ」之語。

1834 【承前,廿四十六。】

 梅花 咲落過奴 然為蟹 白雪庭爾 零重管

 梅花(うめのはな) 咲散過(さきちりす)ぎぬ 然(しか)すがに 白雪庭(しらゆきには)に 降頻(ふりしき)りつつ

 清雅梅花矣 花開花謝已盛過 雖如此為然 然見庭中沫雪者 頻降紛紛積皓白

佚名 1834

「咲散過(さきちりす)ぎぬ」,「過」乃時期已逝、時機不對之意。

「降頻(ふりしき)りつつ」,「頻(しき)る」乃多重之意。

1835 【承前,廿四十七。】

 今更 雪零目八方 蜻火之 燎留春部常 成西物乎

 今更(いまさら)に 雪降(ゆきふ)らめやも 陽炎(かぎろひ)の 燃(も)ゆる春邊(はるへ)と 成(なり)にし物(もの)を

 時節至今更 天上沫雪豈零哉 陽炎蜻火之 燎火燃兮裊煙起 更新春日已至矣

佚名 1835

陽炎(かぎろひ)の 燃(も)ゆる春邊(はるへ)と」,「陽炎(かぎろひ)」乃「陽炎(かげろふ)」之古形,由「魂極(たまかぎ)る」之「極(かぎ)る」+「火(ひ)」所組成。「燃(も)ゆる」表火焰或裊煙沖天之狀。「春邊(はるへ)」之「邊(へ)」表時節。

「成(なり)にし物(もの)を」,「物(もの)を」乃逆接接續助詞,但與禁止、取消、反語語句相連則亦可為順接,此為其例。


1836 【承前,廿四十八。】

 風交 雪者零乍 然為蟹 霞田菜引 春去爾來

 風交(かぜまじ)り 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ 然(しか)すがに 霞棚引(かすみたなび)き 春去(はるさ)りにけり

 交雜東風間 沫雪乍零降紛紛 雖如此為然 煙霞棚引懸霏霺 佐保春日既臨矣

佚名 1836

「風交(かぜまじ)り」,原文「風交」,而0892原文作「風雜」,中古歌集或訓「風交(かぜまぜ)に」,亦可訓作「風交(かぜまじ)へ」。



1837 【承前,廿四十九。】

 山際爾 鷪喧而 打靡 春跡雖念 雪落布沼

 山際(やまのま)に 鶯鳴(うぐひすな)きて 打靡(うちなび)く 春(はる)と思(おも)へど 雪降頻(ゆきふりしき)ぬ

 遙遙山際間 黃鶯報暖鳴聲喧 聞彼報暖者 以為打靡春既至 豈料零雪仍頻降

佚名 1837

「山際(やまのま)に」,「際」有之間、邊畔、境界等意。此作之間解。

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万葉集試訳

1802 反歌 【承前,其一。】

 古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奧城敘此

 古(いにしへ)の 小竹田壯士(しのだをとこ)の 妻問(つまど)ひし 菟原娘子(うなひをとめ)の 奧城(おくつき)ぞ是(これ)

 古老相傳云 曩昔壯士小竹田 問妻求婚之 菟原娘天香者 其奧津誠是於此

田邊福麻呂 1802

「小竹田壯士(しのだをとこ)」,向菟原處女求婚之小竹田青年,或云千沼壯士。小竹田,今大阪府和泉市信太(しのだ)一帶。較於當地之菟原壯士,菟原處女更傾心於小竹田壯士,而當時古俗不樂見與外地人通婚,故多所妨害,菟原處女遂而絕望自殺


1803 【承前,其二。】

 語繼 可良仁文幾許 戀布矣 直目爾見兼 古丁子

 語繼(かたりつ)ぐ からにも幾許(ここだ) 戀(こひ)しきを 直目(ただめ)に見(み)けむ 古壯士(いにしへをとこ)

 不過聞傳言 素昧平生如我者 興感甚幾許 往時壯士親眼見 感懷之深當何如

田邊福麻呂 1803

「語繼(かたりつ)ぐ からにも」,「からに」乃「即便僅是...卻」般,輕微的原因帶來重大的後果。

「古壯士(いにしへをとこ)」,其後省略「如何にか戀しくありけむ」之句。壯士或指小竹田壯士本人。

1804 哀弟死去作歌一首 【并短歌。】

 父母賀 成乃任爾 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穗之國爾 家無哉 又還不來 遠津國 黃泉乃界丹 蔓都多乃 各各向向 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思亂而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不云 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉

 父母(ちちはは)が 成隨(なしのまにま)に 箸向(はしむか)ふ 弟命(おとのみこと)は 朝露(あさつゆ)の 消易(けやす)き命(いのち) 神共(かみのむた) 爭兼(あらそひか)ねて 葦原(あしはら)の 瑞穗國(みづほのくに)に 家無(いへな)みや 復歸來(またかへりこ)ぬ 遠國(とほつくに) 黃泉境(よみのさかひ)に 延蔦(はふつた)の 己(おの)が向向(むきむ)き 天雲(あまくも)の 別(わか)れし行(ゆ)けば 闇夜如(やみよな)す 思惑(おもひまと)はひ 射(い)ゆ鹿(しし)の 心(こころ)を痛(いた)み 葦垣(あしかき)の 思亂(おもひみだ)れて 春鳥(はるとり)の 哭(ね)のみ泣(な)きつつ 味障(あぢさは)ふ 夜晝知(よるひるし)らず 陽炎(かぎろひ)の 心燃(こころも)えつつ 嘆(なげ)く別(わか)れぬ

 本是同根生 父母所產成隨矣 猶如箸一對 嗚呼親親吾胞弟 何以如朝霧 容易消散此命者 與神共相競 爭而難勝負此生 蓋是豐葦原 瑞穗中津此國間 失體無依哉 不復歸來非我家 更赴遠國之 黃泉之境九重地 延蔦枝岐兮 己身率性步迷途 穹際天雲兮 天人永隔別去者 闇夜知所如 迷茫思惑不知措 射鹿中矢兮 心痛哀絕殆毀滅 葦垣雜駁兮 千頭萬絮情意亂 春鳥之所如 鳴泣哭嚎啼慟聲 味障多合兮 不知晝夜所相代 陽炎虛飄邈 此心焦燃猶火宅 悲嘆相別送故人

田邊福麻呂 1804

「成隨(なしのまにま)に」,「成(なし)」表生子,「隨(まにま)に」乃順隨。

「箸向(はしむか)ふ」,生育而來如筷箸般雙雙成對。

「弟命(おとのみこと)は」,對死者之敬避表現

「消易(けやす)き命(いのち)」,其後省略「を以て」之語。

「神共(かみのむた)」,此神表掌握人類壽命之冥王。「共(むた)」乃「與共」而在此有與之對抗之意。

「爭兼(あらそひか)ねて」,「爭(あらそ)ひ」為抵抗之意。

「家無(いへな)みや」,「無(な)みや」乃み句法之反語疑問句。「家(いへ)」乃靈魂所宿之肉體。『日本靈異記』中 廿五 閻羅王使鬼受所召人之饗而報恩緣有「此非我家。」之語。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki02c.htm#25

「黃泉境(よみのさかひ)に」,「境(さかひ)」乃境界場所之意。

「延蔦(はふつた)の」,「己(おの)が向向(むきむ)き」之枕詞。蔦乃秋日紅葉葡萄科蔓性落葉植物,以其蔓四處延伸而言。

「闇夜如(やみよな)す」,「思惑(おもひまと)はひ」之枕詞

「「思惑(おもひまと)はひ」」,不知所措之狀。

「射(い)ゆ鹿(しし)の」,被弓矢射傷之鹿,「心(こころ)を痛(いた)み」之枕詞。見鹿為矢所創而心痛之貌。

「葦垣(あしかき)の」,「思亂(おもひみだ)れ」之枕詞。以葦所造之垣,容易雜亂而言。

「春鳥(はるとり)の」,「音(ね)のみ泣(な)く」之枕詞

「味障(あぢさは)ふ」,多半唯「目」之枕詞而此為「夜」枕詞

陽炎(かぎろひ)の」,「燃」之枕詞


1805 反歌 【承前,其一。】

 別而裳 復毛可遭 所念者 心亂 吾戀目八方【一云,意盡而。】

 別(わか)れても 復(また)も逢(あ)ふべく 思(おも)ほえば 心亂(こころみだ)れて 我戀(あれこ)ひめやも【一云(またにいふ)、心盡(こころつく)して。】

 今日別離後 其後若可得復逢 所念如此者 豈令情意萬絮亂 相思哀絕殆毀哉 【一云,豈令傾心盡情意 相思哀絕殆毀哉。】

田邊福麻呂 1805

「心亂(こころみだ)れて」,猶前曲長歌一般表現當為「思亂れ」而為避免與上句「思ほえば」重複而以「心」字置換之。

「心盡(こころつく)して」,傾注全心、全精神

1806 【承前,其二。】

 蘆檜木笶 荒山中爾 送置而 還良布見者 情苦喪

 足引(あしひき)の 荒山中(あらやまなか)に 送置(おくりお)きて 歸(かへ)らふ見(み)れば 心苦(こころぐる)しも

 足曳勢險峻 荒山之中幽深處 送置而歸來 吾今見彼行伍返 心痛情苦甚哀絕

田邊福麻呂 1806

 右七首,田邊福麻呂之歌集出。

「荒山中(あらやまなか)に 送置(おくりお)きて」,荒山乃人跡罕至之深山。葬送死者而將之遺置山中

「歸(かへ)らふ見(み)れば」,見到送葬之行伍歸來。

1807 詠勝鹿真間娘子歌一首 【并短歌。】

 雞鳴 吾妻乃國爾 古昔爾 有家留事登 至今 不絕言來 勝壯鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣爾 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髮谷母 搔者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹裹有 齋兒毛 妹爾將及哉 望月之 滿有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入爾 船己具如久 歸香具禮 人乃言時 幾時毛 不生物呼 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奧津城爾 妹之臥勢流 遠代爾 有家類事乎 昨日霜 將見我其登毛 所念可聞

 雞(とり)が鳴(な)く 東國(あづまのくに)に 古(いにしへ)に 有(あり)ける事(こと)と 今迄(いままで)に 絕(た)えず言(い)ひける 葛飾(かつしか)の 真間手兒名(ままのてごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿著(あをくびつ)け 純佐麻(ひたさを)を 裳(も)には織著(おりき)て 髮(かみ)だにも 搔(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに 履(は)かず行(ゆ)けども 錦綾(にしきあや)の 中(なか)に包(つつ)める 齋兒(いはひこ)も 妹(いも)に及(し)かめや 望月(もちづき)の 足(た)れる面(おも)わに 花如(はなのごと) 笑(ゑ)みて立(た)てれば 夏蟲(なつむし)の 火(ひ)に入(い)るが如(ごと) 湊入(みなとい)りに 舟漕(ふねこ)ぐ如(ごと)く 行集寄(ゆきかぐ)れ 人言(ひとのい)ふ時(とき) 幾時(いくばく)も 生(い)けらぬ物(もの)を 何(なに)すとか 身(み)をたな知(し)りて 波音(なみのおと)の 騷(さわ)く湊(みなと)の 奧津城(おくつき)に 妹(いも)が臥(こ)やせる 遠代(とほきよ)に 在(あり)ける事(こと)を 昨日(きのふ)しも 見(み)けむが如(ごと)も 思(おも)ほゆるかも

 雞鳴指拂曉 吾嬬者耶東國間 自於嚮古昔 所有之事往行者 流傳迄於今 口耳相承語不絕 葛飾勝鹿之 真間娘子手兒名 荒妙麻衣上 縫以青衿付布裳 手執取純麻 織作衣裳著身上 縱令烏玉之 青絲鉐不予梳 縱令淺沓之 不履其屣行步矣 雖然如此者 即便包裹錦綾中 明珠齋兒者 豈與汝妹能相及 望月之所如 渾圓飽滿面有光 妍花之所如 回眸一笑生媚者 人猶夏蟲之 飛蛾撲火聚來矣 又猶將入湊 漕舟榜船之所如 行集寄緣此 男子群聚求姻時 人生如朝露 石火光中不久長 何以急如此 走投無路迫己身 波音潮騷之 浪聲喧囂此湊矣 奧津城之間 汝妹長眠臥此處 雖是在遠代 曩古悠久往昔事 闢猶在昨日 歷歷在目之所如 吾人馳思念悽悽

高橋蟲麻呂 1807

「手兒名(てごな)」,「手兒」本意指以手抱起之幼兒,此引申指「少女」之用。

「青衿著(あをくびつ)け」,青衿指青色或竸之襟。鮮豔青冉薫甼漾め聴人之注目。

「純佐麻(ひたさを)を」,「純(ひた)」乃純粹,「佐(さ)」乃接頭語,「麻(を)」為自麻所取之纖維。

「髮(かみ)だにも」,「だに」乃「至少」之意。如果至少可取櫛梳髮就好了。後句「沓(くつ)をだに」用法亦同。

「沓(くつ)をだに」,「沓」乃草鞋、木鞋之總稱。此概藁草履之疇乎。然而,當時一般庶民如手兒名般赤腳出遊者多有。

「錦綾(にしきあや)の」,綾乃將種種模樣編織於下地之絹織物

「齋兒(いはひこ)も」,不令人輕易碰觸,細心呵護之深窗令孃。

「足(た)れる面(おも)わに」,「足れる」表圓滿。面容渾圓者之飽滿之相。

「行集寄(ゆきかぐ)れ」,「集寄(かぐ)れ」乃靠近聚集之意。

「幾時(いくばく)も 生(い)けらぬ物(もの)を」,此云人生短暫,既然無法久長,又何必急於一死。作者對手兒名投水自盡之行為予以批判之句。

「何(なに)すとか」,究竟為何?作何想而行之如此?持續至「妹(いも)が臥(こ)やせ」。

「臥(こ)やせる」,此云手兒名投水自盡之亡骸所葬之處。


1808 反歌 【承前。】

 勝壯鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家武 手兒名之所念

 葛飾(かつしか)の 真間井(ままのゐ)を見(み)れば 立平(たちなら)し 水汲(みづく)ましけむ 手兒名(てごな)し思(おも)ほゆ

 每見勝鹿之 葛飾真間之井者 馳思念古事 蟻通不絕汲井水 手兒名者猶眼前

高橋蟲麻呂 1808

「立平(たちなら)し」,因不斷往來汲水搬運之故,井邊之道已被踏平之比喻。當時以水納壺,盛於頭上而運之。

葛飾真間手兒名之死因,無論就卷三山部赤人之曲 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0431,或此歌皆難以晰之。然以本卷錄此歌於菟原處女歌旁,蓋因受復數男子追求,為阻止其相爭,因而投水自盡。

1809 見菟原處女墓歌一首 【并短歌。】

 葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時從 小放爾 髮多久麻弖爾 並居 家爾毛不所見 虛木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壯士 宇奈比壯士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 燒大刀乃 手頴押禰利 白檀弓 靫取負而 入水 火爾毛將入跡 立向 競時爾 吾妹子之 母爾語久 倭文手纏 賤吾之故 大夫之 荒爭見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黃泉爾將待跡 隱沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壯士 其夜夢見 取次寸 追去祁禮婆 後有 菟原壯士伊 仰天 叫於良妣 跪地 牙喫建怒而 如己男爾 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬敘蕷都良 尋去祁禮婆 親族共 射歸集 永代爾 標將為跡 遐代爾 語將繼常 處女墓 中爾造置 壯士墓 此方彼方二 造置有 故緣聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨

 葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 八歲子(やとせこ)の 片生時(かたおひのとき)ゆ 小放(をばな)りに 髮束迄(かみたくまで)に 並居(ならびを)る 家(いへ)にも見(み)えず 虛木綿(うつゆふ)の 隱(こも)りて居(を)れば 見(み)てしかと 悒憤(いぶ)せむ時(とき)の 垣穗為(かきほな)す 人問(ひとのと)ふ時(とき) 千沼壯士(ちぬをとこ) 菟原壯士(うなひをとこ)の 廬屋燒(ふせやた)き すすし競(きほ)ひ 相求婚(あひよば)ひ しける時(とき)は 燒太刀(やきたち)の 手頴押(たかみお)しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫取負(ゆきとりお)ひて 水(みづ)に入(い)り 火(ひ)にも入(い)らむと 立向(たちむか)ひ 競(きほ)ひし時(とき)に 我妹子(わぎもこ)が 母(はは)に語(かた)らく 倭文環(しつたまき) 賤(いや)しき我(わ)が故(ゆゑ) 大夫(ますらを)の 爭(あらそ)ふ見(み)れば 生(い)けりとも 逢(あ)ふべく有(あ)れや 獸串(ししくし)ろ 黃泉(よみ)に待(ま)たむと 隱沼(こもりぬ)の 下延置(したはへお)きて 打嘆(うちなげ)き 妹(いも)が去(い)ぬれば 千沼壯士(ちぬをとこ) 其夜夢(そのよいめ)に見(み) 取續(とりつづ)き 追行(おひゆ)きければ 後(おく)れたる 菟原壯士(うなひをとこ)い 天仰(あめあふ)ぎ 叫喚(さけびおら)び 地(つち)を踏(ふ)み 牙喫猛(きかみたけ)びて 如己男(もころを)に 負(ま)けては非(あら)じと 懸佩(かけは)きの 小太刀取佩(をだちとりは)き 冬薯蕷蔓(ところづら) 尋行(とめゆ)きければ 親族共(うがらどち) い行集(ゆきつど)ひ 永代(ながきよ)に 標(しるし)に為(せ)むと 遠代(とほきよ)に 語繼(かたりつ)がむと 娘子墓(をとめはか) 中(なか)に造置(つくりお)き 壯士墓(をとこはか) 此面彼面(このもかのも)に 造置(つくりお)ける 故緣聞(ゆゑよしき)きて 知(し)らねども 新喪如(にひものごと)も 哭泣(ねな)きつるかも

 攝國葦屋之 傾國菟原娘子矣 自其年八歲 青澀片生之時起 至青絲小放 婷婷玉立束髮時 縱令並居之 鄰家不見其姿形 虛腔木綿兮 隱居深窗藏其嬌 是以人欲見 汲汲焦急悒憤故 取圍化人垣 爭相問名求姻時 千沼壯士者 其與菟原壯士者 燔燒廬屋兮 血氣方剛相競而 全靈求婚合 當於此時壯士等 手執燒太刀 頴押其柄夬步 復取白真弓 背負箭靫奮雄誥 猶如將赴湯 更似蹈火不顧身 如此立向而 劍拔弩張相爭時 嗚呼娘紫矣 相語其母愁訴云 倭文鄙環兮 妾身卑賤位下微 今見大夫等 為吾之故相爭者 縱令吾存命 豈得末逢婚合耶 旨肉獸串兮 黃泉之下吾俟矣 如此申事而 隱沼下延匿真情 嗚呼欷歔矣 紅顏薄命撒手去 千沼壯士者 當夜夢見其倩影 絲毫不躊躇 追赴奔殉九泉下 先聲為所奪 後手菟原壯士者 仰天泣叫喚 稱羨妒嫉更哀毀 踏地蹴不止 喫緊牙關猛衝冠 心思如己者 丈夫豈將輙負哉 遂取懸佩之 小太刀者掛腰際 冬薯蕷蔓兮 追尋泉路亦捨生 是以親族等 行集群聚共相議 喻為千歲之 永代之後留其識 欲令萬世之 遠代之後口耳傳 故造娘子墓 居於真中建其間 復起壯士墓 此面彼面向兩側 如此造建矣 吾聞故緣事如此 委細雖不知 卻如新喪失考妣 悲毀哭號泣慟聲

高橋蟲麻呂 1809

「片生(かたお)ひ」,未成熟

「小放(をばな)りに 髮束迄(かみたくまで)に」,「小放り」乃未婚年輕女性之髮型。「束(た)く」乃束髮。

「虛木綿(うつゆふ)の」,「隱(こも)り」之枕詞

「見(み)てしかと」,「てしか」乃願望終助詞

「悒憤(いぶ)せむ時(とき)」,「悒憤(いぶ)」乃焦躁之狀。

「垣穗為(かきほな)す」,眾多男性圍繞求婚之狀。

「千沼壯士(ちぬをとこ)」,即小竹田壯士。地名竹田劃在千沼之內。

「菟原壯士(うなひをとこ)」,與菟原處女同鄉之年輕人首領

「廬屋燒(ふせやた)き」,蓋以焚燒廬屋之垂煤(すす)而為後句「すすし競(きほ)ひ」之枕詞

「すすし競(きほ)ひ」,「すすし」乃血氣方剛之狀。

「相求婚(あひよば)ひ」,「求婚(よば)ひ」乃以「夜這ひ」為語言之求婚。

「燒太刀(やきたち)」,一再鍛煉之鋒利大刀。

「手頴押(たかみお)しねり」,「手頴(たかみ)」乃劍柄之意。

「白真弓(しらまゆみ)」,白木之弓。

「倭文環(しつたまき)」,「賤(いや)し」之枕詞

「獸串(ししくし)ろ」,「黃泉(よみ)」之枕詞。「ろ」乃接尾語。以「旨肉(よみ)」與黃泉同音而來。

「隱沼(こもりぬ)の」,無出口之沼,「下延(したは)へ」之枕詞

「下延置(したはへお)き」,隱藏真意

「菟原壯士(うなひをとこ)い」,「い」用以強調主格。

「叫喚(さけびおら)び」,表悲嘆之激烈。

「地(つち)を踏(ふ)み」,踏地懊悔之狀。嫉妒千沼壯士與菟原處女在死后之世界相逢。

「如己男(もころを)」,能與自身匹敵男性

「冬薯蕷蔓(ところづら)」,「尋行(とめゆ)き」之枕詞

親族共(うがらどち)」,「親族(うがら)」乃肉親。

「此面彼面(このもかのも)」,「此面彼面(このおもかのおも)」之略。面表方面。以處女墓為中心,東西兩面設置兩壯士之求女塚。

「故緣(ゆゑよし)」,「故(ゆゑ)」乃原因、由來,「緣(よし)」乃情事



1810 反歌 【承前,其一。】

 葦屋之 宇奈比處女之 奧槨乎 徃來跡見者 哭耳之所泣

 葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奧城(おくつき)を 行來(ゆきく)と見(み)れば 哭(ね)のみし泣(な)かゆ

 攝國葦屋兮 傾國菟原娘子之 墓槨奧津城 每每徃來見之者 不覺慟聲泣哭號

高橋蟲麻呂 1810

「行來(ゆきく)と見(み)れば」,往時觀之、來時觀之,每每經過而見之者。

1811 【承前,其二。】

 墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壯士爾之 依家良信母

 墓上(はかのうへ)の 木枝靡(このえな)びけり 聞(き)きし如(ごと) 千沼壯士(ちぬをとこ)にし 寄(よ)りにけらしも

 今見處女墓 墳上木枝偃靡狀 果然如所聞 菟原娘子所傾心 蓋是千沼壯士哉

高橋蟲麻呂 1811

 右五首,高橋連蟲麻呂之歌集中出。

真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞挽歌 終

「木枝靡(このえな)びけり」,「靡(な)び」於此乃枝葉延伸之意。按大伴家持菟原處女墓追同歌,其樹蓋為黃楊。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m19.htm#4211

「寄(よ)りにけらしも」,「寄(よ)り」表傾心、慕想。「けらし」乃「けるらし」之略。

菟原處女傳說在爭妻譚中特別當時令眾人動容,中古以降亦被作為大和物語』百卌七段、謠曲「求塚」等生田川傳說之題材,而文章次第添瘧羮要素。


真字萬葉集 卷第十 四時雜歌、四時相聞

1812 雜歌 【七首第一。】

 久方之 天芳山 此夕 霞霏霺 春立下

 久方(ひさかた)の 天香具山(あめのかぐやま) 此夕(このゆふへ) 霞棚引(かすみたなび)く 春立(はるた)つらしも

 遙遙久方兮 聖哉天香具山上 此夕彩雲湧 煙霞霏霺懸峰頂 蓋是春日既臨哉

柿本人麻呂 1812

「久方(ひさかた)の」,天之枕詞。此蓋用指時間上之悠久。

「天香具山(あめのかぐやま)」,傳說自高天原降下之聖山

「霞棚引(かすみたなび)く」,漢籍中霞往往止煙霞,意指朝夕之彩雲日本則多指霞靄而特指春日景色。「棚引(たなび)く」原文「霏霺」,語源為描述雨雪沫零之「霏微」。

「春立(はるた)つらしも」,此非指曆法,乃依眼前事物之事實推定

1813 【承前,七首第二。】

 卷向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方

 卷向(まきむく)の 檜原(ひはら)に立(た)てる 春霞(はるかすみ) 欝(おほ)にし思(おも)はば 滯來(なづみこ)めやも

 吾思作何如 若猶卷向檜原間 所湧春霞之 所念迷濛凡俗者 豈涉萬險蹈來哉

柿本人麻呂 1813

「春霞(はるかすみ)」,以上三句,用以帶出「欝(おほ)に」之句。

「欝(おほ)に」,迷濛不確實。此云非真心、不認真。

「滯來(なづみこ)めやも」,不辭路險,翻山越嶺、附湯蹈火而來。

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2017-08-24-木

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万葉集試訳

1781 反歌 【承前。】

 海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八

 海道(うみつぢ)の 和(な)ぎなむ時(とき)も 渡(わた)らなむ 如斯立波(かくたつなみ)に 船出(ふなで)すべしや

 不若待海路 風平浪靜時可渡 何必急一時 如斯駭浪波濤湧 險象之間出船哉

高橋蟲麻呂 1781

 右二首,高橋連蟲麻呂之歌集中出。

「和(な)ぎなむ時(とき)も」,「和ぎな」原文作「名木名六」,甲乙混淆,故改之。「も」表希求。此云雖然無法令旅者常留於此,希望至少待到風靜時再行出發之心情。

本歌萬葉假名多用數字,蓋有其趣。

1782 與妻歌一首

 雪己曾波 春日消良米 心佐閉 消失多列夜 言母不徃來

 雪(ゆき)こそは 春日消(はるひき)ゆらめ 心(こころ)さへ 消失(きえう)せたれや 言(こと)も通(かよ)はぬ

 若為沫雪者 時值春日必消融 理宜逝無蹤 奈何君心亦不見 消息通信杳然

夫 1782

「雪(ゆき)こそは」,此逆接句法多作「こそば」而本歌為例外

「心(こころ)さへ 消失(きえう)せたれや」,疑問條件詞。此云春雪消融自為常理,然人心豈有忽然不見之道理哉?

1783 妻和歌一首 【承前。】

 松反 四臂而有八羽 三栗 中上不來 麻呂等言八子

 松返(まつがへ)り 癈(し)ひてあれやは 三栗(みつぐり)の 中上來(なかのぼりこ)ぬ 麻呂(まろ)と云(い)ふ奴(やつこ)

 松零復榮兮 汝豈癈之懵懂哉 一實三栗兮 任期之間不上洛 薄情之郎麻呂者

妻 1783

 右二首,柿本朝臣人麻呂之歌集中出。

「松返(まつがへ)り」,常兢祥娑貉凋零而隨即又生新冉狀。「癈(し)ふ」之枕詞。4014有大伴家持詠「松返(まつがへ)り 癈(し)ひにてあれ哉(かも)」以非難失去愛鷹之鷹將之曲。

「癈(し)ひてあれやは」,反語疑問條件。「癈ふ」乃懵懂、恍神、茫然自失之狀,失去感覺而機能不全。

「中上來(なかのぼりこ)ぬ」,此云國司赴任地方之間,不上京來探問妻子。

「麻呂(まろ)と云(い)ふ奴(やつこ)」,責難夫君冷落之狀。


1784 贈入唐使歌一首

 海若之 何神乎 齋祈者歟 徃方毛來方毛 船之早兼

 海神(わたつみ)の 何神(いづれのかみ)を 祈(いの)らばか 行(ゆ)くさも來(く)さも 船速(ふねのはや)けむ

 吾人有所思 海若之神非一矣 當齋祈何神 方得令船徃來間 皆速好去復好來

佚名 1784

 右一首,渡海年記未詳。

海神(わたつみ)」,原文海若者,按『昭明文選海神常以童形顯身而為也。

「行(ゆ)くさも來(く)さも」,「さ」表時期。

1785 神龜五年戊辰秋八月歌一首 【并短歌。】

 人跡成 事者難乎 和久良婆爾 成吾身者 死毛生毛 公之隨意常 念乍 有之間爾 虛蟬乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治爾登 朝鳥之 朝立為管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者將戀奈 不見久有者

 人(ひと)と成(な)る 事(こと)は難(かた)きを 邂逅(わくらば)に 成(な)れる我(あ)が身(み)は 死(し)にも生(い)きも 君(きみ)が隨(まにま)と 思(おも)ひつつ 在(あり)し間(あひだ)に 空蟬(うつせみ)の 世人成(よのひとな)れば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 天離(あまざか)る 鄙治(ひなをさ)めにと 朝鳥(あさとり)の 朝立(あさだ)ちしつつ 群鳥(むらとり)の 群立行(むらだちゆ)かば 留居(とまりゐ)て 我(あれ)は戀(こ)ひむな 見(み)ず久(ひさ)ならば

 三界六道間 得生人道誠難矣 偶然僥倖而 獲命為人我身者 無論死有或本有 欲任吾君乙麻呂 吾人念如此 心思所至而在頃 空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 天離日已遠 鄙夷遠國將所治 曦晨朝鳥兮 成群翱翔飛去者 後居留此地 吾人將苦相思情 離別日久不見者

笠金村 1785

「人(ひと)と成(な)る 事(こと)は難(かた)きを」,此乃佛教輪迴轉生思想,以為六道之中難生為人,得來不易

「死(し)にも生(い)きも」,無論生時或死際。佛教思想四有:本有(現生)、死有(臨終)、中有(死而未輪迴)、生有(出生)。http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/shiu.html

「君(きみ)が隨(まにま)と」,此君指拜命越前守之石上朝臣乙麻呂。

「在(あり)し間(あひだ)に」,此指上句事態(作者欲一生歸隨石上乙麻呂)之延續,而下接始料未及之事態(乙麻呂忽然受命任越前國守)。

「空蟬(うつせみ)の 世人成(よのひとな)れば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み」,亦見於『萬葉集』1453 笠金村歌。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1453 「大君の 命恐み」,0369亦有官人必須服從敕命之語。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0369

「天離(あまざか)る」,遠離朝廷,「鄙」之枕詞

「群鳥(むらとり)の」,「立(た)ち」之枕詞

「群立行(むらだちゆ)かば」,此云多數眾人一齊出發。

1786 反歌 【承前。】

 三越道之 雪零山乎 將越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背

 御越道(みこしぢ)の 雪降(ゆきふ)る山(やま)を 越(こ)えむ日(ひ)は 留(とま)れる我(あれ)を 懸(か)けて偲(しの)はせ

 指越前而去 越道零雪愛發山 將登越之日 願汝懸偲置心頭 還念吾人留置

笠金村 1786

「御越道(みこしぢ)の」,前往越前國之道路

「雪降(ゆきふ)る山(やま)を」,愛發山。而按本歌時期,其雪未降。蓋作者想像行者往北而去之推斷。

「懸(か)けて偲(しの)はせ」,「懸(か)けて」表心繫。


1787 天平元年己巳冬十二月歌一首 【并短歌。】

 虛蟬乃 世人有者 大王之 御命恐彌 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里爾 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈禮奴 每見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾齒曾戀流 妹之直香仁

 空蟬(うつせみ)の 世人成(よのひとな)れば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 礒城島(しきしま)の 大和國(やまとのくに)の 石上(いそのかみ) 布留里(ふるのさと)に 紐解(ひもと)かず 丸寢(まろね)をすれば 我(あ)が著(き)たる 衣(ころも)は褻(な)れぬ 見(み)る每(ごと)に 戀(こひ)は(ま)されど 色(いろ)に出(いで)ば 人知(ひとし)りぬべみ 冬夜(ふゆのよ)の 明(あか)しも得(え)ぬを 眠(い)も寢(ね)ずに 我(あれ)はそ戀(こ)ふる 妹(いも)が直香(ただか)に

 空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 浦安城島 真秀秋津大和國 石上神宮 布留之地鄉里間 衣紐不予解 著裳丸寢草枕者 吾人之所著 服者穢污敝褻之 綏然每見之 更添慕妻愁相思 然恐作於色 將為人知顯吾懷 漫漫冬夜之 悽涼難明此長夜 輾轉難入眠 吾人不寢唯思念 親親妹兒直香矣

笠金村 1787

「礒城島(しきしま)の」,大和枕詞。或云以欽明帝皇居城島金刺宮之名而來。

大和國(やまとのくに)の」,此大和國概以礒城為中心、含部分山邊、十市之狹義範圍。

「紐解(ひもと)かず 丸寢(まろね)をすれば」,丸寢乃羈旅時不脫衣物而寢者。不解紐者,古俗戀人相別之際,互相結紐,直至在會之時不解之,則能早日相逢。

「衣(ころも)は褻(な)れぬ」,衣物因長時著用而破爛汙穢之狀。行旅在外,不甚便利之表現

「色(いろ)に出(いで)ば」,露現於臉色上。

「妹(いも)が直香(ただか)に」,直香本意為該人故有之體味,轉作代表該人之用。


1788 反歌 【承前反歌第一。】

 振山從 直見渡 京二曾 寐不宿戀流 遠不有爾

 布留山(ふるやま)ゆ 直(ただ)に見渡(みわた)す 都(みやこ)にそ 眠(い)も寢(ね)ず戀(こ)ふる 遠(とほ)から無(な)くに

 自於石上振 布留之山直望者 寧樂平城京 輾轉難眠總思戀 分明所去不遠矣

笠金村 1788

「直(ただ)に見渡(みわた)す」,「直に」表直接。自布留去平城京東南隅,凡八公里。


1789 反歌 【承前反歌第二。】

 吾妹兒之 結手師紐乎 將解八方 絕者絕十方 直二相左右二

 我妹子(わぎもこ)が 結(ゆ)ひてし紐(ひも)を 解(と)かめやも 絕(た)えば絕(た)ゆとも 直(ただ)に逢迄(あふまで)に

 親親吾妹子 誠心手結此紐矣 豈宜輙解之 紐縱將絕直令絕 迄至再逢更不解

笠金村 1789

 右件五首,笠朝臣金村之歌中出。

「我妹子(わぎもこ)が 結(ゆ)ひてし紐(ひも)を」,相誓再會前不解之衣紐。

「絕(た)えば絕(た)ゆとも」,以下省略代表放任之意的「良し」。


1790 天平五年癸酉,遣唐使舶發難波入海之時,親母贈子歌一首 【并短歌。】

 秋芽子乎 妻問鹿許曾 一子二 子持有跡五十戶 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齋戶爾 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 真好去有欲得

 秋萩(あきはぎ)を 妻問(つまど)ふ鹿(かこ)そ 獨子(ひとりこ)に 子持(こも)てりと云(い)へ 鹿子(かこ)じもの 我(あ)が獨子(ひとりこ)の 草枕(くさまくら) 旅(たび)にし行(ゆ)けば 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫垂(ぬきた)れ 齋瓮(いはひへ)に 木綿取垂(ゆふとりし)でて 齋(いは)ひつつ 我(あ)が思(おも)ふ我子(あがこ) 真幸(まさき)く有(あ)りこそ

 面秋萩芽子 慇懃問妻牡鹿矣 人云彼壯鹿 當擁其後有獨子 鹿子之所如 吾人膝下獨子矣 草枕客他鄉 今將啟行渡滄溟 取竹玉管玉 繁列無間貫垂之 奉持祝齋瓮 木綿懸兮以掛之 齋戒慎不怠 只願吾心所掛子 真幸無恙好去來

遣唐使母 1790

「獨子(ひとりこ)に 子持(こも)てりと云(い)へ」,鹿乃一產一子之動物。用作引出己身獨子之序。

「鹿子(かこ)じもの」,雖非鹿子,卻猶鹿子。

「繁(しじ)に」,綿密無間斷。

「真幸(まさき)く有(あ)りこそ」,「真幸く」乃無恙,而「こそ」表希求

本歌,祭神之段,多與『萬葉集』0379 大伴坂上郎女祭神歌相類。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0379


1791 反歌 【承前。】

 客人之 宿將為野爾 霜降者 吾子羽裹 天乃鶴群

 旅人(たびひと)の 宿為(やどりせ)む野(の)に 霜降(しもふ)らば 吾子羽裹(あがこはぐく)め 天(あめ)の鶴群(たづむら)

 客人行旅者 將為假宿原野間 若天降霜者 還願以羽裹吾子 翱翔天際鶴群矣

遣唐使母 1791

「羽裹(はぐく)め」,「羽裹(はぐく)む」乃以羽毛包覆之狀,親鳥以雙翼守護雛鳥之意。


1792 思娘子作歌一首 【并短歌。】

 白玉之 人乃其名矣 中中二 辭緒下延 不遭日之 數多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手爾取持而 真十鏡 直目爾不視者 下檜山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虛歟毛

