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2017-08-15-火

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万葉集試訳

1763 沙彌女王歌一首

 倉橋之 山乎高歟 夜牢爾 出來月之 片待難

 倉椅(くらはし)の 山(やま)を高(たか)みか 夜隱(よごも)りに 出來(いでく)る月(つき)の 片待難(かたまちがた)き

 概為闇椅兮 倉橋山勢高嶮故 夜月為嶺蔽 遲出浮現皎月之 徐徐不現苦待矣

沙彌女王 1763

 右一首,間人宿禰大浦歌中既見。但末一句相換。亦作歌兩主,不敢正指,因以累載。

「片待難(かたまちがた)き」,0290有間人大浦異傳歌,此句作「光乏しき」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0290

1764 七夕歌一首 【并短歌。】

 久堅乃 天漢爾 上鷦ぁー邏凝惑掘_灼攫ぁ船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息來益常 玉橋渡須

 久方(ひさかた)の 天川(あまのがは)に 上(かみつせ)に 玉橋渡(たまはしわた)し 下(しもつせ)に 舟浮据(ふねうけす)ゑ 雨降(あめふ)りて 風吹(かぜふ)かずとも 風吹(かぜふ)きて 雨降(あめふ)らずとも 裳濡(もぬ)らさず 止(やま)ず來坐(きま)せと 玉橋渡(たまはしわた)す

 遙遙久方兮 迢迢銀河天之川 欲於彼上鵝_誉澡牟桐船渡 冀於彼下鵝/以舟船浮水上 縱令雨零而 狂風不吹嵐凪時 抑或勁風拂 時雨不降天霽日 不令裳沾濕 絡繹不絕得常來 故造玉橋助逢

藤原房前 1764

「玉橋渡(たまはしわた)し」,玉乃美稱,此云為迎接來訪之夫君,而架設打橋。

「舟浮据(ふねうけす)ゑ」,「据(す)ゑ」乃定置令其不動。船橋者,不設杭柱,並列舟船而於其上鋪設木頭、橋板而成。

「雨降(あめふ)りて 風吹(かぜふ)かずとも 風吹(かぜふ)きて 雨降(あめふ)らずとも」,無論何種天候。為詩詞求變化之語法,實質意義輕微。

「裳濡(もぬ)らさず」,裳一般女性衣物,此乃男性著用之例。本來七夕傳說,中國多書織女度橋而來,而日本多為牽牛來訪。


1765 反歌 【承前。】

 天漢 霧立渡 且今日今日 吾待君之 船出為等霜

 天川(あまのがは) 霧立渡(きりたちわた)る 今日今日(けふけふ)と 我(あ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも

 銀河天之川 水沫化霧漫一面 蓋在今日歟 望穿秋水焦心盼 所待吾君出船來

藤原房前 1765

 右件歌,或云:「中衛大將藤原北卿宅作也。」

「霧立(きりた)ち」,水沫化霧。推測男方划槳而至。

「我(あ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも」,按本反歌,彥星划船而來,非經渡橋,亦非織女前去。


1766 振田向宿禰退筑紫國時歌一首

 吾妹兒者 久志呂爾有奈武 左手乃 吾奧手二 纏而去麻師乎

 我妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)に在(あ)らなむ 左手(ひだりて)の 我(あ)が奧手(おくのて)に 卷(ま)きて去(い)な益(まし)を

 親親吾妹矣 還願汝能為釧飾 如此為然者 可纏汝於我奧手 肌身不離同去矣

振田向 1766

「振田向宿禰」,傳為詳。蓋振(ふる)氏,名田向。『日本書紀』天武紀有布留(ふる)連受賜宿禰姓之記載

「釧(くしろ)に在(あ)らなむ」,「釧」為以金屬、玉石、貝類所製,佩帶於手腕、手肘之裝飾品。「なむ」為表希求之終助詞

左手(ひだりて)の 我(あ)が奧手(おくのて)」,古代日本,以左手為貴,尊過右手。奧手乃重視、呵護之手。

1767 拔氣大首任筑紫時,娶豐前國娘子紐兒作歌三首

 豐國乃 加波流波吾宅 紐兒爾 伊都我里座者 革流波吾家

 豐國(とよくに)の 香春(かはる)は我家(わぎへ) 紐兒(ひものこ)に い繫(つ)がり居(を)れば 香春(かはる)は我家(わぎへ)

 天瑞地豐草 豐國香春吾家矣 以其紐兒之 所繫相居同棲故 香春之鄉吾家矣

拔氣大首 1767

「豐前國」,『豐後國風土記』云:「天皇於茲歡喜之有,即敕菟名手云:「天之瑞物,地之豐草。汝之治國,可謂豐國!」重賜姓曰豐國直,因曰豐國。後分兩國。 」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/bungo/bungo00.htm

「紐兒」,傳未詳,或云遊行女婦之疇。敕令禁止中央官人於任地迎娶部內女子,然實際上多有取現地妻之案例。

「い繫(つ)がり居(を)れば」,「い」乃接頭語,「繫(つ)がる」乃「繫(つな)がる」之意,豐前方言「つがる」為動物交尾之意。

1768 【承前。】

 石上 振乃早田乃 穗爾波不出 心中爾 戀流比日

 石上(いそのかみ) 布留早稻田(ふるのわさだ)の 穗(ほ)には出(いで)ず 心中(こころのうち)に 戀(こ)ふる此頃(このころ)

 石上神宮 布留之地早稻田 其穗未出而 雖不可見無人曉 戀慕懷衷在此頃

拔氣大首 1768

石上(いそのかみ) 布留早稻田(ふるのわさだ)の」,引出「穗(ほ)には出(いで)ず」之序。

此云雖然外表故作冷靜,而內心戀慕情盛,不能自已。


1769 【承前。】

 如是耳志 戀思度者 靈剋 命毛吾波 惜雲奈師

 如是(かく)のみし 戀(こひ)し渡(わた0れば 靈剋(たまきは)る 命(いのち)も我(あれ)は 惜(を)しけくも無(な)し

 若得如是耳 終日戀慕懸心者 靈剋魂極兮 縱失我此須臾命 甘之如飴無所惜

拔氣大首 1769

「靈剋(たまきは)る」,「命(いのち)」之枕詞。「剋」與「刻」同。

「惜(を)しけく」,形容詞「惜(を)く」之く句法。

1770 大神大夫長門守時,集三輪河邊宴歌二首

 三諸乃 神能於婆勢流 泊鷁蓮/緘之不斷者 吾忘禮米也

 三諸(みもろ)の 神帶(かみのお)ばせる 泊鸚(はつせがは) 水脈(みを)し絕(た)えずは 我忘(われわす)れめや

 御諸三輪山 大神所配御帶之 長谷泊鸚遏〔扮簑郷緝絕間 吾身豈有忘情時

三輪高市麻呂 1770

「三諸(みもろ)の 神帶(かみのお)ばせる」,三輪山大神。此以三輪山為言。泊鸚鈬綛三輪山麓,如神之腰帶。

「水脈(みを)し絕(た)えずは」,以恆久不變之自然景物表示情意之貞堅。

「我忘(われわす)れめや」,主語三輪高市麻呂,不忘之對象或為宴席上大神一族後志,或為身為其間一員之榮耀。

1771 【承前。】

 於久禮居而 吾波也將戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者

 後居(おくれゐ)て 我(あれ)はや戀(こ)ひむ 春霞(はるかすみ) 棚引山(たなびくやま)を 君(きみ)が越去(こえい)なば

 後居守家中 吾將相思慕情宜 一旦兩相別 春霞棚引彼山頭 君之越去旅出者

三輪高市麻呂 1771

 右二首,古集中出。

「後居(おくれゐ)て」,出行人離開後留下來之人。

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2017-08-09-水

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補給物資

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二見浦 御塩殿

二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげにして

                      鴨長明

http://cultural-experience.blogspot.tw/2016/01/blog-post_60.html

浪重二見浦 古色蒼然蘊稜威 御鹽殿者耶 歷經千代幾星霜 屹立在彼松蔭下

                   鴨長明



万葉集試訳

1751 難波經宿明日還來之時歌一首 【并短歌。】

 嶋山乎 射徃迴流 河副乃 丘邊道從 昨日己曾 吾超來壯鹿 一夜耳 宿有之柄二 峯上之 櫻花者 瀧之黐蓮〕醴惻流 君之將見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社爾 風祭為奈

 島山(しまやま)を い行巡(ゆきめぐ)れる 川沿(かはそ)ひの 岡邊道(をかへのみち)ゆ 昨日(きのふ)こそ 我(わ)が越來(こえこ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寢(ね)たりしからに 峰上(をのうへ)の 櫻花(さくらのはな)は 瀧(たきのせ)ゆ 散(ち)らひて流(なが)る 君(きみ)が見(み)む 其日迄(そのひまで)には 山下(やまおろ)しの 風莫吹(かぜなふ)きそと 打越(うちこ)えて 名(な)に負(お)へる杜(もり)に 風祭(かざまつり)せな

 往返龍田道 行巡向峰島山者 沿循大和川 河岸山麓岡邊道 吾且自昨日 跋涉越來方至此 唯有一夜耳 宿泊於此暫寢矣 尾根峰上之 櫻花咲而復散華 隨其瀧鷦 落花散流竄紊亂 吾人有所思 直至君所將翫日 還願山嵐風莫吹 只望其花能長久 越行龍田道 負名龍田風神社 於此設祀為風祭

高橋蟲麻呂 1751

「經宿」,一宿之意。

「島山(しまやま)」,「島」非專只島嶼,此指隔著水面觀望接水之山地

「昨日(きのふ)こそ 我(わ)が越來(こえこ)しか」,逆接條件語。

「寢(ね)たりしからに」,「からに」表與前動作同時。

「瀧(たきのせ)ゆ 散(ち)らひて流(なが)る」,或訓「瀧(たきのせ)に」而「從」字訓「に」不當。

「君(きみ)が見(み)む」,此君蓋指出行之卿大夫,而作者較彼等先行歸京。

「名(な)に負(お)へる杜(もり)に」,有名之神社龍田神社。龍田風神乃防止農作物受風害之神。

風祭(かざまつり)せな」,行風神祭。祈求風神莫令花落。


1752 反歌 【承前。】

 射行相乃 坂之踏本爾 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得

 い行逢(ゆきあ)ひの 坂麓(さかのふもと)に 咲撓(さきをを)る 櫻花(さくらのはな)を 見(み)せむ兒(こ)も欲得(がも)

 行路偶相逢 坂麓之間咲撓之 絢爛櫻花矣 吾惜彼花不欲謝 欲得佳人可令見

高橋蟲麻呂 1752

「い行逢(ゆきあ)ひの 坂(さか)」,各地皆有相鄰國境之處,兩國之神同時出發、相會之傳說。此云大和國與河內國邊境龜麈地名峠。

1753 檢稅使大伴卿登筑波山時歌一首 【并短歌。】

 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君來座登 熱爾 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公爾令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲爾 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曾遊 打靡 春見麻之從者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

 衣手(ころもで) 常陸國(ひたちのくに)の 二並(ふたなら)ぶ 筑波山(つくはのやま)を 見(み)まく欲(ほ)り 君來坐(きみきま)せりと 暑(あつ)けくに 汗搔嘆(あせかきな)け 木根取(このねと)り 嘯鳴登(うそぶきのぼ)り 峰上(をのうへ)を 君(きみ)に見(み)すれば 男神(ひこかみ)も 許賜(ゆるしたま)ひ 女神(ひめかみ)も 影護賜(ちはひたま)ひて 時(とき)と無(な)く 雲居雨降(くもゐあめふ)る 筑波嶺(つくはね)を 清(さや)に照(て)らして 訝(いふかり)し 國真秀(くにのまほら)を 詳細(つばら)かに 示賜(しめしたま)へば 嬉(うれ)しみと 紐緒解(ひものをと)きて 家如(いへのごと) 解(と)けてぞ遊(あそ)ぶ 打靡(うちなび)く 春見(はるみ)ましゆは 夏草(なつくさ)の 繁(しげ)きはあれど 今日樂(けふのたの)しさ

 玉露沾襟濕 衣袖漬兮常陸國 兩峰所並立 男女二嶺筑波山 欲令所觀覽 遂邀大伴卿至此 天暑方熾熱 汗流浹背吐長歎 手執摑木根 呼嘯鳴吟登跋涉 攀至其峰上 令君觀覽者 雄神彥命矣 特別許賜聽登臨 女神姬命矣 自然護賜獻冥貺 想來筑波嶺 常時雲居復雨零 每每翳迷濛 然今清照晴萬里 非常至人訝 國之真秀現眼前 一覽無所疑 示賜令吾端詳者 由衷發嬉喜 一如居家解紐緒 舒敞心神怡 無牽無掛催遊興 搖曳隨風動 春意盎然與相較 此雖值夏草 繁茂叢生荒漫時 今日之樂不勝收

高橋蟲麻呂 1753

「大伴卿」,蓋為大伴宿禰旅人。卿多用以尊稱從三位以上之高官。

「衣手(ころもで)」,「常陸國(ひたちのくに)」之枕詞。『常陸風土記』總記云:「筑波岳遽碩漫ぐ畭議參◆」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi

/hitachi00.htm

「二並(ふたなら)ぶ」,筑波山西側之男女體山並立。

「君(きみ)」,此云大伴卿。

「嘯鳴登(うそぶきのぼ)り」,「嘯鳴(うそぶ)」乃窄口吐息之意。

男神(ひこかみ)も 許賜(ゆるしたま)ひ」,男神筑波山之男體山。『常陸風土記筑波郡云:「最頂西峰崢,謂之雄神,不令登臨。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi01.htm#tukuha00 此曰男神特別許可登之。

「影護賜(ちはひたま)ひて」,『新撰字鏡』云:「影護,ちはふ。」

「雲居雨降(くもゐあめふ)る」,「居(ゐ)る」表常有雲層高掛。敘述習慣事實之連體格。筑波山神秘性之具體表現

「訝(いふかり)し」,困惑不清楚寔態之意。

「國真秀(くにのまほら)」,「真秀(まほら)」乃秀麗之意。

「繁(しげ)きはあれど」,「あれど」乃雖然如此但...之意。


1754 反歌 【承前。】

 今日爾 何如將及 筑波嶺 昔人之 將來其日毛

 今日日(けふのひ)に 何如(いか)にか及(し)かむ 筑波嶺(つくはね)に 昔人(むかしのひと)の 來(き)けむ其日(そのひ)も

 今日之日者 其善何如將及之 筑波山嶺上 較與昔人之來日 可斷孰更良辰哉

高橋蟲麻呂 1754

「何如(いか)にか及(し)かむ」,反語。「及(し)く」乃追及、並列。

1755 詠霍公鳥一首 【并短歌。】

 鸎之 生卵乃中爾 霍公鳥 獨所生而 己父爾 似而者不鳴 己母爾 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊從 飛翻 來鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者將為 遐莫去 吾屋戶之 花橘爾 住度鳥

 鶯(うぐひす)の 卵中(かひごのなか)に 霍公鳥(ほととぎす) 獨生(ひとりうま)れて 汝(な)が父(ちち)に 似(に)ては鳴(な)かず 汝(な)が母(はは)に 似(に)ては鳴(な)かず 卯花(うのはな)の 咲(さ)きたる野邊(のへ)ゆ 飛翔(とびか)けり 來鳴響(きなきとよも)し 橘(たちばな)の 花(はな)を居散(ゐち)らし 終日(ひねもす)に 鳴(な)けど聞良(ききよ)し 賄(まひ)は為(せ)む 遠(とほ)く莫行(なゆ)きそ 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)に 住渡鳥(すみわたれとり)

