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2017-02-22-水

[]真字萬葉集卷七、万葉集試訳 真字萬葉集卷七、万葉集試訳を含むブックマーク 真字萬葉集卷七、万葉集試訳のブックマークコメント

■真字萬葉集 卷第七 雜歌、譬喻歌、挽歌

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万葉集試訳

1418 志貴皇子懽御歌一首

 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春爾 成來鴨

 石走(いはばし)る 垂水上(たるみのうへ)の 早蕨(さわらび)の 萌出(もえいづ)る春(はる)に 成(なり)にける哉(かも)

 石走迸流水 飛瀧蘊勁垂水邊 所生早蕨者 已然萌出發新僉”夐春日既臨哉

志貴皇子 1418

「懽(よろこ)び」,與「歡」字同。蓋酒宴興感之曲。

「石走(いはばし)る」,流水觸石激越之狀。

「早蕨(さわらび)」,蕨類之新芽,羊齒狀。


1419 鏡王女歌一首

 神奈備乃 伊波麈擬卩掘ヾ子鳥 痛莫鳴 吾戀益

 神奈備(かむなび)の 磐鷦(いはせのもり)の 呼子鳥(よぶこどり) 甚(いた)く勿鳴(なな)きそ 我(あ)が戀(こひまさ)る

 三諸神奈備 磐麈啓卍端蘓后ヾ子鳥者也 汝莫甚鳴啼如此 觸吾心絃徒痍

鏡王女 1419

神奈備(かむなび)の」,神之居所,多指出雲系之國神。按『出雲風土記』有四所,而『出雲國造神賀詞』云:「大穴持命の申し給はく,皇御孫命の靜まり坐さむ大倭國と申して,

己命の和魂を八咫鏡に取り託けて倭大物主櫛嚴玉命と御名を称へて大御和の神奈備に坐せ,己命の御子,阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ,事代主命の御魂を宇奈提に坐せ,賀夜奈流美命の御魂を飛鳥神奈備に坐せ。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sinpaisi/haraekotoba03.htm#ryaku-okami01 此曲或指斑鳩龍田神奈備・三室山。

呼子鳥(よぶこどり)」,初夏渡來之侯鳥,或為郭公。『萬葉集』中,除1941外皆描述為春鳴之鳥。

「我(あ)が戀(こひまさ)る」,此云聞鳥啼則更發相思之情。

1420 駿河釆女歌一首

 沫雪香 薄太禮爾零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

 沫雪(あわゆき)か 斑(はだ)れに降(ふ)ると 見(み)る迄(まで)に 流(なが)らへ散(ち)るは 何花(なにのはな)そも

 舉目望之者 其猶沫雪降斑駁 散華甚繽紛 吹雪流散飄目眩 蓋是何物之花哉

駿河釆女 1420

「沫雪(あわゆき)」,春雪,零而隨即消散之雪。

「斑(はだ)れ」,雪霜之類輕微積置之狀。

「流(なが)らへ散(ち)るは」,落花如流雨、流水之狀。蓋此指梅花吹雪之景。

「何花(なにのはな)」,原文「何物」者乃漢籍俗語,與「何」字同。


1421 尾張連歌二首 【名闕】

 春山之 開乃乎為里爾 春菜採 妹之白紐 見九四與四門

 春山(はるやま)の 咲(さ)きの撓(をを)りに 春菜摘(はるなつ)む 妹(いも)が白紐(しらひも) 見(み)らくし良(よ)しも

 佐保春山間 百花爭艷亂咲裏 屈身摘春菜 親愛吾妻白紐者 見之我心清清焉

尾張連 1421

「咲(さ)きの撓(をを)りに」,群花亂咲,枝葉繁茂而屈折之狀。表示植物欣榮之狀。

「妹(いも)が白紐(しらひも)」,概上衣胸口所結之紐。

1422 【承前

 打靡 春來良之 山際 遠木末乃 開徃見者

 打靡(うちなび)く 春來(はるきた)るらし 山際(やまのま)の 遠木末(とほきこぬれ)の 咲行(さきゆ)く見(み)れば

 搖曳隨風動 萬象更新春臨哉 今見山之端 遙遙遠方木末稍 木花漸咲可察矣

尾張連 1422

「打靡(うちなび)く」,植物隨風蕩漾之狀。

萬葉集』卷十1865有作者不詳異傳歌,其前後論及櫻花,此曲所詠概亦櫻花哉

1423 中納言阿倍廣庭卿歌一首

 去年春 伊許自而殖之 吾屋外之 若樹梅者 花咲爾家里

 去年春(こぞのはる) い掘(こ)じて植(う)ゑし 我(わ)が宿(やど)の 若木梅(わかきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

 去年春日間 所掘植之我宿中 稚嫩樹梅者 光陰飛逝一年過 庭梅花咲報春暖

阿倍廣庭 1423

「い掘(こ)じて植(う)ゑし」,「い」乃接頭語。按『古事記』『琴歌譜』有「根掘(ねこ)じに掘(こ)じて」之語。

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2017-02-17-金

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補給物資

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万葉集試訳

1399 【承前,五首第二。】

 百傳 八十之嶋迴乎 榜船爾 乘爾志情 忘不得裳

 百傳(ももづた)ふ 八十島迴(やそのしまみ)を 漕船(こぐふね)に 乘(の)りにし心(こころ) 忘兼(わすれか)ねつも

 百傳數繁兮 八十嶋迴榜船間 所乘之情矣 汝寄信鰒畍禺圈吾妻之心不得忘

佚名 1399

「百傳(ももづた)ふ」,連數至百,「八十」、「五十」之枕詞


1400 【承前,五首第三。】

 嶋傳 足速乃小舟 風守 年者也經南 相常齒無二

 島傳(しまづた)ふ 足速小舟(あばやのをぶね) 風守(かぜまも)り 年(とし)はや經(へ)なむ 逢(あ)ふとは無(な)しに

  繼島越嶼兮 足速小舟疾舸矣 俟風待時間 不覺年者早經去 馬齒徒長未得逢

佚名 1400

「島傳(しまづた)ふ」,接二連三巡航數島之間。島不僅指海島,亦指海上所見之陸地。

「足速小舟(あばやのをぶね)」,巡弋速度飛快之機敏小舟。男子自詡機敏果敢具行動力乎。

「風守(かぜまも)」,等待風向轉至適合發船。

類歌1390。男子自詡行事積極,卻唯獨對戀情保守怯足,錯失良機之曲。

1401 【承前,五首第四。】

 水霧相 奧津小嶋爾 風乎疾見 船緣金都 心者念杼

 水霧(みなぎ)らふ 沖小島(おきつこしま)に 風(かぜ)を疾(いた)み 船寄兼(ふねよせか)ねつ 心(こころ)は思(おも)へど

 水霧瀰漫兮 沖瀛奧津小島矣 逆風疾且勁 船以駭浪難緣近 心雖常念無所遂

佚名 1401

「水霧(みなぎ)らふ」,為水煙瀰漫所籠罩。

「沖小島(おきつこしま)に」,比喻可遠觀而無以接近之女性

「風(かぜ)を疾(いた)み」,比喻有妨礙兩者戀情之仁


1402 【承前,五首第五。】

 殊放者 奧從酒嘗 湊自 邊著經時爾 可放鬼香

 殊放(ことさ)けば 沖(おき)ゆ放(さ)けなむ 湊(みなと)より 邊付(へつ)かふ時(とき)に 放(さ)くべき物(もの)か

 若將疏離者 當自沖瀛疏離矣 如今既經湊 將緣邊岸欲泊時 相避疏遠豈宜哉

佚名 1402

「殊放(ことさ)けば」,「殊(こと)」字與「如(ごと)」同,表同一、同類之用。「放(さ)け」表離放、疏遠。

「沖(おき)ゆ放(さ)けなむ」,反事實希求用語。遠洋・沖比喻不為他人察覺,或自身尚未陷入之狀態。

「湊(みなと)より」,湊表河口,而「より」表經由。

「邊付(へつ)かふ時(とき)に」,船靠岸之際。

「放(さ)くべき物(もの)か」,責怪對方言行之語調。

憤慨對象在即將結婚前毀約之曲。

1403 旋頭歌

 三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴

 御幣取(みぬさと)り 三輪祝(みわのはふり)が 齋(いは)ふ杉原(すぎはら) 薪伐(たきぎこ)り 殆(ほとほと)しくに 手斧取(てをのと)らえぬ

 恭執奉御幣 御諸三輪社祝所 鎮齋大神杉原矣 伐薪樵夫者 殆將犯禁入神域 揮動手斧伐之矣

佚名 1403

「御幣取(みぬさと)り」,「幣(ぬさ)」乃奉獻予神之品物。

三輪祝(みわのはふり)が」,三輪指座落三輪山麓之大神神社,祝乃下級神官

「齋(いは)ふ杉原(すぎはら)」,細心潔齋鎮護,不令染穢之神杉

「薪伐(たきぎこ)り」,取材之樵夫。比喻向深窗令孃搭訕之己身。

「殆(ほとほと)しく」,怠將。

手斧(てをの)」,山鉈等工具。

此云犯禁接近深窗之女性,差點便將鑄下大禍。


挽歌

1404 雜挽 【十二第一。】

 鏡成 吾見之君乎 阿婆乃野之 花橘之 珠爾拾都

 鏡成(かがみな)す 我(わ)が見(み)し君(きみ)を 阿婆野(あばのの)の 花橘(はなたちばな)の 玉(たま)に拾(ひり)ひつ

 明鏡之所如 吾之日日所常見 君姿不復在 我今屈身阿婆野 拾撿花橘珠玉

佚名 1404

挽歌」,哀悼人死之曲。

「鏡成(かがみな)す」,如鏡一般時時觀看親近之人物

「阿婆野(あばのの)の」,所在未詳。

「花橘(はなたちばな)の 玉(たま)」,花橘乃橘樹開花時之稱。花橘之珠比喻火葬後之骨灰。


1405 【承前,十二第二。】

 蜻野叫 人之懸者 朝蒔 君之所思而 嗟齒不病

 秋津野(あきづの)を 人懸(ひとのか)くれば 朝撒(あさま)きし 君(きみ)が思(おも)ほえて 嘆(なげ)きは止(や)まず

 每逢聞人言 大和蜻蜓秋津野 吾憶君往時 朝日野中撒灰景 哀愁歎息不能止

佚名 1405

秋津野(あきづの)を」,秋津所在未詳。或大和之美稱。

「人懸(ひとのか)くれば」,「懸(か)く」乃揚言,說出口之意。

「朝撒(あさま)きし」,火葬翌朝,散撒骨灰。當時庶民普遍不造墓,而有散骨習俗

1406 【承前,十二第三。】

 秋津野爾 朝居雲之 失去者 前裳今裳 無人所念

 秋津野(あきづの)に 朝居(あさゐ)る雲(くも)の 失去(うせゆ)けば 昨日(きのふ)も今日(けふ)も 亡人思(なきひとおも)ほゆ

 每見秋津野 朝日居雲消散去 憶彼煙雲者 無論昨日或今日 皆念故人方寸悲

佚名 1406

「朝居(あさゐ)る雲(くも)の」,此云作者見朝雲連想比時近親火化之煙雲。

1407 【承前,十二第四。】

 隱口乃 泊鷸骸ぁ_睥 棚引雲者 妹爾鴨在武

 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)に 霞立(かすみた)ち 棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ

 盆底隱國兮 長谷泊鷸劃詐紂〕霞漫天邊 流連棚引之雲者 可是吾妻所化哉

佚名 1407

「棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ」,0482有柿本人麻呂火葬土形娘子泊鷸鎧歌「隱國の 初鷸海痢〇該櫃法〕頴雲は 妹にかもあらむ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0428

1408 【承前,十二第五。】

 狂語香 逆言哉 隱口乃 泊鷸骸ぁ」為云

 狂言(たはこと)か 逆言(およづれこと)か 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)に 廬為(いほりせ)りと云(い)ふ

 狂言妖語哉 亦或逆言惑眾哉 人云汝結盧 盆底隱國泊鷸魁〇擬永眠豈寔哉

佚名 1408

狂言(たはこと)」,誑語,或精神異常者所述之言。『新撰字鏡』云:「誑,くちばしる。又たはこと、又くるひてもの云。」

「逆言(およづれこと)」,妖言,惑眾之語。『天武紀』云:「有人登宮東岳,妖言(およづれこと)而自刎死之。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki29.htm#sk29_02 於此,並用狂言、逆言之語,表示不願相信人死噩耗之狀。

「廬為(いほりせ)りと云(い)ふ」,此將下葬山野之事以宿於羈旅之形述之。

1409 【承前,十二第六。】

 秋山 黃葉𢘟怜 浦觸而 入西妹者 待不來

 秋山(あきやま)の 黃葉憐(もみちあは)れと 衷觸(うらぶ)れて 入(い)りにし妹(いも)は 待(ま)てど來坐(きま)さず

 汝云秋山之 黃葉繽紛令人憐 神貌黯然而 迷入山中吾妻矣 雖久待之不來歸

佚名 1409

「黃葉憐(もみちあは)れと」,雖云紅葉可人憐愛。古俗以為,人死之後,其魂紛入山野。常見和歌以尋求紅葉迷失山林為死亡之隱喻。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m02.htm#0208

「衷觸(うらぶ)れ」,死者往赴冥界之黯然表情。『萬葉集』3303「川鵑髻ー建渡りて 衷觸れて 夫は逢ひきと 人そ告げつる」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m13.htm#3303

1410 【承前,十二第七。】

 世間者 信二代者 不徃有之 過妹爾 不相念者

 世間(よのなか)は 誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし 過(す)ぎにし妹(いも)に 逢(あ)は無(な)く思(おも)へば

 浮生世間者 一旦徃去莫復來 今思吾愛妻 撒手人間離世後 無由相逢可知之

佚名 1410

「誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし」,人生莫有二度。「行(ゆ)く」表經過。

「過(す)ぎにし妹(いも)に」,「過(す)ぐ」乃死亡之敬避表現

1411 【承前,十二第八。】

 福 何有人香 鉐之 白成左右 妹之音乎聞

 幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か 鉐(くろかみ)の 白(しろ)く成(な)る迄(まで) 妹(いも)が聲(こゑ)を聞(き)く

 何幸之有者 得以至福如此矣 鉐執其手 與之偕老化白髮 尚得日日聞妻聲

佚名 1411

「幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か」,何等幸福之人,方能...之意。「か」字乃連接助詞,故文末為連體中止形。

本曲不直述喪妻之慟,以稱羨他人得以白頭偕老,間接哀歎喪偶之悲。


1412 【承前,十二第九。】

 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向爾宿之久 今思悔裳

 我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと 辟竹(さきたけ)の 背向(そがひ)に寢(ね)しく 今(いま)し悔(くや)しも

 親親吾夫子 莫知汝命何處去 早知如此者 憶及過往如辟竹 背向而寢今甚悔

佚名 1412

「我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと」,吾夫不知身去何方。隱諱表示天人永隔之狀。

「辟竹(さきたけ)の」,「背向」之枕詞。劈裂竹子之後,往表背相疊,無以同向相對。

後悔未能在夫君生前把握春宵纏綿之曲。類歌3577,而男女立場相反。

1413 【承前,十二第十。】

 庭津鳥 可雞乃垂尾乃 亂尾乃 長心毛 不念鴨

 庭鳥(にはつとり) 雞垂尾(かけのたりを)の 亂尾(みだれを)の 長心(ながきこころ)も 思(おも)ほえぬかも

 庭鳥常鳴鳥 雞之垂尾亂尾矣 吾不如彼尾 能持悠心垂且長 哀切心焚殆毀滅

佚名 1413

「庭鳥(にはつとり)」,雞之枕詞。當時家雞形似野雞,飼作報時之用。

「雞垂尾(かけのたりを)の」,「雞(かけ)」字來自雞名之音。

「亂尾(みだれを)の」,以上乃引出「長」字之序。

「長心(ながきこころ)」,悠長之心境。

喪偶悲慟之曲。


1414 【承前,十二十一。】

 薦枕 相卷之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責

 薦枕(こもまくら) 相枕(あひまき)し子(こ)も 在(あ)らばこそ 夜更(よのふ)くらくも 我(あ)が惜(を)しみせめ

 若有佳人在 得以相枕與共者 方惜春宵短 今後孤枕無人伴 何恨夜更惜天明

佚名 1414

「薦枕(こもまくら)」,以菰薦所製之麤枕。

「相枕(あひまき)し子(こ)も」,相枕之妻子。

此云,妻子在世,方惜春宵苦短,今日天人永隔,唯恨秋夜之長。

1415 【承前,十二十二。】

 玉梓能 妹者珠氈 足冰木乃 清山邊 蒔散漆

 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は玉哉(たまかも) 足引(あしひき)の 清山邊(きよきやまへ)に 撒(ま)けば散(ち)りぬる

 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶玉珠 足曳峻嶮清山邊 掬之蒔撒散紛紛

佚名 1415

「玉梓(たまづさ)」,妹之枕詞。本指信使所攜之杖,引申為互通信息之用。

「妹(いも)は玉哉(たまかも)」,昔日書信往來之妻子,今日化作珠玉一般。骨灰之隱喻。

「撒(ま)けば散(ち)りぬる」,散骨行為之描寫。

1416 或本歌曰

 玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影爾 麻氣者失留

 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は花哉(はなかも) 足引(あしひき)の 此山蔭(このやまかげ)に 撒(ま)けば失(う)せぬる

 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶木花 足曳峻嶮此山蔭 掬之蒔撒逝消零

佚名 1416

「妹(いも)は花哉(はなかも)」,其云妻子如花般凋落消散。

蓋1415之異傳。


1417 羈旅歌

 名兒乃海乎 朝榜來者 海中爾 鹿子曾鳴成 𢘟怜其水手

 名兒海(なこのうみ)を 朝漕來(あさこぎく)れば 海中(わたなか)に 鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる 憐(あは)れ其鹿子(そのかこ)

 朝渡名兒海 榜船而見滄溟間 牡鹿不勝戀 渡海呼妻鳴蕭瑟 嗚呼可憐其鹿子

佚名 1417

「名兒海(なこのうみ)」,所在未詳,或與1153「住吉の 名兒の濱邊」同。

「鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる」,鹿子表小鹿,又隱身為水手。按『攝津國風土記逸文:「牡鹿不勝感戀,復渡野嶋。海中遇逢行船,終為射死。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun01.htm播磨風土記』餝磨郡:「大牝鹿,泳海到就嶋」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/harima/harima01.htm#sikama

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2017-01-29-日

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■GARM WARS

ガルム戦記の名詞及び意味を並んでみる

  • ウィド WYDD 知識
  • カラ KHARA 浮舟
  • スケリグ SKELLIG 山・岩
  • ナシャン NASCIEN 再生誕生
  • デルガ 死色之赤
  • カレハ 時間
  • ブレク 虛偽
  • スカアハ SCATHÁCH 影
  • ヌァダ 幸運

GARM WARS MAIN THEME

雷の鳴る空に 鳥は舞う

精靈の宿る森に 巨人眠る

新たなる大地に 神々が降臨

やがて新世紀は 訪れる


神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る


神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る



雷鳴虛空中 群鳥舞翱翔

精靈宿森間 巨人陷沉眠

新大地上 諸神群降臨

是以新世紀 於今揭序幕


悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠


悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠


万葉集試訳

1354 寄木 【六首第一。】

 白菅之 真野榛原 心從毛 不念吾之 衣爾揩

 白菅(しらすげ)の 真野榛原(まののはりはら) 心(こころ)ゆも 思(おも)はぬ我(われ)し 衣(ころも)に摺(す)りつ

 茫茫白菅之 真野榛原寔渺遠 縱令幻夢中 未曾奢望有所念 不覺我衣漬摺染

佚名 1354

「白菅(しらすげ)の」,以真野地帶常見植披所成之冠詞

「思(おも)はぬ我(われ)し 衣(ころも)に摺(す)りつ」,惑為男性流於氣氛與女性發生關係,進而道歉之曲。又仙覺本等有「不念君之」之異本,則為女方原諒男性衝動行為之曲。

1355 【承前,六首第二。】

 真木柱 作蘇麻人 伊左佐目丹 借廬之為跡 造計米八方

 真木柱(まきばしら) 作(つく)る杣人(そまびと) 率(いささ)めに 假廬(かりいほ)の為(ため)と 作(つく)りけめやも

 偉哉真木柱 所作杣人樵夫矣 所以製此柱 豈為率性設假廬 而費心思作柱哉

佚名 1355

「真木柱(まきばしら)」,以檜杉等良材所制之柱。

「杣人(そまびと)」,伐木之人,作者之自喻。杣乃造林之山。

「率(いささ)めに」,輕率之情感。

此曲乃家長辛苦養育女兒,希願其與有望之人結婚,而女兒卻與無所事事者相交,故而責備之曲。

1356 【承前,六首第三。】

 向峯爾 立有桃樹 將成哉等 人曾耳言焉 汝情勤

 向峰(むかつを)に 立(た)てる桃木(もものき) 成(な)らめやと 人(ひと)そ囁(ささや)く 汝(な)が心(こころ)ゆめ

 對面向峯上 所立桃樹生欣榮 人云將成實 汝雖聞人囁如此 莫令內心甚浮躁

佚名 1356

「成(な)らめやと」,描述果時成熟愛情成就

「人(ひと)そ囁(ささや)く」,諸本原文作「人曾耳言為」,蓋「人曾耳言焉」之訛。

「汝(な)が心(こころ)ゆめ」,蓋為「汝(な)が心(こころ)莫盪漾(なたゆたひ)ゆめ」之略。

1357 【承前,六首第四。】

 足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣爾 著常云物乎

 垂乳根(たらちね)の 母(はは)が其業(そのな)る 桑(くは)すらに 願(ねが)へば衣(きぬ)に 著(き)ると云物(いふもの)を

 育恩垂乳根 母之御業桑蠶矣 縱令桑葉疇 願者紡織化衣裳 得以著之何難有

佚名 1357

垂乳根(たらちね)の」,母之枕詞。「垂(た)ら」有「足」之意,讚美豐足之乳房

「母(はは)が其業(そのな)る」,「業(な)る」表生業古代務農者,男子耕種女子蠶桑。『ひふみ祓』有「男田畠耘,女蠶続織。」云云。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sinpaisi/haraekotoba03.htm#hifumi02

「桑(くは)すらに」,「すら」乃「連...」之意。此云,若誠有心,無事不成。戀愛雖難,一旦決心,當可成就

1358 【承前,六首第五。】

 波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方

 愛(は)しきやし 我家毛桃(わぎへのけもも) 本繁(もとしげ)み 花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らざらめやも

 可愛令人憐 吾家庭中毛桃矣 本繁發新枝 泉思汩汩自方寸 豈徒開花不結實

佚名 1358

「毛桃(けもも)」,蓋為桃之品種形容果實上有如產毛密生者。

「本繁(もとしげ)み」,接近根本之處芽生許多小枝。比喻思念源自內心泉泉湧出之狀。

「花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らざらめやも」,豈有徒開花而不結實之理。表示將戀愛成就之決心。

1359 【承前,六首第六。】

 向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間爾 嘆鶴鴨

 向峰(むかつを)の 若桂木(わかかつらのき) 下枝取(しづえと)り 花待(はなま)つい間(ま)に 嘆(なげ)きつるかも

 對面向峯上 所生稚嫩若桂木 吾取彼下枝 悠悠待花俟之間 不覺嘆息漏噓唏

佚名 1359

「若桂木(わかかつらのき)」,落葉高木春日發葉之前,先生紅色小花少女之比喻。

「花待(はなま)つい間(ま)に」,等待少女成長之間。「い」乃連體格下所接間投助詞


1360 寄花 【六首第一。】

 氣緒爾 念有吾乎 山治左能 花爾香公之 移奴良武

 息緒(いきのを)に 思(おも)へる我(あれ)を 山齊墩果(やまぢさ)の 花(はな)にか君(きみ)が 移(うつ)ろひぬらむ

 吾愛汝花者 不惜身命賭息緒 然汝徒花哉 山齊墩果之所如 散華心變無結實

佚名 1360

「息緒(いきのを)に 思(おも)へる我(あれ)を」,作者賭上性命去愛對方,卻...之意。「息緒」乃繫留生命之綱繩。

「山齊墩果(やまぢさ)」斉墩果、萵苣,自生山野之落葉小高木,五月時許生出白色花房。

「花(はな)にか」,比喻此花一時花開絢爛,卻無實意。

「移(うつ)ろひぬらむ」,以花落比喻愛情消退。

1361 【承前,六首第二。】

 墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣爾揩著 將衣日不知毛

 住吉(すみのえ)の 淺澤小野(あささはをの)の 杜若花(かきつはた) 衣(きぬ)に摺付(すりつ)け 著(き)む日知(ひし)らずも

 墨江住吉之 淺澤小野間所生 杜若花者也 不知何日能折枝 摺染衣裳著此身

佚名 1361

「淺澤小野(あささはをの)」,『日葡辭書』:「詩歌語。極度水淺之川鵝」

感歎何時得與所戀慕之女性相接之曲。

1362 【承前,六首第三。】

 秋去者 影毛將為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟

 秋去(あきさ)らば 移(うつ)しも為(せ)むと 我(わ)が蒔(ま)きし 韓藍花(からあゐのはな)を 誰(たれ)か摘(つ)みけむ

 夫待秋至者 將欲取作染料而 吾所蒔種之 韓藍雞頭之花者 誰人先採折去乎

佚名 1362

「移(うつ)し」,移染。沁入草木花葉之汁,用以為捺染之紙。或云染色之行為。此乃後者。原文「影」字,取水中映入倒影之意。

「韓藍花(からあゐのはな)」,雞頭花,或書雞冠草。花汁可為染料。其種子須於春日播種,不得移植。此比喻暗戀之女性

哀歎所戀慕之女性為人捷足先登之曲。

1363 【承前,六首第四。】

 春日野爾 咲有芽子者 片枝者 未含有 言勿絕行年

 春日野(かすがの)に 咲(さ)きたる萩(はぎ)は 片枝(かたえだ)は 未含(いまだふふ)めり 言勿絕(ことなた)えそね

 寧樂春日野 野間綻放秋萩矣 唯以此片枝 含苞待放未及咲 還願音訊無絕時

佚名 1363

「片枝(かたえだ)は 未含(いまだふふ)めり」,含苞未放之蕾,比喻女兒雖然已婷婷玉立,但還不至適婚之齡。

「言勿絕(ことなた)えそね」,請勿斷絕音訊。

女方家長男子呼籲之曲。

1364 【承前,六首第五。】

 欲見 戀管待之 秋芽子者 花耳開而 不成可毛將有

 見(み)まく欲(ほ)り 戀(こ)ひつつ待(ま)ちし 秋萩(あきはぎ)は 花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らずかもあらむ

 欲見其形影 朝思暮想苦待之 嗚呼此秋荻 莫非徒花唯空咲 虛無不得成實哉

佚名 1364

「花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らずかもあらむ」,擔心雙方不過是一時之關係,而無法結婚

1365 【承前,六首第六。】

 吾妹子之 屋前之秋芽子 自花者 實成而許曾 戀益家禮

 我妹子(わぎもこ)が 宿秋萩(やどのあきはぎ) 花(はな)よりは 實(み)に成(な)りてこそ 戀(こひまさ)りけれ

 親親吾妹子 所宿庭院間秋萩 相較花開時 今日成實結其果 吾人戀慕彌更

佚名 1365

「花(はな)よりは 實(み)に成(な)りてこそ 戀(こひまさ)りけれ」,一般戀慕多指心上人不在眼前之相思之苦,而此則強調兩者結婚取居與共,卻更發愛情

讚詠結婚之後,沉浸幸福之間之曲。


1366 寄鳥

 明日香川 七麈敬垤埃ぁ―残嗣咫^嬪社 波不立目

 明日香川(あすかがは) 七麝(ななせのよど)に 棲鳥(すむとり)も 心有(こころあ)れこそ 波立(なみた)てざらめ

 寧樂飛鳥川 明日香河七麝筺〕箚崟劃纂圈\軌其鳥有情意 是以戒慎不起波

佚名 1366

「心有(こころあ)れこそ」,正因有心。「有(あ)れこそ」與「有(あ)ればこそ」同。

男子解釋正因真心愛著女子,才在表面上故作鎮定不令他人唇舌。

1367 寄獸

 三國山 木末爾住歷 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟將瘦

 三國山(みくにやま) 木末(こぬれ)に住(す)まふ 鼯鼠(むささび)の 鳥待(とりま)つ如(ごと)く 我待瘦(あれまちや)せむ

 三國山森內 木末樹梢棲鼯鼠 待鳥之所如 吾人苦俟日長久 身形消瘦面憔悴

佚名 1367

「三國山」,所在未詳。或云若狭三國町一帶,或云三國國境之山名

「木末(こぬれ)」,「木末(このうれ)」之音略。

「鼯鼠(むささび)の 鳥待(とりま)つ如(ごと)く」,慢慢等待女方心情好轉。人云鼯鼠取食木葉、果實、樹皮,卻無捕食鳥類之例。


1368 寄雲

 石倉之 小野秋津爾 發渡 雲西裳在哉 時乎思將待

 岩倉(いはくら)の 小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に 立渡(たちわた)る 雲(くも)にしもあれや 時(とき)をし待(ま)たむ

 起石倉小野  迄於秋津所發渡 天雲之所如 汝雖非雲何相似 悠悠久待俟時哉

佚名 1368

岩倉(いはくら)の 小野(をの)」,所在未詳。或云吉野宮西北一帶。亦有紀洲田邊秋津町之說。

「雲(くも)にしもあれや 時(とき)をし待(ま)たむ」,「あれや」乃疑問條件。

女方探問男方是否如雲般漫漫等待時機到來之語。

1369 寄雷

 天雲 近走而 響神之 見者恐 不見者悲毛

 天雲(あまくも)に 近(ちか)く走(はし)りて 鳴神(なるかみ)の 見(み)れば恐(かし)こし 見(み)ねば悲(かな)しも

 天雲之近處 鳴神雷迸發虺虺 其光赫赫矣 見之畏恐心惶懼 不見悲寂心憂苦

佚名 1369

「近(ちか)く走(はし)り」,諸本作「近光而」,此依紀洲本校為「近走而」。「走」乃爆發、炸裂之意。

「鳴神(なるかみ)の」,以上乃下句「恐畏」之序。恐自有「惶恐」、「害怕」兩意。

身分高貴男性所愛之女性之曲。親近之則惶恐身分懸殊,遠之則憂於相思之苦。

1370 寄雨

 甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知

 甚多(はなはだ)も 降(ふ)らぬ雨故(あめゆゑ) 庭潦(にはたつみ) 甚(いた)く莫行(なゆ)きそ 人(ひと)の知(し)るべく

 雨零非甚多 還願庭潦積水者 莫甚行如此 庭潦水流激幾許 將致密情令人知

佚名 1370

「庭潦(にはたつみ)」,積於庭中滿溢之流水。

哀歎稍稍幽會,即流言紛傳之曲。

1371 【承前。】

 久堅之 雨爾波不著乎 恠毛 吾袖者 乾時無香

 久方(ひさかた)の 雨(あめ)には著(き)ぬを 恠(あやし)くも 我(わ)が衣手(ころもで)は 乾(ふ)る時無(ときな)きか

 遙遙久方兮 天雨之下未著之 奇也恠也哉 何以吾袖沾襟濕 漬濡衣手無乾時

佚名 1371

「久方(ひさかた)の」,天、雨之枕詞

「雨(あめ)には著(き)ぬを 恠(あやし)くも 我(わ)が衣手(ころもで)は 乾(ふ)る時無(ときな)きか」,未著其服於雨天外出,何以濕濡不乾。淚水沾襟之比喻。


1372 寄月 【四首第一。】

 三空徃 月讀壯士 夕不去 目庭雖見 因緣毛無

 御空行(みそらゆ)く 月讀壯士(つくよみをとこ) 夕去(ゆふさ)らず 目(め)には見(み)れども 寄由(よるよし)も無(な)し

 御空劃渡兮 月讀壯士太陰矣 每夕復每宵 縱雖舉目便可見 天地懸殊無由近

佚名 1372

「月讀壯士(つくよみをとこ)」,月之別名。此比喻身分懸殊之男性

「夕去(ゆふさ)らず」,每夕無闕。

1373 【承前,四首第二。】

 春日山 山高有良之 石上 菅根將見爾 月待難

 春日山(かすがやま) 山高(やまたか)からし 岩上(いはのうへ)の 菅根見(すがのねみ)むに 月待難(つきまちがた)し

 足曳春日山 蓋以彼山高峻乎 蔽月阻其光 岩上菅根雖欲見 明月難待遍常闇

佚名 1373

「山高(やまたか)からし」,「山高(やまたか)くあるらし」之略。哀歎東山高聳,蔽月遲出。

「菅根(すがのね)」,此指菅本身。

寓意不明,蓋欲與戀人相逢,卻遭阻礙之曲。

1374 【承前,四首第三。】

 闇夜者 辛苦物乎 何時跡 吾待月毛 早毛照奴賀

 闇夜(やみのよ)は 苦(くる)しき物(もの)を 何時(いつ)しかと 我(あ)が待月(まつつき)も 早(はや)も照(て)らぬか

 闇夜令人苦 獨守空閨總辛酸 心盼何時昇 吾所待月每遲出 還願早臨照地明

佚名 1374

「闇夜(やみのよ)」,比喻無法與戀人相逢之不安

「早(はや)も照(て)らぬか」,「ぬか」表希求,其對象多與「も」自相接。本曲有「待月」、「早照」兩處。

以月比喻戀人,等待其來訪之曲。

1375 【承前,四首第四。】

 朝霜之 消安命 為誰 千歳毛欲得跡 吾念莫國

 朝霜(あさしも)の 消易(けやす)き命(いのち) 誰(た)が為(ため)に 千歲(ちとせ)もがもと 我(わ)が思(おも)は無(な)くに

 朝霜晨露兮 儚渺易消此命矣 若除汝之外 為誰欲得千齡壽 唯汝不作他人

佚名 1375

 右一首者,不有譬喻歌類也。但闇夜歌人所心之故,並作此歌。因以此歌,載於此次。

「朝霜(あさしも)の」,「消、散」之枕詞

「誰(た)が為(ため)に」,除汝之外還為誰之意。「為(ため)」表目的利益,「故(ゆゑ)」表原因、理由

「千歲(ちとせ)もがもと」,「もがも」表願望。

「不有」,非也。「所心」,所思也。此等皆和習之疇。

本歌非譬喻歌,而依與前曲同人所詠,故置於茲。

1376 寄赤土

 山跡之 宇陁乃真赤土 左丹著者 曾許裳香人之 吾乎言將成

 大和(やまと)の 宇陀真埴(うだのまはに)の 小丹付(さにつ)かば 其(そ)こもか人(ひと)の 我(わ)を言(こと)なさむ

 蜻蛉大和國 宇陀秀埴真赤土 吾頰染丹紅 他人察我色如此 將傳蜚語道吾言

佚名 1376

「赤土」,用於顏料之赤土、赭土之類,此指辰砂。

「宇陀真埴(うだのまはに)」,宇陀以丹生著名。真字雖為接頭語,蓋有辰砂含量極高之意。

「小丹付(さにつ)かば」,染紅,比喻戀情顯於面容之上。

「其(そ)こ」,「其事(そのこと)」之略。

「我(わ)を言(こと)なさむ」,「我(わ)」乃複數,人將流傳吾等之謠言、慮譟


1377 寄神

 木綿懸而 祭三諸乃 神佐備而 齋爾波不在 人目多見許曾

 木綿懸(ゆふか)けて 祭(まつ)る三諸(みもろ)の 神(かむ)さびて 齋(いは)ふには非(あら)ず 人目多(ひとめおほ)みこそ

 謹懸真木綿 所祭三諸神奈備 嚴神宮所如 其非齋戒禁業欲 唯憚人目多所以

佚名 1377

「木綿懸(ゆふか)けて」,木綿乃剝裂桑科落葉低木楮之樹皮,採集纖維乾燥之物。此乃懸掛榊枝之上,以為神靈憑座之祭具。

「三諸(みもろ)」,神之居所、祭神之齋場。

「神(かむ)さびて」,莊嚴如神。行動脫卻色戀煩惱,達到枯淡境界

「齋(いは)ふ」,潔身齋戒,恪守禁忌

「人目多(ひとめおほ)みこそ」,此云不與女方相見,並非愛情有減,乃是畏懼耳目眾多。

1378 【承前。】

 木綿懸而 齋此神社 可超 所念可毛 戀之繁爾

 木綿懸(ゆふか)けて 齋(いは)ふ此社(このもり) 越(こ)えぬべく 思(おも)ほゆるかも 戀繁(こひのしげ)きに

 縱雖懸木綿 莊嚴祭齋此神社 可越不忌顧 吾之所念迫如此 相思慕苦焦戀繁

佚名 1378

「越(こ)えぬべく」,奮不顧身,縱為神域玉垣禁足之地,亦可不憚闖入之情。焦於戀苦,欲與戀人相逢,而知求神無驗之時,縱令冒瀆嚴神亦無所不惜。

類歌2663。

1379 寄河 【六首第一。】

 不絕逝 明日香川之 不逝有者 故霜有如 人之見國

 絕(た)えず行(ゆ)く 明日香川(あすかのかは)の 淀(よど)めらば 故(ゆゑ)しも有(あ)る如(ごと) 人見(ひとのみ)まくに

 逝者如斯夫 不捨晝夜飛鳥川 日日通無止 若逢川淀足絕者 人必視之有其故

佚名 1379

「淀(よど)めらば」,流水停滯之狀。比喻每日造訪之人,忽然止足不行。

「人見(ひとのみ)まくに」,人必作此想。以下省略「汝不念茲乎?」

類歌『古今集』戀四720「絕えず逝く 明日香川の 淀みなば 心有とや 人の思はむ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk14.htm#720