 白玉(しらたま)の 人(ひと)の其名(そのな)を 中中(なかなか)に 言(こと)を下延(したは)へ 逢(あ)はぬ日(ひ)の 數多(まね)く過(す)ぐれば 戀(こ)ふる日(ひ)の 重(かさ)なり行(ゆ)けば 思遣(おもひや)る 方便(たどき)を知(し)らに 肝向(きもむか)ふ 心碎(こころくだ)けて 玉襷(たまたすき) 懸(か)けぬ時無(ときな)く 口止(くちや)まず 我(あ)が戀(こ)ふる子(こ)を 玉釧(たまくしろ) 手(て)に取持(とりも)ちて 真十鏡(まそかがみ) 直目(ただめ)に見(み)ねば 下緋山(したひやま) 下行(したゆ)く水(みづ)の 上(うへ)に出(いで)ず 我(あ)が思(おも)ふ心(こころ) 安(やす)きそらかも

 白玉之所如 窈窕娘子之名矣 優柔且寡斷 不作言語心中 相離不得逢 其日數多既已逝 心愁憂相思 日積月累苦更添 雖欲晴此念 苦於無方不知便 肝腑相向兮 吾心哀痛碎亂千 玉襷掛手繦 無時不刻莫懸心 呢喃訴不斷 吾人所戀娘子矣 華美玉釧兮 願得手持貼肌身 清澄真十鏡 還願親眼得拜眉 以其不可得 遂猶緋山下行水 伏流不顯出 吾之念情奔澎湃 雖然隱匿豈得安

田邊福麻呂 1792

「中中(なかなか)に」,不上不下。對現狀不滿之情。

「言(こと)を下延(したは)へ」,「下延へ」乃不出於表面而深藏內心之狀。『古事記』仁記有「隱處の 下よ延つつ 行くは誰夫」之語。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krk02.htm#k0056

「數多(まね)く」,表日數或回數之多。

「思遣(おもひや)る」,一解心中鬱悶。

方便(たどき)を知(し)らに」,「方便」乃手段方法之意。

「肝向(きもむか)ふ」,「心」枕詞。內臟相向之意。

「心碎(こころくだ)けて」,心中意亂,如碎為破片。

「口止(くちや)まず」,不斷呼喚。難隱心中情念,而喃喃道出,不斷自語之狀。

「真十鏡(まそかがみ)」,「目」之枕詞

「下緋山(したひやま)」,染作紅葉秋山

「下行(したゆ)く水(みづ)の」,「下」乃人目所不及處。或云伏流之水,或為秋山木陰所蔽。此為「上(うへ)に出(いで)ず」之序。

「安(やす)きそらかも」,反語語氣。


1793 反歌 【承前反歌第一。】

 垣保成 人之梦罅“帽畩悄”堊日數多 月乃經良武

 垣穗為(かきほな)す 人垳(ひとのよここと) 繁(しげ)みかも 逢(あ)はぬ日數多(ひまね)く 月經(つきのへ)ぬらむ

 眾聚如垣穗 慮穿慮貎喩鱒検^紛佳狗語 不逢之時時已久 不覺累日已經月

田邊福麻呂 1793

「垣穗為(かきほな)す」,「垣穗(かきほ)」乃高聳之圍牆。此云多人圍繞,指謫非難之狀。

「垳(よここと)」,以離間為目的中傷

「月經(つきのへ)ぬらむ」,月份已改。

則怪自身缺乏勇氣,在意世間蜚語而避不見面。以旁觀視角表現之曲。

1794 反歌 【承前反歌第二。】

 立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天

 立變(たちかは)り 月重(つきかさ)なりて 逢(あ)はねども 寔忘(さねわす)らえず 面影(おもかげ)にして

 立易經盈闕 累月重兮日已久 雖然不得逢 然吾刻骨永銘心 絲毫不忘汝面影

田邊福麻呂 1794

 右三首,田邊福麻呂之歌集出。

「立變(たちかは)り」,日經月改。

「寔忘(さねわす)らえず」,「さね」乃取消與呼應之陳述副詞。有然而私毫、完全之意。


挽歌

1795 宇治若郎子(菟道稚郎子)宮所歌一首

 妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟

 妹等許(いもらがり) 今木嶺(いまきのみね)に 茂立(しげりた)つ 夫松木(つままつのき)は 古人見(ふるひとみ)けむ

 窈窕妹許兮 今將來也今木嶺 榮茂屹聳立 待俟良人夫松木 故人當覽彼光儀

柿本人麻呂 1795

「妹等許(いもらがり)」,以「今來(いまき)」帶出地名「今木嶺(いまきのみね)」之枕詞

「夫松木(つままつのき)は」,「松(まつ)」、「待(ま)つ」雙關。

「古人見(ふるひとみ)けむ」,古人,此云菟道稚郎子。


1796 紀伊國作歌四首 【其一。】

 黃葉之 過去子等 攜 遊礒麻 見者悲裳

 黃葉(もみちば)の 過(す)ぎにし子等(こら)と 攜(たづさ)はり 遊(あそ)びし礒(いそ)を 見(み)れば悲(かな)しも

 紅葉凋零兮 香銷玉沉吾妻矣 每見攜子手 相遊盡歡礒邊者 觸景生情更悲慟

柿本人麻呂 1796

「黃葉(もみちば)の」,「過(す)ぐ」之枕詞

「過(す)ぎにし子等(こら)と」,輓歌中常避諱直言「死」字,多用「過」字代之。原文「過去」乃過逝之意。

1797 【承前,其二。】

 鹽氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曾來

 潮氣立(しほけた)つ 荒礒(ありそ)には在(あ)れど 行水(ゆくみづ)の 過(す)ぎにし妹(いも)が 形見(かたみ)とぞ來(こ)し

 此雖漫潮香 平凡鹽氣荒礒者 逝水如斯兮 玉碎香銷愛妻之 追憶之地吾來翫

柿本人麻呂 1797

「荒礒(ありそ)には在(あ)れど」,他人眼中不過是平凡無奇之景色

「行水(ゆくみづ)の」,「過(す)ぐ」之枕詞

萬葉集』0047 輕皇子宿于安騎野時,柿本朝臣人麻呂作歌「真草刈る 荒野にはあれど 黃葉の 過ぎにし君の 形見とぞ來し」與本歌形式、意境相仿。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m01.htm#0047


1798 【承前,其三。】

 古家丹 妹等吾見 邏滅掘ゝ從概輅乎 見佐府下

 古(いにしへ)に 妹(いも)と我(わ)が見(み)し 烏玉(ぬばたま)の 邉躋(くろうしがた)を 見(み)れば寂(さぶ)しも

 往日曩昔時 愛妻與吾所共覽 漆遽╋妄臓●邉軫軍禪執昭圈每見心寂情鬱鬱

柿本人麻呂 1798

「古(いにしへ)に」,此云令人懷念之往日。

「見(み)れば寂(さぶ)しも」,「寂(さぶ)」表心情不快

1799 【承前,其四。】

 玉津嶋 礒之裏未之 真名子仁文 爾保比去名 妹觸險

 玉津島(たまつしま) 礒浦迴(いそのうらみ)の 真砂(まなご)にも 匂(にほ)ひて行(ゆ)かな 妹(いも)も觸(ふ)れけむ

 紀洲玉津島 礒岸浦迴真砂矣 還願往其浦 觸彼白砂為其染 吾妻昔日觸所以

柿本人麻呂 1799

 右五首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

真砂(まなご)にも」,「真砂(まなご)」表細砂。「も」表如今妻子既亡,無以相逢,至少觸得妻子在世之時所觸碰過之沙。

「匂(にほ)ひて行(ゆ)かな」,觸碰真砂而衣物為期沾白之狀。「な」為表意志之終助詞


1800 過足柄坂,見死人作歌一首

 小垣內之 麻矣引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帶矣三重結 苦伎爾 仕奉而 今谷裳 國爾退而 父妣毛 妻矣毛將見跡 思乍 徃祁牟君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂爾 和靈乃 服寒等丹 烏玉乃 髮者亂而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進爾 此間偃有

 小垣內(をかきつ)の 麻(あさ)を引干(ひきほ)し 妹汝(いもな)ねが 作著為(つくりきせ)けむ 白栲(しろたへ)の 紐(ひも)をも解(と)かず 一重結(ひとへゆ)ふ 帶(おび)を三重結(みへゆ)ひ 苦(くる)しきに 仕奉(つかへまつ)りて 今(いま)だにも 國(くに)に罷(まか)りて 父母(ちちはは)も 妻(つま)をも見(み)むと 思(おも)ひつつ 行(ゆ)きけむ君(きみ)は 雞(とり)が鳴(な)く 東國(あづまのくに)の 恐(かし)こきや 神御坂(かみのみさか)に 和妙(にきたへ)の 衣寒(ころもさむ)らに 烏玉(ぬばたま)の 髮(かみ)は亂(みだ)れて 國問(くにと)へど 國(くに)をも告(の)らず 家問(いへと)へど 家(いへ)をも言(い)はず 大夫(ますらを)の 行隨(ゆきのまにま)に 此處(ここ)に臥(こ)やせる

 狹小墻垣間 千引干曬刈麻而 妻女妹汝矣 汝命所作為著之 素妙白栲之 衣紐常繫不予解 本為一重結 其帶三重更相結 羸弱瘦骨瘁 苦心侍奉全其務 還望立歸鄉 罷至故土還鄉里 得以拜父母 與妻相見復逢晤 心中掛此念 下向徃赴汝君者 雞鳴指拂曉 吾嬬者耶東國之 戒慎惶恐兮 神靈所坐御坂間 和妙柔絹織 薄衣冷冽沁骨寒 漆遽╋妄臓\偵玄髮猶亂紊 雖然問故里 無人相告國之向 縱然問己家 莫有言家在何方 壯士大夫之 歸心似箭更隨情 倒臥此處不復起

田邊福麻呂 1800

「小垣内(をかきつ)の」,「を」或表狹小,或為單純接頭語。

「妹汝(いもな)ねが」,「汝(な)」乃對女性親人所用之昵稱。

「一重結(ひとへゆ)ふ 帶(おび)を三重結(みへゆ)ひ」,原本迴繞一圈之腰帶如今迴繞三圈,表變瘦之狀。

「仕奉(つかへまつ)り」,一般伺候君長或奉公,而此指完成任務。當時,壯丁為納稅而為仕丁、衛士,或為雇役之民而上京

「今(いま)だにも」,如今立刻,迫不及待之狀。

「雞(とり)が鳴(な)く」,「東(あづま)=吾夫」之枕詞。以「雞鳴矣,吾夫當起之。」掛之。

「東國(あづまのくに)」,東國範圍有多說,此指足柄、碓冰兩峠之東而言。

「恐(かし)こきや」,や乃間投助詞

「神御坂(かみのみさか)」,荒神阻礙旅人越過山川之傳說,所在多有。足柄峠以險阻聞名,古以為神祟。

「和妙(にきたへ)」,以細柔纖維所織之絹布。原文「和靈」者或為意訓。

「烏玉(ぬばたま)の」,髮之枕詞

「行隨(ゆきのまにま)に」,「隨(まにま)に」乃任隨之意。

「臥(こ)やせる」,倒臥之狀。為營造平城京之役民,於歸鄉途中餓死者眾,可見和銅五年詔:「諸國役民,還鄉之日,食糧絕乏,多饉道路,轉填溝壑,其類不少。國司等宜勤加撫養,量賑恤。如有死者,且加埋葬,錄其姓名,報本屬也。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syokki/syokki05.htm#skk05_03



1801 過葦屋處女墓時作歌一首 【并短歌。】

 古之 益荒丁子 各競 妻問為祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奧城矣 吾立見者 永世乃 語爾為乍 後人 偲爾世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人每 行因 射立嘆日 或人者 啼爾毛哭乍 語嗣 偲繼來 處女等賀 奧城所 吾并 見者悲喪 古思者

 古(いにしへ)の 益壯士(ますらをとこ)の 相競(あひきほ)ひ 妻問(つまど)ひしけむ 葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奧城(おくつき)を 我(わ)が立見(たちみ)れば 永世(ながきよ)の 語(かた)りにしつつ 後人(のちひと)の 偲(しの)ひに為(せ)むと 玉桙(たまほこ)の 道邊近(みちのへちか)く 岩構(いはかま)へ 造(つく)れる塚(つか)を 天雲(あまくも)の 退邊極(そきへのきは)み 此道(このみち)を 行人每(ゆくひとごと)に 行寄(ゆきよ)りて い立嘆(たちなげ)かひ 或人(あるひと)は 哭(ね)にも泣(な)きつつ 語繼(かたりつ)ぎ 偲繼來(しのひつぎく)る 娘子等(をとめら)が 奧城處(おくつきところ) 我(われ)さへに 見(み)れば悲(かな)しも 古思(いにしへおも)へば

 曩古往昔時 益荒壯士丈夫等 爭相各競而 問妻求姻之所云 攝國葦屋之 傾國菟原娘子之 墓所奧津城 吾人佇立觀之者 於此有所思 欲為永世所相傳 能令後人偲 遂作此歌以追念 玉桙石柱兮 大道之傍近邊處 砌石構岩而 精心所造此塚矣 縱令天雲之 浩瀚彼端之極處 步經過此道 通行之人每至此 緣來寄斯墓 不禁吐息發愁歎 或人觸傷感 哭泣鳴啼慟失聲 如此口耳傳 相語相偲繼來矣 嗚呼娘子 地下有知奧城處 素昧一如我 見其墓所亦心悲 縱情神遊思古者

田邊福麻呂 1801

「葦屋處女」,傳說中之美女

「益壯士(ますらをとこ)の」,此云傳說中爭奪葦屋處女之小竹田壯士、菟原壯士。

「妻問(つまど)ひしけむ」,求婚。「けむ」表對過去事情之傳聞。

「奧城(おくつき)」,墓所。奧表土之深處,城乃堅固之構造物。此云神戶御影塚町之處女塚。其東西各有名作求女塚之古墳,傳別為小竹田壯士、菟原壯士之墓。https://nippon1000parks.blogspot.tw/2013/08/4461000.html

「退邊(そきへ)」,遠隔之處。

「我(われ)さへに」,連作者這般毫無關聯者,聽聞傳說亦有所興感。

無明長夜無明長夜 2017/08/25 23:44 真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。

無明長夜無明長夜 2017/08/26 00:04 もう夏は終わりですね。

秋は生石高原(和歌山縣)に行くと気持ちがいいですよ。

岩の上に座り、草花と一緒に風にあたって空を見上げ、雲を指差して。

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2017-08-15-火

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万葉集試訳

1763 沙彌女王歌一首

 倉橋之 山乎高歟 夜牢爾 出來月之 片待難

 倉椅(くらはし)の 山(やま)を高(たか)みか 夜隱(よごも)りに 出來(いでく)る月(つき)の 片待難(かたまちがた)き

 概為闇椅兮 倉橋山勢高嶮故 夜月為嶺蔽 遲出浮現皎月之 徐徐不現苦待矣

沙彌女王 1763

 右一首,間人宿禰大浦歌中既見。但末一句相換。亦作歌兩主,不敢正指,因以累載。

「片待難(かたまちがた)き」,0290有間人大浦異傳歌,此句作「光乏しき」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0290

1764 七夕歌一首 【并短歌。】

 久堅乃 天漢爾 上鷦ぁー邏凝惑掘_灼攫ぁ船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息來益常 玉橋渡須

 久方(ひさかた)の 天川(あまのがは)に 上(かみつせ)に 玉橋渡(たまはしわた)し 下(しもつせ)に 舟浮据(ふねうけす)ゑ 雨降(あめふ)りて 風吹(かぜふ)かずとも 風吹(かぜふ)きて 雨降(あめふ)らずとも 裳濡(もぬ)らさず 止(やま)ず來坐(きま)せと 玉橋渡(たまはしわた)す

 遙遙久方兮 迢迢銀河天之川 欲於彼上鵝_誉澡牟桐船渡 冀於彼下鵝/以舟船浮水上 縱令雨零而 狂風不吹嵐凪時 抑或勁風拂 時雨不降天霽日 不令裳沾濕 絡繹不絕得常來 故造玉橋助逢

藤原房前 1764

「玉橋渡(たまはしわた)し」,玉乃美稱,此云為迎接來訪之夫君,而架設打橋。

「舟浮据(ふねうけす)ゑ」,「据(す)ゑ」乃定置令其不動。船橋者,不設杭柱,並列舟船而於其上鋪設木頭、橋板而成。

「雨降(あめふ)りて 風吹(かぜふ)かずとも 風吹(かぜふ)きて 雨降(あめふ)らずとも」,無論何種天候。為詩詞求變化之語法,實質意義輕微。

「裳濡(もぬ)らさず」,裳一般女性衣物,此乃男性著用之例。本來七夕傳說,中國多書織女度橋而來,而日本多為牽牛來訪。


1765 反歌 【承前。】

 天漢 霧立渡 且今日今日 吾待君之 船出為等霜

 天川(あまのがは) 霧立渡(きりたちわた)る 今日今日(けふけふ)と 我(あ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも

 銀河天之川 水沫化霧漫一面 蓋在今日歟 望穿秋水焦心盼 所待吾君出船來

藤原房前 1765

 右件歌,或云:「中衛大將藤原北卿宅作也。」

「霧立(きりた)ち」,水沫化霧。推測男方划槳而至。

「我(あ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも」,按本反歌,彥星划船而來,非經渡橋,亦非織女前去。


1766 振田向宿禰退筑紫國時歌一首

 吾妹兒者 久志呂爾有奈武 左手乃 吾奧手二 纏而去麻師乎

 我妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)に在(あ)らなむ 左手(ひだりて)の 我(あ)が奧手(おくのて)に 卷(ま)きて去(い)な益(まし)を

 親親吾妹矣 還願汝能為釧飾 如此為然者 可纏汝於我奧手 肌身不離同去矣

振田向 1766

「振田向宿禰」,傳為詳。蓋振(ふる)氏,名田向。『日本書紀』天武紀有布留(ふる)連受賜宿禰姓之記載

「釧(くしろ)に在(あ)らなむ」,「釧」為以金屬、玉石、貝類所製,佩帶於手腕、手肘之裝飾品。「なむ」為表希求之終助詞

左手(ひだりて)の 我(あ)が奧手(おくのて)」,古代日本,以左手為貴,尊過右手。奧手乃重視、呵護之手。

1767 拔氣大首任筑紫時,娶豐前國娘子紐兒作歌三首

 豐國乃 加波流波吾宅 紐兒爾 伊都我里座者 革流波吾家

 豐國(とよくに)の 香春(かはる)は我家(わぎへ) 紐兒(ひものこ)に い繫(つ)がり居(を)れば 香春(かはる)は我家(わぎへ)

 天瑞地豐草 豐國香春吾家矣 以其紐兒之 所繫相居同棲故 香春之鄉吾家矣

拔氣大首 1767

「豐前國」,『豐後國風土記』云:「天皇於茲歡喜之有,即敕菟名手云:「天之瑞物,地之豐草。汝之治國,可謂豐國!」重賜姓曰豐國直,因曰豐國。後分兩國。 」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/bungo/bungo00.htm

「紐兒」,傳未詳,或云遊行女婦之疇。敕令禁止中央官人於任地迎娶部內女子,然實際上多有取現地妻之案例。

「い繫(つ)がり居(を)れば」,「い」乃接頭語,「繫(つ)がる」乃「繫(つな)がる」之意,豐前方言「つがる」為動物交尾之意。

1768 【承前。】

 石上 振乃早田乃 穗爾波不出 心中爾 戀流比日

 石上(いそのかみ) 布留早稻田(ふるのわさだ)の 穗(ほ)には出(いで)ず 心中(こころのうち)に 戀(こ)ふる此頃(このころ)

 石上神宮 布留之地早稻田 其穗未出而 雖不可見無人曉 戀慕懷衷在此頃

拔氣大首 1768

石上(いそのかみ) 布留早稻田(ふるのわさだ)の」,引出「穗(ほ)には出(いで)ず」之序。

此云雖然外表故作冷靜,而內心戀慕情盛,不能自已。


1769 【承前。】

 如是耳志 戀思度者 靈剋 命毛吾波 惜雲奈師

 如是(かく)のみし 戀(こひ)し渡(わた0れば 靈剋(たまきは)る 命(いのち)も我(あれ)は 惜(を)しけくも無(な)し

 若得如是耳 終日戀慕懸心者 靈剋魂極兮 縱失我此須臾命 甘之如飴無所惜

拔氣大首 1769

「靈剋(たまきは)る」,「命(いのち)」之枕詞。「剋」與「刻」同。

「惜(を)しけく」,形容詞「惜(を)く」之く句法。

1770 大神大夫長門守時,集三輪河邊宴歌二首

 三諸乃 神能於婆勢流 泊鷁蓮/緘之不斷者 吾忘禮米也

 三諸(みもろ)の 神帶(かみのお)ばせる 泊鸚(はつせがは) 水脈(みを)し絕(た)えずは 我忘(われわす)れめや

 御諸三輪山 大神所配御帶之 長谷泊鸚遏〔扮簑郷緝絕間 吾身豈有忘情時

三輪高市麻呂 1770

「三諸(みもろ)の 神帶(かみのお)ばせる」,三輪山大神。此以三輪山為言。泊鸚鈬綛三輪山麓,如神之腰帶。

「水脈(みを)し絕(た)えずは」,以恆久不變之自然景物表示情意之貞堅。

「我忘(われわす)れめや」,主語三輪高市麻呂,不忘之對象或為宴席上大神一族後志,或為身為其間一員之榮耀。

1771 【承前。】

 於久禮居而 吾波也將戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者

 後居(おくれゐ)て 我(あれ)はや戀(こ)ひむ 春霞(はるかすみ) 棚引山(たなびくやま)を 君(きみ)が越去(こえい)なば

 後居守家中 吾將相思慕情宜 一旦兩相別 春霞棚引彼山頭 君之越去旅出者

三輪高市麻呂 1771

 右二首,古集中出。

「後居(おくれゐ)て」,出行人離開後留下來之人。

1772 大神大夫筑紫國時,阿倍大夫作歌一首

 於久禮居而 吾者哉將戀 稻見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故爾

 後居(おくれゐ)て 我(あれ)はや戀(こ)ひむ 印南野(いなみの)の 秋萩見(あきはぎみ)つつ 去(い)なむ子故(こゆゑ)に

 後居守家中 吾將相思慕情宜 每見印南野 秋萩芽子花咲時 念及去筑紫兒故

安倍廣庭 1772

大神大夫」,未詳。或云三輪高市麻呂,而該人吾赴任筑紫之紀錄。

阿倍大夫」,或云安倍廣庭,未有定論。阿倍氏乃大化前代有力氏族,有引田、布勢、狛等分家亦稱本姓安倍。除廣庭外,亦有首名、秋麻呂、船守、真君、爾閉等候補

「印南野(いなみの)の 秋萩見(あきはぎみ)つつ」,一般筑紫者多取海路,此以經播磨加古川邊之陸路者,蓋作者依想像而詠之哉。

「去(い)なむ子故(こゆゑ)に」,此子不知指稱何人。若以高市麻呂、廣庭之說,高市麻呂較廣庭年長二歲,呼子不當。或云與高市麻呂同行之女子,或云單為送別曲之常套句


1773 獻弓削皇子歌一首

 神南備 神依板爾 為杉乃 念母不過 戀之茂爾

 神奈備(かむなび)の 神依板(かみよりいた)に する杉(すぎ)の 思(おも)ひも過(す)ぎず 戀繁(こひのしげ)きに

 稜威神奈備 神憑依板為杉矣 杉名雖如此 然吾長念掛心頭 戀繁刻骨莫得過

柿本人麻呂 1773

神奈備(かむなび)の」,蓋指三輪山。詠三輪神杉者,亦見於0156、0712等曲。然而亦有3327、3228等詠飛鳥神奈備之作。未詳孰是。

「神依板(かみよりいた)に する杉(すぎ)の」,「神依」乃謂招神之際令神靈憑依之事。「神依板」乃降神行事時,敲打鳴響之板。本居宣長引『萬葉集略解』說,伊勢神宮至今亦敲打琴板、杉板,以召請神靈。以上,藉「杉(すぎ)」引出後文「過(すぎ)」之序文

「思(おも)ひも過(す)ぎず],思念無由消逝,唯有與日俱瓠


1774 獻舍人皇子歌二首

 垂乳根乃 母之命乃 言爾有者 年緒長 憑過武也

 垂乳根(たらちね)の 母命(ははのみこと)の 言(こと)に有(あ)らば 年緒長(としのをなが)く 魏(たのみす)ぎむや

 育恩垂乳根 慈母尊命所言者 吾必達之矣 年緒已長幾星霜 所鳰盈瘢猷畉

柿本人麻呂 1774

「母命(ははのみこと)の」,命乃對尊者之敬稱。非指其實體,而稱其言語之避敬表現結婚之際,女方母親之發言有絕大影響。

「言(こと)に有(あ)らば」,男性作者受女方母親好意言論,而依之所述。

「年緒長(としのをなが)く」,以絲緒比喻長年。

「魏(たのみす)ぎむや」,「髻彁母親對二人結婚之期待。「過(す)ぎむや」乃反語,豈令期待撲空。


1775 【承前。】

 泊鷁蓮〕偲椀埃 我妹兒何 家門 近舂二家里

 泊鸚(はつせがは) 夕渡來(ゆふわたりき)て 我妹子(わぎもこ)が 家金門(いへのかなと)に 近付(ちかづ)きにけり

 長谷泊鸚遏〕縞觧分渡之來 至於吾妹子 其家金門屋戶前 還願有緣能相晤

柿本人麻呂 1775

 右三首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「金門(かなと)」,鑲有金具裝飾之門。

夕暮之時,男方路遠跋涉而來,訪妻家者之曲。

以上三曲,概受貴人之命,即興作之。

1776 石川(君子)大夫遷任上京時,播磨娘子贈歌二首

 絕等寸笶 山之峯上乃 櫻花 將開春部者 君之將思

 絕等寸(たゆらき)の 山峰上(やまのをのうへ)の 櫻花(さくらばな) 咲(さ)かむ春(はるへ)は 君(きみ)し偲(しの)はむ

 播磨絕等寸 峻絕山峰嶺之上 所生櫻花矣 每逢滿咲春日時 觸景生情倍思君

石川君子 1776

「絕等寸(たゆらき)」,播磨附近山名。或云姬路城東部之姬山。

「君(きみ)し偲(しの)はむ」,仙覺本、類聚古集、紀洲本等原文作「君乎(を)將思」,此依元曆校本作「君之將思」。

1777 【承前。】

 君無者 奈何身將裝餝 匣有 黃楊之小梳毛 將取跡毛不念

 君無(きみな)くは 何(な)ぞ身裝(みよそ)はむ 櫛笥(くしげ)なる 黃楊小櫛(つげのをぐし)も 取(と)らむとも思(も)はず

 倘若無汝君 奈何裝身為孰容 無人8兵圈黃楊小櫛藏笥中 不欲取之餝此身

石川君子 1777

「何(な)ぞ身裝(みよそ)はむ」,「何(な)ぞ」為「何(なに)ぞ」之略,此為反語用法。女為8兵塒董せ琉拊慮兵垰燹

「黃楊小櫛(つげのをぐし)」,「黃楊(つげ)」乃黃楊科小高木,材質堅硬適於作梳櫛之用。

「取(と)らむとも思(も)はず」,「も思(も)はず」乃「も思(おも)はず」之略。


1778 藤井連遷任上京時,娘子贈歌一首

 從明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者

 明日(あす)よりは 我(あれ)は戀(こ)ひむな 名欲山(なほりやま) 岩踏平(いはふみなら)し 君(きみ)が越去(こえい)なば

 自於明日起 想來吾必浸相思 巍峨名欲山 蹋破山巖闢襤褸 一旦君之越去者

娘子 1778

藤井連」,蓋葛井廣成或葛井大成。葛井連乃百濟渡來人王辰爾之後,初名白豬史而於養老年間賜姓葛井連。葛井與藤井同。

「我(あれ)は戀(こ)ひむな」,「な」乃感歎終助詞

「岩踏平(いはふみなら)し」,以歸都之喜,奮力蹋破艱險之狀。


1779 藤井和歌一首 【承前。】

 命乎志 麻勢久可願 名欲山 石踐平之 復亦毛來武

 命(いのち)をし 真幸(まさき)く欲得(もがも) 名欲山(なほりやま) 岩踏平(いはふみなら)し 復亦(またまた)も來(こ)む

 可願得真幸 保全性命無恙返 巍峨名欲山 蹋破山巖闢襤褸 吾必復來歸此地

藤井廣成 1779

和前曲,言喜於相逢,有朝一日必當翻山越嶺再來。

1780 鹿嶋郡苅野橋,別大伴卿歌一首 【并短歌。】

 牡牛乃 三宅之滷爾 指向 鹿嶋之埼爾 狹丹塗之 小船儲 玉纏之 小梶繁貫 夕鹽之 滿乃登等美爾 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢爾 後奈美居而 反側 戀香裳將居 足垂之 泣耳八將哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者

 牡牛(ことひうし)の 三宅潟(みやけのかた)に 指向(さしむか)ふ 鹿島崎(かしまのさき)に 小丹塗(さにぬ)りの 小船(をぶね)を設(まう)け 玉卷(たままき)の 小楫繁貫(をかぢしじぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 滿滯(みちのとど)みに 御船子(みふなこ)を 率立(あどもひた)てて 呼立(よびた)てて 御船出(みふねいで)なば 濱(はま)も狹(せ)に 後並居(おくれなみゐ)て 臥倒(こいまろ)び 戀(こ)ひかも居(を)らむ 足(あし)ずりし 音(ね)のみや泣(な)かむ 海上(うなかみ)の 其津(そのつ)を指(さ)して 君(きみ)が漕行(こぎゆ)かば

 雄壯牡牛兮 屯倉名負三宅潟 指之對向在 袖漬常陸鹿島崎 狹丹朱塗兮 一葉扁舟今設矣 玉卷華飾兮 小楫繁貫將出航 時至夕潮漲 水高盈滿凪滯時 招集白水郎 率立水夫聚於此 呼喚施號令 榜出御船渡海者 吾等集濱邊 摩肩擦踵並送行 倒臥頓踣而 離情依依苦戀慕 蹈足垂蹣跚 哭泣哀鳴度終日 每思君遠行 乘船滄溟浮海上 汝指其津榜去者

高橋蟲麻呂 1780

牡牛(ことひうし)の」,地名三宅(みやけ)」之枕詞,以「屯倉(みやけ)」須依牡牛搬送貨物而來。原文或作「三宅之酒」,案『萬葉考』為「三宅之滷」之訛。

鹿島崎(かしまのさき)に」,「に」在此指目的地。

「小船(をぶね)を設(まう)け」,此處蓋受前後七夕歌影響。

「夕潮(ゆふしほ)の 滿滯(みちのとど)みに」,本歌描述夕凪長潮時風平浪靜之狀,然反歌有海象荒險之詠。

「濱(はま)も狹(せ)に 後並居(おくれなみゐ)て」,此云送行人眾多,並排濱邊,故感覺其濱窄小。

「」

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2017-08-09-水

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二見浦 御塩殿

二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげにして

                      鴨長明

http://cultural-experience.blogspot.tw/2016/01/blog-post_60.html

浪重二見浦 古色蒼然蘊稜威 御鹽殿者耶 歷經千代幾星霜 屹立在彼松蔭下

                   鴨長明



万葉集試訳

1751 難波經宿明日還來之時歌一首 【并短歌。】

 嶋山乎 射徃迴流 河副乃 丘邊道從 昨日己曾 吾超來壯鹿 一夜耳 宿有之柄二 峯上之 櫻花者 瀧之黐蓮〕醴惻流 君之將見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社爾 風祭為奈

 島山(しまやま)を い行巡(ゆきめぐ)れる 川沿(かはそ)ひの 岡邊道(をかへのみち)ゆ 昨日(きのふ)こそ 我(わ)が越來(こえこ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寢(ね)たりしからに 峰上(をのうへ)の 櫻花(さくらのはな)は 瀧(たきのせ)ゆ 散(ち)らひて流(なが)る 君(きみ)が見(み)む 其日迄(そのひまで)には 山下(やまおろ)しの 風莫吹(かぜなふ)きそと 打越(うちこ)えて 名(な)に負(お)へる杜(もり)に 風祭(かざまつり)せな

 往返龍田道 行巡向峰島山者 沿循大和川 河岸山麓岡邊道 吾且自昨日 跋涉越來方至此 唯有一夜耳 宿泊於此暫寢矣 尾根峰上之 櫻花咲而復散華 隨其瀧鷦 落花散流竄紊亂 吾人有所思 直至君所將翫日 還願山嵐風莫吹 只望其花能長久 越行龍田道 負名龍田風神社 於此設祀為風祭

高橋蟲麻呂 1751

「經宿」,一宿之意。

「島山(しまやま)」,「島」非專只島嶼,此指隔著水面觀望接水之山地

「昨日(きのふ)こそ 我(わ)が越來(こえこ)しか」,逆接條件語。

「寢(ね)たりしからに」,「からに」表與前動作同時。

「瀧(たきのせ)ゆ 散(ち)らひて流(なが)る」,或訓「瀧(たきのせ)に」而「從」字訓「に」不當。

「君(きみ)が見(み)む」,此君蓋指出行之卿大夫,而作者較彼等先行歸京。

「名(な)に負(お)へる杜(もり)に」,有名之神社龍田神社。龍田風神乃防止農作物受風害之神。

風祭(かざまつり)せな」,行風神祭。祈求風神莫令花落。


1752 反歌 【承前。】

 射行相乃 坂之踏本爾 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得

 い行逢(ゆきあ)ひの 坂麓(さかのふもと)に 咲撓(さきをを)る 櫻花(さくらのはな)を 見(み)せむ兒(こ)も欲得(がも)

 行路偶相逢 坂麓之間咲撓之 絢爛櫻花矣 吾惜彼花不欲謝 欲得佳人可令見

高橋蟲麻呂 1752

「い行逢(ゆきあ)ひの 坂(さか)」,各地皆有相鄰國境之處,兩國之神同時出發、相會之傳說。此云大和國與河內國邊境龜麈地名峠。

1753 檢稅使大伴卿登筑波山時歌一首 【并短歌。】

 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君來座登 熱爾 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公爾令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲爾 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曾遊 打靡 春見麻之從者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

 衣手(ころもで) 常陸國(ひたちのくに)の 二並(ふたなら)ぶ 筑波山(つくはのやま)を 見(み)まく欲(ほ)り 君來坐(きみきま)せりと 暑(あつ)けくに 汗搔嘆(あせかきな)け 木根取(このねと)り 嘯鳴登(うそぶきのぼ)り 峰上(をのうへ)を 君(きみ)に見(み)すれば 男神(ひこかみ)も 許賜(ゆるしたま)ひ 女神(ひめかみ)も 影護賜(ちはひたま)ひて 時(とき)と無(な)く 雲居雨降(くもゐあめふ)る 筑波嶺(つくはね)を 清(さや)に照(て)らして 訝(いふかり)し 國真秀(くにのまほら)を 詳細(つばら)かに 示賜(しめしたま)へば 嬉(うれ)しみと 紐緒解(ひものをと)きて 家如(いへのごと) 解(と)けてぞ遊(あそ)ぶ 打靡(うちなび)く 春見(はるみ)ましゆは 夏草(なつくさ)の 繁(しげ)きはあれど 今日樂(けふのたの)しさ

 玉露沾襟濕 衣袖漬兮常陸國 兩峰所並立 男女二嶺筑波山 欲令所觀覽 遂邀大伴卿至此 天暑方熾熱 汗流浹背吐長歎 手執摑木根 呼嘯鳴吟登跋涉 攀至其峰上 令君觀覽者 雄神彥命矣 特別許賜聽登臨 女神姬命矣 自然護賜獻冥貺 想來筑波嶺 常時雲居復雨零 每每翳迷濛 然今清照晴萬里 非常至人訝 國之真秀現眼前 一覽無所疑 示賜令吾端詳者 由衷發嬉喜 一如居家解紐緒 舒敞心神怡 無牽無掛催遊興 搖曳隨風動 春意盎然與相較 此雖值夏草 繁茂叢生荒漫時 今日之樂不勝收

高橋蟲麻呂 1753

「大伴卿」,蓋為大伴宿禰旅人。卿多用以尊稱從三位以上之高官。

「衣手(ころもで)」,「常陸國(ひたちのくに)」之枕詞。『常陸風土記』總記云:「筑波岳遽碩漫ぐ畭議參◆」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi

/hitachi00.htm

「二並(ふたなら)ぶ」,筑波山西側之男女體山並立。

「君(きみ)」,此云大伴卿。

「嘯鳴登(うそぶきのぼ)り」,「嘯鳴(うそぶ)」乃窄口吐息之意。

男神(ひこかみ)も 許賜(ゆるしたま)ひ」,男神筑波山之男體山。『常陸風土記筑波郡云:「最頂西峰崢,謂之雄神,不令登臨。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi01.htm#tukuha00 此曰男神特別許可登之。

「影護賜(ちはひたま)ひて」,『新撰字鏡』云:「影護,ちはふ。」

「雲居雨降(くもゐあめふ)る」,「居(ゐ)る」表常有雲層高掛。敘述習慣事實之連體格。筑波山神秘性之具體表現

「訝(いふかり)し」,困惑不清楚寔態之意。

「國真秀(くにのまほら)」,「真秀(まほら)」乃秀麗之意。

「繁(しげ)きはあれど」,「あれど」乃雖然如此但...之意。


1754 反歌 【承前。】

 今日爾 何如將及 筑波嶺 昔人之 將來其日毛

 今日日(けふのひ)に 何如(いか)にか及(し)かむ 筑波嶺(つくはね)に 昔人(むかしのひと)の 來(き)けむ其日(そのひ)も

 今日之日者 其善何如將及之 筑波山嶺上 較與昔人之來日 可斷孰更良辰哉

高橋蟲麻呂 1754

「何如(いか)にか及(し)かむ」,反語。「及(し)く」乃追及、並列。

1755 詠霍公鳥一首 【并短歌。】

 鸎之 生卵乃中爾 霍公鳥 獨所生而 己父爾 似而者不鳴 己母爾 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊從 飛翻 來鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者將為 遐莫去 吾屋戶之 花橘爾 住度鳥

 鶯(うぐひす)の 卵中(かひごのなか)に 霍公鳥(ほととぎす) 獨生(ひとりうま)れて 汝(な)が父(ちち)に 似(に)ては鳴(な)かず 汝(な)が母(はは)に 似(に)ては鳴(な)かず 卯花(うのはな)の 咲(さ)きたる野邊(のへ)ゆ 飛翔(とびか)けり 來鳴響(きなきとよも)し 橘(たちばな)の 花(はな)を居散(ゐち)らし 終日(ひねもす)に 鳴(な)けど聞良(ききよ)し 賄(まひ)は為(せ)む 遠(とほ)く莫行(なゆ)きそ 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)に 住渡鳥(すみわたれとり)

 黃鶯棲巢之 鸎之生卵之中爾 杜鵑霍公鳥 獨生孵化來此世 汝不似於父 鳴聲迥異貌相遠 汝亦不似母 啼囀聲差莫一是 自於卯花之 所咲綻放野邊處 飛翔翱遊而 臨來高啼放鳴響 非時花橘之 來居枝上散其華 一日盡歡鳴 雖聞終日無所厭 吾欲為賄矣 還願時鳥莫遠去 杜鵑不如歸 常棲我宿花橘上 生息相伴此鳥矣

高橋蟲麻呂 1755

「鶯(うぐひす)の 卵中(かひごのなか)に 霍公鳥(ほととぎす) 獨生(ひとりうま)れて」,杜鵑有托卵本能,不自築巢而下蛋於他鳥之巢,並啣去原卵。幼鳥孵化之後更將期他卵推落,是云獨生。

「汝(な)が父(ちち)に 似(に)ては鳴(な)かず 汝(な)が母(はは)に 似(に)ては鳴(な)かず」,此云杜鵑鳴聲與其養父母之鶯鳥不似。

「卯花(うのはな)」,與花橘皆為初夏代表之花。

「賄(まひ)」,於他人圖其便利而贈與之物。

1756 反歌 【承前。】

 搔霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 𢘟怜其鳥

 搔霧(かきき)らし 雨降(あめのふ)る夜(よ)を 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きて行(ゆ)く成(な)り 憐(あは)れ其鳥(そのとり)

 搔霧雲湧之 驟然雨零之夜間 杜鵑霍公鳥 發聲啼鳴而去哉 嗚呼可怜其鳥矣

高橋蟲麻呂 1756

「搔霧(かきき)らし」,「搔(かき)」乃表天候驟變之接頭語。「霧(き)らし」表為雲霧所遮蔽之被動詞。

「憐(あは)れ」,受眼前事物所感動,而位分化出讚賞、愛憐、同情、哀惜等情感之感歎詞。




1757 登筑波山歌一首 【并短歌。】

 草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺爾 登而見者 尾花落 師付之田井爾 鴈泣毛 寒來喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風爾 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣爾 念積來之 憂者息沼

 草枕(くさまくら) 旅憂(たびのうれへ)を 慰(なぐ)さもる 事(こと)も有哉(ありや)と 筑波嶺(つくはね)に 登(のぼ)りて見(み)れば 尾花散(をばなち)る 師付田居(しつのたゐ)に 雁音(かりがね)も 寒(さむ)く來鳴(きな)きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽淡海(とばのあふみ)も 秋風(あきかぜ)に 白波立(しらなみた)ちぬ 筑波嶺(つくはね)の 良(よ)けくを見(み)れば 長日(ながきけ)に 思積來(おもひつみこ)し 憂(うれへ)は止(や)みぬ

 草枕在異地 旅憂難耐熬此身 欲慰客愁而 思其或可平憂念 登臨筑波嶺 立於頂上所望者 風吹尾花散 新治師付田居間 飛燕來鳴泣 啼聲悽悽嚶冽寒 常陸新治之 鳥羽中湖淡海矣 以為秋風吹 白波湧起浪濤立 朋神貴山兮 筑波嶺景誠勝絕 得見彼光儀 長日所念積來之 憂思煙消更雲散

高橋蟲麻呂 1757

「旅憂(たびのうれへ)を」,「憂(うれへ)」表欲向他人訴苦、悲嘆之情。

「慰(なぐ)さもる」,一解憂情、撫慰旅哀。

鳥羽淡海(とばのあふみ)も」,淡海於此乃指淡水湖普通名詞

「長日(ながきけ)に」,「日(け)」表日數。

1758 反歌 【承前。】

 筑波嶺乃 須蘇迴乃田井爾 秋田苅 妹許將遺 黃葉手折奈

 筑波嶺(つくはね)の 裾迴田居(すそみのたゐ)に 秋田刈(あきたか)る 妹許遣(いもがりや)らむ 黃葉手折(もみちたを)らな

 筑波嶺裾迴 屈身苅秋田居間 窈窕娘子矣 欲遣信物送妹許 於今手折山紅葉

高橋蟲麻呂 1758

「裾迴(すそみ)」,山麓周邊。

「黃葉手折(もみちたを)らな」,「な」為表願望之終助詞


1759 登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 【并短歌。】

 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上爾 率而 未通女壯士之 徃集 加賀布嬥歌爾 他妻爾 吾毛交牟 吾妻爾 他毛言問 此山乎 牛掃神之 從來 不禁行事敘 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫【嬥歌者,東俗語曰賀我比。】

 鷲(わし)の住(す)む 筑波山(つくはのやま)の 裳羽服津(もはきつ)の 其津上(そのつのうへ)に 率(あども)ひて 娘子壯士(をとめをとこ)の 行集(ゆきつど)ひ 亂婚嬥歌(かがふかがひ)に 人妻(ひとづま)に 我(わ)も交(まじ)はらむ 我妻(わがつま)に 人(ひと)も言問(ことと)へ 此山(このやま)を 領神(うしはくかみ)の 昔(むかし)より 禁(いさめ)ぬ行事(わざ)ぞ 今日(けふ)のみは 不憫(めぐし)も莫見(なみ)そ 事(こと)も咎(とが)む莫(な)【嬥歌(かがひ)は、東(あづま)の俗語(くにこと)に、カガヒ(賀我比)と曰(い)ふ。】

 鷹鷲之所棲 常有雲居筑波山 裳羽服津之 其津之上興歌垣 率而相邀至 娘子壯士徃集矣 行集相見歡 亂婚嬥歌脫常理 窈窕人之妻 與我相交共枕眠 貞淑吾內妻 他人誂問求雲雨 嗚呼此山之 所治領有大神矣 自於曩昔時 所聽不禁行事也 唯有今日爾 莫以不憫輙見之 無禮諸事莫咎矣【嬥歌者,東俗語曰かがひ。】

高橋蟲麻呂 1759

「嬥歌會」,古代民間行事。多數男女於特定日期、地點,聚集一堂,飲食歌舞,性解放習俗中央一般稱之歌垣,『古事記』、『日本書紀』更有歌垣中相爭配偶之紀錄。『常陸風土記筑波郡云:「夫筑波岳,高秀于雲。最頂西峰崢,謂之雄神,不令登臨。但,東峰四方磐石,升陟坱圠。其側流泉,冬夏不絕。自坂已東諸國男女,春花開時,秋葉黃節,相攜駢闐,飲食齎賚,騎步登臨,遊樂栖遲。其唱曰:『筑波嶺に 逢はむと 言ひし子は 誰が言聞けばか 嶺逢はずけむ、筑波嶺に 廬りて 妻なしに 我が寢む夜よは 早も明けぬかも』詠歌甚多,不勝載筆。俗諺云:『筑波峰之會,不得娉財者,兒女不為矣。』」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi01.htm#tukuha00常陸風土記筑波郡云:「童子松原。古有年少童子。俗云,加味乃乎止古、加味乃乎止賣。男稱那賀寒田之郎子,女號海上安是之孃子。並形容端正,光華鄉里。相聞名聲,同存望念,自愛心滅。經月累日,嬥歌之會,【俗云歌垣。又云かがひ也。】邂逅相遇。于時,郎子歌曰:『いやぜるの 阿是の小松に 木棉垂でて 吾を振り見ゆも 阿是小島はも』孃子報歌曰:『潮には 立たむと言へど 奈西の子が 八十島隱り 吾を見さばしり』便欲相晤,恐人知之,避自遊場,蔭松下,攜手促膝,陳懷吐憤。既釋故戀之積疹,還起新歡之頻咲。于時,玉露杪候,金風風節,皎皎桂月照處,唳鶴之西洲。颯颯松颸吟處,渡雁東岵。夕寂寞兮巖泉舊,夜蕭條兮烟霜新。近山自覽黃葉散林之色,遙海唯聽蒼波激磧之聲。茲宵于茲,樂莫之樂。偏沉語之甘味,頓忘夜之將開。俄而雞鳴狗吠,天曉日明。爰僮子等,不知所為,遂愧人見,化成松樹。郎子謂奈美松,孃子稱古津松。自古著名,至今不改。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi03.htm 論其始源,或本於原始亂婚之俗,或為預祝農耕之慶,未有定論。「嬥歌」之語,借『昭明文選』「魏都賦」而來,李善注:「巴土人歌也。」嬥字本意跳也。

「鷲(わし)の住(す)む」,形容山勢險峻,凡人難以親易登臨之靈威巖山。

「裳羽服津(もはきつ)」,筑波山中之地名,未詳所在。按『常陸風土記』:「東峰(女體山)四方磐石,升陟坱圠。其側流泉,冬夏不絕。」蓋指此歟。『仙覺抄』:「津(つ)者水也,如井云津之所如。」

「率(あども)ひて」,相互邀約、引誘對方。

「亂婚(かがふ)」,「嬥歌(かがひ)」之動詞形。語源或為「嗅ぐ」。

「人(ひと)も言問(ことと)へ」,「言問(ことと)へ」乃求歡、求愛之意,與結婚(よばひ)通。

「不憫(めぐし)も莫見(なみ)そ 事(こと)も咎(とが)む莫(な)」,前者乃女性男性所告,後者男性女性所言之語調。今日歌垣,一解世俗常理,乃自古山神所應許,故莫咎其姦、莫憐其憫,恣情歡愉唯爾。

「東(あづま)の俗語(くにこと)」,東國之俚語。


1760 反歌 【承前。】

 男神爾 雲立登 斯具禮零 沾通友 吾將反哉

 男神(ひこかみ)に 雲立上(くもたちのぼ)り 時雨降(しぐれふ)り 濡通(ぬれとほ)るとも 我歸(われかへ)らめや

 雄神彥峰上 烏雲湧立時雨零 滂沱注無歇 我雖沾濡衣盡濕 豈棄春宵輙歸哉

高橋蟲麻呂 1760

 右件歌者,高橋連蟲麻呂歌集中出。

男神(ひこかみ)に」,筑波山西側之男體山。

時雨降(しぐれふ)り」,時雨乃晚秋、初冬之景物。

借前往嬥歌會者之觀點所詠。

1761 詠鳴鹿一首 【并短歌。】

 三諸之 神邊山爾 立向 三垣乃山爾 秋芽子之 妻卷六跡 朝月夜 明卷鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛

 三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)に 立向(たちむか)ふ 御垣山(みかきのやま)に 秋萩(あきはぎ)の 妻(つま)を纏眠(まか)むと 朝月夜(あさづくよ) 明(あ)けまく惜(を)しみ 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも

 御室三諸之 飛鳥神奈備之山 與之對向立 三垣御垣山之間 欲與秋萩之 嬌妻纏眠覆雲雨 心念有明月 朝夜將曉令人惜 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 喚妻高啼此山中

柿本人麻呂 1761

「三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)に」,此云飛鳥神奈備山。或為甘橿丘北方之雷丘。或云橘寺南方ふぐり山。

「御垣山(みかきのやま)」,所在未詳。若神奈備山指雷丘者,則為夾飛鳥川而與之相對之甘橿丘。

「秋萩(あきはぎ)の 妻(つま)を纏眠(まか)むと」,「秋萩の妻」指如秋萩般可憐之雌鹿。和歌中往往有雄鹿向秋萩高啼求歡之曲。

「朝月夜(あさづくよ)」,拂曉之際,而皎月尚未沒入之時。農曆十六日之後之月象。

「山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも」,此云大力呼妻,聲響迴繞之狀。


1762 反歌 【承前。】

 明日之夕 不相有八方 足日木乃 山彥令動 呼立哭毛

 明日宵(あすのよひ) 逢(あ)はざらめやも 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも

 今宵明日夕 豈不逢與佳人哉 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 吾喚愛妻啼如此

柿本人麻呂 1762

 右件歌,或云:「柿本朝臣人麻呂作。」

明日宵(あすのよひ)」,古代以何時為一日之始者,莫衷一是,而多以日沒為起點。此歌亦於拂曉之際,指稱夕日而言。

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2017-06-22-木

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■真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞

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更新


■禁色

愛してくれる女を幸福にしてやれない以上、不幸にしてやる事がせめてもの思い遣りであり精神的な贈物でもあると考える逆説に熱中した結果、何ものへ向かってとも知れぬ復讎の情熱を、仮に目前の恭子へ向けることに、露ほども道徳的呵責を感じないで居た。


万葉集試訳

冬相聞

1655 三國真人人足歌一首

 高山之 菅葉之努藝 零雪之 消跡可曰毛 戀乃繁雞鳩

 高山(たかやま)の 菅葉侵(すがのはしの)ぎ 降雪(ふるゆき)の 消(け)ぬとか言(い)はも 戀繁(こひのしげ)けく

  足曳勢險峻 高山菅葉為所凌 降雪零紛紛 吾欲消融猶彼雪 不堪戀繁相思苦

三國人足 1655

「菅葉侵(すがのはしの)ぎ」,「侵(しの)ぎ」乃摧凌、強押之意。『古今和歌集』戀歌551顯昭著云「清撫云,凌(しの)ぐ,侵也。」

「降雪(ふるゆき)の」,以上,引出後文「消逝」之序。

「消(け)ぬとか言(い)はも」,「言(い)はも」乃「言(い)はむ」之音轉。「消(け)ぬ」比喻斷送此命。

「戀繁(こひのしげ)けく」,憂於相思之無間痛苦。

1656 大伴坂上郎女歌一首

 酒杯爾 梅花浮 念共 飲而後者 落去登母與之

 酒杯(さかづき)に 梅花浮(うめのはなうか)べ 思共(おもふどち) 飲(の)みての後(のち)は 散(ち)りぬ共良(ともよ)し

 舉杯注杜康 梅花浮盞甚風流 志同道合者 相飲與共盡歡愉 其後花落不足惜

坂上郎女 1656

「酒杯(さかづき)に 梅花浮(うめのはなうか)べ」,以梅花浮盞興感之曲,亦見於0840、0852。

1657 和歌一首 【承前。】

 官爾毛 縱賜有 今夜耳 將欲酒可毛 散許須奈由米

 官(つかさ)にも 許賜(ゆるしたま)へり 今夜(こよひ)のみ 飲(の)まむ酒(さけ)かも 散(ち)りこす勿努(なゆめ)

 酒雖官禁制 既得所司聽許矣 顧此銘醴者 豈唯今夜得飲乎 梅矣汝切莫輒散

佚名 1657

 右,酒者官禁制稱,京中閭里不得集宴,但親親一二飲樂聽許者。緣此和人作此發句焉。

「官(つかさ)にも」,「官(つかさ)」表政府或官人。

「今夜(こよひ)のみ 飲(の)まむ酒(さけ)かも」,反語表現。此云相飲歡於,豈限於此葉。還望梅花常咲,莫早散盡。

按『續日本紀』天平九年、天平寶字二年有禁酒令,然皆非此歌所述。



1658 藤光明皇后奉天皇天武御歌一首

 吾背兒與 二有見麻世波 幾許香 此零雪之 懽有麻思

 我(わ)が背子(せこ)と 二人見(ふたりみ)ませば 幾許(いくばく)か 此降雪(このふるゆき)の 嬉(うれ)しからまし

 若與吾兄子 出雙入對與共賞 一同相翫者 縱令此雪降幾許 此心懽愉無所倡

光明皇后 1658

「我(わ)が背子(せこ)と」,此云聖武帝。

「二人見(ふたりみ)ませば」,「ませば」乃與現實相反之假設句。蓋與天皇相隔兩地時之所詠。

1659 他田廣津娘子歌一首

 真木乃於爾 零置有雪乃 敷布毛 所念可聞 佐夜問吾背

 真木上(まきのうへ)に 降置(ふりお)ける雪(ゆき)の 頻頻(しくしく)も 思(おも)ほゆるかも 小夜問(さよと)へ我(わ)が背(せ)

 良材真木上 降置皓雪之所如 頻頻復重重 吾人思念情意重 吾夫今夜可幸哉

他田廣津娘子 1659

「真木上(まきのうへ)に」,真木指可作為良材之檜杉之疇。

「降置(ふりお)ける雪(ゆき)の」,以上乃引出「頻銀(幾重、層層、繁多)」之序。

1660 大伴宿禰駿河麻呂歌一首

 梅花 令落冬風 音耳 聞之吾妹乎 見良久志吉裳

 梅花(うめのはな) 散(ち)らす嵐(あらし)の 音(おと)のみに 聞(き)きし我妹(わぎも)を 見(み)らくし良(よ)しも

 風吹梅花落 無形勁嵐之所如 唯聞汝消息 久日不見吾妹矣 今日得逢甚歡愉

大伴駿河麻呂 1660

「散(ち)らす嵐(あらし)の」,以上,引出「音(おと)」之序。原文「令落冬風」之冬風乃義訓。

「音(おと)のみに」,「音」表「音訊」、「風評」。

1661 紀少鹿女郎歌一首

 久方乃 月夜乎清美 梅花 心開而 吾念有公

 久方(ひさかた)の 月夜(つくよ)を清(きよ)み 梅花(うめのはな) 心開(こころひら)けて 我(あ)が思(おも)へる君(きみ)

 遙遙久方兮 月夜清明醉玄 暗香飄浮動 我開心胸若梅花 朝暮所念吾君矣

紀少鹿女郎 1661

「久方(ひさかた)の」,「天」、「月」之枕詞。

「月夜(つくよ)を清(きよ)み」,月夜梅花清澄之狀。此二句乃借梅花花開比喻敞開心胸之序。

「心開(こころひら)けて」,此與5-0864吉田宜書卷所云「心神開朗」近似。以花開喻心開者,蓋為基於漢文訓讀之譯語表現。

1662 大伴田村大娘與妹坂上大娘歌一首

 沫雪之 可消物乎 至今爾 流經者 妹爾相曾

 沫雪(あわゆき)の 消(け)ぬべき物(もの)を 今迄(いままで)に 流(なが)らへぬるは 妹(いも)に逢(あ)はむとそ

 沫雪之所如 旦夕可消此命矣 何以苟殘喘 流連娑婆至於今 欲與妹君復逢也

田村大孃 1662

「沫雪(あわゆき)の」,「消融」、「消逝」之枕詞。

「消(け)ぬべき物(もの)を」,「物を」乃逆接用法。苦於相思、殆至毀滅,卻殘喘至今。

「流(なが)らへぬるは」,末雪流離之狀,與「永(なが)らへ」(長命)相關。

1663 大伴宿禰家持歌一首

 沫雪乃 庭爾零敷 寒夜乎 手枕不纏 一香聞將宿

 沫雪(あわゆき)の 庭(には)に降敷(ふりし)き 寒夜(さむきよ)を 手枕纏(たまくらま)かず 一人(ひとり)かも寢(ね)む

 冰霜漫天零 沫雪降庭敷皓白 如此寒夜中 無有佳人纏手枕 唯當孤伶獨寢矣

大伴家持 1663

真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞 終

「手枕纏(たまくらま)かず」,不以異性之手腕為枕。

「一人(ひとり)かも寢(ね)む」,一人稱主格 + や...む之句法,對現在之動作、狀態表達「只得如此了嗎」之感概。

此歌,蓋於天平十五年冬,位居恭仁京所詠。



真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞、挽歌

雜歌

1664 泊鹹倉宮御宇大泊麝追(雄略)天皇御製歌一首

 暮去者 小椋山爾 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜

 夕去(ゆふさ)れば 小倉山(をぐらのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寐(い)ねにけらしも

 每逢夕暮時 消蹤匿跡小倉山 隱身伏鹿者 今夜不聞其聲鳴 蓋是獲妻安寢哉

雄略天皇 1664

 右,或本云:「崗本(舒明)天皇御製。」不審正指,因以累戴。

小倉山(をぐらのやま)」,或云大和櫻井市今井谷一帶,位於雄略帝皇居以北約五公里。

「伏鹿(ふすしか)の 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寐(い)ねにけらしも」,「伏(ふ)す」表藏身,「寐(い)ね」表或得共寢之妻。

異傳歌8-1511作崗本(舒明)天皇御製。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1511

「正指」,『爾雅』釋言:「指者,示也。」

1665 崗本宮御宇(齊明)天皇紀伊國時歌二首

 為妹 吾玉拾 奧邊有 玉緣持來 奧津白浪

 妹(いも)が為(ため) 我玉拾(われたまひり)ふ 沖邊(おきへ)なる 玉寄持來(まよせもちこ) 沖白波(おきつしらなみ)

 奉為吾愛妻 我今拾玉摘珍珠 願汝聞此訴 押寄持來奧邊玉 呼嗚沖津白浪矣

佚名 1665

「崗本宮」,舒明帝與齊明帝之皇居,此乃後者,世稱後崗本宮。

「幸紀伊國」,齊明四年東十月,幸紀伊溫湯。五年正月還幸。其間遭有間皇子之變。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki26.htm#sk26_04

「妹(いも)が為(ため) 我玉拾(われたまひり)ふ」,此云供奉天皇行幸之男子,為留守大和之妻拾撿珍珠。

「沖邊(おきへ)なる」,遠洋或海底之意。歎望波浪捲來沖邊之珍珠。

1666 【承前。】

 朝霧爾 沾爾之衣 不干而 一哉君之 山道將越

 朝霧(あさぎり)に 濡(ぬ)れにし衣(ころも) 干(ほ)さずして 一人(ひとり)か君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ

 朝霧漫山中 衣為霧露所沾濕 我度吾君矣 不干其衣徑獨行 隻身將越彼山道

佚名 1666

 右二首,作者未詳。

「一人(ひとり)か君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ」,留守大和家中之妻,心念夫君羈旅之道中辛苦。


1667 大寶元年辛丑冬十月,太上(持統)天皇、大行(文武)天皇紀伊國時歌十三首 【十三第一。】

 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依來 於伎都白浪

 妹(いも)が為(ため) 我玉求(われたまもと)む 沖邊(おきへ)なる 白玉寄來(しらたまよせこ) 沖白波(おきつしらなみ)

 奉為吾愛妻 我今求玉覓珍珠 願汝聞此訴 寄來奧邊真白玉 呼嗚沖津白浪矣

佚名 1667

 右一首,上見既畢。但歌辭小換,年代相違,因以累戴。

大行天皇」,天皇崩御而未奉謚號間之呼稱。於『萬葉集中奈良時代前半隻作專指文武帝。

「我玉求(われたまもと)む」,「求(もと)む」乃求取、覓尋。

白玉(しらたま)」,珍珠。

前曲1665之異傳曲。

1668 【承前,十三第二。】

 白埼者 幸在待 大船爾 真梶繁貫 又將顧

 白崎(しらさき)は 幸(さき)くあり待(ま)て 大船(おほぶね)に 真梶繁貫(まかぢしじぬ)き 又返見(またかへりみ)む

 嗚呼白崎矣 願汝無恙久待此 吾今離別去 真梶繁貫大船發 有朝終將復返見

佚名 1668

「白崎(しらさき)は」,「は」乃呼喚格。「白崎」用法與0030「唐崎(からさき)」同,藉由同音與「幸(さち)く」表現反覆堆疊之效果。

「幸(さき)くあり待(ま)て」,「幸(さき)」表無恙、無事。「あり」乃狀態持續。

「又返見(またかへりみ)む」,後日再訪。此以白崎擬人,期望其不變久安,待作者有朝一日歸來再訪。


1669 【承前,十三第三。】

 三名部乃浦 鹽莫滿 鹿嶋在 釣為海人乎 見變來六

 三名部浦(みなべのうら) 潮莫滿(しほなみ)ちそね 鹿島(かしま)なる 釣(つ)りする海人(あま)を 見(み)て歸來(かへりこ)む

 三名部浦矣 切莫潮盈阻我途 鹿島岩磐上 漁釣海人白水郎 吾欲見而復歸來

佚名 1669

「潮莫滿(しほなみ)ちそね」,期望命令語,囑咐莫漲潮。自紀伊日高郡南部町埴田崎去鹿島約七百五十米,可見海中受海蝕之岩磐指鹿島而去似可越渡,而漲潮時沒而不見。


1670 【承前,十三第四。】

 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反將來

 朝開(あさびら)き 漕出(こぎで)て我(われ)は 湯羅崎(ゆらのさき) 釣(つ)りする海人(あま)を 見(み)て歸來(かへりこ)む

 晨曦天明時 漕船榜出離岸去 由良湯羅崎 為釣海人白水郎 吾欲見而復來歸

佚名 1670

「朝開(あさびら)き」,此云天明之際,夜泊船隻一早離港之狀。


1671 【承前,十三第五。】

 湯羅乃前 鹽乾爾祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而漕船滂動

 湯羅崎(ゆらのさき) 潮干(しほひ)にけらし 白神(しらがみ)の 礒浦迴(いそのうらみ)を 敢(あ)へて漕(こ)ぐなり

 由良湯羅崎 今概退潮鹽涸乎 紀伊白神之 礒邊入江浦迴處 敢而滂動矣

佚名 1671

「潮干(しほひ)にけらし」,「けらし」乃「けるらし」之略。聽聞眼前白神礒退潮時辛勞划槳之音,而想像湯羅崎當逢退潮之景。

「浦迴(うらみ)」,入江之灣曲部。

「敢(あ)へて漕(こ)ぐなり」,「敢(あ)へて」,刻意、逆勢地。「なり」為借由聽覺之傳聞推定。


1672 【承前,十三第六。】

 邉輅 鹽干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻

 邉躋(くろうしがた) 潮干浦(しほひのうら)を 紅(くれなゐ)の 玉裳裾引(たまもすそび)き 行(ゆ)くは誰(た)が妻(つま)

 紀洲邉躋磧…干之浦入江間 身著朱赤服 引曳紅玉裳裾而 所徃之者誰妻耶

佚名 1672

「邉躋(くろうしがた)」,概紀伊國毛見崎北岸,今已填海作他用,不復存在。

「紅(くれなゐ)の 玉裳裾引(たまもすそび)き」,紅指以紅花染色,玉乃美稱,以珠玉裝飾之華裳。拖曳著紅色裳裾步迴之狀。古時以為優美之情景。


1673 【承前,十三第七。】

 風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無【一云,於斯依來藻。】

 風無(かざなし)の 濱白波(はまのしらなみ) 徒(いたづら)に 此處(ここ)に寄來(よせく)る 見(み)る人無(ひとな)しに【一云(またにいふ)、此處(ここ)に寄來(よせく)も。】

 風平浪靜兮 風無濱間白波矣 徒勞頻翻騰 雖然寄來往此處 然歎無人以觀之【一云,雖然寄來此處爾。】

長意吉麻呂 1673

 右一首,山上臣憶良『類聚歌林』曰:「長忌寸意吉麻呂,應詔作此歌。」

「風無(かざなし)の濱(はま)」,地名,所在未詳。類似地名於今有能登半島西側石川羽咋郡富來町、大分臼杵市等,皆為天然良港,蓋有冀望其風平浪靜而起之名。或云與「風早」同為「風草」之訛,未詳。

「徒(いたづら)に」,與前相連可云無風難起浪,與後相繼則可謂浪濤無人觀,皆盡徒然。

「應詔」,當為持統帝或文武帝之詔。

1674 【承前,十三第八。】

 我背兒我 使將來歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南

 我(わ)が背子(せこ)が 使來(つかひこ)むかと 出立(いでたち)の 此松原(このまつばら)を 今日(けふ)か過(す)ぎなむ

 吾度吾妻念 夫君之使將來耶 忐忑出立之 久佇長待此松原 我今將過不流連

佚名 1674

「我(わ)が背子(せこ)が 使來(つかひこ)むかと」,出門等待夫君之使者到來,地名「出立」之序。

「出立(いでたち)の」,水平突出之地形,與出外等待之行動雙關。

「此松原(このまつばら)を」,「松」與「待」雙關。

1675 【承前,十三第九。】

 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳

 藤白(ふぢしろ)の 御坂(みさか)を越(こ)ゆと 白栲(しろたへ)の 我(わ)が衣手(ころもで)は 濡(ぬ)れにけるかも

 每越藤白之 御坂觸景更生情 素妙白栲之 吾人衣手沾露濕 淚泪漬濡無干時

佚名 1675

「濡(ぬ)れにけるかも」,此有二說。或云衣袖為露水沾濕,或云憶及此地乃有間皇子絞刑之地,遂而落淚濕袖。



1676 【承前,十三第十。】

 勢能山爾 黃葉常敷 神岳之 山黃葉者 今日散濫

 背山(せのやま)に 黃葉常敷(もみちつねし)く 神岡(かむをか)の 山黃葉(やまのもみち)は 今日(けふ)か散(ち)るらむ

 吾見勢能山 黃葉常降敷錦紅 顧思神岳之 山間黃夜蓋何如 今日將散落地哉

佚名 1676

「神岡(かむをか)の 山黃葉(やまのもみち)は」,神岡山飛鳥神奈備山。

「今日(けふ)か散(ち)るらむ」,按藤原宮還幸於十月十九日,而此歌當十八日所作,自背山去藤原宮約四十公里。

1677 【承前,十三十一。】

 山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者

 大和(やまと)には 聞(きこ)え行(ゆ)かぬか 大我野(おほがの)の 竹葉刈敷(たかはかりし)き 廬為(いほりせ)りとは

 可令留大和 家族聽聞吾訴哉 今取大我野 所生竹葉刈敷而 為廬孤寢甚寂寞

佚名 1677

大和(やまと)には 聞(きこ)え行(ゆ)かぬか」,「ぬか」表希求。欲向留在大和之家人訴說羈旅之辛勞。

「竹葉刈敷(たかはかりし)き」,「竹(たか)」乃「「竹(たけ)」」之交替形。

1678 【承前,十三十二。】

 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上爾曾安留

 紀伊國(きのくに)の 昔獵夫(むかしさつを)の 鳴矢持(なるやも)ち 鹿取靡(かとりなび)けし 坂上(さかのうへ)にそ在(あ)る

 叢木紀伊國 往古獵夫持鏑矢 靡取獲眾鹿 顧其承傳故事處 便在眼前此坂上

佚名 1678

「昔獵夫(むかしさつを)の」,傳說中過去曾在之著名獵師。「獵(さつ)」乃「獵(さち)・幸(さち)」之交替形。

「鳴矢持(なるやも)ち」,發射時發出聲鳴之鏑矢。

「坂上(さかのうへ)にそ在(あ)る」,此云漬山下將獵物趕上坡,而由埋伏之獵人射殺之獵法。


1679 【承前,十三十三。】

 城國爾 不止將徃來 妻社 妻依來西尼 妻常言長柄【一云,嬬賜爾毛,嬬云長良。】

 紀伊國(きのくに))に 止(や)まず通(かよ)はむ 妻杜(つまのもり) 妻寄來(つまよしこ)せね 妻(つま)と言(い)ひながら【一云(またにいふ)、妻賜(つまたま)はにも、妻(つま)と言(い)ひながら。】

 鎮座紀伊國 絡繹不絕車馬喧 紀洲妻之社 願汝明神授我妻 莫負效驗妻社名【一云,願汝明神賜我妻,莫負效驗妻社名。】

坂上人長 1679

 右一首,或云:「坂上忌寸人長作。」

「妻寄來(つまよしこ)せね」,「(寄)す」乃與認之意。「ね」乃表希求之終助詞。

「妻(つま)と言(い)ひながら」,隨彼妻社之名。「ながら」有「隨」、「從」、「唯」之意。

1680 後人歌二首 【承前,後人所歌。】

 朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曾 雨莫零根

 麻裳良(あさもよ)し 紀伊(き)へ行(ゆ)く君(きみ)が 真土山(まつちやま) 越(こ)ゆらむ今日(けふ)そ 雨莫降(あめなふ)りそね

 麻裳良且秀 直往紀伊國前去 親愛吾君矣 今當將越真土山 還願驟雨莫零之

佚名 1680

「後人」,留於其後之人。相對於羈旅之人,指留居家中之家人。

「麻裳良(あさもよ)し」,紀伊之枕詞。

「真土山(まつちやま)」,紀伊大和之交界。


1681 【承前。】

 後而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫

 後居(おくれゐ)て 我(あ)が戀居(こひを)れば 白雲(しらくも)の 棚引(たなび)く山(やま)を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ

 後居守家中 妾身慕惱苦相思 良人在何方 吾度夫君今當越 白雲棚引曳足山

佚名 1681

「我(あ)が戀居(こひを)れば」,「ば」乃接受對話對方自身動作之動詞,敘述剛好同時發生之子行動。


1682 獻忍壁皇子歌一首 【詠仙人形。】

 常之倍爾 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人

 常(とこ)しへに 夏冬行(なつふゆゆ)けや 裘(かはごろも) 扇放(あふぎはな)たぬ 山(やま)に住(す)む人(ひと)

 豈是常穿梭 往來冬夏寒暑哉 身著鶴氅裘 手持塵羽扇不放 棲於深山此仙人

柿本人麻呂 1682

「常(とこ)しへに 夏冬行(なつふゆゆ)けや」,「常(とこ)しへ」乃「永久、不絕、不斷」之意。「行(ゆ)けや」乃反語疑問句。「行(ゆ)く」表時間之流動。明明不可能,莫非是同時歷經冬夏?之意。

「裘(かはごろも)」,毛皮之衣物。此特指仙人所著之鶴氅裘。雖為冬用衣物,卻與夏日之扇並用,堪稱光怪陸離。

「扇放(あふぎはな)たぬ」,「扇(あふぎ)」乃「團扇(うちわ)」之疇,此特指仙人所持之塵羽扇。『職員令』云:「用取風涼,去塵粉者。」

「山(やま)に住(す)む人(ひと)」,仙人之翻譯語。


1683 獻舍人皇子歌二首

 妹手 取而引與治 捄手折 吾刺可 花開鴨

 妹(いも)が手(て)を 取(と)りて引攀(ひきよ)ぢ 捄手折(ふさたを)り 我(わ)が髻首(かざ)すべく 花咲(はなさ)ける哉(かも)

