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2016-05-24-火

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補給物資

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万葉集試訳

0690 大伴宿禰三依悲別歌一首

 照日乎 闇爾見成而 哭淚 衣沾津 干人無二

 照日(てらすひ)を 闇(やみ)に見作(みな)して 泣淚(なくなみだ) 衣濡(ころもぬ)らしつ 乾(ほ)す人無(ひとな)しに

 光天赫照日 見作黯闇眼迷離 泣淚翳視線 濡衣漬袖霑襟濕 無人來為吾乾之

大伴家持 0690

「大伴宿禰三依悲別」,對象依時期或為賀茂女王,或為坂上郎女。未詳。

「乾(ほ)す人無(ひとな)しに」,此語意識對象女性而為言。對對方不理解己身悲哀而無所體恤者之怨嘆。


0691 大伴宿禰家持贈娘子歌二首

 百礒城之 大宮人者 雖多有 情爾乘而 所念妹

 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 多(おほ)かれど 心(こころ)に乘(の)りて 思(おも)ほゆる妹(いも)

 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 其數雖多在 能乘吾情懸吾心 唯有朝暮所念妹

大伴家持 0691

萬葉集』中以娘子代稱者往往為地位卑下女性。其後大伴家持於700, 714, 783, 1596亦有贈娘子歌,未詳對象是否為同一人物。

「百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は」,「百敷」乃「大宮人」之枕詞大宮人在此指女官

此云宮中女官雖多,能令作者魂牽夢縈者為妹君而已。

0692 【承前,第二。】

 得羽重無 妹二毛有鴨 如此許 人情乎 令盡念者

 表邊無(うはへな)き 妹(いも)にも有(あ)るかも 如此許(かくばか)り 人心(ひとのこころ)を 盡(つ)くさく思(おも)へば

 顧見此世中 可有薄情猶汝者 翻弄如此許 帷幄人情鼓掌間 令吾赤心碎散盡

大伴家持 0692

「表邊無(うはへな)き」,連表面上的情義亦不施捨。

「人心(ひとのこころ)を 盡(つ)くさく思(おも)へば」,此人指大伴家持,盡心指心靈消磨殆盡。

0693 大伴宿禰千室歌一首 【未詳。】

 如此耳 戀哉將度 秋津野爾 多奈引雲能 過跡者無二

 如此(かく)のみし 戀(こひ)や渡(わた)らむ 秋津野(あきづの)に 棚引(たなび)く雲(くも)の 過(す)ぐとは無(な)しに

 吾情將何如 蓋仍長戀如此爾 不若秋津野 棚引浮雲過無痕 吾心戀慕誠難忘

大伴千室 0693

「大伴千室」,左兵尉督。傳未詳。4298亦註古今未詳。

「戀(こひ)や渡(わた)らむ」,詠嘆疑問。

「棚引(たなび)く」,引出「過(す)ぐ」之序。類例有『萬葉集』242,比喻將消去之事物

「過(す)ぐとは無(な)しに」,「過ぐ」表忘懷。

0694 廣河女王歌二首 【穗積皇子之孫女,上道王之女也。】

 戀草呼 力車二 七車 積而戀良苦 吾心柄

 戀草(こひぐさ)を 力車(ちからくるま)に 七車(ななくるま) 積(つ)みて戀(こ)ふらく 我(わ)が心(こころ)から

 戀草除不盡 積於力車滿七車 繁茂盛如此 吾戀猶彼荷雖重 然寔由衷甘如飴

廣河女王 0694

「戀草(こひぐさ)」,以草滋長茂盛之狀,比喻除之不盡,更生繁茂之慕情

「力車(ちからくるま)」,大型貨車。『色葉和難集』云:「力車者,積重物之車也。」

「七車(ななくるま)」,七乃表多數之虛詞。

「我(わ)が心(こころ)から」,發自內心,非因外在要素所為


0695 【承前,第二。】

 戀者今葉 不有常吾羽 念乎 何處戀其 附見繫有

 戀(こひ)は今(いま)は 有(あ)らじと我(あれ)は 思(おも)へるを 何處(いづく)の戀(こひ)そ 攫繫(つかみか)かれる

 吾思己斷情 今後不復受戀苦 雖念作如此 戀矣藏身匿何處 攫繫吾身弄吾情

廣河女王 0695

「戀(こひ)は今(いま)は 有(あ)らじ」,將戀情擬人化。不欲再見戀情,欲與戀情絕交。

「攫繫(つかみか)かれる」,『新撰字鏡』云:「抄,強取物。つかむ也。」

此歌或摹寫其祖父穗積皇子所作萬葉集』3816曲。

0696 石川朝臣廣成歌一首 【後賜姓高圓朝臣氏也。】

 家人爾 戀過目八方 川津鳴 泉之里爾 年之歷去者

 家人(いへびと)に 戀過(こひす)ぎめやも 蛙鳴(かはづな)く 泉里(いづみのさと)に 年經(としのへ)ぬれ

 心慕居家妻 常念彼身豈輒忘 川津蛙鳴兮 寂侘泉里故鄉間 日經月累年歷去

石川廣成 0696

家人(いへびと)に 戀過(こひす)ぎめやも」,此云豈將淡忘對家中妻子之思慕。

「蛙鳴(かはづな)く」,「泉里(いづみのさと)」之慣用修飾語

本歌蓋天平十二年久邇京遷都後於所作。同作者之1600、1601乃天平十五年所作。然本卷久邇京遷都後作歌多列於接近卷末之765以降。作者或於元明朝即因公務而暫居三香離宮乎。

0697 大伴宿禰像見歌三首

 吾聞爾 繫莫言 苅薦之 亂而念 君之直香曾

 我(わ)が聞(き)きに 懸(か)けて莫言(ない)ひそ 刈薦(かりこも)の 亂(みだ)れて思(おも)ふ 君(きみ)が直香(ただか)そ

 切莫輕言而 令吾耳聞觸吾情 苅薦紊亂兮 方寸戀慕情意亂 所念在君直香矣

大伴像見 0697

「我(わ)が聞(き)きに 懸(か)けて莫言(ない)ひそ」,「聞(き)き」於此有「欲聞」之意。「懸(か)けて」則含有「關連」之意。作者沉思之際,周遭論及其思慕之人,不覺豎耳竊聽,而對話內容卻非好意,遂有所不滿。故希望他人道人長短,莫入己耳。

「刈薦(かりこも)の」,「亂(みだ)れ」之枕詞

「君(きみ)が直香(ただか)」,原意乃「該人固有之香味」,轉作「該人」之用。「君」字用於敬畏之女性



0698 【承前,第二。】

 春日野爾 朝居雲之 敷布二 吾者戀益 月二日二異二

 春日野(かすがの)に 朝居(あさゐ)る雲(くも)の 頻頻(しくしく)に 我(あ)は戀(こひま)さる 月(つき)に日(ひ)に異(け)に

 奈良春日野 朝晨居雲之所如 頻頻續綿延 吾之戀倦情更募 日新月異與時

大伴像見 0698

「春日野(かすがの)に 朝居(あさゐ)る雲(くも)の」,引出下句「頻頻(しくしく)に」之序。描述雲群層聚高掛天上之狀。

「頻頻(しくしく)に」,頻繁「頻(しき)り」之意。


0699 【承前,第三。】

 一麁麈函\虔彎穃蛭罅\多綰掘仝緻嗾鯀蝓〆爾不有十方

 一(ひとせ)には 千度障(ちたびさは)らひ 行水(ゆくみづ)の 後(のち)にも逢(あ)はむ 今(いま)に非(あら)ずとも

 一鷯秬蘚戞∴瀏娘阻仍不止 逝水之所如 縱令今日不得晤 其末後日必相逢

大伴像見 0699

「一(ひとせ)には 千度障(ちたびさは)らひ 行水(ゆくみづ)の」,引出「後に逢ふ」之序。雖然現在受阻不得相逢,有朝一日必能再會。或與崇院「鵑鯀瓩漾ヾ笋忘匹るる 瀧川の 割れても末に 合はむとぞ思ふ」相類。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/100/100_02.htm#077

「後(のち)にも逢(あ)はむ」,「も」自於此非並列,乃「至少」之意,後句「今(いま)に非(あら)ずとも」為其補足。


0700 大伴宿禰家持到娘子之門作歌一首

 如此為而哉 猶八將退 不近 道之間乎 煩參來而

 如此(かく)して哉(や) 猶(なほ)や退(まか)らむ 近(ちか)からぬ 道間(みちのあひだ)を 泥(なづ)み參來(まゐき)て

 如此為而哉 猶卻退兮拒門外 道程非近鄰 翻山越嶺涉險來 徒苦足勞不得會

大伴家持 0700

「猶(なほ)や退(まか)らむ」詠嘆疑問。「退(まか)る」乃「參(まゐ)る」之反意詞,自貴人之處退下、離去。

「泥(なづ)み參來(まゐき)て」,此云自身不辭路遠涉途而來,難到要被請回。


0701 河內百枝娘子贈大伴宿禰家持歌二首

 波都波都爾 人乎相見而 何將有 何日二箇 又外二將見

 端端(はつはつ)に 人(ひと)を相見(あひみ)て 如何(いか)に有(あ)らむ 何日(いづれのひ)にか 又外(またよそ)に見(み)む

 端端稍瞥見 今與伊人稍相會 今後將何如 更歷年月致何日 方得遠目再一見

河內百枝娘子 0701

「河內百枝娘子」,河內蓋為氏名。亦或為地名

「端端(はつはつ)に」,稍為。

「人(ひと)を相見(あひみ)て」,此人指家持。

0702 【承前,第二。】

 夜干玉之 其夜乃月夜 至于今日 吾者不忘 無間思念

 烏玉(ぬばたま)の 其夜月夜(そのよのつくよ) 今日迄(けふまで)に 我(あれ)は忘(わす)れず 間無(まな)くし思(おも)へば

 漆遽╋妄臓‖玉觀醋訖執鏐 至今仍銘心 憶慕當宵未嘗忘 以吾無間思念

河內百枝娘子 0702

「其夜月夜(そのよのつくよ)」,「其(その)」為遠稱用法,指前曲「端端に 人を相見て」之夜。「月夜」指月本身而言。

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2016-05-21-土

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最近読了



万葉集試訳

0662 市原王歌一首

 網兒之山 五百重隱有 佐堤乃埼 左手繩師子之 夢二四所見

 網兒山(あごのやま) 五百重隱(いほへかく)せる 佐堤崎(さてのさき) さて延(は)へし兒(こ)が 夢(いめ)にし見(み)ゆる

 英虞網兒山 青垣隱兮五百重 坂手佐堤崎 如是繫心牽魂兒 夜夜縈夢現邯鄲

市原王 0662

「網兒山(あごのやま)」,今三重志摩郡阿兒(あご)町英虞(あご)之山。然英虞灣周邊並吾高山,或為同町鵜方以西之垰魁

「佐堤崎(さてのさき)」,蓋為鳥羽港內坂手島。「五百重隱せる 佐堤崎」乃以同音引出下文「さて」之序。

「さて延(は)へし」,「さて」有「因如此之故」之意。然相較於「しか、かく、かくて」等,上代語缺乏「さ、さて」之例,故存疑。「延へ」乃長延之意,表作者心繫伊人。

「夢(いめ)にし見(み)ゆる」,古俗以為對方思慕己身,則將現於自身夢中。然亦有日所思夜所夢之說。

0663 安都宿禰年足歌一首

 佐穗度 吾家之上二 鳴鳥之 音夏可思吉 愛妻之兒

 佐保渡(さほわた)り 我家(わぎへ)の上(うへ)に 鳴鳥(なくとり)の 聲懷(こゑなつ)かしき 愛(は)しき妻子(つまのこ)

 飛渡越佐保 翱翔太虛吾家上 鳴鳥之所如 其音婉囀令人懷 親親摯愛吾妻

安都年足 0663

「佐保渡(さほわた)り」,飛越佐保上空。

「鳴鳥(なくとり)の」,以上乃藉比喻起出「聲懷かしき」之序。

「聲懷(こゑなつ)かしき」,其聲甚有魅力。「懷(なつ)かし」表心靈為其牽引,繞樑難絕。

「愛(は)しき妻子(つまのこ)」,「妻子(つまのこ)」之の字乃同位表現

0664 大伴宿禰像見歌一首

 石上 零十方雨二 將關哉 妹似相武登 言義之鬼尾

 石上(いそのかみ) 降(ふ)るとも雨(あめ)に 障(つつ)まめや 妹(いも)に逢(あは)むと 言(い)ひてし物(もの)を

 石上振布留 大雨雖零豈為障 不畏天降雨 吾已約束與妹逢 信言既出不反爾

大伴像見 0664

石上(いそのかみ)」,以「石上・布留(ふる)」而為「降(ふ)る」之枕詞

「障(つつ)まめや」,停滯、關閉之意。止步不前。


0665 安倍朝臣蟲麻呂歌一首

 向座而 雖見不飽 吾妹子二 立離徃六 田付不知毛

 向居(むかひゐ)て 見(み)れども飽(あ)かぬ 我妹子(わぎもこ)に 立離行(たちはなれい)かむ 方法知(たづきし)らずも

 向居坐對面 百般相看兩不厭 親親吾妹子 今與汝別去他方 無計可施徒無奈

安倍蟲麻呂 0665

「我妹子(わぎもこ)に 立離行(たちはなれい)かむ」,此「に」字,作「を」格較常見。

方法(たづき)」,或書「活計」、「方便」等,有「線索」、「解法」等意。此曲詠離別之哀與無措之愁。

0666 大伴坂上郎女歌二首 【承前。】

 不相見者 幾久毛 不有國 幾許吾者 戀乍裳荒鹿

 相見(あひみ)ぬは 幾久(いくびさ)さにも 有(あ)ら無(な)くに 幾許(ここだ)く我(あれ)は 戀(こ)ひつつもあるか

 離別不相見 未經幾時日未久 然吾甚眷戀 慕情依依幾許長 猶似累月又經年

坂上郎女 0666

「幾久(いくびさ)さにも 有(あ)ら無(な)くに」,相去未久。『新譯法華經』訓「久如」作「いくびさ、ありてか。」

「戀(こ)ひつつもあるか」,文末「か」表詠嘆。

0667 【承前,第二。】

 戀戀而 相有物乎 月四有者 夜波隱良武 須臾羽蟻待

 戀戀(こひこ)ひて 逢(あ)ひたる物(もの)を 月(つき)し有(あ)れば 夜(よ)は隱(こも)るらむ 須臾(しまし)はあり待(ま)て

 戀戀長相思 曠日苦待終相逢 明月掛天中 今離天明有時辰 還願相伴待須臾

坂上郎女 0667

 右,大伴坂上郎女之母石川內命婦與安陪朝臣蟲滿之母安曇外命婦,同居姊妹,同氣之親焉,緣此郎女蟲滿相見不疏,相談既密。聊作戲歌,以為問答也。

「逢(あ)ひたる物(もの)を」,此云曠別已久,終得相逢,其下隱含「何欲速歸」之語。

「月(つき)し有(あ)れば 夜(よ)は隱(こも)るらむ」,此云明月仍高掛天空,離月沉日明尚有時許。

「須臾(しまし)はあり待(ま)て」,「あり」表狀態持續,期望伊人相伴至天明

「同氣之親」,『千字文』有「同氣連枝」云云。『色葉字類抄』云:「同氣,兄弟名。」

按佐注,文言雖述相愛贈答,實則表姊妹間擬情戲作之曲。

0668 厚見王歌一首

 朝爾日爾 色付山乃 白雲之 可思過 君爾不有國

 朝(あさ)に日(け)に 色付(いろづ)く山(やま)の 白雲(しらくも)の 思過(おもひす)ぐべき 君(きみ)に有(あ)ら無(な)くに

 朝朝復日日 黃葉色褪秋山上 白雲轉瞬去 吾人思君深刻骨 豈如浮雲能忘去

厚見王 0668

「朝(あさ)に日(け)に」,每朝每日。

「白雲(しらくも)の」,以上乃藉白雲飄去引出「過」字之序。

「思過(おもひす)ぐべき 君(きみ)に有(あ)ら無(な)くに」,此云浮雲或過而無痕,然對伊人之情豈易忘懷。

0669 春日王歌一首 【志貴皇子之子,母曰多紀皇女也。】

 足引之 山橘乃 色丹出與 語言繼而 相事毛將有

 足引(あしひき)の 山橘(やまたちばな)の 色(いろ)に出(いで)よ 語繼(かたらひつ)ぎて 逢事(あふこと)も有(あ)らむ

 足曳勢險峻 山橘結實發赤赭 若猶彼山橘 露色唯人所語繼 或得有緣再逢哉

春日王 0669

「山橘(やまたちばな)」,藪柑子之古名。自生於山地,花白,果赤。「足引の」乃山之枕詞

「色(いろ)に出(いで)よ」,此云將情感表露於外。思念伊人,但恐他人察覺,而不露於色。然久待無果,不若刻意發露,令他人謠傳,獲得令伊人耳聞,而得相逢。

「語繼(かたらひつ)ぎて」,口耳相傳。

0670 湯原王歌一首

 月讀之 光二來益 足疾乃 山寸隔而 不遠國

 月讀(つくよみ)の 光(ひかり)に來(き)ませ 足引(あしひき)の 山(やま)き隔(へな)りて 遠(とほ)から無(な)くに

 月讀照晚時 冀鯣犖來吾處 縱需足勞頓 路非曳足險山隔 行道亦非萬里遠

厚見王 0670

「月讀(つくよみ)の」,月之別名。『日本書紀』稱月神\「月弓尊」、「月夜見尊」、「月讀尊」等。以「月讀」書之者,或有訟數月齡之含意。

「山(やま)き隔(へな)りて」,高山居中相隔。「き」字語意不詳,或有「割り」「切り」等插入之意。

此曲,湯原王擬女性催促對象來訪之情而作。

0671 和歌一首 【不審作者。○承前。】

 月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念

 月讀(つくよみ)の 光(ひかり)は清(きよ)く 照(て)らせれど 惑(まと)へる心(こころ) 思(おも)ひ有(あ)へ無(な)くに

 太陰月讀之 皎月明光雖清冽 照臨曜晚間 然心戀惑緒紊亂 不堪念兮何相往

佚名 0671

「惑(まと)へる心(こころ) 思(おも)ひ有(あ)へ無(な)くに」,因戀而千頭萬緒,縱獲邀約,或難以應之。相對於月光之「照(て)らせ」,「惑(まと)へる」有心中黯淡不知所措之意。「惑」字或本作「或」,意同。


0672 安倍朝臣蟲麻呂歌一首

 倭文手纏 數二毛不有 壽持 奈何幾許 吾戀渡

 倭文手纏(しつたまき) 數(かず)にも有(あ)らぬ 命以(いのちも)て 何(なに)か幾許(ここだく) 我(あ)が戀渡(こひわた)る

 倭文鐶手纏 此身卑賤不足數 吾以此微命 雖知懸殊戶不對 奈何戀渡慕幾許

安倍蟲麻呂 0672

「倭文手纏(しつたまき)」,「數(かず)にも有(あ)らぬ」、「卑(いや)しい」之枕詞。倭文乃日本古代花文單純之織物,手纏則為手環。相對於後世泊來之外國紋樣與寶石、貴金屬等之製品,倭文手纏於當時略顯麤末。

「數(かず)にも有(あ)らぬ 命」,缺乏價值、卑微低賤之命。命之原文「壽」表年齡,而此作「命」、「身」解。相對於女方,自卑身分低微。


0673 大伴坂上郎女歌二首

 真十鏡 磨師心乎 縱者 後爾雖云 驗將在八方

 真十鏡(まそかがみ) 磨(とぎ)し心(こころ)を 許(ゆる)してば 後(のち)に言(い)ふとも 驗有(しるしあ)らめやも

 明澄真十鏡 決心雖磨酣〆 〆‐霄秣婀法‖狂繞堽痰悔悟 豈仍有驗可及乎

坂上郎女 0673

「真十鏡(まそかがみ) 磨(とぎ)し心(こころ)を 許(ゆる)してば」,同坂上郎女歌619有「真十鏡 磨ぎし心を 許してし」

「後(のち)に言(い)ふ」,此或責備對方不實之言。

0674 【承前。】

 真玉付 彼此兼手 言齒五十戶常 相而後社 悔二破有跡五十戶

 真玉付(またまつ)く 彼此兼(をちこちか)ねて 言(こと)は言(い)へど 逢(あ)ひて後(のち)こそ 悔(く)いには有(あり)と云(い)へ

 真珠玉串 貫緒彼此亙永劫 言雖述如此 相逢之後或追悔 世間無常咸如此

坂上郎女 0674

「真玉付(またまつ)く」,以貫玉之「緒(を)」而為「を」之枕詞

「彼此兼(をちこちか)ねて」,接合來世、現在,此云將來與現在

「言(こと)は言(い)へど」,縱述花顏巧語。主語包含對象與一般男性

「悔(く)いには有(あり)と云(い)へ」,「と云へ」乃傳聞之意。會後有悔。


0675 中臣女郎贈大伴宿禰家持歌五首 【五首第一。】

 娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳揩可聞

 女郎花(をみなへし) 佐紀澤(さきさは)に生(お)ふる 花勝見(はなかつみ) 嘗(かつ)ても知(し)らぬ 戀(こひ)もする哉(かも)

 七草女郎花 佐紀間所生茂 妍麗花勝見 如其花名未嘗知 今當慕戀莫名哉

中臣女郎 0675

女郎花(をみなへし)」,秋七草之一。此以花開之「咲(さき)」作為引出地名佐紀澤(さきさは)」之枕詞

佐紀澤(さきさは)」,位於平城京北郊之沼澤地。其地以「花勝見」聞名。

「花勝見(はなかつみ)」,未詳。有花菖浦、花真菰等多說。http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/nagata.htm

「嘗(かつ)も知(し)らぬ」,「嘗(かつ)」原文作「都」,乃中華俗語。「かつ」與「勝見」呼應,『古今集』亦有「花勝見」與「且」字雙關之例。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk14.htm

0676 【承前,五首第二。】

 海底 奧乎深目手 吾念有 君二波將相 年者經十方

 海底(わたのそこ) 奧(おき)を深(ふ)かめて 我(あ)が思(おも)へる 君(きみ)には逢(あ)はむ 年(とし)は經(へ)ぬとも

 滄海千尋底 奧津深處無人知 吾心邃所念 慕情甚欲與君逢 縱使經年無所惜

中臣女郎 0676

「海底(わたのそこ)」,「奧(おき)」之枕詞。「奧(おき)」同時蘊含水之深處與心靈深處之意。


0677 【承前,五首第三。】

 春日山 朝居雲乃 欝 不知人爾毛 戀物香聞

 春日山(かすがやま) 朝居(あさゐ)る雲(くも)の 欝(おほほ)しく 知(し)らぬ人(ひと)にも 戀(こ)ふる物哉(ものかも)

 春日山頂上 棚引朝雲之所如 欝欝迷渺茫 不識未嘗逢誤人 何生戀情思慕哉

中臣女郎 0677

「朝居(あさゐ)る雲(くも)の」,此「居(ゐ)る」表朝雲掛於山頂。以上乃起出「欝(おほほ)しく」之序。

「欝(おほほ)しく」,承前表示矇矓迷惘,形象不明,起後表示心情鬱抑。

「知(し)らぬ人(ひと)にも 戀(こ)ふる物哉(ものかも)」,自訝對未曾相識者何來如此戀慕之情。

0678 【承前,五首第四。】

 直相而 見而者耳社 靈剋 命向 吾戀止眼

 直(ただ)に逢(あ)ひて 見(み)てばのみこそ 靈剋(たまきは)る 命(いのち)に向(むか)ふ 我(あ)が戀止(こひや)まめ

 若得直相見 此身相聚晤逢者 玉極靈剋兮 不惜懸命吾戀者 或得中止平息矣

中臣女郎 0678

「靈剋(たまきは)る」,「命(いのち)」、「世」、「內(うち)」之枕詞

「命(いのち)に向(むか)ふ」,以命為的而向之。有賭命之意。

本歌末二句,與『萬葉集』卷12-2883一云同。

0679 【承前,五首第五。】

 不欲常云者 將強哉吾背 菅根之 念亂而 戀管母將有

 否(いな)と言(い)はば 強(し)ひめや我(わ)が背(せ) 菅根(すがのね)の 思亂(おもひみだ)れて 戀(こ)ひつつも有(あ)らむ

 常言不欲者 或當強晤吾夫矣 菅根生繁茂 吾戀思狂情紊亂 久慕兄子不自己

中臣女郎 0679

「否(いな)と言(い)はば」,此云若是對方(家持)堅持拒絕的話。

「強(し)ひめや我(わ)が背(せ)」,硬是要求見面。作者蓋為家持優柔寡斷之態度所怒。

「菅根(すがのね)の」,「亂」之枕詞


0680 大伴宿禰家持與交遊別歌三首

 盖毛 人之中言 聞可毛 幾許雖待 君之不來益

 蓋(けだ)しくも 人(ひと)の中言(なかごと) 聞(き)かせ哉(かも) 幾許(ここだ)く待(ま)てど 君(きみ)が來(き)まさぬ

 中傷蜚語等 汝蓋聞人謗語哉 當是虛名起 吾在此間待幾許 君亦不來不相聞

大伴家持 0680

「交遊(とも)」,朋友之意。此蓋大伴家持受友人以冷淡之態度對待,遂作此歌贈之。

「蓋(けだ)しくも」,「恐怕」、「大概」之意。

「中言」,為破壞他人情誼之毀謗中傷

「聞(き)かせ哉(かも)」,疑問條件詞。蓋是聽信他人中傷,故顯冷淡。


0681 【承前,第二。】

 中中爾 絕年云者 如此許 氣緒爾四而 吾將戀八方

 中中(なかなか)に 絕(た)ゆとし言(い)はば 如此許(かくばか)り 息緒(いきのを)にして 我戀(あれこ)ひめやも

 中中不上下 不若聞汝訴絕緣 吾為戀所苦 懸賭命緒如此許 反覆煎熬愁相思

大伴家持 0681

「中中(なかなか)に」,對不上不下之現狀有所不滿而亟欲突破

「息緒(いきのを)にして」,「にして」乃表情態之修飾格。

0682 【承前,第三。】

 將念 人爾有莫國 懃 情盡而 戀流吾毳

 思(おも)ふらむ 人(ひと)に有(あ)ら莫(な)くに 懃(ねもころ)に 心盡(こころつ)くして 戀(こ)ふる我哉(あれかも)