1380 【承前,六首第二。】

 明日香川 湍鷦ざ盟者 雖生有 四賀良美有者 靡不相

 明日香川(あすかがは) 齲(せぜ)に玉藻(たまも)は 生(お)ひたれど 柵有(しがらみあ)れば 靡相(なびきあ)へ無(な)くに

 明日香之川 湍麈郡峩盟者 雖然生向榮 卻遭水柵受阻絕 無由相靡不相依

佚名 1380

「柵(しがらみ)」,抑止川流之水柵。比喻妨礙他人戀情之人。

「靡相(なびきあ)へ無(な)くに」,「靡(なび)く」本為草木受風吹水流屈撓之狀,此為人心受他人吸引,相依之情。其後接取消語詞表不可能

1381 【承前,六首第三。】

 廣鷁蓮‖犠弋 淺乎也 心深目手 吾念有良武

 廣鸚(ひろせがは) 袖漬(そでつ)く許(ばか)り 淺(あさ)きをや 心深(こころふか)めて 我(あ)が思(おも)へるらむ

 葛城廣鸚遏/繃涉溪可漬袖 不知其淺也 吾人念之情深切 孰知薄情至如此

佚名 1381

「袖漬(そでつ)く許(ばか)り」,不捲起衣袖則將沾濕,此云水淺可涉渡。

「淺(あさ)きをや」,比喻對方薄情之狀。

天平六年朱雀門天覽歌垣有「廣鷆福彷刑遏ぐ榛_慮叩

1382 【承前,六首第四。】

 泊鸚遏[水沫之 絕者許曾 吾念心 不遂登思齒目

 泊鸚(はつせがは) 流(なが)る水沫(みなわ)の 絕(た)えばこそ 我(あ)が思心(おもふこころ) 遂(とげ)じと思(おも)はめ

 隱國泊鸚遏×彩逝水如斯夫 水沫無絕時 吾之念情無盡窮 除非一朝沫已時

佚名 1382

「流(なが)る水沫(みなわ)の」,蓋為「流るる水沫の」之略,依七音而轉終止形作連體格用之。

「絕(た)えばこそ」,以當為永久不變之自然現象異變,作為誓言情比金堅。如海枯石爛之用法

1383 【承前,六首第五。】

 名毛伎世婆 人可知見 山川之 瀧情乎 塞敢而有鴨

 嘆(なげ)きせば 人知(ひとし)りぬべみ 山川(やまがは)の 激心(たぎつこころ)を 塞(せ)かへてあるかも

 若嘆息於外 此情將為人所知 故如山川之 塞堰激流止其澪 忍隱吾心抑激情

佚名 1383

「激心(たぎつこころ)を」,以磅渤激流比喻高昂之激情

「塞(せ)かへてあるかも」,「塞(せ)かへ」乃「塞(せ)きあへ」之略。「あへ」有抵抗之意。

1384 【承前,六首第六。】

 水隱爾 氣衝餘 早川之 鷦堽友 人二將言八方

 水隱(みごも)りに 息衝餘(いきづきあま)り 早川(はやかは)の (せ)には立(た)つとも 人(ひと)に言(い)はめやも

 潛匿隱水下 息苦衝餘氣不繼 今雖勢險迫 立於早川川鷓檗′液鴉言語人知

佚名 1384

「水隱(みごも)り」,潛水。比喻隱藏心思,不令人知

「息衝餘(いきづきあま)り」,難以憋氣而...之意。

「(せ)には立(た)つとも」,立於危險局面之際。比喻女姓為母親逼問與男子之關係時。

1385 寄埋木

 真鉇持 弓削河原之 埋木之 不可顯 事爾不有君

 真鉋持(まかなも)ち 弓削川原(ゆげのかはら)の 埋木(うもれぎ)の 顯(あら)はるましじ 事(こと)に有(あ)ら無(な)くに

 手持真鉋兮 弓削川原埋木矣 吾可猶埋木 隱匿泥間不顯哉 此事寔難事將露

佚名 1385

「埋木」,長期埋沒水中淺泥之下,化石狀碳化之木。

「真鉋持(まかなも)ち」,弓削枕詞

「顯(あら)はるましじ」,否定終止形。此云雖欲如埋木般隱忍戀情不欲人之,卻難以自已。


1386 寄海 【六首第一。】

 大船爾 真梶繁貫 水手出去之 奧者將深 潮者干去友

 大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 漕出(こぎで)なば 沖(おき)は深(ふか)けむ 潮(しほ)は干(ひ)ぬとも

 身乘大船間 真梶繁貫刺叢槳 榜出滄溟者 瀛津水深不可測 縱令時逢退潮許

佚名 1386

「真楫繁貫(まかぢしじぬ)き」,備妥梶楫,作好出航準備。此乃下定決心與相戀男子逢鵝

「沖(おき)は深(ふか)けむ 潮(しほ)は干(ひ)ぬとも」,表情比金堅,縱令局勢險惡亦無所阻。

1387 【承前,六首第二。】

 伏超從 去益物乎 間守爾 所打沾 浪不數為而

 伏越(ふしごえ)ゆ 行(ゆ)か益物(ましもの)を 守(まも)らふに 打濡(うちぬ)らさえぬ 波數(なみよ)まずして

 早知如此者 近路雖險當行矣 迂迴守之間 漬濡衣裳令人知 不計浪數而為也

佚名 1387

「守(まも)らふ」,守護之持續態。

「波數(なみよ)まず」,「よむ」於此同「月讀」之讀,乃計數之意。

寓意不明。蓋云雖然路險,當取近道。自以為小心謹慎,迂迴之間通過人目眾多之處,而為天下所之。


1388 【承前,六首第三。】

 石灑 岸之浦迴爾 緣浪 邊爾來依者香 言之將繁

 石濯(いはそそ)き 岸浦迴(きしのうらみ)に 寄(よ)する波(なみ) 邊(へ)に來寄(きよ)らばか 言繁(ことのしげ)けむ

 濯石拍岸激 岸之浦迴浪所寄 吾人猶此波 近緣心繫邊岸者 蜚言不止人語繁

佚名 1388

「石濯(いはそそ)き」,浪濤拍打沿岸,如浪花濯岩。或云原文「灑」與「激」同。

「邊(へ)に來寄(きよ)らばか」,若接近女方身邊,將招致他人流言蜚語。來字乃立於女方位置,表造訪婚通之意。


1389 【承前,六首第四。】

 礒之浦爾 來依白浪 反乍 過不勝者 誰爾絕多倍

 礒浦(いそのうら)に 來寄(きよ)る白波(しらなみ) 返(かへ)りつつ 過克無(すぎかてな)くは 誰(たれ)に搖盪(たゆた)へ

 礒岸浦迴間 來寄青波白浪者 反復緣岸而 何以流連無克過 可知搖盪為孰哉

佚名 1382

「返(かへ)りつつ」,幾度皆回至原點。

「過克無(すぎかてな)く」,「克無く」乃「克(かて)ず」之く句法。

「誰(たれ)に搖盪(たゆた)へ」,比喻如汝之外無人可令我搖盪留連如此。

1390 【承前,六首第五。】

 淡海之海 浪恐登 風守 年者也將經去 榜者無二

 近江海(あふみのうみ) 波畏(なみかしこ)みと 風守(かぜまも)り 年(とし)はや經(へ)なむ 漕(こ)ぐとは無(な)しに

 淡海近江海 畏其波濤懼駭浪 戍守俟風間 年華經去光陰逝 馬齒徒長莫榜出

佚名 1390

「波畏(なみかしこ)みと」,み句法+と乃「因為...而」之意。

「風守(かぜまも)」,等待風向轉至適合發船。

男子後悔不積極行動,一昧等待事態好轉而一事無成。類歌1400。

1391 【承前,六首第六。】

 朝奈藝爾 來依白浪 欲見 吾雖為 風許疉堽甍

 朝凪(あさなぎ)に 來寄(きよ)る白波(しらなみ) 見(み)まく欲(ほ)り 我(われ)は為(す)れども 風(かぜ)こそ寄(よ)せね

 晨曦朝凪時 來依白浪吾欲見 雖然引頸盼 發自方寸思如此 何以天不令風依

佚名 1391

以白浪比喻戀人,雖欲與之相會,無奈海風不吹,無由相逢。

1392 寄浦沙

 紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香將成

 紫(むらさき)の 名高浦(なだかのうら)の 真砂地(まなごつち) 袖(そで)のみ觸(ふ)れて 寢(ね)ずか成(なり)なむ

 窮極貴紫兮 名高之浦真砂地 愛子令人憐 此袖衣手梢觸而 輾轉難眠無所寐

佚名 1392

「紫(むらさき)の」,「名高(なだか)」之枕詞古代諸色以紫為貴,故名。

真砂地(まなごつち)」,細沙之地。而「真砂(まなご)」與「愛子(まなご)」同音,比喻可愛之少女

此云羈旅之間,逢會佳人,稍稍邂逅而掛念心頭,輾轉難眠。


1393 【承前。】

 豐國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如將嘆

 豐國(とよくに)の 企救濱邊(きくのはまへ)の 真砂地(まなごつち) 真直(まなほ)にしあらば 何(なに)か嘆(なげ)かむ

 豐國企救濱 濱邊愛子真砂地 此情若如明 真直尋常之有者 何如憂嘆至此哉

佚名 1393

「豐國(とよくに)」,豐前、豐後二國之總稱。

真砂地(まなごつち)」,以上三句乃藉類音引出「真直(まなほ)」之序。

「真直(まなほ)にしあらば」,若對方尋常、真直。蓋云對方容易變心或古靈精怪,作為託付未來之伴侶難以信鮗有所不安


1394 寄藻 【四首第一。】

 鹽滿者 入流礒之 草有哉 見良久少 戀良久乃太寸

 潮滿(しほみ)てば 入(いり)ぬる礒(いそ)の 草(くさ)なれや 見(み)らく少(すく)なく 戀(こ)ふらくの多(おほ)き

 漲潮滿盈時 入水隱匿荒礒上 叢草之所如 所見雖少數寔繁 此戀惱煩無盡藏

佚名 1394

「潮滿(しほみ)てば 入(いり)ぬる礒(いそ)の」,漲潮時沒於水下,退潮時顯出之暗礁

「草(くさ)なれや」,在疑問條件形中,冠以斷定助動詞「なり」,更轉作「なれや」而凸顯反語性。有明明並非,卻如之云云之意。

『歌經標式』作鹽燒王歌,第三句以下錄為「草ならし 見る日少なく 戀ふる夜多み」。

1395 【承前,四首第二。】

 奧浪 依流荒礒之 名告藻者 心中爾 疾跡成有

 沖波(おきつなみ) 寄(よ)する荒磯(ありそ)の 勿告藻(なのりそ)は 心中(こころのうち)に 疾(やま)ひとなれり

 瀛津沖奧浪 波波來寄荒磯間 勿告藻者也 鬱悶心中不得發 終將成疾羸吾情

佚名 1395


1396 【承前,四首第三。】

 紫之 名高浦乃 名告藻之 於礒將靡 時待吾乎

 紫(むらさき)の 名高浦(なだかのうら)の 勿告藻(なのりそ)の 磯(いそ)に靡(なび)かむ 時待(ときま)つ我(われ)を

 窮極貴紫兮 名高之浦勿告藻 漂靡將寄岸 吾人戍守俟磯邊 靜待浮藻來時矣

佚名 1396

「磯(いそ)に靡(なび)かむ 時待(ときま)つ我(われ)を」,沿岸之磯與沙岸之濱相對。男子等待女性心向自身之時。

1397 【承前,四首第四。】

 荒礒超 浪者恐 然為蟹 海之玉藻之 憎者不有手

 荒礒越(ありそこ)す 波(なみ)は恐(かしこ)し 然(しか)すがに 海玉藻(うみのたまも)の 憎(にく)くは非(あら)ずて

 所越荒礒之 濤天駭浪令人恐 雖然畏如此 吾人心寄海玉藻 莫憎唯有更相思

佚名 1397

「荒礒越(ありそこ)す 波(なみ)は恐(かしこ)し」,比喻女性雙親嚴辧と腎兩人交往,警戒森嚴之狀。

「然(しか)すがに」,縱然如此,然而...逆接接續詞。

「海玉藻(うみのたまも)の」,比喻所愛之女性

「憎(にく)くは非(あら)ずて」,其下蓋省略「如何にも為む」。雖然雙親激烈反對而令人生懼,仍心愛對方,無論如何仍欲與之結為連理。

1398 寄船 【五首第一。】

 神樂聲浪乃 四賀津之浦能 船乘爾 乘西意 常不所忘

 樂浪(ささなみ)の 志賀津浦(しがつのうら)の 船乘(ふなの)りに 乘(の)りにし心(こころ) 常忘(つねわす)らえず

 碎波樂浪之 近江淡海志賀津 猶於彼浦間 安心乘船寄信髻吾妻之情未嘗忘

佚名 1398

「樂浪(ささなみ)の」,原文「神樂聲浪」者,演奏神樂之時,以「ささ」為囃子之詞,故此。「樂浪」蓋「神樂聲浪」之略。

「船乘(ふなの)りに」,猶如乘坐大船般,放心信鰌方之語。

「乘(の)りにし心(こころ)」,此云戀人信自身之心。由此可知作者為男性

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2017-01-24-火

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補給物資

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万葉集試訳

1339 【承前,十七第四。】

 鴨頭草丹 服色取 揩目伴 移變色登 稱之苦沙

 月草(つきくさ)に 衣色取(ころもいろど)り 摺(す)らめども 移(うつ)ろふ色(いろ)と 言(い)ふが苦(くる)しさ

 手取月露草 雖欲摺染裳墨藍 然聞人之言 云彼之色不久常 俄然移變我心苦

佚名 1339

「移(うつ)ろふ」,「移(うつ)る」之持續態,指物事之推移、變化。一般用於衣類褪色、花葉零落、人心生變等負面表現

女子雖欲結婚,卻聽聞對方為浮情之郎所詠。

1340 【承前,十七第五。】

 紫 絲乎曾吾搓 足檜之 山橘乎 將貫跡念而

 紫(むらさき)の 絲(いと)をそ我(あ)が搓(よ)る 足引(あしひき)の 山橘(やまたちばな)を 貫(ぬ)かむと思(おも)ひて

 手取貴紫絲 紡搓為線何所念 足曳勢嶮峻 山橘赤實藪山子 欲以貫之繫君情

佚名 1340

「絲(いと)をそ我(あ)が搓(よ)る」,比喻千方百計欲留住對方之心。

「山橘(やまたちばな)」,藪山子之古名,白花赤實。雖錄於寄草,而非草本植物

類歌1987。


1341 【承前,十七第六。】

 真珠付 越能菅原 吾不苅 人之苅卷 惜菅原

 真玉付(またまつ)く 越菅原(をちのすがはら) 我(わ)が刈(か)らず 人(ひと)の刈(か)らまく 惜(を)しき菅原(すがはら)

 真珠所貫兮 越智菅原路途遙 吾未苅之間 為人所苅見人穫 可怜菅原甚惜矣

佚名 1341

「真玉付(またまつ)く」,以貫珍珠之「緒(を)」而為地名「越(をち)」之枕詞

可惜美麗佳人為他人所占,卻又隱約透露其儒高領之花令人難以接近之情。


1342 【承前,十七第七。】

 山高 夕日隱奴 淺茅原 後見多米爾 標結申尾

 山高(やまたか)み 夕日隱(ゆふひかく)りぬ 淺茅原(あさぢはら) 後見(のちみ)む為(ため)に 標結(しめゆ)は益(まし)を

 以其山高峻 夕日早暮天昏闇 早知如此者 寔宜標結淺茅原 以為日後來苅取

佚名 1342

「山高(やまたか)み 夕日隱(ゆふひかく)りぬ」,比喻因故無法成遂所願而歸去。

「淺茅原(あさぢはら)」,低矮之茅原。收穫費工而利用價值不高,比喻年幼未成熟女性

1343 【承前,十七第八。】

 事痛者 左右將為乎 石代之 野邊之下草 吾之苅而者【一云,紅之,寫心哉,於妹不相將有。】

 言痛(こちた)くは 左右為(かもかもせ)むを 岩代(いはしろ)の 野邊下草(のへのしたくさ) 我(われ)し刈(か)りてば【一云(またにいふ)、紅(くれなゐ)の、現(うつ)し心(こころ)や、妹(いも)に逢(あ)はざらむ。】

 流言蜚語傳 言痛喧囂當何如 紀洲岩代之 野邊下草慮貅圈仝竅調G兄澹積【一云,染映深紅之,吾人正氣寫心耶,可耐不與妹逢哉。】

佚名 1343

「言痛(こちた)く」,流言蜚語令人心煩。『常陸風土記』有「言痛(こちた)けば」。

「左右為(かもかもせ)むを」,臨機應變之狀,面對如此現狀當如何突破

「我(われ)し刈(か)りてば」,てば終止,其後省略之後如何都不在意

「紅(くれなゐ)の」,以紅色染料亦移染(移し)而為「現(うつ)し」之枕詞

「現(うつ)し心(こころ)」,平常心。整句指若因他人慮穿慮貅與愛人相隔,不知是否能保持理智。

1344 【承前,十七第九。】

 真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣爾書付 令服兒欲得

 真鳥棲(まとりす)む 雲梯杜(うなでのもり)の 菅根(すがのね)を 衣(きぬ)に描付(かきつ)け 著(き)せむ兒(こ)もがも

 真鳥鷲所棲 大和橿原雲梯社 以彼菅根而 描付衣裳飾華彩 可有佳人願著哉

佚名 1344

「真鳥(まとり)」,鷲之別名。

「菅根(すがのね)を 衣(きぬ)に描付(かきつ)け」,此有「以菅根沾染染料以繪圖」與「繪上菅根花樣」二解。

「著(き)せむ兒(こ)もがも」,「がも」乃對非特定對象之願望詞。

1345 【承前,十七第十。】

 常不 人國山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨

 常(つね)ならぬ 人國山(ひとくにやま)の 秋津野(あきづの)の 杜若花(かきつはた)をし 夢(いめ)に見(み)しか

 諸行總無常 他人國內山間之 蜻蛉秋津野 所生妍麗杜若花 吾常思念夢中現

佚名 1345

「常(つね)ならぬ」,無常,「人」之枕詞。比喻人命須臾短暫,難以長久。

「人國山(ひとくにやま)」,所在未詳。或云他國之山。

「杜若花(かきつはた)」,菖蒲多年草。比喻過往旅外所見之美女

1346 【承前,十七十一。】

 姬押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣將服

 女郎花(をみなへし) 佐紀澤邊(さきさはのへ)の 真葛原(まくずはら) 何時(いつ)かも繰(く)りて 我(わ)が衣(きぬ)に著(き)む

 妍哉女郎花 所咲佐紀澤之邊 叢生真葛原 何日得以為手繰 紡織為衣令吾著

佚名 1346

女郎花(をみなへし)」,秋七草之一。界花開(さき)而為地名佐紀(さき)」之枕詞

「何時(いつ)かも繰(く)りて」,此云期待幼女成長,能早日成婚之語。

1347 【承前,十七十二。】

 於君似 草登見從 我標之 野山之淺茅 人莫苅根

 君(きみ)に似(に)る 草(くさ)と見(み)しより 我(わ)が標(し)めし 野山淺茅(のやまのあさぢ) 人莫刈(ひとなか)りそね

 自吾見彼草 以其姿與汝相似 故吾標結之 野山淺茅年尚幼 還願他人莫輙苅

佚名 1347

「君(きみ)に似(に)る 草(くさ)」,以「君」呼女性,堪稱異例。

「標(し)め」,植杭、張繩,標示為己之所有。

表現不欲令所中意之少女他人奪去之情感。

1348 【承前,十七十三。】

 三嶋江之 玉江之薦乎 從標之 己我跡曾念 雖未苅

 三島江(みしまえ)の 玉江薦(たまえのこも)を 標(し)めしより 己(おの)がとそ思(おも)ふ 未刈(いまだか)らねど

 三島玉江岸 自吾手取真菰而 標結之時起 吾思此薦為己物 縱令至今未苅之

佚名 1348

玉江(たまえ)」,玉乃美稱接頭語。

「薦(こも)」,「真菰(まこも)」,生於川岸沼地之稻科多年草。可取其葉編為薦席之類。

「己(おの)が」,「己が物」之略。

1349 【承前,十七十四。】

 如是為而也 尚哉將老 三雪零 大荒木野之 小竹爾不有九二

 如是(かく)してや 尚哉老(なほやおい)なむ 御雪降(みゆきふ)る 大荒木野(おほあらきの)の 篠(しの)にあら無(な)くに

 如是為而也 尚哉將老年華去 御雪零紛紛 吾非寧樂大荒木 野間篠竹仍斑駁

佚名 1349

「篠(しの)にあら無(な)くに」,篠乃對無人在意,隻身孤獨終老之比喻。

蓋為悲訴單戀終老之曲,或為嘆老之歌。

1350 【承前,十七十五。】

 淡海之哉 八橋乃小竹乎 不造笶而 信有得哉 戀敷鬼呼

 近江(あふみ)の哉(や) 八橋篠(やばせのしの)を 矢矧(やは)がずて 信(まこと)あり得(え)む哉(や) 戀(こひ)しき者(もの)を

 淡海近江之 八橋篠竹生繁茂 不以造矢矧 誠可有得永續哉 吾戀慕情難抑止

佚名 1350

近江(あふみ)の哉(や)」,「哉(や)」乃連體格下之間投助詞

矢矧(やは)がずて」,矢矧乃將竹完成為矢之意。此以篠比喻女性,而矢矧比喻結婚所須之一切手續、準備。

「信(まこと)あり得(え)む哉(や)」、むや乃反語句法。

1351 【承前,十七十六。】

 月草爾 衣者將揩 朝露爾 所沾而後者 徙去友

 月草(つきくさ)に 衣(ころも)は摺(す)らむ 朝露(あさつゆ)に 濡(ぬ)れての後(のち)は 移(うつ)ろひぬとも

 手取月露草 摺染衣裳上墨藍 縱令沾朝露 衣濡之後色易褪 仍欲一親彼芳澤

佚名 1351

「摺(す)らむ」,捺染技法。又以月草為染料者,易褪色。

「濡(ぬ)れての後(のち)は」,一旦發生關係之後。

此云對象深具魅力,雖之其人心易變,仍欲把握與之親近之機會。『古今集』秋上274亦錄之。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk04.htm#247

1352 【承前,十七十七。】

 吾情 湯谷絕谷 浮蓴 邊毛奧毛 依勝益士

 我(あ)が心(こころ) (ゆた)に蕩漾(たゆた)に 浮蓴(うきぬなは) 邊(へ)にも沖(おき)にも 寄(よ)りかつましじ

 吾心情意者 動靜徘徊常盪漾 其由浮蓴而 隨波翻騰無定所 不近瀛沖不寄岸

佚名 1352

「(ゆた)に蕩漾(たゆた)に」,「(ゆた)」、「蕩漾(たゆた)」各指安定與晃動。比喻熱戀之人,其情在安心與動搖間擺盪之狀。

「寄(よ)りかつましじ」,「かつ」乃可能補助動詞。、「ましじ」乃打消推量助動詞「まじ」之古形。


1353 寄稻

 石上 振之早田乎 雖不秀 繩谷延與 守乍將居

 石上(いそのかみ) 布留早稻田(ふるのわさだ)を 秀(ひで)ずとも 繩(なは)だに延(は)へよ 守(も)りつつ居(を)らむ

 石上神宮 布留之地早稻田 其穗雖未秀 還願延繩標所領 戍衛守之待結實

佚名 1353

「早稻田(わさだ)」,早生種之稻田。「わさ」乃「わせ」之交替形。

「秀(ひで)ず」,「秀(ひ)づ」乃「秀(ほ)いづ」之略。表未成熟

「繩(なは)だに延(は)へよ」,至少先行標結,指名

女方家長對將來有望之年輕人,表明欲託付女兒之將來之曲。

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2017-01-01-日

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■明けましておめでとう御座います

日本一年過ごしてまた台湾に戻りました。

十数年願望だった出雲を行けた、お伊勢125社制罷など、色々と意味ある一年だと思います

今年もよろしくお願いいたします。


万葉集試訳

1276 【承前,廿四第五。】

 池邊 小槻下 細竹苅嫌 其谷 公形見爾 監乍將偲

 池邊(いけのへ)の 小槻(をつき)が下(もと)の 篠勿刈(しのなか)りそね 其(それ)をだに 君(きみ)が形見(かたみ)に 見(み)つつ偲(しの)はむ

 池邊小槻下 槻許所生細竹矣 還願莫刈此篠竹 吾唯借其篠 以為夫君形見而 望之騁偲憶良人

柿本人麻呂 1276

「小槻(をつき)」,を乃接頭語。槻為楡科落葉高木槻欅。

「篠勿刈(しのなか)りそね」,阻止語氣。原文「嫌」字為「嫌(そね)む」之借訓。

「其(それ)をだに」,不過、至少。對於不來造訪之戀人,唯有常睹篠竹以思其人。

1277 【承前,廿四第六。】

 天在 日賣菅原 草莫苅嫌 彌那綿 香烏髮 飽田志付勿

 天(あめ)なる 日賣菅原(ひめすがはら)の 草莫刈(くさなか)りそね 蜷腸(みなのわた) 香鉐(かぐろきかみ)に 芥(あくた)し付(つ)くも

 久方高天兮 日賣菅原草茂繁 冀美娘子莫刈草 蜷腸卷貝兮 青絲烏玉香鉐 塵芥付兮令人惋

柿本人麻呂 1277

「天(あめ)なる」,日之枕詞

「蜷腸(みなのわた)」,鉐之枕詞

「香鉐(かぐろきかみ)に」,か乃接頭語。此指剃草之年輕少女

1278 【承前,廿四第七。】

 夏影 房之下邇 衣裁吾妹 裏儲 吾為裁者 差大裁

 夏蔭(なつかげ)の 妻屋下(つまやのした)に 衣裁(きぬた)つ我妹(わぎも) 裏設(うらま)けて 我(あ)が為裁(ためた)たば 稍大(ややおほ)きに裁(た)て

 夏蔭日影許 妻屋之下戶機間 裁縫織衣吾妹矣 禦寒設裏地 汝所裁若為吾者 當稍大裁以為之

柿本人麻呂 1278

「妻屋下(つまやのした)に」,妻屋乃建於母屋之旁之小屋。原文「房」字有小房、閨房之意。下蓋指日陰之處。

「衣裁(きぬた)つ我妹(わぎも)」,裁字於此泛指裁縫,非單指翦裁。又當時無剪,多以刃物裁斷。

1279 【承前,廿四第八。】

 梓弓 引津邊在 莫謂花 及採 不相有目八方 勿謂花

 梓弓(あづさゆみ) 引津邊(ひきつのへ)なる 莫告藻花(なのりそのはな) 摘迄(つむまで)に 逢(あ)はざらめやも 勿告藻花(なのりそのはな)

 梓弓張絃兮 引津邊處莫告藻 不謂名諱莫告藻 直至摘花時 不得相逢會晤哉 堅貞勿告藻之花

柿本人麻呂 1279

「梓弓(あづさゆみ)」,以「引弓」而為地名「引津」之枕詞

「莫告藻花(なのりそのはな)」,比喻所愛之女性。古俗可相告姓名者,為親族、夫婿而已。

「摘(つ)む」,摘花,意指結婚

類歌1930。『夫木抄』錄此歌,而除第六句以為短歌之形。

1280 【承前,廿四第九。】

 撃日刺 宮路行丹 吾裳破 玉緒 念妄 家在矣

 內日射(うちひさ)す 宮道(みやぢ)を行(ゆ)くに 我(わ)が裳(も)は破(や)れぬ 玉緒(たまのを)の 思亂(おもひみだ)れて 家(いへ)に在(あ)ら益(まし)を

 內日照臨兮 往還宮路大道時 吾裳破兮裾弊矣 魂絲玉緒兮 吾雖思亂情意紊 早知當忍居家中

柿本人麻呂 1280

「宮道(みやぢ)を行(ゆ)くに」,為與傾心之官人邂逅,刻意往還都中大道

「玉緒(たまのを)の」,亂之枕詞

「思亂(おもひみだ)れて」,原文「念妄」,『說文解字』云:「妄,亂也。」

大費周章心疲力竭而不得回報,故以追悔之曲。

1281 【承前,廿四第十。】

 公為 手力勞 織在衣服敘 春去 何色 揩者吉

 君(きみ)が為(ため) 手力疲(たぢからつか)れ 織(お)りたる衣(きぬ)ぞ 春去(はるさ)らば 如何(いか)なる色(いろ)に 摺(す)りてば良(よ)けむ

 其奉為吾君 精疲力竭所手織 入魂裁縫衣服矣 時值春日臨 當以何色摺染之 添沁色彩而良哉

柿本人麻呂 1281

「織(お)りたる衣(きぬ)ぞ」,原文「織在衣服斜」蓋訛,按『萬葉集全釋』改「織在衣服敘」。

「如何(いか)なる色(いろ)に 摺(す)りてば良(よ)けむ」,原文「何色 揩者吉」蓋訛,按『萬葉集略解』引本居宣長說改「何色 揩者吉」。

1282 【承前,廿四十一。】

 橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲

 梯立(はしたて)の 倉橋山(くらはしやま)に 立(た)てる白雲(しらくも) 見(み)まく欲(ほ)り 我(わ)がするなへに 立(た)てる白雲(しらくも)

 橋立豎梯兮 倉橋之山峰頂上 若有白雲則景勝 當吾心思至 欲見白雲所念時 白雲湧立現山嶺

柿本人麻呂 1282

「梯立(はしたて)の」,「倉橋」「倉椅」之枕詞。當時欲入高床式倉庫,須立倉梯以登之。『日本書紀』垂仁紀:「五十瓊敷命謂妹大中姬曰:『我老也,不能掌神寶。自今以後,必汝主焉。』大中姬命辭曰:『吾手弱女人也,何能登天神庫耶?』五十瓊敷命曰:『神庫雖高,我能為神庫造梯。豈煩登庫乎?』故諺曰:『神之神庫,隨樹梯之。』」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki06.htm#sk06_08

「我(わ)がするなへに」,「なへ」表「同時」、「就在此時」之意。正當作者欲見白雲之際,而白雲洽好湧起。


1283 【承前,廿四十二。】

 橋立 倉椅川 石走者裳 壯子時 我度為 石走者裳

 梯立(はしたて)の 倉橋川(くらはしがは)の 石橋(いしのはし)はも 男盛(をざか)りに 我(わ)が渡(わた)してし 石橋(いしのはし)はも

 橋立豎梯兮 倉橋之川淺麪檗石橋走石今何如 顧吾壯盛時 為訪佳人渡幾回 石橋走石今何如

柿本人麻呂 1283

石橋(いしのはし)はも」,淺麪殕儖陛浪惑形石。「はも」表「現況如何」。

男子年老,不尋往年稚齒之際所踏走石,而追懷之作。

1284 【承前,廿四十三。】

 橋立 倉椅川 河靜菅 余苅 笠裳不編 川靜菅

 梯立(はしたて)の 倉橋川(くらはしがは)の 川靜菅(かはのしづすげ) 我(わ)が刈(か)りて 笠(かさ)にも編(あ)まぬ 川靜菅(かはのしづすげ)

 橋立豎梯兮 倉橋川間所從生 可憐川河靜菅矣 吾人雖手刈 然仍不及編為笠 可憐川河靜菅矣

柿本人麻呂 1284

「川靜菅(かはのしづすげ)」,群生河邊之菅類。或云「靜(しづ)」指「賤(しづ)」而為言。『大日本史』列女傳靜御前條:「倭文や倭文,靜の苧環,繰返し,昔を今に,成す良しもがな。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dns224.htm#27

「我(わ)が刈(か)りて 笠(かさ)にも編(あ)まぬ」,此云雖與女方相戀而有肉體關係,卻未能正式結為連理。

1285 【承前,廿四十四。】

 春日尚 田立羸 公哀 若草 孋無公 田立

 春日(はるひ)すら 田(た)に立疲(たちつか)る 君(きみ)は哀(かな)しも 若草(わかくさ)の 妻無(つまな)き君(きみ)が 田(た)に立疲(たちつか)る

 時值春日和 人多遊興君不與 疲於田務令人哀 親親若草兮 無妻相伴農夫矣 疲於田務令人哀

柿本人麻呂 1285

春日(はるひ)すら 田(た)に立疲(たちつか)る」,連如此小春日和之日,尚不能放下農務,疲於田間。神樂歌總角有云:「そを思ふと、何もせずしてや、春日すら。」

若草(わかくさ)の」,妻之枕詞。『日本書紀』仁賢紀有「若草吾夫。【弱草,謂古者以弱草喻夫婦。】」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki15.htm#sk15_n02

同情或揶揄獨身農夫之歌。古俗,春日一日,暫歇農忙,近鄉年輕男女相攜,遊山翫花。

1286 【承前,廿四十五。】

 開木代 來背社 草勿手折 己時 立雖榮 草勿手折

 山背(やましろ)の 久世社(くせのやしろ)の 草勿手折(くさなたを)りそ 我(わ)が時(とき)と 立榮(たちさか)ゆとも 草勿手折(くさなたを)りそ

 繼峰山城國 久世之社宮域間 久世社草莫手折 仿若云吾時 茂盛立榮展生氣 久世社草莫手折

柿本人麻呂 1286

「山背(やましろ)の」,山城國,現平安京。原文「開木代」以「開木」作「山」者,蓋開山伐木之意。

「我(わ)が時(とき)と」,主張此為己身全盛之期。

1287 【承前,廿四十六。】

 青角髮 依網原 人相鴨 石走 淡海縣 物語

 青髻(あをみづら) 依網原(よさみのはら)に 人(ひと)も逢(あ)はぬ哉(かも) 石走(いはばし)る 近江縣(あふみのあがた)の 物語為(ものがたりせ)む

 青髻碧角髮 碧海之郡依網原 莫有人來相會哉 石走迸流水 淡海相近江縣 故事將為述物語

柿本人麻呂 1287

「青髻(あをみづら)」,髻者或書「角髮」、「美豆良」。古代成年男子髮型,待唐風冠、頭巾等興起而沒落。此為「依網原(よさみのはら)」之枕詞。『和名抄』云:「參河國碧海郡依網。」或云「青髻」有「碧海面(あをみづら)」之意。

「石走(いはばし)る」,近江枕詞

「縣(あがた)」,國郡制成立後,多用於郡解。

1288 【承前,廿四十七。】

 水門 葦末葉 誰手折 吾背子 振手見 我手折

 水門(みなと)の 葦末葉(あしのうらば)を 誰(たれ)か手折(たを)りし 我(わ)が背子(せこ)が 振(ふ)る手(て)を見(み)むと 我(われ)そ手折(たを)りし

 港湊水門之 葦之末葉為所摘 葦之末葉誰手折 妾見我兄子 臨別招手道離情 葦之末葉吾手折

柿本人麻呂 1288

水門(みなと)」,水之出入口,河口或港湊之類。

「末葉(うらば)」,草木之枝葉末稍。

「振(ふ)る手(て)」,乘船離去之人,向作者離別揮手之狀。

唱和或自問自答形式。臨摹替男子送行之女子心境所作。或為港邊遊行女婦所詠民謠之疇。


1289 【承前,廿四十八。】

 垣越 犬召越 鳥獵為公 青山 葉茂山邊 馬安公

 垣越(かきご)しに 犬呼越(いぬよびこ)して 鳥獵(とが)りする君(きみ) 青山(あをやま)の 葉茂山邊(はしげきやまへ)に 馬休(うまやす)め君(きみ)

 塀外越垣而 呼喚鷹犬來膝下 將為獵鷹吾君矣 當汝至青山 榮盛葉茂山邊處 當稍駐足令馬歇

柿本人麻呂 1289

「垣越(かきご)しに」,隔牆。垣乃土塀或板塀。

「犬呼越(いぬよびこ)して」,呼喚獵犬越來。犬蓋鷹犬,多用雌犬。招喚鷹犬之聲,依負責飼育之犬引人有差。

「葉茂山邊(はしげきやまへ)」,按『古葉略類聚抄』,或可訓作「はもきやまへ」。


1290 【承前,廿四十九。】

 海底 奧玉藻之 名乘曾花 妹與吾 此何有跡 莫語之花

 海底(わたのそこ) 沖玉藻(おきつたまも)の 勿告藻花(なのりそのはな) 妹(いも)と我(あれ)と 此處(ここ)にし在(あり)と 莫語之花(なのりそのはな)

 海底深奧處 沖瀛玉藻之所綻 莫語勿告藻花矣 吾今與妹妻 私竊逢鷓}歇圈\敘語兮藻花矣

柿本人麻呂 1290

此云,汝既名喚「勿告藻」,切莫將吾等幽會此處之事告諸他人。


1291 【承前,廿四二十。】

 此岡 草苅小子 勿然苅 有乍 公來座 御馬草為

 此岡(このをか)に 草刈(くさか)る童(わらは) 勿然刈(なしかか)りそね 在(あり)つつも 君(きみ)が來坐(きまさ)む 御馬草(みまくさ)に為(せ)む

 在於此岡間 苅草小子稚童矣 還欲莫刈如此然 願留此岡草 待於吾君來幸時 以為御馬食料草

柿本人麻呂 1291

「童(わらは)」,仕於貴族家之童子。長屋王家木簡可見「小子」云云。

「在(あり)つつも」,維持現狀。

1292 【承前,廿四廿一。】

 江林 次完也物 求吉 白栲 袖纏上 完待我背

 江林(えばやし)に 伏(ふ)せる豬(しし)やも 求(もと)むるに良(よ)き 白栲(しろたへ)の 袖卷上(そでまきあ)げて 豬待(ししま)つ我(わ)が背(せ)