 猶執妹之手 捄手取枝將攀引 折之飾髻首 好似欲令吾插頭 此花盛開今滿咲

柿本人麻呂 1683

「引攀(ひきよ)ぢ」,「攀(よ)ぢ」乃牽引、握住之意。

「捄手折(ふさたを)り」,「捄」與「總」同,手捄指手腕一帶。

1684 【承前。】

 春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝爾

 春山(はるやま)は 散過(ちりす)ぎぬとも 三輪山(みわやま)は 未(いま)だ含(ふふ)めり 君待難(きみまちかて)に

 雖然春山櫻 已然盛過欲將零 然顧三輪山 至今含苞尚代放 苦盼難耐待君臨

柿本人麻呂 1684

「散過(ちりす)ぎぬとも」,「とも」乃假定逆接之接續助詞。後句接推量之意志、命令但未實現之事柄。


1685 泉河邊間人宿禰作歌二首

 河鵝〃禪淡者 玉鴨 散亂而在 川常鴨

 川(かはのせ)の 激(たぎ)つを見(み)れば 玉(たま)かも 散亂(ちりみだ)れたる 川常(かはのつね)かも

 每見河麈掘[水激越飛沫迸 好似見白玉 散亂絢爛之所如 其蓋此川之常哉

柿本人麻呂 1685

「激(たぎ)つ」,水流激越白沫亂散之狀。

「玉(たま)かも」,仙覺本系多作「玉藻鴨(たまもかも)」,然蓋配合中古假名訓之音而改之。此依『類聚古集』作玉鴨。


1686 【承前。】

 孫星 頭刺玉之 嬬戀 亂祁良志 此川鷦

 彥星(ひこほし)の 髻首玉(かざしのたま)し 妻戀(つまご)ひに 亂(みだ)れにけらし 此川(このかはのせ)に

 當是彥星之 牛郎插頭髻首玉 以為戀妻故 不堪相思遂散亂 激越在此川鶸

柿本人麻呂 1686

「彥星(ひこほし)の」,此付會七夕牛郎織女傳說所言。

「髻首玉(かざしのたま)し」,髻首除本歌之外,皆云木花、枝葉之疇。本曲乃呼應前曲「玉(たま)かも」而作。

1687 鷺坂作歌一首

 白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎

 白鳥(しろとり)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 松蔭(まつかげ)に 宿(やど)りて行(ゆ)かな 夜(よ)も更行(ふけゆ)くを

 鴻鵠白鳥兮 鷺坂山間松蔭下 不妨落腳而 留居一宿而徃矣 不見此夜已深乎

柿本人麻呂 1687

「白鳥(しろとり)の」,「鷺坂」之枕詞。鷺乃白晝飛來水田、川沼之怎,此以純白之白鷺為言。『常陸風土記』香島郡歌謠有「志漏止利(しろとり)」,『和名抄』有「之呂止利(しろとり)」云云。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi03.htm#hita03_03

1688 名木河作歌二首

 焱干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印

 炙干(あぶりほ)す 人(ひと)もあれやも 濡衣(ぬれぎぬ)を 家( いへ)には遣(や)らな 旅徵(たびのしるし)に

 草枕在異地 誰人替我炙裳乾 不若將濕衣 送遣家中與吾族 以為旅徵証此行

柿本人麻呂 1688

「人(ひと)もあれやも」,「あれやも」乃反語文末,豈有人為己晾乾濕衣。喞詫羈旅辛勞之語。

「旅徵(たびのしるし)に」,作為羈旅之證據。

1689 【承前。】

 在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利

 荒磯邊(ありそへ)に 著(つ)きて漕(こ)がさね 杏人(ももさね)の 濱(はま)を過(す)ぐれば 戀(こひ)しくありなり

 願沿荒磯邊 循岸榜船漕而去 唐桃杏仁濱 若今空過不駐足 往後憶之必徒歎

柿本人麻呂 1689

「荒磯邊(ありそへ)に」,「荒磯(ありそ)」乃ˇ「荒磯(あらいそ)」之略。

「著(つ)きて漕(こ)がさね」,「さ」乃敬語助詞「す」之未然形,「ね」表希求。對船頭要求之語。

「杏人(ももさね)」,或訓「かたひと」、「からもも」「ももひと」等。「人」與「仁」通。

「戀(こひ)しくありなり」,「なり」乃傳聞推定。若單純通過杏仁濱,事後回想必當後悔懷念。

1690 高嶋作歌二首

 高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之彌

 高島(たかしま)の 阿渡川波(あどかはなみ)は 騷(さわ)けども 我(あれ)は家思(いへおも)ふ 宿(やど)り悲(かな)しみ

 近江高嶋之 安曇阿度川浪者 波音雖喧鬧 然我孤寂愁思家 悲於草枕宿異地

柿本人麻呂 1690

「阿渡川波(あどかはなみ)」,安曇川之波浪。

「宿(やど)り」,宿泊與羈旅之地。

類歌1238。tps://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m07.htm#1238


1691 【承前。】

 客在者 三更判而 照月 高嶋山 隱惜毛

 旅(たび)なれば 夜中(よなか)に別(わ)きて 照月(てるつき)の 高島山(たかしまやま)に 隱(かく)らく惜(を)しも

 客在異鄉者 見得三更半夜中 照臨明月矣 心惜近江高嶋山 隱而蔽之不得見

柿本人麻呂 1691

「旅(たび)なれば」,「旅(たび)に在れば」之略。與第五句「惜(を)しも」呼應。

「別(わ)きて」,格別。


1692 紀伊國作歌二首

 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨將寐

 我(あ)が戀(こ)ふる 妹(いも)は逢(あ)はさず 玉浦(たまのうら)に 衣片敷(ころもかたし)き 獨(ひとり)かも寢(ね)む

 吾人心所繫 佳人不欲與相見 故在玉浦間 片敷衣裳設草枕 隻身孤寢度長夜

柿本人麻呂 1692

「妹(いも)は逢(あ)はさず」,「逢(あ)はす」乃「逢(あ)ふ」之敬語形。「妹」指行旅間所見之女性

「衣片敷(ころもかたし)き」,『萬葉集』中多用於孤獨單寢之場面。


1693 【承前。】

 玉匣 開卷惜 恡夜矣 袖可禮而 一鴨將寐

 玉櫛笥(たまくしげ) 明(あ)けまく惜(を)しき 恡夜(あたらよ)を 衣手離(ころもでか)れて 獨(ひとり)かも寢(ね)む

 珠匣玉櫛笥 常惜天明苦夜短 可恡春宵夜 今遠衣手無可枕 隻身孤寢歎夜長

柿本人麻呂 1693

「玉櫛笥(たまくしげ)」,「明(あ)け」之枕詞。以「開」「明」雙關而為之。

「明(あ)けまく惜(を)しき」,此句之上若補「妹しあらば」將更易理解。

「恡夜(あたらよ)」,「恡」乃可惜逝去事物之明詞,此轉作接投語用。

「衣手離(ころもでか)れて」,無人相與共寢。


1694 鷺坂作歌一首

 細比禮乃 鷺坂山 白管自 吾爾尼保波尼 妹爾示

 栲領巾(たくひれ)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 白躑躅(しらつつじ) 我(われ)に匂(にほ)はね 妹(いも)に示(しめ)さむ

 楮織栲領巾 鷺坂山間所群生 雪白躑躅矣 還願沁染吾衣裳 還來以令示我妹

柿本人麻呂 1694

「栲領巾(たくひれ)の」,修飾「鷺坂山(さぎさかやま)」中「さぎ」之枕詞。栲領巾乃以楮纖維所造之領巾。以領巾比喻鷺之羽冠所言。

「我(われ)に匂(にほ)はね」,「匂(にほ)ふ」為顏色移染之狀。「ね」表希求。



1695 泉河作歌一首

 妹門 入出見川乃 床奈馬爾 三雪遣 未冬鴨

 妹(いも)が門(かど) 入(い)り泉川(いづみがは)の 常滑(とこなめ)に 御雪殘(みゆきのこ)れり 未(いま)だ冬(ふゆ)かも

 出入吾妻之 家門為名泉川中 常滑石上 御雪仍殘積斑駁 顧此時節仍冬哉

柿本人麻呂 1695

「妹(いも)が門(かど) 入(い)り泉川(いづみがは)の」,以「入(い)り出(い)づ」修飾「泉川(いづみがは)」之序。

常滑(とこなめ)に」,川中、川岸濕潤生苔,常時滑溜之石。

1696 名木河作歌三首

 衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可

 衣手(ころもで)の 名木川邊(なきのかはへ)を 春雨(はるさめ)に 我立濡(われたちぬ)ると 家思(いへおも)ふらむか

 衣手真袖兮 名木川邊河原上 春雨降紛紛 吾人獨立霑衣濡 蓋是家族念吾哉

柿本人麻呂 1696

「衣手(ころもで)の」,修飾地名「名木」之枕詞,原由未詳。

「名木川邊(なきのかはへ)を」,「を」乃靠近之意。避免與第三句「春雨(はるさめ)に」重復使用「に」而採「を」字。

「家(いへ)」,此云家人。


1697 【承前。】

 家人 使在之 春雨乃 與久列杼吾等乎 沾念者

 家人(いへびと)の 使(つか)ひにあらし 春雨(はるさめ)の 避(よ)くれど我(あれ)を 濡(ぬ)らさく思(おも)へば

 汝蓋吾家人 欲促速歸遣使哉 驟降春雨矣 我雖避之亦為濡 念此霑衣欲還鄉

柿本人麻呂 1697

「家人(いへびと)の 使(つか)ひにあらし」,主語為春雨。「あらし」乃「あらるし」之略。

「避(よ)くれど」,主語為「我(あれ)」。

此自嘲家人思念,心想作者為春雨所淋,必當早日歸鄉,遂遣春雨來此。

1698 【承前。】

 焱干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使爾為

 焱干(あぶりほ)す 人(ひと)もあれやも 家人(いへびと)の 春雨(はるさめ)すらを 間使(まつかひ)にする

 草枕在異地 誰人替我炙裳乾 何以吾家人 竟遣春雨為間使 頻沾吾衣濡我裳

柿本人麻呂 1698

「春雨(はるさめ)すらを」,連春雨亦以為使。怨懟竟不以人為使,遣無心春雨而來,云云。

1699 宇治河作歌二首

 巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井爾 鴈渡良之

 巨椋(おほくら)の 入江響(いりえとよ)むなり 射目人(いめひと)の 伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に 雁渡(かりわた)るらし

 宇治巨椋池 池中入江正鳴響 伏射目人之 伏見田居野間上 飛雁行渡劃虛空

柿本人麻呂 1699

「巨椋(おほくら)の 入江(いりえ)」,巨椋池之灣入部。

「響(とよ)むなり」,「なり」乃傳聞推定。蓋作者聽文秋半渡來北岸伏見之群鴈羽音,故云此。

「田居(たゐ)」,「ゐ」乃堰止田水耕種之狀。

1700 【承前。】

 金風 山吹麈機ゞ蘇帖‥訓蝉董£鄙螻

 秋風(あきかぜ)に 山吹(やまぶきのせ)の 鳴(な)るなへに 天雲翔(あまくもかけ)る 雁(かり)に逢(あ)へるかも

 蕭瑟秋風拂 山吹河鷦彼摧 而為鳴響時 翱翔天雲劃大空 鳴鴈者也我行逢

柿本人麻呂 1700

「秋風(あきかぜ)に」,此「に」表原因。

「山吹(やまぶきのせ)の」,蓋為宇治川之地名。按『平家物語』卷四「經伊賀國,越田原路,過宇治川機結明神之御前,往山吹鶺遏」蓋宇治川左岸,近平等院一帶。

「鳴(な)るなへに」,「なへに」表與前動作同時,另一方面之行動。

「雁(かり)に逢(あ)へるかも」,將初雁擬人化之表現。


1701 獻弓削皇子歌三首

 佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見

 小夜中(さよなか)と 夜(よ)は更(ふ)けぬらし 雁(かり)が音(ね)の 聞(き)こゆる空(そら)を 月渡(つきわた)る見(み)ゆ

 夜中秋意盛 時在真夜更深刻 何以知悉者 今聞雁音畫太虛 聚首望月掛中空

柿本人麻呂 1701

「聞(き)こゆる空(そら)を」,原文「所聞空」。按『古今集』192訓「そらに」 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk04.htm#192,此外亦有「そらゆ」等說。


1702 【承前。】

 妹當 茂苅音 夕霧 來鳴而過去 及乏

 妹(いも)が當(あた)り 繁雁(しげきかり)が音(ね) 夕霧(ゆふぎり)に 來鳴(きな)きて過(す)ぎぬ 術無迄(すべなきまで)に

 親親吾妻邸 家邊繁雁音不絕 每逢夕霧間 通過來鳴聲不斷 摧情令人陷憂思

柿本人麻呂 1702

「妹(いも)が當(あた)り 繁雁(しげきかり)が音(ね)」,此「繁(しげ)き」乃「繁(しげ)かりし」之意。

「術無迄(すべなきまで)に」,不知該如何是好。「術無(すべな)き」原文作「乏」者,「窮乏」之意。3257書「術無(すべな)み」作窮見。此云心思受鴈聲所催,更甍ソド塲充已。

1703 【承前。】

 雲隱 鴈鳴時 秋山 黃葉片待 時者雖過

 雲隱(くもがく)り 雁鳴(かりな)く時(とき)は 秋山(あきやま)の 黃葉片待(もみちかたま)つ 時(とき)は過(す)ぐれど

 雲隱匿身跡 飛鴈翔空發鳴時 吾居秋山間 徒然空待葉轉紅 雖然時節當已過

柿本人麻呂 1703

1703

「黃葉片待(もみちかたま)つ」,「片待(かたま)つ」表一昧等待。

「時(とき)は過(す)ぐれど」,他處紅葉早已盛過散去。然此處仍未轉紅。有所思不得回報之感。

1703

「黃葉片待(もみちかたま)つ」,「片待(かたま)つ」表一昧等待。

「時(とき)は過(す)ぐれど」,他處紅葉早已盛過散去。然此處仍未轉紅。有所思不得回報之感。

1704

「捄手折(ふさたを)り」,「多武(たむ)」之枕詞。「多武」與「撓(た)む」同音,故此。

「山霧(やまぎり)」,嘆息之比喻。「波騷(なみのさわ)ける」,慮穿慮貲携喻。

1705 【承前。】

 冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等敘

 冬籠(ふゆごも)り 春(はる)へを戀(こ)ひて 植(う)ゑし木(き)の 實(み)に成(な)る時(とき)を 片待(かたま)つ我(われ)そ

 籠冬日已久 吾戀春日慕年新 徒然唯苦等 只待植木發榮盛 結果成實日臨來

柿本人麻呂 1705

「春(はる)へ」,春頃之意。

「片待(かたま)つ我(われ)そ」,「我(われ)」原文吾等,或與日並皇子舍人挽歌「吾等哭淚」並有臣臣下一同之意。

「植し木」蓋只梅,言其雖然開花卻未結實。蓋有寓意居中。



1706 舍人皇子御歌一首

 邏漫〔詭故 衣手 高屋於 霏霺麻天爾

 烏玉(ぬばたま)の 夜霧(よぎり)は立(た)ちぬ 衣手(ころもで)を 高屋上(たかやのうへ)に 棚引(たなび)く迄(まで)に

 漆遽╋妄臓〔誅湧起遍瀰漫  迷霧扶搖昇 直至衣手高屋上 霏霺棚引罩四方

柿本人麻呂 1706

「衣手(ころもで)を」,地名「高屋(たかや)」之枕詞。蓋以「手(て)」之交替形「手(た)」而來。

「棚引(たなび)く迄(まで)に」,原文「霏霺」來自漢籍用語「霏薇」,多用於人麻呂歌集。


1707 鷺坂作歌一首

 山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散來

 山背(やましろ)の 久世鷺坂(くせのさぎさか) 神代(かみよ)より 春(はる)は萌(は)りつつ 秋(あき)は散(ち)りけり

 苗木繼根生 山城久世鷺坂矣 遠自神代起 每逢春日萌新僉每當秋時散葉紅

柿本人麻呂 1707

「春(はる)は萌(は)りつつ」,四段他動詞「萌(は)る」表擴張、膨脹,以及草木萌芽之意。「つつ」表持續反復之狀。

「秋(あき)は散(ち)りけり」,「けり」表自過去至現在繼續發生之狀態。


1708 泉河邊作歌一首

 春草 馬咋山自 越來奈流 鴈使者 宿過奈利

 春草(はるくさ)を 馬咋山(うまくひやま)ゆ 越來(こえく)なる 雁使(かりのつかひ)は 宿過(やどりす)ぐなり

 馬喰春草兮 自彼咋山越來之 魚箋雁使矣 汝蓋徒過我宿哉 癡等不見消息來

柿本人麻呂 1708

「春草(はるくさ)を 馬(うま)」,,引出地名「咋山(くひやま)」之序文。

「越來(こえく)なる」,「なり」乃傳聞推定語。

「雁使(かりのつかひ)」,書信、消息之代稱。

「宿過(やどりす)ぐなり」,宿指宿泊地。

羈旅之際,期待家人書信而久盼不至之感慨。


1709 獻弓削皇子歌一首

 御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有

 御食向(みけむか)ふ 南淵山(みなぶちやま)の 巖(いはほ)には 降(ふ)りし斑(はだれ)か 消殘(きえのこ)りたる

 御食所向兮 飛鳥南淵山巖上 斑白今可見 蓋是所降駁雪者 消熔未盡仍餘哉

柿本人麻呂 1709

 右,柿本朝臣人麻呂之歌集所出。

「御食向(みけむか)ふ」,南淵、淡路、味生、城上之枕詞。「御食」指貴族之用餐。

「消殘(きえのこ)りたる」,原文作「削」,『釋名』云:「消者,削也。」

蓋詠早春之候,於島庄、川原一帶遠望東南,見白鹿幼兒,如殘雪未消之景。

「右,柿本朝臣人麻呂之歌集」,當指1676至1709。

1710 柿本人麻呂歌集歌二首

 吾妹兒之 赤裳埿塗而 殖之田乎 苅將藏 倉無之濱

 我妹子(わぎもこ)が 赤裳漬(あかもひづち)て 植(う)ゑし田(た)を 刈(か)りて收(をさ)めむ 倉無濱(くらなしのはま)

 可伶吾妹子 漬濡赤裳埿塗而 所植稻田矣 縱令苅獲將藏之 無處可納倉無濱

柿本人麻呂 1710

「赤裳漬(あかもひづち)て」,赤裳因水田而沾濕,田植往往為女性之作業。

「刈(か)りて收(をさ)めむ」,以上四句,引出後句「倉無濱(くらなしのはま)」之序。豐收過度,諸藏既滿,遂無倉可納。倉無濱乃豐前國之海濱,意有以豐前雙關豐饒之趣。


1711 【承前。】

 百轉 八十之嶋迴乎 榜雖來 粟小嶋者 雖見不足可聞

 百傳(ももづた)ふ 八十島迴(やそのしまみ)を 漕來(こぎく)れど 粟小島(あはのこしま)は 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 百傳數繁兮 八十嶋迴巡遊弋 雖榜船而來 粟小島者風光勝 縱令百見不曾厭

柿本人麻呂 1711

 右二首,或云:「柿本朝臣人麻呂作。」

「百傳(ももづた)ふ」,八十之枕詞。先覺本原文作「百傳之」,而藍紙本等作「百轉」,蓋為古形。

「島迴(しまみ)」,諸島周邊。迴亦有巡迴、周遊之意。

「漕來(こぎく)れど」,雖然閱歷眾島,(但遠遠不及眼前之美景)。用以讚譽景色之常套語法。

1712 登筑波山詠月一首

 天原 雲無夕爾 烏玉乃 宵度月乃 入卷恡毛

 天原(あまのはら) 雲無夕(くもなきよひ)に 烏玉(ぬばたま)の 夜渡月(よわたるつき)の 入(い)らまく惜(を)しも

 遙遙久方兮 天原無雲此夕宵 漆遽╋妄臓‥鰐詛祁邀賃虛 入隱山中令人惜

佚名 1712

「入(い)らまく惜(を)しも」,「入らまく」乃「入らむ」之く句法。相較於「隱らく惜しも」指月沒以後,本文詠在月沒之前。

筑波山乃男女集會嬥歌之歌垣名所,此歌蓋詠彼俗。

1713 幸芳野離宮時歌二首

 瀧上乃 三船山從 秋津邊 來鳴度者 誰喚兒鳥

 瀧上(たきのうへ)の 三船山(みふねのやま)ゆ 秋津邊(あきづへ)に 來鳴渡(きなきわた)るは 誰呼子鳥(たれよぶこどり)

 自於御吉野 宮瀧之上三船山 飛至秋津邊 來鳴渡兮呼子鳥 汝喚孰人聲真切

佚名 1713

「幸芳野離宮」,吉野行幸,有天武、持統、元正、聖武等帝,未詳孰是。而依歌曲前後配列,或為持統帝。持統御宇期間,共幸吉野計卅一回。

「瀧上(たきのうへ)」,此云瀧陲。三船山者,見於吉野宮瀧上游右方,吉野川流於其山麓。

「誰呼子鳥(たれよぶこどり)」,呼喚誰人而發鳴之呼子鳥。『古今和歌集春歌上029有「覺束なくも 呼子鳥哉」云云。ttps://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk01.htm#029

1714 【承前。】

 落多藝知 流水之 磐觸 與杼賣類與杼爾 月影所見

 落激(おちたぎ)ち 流(なが)るる水(みづ)の 岩(いは)に觸(ふ)れ 淀(よど)める淀(よど)に 月影見(つきのかげみ)ゆ

 湍急落激兮 流水洴勢觸磐岩 淀而堰止水 窺望在於此淀中 輝曜月影今可見

佚名 1714

 右二首,作者未詳。

「落激(おちたぎ)ち」,流水洴發之狀。或云「激(たぎ)つ」。


1715 槐本(かきのもと)歌一首

 樂浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見

 樂浪(ささなみ)の 比良山風(ひらやまかぜ)の 海吹(うみふ)けば 釣(つり)する海人(あま)の 袖返(そでか)へる見(み)ゆ

 細波樂浪兮 比良山嵐呼嘯過 風吹湖海者 為釣海人白水郎 袖袂翻兮今可見

柿本人麻呂 1715

「槐本(かきのもと)」,按天平寶字元年『越前國司解』地名「柿本里」並記「垣本、槐本」,故訓かきのもと。或因『法華八講緣起』記雙槻宮御宇用明帝作「雙槐天皇」,則或訓「つきのもと」。

比良山風(ひらやまかぜ)の」,自比良山所吹下之風。


1716 山上憶良歌一首

 白那彌乃 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫

 白波(しらなみ)の 濱松木(はままつのき)の 手向種(たむけくさ) 幾代迄(いくよまで)にか 年(とし)は經(へ)ぬらむ

 白浪所寄兮 濱邊松木許所貢 酬神手向品 於茲蓋已迄幾代 經年累月光陰去

山上憶良 1716

 右一首,或云:「川嶋皇子御作歌。」


1717 春日老歌一首

 三川之 淵麒不落 左提刺爾 衣手潮 干兒波無爾

 三川(みつかは)の 淵(ふちせ)も落(お)ちず 小網差(さでさ)すに 衣手濡(ころもでぬ)れぬ 干(ほ)す兒(こ)は無(な)しに

 來回三川間 淵淵齲麑欺螳筺…ダ濔網而 裳袖漬濡衣手沾 然無妹兒為我乾

春日藏首老 1717

「三川(みつかは)」,所在未詳。或云大津市四谷川與其北大宮川。或云三河矢作川

「淵(ふちせ)も落(お)ちず」,淵麈喫黛弊鄰羶煮毳頻殞速急切之所。「落ちず」表無所遺漏。

「小網差(さでさ)す」,「小網(さで)」乃四手網。「差(さ)す」乃為補魚鳥而張設陷阱之狀。

「衣手濡(ころもでぬ)れぬ」,「濡」之原文有「潮」、「湖」等版本,此依『類聚古集』訓「ぬれぬ」。


1718 高市(鄂)歌一首

 足利思代 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門爾 極爾監鴨

 率(あども)ひて 漕去(こぎい)にし舟(ふね)は 高島(たかしま)の 安曇湊(あどのみなと)に 泊(は)てにけむ哉(かも)

 雄叫引率而 划槳榜行之舟者 今於高島之 足速水門安曇湊 已然泊船著岸哉

高市鄂諭1718

「率(あども)ひて」,引率。又以あど之音與後文「安曇(あど)」雙關。

「安曇湊(あどのみなと)に」,湊字本意為河口,此概云安曇川河口之南船木、北船木等港湊哉。

1719 春日藏(老)歌一首

 照月遠 雲莫隱 嶋陰爾 吾船將極 留不知毛

 照月(てるつき)を 雲勿隱(くもなかく)しそ 島蔭(しまかげ)に 我(わ)が船泊(ふねは)てむ 泊知(とまりし)らずも

 還願天浮雲 勿隱照月蔽光明 徘徊島蔭間 吾船將泊覓水口 不辨港湊令人懼

春日藏首老 1719

 右一首,或本云:「小辨作也。」或記姓氏,無記名字;或稱名號,不稱姓氏。然依古記,便以次載。凡如此類,下皆倣焉。

「島蔭(しまかげ)に」,入將等可令舟船一時規避風波之地形。

1720 元仁歌三首

 馬屯而 打集越來 今日見鶴 芳野之川乎 何時將顧

 馬並(うまな)めて 打群越來(うちむれこえき) 今日見(けふみ)つる 吉野川(よしののかは)を 何時返見(いつかへりみ)む

 引率陳馬而 群聚越來至此地 今日所觀之 御芳野兮吉野川 何日歸來再相見

元仁 1720

「馬並(うまな)めて」,引領眾多馬隊。原文「屯」字按『萬象名義』云:「屯,陳也。」『新撰字鏡』云:「聚也,陳也」。

「何時返見(いつかへりみ)む」,無疑問助詞か之疑問文


1721 【承前。】

 辛苦 晚去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君

 苦(くる)しくも 暮行(くれゆ)く日(ひ)かも 吉野川(よしのがは) 清川原(きよきかはら)を 見(み)れど飽(あ)か無(な)くに

 辛苦生憎矣 日已晚去時既暮 奈良吉野川 清川原無限好 雖見不厭怨黃昏

元仁 1721

「清川原(きよきかはら)を」,「清(きよ)し」表水流或月色澄明。吉野述景,多褒川鸚串遏

1722 【承前。】

 吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布真國

 吉野川(よしのがは) 川波高(かはなみたか)み 瀧浦(たきのうら)を 見(み)ずか成(なり)なむ 戀(こ)ひしけまくに

 奈良吉野川 川波高湧遮眼界 以彼高波故 終究不得窺瀧浦 是後憶之當惆悵

元仁 1722

「瀧浦(たきのうら)を」,水勢湍急之入江狀景勝地

「戀(こ)ひしけまくに」,預測一旦回想起來,必然因為心願未了而有所遺恨。

1723 絹歌一首

 河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨

 蛙鳴(かはづな)く 六田川(むつたのかは)の 川柳(かはやぎ)の 懃見(ねもころみ)れど 飽(あ)かぬ川(かは)かも

 河蛙田雞鳴 御芳野兮六田川 川岸楊柳之 柳根懃見雖端詳 百見不厭此川矣

絹麻呂 1723

「蛙鳴(かはづな)く」,以當地代表之景象以為枕詞之用法。

川柳(かはやぎ)の」,川楊之疇,多半非指垂柳,但時而混同。此以楊柳之根(ね)雙關懃(ねもころ)字。

「懃見(ねもころみ)れど」,仔細地一再端詳之狀。


1724 嶋足歌一首

 欲見 來之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷

 見(み)まく欲(ほ)り 來(こ)しくも著(しる)く 吉野川(よしのがは) 音清(おとのさや)けさ 見(み)るに羨(とも)しく

 欲見其景而 來之不虛此一行 芳野吉野川 其音清邏疏嶇 見之稱羨繫心絃

嶋足 1724

「見(み)るに羨(とも)しく」,「羨(とも)し」之原意來自欲留下足跡之「跡(と)む」,進而衍伸作心為其所吸引、懷念,甚滯欠乏等義。

1725 麻呂歌一首

 古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨

 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人(ひと)の 遊(あそ)びけむ 吉野川原(よしののかはら) 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 傳聞昔古之 賢人隱士仙客疇 所以遊興矣 吉野川原風光美 雖見百度亦不厭

麻呂 1725

 右,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「麻呂」,未詳孰是。『人麻呂歌集』有「所謂麻呂之奴」云云,故或云柿本人麻呂本人。「右,柿本朝臣人麻呂之歌集出。」,有起自1712、1715、1750,1725等說。


1726 丹比真人歌一首

 難波方 鹽干爾出而 玉藻苅 海未通女等 汝名告左禰

 難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)に出(いで)て 玉藻刈(たまもか)る 海人娘子等(あまをとめども) 汝(な)が名告(なの)らさね

 澪標難波潟 出步退潮濱邊處 拾苅玉藻之 海人娘子未通女 願汝告名令吾知

丹比真人 1726

「海人娘子等(あまをとめども)」,原文諸本皆作「海未通等」,此依『萬葉代匠記』補「女」字。夫『萬葉集』卷九,脫字、誤字多有,非唯後世誤脫,或唯原本缺陷。等字云海女非特定對象,對複數女性求婚之曲,亦見於卷五「遊於松浦河序」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0853

「汝(な)が名告(なの)らさね」,古代深信言靈之效,真名不得告知親人以外之者,故詢問女性名諱乃求婚之意。


1727 和歌一首 【承前。】

 朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人爾 妾名者不教

 漁(あさり)する 人(ひと)とを見坐(みま)せ 草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)に 我(わ)が名(な)は告(の)らじ

 請視妾身者 以為採漁海女矣 草枕異地兮 漂泊客去旅行人 妾身難以告吾名

佚名 1727

「漁(あさり)」,探求、採集魚貝類。

「人(ひと)とを見坐(みま)せ」,「を」乃間投助詞。請將妾身看作一般的海女,別妄作他想。

「我(わ)が名(な)は告(の)らじ」,原本作「妾者不敷」蓋訛,按『萬葉集略解』校為「教」字,依『萬葉集新考』補「名」字。蓋早其原本之誤訛。

1728 石川卿歌一首

 名草目而 今夜者寐南 從明日波 戀鴨行武 從此間別者

 慰(なぐ)さめて 今夜(こよひ)は寢(ね)なむ 明日(あす)よりは 戀(こ)ひかも行(ゆ)かむ 此(こ)ゆ別(わか)れなば

 纏綿相慰藉 今夜共寢惜春宵 自於明日起 雖然相思仍啟行 於茲相別客去者

石川年足 1728

石川卿」,石川年足。亦有擬作石川宮麻呂之說。

「慰(なぐ)さめて」,互相安慰。

「此(こ)ゆ」,自此、從此。

1729 宇合卿歌三首

 曉之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 敷弖志所念

 曉(あかとき)の 夢(いめ)に見(み)えつつ 梶島(かぢしま)の 礒越波(いそこすなみ)の 頻(し)きてし思(おも)ほゆ

 拂曉矇矓時 每每相見在夢田 一猶梶島之 越礒之浪緣岸來 此思頻頻未嘗絕

藤原宇合 1729

「宇合卿」,藤原宇合。藍紙本、廣麕槎錄書「飯女歌三首」,未詳。

「夢(いめ)に見(み)えつつ」,「つつ」表持續、反復之意。

「梶島(かぢしま)の 礒越波(いそこすなみ)の」,「頻(し)きて」之序詞。梶島所在未詳,按『八雲御抄』云在丹後。或云尾張幡豆郡吉良町宮崎岬附近之小島。

1730 【承前。】

 山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

 山科(やましな)の 石田小野(いはたのをの)の 柞原(ははそはら) 見(み)つつか君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ

 山科石田之 小野楢林柞原矣 吾人送君離 遠觀栵原眺望間 沒入將越彼山道

藤原宇合 1730

「柞原(ははそはら)」,「柞(ははそ)」者,橅科落葉高木楢之別名。『萬葉集』無正訓,『新撰字鏡』作「楢、栵」,『和名抄』作「柞」。如『古今和歌集』「 秋霧は 今朝は勿立ちそ 佐保山の 楢の紅葉 他所にても見む」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk05.htm#266,讚詠此木之歌者多有。

「見(み)つつか君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ」,或為男性心念同性友人所詠,或擬女性之情所作。而木錄曰「飯女歌」者,或為女性思念行旅之夫君所詠。

1731 【承前。】

 山科乃 石田社爾 布麻越者 蓋吾妹爾 直相鴨

 山科(やましな)の 石田杜(いはたのもり)に 幣置(ぬさお)かば 蓋(けだ)し我妹(わぎも)に 直(ただ)に逢(あ)はむかも

 山科神無森 冥貺靈驗石田社 若置幣於此 禱其神者訴吾願 蓋能直與妹逢哉

藤原宇合 1731

山科(やましな)の 石田杜(いはたのもり)に」,京都山科區小山神無森一帶之古社。今不復在。

「幣置(ぬさお)かば」,幣乃祭神時所貢獻之品物。原文仙覺本作「布靡越者」,而藍紙本等作「布麻越者」。「越」亦有度之意。

「蓋(けだ)し」,莫非、說不定。


1732 碁師歌二首

 祖母山 霞棚引 左夜深而 吾舟將泊 等萬里不知母

 大葉山(おほばやま) 霞棚引(かすみたなび)き 小夜更(さよふ)けて 我(わ)が船泊(ふねは)てむ 泊(とま)り知(し)らずも

 近江大葉山 深埋雲霞瀰漫間 昏昏夜已深 吾船將泊以寄岸 其湊不知何所依

碁師 1732

「大葉山(おほばやま)」,所在未詳。原文「母山」而本居宣長引『萬葉集略解』指其脫「祖」字,『令集解』云:「祖母,おほば。」1224原文作大葉山。

1224重出。


1733 【承前。】

 思乍 雖來來不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津

 思(おも)ひつつ 來(く)れど來兼(きか)ねて 三尾崎(みをのさき) 真長浦(まながのうら)を 又返見(またかへりみ)つ

 心思之所繫 雖然來之難別去 近海三尾崎 安曇川口真長浦 流連駐足復返見

碁師 1733

「思(おも)ひつつ」,常繫心絃,珍愛其景。

「又返見(またかへりみ)つ」,回到當初之場所再度眺望美景。

1734 少辨歌一首

 高嶋之 足利湖乎 滂過而 鹽津菅浦 今香將滂

 高島(たかしま)の 安曇湊(あどのみなと)を 漕過(こぎす)ぎて 鹽津菅浦(しほつすがうら) 今(いま)か漕(こ)ぐらむ

 淡海高嶋之 安曇湊兮不駐留 榜過行船去 想來此時漕何處 蓋在鹽津菅浦邊

少辨 1734

「漕過(こぎす)ぎて」,「過ぐ」乃單純通過而不停留之意。

「鹽津菅浦(しほつすがうら) 今(いま)か漕(こ)ぐらむ」,作者自勝野等安曇川口由南向北航行,約四小時間經過船木崎而思量今在何處之所詠。就地理位置來說,應當先過菅浦再到鹽津(琵琶湖北彎入部)。

1735 伊保麻呂歌一首

 吾疊 三重河原之 礒裏爾 如是鴨跡 鳴河蝦可物

 我(わ)が疊(たたみ) 三重川原(みへのかはら)の 礒裏(いそのうら)に 如是(かく)しもがもと 鳴(な)く蛙(かはづ)かも

 吾疊敷筵兮 伊勢三重川原之 礒裏巖蔭間 心願久長盡歡情 如是鳴啼河蛙矣

伊保麻呂 1735

「我(わ)が疊(たたみ)」,地名「三重」之枕詞。疊乃敷筵、毛皮等可摺疊之敷物之總稱。

「礒裏(いそのうら)に」,岩蔭。

「如是(かく)しもがもと」,希望持續如此。此以蛙鳴作為獲妻歡喜之表線。


1736 式部大倭東人芳野作歌一首

 山高見 白木綿花爾 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香聞

 山高(やまたか)み 白木綿花(しらゆふばな)に 落激(おちたぎ)つ 夏身川門(なつみのかは)と 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 山高嶮水深 絕壁落激貫千丈 猶白木綿花 夏身川門堪絕景 百看千遍不厭倦

大倭東人 1736

「山高(やまたか)み」,與類歌909同為並列用法。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m06.htm#0909

「夏身川門(なつみのかはと)」,川門指徒步涉水處。

1737 兵部川原歌一首

 大瀧乎 過而夏箕爾 傍為而 淨川鵝仝何明沙

 大瀧(おほたき)を 過(す)ぎて夏身(なつみ)に 傍居(ほそりゐ)て 清川(きよきかはせ)を 見(み)るが清(さや)けさ

 吉野宮瀧矣 行過大瀧至夏身 傍居此處而 觀望明淨此川鵝/歓叛★鄒鏡金

兵部川原 1737

「大瀧(おほたき)」,蓋指吉野宮瀧。

「傍居(ほそりゐ)て」,「傍(ほそ)る」乃「傍(ほは)る」之古形。『日本書紀』神代下:「添山,此云そほりのやま。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki02.htm




1738 詠上總末珠名娘子一首 【并短歌。】

 水長鳥 安房爾繼有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須輕娘子之 其姿之 端正爾 如花 咲而立者 玉桙乃 道徃人者 己行 道者不去而 不召爾 門至奴 指並 隣之君者 預 己妻離而 不乞爾 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 容艷 緣而曾妹者 多波禮弖有家留