 自討沒趣乎 念吾之人莫有兮 吾何以懇懃 情盡心碎熬戀苦 如此單戀哀慕哉

大伴家持 0682

「思(おも)ふらむ 人(ひと)に有(あ)ら莫(な)くに」,無人在意思念自身

「懃(ねもころ)に 心盡(こころつ)くして」,一再盡心勞情。

0683 大伴坂上郎女歌七首 【七首第一。】

 謂言之 恐國曾 紅之 色莫出曾 念死友

 謂言(いふこと)の 恐國(かしこきくに)そ 紅(くれなゐ)の 色(いろ)に莫出(ない)でそ 思死(おもひし)ぬとも

 謂言宜慎之 輒言靈異恐國矣 末摘胭脂紅 切莫露色勿輕言 縱令心鬱將戀死

坂上郎女 0683

「謂言(いふこと)の 恐國(かしこきくに)そ」,日本古有言靈信仰,戒慎輕率發言。3253有「葦原の 瑞穗國は 隨神 言舉げせぬ國」云云。輕率、多餘之發言,被視作不及。即便思慕情切,若將戀人之名說出口,恐怕因言語之咒力對其帶來危害

「紅(くれなゐ)の」,「色(いろ)に出(い)で」之枕詞。「紅(くれなゐ)」即「紅花(べにばな)」,可採作胭脂,別名末摘花。

「色(いろ)に莫出(ない)でそ」,莫露於色,此更作莫說出口。

0684 【承前,七首第二。】

 今者吾波 將死與吾背 生十方 吾二可緣跡 言跡云莫苦荷

 今(いま)は我(あ)は 死(し)なむよ我(わ)が背(せ) 生(い)けりとも 我(あれ)に寄(よ)るべしと 言(い)ふと云(い)は莫(な)くに

 親親吾兄子 我今將死捨娑婆 縱使苟活者 無人謂汝將緣我 渾噩此生有何望

坂上郎女 0684

「生(い)けりとも 我(あれ)に寄(よ)るべしと 言(い)ふと云(い)は莫(な)くに」,「言(い)ふ」之主語乃世人。縱令作者不死,世上亦無人安慰其說戀人將心向於己。

0685 【承前,七首第三。】

 人事 繁哉君之 二鞘之 家乎隔而 戀乍將座

 人言(ひとごと)を 繁(しげ)みや君(きみ)が 二鞘(ふたさや)の 家(いへ)を隔(へだ)てて 戀(こ)ひつついまさむ

 君今作何想 縱令人言蜚語繁 二鞘納雙刀 我倆隔家雖比鄰 汝雖徒戀竟不逢

坂上郎女 0685

「人言(ひとごと)を 繁(しげ)みや君(きみ)が」,或本原文作「繁哉君乎」,然女方訪男方不合俗,蓋如元曆校本等「繁哉君之」為正。

「二鞘(ふたさや)の」,比喻相鄰卻不得會面之枕詞。二鞘乃兩只小刀收於一鞘之二合刀子正倉院寶物有三合鞘刀子

本歌云莫在意他人眼目、流言,兩家相去不遠,希望對象能來訪相逢。

0686 【承前,七首第四。】

 比者 千歲八徃裳 過與 吾哉然念 欲見鴨

 比(このころ)は 千年(ちとせ)や行(ゆ)きも 過(す)ぎぬると 我(あれ)や然思(しかおも)ふ 見(み)まく欲(ほ)り哉(かも)

 比日不相見 心焦猶如越千年 苦待守空閨 蓋以吾念如此然 或以欲逢致此哉

坂上郎女 0686

「千年(ちとせ)や行(ゆ)きも 過(す)ぎぬると」,因苦待而心理時間猶如千年。相較於實際「比日」僅數日不見而言。

2539、3470有類歌。

0687 【承前,七首第五。】

 愛常 吾念情 速河之 雖塞塞友 猶哉將崩

 愛(うるは)しと 我(あ)が思(おも)ふ心(こころ) 早川(はやかは)の 塞(せ)きに塞(せ)くとも 猶(なほ)や崩(く)えなむ

 吾心念汝者 愛慕情切無以遏 其猶速麈掘早川急流縱堰之 塞之猶崩無以止

坂上郎女 0687

「愛(うるは)しと 我(あ)が思(おも)ふ心(こころ)」,原文「愛」或可訓「うつくし」然後接「我(あ)が思(おも)ふ」者以「うるはし」為通例。

「塞(せ)きに塞(せ)くとも」,無論如何塞堰,亦無以阻擋急流(情意)。

「猶(なほ)や崩(く)えなむ」,「崩(く)え」乃決堤之意。行間隱有「つつみ(堤防/包覆)」。

0688 【承前,七首第六。】

 青山乎 煞雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名

 青山(あをやま)を (よこ)ぎる雲(くも)の 灼然(いちしろ)く 我(あれ)と笑(ゑ)まして 人(ひと)に知(し)らゆ莫(な)

 其猶越青山 埓白雲之所如 灼然歷目見 我倆相睦展笑顏 其情莫令他人

坂上郎女 0688

青山(あをやま)を (よこ)ぎる雲(くも)の」,引出「灼然く」之序。漂過青山之白雲,對比鮮明。

「灼然(いちしろ)く」,顯著。此云兩人之關係不欲人知,故莫過於張揚。

2762有類歌。

0689 【承前,七首第七。】

 海山毛 隔莫國 奈何鴨 目言乎谷裳 幾許乏寸

 海山(うみやま)も 隔(へだ)たら無(な)くに 何(なに)しかも 目言(めごと)をだにも 幾許乏(ここだとも)しき

 相去不甚遠 非有海山致相隔 何以疎如此 縱令相晤面相言 幾許乏兮莫得哉

坂上郎女 0689

「目言(めごと)をだにも」,光是連面對面相會、對談。作者期望至少能與戀人見上一面。

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2016-05-13-金

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万葉集試訳

0631 湯原王贈娘子歌二首 【志貴皇子之子也。】

 宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者

 表邊無(うはへな)き 物(もの)かも人(ひと)は 如此許(かくばか)り 遠(とほ)き家道(いへぢ)を 歸(かへ)さく思(おも)へば

 汝命甚絕情 表邊情面亦不留 吾步家道來 其路甚遠如此許 汝竟不留欲令還

湯原王 0631

「表邊無(うはへな)き」,未詳。按語意解,則為「連表面之情意亦無。」

「歸(かへ)さく思(おも)へば」,此云對方無情,己身道遠而來,竟欲送客令歸。


0632 【承前,第二。】

 目二破見而 手二破不所取 月內之 楓如 妹乎奈何責

 目(め)には見(み)て 手(て)には取(と)らえぬ 月內(つきのうち)の 桂(かつら)の如(ごと)き 妹(いも)を奈何(いか)にせむ

 遠觀目可見 然手無由不得取 其猶皎月內 虛渺月桂之所如 窈窕吾妹當奈何

湯原王 0632

「月內(つきのうち)の 桂(かつら)」,中華古俗以為月中有桂樹。如『初學記』所引「安天論」。原文「楓」字按『和名抄』為「雄桂(をかつら)」,桂乃「雌桂(めかつら)」。

伊勢物語七十三段有類歌「目には見て 手には取られぬ 月內の 桂の如き 君にぞありける」。

0633 娘子報贈歌二首 【承前,報歌第一。】

 幾許 思異目鴨 敷細之 枕片去 夢所見來之

 幾許(いかばか)り 思(おも)ひけめ哉(かも) 敷栲(しきたへ)の 枕片去(まくらかたさ)る 夢(いめ)に見(み)え來(け)る

 慕情難釋懷 所念深深深幾許 敷栲白細兮 空枕徬置孤寢夜 夢見汝命會邯鄲

娘子 0633

「幾許(いかばか)り」,(思念)深邃如此。

「敷栲(しきたへ)の」,枕之枕詞

「枕片去(まくらかたさ)る 夢(いめ)に見(み)え來(け)る」,此云雖然戀人不在身旁,亦如戀人相伴時將其枕置於同床而眠,復於夢中見得戀人。


0634 【承前,報歌第二。】

 家二四手 雖見不飽乎 草枕 客毛妻與 有之乏左

 家(いへ)にして 見(み)れど飽(あ)かぬを 草枕(くさまくら) 旅(たび)にも妻(つま)と あるが羨(とも)しさ

 居家在鄉者 相看百見兩不厭 草枕他鄉兮 羈旅異地仍相伴 望之和睦令人羨

娘子 0634

「家(いへ)にして 見(み)れど飽(あ)かぬを」,家相對於旅而言,敘述關乎夫婦之社會概念。を乃逆接。

「旅(たび)にも妻(つま)と あるが羨(とも)しさ」,此云湯原王召其妻來任地,而娘子(湯原王於當地之愛妾)見其夫婦相睦而羨之。


0635 湯原王亦贈歌二首 【承前。】

 草枕 客者嬬者 雖率有 匣內之 珠社所念

 草枕(くさまくら) 旅(たび)には妻(つま)は 率(ゐ)たれども 櫛笥內(くしげのうち)の 玉(たま)こそ思(おも)ほゆれ

 草枕在異地 羈旅他鄉雖率妻 相伴不相離 實則時時眷汝命 櫛笥中玉更所念

湯原王 0635

「率(ゐ)たれども」,「率る」乃率引伴隨之意。

「櫛笥內(くしげのうち)の 玉(たま)」,重視深愛女性之比喻,此指娘子為言。『昭明文選』石崇「王明君辭」有「匣中玉」云云。

本詩承前娘子(湯原王在任地之愛妾)見到湯原王召正妻來此,感到羨恨之歌,本曲乃「雖然現於外地仍率妻同處,然心中掛念的則為珍藏珠匣中不令人視之寶玉(妾)。」


0636 【承前,第二。】

 余衣 形見爾奉 布細之 枕不離 卷而左宿座

 我(あ)が衣(ころも) 形見(かたみ)に奉(まつ)る 敷栲(しきたへ)の 枕(まくら)を放(さ)けず 卷(ま)きて小寢(さね)ませ

 余衣為緣物 贈以汝命以為信 敷栲白細兮 枕邊置之莫相離 纏身安寢如相伴

湯原王 0636

「我(あ)が衣(ころも) 形見(かたみ)に奉(まつ)る」,將肌身之服贈與異性,乃格別情愛之具體表現。而衣(ぬき)多指觸於人目之外裝,「裳(ころも)」則為內衣為主。身著異性之裳者,如『萬葉集』747等多為男性著女裳,但如3011「我妹子に衣(ころも)借香の宜寸川」等,女性男性借裳而著之例亦不少。

「枕(まくら)を放(さ)けず」,不離枕邊。

「卷(ま)きて小寢(さね)ませ」,「卷(ま)き」為著用,「ませ」乃敬體「ます」命令形

0637 娘子復報贈歌一首 【承前。】

 吾背子之 形見之衣 嬬問爾 余身者不離 事不問友

 我(わ)が背子(せこ)が 形見(かたみ)の衣(ころも) 妻問(つまど)ひに 我(あ)が身(み)は放(さ)けじ 言問(ことと)はずとも

 吾夫兄子之 餽贈緣物此衣者 以為結納信 肌身不離置眼前 縱彼無靈不言問

娘子 0637

「妻問(つまど)ひに」,此作求婚之贈物解。「に」乃「作為」之意。

「言問(ことと)はずとも」,衣乃非情之物,無法與人相語、相慰。

0638 湯原王亦贈歌一首 【承前。】

 直一夜 隔之可良爾 荒玉乃 月歟經去跡 心遮

 唯一夜(ただひとよ) 隔(へだ)てしからに 改(あらた)まの 月(つき)か經(へ)ぬると 心惑(こころまど)ひぬ

 雖唯一夜間 倆倆相隔不相見 日新月易兮 心猶經月久未晤 方寸千頭萬緒亂

湯原王 0638

「心惑(こころまど)ひぬ」,此云心思紊亂難以分別之狀。原文「心遮」或與2961有關,而意或乃心靈之動為遮阻而淀。

0639 娘子復報贈歌一首 【承前。】

 吾背子我 如是戀禮許曾 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家禮

 我(わ)が背子(せこ)が 如是戀(かくこふ)れこそ 烏玉(ぬばたま)の 夢(いめ)に見(み)えつつ 寢(いね)らえずけれ

 親親吾兄子 汝戀妾身銘如此 漆遽╋妄臓〔潅每現汝形影 相會邯鄲不得寢

娘子 0639

「如是戀(かくこふ)れこそ」,如此乃指前曲之內容。

「烏玉(ぬばたま)の」,以酣祁曽欅挂詛枕詞,更引申作夢之枕詞為用。

「寢(いね)らえずけれ」,「らえ」與中古語「られ」同,表可能

0640 湯原王亦贈歌一首 【承前。】

 波之家也思 不遠里乎 雲居爾也 戀管將居 月毛不經國

 愛(は)しけやし 間近(まちか)き里(さと)を 雲居(くもゐ)にや 戀(こひ)つつ居(を)らむ 月(つき)も經無(へ)なくに

 嗚呼愛哀憐哉 汝之所處雖間近 卻遠猶雲居 吾戀汝命慕不止 分明相離未經月

湯原王 0640

「間近(まちか)き里(さと)を」,「間近き里」表娘子之住所。「を」表逆接,雖然距離近卻不得相會。

「雲居(くもゐ)にや」,如再遙遠天邊雲上之意。「や」表詠嘆疑問。


0641 娘子復報贈歌一首 【承前。】

 絕常云者 和備染責跡 燒大刀乃 隔付經事者 幸也吾君

 絕(た)ゆと言(い)はば 詫(わび)しみせむと 燒大刀(やきたち)の 邊付事(へつかふこと)は 幸(さき)くや我(あ)が君(きみ)

 若云絕緣者 汝念妾身當詫異 百鍊燒大刀 若依義理所來者 豈非幸歟吾君矣

娘子 0641

「絕(た)ゆと言(い)はば」,「絕(た)ゆ」表絕緣、離別。「言はば」之主語乃湯原王。

「詫(わび)しみせむと」,「詫(わび)」乃詫異、失落之狀。

「燒大刀(やきたち)の」,入火千錘百鍊之刀,「へつかふ」之枕詞,然飾法未詳。

「邊付事(へつかふこと)は」,蓋依緣某物之意。

「幸(さき)くや」,健康無恙、無事之意。此云男方蓋以為題出訣別則女方將失落詫異,然以無所謂

0642 湯原王歌一首

 吾妹兒爾 戀而亂者 久流部寸二 懸而緣與 余戀始

 我妹子(わぎもこ)に 戀(こひ)て亂(みだ)れば 繰(く)るべきに 掛(か)けて搓(よ)らむと 我(あ)が戀始(こひそ)めし

 親親吾妹子 吾思汝命情意亂 其猶繰心緒 掛而搓紡織而成 如是余戀慕情

湯原王 0642

「戀(こひ)て亂(みだ)れば」,以亂緒比喻戀心。或本原文作「戀而亂在」,訛者字乎。

「繰(く)るべき」,繰絲之道具。

「掛(か)けて搓(よ)らむと」,將亂緒借織機重整之狀。

0643 紀郎女怨恨歌三首 【鹿人大夫之女,名曰小鹿也。安貴王之妻也。○第一。】

 世間之 女爾思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八

 世中(よのなか)の 女(をみな)にしあらば 我(あ)が渡(わた)る 痛背川(あなせのかは)を 渡兼(わたりか)ねめや

 妾若為世間 凡常之女庶民者 吾所越渡之 痛背之川或可渡 不須如此惜身名

紀郎女 0643

「世中(よのなか)の 女(をみな)にしあらば」,此云若己身為世間一般女性。紀郎女乃安貴王妻,礙於身分無法如庶民奔放自由

「痛背川(あなせのかは)」,痛足川於穴師一帶之名。結合感嘆詞「あな」與兄・夫「せ」,蘊含對背叛自身男子怨恨

「渡兼(わたりか)ねめや」,以渡川之冒險暗示不倫之關係。若為一般女子或非不可渡越,己則奈於此般誘惑而苦。

0644 【承前,第二。】

 今者吾羽 和備曾四二結類 氣乃緒爾 念師君乎 縱左久思者

 今(いま)は我(あ)は 侘(わ)びぞしにける 息緒(いきのを)に 思(おも)ひし君(きみ)を 許(ゆる)さく思(おも)へば

 妾身今氣竭 心詫落膽甚失意 懸以生息緒 不吝賭命所思君 今思或當縱其離

紀郎女 0644

「息緒(いきのを)」,此云維繫生命之羈絆。

「許(ゆる)さく思(おも)へば」,「許さく」乃「許す」之く語法,弛緩、令其自由、放手之意。

此云女方深愛男方,以此情念維繫性命,然男方要求訣別,開始雖欲挽留,今則心疲欲放手。

0645 【承前,第三。】

 白細乃 袖可別 日乎近見 心爾咽飯 哭耳四所泣

 白栲(しろたへ)の 袖別(そでわか)るべき 日(ひ)を近(ちか)み 心(こころ)に咽(むせ)ひ 音(ね)のみし泣(な)かゆ

 顧思白栲兮 訣別之時日將近 餘日更無幾 心中嗚咽滿傷懷 發音哭啼唯所泣

紀郎女 0645

「袖別(そでわか)るべき 日(ひ)を近(ちか)み」,應當訣別之日將近。

「心(こころ)に咽(むせ)ひ」,充滿心中。「咽」有嚥下之意。

0646 大伴宿禰駿河麻呂歌一首

 大夫之 思和備乍 遍多 嘆久嘆乎 不負物可聞

 大夫(ますらを)の 思侘(おもひわ)びつつ 度多(たびまね)く 嘆(なげ)く嘆(なげ)きを 負(お)はぬ物哉(ものかも)

 壯士丈夫之 思詫意窮情無措 幾度又幾許 悲嘆欷歔心懷恨 豈為汝可負物哉

大伴駿河麻呂 0646

大夫(ますらを)の」,作者自述而予以一般化視點。

「度多(たびまね)く」,次數眾多。

「負(お)はぬ物哉(ものかも)」,「負ふ」乃罪報、處罰、人之詛咒、怨恨之疇。主語乃坂上娘女。


0647 大伴坂上郎女歌一首

 心者 忘日無久 雖念 人之事社 繁君爾阿禮

 心(こころ)には 忘(わす)るる日無(ひな)く 思(おも)へども 人言(ひとのこと)こそ 繁(しげ)き君(きみ)にあれ

 妾心唯念君 無日忘懷常思慕 然君浮名盛 流言蜚語未嘗絕 浮名如此吾君矣

坂上郎女 0647

「人言(ひとのこと)こそ 繁(しげ)き君(きみ)にあれ」,此云駿河麻呂浮名不斷,人皆云其不實之徒。要如何令己身相信其言。


0648 大伴宿禰駿河麻呂歌一首

 不相見而 氣長久成奴 比日者 奈何好去哉 言借吾妹

 相見(あひみ)ずて 日長(けなが)く成(な)りぬ 此頃(このころ)は 奈何(いか)に幸(さき)くや 不審我妹(いふかしわぎも)

 倆倆不相見 相別以來日已久 近頃比日者 可享清平度如何 其無恙乎無妹矣

大伴駿河麻呂 0648

「奈何(いか)に幸(さき)くや」,「奈何(いか)に」乃探問感歎詞。如何、何如。王羲之「周參軍帖」有「不審尊體何如」云云。「幸(さき)く」乃平安、無事,原文「好去」與「比日」皆為書翰常用語

不審」,用於探問對方是否無恙,與前句「奈何(いか)に」相接,「不審...何如」之意。


0649 大伴坂上郎女歌一首

 夏葛之 不絕使乃 不通有者 言下有如 念鶴鴨

 夏葛(なつくず)の 絕(た)えぬ使(つか)ひの 淀(よど)めれば 事(こと)しも有(あ)る如(ごと) 思(おも)ひつるかも

 其猶夏葛兮 不絕往來使人者 比日淀不通 蓋為有事斷絡繹 吾衷念之心慌亂

坂上郎女 0649

 右,坂上郎女者,佐保大納言卿之女也。駿河麻呂,此高市大卿之孫也。兩卿兄弟之家,女孫姑姪之族。是以題歌送答,相問起居。

「夏葛(なつくず)の」,「絶えぬ」之枕詞。葛乃秋七草之一。

「淀(よど)めれば」,「淀(よど)む」乃停滯。此云使人不再來訪。

「事(こと)しも有(あ)る」,是故、意外。


0650 大伴宿禰三依離復相歡歌一首

 吾妹兒者 常世國爾 住家良思 昔見從 變若益爾家利

 我妹子(わぎもこ)は 常世國(とこよのくに)に 住(す)みけらし 昔見(むかしみ)しより 變若坐(をちま)しにけり

 親愛吾妹子 汝蓋暫居常世乎 仙境常世國 今見汝命比往昔 年齒彌稚更返老

大伴三依 0650

「我妹子(わぎもこ)」,一說為賀茂女王,然通說作與坂上郎女之應答較為自然

「常世國(とこよのくに)」,不老不死之異界。蓋受中國神仙思想之影響而成之理想鄉。

「變若坐(をちま)しにけり」,まし乃表尊敬之語。「變若(をち)」,與變若水傳說有關。

0651 大伴坂上郎女歌二首

 久堅乃 天露霜 置二家里 宅有人毛 待戀奴濫

 久方(ひさかた)の 天露霜(あめのつゆしも) 置(お)きにけり 家(いへ)なる人(ひと)も 待戀(まちこ)ひぬらむ

 遙遙久方兮 天之露霜所降置 留置家中者 久待伊人歸來日 心戀鬱鬱守舍間

坂上郎女 0651

「家(いへ)なる人(ひと)も」,「家にある人」之約。用「も」字表自身亦情同與此。

0652 【承前,第二。】

 玉主爾 珠者授而 勝且毛 枕與吾者 率二將宿

 玉守(たまもり)に 玉(たま)は授(さづ)けて 且(か)つ且(が)つも 枕(まくら)と我(あれ)は 去來二人寢(いざふたりね)む

 明珠美玉矣 已授玉守不在傍 明珠不在掌 今吾形隻身影孤 唯有與枕相共眠

坂上郎女 0652

「玉守(たまもり)」,可寄託玉石與之並守護者。此以玉石比喻千金,而其夫婿自為玉守。此歌玉者有二說,唯指二孃者,玉守為駿河麻呂。同指大孃、二孃者,則為家持與駿河麻呂。

「且(か)つ且(が)つ」,形容雖非本意,但須完成某事之副詞副詞

0653 大伴宿禰駿河麻呂歌三首

 情者 不忘物乎 儻 不見日數多 月曾經去來

 心(こころ)には 忘(わす)れぬ物(もの)を 儻(たまさか)に 見(み)ぬ日(ひ)さ數多(まね)く 月(つき)そ經(へ)にける

 情雖不忘懷 懸掛心頭常惦記 然儻離別起 不見之日數已多 不覺經月未逢見

大伴駿河麻呂 0653

「儻(たまさか)に」,偶然,不覺之間。

「さ數多(まね)く」,「數多く」為表日數、次數之多之副詞。「さ」乃接頭語。

此歌為辯解之詞,蓋贈坂上郎女之歌。

0654 【承前,第二。】

 相見者 月毛不經爾 戀云者 乎曾呂登吾乎 於毛保寒毳

 相見(あひみ)ては 月(つき)も經無(へな)くに 戀(こふ)と言(い)はば 輕率(をそろ)と我(あれ)を 思(おも)ほさむ哉(かも)

 自前相會起 時日雖去未經月 若云戀慕者 蓋以無病強呻吟 思吾輕率賦愁哉

大伴駿河麻呂 0654

「輕率(をそろ)」,魯莽、輕率之意。

萬葉集1548坂上郎女歌「咲花も 早熟(をそろ)は厭 晚芽なる 長き心に 尚及かずけり」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1548

0655 【承前,第三。】

 不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑禮左變

 思(おも)はぬを 思(おも)ふと言(い)はば 天地(あめつち)の 神(かみ)も知(し)らさむ 邑禮左變(訓不詳)

 若心實不念 口上佯言慕念者 天地六合間 神將知悉降神罰 縱言慕念邑禮者

大伴駿河麻呂 0655

「思(おも)はぬを 思(おも)ふと言(い)はば」,口上言及愛慕而心中未必真誠。亦見於『萬葉集』561、3100。

「邑禮左變(訓不詳)」,難訓。有「邑(さと)し礼(いや)さへ」、「国こそ境へ」、「さとれさかはり」、「巴禮(とまれ)佐變(かくまれ)」、「歌飼(うたがふ)名齋(なゆめ)」、「さとのかみさへ」等說,此姑按「邑し礼さへ」譯之。 http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/5c7bfecb55924f0d3ee301e6e0c76eb9


0656 大伴坂上郎女歌六首 【六首第一。】

 吾耳曾 君爾者戀流 吾背子之 戀云事波 言乃名具左曾

 我(あれ)のみそ 君(きみ)には戀(こ)ふる 我(わ)が背子(せこ)が 戀(こ)ふと云事(いふこと)は 言慰(ことのなぐさ)そ

 唯吾懷誠心 戀君真摯無所欺 吾之兄子者 所謂戀者如浮雲 無非慰言巧語矣

坂上郎女 0656

「我(あれ)のみそ 君(きみ)には戀(こ)ふる」,相對駿河麻呂贈歌「思はぬを 思ふと言はば」,申明自身情切。

「言慰(ことのなぐさ)そ」,「慰(なぐ)さ」與「慰(なぐ)む」同源,慰藉心靈之意。或為慰藉己心,或為慰藉他人,此為後者。言男方所言不過欲令女方心安而已。

0657 【承前,六首第二。】

 不念常 日手師物乎 翼酢色之 變安寸 吾意可聞

 思(おも)はじと 言(い)ひてし物(もの)を 唐棣花色(はねずいろ)の 移(うつ)ろひ易(やす)き 我(あ)が心哉(こころかも)