 入江叢林間 豬鹿者潛匿伏間 欲求獲彼獸 捲上白栲兮 素織襟袖纏臂膀 伏待豬鹿吾兄子

柿本人麻呂 1291

「江林(えばやし)」,入江旁之叢林。豬獸常至該處飲水、獲補澤蟹、水蛙,或浸於泥中。以其叢林茂密,人跡少至,故野獸常居該地。

「伏(ふ)せる豬(しし)」,伏字表潛伏、隱匿。原文「次」字表「二泊」之意,「完」字與「宍」相通


1293 【承前,廿四廿二。】

 丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊

 霰降(あられふ)り 遠江(とほつあふみ)の 吾跡川楊(あとかはやなぎ) 刈(か)れども 復(また)も生(お)ふと云(い)ふ 吾跡川楊(あとかはやなぎ)

 丸雪零霰降 淡海湖北遠江之 高島吾跡川楊矣 人云雖苅而 須臾復生不曾息 安曇吾跡川楊矣

柿本人麻呂 1293

「霰降(あられふ)り」,遠江枕詞。蓋以雹降板上,音似「遠(とほ)」自而來。「霰」字原文「丸雪」乃義訓。

遠江(とほつあふみ)の 吾跡川楊(あとかはやなぎ)」,遠江非指遠江國,蓋近江國中遠離大津湖北地帶。吾跡川所在不詳,或云高島郡安曇川。楊為易再生之代表性植物

本歌蓋為譬喻歌,但寓意不詳。

1294 【承前,廿四廿三。】

 朝月日 向山 月立所見 遠妻 持在人 看乍偲

 朝付日(あさづくひ) 向山(むかひのやま)に 月立(つきた)てり見(み)ゆ 遠妻(とほづま)を 待(ま)ちたる人(ひと)は 見(み)つつ偲(しの)はむ

 晨曦朝付日 彼方向山峰頂上 新月出兮狀可見 遠妻在家鄉 孤身旅外相別人 望見此月以偲哉

柿本人麻呂 1294

 右廿三首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「朝付日(あさづくひ)」,朝日。此乃向山枕詞

「月立(つきた)てり」,新月現於空中之狀。


1295 【承前,廿四廿四。】

 春日在 三笠乃山二 月船出 遊士之 飲酒坏爾 陰爾所見管

 春日(かすが)なる 御笠山(みかさのやま)に 月舟出(つきのふねい)づ 風流士(みやびを)の 飲(の)む酒杯(さかづき)に 影(かげ)に見(み)えつつ

 寧樂春日之 御蓋三笠山頂上 月舟出兮越大虛 風流遊士之 盛宴歡飲酒盃中 映得其影今可見

佚名 1295

風流士(みやびを)の」,了解風流男子。此云官人。

平城遷都以降,飲宴之席所詠之曲。

譬喻歌

1296 寄衣

 今造 斑衣服 面影 吾爾所念 未服友

 今作(いまつく)る  斑衣(まだらのころも) 面影(おもかげ)に 我(われ)に思(おも)ほゆ 未著(いまだき)ねども

 今造即將臻 艷斑衣裳華服矣 其面影猶幻 每每總現吾心懷 然實未服袖未通

柿本人麻呂 1296

「今作(いまつく)る」,即將完成。蓋為即將結婚之比喻。

「未著(いまだき)ねども」,尚未與對方相接。

1297 【承前,第二。】

 紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知

 紅(くれなゐ)に 衣染(ころもそ)めまく 欲(ほ)しけども 著(き)て匂(にほ)はばか 人知(ひとのし)るべき

 雖欲染吾衣 沁作艷紅摺華美 然亦有所思 吾恐著之匂人目 為人所察天下知

柿本人麻呂 1297

「紅(くれなゐ)に 衣染(ころもそ)めまく 欲(ほ)しけども」,欲與美女接近相親。「まく欲(ほ)し」乃中古語「「ま欲(ほ)し」」之古形。

「著(き)て匂(にほ)はばか」,此云與女性逢麈係紂け態度、面容顯現而為人所察。

1298 【承前,第三。】

 干各 人雖云 織次 我廿物 白麻衣

 云云(かにかく)に 人(ひと)は言(い)ふとも 織繼(おりつ)がむ 我(わ)が機物(はたもの)の 白麻衣(しろきあさごろも)

 諸人雖口傳 流言蜚語噂不斷 然欲繼織矣 吾之織機所縫紉 白妙素織麻衣

柿本人麻呂 1298

「云云(かにかく)に」,如此這般如此這樣。周圍流言妨礙之狀。原文「干各」或本書「千名」、「千各」等,蓋誤。「干」乃「かに」之二音假名。

「織繼(おりつ)がむ」,期待愛意不減。

「機物(はたもの)」,此云織機,更稱其所織服。

1299 寄玉 【五首第一。】

 安治村 十依海 船浮 白玉採 人所知勿

 味鴨群(あぢむら)の 橈(とを)よる海(うみ)に 舟浮(ふねう)けて 白玉採(しらたまと)ると 人(ひと)に知(し)らゆ勿(な)

 味鴨所群聚 漂泊盪漾橈海上 浮船蹈滄溟 來採珍珠白玉者 還願莫令他人知

柿本人麻呂 1299

「橈(とを)よる海(うみ)に」,飄浮盪漾之狀。「橈(とを)よる」本為木稍受風吹搖曳之狀。

白玉(しらたま)」,珍珠。比喻雙親之掌上明珠。

「人(ひと)に知(し)らゆ勿(な)」,或為戒訓他人留意,或為作者自戒


1300 【承前,五首第二。】

 遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨

 彼此(をちこち)の 礒中(いそのなか)なる 白玉(しらたま)を 人(ひと)に知(し)らえず 見(み)む緣(よし)もがも

 遠近相點落 彼此各處礒中藏 白玉珍珠者 可有方法窺明珠 卻不令他人知

柿本人麻呂 1300

「見(み)む緣(よし)もがも」,「緣(よし)」乃方法、道理。「がも」為「欲得」之希求語氣。

1301 【承前,五首第三。】

 海神 手纏持在 玉故 石浦迴 潛為鴨

 海神(わたつみ)の 手(て)に卷持(まきも)てる 玉故(たまゆゑ)に 礒浦迴(いそのうらみ)に 潛(かづ)きするかも

 此玉何由來 海神手纏持在故 欲得其明珠 不辭艱辛海象險 沉潛荒礒浦迴間

柿本人麻呂 1301

海神(わたつみ)の 手(て)に卷持(まきも)てる」,古俗以為,海神手上飾有明珠。比喻雙親呵護備至,不令他人親易接近之掌上明珠。

「潛(かづ)きするかも」,此云費盡辛苦而欲獲得心上人之比喻。

1302 【承前,五首第四。】

 海神 持在白玉 見欲 千遍告 潛為海子

 海神(わたつみ)の 持(も)てる白玉(しらたま) 見(み)まく欲(ほ)り 千度(ちたび)そ告(の)りし 潛(かづ)きする海人(あま)は

 欲見海神之 手纏持在白玉故 心念其珍珠 千遍揚言詠唱告 沉潛滄溟白水

柿本人麻呂 1302

「千度(ちたび)そ告(の)りし」,「告(の)り」表將不輕易揚言之事說出。比喻向雙親所秘藏之女性告白。海人之俗,將採鮑而入海時,以鐵篦敲擊船側,詠唱「恵比寿様」、「ついや龍宮さん」、「ついや大漁さしてくれ」而潛。

1303 【承前,五首第五。】

 潛為 海子雖告 海神 心不得 所見不云

 潛(かづ)きする 海人(あま)は告(の)れども 海神(わたつみ)の 心(こころ)し得(え)ねば 見(み)ゆと云(い)は無(な)くに

 海人白水郎 雖告揚言將潛水 然以其不得 海神御心之所許 自然無緣見珍珠

柿本人麻呂 1303

海神(わたつみ)の 心(こころ)し得(え)ねば」,未得女方家長承認

「見(み)ゆと云(い)は無(な)くに」,「見(み)ゆ」之主語為前曲所述之白玉

1304 寄木

 天雲 棚引山 隱在 吾下心 木葉知

 天雲(あまくも)の 棚引(たなび)く山(やま)の 隱(こも)りたる 我(あ)が下心(したごころ) 木葉知(このはし)るらむ

 其猶天雲之 棚引瀰漫山所如 隱在浮雲下 吾之本心無人察 唯有木葉能知之

柿本人麻呂 1304

「天雲(あまくも)の 棚引(たなび)く山(やま)の」,引出下句「隱」字之序。

「我(あ)が下心(したごころ)」,深藏心中,唯對特定之人所發露之心懷。

「木葉(このは)」,比喻戀人。

1305 【承前。】

 雖見不飽 人國山 木葉 己心 名著念

 見(み)れど飽(あ)かぬ 人國山(ひとくにやま)の 木葉(このは)をば 我(わ)が心(こころ)から 懷(なつ)かしみ思(おも)ふ

 雖見不飽厭 他人國內山間之 可怜木葉矣 吾自方寸慕汝命 滿腔所念懷胸中

柿本人麻呂 1305

「人國山(ひとくにやま)」,未詳所在。蓋為他人之國之意。如1801、1809等菟原處女傳說。異鄉男子擅自與地方女子求愛,將受妨礙與制裁。本曲蓋作者迷戀他國女子,既知難以成遂卻又無法割捨慕情之作。

1306 寄花

 是山 黃葉下 花矣我 小端見 反戀

 此山(このやま)の 黃葉下(もみちのした)の 花(はな)を我(あれ) 小端(はつはつ)に見(み)て 尚戀(なほこ)ひにけり

 生息此山之 黃葉之下樹蔭間 妍花綻於茲 吾人瞥見彼花開 反而更戀難釋懷

柿本人麻呂 1306

「小端(はつはつ)に」,中古以降,表現多用「端(はつか)に」為多。此云所見、所得未足期望之狀態。

1307 寄川

 從此川 船可行 雖在 渡麒漫ー蘓様

 此川(このかは)ゆ 舟(ふね)は行(ゆ)くべく 在(あり)と云(い)へど 渡每(わたりぜごと)に 守人在(まもるひとあ)り

 隨云經此川 渡船可行能乘越 然顧彼川間 灘灘渡麝守人 不得輙妄通其關

柿本人麻呂 1307

「此川(このかは)ゆ」,「ゆ」表經由點。

「渡(わたりぜ)」,川中水淺,可徒步或乘馬埀枅継檗K堯愎契饉鏡』云:「灘,何わたりぜ。」水淺石多,舟行艱險之所。

「守人在(まもるひとあ)り」,此云女方之親,於各處設置警護,不令男子親易接近。

1308 寄海

 大海 候水門 事有 從何方君 吾率凌

 大海(おほきうみ)を 候(さもら)ふ水門(みなと) 事(こと)し有(あ)らば 何方(いづへ)ゆ君(きみ)は 我(あ)を率凌(ゐしの)がむ

 汝居大海原 所侯水門港湊處 若逢有事者 可君率吾至何方 憑鮃鉋越難哉

柿本人麻呂 1308

大海(おほきうみ)」,或有底本書「大船(おほぶね)」,未詳孰是。

「候(さもら)ふ」,等候、守候,比喻等待女方雙親之理解,或在意周遭之干涉。

「何方(いづへ)」,有關場所之不定代名詞

「率凌(ゐしの)がむ」,率乃率領、引領,凌表突破困難之狀。

女方探問男子是否有為結婚突破重重難關之自信之曲。

1309 【承前,第二。】

 風吹 海荒 明日言 應久 公隨

 風吹(かぜふ)きて 海(うみ)は荒(あ)るとも 明日(あす)と言(い)はば 久(ひさ)しくあるべし 君(きみ)が隨(まにま)に

 風吹濤浪起 海象荒險時不與 汝既云明日 妾身唯有引領盼 久俟空閨隨君意

柿本人麻呂 1309

「風吹(かぜふ)きて 海(うみ)は荒(あ)るとも」,比喻現今局勢不利。

明日(あす)と言(い)はば」,男方表示希望女方待至明日

女方邀請男方來會之曲。

1310 【承前,第三。】

 雲隱 小嶋神之 恐者 目間 心間哉

 雲隱(くもがく)る 小島神(こしまのかみ)の 恐(かし)こけば 目(め)は隔(へだ)てども 心隔(こころへだ)てや

 雲隱不可見 小島之神令人恐 雖以畏其神 相隔兩地不相見 然吾倆心豈離哉

柿本人麻呂 1310

 右十五首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

1310

小島神(こしまのかみ)」,比喻反對結婚女方家長

「目(め)は隔(へだ)てども 心隔(こころへだ)てや」,雖然物理上相隔兩地,內心依舊相連。「心隔てや」為反語形式。

1311 寄衣 【五首第一。】

 橡 衣人皆 事無跡 曰師時從 欲服所念

 橡(つるはみ)の 衣(きぬ)は人皆(ひとみな) 事無(ことな)しと 言(い)ひし時(とき)より 著欲(きほ)しく思(おも)ほゆ

 人皆云橡染 黃褐衣裳適於著 穿之而太平 自吾聽聞此言時 亦有所思欲著之

佚名 1311

1311

「橡(つるはみ)の 衣(きぬ)」,橡染之衣,呈黃褐色。為貴族所愛用。

「事無(ことな)し」,無事平穩、一切安好。此云衣服易著舒適。『名義抄』注「好、善」作「こともなし、ことむなし」。

或云此曲比喻男主人愛戀自家奴婢,或云高貴之人愛慕身分平凡相貌凡庸女子而詠。

1312 【承前,五首第二。】

 凡爾 吾之念者 下服而 穢爾師衣乎 取而將著八方

 凡(おほろか)に 我(われ)し思(おも)はば 下(した)に著(き)て 馴(な)れにし衣(きぬ)を 取(と)りて著(き)めやも

 論及吾本懷 若唯凡俗所念者 豈將每下服 肌身著馴此衣乎 取而將披飾身裝

佚名 1312

「凡(おほろか)に」,平凡、普通之意。

「下(した)に著(き)て」,穿於外服之下,亦有人人相睦敞開心胸之含意。

男子欲將長年私下逢麈女性迎為正妻之曲。

1313 【承前,五首第三。】

 紅之 深染之衣 下著而 上取著者 事將成鴨

 紅(くれなゐ)の 深染(ふかそ)めの衣(きぬ) 下(した)に著(き)て 上(うへ)に取著(とりき)ば 言為(ことな)さむかも

 鮮艷紅華之 深染之衣總下服 一旦取其衣 裝於身上顯於外 必將為噂遍流哉

佚名 1313

「紅(くれなゐ)の 深染(ふかそ)めの衣(きぬ)」,深紅之衣,有隱喻愛情深刻之寓意。

「下(した)に著(き)て 上(うへ)に取著(とりき)ば」,將長年私下交往女性正式迎娶為妻,廣為週知。

「言為(ことな)さむかも」,謠言、傳聞立即遍布。

蓋與前曲為連作。

1314 【承前,五首第四。】

 橡 解濯衣之 恠 殊欲服 此暮可聞

 橡(つるはみ)の 解濯衣(ときあらひきぬ)の 恠(あや)しくも 殊(こと)に著欲(きほ)しき 此夕哉このゆふへかも

 黃褐摺橡染 解濯之衣修整裳 不知以何故 殊欲著兮裝此身 油然發興此暮哉

佚名 1314

「解濯衣(ときあらひきぬ)の」,將穿舊之蔽衣重新洗滌、脩整。

「恠(あや)しくも」,奇異、不解其由。

此云男子忽然想起過往相善之女子,欲與之再逢相語。


1315 【承前,五首第五。】

 橘之 嶋爾之居者 河遠 不曝縫之 吾下衣

 橘(たちばな)の 島(しま)にし居(を)れば 川遠(かはとほ)み 曝(さら)さず縫(ぬ)ひし 我(あ)が下衣(したごろも)

 以吾居寧樂 飛鳥橘地島之中 此去河甚遠 吾以洗濯復日曝 輕率縫之我下衣

佚名 1315

「橘(たちばな)の 島(しま)」,奈良高市郡明日香村橘,以橘寺為中心而位於飛鳥左岸,與右岸之島庄相對。島或云島庄,或云島地以往包攝於橘之內。

本曲寓意未詳,蓋只出身邊鄙,輕率地與條件不佳之女性結婚而後悔。

1316 寄絲

 河內女之 手染之絲乎 絡反 片絲爾雖有 將絕跡念也

 河內女(かふちめ)の 手染(てそ)めの絲(いと)を 繰返(くりかへ)し 片絲(かたいと)にありとも 絕(た)えむと思(おも)へや

 吾取河內女 織機手染之絲而 絡返繰幾度 此其雖為單絲者 吾度當必不易

佚名 1316

「河內女(かふちめ)の」,雄略朝時百濟等渡來人定住於河內國,傳來種種技藝。其中有善於織染、裁縫女性集團。

「繰返(くりかへ)し」,重復操作織機之動作。

「片絲(かたいと)にありとも 絕(た)えむと思(おも)へや」,一般絲線以二芯搓成,單芯或許較不耐用。此為單戀之比喻而作者表示其必不易斷絕。「思へや」乃反語問句。


1317 寄玉 【十一第一。】

 海底 沈白玉 風吹而 海者雖荒 不取者不止

 海底(わたのそこ) 沈(しづ)く白玉(しらたま) 風吹(かぜふ)きて 海(うみ)は荒(あ)るとも 取(と)らずは止(やま)じ

 海底千尋下 所沉白玉珍珠矣 縱雖狂風拂 捲起駭浪波濤來 吾豈堪得不取哉

佚名 1317

「沈(しづ)く」,表沉沒之狀態。

「風吹(かぜふ)きて」,以疾風比喻情路之妨礙者,亦見於1319, 1317等曲。

以下四首,以海中珍珠比喻深窗美女。

1318 【承前,十一第二。】

 底清 沈有玉乎 欲見 千遍曾告之 潛為白水

 底清(そこきよ)み 沈(しづ)ける玉(たま)を 見(み)まく欲(ほ)り 千度(ちたび)そ告(の)りし 潛(かづ)きする海人(あま)

 水邀つ貔供―沉珠玉稍可見 欲得更端詳 揚言申告幾千度 入海深潛白水

佚名 1318

「底清(そこきよ)み」,4199「藤波の 影成す海の 底清み 沈く石をも 玉とそ我が見る」以「底清み」為「見る」之序。本曲蓋為「見」ゆ之序乎。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m19.htm#4199

此云海水清遏彷彿能見水底珍珠。遇更詳見,而祈求海神,遂入海取珠。亦比喻深窗令孃與其雙親。

1319 【承前,十一第三。】

 大海之 水底照之 石著玉 齊而將採 風莫吹行年

 大海(おほうみ)の 水底照(みなそこて)らし 沈(しづ)く玉(たま) 齋(いは)ひて採(と)らむ 風莫吹(かぜなふ)きそね

 滄溟大海之 水底光耀照赫映 沉水輝玉矣 吾將齋戒而潛採 還願疾風莫吹撓

佚名 1319

「齋(いは)ひて採(と)らむ」,「齋(いは)ふ」表位成就某事,齋戒祈禱,口述咒文之宗教儀禮。與前曲「千度そ告りし」相同。


1320 【承前,十一第四。】

 水底爾 沈白玉 誰故 心盡而 吾不念爾

 水底(みなそこ)に 沈(しづ)く白玉(しらたま) 誰(た)が故(ゆゑ)に 心盡(こころつ)くして 我(わ)が思(おも)は無(な)くに

 千尋水底下 所沉珍珠輝白玉 吾乃為誰故 盡心全靈不反顧 除汝之外無他想

佚名 1320

「誰(た)が故(ゆゑ)に 心盡(こころつ)くして 我(わ)が思(おも)は無(な)くに」,除汝之外豈有他人得令吾戀惱之此。「心盡(こころつ)くして」乃心靈磨耗艱苦之狀。

『歌經標式』亦錄本歌,改「水底に」為「水底へ」。


1321 【承前,十一第五。】

 世間 常如是耳加 結大王 白玉之緒 絕樂思者

 世間(よのなか)は 常如是(つねかく)のみか 結(むす)びてし 白玉緒(しらたまのを)の 絕(た)ゆらく思(おも)へば

 浮生憂世間 諸行無常如是耳 思及固所結 白玉之緒仍將絕 惆悵滿懷愴難息

佚名 1321

世間(よのなか)は」,此云世間男女情誼。

「常如是(つねかく)のみか」,「のみ」乃強調用法。世間唯一常理即是無常

「結(むす)びてし」,「結ぶ」乃發誓相愛、結契。「てし」原文「大王」,指王羲之。以「書法家」別名「手師(てし)」之借訓。又小王乃羲之之子王獻之。

「絕(た)ゆらく」,「絕ゆ」之く句法,斷線,表情愛之破局

1322 【承前,十一第六。】

 伊勢海之 白水郎之嶋津我 鰒玉 取而後毛可 戀之將繁

 伊勢海(いせのうみ)の 海人島津(あまのしまつ)が 鮑玉(あはびたま) 採(と)りて後(のち)もか 戀繁(こひのしげ)けむ

 神風伊勢海 白水郎之嶋津矣 縱令潛滄溟 取得白玉來之後 相思戀繁豈將絕

佚名 1322

「海人島津(あまのしまつ)」,島津意未詳。『仙覺抄』云:「島津者島人也。如東人之稱東津。」或云人名。或云志摩國之稱。按人名解,則為不配擁有珍珠之人之比喻,或指所戀女性家長,或愛慕人妻之丈夫云云。

「鮑玉(あはびたま)」,鮑中珍珠。

「戀繁(こひのしげ)けむ」,同居之後,戀慕之情不減反畴狀。


1323 【承前,十一第七。】

 海之底 奧津白玉 緣乎無三 常如此耳也 戀度味試

 海底(わたのそこ) 沖白玉(おきつしらたま) 緣(よし)を無(な)み 常如此(つねかく)のみや 戀渡(こひわた)りなむ

 千尋海底下 奧津深邃沖白玉 無緣可得之 常如此耳不得近 可誠不捨戀渡哉

佚名 1323

「海底(わたのそこ) 沖白玉(おきつしらたま)」,沖自於此表深邃之縱向概念

「緣(よし)を無(な)み」,無緣、無機遇、無所恃。

「戀渡(こひわた)りなむ」,原文「味試」乃借訓。

1324 【承前,十一第八。】

 葦根之 懃念而 結義之 玉緒云者 人將解八方

 葦根(あしのね)の 懃思(ねもころおも)ひて 結(むす)びてし 玉緒(たまのを)と云(い)はば 人解(ひとと)かめやも

 葦根相絡兮 誠心懃念所手繫 結緣玉緒者 吾倆情深難分捨 他人豈得易解哉

佚名 1324

「葦根(あしのね)の」,「懃(ねもころ)」之枕詞。一以「根」「懃」二字「ね」音相連,二以葦根細長相絡之狀,三者「懃(ねもころ)」亦可解作「根如(ねもころ)」解。

「結(むす)びてし」,原文「義之」即「羲之」,即「手師(てし=書法家)」之借訓。

「玉緒(たまのを)」,比喻男女情愛之羈絆。

1325 【承前,十一第九。】

 白玉乎 手者不纏爾 匣耳 置有之人曾 玉令詠流

 白玉(しらたま)を 手(て)には卷(ま)かずに 箱(はこ)のみに 置(お)けりし人(ひと)そ 玉嘆(たまなげ)かする

 白玉珍珠矣 若人空擁不手纏 藏諸韞櫝而 不欲顯作人觀者 方令玉歎不遇矣

佚名 1325

「箱(はこ)のみに 置(お)けりし人(ひと)そ」,比喻過寵女兒不令為他人所見而藏兮深窗之家長,或金屋藏嬌之夫。

「玉嘆(たまなげ)かする」,原文「詠」字乃「詠嘆」「嗟歎」之義。

1326 【承前,十一第十。】

 照左豆我 手爾纏古須 玉毛欲得 其緒者替而 吾玉爾將為

 照左豆(てるさづ)が 手(て)に卷古(まきふる)す 玉(たま)もがも 其緒(そのを)は替(か)へて 我(わ)が玉(たま)に為(せ)む

 卑微照左豆 其所手纏古珠者 吾欲得其玉 汰換舊緒翻新絲 以為吾玉彰其秀

佚名 1326

「照左豆(てるさづ)」,按助詞「が」字,蓋身分卑賤者之人名。此云不合身分,而坐擁美妻者。

「其緒(そのを)は替(か)へて」,比喻令他人夫妻離緣。

1327 【承前,十一十一。】

 秋風者 繼而莫吹 海底 奧在玉乎 手纏左右二

 秋風(あきかぜ)は 繼(つ)ぎて莫吹(なふ)きそ 海底(わたのそこ) 沖(おき)なる玉(たま)を 手(て)に卷(ま)く迄(まで)に

 蕭瑟秋風者 切莫繼吹不止息 直至千尋下 海底沖奧珍白玉 取而纏於吾手迄

佚名 1327

「沖(おき)なる玉(たま)を」,此「沖」表海底深邃之處,比喻深窗美人

1328 寄日本

 伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾將戀也毛

 膝(ひざ)に伏(ふ)す 玉小琴(たまのをごと)の 事無(ことな)くは 甚幾許(いたくここだく) 我戀(あれこ)ひめやも

 伏膝置腿上 玉之小琴和琴矣 若以無事者 何以吾戀甚幾許 心慌意亂衷不安

佚名 1328

「膝(ひざ)に伏(ふ)す 玉小琴(たまのをごと)の」,古代和琴多為小型,而登呂遺跡前橋等出土和琴則有兩倍肩幅之長琴,載於膝上兩手彈奏。玉乃美稱。以上以「琴、事」同音而為引出後句事字之序。

「事無(ことな)くは」,平安無事,與事實相反之假想。比喻他人阻礙婚姻之事態。

1329 寄弓

 陸奧之 吾田多良真弓 著絃而 引者香人之 吾乎事將成

 陸奧(みちのく)の 安達太良真弓(あだたらまゆみ) 弦著(つらは)けて 引(ひ)かばか人(ひと)の 我(わ)を言(こと)なさむ

 天離陸奧之 安達太良真弓上 著弦待發而 稍為張弓微引之 人云吾事蜚言繁

佚名 1329

安達太良真弓(あだたらまゆみ)」,安達太良一帶所產之弓。

「弦著(つらは)けて」,箭上於絃之狀,比喻接近中意之女性

「引(ひ)かばか」,張弓拉絃,比喻試探對方心意。

「我(わ)を言(こと)なさむ」,「我(わ)」乃我等之意。他人傳開我等之流言

1330 【承前,第二。】

 南淵之 細川山 立檀 弓束纏及 人二不所知

 南淵(みなぶち)の 細川山(ほそかはやま)に 立檀(たつまゆみ) 弓束卷迄(ゆづかまくまで) 人(ひと)に知(し)らえじ

 飛鳥稻淵之 南淵之地細川山 聳立檀木矣 迄至汝化弓束纏 莫令人知為他用

佚名 1330

「南淵(みなぶち)」,稻淵遺跡。然其處在細川山南三公里之遙,以之字連貫或有不妥。『日本書紀天武天皇五年敕:「禁南淵山、細川山,並莫蒭薪。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki29.htm#sk29_03

「立檀(たつまゆみ)」,可為弓材之良木。或為弓之美稱。

「弓束卷迄(ゆづかまくまで)」,弓束乃射箭時左手所握之處,製弓時最後完成之部品。引申為兩者愛情結實。

「人(ひと)に知(し)らえじ」,呼籲對象,莫為他人所知所奪之詞。

1331 寄山 【五首第一。】

 磐疊 恐山常 知管毛 吾者戀香 同等不有爾

 岩疊(いはだたみ) 恐山(かしこきやま)と 知(し)りつつも 我(あれ)は戀(こ)ふるか 並(なみ)なら無(な)くに

 汝命甚高貴 一猶幾重積磐疊 恐山勢高嶮 吾仍戀之不能抑 縱令雲泥不比等

佚名 1331

「岩疊(いはだたみ)」,如層層重疊之岩石所構成之地勢。

恐山(かしこきやま)」,令人生畏難以接近之山。比喻對方身分高貴,令人難以親近。

「並(なみ)なら無(な)くに」,自謙身分低微,無法同列。

1332 【承前,五首第二。】

 石金之 凝敷山爾 入始而 山名付染 出不勝鴨

 岩根(いはがね)の 凝(こご)しき山(やま)に 入始(いりそ)めて 山懷(やまなつ)かしみ 出難(いでかて)ぬかも

 巨石岩根之 所凝嶮山勢巍峨 一旦始入而 心繫彼山慕其景 難以復出弭離情

佚名 1332

「岩根(いはがね)の 凝(こご)しき山(やま)に」,龐大之岩磐,比喻對方社會地位高貴,令人敬遠。

受到身分高貴之男性寵愛,雖然惶恐,卻又難以脫捨其情之女性抒懷。

1333 【承前,五首第三。】

 佐穗山乎 於凡爾見之鹿跡 今見者 山夏香思母 風吹莫勤

 佐保山(さほやま)を 凡(おほ)に見(み)しかど 今見(いまみ)れば 山懷(やまなつか)しも 風吹(かぜふ)く莫勤(なゆめ)

 寧樂佐保山 以往雖見之漠然 然今日觀者 彼山惹懷繞心頭 還願逆風莫勤吹

佚名 1333

「凡(おほ)に見(み)しかど」,雖然至今為止無特別關心,一般地觀看。

「風吹(かぜふ)く莫勤(なゆめ)」,祈求莫有世間刻意之阻礙。

1334 【承前,五首第四。】

 奧山之 於石蘿生 恐常 思情乎 何如裳勢武

 奧山(おくやま)の 岩(いは)に苔生(こけむ)し 恐(かしこ)けど 思(おも)ふ心(こころ)を 何如(いか)にかもせむ

 深山幽境間 磐上蘿生發神氣 雖敬畏惶恐 吾之慕情猶泉湧 如何欲隱不能抑

佚名 1334

「奧山(おくやま)の 岩(いは)に苔生(こけむ)し 恐(かしこ)けど」,此云身分懸殊,令人畏懼。

「思(おも)ふ心(こころ)を 何如(いか)にかもせむ」,愛情無以自制之狀。受高貴男子寵愛,自覺高攀不起,卻無以壓抑慕情之女子之曲。

1335 【承前,五首第五。】

 思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

 思餘(おもひあま)り 甚(いた)も術無(すべな)み 玉襷(たまたすき) 畝傍山(うねびのやま)に 我標結(あれしめゆ)ひつ

 此情發甚激 抑之無術更滿盈 玉襷披頸後 畝火之山畝傍山 吾標結之難克己

佚名 1335

「思餘(おもひあま)り」,原文「賸」字乃「剩、餘」之意。

「甚(いた)も術無(すべな)み」,無計可施。

「玉襷(たまたすき)」,以玉襷披於後頸(うね),而為「畝傍(うねび)」之枕詞

畝傍山(うねびのやま)に」,蓋比喻身分高貴之女性

「我標結(あれしめゆ)ひつ」,畫上印記獨占。


1336 寄草 【十七第一。】

 冬隱 春乃大野乎 燒人者 燒不足香文 吾情熾

 冬籠(ふゆこも)り 春大野(はるのおほの)を 燒(や)く人(ひと)は 燒足(やきた)らね哉(かも) 我(あ)が心燒(こころや)く

 籠冬日已遠 臘月去兮春大野 燒野農夫矣 汝蓋燒之不足哉 令吾情燃焦我心

佚名 1336

「冬籠(ふゆこも)り」,春之枕詞

「春大野(はるのおほの)を 燒(や)く人(ひと)は」,行燒畑農法以為肥料之農夫。

「燒足(やきた)らね哉(かも)」,疑問條件法。

將自身為情所困之焦躁情感,歸咎於燒畑農人之火力過強,乃戲笑歌之疇。

1337 【承前,十七第二。】

 葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭

 葛城(かづらき)の 高間草野(たかまのかや)の 早知(はやし)りて 標刺(しめさ)さ益(まし)を 今(いま)そ悔(くや)しき

 春柳絵葛城之 高間草野萱原矣 若得知未然 早宜標刺作己物 如今後悔不當初

佚名 1337

「標刺(しめさ)」,與「標結」同為獨占女性之譬喻。

惋惜所愛女子為他人所娶之歌。

1338 【承前,十七第三。】

 吾屋前爾 生土針 從心毛 不想人之 衣爾須良由奈

 我(わ)が宿(やど)に 生(お)ふる土針(つちはり) 心(こころ)ゆも 思(おも)はぬ人(ひと)の 衣(きぬ)に摺(す)らゆ勿(な)

 吾人屋戶間 庭院所生土針矣 既非發方寸 由衷所念之人者 莫以汝色染彼裳

佚名 1338

「土針(つちはり)」,未詳。有「衝羽根草」、「目弾】」二說,前者不可作染料而後者之葉為竸Ю料。

「心(こころ)ゆも」,發諸心裡。後接「も」者多為反語語氣。

「思(おも)はぬ人(ひと)の 衣(きぬ)に摺(す)らゆ勿(な)」,比喻切莫締結無愛情結婚

sherrysherry 2017/01/02 21:04 新年快樂^^
11月出差算順利, 雖然行程很緊湊,
還是撥空去了一趟秩父神社跟地主神打了招呼

然後....
老闆要我5月再去一趟 ="=...

kuonkizunakuonkizuna 2017/01/23 13:27 家裡小孩有人照顧的話,偶爾去就當旅遊吧。

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2016-12-26-月

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補給物資

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万葉集試訳

1260 【承前,十二第六。】

 不時 斑衣 服欲香 嶋針原 時二不有鞆

 時(とき)ならぬ 斑衣(まだらのころも) 著欲(き)ほしきか 島榛原(しまのはりはら) 時(とき)にあらねども

 欲著豔斑衣 然苦時節不相符 以為摺染之 島地榛原榛木者 旬時未臻仍須待

佚名 1260

「時(とき)ならぬ」,不合時節,非其產季。

「斑衣(まだらのころも)」,以榛摺染之鮮豔衣裳。

「島榛原(しまのはりはら)」,島蓋為地名所在未詳,或為明日香村島庄一帶。

「時(とき)にあらねども」,未達榛果成熟秋季。此為男方期待意中少女成長之曲。


1261 【承前,十二第七。】

 山守之 里邊通 山道曾 茂成來 忘來下

 山守(やまもり)が 里邊(さと)へに通(かよ)ふ 山道(やまみち)そ 繁(しげ)く成(な)りける 忘(わす)れけらしも

 昔日山守之 通往人山道矣 以其歷時久 雜草叢生化荒蕪 蓋為人所忘去哉

佚名 1261

「山守(やまもり)が」,何守之後之所有格,原則不用「の」而用「が」。

此曲蓋含恨男方久久不至,道路無人蹋經,以然荒蕪之閨怨之曲。


1262 【承前,十二第八。】

 足病之 山海石榴開 八峯越 鹿待君之 伊波比嬬可聞

 足引(あしひき)の 山椿咲(やまつばきさ)く 八峰越(やつをこ)え 鹿待(ししま)つ君(きみ)が 齋妻哉(いはひづま)かも

 足曳勢險峻 君越山椿綻八峰 伏狩待豬鹿 妾身蓋猶齋妻哉 苦守空閨盼君歸

佚名 1262

「足引(あしひき)の」,山之枕詞。原文「足病」,或書「足疾(670)」,蓋與山神步行困難之古俗相結合之表記

八峰越(やつをこ)え」,「峰(を)」表山之脊梁。

「鹿待(ししま)つ君(きみ)が 齋妻哉(いはひづま)かも」,身處家中,潔齋淨身,祈禱出獵夫君平安歸來之妻子。

妻子怨懟外出不歸之丈夫而作之閨怨之曲。

1263 【承前,十二第九。】

 曉跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未靜之

 曉(あかとき)と 夜烏鳴(よがらすな)けど 此山(このやま)の 木末(こぬれ)が上(うへ)は 未(いま)だ靜(しづ)けし

 庶庶天將明 夜烏雖然啼報曉 然在此山上 木末稍端今仍靜 何須匆忙歸太急

佚名 1263

「曉(あかとき)」,明時。寅時天之將曉而仍暗之際,訪妻男子當歸之時。

「夜烏(よがらす)」,五位鷺之別名。夜行性,聲似烏,多於日沒後、夜明前飛翔啼叫。

「此山(このやま)の」,原文「山上」或訓「此山(このをか)の」,此依古訓不讀「上」字。

女性欲挽留將歸男性所詠之曲。『遊仙窟』有「可憎病鵲(あや憎のやもめがらすや),夜半驚人」之語。

1264 【承前,十二第十。】

 西市爾 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨

 西市(にしのいち)に 唯獨出(ただひとりいで)て 目並(めなら)べず 買(か)ひてし絹(きぬ)の 商(あき)じこりかも

 隻身出家門 獨至西市眼不並 未嘗精挑而 不曾細選所購絹 今悔輕率濫商矣

佚名 1264

「西市(にしのいち)」,眾人聚集交易之場是為市。『扶桑略記』大寶三年條云:「是歲,立東西市。」

「目並(めなら)べず」,不作比較。目並者,與許多品物相比,挑選最好者。

「商(あき)じこり」,未詳。蓋有誤算之意,未精挑細選,買得不良品而後悔。

蓋為暗指後悔輕率結婚,不得良緣之譬喻歌。

1265 【承前,十二十一。】

 今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間亂者 誰取見

 今年行(ことしゆ)く 新嶋守(にひしまもり)が 麻衣(あさごろも) 肩紕(かたのまよひ)は 誰(たれ)か取見(とりみ)む

 今年將赴任 新就嶋守防人矣 其所著麻衣 肩上紕縷服弊者 誰人取見繕其裳

佚名 1259

「新嶋守(にひしまもり)」,新派遣防人島守蓋與防人意同。奉為防衛筑紫及壹岐、對馬,自諸軍團中選拔兵士,任期三年交替。

「紕(まよひ)」,編織品磨損破損之狀。

「誰(たれ)か取見(とりみ)む」,取見乃照顧之意。

旁人見招集難波,即將派遣防人,同情之作。

1266 【承前,十二十二。】

 大舟乎 荒海爾榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母

 大船(おほぶね)を 荒海(あるみ)に漕出(こぎい)で 彌船操(やふねた)け 我(わ)が見(み)し兒等(こら)が 目見(まみ)は著(しる)しも

 身乘大船中 榜出荒海蹈滄溟 彌操船遠去 然吾所見兒倩影 歷歷在目更難忘

佚名 1266

「や船操(ふねた)け」,「や」與「彌(いや)」同,更為。「操(た)け」乃「操(た)く」之已然形

「目見(まみ)は著(しる)しも」,「目見(まみ)」乃眼神之表情。表示雖然出船遠去,但佳人倩影仍繚繞心絃。


1267 就所發思 【旋頭歌。】

 百師木乃 大宮人之 踏跡所 奧浪 來不依有勢婆 不失有麻思乎

 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の 踏(ふ)みし跡所(あとどころ) 沖波(おきつなみ) 來寄(きよ)らずありせば 失(う)せざら益(まし)を