 息長鳥(しながとり) 安房(あは)に繼(つ)ぎたる 梓弓(あづさゆみ) 末珠名(すゑのたまな)は 胸別(むなわけ)の 廣(ひろ)き我妹(わぎも) 腰細(こしぼそ)の 蜾嬴娘子(すがるをとめ)の 其姿(そのかほ)の 端正(きらぎら)しきに 花如(はなのごと) 笑(ゑ)みて立(た)てれば 玉桙(たまほこ)の 道行人(みちゆくひと)は 己(おの)が行(ゆ)く 道(みち)は行(ゆ)かずて 呼(よ)ば無(な)くに 門(かど)に至(いた)りぬ 差並(さしなら)ぶ 隣君(となりのきみ)は 豫(あらかじ)め 己妻離(おのづまか)れて 乞(こ)は無(な)くに 鍵(かぎ)さへ奉(まつ)る 人皆(ひとみな)の 如是惑(かくまと)へれば 容艷(うちしなひ) 寄(よ)りてそ妹(いも)は 戲(たは)れてありける

 水邊息長鳥 安房之地所相繼 梓弓張絃兮 末之國色珠名者 胸幅也豐腴 廣大婀娜吾妹矣 其腰也纖細 飛燕蜾嬴娘子矣 其顏也端麗 容姿光儀曜晃之 如花且似玉 嫣然展笑而立者 玉桙石柱兮 大道所經行人等 不往己道去 魂牽夢縈總自失 分明不召而 至於門前久流連 差指並列兮 比鄰所居家主者 豫前先離異 不顧己妻棄舊緣 分明無索而 輙奉己鍵獻殷勤 人皆無所餘 咸為所惑如是爾 艷容能傾城 嫵媚緣來美人者 媱行私逸魅人心

高橋蟲麻呂 1738

「珠名」,傳說之美女。或稱「珠名賣、珠名女」。本曲至1760,乃『高橋蟲麻呂歌集』所出。

「息長鳥(しながとり)」,「安房(あは)」之枕詞。原文「水長鳥」,水者當訓「すい」而用表「し」者或不甚洽當,蓋以水鳥之緣而特地用之。亦有「白玉」原文書作「水良玉」之例。

安房(あは)に繼(つ)ぎたる」,安房國,於養老二年分置自上總國,復於天平十三年再度合併,天平寶字元年分割獨立。本歌所作,蓋在養老二年至天平十三年之間。

「梓弓(あづさゆみ)」,「末(すゑ)」之枕詞。

「胸別(むなわけ)の」,此云豐滿女性之胸圍。

「腰細(こしぼそ)の」,腰部纖細,模仿漢籍之用法。

「蜾嬴娘子(すがるをとめ)の」,如蜾嬴般苗條之女子。蜾嬴乃似我蜂之古名。

「其姿(そのかほ)の」,「姿(かほ)」非僅指容貌,亦述其姿態。

「端正(きらぎら)しきに」,「きらぎらし」乃闡述端正之美之形容詞。『令集解』云:「端正,俗語かほよし也。」『名義抄』云:「潔,きらぎらし。」

「呼(よ)ば無(な)くに」,明明娘子並未招呼行人。

「差並(さしなら)ぶ」,「隣(となり)」之枕詞。

「隣君(となりのきみ)は」,並非特指兩鄰,乃概稱鄰近已婚者。

「鍵(かぎ)さへ奉(まつ)る」,奉上家門之鑰匙。意指全面讓渡家之管理權。

「人皆(ひとみな)の」,原文底本作「人乃皆」,而藍紙本「人皆乃」蓋為古形。

「容艷(うちしなひ)」,「うち」乃接頭語,而「容艷(しな)ふ」乃しなやかにたわむ之意。喬知之『和李侍郎古意』云:「美人長歎艷容萎,含情收取摧折枝。」

「戲(たは)れてありける」,「戲(たは)る」表淫亂之性關係。『新撰自鏡』云:「婬,放逸也、戲也、私逸也。」或說舉此句,論珠名乃遊行女婦。




1739 反歌 【承前。】

 金門爾之 人乃來立者 夜中母 身者田菜不知 出曾相來

 金門(かなと)にし 人來立(ひとのきた)てば 夜中(よなか)にも 身(み)はたな知(し)らず 出(いで)てそ逢(あ)ひける

 華飾金門外 若有人之來立者 縱為深夜中 不顧吾身莫惜名 出門晤之與相會

高橋蟲麻呂 1739

「金門(かなと)にし」,鑲有今具之門。

「身(み)はたな知(し)らず」,「たな」乃表「完全」之接頭語。

1740 詠水江浦嶋子一首 【并短歌。】

 春日之 霞時爾 墨吉之 岸爾出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曾所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家爾毛不來而 海界乎 過而榜行爾 海若 神之女爾 邂爾 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代爾至 海若 神之宮乃 內隔之 細有殿爾 攜 二人入居而 耆不為 死不為而 永世爾 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒爾 告而語久 須臾者 家歸而 父母爾 事毛告良比 如明日 吾者來南登 言家禮婆 妹之答久 常世邊 復變來而 如今 將相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曾己良久爾 堅目師事乎 墨吉爾 還來而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許爾念久 從家出而 三歳之間爾 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手齒 如本 家者將有登 玉篋 小披爾 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叫袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 醉之 髮毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絕而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

 春日(はるのひ)の 霞(かす)める時(とき)に 住吉(すみのえ)の 岸(きし)に出居(いでゐ)て 釣舟(つりぶね)の 蕩漾見(とをらふみ)れば 古(いにしへ)の 事(こと)そ思(おも)ほゆる 水江(みづのえ)の 浦島子(うらしまのこ)が 鰹釣(かつをつ)り 鯛釣誇(たひつりほこ)り 七日迄(なぬかまで) 家(いへ)にも來(こ)ずて 海境(うなさか)を 過(す)ぎて漕行(こぎゆ)くに 海神(わたつみ)の 神娘子(かみのをとめ)に 偶(たまさか)に い漕向(こぎむか)ひ 相誂(あひとぶら)ひ 言成(ことな)りしかば かき結(むす)び 常世(とこよ)に至(いた)り 海神(わたつみ)の 神宮(かみのみや)の 內重(うちのへ)の 妙(たへ)なる殿(との)に 攜(たづさは)り 二人入居(ふたりいりゐ)て 老(お)いもせず 死(し)にもせずして 永世(ながきよ)に 在(あり)ける者(もの)を 世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語(かた)らく 暫(しまし)くは 家(いへ)に歸(かへ)りて 父母(ちちはは)に 事(こと)も語(かた)らひ 明日如(あすのごと) 我(われ)は來(き)なむと 言(い)ひければ 妹(いも)が言(い)へらく 常世邊(とこよへ)に 又歸來(またかへりき)て 今如(いまのごと) 逢(あ)はむと成(な)らば 此櫛笥(このくしげ) 開(ひら)く勿努(なゆめ)と 幾許(そこらく)に 堅(かた)めし言(こと)を 住吉(すみのえ)に 歸來(かへりきた)りて 家見(いへみ)れど 家(いへ)も見兼(みか)ねて 里見(さとみ)れど 里(さと)も見兼(みか)ねて 恠(あやし)みと 其處(そこ)に思(おも)はく 家(いへ)ゆ出(いで)て 三年間(みとせのあひだ)に 垣(かき)も無(な)く 家失(いへう)せめやと 此箱(このはこ)を 開(ひら)きて見(み)てば 元如(もとのごと) 家(いへ)は在(あ)らむと 玉櫛笥(たまくしげ) 少(すこ)し開(ひら)くに 白雲(しらくも)の 箱(はこ)より出(いで)て 常世邊(とこよへ)に 棚引(たなびき)ぬれば 立走(たちはし)り 叫(さけ)び袖振(そでふ)り 臥倒(こいまろ)び 足(あし)ずりしつつ 頓(たちまち)に 心消失(こころけう)せぬ 若(わか)かりし 肌(はだ)も皺(しわ)みぬ (くろ)かりし 髮(かみ)も白(しら)けぬ 後後(ゆなゆな)は 息(いき)さへ絕(た)えて 後遂(のちつひ)に 命死(いのちし)にける 水江(みづのえ)の 浦島子(うらしまのこ)が 家所見(いへところみ)ゆ

 春暖風和日 霞霧瀰漫朦朧時 墨江住吉之 邊岸出居望海原 釣舟浮蒼溟 搖曳蕩漾見之者 心嚮曩昔時 思古幽情自然起 丹後水江之 筒川嶼子浦嶋子 汎海欲釣鰹 乘興釣鰹不自已 轉瞬及七日 未嘗歸家不寄岸 海境無涯處 越之榜行去沖瀛 海神綿津見 海若閨秀神娘子 偶然與邂逅 面向榜之行逢矣 歡喜相誂論婚合 情意投合言成故 結契作夫妻 至於千尋常世國 海神綿津見 富麗堂皇神宮之 深窗內陣之 靈妙珍奇御殿間 執子之手而 成雙相攜入居矣 如此居蓬萊 不老不死獲永生 居於永世間 駐老延齡未嘗衰 何奈世間之 蒙昧愚人浦島矣 告於吾妹妻 相語之曰道如此 所望無他矣 暫還本俗歸家鄉 拜會父母而 奉告此間吾消息 至於明日頃 吾將復來返仙宮 如是告言者 海童娘子遂答言 愛也吾夫君 汝若有情再相會 復歸常世國 再繫前緣如今者 慎納此櫛笥 莫開玉匣之緘矣 雖然約成者 幾許山盟千金重 然歸墨江之 住吉故土本鄉地 雖瞻眺幾家 所馴宅邸不得見 復雖望村邑 所馴鄉里不復得 奇也珍恠哉 在於其處有所思 自家出旅遊仙境 不過三年光景爾 何以垣滅哉 何以故家消失哉 若得開此箱 窺見匣中靈妙者 或得如元本 迴見舊里覓故家 故取玉櫛笥 稍開其蓋將觀時 白雲紫煙者 自其箱底冉昇天 飄向常世國 棚引飛去無其賜 奔走追雲霞 叫喚揮袖若心狂 倒臥頓踣而 蹣跚蹌踉匍匐間 精神恍紹而 頓失心性更氣絕 稚嫩肌膚者 轉瞬皺老寄衰萎 烏玉鉐者 霎時斑駁褪蒼白 未經幾時後 呼吸衰竭習緒止 斯須頃刻間 後遂壽死絕此命 嗚呼水江之 筒川嶼子浦嶋子 所居遺跡今可見

高橋蟲麻呂 1740

「水江浦嶋子」,見於『丹後風土記https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun01.htm#048、『日本書紀』雄略紀 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki14.htm#sk14_19、『扶桑畧記』雄略記 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kiryaku/fs02.htm#22、『浦島子傳』 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/monogatari/urasima/urasima.htm 等。

「蕩漾(とをら)ふ」,舟船漂蕩之狀。與「撓(とら)む」、「撓(とをよ)む」同源。

浦嶋子」,有嶋子、嶼子等說。

「鰹釣(かつをつ)り」,日本海域少有鰹魚生息,而小舟更難以釣鰹。存疑。

「鯛釣誇(たひつりほこ)り」,「誇(ほこ)り」乃得意忘形之意。

「海境(うなさか)」,海上現世與常世之境界。

「偶(たまさか)に」,意料之外。

「い漕向(こぎむか)ひ」,「向(むか)ひ」原文「趍」,奔走之意。

「言成(ことな)りしかば」,所言(提案)成立。

「かき結(むす)び」,節契。「かき」乃接頭語。

「常世(とこよ)」,不老不死之異界。此云海神宮殿。『雄略紀』作蓬萊山。

「內重(うちのへ)の」,宮殿內之密室

「攜(たづさは)り」,相互攜手。

「在(あり)ける者(もの)を」,「在(ある)ねかり者(もの)を」之意。本當如此。反歌作「住(す)むべき物(もの)を」。

「世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の」,此云世上最愚蠢者。作者批判浦島子所為之語。

「我妹子(わぎもこ)」,以浦島子之立場而指其妻神女。

「告(の)りて」,「告(の)る」乃告知重大事情。

「暫(しまし)く」,一時、短時間。或云「暫(しま)し」。

「櫛笥(くしげ)」,惑云「玉櫛笥(たまくしげ)」,女性安置梳妝打扮道具之容器,古俗亦以為留置女性靈魂之具。

「堅(かた)めし言(こと)」,堅牢之誓言。

「三年間(みとせのあひだ)」,常世國時間流逝緩慢,三年相當現世之數百年。按『丹後風土記』,浦島子出海不歸,以去三百餘年。

「開(ひら)きて見(み)てば」,「て」乃完了助動詞「つ」之未然形。無論東西,皆有因開敞門戶、箱櫃導致咒力消失,甚至招來災禍、死亡之傳說。

「袖振(そでふ)り」,揮動衣袖,欲將失物招回之狀。

「臥倒(こいまろ)び 足(あし)ずりしつつ」,倒臥輾轉,雙足蹋地。悲嘆無奈之情之表現。

「皺(しわ)み」,鏟生皺紋。

「家所(いへところ)」,過去居住處之遺跡。暗示自空想世界回歸現實之惆悵。



1741 反歌 【承前。】

 常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曾也是君

 常世邊(とこよへ)に 住(す)むべき物(もの)を 劍大刀(つるぎたち) 汝(な)が心(こころ)から 鈍(おそ)や此君(このきみ)

 當於常世鄉 永住以度仙人生 然以劍大刀 汝心管見起愚行 嗚呼鈍哉也此君

高橋蟲麻呂 1741

「劍大刀(つるぎたち)」,「汝(な)」之枕詞。古云「刃」作「な」,故云。

「汝(な)が心(こころ)から」,原文「己之行柄」。行者心也,漢籍所謂「心行。」『名義抄』云:「行、こころ。」非他人之過,隨己心而為。


1742 見河內大橋獨去娘子歌一首 【并短歌。】

 級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上從 紅 赤裳數十引 山藍用 揩衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟將宿 問卷乃 欲我妹之 家乃不知久

 級照(しなで)る 片足羽川(かたしはがは)の 佐丹塗(さにぬ)りの 大橋上(おほはしのうへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾引(あかもすそび)き 山藍持(やまあゐも)ち 摺(す)れる衣著(きぬき)て 唯獨(ただひとり) い渡(わた)らす兒(こ)は 若草(わかくさ)の 夫(つま)か在(あ)るらむ 橿實(かしのみ)の 獨(ひとり)か寢(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家(いへ)の知(し)ら無(な)く

 級照耀暉兮 河內片足羽川之 朱丹所塗矣 大橋之上越經之 艷絕染深紅 拖曳眩目赤裳裾 山藍所摺染 身著蒼穹此青衣 獨自唯一人 隻身渡去娘子者 親親若草兮 結髮夫君可在乎 亦或如橿實 輾轉難眠孤寢乎 吾魂牽夢縈 欲問汝名我妹之 其家不知在何方

高橋蟲麻呂 1742

「級照(しなで)る」,「片足羽川」之枕詞。按『日本書紀』推古紀有以之修飾片岡之例。

「佐丹塗(さにぬ)りの」,稍帶黃味之赤色染料。以下連貫紅、藍等色彩。

「山藍持(やまあゐも)ち」,山藍乃群生山地木蔭之多年草。將其葉乾燥搗爛,可作為藍竸Ю料。

「い渡(わた)らす兒(こ)は」,「渡(わた)らす」乃「渡(わた)す」之敬語形,然敬意稍輕。

「橿實(かしのみ)の」,「獨(ひとり)」之枕詞。相較栗等多子類果食,橿之堅果唯有一子於其中。

「獨(ひとり)か寢(ぬ)らむ」,「らむ」於此乃依習慣事實之線再推量語。

「問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が」,「まくの 欲(ほ)し」乃中古願望助動詞「まほし」之古形。

1743 反歌 【承前。】

 大橋之 頭爾家有者 心悲久 獨去兒爾 屋戶借申尾

 大橋(おほはし)の 頭(つめ)に家有(いへあ)らば 真悲(まかな)しく 獨行(ひとりゆ)く兒(こ)に 宿貸(やどか)さましを

 若在河內之 大橋頭邊有家者 今見彼橋上 真悲獨去娘子矣 可貸一宿與依歸

高橋蟲麻呂 1743

「大橋(おほはし)の 頭(つめ)」,「頭(つめ)」乃行路盡頭之意。『日本書紀』天智紀:「打橋の 頭の遊に」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krr02.htm#s0124

「真悲(まかな)しく」,相對於表示心中深處所蘊含悲切之「衷悲(うらかな)し」,「真悲し」指其外表令人感到悲淒之狀。


1744 見武藏小埼沼鴨作歌一首

 前玉之 小埼乃沼爾 鴨曾翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有斯

 埼玉(さきたま)の 小埼沼(をさきのぬま)に 鴨(かも)そ翼霧(はねき)る 己(おの)が尾(を)に 降置(ふりお)ける霜(しも)を 拂(はら)ふとにあらし

 吾見埼玉之 武藏小埼湖沼間 鴨翅揮振水沫揚 迷濛翼霧起 蓋是霜降己尾上 欲將拂拭所為哉

高橋蟲麻呂 1744

「翼霧(はねき)る」,「霧(き)る」乃起霧之意。此乃被動詞之用法,指振動翅膀導致水沫飛散。

「拂(はら)ふとにあらし」,「と」乃「と思って」之意。「に」乃斷定助動詞「なり」之連用形。「あらし」乃「あるらし」之略。

1745 那賀郡曝井歌一首

 三栗乃 中爾向有 曝井之 不絕將通 從所爾妻毛我

 三栗(みつぐり)の 那賀(なか)に向(むか)へる 曝井(さらしゐ)の 絕(たえ)ず通(かよ)はむ 其處(そこ)に妻欲得(つまもが)

 一實三栗兮 那賀真向曝井之 無絕之所如 欲得頻訪無絕期 窈窕吾妻在其處

高橋蟲麻呂 1745

「三栗(みつぐり)の」,地名「那賀(なか)」之枕詞。一顆栗果之中,有三實之栗者。以其中央(なか)之意,而修飾「那賀」。

「那賀(なか)」,鄉名。今那珂川一帶。

「曝井(さらしゐ)の」,以上,以井水不絕引出後文來訪不斷之序。

「妻欲得(つまもが)」,「欲得(もが)」表願望,而一般不特定其願望之對象。

1746 手綱濱歌一首

 遠妻四 高爾有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋來名益

 遠妻(とほづま)し 高(たか)に在(あり)せば 知(し)らずとも 手綱濱(たづなのはま)の 尋來(たづねき)な益(まし)

 若吾遠妻者 身在高鄉多珂者 縱然不知方 吾必如手綱濱名 蹋遍尋來欲一晤

高橋蟲麻呂 1746

「遠妻(とほづま)し」,住在異地,遠遠相隔之妻子。

「手綱濱(たづなのはま)の」,以類音引出「尋(たづ)ね」之序文。

1747 春三月,諸卿大夫等下難波時歌二首 【并短歌。】

 白雲之 龍田山之 瀧上之 小桉嶺爾 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 繼而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝爾 遺有花者 須臾者 落莫亂 草枕 客去君之 及還來

 白雲(しらくも)の 龍田山(たつたのやま)の 瀧上(たきのうへ)の 小桉嶺(をぐらのみね)に 咲撓(さきをを)る 櫻花(さくらのはな)は 山高(やまたか)み 風(かぜ)し止(やま)ねば 春雨(はるさめ)の 繼(つ)ぎてし降(ふ)れば 上枝(ほつえ)は 散過(ちりす)ぎにけり 下枝(しづえ)に 殘(のこ)れる花(はな)は 暫(しまし)くは 散(ち)り勿亂(なまが)ひそ 草枕(くさまくら) 旅行(たびゆ)く君(きみ)が 歸來(かへりく)る迄(まで)

 白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 瀧鷯繃眷掘‖曳小桉之嶺間 爭艷咲一面 滿開垂枝櫻花者 其以山高聳 勁風不止強摧故 又因春雨之 頻頻不絕紛降故 上枝之曾生 既已盛過凋零矣 下枝之所餘 寥寥無幾殘花矣 還願須臾間 莫輙散落亂狼藉 草枕在他鄉 直至羈旅異地之 吾君歸來一賞爾

高橋蟲麻呂 1747

「白雲(しらくも)の」,以「湧立(たつ)」引出「龍田山(たつたのやま)」之枕詞。

「瀧上(たきのうへ)の」,此處「瀧(たき)」指激流。蓋云龜鶲贇菁卦湎據

「小桉嶺(をぐらのみね)」,所在未詳。或云龜麕綿之留所山。

「咲撓(さきをを)る」,因花開茂盛而枝垂之狀。

「上枝(ほつえ)は」,最上方之枝。

「散過(ちりす)ぎにけり」,指花或紅葉已過盛開之時,既而零落散盡。

「下枝(しづえ)」,最下方之枝。

「暫(しまし)くは」,短時間內。

「散(ち)り勿亂(なまが)ひそ」,「散亂(ちりまが)ひ」乃花葉亂零之狀。

旅行(たびゆ)く君(きみ)が」,指以藤原宇合為首之題目所稱諸卿大夫等。

1748 反歌 【承前,反歌。】

 吾去者 七日者不過 龍田彥 勤此花乎 風爾莫落

 我(わ)が行(ゆ)きは 七日(なぬか)は過(す)ぎじ 龍田彥(たつたひこ) 努此花(ゆめこのはな)を 風(かぜ)に莫散(なち)らし

 吾等此去者 七日之內必將返 龍田彥大神 願汝勤驗護此花 莫令風摧致早謝

高橋蟲麻呂 1748

「我(わ)が行(ゆ)きは」,「行(ゆ)き」為名詞形。相對於前曲長歌立於送行者之立場,此反歌以行旅者之視角所詠。

「龍田彥(たつたひこ)」,龍田神社之祭神。


1749 【承前,第二。】

 白雲乃 立田山乎 夕晚爾 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開繼 許知期智乃 花之盛爾 雖不見 左右 君之三行者 今西應有

 白雲(しらくも)の 龍田山(たつたのやま)を 夕暮(ゆふぐれ)に 打越行(うちこえゆ)けば 瀧上(たきのうへ)の 櫻花(さくらのはな)は 咲(さき)たるは 散過(ちりす)ぎにけり 含(ふふ)めるは 咲繼(さきつ)ぎぬべし 比處此處(こちごち)の 花盛(はなのさか)りに 見(め)さずとも 斯(か)にも如是(かく)にも 君(きみ)が御行(みゆき)は 今(いま)にしあるべし

 白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 夕暮黃昏時 徒步登山越行者 激越瀧上之 所生絢爛櫻木者 花咲開有者 已然盛過皆散盡 含苞未放者 蓄蘊花蕾將繼咲 放眼所望得 雖非四處皆花盛 花開併花落 縱然如斯又何如 吾君御行在此時 良辰美景應自生

高橋蟲麻呂 1749

「咲繼(さきつ)ぎぬべし」,眼見含苞未放之花蕾,推定今後仍會持續綻放。

「比處此處(こちごち)の」,四處。上代語中,意指遠方之「あち」尚未發達,故連用比處以表到處。

「斯(か)にも如是(かく)にも」,無論如何。原文「左右」乃漢籍俗語用法。

「君(きみ)が御行(みゆき)は」,此云藤原宇合等諸卿大夫等之遊興。

1750 反歌 【承前,反歌第二。】

 暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒

 暇有(いとまあ)らば 滯渡(なづさひわた)り 向峰(むかつを)の 櫻花(さくらのはな)も 折(を)ら益物(ましもの)を

 若得有暇者 還欲滯渡涉此川 至於向峰處 手折櫻花取其枝 帶回飄香惜木花

高橋蟲麻呂 1750

「滯渡(なづさひわた)り」,涉水前進。滯為阻撓之狀。

「向峰(むかつを)」,自大和川北岸眺望對岸丘陵。自大和難波前去之龍田道者,沿大和川北岸而行。

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2017-06-15-木

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万葉集試訳

1634 【承前。】

 衣手爾 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子

 衣手(ころもで)に 水澁付(みしぶつ)く迄(まで) 植(う)ゑし田(た)を 引板我(ひきたわ)が延(は)へ 守(まも)れる苦(くる)し

 衣袖沾漬濕 水澁垢付沁襟領 如此所植田 吾已疲於延引板 守之甚苦盡徒然

佚名 1634

「衣手(ころもで)に 水澁付(みしぶつ)く迄(まで)」,「水澁(みしぶ)」乃積水表面之水垢。長時間下田耕種,衣物為水垢所染。

「引板我(ひきたわ)が延(は)へ」,「引板(ひきた)」乃「引板(ひきいた)」之略,鳴子(なるこ)。以細竹管所懸之板片,繫於繩而張於田畝,以驚嚇動物不令荒田之機關。

「守(まも)れる苦(くる)し」,「守(まも)れる」表保護監視


1635 尼作頭句,并大伴宿禰家持所誂尼,續末句等和歌一首

 佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎【尼作。】 苅流早飯者 獨奈流倍思【家持續。】

 佐保川(さほがは)の 水(みづ)を堰上(せきあ)げて 植(う)ゑし田(た)を【尼作(あまつく)る。】 刈(か)れる初飯(はついひ)は 獨(ひとり)なるべし【家持繼(やかもちつ)ぐ。】

 寧樂佐保川 堰上河水引渠間 如此植田者【尼作。】 所苅新嘗初飯矣 唯有獨享皆伶仃【家持續。】

尼、大伴家持 1635

「水(みづ)を堰上(せきあ)げて」,堰止川水引作田畝灌溉之用。比喻尼僧辛苦養育女子之狀。尼作歌至此,悲從中來,不能相續,委後句與家持續之。

「刈(か)れる初飯(はついひ)は」,收割精搗,以為新米食之。

家持同情尼僧境遇,又有諦悟世間之人,盡皆孤獨之曲。

冬雜歌

1636 舍人娘子雪歌一首

 大口能 真神之原爾 零雪者 甚莫零 家母不有國

 大口(おほくち)の 真神原(まかみのはら)に 降雪(ふるゆき)は 甚莫降(いたくなふ)りそ 家(いへ)も在(あ)ら無(な)くに

 荒振大口兮 真神之原荒野間 紛紛零雪者 汝莫降甚積如此 親族家人不在矣

舍人娘子 1636

大口(おほくち)の」,野獸血盆大口之狀,真神枕詞真神乃狼(おほかみ)之異名。欽明紀:「山逢二狼相鬪污血。乃下馬洗漱口手,祈請曰:『汝是貴神,而樂麤行。儻逢獵士,見禽尤速。』乃抑止相鬪,拭洗血毛,遂遣放之俱令全命。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki19.htm 『新譯華嚴經音義』云:「狼,倭言大神也。」

「家(いへ)も在(あ)ら無(な)くに」,「家(いへ)」指家家族


1637 太上(元正)天皇御製歌一首

 波太須珠寸 尾花逆葺 醋斃僉‖ね室者 迄萬代

 秦芒(はだすすき) 尾花逆葺(をばなさかふ)き 醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は 萬代迄(よろづよまで)に

 花薄秦芒兮 尾花逆葺敷屋脊 復用醋攫 所造社殿屋室者 當榮興盛至萬世

元正天皇 1637

「秦芒(はだすすき)」,芒草,此與後句「尾花」相同,乃同格修飾之枕詞

「尾花逆葺(をばなさかふ)き」,「葺(ふ)き」乃鋪設屋頂。一般茅葺以根本朝下,而權設之假蘆,則以茅根朝上,遂云逆葺。

「醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は」,醋敘吃垪鏗鞍蘿渓據「室」乃密室狀之社殿。此云恭迎天皇幸來,造營滿富野趣之殿舍。

1638 天皇(聖武)御製歌一首

 青丹吉 奈良乃山有 醋斃僉‖ね室者 雖居座不飽可聞

 青丹吉(あをによ)し 奈良山(ならのやま)なる 醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は 座(ま)せど飽(あ)かぬかも

 青丹良且秀 大和寧樂奈良山 取用其醋據―蠡社殿屋室者 雖常居座不厭哉

聖武天皇 1638

「青丹吉(あをによ)し」,奈良枕詞

「座(ま)せど飽(あ)かぬかも」,「座(ま)す」乃「居」之敬語。此為天皇所用之自敬表現

1639 大宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首

 沫雪 保杼呂保杼呂爾 零敷者 平城京師 所念可聞

 沫雪(あわゆき)の 斑斑(ほどろほどろ)に 降敷(ふりし)けば 奈良都(ならのみやこ)し 思(おも)ほゆるかも

 每見冬日之 沫雪紛紛降斑駁 積置碓漓者 便憶故鄉寧樂地 平城京師可怜矣

大伴旅人 1639

 右,聞之,御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製。

「斑斑(ほどろほどろ)に」,降雪薄薄積置之狀。


1640 大宰帥大伴卿梅歌一首

 吾岳爾 盛開有 梅花 遺有雪乎 亂鶴鴨

 我(わ)が岡(をか)に 盛(さか)りに咲(さ)ける 梅花(うめのはな) 殘(のこ)れる雪(ゆき)を 紛(まが)へつる哉(かも)

 吾人岡岳間 盛開綻放梅花爾 白華綴斑駁 幾與殘雪難相辨 迷茫紛亂誑我眼

大伴旅人 1640

「梅花(うめのはな) 殘(のこ)れる雪(ゆき)を」,梅花與殘雪並立。

「紛(まが)へつる哉(かも)」,因觀者之部留意而將複數對向混淆之狀。

混同白梅白雪表現,多見於漢詩。『懷風藻』大伴旅人五言初春侍宴云「梅雪亂殘岸 煙霞接早春」。『萬葉集』梅花卅二首亦有類似表現

1641 角朝臣廣辨雪梅歌一首

 沫雪爾 所落開有 梅花 君之許遣者 與曾倍弖牟可聞

 淡雪(あわゆき)に 降(ふ)らえて咲(さ)ける 梅花(うめのはな) 君所遣(きみがりや)らば 寄(よそ)へてむ哉(かも)

 沫雪自天零 所降咲有梅花矣 若手折彼枝 贈諸君許為信者 蓋為人傳蜚語哉

角廣辨 1641

「降(ふ)らえて咲(さ)ける」,「え」乃表受身助動詞「ゆ」之連用形。此將自家白梅擬人化,傷痛其遭沫雪所凌。

「君所(きみがり)」,女性之許。

「寄(よそ)へてむ哉(かも)」,「寄(よそ)ふ」乃男女過從甚密之傳言。

1642 安倍朝臣奧道雪歌一首

 棚霧合 雪毛零奴可 梅花 不開之代爾 曾倍而谷將見

 棚霧(たなぎ)らひ 雪(ゆき)も降(ふ)らぬか 梅花(うめのはな) 咲(さ)かぬが代(しろ)に 擬(そへ)てだに見(み)む

 棚霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 梅花不開矣 欲見白雪降紛紛 擬作白梅以賞見

安倍奧道 1642

「棚霧(たなぎ)らひ」,「棚(たな)」為表一面之接頭語。「霧(ぎ)らふ」為「霧(ぎ)る」之繼續態。此雲大雪亂降,遮蔽視線

「雪(ゆき)も降(ふ)らぬか」,ぬか乃希求語句

「擬(そ)へてだに見(み)む」,「擬(そ)ふ」乃以之比擬、視作。欲以降雪代作梅開。


1643 若櫻部朝臣君足雪歌一首

 天霧之 雪毛零奴可 灼然 此五柴爾 零卷乎將見

 天霧(あまぎ)らし 雪(ゆき)も降(ふ)らぬか 著(いちしろ)く 此稜柴(このいつしば)に 降(ふ)らまくを見(み)む

 天霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 顯著映灼然 欲見稜盛此柴原 降積敷置染皓白

若櫻部君足 1643

「天霧(あまぎ)らし」,天空為雲所遮蔽,曇。「霧(ぎ)らす」乃「霧(ぎ)る」之被動詞。

「著(いちしろ)く」,顯著。

「稜柴(いつしば)」,冠於植物前表示茂盛之修飾語。類例有「嚴橿(いつかし)」、「嚴藻(いつも)」等。513有「市(いち)柴原」之語,或有重疊「いち」、「いつ」類音之趣。


1644 三野連石守梅歌一首

 引攀而 折者可落 梅花 袖爾古寸入津 染者雖染

 引攀(ひきよ)ぢて 折(を)らば散(ち)るべみ 梅花(うめのはな) 袖(そで)に扱入(こきい)れつ 染(し)まば染(し)むとも

 羸弱不禁風 伸手攀引折可落 暗香梅花矣 故以衣袖扱之入 縱染其色無所惜

三野石守 1644

「引攀(ひきよ)ぢて 折(を)らば」,攀折。

「袖(そで)に扱入(こきい)れつ」,「扱入(こき)れ」乃「扱入(こきい)れ」之略,將梅花枝葉包攝於狹小空間(衣袖)內狹取之。

「染(し)まば染(し)むとも」,若因此染上花色,亦無所卻步。此或有紅梅之說,但亦非無白梅可能性。

1645 巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首

 吾屋前之 冬木乃上爾 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳

 我(わ)が宿(やど)の 冬木上(ふゆきのうへ)に 降雪(ふるゆき)を 梅花(うめのはな)かと 打見(うちみ)つるかも

 吾宿屋戶前 冬木之上所積置 皓皓零雪矣 一眼望之見斑白 殆將誤見作梅花

巨勢宿奈麻呂 1645

冬木(ふゆき)」,冬日枯木。然『日葡辭典』有「不落葉之木」之說。

「打見(うちみ)つるかも」,稍見、誤見。

此乃迫不及待欲觀翫梅之初花之情。



1646 小治田朝臣東麻呂雪歌一首

 夜干玉乃 今夜之雪爾 率所沾名 將開朝爾 消者惜家牟

 烏玉(ぬばたま)の 今夜雪(こよひのゆき)に 去來濡(いざぬ)れな 明(あ)けむ朝(あした)に 消(け)なば惜(を)しけむ

  漆遽╋妄臓〆L謠跟仆衫軅磧ゝ醫坩拿袤 顧思明日朝晨時 消熔不復甚可惜

小治田東麻呂 1646

「去來濡(いざぬ)れな」,「な」乃以話者個人意向,勸誘聽者之終助詞。「去來(いざ)」乃表意志、勸誘之感動詞。原文「率」有「引率」、「引誘」之意。

1647 忌部首酲穗だ祺琉貅

 梅花 枝爾可散登 見左右二 風爾亂而 雪曾落久類

 梅花(うめのはな) 枝(えだ)にか散(ち)ると 見(み)る迄(まで)に 風(かぜ)に亂(みだ)れて 雪(ゆき)そ降來(ふりく)る

 瞥見其景者 猶似梅花自枝散 真假難辨奪 寔乃隨風飄紛亂 皓白零雪降來矣

忌部酲穗ぁ1647

「枝(えだ)にか散(ち)ると」,「に」與「ゆ」相通,表出發點或經由點之用法。雪(梅)自枝葉舞散。

1648 紀少鹿女郎梅歌一首

 十二月爾者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而

 師走(しはす)には 淡雪降(あわゆきふ)ると 知(し)らねかも 梅花咲(うめのはなさ)く 含(ふふ)めらずして

 其蓋不知乎 每逢師走十二月 淡雪將零矣 梅花已然開一面 不待含苞急早咲

紀少鹿女郎 1648

此云,梅花咲於此時,蓋是不知沫雪將降?竟不含苞待放,俟雪過兮之擬人用法


1649 大伴宿禰家持雪梅歌一首

 今日零之 雪爾競而 我屋前之 冬木梅者 花開二家里

 今日降(けふふ)りし 雪(ゆき)に競(きほ)ひて 我(わ)が宿(やど)の 冬木梅(ふゆきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

 爭艷欲奪目 其與今日零雪競 吾人屋宿前 冬木之梅今綻放 咲花競雪開彌榮

大伴家持 1649

「雪(ゆき)に競(きほ)ひて」,凌駕於雪,不負於雪,「競(きほ)ひ」乃燃起對抗意識,常見於漢詩表現

1650 御在西池邊肆宴歌一首

 池邊乃 松之末葉爾 零雪者 五百重零敷 明日左倍母將見

 池邊(いけのへ)の 松末葉(まつのうらば)に 降(ふ)る雪(ゆき)は 五百重降敷(いほへふりし)け 明日(あす)さへも見(み)む

 池畔堤岸邊 松之末梢枝葉上 積降零雪矣 還願敷降五百重 明日仍欲復見矣

佚名 1650

 右一首,作者未詳。但豎子阿倍朝臣蟲麻呂傳誦之。

「西池」,位於平城宮內。今二條町佐紀池下層有遺構發現。按『續日本紀』亦有西池宮為設宴之場。

「五百重降敷(いほへふりし)け」,層層積降之意。

「豎子」,或云「內豎」。擔任天皇侍衛之令外官職。中國以宦官稱豎,而日本奈良潮初期以來以警護天皇隨身安全、傳達命令與奏上之臣作豎子。


1651 大伴坂上郎女歌一首

 沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南

 沫雪(あわゆき)の 此頃繼(このころつ)ぎて 如此降(かくふ)らば 梅初花(うめのはつはな) 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 淡薄沫雪矣 比日以來常相續 如此紛降者 吾恐白梅初花之 為雪摧凌早散矣