 黃鶯棲巢之 鸎之生卵之中爾 杜鵑霍公鳥 獨生孵化來此世 汝不似於父 鳴聲迥異貌相遠 汝亦不似母 啼囀聲差莫一是 自於卯花之 所咲綻放野邊處 飛翔翱遊而 臨來高啼放鳴響 非時花橘之 來居枝上散其華 一日盡歡鳴 雖聞終日無所厭 吾欲為賄矣 還願時鳥莫遠去 杜鵑不如歸 常棲我宿花橘上 生息相伴此鳥矣

高橋蟲麻呂 1755

「鶯(うぐひす)の 卵中(かひごのなか)に 霍公鳥(ほととぎす) 獨生(ひとりうま)れて」,杜鵑有托卵本能,不自築巢而下蛋於他鳥之巢,並啣去原卵。幼鳥孵化之後更將期他卵推落,是云獨生。

「汝(な)が父(ちち)に 似(に)ては鳴(な)かず 汝(な)が母(はは)に 似(に)ては鳴(な)かず」,此云杜鵑鳴聲與其養父母之鶯鳥不似。

「卯花(うのはな)」,與花橘皆為初夏代表之花。

「賄(まひ)」,於他人圖其便利而贈與之物。

1756 反歌 【承前。】

 搔霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 𢘟怜其鳥

 搔霧(かきき)らし 雨降(あめのふ)る夜(よ)を 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きて行(ゆ)く成(な)り 憐(あは)れ其鳥(そのとり)

 搔霧雲湧之 驟然雨零之夜間 杜鵑霍公鳥 發聲啼鳴而去哉 嗚呼可怜其鳥矣

高橋蟲麻呂 1756

「搔霧(かきき)らし」,「搔(かき)」乃表天候驟變之接頭語。「霧(き)らし」表為雲霧所遮蔽之被動詞。

「憐(あは)れ」,受眼前事物所感動,而位分化出讚賞、愛憐、同情、哀惜等情感之感歎詞。




1757 登筑波山歌一首 【并短歌。】

 草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺爾 登而見者 尾花落 師付之田井爾 鴈泣毛 寒來喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風爾 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣爾 念積來之 憂者息沼

 草枕(くさまくら) 旅憂(たびのうれへ)を 慰(なぐ)さもる 事(こと)も有哉(ありや)と 筑波嶺(つくはね)に 登(のぼ)りて見(み)れば 尾花散(をばなち)る 師付田居(しつのたゐ)に 雁音(かりがね)も 寒(さむ)く來鳴(きな)きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽淡海(とばのあふみ)も 秋風(あきかぜ)に 白波立(しらなみた)ちぬ 筑波嶺(つくはね)の 良(よ)けくを見(み)れば 長日(ながきけ)に 思積來(おもひつみこ)し 憂(うれへ)は止(や)みぬ

 草枕在異地 旅憂難耐熬此身 欲慰客愁而 思其或可平憂念 登臨筑波嶺 立於頂上所望者 風吹尾花散 新治師付田居間 飛燕來鳴泣 啼聲悽悽嚶冽寒 常陸新治之 鳥羽中湖淡海矣 以為秋風吹 白波湧起浪濤立 朋神貴山兮 筑波嶺景誠勝絕 得見彼光儀 長日所念積來之 憂思煙消更雲散

高橋蟲麻呂 1757

「旅憂(たびのうれへ)を」,「憂(うれへ)」表欲向他人訴苦、悲嘆之情。

「慰(なぐ)さもる」,一解憂情、撫慰旅哀。

鳥羽淡海(とばのあふみ)も」,淡海於此乃指淡水湖普通名詞

「長日(ながきけ)に」,「日(け)」表日數。

1758 反歌 【承前。】

 筑波嶺乃 須蘇迴乃田井爾 秋田苅 妹許將遺 黃葉手折奈

 筑波嶺(つくはね)の 裾迴田居(すそみのたゐ)に 秋田刈(あきたか)る 妹許遣(いもがりや)らむ 黃葉手折(もみちたを)らな

 筑波嶺裾迴 屈身苅秋田居間 窈窕娘子矣 欲遣信物送妹許 於今手折山紅葉

高橋蟲麻呂 1758

「裾迴(すそみ)」,山麓周邊。

「黃葉手折(もみちたを)らな」,「な」為表願望之終助詞


1759 登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 【并短歌。】

 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上爾 率而 未通女壯士之 徃集 加賀布嬥歌爾 他妻爾 吾毛交牟 吾妻爾 他毛言問 此山乎 牛掃神之 從來 不禁行事敘 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫【嬥歌者,東俗語曰賀我比。】

 鷲(わし)の住(す)む 筑波山(つくはのやま)の 裳羽服津(もはきつ)の 其津上(そのつのうへ)に 率(あども)ひて 娘子壯士(をとめをとこ)の 行集(ゆきつど)ひ 亂婚嬥歌(かがふかがひ)に 人妻(ひとづま)に 我(わ)も交(まじ)はらむ 我妻(わがつま)に 人(ひと)も言問(ことと)へ 此山(このやま)を 領神(うしはくかみ)の 昔(むかし)より 禁(いさめ)ぬ行事(わざ)ぞ 今日(けふ)のみは 不憫(めぐし)も莫見(なみ)そ 事(こと)も咎(とが)む莫(な)【嬥歌(かがひ)は、東(あづま)の俗語(くにこと)に、カガヒ(賀我比)と曰(い)ふ。】

 鷹鷲之所棲 常有雲居筑波山 裳羽服津之 其津之上興歌垣 率而相邀至 娘子壯士徃集矣 行集相見歡 亂婚嬥歌脫常理 窈窕人之妻 與我相交共枕眠 貞淑吾內妻 他人誂問求雲雨 嗚呼此山之 所治領有大神矣 自於曩昔時 所聽不禁行事也 唯有今日爾 莫以不憫輙見之 無禮諸事莫咎矣【嬥歌者,東俗語曰かがひ。】

高橋蟲麻呂 1759

「嬥歌會」,古代民間行事。多數男女於特定日期、地點,聚集一堂,飲食歌舞,性解放習俗中央一般稱之歌垣,『古事記』、『日本書紀』更有歌垣中相爭配偶之紀錄。『常陸風土記筑波郡云:「夫筑波岳,高秀于雲。最頂西峰崢,謂之雄神,不令登臨。但,東峰四方磐石,升陟坱圠。其側流泉,冬夏不絕。自坂已東諸國男女,春花開時,秋葉黃節,相攜駢闐,飲食齎賚,騎步登臨,遊樂栖遲。其唱曰:『筑波嶺に 逢はむと 言ひし子は 誰が言聞けばか 嶺逢はずけむ、筑波嶺に 廬りて 妻なしに 我が寢む夜よは 早も明けぬかも』詠歌甚多,不勝載筆。俗諺云:『筑波峰之會,不得娉財者,兒女不為矣。』」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi01.htm#tukuha00常陸風土記筑波郡云:「童子松原。古有年少童子。俗云,加味乃乎止古、加味乃乎止賣。男稱那賀寒田之郎子,女號海上安是之孃子。並形容端正,光華鄉里。相聞名聲,同存望念,自愛心滅。經月累日,嬥歌之會,【俗云歌垣。又云かがひ也。】邂逅相遇。于時,郎子歌曰:『いやぜるの 阿是の小松に 木棉垂でて 吾を振り見ゆも 阿是小島はも』孃子報歌曰:『潮には 立たむと言へど 奈西の子が 八十島隱り 吾を見さばしり』便欲相晤,恐人知之,避自遊場,蔭松下,攜手促膝,陳懷吐憤。既釋故戀之積疹,還起新歡之頻咲。于時,玉露杪候,金風風節,皎皎桂月照處,唳鶴之西洲。颯颯松颸吟處,渡雁東岵。夕寂寞兮巖泉舊,夜蕭條兮烟霜新。近山自覽黃葉散林之色,遙海唯聽蒼波激磧之聲。茲宵于茲,樂莫之樂。偏沉語之甘味,頓忘夜之將開。俄而雞鳴狗吠,天曉日明。爰僮子等,不知所為,遂愧人見,化成松樹。郎子謂奈美松,孃子稱古津松。自古著名,至今不改。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi03.htm 論其始源,或本於原始亂婚之俗,或為預祝農耕之慶,未有定論。「嬥歌」之語,借『昭明文選』「魏都賦」而來,李善注:「巴土人歌也。」嬥字本意跳也。

「鷲(わし)の住(す)む」,形容山勢險峻,凡人難以親易登臨之靈威巖山。

「裳羽服津(もはきつ)」,筑波山中之地名,未詳所在。按『常陸風土記』:「東峰(女體山)四方磐石,升陟坱圠。其側流泉,冬夏不絕。」蓋指此歟。『仙覺抄』:「津(つ)者水也,如井云津之所如。」

「率(あども)ひて」,相互邀約、引誘對方。

「亂婚(かがふ)」,「嬥歌(かがひ)」之動詞形。語源或為「嗅ぐ」。

「人(ひと)も言問(ことと)へ」,「言問(ことと)へ」乃求歡、求愛之意,與結婚(よばひ)通。

「不憫(めぐし)も莫見(なみ)そ 事(こと)も咎(とが)む莫(な)」,前者乃女性男性所告,後者男性女性所言之語調。今日歌垣,一解世俗常理,乃自古山神所應許,故莫咎其姦、莫憐其憫,恣情歡愉唯爾。

「東(あづま)の俗語(くにこと)」,東國之俚語。


1760 反歌 【承前。】

 男神爾 雲立登 斯具禮零 沾通友 吾將反哉

 男神(ひこかみ)に 雲立上(くもたちのぼ)り 時雨降(しぐれふ)り 濡通(ぬれとほ)るとも 我歸(われかへ)らめや

 雄神彥峰上 烏雲湧立時雨零 滂沱注無歇 我雖沾濡衣盡濕 豈棄春宵輙歸哉

高橋蟲麻呂 1760

 右件歌者,高橋連蟲麻呂歌集中出。

男神(ひこかみ)に」,筑波山西側之男體山。

時雨降(しぐれふ)り」,時雨乃晚秋、初冬之景物。

借前往嬥歌會者之觀點所詠。

1761 詠鳴鹿一首 【并短歌。】

 三諸之 神邊山爾 立向 三垣乃山爾 秋芽子之 妻卷六跡 朝月夜 明卷鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛

 三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)に 立向(たちむか)ふ 御垣山(みかきのやま)に 秋萩(あきはぎ)の 妻(つま)を纏眠(まか)むと 朝月夜(あさづくよ) 明(あ)けまく惜(を)しみ 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも

 御室三諸之 飛鳥神奈備之山 與之對向立 三垣御垣山之間 欲與秋萩之 嬌妻纏眠覆雲雨 心念有明月 朝夜將曉令人惜 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 喚妻高啼此山中

柿本人麻呂 1761

「三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)に」,此云飛鳥神奈備山。或為甘橿丘北方之雷丘。或云橘寺南方ふぐり山。

「御垣山(みかきのやま)」,所在未詳。若神奈備山指雷丘者,則為夾飛鳥川而與之相對之甘橿丘。

「秋萩(あきはぎ)の 妻(つま)を纏眠(まか)むと」,「秋萩の妻」指如秋萩般可憐之雌鹿。和歌中往往有雄鹿向秋萩高啼求歡之曲。

「朝月夜(あさづくよ)」,拂曉之際,而皎月尚未沒入之時。農曆十六日之後之月象。

「山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも」,此云大力呼妻,聲響迴繞之狀。


1762 反歌 【承前。】

 明日之夕 不相有八方 足日木乃 山彥令動 呼立哭毛

 明日宵(あすのよひ) 逢(あ)はざらめやも 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 呼立(よびた)て鳴(な)くも

 今宵明日夕 豈不逢與佳人哉 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 吾喚愛妻啼如此

柿本人麻呂 1762

 右件歌,或云:「柿本朝臣人麻呂作。」

明日宵(あすのよひ)」,古代以何時為一日之始者,莫衷一是,而多以日沒為起點。此歌亦於拂曉之際,指稱夕日而言。

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2017-06-22-木

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■真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞

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■禁色

愛してくれる女を幸福にしてやれない以上、不幸にしてやる事がせめてもの思い遣りであり精神的な贈物でもあると考える逆説に熱中した結果、何ものへ向かってとも知れぬ復讎の情熱を、仮に目前の恭子へ向けることに、露ほども道徳的呵責を感じないで居た。


万葉集試訳

冬相聞

1655 三國真人人足歌一首

 高山之 菅葉之努藝 零雪之 消跡可曰毛 戀乃繁雞鳩

 高山(たかやま)の 菅葉侵(すがのはしの)ぎ 降雪(ふるゆき)の 消(け)ぬとか言(い)はも 戀繁(こひのしげ)けく

  足曳勢險峻 高山菅葉為所凌 降雪零紛紛 吾欲消融猶彼雪 不堪戀繁相思苦

三國人足 1655

「菅葉侵(すがのはしの)ぎ」,「侵(しの)ぎ」乃摧凌、強押之意。『古今和歌集』戀歌551顯昭著云「清撫云,凌(しの)ぐ,侵也。」

「降雪(ふるゆき)の」,以上,引出後文「消逝」之序。

「消(け)ぬとか言(い)はも」,「言(い)はも」乃「言(い)はむ」之音轉。「消(け)ぬ」比喻斷送此命。

「戀繁(こひのしげ)けく」,憂於相思之無間痛苦。

1656 大伴坂上郎女歌一首

 酒杯爾 梅花浮 念共 飲而後者 落去登母與之

 酒杯(さかづき)に 梅花浮(うめのはなうか)べ 思共(おもふどち) 飲(の)みての後(のち)は 散(ち)りぬ共良(ともよ)し

 舉杯注杜康 梅花浮盞甚風流 志同道合者 相飲與共盡歡愉 其後花落不足惜

坂上郎女 1656

「酒杯(さかづき)に 梅花浮(うめのはなうか)べ」,以梅花浮盞興感之曲,亦見於0840、0852。

1657 和歌一首 【承前。】

 官爾毛 縱賜有 今夜耳 將欲酒可毛 散許須奈由米

 官(つかさ)にも 許賜(ゆるしたま)へり 今夜(こよひ)のみ 飲(の)まむ酒(さけ)かも 散(ち)りこす勿努(なゆめ)

 酒雖官禁制 既得所司聽許矣 顧此銘醴者 豈唯今夜得飲乎 梅矣汝切莫輒散

佚名 1657

 右,酒者官禁制稱,京中閭里不得集宴,但親親一二飲樂聽許者。緣此和人作此發句焉。

「官(つかさ)にも」,「官(つかさ)」表政府或官人。

「今夜(こよひ)のみ 飲(の)まむ酒(さけ)かも」,反語表現。此云相飲歡於,豈限於此葉。還望梅花常咲,莫早散盡。

按『續日本紀』天平九年、天平寶字二年有禁酒令,然皆非此歌所述。



1658 藤光明皇后奉天皇天武御歌一首

 吾背兒與 二有見麻世波 幾許香 此零雪之 懽有麻思

 我(わ)が背子(せこ)と 二人見(ふたりみ)ませば 幾許(いくばく)か 此降雪(このふるゆき)の 嬉(うれ)しからまし

 若與吾兄子 出雙入對與共賞 一同相翫者 縱令此雪降幾許 此心懽愉無所倡

光明皇后 1658

「我(わ)が背子(せこ)と」,此云聖武帝。

「二人見(ふたりみ)ませば」,「ませば」乃與現實相反之假設句。蓋與天皇相隔兩地時之所詠。

1659 他田廣津娘子歌一首

 真木乃於爾 零置有雪乃 敷布毛 所念可聞 佐夜問吾背

 真木上(まきのうへ)に 降置(ふりお)ける雪(ゆき)の 頻頻(しくしく)も 思(おも)ほゆるかも 小夜問(さよと)へ我(わ)が背(せ)