 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 昔日遊樂之所踏 足印跡所者 若以沖浪不曾寄 或得不失今仍在

佚名 1267

 右十七首,古歌集出。

「就所發思」,「就」乃「至」、「赴」之意。

「踏(ふ)みし跡所(あとどころ)」,此跡乃足跡。或指住吉等文武帝難波行幸時王臣造訪之海濱景勝。

「右十七首」,1251以下17首。

1268 【承前。】

 兒等手乎 卷向山者 常在常 過徃人爾 徃卷目八方

 子等(こら)が手(て)を 卷向山(まきむくやま)は 常(つね)に在(あ)れど 過(す)ぎにし人(ひと)に 行卷(ゆきま)かめやも

 兒等之手兮 纏向之地卷向山 此山雖常在 然憶過往已故人 可去相寢手枕哉

柿本人麻呂 1268

「子等(こら)が手(て)を」,卷向之枕詞

「過(す)ぎにし人(ひと)に」,對去世者之隱諱、敬避表現

「行卷(ゆきま)かめやも」,(作者)前往尋得故人,交纏手枕。詠世間無常之曲。



1269 【承前。】

 卷向之 山邊響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者

 卷向(まきむく)の 山邊響(やまへとよ)みて 行水(ゆくみづ)の 水沫如(みなわのごと)し 世人我等(よひとわれら)は

 大和纏向地 卷向山邊所響徹 川流逝水之 須臾水沫之所如 世人我等無常

柿本人麻呂 1269

 右二首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「卷向(まきむく)の 山邊響(やまへとよ)みて 行水(ゆくみづ)の」,流經於穴師山一帶,激流鳴響之卷向川。

1270 寄物發思

 隱口乃 泊麈兄鈎亜‐鳩郤圈 ̄鱗牋捫瓠/庸珪鑢

 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)に 照月(てるつき)は 滿闕(みちか)けしけり 人常無(ひとのつねな)き

 盆底隱國兮 長谷泊鷸劃詐紂〃空照月者 如其陰晴有盈闕 人亦虛渺復無常

佚名 1270

 右一首,古歌集出。

「寄物發思」,類於寄物陳思,藉由事物抒發己思。

「滿闕(みちか)けしけり」,原文「盈吳為焉(吳字口為日字。)」『千字文』有「日月盈昃」。焉乃強意助詞

「人常無(ひとのつねな)き」,連體終止。其上或省略「世間道理(うべそ)」云云。

1271 行路

 遠有而 雲居爾所見 妹家爾 早將至 步邏

 遠(とほ)く在(あり)て 雲居(くもゐ)に見(み)ゆる 妹(いも)が家(いへ)に 早(はや)く至(いた)らむ 步(あゆ)め邏(くろこま)

 久方遠在而 雲居彼端之所見 親親吾妻家 吾欲速至不容緩 汝當疾驅邏鞨

柿本人麻呂 1271

 右一首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「行路」,道路。『儀制令』行路條云:「凡行路巷術,賤避貴,少避老,輕避重。 」『令集解』云:「行路,道路是也。」

「遠(とほ)く在(あり)て」,3441東歌云:「真遠(まとほ)くの」,左注云「『人麻呂歌集』有『遠(とほ)くして』」者,蓋指此曲。

1272 旋頭歌 【廿四第一。】

 劍後 鞘納野 葛引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母

 大刀後(たちのしり) 鞘(さや)に入野(いりの)に 葛引(くずひ)く我妹(わぎも) 真袖以(まそでも)ち 著(き)せてむとかも 夏草刈(なつくさか)るも

 大刀直劍後 太刀納鞘入野間 曳葛愛妻吾妹矣 蓋欲以兩袖 織作葛衣令吾著 今刈夏草除雜蓬

柿本人麻呂 1272

旋頭歌」,以五七七、五七七句所構成之歌。萬葉集中共有六十二首,其中卅首採自人麻呂歌集

「大刀後(たちのしり) 鞘(さや)に入野(いりの)に」,鞘字以前為帶出入野之序。入野所在未詳,或云平安西京大原野上町,而或為一般名詞,泛指深入山奧之平原

「葛引(くずひ)く」,葛之纖維可作為葛布之材料

「真袖以(まそでも)ち」,真袖只左右雙袖,引申為兩首之意。『日葡辭書』云:「真袖,兩袖。詩歌語。」又人在曳葛之際,或不直接用手,而以袖纏之而取。

「夏草刈(なつくさか)るも」,蓋夏草礙於採收葛莖,故先除之。

1273 【承前,廿四第二。】

 住吉 波豆麻公之 馬乘衣 雜豆臈 漢女乎座而 縫衣敘

 住吉(すみのえ)の 波豆麻君(はづまのきみ)が 馬乘衣(うまのりころも) 囀(さひづ)らふ 漢女(あやめ)を据(す)ゑて 縫(ぬ)へる衣(ころも)ぞ

 墨江住吉之 波豆麻軍之所著 馭駒乘馬衣者矣 言語雜囀兮 漢女織匠招來而 所縫織成此衣也

柿本人麻呂 1273

住吉(すみのえ)の 波豆麻君(はづまのきみ)が」,波豆麻乃男子人名正倉院文書有「栗田忌寸波豆麻」云云。

「囀(さひづ)らふ」,漢女之枕詞。異國人之語,不識其意,聽若鳥囀。

「漢女(あやめ)」,來自中、韓之女性,善於織機、染色、裁縫等技藝而被招來之泊來者集團。亦為菖蒲語源

1274 【承前,廿四第三。】

 住吉 出見濱 柴莫苅曾尼 未通女等 赤裳下 閏將徃見

 住吉(すみのえ)の 出見濱(いでみのはま)の 柴莫刈(しばなか)りそね 娘子等(をとめら)が 赤裳裾(あかものすそ)の 濡(ぬ)れて行(ゆ)かむ見(み)む

 墨江住吉之 出見之濱柴茂生 還願莫輙刈此柴 娘子迴濱邊 赤裳之裾水濡狀 吾欲窺之覓柴後

柿本人麻呂 1274

「柴莫刈(しばなか)りそね」,「な...そね」為禁止語法。蓋為與樵夫相語之趣。欲隱身柴叢之中,窺見女郎之姿。

「赤裳裾(あかものすそ)の 濡(ぬ)れて行(ゆ)かむ見(み)む」,古以女性身著赤裳,脫引長裾為艷色之徵。

1275 【承前,廿四第四。】

 住吉 小田苅為子 賤鴨無 奴雖在 妹御為 私田苅

 住吉(すみのえ)の 小田(をだ)を刈(か)らす兒(こ) 奴(やつこ)かも無(な)き 奴在(やつこあ)れど 妹(いも)が御為(みため)と 私田刈(わたくしだか)る

 墨江住吉之 小田之間為苅子 汝蓋無奴私刈哉 吾非無奴矣 奴隸雖在吾不使 躬刈私田為吾妻

柿本人麻呂 1275

小田(をだ)を刈(か)らす兒(こ)」,此兒指年輕男子

「奴(やつこ)かも無(な)き」,奴指奴隸,隸屬於個人家中提供勞動者,當時被視作財產之一。此句以前蓋女子戲問男子,何以躬自子下田

「妹(いも)が御為(みため)と」,妹者蓋為第二人稱。

「私田刈(わたくしだか)る」,私田乃私有田。按『令集解』,位田、賜田、口分田、墾田等乃私田,乘田等乃公田。

sherrysherry 2017/01/01 09:52 新年明けましておめでとうございます

ことしもよろしくお願いします

kuonkizunakuonkizuna 2017/01/01 12:22 明けましておめでとう御座います!
出張は上手くいきましたのでしょうか?

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2016-12-15-木

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万葉集試訳

1236 【承前,九十七六。】

 夢耳 繼而所見乍 竹嶋之 越礒波之 敷布所念

 夢(いめ)のみに 繼(つ)ぎて見(み)えつつ 竹島(たかしま)の 礒越(いそこ)す浪(なみ)の 頻頻思(しくしくおも)ほゆ

 唯有在夢中 繼而所見長相望 其如竹嶋之 越礒寄浪無止時 頻頻所念繫心絃

佚名 1236

「繼(つ)ぎて見(み)えつつ 竹島(たかしま)の」,所見者乃戀人之形影。竹島或云近江高島高島,或云尾張知多郡篠島

「頻頻(しくしく)」,頻繁之狀。1729有「頻(しき)てし思ほゆ」云云。

1237 【承前,九十七七。】

 靜母 岸者波者 緣家留香 此屋通 聞乍居者

 靜(しづ)けくも 岸(きし)には浪(なみ)は 寄(よ)せけるか 茲屋通(これのやとほ)し 聞(き)きつつ居(を)れば

 嗚咽聲輕靜 濱邊波濤緣岸來 目雖不得見 豎耳傾聽便可察 越茲屋棟聲可聞

佚名 1237

「寄(よ)せけるか」,「か」乃詠嘆句法。

「茲屋通(これのやとほ)し」,現場指示連體形用法。穿過此屋隱約可聞波音云云。

1238 【承前,九十七八。】

 竹嶋乃 阿戶白波者 動友 吾家思 五百入鉇染

 高島(たかしま)の 安曇白浪(あどしらなみ)は 騷(さわ)けども 我(われ)は家思(いへおも)ふ 廬悲(いほりかな)しみ

 近江竹嶋之 安曇之川白浪者 波音雖喧鬧 然我孤寂愁思家 悲於草枕廬異地

佚名 1238

安曇白浪(あどしらなみ)」,近江高島安曇川之白浪。類歌1690有「阿度川波」云云。

1239 【承前,九十七九。】

 大海之 礒本由須理 立波之 將依念有 濱之淨奚久

 大海(おほきうみ)の 礒本搖(いそもとゆ)すり 立浪(たつなみ)の 寄(よ)せむと思(おも)へる 濱清(はまのきよ)けく

 滄溟大海原 鼓盪礒本振礁渤 所濤駭浪者 思將寄岸依濱去 以此沙岸濱清清

佚名 1239

「礒本(いそもと)」,水邊礁岩之根底。此礒與末句平穩之清濱相對。

「濱清(はまのきよ)けく」,く終結語法。

類歌1201。


1240 【承前,九十七十。】

 珠匣 見諸戶山矣 行之鹿齒 面白四手 古昔所念

 玉櫛笥(たまくしげ) 三諸戶山(みもろとやま)を 行(ゆ)きしかば 面白(おもしろ)くして 古思(いにしへおも)ほゆ

 珠篋玉櫛笥 三諸戶山神奈備 行往見之者 風光明媚景宜人 不覺偲古念昔事

佚名 1240

「玉櫛笥(たまくしげ)」,以「見(み)む」關連而為「三諸」「三室」之枕詞

「三諸戶山(みもろとやま)」,三諸乃神所降臨、憑依之山。戶字有「所」之意。三諸戶山以大和三輪山神奈備山最負盛名,而繻『出雲風土記』之神名火山等,類名散見於各地。

1241 【承前,九十八一。】

 邏滅掘仝趣山乎 朝越而 山下露爾 沾來鴨

 烏玉(ぬばたま)の 鉐山(くろかみやま)を 朝越(あさこ)えて 山下露(やましたつゆ)に 濡(ぬ)れにけるかも

 漆遽╋滅掘^埜墨染鉐山 今朝來越而 衣為山下露霑襟 漬之濡來裳未乾

佚名 1241

「鉐山(くろかみやま)」,所在未詳。雖有奈良北端佐保山鉐奈保町一帶,而攷其錄羈旅歌中,或為日光岡山等處之鉐山。


1242 【承前,九十八二。】

 足引之 山行暮 宿借者 妹立待而 宿將借鴨

 足引(あしひき)の 山行暮(やまゆきぐ)らし 宿借(やどか)らば 妹立待(いもたちま)ちて 宿貸(やどか)さむかも

 足曳勢險峻 步行山中日將暮 欲得借宿者 佳人立待出門迎 可否貸宿棲此哉

佚名 1242

「山行暮(やまゆきぐ)らし」,步巡山路之間,而夕陽西斜。

「宿借(やどか)らば」,向人借宿。「宿(やど)」多指民家,與旅泊之「宿(やどり)」有別。此外,「宿(やど)」之ど為甲類而「宿(やどり)」之ど為乙類。


1243 【承前,九十八三。】

 視渡者 近里迴乎 田本欲 今衣吾來 禮巾振之野爾

 見渡(みわた)せば 近里迴(ちかきさとみ)を 俳迴(たもとほ)り 今(いま)そ我(わ)が來(く)る 領巾振(ひれふ)りし野(の)に

 放眼視渡者 去此里迴路不遙 然以總徘迴 迂迴至今吾復來 昔日領巾振之野

佚名 1243

「里迴(さとみ)」,人里周邊。

「俳迴(たもとほ)り」,迂迴繞路之狀。

「領巾振(ひれふ)りし野(の)に」,領巾本為咒具之籌,而漸化作飾品。作者憶及故往離別之際,女方揮振領巾惜別之情。

1244 【承前,九十八四。】

 未通女等之 放髮乎 木綿山 雲莫蒙 家當將見

 娘子等(をとめら)が 放(はな)りの髮(かみ)を 木綿山(ゆふのやま) 雲莫棚引(くもなたなび)き 家邊見(いへのあたりみ)む

 佳人娘子等 所放垂髮將為結 木綿山頂上 還願浮雲莫蒙蔽 以吾遙欲見家鄉

佚名 1244

娘子等(をとめら)が 放(はな)りの髮(かみ)を」,借由「結(ゆ)ふ」引出地名「木綿山(ゆふのやま)」之序。「放(はな)りの髮(かみ)」,垂髮。當時女子自八歲至十四、五歲,不結髮而垂之。

1245 【承前,九十八五。】

 四可能白水郎乃 釣船之紼 不堪 情念而 出而來家里

 志賀海人(しかのあま)の 釣舟綱(つりぶねのつな) 堪難(あへかて)に 心(こころ)に思(おも)ひて 出(いで)て來(き)にけり

 志賀白水郎 釣舟舳綱之所如 不堪隱忍久 心懷情念無所堰 出行來兮欲相逢

佚名 1245

「釣舟綱(つりぶねのつな)」,舳綱、艫綱、錨綱、舫綱,備於舟船之綱索之疇。原文「紼」字,『玉篇』云:「索也。」此云船綱久歷年月、波風之傷,而過其耐用之限。用以引出下句「堪難に」之序。

「堪難(あへかて)に」,難以忍耐、抵抗。

「出(いで)て來(き)にけり」,出奔來會思戀之人。

1246 【承前,九十八六。】

 之加乃白水郎之 燒鹽煙 風乎疾 立者不上 山爾輕引

 志賀海人(しかのあま)の 鹽燒(しほや)く煙(けぶり) 風(かぜ)を疾(いた)み 立(た)ちは上(のぼ)らず 山(やま)に棚引(たなび)く

 志賀白水郎 燒鹽之際所成煙 以風疾且勁 不直湧上通天去 棚引山間久繚繞

佚名 1246

 右件歌者,古集中出。

「鹽燒(しほや)く煙(けぶり)」,志賀島以燒製海鹽聞名。0278亦云「志賀海女は 海布刈り鹽燒き 暇無み 櫛笥小櫛 取りも見無くに」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0278

「山(やま)に棚引(たなび)く」,志賀島北部勝馬地區外,全島近乎皆為山地

「右件歌」,未詳何歌以降,或右七首藤原卿作之後卅六曲乎。

「古集」,或為書名。亦見於1771左注。或與89、1267、1270、1938、2367所謂歌集同。



1247 【承前,九十八七。】

 大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉

 大汝(おほなみち) 少御神(すくなみかみ)の 作(つく)らしし 妹背山(いもせのやま)を 見(み)らくし良(よ)しも

 大穴牟遲神 少彥名神相與共 攜手所造之 妹背之山誠秀麗 見之心曠復神怡

柿本人麻呂 1247

「大汝(おほなみち) 少御神(すくなみかみ)の」,大國主命與少彥名命。大穴道乃大國主別名之一,亦有大穴牟遲、大己貴等名。少彥名與大國主共造天下,萬葉集多引二神以為物事起源之例。

1248 【承前,九十八八。】

 吾妹子 見偲 奧藻 花開在 我告與

 我妹子(わぎもこ)と 見(み)つつ偲(しの)はむ 沖藻(おきつも)の 花咲(はなさ)きたらば 我(われ)に告(つ)げこそ

 視如吾妹子 觀翫偲慕憶佳人 沖津勿告藻 若其花開綻放者 務必相告令吾知

柿本人麻呂 1248

「我妹子(わぎもこ)と 見(み)つつ偲(しの)はむ」,此句「と」自表視作、作為之用。或說云「與共」。

「沖藻(おきつも)の」,所指未詳,考1279與本歌莫句,蓋云勿告藻乎。

「我(われ)に告(つ)げこそ」,こそ表冀求。呼籲海人生活於海畔者,若見沖藻花開,務必告知。作者以沖藻看作其愛妻之形影。

1249 【承前,九十八九。】

 君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉

 君(きみ)が為(ため) 浮沼池(うきぬのいけ)の 菱摘(ひしつ)むと 我(わ)が染(そ)めし袖(そで) 濡(ぬ)れにけるかも

 為君至浮沼 摘採池中菱實歸 取菱浮沼池 吾所染袖為沾濕 漬濡更滲隨袖上

柿本人麻呂 1249

「浮沼池(うきぬのいけ)」,所在未詳。「浮(うき)」有泥之意,浮沼或為泛指泥沼之普遍名詞。『拾遺和歌集』4-893有「葦根は、ふうきは上こそ」云云,『節用集』云「浮奴池,石州。」或出雲大田三瓶山西南麓浮布池。

「菱」,水棲菱科一年草,果實可食用

類歌1839。


1250 【承前九十九十。】

 妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮

 妹(いも)が為(ため) 菅實摘(すがのみつ)みに 行(ゆ)きし我(われ) 山道(やまぢ)に惑(まと)ひ 此日暮(このひく)らしつ

 欲為吾妻妹 摘取菅實為土毛 所出行吾者 惑於山路失其道 不覺日暮夕陽斜

柿本人麻呂 1250

 右四首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「菅實(すがのみ)」,すが乃すげ之交替形。


1251 問答 【四首第一,詠鳥。】

 佐保河爾 鳴成智鳥 何師鴨 川原乎思努比 益河上

 佐保川(さほがは)に 鳴(な)くなる千鳥(ちどり) 何(なに)しかも 川原(かはら)を偲(しの)ひ 彌川上(いやかはのぼ)る

 佐保川之上 齊聲爭鳴千鳥矣 何以如此許 偲慕川原翫其景 彌彌隨河趨川上

佚名 1251

「問答」,雙人唱和對答形式之作,或雖一人而模此情景而作。

「鳴(な)くなる千鳥(ちどり)」,此為呼籲(千鳥)。なる為傳聞推定

「何(なに)しかも」,詢問動機、原因之疑問副詞

「彌川上(いやかはのぼ)る」,「彌」乃更甚、愈愈。往川之上游奔馳。

1252 【承前,四首第二,詠鳥。】

 人社者 意保爾毛言目 我幾許 師努布川原乎 標緒勿謹

 人(ひと)こそば 凡(おほ)にも言(い)はめ 我(わ)が幾許(ここだ) 偲(しの)ふ川原(かはら)を 標結(しめゆ)ふ勿努(なゆめ)

 汝云鳥偲川 吾度人者更愛之 凡為靈長者 我戀川原慕幾許 切莫標結佔自賞

佚名 1252

 右二首,詠鳥。

「人(ひと)こそば」,相對於鳥,人方是...云云。此以千鳥比喻來訪之男子,人則暗指他人。前曲蓋為女方雙親所問,本歌乃男子答覆。

「凡(おほ)にも言(い)はめ」,凡指平凡、普遍

「標結(しめゆ)ふ勿努(なゆめ)」,切莫獨佔、據為己有。

1253 【承前,四首第三,詠白水郎。】

 神樂浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潛者莫為 浪雖不立

 樂浪(ささなみ)の 志賀海人(しがつのあま)は 我無(あれな)しに 潛(かづ)きは莫為(なせ)そ 浪立(なみた)たずとも

 神樂碎浪之 志賀津之海人矣 當吾不在時 還願莫妄為沉潛 縱令風平浪不起

佚名 1253

志賀津(しがつ)」,大津北部之船泊處。

海人比喻所愛女子,期望在自己不在時不要輕易外出。


1254 【承前,四首第四,詠白水郎。】

 大船爾 梶之母有奈牟 君無爾 潛為八方 波雖不起

 大船(おほぶね)に 楫(かぢ)しもあらなむ 君無(きみな)しに 潛(かづ)きせめやも 波立(なみた)たずとも

 若其大船間 梶楫備具或可為 然君不在時 豈妄沉潛蹈滄溟 縱令風平浪不起

佚名 1254

 右二首,詠白水郎。

「楫(かぢ)しもあらなむ」,なむ乃希求助詞,多指與事實相反之意趣。

「波立(なみた)たずとも」,復唱前曲。

本歌,蓋比喻期望男方能給與如結婚、同居等愛情之保證所言。

1255 臨時 【十二第一。】

 月草爾 衣曾染流 君之為 深色衣 將摺跡念而

 月草(つきくさ)に 衣(ころも)そ染(そ)むる 君(きみ)が為(ため) 深色衣(ふかいろごろも) 摺(す)らむと思(おも)ひて

 手取月露草 摺染衣裳上墨藍 思欲為吾君 摺製深濃綵色衣 沁染此衣込吾念

佚名 1255

臨時」,臨時興感所作

「月草(つきくさ)に」,露草。夏秋之季開藍色花朵,可用於摺染衣料,然有亦褪色之弊。

「深色衣(ふかいろごろも)」,或本原文作「綵色衣」而訓いろどりごろも,此按元曆校本。

1256 【承前,十二第二。】

 春霞 井上從直爾 道者雖有 君爾將相登 他迴來毛

 春霞(はるかすみ) 井上(ゐのうへ)ゆ直(ただ)に 道(みち)は有(あ)れど 君(きみ)に逢(あ)はむと 徘迴來(たもとほりく)も

 春霞所居兮 井上直通道雖有 然欲與君逢 迴避不欲他人知 不辭道遠徘迴來

佚名 1256

「春霞(はるかすみ)」,以春霞所「居(ゐ,一時停滯)」,而為「井(ゐ)」之枕詞

井上(ゐのうへ)」,汲水場旁。

「徘迴來(たもとほりく)も」,迴避人目刻意繞遠路之意。

1257 【承前,十二第三。】

 道邊之 草深由利乃 花咲爾 咲之柄二 妻常可云也

 道邊(みちのへ)の 草深百合(くさぶかゆり)の 花笑(はなゑ)みに 笑(ゑ)みしがからに 妻(つま)と言(い)ふべしや

 道邊茂草深 叢間百合花開咲 吾別無此意 唯稍一笑若花綻 何以君云為妻也哉

佚名 1257

「草深百合(くさぶかゆり)の」,於草木深處所綻放之百合。或為初夏時節,綻放淡紅花朵之笹百合

「花笑(はなゑ)みに 笑(ゑ)みしがからに」,笑顏綻放如花,主語女性作者。

「妻(つま)と言(い)ふべしや」,不過投以微笑,就自作多情,想稱人為妻者,豈為洽當?非難對方言動之表現

對將自身微笑誤解作好意男性投以否定之回答。

1258 【承前,十二第四。】

 默然不有跡 事之名種爾 云言乎 聞知良久波 苛者有來

 默有(もだあ)らじと 言慰(ことのなぐさ)に 言事(いふこと)を 聞知(ききし)れらくは 辛(から)くはありけり

 汝不欲默然 擇言酌字以為慰 雖聞此言事 然以悉知汝真意 不覺心酸由衷來

佚名 1258

「默有(もだあ)らじと」,不宜沉默。

「言慰(ことのなぐさ)に」,安慰對方,不傷害對方、令對方冷靜之發言。

「聞知(ききし)れらくは」,聽聞對方言語,而察覺字裏行間真意

「辛(から)くはありけり」,殘酷、辛酸、苛痛。

1259 【承前,十二第五。】

 佐伯山 于花以之 哀我 手鴛取而者 花散鞆

 佐伯山(さへきやま) 卯花持(うのはなも)ちし 愛(かな)しきが 手(て)をし取(と)りてば 花(はな)は散(ち)るとも

 佐伯山花盛 所持山間卯花之 愛憐娘子矣 若得執子攜汝手 縱令散華無所惜

佚名 1259

佐伯山(さへきやま)」,所在未詳。或云安藝國佐伯郡之山。

「卯花持(うのはなも)ちし」,卯花乃「卯月之花」,雪下顆落葉低木。初夏時分,開五瓣白花。

「愛(かな)しきが」,「愛(かな)しき」乃「愛しき人」之略。が表所有格。

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万葉集試訳

1212 【承前,九十五二。】

 足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還來萬代

 足代過(あてす)ぎて 絲鹿山(いとかのやま)の 櫻花(さくらばな) 散(ち)らずもあらなむ 歸來(かへりく)る迄(まで)

 今既過足代 到來絲鹿之山矣 妍哉櫻花者 願汝長盛莫早零 待吾歸來還欲賞

佚名 1212

「足代過(あてす)ぎて 絲鹿山(いとかのやま)の」,此句或云作者經足代到於絲鹿山(いとかのやま),或如『播磨風土記』以「到(いた)る」修飾「伊刀(いと)島」。

「散(ち)らずもあらなむ」,原文「不散在南」訓「散(ち)らずあらなむ」亦可,但考「明けずもあらなむ」、「鳴かずもあらなむ」等例而添も字與表希求之なむ相呼應。

1213 【承前,九十五三。】

 名草山 事西在來 吾戀 千重一重 名草目名

 名草山(なぐさやま) 言(こと)にしありけり 我(あ)が戀(こ)ふる 千重一重(ちへのひとへ)も 慰(なぐ)さめ無(な)くに

 所謂名草山 有名無實徒空聲 吾之所戀苦 縱令千重之一重 莫能得慰解其憂

佚名 1213

「言(こと)にしありけり」,名草山與慰藉同音,卻無以解作者千重憂慕之一絲。

1214 【承前,九十五四。】

 安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生爾家里

 足代(あて)へ行(ゆ)く 小為手山(をすてのやま)の 真木葉(まきのは)も 久(ひさ)しく見(み)ねば 蘿生(こけむ)しにけり

 一徃足代去 熊野小為手之山 真木之葉矣 以其久別不見者 蘿生其上更蒼鬱

佚名 1214

「足代(あて)へ行(ゆ)く」,原文「安太」訓「あて」,稍顯獨特。

「小為手山(をすてのやま)」,所在未詳。或在紀伊海草郡熊野街道一帶。

「蘿生(こけむ)しにけり」,蓋附生針葉植物之猿尾枷之疇。

1215 【承前,九十五五。】

 玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何

 玉津島(たまつしま) 良(よ)く見(み)て坐(いま)せ 青丹吉(あをによ)し 奈良(なら)なる人(ひと)の 待問(まちと)はば如何(いか)に

 汝當詳以觀 細翫和歌津島 青丹良且秀 奈良平城所居人 待問其景當何如

佚名 1215

「良(よ)く見(み)て坐(いま)せ」,「良く」表仔細、詳實。「坐(いま)す」乃「行く」之敬語

「待問(まちと)はば如何(いか)に」,其下省略「答へたまはむ」。若留待平城京人問起當第情景,當如何回答。

和歌浦當地之人對來自平城京旅人所呼籲之語。

1216 【承前,九十五六。】

 鹽滿者 如何將為跡香 方便海之 神我手渡 海部未通女等

 潮滿(しほみ)たば 如何(いか)に為(せ)むとか 海神(わたつみ)の 神(かみ)が手渡(てわた)る 海人娘子等(あまをとめども)

 潮滿水漲者 其當如何將為哉 滄溟海神之 神威海峽今將渡 手弱海人娘子

佚名 1216

海神(わたつみ)の」,原文「方便海」之「方便」乃佛語,表濟渡眾生之手段。『萬葉集』有「渡津海」、「綿津海」等表線。或訓わたつうみ。

「神(かみ)が手(て)」,「が」字含有敬畏之表現。「手(て)」有「道」之意,指海峽等容易發生海難之危險水域


1217 【承前,九十五七。】

 玉津嶋 見之善雲 吾無 京徃而 戀幕思者

 玉津島(たまつしま) 見(み)てし良(よ)けくも 我(あれ)は無(な)し 都(みやこ)に行(ゆ)きて 戀(こ)ひまく思(おも)へば

 和歌津島 人觀美景心舒暢 然吾有憂思 唯恐其后往京師 難忘其景更惆悵

佚名 1217

「見(み)てし良(よ)けくも」,「し」表強調。「良(よ)けく」乃「良(よ)し」之く句法。在讚美玉津島風光之同時,想道將來歸京後思念而不得見之,反生惆悵。

1218 【承前,九十五八。】

 邉軫騎ぁ々斑違經 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜

 邉躋(くろうしのうみ) 紅匂(くれなゐにほ)ふ 百礒(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)し 漁(あさり)すらしも

 紀伊邉躋ぁ\作丹紅耀赤輝 百敷宮闈間 八十伴緒大宮人 漁於濱邊所致乎

藤原房前 1218

 以下,依錯簡,當為「藤原卿作」歌。

「邉躋(くろうしのうみ)」,以七音節置五音句者,蓋因單母音う字相疊之故。

「紅匂(くれなゐにほ)ふ」,閃耀紅色光輝。

大宮人(おほみやひと)」,仕宮之人,此含紅裳之宮女。

「漁(あさり)すらしも」,此云從幸關人遊興濱邊採漁干狩之狀。

1219 【承前,九十五九。】

 若浦爾 白浪立而 奧風 寒暮者 山跡之所念

 若浦(わかのうら)に 白波立(しらなみた)ちて 沖風(おきつかぜ) 寒夕(さむきゆふ)は 大和(やまと)し思(おも)ほゆ

 若浦和歌浦 白浪濤天駭波湧 沖瀛風吹拂 天寒夕暮闇晚間 所念故鄉慕大和

藤原房前 1219

「寒夕(さむきゆふ)は 大和(やまと)し思(おも)ほゆ」,此與文武天皇慶雲三年難波行幸時志貴皇子所作歌0064之下句同。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m01.htm#0064

1220 【承前,九十六十。】

 為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通

 妹(いも)が為(ため) 玉(たま)を拾(ひり)ふと 紀伊國(きのくに)の 湯羅岬(ゆらのみさき)に 此日暮(このひく)らしつ

 一心吾妻 欲拾珠玉為土毛 麻裳紀伊國 由良之崎湯羅岬 終日流連至暮時

藤原房前 1220

「玉(たま)を拾(ひり)ふと」,「拾(ひり)ふ」乃「拾(ひろ)ふ」之古形。

1221 【承前,九十六一。】

 吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀來之心 未飽九二

 我(わ)が船(ふね)の 梶(かぢ)は莫引(なひ)きそ 大和(やまと)より 戀來(こひこ)し心(こころ) 未飽(いまだあ)か無(な)くに

 噫呼吾船矣 莫引梶楫榜太急 吾自大和而 遠慕此地風光來 其心未飽意未盡

藤原房前 1221

「梶(かぢ)は莫引(なひ)きそ」,「梶(かぢ)を引(ひ)く」乃盡力划船之狀。「莫(な)...そ」為禁止語法。

本曲以呼籲船頭莫划船太速之趣。

1222 【承前,九十六二。】

 玉津嶋 雖見不飽 何為而 裹持將去 不見人之為

 玉津島(たまつしま) 見(み)れども飽(あ)かず 如何(いか)にして 包持行(つつみもちゆ)かむ 見(み)ぬ人(ひと)の為(ため)

 和歌津島 見之幾度不厭飽 當如何而為 可將裹持攜行去 奉為未得見之者

藤原房前 1222

 右,藤原卿作。未審年月。

「包持行(つつみもちゆ)かむ」,為贈送物品而以藁、菰、布之類包裹。玉津島與玉關連,故云乎。

「見(み)ぬ人(ひと)の為(ため)」,為了未能見得該地美景者。

1223 【承前,九十六三。】

 綿之底 奧己具舟乎 於邊將因 風毛吹額 波不立而

 海底(わたのそこ) 沖漕(おきこ)ぐ船(ふね)を 邊(へ)に寄(よ)せむ 風(かぜ)も吹(ふ)かぬか 波立(なみた)てずして

 海底深奧處 榜自沖瀛所漕船 將寄於邊岸 何以風者亦不吹 浪靜不得順風助

佚名 1223

「海底(わたのそこ)」,沖之枕詞。沖有深海之底與遠洋之外等意。

「風(かぜ)も吹(ふ)かぬか」,ぬか表希求

1224 【承前,九十六四。】

 大葉山 霞蒙 狹夜深而 吾船將泊 停不知文

 大葉山(おほばやま) 霞棚引(かすみたなび)き 小夜更(さよふ)けて 我(わ)が船泊(ふねは)てむ 泊(とま)り知(し)らずも

 近江大葉山 深埋雲霞瀰漫間 昏昏夜已深 吾船將泊以寄岸 其湊不知何所依

佚名 1224

大葉山(おほばやま)」,所在未詳。按疑其重出之1732,與詠近江尾崎之1733共稱碁師歌二首,則此曲蓋亦近江國之作。

「霞棚引(かすみたなび)き」,航行水上,依山形辨位,卻因雲霞遮山,不知方位。

1225 【承前,九十六五。】

 狹夜深而 夜中乃方爾 欝之苦 呼之舟人 泊兼鴨

 小夜更(さよふ)けて 夜中潟(よなかのかた)に 欝(おほほ)しく 呼(よ)びし船人(ふなびと) 泊(は)てにけむかも

 小夜既已深 漆遽╋面訝羈磧彷彿迷茫間 闇中相喚船人等 將泊其船在何湊

佚名 1225

「夜中潟(よなかのかた)に」,深夜中之沙洲。

「欝(おほほ)しく」,迷濛之狀,若有似無。

1226 【承前,九十六六。】

 神前 荒石毛不所見 浪立奴 從何處將行 與奇道者無荷

 三輪崎(みわのさき) 荒磯(ありそ)も見(み)えず 波立(なみた)ちぬ 何處(いづく)ゆ行(ゆ)かむ 避道(よきぢ)は無(な)しに

 神前三輪崎 駭浪濤天蔽荒礒 險象令人畏 然愁當從何處行 苦無避道迂迴路

佚名 1226

三輪崎(みわのさき)」,所在未詳。或云與0265「三輪崎狹野渡」同,則紀伊熊野新宮三輪崎一帶。

「荒磯(ありそ)」,海象險惡之礁岸。

「避道(よきぢ)」,用以避險之迂迴路徑。

1227 【承前,九十六七。】

 礒立 奧邊乎見者 海藻苅舟 海人榜出良之 鴨翔所見

 礒(いそ)に立(た)ち 沖邊(おきへ)を見(み)れば 海布刈舟(めかりぶね) 海人漕出(あまこぎづ)らし 鴨翔(かもか)ける見(み)ゆ

 立身礒岸上 望見沖邊奧津者 可見苅藻舟 海人出航榜船去 更見翔鴨劃大空

佚名 1227

「海布刈舟(めかりぶね)」,上代「海布(め)」字同近代「若布(わかめ)」。食用藻類之總稱。

「鴨(かも)」,棲息河海、湖沼冬鳥・真鴨。除風浪險惡之時,多半飛至沖合處浮海漂蕩。

1228 【承前,九十六八。】

 風早之 三穗乃浦迴乎 榜舟之 船人動 浪立良下

 風早(かざはや)の 三穗浦迴(みほのうらみ)を 漕船(こぐふね)の 舟人騷(ふなびとさわ)く 波立(なみた)つらしも

 疾風吹猛勁 三穂姬嶋浦迴間 浮海榜舟之 船人騷動不得痢ヽ言風浪將湧至

佚名 1228

風早(かざはや)の」,以三穗一帶疾風激烈,遂以之為修飾語。0434有「風早の 美穂浦迴の」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0434

「舟人騷(ふなびとさわ)く」,非但發出聲響,亦顯動作慌忙。

1229 【承前,九十六九。】

 吾舟者 明石之湖爾 榜泊牟 奧方莫放 狹夜深去來

 我(わ)が船(ふね)は 明石水門(あかしのみと)に 漕泊(こぎは)てむ 沖(おき)へ莫離(なさか)り 小夜更(さよふ)けにけり

 噫呼吾舟者 明石水門湖湊間 願得榜泊矣 莫離邊岸往瀛去 小夜深去近三更

佚名 1229

明石水門(あかしのみと)に」,0274有類歌,該處作比良湊。水門乃河口之意,多作船著場之用。

「沖(おき)へ莫離(なさか)り」,希望靠岸而莫往遠洋而去。呼籲槳手之詞。

1230 【承前,九十七十。】

 千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壯鹿之須賣神

 千早振(ちはやぶ)る 金岬(かねのみさき)を 過(す)ぎぬとも 我(われ)は忘(わす)れじ 志賀皇神(しかのすめかみ)