坂上郎女 1651

「如此降(かくふ)らば」,假定條件。觀看現在大雪紛降,若將來仍持續如此,則...之意。


1652 他田廣津娘子梅歌一首

 梅花 折毛不折毛 見都禮杼母 今夜能花爾 尚不如家利

 梅花(うめのはな) 折(を)りも折(を)らずも 見(み)つれども 今夜花(こよひのはな)に 尚及(なほし)かずけり

 暗香雪梅矣 無論折枝或不折 吾翫花雖多 然自往時所閱歷 尚無能及今夜者

他田廣津娘子 1652

「折(を)りも折(を)らずも」,無論折枝觀翫,或生於梅樹上所賞。折花或紅葉之枝,或表贈與心上人以令賞,或隱喻激情難耐肢衝動行為

「尚及(なほし)かずけり」,至今所見(梅花),皆遠不如今夜之梅美好。


1653 縣犬養娘子依梅發思歌一首

 如今 心乎常爾 念有者 先咲花乃 地爾將落八方

 今如(いまのごと) 心(こころ)を常(つね)に 思(おも)へらば 先咲(まづさ)く花(はな)の 地(つち)に落(お)ちめやも

 若我情念者 思慕如今比金堅 悠悠無所易 可猶早春先咲梅 落地空成徒花哉

縣犬養娘子 1653

「心(こころ)を常(つね)に 思(おも)へらば」,如果此情長久,永不變心的話。

「先咲(まづさ)く花(はな)の」,引出「地(つち)に落(お)ち」之序。此云搶在春天到來之前,早開於冬日之梅。

「地(つち)に落(お)ちめやも」,該不會如徒花落地,比喻愛情到頭來一場空。

1654 大伴坂上郎女雪歌一首

 松影乃 淺茅之上乃 白雪乎 不令消將置 言者可聞奈吉

 松蔭(まつかげ)の 淺茅上(あさぢのうへ)の 白雪(しらゆき)を 消(け)たずて置(お)かむ 事(こと)はかも無(な)き

 欲猶松蔭下 淺茅之上所積置 皓皓白雪矣 不令消熔存永遠 然歎世間無此事

坂上郎女 1654

「松蔭(まつかげ)」,松樹之木蔭。

「事(こと)はかも無(な)き」,原文「言者可聞奈吉」而「言」與「事」通,亦可解作「方法手段」。再者,「言者」或有咒言之意含。

希望事物永久,然無奈世間無常

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2017-06-02-金

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万葉集試訳

1609 丹比真人歌一首 【名闕。】

 宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻爾戀樂苦 我者不益

 宇陀野(うだのの)の 秋萩凌(あきはぎしの)ぎ 鳴鹿(なくしか)も 妻(つま)に戀(こ)ふらく 我(あれ)には益(ま)さじ

 縱令宇陀野 蹋破秋萩凌漫草 喚妻鳴鹿者 論諸慕人思妻情 豈勝吾人相思愁

丹比真人 1609

「秋萩凌(あきはぎしの)ぎ」,此「凌(しの)ぎ」表推開、蹋闢之狀。

1610 丹生女王大宰帥大伴卿歌一首

 高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壯香見 人之插頭師 瞿麦之花

 高圓(たかまと)の 秋野上(あきののうへ)の 撫子花(なでしこのはな) 衷若(うらわか)み 人髻首(ひとのかざ)しし 撫子花(なでしこのはな)

 寧樂高圓嶺 點落山間野上 所生石竹撫子花 以其丁稚故 伊人手折插頭上 髻首不離撫子花

丹生女王 1610

「撫子花(なでしこのはな)」,丹生女王之自喻。本歌乃回想過去大伴旅人所愛之比喻形式之作。

「衷若(うらわか)み」,當時旅人約六十五歲左右,而丹生女王年約卌五。回想內容則蓋女王十六、七年前之頃。

「人髻首(ひとのかざ)しし」,刻意以中性詞彙表第二人稱之用法

1611 笠縫女王歌一首 【六人部王之女,母曰田形皇女也。】

 足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末

 足引(あしひき)の 山下響(やましたとよ)め 鳴鹿(なくしか)の 言羨(こととも)しかも 我(わ)が心夫(こころつま)

 足曳是險峻 山麓之下亦響徹 鳴鹿呼妻聲 欲聞汝言猶鹿啼 吾心所寄夫君矣

笠縫女王 1611

山下響(やましたとよ)め」,此云鳴鹿喚妻聲響繚繞,於山麓亦然可聞。

「鳴鹿(なくしか)の」,以上乃引出「言羨(こととも)し」之序文

「羨(とも)し」,心靈為之吸引、期待之狀。


1612 石川賀係女郎歌一首

 神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭

 神(かむ)さぶと 否(いな)には非(あら)ず 秋草(あきくさ)の 結(むす)びし紐(ひも)を 解(と)くは悲(かな)しも

 非以禁業欲 齋戒不許汝願矣 吾念秋草兮 山盟海誓相結紐 一旦若解自悲哀

石川賀係女郎 1612

「神(かむ)さぶと」,與「神(かむ)さび」同,莊嚴如神。行動脫卻色戀煩惱,達到枯淡境界。「と」乃「とって」之意。

「否(いな)には非(あら)ず」,並非以此拒絕汝之邀約。「否(いな)」原文「不許」乃意訓。

「秋草(あきくさ)の」,「結(むす)ぶ」之枕詞。將繩紐、此草木枝葉相結,乃表契約禁忌之咒術之意。

「解(と)くは悲(かな)しも」,因喪夫或失戀之慟,而發誓決心堅守孤閨之意志


1613 賀茂女王歌一首 【長屋王之女,母曰阿倍朝臣也。】

 秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君爾 相有今夜香

 秋野(あきのの)を 朝行(あさゆ)く鹿(しか)の 跡(あと)も無(な)く 思(おも)ひし君(きみ)に 逢(あ)へる今夜(こよひ)か

 每逢朝旦時 鹿自秋野離隱去 徃山不知跡 念君猶鹿難捉摸 今夜終得相逢會

賀茂女王 1613

 右歌,或云:「椋橋部女王作。」或云:「笠縫女王作。」

「朝行(あさゆ)く鹿(しか)の」,以上,引出「跡(あと)も無(な)く」之序。鹿之習性,夜間卅卌成群,下諸山麓,搗亂稻田,黎明之際回歸深山,不知所去。所謂引鹿之習。

「跡(あと)も無(な)く 思(おも)ひし君(きみ)に」,此云男方飄渺不定,難以捉摸,難以依靠之意。

1614 遠江櫻井奉天皇歌一首

 九月之 其始鴈乃 便爾毛 念心者 可聞來奴鴨

 九月(ながつき)の 其初雁(そのはつかり)の 便(たよ)りにも 思(おも)ふ心(こころ)は 聞(き)こえ來(こ)ぬ哉(かも)

 九月初雁現 吾見彼鴈摧鄉愁 欲寄書繫足 如此切念我心者 吾君可不聞來哉

櫻井王 1614

櫻井王」,與聖武天皇乃從兄弟關係。

「其初雁(そのはつかり)の 便(たよ)りにも」,此引漢書蘇武傳故事,言其遭匈奴所囚,寄書雁足以令故國之其消息。「も」乃「なりとも」,與後文「ぬかも」之希求語氣呼應。

「思(おも)ふ心(こころ)は」,天皇思臣之情。


1615 天皇(聖武)賜報和御歌一首 【承前。】

 大浦之 其長濱爾 緣流浪 寛公乎 念比日【大浦者,遠江國之海濱名也。】

 大浦(おほのうら)の 其長濱(そのながはま)に 寄(よ)する波(なみ) (ゆた)けき君(きみ)を 思(おも)ふ此頃(このころ)【大浦(おほのうら)は、遠江國(とほたふみのくに)の海濱名(うみのはまのな)なり。】

 猶若遠江之 大浦長濱沖津處 寄岸浪所如 醉風流宜舉止 所念君姿比日矣【大浦者,遠江國之海濱名也。】

聖武天皇 1615

大浦(おほのうら)の 其長濱(そのながはま)に 寄(よ)する波(なみ)」,引出「(ゆた)けき」之序。大浦駿河磐田市附近之瀉湖。遠江國府跡之所在。蓋聖武天皇遙想櫻井王任地風光之所作

「(ゆた)けき君(きみ)」,此云櫻井王。按『藤原家傳』藤原武智麻呂傳,「風流侍從,有六人部王、長田王、門部王、狹井王、櫻井王、石川朝臣君子阿倍朝臣安麻呂、置始工等十餘人。」蓋其風姿、進退醉菊正后じ琉丙喻之。

1616 笠女郎贈大伴宿禰家持歌一首

 每朝 吾見屋戶乃 瞿麥之 花爾毛君波 有許世奴香裳

 朝每(あさごと)に 我(わ)が見(み)る宿(やど)の 撫子(なでしこ)の 花(はな)にも君(きみ)は 有(あ)りこせぬかも

 每日晨曦時 妾所望見屋戶間 瞿麥撫子花 還願相望彼石竹 是為吾君良人矣

笠郎女 1616

「花(はな)にも君(きみ)は 有(あ)りこせぬかも」,「欲得(ぬかも)」乃希求語句,呼應上句以「にも」襯托之對象「花」

不明前後順序,然家持贈坂上大孃0480「撫子が 其花にもが...」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0408 與後年大伴池主贈家持「...撫子が 花にもがもな...」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m17.htm#4010 所詠內容、素材相似。

1617 山口女王贈大伴宿禰家持歌一首

 秋芽子爾 置有露乃 風吹而 落淚者 留不勝都毛

 秋萩(あきはぎ)に 置(お)きたる露(つゆ)の 風吹(かぜふ)きて 落(お)つる淚(なみた)は 留兼(とどめか)ねつも

 秋萩芽子上 所置露霜白雫矣 風吹即零下 吾人愴然落淚者 猶彼珠露無所止

山口女王 1617

「風吹(かぜふ)きて」,以上乃用以帶出「落(お)つ」之序。

「留兼(とどめか)ねつも」,雖欲抑止卻無從阻止之狀。此云思慕泉湧,淚不能止。


1618 湯原王贈娘子歌一首

 玉爾貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇禮和和良葉爾 置有白露

 玉(たま)に貫(ぬ)き 消(け)たず賜(たば)らむ 秋萩(あきはぎ)の 末撓葉(うれわわらば)に 置(お)ける白露(しらつゆ)

 願貫作珠玉 不令消散賜我身 秋荻芽子之 枝頭末梢撓葉上 所置白露誠剔透

湯原王 1618

「玉(たま)に貫(ぬ)き 消(け)たず賜(たば)らむ」,此云希望能獲賜如珠鍊般串在荻梢之玉露,不令消散。

「撓葉(わわらば)」,有枝葉受自重撓曲之說,或植物繁盛群花亂咲之說。又『大寶戶籍』有載十七歲少女名「和和良賣(わわらめ)」。

1619 大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首

 玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見爾 出而曾吾來之

 玉桙(たまほこ)の 道(みち)は遠(とほ)けど 愛(は)しきやし 妹(いも)を相見(あひみ)に 出(いで)てそ我(あ)が來(こ)し

 玉桙石柱兮 沿途行道路雖遠 欲與親親之 所愛吾妹相見 不辭路遙吾來矣

大伴家持 1619

「道(みち)は遠(とほ)けど」,表路途雖遙,但為拜顏,不辭道遠。

「妹(いも)」,對親近女性之呼稱,一般用於戀人或妻子,此指其姑。

1620 大伴坂上郎女和歌一首 【承前。】

 荒玉之 月立左右二 來不益者 夢西見乍 思曾吾勢思

 新(あらた)まの 月立迄(つきたつまで)に 來坐(きま)さねば 夢(いめ)にし見(み)つつ 思(おも)ひそ我(あ)が為(せ)し

 日新月已異 直至新月已復始 汝仍未嘗來 故吾夜夢日所思 每宵慕會在邯鄲

坂上郎女 1620

 右二首,天平十一年己卯秋八月作。

「月立迄(つきたつまで)に」,此云新月騰空,曆亦月改。至於八月,仍盼不得伊人。按左注,作者蓋留居竹田庄至九月。

「思(おも)ひそ我(あ)が為(せ)し」,心中有所思惱。此與649同,表預知家持身邊有異。方時家持年廿二,六月亡妾,悲嘆度日。蓋至竹田庄訪郎女以療癒傷懷。727腳注云「離絕數年」,其後與坂上大孃復緣。


1621 巫部麻蘇娘子歌一首

 吾屋前之 芽子花咲有 見來益 今二日許 有者將落

 我(わ)が宿(やど)の 萩花咲(はぎはなさ)けり 見(み)に來坐(きま)せ 今二日許(いまふつかだみ) 有(あ)らば散(ち)りなむ

 吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 務必來觀之 自今以降二日許 其花盛過將散矣

巫部麻蘇娘子 1621

「今二日許(いまふつかだみ)」,「許(だみ)」乃「位(くらい)」、「許(ばかり)」之意,轉自上二段動詞「たむ」之名詞形。

1622 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌二首

 吾屋戶乃 秋之芽子開 夕影爾 今毛見師香 妹之光儀乎

 我(わ)が宿(やど)の 秋萩咲(あきのはぎさ)く 夕影(ゆふかげ)に 今(いま)も見(み)てしか 妹(いも)が姿(すがた)を

 吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 昏暗夕影間 誰彼不分矇矓時 今欲速見妹光儀

田村大孃 1622

「我(わ)が宿(やど)の」,今奈良四條大路一帶田村之里,即大伴田村大孃邸內。

「夕影(ゆふかげ)」,夕日斜陽黃昏時。

「今(いま)も見(み)てしか」,「てしか」乃表願望之終助詞。「今(いま)も」乃現今立刻。

「妹(いも)が姿(すがた)を」,妹乃田村大孃親妹坂上大孃。原文「光儀」乃漢籍用語,表美麗之身影。

1623 【承前。】

 吾屋戶爾 黃變蝦手 每見 妹乎懸管 不戀日者無

 我(わ)が宿(やど)に 黃變楓(もみつかへるて) 見(み)る每(ごと)に 妹(いも)を懸(か)けつつ 戀(こ)ひぬ日(ひ)は無(な)し

 吾宿屋庭間 楓葉褪色黃變矣 每見彼楓紅 睹物思人催傷感 無日不慕吾妹

田村大孃 1623

「黃變楓(もみつかへるて)」,「黃變(もみつ)」表樹葉轉紅之意。「楓(かへるて)」乃楓葉之意,以其葉形如蛙爪而來。原文「蝦手」之「蝦」為「蝦蟇」之略。「楓(かへるて)」中古時代訛作「「楓(かひるて)」」,『和名抄』云:「雞冠木,加比流提乃(かひるての)木。」

「妹(いも)を懸(か)けつつ」,「懸(か)く」表關聯。或許連想至坂上大孃易於臉紅之風貌哉。


1624 坂上大娘秋稻蘰贈大伴宿禰家持歌一首

 吾之業有 早田之穂立 造有 蘰曾見乍 師弩波世吾背

 我(わ)が業(なり)なる 早稻田穂立(わさだのほたち) 作(つく)りたる 蘰(かづら)そ見(み)つつ 偲(しの)はせ我(わ)が背(せ)

 吾之御業矣 躬取早稻田穂立 所作秋穂蘰 還冀吾夫子觀之 端詳褒賞妾此藝

坂上大孃 1624

「秋稻蘰」,以秋穂編織之飾物。

「我(わ)が業(なり)なる」,「業(なり)」與「業(なりはひ)」同,生業之謂也。多指農業而此處云其巧匠。


1625 大伴宿禰家持報贈歌一首 【承前。】

 吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞

 我妹子(わぎもこ)が 業(なり)と作(つく)れる 秋田(あきのた)の 早稻穂蘰(わさほのかづら) 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 吾妻妹子之 天工巧業所作矣 秋穂蘰者也 觀彼秋田早稻穂蘰 賞翫百遍不厭倦

大伴家持 1625

「業(なり)と作(つく)れる」,此承前曲,云彼所作不負匠人。多少混有戲笑之情。

1626 又報脱著身衣贈家持歌一首 【承前。】

 秋風之 寒比日 下爾將服 妹之形見跡 可都毛思努播武

 秋風(あきかぜ)の 寒(さむ)き此頃(このころ) 下(した)に著(き)む 妹(いも)が形見(かたみ)と 且(かつ)も偲(しの)はむ

 秋風吹蕭瑟 寒涼沁骨此頃矣 吾以妹形見 著在下衣貼肌身 聊慰且解相思苦

大伴家持 1626

 右三首,天平十一年己卯秋九月徃來。

「脱著身衣贈家持」,將貼身一物贈與異性為格別深刻之愛情表現。古俗以為相愛男女離別之時,相互餽贈衣物,將之穿在身上,便能早日相逢。

「下(した)に著(き)む」,著之貼身,以外衣遮蓋,不為他人所見。

「且(かつ)も偲(しの)はむ」,「且」有不足之意。雖欲與佳人共寢,然相隔兩地,遂將對方一物著於肌身,以稍解相思之苦。


1627 大伴宿禰家持攀非時藤花并芽子黃葉二物,贈坂上大孃歌二首

 吾屋前之 非時藤之 目頰布 今毛見壯鹿 妹之咲容乎

 我(わ)が宿(やど)の 時(とき)じき藤(ふぢ)の 珍(めづ)らしく 今(いま)も見(み)てしか 妹(いも)が咲容(ゑまひ)を

 吾庭屋戶間 非時藤浪狂咲矣 稀奇且珍貴 如彼藤浪令人憐 吾欲立見妹咲容

大伴家持 1627

「非時藤花」,晚咲之夏藤。「非時」乃不合時節之意。

「我(わ)が宿(やど)の 時(とき)じき藤(ふぢ)の」,以上,引出「珍(めづ)らし」之序。

「珍(めづ)らしく」,承接上句有「稀少珍奇」之意,延續後句有「令人憐愛」之情。


1628 【承前。】

 吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曾毛美照

 我(わ)が宿(やど)の 萩下葉(はぎのしたば)は 秋風(あきかぜ)も 未吹(いまだふ)かねば 如此(かく)そ黃葉(もみ)てる

 吾庭屋戶間 秋荻芽子下葉者 時分仍尚早 分明秋風未吹拂 何以紅葉織如此

大伴家持 1628

 右二首,天平十二年庚辰夏六月徃來。

「秋風(あきかぜ)も 未吹(いまだふ)かねば」,「ねば」有「尚未...之間」之意。

天平十二年」,西元740年,家持廿三歲。

「夏六月」,相對陽曆七月,時值夏日卻錄於秋相聞者,蓋以荻花黃葉為題所故。

1629 大伴宿禰家持贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

 叮叮 物乎念者 將言為便 將為為便毛奈之 妹與吾 手攜而 旦者 庭爾出立 夕者 床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常爾有家類 足日木能 山鳥許曾婆 峯向爾 嬬問為云 打蟬乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曾痛 其故爾 情奈具夜登 高圓乃 山爾毛野爾母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 每見 益而所思 奈何為而 忘物曾 戀云物乎

 懃(ねもころ)に 物(もの)を思(おも)へば 言(い)はむ術(すべ) 為術(せむすべ)も無(な)し 妹(いも)と我(あれ)と 手攜(てたづさは)りて 朝(あした)には 庭(には)に出立(いでた)ち 夕(ゆふへ)には 床打拂(とこうちはら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖差交(そでさしかへ)て 小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける 足引(あしひき)の 山鳥(やまどり)こそば 峰向(をむかひ)に 妻問(つまど)ひすと云(い)へ 空蟬(うつせみ)の 人(ひと)なる我(あれ)や 何(なに)すとか 一日一夜(ひとひひとよ)も 離居(さかりゐ)て 嘆戀(なげきこ)ふらむ 此處思(ここおも)へば 胸(むね)こそ痛(いた)き 其處故(そこゆゑ)に 心和(こころなぐ)やと 高圓(たかまと)の 山(やま)にも野(の)にも 打行(うちゆ)きて 遊步(あそびある)けど 花(はな)のみに 匂(にほ)ひて有(あ)れば 見(み)る每(ごと)に (ま)して偲(しの)はゆ 如何(いか)にして 忘(わす)るる物(もの)そ 戀(こひ)と云(い)ふ物(もの)を

 叮嚀誠懇切 念茲在茲思物者 何以言無據 何以無措復無方 親親妹與吾 攜手相連與偕持 每逢朝晨時 出立庭中佇屋前 每逢夕暮時 打拂寢床去塵埃 素妙白栲兮 衣袖相交供纏綿 小寢相枕夜 豈曾恒常有之耶 足曳勢險峻 山鳥高飛徘徊者 雖隔巖峰在 得以越兮訪妻矣 空蟬憂世間 浮身匹夫我者矣 何以因孰故 縱令一日終一夜 離居相隔而 戀慕悲嘆不能止 每念於茲此處者 胸懷悲慟苦相思 以念其處故 欲慰吾心紓吾懷 寧樂高圓之 山間野間遍其地 策馬出行而 遊步其中迴山野 然望彼所者 唯有花咲匂一面 除此無他矣 每觀徒畫蠎転陝『苦焦吾身 此憂如何能忘懷 所謂依戀此情哉

大伴家持 1629

「懃(ねもころ)に」,誠心誠意。或本原文作「叩叩」,此依廣麕棔紀洲本作「叮叮」。『廣韻』注,「叮,叮嚀。」

「床打拂(とこうちはら)ひ」,拍打床鋪,拂去塵埃。準備打理等待男方造訪之狀。

「白栲(しろたへ)の」,「袖(そで)」之枕詞

「小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける」,豈有安眠相寢夜,反語表現。或為將 0804 山上憶良『哀世間難住歌』中「世間や 常に在け」、「小寢し夜の 幾許も有らねば」二句結合而來。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0804

山鳥(やまどり)こそば 峰向(をむかひ)に 妻問(つまど)ひすと云(い)へ」,此云山鳥縱然雌雄相別,仍可恣意相會。反觀人類,因諸事不得相逢。

「何(なに)すとか」,何故。

「一日一夜(ひとひひとよ)も」,縱然僅別離一日一夜,亦難以平復。然語意與「小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける」矛盾。本歌或援引諸多慣用語而成。

「此處思(ここおも)へば」,「此處(ここ)」指以上所述之事。

「其處故(そこゆゑ)に」,以其之故。關聯至後句「遊歩(あそびある)けど」。

「心和(こころなぐ)やと」,心安氣合之狀。

「打行(うちゆ)きて」,「打(う)ち」乃「鞭打(乘馬)」之意。

「遊歩(あそびある)けど」,四處巡迴。不儘限於步行,乘馬、乘船亦可用此句。

「花(はな)のみに 匂(にほ)ひて有(あ)れば」,「匂(にほ)ひ」乃花朵美麗綻放之狀。

「戀(こひ)と云(い)ふ物(もの)を」,倒置文之主格。此云戀者蓋當如此。

1630 反歌 【承前。】

 高圓之 野邊乃容花 面影爾 所見乍妹者 忘不勝裳

 高圓(たかまと)の 野邊顏花(のへのかほばな) 面影(おもかげ)に 見(み)えつつ妹(いも)は 忘(わす)れ兼(か)ねつも

 寧樂高圓之 野邊顏花之所如 一見面影 倩容繚繞此胸中 吾妹豈能得忘懷

大伴家持 1630

「顏花(かほばな)」,亦見於2288、3505,蓋為綻放川邊之花,未詳。『物類稱呼』云:「杜若,於常陸云顏花。」然此概為生息山地之草花哉。以上二句乃接續其後三句之比喻類序文


1631 大伴宿禰家持贈安倍女郎歌一首

 今造 久邇能京爾 秋夜乃 長爾獨 宿之苦左

 今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)に 秋夜(あきのよ)の 長(なが)きに一人(ひとり) 寢(ぬ)るが苦(くる)しさ

 方今所造營 恭仁新都久邇京 孤居此宮地 獨耐秋夜長戚戚 隻身單寢心甚苦

大伴家持 1631

安倍女郎」,傳未詳。『萬葉集』0269、0505、0514題詞亦見阿倍女郎安倍女郎,而時代過古,蓋為他人

「今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)に」,久邇(恭仁)都造營,後於天平十五年十二月中止。


1632 大伴宿禰家持從久邇京,贈留寧樂宅坂上大娘歌一首

 足日木乃 山邊爾居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曾念

 足引(あしひき)の 山邊(やまへ)に居(を)りて 秋風(あきかぜ)の 日(ひ)に異(け)に吹(ふ)けば 妹(いも)をしそ思(おも)ふ

 足曳勢險峻 山邊獨居形影單 其隨秋風之 日異甼拂冷冽 思妹之情更滿盈

大伴家持 1632

「山邊(やまへ)に居(を)りて」,此山邊與1602、0769所指並為久邇京北側海住山寺所在三上山之麓邊。

「日(ひ)に異(け)に吹(ふ)けば」,(風與情念皆)隨著日復一日而更為甼。


1633 或者贈尼歌二首

 手母須麻爾 殖之芽子爾也 還者 雖見不飽 情將盡

 手(て)も濟(す)まに 植(う)ゑし萩(はぎ)にや 還(かへ)りては 見(み)れども飽(あ)かず 心盡(こころつ)くさむ

 忙碌無所休 手植秋萩芽子矣 以其情深故 百見不厭難捨離 哀悔痛心情將盡

佚名 1633

「手(て)も濟(す)まに」,雙手忙碌不休,細心照顧備至之狀。

「植(う)ゑし萩(はぎ)にや」,萩乃年輕女性之比喻。蓋僧尼將少女接來養育。

「還(かへ)りては」,反而。與期待相反之發展。或云收養之女子歸家。

「心盡(こころつ)くさむ」,思惱諸事,痛心傷情。主語乃題詞之或者(某人)。

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万葉集試訳

1603 【承前。】

 頃者之 朝開爾聞者 足日木篦 山呼令響 狹尾壯鹿鳴哭

 此頃(このころ)の 朝明(あさけ)に聞(き)けば 足引(あしひき)の 山呼響(やまよびとよ)め 小雄鹿鳴(さをしかな)くも

 近日此頃之 晨曦朝明豎耳者 足曳勢險峻 山中呼妻響繚繞 雄鹿鳴泣聲可聞

大伴家持 1603

 右二首,天平十五年癸未八月十五日作。

「此頃(このころ)の」,原文「頃者」乃與「比日」同意漢語表現

「山呼響(やまよびとよ)め」,下二段「響(とよ)む」與「響(とよ)もす」同。

1604 大原真人今城傷惜寧樂故鄉歌一首

 秋去者 春日山之 黃葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛

 秋去(あきさ)れば 春日山(かすがのやま)の 黃葉見(もみちみ)る 奈良都(ならのみやこ)の 荒(あ)るらく惜(を)しも

 每逢秋至者 得見春日山添色 視彼紅葉而 心惋寧樂奈良都 日漸荒廢甚憐惜

大原今城 1604

大原真人今城」,原稱今城王。

「寧樂故郷」,奈良舊京。方時遷都久邇,故云。

奈良都(ならのみやこ)の 荒(あ)るらく惜(を)しも」,「荒(あ)るらく」乃「荒(あ)る」之く句法。聖武帝遷都久邇,詩人惋惜奈良京日益荒廢之曲,亦見於6-1044

以下。當時禁五位以上者留居平城舊京,而今城時位正七位下,不相牴觸。

1605 大伴宿禰家持歌一首

 高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 曉露爾 開兼可聞

 高圓(たかまと)の 野邊秋萩(のへのあきはぎ) 此頃(このころ)の 曉露(あかときつゆ)に 咲(さ)きにけむ哉(かも)

 寧樂高圓山 也邊所生秋萩者 比日此頃之 蓋以秋爽曉露摧 花開一片滿咲哉

大伴家持 1605

「高圓(たかまと)の 野邊秋萩(のへのあきはぎ)」,坂上郎女別業在高圓山西北麓春日里。大原今城亦出身該地。本曲與前曲蓋今城至久邇京訪家持之際所唱和。

「曉露(あかときつゆ)」,凌晨之際,尚未消散之置露。


相聞

1606 額田王近江天皇作歌一首

 君待跡 吾戀居者 我屋戶乃 簾令動 秋之風吹

 君待(きみま)つと 我(あ)が戀居(こひを)れば 我(わ)が宿(やど)の 簾動(すだれうご)かし 秋風吹(あきのかぜふ)く

 待君來幸者 吾慕居宿長相思 屋戶簾蟹動 以為所歡來訪矣 竟是秋風吹蕭瑟

額田王 1606

#4-0488重出。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m04.htm#0488

1607 鏡王女作歌一首

 風乎谷 戀者乏 風乎谷 將來常思待者 何如將嘆

 風(かぜ)をだに 戀(こ)ふるは羨(とも)し 風(かぜ)をだに 來(こ)むとし待(ま)たば 何(なに)か嘆(な)げかむ

 縱為風吹簾 長相戀慕令人羨 汝可戀所歡 得待風來有望者 何以憂愁何將歎

鏡王女 1607

#4-0489重出。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m04.htm#0489

1608 弓削皇子御歌一首

 秋芽子之 上爾置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者

 秋萩(あきはぎ)の 上(うへ)に置(お)きたる 白露(しらつゆ)の 消(け)かもしな益(まし) 戀(こ)ひつつ有(あ)らずは

 不若猶秋萩 葉上所置白露之 消散不留蹤 一了百了絕命緒 勝過苦戀愁斷腸

弓削皇子 1608

白露(しらつゆ)の」,以上三句乃帶出「消(け)」字之序。

「消(け)かもしな益(まし)」,「しな」或云「死(な)」之未然形,或云「し(さ變)+な(ぬ之未然形)」。

「戀(こ)ひつつ有(あ)らずは」,「ずは」有相較於(長久受相思之苦煎熬)...不如之意。

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万葉集試訳

1582 【承前,十一第二。】

 希將見 人爾令見跡 黃葉乎 手折曾我來師 雨零久仁

 珍(めづら)しき 人(ひと)に見(み)せむと 黃葉(もみちば)を 手折(たを)りそ我(あ)が來(こ)し 雨降(あめのふ)らくに

 稀客遠方來 不亦樂乎我心歡 欲令其人見 故吾手折摘紅葉 縱令雨降不縮瑟

奈良麻呂 1582

 右二首,橘朝臣奈良麻呂。

「珍(めづら)しき」,此寓日久相逢之歡慶。「希將見」乃少見珍奇之義訓表記

「雨降(あめのふ)らくに」,「降(ふ)らく」乃「降(ふ)る」之「く」句法。

1583 【承前,十一第三。】

 黃葉乎 令落鍾禮爾 所沾而來而 君之黃葉乎 插頭鶴鴨

 黃葉(もみちば)を 散(ち)らす時雨(しぐれ)に 濡(ぬ)れて來(き)て 君(きみ)が黃葉(もみち)を 髻首(かざ)しつるかも

 秋紅葉舞散 摧落彼葉時雨零 君為所沾濡 冒雨所摘紅葉者 吾為髻首飾頭上

久米女王 1583

 右一首,久米女王

「君(きみ)が黃葉(もみち)を」,汝(奈良麻呂)所摘來之紅葉

感謝奈良麻呂好意之曲。

1584 【承前,十一第四。】

 希將見跡 吾念君者 秋山乃 始黃葉爾 似許曾有家

 珍(めづ)らしと 我(あ)が思君(おもふきみ)は 秋山(あきやま)の 初黃葉(はつもみちば)に 似(に)てこそありけれ

 稀客難常見 吾人思暮所念君 奈良麻呂矣 汝猶秋山紅葉 令人懷想見心懽

長娘 1584

 右一首,長忌寸娘。

「珍(めづ)らしと 我(あ)が思君(おもふきみ)」,此云奈良麻呂。

秋山(あきやま)の 初黃葉(はつもみちば)に」,按1591所誌日期,實景蓋難稱初紅。此當讚賞方年十七八歲之奈良麻呂之語。

長忌寸娘傳未詳,或云久米女王侍女


1585 【承前,十一第五。】

 平山乃 峯之黃葉 取者落 鍾禮能雨師 無間零良志

 奈良山(ならやま)の 嶺黃葉(みねのもみちば) 取(と)れば散(ち)る 時雨雨(しぐれのあめ)し 間無(まな)く降(ふ)るらし

 踏平草木兮 奈良山風紅葉者 欲摘則先落 蓋是時雨之雨零 綿綿無間摧葉故

縣犬養吉男 1585

 右一首,內舍人縣犬養宿禰吉男。

奈良山(ならやま)の」,原文「平山」乃借動詞「平(なら)す」語幹表記。『日本書紀崇神紀十年條:「時官軍屯聚,而蹢跙(ふみならす)草木。因以號其山曰那羅山。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki05.htm#sk05_03


1586 【承前,十一第六。】

 黃葉乎 落卷惜見 手折來而 今夜插頭津 何物可將念

 黃葉(もみちば)を 散(ち)らまく惜(を)しみ 手折來(たをりき)て 今夜髻首(こよひかざ)しつ 何(なに)か思(おも)はむ

 吾惜紅葉落 思其當折直須折 遂手摘來而 今夜插頭飾髻首 還復何思有念哉

縣犬養持男 1586

 右一首,縣犬養宿禰持男。

「何(なに)か思(おも)はむ」,豈有遺憾。已然滿足之意。

1587 【承前,十一第七。】

 足引乃 山之黃葉 今夜毛加 浮去良武 山河之鷦

 足引(あしひき)の 山黃葉(やまのもみちば) 今夜(こよひ)もか 浮行(うかびゆ)くらむ 山川(やまがはのせ)に

 足曳勢險峻 山上錦織紅葉者 今夜闌靜時 亦當舞落流行去 遍染山川渲鷙

大伴書持 1587

 右一首,大伴書持。

「浮行(うかびゆ)くらむ」,「らむ」乃現在推良語氣。眼見現今景色,推量夜闌人靜之時,紅葉悄悄散落,泛河流去之狀。


1588 【承前,十一第八。】

 平山乎 令丹黃葉 手折來而 今夜插頭都 落者雖落

 奈良山(ならやま)を 匂(にほ)はす黃葉(もみち) 手折來(たをりき)て 今夜髻首(こよひかざ)しつ 散(ち)らば散(ち)るとも

 蹢平草木兮 奈良山間萬葉紅 映山織朱錦 手折今夜來髻首 其後雖散不足惜

手代人名 1588

 右一首,三手代人名

「匂(にほ)はす」,染上美麗色彩之狀。染作赤色

「散(ち)らば散(ち)るとも」,其後省略代表放任之「よし」云云。

「三手代人名」,傳未詳。或本書「之手代」而此依神宮文庫本、細井本等作「三手代」。按『萬葉代匠記』,『續日本紀天平廿年條有「從五位夏大倭御手代連麻呂女。」云云。


1589 【承前,十一第九。】

 露霜爾 逢有黃葉乎 手折來而 妹插頭都 後者落十方

 露霜(つゆしも)に 遭(あ)へる黃葉(もみち)を 手折來(たをりき)て 妹(いも)は髻首(かざ)しつ 後(のち)は散(ち)るとも

 露霜降枝頭 置於梢上摧紅葉 吾今折彼枝 來令佳人髻其首 其後雖零不足惜

秦許遍麻呂 1589

 右一首,秦許遍麻呂。

「妹(いも)」,此云參加宴會之特定女性

「後(のち)は散(ち)るとも」,同樣為其後省略「よし」之放任語氣。

1590 【承前,十一第十。】

 十月 鍾禮爾相有 黃葉乃 吹者將落 風之隨

 十月(かみなづき) 時雨(しぐれ)に遭(あ)へる 黃葉(もみちば)の 吹(ふ)かば散(ち)りなむ 風隨(かぜのまにま)に

 十月秋風疾 時雨驟降摧黃葉 舞落散凋零 今顧吾身亦如是 隨風飄蕩落紛紛

大伴池主 1590

 右一首,大伴宿禰池主。

「黄葉(もみちば)の」,此「の」乃「のように」之意。

此歌與『古今和歌集』秋歌下286「秋風に 堪ず散りぬる 紅葉の 行方定めぬ 我ぞ悲しき」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk05.htm#286 皆以零落之紅葉比喻自身飄泊無處可歸之歎。本歌所作十九年後,大伴池主被視為橘奈良麻呂之變之首謀者之一,遭捕下獄,其後不詳。