 良材真木上 降置皓雪之所如 頻頻復重重 吾人思念情意重 吾夫今夜可幸哉

他田廣津娘子 1659

「真木上(まきのうへ)に」,真木指可作為良材之檜杉之疇。

「降置(ふりお)ける雪(ゆき)の」,以上乃引出「頻銀(幾重、層層、繁多)」之序。

1660 大伴宿禰駿河麻呂歌一首

 梅花 令落冬風 音耳 聞之吾妹乎 見良久志吉裳

 梅花(うめのはな) 散(ち)らす嵐(あらし)の 音(おと)のみに 聞(き)きし我妹(わぎも)を 見(み)らくし良(よ)しも

 風吹梅花落 無形勁嵐之所如 唯聞汝消息 久日不見吾妹矣 今日得逢甚歡愉

大伴駿河麻呂 1660

「散(ち)らす嵐(あらし)の」,以上,引出「音(おと)」之序。原文「令落冬風」之冬風乃義訓。

「音(おと)のみに」,「音」表「音訊」、「風評」。

1661 紀少鹿女郎歌一首

 久方乃 月夜乎清美 梅花 心開而 吾念有公

 久方(ひさかた)の 月夜(つくよ)を清(きよ)み 梅花(うめのはな) 心開(こころひら)けて 我(あ)が思(おも)へる君(きみ)

 遙遙久方兮 月夜清明醉玄 暗香飄浮動 我開心胸若梅花 朝暮所念吾君矣

紀少鹿女郎 1661

「久方(ひさかた)の」,「天」、「月」之枕詞。

「月夜(つくよ)を清(きよ)み」,月夜梅花清澄之狀。此二句乃借梅花花開比喻敞開心胸之序。

「心開(こころひら)けて」,此與5-0864吉田宜書卷所云「心神開朗」近似。以花開喻心開者,蓋為基於漢文訓讀之譯語表現。

1662 大伴田村大娘與妹坂上大娘歌一首

 沫雪之 可消物乎 至今爾 流經者 妹爾相曾

 沫雪(あわゆき)の 消(け)ぬべき物(もの)を 今迄(いままで)に 流(なが)らへぬるは 妹(いも)に逢(あ)はむとそ

 沫雪之所如 旦夕可消此命矣 何以苟殘喘 流連娑婆至於今 欲與妹君復逢也

田村大孃 1662

「沫雪(あわゆき)の」,「消融」、「消逝」之枕詞。

「消(け)ぬべき物(もの)を」,「物を」乃逆接用法。苦於相思、殆至毀滅,卻殘喘至今。

「流(なが)らへぬるは」,末雪流離之狀,與「永(なが)らへ」(長命)相關。

1663 大伴宿禰家持歌一首

 沫雪乃 庭爾零敷 寒夜乎 手枕不纏 一香聞將宿

 沫雪(あわゆき)の 庭(には)に降敷(ふりし)き 寒夜(さむきよ)を 手枕纏(たまくらま)かず 一人(ひとり)かも寢(ね)む

 冰霜漫天零 沫雪降庭敷皓白 如此寒夜中 無有佳人纏手枕 唯當孤伶獨寢矣

大伴家持 1663

真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞 終

「手枕纏(たまくらま)かず」,不以異性之手腕為枕。

「一人(ひとり)かも寢(ね)む」,一人稱主格 + や...む之句法,對現在之動作、狀態表達「只得如此了嗎」之感概。

此歌,蓋於天平十五年冬,位居恭仁京所詠。



真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞、挽歌

雜歌

1664 泊鹹倉宮御宇大泊麝追(雄略)天皇御製歌一首

 暮去者 小椋山爾 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜

 夕去(ゆふさ)れば 小倉山(をぐらのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寐(い)ねにけらしも

 每逢夕暮時 消蹤匿跡小倉山 隱身伏鹿者 今夜不聞其聲鳴 蓋是獲妻安寢哉

雄略天皇 1664

 右,或本云:「崗本(舒明)天皇御製。」不審正指,因以累戴。

小倉山(をぐらのやま)」,或云大和櫻井市今井谷一帶,位於雄略帝皇居以北約五公里。

「伏鹿(ふすしか)の 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寐(い)ねにけらしも」,「伏(ふ)す」表藏身,「寐(い)ね」表或得共寢之妻。

異傳歌8-1511作崗本(舒明)天皇御製。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1511

「正指」,『爾雅』釋言:「指者,示也。」

1665 崗本宮御宇(齊明)天皇紀伊國時歌二首

 為妹 吾玉拾 奧邊有 玉緣持來 奧津白浪

 妹(いも)が為(ため) 我玉拾(われたまひり)ふ 沖邊(おきへ)なる 玉寄持來(まよせもちこ) 沖白波(おきつしらなみ)

 奉為吾愛妻 我今拾玉摘珍珠 願汝聞此訴 押寄持來奧邊玉 呼嗚沖津白浪矣

佚名 1665

「崗本宮」,舒明帝與齊明帝之皇居,此乃後者,世稱後崗本宮。

「幸紀伊國」,齊明四年東十月,幸紀伊溫湯。五年正月還幸。其間遭有間皇子之變。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki26.htm#sk26_04

「妹(いも)が為(ため) 我玉拾(われたまひり)ふ」,此云供奉天皇行幸之男子,為留守大和之妻拾撿珍珠。

「沖邊(おきへ)なる」,遠洋或海底之意。歎望波浪捲來沖邊之珍珠。

1666 【承前。】

 朝霧爾 沾爾之衣 不干而 一哉君之 山道將越

 朝霧(あさぎり)に 濡(ぬ)れにし衣(ころも) 干(ほ)さずして 一人(ひとり)か君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ

 朝霧漫山中 衣為霧露所沾濕 我度吾君矣 不干其衣徑獨行 隻身將越彼山道

佚名 1666

 右二首,作者未詳。

「一人(ひとり)か君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ」,留守大和家中之妻,心念夫君羈旅之道中辛苦。


1667 大寶元年辛丑冬十月,太上(持統)天皇、大行(文武)天皇紀伊國時歌十三首 【十三第一。】

 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依來 於伎都白浪

 妹(いも)が為(ため) 我玉求(われたまもと)む 沖邊(おきへ)なる 白玉寄來(しらたまよせこ) 沖白波(おきつしらなみ)

 奉為吾愛妻 我今求玉覓珍珠 願汝聞此訴 寄來奧邊真白玉 呼嗚沖津白浪矣

佚名 1667

 右一首,上見既畢。但歌辭小換,年代相違,因以累戴。

大行天皇」,天皇崩御而未奉謚號間之呼稱。於『萬葉集中奈良時代前半隻作專指文武帝。

「我玉求(われたまもと)む」,「求(もと)む」乃求取、覓尋。

白玉(しらたま)」,珍珠。

前曲1665之異傳曲。

1668 【承前,十三第二。】

 白埼者 幸在待 大船爾 真梶繁貫 又將顧

 白崎(しらさき)は 幸(さき)くあり待(ま)て 大船(おほぶね)に 真梶繁貫(まかぢしじぬ)き 又返見(またかへりみ)む

 嗚呼白崎矣 願汝無恙久待此 吾今離別去 真梶繁貫大船發 有朝終將復返見

佚名 1668

「白崎(しらさき)は」,「は」乃呼喚格。「白崎」用法與0030「唐崎(からさき)」同,藉由同音與「幸(さち)く」表現反覆堆疊之效果。

「幸(さき)くあり待(ま)て」,「幸(さき)」表無恙、無事。「あり」乃狀態持續。

「又返見(またかへりみ)む」,後日再訪。此以白崎擬人,期望其不變久安,待作者有朝一日歸來再訪。


1669 【承前,十三第三。】

 三名部乃浦 鹽莫滿 鹿嶋在 釣為海人乎 見變來六

 三名部浦(みなべのうら) 潮莫滿(しほなみ)ちそね 鹿島(かしま)なる 釣(つ)りする海人(あま)を 見(み)て歸來(かへりこ)む

 三名部浦矣 切莫潮盈阻我途 鹿島岩磐上 漁釣海人白水郎 吾欲見而復歸來

佚名 1669

「潮莫滿(しほなみ)ちそね」,期望命令語,囑咐莫漲潮。自紀伊日高郡南部町埴田崎去鹿島約七百五十米,可見海中受海蝕之岩磐指鹿島而去似可越渡,而漲潮時沒而不見。


1670 【承前,十三第四。】

 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反將來

 朝開(あさびら)き 漕出(こぎで)て我(われ)は 湯羅崎(ゆらのさき) 釣(つ)りする海人(あま)を 見(み)て歸來(かへりこ)む

 晨曦天明時 漕船榜出離岸去 由良湯羅崎 為釣海人白水郎 吾欲見而復來歸

佚名 1670

「朝開(あさびら)き」,此云天明之際,夜泊船隻一早離港之狀。


1671 【承前,十三第五。】

 湯羅乃前 鹽乾爾祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而漕船滂動

 湯羅崎(ゆらのさき) 潮干(しほひ)にけらし 白神(しらがみ)の 礒浦迴(いそのうらみ)を 敢(あ)へて漕(こ)ぐなり

 由良湯羅崎 今概退潮鹽涸乎 紀伊白神之 礒邊入江浦迴處 敢而滂動矣

佚名 1671

「潮干(しほひ)にけらし」,「けらし」乃「けるらし」之略。聽聞眼前白神礒退潮時辛勞划槳之音,而想像湯羅崎當逢退潮之景。

「浦迴(うらみ)」,入江之灣曲部。

「敢(あ)へて漕(こ)ぐなり」,「敢(あ)へて」,刻意、逆勢地。「なり」為借由聽覺之傳聞推定。


1672 【承前,十三第六。】

 邉輅 鹽干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻

 邉躋(くろうしがた) 潮干浦(しほひのうら)を 紅(くれなゐ)の 玉裳裾引(たまもすそび)き 行(ゆ)くは誰(た)が妻(つま)

 紀洲邉躋磧…干之浦入江間 身著朱赤服 引曳紅玉裳裾而 所徃之者誰妻耶

佚名 1672

「邉躋(くろうしがた)」,概紀伊國毛見崎北岸,今已填海作他用,不復存在。

「紅(くれなゐ)の 玉裳裾引(たまもすそび)き」,紅指以紅花染色,玉乃美稱,以珠玉裝飾之華裳。拖曳著紅色裳裾步迴之狀。古時以為優美之情景。


1673 【承前,十三第七。】

 風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無【一云,於斯依來藻。】

 風無(かざなし)の 濱白波(はまのしらなみ) 徒(いたづら)に 此處(ここ)に寄來(よせく)る 見(み)る人無(ひとな)しに【一云(またにいふ)、此處(ここ)に寄來(よせく)も。】

 風平浪靜兮 風無濱間白波矣 徒勞頻翻騰 雖然寄來往此處 然歎無人以觀之【一云,雖然寄來此處爾。】

長意吉麻呂 1673

 右一首,山上臣憶良『類聚歌林』曰:「長忌寸意吉麻呂,應詔作此歌。」

「風無(かざなし)の濱(はま)」,地名,所在未詳。類似地名於今有能登半島西側石川羽咋郡富來町、大分臼杵市等,皆為天然良港,蓋有冀望其風平浪靜而起之名。或云與「風早」同為「風草」之訛,未詳。

「徒(いたづら)に」,與前相連可云無風難起浪,與後相繼則可謂浪濤無人觀,皆盡徒然。

「應詔」,當為持統帝或文武帝之詔。

1674 【承前,十三第八。】

 我背兒我 使將來歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南

 我(わ)が背子(せこ)が 使來(つかひこ)むかと 出立(いでたち)の 此松原(このまつばら)を 今日(けふ)か過(す)ぎなむ

 吾度吾妻念 夫君之使將來耶 忐忑出立之 久佇長待此松原 我今將過不流連

佚名 1674

「我(わ)が背子(せこ)が 使來(つかひこ)むかと」,出門等待夫君之使者到來,地名「出立」之序。

「出立(いでたち)の」,水平突出之地形,與出外等待之行動雙關。

「此松原(このまつばら)を」,「松」與「待」雙關。

1675 【承前,十三第九。】

 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳

 藤白(ふぢしろ)の 御坂(みさか)を越(こ)ゆと 白栲(しろたへ)の 我(わ)が衣手(ころもで)は 濡(ぬ)れにけるかも

 每越藤白之 御坂觸景更生情 素妙白栲之 吾人衣手沾露濕 淚泪漬濡無干時

佚名 1675

「濡(ぬ)れにけるかも」,此有二說。或云衣袖為露水沾濕,或云憶及此地乃有間皇子絞刑之地,遂而落淚濕袖。



1676 【承前,十三第十。】

 勢能山爾 黃葉常敷 神岳之 山黃葉者 今日散濫

 背山(せのやま)に 黃葉常敷(もみちつねし)く 神岡(かむをか)の 山黃葉(やまのもみち)は 今日(けふ)か散(ち)るらむ

 吾見勢能山 黃葉常降敷錦紅 顧思神岳之 山間黃夜蓋何如 今日將散落地哉

佚名 1676

「神岡(かむをか)の 山黃葉(やまのもみち)は」,神岡山飛鳥神奈備山。

「今日(けふ)か散(ち)るらむ」,按藤原宮還幸於十月十九日,而此歌當十八日所作,自背山去藤原宮約四十公里。

1677 【承前,十三十一。】

 山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者

 大和(やまと)には 聞(きこ)え行(ゆ)かぬか 大我野(おほがの)の 竹葉刈敷(たかはかりし)き 廬為(いほりせ)りとは

 可令留大和 家族聽聞吾訴哉 今取大我野 所生竹葉刈敷而 為廬孤寢甚寂寞

佚名 1677

大和(やまと)には 聞(きこ)え行(ゆ)かぬか」,「ぬか」表希求。欲向留在大和之家人訴說羈旅之辛勞。

「竹葉刈敷(たかはかりし)き」,「竹(たか)」乃「「竹(たけ)」」之交替形。

1678 【承前,十三十二。】

 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上爾曾安留

 紀伊國(きのくに)の 昔獵夫(むかしさつを)の 鳴矢持(なるやも)ち 鹿取靡(かとりなび)けし 坂上(さかのうへ)にそ在(あ)る

 叢木紀伊國 往古獵夫持鏑矢 靡取獲眾鹿 顧其承傳故事處 便在眼前此坂上

佚名 1678

「昔獵夫(むかしさつを)の」,傳說中過去曾在之著名獵師。「獵(さつ)」乃「獵(さち)・幸(さち)」之交替形。

「鳴矢持(なるやも)ち」,發射時發出聲鳴之鏑矢。

「坂上(さかのうへ)にそ在(あ)る」,此云漬山下將獵物趕上坡,而由埋伏之獵人射殺之獵法。


1679 【承前,十三十三。】

 城國爾 不止將徃來 妻社 妻依來西尼 妻常言長柄【一云,嬬賜爾毛,嬬云長良。】

 紀伊國(きのくに))に 止(や)まず通(かよ)はむ 妻杜(つまのもり) 妻寄來(つまよしこ)せね 妻(つま)と言(い)ひながら【一云(またにいふ)、妻賜(つまたま)はにも、妻(つま)と言(い)ひながら。】