 雖言不復念 不欲慕戀以煩心 唐棣花色兮 怎謂變心移情易 吾心難以徹其衷

坂上郎女 0657

「思(おも)はじと 言(い)ひてし物(もの)を」,明明已告訴自己不莫再愛人了。

「唐棣花色(はねずいろ)」,「移(うつ)ろひ」之枕詞。以花失色為人心易變之飾語。然其花時為何花,仍待後考。天武紀有「朱花,此云はねず。」云云。

「移(うつ)ろひ易(やす)き」,此云自身不復愛人之決定無法堅持,又復陷於戀情。

0658 【承前,六首第三。】

 雖念 知僧裳無跡 知物乎 奈何幾許 吾戀渡

 思(おも)へども 驗(しるし)も無(な)しと 知(し)る物(もの)を 何(なに)か幾許(ここだ)く 我(あ)が戀渡(こひわた)る

 身受相思苦 百般慕之無效驗 妾雖知此理 奈何妾心難自己 幾許戀渡念伊人

坂上郎女 0658

「驗(しるし)」,效驗、效果。原文「知僧」之「僧」乃法師之意。2094有「落僧(ちらくし)惜しも」與之相類。

「何(なに)か幾許(ここだ)く」,何以如此之多。

0659 【承前,六首第四。】

 豫 人事繁 如是有者 四惠也吾背子 奧裳何如荒海藻

 豫(あらかじ)め 人言繁(ひとごとしげ)し 如是(かく)し有(あ)らば しゑや我(わ)が背子(せこ) 奧(おき)も何如(いか)にあらめ

 流言蜚語矣 人言痛矣豫甚繁 事既如是者 噫乎去來吾兄子 今後未然當何如

坂上郎女 0659

「しゑや」,不顧一切,捨缽氣氛之感嘆詞

「奧(おき)も何如(いか)にあらめ」,此「奧(おき)」與「奧(おく)」同源,將來之結果。此以疑問語+已然形表推量。又原文「荒海藻(あらめ)」與「奧(おき=沖)」乃緣語。


0660 【承前,六首第五。】

 汝乎與吾乎 人曾離奈流 乞吾君 人之中言 聞起名湯目

 汝(な)をと我(あ)を 人(ひと)そ離(さ)くなる いで我(あ)が君(きみ) 人(ひと)の中言(なかごと) 聞(き)きこす莫(な)ゆめ

 汝與吾之睦 人欲離間阻相善 還願吾君矣 莫聞他人惡中言 流言蜚語不足取 

坂上郎女 0660

「汝(な)をと我(あ)を」,此類句以「汝(な)と我(あ)とを」較為多見。又「汝(な)」多半為男稱女之代名詞,然坂上郎女於528亦有稱呼男方之用例。

「人(ひと)そ離(さ)くなる」,人欲離散他人之睦而散怖之謠言。「なり」乃傳聞。

「いで」,乞求、冀望之意。

「中言(なかごと)」,為了拆散他人之情而訴之言語

0661 【承前,六首第六。】

 戀戀而 相有時谷 愛寸 事盡手四 長常念者

 戀戀(こひこ)ひて 逢(あ)へる時(とき)だに 愛(うつく)しき 言盡(ことつ)くしてよ 長(なが)くと思(おも)はば

 戀戀長相思 有朝一日相逢時 當盡愛之語 羅列辭藻訴慕情 若誠久慕長思者

坂上郎女 0661

「戀戀(こひこ)ひて」,動詞連用形相疊+て字,表長時間動作持續,終於有某種結果。

「愛(うつく)しき」,對弱小者之憐愛之情。

「言盡(ことつ)くしてよ」,「盡(つ)くす」乃「盡きるようにする」之意。「てよ」乃完了助動詞「つ」之命令形

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2016-05-09-月

[]補給物資万葉集試訳 補給物資、万葉集試訳を含むブックマーク 補給物資、万葉集試訳のブックマークコメント

補給物資

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GW放浪



万葉集試訳

0623 池邊王宴誦歌一首

 松之葉爾 月者由移去 黃葉乃 過哉君之 不相夜多焉

 松葉(まつのは)に 月(つき)は移(ゆつ)りぬ 黃葉(もみちば)の 過(すぐ)れや君(きみ)が 逢(あ)はぬ夜(よ)の多(おほ)き

 久待經日時 月色映照移松葉 黃葉色褪兮 君之愛情似已過 不來相逢夜多焉

池邊王 0623

「宴誦歌」,誦於宴席之古歌之疇。蓋池邊王憶及苦待男方來訪之女子閨怨歌而誦之乎。

「松葉(まつのは)に 月(つき)は移(ゆつ)りぬ」,「松」以同音暗示「等待」,「移(ゆつ)り」表月光照映於松夜之上,以太陰運行天際暗喻徒待良人時間流逝。

「黃葉(もみちば)の 過(すぐ)れ」,「黃葉」乃「過ぐ」之枕詞。「過ぐ」乃時節已過,此云男方愛情已退。


0624 天皇思酒人女王御製歌一首 【女王者,穗積皇子之孫女也。】

 道相而 咲之柄爾 零雪乃 消者消香二 戀云君妹

 道(みち)に逢(あ)ひて 笑(ゑ)まししからに 降雪(ふるゆき)の 消(け)なば消(け)ぬがに 戀(こ)ふと云(い)ふ我妹(わぎも)

 錯身逢道中 君報微咲百媚生 妾命猶降雪 轉瞬消熔化無跡 云戀如此吾妹

聖武天皇 0624

「笑(ゑ)まししからに」,「からに」乃敘述原因輕微而結果重大之事實。「笑(ゑ)ます」乃「笑(ゑ)む」之敬語形。

此云酒人女王天皇會於內裏後庭,見天皇微笑示意之後難已忘懷,思慕之情恍若殞命。而天皇蓋以此狀返歌。

0625 高安王裹鮒贈娘子歌一首 【高安王者,後賜姓大原真人氏。】

 奧弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒

 沖邊行(おきへゆ)き 邊(へ)に行(ゆ)き今(いま)や 妹(いも)が為(ため) 我(わ)が漁(すなど)れる 藻臥束鮒(もふしつかふな)

 遠行至沖邊 復徃岸邊今終獲 此乃為妹子 吾之所漁勞所獲 藻臥伏裹束鮒矣

高安王 0625

「沖邊行(おきへゆ)き」,此歌沖邊乃指川、池中央深處為言。

「我(わ)が漁(すなど)れる」,「漁(すなど)れる」意指捕魚。

「藻臥束鮒(もふしつかふな)」,與水藻一同苞裹之小巧活鮒。「束(つか)」乃一握之長。


0626 八代女王天皇歌一首

 君爾因 言之繁乎 古鄉之 明日香乃河爾 潔身為爾去【一尾云,龍田超,三津之濱邊爾,潔身四二由久。】

 君(きみ)に因(よ)り 言繁(ことのしげ)きを 故鄉(ふるさと)の 明日香川(あすかのかは)に 禊(みそぎ)しに行(ゆ)く【一尾云(またのびにい)ふ、龍田越(たつたこ)え、三津濱邊(みつのはまへ)に、禊(みそぎ)しに行(ゆ)く。】

 其因君之故 流言婓語眾噂繁 遂歸至故鄉 飛鳥明日川之上 潔身禊祓後參矣【一尾云,遂越龍田山,到於三津濱邊處,潔身禊祓後行矣。】

八代女王 0626

「言繁(ことのしげ)きを」,謠言喧囂。

故郷(ふるさと)」,此云飛鳥舊京。

「禊(みそぎ)」,入水淨身,以除罪穢。

「尾」,此云尾句。

三津濱邊(みつのはまへ)に」,難波御津。難波乃將污穢劉放滄海之所。


0627 娘子報贈佐伯宿禰赤麻呂歌一首

 吾手本 將卷跡念牟 大夫者 變水求 白髮生二有

 我(わ)が手本(たもと) 卷(ま)かむと思(おも)はむ 大夫(ますらを)は 變若水求(をちみづもと)め 白髮生(しらかお)ひにけり

 欲以吾之腕 以為手枕共纏綿 俊英丈夫者 冀得訪求變若水 今汝白髮生蒼蒼

娘子 0627

娘子報贈佐伯宿禰赤麻呂」,此前當有赤麻呂贈歌,然不載於萬葉。

「我(わ)が手本(たもと) 卷(ま)かむと思(おも)はむ」,以手為枕。赤麻呂求婚之歌當有欲以子手為枕云云之詞。

大夫(ますらを)は 變若水求(をちみづもと)め 白髮生(しらかお)ひにけり」,此云赤麻呂以生白髮,當求不老靈吏之變若水

此歌蓋娘子拒絕赤麻呂求婚所作,以求取傳說中變若水為難題而婉拒求婚者乎。

0628 佐伯宿禰赤麻呂和歌一首

 白髮生流 事者不念 變水者 鹿煮藻闕二毛 求而將行

 白髮生(しらかお)ふる 事(こと)は思(おも)はず 變若水(をちみづ)は 彼(か)にも此(かく)にも 求(もと)めて行(ゆ)かむ

 白髮雖斑駁 吾不所念斑白頭 然此變若水 縱盡千方遍百計 必求靈水出而行

佐伯赤麻呂 0628

「變若水(をちみづ)は」,「は」乃強調。「彼(か)にも此(かく)にも」,無論如何。

此歌云己身不在意頭髮斑白,然求得變若水既為娘子要求,則無論如何至少都要取得該水。

0629 大伴四綱宴席歌一首

 奈何鹿 使之來流 君乎社 左右裳 待難為禮

 何(なに)すとか 使(つか)ひの來(き)つる 君(きみ)をこそ 左右(か)にも(かく)にも 待難(まちかて)にすれ

 君是以何故 遣使來訪至此乎 吾慕乃君者 左右坐立心忐忑 苦待難忍欲相逢

大伴四綱 0629

此曲乃宴間所詠古歌之類,或以賓客本人不至,唯遣使人到訪,遂寓閨怨之詞以諷之。

其云所欲見者非使者,乃為本人。


0630 佐伯宿禰赤麻呂歌一首

 初花之 可散物乎 人事乃 繁爾因而 止息比者鴨

 初花(はつはな)の 散(ち)るべき物(もの)を 人言(ひとごと)の 繁(しげ)きに因(よ)りて 淀頃(よどむころ)かも

 少女初花 柔弱稍觸將可散 然以人蜚語 流言不斷甚繁故 淀之不前此頃哉

佐伯赤麻呂 0630

初花(はつはな)の」,宛如首度綻放之花般,少女之比喻。

「散(ち)るべき物(もの)を」,此云初花少女)柔弱可憐,仿彿手觸即落。

「淀頃(よどむころ)かも」,此云礙於流言,猶豫而不通訪女方之家。

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2016-05-07-土

[]GW放浪尾張二日目 GW放浪、尾張二日目を含むブックマーク GW放浪、尾張二日目のブックマークコメント

GW放浪尾張二日目

あんまり計画してない旅だけど実はこの日は特に計画なし。夜行バスでの移動だけど、そのまま山梨へ戻ればいいれけど、東京経由の場合は友人を捕まって食事でもするが名古屋はやっぱりどこか言ったことのない場所へ行くべきだ。駅で近辺の駅名を確認し、尾張一宮という駅があり。経験上、恐らく一の宮関係の知名だろうと予想が着く、調べたら天火明命を祭る真清田神社だそうだ。天火明命といえば『旧事本紀』では饒速日尊と同一視された物部氏先祖に当たり、これでは行ってみないと。まぁ、普通尾張氏先祖尾張国一の宮としては妥当でしょう。霊水伝説がある。境内には萬幡豐秋津師姫命を祭る服織神社からはじめ、多数の相殿神摂社末社がある。


清田神社

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実は尾張一宮の近くに、数多の歌人がそこで詩を詠んだといい万葉公園があり。但し、名鉄に乗り換えないといけないし、あと今度のGWあんまり天氣に恵まれてないところも有る、幾つのプランを考えて、取り合えず名古屋駅へ戻り、名古屋駅の周りを散策することにした。

桜通りを進むと、ビル狭間に桜天神があり。桜町から天神ではなく、意外と桜天神から桜町桜通りだそうだ。名古屋の三天神といい、また鷽の造形物が見られて実に氣分が良い。

天神

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天神から名古屋城の方向へ進むと那古野神社と隣の尾張東照宮がある。那古野はそのまま名古屋発音で、祭神素戔嗚尊。靜に穏やかな氣分の社である東照宮はもちろん徳川家康を祭る神社で、人物神にそんなに興味がないけどご朱印を頂く。東照宮の傍に椋木の巨木が民家の駐車場にあり、関係者じゃないといけないかと思ったら公の場所らしい。こんな感じであとはBic Camera山梨へ戻るバスが発車まで時間を潰して尾張の終日を終り。今度は熱田社のほかの摂社でも參って見ようかと思う。


那古野神社

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尾張東照宮

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2016-05-06-金

[]GW放浪出雲二日目 GW放浪、出雲二日目を含むブックマーク GW放浪、出雲二日目のブックマークコメント

GW放浪出雲二日目

昨日は主に大社近辺で今日黄泉比良坂を中心に、松江エリアをメインにする。朝から出雲市駅より揖屋へ。出雲市駅前の通りには幾つ興味深い造形物がある。素戔嗚尊八岐大蛇、そして八束水臣津野命の国引神話であった。電車を待ちながら向こうでは石見神楽PRを載せる列車があり。今回は残念ながら八岐大蛇神話舞台となる斐伊川流域を見送り。幸い、電車では斐伊川宍道湖も通過した。揖屋駅に到着したら黄泉比良ポスター出会い、かなり雰囲気のあるDMだけど実景は調整なしでこんな写真は撮れない。


出雲市駅前 八岐大蛇神話

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出雲市駅前 国引神話

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出雲市駅 石見神楽列車

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斐伊川

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黄泉比良ポスター(揖屋駅)

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日本書紀にも言及された揖夜神社に到着、狛犬以外に贔屓もあり。あと、草繩で編められた蛇(蛇縄)たる荒吐神がある、『石神伝説』によると大蛇信仰の名残とか。手水の龍は蛇に近いと思われるのは私だけでしょうか。朱印の授予は九時以降のようで一回りしてまず黄泉比良坂へ。

 日本書紀齊明帝御宇五年。是歲,命出雲國造,修嚴神之宮。狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去。又狗嚙置死人手臂於言屋社。【言屋,此云いふや(揖夜)。天子崩兆。】

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki26.htm#sk26_07

揖夜神社

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揖夜神社 贔屓

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揖夜神社 狛犬

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揖夜神社 狛犬

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揖夜神社 手水舍

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揖夜神社 楼門

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揖夜神社 拝殿

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揖夜神社 本殿

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揖夜神社 蛇縄・荒吐神(アラハバキ

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揖夜神社は古くから黄泉との関わりが深く、「いや」も熊野(ゆや)と通じるらしい、どうも古代観念だと出雲熊野黄泉よりイメージらしい。といいながら揖夜神社から黄泉比良坂までにはそれなりに距離が有る。まず到着したのは神蹟黄泉平坂・伊賦夜坂伝説地碑と千引之石のある黄泉平坂・伊賦夜坂伝説地。独特な雰囲気があり、日中グラデーションとなり、千引之石に至っては蔭が濃ゆく正に堺という感じがある。揖夜神社への帰り道は同じく伊賦夜坂といわれる山小路を歩く、そこに賽神もあり。映画『瞬 またたき』のロケ地となったと言い。実は帰ってきたら『瞬 またたき』を搜してみたんですが、個人的凡作だった。『ヤマトの火』、『ヤマタイカ』、そして『石神伝説』はここで実撮してくれないかなと思った。


黄泉平坂・伊賦夜坂 千引之石

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神蹟 黄泉平坂・伊賦夜坂 伝説地碑

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伊賦夜坂

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伊賦夜坂 賽神

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揖夜神社を後にして、JRで一旦松江市で降り。今日特に予定らしい予定がなく、行きたいどころはどちらというと八重神社神魂神社がメインになってる。揖夜神社と共に意宇六社だけど、車があれば八重神社神魂神社結構近いらしいがバスだとどちらも松江市駅発であった。こんな無計画で八重神社へのバスをのり、素戔嗚尊奇稲田姫伝説の地へ。

八重神社はなんと言っても日本最古の壁画が有名で、大社造でありながら入り口向かって右ではなく眞中という独特な様仕を採っている。なお、狛犬の造形もかなり特別である素戔嗚尊夫婦故事もあって、社内で八雲立の歌碑があり、金精信仰も隨所見受けられる。奥院・佐久佐女の森の中に稲田姫飲料水や姿見として使った鏡池があり、良縁占いとして若者には人気があるようだ。私的に一番気になるのはやっぱり素戔嗚尊奇稲田姫壁画社務所で拝観料を奉って、撮影嚴禁なので写真撮れないもののこの目で拝観できるのは正に眼福と言えよう。いつも素戔嗚尊奇稲田姫の絵が出回ってるけど、本当は市島杵姫と天照大神、奇稻田姫と素戔嗚尊、脚摩乳と手摩乳、三組六柱の神像が壁画に描かれて、復原図もあり。復原図を見ると、いつも出回った画像の一部とかなりイメージが違う。女性は皆女房装束(十二単)で本(巻物ではない)を読む、男性は束帯姿。正直些か時代錯誤感を否めない。が、見ないと損すると私が断言する。


八重神社

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八重神社 拝殿

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八重神社 狛犬

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八重神社 歌碑

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八重神社 絵馬

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八重神社 奥の院 佐久佐女の森 鏡池

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路線情報ではバス松江駅へもどり、神魂神社へのバスを乗り換えるべきが、八重神社正対面の夫婦椿(連理玉椿)からはハニワ・ロードがあり、荒神谷(残念ながら荒神遺跡とは別らしい)、後谷古墳群、大石横穴群、出雲國造館跡、神魂神社風土記の丘へと繋がり。よってこの箇所箇所埴輪で飾られた道で歩いて行くことにした。出雲國造館跡の直ぐ傍は神魂神社入り口、大変雰囲気のある参道からはじめ、荒吐神、各摂社末社など見所は多い。現存最古大社造が有名ですが、そこだけではないと人気が高いのも納得がいく。

それでも、一番特筆すべきのはやっぱり歴史の古い大社建築であろう。宇豆柱の様仕などはそのまま古代出雲大社復原にヒントを与えられたと思わせる。


神魂神社参道

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神魂神社

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神魂神社から八雲立つ風土記の丘への途中は、出雲国風土記に書かれた出雲神戸がある。風土記の丘で復原豎穴住居、掘立柱建物、箱式石棺、また常設展見学古代出雲歴史博物館と同じく特展以外は撮影可能でありがたい。ここからバス乗って帰ろうかと思うけど、館員と相談してなんと自転車の借り出しはかのうで、折角揖夜・八重垣・神魂の三社も參ったので、近くにある意宇六社の六所神社出雲國府跡も參ってみる事にした。


出雲神戸

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八雲立つ風土記の丘

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八雲立つ風土記の丘 箱式石棺

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八雲立つ風土記の丘 埴輪回首の鹿

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六所神社出雲國府跡の隣にあり、国府総社とも呼ばれるそうだ。境内にも繩蛇が見られる。なんかのイベントは知りませんが、子供の絵に「神魂神社は有名ですが六所神社も素晴らしいので来て下さい(うろ覚え)」とか対抗意識


六所神社

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六所神社

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六所神社 本殿

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六所神社 繩蛇

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出雲国府跡

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時間的に余裕がありそうなので折角自転車も借りたから真名井神社も言ってみた。出雲国神奈備山にあり、山麓に真名井の滝があるようだが見つかりませんでした。真名井神社の印象はまず高くて長い階段からなる参道、山に座し水田へ向かい、苔這回る神々しい狛犬が見所。社務所が無さそうで朱印特定の時期しか頂けないかもしれません。意宇六社の内に一番他社と相違点が多そうな気がする。


真名井神社神奈備

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真名井神社 参道

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真名井神社 狛犬

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真名井神社

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風土記の丘へ戻る途中に意宇六社の中にもっとも規模のある、出雲大社とともに出雲国一宮なる熊野大社看板があり。車で十分だそうだ。自転車は間に合えるかもと思ってチャレンジしてみたけどあと3kmの何所で参拝・帰程を考えると自転車の返却時間にはぎりぎりアウトになりそうからやめた。その辺は須我神社も近いのでいつか一遍に回りたいと思う。やや遠いが、猪目洞窟斐伊川関係もその際に言ってみたいと思う。

熊野大社から帰り道で比婆山伊邪那美命岩坂陵參考地と出会い、良い締めになったと思う。

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松江駅から出雲市駅に戻り、名古屋駅行きの夜行バスまで時間の余裕があるので、出雲ゲストハウスいとあんで夕食を参加し、8時半当たり夜行バスに乗り短い出雲弾丸特攻を終わる。

sherrysherry 2016/05/21 08:53 八岐大蛇怎麼才三岐? 造型師偷懶喲
斐伊川的天空看起來有影像, 你是從電車內照出去的嗎?
有幾張圖想跟你借用當素材^^

kuonkizunakuonkizuna 2016/05/21 13:52 幾つは酒面下ということで...
電車内からですぅ。
どうぞ〜〜〜

kuonkizunakuonkizuna 2016/05/21 22:01 作ってみたけど結構失敗。
https://images.plurk.com/4VJBnpKvu31LfygJyic1sE.jpg

sherrysherry 2016/05/22 17:55 合的很好呀, 只是還缺少一些陰影而已^^
素材謝謝, 打算用在「鎮火祭」的插圖
所以要生出來還需要一個月吧^_^...

2016-05-05-木

[]GW放浪出雲一日目 GW放浪、出雲一日目を含むブックマーク GW放浪、出雲一日目のブックマークコメント

GW放浪出雲一日目

出雲への憧れの始まりは、10代の高校時代から大学院に入り、社会に出て、何回も日本に来てたけどなかなか出雲へは行かずにいた。

十数年前、風水嵯峨先生出雲へ行ってもただの田舍かと思うだけかもよって言われたことあったけど、済みませんが真っ当な人生を歩いてない私にはやっぱり出雲へ行きたい。出雲大社へ行きたい、古代出雲大社を偲びたい、宇豆柱を拜めたい、神魂神社へ行きたい、八重神社へ行きたい、黄泉比良坂へ行きたい、猪目洞窟へ行きたい、加賀の潜戸を潜りたい、荒神遺跡を回りたい、斐伊川を遡りたい、船通山天叢雲劍出顕跡を見たい、八口神社へ行きたい、八俣大蛇公園へ行きたい...こんな思を抱きながら生きてきただけど、時間時間で今度で全部をクリアするのが些か無理な話。

バスは朝出雲市駅着、大国主因幡白兎素戔嗚尊八岐大蛇神話大社造をモチーフした意匠の駅に飾られて、駅内に出雲お国像、古代出雲大社模型またいろんな出雲神話関係物で彩られる。一畑電車出雲大社前駅まで行けるが、一畑バスの方が本数が多そうでバスで行った。出雲大社直前で止められるけど大鳥居を拜めたいので吉兆館前で降りた、本当は旧JR大社駅で降りたほうが良いかも知れんけど。


大鳥居の直ぐ傍に、まさか八束水臣津野命の国引神話浅浮雕、これを見るだけでもここで降りてよかったと思う。出雲大社への道は神門通りといい、そこで八岐大蛇意匠を見せたハンドホールがあり、また大社造をモチーフした電話ボックスが隨所みられる。


 所以號意宇者、國引坐八束水臣津野命詔:「八雲出雲國者、狹布之稚國在哉。初國小所作。故、將作縫!」詔而、「栲衾志羅紀乃三埼矣、國之余有耶見者、國之余有。」詔而童女胸鉏所取而、【童女胸鉏、平鋤也。】大魚之支太衝別而、【大魚之支太衝別者、捕魚時、狙其鰓而以鉾突刺之狀。此云、如此狀而鉤鋤其土地。】波多須須支穗振別而、【穗振、此云ほふり、屠也。波多須須支穗振別者、撕裂之狀也。】三身之綱打挂而、霜邀覦婆躇婆躰ぁ◆攬婆蹇∈ ̄-くるや、意-牽也。霜邀覦婆躇婆躰圈引霜邀觜房牽之。】河船之毛曾呂毛曾呂爾、【毛曾呂、此云もそろ、舟船行進之狀。】國來國來引來縫國者、自去豆乃折絕而、八穗爾支豆支乃御埼。【八穗爾支豆支、即-八百に杵築、以大量之土而杵擣固地也。】

 以此而、堅立加志者、【加志、此云かし、杭也。杭、所用以繫舟者矣。】石見國與出雲國之堺有、名佐比賣山是也。亦、持引綱者、薗之長濱是也。

 亦、「北門佐伎之國矣、國之余有耶見者、國之余有、」詔而、童女胸鋤所取而、大魚之支太衝別而、波多須須支穗振別而、三身之綱打挂而、霜邀覦婆躇婆躰ぁ河船之毛曾呂毛曾呂爾、國來國來引來縫國者、自多久乃折絕而、狹田之國是也。

 亦、「北門良波之國矣、國之余有耶見者、國之余有」詔而、童女胸鋤所取而、大魚之支太衝別而、波多須須支穗振別而、三身之綱打挂而、霜邀覦婆躇婆躰ぁ河船之 毛曾呂毛曾呂爾、國來國來引來縫國者、自宇波乃折絕而、闇見國是也。