1591 【承前,十一十一。】

 黃葉乃 過麻久惜美 思共 遊今夜者 不開毛有奴香

 黃葉(もみちば)の 過(す)ぎまく惜(を)しみ 思(おも)ふ共(どち) 遊(あそ)ぶ今夜(こよひ)は 明(あ)けずもあらぬか

 志同道相合 並惜紅葉徒凋零 欲為細賞翫 今夜與共伴相遊 還願此宵天莫明

大伴家持 1591

 右一首,內舍人大伴宿禰家持。以前,冬十月十七日,集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也。

「過(す)ぎまく惜(を)しみ」,「過(す)ぐ」表花或紅葉散落之意。

「明(あ)けずもあらぬか」,「ぬか」表冀求。

「舊宅」,所在未詳。蓋在奈良山近郊。

1592 大伴坂上郎女竹田庄作歌二首

 然不有 五百代小田乎 苅亂 田蘆爾居者 京師所念

 然(しか)と有(あ)らぬ 五百代小田(いほしろをだ)を 刈亂(かりみだ)り 田廬(たぶせ)に居(を)れば 都(みやこ)し思(おも)ほゆ

 幅員不甚廣 五百代之小田間 秋收苅亂矣 身居田廬生息時 不覺思都浸慕情

坂上郎女 1592

「然(しか)と有(あ)らぬ」,幅員不大之意。

「五百代小田(いほしろをだ)を」,代乃大化改新前所用之田積單位。五十代為一段,十段為一町。五百代蓋約一町,以貴族莊園而言規模不大。

「田廬(たぶせ)」,秋熟之際,戍守田中,防止豬鹿獸害之小屋

1593 【承前。】

 隱口乃 始鷸骸圈/付奴 鍾禮乃雨者 零爾家良思母

 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)は 色付(いろづ)きぬ 時雨雨(しぐれのあめ)は 降(ふ)りにけらしも

 盆底隱國兮 長谷三輪泊鷸魁〆始添秋色 蓋因時雨降紛紛 催熟紅葉化朱錦

坂上郎女 1593

 右,天平十一年己卯秋九月作。

「泊鷸(はつせのやま)」,蓋云三輪山、卷向山、弓月岳、穴師山之疇。此蓋指離竹田最近三輪山


1594 佛前唱歌一首

 思具禮能雨 無間莫零 紅爾 丹保敝流山之 落卷惜毛

 時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)く莫降(なふ)りそ 紅(くれなゐ)に 匂(にほ)へる山(やま)の 散(ち)らまく惜(を)しも

 時雨之雨矣 汝莫頻降繁如是 紛紛無間斷 吾憂染山化朱赭 紅葉凋散甚可惜

佚名 1594

 右,冬十月皇后宮之維摩講,終日供養大唐高麗等種種音樂,爾乃唱此歌詞。彈琴者,市原王、忍坂王。【後賜姓大原真人赤麻呂也。】歌子者,田口朝臣家守、河邊朝臣東人、置始連長谷等十數人也。

「匂(にほ)へる山(やま)の」,此云全山染作鮮豔赤色之意。

「散(ち)らまく惜(を)しも」,省略主語紅葉」。

皇后宮」,藤原不比等邸之跡地,蓋今法華寺一帶。

1595 大伴宿禰像見歌一首

 秋芽子乃 枝毛十尾二 降露乃 消者雖消 色出目八方

 秋萩(あきはぎ)の 枝(えだ)も撓(とをを)に 置露(おくつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬとも 色(いろ)に出(い)でめやも

 吾由秋萩之 撓枝置露之所如 虛渺不久長 消者雖散不留痕 豈顯於色令人察

大伴像見 1595

「枝(えだ)も撓(とをを)に」,枝葉因自重而撓屈之狀。

「置露(おくつゆ)の」,以上三句乃引出「消ぬ」之序。

「色(いろ)に出(い)で」,此云借言語、表情、行動而將秘藏心中之情感顯露於外。

本歌或當錄於秋相聞

1596 大伴宿禰家持到娘子門作歌一首

 妹家之 門田乎見跡 打出來之 情毛知久 照月夜鴨

 妹(いも)が家(いへ)の 門田(かどた)を見(み)むと 打出來(うちでこ)し 心(こころ)も著(しる)く 照(て)る月夜(つくよ)かも

 欲見妹妻之 居家宅邸門田故 出門遠道來 此心此情有所應 今宵照月寔宜哉

大伴家持 1596

「門田(かどた)を見(み)むと」,家門附近之田地。欲見心上人之藉口。


1597 大伴宿禰家持秋歌三首

 秋野爾 開流秋芽子 秋風爾 靡流上爾 秋露置有

 秋野(あきのの)に 咲(さ)ける秋萩(あきはぎ) 秋風(あきかぜ)に 靡(な)びける上(うへ)に 秋露置(あきのつゆお)けり

 蕭瑟秋野間 所咲秋萩綴其彩 冷冽秋風拂 芽子之花受風靡 晶瑩秋露置稍上

大伴家持 1597

「秋野(あきのの)に」,本歌五句之中,四句有秋字。蓋模詩中重復使用同字之手法

1598 【承前。】

 棹壯鹿之 朝立野邊乃 秋芽子爾 玉跡見左右 置有白露

 小雄鹿(さをしか)の 朝立(あさた)つ野邊(のへ)の 秋萩(あきはぎ)に 玉(たま)と見(み)る迄(まで) 置(お)ける白露(しらつゆ)

 以為牡雄鹿 朝立野邊秋荻上 所懸珠玉者 晶瑩剔透殆被欺 寔乃置梢白露

大伴家持 1598

「朝立(あさた)つ野邊(のへ)の」,「立(た)つ」乃「現身」之意。


1599 【承前。】

 狹尾壯鹿乃 胸別爾可毛 秋芽子乃 散過雞類 盛可毛行流

 小雄鹿(さをしか)の 胸別(むなわ)けに哉(かも) 秋萩(あきはぎ)の 散過(ちりす)ぎにける 盛(さか)りかも去(い)ぬる

 秋萩已凋零 散落一地是何因 蓋是雄鹿之 胸別押開闢路故 抑或盛過褪去哉

大伴家持 1599

 右,天平十五年癸未秋八月,見物色作。

「胸別(むなわ)け」,以胸元撥開草叢而前進之意。

「盛(さか)りかも去(い)ぬる」,對於秋荻散落之原因所提出之第二解。相對第一解,此為作者認定較接近現實者。

「物色」,自然之風物。


1600 內舍人石川朝臣廣成歌二首

 妻戀爾 鹿鳴山邊之 秋芽子者 露霜寒 盛須疑由君

 妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜寒(つゆしもさむ)み 盛過行(さかりすぎゆ)く

 心戀慕其妻 鹿鳴啼泣山邊之 秋萩芽子者 置梢露霜凍寒故 盛過轉俄既凋逝

石川廣成 1600

「鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)の」,此山邊與後曲(1603)所述同指京都相樂郡加茂町例幣之久邇京北側海住山寺所在三上山之麓邊。


1601 【承前。】

 目頰布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母

 珍(めづら)しき 君(きみ)が家(いへ)なる 花薄(はなすすき) 穂(ほ)に出(いづ)る秋(あき)の 過(す)ぐらく惜(を)しも

 愛也令人慕 君之屋戶宅邸間 所生花芒者 尾花出穗應風撓 其秋將過甚可惜

石川廣成 1601

「珍(めづら)しき 君(きみ)が家(いへ)なる」,此君指大伴家持

「花薄(はなすすき)」,或本作「はだすすき」,未詳。


1602 大伴宿禰家持鹿鳴歌二首

 山妣姑乃 相響左右 妻戀爾 鹿鳴山邊爾 獨耳為手

 山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで) 妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)に 獨(ひとり)のみして

 山彥妣姑之 木靈迴響之所如 鹿苦相思情 戀妻啼泣聲繚繞 獨佇山邊形影孤

大伴家持 1602

「山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで)」,山彥乃回音之擬人表現

「妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)に」,蓋承石川廣成1600前二句之表現

「獨(ひとり)のみして」,此「して」乃「ありて」之意,其下省略「寂しい」云云。當時家持身居久邇京,與其妻大孃相隔兩地。

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2017-04-25-火

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補給物資

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■『神社百景』のナレーション

其れ日本の伝統其れ日本人の心、

其れは古から受け継い、未来へと手渡す日本の宝。

神神が創るし、厳(おごそ)かなる悠遠な世界ヘ導かん、

神社百景、Grace of japan

山に、海に、町に、信仰ある所に社が鎮在し、我々を守り続けてきました。

日本が誇る四季折々の美しき自然、幾千年大切にしてきた気高き真秀ろばへとご案内します。

さぁ、心を静め、微風に、木々のさわめきに、浪の音色に、神々を感じましょう。

イザ、八百万の神々へに迎え。

其処にお鎮まりに成る神神が、私達の声を聞き、祈りを聞き、

何時でも安らぎを、勇気を、感謝する気持ちを、与えてくれます。

そうこの地は、千代に護りたい輝ける真秀らば、子々孫々愛され続ける日本人の心の故郷

神社百景、Grace of JAPAN

鳥居を潜れば、心清まる静寂な世界

差し込む木間陽射、鳥たちの歌声、踏みしめる玉砂利の音。

目を閉じれば動き出す古からの神々の物語、耳を澄ませば聞こえる未來永劫續く魂の調べ。

此處は、万物に宿る八百万の神々が鎮在する、私たち日本人の原点。

さぁ、ご一緒に參りましょう。

日本人が幾千年に渡り守り続けてきた神事の森へ、

八千代後世へと受け繼ぎたい、心の真秀ろばへ。



万葉集試訳

1558 【承前,第二。】

 鶉鳴 古鄉之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞

 鶉鳴(うづらな)く 古(ふ)りにし鄉(さと)の 秋萩(あきはぎ)を 思人共(おもふひとどち) 相見(あひみ)つるかも

 草深鶉鳥鳴 飛鳥舊京故鄉之 秋萩芽子矣 相思志同者與共 並見端翫賞其花

沙彌尼 1558

「鶉鳴(うづらな)く」,「古し」、「古る」之枕詞。以鶉習出沒草深荒漫之處而言。

「古(ふ)りにし鄉(さと)の」,故鄉。此云飛鳥舊京。

「思人共(おもふひとどち)」,志同道合之人。「共(どち)」乃表「與共」意思之連用修辭格。

1559 【承前,第三。】

 秋芽子者 盛過乎 徒爾 頭刺不插 還去牟跡哉

 秋萩(あきはぎ)は 盛過(さかりす)ぐるを 徒(いたづら)に 髻首(かざし)に插(さ)さず 歸(かへ)りなむと哉(や)

 芽花秋萩者 盛華之時既已過 是以徒來訪 不為髻首不插頭 無為歸去別離

沙彌尼 1559

 右二首,沙彌尼等。

「徒(いたづら)に」,空虛、無為

「髻首(かざし)」,以花插頭為飾,暗喻男女相交。

「歸(かへ)りなむと哉(や)」,誘引1557作者丹比國人等之語。


1560 大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首

 妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目

 妹(いも)が目(め)を 始見崎(みそめのさき)の 秋萩(あきはぎ)は 此月頃(このつきごろ)は 散(ちり)こす莫努(なゆめ)

 吾妹目睛兮 始見之崎秋萩者 欲令佳人觀 還冀今月此頃間 莫輙散華莫凋零

坂上郎女 1560

「妹(いも)が目(め)を」,「始見(みそめ)」之枕詞

「始見崎(みそめのさき)」,所在未詳。或書「跡見」者蓋訛。

「此月頃(このつきごろ)」,這陣子。時間感覺上較表最近數日之「此頃(このごろ)」更長。

「散(ちり)こす莫努(なゆめ)」,切莫急於散落。


1561 【承前。】

 吉名張乃 豬養山爾 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登聞思佐

 吉隱(よなばり)の 豬養山(ゐかひのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)を 聞(き)くが羨(とも)しさ

 初鶺誹之 豬養山間伏鹿矣 切切啼高鳴 吾聞彼鹿喚妻聲 不覺稱羨怨獨寢

坂上郎女 1561

「伏鹿(ふすしか)」,伏乃藏身之意。鹿之習性,白日匿身草叢之後。

「聞(き)くが羨(とも)しさ」,作者深居莊園孤寢,獨守空閨,想像伏鹿呼妻,自然稱羨。


1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首

 誰聞都 從此間鳴渡 鴈鳴乃 嬬呼音乃 乏知在乎

 誰聞(たれき)きつ 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る 雁(かり)が音(ね)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)の 羨(とも)しくもあるを

 誰人可曾聞 飛雁經此越鳴渡 所啼喚妻聲 吾聞彼聲響切切 不覺興感盼君來

巫部麻蘇娘子 1562

「誰聞(たれき)きつ」,此有「君可聞哉」之意。

「羨(とも)しくもあるか」,原文「乏知在乎」諸本作「之知左守」難訓,案『萬葉集略解』引本居宣長說則為「乏蜘在可」之訛。然詠嘆文末助詞「か」之主語連接詞採「の」者,稍微悖理。此從宣長說而將「守」視為「乎」之訛。又「知」乃「蜘」之省劃借訓。

此曲,借雁聲期待家持來訪,指謫其不來誂訕之歌。

1563 大伴家持和歌一首 【承前。】

 聞津哉登 妹之問勢流 鴈鳴者 真毛遠 雲隱奈利

 聞(き)きつやと 妹(いも)が問(と)はせる 雁(かり)が音(ね)は 真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)

 汝問可聞哉 鳴雁之音誠渺遠 十里霧之後 雲隱發鳴聲難辨 不知真心作何想

大伴家持 1563

「真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)」,相較前曲,此云雁聲渺遠不清,更匿雲端之後,難以分辨。承前之可聞雁聲之問,回答或嫌冷漠,然亦可解作家持難知麻蘇娘子真心,故怯步不前,不敢輕易造訪。


1564 日置長枝娘子歌一首

 秋付者 尾花我上爾 置露乃 應消毛吾者 所念香聞

 秋付(あきづ)けば 尾花(をばな)が上(うへ)に 置露(おくつゆ)の 消(け)ぬべくも我(あれ)は 思(おも)ほゆるかも

 每逢時值秋 尾花置露將消散 吾身猶水露 虛渺無常近毀滅 念君我心若刀割

日置長枝娘子 1564

「日置長枝娘子」,傳未詳。按『新撰姓氏錄』「日置朝臣」當『古事記』「幣岐君」。

「秋付(あきづ)けば」,秋色已添,表環鏡呈現秋日之樣貌。

「置露(おくつゆ)の」,以上乃引出「消」字之序文

「消(け)ぬべくも我(あれ)は」,心痛至極,寧願消亡之情。

類歌錄於2246秋相聞。文中有「消(け)ぬべく思(おも)ほゆ」者皆屬相聞曲。


1565 大伴家持和歌一首 【承前。】

 吾屋戶乃 一村芽子乎 念兒爾 不令見殆 令散都類香聞

 我(わ)が宿(やど)の 一群萩(ひとむらはぎ)を 思(おも)ふ兒(こ)に 見(み)せず殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも

 吾宿屋戶間 群簇秋萩芽子花 雖欲示伊人 未及令人翫見間 殆將零落盡消散

大伴家持 1565

「思(おも)ふ兒(こ)」,作者大伴家持思念之人,此云日置長枝娘子

「殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも」,期望在花散之前可令佳人觀看。或在散盡之前終於令人觀之。

1566 大伴家持秋歌四首

 久堅之 雨間毛不置 雲隱 鳴曾去奈流 早田鴈之哭

 久方(ひさかた)の 雨間(あまま)も置(お)かず 雲隱(くもがく)り 鳴(な)きそ行(ゆ)くなる 早稻田雁(わさだかり)が音(ね)

 遙遙久方兮 頻雨綿綿無息時 雲隱匿鳴去 早稻田雁發聲泣 朦朧渺遠苅田

大伴家持 1566

「早稻田雁(わさだかり)が音(ね)」,翱翔早稻田上之飛雁。「雁(かり)」與「苅(かり)」字雙關。


1567 【承前,第二。】

 雲隱 鳴奈流鴈乃 去而將居 秋田之穗立 繁之所念

 雲隱(くもがく)り 鳴(な)くなる雁(かり)の 行(ゆ)きて居(ゐ)む 秋田穗立(あきたのほたち) 繁(しげ)くし思(おも)ほゆ

 隱身匿雲後 啼鳴越虛飛雁者 去而將居之 秋田穗立繁所猶 吾念伊人頻如斯

大伴家持 1567

秋田穗立(あきたのほたち)」,豎於秋田中之稻穗。引出「繁」字之序。

「繁(しげ)くし思(おも)ほゆ」,此云思念伊人之濃情密密,頻繁無間斷之狀。


1568 【承前,第三。】

 雨隱 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利

 雨隱(あまごも)り 心欝悒(こころいぶせ)み 出見(いでみ)れば 春日山(かすがのやま)は 色付(いろづ)きにけり

 避雨隱家中 此心不快情欝悒 出門望見者 寧樂奈良春日山 既染秋色織錦紅

大伴家持 1568

「雨隱(あまごも)り」,因連雨不停,故滯居家中

「心欝悒(こころいぶせ)み」,鬱悶不快


1569 【承前,第四。】

 雨𣋠而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引

 雨晴(あめは)れて 清(きよ)く照(て)りたる 此月夜(このつくよ) 亦更(またさら)にして 雲莫棚引(くもなたなび)き

 久盼雨方晴 清冽照臨此月夜 吾惜彼宵景 還願叢雲能識趣 莫更棚引遮明月

大伴家持 1569

 右四首,天平八年丙子秋九月作。

「雨晴(あめは)れて」,「晴(は)れ」原文「𣋠」者,不見於漢籍。蓋混「霽」、「晴」而成。


1570 藤原朝臣八束歌二首

 此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曾乎流

 此間在(ここにあ)りて 春日(かすが)や何處(いづち) 雨障(あまつつ)み 出(いで)て行(ゆ)かねば 戀(こ)ひつつそ居(を)る

 身居在此間 春日山者在何方 雨障囚屋內 閉門戶中不得出 唯有思慕盡終日

藤原八束 1570

「此間(ここ)」,蓋指作者近於平城京之宅邸。此間乃漢籍俗語用法

春日(かすが)や何處(いづち)」,「何處(いづち)」乃有關方角之疑問代名詞春日山為雨雲遮蔽,不知在何方。

「雨障(あまつつ)み」,擔心被雨零濕而避居家中

「戀(こ)ひつつそ居(を)る」,對象語乃春日山景色

1571 【承前。】

 春日野爾 鍾禮零所見 明日從者 黃葉頭刺牟 高圓乃山

 春日野(かすがの)に 時雨降(しぐれふ)る見(み)ゆ 明日(あす)よりは 黃葉髻首(もみちかざ)さむ 高圓山(たかまとのやま)

 今見春日野 野間時雨降雰雰 蓋自明日起 紅葉髻首插頭飾 高圓山兮妝韓紅

藤原八束 1571

「黃葉髻首(もみちかざ)さむ」,主語乃高圓山。擬人句法。

1572 大伴家持白露歌一首

 吾屋戶乃 草花上之 白露乎 不令消而玉爾 貫物爾毛我

 我(わ)が宿(やど)の 尾花上(をばながうへ)の 白露(しらつゆ)を 消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが

 吾庭屋戶間 尾花上白露矣 願汝莫易散 珠玉晶瑩更剔透 冀能貫之作數珠

大伴家持 1572

白露(しらつゆ)を」,此乃「消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが」欲求之對象。此類句法多用「は」字,用「を」者唯1878與此曲爾。

1573 大伴利上歌一首

 秋之雨爾 所沾乍居者 雖賎 吾妹之屋戶志 所念香聞

 秋雨(あきのあめ)に 濡(ぬ)れつつ居(を)れば 賤(いや)しけど 我妹(わぎも)が宿(やど)し 思(おも)ほゆるかも

 秋雨降紛紛 萬物沾濡寂侘時 此心之所至 吾妹之宿雖卑賤 令人相思慕不止

大伴利上 1573

「大伴利上」,傳不詳。「利上」讀音有「としかみ」與「とかみ」等說,或云「大伴村上」之訛。

「濡(ぬ)れつつ居(を)れば」,此歌蓋幽居自宅所詠贈哉。

「賤(いや)しけど」,「賤(いや)しけ」乃形容詞「賤(いや)し」之已然形。此概引用對方謙遜之言。

「思(おも)ほゆるかも」,望能在戀人家中一同相過。

1574 右大臣橘家宴歌七首 【七首第一。】

 雲上爾 鳴奈流鴈之 雖遠 君將相跡 手迴來津

 雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の 遠(とほ)けども 君(きみ)に逢(あ)はむと 迂迴來(たもとりき)つ

 吾猶雲之上 所鳴越度飛雁矣 路途雖遙遠 為得拜眉與君逢 不辭曲折參來也

高橋安麻呂 1574

「雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の」,引出「遠(とほ)」之序。「なる」乃傳聞推定語「なり」。

「君(きみ)」,此云橘諸兄

「迂迴來(たもとりき)つ」,「迂迴(たもとり)」乃迂迴、停滯、難涉之意。

1575 【承前,七首第二。】

 雲上爾 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黃變可毛

 雲上(くものうへ)に 鳴(な)きつる雁(かり)の 寒(さむ)きなへ 萩下葉(はぎのしたば)は 黃變(もみち)ぬるかも

 吾聞雲之上 鳴雁飛度虛空間 其聲實冽寒 不覺秋芽萩下葉 已然黃變染韓紅

高橋安麻呂 1575

 右二首。【闕文。】

「鳴(な)きつる雁(かり)の」,此句「雁」有「雁が音」之意。

「黃變(もみち)ぬるかも」,「ぬ」乃表現象開始作用之語法。


1576 【承前,七首第三。】

 此岳爾 小壯鹿履起 宇加埿良比 可聞可聞為良久 君故爾許曾

 此岡(このをか)に 雄鹿踏起(をしかふみおこ)し 竊狙(うかねら)ひ 左右(かもか)もすらく 君故(きみゆゑ)にこそ

 此崗丘之上 踏蹴以驚雄鹿起 竊狙望聲色 如此奮努所以者 皆為慕君思汝故

巨曾倍津嶋 1576

 右一首,長門守巨曾倍朝臣津嶋。

「竊狙(うかねら)ひ」,埋伏等待獵物出現與時機到來。與「伺う」同源,注意觀察對方顏色、動向,以察其心意。以上乃引出「左右(かもか)もすらく」之序。

「左右(かもか)もすらく」,「左右(かもか)も」原文或作「可聞可開」,此依『萬葉代匠記』校之。


1577 【承前,七首第四。】

 秋野之 草花我末乎 押靡而 來之久毛知久 相流君可聞

 秋野(あきのの)の 尾花(をばな)が末(うれ)を 押靡(おしな)べて 來(こ)しくも著(しる)く 逢(あ)へる君(きみ)かも

 跋涉秋野間 押靡芒草尾花梢 翻山闢路來 不辭足勞有所報 得與君逢見紅顏

阿倍蟲麻呂 1577

「押靡(おしな)べて」,推開漫草,踏破闢路之狀。

「來(こ)しくも著(しる)く」,「著(しる)く」指努力有所回報、效驗。

1578 【承前,七首第五。】

 今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付爾家類

 今朝鳴(けさな)きて 行(ゆ)きし雁(かり)が音(ね) 寒(さむ)みかも 此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける

 蓋以今朝聞 鳴行大空飛雁音 其聲冷冽故 此野淺茅上秋妝 始著暮色褪黃變

阿倍蟲麻呂 1578

 右二首,阿倍朝臣蟲麻呂。

「此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける」,茅草於晚秋轉為赤褐色


1579 【承前,七首第六。】

 朝扉開而 物念時爾 白露乃 置有秋芽子 所見喚雞本名

 朝戶開(あさとあ)けて 物思(ものおも)ふ時(とき)に 白露(しらつゆ)の 置(お)ける秋萩(あきはぎ) 見(み)えつつ故無(もとな)

 晨曦開朝戶 沉浸物念憂思時 瞥見白玉露 所置秋萩入眼簾 矇矓無由令人惱

文馬養 1579

「見(み)えつつ故無(もとな)」,「故無(もとな)」表無故、無由,用於對對方不故本身感受而困惑表現。無論對象是人或景物,依觀者情緒有不識時務之感皆可使用。「つつ」原文「喚雞」乃借由呼雞之聲與朝戶相映之戲書表現

1580 【承前,七首第七。】

 棹壯鹿之 來立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎

 小壯鹿(さをしか)の 來立鳴(きたちな)く野(の)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜負(つゆしもお)ひて 散(ち)りにし物(もの)を

 小壯牡雄鹿 來佇喚妻啼鳴響 野間秋荻矣 其芽子花負露霜 不堪凋零散去也

文馬養 1580

 右二首,文忌寸馬養。

天平十年戊寅秋八月廿日。

「露霜(つゆしも)」,露之雅語。

「散(ち)りにし物(もの)を」,「物(もの)を」乃逆接接續助詞。或用於文末詠嘆,而此則用為接序上二句之氣氛。


1581 橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首 【十一第一。】

 不手折而 落者惜常 我念之 秋黃葉乎 插頭鶴鴨

 手折(たを)らずて 散(ち)りなば惜(を)しと 我(あ)が思(おも)ひし 秋黃葉(あきのもみち)を 髻首(かざし)つるかも

 吾常有所思 紅葉當折直須折 不手折之間 飄散零落令人惜 故攀秋紅以髻首

奈良麻呂 1581

「手折(たを)らずて」,此有與志同道合者共攀紅葉,設宴風流之意。

主人對來宴者招呼之曲。

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2017-04-12-水

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補給物資

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万葉集試訳

1543 三原王歌一首

 秋露者 移爾有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者

 秋露(あきのつゆ)は 移(うつ)しにありけり 水鳥(みづどり)の 青葉山(あをばのやま)の 色付(いろづ)く見(み)れば

 凝甘秋露矣 蓋是捺移染料哉 濃竸緜姿臓\塚嫻兄該黃變 遍染火紅望眼簾

三原王 1543

「移(うつ)し」,此云捺染之時所用之移染色紙之類。

「水鳥(みづどり)の」,「青葉」之枕詞。此以味鴨羽色濃兌來。

1544 湯原王七夕歌二首

 牽牛之 念座良武 從情 見吾辛苦 夜之更降去者

 彥星(ひこほし)の 思(おもひま)すらむ 心(こころ)より 見(み)る我苦(われくる)し 夜(よ)の更往(ふけゆ)けば

 雖知古昔話 較於惻隱彥星情 見彼牽牛星 吾人心苦逢鹵察^ダ望去夜將更

湯原王 1544

「見(み)る我苦(われくる)し」,「我」指身在地上,仰望銀河之作者。

雖知牛郎織女相離之故事,然較於對牛郎之同情,作者更苦於自身與戀人逢晤春宵之須臾。

1545 【承前。】

 織女之 袖續三更之 五更者 河麈慶畆圈”毀友吉

 織女(たなばた)の 袖繼(そでつ)ぐ夕(よひ)の 曉(あかとき)は 川鹹(かはせのたづ)は 鳴(な)かずとも良(よ)し

 織女繼其袖 相寢纏綿此宵之 逢鷂緜者 川麈慶疂慌譱福‘鯒鳴啼急報曉

湯原王 1545

「織女(たなばた)の 袖繼(そでつ)ぐ夕(よひ)の」,織女、牛郎交腕纏眠之狀。「夕(よひ)」,原文「三更」約子時之謂。

「川鹹(かはせのたづ)は 鳴(な)かずとも良(よ)し」,呼籲銀河川邊之鴨,莫急於報曉催人別離

1546 市原七夕歌一首

 妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類

 妹所(いもがり)と 我(わ)が行道(ゆくみち)の 川(かは)し有(あ)れば 付目結(つくめむす)ぶと 夜(よ)そ更(ふ)けにける

 欲往吾妹許 我所行道路途上 銀河阻其中 手結付目整楫間 不覺此夕夜將更

市原王 1546

「妹所(いもがり)と」,「所(がり)」表地點,「と」乃「とて」之意。

「我(わ)が行道(ゆくみち)の 川(かは)し有(あ)れば」,「の」乃同位格,亦及需越銀河方能與妻聚首。

「付目結(つくめむす)ぶと」,「付目(つくめ)」乃繫於船槳上以利手握之把柄。

雖說欲訪妻子居所,卻受天川阻隔。準備發船之間,夜以將更,心念春宵苦短,令人焦急如焚。擬牛郎一年只得一度相逢一度之情。

1547 藤原朝臣八束歌一首

 棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手爾將卷知布

 小雄鹿(さをしか)の 萩(はぎ)に貫置(ぬきお)ける 露白玉(つゆのしらたま) 輙爾(あふさわ)に 誰人(たれのひと)かも 手(て)に卷(ま)かむちふ

 見彼小雄鹿 貫置萩枝露白玉 晶瑩剔透耀含光 輒爾有所思 當贈誰人為手纏 形單影隻愁孤苦

藤原八束 1547

「萩(はぎ)に貫置(ぬきお)ける 露白玉(つゆのしらたま)」,以凝結萩枝之露珠,擬作美玉之鏈。又擬其為雄鹿所為

「輙爾(あふさわ)に」,輕易地、未深思熟慮之。醍醐寺三寶院藏『大毗盧遮那成佛經疏』,以「輙爾」訓「あふさわ」。

「ちふ」,「と云(い)ふ」之略。

旋頭歌格式。

1548 大伴坂上郎女晚芽子歌一首

 咲花毛 乎曾呂波猒 奧手有 長意爾 尚不如家里

 咲花(さくはな)も 早熟(をそろ)は厭(いとはし) 晚芽(おくて)なる 長心(ながきこころ)に 尚及(なほし)かずけり

 縱令咲花矣 早熟性急令人厭 尚不及晚芽 遲咲妍花寄風情 長心靜待更添趣

坂上郎女 1548

早熟(をそろ)は厭(いとはし)」,「早熟(をそろ)」乃性急之意。「厭(いとはし)」乃「厭(いと)ふ」之形容詞形。

「晚芽(おくて)」,遲咲、晚成種。

「長心(ながきこころ)に」,秋荻不疾不徐,靜待時機成熟之心。


1549 典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄作歌一首

 射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者將去 寧樂人之為

 射目立(いめた)てて 跡見岡邊(とみのをか)への 撫子花(なでしこがはな) 莖手折(ふさたを)り 我(あれ)は持(も)ちて行(い)く 奈良人(ならひと)の為(ため)

 屏息豎射目 匿身跡見岡邊之 瞿麦石竹撫子花 手折摘其莖 吾今取花將持去 奉為身居奈良

紀鹿人 1549

「典鑄正」,典鑄司長官,相當正六位上。典鑄司掌鑄造金銀銅鐵,製作玻璃,以及工人名籍等。

「衛門大尉」,衛門府第三等官,相當從六位下。衛門府掌宮門禁衛、取締出入、禮儀,定時巡檢。

「跡見庄」,大伴氏築於跡見之莊園。大伴稻公之姊坂上郎女於收穫農忙之時訪此地,詠歌贈其女大孃。

「射目立(いめた)てて」,地名「跡見(とみ)」之枕詞。射目乃獵人為射擊獵物,用以隱身之遮蔽物。跡見乃借動物足跡推測所在,或執行追跡者

「莖手折(ふさたを)り」,「莖(ふさ)」乃將花、實繫成一束之狀態。『東大寺諷誦文稿』云:「莖,ふさ。」


1550 湯原王鳴鹿歌一首

 秋芽之 落乃亂爾 呼立而 鳴奈流鹿之 音遙者

 秋萩(あきはぎ)の 散(ち)りの亂(まが)ひに 呼立(よびた)てて 鳴(な)くなる鹿(しか)の 聲遙(こゑのはる)けさ

 芽花秋萩之 零落紛亂此地間 喚妻誘其立 雄鹿鳴啼猶泣血 蕭瑟之聲遙可聞

湯原王 1550

「散(ち)りの亂(まが)ひに」,花草散落紛亂之之狀,或其場所

「呼立(よびた)てて」,呼喚雌鹿令其出立。引誘潛匿藪中之雌鹿出面。

1551 市原王歌一首

 待時而 落鍾禮能 雨零收 開朝香 山之將黃變

 時待(ときま)ちて 降(ふ)れる時雨(しぐれ)の 雨止(あめや)みぬ 明(あ)けむ朝(あした)か 山黃變(やまのもみ)たむ

 待時而機熟 零落時雨降甘霖 且今雨已止 明日之朝晨曦時 山亦黃變織錦紅

市原王 1551

「雨止(あめや)みぬ」,終止形,已止。原文零收,亦即雨停。

「山黃變(やまのもみ)たむ」,表青葉轉紅之四段活用形。


1552 湯原王蟋蟀歌一首

 暮月夜 心毛思努爾 白露乃 置此庭爾 蟋蟀鳴毛

 夕月夜(ゆふづくよ) 心(こころ)も繁(しの)に 白露(しらつゆ)の 置(お)く此庭(このには)に 蟋蟀鳴(こほろぎな)くも

 暮月晚夕夜 情意紊亂緒千頭 心煩悲物憂 白露降置此庭中 蟋蟀鳴兮聲蕭瑟

湯原王 1552

夕月夜(ゆふづくよ)」,夕月懸空之夜。

「心(こころ)も繁(しの)に」,「繁(しの)に」表繁盛無間隙之狀。無論耳聞何事、眼見何物,皆觸景生情,心煩意沉之狀。



1553 衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首

 鍾禮能雨 無間零者 三笠山 木末歷 色附爾家里

 時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)くし降(ふ)れば 三笠山(みかさやま) 木末遍(こぬれあまね)く 色付(いろづ)きにけり

 以其時雨者 無間不斷常零故 御蓋三笠山 木末樹梢無餘處 一一變色著韓紅

大伴稻公 1553

「木末遍(こぬれあまね)く」,在一定範圍內廣遍所及之狀。原文「歷」字乃「悉」之意。

1554 大伴家持和歌一首 【承前。】

 皇之 御笠乃山能 秋黃葉 今日之鍾禮爾 散香過奈牟

 大君(おほきみ)の 三笠山(みかさのやま)の 秋黃葉(あきもみち) 今日時雨(けふのしぐれ)に 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 吾皇大君之 乘輿御蓋三笠山 山間秋黃葉 身受今日時雨摧 蓋將零落散盡哉

大伴家持 1554

「大君(おほきみ)の」,「三笠(みかさ)」之枕詞,以三笠與御蓋同音之故。

「秋黃葉(あきもみち)」,或有「秋黃葉(あきのもみち)」與「秋黃葉(もみちばは,視秋為不讀字)」等說。


1555 安貴王歌一首

 秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母

 秋立(あきた)ちて 幾日(いくか)も有(あ)らねば 此寢(このね)ぬる 朝明風(あさけのかぜ)は 手本寒(たもとさむ)しも

 自立秋以來 未經幾日時不遠 此寢甚好眠 朝明之風帶清冽 呼嘯秋意手腕寒

安貴王 1555

「幾日(いくか)も有(あ)らねば」,未經幾時日未遠。

「此寢(このね)ぬる」,『古今和歌集』神遊歌有「水莖の 岡の屋形に 妹と我と 寢ての朝けの 霜の降りはも」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk20.htm#1072 『日葡辭書』云:「不在意時間恣意好眠。詩歌語。」

「手本(たもと)」,手腕。

1556 忌部首酲穗げ琉貅

 秋田苅 借蘆毛未 壞者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二

 秋田刈(あきたか)る 假廬(かりいほ)も未(いま)だ 壞(こほ)たねば 雁(かり)が音寒(ねさむ)し 霜(しも)も置(お)きぬがに

 秋田苅熟穗 所設假廬仍外壞 立秋時不久 雁音已寒喚淒涼 凍霜將置訴蕭瑟

忌部酲穗ぁ1556

「假廬(かりいほ)」,為耕作而臨時搭設之小屋

「壞(こほ)たねば」,一般收穫終了後,將拆解假廬。

「雁(かり)が音寒(ねさむ)し」,述鴈鳴寒者,多見於漢籍

1557 故鄉豐浦寺之尼私房宴歌三首

 明日香河 逝迴丘之 秋芽子者 今日零雨爾 落香過奈牟

 明日香川(あすかがは) 行迴(ゆきみ)る岡(をか)の 秋萩(あきはぎ)は 今日降(けふふ)る雨(あめ)に 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 明日香之川 飛鳥河水所行迴 此岡秋萩者 今日雨降摧花落 蓋將凋零散盡歟

丹比國人 1557

 右一首,丹比真人國人。

「故鄉」,飛鳥舊都。

明日香川(あすかがは) 行迴(ゆきみ)る岡(をか)の」,蓋云甘橿丘。飛鳥川迂迴此丘,以逆L字形環繞之。『和州五郡神社神名帳大略注解』:「帳云,治田神社一座,在逝迴鄉小墾田村。」鄉名蓋自此地形而來。