 鎮座紀伊國 絡繹不絕車馬喧 紀洲妻之社 願汝明神授我妻 莫負效驗妻社名【一云,願汝明神賜我妻,莫負效驗妻社名。】

坂上人長 1679

 右一首,或云:「坂上忌寸人長作。」

「妻寄來(つまよしこ)せね」,「(寄)す」乃與認之意。「ね」乃表希求之終助詞。

「妻(つま)と言(い)ひながら」,隨彼妻社之名。「ながら」有「隨」、「從」、「唯」之意。

1680 後人歌二首 【承前,後人所歌。】

 朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曾 雨莫零根

 麻裳良(あさもよ)し 紀伊(き)へ行(ゆ)く君(きみ)が 真土山(まつちやま) 越(こ)ゆらむ今日(けふ)そ 雨莫降(あめなふ)りそね

 麻裳良且秀 直往紀伊國前去 親愛吾君矣 今當將越真土山 還願驟雨莫零之

佚名 1680

「後人」,留於其後之人。相對於羈旅之人,指留居家中之家人。

「麻裳良(あさもよ)し」,紀伊之枕詞。

「真土山(まつちやま)」,紀伊大和之交界。


1681 【承前。】

 後而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫

 後居(おくれゐ)て 我(あ)が戀居(こひを)れば 白雲(しらくも)の 棚引(たなび)く山(やま)を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ

 後居守家中 妾身慕惱苦相思 良人在何方 吾度夫君今當越 白雲棚引曳足山

佚名 1681

「我(あ)が戀居(こひを)れば」,「ば」乃接受對話對方自身動作之動詞,敘述剛好同時發生之子行動。


1682 獻忍壁皇子歌一首 【詠仙人形。】

 常之倍爾 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人

 常(とこ)しへに 夏冬行(なつふゆゆ)けや 裘(かはごろも) 扇放(あふぎはな)たぬ 山(やま)に住(す)む人(ひと)

 豈是常穿梭 往來冬夏寒暑哉 身著鶴氅裘 手持塵羽扇不放 棲於深山此仙人

柿本人麻呂 1682

「常(とこ)しへに 夏冬行(なつふゆゆ)けや」,「常(とこ)しへ」乃「永久、不絕、不斷」之意。「行(ゆ)けや」乃反語疑問句。「行(ゆ)く」表時間之流動。明明不可能,莫非是同時歷經冬夏?之意。

「裘(かはごろも)」,毛皮之衣物。此特指仙人所著之鶴氅裘。雖為冬用衣物,卻與夏日之扇並用,堪稱光怪陸離。

「扇放(あふぎはな)たぬ」,「扇(あふぎ)」乃「團扇(うちわ)」之疇,此特指仙人所持之塵羽扇。『職員令』云:「用取風涼,去塵粉者。」

「山(やま)に住(す)む人(ひと)」,仙人之翻譯語。


1683 獻舍人皇子歌二首

 妹手 取而引與治 捄手折 吾刺可 花開鴨

 妹(いも)が手(て)を 取(と)りて引攀(ひきよ)ぢ 捄手折(ふさたを)り 我(わ)が髻首(かざ)すべく 花咲(はなさ)ける哉(かも)

 猶執妹之手 捄手取枝將攀引 折之飾髻首 好似欲令吾插頭 此花盛開今滿咲

柿本人麻呂 1683

「引攀(ひきよ)ぢ」,「攀(よ)ぢ」乃牽引、握住之意。

「捄手折(ふさたを)り」,「捄」與「總」同,手捄指手腕一帶。

1684 【承前。】

 春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝爾

 春山(はるやま)は 散過(ちりす)ぎぬとも 三輪山(みわやま)は 未(いま)だ含(ふふ)めり 君待難(きみまちかて)に

 雖然春山櫻 已然盛過欲將零 然顧三輪山 至今含苞尚代放 苦盼難耐待君臨

柿本人麻呂 1684

「散過(ちりす)ぎぬとも」,「とも」乃假定逆接之接續助詞。後句接推量之意志、命令但未實現之事柄。


1685 泉河邊間人宿禰作歌二首

 河鵝〃禪淡者 玉鴨 散亂而在 川常鴨

 川(かはのせ)の 激(たぎ)つを見(み)れば 玉(たま)かも 散亂(ちりみだ)れたる 川常(かはのつね)かも

 每見河麈掘[水激越飛沫迸 好似見白玉 散亂絢爛之所如 其蓋此川之常哉

柿本人麻呂 1685

「激(たぎ)つ」,水流激越白沫亂散之狀。

「玉(たま)かも」,仙覺本系多作「玉藻鴨(たまもかも)」,然蓋配合中古假名訓之音而改之。此依『類聚古集』作玉鴨。


1686 【承前。】

 孫星 頭刺玉之 嬬戀 亂祁良志 此川鷦

 彥星(ひこほし)の 髻首玉(かざしのたま)し 妻戀(つまご)ひに 亂(みだ)れにけらし 此川(このかはのせ)に

 當是彥星之 牛郎插頭髻首玉 以為戀妻故 不堪相思遂散亂 激越在此川鶸

柿本人麻呂 1686

「彥星(ひこほし)の」,此付會七夕牛郎織女傳說所言。

「髻首玉(かざしのたま)し」,髻首除本歌之外,皆云木花、枝葉之疇。本曲乃呼應前曲「玉(たま)かも」而作。

1687 鷺坂作歌一首

 白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎

 白鳥(しろとり)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 松蔭(まつかげ)に 宿(やど)りて行(ゆ)かな 夜(よ)も更行(ふけゆ)くを

 鴻鵠白鳥兮 鷺坂山間松蔭下 不妨落腳而 留居一宿而徃矣 不見此夜已深乎

柿本人麻呂 1687

「白鳥(しろとり)の」,「鷺坂」之枕詞。鷺乃白晝飛來水田、川沼之怎,此以純白之白鷺為言。『常陸風土記』香島郡歌謠有「志漏止利(しろとり)」,『和名抄』有「之呂止利(しろとり)」云云。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/hitachi/hitachi03.htm#hita03_03

1688 名木河作歌二首

 焱干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印

 炙干(あぶりほ)す 人(ひと)もあれやも 濡衣(ぬれぎぬ)を 家( いへ)には遣(や)らな 旅徵(たびのしるし)に

 草枕在異地 誰人替我炙裳乾 不若將濕衣 送遣家中與吾族 以為旅徵証此行

柿本人麻呂 1688

「人(ひと)もあれやも」,「あれやも」乃反語文末,豈有人為己晾乾濕衣。喞詫羈旅辛勞之語。

「旅徵(たびのしるし)に」,作為羈旅之證據。

1689 【承前。】

 在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利

 荒磯邊(ありそへ)に 著(つ)きて漕(こ)がさね 杏人(ももさね)の 濱(はま)を過(す)ぐれば 戀(こひ)しくありなり

 願沿荒磯邊 循岸榜船漕而去 唐桃杏仁濱 若今空過不駐足 往後憶之必徒歎

柿本人麻呂 1689

「荒磯邊(ありそへ)に」,「荒磯(ありそ)」乃ˇ「荒磯(あらいそ)」之略。

「著(つ)きて漕(こ)がさね」,「さ」乃敬語助詞「す」之未然形,「ね」表希求。對船頭要求之語。

「杏人(ももさね)」,或訓「かたひと」、「からもも」「ももひと」等。「人」與「仁」通。

「戀(こひ)しくありなり」,「なり」乃傳聞推定。若單純通過杏仁濱,事後回想必當後悔懷念。

1690 高嶋作歌二首

 高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之彌

 高島(たかしま)の 阿渡川波(あどかはなみ)は 騷(さわ)けども 我(あれ)は家思(いへおも)ふ 宿(やど)り悲(かな)しみ

 近江高嶋之 安曇阿度川浪者 波音雖喧鬧 然我孤寂愁思家 悲於草枕宿異地

柿本人麻呂 1690

「阿渡川波(あどかはなみ)」,安曇川之波浪。

「宿(やど)り」,宿泊與羈旅之地。

類歌1238。tps://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m07.htm#1238


1691 【承前。】

 客在者 三更判而 照月 高嶋山 隱惜毛

 旅(たび)なれば 夜中(よなか)に別(わ)きて 照月(てるつき)の 高島山(たかしまやま)に 隱(かく)らく惜(を)しも

 客在異鄉者 見得三更半夜中 照臨明月矣 心惜近江高嶋山 隱而蔽之不得見

柿本人麻呂 1691

「旅(たび)なれば」,「旅(たび)に在れば」之略。與第五句「惜(を)しも」呼應。

「別(わ)きて」,格別。


1692 紀伊國作歌二首

 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨將寐

 我(あ)が戀(こ)ふる 妹(いも)は逢(あ)はさず 玉浦(たまのうら)に 衣片敷(ころもかたし)き 獨(ひとり)かも寢(ね)む

 吾人心所繫 佳人不欲與相見 故在玉浦間 片敷衣裳設草枕 隻身孤寢度長夜

柿本人麻呂 1692

「妹(いも)は逢(あ)はさず」,「逢(あ)はす」乃「逢(あ)ふ」之敬語形。「妹」指行旅間所見之女性

「衣片敷(ころもかたし)き」,『萬葉集』中多用於孤獨單寢之場面。


1693 【承前。】

 玉匣 開卷惜 恡夜矣 袖可禮而 一鴨將寐

 玉櫛笥(たまくしげ) 明(あ)けまく惜(を)しき 恡夜(あたらよ)を 衣手離(ころもでか)れて 獨(ひとり)かも寢(ね)む

 珠匣玉櫛笥 常惜天明苦夜短 可恡春宵夜 今遠衣手無可枕 隻身孤寢歎夜長

柿本人麻呂 1693

「玉櫛笥(たまくしげ)」,「明(あ)け」之枕詞。以「開」「明」雙關而為之。

「明(あ)けまく惜(を)しき」,此句之上若補「妹しあらば」將更易理解。

「恡夜(あたらよ)」,「恡」乃可惜逝去事物之明詞,此轉作接投語用。

「衣手離(ころもでか)れて」,無人相與共寢。


1694 鷺坂作歌一首

 細比禮乃 鷺坂山 白管自 吾爾尼保波尼 妹爾示

 栲領巾(たくひれ)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 白躑躅(しらつつじ) 我(われ)に匂(にほ)はね 妹(いも)に示(しめ)さむ

 楮織栲領巾 鷺坂山間所群生 雪白躑躅矣 還願沁染吾衣裳 還來以令示我妹

柿本人麻呂 1694

「栲領巾(たくひれ)の」,修飾「鷺坂山(さぎさかやま)」中「さぎ」之枕詞。栲領巾乃以楮纖維所造之領巾。以領巾比喻鷺之羽冠所言。

「我(われ)に匂(にほ)はね」,「匂(にほ)ふ」為顏色移染之狀。「ね」表希求。



1695 泉河作歌一首

 妹門 入出見川乃 床奈馬爾 三雪遣 未冬鴨

 妹(いも)が門(かど) 入(い)り泉川(いづみがは)の 常滑(とこなめ)に 御雪殘(みゆきのこ)れり 未(いま)だ冬(ふゆ)かも

 出入吾妻之 家門為名泉川中 常滑石上 御雪仍殘積斑駁 顧此時節仍冬哉

柿本人麻呂 1695

「妹(いも)が門(かど) 入(い)り泉川(いづみがは)の」,以「入(い)り出(い)づ」修飾「泉川(いづみがは)」之序。

常滑(とこなめ)に」,川中、川岸濕潤生苔,常時滑溜之石。

1696 名木河作歌三首

 衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可

 衣手(ころもで)の 名木川邊(なきのかはへ)を 春雨(はるさめ)に 我立濡(われたちぬ)ると 家思(いへおも)ふらむか

 衣手真袖兮 名木川邊河原上 春雨降紛紛 吾人獨立霑衣濡 蓋是家族念吾哉

柿本人麻呂 1696

「衣手(ころもで)の」,修飾地名「名木」之枕詞,原由未詳。

「名木川邊(なきのかはへ)を」,「を」乃靠近之意。避免與第三句「春雨(はるさめ)に」重復使用「に」而採「を」字。

「家(いへ)」,此云家人。


1697 【承前。】

 家人 使在之 春雨乃 與久列杼吾等乎 沾念者

 家人(いへびと)の 使(つか)ひにあらし 春雨(はるさめ)の 避(よ)くれど我(あれ)を 濡(ぬ)らさく思(おも)へば

 汝蓋吾家人 欲促速歸遣使哉 驟降春雨矣 我雖避之亦為濡 念此霑衣欲還鄉

柿本人麻呂 1697

「家人(いへびと)の 使(つか)ひにあらし」,主語為春雨。「あらし」乃「あらるし」之略。

「避(よ)くれど」,主語為「我(あれ)」。

此自嘲家人思念,心想作者為春雨所淋,必當早日歸鄉,遂遣春雨來此。

1698 【承前。】

 焱干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使爾為

 焱干(あぶりほ)す 人(ひと)もあれやも 家人(いへびと)の 春雨(はるさめ)すらを 間使(まつかひ)にする

 草枕在異地 誰人替我炙裳乾 何以吾家人 竟遣春雨為間使 頻沾吾衣濡我裳

柿本人麻呂 1698

「春雨(はるさめ)すらを」,連春雨亦以為使。怨懟竟不以人為使,遣無心春雨而來,云云。

1699 宇治河作歌二首

 巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井爾 鴈渡良之

 巨椋(おほくら)の 入江響(いりえとよ)むなり 射目人(いめひと)の 伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に 雁渡(かりわた)るらし

 宇治巨椋池 池中入江正鳴響 伏射目人之 伏見田居野間上 飛雁行渡劃虛空

柿本人麻呂 1699

「巨椋(おほくら)の 入江(いりえ)」,巨椋池之灣入部。

「響(とよ)むなり」,「なり」乃傳聞推定。蓋作者聽文秋半渡來北岸伏見之群鴈羽音,故云此。

「田居(たゐ)」,「ゐ」乃堰止田水耕種之狀。

1700 【承前。】

 金風 山吹麈機ゞ蘇帖‥訓蝉董£鄙螻

 秋風(あきかぜ)に 山吹(やまぶきのせ)の 鳴(な)るなへに 天雲翔(あまくもかけ)る 雁(かり)に逢(あ)へるかも

 蕭瑟秋風拂 山吹河鷦彼摧 而為鳴響時 翱翔天雲劃大空 鳴鴈者也我行逢

柿本人麻呂 1700

「秋風(あきかぜ)に」,此「に」表原因。

「山吹(やまぶきのせ)の」,蓋為宇治川之地名。按『平家物語』卷四「經伊賀國,越田原路,過宇治川機結明神之御前,往山吹鶺遏」蓋宇治川左岸,近平等院一帶。

「鳴(な)るなへに」,「なへに」表與前動作同時,另一方面之行動。

「雁(かり)に逢(あ)へるかも」,將初雁擬人化之表現。


1701 獻弓削皇子歌三首

 佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見

 小夜中(さよなか)と 夜(よ)は更(ふ)けぬらし 雁(かり)が音(ね)の 聞(き)こゆる空(そら)を 月渡(つきわた)る見(み)ゆ

 夜中秋意盛 時在真夜更深刻 何以知悉者 今聞雁音畫太虛 聚首望月掛中空

柿本人麻呂 1701

「聞(き)こゆる空(そら)を」,原文「所聞空」。按『古今集』192訓「そらに」 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk04.htm#192,此外亦有「そらゆ」等說。