 亦、「高志之都都之三埼矣、國之余有耶見者、國之余有。」詔而、童女胸鋤所取而、大魚之支太衝別而、波多須須支穗振別而、三身之綱打挂而、霜邀覦婆躇婆躰ぁ河船之毛曾呂毛曾呂爾、國來國來引來縫國者、三積之埼。

 持引綱、夜見嶋。固堅立加志者、有二伯耆火神岳是也。

 「今者、國者引訖。」詔而、意宇社爾御杖衝立而、「意惠!」登詔。故云-意宇。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/izumo/izumo01.htm

八束水臣津野命 国引神話

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ハンドホール

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出雲大社の正門・勢溜の大鳥居、以前Mixiで何回も写真は見たものの、直に見ると流石に感無量。坂を下りたら左手野見宿禰神社がある。なんか兎が力士像になってる。前庭で絶対見ないといけなのは大国主因幡白兎像や、大国主と幸魂・奇魂像でしょう。拝殿の前では出雲大社祭神素戔嗚尊と書いた漢文を刻まれた銅鳥居があり、注連繩が印象的拝殿(御仮殿)は出雲大社に来た実感を与えられる。


出雲大社・勢溜の大鳥居

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野見宿禰神社

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大国主因幡白兎

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大国主と幸魂・奇魂像

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出雲大社 銅鳥居

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出雲大社 拝殿(御仮殿)

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出雲大社 八足門

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本殿西側宗像三女神の一柱で大国主の妻の一人である多紀理姫命を祭る神魂御子神社があり。東側正妻・須勢理姫命を祭る御向社と大国主の命の恩人たる蚶貝姫命・蛤貝姫命を祭る天前社がある。また、本殿では南向だけど本当は中の大国主は神魂御子神社を向いてるから西からの参拝所もあり。境内摂社末社として、勢溜の大鳥居から入って直ぐ見られる祓社、本殿東西二宇に神在月の際に八百万神の宿舍なる東・西十九社、本殿西の氏社二宇、本殿東の釜社、あとは素戔嗚尊を奉り明治の遷宮では御仮殿として木組みの浮き橋で本殿の御神体を移した素鵞社がある。宝物殿にあたる神怙殿は整修中で拝観できずが彰古館の展示は出雲大社本殿模型から始め大変素晴らしいかった。古代出雲大社神明造と大社造の中間位置ロマンスを感じながら度重なる再建でより洗錬された大社造の完成形たる現代出雲大社も捨てがたい。


出雲大社 本殿

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出雲大社 神魂御子神社(筑紫社)

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出雲大社 彰古館

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出雲大社 彰古館 出雲大社模型

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出雲大社 素鵞社

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出雲大社 天前社(神魂伊能知比売神社、蚶貝姫命・蛤貝姫命)・御向社

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出雲大社 東十九社

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神楽殿の後ろには火守社、天穂日命社、天夷鳥命社、稲荷社、天満宮などがあり、もっと離れた場所事代主神や高姫命を祭る三歳社があって、途中は人が少なし風景もいいのでお勧め。脇道では八雲の滝まで辿る小径もあるが途中から無許可で入山禁止の掲示があるので折り返った。


火守社、天穂日命社、天夷鳥命社、稲荷社、天満宮

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三歳社

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八雲の滝

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大社の西・東それぞれ千家國造館、北島國造館があり、北島國造館境内少彦名命を祭る天神社三宝荒神をまつる荒神社、天穂日命社、稲荷社などがある。北島國造館より右では雰囲気のある巨木と共にある命主社(祭神は蚶貝姫命・蛤貝姫命)、そして真名井の清水がある。


北島國造館

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北島國造館境内 天神社祭神少彦名命

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命主社

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真名井の清水

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北島國造館から南へ、古代出雲歴史博物館がある。古代出雲大社、宇豆柱、荒神遺跡出土物、遷宮特展などなど、どれも圧巻な展出物でじっくり見たら一日も足りないくらいで、機会があれば是非御覽になってください。


古代出雲大社復原模型

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土器に刻まれた古代出雲大社

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出雲大社 千木

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古代出雲大社、宇豆柱

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荒神遺跡出土物

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古代出雲歴史博物館 八重神社壁画レプリカ 素戔嗚尊奇稲田姫

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古代出雲歴史博物館 奇稲田姫

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古代出雲歴史博物館 蹈鞴

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古代出雲歴史博物館

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古代出雲歴史博物館でそこまで時間を食うとは思わなかった、日御崎神社へ行こうと思ったけど断念。代わりに神在月の時八百万の神々が辿る道を遡り、出雲大社から稲佐の浜まで歩く。途中、出雲お国の墓、お国連歌庵、八大荒神社、於國塔、奉納公園國引神話風景展望台、出雲手斧神社、大歳社、上の宮、下の宮を経由して稲佐浜に辿り。特筆すべきのは上の宮は八百万神の神議所として伝われている。稲佐浜の夕日を取りたかったけど天気が霞んでて無理。夜は出雲ゲストハウス いとあんで泊まり、翌日が早いのに結構夜遅くまでゲストハウスの面々と話した。



出雲お国

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國引神話風景展望

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出雲大社摂社 上宮(八百万神神議所)

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稲佐の浜 弁天島

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D


出雲ゲストハウス いとあん

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sherrysherry 2016/05/21 08:41 我終於知道出雲大社越建越低的原因了!
光爬那樓梯, 還沒上社殿就先沒氣 @_@
就算上去了早饌都變午饌了^^...
因為神職上社殿是一次一階梯(不是一腳一階梯)...

kuonkizunakuonkizuna 2016/05/22 21:37 高く作れとナムヂ様が仰ったので......

2016-05-04-水

[]GW放浪尾張一日目 GW放浪、尾張一日目を含むブックマーク GW放浪、尾張一日目のブックマークコメント

GW放浪尾張一日目

前々からGWにはレンタル車を借りて出雲で一週間回りたいと思ったが、実は旧正月終りからなかなかゆっくり計画する時間も無く、GWは本当にに休めるかも知らずままGW突入。出社日が挟みながら後半から計画するとかなり制限が入ってた。使える時間微妙ってこともあって出雲を後回しにするか、と何回も迷うって考えたけど、ぐずぐずのままだと機会を逃れそうだから取り合えず出雲への弾丸特攻でも行こうかと決めた。

何時もながら最初に決めないとならないのは足と宿。山梨からだと出雲直行便は勿論無く、普通東京經由ってのは無難だが今度は名古屋経由をチャレンジーしてみた。良い機会に熱田神宮を訪れたいし、名古屋からだと東京から近のはずとかもあるけど、実は東京経由の方が安そうだ。名古屋から東京から出雲へ行く費用あんまり差が無いけど、山梨から名古屋へでは東京への値段の倍くらいある。だけど唯の通過ではなく一旦名古屋観光を考えると別に惡くないと思う。まぁ、調べたところで東京から出雲への便は限られてて、週末以外はあんまりなさそうで、最終的は名古屋になり、しかも帰りは満席で一日早めにしたから出雲滯在を最初の三日間から二日へと短縮。

いつも東京経由だと山梨朝六時半の高速バスだけど、名古屋は朝五時半、あんまり余裕がなさそうけど間に合った。天気がそんなに恵まれず雨。幸い、名古屋に着く際は晴。名古屋駅から名鉄に乗り換え、神宮前で降りたら熱田神宮の東口、正門は南口なので一旦南口に行ってたけど、よく名神大社で見られる社名を刻まれる石碑がないものの、新緑に囲まれる入り口がなかなか心地良い。参道を歩きながらやっぱり新緑に囲まれてなかなか雰圍氣のいい境内であり、拝殿へ途中、巨大な大楠佐久間灯篭も見所。手水舍の近くに熱田神宮の歴史が書かれて、武家公家に関わらず古くから多くの名人と縁のあるお社であった。織田信長信長塀、足利将軍の援助を得て西行法師が腰をかけたという二十五丁橋なども如実にこの歴史を述べている。あと蓬萊伝説では唐玄宗の使いが熱田大神を迎え、楊貴妃となったという『溪嵐拾葉集』という書物があるが、さぁどうでしょう。

但し、個人的に殘念と思うのが、明治期当たり角田忠行宮司が三種の神器の天叢雲劔を奉る熱田神宮伊勢の神宮と同じく社殿であるべきと力説し、建築仕様尾張から神明造へ変えた所かな。神明造は簡素神聖し、常若の代表で好きなんだけど、皆神明造にするのは聊か惜しいと感じるところは否めない。


熱田神宮 正門

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熱田神宮 佐久間灯篭

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熱田神宮 眼鏡の碑・二十五丁橋

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熱田神宮拝殿本殿はお馴染みな平入り神明造りでGWの眞中で人多いけど静かな雰圍氣だった。ただし、ご朱印の授与ではかなり長い列となっており。拝殿の左からこころの小径」があり、もと草薙神剣を奉安した御殿である土用殿をはじめ、極めて神聖場所撮影不可。個人的清水社もお勧め。正面からよく見られぬ本殿こころの小径を通ってある程度拝観できる。宝物殿・文化館には展示室以外撮影OK、門を入ると大太刀が圧卷。宝物に刀・鎧等は軍関係が多め。


熱田神宮 拝殿

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熱田神宮 宝物殿・文化

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別宮について境内では一の別宮・八剣宮が宮簣媛父神・乎止與命を祭る上知我麻神社の隣に、熱田社南正門の直ぐ傍に位置する。本殿をよく見えぬ熱田神宮に比べたら八剣宮の建築がある程度熱田神宮構造を偲ばせる。西門から一旦境外に出て、比隣ながら出口は道を向いて(故に交通守護の神としても信仰され)境内からアクセス不可、宮簣媛母神、真敷刀俾命を祭る熱田神宮末社・下知我麻神社があり。


熱田神宮別宮 八剣宮

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熱田神宮末社 上知我麻神社

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熱田神宮末社 下知我麻神社

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下知我麻神社からもっと多く行くと白鳥古墳がある。日本武尊白鳥陵は普通、能褒野墓・琴弾原白鳥陵・旧市邑白鳥陵となるけど、地方伝説では武尊が白鳥になって熱田社に飛着した地に白鳥御陵と名づけたといい。


白鳥古墳白鳥御陵

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あとは熱田神宮近辺を散策裁断橋趾や短歌都都逸発祥之地碑などがあり、(近くに鈴之御前社があるけど失念した。)それを後にして宮渡しの跡、七里の渡しに出てから折り返し高倉下命を祭る熱田神宮摂社高座結御子神社を參り名古屋駅へ戻る、夜九時半の夜間バス出雲へ。今度は氷上姉子神社、鈴之御前社へ參りたいところだな。

裁断橋趾、都都逸発祥之地碑

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七里の渡

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高座結御子神社

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2016-04-30-土

[]補給物資万葉集試訳 補給物資、万葉集試訳を含むブックマーク 補給物資、万葉集試訳のブックマークコメント

補給物資

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万葉集試訳

0621 西海道節度使判官佐伯宿禰人妻贈夫君歌一首

 無間 戀爾可有牟 草枕 客有公之 夢爾之所見

 間無(あひだな)く 戀觸(こふ)れにかあらむ 草枕(くさまくら) 旅(たび)なる君(きみ)が 夢(いめ)にし見(み)ゆる

 蓋以吾思君 戀觸無間無歇時 草枕異地兮 羈旅君雖在遠方 現於夢中得相會

佐伯人妻 0621

西海道節度使」,西海道今日九州節度使天平四年為維護國內治安與對新羅政策擴張軍備而新設之職。東人在節度使藤原宇合配下

「戀觸(こふ)れにかあらむ」,「戀觸(こふ)ればにかあらむ」之略,「に」乃表斷定助動詞なり之連用形。對照次歌「莫戀(なこ)ひそ」可知主語為東人妻


0622 佐伯宿禰東人和歌一首 【承前。】

 草枕 客爾久 成宿者 汝乎社念 莫戀吾妹

 草枕(くさまくら) 旅(たび)に久(ひさ)しく 成(なり)ぬれば 汝(な)をこそ思(おも)へ 莫戀(なこ)ひそ我妹(わぎも)

 草枕異地兮 羈旅在外日已久 當是以此故 吾每念汝充此衷 莫戀如此愛吾妹

佐伯東人 0622

「汝(な)をこそ思(おも)へ」,此「汝」表「妻」。こそ乃強化限定表現,意指一心思妻,餘事皆不放在心上之情。

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2016-04-27-水

[]補給物資万葉集試訳 補給物資、万葉集試訳を含むブックマーク 補給物資、万葉集試訳のブックマークコメント

補給物資

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万葉集試訳

0618 大神女郎贈大伴宿禰家持歌一首

 狹夜中爾 友喚千鳥 物念跡 和備居時二 鳴乍本名

 小夜中(さよなか)に 友呼(ともよ)ぶ千鳥(ちどり) 物思(ものおも)ふと 侘居(わびを)る時(とき)に 鳴(な)きつつ本無(もとな)

 寂靜深夜中 喚友千鳥欲呼朋 吾陷物思間 侘居鬱鬱低落時 千鳥無由乍啼鳴

大神女郎 0618

大神女郎」,傳未詳。蓋大神朝臣氏之女子。1505亦有歌。

「友呼(ともよ)ぶ千鳥(ちどり)」,後事或以「友千鳥」比喻千鳥群集翱翔,對照作者獨寢,更生羨情。

「物思(ものおも)ふと」,「と」字多表意圖、目的之「とて」之略,此則為情態性修飾句。

「侘居(わびを)る時(とき)に」,「侘(わ)び」乃因失意而缺乏力氣之狀。此蓋云作者失戀。

「鳴(な)きつつ本無(もとな)」,無由、不識相地號啼,令作者失意更深。

0619 大伴坂上郎女怨恨歌一首 【并短歌。】

 押照 難波乃菅之 根毛許呂爾 君之聞四手 年深 長四云者 真十鏡 磨師情乎 縱手師 其日之極 浪之共 靡珠藻乃 云云 意者不持 大船乃 憑有時丹 千磐破 神哉將離 空蟬乃 人歟禁良武 通為 君毛不來座 玉梓之 使母不所見 成奴禮婆 痛毛為便無三 夜干玉乃 夜者須我良爾 赤羅引 日母至闇 雖嘆 知師乎無三 雖念 田付乎白二 幼婦常 言雲知久 手小童之 哭耳泣管 俳徊 君之使乎 待八兼手六

 押照(おして)る 難波菅(なにはのすげ)の 懇(ねもころ)に 君(きみ)が聞(きこ)して 年深(としふか)く 長(なが)くし言(い)へば 真十鏡(まそかがみ) 磨(と)ぎし心(こころ)を 許(ゆる)してし 其日(そのひ)の極(きは)み 波共(なみのむた) 靡(なび)く玉藻(たまも)の 云云(かにかく)に 心(こころ)は持(も)たず 大船(おほぶね)の (たの)める時(とき)に 千早振(ちはやぶ)る 神(かみ)か放(さけ)けむ 空蟬(うつせみ)の 人(ひと)か障(さふ)らむ 通(かよ)はしし 君(きみ)も來(き)まさず 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)も見(み)えず 成(なり)ぬれば 甚(いた)も術無(すべな)み 烏玉(ぬばたま)の 夜(よる)は通(すがら)に 赤開(あからひ)く 日(ひ)も暮(く)るる迄(まで) 嘆(なげ)けども 驗(しるし)を無(な)み 思(おも)へども 方法(たづき)を知(し)らに 幼婦(たわやめ)と 言(い)はくも著(しる)く 手童(たわらは)の 音(ね)のみ泣(な)きつつ 俳迴(たもとほ)り 君(きみ)が使(つかひ)を 待(ま)ちや兼(か)ねてむ

 日光押照兮 難波菅根生繁茂 菅根懇睦兮 君之所言聽聞矣 年深無際限 永末相伴情不滅 清澄真十鏡 百般磨邵/桓圈(稿鮓誠患 以聞言日為堺極 吾猶重浪間 隨波漂盪靡玉藻 此方又彼方 心無定所甚忐忑 猶乘大船兮 心欲思鰒畄時 千早振稜威 諸神阻兮離放乎 空蟬憂世間 諸人妨兮礙障乎 昔日訪通兮 君不復來日已久 玉梓華杖兮 吾不復見使人來 如此日已久 悲嘆然哀甚無術 漆遽╋妄臓―夜嘆息徹晚闇 赤開輝照兮 終日哀息迄夕暮 欷歔雖如此 所求無驗莫得償 返復雖念煩 不知方法莫有計 幼婦手弱女 吾猶其名甚貼切 如手童赤子 唯有發音泣哀號 俳迴步徒然 切望君使再來訪 苦待難耐浸憂思

坂上郎女 0619

「押照(おして)る 難波菅(なにはのすげ)の」,押照乃難波枕詞。「菅(すげ)の」乃借「菅根(すげのね)」之音引出「懇(ねもころ)」之序。

「懇(ねもころ)」,全心、蘊含心意。

「長(なが)くし言(い)へば」,此云對象表示將長久相愛。

「真十鏡(まそかがみ)」,「磨(と)ぐ」之枕詞。當時以青銅白銅造鏡而易曇,須時常磨光。

「磨(と)ぎし心(こころ)を」,磨練心智令其澄遏此云不輕信男性浮言,潔身自愛

「許(ゆる)してし」,此有(為對象所言打動。)決心緩和之意。

「其日(そのひ)の極(きは)み」,以其日為境。

「波共(なみのむた) 靡(なび)く玉藻(たまも)の」,引出「云云(かにかく)に」之序。「の共(むた)」乃與之相共之意。

大船(おほぶね)の」,「(たの)め」之枕詞

「神(かみ)か放(さけ)けむ」,此云莫非有邪神欲拆散兩人。

「人(ひと)か障(さふ)らむ」,此云莫非世間有人欲阻礙兩人。以上皆為臆測男方不再來訪之因。

「夜(よる)は通(すがら)に」,通夜徹夜。『日本靈異記』有「竟夜,よもすがら。」云云。

方法(たづき)を知(し)らに」,不知方法,無計可失。

「幼婦(たわやめ)と 言(い)はくも著(しる)く」,此云弱女子之無力,切如其名。

本歌為怨恨歌,但未明對象為孰人。有虛構說、代作說等。自「玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)も見(み)えず 成(なり)ぬれば」移唯七五之調。


0620 反歌 【承前。】

 從元 長謂管 不令恃者 如是念二 相益物歟

 初(はじめ)より 長(なが)く言(い)ひつつ (たの)めずは 如是思(かかるおもひ)に 遭(あ)は益物(ましもの)か

 若自初始時 汝云永末相伴者 吾不恃鯒掘‖ШI埒楸貲〆 ‥娘藏閨浸憂思

坂上郎女 0620

「長(なが)く言(い)ひつつ」,蓋為「長くと言ひつつ」之略。一直稱述將永遠相愛。

「(たの)めずは」,此云作者若自一開始就不信男方之花言巧語,今日亦不須遭逢如此痛苦。

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2016-04-23-土

[]NAGI 凪 倭姫命の旅、読了万葉集試訳 NAGI 凪 倭姫命の旅、読了、万葉集試訳を含むブックマーク NAGI 凪 倭姫命の旅、読了、万葉集試訳のブックマークコメント

■NAGI 凪 倭姫命の旅、読了

月兎舎『NAGI 凪』特集倭姫命の旅 なぜ伊勢の地が選ばれたか?読了

滝原宮へ參ったとき、三瀬谷道の駅で購入したお伊勢地方誌。

恐らく皇太神宮儀式帳を元に元伊勢の紹介を行ったですが、実際に元伊勢といわれるのはそれ以上多数あります。

元伊勢も機会があればいつか全部行ってみたいなと思います。



万葉集試訳

0611 大伴宿禰家持和歌二首 【承前,返歌第一。】

 今更 妹爾將相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒將有

 今更(いまさら)に 妹(いも)に逢(あ)はめやと 思(おも)へかも 幾許(ここだ)く我(あ)が胸(むね) 欝悒(いぶせ)く有(あ)るらむ

 蓋思從今後 不得再與伊人逢 即因此念故 我胸欝悒愁幾許 無以解憂暢心懷

大伴家持 0611

「思(おも)へかも」,意同「思(おも)へばかも」。因前二句假設,而導致後句。

「幾許(ここだ)く我(あ)が胸(むね) 欝悒(いぶせ)く有(あ)るらむ」,「幾許(ここだ)く」表激烈如此。「欝悒(いぶせ)く」表鬱悶不樂。


0612 【承前,返歌第二。】

 中中者 默毛有益乎 何為跡香 相見始兼 不遂爾

 中中(なかなか)に 默(もだ)も有(あ)ら益(まし)を 何(なに)すとか 相見初(あひみそめ)けむ 遂(とげ)ざらまくに

 中中不上下 不若嘿默有益乎 究竟為何以 相見初逢觸戀心 明知無以遂其情

大伴家持 0612

「中中(なかなか)に」表中途半端之狀,期望脫離現狀,而有所改變。

「默(もだ)も有(あ)ら益(まし)を」,後悔與笠郎女相見搭話,而飽受戀苦。

「何(なに)すとか」,究竟為何,以何了見。

「遂(とげ)ざらまくに」,應當無法貫徹愛意。

笠郎女贈歌廿四首,而家持僅返歌三首。可知當家持主動接近,而後有所反悔。


0613 山口女王贈大伴宿禰家持歌五首 【五首第一。】

 物念跡 人爾不所見常 奈麻強爾 常念弊利 在曾金津流

 物思(ものおも)ふと 人(ひと)に見(み)えじと 憖(なまじひ)に 常(つね)に思(おも)へり 在(あり)そ兼(か)ねつる

 每逢沉物思 悲哀不欲他人見 刻意佯憖而 心作鎮定色露常 實則艱苦將欲死

山口女王 0613

山口女王」,傳未詳。『萬葉集』1617有人贈家持歌,或為同時之作,然以該作有「秋荻に置きたる露」之語,而被歸於四季之歌,遂錄於卷八。

「憖(なまじひ)に」,無法達成卻逞強行之(假裝不在意,故作平常心)之狀。

「常(つね)に思(おも)へり」,「常(つね)」乃平常、普通之意。「思(おも)へり」非單指心中所思,更意不現瑜表情、態度,是即故作鎮定、佯作平靜,不令他人察言觀色窺知內心所念。

「在(あり)そ兼(か)ねつる」,「在(あり)」表狀態持續,難以維持活著的現狀。即哀心將死。


0614 【承前,五首第二。】

 不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳

 相思(あひおも)はぬ 人(ひと)をや本無(もとな) 白栲(しろたへ)の 袖漬(そでひ)つ迄(まで)に 音(ね)のみし泣(な)かも

 思不相念人 單戀相思薄情者 無由更情切 白栲衣袖沾襟濕 放聲哭泣號哀鳴

山口女王 0614

「相思(あひおも)はぬ 人(ひと)をや本無(もとな)」,「を」呼應「音(ね)のみし泣(な)くも」,表念人情甚,而對方無意

「音(ね)のみし泣(な)かも」,「泣(な)かも」乃「泣(な)かむ」之轉。


0615 【承前,五首第三。】

 吾背子者 不相念跡裳 敷細乃 君之枕者 夢所見乞

 我(わ)が背子(せこ)は 相思(あひおも)はずとも 敷栲(しきたへ)の 君(きみ)が枕(まくら)は 夢(いめ)に見(み)えこ

 親親吾兄子 汝雖薄情不相念 還願敷栲兮 君枕得現吾夢中 以知君心查君情

山口女王 0615

「敷栲(しきたへ)の」,此為枕之枕詞

「君(きみ)が枕(まくら)は 夢(いめ)に見(み)えこそ」,「こそ」乃接續動詞連用形以表希求之終助詞所謂欲在夢中見枕者,乃述其人無情,但至少希望能見其枕以知真意。人睡夢時倚枕而眠,古俗以枕為託魂之物。


0616 【承前,五首第四。】

 劍大刀 名惜雲 吾者無 君爾不相而 年之經去禮者

 劍太刀(つるぎたち) 名(な)の惜(をし)けくも 我(あれ)は無(な)し 君(きみ)に逢(あ)はずて 年經(としのへ)ぬれ

 韴稜劍太刀 名譽者雖令人惜 吾不畏浮名 苦痛不得與君逢 已然年經歷餘歲

山口女王 0616

「劍太刀(つるぎたち)」,「名(な)」之枕詞。「な」乃刃之古名,「かたな(片刃=刀)」。或以同音,或刀上往往雕有作者名而為枕詞

「名(な)の惜(をし)けくも 我(あれ)は無(な)し」,雖譽惜鳴,然更期早日相會,切迫之急,名譽可捨。

類歌有2879、2984。



0617 【承前,五首第五。】

 從蘆邊 滿來鹽乃 彌益荷 念歟君之 忘金鶴

 葦邊(あしへ)より 滿來潮(みちくるしほ)の 彌増(いやま)しに 思(おも)へか君(きみ)が 忘兼(わすれか)ねつる

 其猶自葦邊 滿來潮汐之所如 慕情彌日瓠―蠻宛齋情不止 刻骨銘心誠難忘

山口女王 0617

「葦邊(あしへ)より 滿來潮(みちくるしほ)の」,用以起出「彌増(いやま)し」之序。

「思(おも)へか」,疑問條件。思ふ之主語為作者。

「君(きみ)が 忘兼(わすれか)ねつる」,「君が」乃「忘兼(わすれか)ねつる」之對象。

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2016-04-17-日

[]三保松原万葉集試訳 三保松原、万葉集試訳を含むブックマーク 三保松原、万葉集試訳のブックマークコメント

三保松原

去年、有るべきのものが無かったを経験した三保松原ですが、4/16をもって再挑戦しました。

ちょうど今日は万葉の誕生日で天女関連でいいかもしません。

まぁ、PRみたいに綺麗にみえるわけではいけませんが、一応見えます


三保松原

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羽衣橋 天女像

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羽衣の舞

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Dies irae 【リザ】 青褪めた死面、骸繰り

D

http://www.geocities.jp/riped_sin/climax.gif

愛しい人よ 私はあなたに口づけをしました

Ah! Ich habe deinen Mund geküsst, Jochanaan.