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2017-03-28-火

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宮田登『ヒメの民俗学』 祭りと女の力

 福島市松川町金沢の羽山籠りの行事は、女人禁制で知られている。すべては羽山に住む神の意志で決せられるのである。その意志託宣によって人々に伝えられるので、その託宣を聞く機会が毎年旧十一月中旬に行なわれた。羽山籠りと呼ばれているように、お籠りが中心となる。この際、籠り屋の神聖な炉の火を囲んで、男達だけが集まっており、所謂お別火の生活に入る。その間の食事はすべて男性が行なうのである

 村の女性達は、男達が其処に籠っている間、近づく事を避けており、中で何が行なわれているのか預かり知らないのである。七、八年前に、偶々卒業論文のデーマにした東京女子大生が、羽山籠りの儀礼を実見したいと思い、申し入れたが勿論神の拒否に会ってしまった。そこで一計を案じて、其処に籠りをしている村の若者の一人に頼み込み、本人は外に待ちながら、情報を伝えて貰ったという。丁度冬の真最中とて、雪も降り始めていて寒い夜であったが、二時間置き位に、頼まれた若者がいるのだと教え、それを女子学生ノートした。勿論これが男子学生だったら、他の男たちと同様に、精進潔斎の生活を送る条件で、中に入れて貰えたのであろう。祭りの始めから、女は参加出来ないと、人々は永い間信じてきているのだが、ここにおかしいな事がある。

 それは、籠り屋に入っている男たちの夫々名称女性に対する呼称である事だ。例えば、お籠りの最中の実務を担当する責任者をオガッカア、その後見人をバッバァ、補佐役にワカオッカア、その下にヨメ等がいる。これらの呼称は、家の女性に対するものであるが、二十名近い男ばかりの集団生活の間中、男同士で「オガツカァ」とか、「バッバァ」と言い合っている訳だ。

 この事は一体何を意味しているのだろう。

 祭りに伴う物忌精進に於いては、不浄な女を近づげないという一方的原則を男性社会が取決めてはいるが、男だけではどうしても物事が成り立たないという祭りの仕方があったのではないか。霊的な力の役割男性側に委譲してしまった後でも、形骸化した姿であるけれど、女の役割を何所かに殘しているのである。羽山籠りでは、男が女の代行をさせられているようである。男が女言葉を使い、右往左往しながら食事を作ったり、演技をしたりりする背後には、強烈な女の力が働いているのではなかろうか。



万葉集試訳

1504 高安歌一首

 暇無 五月乎尚爾 吾妹兒我 花橘乎 不見可將過

 暇無(いとまな)み 五月(さつき)を尚(すら)に 我妹子(わぎもこ)が 花橘(はなたちばな)を 見(み)ずか過(す)ぎなむ

 忙碌苦無暇 五月時節尚不休 吾妹子宿間 端午花橘綻紛紛 無緣觀之而將過

高安王 1504

「五月(さつき)を尚(すら)に」,「すらに」表「尚連」,與『竹取物語』「行方そらも覺えず」之「そら」同源,具「空虛」之性詞。「を」字連接末句「過(す)ぐ」。


1505 大神女郎大伴家持歌一首

 霍公鳥 鳴之登時 君之家爾 徃跡追者 將至鴨

 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きし輙(すなは)ち 君(きみ)が家(いへ)に 行(ゆ)けと追(お)ひしは 至(いた)るらむ哉(かも)

 杜鵑霍公鳥 所啼發鳴之登時 吾命彼鳥之 徃去汝家而追行 如今蓋可將至哉

大神女郎 1505

「鳴(な)きし輙(すなは)ち」,「輙(すなは)ち」表即刻、當下。原文「登時」乃漢籍俗語之用法。

1506 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首

 古鄉之 奈良思乃岳能 霍公鳥 言告遣之 何如告寸八

 故鄉(ふるさと)の 奈良思岡(ならしのをか)の 霍公鳥(ほととぎす) 言告遣(ことつげや)りし 何如(いか)に告(つ)げきや

 飛鳥舊京之 故鄉奈良思之岡 杜鵑霍公鳥 吾遣彼鳥告傳言 口訊相遞遞如何

田村大孃 1506

「故鄉(ふるさと)の」,平城遷都後之飛鳥藤原舊京。

奈良思岡(ならしのをか)の」,所在未詳。或云與1466「毛無岡」同處。存疑。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1466

「何如(いか)に告(つ)げきや」,描述自身託言杜鵑,不知杜鵑如何傳言。「何如(いか)に」表以何種方式、何種內容。


1507 大伴家持橘花,贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

 伊加登伊可等 有吾屋前爾 百枝刺 於布流橘 玉爾貫 五月乎近美 安要奴我爾 花咲爾家里 朝爾食爾 出見毎 氣緒爾 吾念妹爾 銅鏡 清月夜爾 直一眼 令覩麻而爾波 落許須奈 由米登云管 幾許 吾守物乎 宇禮多伎也 志許霍公鳥 曉之 裏悲爾 雖追雖追 尚來鳴而 徒 地爾令散者 為便乎奈美 攀而手折都 見末世吾妹

 嚴(いか)と嚴(いか)と 在(あ)る我(わ)が宿(やど)に 百枝刺(ももえさ)し 生(お)ふる橘(たちばな) 玉(たま)に貫(ぬ)く 五月(さつき)を近(ちか)み 零(あ)えぬがに 花咲(はなさ)きにけり 朝(あさ)に日(け)に 出見(いでみ)る每(ごと)に 息緒(いきのを)に 我(あ)が思(おも)ふ妹(いも)に 真十鏡(まそかがみ) 清月夜(きよきつくよ)に 唯一目(ただひとめ) 見(み)する迄(まで)には 散(ち)りこす勿(な) 努(ゆめ)と言(い)ひつつ 幾許(ここだく)も 我(わ)が守(も)る物(もの)を 慨(うれた)きや 醜霍公鳥(しこほととぎす) 曉(あかとき)の 衷悲(うらがな)しきに 追(お)へど追(お)へど 尚(なほ)し來鳴(きな)きて 徒(いたづら)に 地(つち)に散(ち)らさば 術(すべ)を無(な)み 攀(よ)ぢて手折(たを)りつ 見(み)ませ我妹子(わぎもこ)

 莊嚴遼闊哉 廣大吾宿庭院間 百枝欣向榮 所生非時香橘矣 當以長命縷 貫作藥玉五月近 猶將零滿溢 橘花盛咲開一面 朝朝復晝晝 每每出見彼花者 賭命懸魂絮 吾所思慕妹子矣 澄鄂申酋澄≠白清淨月夜間 直至唯一目 得拜汝眉之日迄 嘮叨訴不停 只願莫散勿凋零 雖禱祈幾許 吾守呵護此物者 嗚呼慨嘆哉 嗟乎彼醜霍公鳥 晨曦天方曉 吾浸物憂衷悲時 雖逐追放逐幾度 其尚啼血更來鳴 悲響震虛空 徒令花謝散一地 舉手更無措 唯有攀引手折枝 留花令見吾妹

大伴家持 1507

「嚴(いか)と嚴(いか)と」,未詳。有「如何」與「莊嚴」二說。

「百枝刺(ももえさ)し」,「刺(さ)す」乃枝葉伸展之狀。

「玉(たま)に貫(ぬ)く」,此云趁橘果青澀之時以緒貫之。

「真十鏡(まそかがみ)」,「清月夜(きよきつくよ)に」之枕詞

「幾許(ここだく)も」,甚之如此。

「慨(うれた)きや」,憤慨對方所為形容詞

「醜霍公鳥(しこほととぎす)」,「醜」乃咒罵對象之語。

「徒(いたづら)に」,無益、虛無。


1508 反歌 【承前。】

 望降 清月夜爾 吾妹兒爾 令視常念之 屋前之橘

 望降(もちぐた)ち 清月夜(きよきつくよ)に 我妹子(わぎもこ)に 見(み)せむと思(おも)ひし 宿橘(やどのたちばな)

 望月既已過 皎白清淨月夜間 吾衷有所思 欲令吾妹之所見 所折其枝屋前橘 

大伴家持 1508

「望降(もちぐた)ち」,「望(もち)」指十五滿月之日。「降」表盛期已過。此歌蓋詠四月十六或十七日許。

1509 【承前。】

 妹之見而 後毛將鳴 霍公鳥 花橘乎 地爾落津

 妹(いも)が見(み)て 後(のち)も鳴(な)かなむ 霍公鳥(ほととぎす) 花橘(はなたちばな)を 地(つち)に散(ち)らしつ

 令妹見彼花 其後將鳴而可矣 嗚呼霍公鳥 我恨汝鳴震虛空 震得花橘謝零落

大伴家持 1509

「後(のち)も鳴(な)かなむ」,「なむ」類似「こそ」為希求助詞,而「なむ」多用於明知要求無理之場面。

1510 大伴家持贈紀女郎歌一首

 瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花爾有目八方

 撫子(なでしこ)は 咲(さ)きて散(ち)りぬと 人(ひと)は言(い)へど 我(わ)が標野(しめしの)の 花(はな)にあらめやも

 雖然人常道 瞿麥撫子色易褪 花開早謝散 吾度所指非吾誌 標野之內撫子花

大伴家持 1510

「我(わ)が標野(しめしの)の」,標示所有權,多用於獨佔女性之比喻。

「花(はな)にあらめやも」,主語乃撫子花。世人傳言女心易變,但信所云非己心上之人。


秋雜歌

1511 崗本(舒明)天皇御製歌一首

 暮去者 小倉乃山爾 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母

 夕去(ゆふさ)れば 小倉山(をぐらのやま)に 鳴鹿(なくしか)は 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寢(い)ねにけらしも

 每逢夕暮時 鳴泣呼妻小倉山 悲戚牡鹿者 今夜不聞其聲響 蓋是獲妻安寢哉

舒明天皇 1511

「寢(い)ねにけらしも」,古俗以為鹿以求偶喚妻,故而發鳴。此云今夜不聞鹿鳴,推測其求得良妻,與之安寢。『閑吟集』有「めぐる外山に鳴鹿は逢うた別れか、逢はぬ怨みか」之語。

1664有雄略帝所作異傳歌。

1512 大津皇子御歌一首

 經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黃葉爾 霜莫零

 經(たて)も無(な)く 緯(ぬき)も定(さだ)めず 娘子等(をとめら)が 織(お)る黃葉(もみちば)に 霜莫降(しもなふ)りそね

 經線莫有之 緯絮虛兮無定形 娘子以山機 所織紅葉華錦上 還願寒霜莫降矣

大津皇子 1512

「經(たて)も無(な)く 緯(ぬき)も定(さだ)めず」,經緯乃織機之縱絲、壹。紅葉之錦無所造作,故無井然之經緯。

「織(お)る黃葉(もみちば)に」,此以華錦比喻紅葉之美。

此歌蘊含漢詩表現,『懷風藻』大津皇子之詩有「山機霜杼織葉錦」之語。


1513 穗積皇子御歌二首

 今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黃葉家良思 吾情痛之

 今朝朝明(けさのあさけ) 雁(かり)が音聞(ねき)きつ 春日山(かすがやま) 黃葉(もみち)にけらし 我(あ)が心痛(こころいた)し

 今朝旦開時 鴈鳴之音聲可聞 顧思春日山 今當黃葉染秋紅 我心悲慟愁更愁

穗積皇子 1513

「雁(かり)が音聞(ねき)きつ」,雁音表雁之鳴聲。秋日,雁自北國飛來,故聞其音而可知秋。

春日山(かすがやま) 黃葉(もみち)にけらし」,推定表現。作者非直接目睹,乃聞雁音而推之。

與其後但馬皇女和銅元年薨)之曲並列,或為穗積皇子平城京邸,追慕皇女之歌。

1514 【承前。】

 秋芽者 可咲有良之 吾屋戶之 淺茅之花乃 散去見者

 秋萩(あきはぎ)は 咲(さ)きぬからし 我(わ)が宿(やど)の 淺茅(あさぢ)が花(はな)の 散(ち)りぬる見(み)れば

 吾度秋萩者 今蓋展顏盛咲哉 今觀吾宿之 淺茅之花散去者 可知時節當秋臨

穗積皇子 1514

「咲(さ)きぬからし」,「咲(さ)きぬべくあるらし」之略。此亦非親眼目睹之推測。

「淺茅(あさぢ)が花(はな)の」,綻於盛夏而凋於秋風。


1515 但馬皇女御歌一首 【一書云,子部王作。】

 事繁 里爾不住者 今朝鳴之 鴈爾副而 去益物乎【一云,國爾不有者。】

 言繁(ことしげ)き 里(さと)に住(す)まずは 今朝鳴(けさな)きし 雁(かり)に伴(たぐ)ひて 行(ゆ)か益物(ましもの)を【一云(またにいふ)、國(くに)に在(あ)らずは。】

 較於住里間 流言蜚語惹人煩 不若離人煙 往去今朝鳴鴈處 相伴山野享清痢 攬豈勝こ啀棲國中。】

但馬皇女 1515

「里(さと)に住(す)まずは」,「ずは」表「比起...」之意。

「雁(かり)に伴(たぐ)ひて」,「伴(たぐ)ひ」表隨之、相伴之意。

1516 山部王,惜秋葉歌一首

 秋山爾 黃反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世

 秋山(あきやま)に 黃變木葉(もみつこのは)の 移(うつ)りなば 更(さら)にや秋(あき)を 見(み)まく欲(ほ)りせむ

 時值秋山間 黃變木葉移去者 心惜秋葉落 更欲次秋早再臨 冀見紅葉再織錦

山部王 1516

「黃變木葉(もみつこのは)」,「黃變(もみつ)」原文「黃反」,反意與變同,冤寫黃、轉紅之意。

「移(うつ)りなば」,花與紅葉凋零之貌。

1517 長屋王歌一首

 味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黃葉乃 散莫惜毛

 味酒(うまさけ) 三輪祝(みわのはふり)が 山照(やまて)らす 秋黃葉(あきのもみち)の 散(ち)らまく惜(を)しも

 美酒彌醇矣 御諸三輪社祝齋 聖山神奈備 照耀彼山秋黃葉 散落凋零令人惜

長屋王 1517

「味酒(うまさけ)」,三輪枕詞

三輪祝(みわのはふり)が 山(やま)」,大神神社之社祝、神職所齋戒守護三輪山

1518 山上臣憶良七夕歌十二首 【十二第一。】

 天漢 相向立而 吾戀之 君來益奈利 紐解設奈 【一云,向河。】

 天川(あまのがは) 相向立(あひむきた)ちて 我(あ)が戀(こ)ひし 君來坐(きみきま)す也(なり) 紐解設(ひもときま)けな 【一云(またにいふ)、川(かは)に向(むか)ひて。】

 天漢銀河矣 相隔此川兩相望 吾之所慕戀 君將來訪在今夕 故吾解紐設香閨 【一云,向河阻隔兩相望。】

山上憶良 1518

 右,養老八年七月七日應令。

七夕」,中國古俗以為,七月七日夕,織女星渡銀漢,與牽牛星相會。日本亦於古早受此風俗,每逢七夕設宴吟詩。『懷風藻』可見藤原不比等五言詩,『萬葉集』亦有計百卅二曲。

「天川(あまのがは)」,銀河牽牛星於東、織女星於西,相隔銀漢,唯七日得渡相會。

「君來坐(きみきま)す也(なり)」,君乃織女對牛郎之呼稱。日本盛行訪妻婚,故與中國織女來會之說相反,多云彥星來會織女。「也(なり)」於此為聞船楫之音而推定來訪之語。

「紐解設(ひもときま)けな」,「設(ま)く」乃「設(ま)うく」之古形,此云準備同寢。

「應令」,此云奉皇太子(聖武帝)之命。

類歌2048。


1519 【承前,十二第二。】

 久方之 漢爾 船泛而 今夜可君之 我許來益武

 久方(ひさかた)の 天川(あまのがは)に 舟浮(ふねう)けて 今夜(こよひ)か君(きみ)が 我許來坐(わがりきま)さむ

 遙遙久方兮 天漢銀河水上 泛舟乘浮船 就在今宵我思君 將渡天川訪吾許

山上憶良 1519

 右,神龜元年七月七日夜左大臣宅。

「天川(あまのがは)に」,諸寫本原文作「漢爾」,『類聚古集』雖書「漢之川鷦ぁ廖こ鍵予訓而竄改之本文乎。

「我許來坐(わがりきま)さむ」,此乃臨摹織女心境之曲。

「左大臣」,長屋王。其宅或指『懷風藻』所見「作寶樓」,未詳。方時長屋王卌九歲,憶良六十五歲。

1520 【承前,十二第三。】

 牽牛者 織女等 天地之 別時由 伊奈牟之呂 河向立 思空 不安久爾 嘆空 不安久爾 青浪爾 望者多要奴 白雲爾 觴壟古曄’\Ъ也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纏之 真可伊毛我母【一云,小棹毛何毛。】 朝奈藝爾 伊可伎渡 夕鹽爾【一云,夕倍爾毛。】 伊許藝渡 久方之 天河原爾 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞【一云,伊毛左禰而師加。】 秋爾安良受登母【一云,秋不待登毛。】

 彥星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別(わか)れし時(とき)ゆ 稻筵(いなむしろ) 川(かは)に向立(むきた)ち 思(おも)ふ心地(そら) 安(やす)け無(な)くに 嘆(なげ)く心地(そら) 安(やす)け無(な)くに 青波(あをなみ)に 望(のぞ)みは絕(た)えぬ 白雲(しらくも)に 淚(なみた)は盡(つ)きぬ 如是(かく)のみや 息衝居(いきづきを)らむ 如是(かく)のみや 戀(こ)ひつつあらむ 小丹塗(さにぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉卷(たまま)きの 真櫂(まかい)もがも【一云(またにいふ)、小棹(をさを)もがも。】 朝凪(あさなぎ)に い搔渡(かきわた)り 夕潮(ゆふしほ)に【一云(またにいふ)、夕(ゆふべ)にも。】 い漕渡(こぎわた)り 久方(ひさかた)の 天川原(あまのかはら)に 天飛(あまとぶ)や 領巾片敷(ひれかたし)き 真玉手(またまで)の 玉手插交(たまでさしか)へ 數多夜(あまたよ)も 寐(い)ねてしかも【一云(またにいふ)、眠(い)もさ寢(ね)てしか。】 秋(あき)に非(あら)ずとも【一云(またにいふ)、秋待(あきま)たずとも。】

 彥星牛郎者 其與所戀機織女 早自天地之 初判之際兩相隔 稻筵藁席兮 銀漢天川對向立 所念方寸中 抑鬱忐忑無安平 所嘆胸懷間 哀愁滿溢莫安歇 清浪遮所見 還怨望斷不得眺 白雲蔽眼前 更恨淚盡涙已乾 唯有如此耶 日復一日終悲嘆 唯有如此耶 戀慕不息愁相思 欲得小丹塗 一葉扁舟不可得 玉得玉卷之 楫梶真櫂不可得【一云,楫梶小棹不可得。】 晨曦朝凪間 願得搔楫渡彼水 夕暮潮盈時【一云,夕暮黃昏時。】 冀得漕榜渡此川 遙遙久方兮 銀河天漢川原上 飛天隨風逸 領巾羽衣望披之 還願交汝纖玉手 幾多春宵夜 相交纏綿依不離【一云,相枕共寢覆雲雨。】 縱令此宵非七夕【一云,縱令不待秋來矣。】

山上憶良 1520

「彥星(ひこほし)」,牽牛星。3657書「比故保思」,與論島至今仍言「ぴくぷし」。

「織女(たなばたつめ)」,「織機(たなばた)」乃設棚坐以足踏之縫紉機器。獨以「たなばた」表「織機女(はたおりめ)」者,多半專指織女星而語牽牛相對。

「天地(あめつち)の 別(わか)れし時(とき)ゆ」,七夕傳説傳至日本,漸漸日化,蓋部分以為其與神代天地創造同期哉。

「稻筵(いなむしろ)」,川之枕詞。修飾方式未詳。

「思(おも)ふ心地(そら)」,「心地(そら)」表心情,專用於不安之心理。

「青波(あをなみ)に」,銀河之波濤。其色與白雲相對。

「望(のぞ)みは絕(た)えぬ」,漢語「望斷」之翻譯語,望指遠望。

「小丹塗(さにぬ)りの」,「小丹(さに)」乃稍帶黃色之赤。其與下句「玉卷(たまま)きの」皆表空想之裝飾。

「真櫂(まかい)もがも」,真乃合左右兩舷之接頭語。櫂乃划船之工具。

「天川原(あまのかはら)に」,天川之河原。此乃七夕傳說與日本神化融合之表現

「天飛(あまとぶ)や」,「領巾(ひれ)」之枕詞。蓋以領巾輕飄,視為非形自在之具。や乃間投助詞

「領巾片敷(ひれかたし)き」,於此在美化天上戀情之際,亦視之為飛行之句,與天衣、羽衣混同。「片敷」多與「衣袖」等語相接,表示孤寢之狀,而此言夫婦共寢堪屬異例。

「數多夜(あまたよ)も」,此云不滿足於ㄧ年只得一晚之情。

「寐(い)ねてしかも」,「てしかも」表願望。


1521 反歌 【承前,十二第四。】

 風雲者 二岸爾 可欲倍杼母 吾遠嬬之【一云,波之嬬乃。】 事曾不通

 風雲(かぜくも)は 二(ふた)つの岸(きし)に 通(かよ)へども 我(わ)が遠妻(とほづま)の【一云(またにいふ)、愛妻(はしつま)の。】 言(こと)そ通(かよ)はぬ

 風雲自在天 來回兩岸不受阻 雖然如此者 何奈吾人遠妻之【一云,何奈親親愛妻之。】 隻言片語不得通

山上憶良 1521

「遠妻(とほづま)」,此云織女星

「愛妻(はしつま)」,「愛(はし)」表可人憐愛之意。


1522 【承前,十二第五。】

 多夫手二毛 投越都倍吉 天漢 敝太而禮婆可母 安麻多須辨奈吉

 飛礫(たぶて)にも 投越(なげこ)しつべき 天川(あまのがは) 隔(へだ)てればかも 數多術無(あまたすべな)き

 若擲飛礫者 理宜投越不費勁 天川幅不廣 卻以其隔在途間 相會無方徒傷悲

山上憶良 1522

 右,天平元年七月七日夜,憶良仰觀天河。【一云,帥家作。】

飛礫(たぶて)」,投擲之飛石。

「投越(なげこ)しつべき」,「越(こ)す」乃「越(こ)ゆ」之他動詞態。此云銀河幅面不廣,但苦無由渡之。

「隔(へだ)てればかも」,疑問條件語。

天平元年七月七日」,按此時,大伴旅人山上億良並在太宰府

「帥」,此云太宰帥大伴旅人。其邸蓋在政廳周遭。

1523 【承前,十二第六。】

 秋風之 吹爾之日從 何時可登 吾待戀之 君曾來座流

 秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より 何時(いつ)しかと 我(あ)が待戀(まちこ)ひし 君(きみ)そ來坐(きませ)る

 夫自立秋之 秋風瑟瑟拂日起 衷念何時會 吾人朝暮引領盼 待慕之君今來也

山上憶良 1523

「秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より」,立秋以來。表七夕難待之常套句

「何時(いつ)しかと」,心急如焚,心頭每念何時能相逢云云。

1524 【承前,十二第七。】

 天漢 伊刀河浪者 多多禰杼母 伺候難之 近此鷂

 天川(あまのがは) 甚川波(いとかはなみ)は 立(た)たねども 伺候難(さもらひがた)し 近(ちか)き此(このせ)を

 銀漢天之川 雖彼川波不甚湧 俟候誠難矣 近在眼前莫得渡 嗚呼惱人此川

山上憶良 1524

「甚川波(いとかはなみ)は」,「甚(いと)」多用以修飾形容詞,此歌用以修飾「立つ」,堪稱異例。

「伺候難(さもらひがた)し」,「伺候(さもらひ)」表等待與戀人相逢之日。


1525 【承前,十二第八。】

 袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良禰波

 袖振(そでふ)らば 見(み)も交(かは)しつべく 近(ちか)けども 渡(わた)る術無(すべな)し 秋(あき)にしあらねば

 若振揮袖者 形姿歷歷可相見 所近雖如此 越渡無方更催愁 只因七夕日未至

山上憶良 1525

「見(み)も交(かは)しつべく」,幾乎可相見對方之容貌(般近)。

「近(ちか)けども」,原文「雖近」,或可訓「近(ちか)けれど」,而此採ども訓之。形容詞已然形活用語尾雖有「け」「けれ」二形,而後者極為罕見。

「秋(あき)」,此云七夕

1526 【承前,十二第九。】

 玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波

 玉限(たまかぎ)る 髣髴(ほのか)に見(み)えて 別(わか)れなば 元無(もとな)や戀(こ)ひむ 逢時迄(あふときまで)は

 玉極輝耀兮 髣髴之間所見爾 蓋在離別後 戀慕無故生油然 直至有朝再逢時

山上憶良 1526

 右,天平二年七月八日夜,帥太宰帥家集會。

「玉限(たまかぎ)る」,珠玉瞬間發出光耀之狀,「髣髴(ほのか)」之枕詞

「髣髴(ほのか)に見(み)えて」,稍微、倉促、不確定地會面。

「元無(もとな)」,無由。

「逢時迄(あふときまで)は」,原文「麻而」之用例,亦見於平城宮木簡「至流麻而爾(至るまでに)」。

1527 【承前,十二第十。】

 牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 天漢原爾 霧之立波

 彥星(ひこほし)し 妻迎(つまむか)へ舟(ぶね) 漕出(こぎづ)らし 天川原(あまのかはら)に 霧立(きりのた)てるは

 牛郎彥星之 迎妻織女扁舟者 今蓋榜出哉 見彼銀河川原 水沫化霧可知之

山上憶良 1527

「彥星(ひこほし)し 妻迎(つまむか)へ舟(ぶね)」,此云牛郎為迎接織女來訪所出之船。一般七夕傳說與日本訪妻制習合後,多為牛郎前往織女住處,而此歌不然。或以雙方出船,稱折衷形。

「霧立(きりのた)てるは」,此乃槳上雫滴化作霧雨之俗信。

1528 【承前,十二十一。】

 霞立 天河原爾 待君登 伊徃還爾 裳襴所沾

 霞立(かすみた)つ 天川原(あまのかはら)に 君待(きみま)つと い行返(ゆきかへ)るに 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ

 霞起霧瀰漫 天上銀河川原中 引領待君至 坐立徃還徘徊間 裳襴沾濕裾濡矣

山上憶良 1528

「霞立(かすみた)つ」,一般和歌以霞述春,以霧言秋,而該習慣於此時尚未成形。

「い行返(ゆきかへ)るに」,「い」乃接頭語。類聚古集、廣麕榲非仙覺本系統原文作「伊徃還爾」。仙覺本、神宮文庫本作「伊徃還程爾」者,蓋仙覺依古點「いかやふほとに」而加「程」字哉。

1529 【承前,十二十二。】

 天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母

 天川(あまのがは) 浮津波音(うきつのなみおと) 騒(さわ)く成(な)り 我(わ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも

 銀河天之川 浮津淺橋船埠處 波音騒可聞 蓋是朝思復暮想 吾所待君榜舟出

山上憶良 1529

「浮津波音(うきつのなみおと)」,或為浮淺橋泛於水上之類,或因銀河而船埠渡口浮空之意象描述。

「騒(さわ)く成(な)り」,「なり」乃傳聞推定語。耳聞淺橋波音,以之為根據所立之推測。

以上三首,雖為山上憶良之作,然不明其所詠地點、緣由。


1530 大宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首

 娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代爾將見

 女郎花(をみなへし) 秋萩交(あきはぎまじ)る 蘆城野(あしきの)の 今日(けふ)を始(はじ)めて 萬世(よろづよ)に見(み)む

 妍哉女郎花 其與秋荻交爭艷 遍開蘆城野 始自今日翫其景 欲賞直至萬世後

佚名 1530

女郎花(をみなへし) 秋萩交(あきはぎまじ)る」,「女郎花」後蓋省略助詞「に」。


1531 【承前。】

 珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 將忘八方

 玉櫛笥(たまくしげ) 蘆城川(あしきのかは)を 今日見(けふみ)ては 萬代迄(よろづよまで)に 忘(わす)らえめやも

 珠匣玉櫛笥 太宰府邊蘆城川 今日見其景 餘韻不絕纏心頭 縱令萬代豈忘哉

佚名 1531

 右二首,作者未詳。

「玉櫛笥(たまくしげ)」,以「開(あ)く」之緣而為「蘆城(あしき)」之枕詞

以上二首,赴任太宰府之初,於蘆城川設宴歡迎之曲。


1532 笠朝臣金村伊香山作歌二首

 草枕 客行人毛 徃觸者 爾保比奴倍久毛 開流芽子香聞

 草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)も 行觸(ゆきふ)れば 匂(にほ)ひぬべくも 咲(さ)ける萩(はぎ)かも

 草枕在異地 漂泊他鄉旅行人 一旦徃觸者 艷色太過將匂染 如此盛開萩花

笠金村 1532

草枕(くさまくら)」,羈旅之際,以草為枕野宿在外,故為「旅」之枕詞

旅行人(たびゆくひと)も」,句末「も」字蓋為合其字數而至此,其意寔當「旅行人(たびゆくひと) 行觸(ゆきふ)れもせば」哉。

「匂(にほ)ひぬべくも」,「匂(にほ)ふ」於此乃赤色移染之狀。事實上萩花不適作為染料,但以其花盛開極度鮮豔,誇飾云好似將受其色所染云云。

1533 【承前。】

 伊香山 野邊爾開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念

 伊香山(いかごやま) 野邊(のへ)に咲(さ)きたる 萩見(はぎみ)れば 君(きみ)が家(いへ)なる 尾花(をばな)し思(おも)ほゆ

 淡海伊香山 野邊所咲萩花矣 見彼花開者 觸景生情發油然 思念君家尾花矣

笠金村 1533

「君(きみ)が家(いへ)なる」,此文君字不明所指孰人,或為同行友人。

「尾花(をばな)」,芒草之花穗。

1534 石川朝臣老夫歌一首

 娘部志 秋芽子折禮 玉桙乃 道去裹跡 為乞兒

 女郎花(をみなへし) 秋萩折(あきはぎを)れれ 玉桙(たまほこ)の 道行(みちゆ)き裹(づと)と 乞(こ)はむ兒(こ)が為(ため)

 當摘女郎花 復折秋萩納行囊 以為玉桙兮 道行羈旅裹土毛 獻予將乞娘子矣

石川老夫 1534

「秋萩折(あきはぎを)れれ」,「折(を)れれ」乃「折(を)れり」之命令形。作者指使從者之語。

「道行(みちゆ)き裹(づと)と」,句後省略表願望之終助詞「もが」。此云設想女子將討行旅之土產,而折枝以贈。

1535 藤原宇合卿歌一首

 我背兒乎 何時曾且今登 待苗爾 於毛也者將見 秋風吹

 我(わ)が背子(せこ)を 何時(いつ)そ今(いま)かと 待(ま)つなへに 面(おも)やは見(み)えむ 秋風吹(あきのかぜふ)く

 朝思暮所戀 引領盼吾兄子來 何時且今哉 焦待之間面將見 秋風吹報七夕

藤原宇合 1535

「何時(いつ)そ今(いま)かと」,「今(いま)か」原文「且今」同「且今且今(いまかいまか)」,表迫不及待之狀。

「面(おも)やは見(み)えむ」,蓋將見得心上人之一面哉。上代語將「やは」用於文中者,僅此一例。中古則或用於反語。此歌用為插入句。

「秋風吹(あきのかぜふ)く」,隨秋風吹起,預知男子將訪。蓋臨摹織女之情,所詠七夕之曲。

1536 緣達師歌一首

 暮相而 朝面羞 隱野乃 芽子者散去寸 黃葉早續也

 宵(よひ)に逢(あ)ひて 朝面無(あしたおもな)み 名張野(なばりの)の 萩(はぎ)は散(ち)りにき 黃葉早繼(もみちはやつ)げ

 昨夜渡春宵 朝日羞赧無顏對 隱兮名張野 荻花既散景色衰 還願紅葉早續之

緣達帥 1536

「宵(よひ)に逢(あ)ひて 朝面無(あしたおもな)み」,引出地名名張野(なばりの)」之序文。「名張」與「隱」同音,此以嬌羞不敢直視對方而為言。

「黃葉早繼(もみちはやつ)げ」,原文「早續也」乃命令詞。


1537 山上臣憶良詠秋野花歌二首

 秋野爾 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 【其一。】

 秋野(あきのの)に 咲(さ)きたる花(はな)を 指折(およびを)り 搔數(かきかぞ)ふれば 七種花(ななくさのはな) 【其一。】

 蕭瑟秋野間 所咲妍花綴色彩 屈指細數之 娓娓道來一一筭 其花計有七種矣

山上憶良 1537

「指(および)」,「指(ゆび)」之古語

「其一」,連歌題其一、其二者,仿『昭明文選』、『玉台新詠』等漢詩之例也。

1538 【承前。】

 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 【其二。】

 萩花(はぎのはな) 尾花葛花(をばなくずはな) 撫子花(なでしこのはな) 女郎花(をみなへし) 亦藤袴(またふぢばかま) 朝顏花(あさがほのはな) 【其二。】

 萩花秋之芽 芒草尾花又葛花 瞿麦石竹撫子花 嬌勝女郎花 復亦藤袴紫藤花 五芒桔梗朝顏花

山上憶良 1538

「葛花(くずはな)」,群開於秋分之際,呈紫紅色

藤袴(ふぢばかま)」,菊科多年草。初秋筒狀淡紫之花成群綻放,如袴似浪。

「朝顏花(あさがほのはな)」,有諸說。或云擬桔梗,或云乃牽牛、木槿、旋花之疇。

1539 天皇(聖武)御製歌二首

 秋日乃 穂田乎鴈之鳴 闇爾 夜之穂杼呂爾毛 鳴渡可聞

 秋日(あきのひ)の 穂田(ほた)を雁(か)りがね 暗(くら)けくに 夜時分(よのほどろ)にも 鳴渡(なきわた)るかも

 秋熟稔豐饒 晝苅穂田暮雁啼 六合沒闇間 夜之將更此時分 鳴渡大虛響終宵

聖武天皇 1539

「秋日(あきのひ)の 穂田(ほた)を」,借「苅(か)り」與「雁(かり)」同音之序。首句秋日與後文秋夜相對。

「夜時分(よのほどろ)にも」,夜中之意。

1540 【承前。】

 今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曾 色付丹來

 今朝朝明(けさのあさけ) 雁(かり)が音寒(ねさむ)く 聞(き)きしなへ 野邊淺茅(のへのあさぢ)そ 色付(いろづ)きにける

 今朝旦開時 鴈鳴淒涼音且寒 聞彼啼泣時 不覺野邊淺茅者 已然添色飾秋彩

聖武天皇 1540

「聞(き)きしなへ」,「なへ」同「なへに」,表與前動詞發生之同時之意。

紀州本於1539前無「天皇御製歌二首」,而於1540題「天皇御製哥一首」。『類聚古集』依然於1540題「天皇御製歌一首【可考】」,更於1539書山上憶良。則或視1538僅為秋妻草之羅列,不認其為一首。此姑從仙覺本,以俟後攷。

1541 大宰帥大伴旅人卿歌二首

 吾岳爾 棹壯鹿來鳴 先芽之 花嬬問爾 來鳴棹壯鹿

 我(わ)が岡(をか)に 小雄鹿來鳴(さをしかきな)く 初萩(はつはぎ)の 花妻問(はなつまど)ひに 來鳴(きな)く小壯鹿(さをしか)

 吾岡丘陵間 小雄牡鹿步來鳴 蓋以初萩之 萩花擬妻喚彼睞 故而來鳴小壯鹿

大伴旅人 1541

「花妻問(はなつまど)ひに」,古俗鹿鳴呼妻,此云視萩花為妻,欲問之而來鳴。

1542 【承前。】

 吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 將見人裳欲得

 我(わ)が岡(をか)の 秋萩花(あきはぎのはな) 風(かぜ)を疾(いた)み 散(ち)るべくなりぬ 見みむ人ひともがも

 吾岳丘陵間 秋萩之花盛一面 然恐風疾勁 懼彼萩花遭拂落 欲令人見散盡前

大伴旅人 1542

「散(ち)るべくなりぬ」,卷五追和梅花歌卅二首四曲之851有同句,故或有說以為該四首亦大伴旅人之作。

DD 2017/04/08 03:51 相変わらず古文に強いですね(笑)

kuonkizunakuonkizuna 2017/04/12 08:36 すみません、何方でしょうか?

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