1702 【承前。】

 妹當 茂苅音 夕霧 來鳴而過去 及乏

 妹(いも)が當(あた)り 繁雁(しげきかり)が音(ね) 夕霧(ゆふぎり)に 來鳴(きな)きて過(す)ぎぬ 術無迄(すべなきまで)に

 親親吾妻邸 家邊繁雁音不絕 每逢夕霧間 通過來鳴聲不斷 摧情令人陷憂思

柿本人麻呂 1702

「妹(いも)が當(あた)り 繁雁(しげきかり)が音(ね)」,此「繁(しげ)き」乃「繁(しげ)かりし」之意。

「術無迄(すべなきまで)に」,不知該如何是好。「術無(すべな)き」原文作「乏」者,「窮乏」之意。3257書「術無(すべな)み」作窮見。此云心思受鴈聲所催,更甍ソド塲充已。

1703 【承前。】

 雲隱 鴈鳴時 秋山 黃葉片待 時者雖過

 雲隱(くもがく)り 雁鳴(かりな)く時(とき)は 秋山(あきやま)の 黃葉片待(もみちかたま)つ 時(とき)は過(す)ぐれど

 雲隱匿身跡 飛鴈翔空發鳴時 吾居秋山間 徒然空待葉轉紅 雖然時節當已過

柿本人麻呂 1703

1703

「黃葉片待(もみちかたま)つ」,「片待(かたま)つ」表一昧等待。

「時(とき)は過(す)ぐれど」,他處紅葉早已盛過散去。然此處仍未轉紅。有所思不得回報之感。

1703

「黃葉片待(もみちかたま)つ」,「片待(かたま)つ」表一昧等待。

「時(とき)は過(す)ぐれど」,他處紅葉早已盛過散去。然此處仍未轉紅。有所思不得回報之感。

1704

「捄手折(ふさたを)り」,「多武(たむ)」之枕詞。「多武」與「撓(た)む」同音,故此。

「山霧(やまぎり)」,嘆息之比喻。「波騷(なみのさわ)ける」,慮穿慮貲携喻。

1705 【承前。】

 冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等敘

 冬籠(ふゆごも)り 春(はる)へを戀(こ)ひて 植(う)ゑし木(き)の 實(み)に成(な)る時(とき)を 片待(かたま)つ我(われ)そ

 籠冬日已久 吾戀春日慕年新 徒然唯苦等 只待植木發榮盛 結果成實日臨來

柿本人麻呂 1705

「春(はる)へ」,春頃之意。

「片待(かたま)つ我(われ)そ」,「我(われ)」原文吾等,或與日並皇子舍人挽歌「吾等哭淚」並有臣臣下一同之意。

「植し木」蓋只梅,言其雖然開花卻未結實。蓋有寓意居中。



1706 舍人皇子御歌一首

 邏漫〔詭故 衣手 高屋於 霏霺麻天爾

 烏玉(ぬばたま)の 夜霧(よぎり)は立(た)ちぬ 衣手(ころもで)を 高屋上(たかやのうへ)に 棚引(たなび)く迄(まで)に

 漆遽╋妄臓〔誅湧起遍瀰漫  迷霧扶搖昇 直至衣手高屋上 霏霺棚引罩四方

柿本人麻呂 1706

「衣手(ころもで)を」,地名「高屋(たかや)」之枕詞。蓋以「手(て)」之交替形「手(た)」而來。

「棚引(たなび)く迄(まで)に」,原文「霏霺」來自漢籍用語「霏薇」,多用於人麻呂歌集。


1707 鷺坂作歌一首

 山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散來

 山背(やましろ)の 久世鷺坂(くせのさぎさか) 神代(かみよ)より 春(はる)は萌(は)りつつ 秋(あき)は散(ち)りけり

 苗木繼根生 山城久世鷺坂矣 遠自神代起 每逢春日萌新僉每當秋時散葉紅

柿本人麻呂 1707

「春(はる)は萌(は)りつつ」,四段他動詞「萌(は)る」表擴張、膨脹,以及草木萌芽之意。「つつ」表持續反復之狀。

「秋(あき)は散(ち)りけり」,「けり」表自過去至現在繼續發生之狀態。


1708 泉河邊作歌一首

 春草 馬咋山自 越來奈流 鴈使者 宿過奈利

 春草(はるくさ)を 馬咋山(うまくひやま)ゆ 越來(こえく)なる 雁使(かりのつかひ)は 宿過(やどりす)ぐなり

 馬喰春草兮 自彼咋山越來之 魚箋雁使矣 汝蓋徒過我宿哉 癡等不見消息來

柿本人麻呂 1708

「春草(はるくさ)を 馬(うま)」,,引出地名「咋山(くひやま)」之序文。

「越來(こえく)なる」,「なり」乃傳聞推定語。

「雁使(かりのつかひ)」,書信、消息之代稱。

「宿過(やどりす)ぐなり」,宿指宿泊地。

羈旅之際,期待家人書信而久盼不至之感慨。


1709 獻弓削皇子歌一首

 御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有

 御食向(みけむか)ふ 南淵山(みなぶちやま)の 巖(いはほ)には 降(ふ)りし斑(はだれ)か 消殘(きえのこ)りたる

 御食所向兮 飛鳥南淵山巖上 斑白今可見 蓋是所降駁雪者 消熔未盡仍餘哉

柿本人麻呂 1709

 右,柿本朝臣人麻呂之歌集所出。

「御食向(みけむか)ふ」,南淵、淡路、味生、城上之枕詞。「御食」指貴族之用餐。

「消殘(きえのこ)りたる」,原文作「削」,『釋名』云:「消者,削也。」

蓋詠早春之候,於島庄、川原一帶遠望東南,見白鹿幼兒,如殘雪未消之景。

「右,柿本朝臣人麻呂之歌集」,當指1676至1709。

1710 柿本人麻呂歌集歌二首

 吾妹兒之 赤裳埿塗而 殖之田乎 苅將藏 倉無之濱

 我妹子(わぎもこ)が 赤裳漬(あかもひづち)て 植(う)ゑし田(た)を 刈(か)りて收(をさ)めむ 倉無濱(くらなしのはま)

 可伶吾妹子 漬濡赤裳埿塗而 所植稻田矣 縱令苅獲將藏之 無處可納倉無濱

柿本人麻呂 1710

「赤裳漬(あかもひづち)て」,赤裳因水田而沾濕,田植往往為女性之作業。

「刈(か)りて收(をさ)めむ」,以上四句,引出後句「倉無濱(くらなしのはま)」之序。豐收過度,諸藏既滿,遂無倉可納。倉無濱乃豐前國之海濱,意有以豐前雙關豐饒之趣。


1711 【承前。】

 百轉 八十之嶋迴乎 榜雖來 粟小嶋者 雖見不足可聞

 百傳(ももづた)ふ 八十島迴(やそのしまみ)を 漕來(こぎく)れど 粟小島(あはのこしま)は 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 百傳數繁兮 八十嶋迴巡遊弋 雖榜船而來 粟小島者風光勝 縱令百見不曾厭

柿本人麻呂 1711

 右二首,或云:「柿本朝臣人麻呂作。」

「百傳(ももづた)ふ」,八十之枕詞。先覺本原文作「百傳之」,而藍紙本等作「百轉」,蓋為古形。

「島迴(しまみ)」,諸島周邊。迴亦有巡迴、周遊之意。

「漕來(こぎく)れど」,雖然閱歷眾島,(但遠遠不及眼前之美景)。用以讚譽景色之常套語法。

1712 登筑波山詠月一首

 天原 雲無夕爾 烏玉乃 宵度月乃 入卷恡毛

 天原(あまのはら) 雲無夕(くもなきよひ)に 烏玉(ぬばたま)の 夜渡月(よわたるつき)の 入(い)らまく惜(を)しも

 遙遙久方兮 天原無雲此夕宵 漆遽╋妄臓‥鰐詛祁邀賃虛 入隱山中令人惜

佚名 1712

「入(い)らまく惜(を)しも」,「入らまく」乃「入らむ」之く句法。相較於「隱らく惜しも」指月沒以後,本文詠在月沒之前。

筑波山乃男女集會嬥歌之歌垣名所,此歌蓋詠彼俗。

1713 幸芳野離宮時歌二首

 瀧上乃 三船山從 秋津邊 來鳴度者 誰喚兒鳥

 瀧上(たきのうへ)の 三船山(みふねのやま)ゆ 秋津邊(あきづへ)に 來鳴渡(きなきわた)るは 誰呼子鳥(たれよぶこどり)

 自於御吉野 宮瀧之上三船山 飛至秋津邊 來鳴渡兮呼子鳥 汝喚孰人聲真切

佚名 1713

「幸芳野離宮」,吉野行幸,有天武、持統、元正、聖武等帝,未詳孰是。而依歌曲前後配列,或為持統帝。持統御宇期間,共幸吉野計卅一回。

「瀧上(たきのうへ)」,此云瀧陲。三船山者,見於吉野宮瀧上游右方,吉野川流於其山麓。

「誰呼子鳥(たれよぶこどり)」,呼喚誰人而發鳴之呼子鳥。『古今和歌集春歌上029有「覺束なくも 呼子鳥哉」云云。ttps://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk01.htm#029

1714 【承前。】

 落多藝知 流水之 磐觸 與杼賣類與杼爾 月影所見

 落激(おちたぎ)ち 流(なが)るる水(みづ)の 岩(いは)に觸(ふ)れ 淀(よど)める淀(よど)に 月影見(つきのかげみ)ゆ

 湍急落激兮 流水洴勢觸磐岩 淀而堰止水 窺望在於此淀中 輝曜月影今可見

佚名 1714

 右二首,作者未詳。

「落激(おちたぎ)ち」,流水洴發之狀。或云「激(たぎ)つ」。


1715 槐本(かきのもと)歌一首

 樂浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見

 樂浪(ささなみ)の 比良山風(ひらやまかぜ)の 海吹(うみふ)けば 釣(つり)する海人(あま)の 袖返(そでか)へる見(み)ゆ

 細波樂浪兮 比良山嵐呼嘯過 風吹湖海者 為釣海人白水郎 袖袂翻兮今可見

柿本人麻呂 1715

「槐本(かきのもと)」,按天平寶字元年『越前國司解』地名「柿本里」並記「垣本、槐本」,故訓かきのもと。或因『法華八講緣起』記雙槻宮御宇用明帝作「雙槐天皇」,則或訓「つきのもと」。

比良山風(ひらやまかぜ)の」,自比良山所吹下之風。


1716 山上憶良歌一首

 白那彌乃 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫

 白波(しらなみ)の 濱松木(はままつのき)の 手向種(たむけくさ) 幾代迄(いくよまで)にか 年(とし)は經(へ)ぬらむ

 白浪所寄兮 濱邊松木許所貢 酬神手向品 於茲蓋已迄幾代 經年累月光陰去

山上憶良 1716

 右一首,或云:「川嶋皇子御作歌。」


1717 春日老歌一首

 三川之 淵麒不落 左提刺爾 衣手潮 干兒波無爾

 三川(みつかは)の 淵(ふちせ)も落(お)ちず 小網差(さでさ)すに 衣手濡(ころもでぬ)れぬ 干(ほ)す兒(こ)は無(な)しに

 來回三川間 淵淵齲麑欺螳筺…ダ濔網而 裳袖漬濡衣手沾 然無妹兒為我乾

春日藏首老 1717

「三川(みつかは)」,所在未詳。或云大津市四谷川與其北大宮川。或云三河矢作川

「淵(ふちせ)も落(お)ちず」,淵麈喫黛弊鄰羶煮毳頻殞速急切之所。「落ちず」表無所遺漏。

「小網差(さでさ)す」,「小網(さで)」乃四手網。「差(さ)す」乃為補魚鳥而張設陷阱之狀。

「衣手濡(ころもでぬ)れぬ」,「濡」之原文有「潮」、「湖」等版本,此依『類聚古集』訓「ぬれぬ」。


1718 高市(鄂)歌一首

 足利思代 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門爾 極爾監鴨

 率(あども)ひて 漕去(こぎい)にし舟(ふね)は 高島(たかしま)の 安曇湊(あどのみなと)に 泊(は)てにけむ哉(かも)

 雄叫引率而 划槳榜行之舟者 今於高島之 足速水門安曇湊 已然泊船著岸哉

高市鄂諭1718

「率(あども)ひて」,引率。又以あど之音與後文「安曇(あど)」雙關。

「安曇湊(あどのみなと)に」,湊字本意為河口,此概云安曇川河口之南船木、北船木等港湊哉。

1719 春日藏(老)歌一首

 照月遠 雲莫隱 嶋陰爾 吾船將極 留不知毛

 照月(てるつき)を 雲勿隱(くもなかく)しそ 島蔭(しまかげ)に 我(わ)が船泊(ふねは)てむ 泊知(とまりし)らずも

 還願天浮雲 勿隱照月蔽光明 徘徊島蔭間 吾船將泊覓水口 不辨港湊令人懼

春日藏首老 1719

 右一首,或本云:「小辨作也。」或記姓氏,無記名字;或稱名號,不稱姓氏。然依古記,便以次載。凡如此類,下皆倣焉。

「島蔭(しまかげ)に」,入將等可令舟船一時規避風波之地形。

1720 元仁歌三首

 馬屯而 打集越來 今日見鶴 芳野之川乎 何時將顧

 馬並(うまな)めて 打群越來(うちむれこえき) 今日見(けふみ)つる 吉野川(よしののかは)を 何時返見(いつかへりみ)む

 引率陳馬而 群聚越來至此地 今日所觀之 御芳野兮吉野川 何日歸來再相見

元仁 1720

「馬並(うまな)めて」,引領眾多馬隊。原文「屯」字按『萬象名義』云:「屯,陳也。」『新撰字鏡』云:「聚也,陳也」。

「何時返見(いつかへりみ)む」,無疑問助詞か之疑問文


1721 【承前。】

 辛苦 晚去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君

 苦(くる)しくも 暮行(くれゆ)く日(ひ)かも 吉野川(よしのがは) 清川原(きよきかはら)を 見(み)れど飽(あ)か無(な)くに

 辛苦生憎矣 日已晚去時既暮 奈良吉野川 清川原無限好 雖見不厭怨黃昏

元仁 1721

「清川原(きよきかはら)を」,「清(きよ)し」表水流或月色澄明。吉野述景,多褒川鸚串遏

1722 【承前。】

 吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布真國

 吉野川(よしのがは) 川波高(かはなみたか)み 瀧浦(たきのうら)を 見(み)ずか成(なり)なむ 戀(こ)ひしけまくに

 奈良吉野川 川波高湧遮眼界 以彼高波故 終究不得窺瀧浦 是後憶之當惆悵

元仁 1722

「瀧浦(たきのうら)を」,水勢湍急之入江狀景勝地

「戀(こ)ひしけまくに」,預測一旦回想起來,必然因為心願未了而有所遺恨。

1723 絹歌一首

 河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨

 蛙鳴(かはづな)く 六田川(むつたのかは)の 川柳(かはやぎ)の 懃見(ねもころみ)れど 飽(あ)かぬ川(かは)かも

 河蛙田雞鳴 御芳野兮六田川 川岸楊柳之 柳根懃見雖端詳 百見不厭此川矣

絹麻呂 1723

「蛙鳴(かはづな)く」,以當地代表之景象以為枕詞之用法。

川柳(かはやぎ)の」,川楊之疇,多半非指垂柳,但時而混同。此以楊柳之根(ね)雙關懃(ねもころ)字。

「懃見(ねもころみ)れど」,仔細地一再端詳之狀。


1724 嶋足歌一首

 欲見 來之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷

 見(み)まく欲(ほ)り 來(こ)しくも著(しる)く 吉野川(よしのがは) 音清(おとのさや)けさ 見(み)るに羨(とも)しく

 欲見其景而 來之不虛此一行 芳野吉野川 其音清邏疏嶇 見之稱羨繫心絃

嶋足 1724

「見(み)るに羨(とも)しく」,「羨(とも)し」之原意來自欲留下足跡之「跡(と)む」,進而衍伸作心為其所吸引、懷念,甚滯欠乏等義。

1725 麻呂歌一首

 古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨

 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人(ひと)の 遊(あそ)びけむ 吉野川原(よしののかはら) 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 傳聞昔古之 賢人隱士仙客疇 所以遊興矣 吉野川原風光美 雖見百度亦不厭