そう 口づけをしたのです

Ah! Ich habe ihn geküsst, deinen mund.

とても苦い味がするものなのね

es war ein bitterer geschmack auf deinen Lippen

これは血の味

Hat es nach Blut geschmeckt?

いいえ もしかしたら恋の味ではないかしら

Nein? doch es schmeckte vielleicht nach Liebe.

ああ ヨカナーンカナーン あなたばかりが美しい

Ah! Jochanaan, Jochanaan, du warst schön.



嗚呼,Jochanaan、所愛之人,吾為汝獻上熱吻。

是矣。吾吻與汝,唇齒相接。

汝之口唇,其味甚苦。此蓋血味?

非矣。其或苦戀之味哉。

嗚呼!Jochanaan、Jochanaan,何以唯汝美麗如此!

元ネタは「Salomé(שלומית Shlomit)」...また俺が読んでるものと被ってる

Aubrey Vincent Beardsley依Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde戲曲Salomé所繪。

http://www31.atwiki.jp/oper/pages/301.html





万葉集試訳

0579 余明軍與大伴宿禰家持歌二首 【明軍者,大納言卿之資人也。】

 奉見而 未時太爾 不更者 如年月 所念君

 見奉(みまつ)りて 未(いま)だ時(とき)だに 變(かは)らねば 年月(としつき)の如(ごと) 思(おも)ほゆる君(きみ)

 見奉仕吾主 未經幾時歷非久 時光度須臾 所念猶如度年月 長久所侍吾君矣

余明軍 0579

「資人」,按令,資人於本主死後一年離任。然攷正倉院文書,持續侍奉舊主家者亦多。題詞「與」字多為上對下,此則為余明軍個人對大伴家持敬愛之情。

「見奉(みまつ)り」,まつる乃謙讓輔助動詞。此表示對新主家持之尊敬

0580 【承前,第二。】

 足引乃 山爾生有 菅根乃 懃見卷 欲君可聞

 足引(あしひき)の 山(やま)に生(お)ひたる 菅根(すがのね)の 懃見(ねもころみ)まく 欲(ほし)き君(きみ)かも

 足曳勢險峻 巍峨山中繁茂生 菅根之所如 吾欲懃見常副之 時時奉仕吾君矣

余明軍 0580

「菅根(すがのね)の」,以上三句,借「根(ね)」之音引出「懃(ねもころ)」之序。


0581 大伴坂上家之大娘報贈大伴宿禰家持歌四首 【四首第一。】

 生而有者 見卷毛不知 何如毛 將死與妹常 夢所見鶴

 生(い)きて有(あ)らば 見(み)まくも知(し)らず 何(なに)しかも 死(し)なむよ妹(いも)と 夢(いめ)に見(み)えつる

 有生在世者 有朝一日能相見 何以在夢中 見汝現身道將死 歎喚妹妻呼妾身

坂上大孃 0581

「報贈」,此前當有大伴家持之贈歌。『萬葉集』中有報贈歌兒無贈歌者,多為家持與其周邊問答之作。蓋家持編纂之際,媿於舊作拙略,或考慮身邊之人而有所刪除乎。

「見(み)まくも知(し)らず」,孰知哪日當能相見。表示預想中的之可能性高。

「死(し)なむよ妹(いも)」,大伴家持於坂上大娘夢中之語。む字表推量。

一般認為大伴家持與坂上大娘之婚姻並無太大障礙,如此贈答,所為遊興之擬似相聞


0582 【承前,四首第二。】

 大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情爾 比有目八方

 大夫(ますらを)も 如此戀(かくこ)ひけるを 幼婦(たわやめ)の 戀(こ)ふる心(こころ)に 類有(たぐひあ)らめやも

 縱令大丈夫 苦戀傷神艱如此 幼婦手弱女 妾身刻骨戀情者 豈有伯仲比類乎

坂上大孃 0582

大夫(ますらを)」,大夫、壯士,此指家持為言。男子可紓情於外,女子則多深藏內心。

「幼婦(たわやめ)」,手弱女,此云坂上大孃。

0583 【承前,四首第三。】

 月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不來

 月草(つきくさ)の 徙易(うつろやす)く 思(おも)へ哉(かも) 我(わ)が思(おも)ふ人(ひと)の 言(こと)も告(つ)げ來(こ)ぬ

 月草露草兮 人心易徙不久長 蓋秉此情哉 吾所思慕所念人 不來告言無消息

坂上大孃 0583

「月草(つきくさ)」,月草、露草,「移易(うつろやす)い」之枕詞夏季開花色藍,可作染料,然易褪色,故云。

「徙易(うつろやす)く」,此以染料易於褪色以喻愛情衰竭冷淡。

「我(わ)が思(おも)ふ人(ひと)」,此云家持。


0584 【承前,四首第四。】

 春日山 朝立雲之 不居日無 見卷之欲寸 君毛有鴨

 春日山(かすがやま) 朝立雲(あさたつくも)の 居(ゐ)ぬ日無(ひな)く 見(み)まくの欲(ほ)しき 君(きみ)にも有(あ)るかも

 寧樂春日山 頂上叢雲朝湧立 棚引日無絕 吾念掛心欲相見 日日祈冀與君逢

坂上大孃 0584

春日山(かすがやま) 朝立雲(あさたつくも)の」,起出「居ぬ日無く」之序。春日山頂無朝雲不立之日,己亦吾不念之時。

「居(ゐ)ぬ日無(ひな)く」,「居(ゐ)る」云雲霞不動靜止之狀。

其後數年,不見大伴家持與坂上大孃之贈答。727題詞腳註有「離絕數年,再會相聞往來。」云云。

0585 大伴坂上郎女歌一首

 出而將去 時之波將有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉

 出(い)でて去(い)なむ 時(とき)しは有(あ)らむを 殊更(ことさら)に 妻戀(つまごひ)しつつ 立(た)ちて去(い)ぬべしや

 出而歸去者 何須急於一時矣 何況殊更之 戀妻不忘留慕情 猝然立去豈宜哉

坂上郎女 0585

「時(とき)しは有(あ)らむを」,驚訝於意外之事態。歸去當有其他於時機,不須急於此。

「殊更(ことさら)に 妻戀(つまごひ)しつつ 立(た)ちて去(い)ぬべしや」,何須留戀妻子而離去。

本歌蓋坂上郎女以大孃母親立場詠歌贈家持。


0586 大伴宿禰稻公贈田村大孃歌一首 【大伴宿奈麻呂卿之女也。】

 不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何將為

 相見(あひみ)ずは 戀(こ)ひざら益(まし)を 妹(いも)を見(み)て 本無如此(もとなかく)のみ 戀(こ)ひば如何(いか)に為(せ)む

 若不相見者 蓋得不苦相思情 今見吾妹妻 慕情莫名油然生 焦戀如此當奈何

大伴稻公 0586

 右一首,姊坂上郎女作。

「妹(いも)を見(み)て」,就稻公而言,田村大孃乃異母兄宿奈麻呂之女,當其姪。住居不同,至今宿未謀面。

本歌雲若未曾相識,自然不會受慕情所苦。然於此相見慕情無由催生,難以自己

按稻公作歌見於1553,乏輿詩才。故本歌蓋坂上郎女所代筆。


0587 笠女郎贈大伴宿禰家持歌廿四首 【廿四第一。】

 吾形見 見管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛將思

 我(わ)が形見(かたみ) 見(み)つつ偲(しの)はせ 改(あらた)まの 年緒長(としのをなが)く 我(あれ)も思(おも)はむ

 吾所贈形見 還願睹之偲吾身 時移歲月改 年緒長兮時日久 我憶思汝不曾忘

女郎 0587

形見(かたみ)」,用以賭物思人之信物。以下數蓋添於大伴家持所贈之物而詠。


0588 【承前,廿四第二。】

 白鳥能 飛羽山松之 待乍曾 吾戀度 此月比乎

 白鳥(しろとり)の 飛羽山松(とばやままつ)の 待(ま)ちつつそ 我(あ)が戀渡(こひわた)る 此月頃(このつきごろ)を

 鴻鵠白鳥兮 飛羽永久山松矣 等待復等待 吾以戀慕渡終日 幾月之頃徒逝過

女郎 0588

白鳥(しろとり)の」,以白鳥飛翔之意境而為「飛羽、鳥羽(とば)」之枕詞。1687有「白鳥の鷺坂」,此白鳥或指鷺為言。『常陸風土記』訓「志漏止利」『和名抄』訓「之呂止利」,故知白鳥當訓「しろとり」。

「飛羽山松(とばやままつ)」,以上二句,以「松(まつ)」寓「等待(まつ)」之意,「飛羽(とば)」蓋有「永久(とは)」之意。


0589 【承前,廿四第三。】

 衣手乎 打迴乃里爾 有吾乎 不知曾人者 待跡不來家留

 衣手(ころもで)を 打迴里(うちみのさと)に 在(あ)る我(あれ)を 知(し)らにそ人(ひと)は 待(ま)てど來(こ)ずける

 吾居衣手兮 打迴之里待良人 然所待之人 不知吾身居此處 是以徒待無人訪

女郎 0589

「衣手(ころもで)」,人打衣於砧,故為「打(う)ち」之枕詞。衣手乃衣之雅語。

「打迴里(うちみのさと)に 在(あ)る我(あれ)を」,打迴之里所在未詳。雖2715有「神奈備の打迴の崎」在名日香甘橿丘附近,而『古事記』有「打迴る島」云云,蓋為表示岡崎、山端等地形之普通名詞

「知(し)らにそ」,「知らないからこそ」,因為不知...之意。


0590 【承前,廿四第四。】

 荒玉 年之經去者 今師波登 勤與吾背子 吾名告為莫

 改(あらた)まの 年(とし)の經(へ)ぬれば 今(いま)しはと 努(ゆめ)よ我(わ)が背子(せこ) 我(わ)が名告(なの)らす莫(な)

 時移歲月改 經年累月至於今 汝或思無謂 還願慎之吾兄子 切莫輙告漏吾名

女郎 0590

「今(いま)しはと」,『匠才集』云:「今しは、今はと云ふ詞也。」強調現在。其下省略「(既然時日已久,至今)公布戀情亦無妨。」乃作者推量男方之想法。

「努(ゆめ)よ」,往往與禁止呼應。


0591 【承前,廿四第五。】

 吾念乎 人爾令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見

 我(わ)が思(おも)ひを 人(ひと)に知(し)るれや 玉櫛笥(たまくしげ) 開明(ひらきあ)けつと 夢(いめ)にし見(み)ゆる

 吾所念慕者 蓋為他人令知哉 吾夢中所見 玉櫛笥兮為開明 此其當是何徵耶

女郎 0591

「人(ひと)に知(し)るれや」,「知るれや」乃疑問條件詞,知らせる之意之下二段使役動詞已然形。對象乃大伴家持

「玉櫛笥(たまくしげ) 開明(ひらきあ)けつと 夢(いめ)にし見(み)ゆる」,現實中抽象之事於夢中以具體事物出現。「玉櫛笥」常作為「開、明」之枕詞,而本意乃收納以櫛為首之理容、整髮器具。作者夢見玉匣敞開,直覺兩人之關係露見。

0592 【承前,廿四第六。】

 闇夜爾 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可將有 相跡羽奈之爾

 闇夜(やみのよ)に 鳴(な)くなる鶴(たづ)の 外(よそ)のみに 聞(き)きつつかあらむ 逢(あ)ふとは無(な)しに

 烏玉闇夜間 所鳴鶴聲之所如 唯自千里外 聞得其音聽其鳴 無以相見莫得逢

女郎 0592

「鳴(な)くなる鶴(たづ)の」,以上兩句,帶出「外(よそ)に聞(き)き」之序。

「聞(き)きつつかあらむ」詠嘆疑問。

此乃控訴對方雖聞傳聞,卻遲遲怖來會晤之歌。

0593 【承前,廿四第七。】

 君爾戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下爾 立嘆鴨

 君(きみ)に戀(こひ) 甚(いた)も術無(すべな)み 奈良山(ならやま)の 小松(こまつ)が下(もと)に 立嘆(たちな)げくかも

 戀君欲會晤 苦甚無術可相逢 唯在奈良山 小松之下徒傷神 茫然佇立嘆噓唏

女郎 0593

「甚(いた)も術無(すべな)み」,「術無み」乃「術無し」之み句法。「甚(いた)」乃「甚(はなは)だしい」之意之副詞

小松(こまつ)が下(もと)に」,「小」蓋為調整語調之接頭語。「松」字或與「待」有關。


0594 【承前,廿四第八。】

 吾屋戶之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨

 我(わ)が宿(やど)の 夕蔭草(ゆふかげくさ)の 白露(しらつゆ)の 消(け)ぬがに本無(もとな) 思(おも)ほゆるかも

 吾庭屋戶間 夕蔭草上透晶瑩 白露之所如 見彼消散觸心弦 更念吾君摧相思

女郎 0594

「夕蔭草(ゆふかげくさ)の」,見於夕晚暮光中之草。

白露(しらつゆ)の」,以上三句,起出「消」之序。

「消(け)ぬが」,表心將消散般地(苦於相思)。「本無(もとな)」,無由地。


0595 【承前,廿四第九。】

 吾命之 將全牟限 忘目八 彌日異者 念益十方

 我(わ)が命(いのち)の 全(また)けむ限(かぎ)り 忘(わす)れめや 彌日(いやひ)に異(け)には 思(おもひま)すとも

 吾得全此命 有生之間豈所忘 此情此意者 彌日日異念更瓠慕情不止益痰

女郎 0595

「我(わ)が命(いのち)の 全(また)けむ限(かぎ)り」,全此身命、一息尚在之意。「全(また)け」乃完全、無恙之意。

「彌日(いやひ)に異(け)に」,「彌(いや)」乃愈、更之意。「日(ひ)に異(け)に」,與日俱瓠

2882有類歌。


0596 【承前,廿四第十。】

 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奧嶋守

 八百日行(やほかゆ)く 濱真砂(はまのまなご)も 我(あ)が戀(こひ)に 豈優(あにまさ)らじか 沖島守(おきつしまもり)

 八百日行徃 長濱真砂無限 然較吾戀者 其砂數豈勝吾情 噫呼沖津島守

女郎 0596

「八百日行(やほかゆ)く 濱真砂(はまのまなご)」,通過需耗時八百日之長濱,其砂粒之數亦...。真砂乃細沙。

「豈優(あにまさ)らじか」,「豈(あに)」表高確實性之推量。

「沖島守(おきつしまもり)」,駐於沖津離島以備外襲之士兵。此呼喚沖島之守見證自身情念之重,然蓋虛構而非實際見得。『土佐日記』有「我が髮の 雪と磯辺の 白波と いづれまされり 沖つ島守」,後世訪之為歌尾。

後撰集有類歌。


0597 【承前,廿四十一。】

 宇都蟬之 人目乎繁見 石走 間近君爾 戀度可聞

 空蟬(うつせみ)の 人目(ひとめ)を繁(しげ)み 石橋(いしはし)の 間近(まち)かき君(きみ)に 戀渡(こひわた)るかも

 空蟬憂世間 人目繁在憚流言 淺石橋之 君雖間近不得逢 唯以慕戀渡虛日

女郎 0597

「空蟬(うつせみ)」,浮身、憂世之比喻。

石橋(いしはし)の 間近(まち)かき君(きみ)に」,石橋乃列於淺麈慧論弌0並鏡仞仭蟲酩埀鵝ぜ為「間近」之枕詞


0598 【承前,廿四十二。】

 戀爾毛曾 人者死為 水無鷁蓮_遮聾瘦 月日異

 戀(こひ)にもそ 人(ひと)は死(し)にする 水無鸚(みなせがは) 下(した)ゆ我瘦(あれや)す 月(つき)に日(ひ)に異(け)に

 戀之刻骨者 能致悴死奪人命 水無鸚醯臓/揺埣慮秡仮瘦 日新月異更憔萎

女郎 0598

「戀(こひ)にもそ 人(ひと)は死(し)にする」,戀慕亦為令人致死之音。

「水無鸚(みなせがは)」,表面枯涸,然地下有水伏流之川。此比喻戀慕不為人知。

「下(した)ゆ我瘦(あれや)す」,「下ゆ」為目所不見之意。此云人不知間,自身日漸消瘦。

0599 【承前,廿四十三。】

 朝霧之 欝相見之 人故爾 命可死 戀渡鴨

 朝霧(あさぎり)の 凡(おほ)に相見(あひみ)し 人故(ひとゆゑ)に 命死(いのちし)ぬべく 戀渡(こひわた)るかも

 矇矓朝霧兮 渺茫間所相見 迷離伊人故 何以吾慕不惜命 朝夕戀渡歎終日

女郎 0599

朝霧(あさぎり)の」,「凡(おほ、欝)」之枕詞

「凡(おほ)に」,形容詞おほなり之連用形事物輪廓不明確之狀。

此云朝霧之中,瞥見該人之姿,卻思慕不只,可死生殞命。

0600 【承前,廿四十四。】

 伊勢海之 礒毛動爾 因流波 恐人爾 戀渡鴨

 伊勢海(いせのうみ)の 礒(いそ)も轟(とどろ)に 寄(よ)する波(なみ) 恐(かしこ)き人(ひと)に 戀渡(こひわた)るかも

 神風伊勢海 磯岸駭浪擊轟轟 寄浪之所如 吾慕惶恐高貴人 終日戀渡愁相思

女郎 0600

「礒(いそ)も轟(とどろ)に 寄(よ)する波(なみ)」,此借波滔兇猛可畏之狀,起出「恐(かしこ)き人(ひと)」之序。「礒(いそ)」乃多岩之水邊。「轟(とどろ)」乃表轟音之擬聲語。

「恐(かしこ)き人」,可畏之人。此云家持與己身分地位懸殊,難以相近而言。

0601 【承前,廿四十五。】

 從情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽

 心(こころ)ゆも 我(あ)は思(おも)はずき 山川(やまかは)も 隔(へだ)たら莫(な)くに 如是戀(かくこ)ひむとは

 從心自方寸 始料未及竟如此 無山亦無川 非有天險相隔離 竟然甚戀痛如此

女郎 0601

「心(こころ)ゆも 我(あ)は思(おも)はずき」,打從心裡未曾設想過。

0602 【承前,廿四十六。】

 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景爾而

 夕去(ゆふさ)れば 物思(ものもひまさ)る 見(み)し人(ひと)の 言問(ことと)ふ姿(すがた) 面影(おもかげ)にして

 時值夕暮者 物思憂情徒益瓠\僚蠍之人 言問之姿浮眼前 視得面影幻化姿

女郎 0602

「言問(ことと)ふ」,相語。

面影(おもかげ)にして」,化為幻影而現身。

0603 【承前,廿四十七。】

 念西 死為物爾 有麻世波 千遍曾吾者 死變益

 思(おも)ひにし 死(し)にする物(もの)に 有(あ)らませば 千度(ちたび)そ我(あれ)は 死(し)に反(かへ)らまし

 若以思念情 得至一死殞命者 度吾所戀慕 能令妾身千遍死 巧使吾人百重生

女郎 0603

「思(おも)ひにし」,「思ひ」乃「思ふ」之名詞形。「に」表原因,「し」表強調。

「死(し)に反(かへ)らまし」,生而復死,死而復生,反反覆覆。『游仙窟』有「能令公子百重生,巧使王孫千回死。」http://www.millionbook.net/gd/z/zhangwencheng/000/001.htm

2390有類歌。


0604 【承前,廿四十八。】

 劍大刀 身爾取副常 夢見津 何如乃恠曾毛 君爾相為

 劍大刀(つるぎたち) 身(み)に取添(とりそ)ふと 夢(いめ)に見(み)つ 何(なに)の兆(さが)そも 君(きみ)に逢(あ)はむ為(ため)

 吾夢劍太刀 肌身不離副身邊 其兆是何如 取添身畔不相離 自是徵欲與君逢

女郎 0604

「劍大刀(つるぎたち) 身(み)に取添(とりそ)ふと 夢(いめ)に見(み)つ」,劍大刀乃男子佩身之物,亦為「添身」之枕詞。此則同時意指夢見男方隨身之物。

「何(なに)の兆(さが)そも」,「兆」乃預兆,或云「祥」,原文「恠」表奇異。

0605 【承前,廿四十九。】

 天地之 神理 無者社 吾念君爾 不相死為目

 天地(あめつち)の 神判(かみのことわり) 無(な)くはこそ 我(あ)が思(おも)ふ君(きみ)に 逢(あ)はず死(し)にせめ

 天神地衹之 世理神判無之者 諸事微神裁 則吾朝夕慕伊人 不得相逢殞身矣

女郎 0605

「神判(かみのことわり)」,「判(ことわり)」乃理非曲直之判斷,「理(ことわり)」本身即「事割(ことわり)」,剖析事物本質之意。神判法有盟神探湯等疇。

「無(な)くはこそ」,「無(な)し」之假定條件。

「逢(あ)はず死(し)にせめ」,逆接已然形。此云若無神判之正直,則難以延續生命。蓋為遭懷疑有二心之作。

3740有類歌。

0606 【承前,廿四二十。】

 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有

 我(あれ)も思(おも)ふ 人(ひと)も勿忘(なわ)すれ おほなわに 浦吹(うらふ)く風(かぜ)の 止時(やむとき)も無(な)し

 吾思君無絕 君亦莫忘此情誼 此情此意者 其猶浦間所吹風 拂行不止無歇時

女郎 0606

「人(ひと)も勿忘(なわ)すれ」,此「人」指家持。

「おほなわに」,難解。自古有多說,誤字説、地名説(淡輪)、気象用語、風之吹狀等等仍無定說,多半仍訓「おほなわに」。或云當訓。「たな和(のど)に」http://kiyokagen.seesaa.net/article/425196297.html

「浦吹(うらふ)く風(かぜ)の 止時(やむとき)も無(な)し」,如海岸拂風無有止時。


0607 【承前,廿四廿一。】

 皆人乎 宿與殿金者 打禮杼 君乎之念者 寐不勝鴨

 皆人(みなひと)を 寢(ね)よとの鐘(かね)は 打鳴(うつな)れど 君(きみ)をし思(おも)へば 眠難(いねかて)ぬかも

 鐘聲告時辰 催促眾人當入眠 寢鐘雖擊鳴 吾念君事千萬緒 憂思泉湧甚難眠

女郎 0607

「皆人(みなひと)を 寢(ね)よとの鐘(かね)」,寢鐘乃陰陽寮於朝晨、日中、日沒、初夜、中夜、後夜所敲六終之初夜之鐘。

「打鳴(うつな)れど」,なり乃表耳聞音響助動詞

0608 【承前,廿四廿二。】

 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後爾 額衝如

 相思(あひおも)はぬ 人(ひと)を思(おも)ふは 大寺(おほてら)の 餓鬼(がき)の後方(しりへ)に 額衝(ぬかつ)く如(ごと)し

 思不相念人 單戀相思薄情者 其猶叩己首 跪拜大寺惡鬼後 行之無益徒傷神

女郎 0608

「相思(あひおも)はぬ」,此云對方無情,對己身無所眷戀。

大寺(おほてら)」,受國家經濟援助寺院之總稱。奈良朝前半有大安寺、藥師寺、元興寺興福寺等。此歌之時,七大寺尚未全數成形。

餓鬼(がき)の後方(しりへ)に 額衝(ぬかつ)く」,餓鬼乃墮入餓鬼道亡者。此蓋云餓鬼像,然文獻上無餓鬼像之作例,或為天部像所蹋之餓鬼、邪鬼之疇。此歌訴及單戀之空虛,非敬佛而如拜餓鬼行最敬禮般,毫無意義之自嘲戲歌。

0609 【承前,廿四廿三。】

 從情毛 我者不念寸 又更 吾故鄉爾 將還來者

 心(こころ)ゆも 我(あ)は思(おも)はずき 復更(またさら)に 我(わ)が故鄉(ふるさと)に 歸來(かへりこ)むとは

 從心自方寸 始料未及竟如此 至今又復更 還來妾身故鄉里 歸至飛鳥舊古京

女郎 0609

「我(わ)が故鄉(ふるさと)」,此云平城遷都後之飛鳥舊京。

本曲蓋與601相對。

0610 【承前,廿四廿四。】

 近有者 雖不見在乎 彌遠 君之伊座者 有不勝自

 近(ちか)く在(あ)れば 見(み)ねども在(あ)るを 彌遠(いやとほ)に 君(きみ)が坐(いま)さば 有克(ありかつ)ましじ

 汝若在近鄰 雖不相見得心安 若居在彌遠 想君位處天邊遙 吾心難克命難耐

女郎 0610

 右二首,相別後更來贈。

「近(ちか)く在(あ)れば 見(み)ねども在(あ)るを」,後句「在(あ)る」乃表狀態維持(存命),若在復近雖不得眼見但仍得心安存命,若在遠處恐忐忑不安,難以活下去云云。

sherrysherry 2016/04/21 06:26 「羽衣の舞」おいしいそう==+

kuonkizunakuonkizuna 2016/04/21 07:46 ネーミングで買った。本当は大吟釀の「天女物語」があって、精米步合が同じく60%でもっと美味しいかもしれませんが、「羽衣の舞」という名称が詩的で好きです。

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2016-04-12-火

[]補給物資万葉集試訳 補給物資、万葉集試訳を含むブックマーク 補給物資、万葉集試訳のブックマークコメント

補給物資

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■[補]年末年始放浪記 東京

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■[補]年末年始放浪記 熊野一日目

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■[補]年末年始放浪記 熊野二日目

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■[補]年末年始放浪記 伊勢一日目

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■[補]年末年始放浪記 伊勢二日目

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■[補]年末年始放浪記 奈良一日目

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■[補]年末年始放浪記 奈良二日目

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■[補]年末年始放浪記 京都一日目

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■[補]年末年始放浪記 京都二日目

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■[補]年末年始放浪記京都三日目

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三島由紀夫の愛した美術

三島由紀夫の愛した美術 (とんぼの本)