 千早振稜威 金岬天險今雖過 吾不忘險象 恩謝志賀海神社 國神加護旅順

佚名 1230

千早振(ちはやぶ)る」,神之枕詞,而此作(海象)荒爆殘忍之狀解。

「過(す)ぎぬとも」,雖然已過天險金岬,往後仍鮨製。

「我(われ)は忘(わす)」,感謝志賀島志賀海神社海神,並求今後航海安平

志賀皇神(しかのすめかみ)」,皇神於此指國土之地主神

「金岬(かねのみさき)」或云「鐘岬(かねのみさき)」,見沈鐘伝説https://kotobank.jp/word/%E6%B2%88%E9%90%98%E4%BC%9D%E8%AA%AC-1369073

1231 【承前,九十七一。】

 天霧相 日方吹羅之 水莖之 岡水門爾 波立渡

 天霧(あまぎ)らひ 日方吹(ひかたふ)くらし 水莖(みづくき)の 岡水門(をかのみなと)に 波立渡(なみたちわた)る

 天霧空瀰漫 日方之風今拂矣 水莖瑞城兮 岡之水門港湊處 浪湧一面渡海行

佚名 1231

「天霧(あまぎ)らひ」,「霧らふ」乃表霧氣瀰漫之「霧る」之繼續態。

「日方吹(ひかたふ)くらし」,風向之名,或云東南風,或云西南風。底本頭書:「日方,范兼云巽風也,清輔云坤風也。」今日遠賀川河口云東風日向

「水莖(みづくき)の」,岡、水城枕詞。語意未詳,似有瑞木、瑞城之說。http://kasagemonogatari.seesaa.net/article/225796947.html

1232 【承前,九十七二。】

 大海之 波者畏 然有十方 神乎齋祀而 船出為者如何

 大海(おほきうみ)の 波(なみ)は恐(かしこ)し 然(しか)れども 神(かみ)を祈(いの)りて 船出(ふなで)せば如何(いか)に

 滄溟大海原 駭浪濤天令人畏 雖然如此者 齋祀神祇求冥貺 其後出船者如何

佚名 1232

「神(かみ)を祈(いの)りて」,原文「神乎齋祀而」或訓「神(かみ)を齋(いは)ひて」,而對神多用祈字。其神只海神

1233 【承前,九十七三。】

 未通女等之 織機上乎 真櫛用 搔上栲嶋 波間從所見

 娘子等(をとめら)が 織(お)る機上(はたのうへ)を 真櫛以(まくしも)ち 搔上(かか)げ栲島(たくしま) 波間(なみのま)ゆ見(み)ゆ

 處女娘子等 編織妙絹織機上 持真櫛梳理 搔上栲兮栲島矣 其自波間今可見

佚名 1233

「真櫛以(まくしも)ち 搔上(かか)げ」,「搔上(かか)げ」乃「搔上(かきあ)げ」之略。編織之時,以櫛將亂緒梳理而栲整之。用以為「栲島(たくしま)」之序。

1234 【承前,九十七四。】

 鹽早三 礒迴荷居者 入潮為 海人鳥屋見濫 多比由久和禮乎

 潮速(しほはや)み 磯迴(いそみ)に居(を)れば 潛(かづ)きする 海人(あま)とや見(み)らむ 旅行(たびゆ)く我(われ)を

 海潮疾且速 吾居磯迴望之者 他人之所見 蓋思潛水海人哉 寔是行旅吾是也

佚名 1234

「潛(かづ)きする」,潛水採集貝類之狀。

海人(あま)とや見(み)らむ」,近於1187「海人(あま)とか見(み)らむ」,而可見『萬葉集』後期「か」字漸為「や」字取代之遷變。

1235 【承前,九十七五。】

 浪高之 奈何梶執 水鳥之 浮宿也應為 猶哉可榜

 波高(なみたか)し 奈何(いか)に梶取(かぢと)り 水鳥(みづとり)の 浮寢(うきね)やすべき 猶(なほ)や漕(こ)ぐべき

 浪高海象險 執梶之人當奈何 應如水鳥之 浮宿海上隨波蕩 或應尚榜趨岸哉

佚名 1235

「奈何(いか)に梶取(かぢと)り」,「奈何(いか)に」為直問對方之感動詞

「浮寢(うきね)やすべき」,乘船不靠岸而漂泊水上。此見浪高,不知留駐海上較佳,或急划至岸較佳,而問於船手。

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万葉集試訳

1176 【承前,九十十六。】

 夏麻引 海上滷乃 奧洲爾 鳥者簀竹跡 君者音文不為

 夏麻引(なつそび)く 海上潟(うなかみがた)の 沖渚(おきつす)に 鳥(とり)は集(すだ)けど 君(きみ)は音(おと)も為(せ)ず

 夏麻根引兮 下總海上潟之間 沖瀛洲渚上 鳥者相集喧鼎沸 君卻杳然無音信

佚名 1176

「夏麻引(なつそび)く」,地名海上」、「宇奈比」與名詞「命」之枕詞。以抽絲織麻為言。

「鳥(とり)は集(すだ)けど」,「集(すだ)く」乃鳥類多集之狀,更有一齊發鳴之喻。於此與末句戀人音信杳然對照。

此與至第三句為止與3348同。


1177 【承前,九十十七。】

 若狹在 三方之海之 濱清美 伊徃變良比 見跡不飽可聞

 若狹(わかさ)なる 三方海(みかたのうみ)の 濱清(はまきよ)み い行歸(ゆきかへ)らひ 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 北陸若狹坐 三方五湖之海矣 以彼濱清淨 徃歸再三反復見 觀翫幾度不飽厭

佚名 1177

三方海(みかたのうみ)」,若狹國三方郡三方五湖,或云五湖最南端三方湖,或云若狹灣沿岸

「い行歸(ゆきかへ)らひ」,「い行歸(ゆきかへ)る」之持續形,反復之意。

1178 【承前,九十十八。】

 印南野者 徃過奴良之 天傳 日笠浦 波立見【一云,思賀麻江者,許藝須疑奴良思。】

 印南野(いなみの)は 行過(ゆきす)ぎぬらし 天傳(あまづた)ふ 日笠浦(ひかさのうら)に 波立(なみた)てり見(み)ゆ【一云(またにいふ)、飾磨江(しかまえ)は、漕過(こぎす)ぎぬらし。】

 播磨印南野 既已徃過行去哉 渡空天傳兮 日笠之浦濤駭浪 洶湧之狀眼可見【一云,飾磨之江者,既已榜過漕去哉。】

佚名 1178

「天傳(あまづた)ふ」,用以修飾地名「日笠」中「日」字之枕詞

「日笠浦(ひかさのうら)」,播磨國日笠山南方海岸。較飾磨河口稍東。

本歌乃沿海路陸路西行之曲,而一云乃沿海路東行之作。


1179 【承前,九十十九。】

 家爾之弖 吾者將戀名 印南野乃 淺茅之上爾 照之月夜乎

 家(いへ)にして 我(あれ)は戀(こ)ひむな 印南野(いなみの)の 淺茅(あさぢ)が上(うへ)に 照(て)りし月夜(つくよ)を

 待吾歸故里 吾居家中將戀哉 播磨印南野 照臨淺茅原之上 晶瑩月夜誠難忘

佚名 1179

「淺茅(あさぢ)」,矮茅,稻科多年草

賞月翌朝,歸家之間所作。蓋神龜三年從幸印南所作。按『萬葉集』題詞,九月十五日出發,則到印南野蓋為十八日,月齡與曲有異。而按『續日本紀』則十月七日出發,十日著,十九日還幸難波宮,合於此歌之作。


1180 【承前,九十二十。】

 荒礒超 浪乎恐見 淡路嶋 不見哉將過去 幾許近乎

 荒磯越(ありそこ)す 波(なみ)を畏(かしこ)み 淡路島(あはぢしま) 見(み)ずか過(す)ぎなむ 幾許近(ここだちか)きを

 駭浪越荒磯 以恐其浪震滔天 未見淡路嶋 急趨輙過令人惜 分明相去未幾許

佚名 1180

「見(み)ずか過(す)ぎなむ」,此「見(み)る」非指遙望,而意指渡海至該處觀望。

「幾許近(ここだちか)きを」,此云相去甚近,確無緣翫賞之歎。

1181 【承前,九十廿一。】

 朝霞 不止輕引 龍田山 船出將為日 吾將戀香聞

 朝霞(あさかすみ) 止(や)まず棚引(たなび)く 龍田山(たつたやま) 舟出(ふなで)しなむ日(ひ) 我戀(あれこ)ひむ哉(かも)

 朝霞層湧出 棚引頂上無息日 大和龍田山 待至乘船將出日 吾當眷戀難捨哉

佚名 1181

「舟出(ふなで)しなむ日(ひ)」,原文諸本作「船出將為日者」,此按元曆校本刪者字。

1182 【承前,九十廿二。】

 海人小船 帆毳張流登 見左右荷 鞆之浦迴二 浪立有所見

 海人小舟(あまをぶね) 帆(ほ)かも張(は)れると 見(み)る迄(まで)に 鞆浦迴(とものうらみ)に 波立(なみた)てり見(み)ゆ

 海人白水郎 小舟揚帆之所如 見彼張一面 鞆之浦迴岸濱邊 濤天浪湧今可見

佚名 1182

「帆(ほ)かも張(は)れると」,上代之船雖有如遣唐使船般設有布帆者,然以竹編網代帆者占多數。又當時以船楫划水行進者,遠多於借風行進之帆船

本曲云高浪之形類於船帆。

1183 【承前,九十廿三。】

 好去而 亦還見六 大夫乃 手二卷持在 鞆之浦迴乎

 真幸(まさき)くて 亦還見(またかへりみ)む 大夫(ますらを)の 手(て)に卷持(まきも)てる 鞆浦迴(とものうらみ)を

 好去好來矣 願軍無恙再還見 人云大夫之 壯士之手所纏持 鞆之浦迴景奇勝

佚名 1183

「真幸(まさき)くて」,祈求對方平安無恙,原文「好去」多見於書翰之疇。

大夫(ますらを)の 手(て)に卷持(まきも)てる」,引出地名鞆浦之序。

「鞆(とも)」,射箭之際,纏於左手內側之革製防具,用以避免弦傷皮膚、釧傷於弦等。亦有借其所發之聲響威嚇敵方之效果。


1184 【承前,九十廿四。】

 鳥自物 海二浮居而 奧浪 驂乎聞者 數悲哭

 鳥(とり)じ物(もの) 海(うみ)に浮居(うきゐ)て 沖波(おきつなみ) 騷(さわ)くを聞(き)けば 數多悲(あまたかな)しも

 非鳥而似鳥 浮居海上載浮沉 今聞沖瀛浪 潮騷之聲繞耳樑 傷悲不絕從衷來

佚名 1184

「鳥(とり)じ物(もの)」,明明非鳥,卻貌如鳥般。此鳥乃指鴨等水鳥之類。

「海(うみ)に浮居(うきゐ)て」,乘船泊於水上

1185 【承前,九十廿五。】

 朝菜寸二 真梶榜出而 見乍來之 三津松原 浪越似所見

 朝凪(あさなぎ)に 真楫漕出(まかぢこぎで)て 見(み)つつ來(こ)し 三津松原(みつのまつばら) 波越(なみご)しに見(み)ゆ

 朝凪風靜時 貫以真楫榜出而 望見漕來之 難波御津松原 今越浪上遙可見

佚名 1185

「真楫漕出(まかぢこぎで)て」,使用船身兩側所有船槳全力划船。

「見(み)つつ來(こ)し」,出船之時,水手為與目標直近,將背對目標,選定與目標相反方向之標的,望之而划水。

三津松原(みつのまつばら)」,出發之時以為背向標的之難波三津,現今歸程之際復得越浪而見,難掩無恙歸港之喜。


1186 【承前,九十廿六。】

 朝入為流 海未通女等之 袖通 沾西衣 雖干跡不乾

 漁(あさり)する 海人娘子等(あまをとめら)が 袖通(そでとほ)り 濡(ぬ)れにし衣(ころも) 干(ほ)せど乾(かわ)かず

 討海漁獵之 海人娘子少女等 霑衣通袖濕 所濡衣衫每水漬 縱雖干之總不乾

佚名 1186

「漁(あさり)する」,海人潛水採集貝類

「干(ほ)せど乾(かわ)かず」,「干(ほ)す」表焚火烘烤,欲令衣物乾燥旅人同情海女生活之作。

1187 【承前,九十廿七。】

 網引為 海子哉見 飽浦 清荒礒 見來吾

 網引(あびき)する 海人(あま)とか見(み)らむ 飽浦(あくのうら)の 清荒磯(きよきありそ)を 見(み)に來(こ)し我(われ)を

 他人之所見 蓋思曳網海人哉 所以在此者 來見飽浦清荒磯 翫景駐足吾是也

佚名 1187

 右一首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「網引(あびき)」,「網引(あみびき)」之略。蓋以拖曳網捕魚之類。

海人(あま)とか見(み)らむ」,看在他人眼中,蓋被視作海人哉。當時以為肉體勞動者較為卑微,而作者寔為公家官人。原文「海子」不見於漢籍,屬和製漢語

1188 【承前,九十廿八。】

 山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾來 含而有待

 山越(やまこ)えて 遠津濱(とほつのはま)の 岩躑躅(いはつつじ) 我(わ)が來(く)る迄(まで)に 含(ふふ)みて在待(ありま)て

 翻山越嶺兮 遠津之濱岩躑躅 岩躑躅也者 直至吾來再臨間 願仍含苞待我還

佚名 1188

山越(やまこ)えて」,地名「遠津」之枕詞。採越山遠行之意。

「遠津濱(とほつのはま)」,所在未詳。

「岩躑躅(いはつつじ)」,石躑躅、羊躑躅。自生山野,或植於庭園之長冂稾據2嵜淡紫。

「含(ふふ)みて在待(ありま)て」,「含み」之本意乃含於口中不嚥下,而此作花朵含苞待放解。「在(あり)」表狀態持續。

1189 【承前,九十廿九。】

 大海爾 荒莫吹 四長鳥 居名之湖爾 舟泊左右手

 大海(おほきうみ)に 嵐莫吹(あらしなふ)きそ 息長鳥(しながどり) 豬名湊(ゐなのみなと)に 舟泊(ふねは)つる迄(まで)

 滄溟大海間 還願狂嵐莫拂矣 相率息長鳥 直至船著豬名湊 吾泊此舟駐岸邊

藤原房前 1189

「息長鳥(しながどり)」,修飾地名「豬名」之枕詞

1190 【承前九十三十。】

 舟盡 可志振立而 廬利為 名子江乃濱邊 過不勝鳧

 船泊(ふねは)てて 枷振立(かしふりた)てて 廬為(いほりせ)む 名子江濱邊(なごえのはま)へ 過克(すぎかて)ぬかも

 泊船駐岸留 振立枷杭繫綱停 假廬宿於此 名子之江美濱邊 不得輙過欲流連

藤原房前 1190

「枷振立(かしふりた)てて」,「枷(かし)」乃用以繫留船舶之杭。多用對水有腐蝕耐性之松製成。「振立(ふりた)て」乃為將杭深差土沙之中,搖動振盪之狀。

「廬為(いほりせ)む」,廬自本意權作小屋居之,此為乘船泊於水上

「過克(すぎかて)ぬかも」,無法不顧美景逕自通過不駐足。

1191 【承前,九十卅一。】

 妹門 出入乃河之 鸞見 吾馬爪衝 家思良下

 妹(いも)が門(かど) 出入川(いでいりのかは)の (せ)を速(はや)み 我(あ)が馬躓(うまつまづ)く 家思(いへおも)ふらしも

 親親吾妻門 出入之川湍鶺沺{馬躓不前 蓋是家人念吾歸 掛心不願吾行遠

藤原房前 1191

「妹(いも)が門(かど) 出入川(いでいりのかは)の」,或云「妹が門」為「出入川」之枕詞,或云「妹が門出」為「入川」之枕詞。皆未詳所在

「家思(いへおも)ふらしも」,此「家」指家人,留居家中之妻子。古俗以為,羈旅之間,乘馬躓步者,乃家人擔心己身之兆。

1192 【承前,九十卅二。】

 白栲爾 丹保布信土之 山川爾 吾馬難 家戀良下

 白栲(しろたへ)に 匂(にほ)ふ真土(まつち)の 山川(やまがは)に 我(あ)が馬滯(うまなづ)む 家戀(いへこ)ふらしも

 白栲之所如 含光真土山川間 乘馬滯不前 蓋是家人慕吾歸 掛心不願吾行遠

藤原房前 1192

「白栲(しろたへ)に 匂(にほ)ふ」,「匂(にほ)ふ」乃顏色發散之貌,本指赤色而此處指白光。

「我(あ)が馬滯(うまなづ)む」,「滯(なづ)む」為難涉之意。

1193 【承前,九十卅三。】

 勢能山爾 直向 妹之山 事聽屋毛 打橋渡

 背山(せのやま)に 直(ただ)に向(むか)へる 妹山(いものやま) 事許(ことゆる)せやも 打橋渡(うちはしわた)す

 蓋與勢能山 兄背之山直向之 妻妹之山者 許事聽聞所諾乎 今渡打橋船岡山

藤原房前 1193

「事許(ことゆる)せやも」,許諾、聽聞、皆授對方(兄背山)所言。

「打橋渡(うちはしわた)す」,打橋乃容易拆卸之簡易搭設之橋。古代訪妻制,女方皆受男方求愛,則設打橋方便越渡。

按「紀伊国桛田荘絵図」,妹山、兄山相隔紀伊川,而川中之島船岡山居其間。作者蓋以打橋擬船岡山而作此歌。

http://houraisan.com/?p=129

1194 【承前,九十卅四。】

 木國之 狹日鹿乃浦爾 出見者 海人之燎火 浪間從所見

 紀伊國(きのくに)の 雜賀浦(さひかのうら)に 出見(いでみ)れば 海人燈火(あまのともしび) 波間(なみのま)ゆ見(み)ゆ

 麻裳良且秀 紀伊之國雜賀浦 出行遙望者 海人所燎燈火等 自於浪間可觀見

藤原房前 1194

海人燈火(あまのともしび)」,海人夜漁之際,燎篝火以引魚、烏賊之類。

此歌或當置於1222「玉津島 見れども飽かず」之後。

1195 【承前,九十卅五。】

 麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹

 麻衣(あさごろも) 著(き)れば懷(なつ)かし 紀伊國(きのくに)の 妹背山(いもせのやま)に 麻蒔(あさま)く我妹(わぎも)

 吾著麻衣者 不覺興感難捨離 麻裳良且秀 紀伊國間妹背山 蒔播麻種吾妹

藤原房前 1195

 右七首者,藤原卿作。未審年月。

麻衣(あさごろも) 著(け)れば懷(なつ)かし」、「著(け)り」乃「著(き)あり」之略。「懷(なつ)かし」,表心為所繫,難以分捨。以細微之事為由,搭訕未知女性

「麻(あさ)」,桑科一年艸。四月上旬蒔種,八月中旬收穫。

「右七首者,藤原卿作。」,以本卷有亂丁故,右七首或指1218~1222, 1194, 195,未詳。藤原卿蓋指不比等之子,武智麻呂、房前、宇合、麻呂,而多作房前。本卷多取佚名之曲,如此左注實屬異例。


1196 【承前,九十卅六。】

 欲得裹登 乞者令取 貝拾 吾乎沾莫 奧津白浪

 裹(つと)もがと 乞(こ)はば取(と)らせむ 貝拾(かひひり)ふ 我(われ)を濡(ぬ)らす莫(な) 沖白波(おきつしらなみ)

 欲裹為土毛 若人乞者則令取 屈身拾貝矣 還冀莫濡漬我濕 沖津白浪聽我訴

佚名 1196

「裹(つと)もがと」,「裹(つと)」表伴手禮,「もが」表希求,原文「欲得」乃意訓。

「取(と)らせむ」,連體格,當遣。


1197 【承前,九十卅七。】

 手取之 柄二忘跡 礒人之曰師 戀忘貝 言二師有來

 手(て)に取(と)るが からに忘(わす)ると 海人言(あまのい)ひし 戀忘貝(こひわすれがひ) 言(こと)にしありけり

 俗諺手稍取 便可解憂忘戀苦 海人所謂 戀忘貝者似虛名 空有其聲卻無實

佚名 1197

「手(て)に取(と)るが からに忘(わす)ると」,「からに」表細微原因而招致重大結果。稍稍如何,便如此。

「言(こと)にしありけり」,有名無實。人稱手取戀忘貝,即可解憂,而作者仍難釋戀苦,遂以忿言。

1198 【承前,九十卅八。】

 求食為跡 礒二住鶴 曉去者 濱風寒彌 自妻喚毛

 漁(あさり)すと 礒(いそ)に棲鶴(すむたづ) 明(あ)けされば 濱風寒(はまかぜさむ)み 己妻呼(おのづまよ)ぶも

 求餌將為漁 棲於岩岸礒間鶴 每逢日曉時 以其濱風沁骨寒 難耐寂寥喚己妻

佚名 1198

「漁(あさり)すと」,鳥類獵食魚貝類之為言。

「礒(いそ)に棲鶴(すむたづ)」,此云為求食而暫居岩礒之鶴。礒與濱相對。

「明(あ)けされば」,此處「明(あ)け」乃名詞用法

1199 【承前,九十卅九。】

 藻苅舟 奧榜來良之 妹之嶋 形見之浦爾 鶴翔所見

 藻刈(もか)り舟(ぶね) 沖漕來(おきこぎく)らし 妹(いも)が島(しま) 形見浦(かたみのうら)に 鶴翔(たづか)ける見(み)ゆ

 海人苅藻舟 蓋已榜來至沖瀛 加太妹嶋上 形見之浦濱邊間 翔鶴騰空今可見

佚名 1199

「藻刈(もか)り舟(ぶね)」,採集海藻之船。

「妹(いも)が島(しま)」,所在未詳。蓋紀伊西北加太沖合友島。

形見浦(かたみのうら)」,所在未詳。蓋紀伊西北加太海岸

1200 【承前,九十四十。】

 吾舟者 從奧莫離 向舟 片待香光 從浦榜將會

 我(わ)が舟(ふね)は 沖(おき)ゆ莫離(なさか)り 迎舟(むかへぶね) 片待難(かたまちがて)り 浦(うら)ゆ漕逢(こぎあ)はむ

 扁扁吾舟者 莫經沖瀛離岸遠 濱邊迎向舟 枯等久待誠難耐 欲榜至浦期相會

佚名 1200

「沖(おき)ゆ莫離(なさか)り」,一般「ゆ」字表出發點、經由點,而本歌之趣,更似「沖(おき)へ莫離(なさか)り」。作經由點勉強可解。

「迎舟(むかへぶね)」,出航以迎接他人之舟。此謂替作者之來訪接風之船。

「片待難(かたまちがて)り」,無法一再枯等。

1201 【承前,九十卌一。】

 大海之 水底豊三 立浪之 將依思有 礒之清左

 大海(おほきうみ)の 水底響(みなそことよ)み 立波(たつなみ)の 寄(よ)せむと思(おも)へる 礒清(いそのさや)けさ

 滄溟大海原 水底鼓盪響洶湧 所濤駭浪者 思將寄岸依濱去 以此岩岸礒清清

佚名 1201

「水底響(みなそことよ)み」,水底激烈搖盪,發出鳴響。『日本書紀神代上有「素戔嗚尊昇天之時,溟渤以之鼓盪,山岳為之鳴呴。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki01.htm#sk01_06

「立波(たつなみ)の 寄(よ)せむと思(おも)へる」,主語為立波。此云駭浪有情,欲依岸而擊之。

1239有類歌。

1202 【承前,九十卌二。】

 自荒礒毛 益而思哉 玉之裏 離小嶋 夢所見

 荒礒(ありそ)ゆも (ま)して思(おも)へや 玉浦(たまのうら) 離(はな)れ小島(こしま)の 夢(いめ)にし見(み)ゆる

 荒礒景雖美 蓋吾思有更勝耶 命緒玉之浦 離岸小島繫心絃 常時幽夜現夢田

佚名 1202

「荒礒(ありそ)ゆも (ま)して思(おも)へや」,荒礒之景雖美,而或有更吸引自身事物哉。「ゆ」表比較基準。「思へや」乃疑問條件法。

「玉浦(たまのうら) 離(はな)れ小島(こしま)」,或為紀伊東牟婁郡那智勝浦男部細長入海沖合處之立石白石兩礁岩。未詳。

1203 【承前,九十卌三。】

 礒上爾 爪木折燒 為汝等 吾潛來之 奧津白玉

 礒上(いそのうへ)に 爪木折焚(つまぎをりた)き 汝(な)が為(ため)と 我(わ)が潛來(かづきこ)し 沖白玉(おきつしらたま)

 身居荒磯上 折燒爪木取身暖 吾奉為汝而 潛下滄溟所拾來 奧津深邃白玉

佚名 1203

「爪木折焚(つまぎをりた)き」,海人焚燒木片以取暖。

「我(わ)が潛來(かづきこ)し」,此云潛水採集水中之物歸來。

1204 【承前,九十卌四。】

 濱清美 礒爾吾居者 見者 白水郎可將見 釣不為爾

 濱清(はまきよ)み 礒(いそ)に我(わ)が居(を)れば 見人(みむひと)は 海人(あま)とか見(み)らむ 釣(つ)りも為無(せな)くに

 以彼濱清美 吾人駐足在礒間 他人見我者 將疑吾作海人乎 分明非漁不為釣

佚名 1204

「濱清(はまきよ)み 礒(いそ)に我(わ)が居(を)れば」,此云作者經過灣奧之濱而來至礒邊,然心繫濱清之美景而駐足於此。

「見人(みむひと)は」,假定用法,若為人所觀見者。

1205 【承前,九十卌五。】

 奧津梶 漸漸志夫乎 欲見 吾為里乃 隱久惜毛

 沖梶(おきつかぢ) 漸漸(やくやく)しぶを 見(み)まく欲(ほ)り 我(あ)がする里(さと)の 隱(かく)らく惜(をし)も

 船航至沖瀛 梶楫漸緩漸轉弱 還欲望長久 吾所思里繫方寸 隱於眼前令人惜

佚名 1205

「沖梶(おきつかぢ)」,航至沖邊之舟梶。

「漸漸(やくやく)しぶを」,「志夫」意未詳,或說為「忍(隱)」,亦有誤字等說,須待後考。

「見(み)まく欲(ほ)り」,「欲り」乃思欲。「見(み)まく」乃「見(み)む」之く句法。


1206 【承前,九十卌六。】

 奧津波 部都藻纏持 依來十方 君爾益有 玉將緣八方【一云,沖津浪,邊浪布敷,緣來登母。】

 沖波(おきつなみ) 邊藻卷持(へつもまきも)ち 寄來(よせく)とも 君(きみ)に優(まさ)れる 玉寄(たまよ)せめやも【一云(またにいふ)、沖波(おきつなみ)、邊波頻頻(へなみしくしく)、寄來(よせく)とも。】

 遠瀛沖津波 卷持邊藻攜之至 依濱寄岸來 雖其持藻緣此地 豈攜美玉勝吾君【一云,遠瀛沖津浪,卷持邊藻頻頻至,依濱寄岸來。】

佚名 1206

「邊藻卷持(へつもまきも)ち」,此云海浪自遠洋,捲起近岸海藻而緣來,猶如攜藻來訪。

「君(きみ)に優(まさ)れる 玉寄(たまよ)せめやも」,此云所愛之人遠勝一切美玉。

1207 【承前,九十卌七。】

 粟嶋爾 許枳將渡等 思鞆 赤石門浪 未佐和

 粟島(あはしま)に 漕渡(こぎわた)らむと 思(おも)へども 明石門浪(あかしのとなみ) 今(いま)だ騷(さわ)けり

 心向指粟島 雖欲榜渡去彼地 可惜不逢時 明石戶濤駭浪 至今仍騷未止息

佚名 1207

 右件,歌者古集中出。【次續一二二三。】

明石門浪(あかしのとなみ)」,明石海峽之浪。自明石東行須藉退潮,而西行須藉漲潮。若逢逆潮,唯有待其時利。

此曲後當接1223。

1208 【承前,九十卌八。】

 妹爾戀 余越去者 勢能山之 妹爾不戀而 有之乏左

 妹(いも)に戀(こ)ひ 我(わ)が越行(こえゆ)けば 背山(せのやま)の 妹(いも)に戀(こ)ひずて 在(あ)るが羨(とも)しさ

 吾忍相思苦 與妻相離所越去 兄背勢能山 常與妹山相廝守 不惱戀苦令人羨

佚名 1208

「妹(いも)に戀(こ)ひずて」,「戀(こ)ひ」表語所愛分離之相思之情。作者欽羨妹山、背山時常相依,不須惱於分別之苦。

蓋留妻家中,羈旅在外者思妻所作。本歌或本編在1210之次,與1193、1209、1210、1208等講述妹背山之曲相伍。

1209 【承前,九十卌九。】

 人在者 母之最愛子曾 麻毛吉 木川邊之 妹與背山

 人(ひと)ならば 母(はは)が愛子(まなご)そ 麻裳良(あさもよ)し 紀川邊(きのかはのへ)の 妹(いも)と背(せ)の山(やま)

 汝若為人者 當是母之最愛子 麻裳良且秀 紀伊川畔兩相望 妹與兄背此雙山

佚名 1209

「母(はは)が愛子(まなご)そ」,「愛子(まなご)」表最疼愛之孩子。此歌並非將妹背山視作夫妻,乃視為兄妹而論。

「麻裳良(あさもよ)し」,紀伊枕詞。以其為良麻產地與所製之裳聞名。

1210 【承前,九十五十。】

 吾妹子爾 吾戀行者 乏雲 並居鴨 妹與勢能山

 我妹子(わぎもこ)に 我(あ)が戀行(こひゆ)けば 羨(とも)しくも 並居(ならびを)るかも 妹(いも)と背(せ)の山(やま)

 心繫吾愛妻 掛念離情出行者 反觀令人羨 見彼並居長相守 紀伊妹與兄之山

佚名 1210

「我妹子(わぎもこ)に 我(あ)が戀行(こひゆ)けば」,思念留居大和之妻而行旅在外

1211 【承前,九十五一。】

 妹當 今曾吾行 目耳谷 吾耳見乞 事不問侶

 妹(いも)が邊(あた)り 今(いま)そ我(あ)が行(ゆ)く 目(め)のみだに 我(あれ)に見(み)えこそ 言問(ことと)はずとも

 吾今將前去 到來所愛妹之邊 但願能相見 只願有緣能拜眉 無暇言問亦不悔

佚名 1211

「妹(いも)が邊(あた)り 今(いま)そ我(あ)が行(ゆ)く」,實際為行經妹山之作,而刻意比擬行近戀人之邸。

「目(め)のみだに 我(あれ)に見(み)えこそ」,希望至少能瞥見其姿形。

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2016-11-15-火

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万葉集試訳

1152 【承前,廿一十三。】

 梶之音曾 髣髴為鳴 海末通女 奧藻苅爾 舟出為等思母【一云,暮去者,梶之音為奈利。】

 楫音(かぢのおと)そ 彷彿(ほのか)にすなる 海人娘子(あまをとめ) 沖藻刈(おきつもか)りに 舟出(ふなで)すらしも【一云(またにいふ)、夕去(ゆふさ)れば、楫音(かぢのおと)す也(なり)。】

 船楫梶音聲 彷彿之間猶可聞 海人娘子矣 為刈沖藻取海幸 榜船出舟入瀛哉【一云,時值夕暮時,船梶之音猶可聞。】

佚名 1152

彷彿(ほのか)にすなる」,「彷彿(ほのか)」乃表迷濛可見、依稀可聞之副詞。原文「髣髴」乃多用於『昭明文選』之漢語。「す」乃さ變動詞終止形,「なり」表傳聞推定


1153 【承前,廿一十四。】

 住吉之 名兒之濱邊爾 馬立而 玉拾之久 常不所忘

 住吉(すみのえ)の 名兒濱邊(なごのはまへ)に 馬立(うまた)てて 玉拾(たまひり)ひしく 常忘(つねわす)らえず

 墨江住吉之 名兒濱邊駐馬停 下馬而拾玉 其事其景常留心 歷久不忘存所念

佚名 1153

「名兒濱邊(なごのはまへ)」,所在未詳。

馬立(うまた)てて」,下馬而令馬駐足。

1154 【承前,廿一十五。】

 雨者零 借廬者作 何暇爾 吾兒之鹽干爾 玉者將拾

 雨(あめ)は降(ふ)る 假廬(かりほ)は作(つく)る 何時間(いつのま)に 吾兒潮干(あごのしほひ)に 玉(たま)は拾(ひり)はむ

 為避雨零者 權設假廬以宿身 何時之間乎 身居吾兒潮干瀉 屈身拾得玉石來

佚名 1154

「假廬(かりほ)」,「假廬(かりいほ)」之略,羈旅之際,權搭用以避雨之小屋

「吾兒潮干(あごのしほひ)」,所在未詳。蓋與1157「吾兒之海」同。

1155 【承前,廿一十六。】

 奈吳乃海之 朝開之奈凝 今日毛鴨 礒之浦迴爾 亂而將有

 名兒海(なごのうみ)の 朝明餘波(あさけのなごり) 今日(けふ)もかも 磯浦迴(いそのうらみ)に 亂(みだ)れてあるらむ

 住吉名兒海 朝明晨曦餘波者 今日亦如斯 散落磯岸浦迴間 漣漪紊亂盪漾哉

佚名 1155

「餘波(なごり)」,退潮之後,干瀉間低處之積水。或云風過之後仍起之漣漪。此為後者

「亂(みだ)れてあるらむ」,推量用法。此概作者不在難波,而推量其景所作

1156 【承前,廿一十七。】

 住吉之 遠里小野之 真榛以 須禮流衣乃 盛過去

 住吉(すみのえ)の 遠里小野(とほさとをの)の 真榛以(まはりも)ち 摺(す)れる衣(ころも)の 盛過徃(さかりすぎゆ)く

 墨江住吉之 遠里小野真榛生 吾以彼榛實 摺染之裳年華去 已然褪色不復華

佚名 1156

「真榛(まはり)」,蒲木科落葉高木

1157 【承前,廿一十八。】

 時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之鹽爾 玉藻苅奈

 時風(ときつかぜ) 吹(ふ)かまく知(し)らず 吾兒海(あごのうみ)の 朝明潮(あさけのしほ)に 玉藻刈(たまもか)りてな

 不知時風者 何時將拂濤浪至 住吉吾兒海 朝明之際潮乾時 去來採集刈玉藻

佚名 1157

「吹(ふ)かまく知(し)らず」,「吹かまく」乃「吹かむ」之く語法。或許即將吹來。

「潮(しほ)」,此云退潮,適合採集貝類時間

「玉藻刈(たまもか)りてな」,て乃完了助動詞つ之未然形。ま表意志或勸誘。

1158 【承前,廿一十九。】

 住吉之 奧津白浪 風吹者 來依留濱乎 見者淨霜

 住吉(すみのえ)の 沖白波(おきつしらなみ) 風吹(かぜふ)けば 來寄(きよ)する濱(はま)を 見(み)れば清(きよ)しも

 墨江住吉之 遠洋瀛津白浪矣 每逢風吹者 來寄緣岸滌濱邊 見之清淨心澄

佚名 1158

「沖白波(おきつしらなみ)」,第四句「來寄(きよ)する濱(はま)を」之主語

「來寄(きよ)する濱(はま)を」,濱多用來他動詞「寄(きよ)す」。


1159 【承前,廿一二十。】

 住吉之 岸之松根 打曝 緣來浪之 音之清羅

 住吉(すみのえ)の 岸松(きしのまつ)が根(ね) 打曝(うちさら)し 寄來(よせく)る波(なみ)の 音清(おとのさや)けさ

 墨江住吉之 邊岸所生松根矣 欲為濯其根 前後緣來所寄浪 其音爽朗響清清

佚名 1159

「音清(おとのさや)けさ」,原文「音之清羅」或可訓作「音清(おとのきよ)らに」,而「羅」者或與「紗」同,故作「清(さや)けさ」。

1160 【承前,廿一廿一。】

 難波方 鹽干丹立而 見渡者 淡路嶋爾 多豆渡所見

 難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)に立(た)ちて 見渡(みわた)せば 淡路島(あはぢのしま)に 鶴渡(たづわた)る見(み)ゆ

 澪標難波潟 立於乾潮水涸處 放眼望四方 穗之狹別淡路島 渡鶴翔空今可見

佚名 1160

「見渡(みわた)せば」,於遼曠場所眺望之狀。

1161 羈旅作 【九十第一。】

 離家 旅西在者 秋風 寒暮丹 鴈喧度

 家離(いへざか)り 旅(たび)にしあれば 秋風(あきかぜ)の 寒夕(さむきゆふへ)に 雁鳴渡(かりなきわた)る

 離家去故鄉 隻身羈旅在外者 秋風吹瑟瑟 寒景淒涼沁骨凍 飛鴈鳴渡道蕭寂

佚名 1161

「羈旅」,行旅在外,限於五畿外之所詠。「羈」與「寄」同,與「旅」相通

「家離(いへざか)り」,遠離故鄉。

「秋風(あきかぜ)の 寒夕(さむきゆふへ)に」,秋風有「涼」、「寒」等表現。描述秋風寒者,多有配偶死去或與戀人久隔、羈旅思鄉等心境孤獨之情狀。


1162 【承前,九十第二。】

 圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛

 的形(まとかた)の 湊渚鳥(みなとのすどり) 波立(なみた)てや 妻呼立(つまよびた)てて 邊(へ)に近付(ちかづ)くも

 伊勢的形之 湊間洲渚之鳥者 蓋因浪湧哉 高聲呼妻喚佳偶 飛來近岸緣濱邊

佚名 1162

「湊(みなと)」,此處蓋云潟湖之開口處。

「渚鳥(すどり)」,洲中之鳥。

「波立(なみた)てや」,蓋為遠洋浪湧哉,之疑問條件詞。

「妻呼立(つまよびた)てて」,此「妻」字指配偶,非關性別。「立(た)て」有「立(た)たせ」之意。

1163 【承前,九十第三。】

 年魚市方 鹽干家良思 知多乃浦爾 朝榜舟毛 奧爾依所見

 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 知多浦(したのうら)に 朝漕(あさこ)ぐ舟(ふね)も 沖(おき)に寄(よ)る見(み)ゆ