麻呂 1725

 右,柿本朝臣人麻呂之歌集出。

「麻呂」,未詳孰是。『人麻呂歌集』有「所謂麻呂之奴」云云,故或云柿本人麻呂本人。「右,柿本朝臣人麻呂之歌集出。」,有起自1712、1715、1750,1725等說。


1726 丹比真人歌一首

 難波方 鹽干爾出而 玉藻苅 海未通女等 汝名告左禰

 難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)に出(いで)て 玉藻刈(たまもか)る 海人娘子等(あまをとめども) 汝(な)が名告(なの)らさね

 澪標難波潟 出步退潮濱邊處 拾苅玉藻之 海人娘子未通女 願汝告名令吾知

丹比真人 1726

「海人娘子等(あまをとめども)」,原文諸本皆作「海未通等」,此依『萬葉代匠記』補「女」字。夫『萬葉集』卷九,脫字、誤字多有,非唯後世誤脫,或唯原本缺陷。等字云海女非特定對象,對複數女性求婚之曲,亦見於卷五「遊於松浦河序」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0853

「汝(な)が名告(なの)らさね」,古代深信言靈之效,真名不得告知親人以外之者,故詢問女性名諱乃求婚之意。


1727 和歌一首 【承前。】

 朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人爾 妾名者不教

 漁(あさり)する 人(ひと)とを見坐(みま)せ 草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)に 我(わ)が名(な)は告(の)らじ

 請視妾身者 以為採漁海女矣 草枕異地兮 漂泊客去旅行人 妾身難以告吾名

佚名 1727

「漁(あさり)」,探求、採集魚貝類。

「人(ひと)とを見坐(みま)せ」,「を」乃間投助詞。請將妾身看作一般的海女,別妄作他想。

「我(わ)が名(な)は告(の)らじ」,原本作「妾者不敷」蓋訛,按『萬葉集略解』校為「教」字,依『萬葉集新考』補「名」字。蓋早其原本之誤訛。

1728 石川卿歌一首

 名草目而 今夜者寐南 從明日波 戀鴨行武 從此間別者

 慰(なぐ)さめて 今夜(こよひ)は寢(ね)なむ 明日(あす)よりは 戀(こ)ひかも行(ゆ)かむ 此(こ)ゆ別(わか)れなば

 纏綿相慰藉 今夜共寢惜春宵 自於明日起 雖然相思仍啟行 於茲相別客去者

石川年足 1728

石川卿」,石川年足。亦有擬作石川宮麻呂之說。

「慰(なぐ)さめて」,互相安慰。

「此(こ)ゆ」,自此、從此。

1729 宇合卿歌三首

 曉之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 敷弖志所念

 曉(あかとき)の 夢(いめ)に見(み)えつつ 梶島(かぢしま)の 礒越波(いそこすなみ)の 頻(し)きてし思(おも)ほゆ

 拂曉矇矓時 每每相見在夢田 一猶梶島之 越礒之浪緣岸來 此思頻頻未嘗絕

藤原宇合 1729

「宇合卿」,藤原宇合。藍紙本、廣麕槎錄書「飯女歌三首」,未詳。

「夢(いめ)に見(み)えつつ」,「つつ」表持續、反復之意。

「梶島(かぢしま)の 礒越波(いそこすなみ)の」,「頻(し)きて」之序詞。梶島所在未詳,按『八雲御抄』云在丹後。或云尾張幡豆郡吉良町宮崎岬附近之小島。

1730 【承前。】

 山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

 山科(やましな)の 石田小野(いはたのをの)の 柞原(ははそはら) 見(み)つつか君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ

 山科石田之 小野楢林柞原矣 吾人送君離 遠觀栵原眺望間 沒入將越彼山道

藤原宇合 1730

「柞原(ははそはら)」,「柞(ははそ)」者,橅科落葉高木楢之別名。『萬葉集』無正訓,『新撰字鏡』作「楢、栵」,『和名抄』作「柞」。如『古今和歌集』「 秋霧は 今朝は勿立ちそ 佐保山の 楢の紅葉 他所にても見む」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk05.htm#266,讚詠此木之歌者多有。

「見(み)つつか君(きみ)が 山道越(やまぢこ)ゆらむ」,或為男性心念同性友人所詠,或擬女性之情所作。而木錄曰「飯女歌」者,或為女性思念行旅之夫君所詠。

1731 【承前。】

 山科乃 石田社爾 布麻越者 蓋吾妹爾 直相鴨

 山科(やましな)の 石田杜(いはたのもり)に 幣置(ぬさお)かば 蓋(けだ)し我妹(わぎも)に 直(ただ)に逢(あ)はむかも

 山科神無森 冥貺靈驗石田社 若置幣於此 禱其神者訴吾願 蓋能直與妹逢哉

藤原宇合 1731

山科(やましな)の 石田杜(いはたのもり)に」,京都山科區小山神無森一帶之古社。今不復在。

「幣置(ぬさお)かば」,幣乃祭神時所貢獻之品物。原文仙覺本作「布靡越者」,而藍紙本等作「布麻越者」。「越」亦有度之意。

「蓋(けだ)し」,莫非、說不定。


1732 碁師歌二首

 祖母山 霞棚引 左夜深而 吾舟將泊 等萬里不知母

 大葉山(おほばやま) 霞棚引(かすみたなび)き 小夜更(さよふ)けて 我(わ)が船泊(ふねは)てむ 泊(とま)り知(し)らずも

 近江大葉山 深埋雲霞瀰漫間 昏昏夜已深 吾船將泊以寄岸 其湊不知何所依

碁師 1732

「大葉山(おほばやま)」,所在未詳。原文「母山」而本居宣長引『萬葉集略解』指其脫「祖」字,『令集解』云:「祖母,おほば。」1224原文作大葉山。

1224重出。


1733 【承前。】

 思乍 雖來來不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津

 思(おも)ひつつ 來(く)れど來兼(きか)ねて 三尾崎(みをのさき) 真長浦(まながのうら)を 又返見(またかへりみ)つ

 心思之所繫 雖然來之難別去 近海三尾崎 安曇川口真長浦 流連駐足復返見

碁師 1733

「思(おも)ひつつ」,常繫心絃,珍愛其景。

「又返見(またかへりみ)つ」,回到當初之場所再度眺望美景。

1734 少辨歌一首

 高嶋之 足利湖乎 滂過而 鹽津菅浦 今香將滂

 高島(たかしま)の 安曇湊(あどのみなと)を 漕過(こぎす)ぎて 鹽津菅浦(しほつすがうら) 今(いま)か漕(こ)ぐらむ

 淡海高嶋之 安曇湊兮不駐留 榜過行船去 想來此時漕何處 蓋在鹽津菅浦邊

少辨 1734

「漕過(こぎす)ぎて」,「過ぐ」乃單純通過而不停留之意。

「鹽津菅浦(しほつすがうら) 今(いま)か漕(こ)ぐらむ」,作者自勝野等安曇川口由南向北航行,約四小時間經過船木崎而思量今在何處之所詠。就地理位置來說,應當先過菅浦再到鹽津(琵琶湖北彎入部)。

1735 伊保麻呂歌一首

 吾疊 三重河原之 礒裏爾 如是鴨跡 鳴河蝦可物

 我(わ)が疊(たたみ) 三重川原(みへのかはら)の 礒裏(いそのうら)に 如是(かく)しもがもと 鳴(な)く蛙(かはづ)かも

 吾疊敷筵兮 伊勢三重川原之 礒裏巖蔭間 心願久長盡歡情 如是鳴啼河蛙矣

伊保麻呂 1735

「我(わ)が疊(たたみ)」,地名「三重」之枕詞。疊乃敷筵、毛皮等可摺疊之敷物之總稱。

「礒裏(いそのうら)に」,岩蔭。

「如是(かく)しもがもと」,希望持續如此。此以蛙鳴作為獲妻歡喜之表線。


1736 式部大倭東人芳野作歌一首

 山高見 白木綿花爾 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香聞

 山高(やまたか)み 白木綿花(しらゆふばな)に 落激(おちたぎ)つ 夏身川門(なつみのかは)と 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 山高嶮水深 絕壁落激貫千丈 猶白木綿花 夏身川門堪絕景 百看千遍不厭倦

大倭東人 1736

「山高(やまたか)み」,與類歌909同為並列用法。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m06.htm#0909

「夏身川門(なつみのかはと)」,川門指徒步涉水處。

1737 兵部川原歌一首

 大瀧乎 過而夏箕爾 傍為而 淨川鵝仝何明沙

 大瀧(おほたき)を 過(す)ぎて夏身(なつみ)に 傍居(ほそりゐ)て 清川(きよきかはせ)を 見(み)るが清(さや)けさ

 吉野宮瀧矣 行過大瀧至夏身 傍居此處而 觀望明淨此川鵝/歓叛★鄒鏡金

兵部川原 1737

「大瀧(おほたき)」,蓋指吉野宮瀧。

「傍居(ほそりゐ)て」,「傍(ほそ)る」乃「傍(ほは)る」之古形。『日本書紀』神代下:「添山,此云そほりのやま。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki02.htm




1738 詠上總末珠名娘子一首 【并短歌。】

 水長鳥 安房爾繼有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須輕娘子之 其姿之 端正爾 如花 咲而立者 玉桙乃 道徃人者 己行 道者不去而 不召爾 門至奴 指並 隣之君者 預 己妻離而 不乞爾 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 容艷 緣而曾妹者 多波禮弖有家留

 息長鳥(しながとり) 安房(あは)に繼(つ)ぎたる 梓弓(あづさゆみ) 末珠名(すゑのたまな)は 胸別(むなわけ)の 廣(ひろ)き我妹(わぎも) 腰細(こしぼそ)の 蜾嬴娘子(すがるをとめ)の 其姿(そのかほ)の 端正(きらぎら)しきに 花如(はなのごと) 笑(ゑ)みて立(た)てれば 玉桙(たまほこ)の 道行人(みちゆくひと)は 己(おの)が行(ゆ)く 道(みち)は行(ゆ)かずて 呼(よ)ば無(な)くに 門(かど)に至(いた)りぬ 差並(さしなら)ぶ 隣君(となりのきみ)は 豫(あらかじ)め 己妻離(おのづまか)れて 乞(こ)は無(な)くに 鍵(かぎ)さへ奉(まつ)る 人皆(ひとみな)の 如是惑(かくまと)へれば 容艷(うちしなひ) 寄(よ)りてそ妹(いも)は 戲(たは)れてありける

 水邊息長鳥 安房之地所相繼 梓弓張絃兮 末之國色珠名者 胸幅也豐腴 廣大婀娜吾妹矣 其腰也纖細 飛燕蜾嬴娘子矣 其顏也端麗 容姿光儀曜晃之 如花且似玉 嫣然展笑而立者 玉桙石柱兮 大道所經行人等 不往己道去 魂牽夢縈總自失 分明不召而 至於門前久流連 差指並列兮 比鄰所居家主者 豫前先離異 不顧己妻棄舊緣 分明無索而 輙奉己鍵獻殷勤 人皆無所餘 咸為所惑如是爾 艷容能傾城 嫵媚緣來美人者 媱行私逸魅人心

高橋蟲麻呂 1738

「珠名」,傳說之美女。或稱「珠名賣、珠名女」。本曲至1760,乃『高橋蟲麻呂歌集』所出。

「息長鳥(しながとり)」,「安房(あは)」之枕詞。原文「水長鳥」,水者當訓「すい」而用表「し」者或不甚洽當,蓋以水鳥之緣而特地用之。亦有「白玉」原文書作「水良玉」之例。

安房(あは)に繼(つ)ぎたる」,安房國,於養老二年分置自上總國,復於天平十三年再度合併,天平寶字元年分割獨立。本歌所作,蓋在養老二年至天平十三年之間。

「梓弓(あづさゆみ)」,「末(すゑ)」之枕詞。

「胸別(むなわけ)の」,此云豐滿女性之胸圍。

「腰細(こしぼそ)の」,腰部纖細,模仿漢籍之用法。

「蜾嬴娘子(すがるをとめ)の」,如蜾嬴般苗條之女子。蜾嬴乃似我蜂之古名。

「其姿(そのかほ)の」,「姿(かほ)」非僅指容貌,亦述其姿態。

「端正(きらぎら)しきに」,「きらぎらし」乃闡述端正之美之形容詞。『令集解』云:「端正,俗語かほよし也。」『名義抄』云:「潔,きらぎらし。」

「呼(よ)ば無(な)くに」,明明娘子並未招呼行人。

「差並(さしなら)ぶ」,「隣(となり)」之枕詞。

「隣君(となりのきみ)は」,並非特指兩鄰,乃概稱鄰近已婚者。

「鍵(かぎ)さへ奉(まつ)る」,奉上家門之鑰匙。意指全面讓渡家之管理權。

「人皆(ひとみな)の」,原文底本作「人乃皆」,而藍紙本「人皆乃」蓋為古形。

「容艷(うちしなひ)」,「うち」乃接頭語,而「容艷(しな)ふ」乃しなやかにたわむ之意。喬知之『和李侍郎古意』云:「美人長歎艷容萎,含情收取摧折枝。」

「戲(たは)れてありける」,「戲(たは)る」表淫亂之性關係。『新撰自鏡』云:「婬,放逸也、戲也、私逸也。」或說舉此句,論珠名乃遊行女婦。




1739 反歌 【承前。】

 金門爾之 人乃來立者 夜中母 身者田菜不知 出曾相來

 金門(かなと)にし 人來立(ひとのきた)てば 夜中(よなか)にも 身(み)はたな知(し)らず 出(いで)てそ逢(あ)ひける

 華飾金門外 若有人之來立者 縱為深夜中 不顧吾身莫惜名 出門晤之與相會

高橋蟲麻呂 1739

「金門(かなと)にし」,鑲有今具之門。

「身(み)はたな知(し)らず」,「たな」乃表「完全」之接頭語。

1740 詠水江浦嶋子一首 【并短歌。】

 春日之 霞時爾 墨吉之 岸爾出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曾所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家爾毛不來而 海界乎 過而榜行爾 海若 神之女爾 邂爾 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代爾至 海若 神之宮乃 內隔之 細有殿爾 攜 二人入居而 耆不為 死不為而 永世爾 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒爾 告而語久 須臾者 家歸而 父母爾 事毛告良比 如明日 吾者來南登 言家禮婆 妹之答久 常世邊 復變來而 如今 將相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曾己良久爾 堅目師事乎 墨吉爾 還來而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許爾念久 從家出而 三歳之間爾 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手齒 如本 家者將有登 玉篋 小披爾 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叫袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 醉之 髮毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絕而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