三島由紀夫の愛した美術 (とんぼの本)

読了三島の『アポロの杯』など美術品に関する言及から実際の作品掲載、また対談からなる面白く興味深い一册でした。



万葉集試訳

0572 大宰帥大伴卿上京之後,沙彌滿誓贈卿歌二首

 真十鏡 見不飽君爾 所贈哉 旦夕爾 左備乍將居

 真十鏡(まそかがみ) 見飽(みあ)かぬ君(きみ)に 後(おく)れてや 朝夕(あしたゆふへ)に 寂(さび)つつ居(を)らむ

 明澄真十鏡 百見不厭吾君矣 留我後於此 旦夕思念渡日 悶悶心寂居徒然

沙彌滿誓 0572

「真十鏡(まそかがみ)」,「見」之枕詞

「後(おく)れてや」,「後れて」乃親暱之人離去,獨自被留下之狀。「や...む」乃表詠嘆疑問之句法。

「寂(さび)つつ居(を)らむ」,「さぶ」乃表心靈悶悶不樂,心慌意亂之意之上二段動詞


0573 【承前,第二。】

 野干玉之 鉐變 白髮手裳 痛戀庭 相時有來

 烏玉(ぬばたま)の 鉐變(くろかみかは)り 白(しら)けても 痛(いた)き戀(こひ)には 逢時有(あふときあり)けり

 漆遽╋妄臓’┗鉐褪色白 年齒雖白頭 以為看遍幾經霜 仍有逢遇痛慕時

沙彌滿誓 0573

「鉐變(くろかみかは)り 白(しら)けても」,鉐化白。按『萬葉集』821沙彌滿誓歌「青柳 梅との花を 折り髮插し」云云可之其乃帶髮僧人。

「痛(いた)き戀(こひ)」,此云仰慕大伴旅人之情。


0574 大納言大伴卿和歌二首

 此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思

 此間(ここ)に在(あ)りて 筑紫(つくし)や何處(いづち) 白雲(しらくも)の 棚引(たなび)く山(やま)の 方(かた)にしあるらし

 在此間觀之 筑紫國兮在何方 蓋在高天上 白雲棚引彼山之 所坐之方其是也

大伴旅人 0574

「此間(ここ)に在(あ)りて 筑紫(つくし)や何處(いづち)」,「此間」指奈良之自宅。「何處(いづち)」或書「何方」。下句「白雲」之白有暗喻「不知(知らず)」之意。

「白雲(しらくも)の 棚引(たなび)く山(やま)の」,彼山蓋指西面生駒山乎。



0575 【承前,第二。】

 草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天

 草香江(くさかえ)の 入江(いりえ)に漁(あさ)る 葦鶴(あしたづ)の あな辿辿(たづたづ)し 友無(ともな)しにして

 日下草香江 入江之間求食漁 葦鶴之所如 嗚呼仄暗形矇矓 無友相伴心忐忑

大伴旅人 0575

草香江(くさかえ)の 入江(いりえ)」,草香乃今大阪市日下(くさか)町一帶。古有遍布生駒山西麓寢屋川、攝津、守口、門真、大東、東大阪大阪市東半布之廣大河內灣,山城川、舊大和川皆注入於此,其後隨海岸退後與陸地隆起、土沙堆積而化坐潟湖萬葉集時代蓋為汽水湖狀態。當時自難波奈良,多迂迴草香江南下,沿大和川越龍田道。旅人蓋沿途觀見此景而歸京。

「漁(あさ)る」,此乃鶴探求食物巡迴之狀。「葦鶴(あしたづ)の」以前三句乃以同音起出「たづたづし」之序。

「たづたづし」,昏暗而形狀不明,或指心理不安之狀。此以後者為重。後轉為「たどたどしい」。


0576 大宰帥大伴卿上京之後,筑後守葛井連大成悲嘆作歌一首

 從今者 城山道者 不樂牟 吾將通常 念之物乎

 今(いま)よりは 城山道(きやまのみち)は 寂(さぶ)しけむ 我(わ)が通(かよ)はむと 思(おも)ひし物(もの)を

 君今上京後 往來大宰筑後間 城山道不樂 以往吾念通彼道 與君相聚心雀躍

葛井大成 0576

筑後守」,筑後屬上國,國守乃從五位下相當官。

城山道(きやまのみち)は」,聯絡大宰府筑後肥前之要路。

「寂(さぶ)しけむ」,寂寥不樂。以往大伴旅人大宰府,每行城山道則預期與之相會而樂。旅人歸京之後,行路倍感孤獨。筑後國府跡當在久留米市街地東方合川町枝光之地。

0577 大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首

 吾衣 人莫著曾 網引為 難波壯士乃 手爾者雖觸

 我(あ)が衣(ころも) 人(ひと)に莫著(なき)せそ 網引(あびき)する 難波壯士(なにはをとこ)の 手(て)には觸(ふ)るとも

 吾贈此新袍 還願莫令他人著 縱令網引之 難波壯士攝津職 手觸彼衣亦如是

大伴旅人 0577

「袍」,官人衣服最上級者,與公服同形式。袖丈不一,身丈則覆全身。

「攝津大夫」,攝津職長官。攝津乃擁難波宮難波津之重要國,故不設國府而特設職役。

「我(あ)が衣(ころも)」,題詞云新袍,蓋實際雖為新品而肌身不離時時穿著。

「網引(あびき)する 難波壯士(なにはをとこ)の」,「網引(あびき)」乃「網引(あみび)き」之略。難波配有供進魚貝類之大膳職網引。此乃將來使之年青攝津職官人與難波下魚師並列,視之俗鄙之戲笑表現



0578 大伴宿禰三依悲別歌一首

 天地與 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳

 天地(あめつち)と 共(とも)に久(ひさ)しく 住(すま)はむと 思(おも)ひて有(あり)し 家(いへ)の庭(には)はも

 吾思與天地 相共終極永奉仕 雖念茲在茲 然欲仕居不如願 嗚呼佐保邸庭哉

大伴三依 0578

「悲別歌」,出旅者離別之際所詠歌。大伴旅人大納言後,仍兼任大宰帥,故大宰府派使弔問,而三依為其中一人。

「天地(あめつち)と 共(とも)に」,永遠之意。此類表現僅見於如『萬葉集』176、3691等輓歌

「住(すま)はむ」,「住(すま)ふ」有不絕侍奉之意。

「家(いへ)の庭(には)はも」,此家蓋指大伴旅人佐保宅。

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2016-04-09-土

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高山神代桜

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伊勢伊雑宮二社三宮

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万葉集試訳

0555 大宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首

 為君 釀之待酒 安野爾 獨哉將飲 友無二思手

 君(きみ)が為(ため) 釀(かみ)し待酒(まちさけ) 安野(やすのの)に 獨(ひとり)や飲(の)まむ 友無(ともな)しにして

 引領守空閨 為君所釀待酒矣 今於安野間 孤居獨飲愁斷腸 無友相伴憂無解

大伴旅人 0555

「大貳」,大宰府首席次官,當正五位上,定員一名。

「民部卿」,民部省長官,當正四位下。天平元年有丹比縣守任權參議之紀錄,或同時拜民部卿。

「待酒(まちさけ)」,女性為來訪男子所釀之酒。釀む與嚙む同源,古嚙蒸米已造酒,而奈良時代已改用酒麴為之。

0556 賀茂女王贈大伴宿禰三依歌一首 【故左大臣長屋王之女也。】

 筑紫船 未毛不來者 豫 荒振公乎 見之悲左

 筑紫船(つくしぶね) 未(いま)だも來(こ)ねば 豫(あらかじ)め 荒振(あらぶ)る君(きみ)を 見(み)るが悲(かな)しさ

 雖將赴遠國 筑紫之船尚未至 見君心已移 所為已預趨冷淡 觀之吾悲從衷來

賀茂女王 0556

筑紫船(つくしぶね)」,往復筑紫難波渡船。大伴三依將乘之赴筑紫

「未(いま)だも來(こ)ねば」,「ねば」乃逆接用法,表否定

「荒振(あらぶ)る」,荒荒しく之上二段動詞。作者感到三依言行浮動,蓋心意已移,故言。

0557 土師宿禰水道筑紫上京海路作歌二首

 大船乎 榜乃進爾 磐爾觸 覆者覆 妹爾因而者

 大船(おほぶね)を 漕(こ)ぎの隨(まにま)に 岩(いは)に觸(ふ)れ 覆(かへ)らば覆(かへ)れ 妹(いも)に因(よ)りては

 大船渡滄溟 隨榜航進若觸岩 當覆者翻覆 吾心翻騰為戀苦 唯因妹妻無所惜

土師水道 0557

「漕(こ)ぎの隨(まにま)に」,划船隨勢前行。

「覆(かへ)らば覆(かへ)れ」,放任表現。乘船者以翻覆為禁語,此處用之以表思慕情切。

0558 【承前,第二。】

 千磐破 神之社爾 我挂師 幣者將賜 妹爾不相國

 千早振(ちはやぶ)る 神社(かみのやしろ)に 我(わ)が掛(か)けし 幣(ぬさ)は賜(たば)らむ 妹(いも)に逢(あ)は無(な)くに

 千早振稜威 嚴神社中吾所納 惶恐奉幣者 還願返賜諸吾身 冀與妹逢無效驗

土師水道 0558

「我(わ)が掛(か)けし」,祈願與戀人相逢而奉獻幣帛之狀。

「幣(ぬさ)は賜(たば)らむ 妹(いも)に逢(あ)は無(な)くに」,因無與相逢,逆恨神祇而求返還幣帛。

0559 大宰大監大伴宿禰百代戀歌四首 【第一。】

 事毛無 生來之物乎 老奈美爾 如是戀乎毛 吾者遇流香聞

 事(こと)も無(な)く 生來(いきこ)し物(もの)を 老波(おいなみ)に 斯(か)かる戀(こひ)にも 我(あれ)は逢(あ)へる哉(かも)

 生平無大事 未遇風瀾齒徒長 平凡窮一生 歲月如波積年老 何遇斯戀在今朝

大伴百代 0559

大宰大監」,大宰府第三等官。

「事(こと)も無(な)く 生來(いきこ)し物(もの)を」,以老來之戀為受難而言。

「老波(おいなみ)」,年紀如波滔一波波擊岸積重。

「斯(か)かる戀(こひ)にも 我(あれ)は逢(あ)へる哉(かも)」,以戀擬人,在此時遇上這樣的戀情。

以下四首,或唯與坂上郎女之贈答。未詳。

0560 【承前,第二。】

 孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為禮

 戀死(こひし)なむ 後(のち)は何為(なにせ)む 生(い)ける日(ひ)の 為(ため)こそ妹(いも)を 見(み)まく欲(ほ)りすれ

 若是戀死矣 其後何為無所益 吾之所願者 有生之日與君會 相見相逢在此生

大伴百代 0560

「戀死(こひし)なむ 後(のち)は何為(なにせ)む」,「何為(なにせ)む」乃反語,而「む時は」則為假定表現

2592有類歌。此云死責無論如何皆無所可為,只願生時能逢。

0561 【承前,第三。】

 不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三

 思(おも)はぬを 思(おも)ふと言(い)はば 大野(おほの)なる 三笠杜(みかさのもり)の 神(かみ)し知(し)らさむ

 若心實不念 口上佯言慕念者 筑前大野坐 御笠之森三笠杜 神將知悉降神

大伴百代 0561

「思(おも)はぬを」,を乃逆接接續助詞

大野(おほの)なる 三笠杜(みかさのもり)の」,筑前大野城市山田http://www.fukuokashiden.net/fmmain2oonojo.html。按『日本書紀』神功紀,仲哀帝九年三月戊子,皇后欲擊熊鷲,而自橿日宮遷于松峽宮。時飄風忽起,御笠墮風。故時人號其處曰御笠也。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki09.htm#sk09_01

「神(かみ)し知(し)らさむ」,「知らす」乃「知る」之敬語,此為處罰之意。

655、3100有類歌。


0562 【承前,第四。】

 無暇 人之眉根乎 徒 令搔乍 不相妹可聞

 暇無(いとまな)く 人(ひと)の眉根(まよね)を 徒(いたづら)に 搔(か)かしめつつも 逢(あ)はぬ妹哉(いもかも)

 汝實無硫法〈陛搔挑吾眉根 以為將相會 實則無由以晤逢 無情冷漠吾妹

大伴百代 0562

「人(ひと)の眉根(まよね)」,人乃他人,意即大伴百代。古俗眉頭搔癢為將與戀人相逢之兆。

此云女方無意與之相會,卻顯兆而至期待落空,遂恨而作歌。類歌2903。


0563 大伴坂上郎女歌二首

 鉐二 白髮交 至耆 如是有戀庭 未相爾

 鉐(くろかみ)に 白髮交(しろかみまじ)り 老(お)ゆる迄(まで) 斯(か)かる戀(こひ)には 未(いま)だ逢(あ)は無(な)くに

 烏玉鉐間 白髮斑駁交以雜 年齒耆至此 盛年不運迄今朝 未逢有戀如斯矣

坂上郎女 0563

「白髮交(しろかみまじ)り 老(お)ゆる迄(まで)」,按作者當時方卅四、五歲,年老、耆字云云略顯誇張。中國俗稱六十歲為耆,養老戶令以六十一歲為老,六十六歲為耆。大寶戶令以六一至六五稱老夫、老女,六十六歲以上為耆老、耆女。坂上郎女婚運不佳,與穗積皇子、大伴宿奈麻呂死別,與藤原麻呂亦未發展至結婚,而大伴百代年齒蓋幼於坂上郎女。又,此時作者已至大宰府

0564 【承前,第二。】

 山菅之 實不成事乎 吾爾所依 言禮師君者 與孰可宿良牟

 山菅(やますげ)の 實成(みな)らぬ事(こと)を 我(あ)に寄(よ)そり 言(い)はれし君(きみ)は 誰(たれ)とか寢(ね)らむ

 山菅當結實 然其之實不成者 蓋是人流言 云吾所依汝君矣 實與他人共枕眠

坂上郎女 0564

「山菅(やますげ)」,百合多年草藪蘭之古名,「實」之枕詞。或云生於山間之菅草。http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/yamasuge.html

「實成(みな)らぬ事(こと)」,不結果,無實體相伴。

「我(あ)に寄(よ)そり」,「寄そる」乃與異性過從甚密之是為人所傳聞。

0565 賀茂女王歌一首

 大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜爾 直相在登聞

 大伴(おほとも)の 見(み)つとは言(い)はじ 茜草射(あかねさ)し 照(て)れる月夜(つくよ)に 直(ただ)に逢(あ)へりとも

 大伴三津兮 相見之事莫輙云 吾恐人流言 縱在暉曜緋茜射 照月夜中直相逢

賀茂女王 0565

「大伴(おほとも)の」,以難波港灣大伴三津(御津)而為「見つ(相逢、相見)」之枕詞

此歌云不欲兩人之關係為他人所知,而戒其封口。


0566 大宰大監大伴宿禰百代等贈驛使歌二首

 草枕 羈行君乎 愛見 副而曾來四 鹿乃濱邊乎

 草枕(くさまくら) 旅行(たびゆ)く君(きみ)を 愛(うるは)しみ 副(たぐ)ひてそ來(こ)し 志賀濱邊(しかのはまへ)を

 草枕在他鄉 出外行旅吾君矣 愛慕不能止 副而來兮隨羈旅 到此志賀濱邊矣

大伴百代 0566

 右一首,大監大伴宿禰百代。

「驛使」,乘繼驛馬奉公之使。有傳達緊急文書者,亦有因公行旅之官人。此為後者

「副(たぐ)ひ」,依偎、並列之意。

志賀濱邊(しかのはまへ)」,志賀福岡東區志賀島。扼博多灣入口。當時云志賀海者,為博多灣之濱邊,集箱崎名島香椎沿岸而成。

0567 【承前,第二。】

 周防在 磐國山乎 將超日者 手向好為與 荒其道

 周防(すはう)なる 磐國山(いはくにやま)を 越(こ)えむ日(ひ)は 手向良(たむけよ)くせよ 荒(あら)し其道(そのみち)

 位居周防國 嶮峻曳足磐國山 將越之日者 宜善手向誠心祈 其道荒險需神貺

山口若麻呂 0567

 右一首,少典山口忌寸若麻呂。

 以前天平二年庚午六月,帥大伴卿,忽生瘡腳,疾苦枕席。因此馳驛上奏,望請庶弟稻公姪胡麻呂,欲語遺言者。敕右兵庫助大伴宿禰稻公、治部少丞大伴宿禰胡麻呂兩人,給驛發遣,令省卿病。而逕數旬,幸得平復。于時,稻公等以病既療,發府上京。於是大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等,相送驛使,共到夷守驛家。聊飲悲別,乃作此歌。

周防(すはう)なる」,周防國在今山口縣東南。「なる」為「にある」之略。行山陽道多取海路,唯周防國取陸路

「荒(あら)し其道(そのみち)」,381筑紫娘子贈行旅歌有「家思ふと 心進む莫 風候り 好くして坐せ 荒し其道」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0381 其後蓋為贈予自筑紫還都者之慣用句

「馳驛」,一日過十驛以上之特急驛使。

「庶弟」,非同胞生,或妾腹之弟。

0568 大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時,府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首 【第一。】

 三埼迴之 荒礒爾緣 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美

 御崎迴(みさきみ)の 荒磯(ありそ)に寄(よ)する 五百重波(いほへなみ) 立(た)ちても居(ゐ)ても 我(あ)が思(おも)へる君(きみ)

 御崎迴荒磯 寄緣五百重浪湧 滔立之所如 吾人坐立心難靜 慕情難遏每思君

門部石足 0568

 右一首,筑前掾門部連石足。

大宰帥大伴卿被任大納言」,大伴旅人大納言事,『續日本紀』闕。『公卿輔任』作天平二年十月一日。實際離府蓋在十二月十二月六日山上憶良有餞酒歌。

御崎迴(みさきみ)」,『日本書紀』繼體紀註釋有「恒避嶋曲。【謂海中嶋曲碕岸也。俗云みさき。】」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki17.htm#sk17_04 『萬葉集』1230有「千早振る 金の岬」,古以御崎神領而有敬畏之情。

「五百重波(いほへなみ)」,一再擊岸而來之浪,以上三句乃以浪湧浪立起出後文「坐立」之序。


0569 【承前,第二。】

 辛人之 衣染云 紫之 情爾染而 所念鴨

 韓人(からひと)の 衣染(ころもそ)むと云(い)ふ 紫(むらさき)の 心(こころ)に染(し)みて 思(おも)ほゆるかも

 傳聞三韓人 用以染衣彩其裳 紫草貴色矣 眼見其色沁吾心 更念吾君懷汝命

麻田陽春 0569

韓人(からひと)」,韓指朝鮮諸國。或有納唐土而廣稱海外之域,而此歌專指朝鮮半島

「衣染(ころもそ)むと云(い)ふ 紫(むらさき)の」,以上乃起出下句「新に沁(染)みて」之序。以紫草、紫根染衣之法,蓋經韓人傳來。按「衣服令」,官人禮服一位深紫,三位以上淺紫,四位深緋五位淺緋。大伴旅人當時拜正三位,乃太宰府中唯一著紫服者。


0570 【承前,第三。】

 山跡邊 君之立日乃 近付者 野立鹿毛 動而曾鳴

 大和邊(やまとへ)に 君(きみ)が立(た)つ日(ひ)の 近付(ちかづ)けば 野(の)に立(た)つ鹿(しか)も 響(とよ)めてそ鳴(な)く

 將往大和去 君之出旅日近者 非唯吾喧囂 野間棲鹿亦發鳴 啼響發號蕩此間

麻田陽春 0570

 右二首,大典麻田連陽春。

大和邊(やまとへ)に」,此「へ」表方向之名詞用法,後世轉為助詞之用。

「響(とよ)めてそ鳴(な)く」,人物動物之聲響。冬季鹿鳴可見『毛詩』小雅「鹿鳴」。此曲表餞宴喧囂之狀。

0571 【承前,第四。】

 月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而將歸

 月夜良(つくよよ)し 川音清(かはのおときよ)し 去來此間(いざここ)に 行(ゆ)くも行(ゆ)かぬも 遊(あそ)びて行(ゆ)かむ

 月夜無限美 川音清爽響潺潺 去來率此間 發向之人留居人 皆遊將歸興此宴

大伴四綱 0571

 右一首,防人佑大伴四綱。

「月夜良(つくよよ)し」,蓋臘月望日前後之寒月。

「遊(あそ)びて行(ゆ)かむ」,此為催興遊宴之意。原文「遊而將歸」之「行(ゆ)く」乃自蘆城驛家歸大宰府之意。

sherrysherry 2016/04/12 18:50 みごとなさくらだ! >o<

好些年没親見看到這些景像了・・・

kuonkizunakuonkizuna 2016/04/12 21:34 有些貼在這
http://www.plurk.com/p/lkk3po

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20160409

2016-03-29-火

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■補給物資

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三島由紀夫小説家の休暇』音楽について

 理智と官能との渾然たる境地にあつて、音楽をたのしむ人は、私にはうらやましく思はれる。音楽会へ行つても、私はほとんど音楽を享楽することができない。意味内容のないことの不安に耐へられないのだ。音楽が始まると、私の精神は慌しい分裂状態に見舞はれ、ベートーベン最中に、昨日の忘れ物思ひ出したりする。

 音楽といふものは、人間精神の暗黒な深淵のふちのところで、戯れてゐるもののやうに私には思はれる。かういふ恐ろしい戯れを生活の愉楽にかぞへ、音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たちを見ると、私はさういふ人たちの豪胆さにおどらかずにはゐられない。

 音といふ形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕へられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起す。音楽愛好家たちが、かうした形のない暗黒に対する作曲家精神の勝利を簡明に信じ、安心してその勝利に身をゆだね、喝采してゐる点では、

檻のなかの猛獣の演技に拍手を送る サーカス の観客とかはりがない。しかしもし檻が破れたらどうするのだ。勝つてゐるとみえた精神がもし敗北してゐたとしたら、どうすのだ。音楽会の客と、サーカス の客との相違は、後者が万が一にも檻の破られる危険を考へてもみないところにある。私はビアズレエの描いた「ワグネルを聽く人々」の、驕慢な顏立ちを思ひ出さずにはゐられない。

 作曲家精神が、もし敗北してゐると仮定する。その瞬間に音楽は有毒な恐ろしいものになり、毒 ガス のやうな致死の効果をもたらす。音はあふれ出し、聴衆の精神を、形のない闇で、十重廿重にかこんでしまふ。聴衆は自らそれと知らずに、深淵につきおとされる。・・・・・・

 ところで私は、いつも制作に疲れてゐるから、かういふ深淵と相渉るやうなたのしみを求めない音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、といふことに尽きる。だから私は食事の喧騒のあひだを流れる浅墓な音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米音楽をしか愛さないのである


==

 何か芸術の享受に、サディスティックなものと、マゾヒスティックなものがあるとすると、私は明瞭に前者であるのに、音楽愛好家はマゾヒストなのではなからうか。音楽を聞楽しみは、包まれ、抱擁され、刺される事の純粋な楽しみではなからうか。命令してくる情感にひたすら受動的であることの歓びではなからうか。如何なる種類の音楽からも、私は解放感を感じた事がない。



万葉集試訳

0504 柿本朝臣人麻呂妻歌一首

 君家爾 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者

 君(きみ)が家(いへ)に 我(わ)が住坂(すみさか)の 家道(いへぢ)をも 我(あれ)は忘(わす)れじ 命死(いのちし)なずは

 至自君之家 訪通吾棲住坂之 往來家道者 吾必永銘存不忘 直至命死息絕時

柿本人麻呂妻 0504

「柿本朝臣人麻呂妻」,人麻呂妻有數人,未知孰是。

「君(きみ)が家(いへ)に 我(わ)が住坂(すみさか)の」,「君が家に我が」乃地名「住坂」之序。吾所住居之住坂。「住む」有男子訪妻通於妻邸之意。

「家道(いへぢ)」,前往對方家之通路。

「我(あれ)は忘(わす)れじ 命死(いのちし)なずは」,只要此命未死,必存而不忘。

或云此歌述女方通於男家,甚稀有。或云傳詠之間君、妹二字置換。


0505 安倍女郎歌二首

 今更 何乎可將念 打靡 情者君爾 緣爾之物乎

 今更(いまさら)に 何(なに)をか思(おも)はむ 打靡(うちなび)き 心(こころ)は君(きみ)に 寄(よ)りにし物(もの)を

 今更念何事 何以有所憂思哉 打靡隨風撓 吾心早傾於君爾 寄情倚託難分捨

安倍女郎 0505

「打靡(うちなび)き」,心思為某物吸引寄慕之意。

『歌經標式』作但馬親王達穗積親王歌。

0506 【承前,第二。】

 吾背子波 物莫念 事之有者 火爾毛水爾母 吾莫七國

 我背子(わがせこ)は 物莫思(ものなおも)ひそ 事(こと)し有(あ)らば 火(ひ)にも水(みづ)にも 我(あ)が無(な)け莫(な)くに

 親愛吾兄子 莫沉物思莫煩惱 一旦有事者 赴湯蹈火無所惜 必伴君側莫相離

安倍女郎 0506

「事(こと)し有(あ)らば 火(ひ)にも水(みづ)にも 我(あ)が無(な)け莫(な)くに」,一旦有事,不辭水火,永在身邊不會消失。「事」或指親人、周遭反對。


0507 駿河采女歌一首

 敷細乃 枕從久久流 淚二曾 浮宿乎思家類 戀乃繁爾

 敷栲(しきたへ)の 枕(まくら)ゆ潛(くく)る 淚(なみた)にそ 浮寢(うきね)をしける 戀繁(こひのしげ)きに

 細柔敷栲兮 枕間穿潛淚成河 浮寢淚川上 憂眠苦悶鬱難解 全因情激戀繁矣

駿河采女 0507

駿河采女」,自駿河駿河郡所貢進之采女。不詳與卷八1420駿河采女為同人否。

「敷栲(しきたへ)」,「枕」之枕詞

「枕(まくら)ゆ潛(くく)る」,「ゆ」表「自」,與「より」同。「潛(くく)る」乃「潛(くぐ)る」之古形。淚穿枕之狀,按2549有「木枕通り袖さへ濡れぬ」,枕之材質未必如菰、稻草等多縫隙材質。