 年魚市潟矣 其今蓋是退潮時 吾見知多浦 朝榜之舟離岸遠 依於沖瀛狀可見

「潮干(しほひ)にけらし」,見眼前知多浦之景,推量遠方伊勢年魚市潟之狀。兩者相去十二公里。

「朝漕(あさこ)ぐ舟(ふね)も」,此處「漕(こ)ぐ」表過去之事例。

1164 【承前,九十第四。】

 鹽干者 共滷爾出 鳴鶴之 音遠放 礒迴為等霜

 潮干(しほふ)れば 共(とも)に潟(かた)に出(い)で 鳴鶴(なくたづ)の 聲遠放(こゑとほざか)る 磯迴(いそみ)すらしも

 每逢退潮時 一同共自潟飛去 鳴鶴聲漸遠 蓋是翱翔離此處 磯迴濱岸覓漁食

佚名 1164

「潮干(しほふ)れば」,「干/乾」於平安期為上一段動詞,而上代則屬上二段活用詞。此概於遠淺之乾鷄喀卍退至遠洋之語。

「磯迴(いそみ)すらしも」,此云鶴尋求魚貝類而遠至沖邊退潮時方現出之磯邊覓食。


1165 【承前,九十第五。】

 暮名寸爾 求食為鶴 鹽滿者 奧浪高三 己妻喚

 夕凪(ゆふなぎ)に 漁(あさり)する鶴(たづ) 潮滿(しほみ)てば 沖波高(おきなみたか)み 己(おの)が妻呼(つまよ)ぶ

 夕暮風平時 將漁求食之鶴矣 當於滿潮者 以其瀛浪湧駭高 鳴喚己妻啼聲響

佚名 1165

「漁(あさり)」,鳥類求餌之狀。

1166 【承前,九十第六。】

 古爾 有監人之 覓乍 衣丹揩牟 真野榛原

 古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)の 求(もと)めつつ 衣(きぬ)に摺(す)りけむ 真野榛原(まののはりはら)

 回顧曩昔時 太古之人所尋覓 欲取榛實而 摺染衣裳渲杉華 長田真野榛原

佚名 1166

「古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)の」,按第五句「真野榛原(まののはりはら)」,或興感於高市鄂揺徂愍Ч臟袈福(0280/0281)

「衣(きぬ)に摺(す)りけむ」,為衣染色之狀。

1167 【承前,九十第七。】

 朝入為等 礒爾吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可將苅

 漁(あさり)すと 礒(いそ)に我(わ)が見(み)し 莫告藻(なのりそ)を 何(いづれ)の島(しま)の 海人(あま)か刈(か)りけむ

 吾欲為漁獵 而於礒上之所見 莫告藻者也 其是海人白水郎 苅於何島集在此

佚名 1167

「漁(あさり)すと」,漁獵,此句主語為人

「莫告藻(なのりそ)を」,此云與作者相愛相契,而面命勿告他人女性

「何(いづれ)の島(しま)の 海人(あま)か刈(か)りけむ」,相誓相愛之女,不知何時為他男所擄。本取,雖錄雜歌,類譬喻歌。

1168 【承前,九十第八。】

 今日毛可母 奧津玉藻者 白浪之 八重折之於丹 亂而將有

 今日(けふ)もかも 沖玉藻(おきつたまも)は 白波(しらなみ)の 八重折(やへを)るが上(うへ)に 亂(みだ)れてあるらむ

 今日亦如斯 沖瀛玉藻漂逐流 白浪捲驚濤 八重波折駭天湧 玉藻為之散紊亂

佚名 1168

今日(けふ)もかも 沖玉藻(おきつたまも)は」,上句有か、や等疑問詞時,主語以が、の為通例,而此作は。

八重折(やへを)るが上(うへ)に」,此句或云波浪近岸曲折之貌。


1169 【承前,九十第九。】

 近江之海 湖者八十 何爾加 公之舟泊 草結兼

 近江海(あふみのうみ) 湊(みなと)は八十(やそ)ち 何方(いづく)にか 君(きみ)が舟泊(ふねは)て 草結(くさむす)びけむ

 淡海近江海 湖湊遍在八十沼 以其湊且眾 不知君舟泊何方 結草假廬宿異地

佚名 1169

「湊(みなと)は八十(やそ)ち」,「湊(みなと)」本意河口,原文「湖」按說文解字則「大波」也,指廣大湖沼而言。「八十(やそ)ち」之ち與「はたち」、「みそち」同,數數添助詞。注入琵琶湖河川,其數百餘。

「草結(くさむす)びけむ」,旅外假宿之表現

1170 【承前,九十第十。】

 佐左浪乃 連庫山爾 雲居者 雨曾零智否 反來吾背

 樂浪(ささなみ)の 連庫山(なみくらやま)に 雲居(くもゐ)れば 雨(あめ)そ降(ふ)るちふ 歸來我(かへりこわ)が背(せ)

 碎波樂浪之 近江淡海連庫山 若逢雲居者 人云雨之將零也 還願速歸吾夫矣

佚名 1170

「雨(あめ)そ降(ふ)るちふ」,「ちふ」乃「と云(い)ふ」之略。以往討水者有以山(俗稱日和山。)雲起居,占卜天氣之昔。


1171 【承前,九十十一。】

 大御舟 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念

 大御船(おほみふね) 泊(は)てて侍(さもら)ふ 高島(たかしま)の 三尾勝野(みをのかつの)の 渚(なぎさ)し思(おも)ほゆ

 乘輿大御船 泊於此地宮人仕 近江高島之 三尾勝野汀渚矣 吾今懷古騁幽思

佚名 1171

「大御船(おほみふね)」,天皇所乘之船。

「泊(は)てて侍(さもら)ふ」,「侍(さもら)ふ」乃奉仕身分高貴者之意。此表恆常事實,故用現在形。然實緬懷近江朝之榮景。

1172 【承前,九十十二。】

 何處可 舟乘為家牟 高嶋之 香取乃浦從 己藝出來船

 何處(いづく)にか 舟乘(ふなの)りしけむ 高島(たかしま)の 香取浦(かとりのうら)ゆ 漕出來(こぎでく)る舟(ふね)

 其自何方湊 乘舟而來榜出哉 近江高島之 香取之浦湖沼間 所榜出來扁舟者

「何處(いづく)にか 舟乘(ふなの)りしけむ」,此云船員自何處乘船,進而划出。

1173 【承前,九十十三。】

 斐太人之 真木流云 爾布乃河 事者雖通 船會不通

 飛驒人(ひだひと)の 真木流(まきなが)すと云(い)ふ 丹生川(にふのかは) 言(こと)は通(かよ)へど 舟(ふね)そ通(かよ)はぬ

 人云飛驒人 巧匠所以流真木 丹生川也者 雖然言語能傳過 無奈舟船不得通

佚名 1173

「飛驒人(ひだひと)」,飛驒國以建築、工藝技術聞名、有飛驒匠之稱。按此曲之文,所述蓋與採伐木材有關。

「言(こと)は通(かよ)へど 舟(ふね)そ通(かよ)はぬ」,此喻雖得借傳言聯絡,實際卻無以晤逢。

本曲以飛驒人之立場,收於羈旅之類,而或為大和丹生地域之民謠。『新千載和歌集』收入戀歌。

1174 【承前,九十十四。】

 霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜將行 戀敷物乎

 霰降(あられふ)り 鹿島崎(かしまのさき)を 波高(なみたか)み 過(す)ぎてや行(ゆ)かむ 戀(こひ)しき物(もの)を

 霰零雹降兮 鹿嶋之崎以浪高 不覺過而行 其觸景勝令人戀 寔欲委細觀翫矣

佚名 1174

「霰降(あられふ)り」,以霰零之音かしまし而為地名鹿島」之枕詞

「過(す)ぎてや行(ゆ)かむ」,「過ぐ」乃通過而不駐足。


1175 【承前,九十十五。】

 足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念

 足柄(あしがら)の 箱根飛越(はこねとびこ)え 行鶴(ゆくたづ)の 羨(とも)しき見(み)れば 大和(やまと)し思(おも)ほゆ

 險路足柄之 箱根嶺上行鶴翔 吾見其姿形 羨彼身輕輙越岑 不覺騁思念大和

佚名 1175

足柄(あしがら)の 箱根飛越(はこねとびこ)え」,鎌倉以前,箱根道以險阻為名,故一般足柄路行之。

「羨(とも)しき」,作者見翔鶴輕越箱根山,感人之所不行而稱羨。

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2016-10-27-木

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万葉集試訳

1116 詠露

 烏玉之 吾鉐爾 落名積 天之露霜 取者消乍

 烏玉(ぬばたま)の 我(わ)が鉐(くろかみ)に 降滯(ふりなづ)む 天露霜(あまのつゆしも) 取(と)れば消(け)につつ

 漆遽╋妄臓仝秧誉偵鉐上 紛紛所降置 斑白天之露霜者 取之乍消融逝矣

佚名 1116

「降滯(ふりなづ)む」,「滯(なづ)む」乃難涉之意,在露霜落地之前遇障礙物而停滯之狀。

「取(と)れば消(け)につつ」,つつ終止形。欲取露霜予親密之人觀看,卻稍縱即逝。

1117 詠花

 嶋迴為等 礒爾見之花 風吹而 波者雖緣 不取不止

 島迴(しまみ)すと 磯(いそ)に見(み)し花(はな) 風吹(かぜふ)きて 波(なみ)は寄(よ)すとも 採(と)らずは止(や)まじ

 嶋迴漁獵時 磯上見花貌姣好 縱雖狂風拂 捲起駭浪波濤來 吾豈堪得不取哉

佚名 1117

「島迴(しまみ)す」,於島嶼周邊獵捕魚貝類

「磯(いそ)に見(み)し花(はな)」,身居磯上所見得之花。蓋指不意見得美人之譬喻。

「採(と)らずは止(や)まじ」,此云為了心儀之女性,不計冒風險而欲將之得手之情。

1118 詠葉

 古爾 有險人母 如吾等架 彌和乃檜原爾 插頭折兼

 古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)も 我(わ)が如(ごと)か 三輪檜原(みわのひはら)に 髻首(かざ)し折(を)りけむ

 遙想過往時 所在故人當何如 蓋如吾等者 身居三輪檜原間 折枝髻首插頭哉

柿本人麻呂 1118

「古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)も」,感懷古時是否有人與自己歷經相同體驗者。

三輪檜原(みわのひはら)」,或云卷向檜原,或云檜原社一帶,則倭笠縫邑之承傳地。

「髻首(かざ)し折(を)りけむ」,「髻首しに折りけむ」之略。

1119 【承前,第二。】

 徃川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之檜原

 行川(ゆくかは)の 過(す)ぎにし人(ひと)の 手折(たを)らねば 衷觸(うらぶ)れ立(た)てり 三輪檜原(みわのひはら)は

 逝水如斯夫 故人以往不復在 無人為手折 故吾孤零佇此地 三輪笠縫檜原

柿本人麻呂 1119

 右二首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「行川(ゆくかは)の」,「過(す)ぐ」之枕詞。典出『論語』「逝者如斯夫,不捨晝夜。」

「過(す)ぎにし人(ひと)の」,故人。對死者之委婉避忌表現。概云過往曾未己折枝之人。

「衷觸(うらぶ)れ立(た)てり」,心中空虛,了無氣力。因故人不在,惟有孤獨寂寞地佇於此地。

1120 詠蘿

 三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰將織 經緯無二

 御吉野(みよしの)の 青根峰(あをねがみね)の 蘿席(こけむしろ) 誰(たれ)か織(お)りけむ 經緯無(たてぬきな)しに

 三芳吉野 青根峰上蘿席茂 苔蘚絨毯者 此是孰人所織乎 既無經緯亦無絲

佚名 1120

「蘿(こけ)」,多指生於椈、栂、樅樹皮上之地衣植物。『萬葉集』多用「苔」、「薜」等字。

「蘿席(こけむしろ)」,以藁、藺草所織之墊。此云山林深處,草木生苔,狀似絨毯。

「經緯無(たてぬきな)しに」,「經緯」別為「縱絲」、「壹」。

1121 詠草

 妹等所 我通路 細竹為酢寸 我通 靡細竹原

 妹等所(いもらがり) 我(わ)が行道(ゆくみち)の 篠芒(しのすすき) 我(われ)し通(かよ)はば 靡(なび)け篠原(しのはら)

 前往吾妻許 我所行道篠原上 細竹芒薄等 當吾路過所通時 還願皆靡此篠原

佚名 1121

「妹等所(いもらがり)」,「所(がり)」乃往某人之許前去之意。「等(ら)」乃接尾詞,非作複數之用。

「我(わ)が行道(ゆくみち)」,「行」字原文作通,『名義抄』有「ゆく」之訓。

「靡(なび)け篠原(しのはら)」靡(なび)乃堙殃辛之意。


1122 詠鳥

 山際爾 渡秋沙乃 行將居 其河鷦ぁ]歌勿湯目

 山際(やまのま)に 渡(わた)る秋沙(あきさ)の 行(ゆ)きて居(ゐ)む 其川(そのかはのせ)に 波立(なみた)つ勿努(なゆめ)

 山際峽會間 越度雁鴨秋沙之 行居所降止 停歇此川麈郡屐ヾ坿衂波切莫起

佚名 1122

「秋沙(あきさ)」,雁鴨科水鳥。

「波立(なみた)つ勿努(なゆめ)」,「勿努(なゆめ)」為伴隨禁止表現之終助詞。本為瞠目威嚇對方,制止其行動之感動詞


1123 【承前,第二。】

 佐保河之 清河原爾 鳴知鳥 河津跡二 忘金都毛

 佐保川(さほがは)の 清川原(きよきかはら)に 鳴千鳥(なくちどり) 蛙(かはづ)と二(ふた)つ 忘兼(わすれか)ねつも

 千鳥齊鳴兮 清佐保川原間 爭啼千鳥與 此起彼落鳴蛙者 雙雙難忘永銘心

佚名 1123

「鳴千鳥(なくちどり)」,千鳥爭鳴乃佐保川代表景色

「蛙(かはづ)」,或書作水雞。

1124 【承前,第三。】

 佐保川爾 小驟千鳥 夜三更而 爾音聞者 宿不難爾

 佐保川(さほがは)に 騷驟(さをど)る千鳥(ちどり) 夜降(よくた)ちて 汝(な)が聲聞(こゑき)けば 寢難(いねかて)なくに

 千鳥齊鳴兮 小驟保川原間 躍步千鳥矣 夜入三更聞汝聲 輾轉難眠不易

佚名 1124

「騷驟(さをど)る」,さ乃接頭語。按『萬象名義』,「驟」乃「疾也、奔野。」形容鳥類雀步奔跑,躍動之狀。

「夜降(よくた)ちて」,夜已過半。原文書作三更。

「寢難(いねかて)なくに」,なくに為文末用法。


1125 思故鄉

 清湍爾 千鳥妻喚 山際爾 霞立良武 甘南備乃里

 清(きよきせ)に 千鳥妻呼(ちどりつまよ)び 山際(やまのま)に 霞立(かすみた)つらむ 神奈備里(かむなびのさと)

 故京清湍間 千鳥喚妻呼鳴啼 吐息化水氣 霞湧彌熳滿山間 飛鳥神奈備之里

佚名 1125

「故鄉」,此云飛鳥舊京。

神奈備里(かむなびのさと)」,此與「神奈備淵」共指飛鳥雷丘周邊之村落。

1126 【承前,第二。】

 年月毛 末經爾 明日香川 湍麝嚇惑掘\仭無

 年月(としつき)も 未經無(いまだへな)くに 明日香川(あすかがは) 齲(せぜ)ゆ渡(わた)しし 石橋(いしばし)も無(な)し

 自遷都以來 未經年月不幾時 明日香川間 用以渡所湍麈掘石橋已逝不復存

佚名 1126

「齲(せぜ)ゆ渡(わた)しし」,於各個湍鷭蠱屐ね儖陛浪惑形石。「ゆ」字表「經由」。

石橋(いしばし)」,至於川間淺麈継檗てО陛浪惑形石。

1127 詠井

 隕田寸津 走井水之 清有者 癈者吾者 去不勝可聞

 落激(おちたぎ)つ 走井水(はしりゐみづ)の 清(きよ)くあれば 置(お)きては我(われ)は 行克(ゆきかて)ぬかも

 落激走水之 激泉湧井洴滂渤 見彼泉清冽 不忍置之擅離去 徒佇此處沉幽思

佚名 1127

「井」,現代井多為人工掘井,而上代山井、走井等則多為圍設湧泉、引堰河水之自然井為主。本文敘述在山中發現自然湧井,難捨離去。

「走井(はしりゐ)」,自山間瀧水、岩間奔出之泉水

「置(お)きては我(われ)は」,「置く」乃放置、無視之意。

1128 【承前,第二。】

 安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨

 馬醉木成(あしびな)す 榮(さか)えし君(きみ)が 掘(ほ)りし井(ゐ)の 石井水(いしゐのみづ)は 飲(の)めど飽(あ)かぬかも

 馬醉木成兮 榮極一時吾君之 穿鑿所掘井 石井之水味甘美 飲之幾度仍不厭

佚名 1128

「馬醉木成(あしびな)す」,榮之枕詞。春時,馬醉木花咲,成白壺狀花房。比喻人之榮華如其花之盛。

石井水(いしゐのみづ)は」,石砌之掘井。古時一般多為板井,唯富人能築石井

1129 詠倭琴

 琴取者 嘆先立 盖毛 琴之下樋爾 嬬哉匿有

 琴取(ことと)れば 嘆(なげ)き先立(さきだ)つ 蓋(けだ)しくも 琴下樋(ことのしたび)に 妻(つま)や隱(こも)れる

 每取和琴者 嘆息先立總唏噓 蓋是琴下樋 槽板龍背箱庭間 玉殞亡妻隱其間

佚名 1129

「蓋(けだ)しくも」,將副詞「蓋し」更為強調之變則語形。該不會。

「下樋(したび)」,本為埋設於地下之木製土管。此則意指和琴槽板(表板)、龍背間之長方形空洞處。

「妻(つま)や隱(こも)れる」,該是將亡妻藏於此處乎?疑問條件之變則形式。

思念亡妻之曲。按記紀神話,古俗以為琴與神靈交會之祭器。或有戀人隨琴音引導而現形之說。

1130 芳野作 【五首第一。】

 神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛

 神(かむ)さぶる 岩根凝(いはねこご)しき 御吉野(みよしの)の 水分山(みくまりやま)を 見(み)れば悲(かな)しも

 神氣發震懾 磐根凝敷嚴聳立 三芳吉野 今見吉野水分山 不覺哀悲從衷來

佚名 1130

「凝(こご)しき」,岩壁聳立嶮峻之狀。

「見(み)れば悲(かな)しも」,觸景催生悲哀憐憫之情。

1131 【承前,五首第二。】

 皆人之 戀三芳野 今日見者 諾母戀來 山川清見

 皆人(みなひと)の 戀(こ)ふる御吉野(みよしの) 今日見(けふみ)れば 宜(うべ)も戀(こ)ひけり 山川清(やまかはきよ)み

 眾人無例外 皆戀三芳吉野 今日得見者 理宜誠然慕戀矣 見彼山清水

佚名 1131

「宜(うべ)も戀(こ)ひけり」,「宜(うべ)」乃理宜如此,理所當然。肯定他人行為副詞

1132 【承前,五首第三。】

 夢乃和太 事西在來 寤毛 見而來物乎 念四念者

 夢浀(いめのわだ) 言(こと)にしありけり 現(うつつ)にも 見(み)て來(け)る物(もの)を 思(おも)ひし思(おも)へば

 夢浀十八灣 嚴名雖峻實不然 今覺寤於現 來而見之何難有 只在心思之所至

佚名 1132

「夢浀(いめのわだ)」,「浀(わだ)」表彎曲水面之地形。

「言(こと)にしありけり」,有名無實。然此歌之趣,非用以責難。

「思(おも)ひし思(おも)へば」,只要真心想作,何難之有。

1133 【承前,五首第四。】

 皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 彌常敷爾 吾反將見

 天皇(すめろき)の 神宮人(かみのみやひと) 冬薯蕷蔓(ところづら) 彌常(いやとこ)しくに 我返見(われかへりみ)む

 皇祖神宗之 累代神之宮人矣 冬薯蕷葛兮 彌常更盛歷永久 吾將返見來再三

佚名 1133

天皇(すめろき)の 神宮人(かみのみやひと)」,奉仕歷代天皇大宮人。此二句與「冬薯蕷蔓(ところづら)」當有關係,未詳而俟後攷。

「冬薯蕷蔓(ところづら)」,山芋多年草。以「とこ」之音引出下句「彌常(いやとこ)」。

1134 【承前,五首第五。】

 能野川 石迹柏等 時齒成 吾者通 萬世左右二

 吉野川(よしのがは) 巖跡柏(いはどかしは)と 常磐成(ときはな)す 我(われ0は通(かよ)はむ 萬代迄(よろづよまで)に

 其猶吉野川 巖跡柏者成常磐 歷久彌不變 吾通此地心不易 直至千世萬代後

佚名 1134

「巖跡柏(いはどかしは)」,未詳。『日葡辭書』云「苔生巖根之上,處處斑白枯涸,於遠處所見之狀。」『八雲御抄』曰「非木石之名。」『節用集』曰「石近,いはとかしは。」

1135 山背作 【五首第一。】

 氏河齒 與杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞

 宇治川(うぢがは)は 淀麑(よどせな)からし 網代人(あじろひと) 舟呼(ふねよ)ばふ聲(こゑ) 彼此聞(をちこちき)こゆ

 菟道宇治川 淺緩淀麑詰矣 杭簀網代人 漁捕冰魚呼舟聲 此起彼落咸可聞

佚名 1135

「淀(よどせ)」,流速緩慢之淺鵝

「無(な)からし」,「無(な)くあるらし」之略。

網代人(あじろひと)」,冬季為補自琵琶湖往下流游移之冰魚,而於河中設逆八字之杭,令下游端狹窄之漁夫。又以宇治川最為有名。

「舟呼(ふねよ)ばふ聲(こゑ)」,日暮之際,向岸邊召舟之聲。

「彼此聞(をちこちき)こゆ」,彼此乃遠方與此方,處處之意。按『帝王編年記』,鎌倉時代禁斷網代之時,宇治橋一代網代業者約有八百人之譜。

1136 【承前,五首第二。】

 氏河爾 生菅藻乎 河早 不取來爾家里 裹為益緒

 宇治川(うぢがは)に 生(お)ふる菅藻(すがも)を 川速(かははや)み 採(と)らず來(き)にけり 裹(つと)にせ益(まし)を

 菟道宇治川 河中所生菅藻者 以其川水速 無奈不採而來矣 本欲裹之為土毛

佚名 1136

「菅藻(すがも)」,按『仙覺抄』,形似菅之食用川藻。或云生息河川水田之間,似菅之蚊帳吊草科痩果。

「裹(つと)」,贈品、土產。與「つつむ」同源,以藁、菰包裹以贈人。

1137 【承前,五首第三。】

 氏人之 譬乃足白 吾在者 今齒與良瓠〔收冑墅塒

 宇治人(うぢひと)の 喻(たとひ)の網代(あじろ) 我(われ)ならば 今(いま)は寄(よ)らまし 木屑來(こつみこ)ずとも

 宇治八十氏 宮人喻諺網代者 吾若在此處 今頃佳人自寄來 何待柘枝逐流至

佚名 1137

「喻(たとひ)の網代(あじろ)」,「喻」者「諺」也。宇治人或云氏人,宮人之謂也。

「今(いま)は寄(よ)らまし 木屑來(こつみこ)ずとも」,原文「今齒王良曾」,多視作「今齒與良瓠彷結臓L擽蓋指『柘枝傳說』,云吉野川漁夫味稻拾得懸梁之柘枝,柘枝遂化美女,與之結為夫婦。而後昇天


1138 【承前,五首第四。】

 氏河乎 船令渡呼跡 雖喚 不所聞有之 楫音毛不為

 宇治川(うぢがは)を 舟渡(ふねわた)せをと 呼(よ)ばへども 聞(き)こえずあらし 楫音(かぢのおと)も為(せ)ず

 菟道宇治川 欲攬扁舟以船渡 雖喚舟不來 蓋是不聞吾召聲 楫音不為無船寄

佚名 1138

宇治川(うぢがは)を」,蓋用以引出第二句之「渡(わた)せ」。

舟渡(ふねわた)せをと 呼(よ)ばへども」,呼喚對岸之船頭。

1139 【承前,五首第五。】

 千早人 氏川浪乎 清可毛 旅去人之 立難為

 千早人(ちはやひと) 宇治川波(うぢがはなみ)を 清(きよ)みかも 旅行人(たびゆくひと)の 立難(たちかて)にする

 千早逸靈威 宇治川水波澄明 以彼水清遏旅行之人翫水清 流連忘返難相去

佚名 1139

千早人(ちはやひと)」,危險、荒烈之意,宇治枕詞。『仁紀』前紀有「千早人 菟道渡に 棹取りに 速けむ人し 我が仲間に來む」之曲。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krr01.htm#11


1140 攝津作 【廿一第一。】

 志長鳥 居名野乎來者 有間山 夕霧立 宿者無而【一本云,豬名乃浦迴乎,榜來者。】

 息長鳥(しながどり) 豬名野(ゐなの)を來(く)れば 有間山(ありまやま) 夕霧立(ゆふぎりた)ちぬ 宿(やどり)は無(な)くて【一本云(またのふみにいふ)、豬名浦(ゐなのうらみ)を、漕來(こぎく)れば。】

 相率息長鳥 鳰鳥所居豬名野 道遠來此者 夕霧瀰漫有間山 遍詢無宿可寄身【一本云,豬名浦迴海濱處,漕船榜來者。】

佚名 1140

「息長鳥(しながどり)」,或云鳰鳥(にほとり),棲息湖沼,擅於潛水,雌雄和睦,常相率而行。以「率(ゐ)」相關後文「豬(ゐ)」字。

有間山(ありまやま)」,概指六甲山

「宿(やどり)」,宿泊地。

「豬名浦(ゐなのうらみ)」,蓋豬名湊附近之海濱。

古今和歌集1119有「息長鳥 豬名野を行けば 有馬山 夕霧立ちぬ 明けぬ此夜は」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk20.htm#1119


1141 【承前,廿一第二。】

 武庫河 水尾怱 赤駒 足何久激 沾祁流鴨

 武庫川(むこがは)の 水脈(みを)を速(はや)みと 赤駒(あかごま)の 足搔(あが)く激(たぎ)ちに 濡(ぬ)れにけるかも

 以其武庫川 水脈澪流速疾故 栗毛赤駒之 足搔激越水沫濺 沾衣濡兮漬裳溼

佚名 1141

「水脈(みを)を速(はや)みと」,原文「怱」字或本作「急」。當時武庫川蓋為水勢疾速之荒川

「赤駒(あかごま)の」,栗毛之駒。

「激(たぎ)ち」,水沫。將敘述「水勢奔騰」之動詞名詞化而成。


1142 【承前,廿一第三。】

 命 幸久吉 石流 垂水水乎 結飲都

 命(いのち)をし 幸(さき)く良(よ)けむと 石走(いはばし)る 垂水水(たるみのみづ)を 掬(むす)びて飲(の)みつ

 祈命能長久 安幸無恙常健朗 石走迸流水 飛瀧蘊勁垂水兮 合手誠心掬飲矣

佚名 1142

「幸(さき)く良(よ)けむと」,「幸」有「無恙」之意,而「良け」乃「良し」之未然形

「石走(いはばし)る」,垂水枕詞。岩上奔流之意。

垂水(たるみ)」,瀑布之意。本歌歸於「攝津作」者,或詠攝津國垂水之小瀑乎。

「掬(むす)び」,併合手掌以取水之狀。

1143 【承前,廿一第四。】

 作夜深而 穿江水手鳴 松浦船 梶音高之 水尾早見鴨

 小夜更(さよふ)けて 堀江漕(ほりえこ)ぐなる 松浦船(まつらぶね) 梶音高(かぢのおとたか)し 水脈速(みをはや)み哉(かも)

 夜深人靜時 難波堀江榜聲聞 肥前松浦船 梶音高之何所以 蓋是水脈澪速哉

佚名 1143

堀江漕(ほりえこ)ぐなる」,堀江難波堀江。なり為傳聞推定,顯示作者並非眼見,僅聞梶音。「漕(こ)ぐ」原文「水手」乃義訓。

松浦船(まつらぶね)」,肥前松浦所造之船,以特殊構造著名。

「水脈速(みをはや)み哉(かも)」,以其梶音聲高,推測蓋退潮之時,逆流划上所致。

1144 【承前,廿一第五。】

 悔毛 滿奴流鹽鹿 墨江之 岸乃浦迴從 行益物乎

 悔(くや)しくも 滿(み)ちぬる潮(しほ)か 住吉(すみのえ)の 岸浦迴(きしのうらみ)ゆ 行(ゆ)か益物(ましもの)を

 後悔已莫及 漲潮滿來路已沒 當自墨江之 住吉岸崖浦迴處 步其沙州今既晚

佚名 1144

「悔(くや)しくも 滿(み)ちぬる潮(しほ)か」,「か」表詠嘆。

「岸浦迴(きしのうらみ)ゆ 行(ゆ)か益物(ましもの)を」,當時住吉海濱多為段丘,而崖下有退潮時方現之砂州。ゆ表經由,而「益物(ましもの)」乃與事實相反之假定語法,如果當初如何如何就好了。


1145 【承前,廿一第六。】

 為妹 貝乎拾等 陳奴乃海爾 所沾之袖者 雖涼常不干

 妹(いも)が為(ため) 貝(かひ)を拾(ひり)ふと 千沼海(ちぬのうみ)に 濡(ぬ)れにし袖(そで)は 干(ほ)せど乾(かわ)かず

 為贈吾妹妻 遍尋四周揀美貝 和泉千沼海 所沾濡濕吾袖者 雖然涼之常不乾

佚名 1145

「千沼海(ちぬのうみ)」,和泉國沿岸,今大阪東部和泉國在天平寶字元年以前,屬河內國。本歌錄於「攝津作」者,或當時住吉沿岸亦被稱作千沼海矣。

1146 【承前,廿一第七。】

 目頰敷 人乎吾家爾 住吉之 岸乃黃土 將見因毛欲得

 珍(めづ)らしき 人(ひと)を我家(わぎへ)に 住吉(すみのえ)の 岸埴生(きしのはにふ)を 見(み)む緣(よし)もがも

 親親所珍愛 良人今通來吾家 墨江住吉之 岸之黃土埴生者 冀能得見嘆無暇

佚名 1146

「珍(めづ)らしき」,源自動詞「愛(め)づ」之形容詞

「人(ひと)を我家(わぎへ)に」,以上乃借「住(す)む」引出「住吉(すみよし)」之序文。「住む」指男方通訪妻邸之意,此云女方及其家人迎入男子令住。

「見(み)む緣(よし)もがも」,「緣(よし)」乃緣由、機遇。「もがも」表願望,原文書「欲得」。本文蓋云此乃伴隨行幸之公用之旅,無暇前往住吉一覽埴生之景。

1147 【承前,廿一第八。】

 暇有者 拾爾將徃 住吉之 岸因云 戀忘貝

 暇有(いとまあ)らば 拾(ひり)ひに行(ゆ)かむ 住吉(すみのえ)の 岸(きし)に寄(よ)ると云(い)ふ 戀忘貝(こひわすれがひ)

 若得硫房圈ゝ醫堊葦手拾之 墨江住吉之 寄於濱岸戀忘貝 拾來解憂止戀苦

佚名 1147

「暇有(いとまあ)らば」,此云供奉難波行幸之官人,雖欲前往住及卻無此機會、硫法

1148 【承前,廿一第九。】

 馬雙而 今日吾見鶴 住吉之 岸之黃土 於萬世見

 馬並(うまな)めて 今日我(けふわ)が見(み)つる 住吉(すみのえ)の 岸埴生(きしのはに)ふを 萬代(よろづよ)に見(み)む

 列馬出遊行 今日吾所見得者 墨江住吉之 岸之埴生黃土矣 還欲再覽至萬世

佚名 1148

「馬並(うまな)めて」,原文「馬雙而」,古本或作「駒雙而」。駒表成馬,而限於雄馬。馬則無性別限制。然萬葉集除此之外無「駒雙而」之表現

1149 【承前,廿一第十。】

 住吉爾 徃云道爾 昨日見之 戀忘貝 事二四有家

 住吉(すみのえ)に 行(ゆ)くと云(い)ふ道(みち)に 昨日見(きのふみ)し 戀忘貝(こひわすれがひ) 言(こと)にし有(あ)りけり

 人云徃住吉 所行道中昨日見 戀忘貝也者 空有虛有名卻無實 不能解憂緩戀苦

佚名 1149

「言(こと)にし有(あ)りけり」,俗信拾得戀忘貝可以解憂,故欲藉其以卸戀苦,然無效驗,遂而逆恨。

1150 【承前,廿一十一。】

 墨吉之 岸爾家欲得 奧爾邊爾 緣白浪 見乍將思

 住吉(すみのえ)の 岸(きし)に家(いへ)もが 沖(おき)に邊(へ)に 寄(よ)する白波(しらなみ) 見(み)つつ偲(しの)はむ

 冀於住吉之 墨江濱岸有邸者 瀛沖至邊岸 所寄緣來白浪矣 欲得不厭常眺望

佚名 1150

「家(いへ)もが」,家乃與家族共同生活居住地。或解為家人,特指男性羈旅時留居家中之妻子。もが表願望。

此云若得居於住吉之岸,便得時常眺翫自遠洋漂打過來之白浪。或解有家人共覽美景。

1151 【承前,廿一十二。】

 大伴之 三津之濱邊乎 打曝 因來浪之 逝方不知毛

 大伴(おほとも)の 御津濱邊(みつのはまへ)を 打曝(うちさら)し 寄來(よせく)る波(なみ)の 行方知(ゆくへし)らずも

 難波大伴之 三津御濱白砂岸 欲洗曝白而 緣來寄岸白浪者 不知行蹤將何去

佚名 1151

「打曝(うちさら)し」,「打(うち)」乃接頭語,「曝(さら)す」表水洗、漂白、曬乾之意。此云波浪有如欲洗濯大伴三津之白砂而漂打過來云云。

sherrysherry 2016/10/29 15:47 午安呀, 浦木裕 さん
しばらくです
来月四日間日本ヘ出張にゆく予定です、
11月だと寒そう‐>.<‐
日本ヘ行くのは12年ぶりです・・・
ちっとも出掛けたくないのは本音ですけど…

ところで、いつまで日本に駐在するの?

kuonkizunakuonkizuna 2016/10/29 18:35 10/1をもって新竹帰任しました。

sherrysherry 2016/10/29 22:12 そうか、おかえり∧∧

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2016-09-30-金

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補給物資

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万葉集試訳

1099 詠岳

 片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰爾將化疑

 片岡(かたをか)の 此向峰(このむかつを)に 椎蒔(しひま)かば 今年夏(ことしのなつ)の 蔭(かげ)に化(な)らむか

 葛城片岡之 此向峰者馬見丘 若蒔椎實者 待至今年夏日臨 可化日蔭蔽陽哉

佚名 1099

「向峰(むかつを)」,位於片岡山東奈良北葛城郡上牧町馬見丘陵。同町有向山、向城、小向等地名,蓋昔日之餘韻。

「蔭(かげ)に化(な)らむか」,或本原文作「陰爾將比疑」,而按『萬葉集古義』則「比」字蓋「化」字之訛。時值春日,而有厭夏日炎暑之趣。亦有春日植椎,期待儖之誇張寓意


1100 詠河 【十六第一。】

 卷向之 痛足之川由 徃水之 絕事無 又反將見

 卷向(まきむく)の 穴師川(あなしのかは)ゆ 行水(ゆくみづ)の 絕(た)ゆる事無(ことな)く 復返見(またかへりみ)む

 卷向痛足之 穴師川水流斯夫 不捨晝夜矣 猶彼行水流無絕 吾欲再三復返見

柿本人麻呂 1100

「穴師川(あなしのかは)ゆ 行水(ゆくみづ)の」,「ゆ」表「經由」。以上既為引出「無絕」之序,亦為後文「復見」之對象。

「復返見(またかへりみ)む」,後日再訪以反復觀賞。

1101 【承前,十六第二。】

 邏滅掘〔覽醫埃圈〈妨之 川音高之母 荒足鴨疾

 烏玉(ぬばたま)の 夜去來(よるさりく)れば 卷向(まきむ)くの 川音高(かはおとたか)しも 嵐(あらし)かも疾(と)き

 漆遽╋妄臓每逢闇夜率來者 卷向川音高 湍麑剃甼遡絕 蓋因山嵐疾吹哉

柿本人麻呂 1101

 右二首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「卷向(まきむ)くの 川音高(かはおと)」,此云穴師川(痛足川)之湍音。