 春日(はるのひ)の 霞(かす)める時(とき)に 住吉(すみのえ)の 岸(きし)に出居(いでゐ)て 釣舟(つりぶね)の 蕩漾見(とをらふみ)れば 古(いにしへ)の 事(こと)そ思(おも)ほゆる 水江(みづのえ)の 浦島子(うらしまのこ)が 鰹釣(かつをつ)り 鯛釣誇(たひつりほこ)り 七日迄(なぬかまで) 家(いへ)にも來(こ)ずて 海境(うなさか)を 過(す)ぎて漕行(こぎゆ)くに 海神(わたつみ)の 神娘子(かみのをとめ)に 偶(たまさか)に い漕向(こぎむか)ひ 相誂(あひとぶら)ひ 言成(ことな)りしかば かき結(むす)び 常世(とこよ)に至(いた)り 海神(わたつみ)の 神宮(かみのみや)の 內重(うちのへ)の 妙(たへ)なる殿(との)に 攜(たづさは)り 二人入居(ふたりいりゐ)て 老(お)いもせず 死(し)にもせずして 永世(ながきよ)に 在(あり)ける者(もの)を 世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語(かた)らく 暫(しまし)くは 家(いへ)に歸(かへ)りて 父母(ちちはは)に 事(こと)も語(かた)らひ 明日如(あすのごと) 我(われ)は來(き)なむと 言(い)ひければ 妹(いも)が言(い)へらく 常世邊(とこよへ)に 又歸來(またかへりき)て 今如(いまのごと) 逢(あ)はむと成(な)らば 此櫛笥(このくしげ) 開(ひら)く勿努(なゆめ)と 幾許(そこらく)に 堅(かた)めし言(こと)を 住吉(すみのえ)に 歸來(かへりきた)りて 家見(いへみ)れど 家(いへ)も見兼(みか)ねて 里見(さとみ)れど 里(さと)も見兼(みか)ねて 恠(あやし)みと 其處(そこ)に思(おも)はく 家(いへ)ゆ出(いで)て 三年間(みとせのあひだ)に 垣(かき)も無(な)く 家失(いへう)せめやと 此箱(このはこ)を 開(ひら)きて見(み)てば 元如(もとのごと) 家(いへ)は在(あ)らむと 玉櫛笥(たまくしげ) 少(すこ)し開(ひら)くに 白雲(しらくも)の 箱(はこ)より出(いで)て 常世邊(とこよへ)に 棚引(たなびき)ぬれば 立走(たちはし)り 叫(さけ)び袖振(そでふ)り 臥倒(こいまろ)び 足(あし)ずりしつつ 頓(たちまち)に 心消失(こころけう)せぬ 若(わか)かりし 肌(はだ)も皺(しわ)みぬ (くろ)かりし 髮(かみ)も白(しら)けぬ 後後(ゆなゆな)は 息(いき)さへ絕(た)えて 後遂(のちつひ)に 命死(いのちし)にける 水江(みづのえ)の 浦島子(うらしまのこ)が 家所見(いへところみ)ゆ

 春暖風和日 霞霧瀰漫朦朧時 墨江住吉之 邊岸出居望海原 釣舟浮蒼溟 搖曳蕩漾見之者 心嚮曩昔時 思古幽情自然起 丹後水江之 筒川嶼子浦嶋子 汎海欲釣鰹 乘興釣鰹不自已 轉瞬及七日 未嘗歸家不寄岸 海境無涯處 越之榜行去沖瀛 海神綿津見 海若閨秀神娘子 偶然與邂逅 面向榜之行逢矣 歡喜相誂論婚合 情意投合言成故 結契作夫妻 至於千尋常世國 海神綿津見 富麗堂皇神宮之 深窗內陣之 靈妙珍奇御殿間 執子之手而 成雙相攜入居矣 如此居蓬萊 不老不死獲永生 居於永世間 駐老延齡未嘗衰 何奈世間之 蒙昧愚人浦島矣 告於吾妹妻 相語之曰道如此 所望無他矣 暫還本俗歸家鄉 拜會父母而 奉告此間吾消息 至於明日頃 吾將復來返仙宮 如是告言者 海童娘子遂答言 愛也吾夫君 汝若有情再相會 復歸常世國 再繫前緣如今者 慎納此櫛笥 莫開玉匣之緘矣 雖然約成者 幾許山盟千金重 然歸墨江之 住吉故土本鄉地 雖瞻眺幾家 所馴宅邸不得見 復雖望村邑 所馴鄉里不復得 奇也珍恠哉 在於其處有所思 自家出旅遊仙境 不過三年光景爾 何以垣滅哉 何以故家消失哉 若得開此箱 窺見匣中靈妙者 或得如元本 迴見舊里覓故家 故取玉櫛笥 稍開其蓋將觀時 白雲紫煙者 自其箱底冉昇天 飄向常世國 棚引飛去無其賜 奔走追雲霞 叫喚揮袖若心狂 倒臥頓踣而 蹣跚蹌踉匍匐間 精神恍紹而 頓失心性更氣絕 稚嫩肌膚者 轉瞬皺老寄衰萎 烏玉鉐者 霎時斑駁褪蒼白 未經幾時後 呼吸衰竭習緒止 斯須頃刻間 後遂壽死絕此命 嗚呼水江之 筒川嶼子浦嶋子 所居遺跡今可見

高橋蟲麻呂 1740

「水江浦嶋子」,見於『丹後風土記https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun01.htm#048、『日本書紀』雄略紀 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki14.htm#sk14_19、『扶桑畧記』雄略記 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kiryaku/fs02.htm#22、『浦島子傳』 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/monogatari/urasima/urasima.htm 等。

「蕩漾(とをら)ふ」,舟船漂蕩之狀。與「撓(とら)む」、「撓(とをよ)む」同源。

浦嶋子」,有嶋子、嶼子等說。

「鰹釣(かつをつ)り」,日本海域少有鰹魚生息,而小舟更難以釣鰹。存疑。

「鯛釣誇(たひつりほこ)り」,「誇(ほこ)り」乃得意忘形之意。

「海境(うなさか)」,海上現世與常世之境界。

「偶(たまさか)に」,意料之外。

「い漕向(こぎむか)ひ」,「向(むか)ひ」原文「趍」,奔走之意。

「言成(ことな)りしかば」,所言(提案)成立。

「かき結(むす)び」,節契。「かき」乃接頭語。

「常世(とこよ)」,不老不死之異界。此云海神宮殿。『雄略紀』作蓬萊山。

「內重(うちのへ)の」,宮殿內之密室

「攜(たづさは)り」,相互攜手。

「在(あり)ける者(もの)を」,「在(ある)ねかり者(もの)を」之意。本當如此。反歌作「住(す)むべき物(もの)を」。

「世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の」,此云世上最愚蠢者。作者批判浦島子所為之語。

「我妹子(わぎもこ)」,以浦島子之立場而指其妻神女。

「告(の)りて」,「告(の)る」乃告知重大事情。

「暫(しまし)く」,一時、短時間。或云「暫(しま)し」。

「櫛笥(くしげ)」,惑云「玉櫛笥(たまくしげ)」,女性安置梳妝打扮道具之容器,古俗亦以為留置女性靈魂之具。

「堅(かた)めし言(こと)」,堅牢之誓言。

「三年間(みとせのあひだ)」,常世國時間流逝緩慢,三年相當現世之數百年。按『丹後風土記』,浦島子出海不歸,以去三百餘年。

「開(ひら)きて見(み)てば」,「て」乃完了助動詞「つ」之未然形。無論東西,皆有因開敞門戶、箱櫃導致咒力消失,甚至招來災禍、死亡之傳說。

「袖振(そでふ)り」,揮動衣袖,欲將失物招回之狀。

「臥倒(こいまろ)び 足(あし)ずりしつつ」,倒臥輾轉,雙足蹋地。悲嘆無奈之情之表現。

「皺(しわ)み」,鏟生皺紋。

「家所(いへところ)」,過去居住處之遺跡。暗示自空想世界回歸現實之惆悵。



1741 反歌 【承前。】

 常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曾也是君

 常世邊(とこよへ)に 住(す)むべき物(もの)を 劍大刀(つるぎたち) 汝(な)が心(こころ)から 鈍(おそ)や此君(このきみ)

 當於常世鄉 永住以度仙人生 然以劍大刀 汝心管見起愚行 嗚呼鈍哉也此君

高橋蟲麻呂 1741

「劍大刀(つるぎたち)」,「汝(な)」之枕詞。古云「刃」作「な」,故云。

「汝(な)が心(こころ)から」,原文「己之行柄」。行者心也,漢籍所謂「心行。」『名義抄』云:「行、こころ。」非他人之過,隨己心而為。


1742 見河內大橋獨去娘子歌一首 【并短歌。】

 級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上從 紅 赤裳數十引 山藍用 揩衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟將宿 問卷乃 欲我妹之 家乃不知久

 級照(しなで)る 片足羽川(かたしはがは)の 佐丹塗(さにぬ)りの 大橋上(おほはしのうへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾引(あかもすそび)き 山藍持(やまあゐも)ち 摺(す)れる衣著(きぬき)て 唯獨(ただひとり) い渡(わた)らす兒(こ)は 若草(わかくさ)の 夫(つま)か在(あ)るらむ 橿實(かしのみ)の 獨(ひとり)か寢(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家(いへ)の知(し)ら無(な)く

 級照耀暉兮 河內片足羽川之 朱丹所塗矣 大橋之上越經之 艷絕染深紅 拖曳眩目赤裳裾 山藍所摺染 身著蒼穹此青衣 獨自唯一人 隻身渡去娘子者 親親若草兮 結髮夫君可在乎 亦或如橿實 輾轉難眠孤寢乎 吾魂牽夢縈 欲問汝名我妹之 其家不知在何方

高橋蟲麻呂 1742

「級照(しなで)る」,「片足羽川」之枕詞。按『日本書紀』推古紀有以之修飾片岡之例。

「佐丹塗(さにぬ)りの」,稍帶黃味之赤色染料。以下連貫紅、藍等色彩。

「山藍持(やまあゐも)ち」,山藍乃群生山地木蔭之多年草。將其葉乾燥搗爛,可作為藍竸Ю料。

「い渡(わた)らす兒(こ)は」,「渡(わた)らす」乃「渡(わた)す」之敬語形,然敬意稍輕。

「橿實(かしのみ)の」,「獨(ひとり)」之枕詞。相較栗等多子類果食,橿之堅果唯有一子於其中。

「獨(ひとり)か寢(ぬ)らむ」,「らむ」於此乃依習慣事實之線再推量語。

「問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が」,「まくの 欲(ほ)し」乃中古願望助動詞「まほし」之古形。

1743 反歌 【承前。】

 大橋之 頭爾家有者 心悲久 獨去兒爾 屋戶借申尾

 大橋(おほはし)の 頭(つめ)に家有(いへあ)らば 真悲(まかな)しく 獨行(ひとりゆ)く兒(こ)に 宿貸(やどか)さましを

 若在河內之 大橋頭邊有家者 今見彼橋上 真悲獨去娘子矣 可貸一宿與依歸

高橋蟲麻呂 1743

「大橋(おほはし)の 頭(つめ)」,「頭(つめ)」乃行路盡頭之意。『日本書紀』天智紀:「打橋の 頭の遊に」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kikirouei/krr02.htm#s0124

「真悲(まかな)しく」,相對於表示心中深處所蘊含悲切之「衷悲(うらかな)し」,「真悲し」指其外表令人感到悲淒之狀。


1744 見武藏小埼沼鴨作歌一首

 前玉之 小埼乃沼爾 鴨曾翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有斯

 埼玉(さきたま)の 小埼沼(をさきのぬま)に 鴨(かも)そ翼霧(はねき)る 己(おの)が尾(を)に 降置(ふりお)ける霜(しも)を 拂(はら)ふとにあらし

 吾見埼玉之 武藏小埼湖沼間 鴨翅揮振水沫揚 迷濛翼霧起 蓋是霜降己尾上 欲將拂拭所為哉

高橋蟲麻呂 1744

「翼霧(はねき)る」,「霧(き)る」乃起霧之意。此乃被動詞之用法,指振動翅膀導致水沫飛散。

「拂(はら)ふとにあらし」,「と」乃「と思って」之意。「に」乃斷定助動詞「なり」之連用形。「あらし」乃「あるらし」之略。

1745 那賀郡曝井歌一首

 三栗乃 中爾向有 曝井之 不絕將通 從所爾妻毛我

 三栗(みつぐり)の 那賀(なか)に向(むか)へる 曝井(さらしゐ)の 絕(たえ)ず通(かよ)はむ 其處(そこ)に妻欲得(つまもが)

 一實三栗兮 那賀真向曝井之 無絕之所如 欲得頻訪無絕期 窈窕吾妻在其處

高橋蟲麻呂 1745

「三栗(みつぐり)の」,地名「那賀(なか)」之枕詞。一顆栗果之中,有三實之栗者。以其中央(なか)之意,而修飾「那賀」。

「那賀(なか)」,鄉名。今那珂川一帶。

「曝井(さらしゐ)の」,以上,以井水不絕引出後文來訪不斷之序。

「妻欲得(つまもが)」,「欲得(もが)」表願望,而一般不特定其願望之對象。

1746 手綱濱歌一首

 遠妻四 高爾有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋來名益

 遠妻(とほづま)し 高(たか)に在(あり)せば 知(し)らずとも 手綱濱(たづなのはま)の 尋來(たづねき)な益(まし)

 若吾遠妻者 身在高鄉多珂者 縱然不知方 吾必如手綱濱名 蹋遍尋來欲一晤

高橋蟲麻呂 1746

「遠妻(とほづま)し」,住在異地,遠遠相隔之妻子。

「手綱濱(たづなのはま)の」,以類音引出「尋(たづ)ね」之序文。

1747 春三月,諸卿大夫等下難波時歌二首 【并短歌。】

 白雲之 龍田山之 瀧上之 小桉嶺爾 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 繼而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝爾 遺有花者 須臾者 落莫亂 草枕 客去君之 及還來

 白雲(しらくも)の 龍田山(たつたのやま)の 瀧上(たきのうへ)の 小桉嶺(をぐらのみね)に 咲撓(さきをを)る 櫻花(さくらのはな)は 山高(やまたか)み 風(かぜ)し止(やま)ねば 春雨(はるさめ)の 繼(つ)ぎてし降(ふ)れば 上枝(ほつえ)は 散過(ちりす)ぎにけり 下枝(しづえ)に 殘(のこ)れる花(はな)は 暫(しまし)くは 散(ち)り勿亂(なまが)ひそ 草枕(くさまくら) 旅行(たびゆ)く君(きみ)が 歸來(かへりく)る迄(まで)