「浮寢(うきね)」,浮於(淚)水上,隱喻同音之「憂寢」。中古多與淚川連用。

萬葉集』采女歌多哀歎自由受限,與人隔絕,生活寂寞之境遇。大部分為傳誦歌而本曲亦如此類。


0508 三方沙彌歌一首

 衣手乃 別今夜從 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美

 衣手(ころもで)の 別(わか)る今夜(こよひ)ゆ 妹(いも)も我(あれ)も 甚(いた)く戀(こ)ひむな 逢由(あふよし)を無(な)み

 衣手袖訣別 今夜之後兩相離 於妹於吾身 皆當甚戀難平復 總哀異地無逢由

三方沙彌 0508

「別(わか)る今夜(こよひ)ゆ」,「別る」本當為下二段活用終止形,因音數限制而以連体形代用。或舉『古事記』「今夜こそは 安く膚觸れ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krk02.htm#k0078 之例,當訓「別(わか)るる今夜(こぞ)ゆ」

「甚(いた)く戀(こ)ひむな」,「な」乃感動終助詞。多接於推量助動詞後。


0509 丹比真人笠麻呂下筑紫國時,作歌一首 【并短歌。】

 臣女乃 匣爾乘有 鏡成 見津乃濱邊爾 狹丹頰相 紐解不離 吾妹兒爾 戀乍居者 明晚乃 旦霧隱 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山爾 多奈引流 白雲隱 天佐我留 夷乃國邊爾 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背爾見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃迴 稻日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍爾 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹爾 不告來二計謀

 臣女(おみのめ)の 櫛笥(くしげ)に乘(の)れる 鏡(かがみ)なす 三津濱邊(みつのはまへ)に さ丹頰(につら)ふ 紐解放(ひもときさ)けず 我妹子(わぎもこ)に 戀(こ)ひつつ居(を)れば 明闇(あけぐれ)の 朝霧隱(あさぎりごも)り 鳴鶴(なくたづ)の 音(ね)のみし泣(な)かゆ 我(あ)が戀(こ)ふる 千重一重(ちへのひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心(こころ)も有哉(ありや)と 家邊(いへのあたり) 我(あ)が立見(たちみ)れば 青旗(あをはた)の 葛城山(かづらきやま)に 棚引(たなび)ける 白雲隱(しらくもがく)る 天離(あまさが)る 鄙國邊(ひなのくにへ)に 直向(ただむか)ふ 淡路(あはぢ)を過(す)ぎ 粟島(あはしま)を 背向(そがひ)に見(み)つつ 朝凪(あさなぎ)に 水手(かこ)の聲呼(こゑよ)び 夕凪(ゆふなぎ)に 梶音(かぢのおと)しつつ 波上(なみのうへ)を い行(ゆ)きさぐくみ 岩間(いはのま)を い行迴(ゆきもとほ)り 稻日妻(いなびつま) 浦迴(うらみ)を過(す)ぎて 鳥(とり)じ者(もの) 漂行(なづさひゆ)けば 家島(いへのしま) 荒磯上(ありそのうへ)に 打靡(うちなび)き 繁(しじ)に生(お)ひたる 勿告藻(なのりそ)が 何(な)どかも妹(いも)に 告(の)らず來(き)にけむ

 女官臣女等 懸乘櫛笥掛鏡矣 見鏡名所如 難波三津濱邊處 赭頰朱紅兮 吾妻衣紐不為解 孤寢守空閨 思念吾妻戀妹子 吾猶曦闇之 朝霧瀰漫籠眼前 鳴鶴發哀啼 哭泣之音蕩可聞 吾戀苦相思 千重之間其一重 憂思或可解 戀慕之情有慰哉 遂念吾家邊 登高望遠眺故土 青旗儀仗兮 葛城山頭湧煙雲 棚引掛山間 隱於白雲不可見 天離日已遠 鄙夷遠國筑紫地 直向促疾行 淡路之島今方過 回首望粟島 背向瞻看顧見者 風平朝凪間 水手相呼聲可聞 浪靜夕凪間 梶音奏響聲可聞 波濤滄溟上 破浪排分航前行 荒磯礁岩間 迂迴險地航行回 印南稻日之 妻地浦迴今已過 非鳥猶水鳥 彷徨漂泊遊行者 雖非家島間 荒磯之上所生息 隨波打靡兮 叢聚繁生莫告藻 吾非勿告藻 何以不告吾妹妻 逕自來此受孤苦

丹比笠麻呂 0509

「臣女(おみのめ)」,官女、女官之意。

「櫛笥(くしげ)」,同玉櫛笥。

「鏡(かがみ)なす」,以上三句,以「見(みつ)鏡」起出地名「三津(みつ)」之續。

「さ丹頰(につら)ふ」,朱色,此云妻子下紐之色。

「紐解放(ひもときさ)けず」,不得解開妻子衣紐,即無法共寢。

「明闇(あけぐれ)の」,晨曦而天尚陰闇時。

「千重一重(ちへのひとへ)も」,縱為千分之一。

「家邊(いへのあたり)」,此為行旅在外顧見故鄉居家所在。

「青旗(あをはた)の」,以青旗比喻山間青蒼茂冉啓木。

葛城山(かづらきやま)」,以金剛山為主峰之葛城連山總稱。此時乃平城遷都之前,而作者宅邸蓋在二上山之後方,南大和一代。

「天離(あまさが)る」,「鄙(ひな)」之枕詞。或訓「あまさかる、あまざかる」而中世以降固定為「あまさがる」。「鄙」之天邊與地相接之遠處。

「水手(かこ)」,自身無船受雇於他人之水手。

「い行(ゆ)きさぐくみ」,「さぐくみ」有裂開波浪前進(類於押磐),或循著浪間航行之意。

「い行迴(ゆきもとほ)り」,「迴(もとほ)り」於此有逡巡苦惱之意。

「鳥(とり)じ者(もの)」,似鳥而非鳥,意指航行狀如水鳥。

「漂行(なづさひゆ)けば」,為水流滯行,漂蕩難行之意。

「家島(いへのしま)」,以家為名之島,借此回想故土。

「繁(しじ)」,無空隙。

「勿告藻(なのりそ)」,水藻,音同「勿告之(莫告りそ)」。

「何(な)どかも妹(いも)に」,「何ど」為詢問原因、理由之疑問副詞「なに」與「と思う」之「と」所結合之「なにと」濃縮而成。三島由紀夫『英靈之聲』有「何(な)どて皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまいし。(何以天皇竟成俗)」

0510 反歌 【承前。】

 白細乃 袖解更而 還來武 月日乎數而 徃而來猿尾

 白栲(しろたへ)の 袖解交(そでときか)へて 歸來(かへりこ)む 月日(つきひ)を數(よ)みて 行(ゆ)きて來益(こまし)を

 白妙袖交纏 欲共解紐渡春宵 逢後歸來者 每數日月恐不及 祈得徃而來赴命

丹比笠麻呂 0510

「袖解交(そでときか)へて」,蓋混合「袖交へし」與「紐解交し」而成。

「歸來(かへりこ)」,欲於赴命下向筑紫之前先繞路至大和與妻子相逢,其後歸至詠歌之地繼續旅程。

「月日(つきひ)を數(よ)みて」,計算前往筑紫之日時,莫令生遲。

「行(ゆ)きて來益(こまし)を」,如果能順利繞路前往妻子之處,回來亦能準時赴命就好了。

0511 幸伊勢國時,當麻麻呂大夫妻作歌一首 【01-0043既出。】

 吾背子者 何處將行 己津物 隱之山乎 今日歟超良武

 我(わ)が背子(せこ)は 何處行(いづくゆ)くらむ 沖藻(おきつも)の 名張山(なばりのやま)を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ

 妾身夫子矣 君今行至何所乎 伊勢大和境 水下沖藻名張山 今日越山過境歟

當麻麻呂妻 0511

既出於01-0043。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m01.htm#0043


0512 草孃歌一首

 秋田之 穗田乃苅婆加 香緣相者 彼所毛加人之 吾乎事將成

 秋田(あきのた)の 穗田(ほた)の刈量(かりばか) 彼寄合(かよりあ)はば 其處(そこ)もか人(ひと)の 我(わ)を言成(ことな)さむ

 秋稼穗結實 田中刈稻量務間 彼此處相近 吾倆無非緣如此 人能蜚語道是非

草孃 0512

「草孃」,傳未詳,或為描述鄉下娘子之一般名詞正倉院寶物色氈,有標示「草娘宅毛氈」者,然其乃新羅舶來品,難為直接證物。

「穗田(ほた)の刈量(かりばか)」,「穗田」乃稻穗結實之田。「刈量(かりばか)」乃共同收割者美人所分攤之農務量。古時稻田非如今日採直條播種,稻株亂數分布,收穫時不免與旁人偶爾摩肩擦踵。

「彼寄合(かよりあ)はば」,相離者互相靠近之狀。

「其處(そこ)」,這一點。

「我(わ)」,此為一人稱複數形。


0513 志貴皇子御歌一首

 大原之 此市柴原乃 何時鹿跡 吾念妹爾 今夜相有香裳

 大原(おほはら)の 此市柴原(このいちしばはら)の 何時(いつ)しかと 我(あ)が思(おも)ふ妹(いも)に 今夜逢(こよひあ)へる哉(かも)

 飛鳥大原里 此市柴原發感興 睹名有所思 還念何時能相會 今夜終與慕人逢

志貴皇子 0513

「市柴原(いちしばはら)」,「いちしば」乃「いつしば」之轉。2770有「五柴原能」云云。以「いつ」帶出「何時」。

「何時(いつ)しかと」,此云何時能相逢。祈望能早日再會。

0514 阿倍女郎歌一首

 吾背子之 蓋世流衣之 針目不落 入爾家良之 我情副

 我(わ)が背子(せこ)が 著(け)せる衣(ころも)の 針目落(はりめお)ちず 入(こも)りにけらし 我(あ)が心(こころ)さへ

 此乃吾兄子 良人所著衣衫故 針目不落而 針針確確入絲逢 更副吾情込吾心

阿倍女郎 0514

「我(わ)が背子(せこ)」,此云中臣東人。

「著(け)せる衣(ころも)」,「著(け)す」乃「著(き)る」之敬語形。此云作者手縫令著之服。

「針目落(はりめお)ちず」,此云針線無所漏,縝密無疏無錯丁。

「入(こも)りにけらし」,按『東大寺諷詠文稿』有訓「入」為「こもれり」之例。「けらし」乃「けるらしい」之略。

「我(あ)が心(こころ)さへ」,不只縫針,己心亦著實織入服中。


0515 中臣朝臣東人,贈阿倍女郎歌一首 【承前。】

 獨宿而 絕西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曾泣

 獨寢(ひとりね)て 絕(た)えにし紐(ひも)を 忌(ゆゆ)しみと 為術知(せむすべし)らに 音(ね)のみしそ泣(な)く

 孤宿獨寢而 衣紐忽斷絲緒絕 心思忌不吉 然苦無術可施者 唯有嗚咽啼泣鳴

中臣東人 0515

「絕(た)えにし紐(ひも)を 忌(ゆゆ)しみと」,古俗以斷紐為不吉之兆。一人獨寢,未與妻同在,故擔心對方安否。


0516 阿倍女郎答歌一首 【承前。】

 吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曾悔寸

 我(あ)が持(も)てる 三合(みつあ)ひに搓(よ)れる 絲持(いとも)ちて 付(つ)けて益物(ましもの) 今(いま)そ悔(くや)しき

 若以妾所持 三相合搓堅韌絲 以為衣紐者 則必無緣會凶兆 至今追悔也莫及

阿倍女郎 0516

「三合(みつあ)ひに搓(よ)れる」,以三組絲線所搓紡成之絲。正倉院之服多為二組絲線所搓之雙子絲為主。

「付(つ)けて益物(ましもの)」,「まし」乃反實假想助動詞

0517 大納言兼大將軍大伴卿歌一首

 神樹爾毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞

 神木(かむき)にも 手(て)は觸(ふ)ると云(い)ふを 未必(うつたへ)に 人妻(ひとづま)と云(い)へば 觸(ふ)れぬ物哉(ものかも)

 雖云嚴稜威 神木仍可以手觸 然為人妻者 不得輕舉妄昵之 其間吊詭當何如

大伴安麻呂 0517

大納言兼大將軍大伴卿」,此云大伴宿禰安麻呂。

神木(かむき)にも 手(て)は觸(ふ)ると云(い)ふを」,神木神聖,不應妄觸,然亦有不畏其祟而觸者。

「未必(うつたへ)」,本意輕妄,節合後文打消詞而有蓋約、應當之意。『遊仙窟』古訓「未必」作「うつたへ」,今從之。

「觸(ふ)れぬ物哉(ものかも)」,可作疑問詞解,亦可作反語解。

0518 石川郎女歌一首 【即佐保大伴大家也。○承前。】

 春日野之 山邊道乎 於曾理無 通之君我 不所見許呂香裳

 春日野(かすがの)の 山邊道(やまへのみち)を 恐(おそ)り無(な)く 通(かよ)ひし君(きみ)が 見(み)えぬ頃哉(ころかも)

 寧樂春日野 山邊之道罕人煙 不畏行路險 繁通來會吾兄子 比日近頃不所見

石川郎女 0518

「春日野(かすがの)の 山邊道(やまへのみち)」,春日野乃奈良東方春日山及其西麓一帶。當時人家稀少,道路荒涼。

「恐(おそ)り無(な)く」,「恐(おそ)る」至平安中期尚為上二段活用詞。此乃推量不畏暗夜穿山越嶺步行荒路而來之男子情懷。

按安麻呂薨於和同七年,年歲不詳。以其長男旅人五十歲估之,則或屆古稀之年。此歌背景存疑。

0519 大伴女郎歌一首 【今城王之母也。今城王,後賜大原真人氏也。】

 雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨爾 將懲鴨

 雨障(あまつつ)み 常(つね)する君(きみ)は 久方(ひさかた)の 昨夜雨(きぞのよのあめ)に 懲(こ)りにけむかも

 君常厭天雨 惡其滯足障行步 遙遙久方兮 昨日零雨降紛紛 汝蓋嫌之不復來

大伴女郎 0519

「大伴女郎」,或云即大伴坂上郎女,未詳。今城王亦不明系譜,穗積皇子之子乎。

「雨障(あまつつ)み」,厭惡雨降地濕難行,而不欲外出。

「昨夜雨(きぞのよのあめ)に 懲(こ)りにけむかも」,昨夜來而雨降,故今厭其雨障而不來。諷刺男子不來相逢之曲。

0520 後人追同歌一首 【承前。】

 久堅乃 雨毛落粳 雨乍見 於君副而 此日令晚

 久方(ひさかた)の 雨(あめ)も降(ふ)らぬか 雨障(あまつつ)み 君(きみ)に偶(たぐ)ひて 此日暮(このひくら)さむ

 遙遙久方兮 吾願天雨降合時 良人厭雨障 若得留君滯足此 依偎終日不相離

後人 0520

「久方(ひさかた)の 雨(あめ)も降(ふ)らぬか」,「久方」乃「天、雨」之枕詞。「ぬか」表冀求。

「偶(たぐ)ひ、副(たぐ)ひ」,接近、親暱、依偎之意。

後人附合前曲所詠歌。

0521 藤原宇合大夫遷任上京時,常陸娘子贈歌一首

 庭立 麻手苅干 布暴 東女乎 忘賜名

 庭(には)に立(た)つ 麻手刈干(あさでかりほ)し 布曝(ぬのさら)す 東女(あづまをみな)を 忘給(わすれたま)ふ莫(な)

 庭畠麻茂生 苅取麻手干日曬 晾布曝衣裳 雖為鄙夷東國女 願君勿忘常相憶

常陸娘子 0521

「庭(には)に立(た)つ」,庭乃農家屋敷內之田地、庭園。「立つ」指植物生長繁茂之狀。

「麻手刈干(あさでかりほ)し」,麻手乃剛採收完之麻。

東女」,娘子卑下自稱。或者作者乃遊婦之類,並未實際參與此類農務。


0522 京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 【卿諱曰麻呂也。○第一。】

 𡢳嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹爾阿波受有者

 娘子等(をとめら)が 玉櫛笥(たまくしげ)なる 玉櫛(たまくし)の 神(かむ)さびけむも 妹(いも)に逢(あ)はず有(あ)れば

 吾猶娘子等 珠篋櫛笥中所藏 玉櫛蘊古香 吾年已高身且古 不逢妹矣有時日

藤原麻呂 0522

藤原大夫」,藤原朝臣麻呂,藤原宇合舍弟。京職乃治理都城之職,此指京兆。大夫為左右京職長官。麻呂以養老五年兼任兩京大夫

「大伴郎女」,此云大伴坂上郎女

「娘子等(をとめら)が」,「等」字於此乃接尾語非複數,指大伴坂上郎女

「玉櫛笥(たまくしげ)なる 玉櫛(たまくし)の」,「玉」字乃美稱。以上三句以長年使用之古櫛引出神さぶ(古老蒼鬱莊嚴之貌)。

「神(かむ)さびけむも」,此云不見之間作者年老。而實際上,麻呂任京職大夫年廿七,乃誇張表現。「けむ」乃推量對方見己現狀之推測表現。


0523 【承前,第二。】

 好渡 人者年母 有云乎 何時間曾毛 吾戀爾來

 良渡(よくわた)る 人(ひと)は年(とし)にも 有(あり)と云(い)ふを 何時間(いつのま)にそも 我(あ)が戀(こ)ひにける

 傳聞善堪者 可忍別離相思苦 蓋一年為期 然吾不知何時間 戀慕潰堤眷如此

藤原麻呂 0523

「良渡(よくわた)る」,「よく」乃忍耐萬難之意,類似現代語「多虧」。「渡る」乃撐過、渡過某時期。有稱羨他人完成自身無法成遂之事之感。

「人(ひと)は年(とし)にも 有(あり)と云(い)ふを」,「年(とし)にも有(あり)」乃一年中持續某種狀態。此云如七夕傳說般一年間無法相逢之狀。

「何時間(いつのま)にそも 我(あ)が戀(こ)ひにける」,自嘲相別未久,已苦於眷情。

0524 【承前,第三。】

 蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 與妹不宿者 肌之寒霜

 蒸衾(むしぶすま) 和(なご)やが下(した)に 臥(ふ)せれども 妹(いも)とし寢(ね)ねば 肌(はだ)し寒(さむ)しも

 蒸被褥衾暖 雖臥和柔暖衾中 休憩欲安眠 然無愛妻相共枕 孤寢難眠肌曝寒

藤原麻呂 0524

「蒸衾(むしぶすま)」,匹被則如火蒸般溫暖之褥。或云「むし」指蠶絲暖被。『古事記』上有「蠶衾 和やが下に」云云。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krk01.htm#k0005

「和(なご)やが下(した)に」,「和(なご)」乃柔軟之意。「や」乃接尾語,「下」指內部。


0525 大伴郎女和歌四首 【承前,和麻呂歌四首第一。】

 狹穗河乃 小石踐渡 夜干玉之 酣惑経毀觴圈’爾母有粳

 佐保川(さほがは)の 小石踏渡(こいしふみわた)り 烏玉(ぬばたま)の 酣(くろま)の來夜(くよ)は 年(とし)にも有(あ)らぬか

 狹穗佐保川 踏渡小石渡川鵝ー頗遽╋妄臓●酣椀塢詼之夜 年間可續不斷乎

坂上郎女 0525

「大伴郎女和歌」,古寫本雖云「和歌(こたふるうた)」而桂本僅書「歌」字,內容易未必堪稱唱和。然目錄及諸本皆有和字,姑從之。

佐保川(さほがは)」,作者家邸蓋在佐保川右岸

「酣(くろま)の來夜(くよ)は」,「來夜」注「くるよ」則有餘音,姑訓「くよ」。酣六藤原麻呂之乘馬。

「年(とし)にも有(あ)らぬか」,「年にあり」乃止一年之中狀態持續之狀。期待對方年間不間斷地來訪。

萬葉集』3313有類歌「川鵑痢\估渡り 烏玉の 酣椀圓詭襪蓮‐錣砲△蕕未も」云云。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m13.htm#3313

0526 【承前,四首第二。】

 千鳥鳴 佐保乃河麈掘‐浪 止時毛無 吾戀者

 千鳥鳴(ちどりな)く 佐保川(さほのかはせ)の 小波(さざれなみ) 止時(やむとき)も無(な)し 我(あ)が戀(こ)ふらくは

 千鳥爭鳴啼 佐保之河川鶸屐≠貲版圭蠻 [漪振起無絕時 吾發慕情莫可止

坂上郎女 0526

千鳥鳴(ちどりな)く」,佐保川之慣用修飾語,類似枕詞

「小波(さざれなみ)」,以上三句乃起出「止時(やむとき)も無(な)し」之序。

本曲或為『萬葉集』3244「阿胡海の 荒礒上の 細波 我が戀ふらくは 止む時も無し」之擬作。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m13.htm#3244

0527 【承前,四首第三。】

 將來云毛 不來時有乎 不來云乎 將來常者不待 不來云物乎

 來(こ)むと言(い)ふも 來(こ)ぬ時有(ときあ)るを 來(こ)じと言(い)ふを 來(こ)むとは待(ま)たじ 來(こ)じと言物(いふもの)を

 縱云將來者 不來之時亦有兮 子既云不來 豈度將來徒待兮 汝既言告不來者

坂上郎女 0527

「來(こ)むと言(い)ふも 來(こ)ぬ時有(ときあ)るを」,「來」指造訪女方之家,此云即便約好會來亦有不來之時。

「來(こ)じと言(い)ふを 來(こ)むとは待(ま)たじ」,既然說不來,當然不會心盼男方來訪而苦等。「む」字表推量。

本曲五句皆以「來(こ)」起頭韻以為遊興。

0528 【承前,四首第四。】

 千鳥鳴 佐保乃河門乃 鷂致彌 打橋渡須 奈我來跡念者

 千鳥鳴(ちどりな)く 佐保川門(さほのかはと)の (せ)を廣(ひろ)み 打橋渡(うちはしわた)す 汝(な)が來(く)と思(おも)へば

 千鳥爭鳴啼 佐保之河川門矣 以其鷙跡◆″棒板橋便人渡 念汝將來會妾身

坂上郎女 0528

 右,郎女者,佐保大納言卿之女也。初嫁一品穗積皇子,被寵無儔。而皇子薨之後時,藤原麻呂大夫,娉之郎女焉。郎女家於坂上里,仍族氏號曰坂上郎女也。

「川門(かはと)」乃人門入河之口,汲水、洗滌、渡河之處。

「打橋(うちはし)」,簡易架設亦可拆除之板橋。如七夕歌中女性期待男方渡河而來,而設置之橋。

「汝(な)が來(く)と思(おも)へば」,只念君將來者之意。


0529 又大伴坂上郎女歌一首 【承前。】

 佐保河乃 涯之官能 少歷木莫苅焉 在乍毛 張之來者 立隱金

 佐保川(さほがは)の 岸丘(きしのつかさ)の 柴莫刈(しばなか)りそね 在(あり)つつも 春(はる)し來(き)たらば 立隱(たちかく)るがね

 千鳥爭鳴啼 佐保川岸丘之上 所生柴株莫刈之 令其恆常在 一旦春日復再來 可隱其間竊相會

坂上郎女 0529

「岸丘(きしのつかさ)の」,「つかさ」指突起之高處。「岸」原文作「涯」,水邊、川岸之意。

「柴」,雜木。「ありつつも」乃唯持不動。

「立隱(たちかく)るがね」,「がね」乃表理由、目的之修飾格與希望之推量。

本歌採旋頭歌體,以「五、七、七、五、七、七」成篇。『萬葉集』所收旋頭歌多伴為作者不明之民謠,此歌亦或為虛構之對詠。


0530 天皇賜海上女王御歌一首 【寧樂宮即位(聖武)天皇也。】

 赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思

 赤駒(あかごま)の 越(こ)ゆる馬柵(うませ)の 標結(しめゆ)ひし 妹(いも)が心(こころ)は 疑(うたが)ひも無(な)し

 栗毛赤駒所 得以飛躍馬柵之 標結圍識矣 吾知妹心所屬意 不假多慮無所疑

聖武天皇 0530

 右,今案,此歌擬古之作也。但以時當,便賜斯歌歟。

天皇賜海上女王御歌」,聖武帝此時尚為皇太子

「赤駒(あかごま)の 越(こ)ゆる馬柵(うませ)」,「赤駒」乃栗毛乘用雄馬。「馬柵」乃不令馬逃出而設置之柵。

「標結(しめゆ)ひし」,獨佔女性之比喻。

此云若為不遜雄馬,此柵無以欄之,然為親暱愛馬,柵低而不畏其竄。雖為奈良朝,仿飛鳥、白鳳歌風所作。

0531 海上王奉和歌一首 【志貴皇子之女也。○承前。】

 梓弓 爪引夜音之 遠音爾毛 君之御幸乎 聞之好毛

 梓弓(あづさゆみ) 爪引(つまび)く夜音(よおと)の 遠音(とほおと)にも 君(きみ)の御幸(みゆき)を 聞(き)かくし良(よ)しも

 梓弓振聲鳴 爪彈弓弦夜音響 洽猶梓弓聲 遠音聞君將御幸 吾心欣喜盼聖臨

海上女王 0531

「梓弓(あづさゆみ) 爪引(つまび)く夜音(よおと)」,古俗梓弓有招神靈、屈惡鬼之咒效。此云警固衛視鳴梓宮以除魔,乃起出「遠音」之序。

「遠音」,自遠方而來之傳聞。

「君(きみ)の御幸(みゆき)」,天皇將幸海上女王之訊。

0532 大伴宿奈麻呂宿禰歌二首 【佐保大納言卿之第三子也。】

 打日指 宮爾行兒乎 真悲見 留者苦 聽去者為便無

 內日射(うちひさ)す 宮(みや)に行(ゆ)く兒(こ)を 目悲(まかな)しみ 留(と)むれば苦(くる)し 遣(や)れば術無(すべな)し

 內日照臨兮 出仕宮闕娘子矣 可人甚憐愛 留之則惜藏其華 聽去則歎會無方

大伴宿奈麻呂 0532

「內日射(うちひさ)す」,宮之枕詞

「宮(みや)に行(ゆ)く兒(こ)を」,出向宮仕之女子。

「目悲(まかな)しみ」,極度惹人憐愛,目不忍視之狀。

「遣(や)れば術無(すべな)し」,「遣(や)れ」乃放手之意,原文「聽去」乃允許其前去仕宮。

此曲云貢進采女貌美,若不令其出仕則惜蘊彼良才,若聽任其去則歎放手可惜。


0533 【承前,其二。】

 難波方 鹽干之名凝 飽左右二 人之見兒乎 吾四乏毛

 難波潟(なにはがた) 潮干餘波(しほひのなごり) 飽(あ)く迄(まで)に 人(ひと)の見(み)る兒(こ)を 我(あれ)し羨(とも)しも

 澪標難波潟 干潟餘波眺不厭 蕩漾之所如 人見娘子翫貌美 吾亦羨之欲近觀

大伴宿奈麻呂 0533

難波潟(なにはがた) 潮干餘波(しほひのなごり)」,「難波潟」指難波海岸之潮干潟。「餘波」乃風平之後仍然蕩漾之浪。『萬葉集』976「難波潟 潮乾の餘波 良く見てむ 家なる妹が 待問はむ為」述此景令人懷念,欲一再吟翫。為起出後句「飽(あ)く迄(まで)に」之序。難波蓋宮仕采女著岸之所。