嵐(あらし)かも疾(と)き」,「嵐(あらし)」乃自山頂吹下之風,或書「下風」、「阿下」,與「颪(おろし)」同源。

末句「蓋因山嵐疾吹哉」乃推量造成前四句現象之原因。


1102 【承前,十六第三。】

 大王之 御笠山之 帶爾為流 細谷川之 音乃清也

 大君(おほきみ)の 御笠山(みかさのやま)の 帶(おび)に為(せ)る 細谷川(ほそたにがは)の 音清(おとのさや)けさ

 吾皇大君之 高座御蓋三笠山 所配御帶者 綿延流長細谷川 湍麈音響清清

佚名 1102

「大君(おほきみ)の」,「三笠」之枕詞天皇寶座「高御座」架有天蓋,故與三笠=御蓋相通

「帶(おび)に為(せ)る」,此乃將三笠山擬人之表現。常用以形容流經神格化之山之山麓之川。

細谷川(ほそたにがは)」,狹細之谷川有吉城川、率川、能登川等說,又以能登川說最為所信。

1103 【承前,十六第四。】

 今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨

 今(いま)しくは 見(み)めやと思(おも)ひし 御吉野(みよしの)の 大川淀(おほかはよど)を 今日見(けふみ)つるかも

 吾度近日間 蓋當無緣能所見 三芳吉野 滔滔大川六田淀 不料今日得復見

佚名 1103

「今(いま)しく」,暫時。或云與宣命「今しき」有關。

「御吉野(みよしの)の 大川淀(おほかはよど)を」,吉野之廣大川淀。當指六田淀。

1104 【承前,十六第五。】

 馬並而 三芳野河乎 欲見 打越來而曾 瀧爾遊鶴

 馬並(うまな)めて 御吉野川(みよしのがは)を 見(み)まく欲(ほ)り 打越來(うちこえき)てそ 瀧(たき)に遊(あそ)びつる

 率馬並連騎 欲見三芳吉野川 翻山復越嶺 來到吉野宮瀧處 以為清遊盡歡娛

佚名 1104

「馬並(うまな)めて」,眾馬連騎成伍,將赴吉野清遊。

「打越來(うちこえき)てそ」,自大和至吉野,隔高取山系。此句蓋述彼等越過今木峠。

「瀧(たき)」,激流。蓋指以吉野宮瀧為中心,但不限於宮瀧之地。

1105 【承前,十六第六。】

 音聞 目者末見 吉野川 六田之與杼乎 今日見鶴鴨

 音(おと)に聞(き)き 目(め)には未見(いまだみ)ぬ 吉野川(よしのがは) 六田淀(むつたのよど)を 今日見(けふみ)つるかも

 久仰其盛名 目雖未見傾心久 芳野吉野 吉野大川六田淀 今日得見償宿願

佚名 1105

「音(おと)に聞(き)き」,久仰吉野宮名勝絕景之名。

1106 【承前,十六第七。】

 川豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越來而 見乍偲食

 蛙鳴(かはづな)く 清(きよ)き川原(かはら)を 今日見(けふみ)ては 何時(いつ)か越來(こえき)て 見(み)つつ偲(しの)はむ

 水雞川蛙鳴 清冽吉野川原 今日見而者 何時方能復越來 再見觀翫賞之哉

佚名 1106

「清(きよ)き川原(かはら)を」,1103至此當為連作,而本歌所詠亦當為吉野川。如1723等,詠吉野川蛙鳴之歌不在少數。

今日見(けふみ)ては」,「ては」表確定事實。

「何時(いつ)か越來(こえき)て」,「何時か」蘊含期望能早日成就之願情。

「見(み)つつ偲(しの)はむ」,「偲ふ」乃賞翫讚美之意。はむ乃對「食(は)む」之借訓。

1107 【承前,十六第八。】

 泊鸚遏’鯡綿花爾 墮多藝都 鸚鏡廖仝爾來之吾乎

 泊鸚(はつせがは) 白木綿花(しらゆふはな)に 落激(おちたぎ)つ (せ)を清(さや)けみと 見(み)に來(こ)し我(われ)を

 隱國泊鸚遏’鯡綿花之所如 湍急落激甚 川鸚響巍タ跡沺{垳此景吾是矣

佚名 1107

「白木綿花(しらゆふはな)に」,急湍水沫皓白,猶繻木棉。

「(せ)を清(さや)けみと」,「と」表目的意圖。

「見(み)に來(こ)し我(われ)を」,表詠嘆意味之「我を」終止句法。

1108 【承前,十六第九。】

 泊鸚遏[水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久

 泊鸚(はつせがは) 流(なが)るる水脈(みを)の (せ)を速(はや)み 堰(ゐ)で越(こ)す波(なみ)の 音清(おとのきよ)けく

 隱國泊鸚遏×彩逝水去不止 以彼湍鸞 越堰之波音清遏×ミテ耳曠神怡

佚名 1108

「水脈(みを)」,川水或海中較為深邃之水流。

「堰(ゐ)で」,堰止川水之處。主要乃積石為壩,引水至田之井堰(ゐせき)。「ゐ」字源自「居(ゐ)る」,留水之意。「で」表場所


1109 【承前,十六第十。】

 佐檜乃熊 檜隅川之 鷂蛋瓠〃之手取者 將緣言毳

 佐檜隈(さひのくま) 檜隈川(ひのくまがは)の (せ)を速(はや)み 君(きみ)が手取(てと)らば 言寄(ことよ)せむかも

 佐日隈迴兮 檜隈川流鶻鄲 猶彼逝水急 一旦吾執子手者 不消幾時蜚語傳

佚名 1109

「佐檜隈(さひのくま)」,さ乃接頭語,有「佐日隈迴」之固有名詞,在此則作為檜隈川之枕詞

「言寄(ことよ)せむかも」,「言寄」表男女關係之流言傳開之狀。


1110 【承前,十六十一。】

 湯種蒔 荒木小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍爾

 湯種蒔(ゆだねま)く 新(あら)きの小田(をだ)を 求(もと)めむと 足結出濡(あゆひいでぬ)れぬ 此川(このかはのせ)に

 欲求蒔湯種 開墾新田三世 遍求覓良田 足結出濡盡沾濕 來回步巡此川

佚名 1110

「湯種(ゆだね)」,為促芽發育,播種前先將籾浸於溫水一至二晚之農法。現在施行於寒帶地區。

「新(あら)きの小田(をだ)」,新開墾之田畑養老七年,日本實施三世一身之法,口分田外,開墾私田者可傳至三世。而天平十五年,又搬墾田私財法。

「足結出濡(あゆひいでぬ)れぬ」,足結乃將袴以紐結於膝處以便於活動。此云農民求覓新田,苦尋水口之狀。

1111 【承前,十六十二。】

 古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古川之 清麈群獅

 古(いにしへ)も 如此聞(かくき)きつつか 偲(しの)ひけむ 此布留川(このふるがは)の 清鷁(きよきせのおと)を

 曩昔古時人 蓋亦如此聽聞而 馳偲賞翫乎 傾聽此地布留川 清黨音響潺潺

佚名 1111

「古(いにしへ)」,此云古人。

布留川(ふるがは)」,流經石上神宮周邊布留地區之川,音與古(ふる)字同而與首句呼應,有懷古之味。

1112 【承前,十六十三。】

 波禰蘰 今為妹乎 浦若三 去來率去河之 音之清左

 葉根蘰(はねかづら) 今(いま)する妹(いも)を 衷若(うらわか)み 去來率川(いざいざかは)の 音清(おとのさや)けさ

 今織葉根蘰 結環飾首姑娘矣 其年齒方稚 以故去來率川者 湍音清清摧無息

佚名 1112

「波禰蘰」,不詳,蓋以花草編織而成之年輕女性之髮飾。

「衷若(うらわか)み」,表年輕之「衷若(うらわか)し」之み句法。

「去來率川(いざいざかは)」,前句為止乃引出率川之序文。「去來」乃中華俗語催促、招引之意,與率字同音。年幼女郎天真爛熳,少言聽計從,故須多所催促。

1113 【承前,十六十四。】

 此小川 白氣結 瀧至 八信井上爾 事上不為友

 此小川(このをがは) 霧(きり)そ結(むす)べる 激行(たきちゆ)く 走井上(はしりゐのうへ)に 言舉(ことあ)げせねども

 潺潺此小川 白氣露凝漫霧結 瀧水激落兮 激泉八信走井上 吾未揚言何若此

佚名 1113

「霧(きり)そ結(むす)べる」,水氣寧結成霧。自然現象他動詞自動詞者,亦見於置霜、結露等詞。原文白氣者屬義訓。

「激行(たきちゆ)く」,或訓「瀧至(たきちた)る」

「走井(はしりゐ)」,水勢強大噴出之井。或書「激井(はしりゐ)」。「走(り)」有噴發、炸裂之意。

「言舉(ことあ)げせねども」,古俗信言靈,不好輕易揚言。或有俗信以為揚言則吐息化霧云云。

1114 【承前,十六十五。】

 吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 萬代左右荷

 我(わ)が紐(ひも)を 妹(いも)が手以(ても)ちて 結八川(ゆふやがは) 復返見(またかへりみ)む 萬代迄(よろづよまで)に

 逢鹽嗣文紂)綣蟒蠏觚祕疉魁襲名八川 吾欲再三復返見 直至千世萬代後

佚名 1114

「我(わ)が紐(ひも)を 妹(いも)が手以(ても)ちて」,古俗男女相寢之後,互為結紐,直至相逢不解,以期再會。此句乃引出「結八川」之序。

「結八川(ゆふやがは)」,所在未詳。

「復返見(またかへりみ)む」,比喻期待相會之語,無論幾何,決不厭倦。


1115 【承前,十六十六。】

 妹之紐 結八河內乎 古之 并人見等 此乎誰知

 妹(いも)が紐(ひも) 結八河內(ゆふやかふち)を 古(いにしへ)の 皆人見(みなひとみ)きと 此(ここ)を誰知(たれし)る

 與妻相手結 結八之川河內矣 曩古往昔時 殿上宮人皆見歟 此事真偽誰人知

佚名 1115

「妹(いも)が紐(ひも)」,「結八河內」之枕詞

「河內(かふち)」,河川上游谷間平地。

「皆人見(みなひとみ)きと」,人云古代大宮人皆見此景。

「此(ここ)を誰知(たれし)る」,此句反駁上句,作者以為除己之外無人知悉

sherrysherry 2016/11/14 21:01 浦木裕さん、どうも こんばわ
今度こそ、神宮斎宮の写真を借して下さい
出張戻ったら、「斎内親王奉入」を作りたいと思います
よろしくお願いします^へ^

kuonkizunakuonkizuna 2016/11/15 08:59 どうぞご自由に

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2016-09-15-木

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万葉集 卷第六 雜歌

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m06.htm

更新


万葉集試訳

1068 詠天

 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隱所見

 天海(あめのうみ)に 雲波立(くものなみた)ち 月舟(つきのふね) 星林(ほしのはやし)に 漕隱(こぎかく)る見(み)ゆ

 遙遙久方兮 天海雲湧如駭浪 月舟渡大虛 榜入星林沒其間 漕隱之狀今可見

柿本人麻呂 1068

 右一首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

天海(あめのうみ)」,以海比喻天空曠遠蒼藍之狀。常與「月舟」、「雲浪」、「星林」相呼應。

「月舟(つきのふね)」,以舟比喻月之渡空。或以舟表七夕夜月之歌語表現。『懷風藻』文武天皇 五言詠月:「月舟移霧渚 楓楫泛霞濱 臺上澄流耀 酒中沈去輪 水下斜陰碎 樹落秋光新 獨以星間鏡 還浮雲漢津」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kaifuu/kaifuu01.htm#monmu『新撰萬葉集』戀歌「瀧河起浪穿月舟 湖浦遄湖折星槍 應謂三冬無熱草 九碧河降氣切苦」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/sinsen/sm02.htm#215

1069 詠月 【十八第一。】

 常者曾 不念物乎 此月之 過匿卷 惜夕香裳

 常(つね)は曾(かつ)て 思(おも)はぬ物(もの)を 此月(このつき)の 過隱(すぎかく)らまく 惜(をし)き宵(よひ)かも

 日頃恆常者 雖不曾有作此念 然今見此月 過匿雲後隱不見 甚惜今宵此夜矣

佚名 1069

「常(つね)は曾(かつ)て 思(おも)はぬ物(もの)を」,「曾」與「嘗」同。平時未嘗作此思。

「過隱(すぎかく)らまく」,「過」字有漸漸隱而不得見之意。

1070 【承前,十八第二。】

 大夫之 弓上振起 獵高之 野邊副清 照月夜可聞

 大夫(ますらを)の 弓末振起(ゆずゑふりおこ)し 獵高(かりたか)の 野邊(のへ)さへ清(きよ)く 照月夜(てるつくよ)かも

 大夫益荒男 弓末振起箭上絃 將為遊狩之 獵高野邊亦朗照 清冽明晰月夜矣

佚名 1070

大夫(ますらを)の 弓末振起(ゆずゑふりおこ)し」,「弓末(ゆずゑ)」乃「弓末(ゆみずゑ)」之略,弓之上端部。射箭之際,狙擊獵物將放矢之前之準備動作。以上乃引出地名「獵高」之序。

「月夜(つくよ)」,或指有月之夜,或指明月自身。此為後者


1071 【承前,十八第三。】

 山末爾 不知夜歷月乎 將出香登 待乍居爾 夜曾降家類

 山端(やまのは)に 十六夜月(いさよふつき)を 出(い)でむかと 待(ま)ちつつ居(を)るに 夜(よ)そ更(ふ)けにける

 眺望山之端 既望十六夜之月 躊躇月晚出 昂首待月猶豫間 不覺宵闌夜已更

佚名 1071

「山端(やまのは)」,山稜線

十六夜月(いさよふつき)」,既望月。後世訓「いざよふ」,而『古今集』時仍為清音十六夜月遲出,故亦云不知月、猶豫月。作者躊躇當待月與否,不決之間,已然夜深。

1072 【承前,十八第四。】

 明日之夕 將照月夜者 片因爾 今夜爾因而 夜長有

 明日夕(あすのよひ) 照(て)らむ月夜(つくよ)は 片寄(かたよ)りに 今夜(こよひ)に寄(よ)りて 夜長(よなが)からなむ

 明日夕暮後 將照夜月可挪乎 還願其片寄 添於今宵令夜長 只冀今晚莫疾逝

佚名 1072

「片寄(かたよ)りに」,單方面添靠之狀。

「夜長(よなが)からなむ」,與事實相反之未然希求形。雖知無望,仍作此願。

1073 【承前,十八第五。】

 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨

 玉垂(たまだ)れの 小簾間通(をすのまとほ)し 獨居(ひとりゐ)て 見(み)る驗無(しるしな)き 夕月夜(ゆふつくよ)かも

 珠麗玉垂兮 小簾隙間目通之 獨居形影孤 隻身獨賞甚無驗 可惜良景暮月夜

佚名 1073

「玉垂(たまだ)れの」,珠簾之雅語。於此修飾同位語之小簾。

「小簾(をす)」,以篠、葦所編成之簾。

「見(み)る驗無(しるしな)き」,無驗於此乃無益之意。此云一人獨觀,美景亦如嚼蠟。作者蓋為女方而枯待男子來訪。

夕月夜(ゆふつくよ)」,高掛夕空之月,蓋十五日以前之月。


1074 【承前,十八第六。】

 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家

 春日山(かすがやま) 押(お)して照(て)らせる 此月(このつき)は 妹(いも)が庭(には)にも 清(さや)けかりけり

 春日山頂上 高空照臨此月者 其光曜無私 吾妻庭亦為所照 幽光清冽曜宿明

佚名 1074

「押(お)して照(て)らせる」,日月於高空照臨之狀。

「清(さや)けかりけり」,けり乃詠嘆眼前之事實。作者到訪戀人之宿,見照臨春日山之明月,亦光曜戀人之庭,故云。


1075 【承前,十八第七。】

 海原之 道遠鴨 月讀 明少 夜者更下乍

 海原(うなはら)の 道遠(みちとほ)みかも 月讀(つくよみ)の 光少(ひかりすく)なき 夜(よ)は更(ふ)けにつつ

 蓋以滄溟之 海遠道遠路遙哉 月讀壯士矣 其光幽微晦不明 難涉之間夜已深

佚名 1075

「海原(うなはら)の 道遠(みちとほ)みかも」,此云明月渡海而來,而或許路途遙遠而未臻。「遠(とほ)みかも」乃み語法之疑問條件語。

「月讀(つくよみ)の 光(ひかり)」,月讀乃擬人化月之名,或云月讀壯士。

類歌980。


1076 【承前,十八第八。】

 百師木之 大宮人之 退出而 遊今夜之 月清左

 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の 罷出(まかりで)て 遊(あそ)ぶ今夜(こよひ)の 月清(つきのさや)けさ

 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 罷出興遊宴 所樂今夜月清雅 照臨四方令心清

佚名 1076

「罷出(まかりで)て」,「退(まか)る」乃自貴人之許退下,此云結束當日勤務而退朝。

「遊(あそ)ぶ」,

遊宴。

1077 【承前,十八第九。】

 夜干玉之 夜渡月乎 將留爾 西山邊爾 塞毛有粳毛

 烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)る月(つき)を 留(とど)めむに 西山邊(にしのやまへ)に 塞(せき)もあらぬ哉(かも)

 漆遽╋妄臓^婆虛空明月渡 為留此月者 冀於西面山際處 營設關塞止月沉

佚名 1077

「留(とど)めむに」,「むに」接下句命令希求之語,而表示為了達成某目的之意。

「塞(せき)もあらぬ哉(かも)」,「塞(せ)き」乃動詞「塞(せ)く」之名詞形。攔截水流之堰,或限制人物出入之關。此惜月沉,願能留駐,故云。

1078 【承前,十八第十。】

 此月之 此間來者 且今跡香毛 妹之出立 待乍將有

 此月(このつき)の 此間(ここ)に來(きた)れば 今(いま)とかも 妹(いも)が出立(いでた)ち 待(ま)ちつつあるらむ

 皎潔此月之 渡空來至此間者 且今當此時 妹妻蓋思吾將至 出立翹首盼吾臨

佚名 1078

「此月(このつき)の 此間(ここ)に來(きた)れば」,以上為作者推測戀人(妹・妻)內心之語。女方以月之位置,推測男方將至之時。而作者或因事無法成行,或正趕路前往之途中。

1079 【承前,十八十一。】

 真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隱流 天津霧鴨

 真十鏡(まそかがみ) 照(て)るべき月(つき)を 白栲(しろたへ)の 雲(くも)か隱(かく)せる 天霧(あまつきり)かも

 清澄真十鏡 明月當照卻不見 蓋是白栲兮 浮雲蔽月遮太陰 抑或天霧漫空哉

佚名 1079

「真十鏡(まそかがみ)」,「照月」、「清月」之枕詞。以其形象清澄而言。

「白栲(しろたへ)の」,栲木或以其所紡織之絲綢。

「雲(くも)か隱(かく)せる 天霧(あまつきり)かも」,此云抬頭不見明月,蓋是為白栲之雲所遮,或為天霧所蔽。一般並列疑問者,作者主觀以為後者較近事實。

1080 【承前,十八十二。】

 久方乃 天照月者 神代爾加 出反等六 年者經去乍

 久方(ひさかた)の 天照(あまて)る月(つき)は 神代(かみよ)にか 出反(いでかへ)るらむ 年(とし)は經(へ)につつ

 遙遙久方兮 凌空照天明月者 圓闕能復始 蓋是返生歸神代 經年常若永彌新

佚名 1080

「天照(あまて)る月(つき)は」,連體格之天照る之「て」有清濁兩形,此估依前者。

神代(かみよ)にか 出反(いでかへ)るらむ」,此云月缺而復滿,蓋是歸自神代,又復返生乎之推測。

「年(とし)は經(へ)につつ」,明明時代流逝,然而明月卻歷久彌新。


1081 【承前,十八十三。】

 烏玉之 夜渡月乎 可怜 吾居袖爾 露曾置爾雞類

 烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)る月(つき)を 可怜(おもしろ)み 我(わ)が居(を)る袖(そで)に 露(つゆ)そ置(お)きにける

 漆遽╋妄臓^婆虛空明月渡 其月甚可怜 吾觀美月久居間 不覺置露沾袖濕

佚名 1081

「可怜(おもしろ)み」,「面白(おもしろ)し」之み句法。本詞意乃見得良景而人心爽朗之狀。而自古用於形容月光之例不少。

1082 【承前,十八十四。】

 水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者

 水底(みなそこ)の 玉(たま)さへ清(さや)に 見(み)つべくも 照(て)る月夜(つくよ)かも 夜更行(よのふけゆ)けば

 珠玉沉水底 水下寶珠晰可見 如此光照曜 明月懸空清清矣 只消夜之深去者

佚名 1082

「見(み)つべくも」,「つべし」表辦得到之狀態,も乃詠嘆。


1083 【承前,十八十五。】

 霜雲入 為登爾可將有 久堅之 夜渡月乃 不見念者

 霜曇(しもぐも)り すとにかあるらむ 久方(ひさかた)の 夜渡(よわた)る月(つき)の 見(み)え無(な)く思(おも)へば

 蓋入霜曇後 匿其後為所蔽哉 遙遙久方兮 闇夜虛空所渡月 不復得見所以

佚名 1083

「霜曇(しもぐも)り すとにかあるらむ」,霜曇意未詳,或云指霜降寒夜之間,空中陰曇之氣象。と乃とて、というつもり之意。

「見(み)え無(な)く思(おも)へば」,此云昂首不見明月,故推測其原因(當為月入霜曇之後)。

1084 【承前,十八十六。】

 山末爾 不知夜經月乎 何時母 吾待將座 夜者深去乍

 山端(やまのは)に 十六夜月(いさよふつき)を 何時(いつ)とかも 我(あ)が待居(まちを)らむ 夜(よ)は更(ふ)けにつつ

 眺望山之端 十六夜月總遲出 不知何時昇 吾人猶豫待月間 不覺宵闌夜已更

佚名 1084

「何時(いつ)とかも 我(あ)が待居(まちを)らむ」,思量明月何時將出,而持續等待之意。

1085 【承前,十八十七。】

 妹之當 吾袖將振 木間從 出來月爾 雲莫棚引

 妹(いも)が當(あた)り 我(あ)が袖振(そでふ)らむ 木間(このま)より 出來(いでく)る月(つき)に 雲莫棚引(くもなたなび)き

 吾欲指妻方 振袖揮腕示吾情 自林隙木間 所出來兮明月矣 浮雲莫掛勿蔽之

佚名 1085

「妹(いも)が當(あた)り 我(あ)が袖振(そでふ)らむ」,「當り」後省略「に向かって」,朝戀人之方向揮手。

「雲莫棚引(くもなたなび)き」,禁止命令與。此文蓋與戀人纏綿後,步上歸途之男子所詠。


1086 【承前,十八十八。】

 靱懸流 伴雄廣伎 大伴爾 國將榮常 月者照良思

 靫懸(ゆきか)くる 伴男廣(とものをひろ)き 大伴(おほとも)に 國榮(くにさか)えむと 月(つき)は照(て)るらし

 懸靫負箶籙 伴男人眾勢浩大 棟樑大伴氏 大伴之地國彌榮 明月臨照祝常盛

佚名 1086

「靫懸(ゆきか)くる 伴男廣(とものをひろ)き」,引出地名大伴之序文。靫乃納矢背負之具。

大伴氏為守護天皇家之棟樑,地名大伴乃其勢力範圍。


1087 詠雲

 痛足河 河浪立奴 卷目之 由槻我高仁 雲居立有良志

 穴師川(あなしがは) 川波立(かはなみた)ちぬ 卷向(まきむく)の 弓月岳(ゆつきがたけ)に 雲居立(くもゐた)てるらし

 痛足穴師川 川波湧兮河浪立 纏向卷向之 弓月之岳山頂上 想必雲湧叢居哉

柿本人麻呂 1087

「卷向(まきむく)の」,原文「卷目」。應神天皇皇女高目皇女訓「こもくのみこ」。

「雲居立(くもゐた)てるらし」,原文雲居立有良志,而神宮文庫本無「有」字者當訓「雲居立(くもゐた)つらし」。

1088 【承前,第二。】

 足引之 山河之麈掘ゞ蘇勅ぁゝ欸邱癲 ̄昔渡

 足引(あしひき)の 山川(やまがはのせ)の 鳴(なる)なへに 弓月岳(ゆつきがたけ)に 雲立渡(くもたちわた)る

 足引勢險峻 山川壯麗麕枡 伴其湍音響 弓月之岳脊頂上 層雲騰湧渡虛行

柿本人麻呂 1088

 右二首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

山川(やまがはのせ)の」,「」山川(やまがは)麌塾於山中之川(連濁表從屬格),此指前曲穴師川之急鷦言。

「鳴(なる)なへに」,「なへ」表與之一同、伴隨之意。

「雲立渡(くもたちわた)る」,此「渡(わた)る」表滿布之狀。


1089 【承前,第三。】

 大海爾 嶋毛不在爾 海原 絕塔浪爾 立有白雲

 大海(おほきうみ)に 島(しま)も有(あ)ら無(な)くに 海原(うなはら)の 搖盪(たゆた)ふ波(なみ)に 立(た)てる白雲(しらくも)

 綿津見大海 分明海島不有之 滄溟海原間 漂乎搖盪波濤上 所立湧現白雲矣

佚名 1089

 右一首,伊勢從駕作。

大海(おほきうみ)に」,大海或訓「おほうみ」,然有「於保吉宇美」之假名書例,遂訓おほきうみ。

「搖盪(たゆた)ふ」,動搖不安定之狀。

1090 詠雨

 吾妹子之 赤裳裙之 將染埿 今日之霡霂爾 吾共所沾名

 我妹子(わぎもこ)が 赤裳裾(あかものすそ)の 漬(ひづ)ちなむ 今日(けふ)の小雨(こさめ)に 我(われ)さへ濡(ぬ)れな

 愛妻吾妹子 所著赤裳裙裾矣 蓋為漬染埿 今日霡霂小雨下 吾亦共為所沾濡

佚名 1090

「赤裳裾(あかものすそ) 漬(ひづ)ちなむ」,女性拖著赤裳長裾行走,乃官能艶色之表徵。「漬(ひづ)ち」表濡濕。

「我(われ)さへ濡(ぬ)れな」,「な」為願望終助詞。即便與戀人遠隔,仍願能共有體驗而為言。

1091 【承前,第二。】

 可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下爾著有

 通(とほ)るべく 雨(あめ)は莫降(なふ)りそ 我妹子(わぎもこ)が 形見衣(かたみのころも) 我下(あれした)に著(け)り

 雨矣莫甚零 吾衣濡濕將通透 親親吾妹子 所留信物行見衣 今著服下貼肌身

佚名 1091

形見衣(かたみのころも)」,古俗以為相愛男女離別之時,相互餽贈衣物,將之穿在身上,便能早日相逢。

「下(した)に著(け)り」,以外衣遮蓋,不為他人所見。

1092 詠山 【七首第一。】

 動神之 音耳聞 卷向之 檜原山乎 今日見鶴鴨

 鳴神(なるかみ)の 音(おと)のみ聞(き)きし 卷向(まきむく)の 檜原山(ひはらのやま)を 今日見(けふみ)つるかも

 鳴神雷動兮 唯其聲名音可聞 卷向檜原山 久仰其名未得見 今日終能瞻其容

柿本人麻呂 1092

「音(おと)のみ聞(き)きし」,音於此乃傳聞、名聲之意。「音に聞く」表雖未眼見,但已耳聞。

「卷向(まきむく)の 檜原(ひはら)」,卷向一代之檜原附近亦有泊檜原三輪檜原等。


1093 【承前,七首第二。】

 三毛侶之 其山奈美爾 兒等手乎 卷向山者 繼之宜霜

 三諸(みもろ)の 其山並(そのやまなみ)に 兒等(こら)が手(て)を 卷向山(まきむくやま)は 繼(つ)ぎの宜(よろ)しも

 三諸御室兮 三輪山旁所相並 兒等之手兮 纏向之地卷向山 群峰相繼勢宜哉

柿本人麻呂 1193

「三諸(みもろ)の」,或云みむろ、みもろと。「室(むろ)」乃洞窟之意,轉作神之居所,與神奈備同格。

「兒等(こら)が手(て)を」,以戀人之手為枕﹐「卷向山(まきむくやま)」之枕詞

「繼(つ)ぎの宜(よろ)しも」,山峰相連之勢令人嘆為觀止。

1094 【承前,七首第三。】

 我衣 色取染 味酒 三室山 黃葉為在

 我(あ)が衣(ころも) 色取染(いろどりそ)めむ 味酒(うまさけ) 三室山(みむろのやま)は 黃葉(もみち)しにけり

 吾之所著衣 欲取其色以為染 美酒彌醇矣 三室御諸三輪山 萬葉始渲染紅黃

柿本人麻呂 1194

 右三首,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「味酒(うまさけ)」,三輪山枕詞古語神酒(みき)」或訓「みわ(三輪)」。

「黃葉(もみち)しにけり」,三輪山之木葉開始轉黃。此云賞翫紅葉,欲以之彩染己服。

1095 【承前,七首第四。】

 三諸就 三輪山見者 隱口乃 始麈檜原 所念鴨

 三諸憑(みもろつ)く 三輪山見(みわやまみ)れば 隱國(こもりく)の 泊檜原(はつせのひはら) 思(おも)ほゆるかも

 三諸神所憑 齋三輪山見之者 盆底隱國兮 長谷泊麈檜原 不覺所念更相思

佚名 1095

1096 【承前,七首第五。】

 昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山

 古(いにしへ)の 事(こと)は知(し)らぬを 我見(われみ)ても 久(ひさ)しく成(なり)ぬ 天香具山(あめのかぐやま)

 太古曩昔時 舊事吾所不知之 然在我所見 其歷已久亙古今 芳來天之香具山

佚名 1096

「古(いにしへ)の 事(こと)は知(し)らぬを」,有關天香山之古事。如伊豫風土記「所名天山由者,倭在天加具山。自天天降時,二分而以片端者,天降於倭國。以片端者,天降於此土。因謂天山,本也。」等。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun03.htm#iyo


1097 【承前,七首第六。】

 吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不來益 山之名爾有之

 我(わ)が背子(せこ)を 此方巨勢山(こちこせやま)と 人(ひと)は言(い)へど 君(きみ)も來坐(きま)さず 山名(やまのな)に有(あ)らし

 人云吾兄子 將來此方巨勢山 人雖云如此 君甚薄情不來坐 徒有山名卻無實

佚名 1097

「我(わ)が背子(せこ)を 此方(こち)」,引出地名巨勢(こせ)」之序。「此方(こち)」乃近稱方向指示語。與巨勢同音之「來(こ)せ」乃使來之意。

山名(やまのな)に有(あ)らし」,「あらし」乃「あるらし」之略。責備巨勢山有名無實。

1098 【承前,七首第七。】

 木道爾社 妹山在云 櫛上 二上山母 妹許曾有來

 紀道(きぢ)にこそ 妹山在(いもやまあり)と云(い)へ 櫛上(くしがみ)の 二上山(ふたかみやま)も 妹(いも)こそ有(あり)けれ

 人云紀道間 妹山聳立在途中 然在櫛上之 寧樂御所二上山 亦有妹山居其間

佚名 1098

「櫛上(くしがみ)の」,一般指越中國同明之二上山且多以玉櫛冠之。或與奈良御所市櫛羅之地名有關。

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2016-08-26-金

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お盆放浪まとめ


万葉集試訳

1032 狹殘行宮,大伴宿禰家持作歌二首 【承前。家持二首第一。】

 天皇之 行幸之隨 吾妹子之 手枕不卷 月曾歷去家留

 大君(おほきみ)の 行幸隨(みゆきのまにま) 我妹子(わぎもこ)が 手枕卷(たまくらま)かず 月(つき)そ經(へ)にける

 奉為天皇之 行幸之隨至異鄉 親親吾妹子 不得纏汝手為枕 已然經月歷日久

大伴家持 1032

「狹殘(ささ)行宮」,所在未詳。惑擬多氣郡佐佐夫江神社之地。一說乃「狹淺」之訛,「ささ」則「さあさ」之略。

行幸隨(みゆきのまにま)」,隨(まにま)與隨(まにま)に同。伴隨,附從。


1033 【承前。家持二首第二。】

 御食國 志麻乃海部有之 真熊野之 小船爾乘而 奧部榜所見

 御食國(みけつくに) 志摩海人(しまのあま)ならし 真熊野(まくまのの)の 小船(をぶね)に乘(の)りて 沖邊漕見(おきへこぐみ)ゆ

 海幸御食國 志摩海人白水郎 紀洲真熊野 熊野小船漁人乘 榜於沖邊今可見

大伴家持 1033

「御食國(みけつくに)」,志摩國海產豐富,貢奉鮑、鰹、鯛等於類乾肉與諸多海藻等海幸之類。

「真熊野(まくまのの)の 小船(をぶね)」,熊野以造舟技術聞名。


1034 美濃國多藝行宮大伴宿禰東人作歌一首 【承前。】

 從古 人之言來流 老人之 變若云水曾 名爾負瀧之

 古(いにしへ)ゆ 人言來(ひとのい)ひける 老人(おいひと)の 變若(をつ)と云(い)ふ水(みづ)そ 名(な)に負(お)ふ瀧(たきのせ)

 自古曩昔時 古老口耳相傳來 返老令還童 不老長命變若水 負此名兮瀧黷

伴東人 1034

「老人(おいひと)の 變若(をつ)と云(い)ふ水(みづ)」,按『續日本紀』靈龜三年九月條:「甲寅,(行幸)至美濃國。(中略)丙辰,幸當耆郡,覽多度山美泉。」十一月詔:「朕以今年九月,到美濃國不破行宮。留連數日。因覽當耆郡多度山美泉,自盥手面,皮膚如滑。亦洗痛處,無不除愈。在朕之躬,甚有其驗。又,就而飲浴之者,或白髮反遏ぐ頹髮更生,或闇目如明。自餘痼疾,咸皆平愈。昔聞:『後漢光武時,醴泉出。飲之者,痼疾皆愈。』符瑞書曰:『醴泉者,美泉。可以養老,蓋水之精也。』寔惟,美泉即合大瑞。朕雖庸虛,何違天貺?可大赦天下,改靈龜三年,為養老元年。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syokki/syokki07.htm#skk07_05

1035 大伴宿禰家持作歌一首 【承前。】

 田跡河之 瀧乎清美香 從古 官仕兼 多藝乃野之上爾

 田跡川(たどかは)の 瀧(たき)を清(きよ)みか 古(いにしへ)ゆ 宮仕(みやつか)へけむ 多藝野上(たぎのののうへ)に

 美濃田跡河 養老之瀧水清明 故自曩昔時 迎造宮殿在此境 多藝野上醴泉處

大伴家持 1035

「田跡川」,在美濃養老郡養老町,變若瀧之附近。

「多藝」,多藝行宮,今不詳所在。

1036 不破行宮,大伴宿禰家持作歌一首 【承前。】

 關無者 還爾谷藻 打行而 妹之手枕 卷手宿益乎

 關無(せきな)くは 歸(かへ)りにだにも 打行(うちゆ)きて 妹(いも)が手枕(たまくら) 卷(ま)きて寢益(ねまし)を

 天險不破關 若於茲無此關者 蓋難按歸情 縱令打行暫還鄉 欲枕妹腕更復來

大伴家持 1036

「不破」,不破關。不破關與伊勢鈴鹿關、越前愛發關並稱三關。

「關無(せきな)くは」,若無不破關。假定語氣。

「歸(かへ)りにだにも」,「だに」表「至少」。美濃大和相去甚遠,常住大和不可能。然願至少能偶返家中。字不破關去奈良,單成百廿公里,往復需耗六日。

1037 十五年癸未秋八月十六日,內舍人大伴宿禰家持讚久邇京作歌一首

 今造 久邇乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之

 今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)は 山川(やまかは)の 清(さや)けき見(み)れば 宜知(うべし)らすらし

 今之所造營 恭仁新京久邇都 山川誠壯麗 見之清清醋声圈|猟蠹垪》耆宜

大伴家持 1037

「久邇京」,聖武帝於天平二年十二月至十六年閏正月,以恭仁(久邇)京為都。然此其間之內,於近江甲賀郡山中營紫香樂宮而頻幸。此歌所詠八月中旬,當聖武帝七月末至十二月初,長滯紫香樂宮達三月之最中。而左大臣橘諸兄等留守久邇京。

「今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)は」,久邇京造營,耗時三月,所費不貲,而於此年十二月廿六日停建。

「宜(うべ)」,理當如此,理所當然。


1038 高丘河內連歌二首

 故鄉者 遠毛不有 一重山 越我可良爾 念曾吾世思

 故鄉(ふるさと)は 遠(とほ)くも非(あら)ず 一重山(ひとへやま) 越(こ)ゆるがからに 思(おも)ひそ我(あ)がせし

 故鄉平城者 去此不遠實非遙 區區一重山 雖知越之即得還 然吾不禁仍慕念

高丘河內 1038

「高丘河內」,高丘連河內,紫香樂宮造宮司之一。

「故鄉(ふるさと)」,此云平城舊都。

「越(こ)ゆるがからに」,新舊兩京僅隔奈良山丘陵,相去十公里。「からに」有原因細微而結果重大之感。

「思(おも)ひそ我(あ)がせし」,一者思鄉,更者思人。欲與久未逢晤之人相會,其情難抑。

1039 【承前。】

 吾背子與 二人之居者 山高 里爾者月波 不曜十方余思

 我(わ)が背子(せこ)と 二人(ふたり)し居(を)らば 山高(やまたか)み 里(さと)には月(つき)は 照(て)らずとも良(よ)し

 若與吾兄子 二人與共相居者 山高圍青垣 里中隱國遮太陰 月雖不曜無所惜

高丘河內 1039

「我(わ)が背子(せこ)」,居於平城舊京之男性友人。或云此歌乃留守舊京之妻女思夫所作。

「二人(ふたり)し居(を)らば」,假定事實表現

「里(さと)」,此云平城舊京。

「照(て)らずとも良(よ)し」,無所缺乏之放任語句。若能與君兩人相共,則即便月光不照亦無所謂。

1040 安積親王宴左少辨藤原八束朝臣家之日,內舍人大伴宿禰家持作歌一首

 久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戶爾今夜者 明而將去

 久方(ひさかた)の 雨(あめ)は降頻(ふりし)け 思兒(おもふこ)が 宿(やど)に今夜(こよひ)は 明(あ)かして行(ゆ)かむ

 遙遙久方兮 雨自天零降頻頻 今夜避雨宿 留居思兒屋戶間 待至天明而方去

大伴家持 1040

「久方(ひさかた)の」,「天」、「雨」之枕詞。古人以為天(あめ、あま)在空(そら)上,而雨(あめ)乃自天而零。

「雨(あめ)は降頻(ふりし)け」,雨頻降之狀。

「思兒(おもふこ)が」,此乃男性對所思念之少女之呼稱。

此擬藤原八束留戀之情,藉口雨降,留宿愛人之邸,欲待天明之後方離去。

1041 十六年甲申春正月五日,諸卿大夫集安倍蟲麻呂朝臣家宴歌一首 【作者不審。】

 吾屋戶乃 君松樹爾 零雪乃 行者不去 待西將待

 我(わ)が宿(やど)の 君松木(きみまつのき)に 降雪(ふるゆき)の 行(ゆ)きには行(ゆ)かじ 待(ま)ちにし待(ま)たむ

 吾猶我宿之 君松木之名所如 雪雖零其上 不妄前行擅往去 引領久待盼君來

佚名 1041

「君松木(きみまつのき)に」,此與「君松浦山」同,借同音而為「待君」之喻。

「降雪(ふるゆき)の」,以上乃引出「行き」之序。

按「松」與「待」同音,「雪」與「行」同音,作者選擇持續等待,而非起而行之。

1042 同月十一日,登活道岡,集一株松下飲歌二首

 一松 幾代可歷流 吹風乃 聲之清者 年深香聞

 一松(ひとつまつ) 幾代(いくよ)か經(へ)ぬる 吹風(ふくかぜ)の 聲清(こゑのきよ)きは 年深(としふか)み哉(かも)

 獨樹孤松矣 汝經幾世歷幾代 吹風聲清者 蓋已年深歷時久 古色蒼鬱隨神哉

市原王 1042

 右一首,市原王作。

「聲清(こゑのきよ)きは」,原文「聲之清者」。聲字或可訓作おと,然考慮松樹擬人化表現,故訓こゑ。


1043 【承前。】

 靈剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曾念

 靈剋(たまきは)る 命(いのち)は知(し)らず 松(まつ)が枝(え)を 結(むす)ぶ心(こころ)は 長(なが)くとそ思(おも)ふ

 靈剋魂極矣 命之壽限無由知 然吾結松枝 祈願之情望長青 冀得長壽比松齡

大伴家持 1043

 右一首,大伴宿禰家持作。

「靈剋(たまきは)る」,命之枕詞

「松(まつ)が枝(え)を 結(むす)ぶ心(こころ)は」,古俗結松枝以占驗,或祈求平安、長壽、幸福


1044 傷惜寧樂京荒墟作歌三首 【作者不審。】

 紅爾 深染西 情可母 寧樂乃京師爾 年之歷去倍吉

 紅(くれなゐ)に 深染(ふかくし)みにし 心(こころ)かも 奈良都(ならのみやこ)に 年經(としのへ)ぬべき

 朱料色真赤 深染鮮紅沁赭匂 吾今以此情 身居荒墟寧樂京 傷惜奈良當經年

佚名 1044

「紅(くれなゐ)に 深染(ふかくし)みにし 心(こころ)かも」,如朱色染料浸透深染般,沁至內心深處對於舊都之情感。「紅(くれなゐ)」乃「紅花(べにばな)」,菊科多年草夏日綻開鮮黃之花,而為胭脂之原料。或名末摘花。

1045 【承前。】

 世間乎 常無物跡 今曾知 平城京師之 移徙見者

 世間(よのなか)を 常無(つねな)き物(もの)と 今(いま)そ知(し)る 奈良都(ならのみやこ)の 移(うつろ)ふ見(み)れば

 空蟬憂世間 諸行無常總遷變 吾今悟此理 眼見平城京移徙 往時榮景不復存

佚名 1045

奈良都(ならのみやこ)の 移(うつろ)ふ」,「移ふ」意指都市文化時間經過而衰廢。按『續日本紀天平十六年閏正月詔喚會百官於朝堂問:「恭仁、難波二京、何定為都?各言其志。」官人陳恭仁、難波京便宜者各半。又遣巨勢奈弖麻呂、藤原仲麻呂,就市問定京之事。市人皆願以恭仁京為都,但有願難波者一人,願平城者一人。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syokki/syokki15.htm#skk15_04

1046 【承前。】

 石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又將見鴨

 岩綱(いはつな)の 又變若返(またをちかへ)り 青丹良(あをによ)し 奈良都(ならのみやこ)を 又(また)も見(み)む哉(かも)

 石葛岩綱兮 又復返老還盛年 青丹誠良矣 平城寧樂奈良京 榮景可將復見歟

佚名 1046

「岩綱(いはつな)の」,「變若(をつ)」之枕詞。岩綱或書石葛(いはつな),蔓性植物。其蔓廣生蔓延,時時繞回原地。故云。

以上乃『萬葉集』卷六主要部分,原則明記年代。其後廿一首者,自田邊福麻呂歌集中擷取雜歌而成。

1047 悲寧樂故鄉作歌一首 【并短歌。】

 八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國爾之有者 阿禮將座 御子之嗣繼 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春爾之成者 春日山 御笠之野邊爾 櫻花 木晚牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去來者 射駒山 飛火賀嵬丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狹男壯鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮將徃跡 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事爾之有者 皇之 引乃真爾真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒爾異類香聞

 八隅治(やすみし)し 我(わ)が大君(おほきみ)の 高敷(たかし)かす 大和國(やまとのくに)は 皇祖(すめろき)の 神御代(かみのみよ)より 敷坐(しきま)せる 國(くに)にしあれば 生坐(あれまさ)む 御子繼繼(みこのつぎつ)ぎ 天下(あめのした) 知(し)らし坐(まさ)むと 八百萬(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼(か)ねて 定(さだ)めけむ 奈良都(ならのみやこ)は 陽炎(かぎろひ)の 春(はる)にし成(な)れば 春日山(かすがやま) 御笠野邊(みかさののへ)に 櫻花(さくらばな) 木暗隱(このくれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間無(まな)く數鳴(しばな)く 露霜(つゆしも)の 秋去來(あきさりく)れば 生駒山(いこまやま) 飛火(とぶひ)が崗(をか)に 萩枝(はぎのえ)を 柵散(しがらみち)らし 小雄鹿(さをしか)は 妻呼響(つまよびとよ)む 山見(やまみ)れば 山(やま)も見(み)が欲(ほ)し 里見(さとみ)れば 里(さと)も住良(すみよ)し 文武百官(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)の 裏這(うちは)へて 思(おも)へりしくは 天地(あめつち)の 寄合(よりあ)ひの極(きは)み 萬代(よろづよ)に 榮(さか)え行(ゆ)かむと 思(おも)へりし 大宮(おほみや)すらを (たの)めりし 奈良都(ならのみやこ)を 新代(あらたよ)の 事(こと)にしあれば 大君(おほきみ)の 引(ひ)きの隨(まにま)に 春花(はるはな)の 移變(うつろひかは)り 群鳥(むらとり)の 朝立行(あさだちゆ)けば 刺竹(さすたけ)の 大宮人(おほみやひと)の 踏平(ふみなら)し 通(かよ)ひし道(みち)は 馬(うま)も行(ゆ)かず 人(ひと)も行(ゆ)かねば 荒(あ)れにけるかも

 八隅治天下 經綸恢弘吾大君 高敷臨御宇 秋津大和之國者 皇祖皇宗之 神武大御代以來 定以為京師 光宅敷座秀國矣 天津日嗣之 所生御子繼綿延 掩天下八紘 以為一宇躬君臨 八百萬無限 兼知未然千年後 定都營京師 平城寧樂奈良京 陽炎絢麗兮 時值佐保春日臨 乃樂春日山 以至御笠野邊間 櫻木花盛咲 隱於木暗樹蔭間 妍麗貌鳥者 數鳴無間報春暖 露霜降置白 龍田之秋去來者 乃樂生駒山 以至飛火崗岳間 蹋散萩枝而 步迴柵散亂落柄 雄牡小壯鹿 呼妻聲響鳴迴盪 見彼寧樂山 山明觀之不厭飽 顧彼平城里 里鄉宜居寔住吉 文武百官之 八十伴緒益荒男 裏這續綿延 古今末長所思者 玄天黃地之 寄合相交遠極處 永久萬代間 繁華榮盛無絕時 吾雖作此思 所念百敷大宮處 吾雖寄憑髻\鎮偉表奈良都 時值新御代 以彼萬象須更新 大君命惶恐 唯諾隨君之所率 一猶春華兮 世事無常早移變 復如群鳥兮 朝日出行別去者 刺竹生茂繁 百敷宮闈大宮人 過去所蹋平 絡繹不絕蟻通道 人事咸已非 馬之不行人不往 寧樂故鄉今荒頹

田邊福麻呂 1047

「高敷(たかし)かす」,營造都城,於高處照覽、統治國家。結合「高知」與「太敷」之語。

「皇祖(すめろき)の 神御代(かみのみよ)より」,「すめろき」或書為天皇,代代皇祖或某一代天皇之稱,此云初代神武天皇

「天下(あめのした) 知(し)らし坐(まさ)むと」,此句之前省略「於此奈良之地」。

「千年(ちとせ)を兼(か)ねて」,「兼(か)む」乃預想之意。『日本書紀』推古紀有云:「兼知未然。」

陽炎(かぎろひ)の」,春季之代表景色,故作為春之枕詞。「露霜(つゆしも)の」,秋季代表景色,秋之枕詞

「木暗(このくれ)」,樹蔭。

「飛火(とぶひ)が崗(をか)」,設有烽火台之山。按『日本書紀』天智記三年是歲條:「是歲,於對馬嶋、壹岐嶋、筑紫國等,置防與烽。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki27.htm#sk27_04

「裏這(うちは)へて」,「這(は)ふ」乃長時間對特定對象有所寄情之意。

「天地(あめつち)の 寄合(よりあ)ひの極(きは)み」,為強調食間上之永遠,而徵引此空間上之無限語句以為照應。

大宮(おほみや)すらを」,「すらを」表「明明雖然如此,然而...」之意。

「新代(あらたよ)の」,恭仁京遷都,萬象更新,而橘氏取代藤原朝廷首班之局勢、抱負

「引(ひ)きの隨(まにま)に,順從天皇之引導。按天平十三年詔,五位以上者,不得無斷留住平城京。實質乃強制遷移。

「春花(はるはな)の」,以花謝移落,而為「移變」之枕詞

「群鳥(むらとり)の」,以鳥群早朝飛翔之習,而為「朝立(あさだ)ち」之枕詞

「朝立行(あさだちゆ)けば」,比喻急促搬至新都之狀。

「踏平(ふみなら)し」,形容絡繹不絕,凹凸不平之道路為往來人馬所踏平。


1048 反歌二首 【承前。】

 立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生爾異煎

 立變(たちかは)り 古都(ふるきみやこ)と 成(な)りぬれば 道芝草(みちのしばくさ) 長(なが)く生(お)ひにけり

 世易時移矣 寧樂故鄉化舊京 今日以此故 道中芝草生長茂 荒煙廢絕令鼻酸

田邊福麻呂 1048

「立變(たちかは)り」,世易時移,新出現之事物取代舊者。

「道芝草(みちのしばくさ)」,過去大宮人等頻繁往來之平城京路上,因人潮不再而孳生之雜草。


1049 【承前。】

 名付西 奈良乃京之 荒行者 出立每爾 嘆思益

 懷(なつ)きにし 奈良都(ならのみやこ)の 荒行(あれゆ)けば 出立(いでた)つ每(ごと)に 嘆(なげ)きし(ま)さる

 所懷所馴染 奈良故鄉寧樂京 以彼荒廢者 每逢出行佇屋外 見此悲景徒畸

田邊福麻呂 1049

「懷(なつ)きにし」,「懷(なつ)く」乃熟悉之狀。

「出立(いでた)つ」,出於屋外,佇立道中。乃庇於家中之「居坐」之相對詞。


1050 讚久邇新京歌二首 【并短歌。】

 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中爾 國者霜 多雖有 里者霜 澤爾雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合鄉跡 山代乃 鹿脊山際爾 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音敘清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響爾 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁爾 巖者 花開乎呼理 痛可怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曾 吾大王者 君之隨 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜

 現神(あきつかみ) 我(わ)が大君(おほきみ)の 天下(あめのした) 八島內(やしまのうち)に 國(くに)はしも 澤(さは)に有(あ)れども 里(さと)はしも 澤(さは)に有(あ)れども 山並(やまなみ)の 宜(よろ)しき國(くに)と 川並(かはなみ)の 立合(たちあ)ふ里(さと)と 山背(やましろ)の 鹿脊山際(かせやまのま)に 宮柱(みやばしら) 太敷奉(ふとしきまつ)り 高知(たかし)らす 布當宮(ふたぎのみや)は 川近(かはちか)み 鷁(せのおと)ぞ清(きよ)き 山近(やまちか)み 鳥(とり)が音響(ねとよ)む 秋去(あきさ)れば 山(やま)も轟(とどろ)に 小雄鹿(さをしか)は 妻呼響(つまよびとよ)め 春去(はるさ)れば 岡邊(をかへ)も繁(しじ)に 巖(いはほ)には 花咲撓(はなさきをを)り 痛怜(あなおもしろ) 布當原(ふたぎのはら) 甚貴(いとたふと) 大宮所(おほみやところ) 宜(うべ)しこそ 吾(わ)が大君(おほきみ)は 隨君(きみながら) 聞(き)かし賜(たま)ひて 刺竹(さすたけ)の 大宮此處(おほみやここ)と 定(さだ)めけらしも

 明神現人神 經綸恢弘吾大君 六合天之下 所治大八洲國中 諸國雖多有 無處地靈猶此矣 諸里雖多在 莫有人傑若此矣 山並誠巍峨 山明壯麗宜國矣 川並寔蜿蜒 錯蹤絡合秀里矣 山背山城之 鹿脊山之麓際處 豎立嚴宮柱 太敷奉立營廣厚 建之治高聳 久邇新京布當宮 去川程不遠 鷁止ミダ鏡金磧ゝ郢各刺埀鵝…嗣音響渡繞樑 時值秋日者 山中聲鳴響轟轟 牡雄小壯鹿 戀妻呼鳴題不斷 時值春日者 崗邊寔繁無間斷 磐根巨巖間 百花爭鳴撓亂咲 嗚呼甚憐矣 美不勝收布當原 其尊高貴矣 此其百敷大宮所 宜矣如是哉 英明聖絕吾大君 隨臣之所奏 聞賜諸兄獻策者 定彼刺竹之 榮盛繁茂大宮所 鎮座此地御宇哉

田邊福麻呂 1050

「現神(あきつかみ)」,顯現行姿於現世之神。神多隱身,而天皇則為現人神、顯人神。大化改新之詔,有明神之語。

「八島(やしま)」,日本之別稱,或云大八洲國。按『古事記』,乃淡路、四國、隱岐、九州、壹岐、對馬、佐渡、本洲。

「國(くに)はしも 澤(さは)に有(あ)れども」,讚美國勢之常套語。諸國雖多,以此國最勝。

「山並(やまなみ)」,山脈相連之狀。

「川並(かはなみ)の 立合(たちあ)ふ里(さと)と」,川並乃河道。此云河筋錯蹤交絡之狀。概指和束川、石部川交匯於泉川而為言。

「宮柱(みやばしら) 太敷奉(ふとしきまつ)り」,造營宮殿堅實壯大,以之奉呈獻上。主語概為橘諸兄

「山(やま)も轟(とどろ)に」,連山亦為之震撼。

「繁(しじ)に」,緊密無間斷。

「痛怜(あなおもしろ)」,「怜(おもしろ)」指景色明媚,令觀者心曠神怡。

大宮所(おほみやところ)」,以皇居未完成,遂用此語。此歌雖讚久邇新京,然宮殿造營於十五年中斷,而當於每年元旦舉行之百官朝賀,此十六年亦因太極殿未成而廢朝。

「隨君(きみながら)」,此君指橘諸兄,與意指聖武天皇之大君有別。橘氏別業在相樂之地,諸兄或欲借藤原廣嗣之亂之機,遠離平城,一掃藤原勢力。

「聞(き)かし賜(たま)ひて」,此云聖武帝聽取諸兄之獻策。


1051 反歌二首 【承前,反歌第一。】

 三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處【一云,此跡標刺。】 定異等霜

 三香原(みかのはら) 布當野邊(ふたぎののへ)を 清(きよ)みこそ 大宮所(おほみやところ)【一云(またにいふ)、此處(ここ)と標刺(しめさ)し。】 定(さだ)めけらしも

 賀茂三香原 久邇布當野邊處 以其清清故 定為百敷大宮所 【一云,標刺此處為宮闕。】 長治六合永久

田邊福麻呂 1051

「標刺(しめさ)し」,打杭標識占有地域。標乃明示神或己之領地之標記。此云完成造迎新都之計畫,將之實行。


1052 【承前,反歌第二。】

 山高來 川乃湍清石 百世左右 神之味將徃 大宮

 山高(やまたか)く 川鸚(かはのせきよ)し 百代迄(ももよまで) 神(かむ)しみ行(ゆ)かむ 大宮所(おほみやところ)

 山高勢巍峨 水秀川黨收鏡供≦堽疉澗絽紂々更埒誓脂称念辧嗚呼美哉大宮

田邊福麻呂 1052

「山高(やまたか)く」,諸本原文作「弓高來」,概訛。神宮文庫本弓字有註やま之訓。

「神(かむ)しみ行(ゆ)かむ」,「神(かむ)しみ」意同「神(かむ)さぶ」。

1053 【讚久邇新京歌第二。】

 吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鸎乃 來鳴春部者 巖者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左壯鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具禮乎疾 狹丹頰歷 黃葉散乍 八千年爾 安禮衝之乍 天下 所知食跡 百代爾母 不可易 大宮

 吾(わ)が大君(おほきみ) 神尊(かみのみこと) 高知(たかし)らす 布當宮(ふたぎのみや)は 百木盛(ももきも)り 山(やま)は木高(こだか)し 落激(おちたぎ)つ 鷁(せのおと)も清(きよ)し 鶯(うぐひす)の 來鳴(きな)く春邊(はるへ)は 巖(いはほ)には 山下光(やましたひか)り 錦為(にしきな)す 花咲撓(はなさきをを)り 小雄鹿(さをしか)の 妻呼(つまよ)ぶ秋(あき)は 天霧(あまぎら)ふ 時雨(しぐれ)を疾(いた)み 小丹面(さにつら)ふ 黃葉散(もみちち)りつつ 八千年(やちとせ)に 生付(あれつ)かしつつ 天下(あめのした) 知(し)らしめさむと 百代(ももよ)にも 變(かは)るましじき 大宮所(おほみやところ)

 吾皇我大君 顯人明神神尊矣 高築治天下 久邇新京布當宮 百木生繁茂 山間樹高盛蒼鬱 水落湍流激 鷁酸串釡鄂反粥黃鶯啼出谷 來鳴報暖春日者 春日巖磐根 縱令山下亦光曜 絢爛猶華錦 百花爭艷撓亂咲 牡雄小壯鹿 呼妻戀啼秋日者 天霧曇蔽空 時雨疾降零不止 染赤小丹面 黃葉舞散降紛紛 永末八千年 生兒八十綿延胤 於此治天下 高知御宇馭國中 縱令百代後 屹立不搖莫可易 偉哉久邇大宮

田邊福麻呂 1053

「百木盛(ももきも)り」,「盛(も)る」乃繁茂之意。與森、冬籠等語亦有所關連。

「木高(こだか)」,樹木高大茂盛。

山下光(やましたひか)り」,山下光明輝耀。一般山下乃日蔭之處,此確光曜。修飾下句「花咲撓(はなさきをを)り」。

「錦為(にしきな)す」,猶如錦織一般。此云花開爭艷,令人將誤以為錦織

「天霧(あまぎら)ふ」,天空一面為雲霧所遮。

「小丹面(さにつら)ふ」,帶著赤色之意。「さ」乃接頭語,而「丹面ふ」表男女面色紅潤,容貌姣好。

「生付(あれつ)かしつつ」,天皇代代子孫生於此地,容景無限之狀。

「變(かは)るましじき」,打消推量語,意與べし相反。此云宮殿美崙美奐,絕不可能俄然衰頹。


1054 反歌五首 【承前,反歌五首第一。】

 泉川 徃麈疑綰掘絕者許曾 大宮地 遷徃目

 泉川(いづみがは) 行鷽(ゆくせのみづ)の 絕(た)えばこそ 大宮所(おほみやところ) 移行(うつろひゆ)かめ

 泉川徃黷磧\多緝堊充鱗賁襦‖郷緻絕時 除非一旦逝水斷 大宮方有衰移時

田邊福麻呂 1054

「絕(た)えばこそ」,以泉川(木津川)水無絕時,預祝久邇京榮華不斷。直譯為若久邇京有衰移之時,除非泉川水斷,否則決無可能。

「移行(うつろひゆ)かめ」,人物離散,宮殿衰廢之狀。

1055 【承前,反歌五首第二。】

 布當山 山並見者 百代爾毛 不可易 大宮

 布當山(ふたぎやま) 山並見(やまなみみ)れば 百代(ももよ)にも 變(かは)るましじき 大宮所(おほみやところ)

 久邇布當山 見比連山峻勢者 可知百代後 巍峨不變永屹立 偉哉久邇大宮

田邊福麻呂 1055

「山並(やまなみ)」,山岳連貫之狀。此概自恭仁京北望海住山寺所居三上山連山所云。

1056 【承前,反歌五首第三。】

 妗嬬等之 續麻繫云 鹿脊之山 時之徃者 京師跡成宿

 娘子等(をとめら)が 績麻懸(うみをか)くと云(い)ふ 鹿脊山(かせのやま) 時9とき)し行(ゆ)ければ 都(みやこ)と成(なり)ぬ

 昔日娘子等 績麻懸兮通桛之 足曳鹿脊山 世易

時移歷運轉 今作京師化都城

田邊福麻呂 1056

「績麻懸(うみをか)くと云(い)ふ」,以同音引「出鹿脊山(かせのやま)」之序。「桛(かせ)」乃紡織所用之木器。

「都(みやこ)と成(なり)ぬ」,成為京師。此表現對於驟然之變化感到訝異。

1057 【承前,反歌五首第四。】

 鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鸎之音

 鹿脊山(かせのやま) 木立(こだ)ちを繁(しげ)み 朝去(あささ)らず 來鳴響(きなきとよ)もす 鶯聲(うぐひすのこゑ)

 足曳鹿脊山 木立寔繁茂蒼鬱 以彼蒼翠故 每朝不闕來鳴響 鶯聲繞梁音不絕

田邊福麻呂 1057

「朝去(あささ)らず」,每朝。「去(さ)らず」為不闕、不欠之意,故此。


1058 【承前,反歌五首第五。】

 狛山爾 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間爾不通【一云,渡遠哉,不通有武。】

 狛山(こまやま)に 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす) 泉川(いづみがは) 渡(わた)りを遠(とほ)み 此處(ここ)に通(かよ)はず【一云(またにいふ)、渡遠(わたりとほ)みか、通(かよ)はざるらむ。】

 蒼翠狛山間 所鳴郭公不如歸 以彼泉川之 所渡河幅廣遠故 不通此間不來哉【一云,渡魴河廣遠哉,於是不通吾甚惜。】

田邊福麻呂 1058

「渡(わた)り」,應當渡行之處。北岸狛山,與南岸法華寺野,夾泉川而對,又川幅以此最宰。若鶯欲飛渡此川,當從此地。然卻不來。

「此處(ここ)に通(かよ)はず」,「此處(ここ)」表作者居所。概於泉川南岸鹿脊山側所詠。

「渡遠(わたりとほ)みか、通(かよ)はざるらむ。」,此云鶯之不來,概因川幅廣遠之故乎。

1059 春日悲傷三香原荒墟作歌一首 【并短歌。】

 三香原 久邇乃京師者 山高 河之鸚供〆澣叛廖/夕夊云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里爾四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際爾 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在杲石 住吉里乃 荒樂苦惜哭

 三香原(みかのはら) 久邇都(くにのみやこ)は 山高(やまたか)み 川鸚(かはのせきよ)み 住良(すみよ)しと 人(ひと)は言(い)へども 在良(ありよ)しと 我(われ)は思(おも)へど 古(ふ)りにし 里(さと)にしあれば 國見(くにみ)れど 人(ひと)も通(かよ)はず 里見(さとみ)れば 家(いへ)も荒(あ)れたり 愛(は)しけやし 如是(かく)ありけるか 三諸齋(みもろつ)く 鹿脊山際(かせやまのま)に 咲花(さくはな)の 色珍(いろめづ)らしく 百鳥(ももとり)の 聲懷(こゑなつか)しく 在(あり)が欲(ほ)し 住良(すみよ)き里(さと)の 荒(あ)るらく惜(を)しも

 賀茂三香原 恭仁久邇京師者 山高勢巍峨 水秀川黨收鏡供/頼云此地 宜室宜家寔住吉 我雖思此地 宜居宜棲寔在吉 然今為荒墟 化作故里舊都者 迴首顧國中 門可羅雀無人通 迴首顧里間 家亦荒頹蔓草生 嗚呼哀憐哉 世間無常如是乎 神齋三諸岳 鹿脊山際麓陲處 妍花咲爭艷 花色絢爛貴珍奇 百鳥啼爭鳴 鳥囀聲懷誠難捨 吾願得久居 如此宜住良里之 化作荒墟令人惜

田邊福麻呂 1059

「愛(は)しけやし」,此為感慨世間何以如此無常渺然之狀。

「三諸齋(みもろつ)く」,三諸山多為三輪山飛鳥神奈備山之別名,或時不特指固定場所,而表神所憑坐之山。「齋(つ)く」乃「齋(いつ)く」之略,表對鹿脊山之信仰

「色珍(いろめづ)らしく」,「珍(めづ)らしく」於此表內心受其吸引之狀。

「聲懷(こゑなつか)しく」,心受吸引而難以分離之狀。

「在(あり)が欲(ほ)し」,期望永遠如是。


1060 反歌二首 【承前,反歌第一。】

 三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去禮者

 三香原(みかのはら) 久邇都(くにのみやこ)は 荒(あ)れにけり 大宮人(おほみやひと)の 移(うつろ)ひぬれば

 賀茂三香原 恭仁久邇京師者 荒頹作廢墟 只因百敷大宮人 遷去新京不復還

田邊福麻呂 1060

「移(うつろ)ひぬれば」,此云人物離散,人事全非。



1061 【承前,反歌第二。】

 咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人敘 立易奚流

 咲花(さくはな)の 色(いろ)は變(かは)らず 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)ぞ 立變(たちかは)りける

 咲花不易 一如昔時無變改 然見百敷之 殿上宮闈大宮人 立易移變不復還

田邊福麻呂 1061

「立變(たちかは)りける」,瞬間轉變,一般只為某物所取代,此則云人去樓空。

1062 難波宮作歌一首 【并短歌。】

 安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲躁 夕薙丹 櫂合之聲所聆 曉之 寐覺爾聞者 海石之 鹽乾乃共 汭渚爾波 千鳥妻呼 葭部爾波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視卷欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞

 八隅治(やすみし)し 我(わ)が大君(おほきみ)の 蟻通(ありがよ)ふ 難波宮(なにはのみや)は 鯨魚取(いさなと)り 海片付(うみかたづ)きて 玉拾(たまひり)ふ 濱邊(はまへ)を近(ちか)み 朝羽振(あさはふ)る 波音騷(なみのおとさわ)き 夕凪(ゆふなぎ)に 楫音聞(かぢのおとき)こゆ 曉(あかとき)の 寢覺(ねざ)めに聞(き)けば 海石(いくり)の 潮乾共(しほかれのむた) 浦洲(うらす)には 千鳥妻呼(ちどりつまよ)び 葦邊(あしへ)には 鶴(たづ)が音響(ねとよ)む 見人(みるひと)の 語(かた)りにすれば 聞人(きくひと)の 見(み)まく欲(ほ)りする 御食向(みけむか)ふ 味經宮(あぢふのみや)は 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 八隅治天下 經綸恢弘吾大君 蟻通車馬喧 押照樂浪難波宮 鯨魚獵取兮 邊津近海接蒼溟 拾玉獲真珠 近岸濱邊去不遠 朝羽振搏翅 波音騷動浪聲高 夕凪風浪歇 榜船楫音可耳聞 朝日晨曉時 寢覺之間聞音者 海若海石之 潮乾潮涸相與共 其於浦洲間 千鳥高啼喚戀妻 其於葦邊處 群鶴鳴立發音響 此情復此景 見者語之口相傳 聞人聽其言 心神嚮往欲見之 御食所向兮 難波味原味經宮 縱觀千遍亦不倦

田邊福麻呂 1062

難波宮作歌」,蓋田邊福麻呂隨橘諸兄留首難波宮時所作,或云聖武天平十七年幸難波宮時所作。

「蟻通(ありがよ)ふ」,「あり」表狀態持續,意指人馬往來不絕。

「海片付(うみかたづ)きて」,「片付(かたづ)き」指居住空間之部分與山海相接。

「朝羽振(あさはふ)る」,「羽振(はふ)る」乃鳥類搏羽起飛之狀。此云羽風激烈,帶動風浪駭起。

「寢覺(ねざ)め」,眾人沉眠之時,獨自醒寤之狀。

「海石(いくり)」,暗礁之類。或云,海若(わたつみ=海神)之訛乎。

「潮乾共(しほひのむた)」,「潮乾(しほかれ)」乃退潮,『高橋氏文』云:「船遇潮涸(しほかれ)。」「共(むた)」乃「與共」之意。

「御食向(みけむか)ふ」,地名「味經(あぢふ)」之枕詞

「味經宮(あぢふのみや)」,座落味經原之宮殿。按『日本書紀』孝記,近於難波宮,但非同所。然觀此歌前後,又似難波宮別名。未知孰是,唯俟後攷。


1063 反歌二首 【承前,反歌第一。】

 有通 難波乃宮者 海近見 漁童女等之 乘船所見

 蟻通(ありがよ)ふ 難波宮(なにはのみや)は 海近(うみちか)み 海人娘子等(あまをとめら)が 乘(の)れる舟見(ふねみ)ゆ

 蟻通人不絕 押照樂浪難波宮 以其近倉溟 漁獵海人娘子等 所乘之舟今可見

田邊福麻呂 1063

「海人娘子等(あまをとめら)が 乘(の)れる舟見(ふねみ)ゆ」,意境類於930「梶の音聞こゆ」。「海人娘子(あまをとめ)」原文作「海童女」而705、706題詞亦可見童女云云。

1064 【承前,反歌第二。】

 鹽乾者 葦邊爾躁 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二

 潮乾(しほふ)れば 葦邊(あしへ)に騷(さわ)く 白鶴(しらたづ)の 妻呼聲(つまよぶこゑ)は 宮(みや)も轟(とどろ)に

 潮乾潮涸時 白鶴騷鳴在葦邊 戀妻情難止 鶴喚高啼呼妻聲 傳至宮中亦轟響

田邊福麻呂 1064

「葦邊(あしへ)に騷(さわ)く」,「騷(さわ)く」原文[⻊參],意同「躁」。

「宮(みや)も轟(とどろ)に」,此云白鶴喚妻之鳴傳來,宮中亦隨之鳴響。

1065 過敏馬浦時作歌一首 【并短歌。】

 八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風爾 浦浪左和寸 夕浪爾 玉藻者來依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人每爾 語嗣 偲家良思吉 百世歷而 所偲將徃 清白濱

 八千桙(やちほこ)の 神御代(かみのみよ)より 百船(ももふね)の 泊(は)つる泊(とま)りと 八島國(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の 定(さだ)めてし 敏馬浦(みぬめのうら)は 朝風(あさかぜ)に 浦波騷(うらなみさわ)き 夕波(ゆふなみ)に 玉藻(たまも)は來寄(きよ)る 白真砂(しらまなご) 清濱邊(きよきはまへ)は 行歸(ゆきかへ)り 見(み)れども飽(あ)かず 諾(うべ)しこそ 見(み)る人每(ひとごと)に 語繼(かたりつ)ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代經(ももよへ)て 偲(しの)はえ行(ゆ)かむ 清白濱(きよきしらはま)

 顯國八千矛 大國主神大汝命 自彼御世起 百船停泊此湊矣 大八島國中 千舟百船討海人 百慮之所定 刈藻罔象敏馬浦 朝風吹拂者 浦浪騷動隨風湧 夕波盪漾者 玉藻逐流來寄岸 潔白齋真砂 無垢清淨濱邊矣 每逢行歸時 見之百遍不倦厭 諾矣寔理宜 人每見之觸心絃 口耳相語繼 偲之褒之存不忘 縱令經百代 相傳與共讚不絕 如是淨潔清白濱

田邊福麻呂 1065

「八千桙(やちほこ)の 神」,大國主命。此云敏馬浦自古以來即為良港。

「百舟人(ももふなびと)の」,「人」字原文作「純」,1023亦有同表記。而3791有「純裏(ひつら)」云云。

「偲(しの)ひけらしき」,「偲(しの)ふ」於此乃讚美眼前事物之意。「けらしき」乃「けるらし」之略「けらし」之連體形

「偲(しの)はえ行(ゆ)かむ」,「え」乃表受身或自發之注動詞「ゆ」之連用形


1066 反歌二首 【承前,反歌第一。】

 真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國

 真十鏡(まそかがみ) 敏馬浦(みぬめのうら)は 百船(ももふね)の 過(す)ぎて行(ゆ)くべき 濱(はま)なら無(な)くに

 清澄真十鏡 見宿女兮敏馬浦 百船所敬重 每經此浦必手向 不得輙過此濱矣

田邊福麻呂 1066

「真十鏡(まそかがみ)」,「見(み)る」之枕詞。此以「敏馬浦(みぬめのうら)」之音類而相關。

「過(す)ぎて行(ゆ)くべき」,「過(す)ぎ」指單純經過而不駐足。此云敏馬浦景色奇美,無法一瞥而過。

1067 【承前,反歌第二。】

 濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱

 濱清(はまきよ)み 浦愛(うらうるは)しみ 神代(かみよ)より 千船泊(ちふねのは)つる 大和太濱(おほわだのはま)

 濱清砂潔白 浦景明媚無限好 早自千早振 神代以來千船泊 大和太之輪田濱

田邊福麻呂 1067

 右廿一首,田邊福麻呂之歌集中出也。

「浦愛(うらうるは)しみ」,「愛(うるは)し」乃讚歎風光美好之詞,與對人之「愛(うつく)し」有別。

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2016-08-20-土

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お盆放浪京都

ついに旅行の最終日、京都

見所が尽きぬこの地がずるいの一言。連日の旅で疲れた身で出来るだけ行って、調整の融通も効く京都は本当に重宝である

以前留学の時は一度あった友人と8年ぶりあう約束があって、ワクワクした。会う前は取り合えず松尾大社小倉山を見て、それから余裕があれば城南宮でも、と考案した。


京都駅で一日フリーパスバス乗り放題切符を買って、酒造の神樣松尾大社へ!と言いながら途中の梅宮大社で先に降りた。同じく酒造の神樣・大山咋神を祀るこの神社は、松尾大社に近く街に位置する。なんと言うと...ネコが多い!早朝いったので神主が居なくて迎えてくれるのが猫、猫、猫!社務所にはお守りなど以外にネコ写真も売ってる!また、集まってる猫が梅宮大社の飼い猫で人に懐くものの勝手に餌を与えないでとの注意書きも。やっぱり時間がまだ早いのでか社務所もまだ開いてなく、一旦松尾大社に出て、戻る際にまたここに戻りご朱印を頂くことにした。


梅宮大社

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梅宮大社を後に松尾橋を越えると松尾大社は目の前。松尾大社神使と言えば龜と鯉、龜の手水社は大嶽山那賀神社以来か...神社の奧に磐座があるが、登拝には申し込みが要る上、写真不可。結局登拝せずに、お酒資料館を参観してから摂社の月讀神社へ。月延石、解穢水など見所も多し。一旦梅宮大社に戻り、再び嵐山へ。


松尾大社

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渡月橋から降りて、目指すは長慶天皇陵の近くにある陰陽博士安倍晴明嵯峨墓所住宅区の中に佇む晴明墓は、晴明神社のように騷ぐことなく、静かなところだった。隣に角倉稲荷神社があるのも人に葛葉狐伝説を思わせる。



渡月橋

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晴明墓を後にして続きの目標小倉山荘跡。調べてみればいろんな候補地があり、そのうち有力な常寂光寺へ行こうとして。途中、また例の竹林を経て、野宮神社にはいり、斎宮旧趾等を偲んでまた進む。途中新敕撰集百人一首テーマに、小倉百人一首文芸苑が立てた歌碑群があるものの、素通る人が多そう。大河内山荘を通過して竹林を抜けると御髮神社がある。祭神藤原采女亮政公で境内に献髮可能の髮塚がある。説明によると「髮は人身の最上位にあって造化の神より賜った美しい自然の冠りであると共に、生前にで殘れ得る唯一の分身として大きな恩恵感謝するなど副神として納祭れ祈拝される。」髮は神に通じる言葉を忘れずに。


野宮神社

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御髮神社

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ようやく、主役の常寂光寺に到着。この『小倉百人一首』を編纂した藤原定家が『明月記』に「其字如鬼」と自嘲した所で字が汚い私には親近感を湧く訳で、かの小倉百人一首を考案したのは小倉山である。常寂光寺を入ると直ぐに定家和歌及び定家山荘跡と書かれる歌碑がある。庭園の緑はヤバいほど自我主張していて上まで登ると京都を一望できる見晴の場所もあり、山を降りて先の歌碑の近くに別の「小倉百人一首編纂之地」と書かれる碑がある。こんな感じでついに小倉山百人一首の地を体験した。


寂光院

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京都駅に戻り、どこでも混んでいるお盆時期けれども、京都在住の友人のおかげで京都センチュリーホテルでTea Timeを過ごし、積もり話を色々した。最後でまたべつの伏見の友人宅で時間を潰しながら夜間バス山梨へもどる。ただし、甲府着はなんと朝四時。歩いて帰ってお風呂入ってからもう泥のように寝込んだ。我ながら長旅の疲れが出るわけ、年だな。


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