「人(ひと)の見(み)る兒(こ)を 我(あれ)し羨(とも)しも」,「人」指宮中官人。「羨(とも)し」在此有欲追跡隨行之意。

0534 安貴王歌一首 【并短歌。○空,訓そら,此作心意解。】

 遠嬬 此間不在者 玉桙之 道乎多遠見 思空 安莫國 嘆虛 不安物乎 水空徃 雲爾毛欲成 高飛 鳥爾毛欲成 明日去而 於妹言問 為吾 妹毛事無 為妹 吾毛事無久 今裳見如 副而毛欲得

 遠妻(とほづま)の 此處(ここ)にし在(あ)らねば 玉桙(たまほこ)の 道(みち)をた遠(どほ)み 思空(おもふそら) 安(やす)け無(な)くに 嘆空(なげくそら) 苦(くる)しき物(もの)を 御空行(みそらゆ)く 雲(くも)にもがも 高飛(たかと)ぶ 鳥(とり)にもがも 明日行(あすゆ)きて 妹(いも)に言問(ことど)ひ 我(あ)が為(ため)に 妹(いも)も事無(ことな)く 妹(いも)が為(ため) 我(あれ)も事無(ことな)く 今(いま)も見(み)る如(ごと) 副(たぐ)ひてもがも

 遠妻吾愛嬬 不在此間千里外 玉桙石柱兮 相通之道甚邈遠 吾心有所思 方寸忐忑無安寧 吾心有所歎 胸襟苦悶憂難耐 願化高天雲 渡行虛空瞰遠矚 願化羽翼鳥 騰空高飛翱四方 冀明日成行 與妻相問道言語 在於吾而言 吾妹無恙有真幸 在於妹而言 吾人無恙有真幸 今亦眼見之所如 願副身傍相依偎

安貴王 0534

「遠妻(とほづま)」,遠在他方之妻,此云八上采女。

「道(みち)をた遠(どほ)み」,「た」乃接頭語。即便欲前往相逢,道遠而難以成行

「思空(おもふそら) 安(やす)け無(な)くに」,「そら」指心情,多與消解語配何而用於不安之場合。「安け」乃形容詞「安し」之未然形

「御空行(みそらゆ)く」,用以修飾「雲」、「月」等字,類似枕詞修飾語

「雲(くも)にもがも」,「もがも」有希望己為該物,或期待事情如是之意,此為前者。原文「欲成」。

「妹(いも)に言問(ことど)ひ」,「言問ひ」乃面對面談話。

「我(あ)が為(ため)に」,此「為に」乃對某人而言。

「副(たぐ)ひてもがも」,親近依偎之狀。


0535 反歌 【承前。】

 敷細乃 手枕不纏 間置而 年曾經來 不相念者

 敷栲(しきたへ)の 手枕纏(たまくらま)かず 間置(あひだお)きて 年(とし)そ經(へ)にける 逢(あ)は無(な)く思(おも)へば

 細柔敷栲兮 手枕不纏寢異處 置間隔兩地 不覺經年渡春秋 未逢之間歲蹉跎

安貴王 0535

 右,安貴王娶因幡八上釆女。係念極甚,愛情尤盛。於時勅斷不敬之罪,退卻本鄉焉。于是王意悼怛,聊作此歌也。

「手枕纏(たまくらま)かず」,「纏(ま)かす」乃以之為枕。

「間置(あひだお)きて」,「間置き」多用於時間隔離,此作空間相隔解。

因幡八上釆女」,因幡八上郡所貢上之釆女。安貴王年過而立無位而娶采女,堪稱異例。而該采女被視作與藤原麻呂之女、『歌經標式』編者濱成之母之八上采女為同一人。按『尊卑分脈』,濱成母八上采女,因幡國造氣豆之女。

「係念」,同「係戀」,多見於書翰。

「勅斷不敬罪,退卻本鄉」,犯不敬罪者為安貴王或采女,有諸說。按『大寶衛禁律』,采女犯不敬則死罪。安貴王身為皇族,得免死一等而歸鄉乎。按安貴王生年,本鄉當為飛鳥舊京。

0536 門部王戀歌一首

 飫宇能海之 鹽干乃鹵之 片念爾 思哉將去 道之永手呼

 意宇海(おうのうみ)の 潮干潟(しほひのかた)の 片思(かたもひ)に 思(おも)ひや行(ゆ)かむ 道(みち)の長手(ながて)を

 飫宇意宇海 潮干潟名之所如 單戀片思者 孤戀藏心隱懷中 其道甚遠途漫長

門部王 0536

 右,門部王任出雲守時,娶部內娘子也。未有幾時,既絕徃來。累月之後,更起愛心。仍作此歌,贈致娘子。

「意宇海(おうのうみ)の 潮干潟(しほひのかた)の」,以上借「かた」同音起出「單戀(片思ひ)」之序。出雲國府在意宇川左岸

「道(みち)の長手(ながて)を」,路途遙遠。


0537 高田女王贈今城王歌六首 【第一。】

 事清 甚毛莫言 一日太爾 君伊之哭者 痛寸敢物

 言清(こときよ)く 甚(いた)くも莫言(ない)ひそ 一日(ひとひ)だに 君(きみ)いし無(な)くは 堪難(あへがた)きかも

 莫言甚清直 述事淡然苛酷者 縱使一日耳 若君別去不在者 吾心忐忑難堪矣

高田女王 0537

「言清(こときよ)く 甚(いた)くも莫言(ない)ひそ」,「言清く」乃淡淡直述之狀。「甚く」蓋苛酷之意。

「君(きみ)いし無(な)くは」,「い」字接於主語之下表強調。

「堪難(あへがた)きかも」,原文「痛」字,『名義抄』云:「痛,たへかたし。」



0538 【承前,第二。】

 他辭乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背子

 人言(ひとごと)を 繁(しげ)み言痛(こちた)み 逢(あ)はざりき 心在(こころあ)る如(ごと) 莫思(なおも)ひ我(わ)が背子(せこ)

 流言蜚語之 他辭甚繁痛入耳 故暫避相逢 莫度妾身有二心 我衷唯屬吾兄子

高田女王 0538

「人言(ひとごと)を 繁(しげ)み言痛(こちた)み」,「人言繁し」為他人傳布謠言甚夥之狀。「言痛み」指謠言內容甚恐。

「心在(こころあ)る如(ごと)」,此「心在る」指有其異心。


0539 【承前,第三。】

 吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志乎

 我(わ)が背子(せこ)し 遂(とげ)むと言(い)はば 人言(ひとごと)は 繁(しげ)く有(あり)とも 出(いで)て逢(あ)はましを

 親愛吾兄子 若云遂常不變者 他辭雖甚繁 不畏流言與蜚語 出步會晤與相逢

高田女王 0539

「遂(とげ)むと言(い)はば」,「遂む」乃不變心而忠貞相愛至最後。

「出(いで)て逢(あ)はましを」,出門相逢。此云之前未與相逢,乃是對男方模臨兩可之態度感到不安。

0540 【承前,第四。】

 吾背子爾 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流

 我(わ)が背子(せこ)に 復(また)は逢(あは)じかと 思(おも)へばか 今朝(けさ)の別(わか)れの 術無(すべな)かりつる

 蓋思與兄子 此後不得復相逢 一心念之者 是以今朝離別時 失落無措又無方

高田女王 0540

「復(また)は逢(あは)じかと」,「じか」為「しないのではなかろうか」,否定重點。「か」或為虛詞。

「思(おも)へばか」,疑問條件。類似「思へかも」而「思(おも)へばか」唯此一例。


0541 【承前,第五。】

 現世爾波 人事繁 來生爾毛 將相吾背子 今不有十方

 此世(このよ)には 人言繁(ひとごとしげ)し 來世(こむよ)にも 逢(あ)はむ我(わ)が背子(せこ) 今(いま)ならずとも

 空蟬此世間 流言蜚語無絕時 還願來世者 得與相逢吾兄子 縱非今世亦如飴

高田女王 0541

「來世(こむよ)にも」,不如一死來世再會。


0542 【承前,第六。】

 常不止 通之君我 使不來 今者不相跡 絕多比奴良思

 常止(つねやま)ず 通(かよ)ひし君(きみ)が 使來(つかひこ)ず 今(いま)は逢(あ)はじと 搖盪(たゆた)ひぬらし

 常來無所止 日日通訪吾君矣 雖使亦不來 蓋是今後不再逢 其心搖盪遷變哉

高田女王 0542

「常止(つねやま)ず 通(かよ)ひし」,修飾「君(きみ)が 使」之句。

「今(いま)は逢(あ)はじと 搖盪(たゆた)ひぬらし」,「今は」持續至「搖盪(たゆた)ひぬらし」。

「搖盪(たゆた)ひぬらし」表戀愛心理有二解,一為心碎懊惱,一為變心移情,此為後者

以上六首,高田女王積極而今城王冷漠。


0543 神龜元年甲子冬十月,幸紀伊國之時,為贈從駕人,所誂娘子作歌一首 【并短歌。笠朝臣金村。】

 天皇之 行幸乃隨意 物部乃 八十伴雄與 出去之 愛夫者 天翔哉 輕路從 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道爾入立 真土山 越良武公者 黃葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公將有跡 安蘇蘇二破 且者雖知 之加須我仁 默然得不在者 吾背子之 徃乃萬萬 將追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 將問答乎 言將遣 為便乎不知跡 立而爪衝

 大君(おほきみ)の 行幸(みゆき)の隨(まにま) 文武百官(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)と 出行(いでてゆ)きし 愛(うるは)し夫(づま)は 天飛(あまと)ぶや 輕道(かるのみち)より 玉襷(たまだすき) 畝傍(うねび)を見(み)つつ 麻裳良(あさもよ)し 紀伊道(きぢ)に入立(いりた)ち 真土山(まつちやま) 越(こ)ゆらむ君(きみ)は 黃葉(もみぢ)の 散飛(ちりと)ぶ見(み)つつ 親(むつま)しみ 我(あれ)は思(おも)はず 草枕(くさまくら) 旅(たび)を宜(よろ)しと 思(おも)ひつつ 君(きみ)は有(あ)らむと あそそには 且(か)つは知(し)れども 然(しか)すがに 默(もだ)も得有(えあ)らねば 我(わ)が背子(せこ)が 行(ゆ)きの隨(まにまに) 追(お)はむとは 千度思(ちたびおも)へど 手弱女(たわやめ)の 我(あ)が身(み)にし有(あ)れば 道守(みちもり)が 問(と)はむ答(こた)へを 言遣(いひや)らむ 術(すべ)を知(し)らにと 立(た)ちて躓(つまづ)く

 八隅治天下 天皇行幸從駕隨 文武百官之 八十伴緒益荒男 出行隨幸從乘輿 愛也吾夫君 雁翔天高飛 發自山城輕之道 玉襷披頸後 垳畝火畝傍山 麻裳良且秀 步入紀州紀伊道 堺上真土山 越山過境其君矣 觀乎秋葉黃 翫葉飛散飄零落 無暇念吾身 枉費昔日相親睦 草枕在他鄉 羈旅異地亦得宜 君念蓋如此 吾度汝當作此思 一葉能知秋 吾亦且知君所念 然理知如斯 不得嘿默徒日暮 雖欲隨兄子 從其所行循其道 追行伴身畔 此念反覆千百度 然以手弱女 我身羸弱無力故 如逢關道守 訊問之際當何如 不知言所遣 不知答術應聲方 唯有佇立躓難行

笠金村 0543

「神龜元年冬十月幸紀伊」,按『續日本紀』,聖武天皇以神龜元年二月即位紀伊行幸,十月五日出發,八日至玉津島,滯留十餘日。其間造營離宮,從駕百寮賜祿,免百姓調庸、田租,又詔改弱濱(わかのはま)名為明光浦(あかのうら),置守戶而勿令荒穢。廿三日還幸。917以下山部赤人之歌,亦出於當時。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syokki/syokki09.htm#skk09_05

「文武百官(もののふ)の八十伴男(やそとものを)」,文武百官或作「武士」、「物部」,此泛指各氏族。「を」,『古事記』『風土記』等作「伴緒」,身負世襲職業之部族。『萬葉集』、『令義解』作「伴男」,有衍生為部族男子之意。八十表多數。

「愛(うるは)し夫(づま)」,形容男子,較「麗(うつく)し」更多用「麗(うるは)し」。

「天飛(あまと)ぶや」,「輕」之枕詞。『古事記』下卷有「天迴(あまだ)む 輕孃子(かるのをとめ)」,以鴈(かり)翱翔太虛之形象比喻「輕(かる)」之意涵。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krk02.htm#k0082

「玉襷(たまだすき) 畝傍(うねび)を見(み)つつ」玉襷或書玉手次、玉手纏,玉襷即以玉飾之襷,乃神職於神事之際斜背之裝飾。以頸後之由而為「畝傍」之枕詞

「麻裳良(あさもよ)し」,紀伊枕詞

紀伊道(きぢ)に入立(いりた)ち」,紀伊道乃通往紀洲之路,自大和紀伊,由朱雀大路延伸,經下道通巨勢道,過宇治而越真土山,是乃大和紀伊之交界。

「越(こ)ゆらむ君(きみ)は」,「越ゆらむ」既為「出行きし 愛し夫」之述部,亦為修飾「君」字之連體格,文法上屬破格。

「親(むつま)しみ」,家族間纖細親睦之情。

「我(あれ)は思(おも)はず」,「我をは思はず」之略,指男方專注旅途,不思女方

「旅(たび)を宜(よろ)しと」,旅途愉快,古時多以涉路艱苦而旅苦為多。

「あそそには」,未詳。「薄薄」、「漠然」之意乎。

「且(か)つは知(し)れども」,非確定,但心裡已稍有底。

「然(しか)すがに」,雖言如此,然而...之意。

「默(もだ)」,束手旁觀,無所動作,不言一語。

「手弱女(たわやめ)」,「たわや」蓋與「撓(たわむ)」同源。

「道守(みちもり)」,同關守,護衛道關者。

「立(た)ちて躓(つまづ)く」,止足不前。雖欲追行,但恐關守檢問而未實行。

0544 反歌 【承前。】

 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山爾 有益物乎

 後居(おくれゐ)て 戀(こひ)つつ有(あ)らずは 紀伊國(きのくに)の 妹背山(いもせのやま)に 有(あ)ら益物(ましもの)を

 與其留此地 後居眷慕不得志 不若往紀洲 居妹背山與夫望 縱涉千里不辭勞

笠金村 0544

「戀(こひ)つつ有(あ)らずは」,ずは難解。自古有多說,莫衷一是。此採本居宣長「戀ひつつあらんよりは」解,配合後句「ましもの」為「與其...還不如...來的好」。

「妹背山(いもせのやま)に 有(あ)ら益物(ましもの)を」,希望如妹山、背山相望般時常留在夫婿身邊之心情。

0545 【承前,反歌其二。】

 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 將留鴨

 我(わ)が背子(せこ)が 跡踏求(あとふみもと)め 追行(おひゆ)かば 紀伊關守(きのせきもり)い 留(とど)めてむ哉(かも)

 若求探足痕 循吾兄子踏跡而 追行前去者 蓋遭紀伊關守留 不遂所志難成行

笠金村 0545

「跡踏求(あとふみもと)め」,順著夫君所留下的足跡探索追求。

紀伊關守(きのせきもり)い」,紀伊關守之戍衛,而其關所在不詳。大化二年有定畿內四圍之詔,其南限為紀伊兄山,該處蓋有扼南海道門戶之關。『紀伊風土記逸文亦有「其紀伊國ノ雄山ノセキ守ノ持弓也トソ云ヘル。 」云云。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun09.htm#kii い乃接於主語之下強調之詞。

0546 二年乙丑春三月,幸三香原離宮之時,得娘子作歌一首 【并短歌。笠朝臣金村。】

 三香乃原 客之屋取爾 珠桙乃 道能去相爾 天雲之 外耳見管 言將問 緣乃無者 情耳 咽乍有爾 天地 神祇辭因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有與宿鴨

 三香原(みかのはら) 旅宿(たびのやどり)に 玉桙(たまほこ)の 道(みち)の行逢(ゆきあ)ひに 天雲(あまくも)の 外(よそ)のみ見(み)つつ 言問(ことと)はむ 由(よし)の無(な)ければ 心(こころ)のみ 咽(むせ)つつあるに 天地(あめつち)の 神言寄(かみことよ)せて 敷栲(しきたへ)の 衣手交(ころもでか)へて 自妻(おのづま)と (たの)める今夜(こよひ) 秋夜(あきのよ)の 百夜(ももよ)の長(なが)さ 有(あ)りこせぬかも

 相樂三香原 草枕客居旅宿間 玉桙石柱兮 道間行逢麗孃子 遙遙天雲外 自遠望見窺貌美 雖欲為言問 不得所由問無術 唯自方寸間 嗚咽闇泣無人知 雖知天地間 神祇寄辭贈冥貺 白妙敷栲兮 得交衣手纏相袖 令汝為吾妻 凭倚偎來此今夜 春宵苦夜短 願其百夜秋夜長 相枕纏綿惜雲雨

笠金村 0546

「二年春三月,幸三香原離宮」,『續日本紀』有神龜元年幸三香原之事,而漏二年。笠金村紀錄作歌時間嚴謹,或有學者以之補國史之闕。三香原離宮宮跡不明,蓋乃久邇京遷都前之元明聖武之離宮,當位於鹿背山丘陵北端京都相樂郡法花寺野一帶。

「旅宿(たびのやどり)」,「宿(やどり)」乃泊於非己邸處之意。

「道(みち)の行逢(ゆきあ)ひに」,相見於路上

「天雲(あまくも)の」,外、餘所之枕詞。雲在遙遠天邊,手不可及,故云。

「外(よそ)のみ見(み)つつ」,「外にのみ見つつ」之略。「外、餘所」意指位在遠方無緣之物。

「神言寄(かみことよ)せて」,神祇寄辭相助。

「有(あ)りこせぬかも」,期待可否如此之意。

0547 反歌 【承前。】

 天雲之 外從見 吾妹兒爾 心毛身副 緣西鬼尾

 天雲(あまくも)の 外(よそ)に見(み)しより 我妹子(わぎもこ)に 心(こころ)も身(み)さへ 寄(よ)りにし物(もの)を

 其自天雲外 遙遙千里瞥見時 窈窕之淑女 吾之心身皆所惹 莫不寄情吾妹子

笠金村 0547

「心(こころ)も身(み)さへ」,不待言心,身亦如此。

「寄(よ)りにし物(もの)を」,此「寄る」乃心靈親近、依鯒薫奸「ものを」為詠嘆終止形式。

0548 【承前,反歌其二。】

 今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨

 今夜(こよひ)の 早(はや)く明(あ)けなば 術(すべ)を無(な)み 秋(あき)の百夜(ももよ)を 願(ねが)ひつるかも

 春宵苦夜短 若明早曙恨無方 為願今宵者 其猶百夜秋夜長 相枕纏綿惜雲雨

「術(すべ)を無(な)み」,無計可施,術無し之み句法。


0549 五年戊辰,大宰少貳石川足人朝臣遷任,餞于筑前國蘆城驛家歌三首

 天地之 神毛助與 草枕 羈行君之 至家左右

 天地(あめつち)の 神(かみ)も助(たす)けよ 草枕(くさまくら) 旅行(たびゆ)く君(きみ)が 家(いへ)に至(いた)る迄(まで)

 祈冀天地間 八百萬神賜神貺 草枕在他鄉 旅行異地吾君者 願護安平迄至家

佚名 0549

「驛家(うまのはなむ)」,設於驛路,為公用往來者準備驛馬、設宿之處。

「神(かみ)も助(たす)けよ」,此「も」乃強調後文願望內容,非「亦」之意。

「家」,指石川足人之奈良住居。


0550 【承前,第二。】

 大船之 念憑師 君之去者 吾者將戀名 直相左右二

 大船(おほぶね)の 思(おもひたの)みし 君(きみ)が去(い)なば 我(あれ)は戀(こ)ひむな 直(ただ)に逢(あ)ふ迄(まで)に

 猶乘大船兮 思鯒椅畍齋矣 汝今一去者 吾將戀慕難解憂 迄至直逢之日矣

佚名 0550

大船(おほぶね)の」,「思(おもひたの)み」之枕詞

「我(あれ)は戀(こ)ひむな」,「な」為感動終助詞。

「直(ただ)に逢(あ)ふ迄(まで)に」,直至作者歸京,得於在奈良面對面再會之日為止。

0551 【承前,第三。】

 山跡道之 嶋乃浦迴爾 緣浪 間無牟 吾戀卷者

 大和道(やまとぢ)の 島浦迴(しまのうらみ)に 寄(よ)する波(なみ) 間(あひだ)も無(な)けむ 我(あ)が戀(こ)ひまくは

 山跡大和道 島之浦迴岸邊處 寄浪之所如 頻頻襲來無間斷 吾之眷戀亦如斯

佚名 0551

 右三首,作者未詳。

「島浦迴(しまのうらみ)に 寄(よ)する波(なみ)」,「島」乃與水相接之地形,多由水上望見。以上三句乃起出「間なし」之序。

「我(あ)が戀(こ)ひまくは」,乃云作者眷慕歸京之足人之情。「戀ひまく」乃「戀ひむ」之く句法。


0552 大伴宿禰三依歌一首

 吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相夜 二走良武

 我(あ)が君(きみ)は 愚生(わけ)をば死(し)ねと 思(おも)へかも 逢夜逢(あふよあ)はぬ夜(よ) 二走(ふたはし)るらむ

 吾君貴女者 蓋念愚生當死歟 今夜吾亦迷 相逢之夜不逢夜 交相奔走心忐忑

大伴三依 0552

「我(あ)が君(きみ)は」,以對方為自身之主君之第二人稱代名詞。少用於女性,而三依之戀人賀茂女王地位崇高,故此。

「愚生(わけ)」,自謙代名詞。本為揶揄年幼者之語。

「逢夜逢(あふよあ)はぬ夜(よ) 二走(ふたはし)るらむ」,相逢之夜與不逢之夜相互穿插。不知能逢與否仍然前去。或云,大伴三依任職太宰府,而賀茂女王居京。此歌指各夜各夜,時可時不可與賀茂女王會於夢中。http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_552.html

0553 丹生女王贈大宰帥大伴卿歌二首

 天雲乃 遠隔乃極 遠雞跡裳 情志行者 戀流物可聞

 天雲(あまくも)の 遠隔(そくへ)の極(きは)み 遠(とほ)けども 心(こころ)し行(ゆ)けば 戀(こ)ふる物哉(ものかも)

 遙遙天雲之 高天遠方離極處 筑紫國雖遠 吾情若得屆彼處 伊人亦猶戀此哉

丹生女王 0553

「遠隔(そくへ)」,遠隔之處。漢字或書「退方」。

「心(こころ)し行(ゆ)けば」,只要心意可已達到對方所在。

「戀(こ)ふる物哉(ものかも)」,主格為對方。說不定對方亦將眷戀己身。

0554 【承前,第二。】

 古人乃 令食有 吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟

 古人(ふるひと)の 飲(たま)へしめたる 吉備酒(きびのさけ) 病(やま)ば術無(すべな)し 貫簀賜(ぬきすたば)らむ

 尊老舊識之 所贈令飲吉備酒 甘醇雖酩醴 若病惡醉無所措 不若賜贈竹貫簀

丹生女王 0554

「古人(ふるひと)」,可作老人、舊識解。皆云當時六十四歲之大伴旅人

「飲(たま)へしめたる」,下二段たまふ,たぶ、たべる之古形。自神或身分高貴者餽贈飲食物

吉備酒(きびのさけ)」,吉備備前備中備後,其中備後自古為酩酒產地。蓋為旅人西下途中所獲而託人贈與作者。

「病(やま)ば術無(すべな)し」,病指受惡醉所苦。

「貫簀」,洗手時防止飛沫漂散而附於桶上之竹製物,筑紫名產。

本曲戲詠受贈地酒,恐不慣酒性而逆吐,不如贈與筑紫名產貫簀以為清潔之用。

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