 白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 瀧鷯繃眷掘‖曳小桉之嶺間 爭艷咲一面 滿開垂枝櫻花者 其以山高聳 勁風不止強摧故 又因春雨之 頻頻不絕紛降故 上枝之曾生 既已盛過凋零矣 下枝之所餘 寥寥無幾殘花矣 還願須臾間 莫輙散落亂狼藉 草枕在他鄉 直至羈旅異地之 吾君歸來一賞爾

高橋蟲麻呂 1747

「白雲(しらくも)の」,以「湧立(たつ)」引出「龍田山(たつたのやま)」之枕詞。

「瀧上(たきのうへ)の」,此處「瀧(たき)」指激流。蓋云龜鶲贇菁卦湎據

「小桉嶺(をぐらのみね)」,所在未詳。或云龜麕綿之留所山。

「咲撓(さきをを)る」,因花開茂盛而枝垂之狀。

「上枝(ほつえ)は」,最上方之枝。

「散過(ちりす)ぎにけり」,指花或紅葉已過盛開之時,既而零落散盡。

「下枝(しづえ)」,最下方之枝。

「暫(しまし)くは」,短時間內。

「散(ち)り勿亂(なまが)ひそ」,「散亂(ちりまが)ひ」乃花葉亂零之狀。

旅行(たびゆ)く君(きみ)が」,指以藤原宇合為首之題目所稱諸卿大夫等。

1748 反歌 【承前,反歌。】

 吾去者 七日者不過 龍田彥 勤此花乎 風爾莫落

 我(わ)が行(ゆ)きは 七日(なぬか)は過(す)ぎじ 龍田彥(たつたひこ) 努此花(ゆめこのはな)を 風(かぜ)に莫散(なち)らし

 吾等此去者 七日之內必將返 龍田彥大神 願汝勤驗護此花 莫令風摧致早謝

高橋蟲麻呂 1748

「我(わ)が行(ゆ)きは」,「行(ゆ)き」為名詞形。相對於前曲長歌立於送行者之立場,此反歌以行旅者之視角所詠。

「龍田彥(たつたひこ)」,龍田神社之祭神。


1749 【承前,第二。】

 白雲乃 立田山乎 夕晚爾 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開繼 許知期智乃 花之盛爾 雖不見 左右 君之三行者 今西應有

 白雲(しらくも)の 龍田山(たつたのやま)を 夕暮(ゆふぐれ)に 打越行(うちこえゆ)けば 瀧上(たきのうへ)の 櫻花(さくらのはな)は 咲(さき)たるは 散過(ちりす)ぎにけり 含(ふふ)めるは 咲繼(さきつ)ぎぬべし 比處此處(こちごち)の 花盛(はなのさか)りに 見(め)さずとも 斯(か)にも如是(かく)にも 君(きみ)が御行(みゆき)は 今(いま)にしあるべし

 白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 夕暮黃昏時 徒步登山越行者 激越瀧上之 所生絢爛櫻木者 花咲開有者 已然盛過皆散盡 含苞未放者 蓄蘊花蕾將繼咲 放眼所望得 雖非四處皆花盛 花開併花落 縱然如斯又何如 吾君御行在此時 良辰美景應自生

高橋蟲麻呂 1749

「咲繼(さきつ)ぎぬべし」,眼見含苞未放之花蕾,推定今後仍會持續綻放。

「比處此處(こちごち)の」,四處。上代語中,意指遠方之「あち」尚未發達,故連用比處以表到處。

「斯(か)にも如是(かく)にも」,無論如何。原文「左右」乃漢籍俗語用法。

「君(きみ)が御行(みゆき)は」,此云藤原宇合等諸卿大夫等之遊興。

1750 反歌 【承前,反歌第二。】

 暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒

 暇有(いとまあ)らば 滯渡(なづさひわた)り 向峰(むかつを)の 櫻花(さくらのはな)も 折(を)ら益物(ましもの)を

 若得有暇者 還欲滯渡涉此川 至於向峰處 手折櫻花取其枝 帶回飄香惜木花

高橋蟲麻呂 1750

「滯渡(なづさひわた)り」,涉水前進。滯為阻撓之狀。

「向峰(むかつを)」,自大和川北岸眺望對岸丘陵。自大和難波前去之龍田道者,沿大和川北岸而行。

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万葉集試訳

1634 【承前。】

 衣手爾 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子

 衣手(ころもで)に 水澁付(みしぶつ)く迄(まで) 植(う)ゑし田(た)を 引板我(ひきたわ)が延(は)へ 守(まも)れる苦(くる)し

 衣袖沾漬濕 水澁垢付沁襟領 如此所植田 吾已疲於延引板 守之甚苦盡徒然

佚名 1634

「衣手(ころもで)に 水澁付(みしぶつ)く迄(まで)」,「水澁(みしぶ)」乃積水表面之水垢。長時間下田耕種,衣物為水垢所染。

「引板我(ひきたわ)が延(は)へ」,「引板(ひきた)」乃「引板(ひきいた)」之略,鳴子(なるこ)。以細竹管所懸之板片,繫於繩而張於田畝,以驚嚇動物不令荒田之機關。

「守(まも)れる苦(くる)し」,「守(まも)れる」表保護監視


1635 尼作頭句,并大伴宿禰家持所誂尼,續末句等和歌一首

 佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎【尼作。】 苅流早飯者 獨奈流倍思【家持續。】

 佐保川(さほがは)の 水(みづ)を堰上(せきあ)げて 植(う)ゑし田(た)を【尼作(あまつく)る。】 刈(か)れる初飯(はついひ)は 獨(ひとり)なるべし【家持繼(やかもちつ)ぐ。】

 寧樂佐保川 堰上河水引渠間 如此植田者【尼作。】 所苅新嘗初飯矣 唯有獨享皆伶仃【家持續。】

尼、大伴家持 1635

「水(みづ)を堰上(せきあ)げて」,堰止川水引作田畝灌溉之用。比喻尼僧辛苦養育女子之狀。尼作歌至此,悲從中來,不能相續,委後句與家持續之。

「刈(か)れる初飯(はついひ)は」,收割精搗,以為新米食之。

家持同情尼僧境遇,又有諦悟世間之人,盡皆孤獨之曲。

冬雜歌

1636 舍人娘子雪歌一首

 大口能 真神之原爾 零雪者 甚莫零 家母不有國

 大口(おほくち)の 真神原(まかみのはら)に 降雪(ふるゆき)は 甚莫降(いたくなふ)りそ 家(いへ)も在(あ)ら無(な)くに

 荒振大口兮 真神之原荒野間 紛紛零雪者 汝莫降甚積如此 親族家人不在矣

舍人娘子 1636

大口(おほくち)の」,野獸血盆大口之狀,真神枕詞真神乃狼(おほかみ)之異名。欽明紀:「山逢二狼相鬪污血。乃下馬洗漱口手,祈請曰:『汝是貴神,而樂麤行。儻逢獵士,見禽尤速。』乃抑止相鬪,拭洗血毛,遂遣放之俱令全命。」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki19.htm 『新譯華嚴經音義』云:「狼,倭言大神也。」

「家(いへ)も在(あ)ら無(な)くに」,「家(いへ)」指家家族


1637 太上(元正)天皇御製歌一首

 波太須珠寸 尾花逆葺 醋斃僉‖ね室者 迄萬代

 秦芒(はだすすき) 尾花逆葺(をばなさかふ)き 醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は 萬代迄(よろづよまで)に

 花薄秦芒兮 尾花逆葺敷屋脊 復用醋攫 所造社殿屋室者 當榮興盛至萬世

元正天皇 1637

「秦芒(はだすすき)」,芒草,此與後句「尾花」相同,乃同格修飾之枕詞

「尾花逆葺(をばなさかふ)き」,「葺(ふ)き」乃鋪設屋頂。一般茅葺以根本朝下,而權設之假蘆,則以茅根朝上,遂云逆葺。

「醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は」,醋敘吃垪鏗鞍蘿渓據「室」乃密室狀之社殿。此云恭迎天皇幸來,造營滿富野趣之殿舍。

1638 天皇(聖武)御製歌一首

 青丹吉 奈良乃山有 醋斃僉‖ね室者 雖居座不飽可聞

 青丹吉(あをによ)し 奈良山(ならのやま)なる 醋攬(くろきも)ち 造(つく)れる室(むろ)は 座(ま)せど飽(あ)かぬかも

 青丹良且秀 大和寧樂奈良山 取用其醋據―蠡社殿屋室者 雖常居座不厭哉

聖武天皇 1638

「青丹吉(あをによ)し」,奈良枕詞

「座(ま)せど飽(あ)かぬかも」,「座(ま)す」乃「居」之敬語。此為天皇所用之自敬表現

1639 大宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首

 沫雪 保杼呂保杼呂爾 零敷者 平城京師 所念可聞

 沫雪(あわゆき)の 斑斑(ほどろほどろ)に 降敷(ふりし)けば 奈良都(ならのみやこ)し 思(おも)ほゆるかも

 每見冬日之 沫雪紛紛降斑駁 積置碓漓者 便憶故鄉寧樂地 平城京師可怜矣

大伴旅人 1639

 右,聞之,御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製。

「斑斑(ほどろほどろ)に」,降雪薄薄積置之狀。


1640 大宰帥大伴卿梅歌一首

 吾岳爾 盛開有 梅花 遺有雪乎 亂鶴鴨

 我(わ)が岡(をか)に 盛(さか)りに咲(さ)ける 梅花(うめのはな) 殘(のこ)れる雪(ゆき)を 紛(まが)へつる哉(かも)

 吾人岡岳間 盛開綻放梅花爾 白華綴斑駁 幾與殘雪難相辨 迷茫紛亂誑我眼

大伴旅人 1640

「梅花(うめのはな) 殘(のこ)れる雪(ゆき)を」,梅花與殘雪並立。

「紛(まが)へつる哉(かも)」,因觀者之部留意而將複數對向混淆之狀。

混同白梅白雪表現,多見於漢詩。『懷風藻』大伴旅人五言初春侍宴云「梅雪亂殘岸 煙霞接早春」。『萬葉集』梅花卅二首亦有類似表現

1641 角朝臣廣辨雪梅歌一首

 沫雪爾 所落開有 梅花 君之許遣者 與曾倍弖牟可聞

 淡雪(あわゆき)に 降(ふ)らえて咲(さ)ける 梅花(うめのはな) 君所遣(きみがりや)らば 寄(よそ)へてむ哉(かも)

 沫雪自天零 所降咲有梅花矣 若手折彼枝 贈諸君許為信者 蓋為人傳蜚語哉

角廣辨 1641

「降(ふ)らえて咲(さ)ける」,「え」乃表受身助動詞「ゆ」之連用形。此將自家白梅擬人化,傷痛其遭沫雪所凌。

「君所(きみがり)」,女性之許。

「寄(よそ)へてむ哉(かも)」,「寄(よそ)ふ」乃男女過從甚密之傳言。

1642 安倍朝臣奧道雪歌一首

 棚霧合 雪毛零奴可 梅花 不開之代爾 曾倍而谷將見

 棚霧(たなぎ)らひ 雪(ゆき)も降(ふ)らぬか 梅花(うめのはな) 咲(さ)かぬが代(しろ)に 擬(そへ)てだに見(み)む

 棚霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 梅花不開矣 欲見白雪降紛紛 擬作白梅以賞見

安倍奧道 1642

「棚霧(たなぎ)らひ」,「棚(たな)」為表一面之接頭語。「霧(ぎ)らふ」為「霧(ぎ)る」之繼續態。此雲大雪亂降,遮蔽視線

「雪(ゆき)も降(ふ)らぬか」,ぬか乃希求語句

「擬(そ)へてだに見(み)む」,「擬(そ)ふ」乃以之比擬、視作。欲以降雪代作梅開。


1643 若櫻部朝臣君足雪歌一首

 天霧之 雪毛零奴可 灼然 此五柴爾 零卷乎將見

 天霧(あまぎ)らし 雪(ゆき)も降(ふ)らぬか 著(いちしろ)く 此稜柴(このいつしば)に 降(ふ)らまくを見(み)む

 天霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 顯著映灼然 欲見稜盛此柴原 降積敷置染皓白

若櫻部君足 1643

「天霧(あまぎ)らし」,天空為雲所遮蔽,曇。「霧(ぎ)らす」乃「霧(ぎ)る」之被動詞。

「著(いちしろ)く」,顯著。

「稜柴(いつしば)」,冠於植物前表示茂盛之修飾語。類例有「嚴橿(いつかし)」、「嚴藻(いつも)」等。513有「市(いち)柴原」之語,或有重疊「いち」、「いつ」類音之趣。


1644 三野連石守梅歌一首

 引攀而 折者可落 梅花 袖爾古寸入津 染者雖染

 引攀(ひきよ)ぢて 折(を)らば散(ち)るべみ 梅花(うめのはな) 袖(そで)に扱入(こきい)れつ 染(し)まば染(し)むとも

 羸弱不禁風 伸手攀引折可落 暗香梅花矣 故以衣袖扱之入 縱染其色無所惜

三野石守 1644

「引攀(ひきよ)ぢて 折(を)らば」,攀折。

「袖(そで)に扱入(こきい)れつ」,「扱入(こき)れ」乃「扱入(こきい)れ」之略,將梅花枝葉包攝於狹小空間(衣袖)內狹取之。

「染(し)まば染(し)むとも」,若因此染上花色,亦無所卻步。此或有紅梅之說,但亦非無白梅可能性。

1645 巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首

 吾屋前之 冬木乃上爾 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳

 我(わ)が宿(やど)の 冬木上(ふゆきのうへ)に 降雪(ふるゆき)を 梅花(うめのはな)かと 打見(うちみ)つるかも

 吾宿屋戶前 冬木之上所積置 皓皓零雪矣 一眼望之見斑白 殆將誤見作梅花

巨勢宿奈麻呂 1645

冬木(ふゆき)」,冬日枯木。然『日葡辭典』有「不落葉之木」之說。

「打見(うちみ)つるかも」,稍見、誤見。

此乃迫不及待欲觀翫梅之初花之情。



1646 小治田朝臣東麻呂雪歌一首

 夜干玉乃 今夜之雪爾 率所沾名 將開朝爾 消者惜家牟

 烏玉(ぬばたま)の 今夜雪(こよひのゆき)に 去來濡(いざぬ)れな 明(あ)けむ朝(あした)に 消(け)なば惜(を)しけむ

  漆遽╋妄臓〆L謠跟仆衫軅磧ゝ醫坩拿袤 顧思明日朝晨時 消熔不復甚可惜

小治田東麻呂 1646

「去來濡(いざぬ)れな」,「な」乃以話者個人意向,勸誘聽者之終助詞。「去來(いざ)」乃表意志、勸誘之感動詞。原文「率」有「引率」、「引誘」之意。

1647 忌部首酲穗だ祺琉貅

 梅花 枝爾可散登 見左右二 風爾亂而 雪曾落久類

 梅花(うめのはな) 枝(えだ)にか散(ち)ると 見(み)る迄(まで)に 風(かぜ)に亂(みだ)れて 雪(ゆき)そ降來(ふりく)る

 瞥見其景者 猶似梅花自枝散 真假難辨奪 寔乃隨風飄紛亂 皓白零雪降來矣

忌部酲穗ぁ1647

「枝(えだ)にか散(ち)ると」,「に」與「ゆ」相通,表出發點或經由點之用法。雪(梅)自枝葉舞散。

1648 紀少鹿女郎梅歌一首

 十二月爾者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而

 師走(しはす)には 淡雪降(あわゆきふ)ると 知(し)らねかも 梅花咲(うめのはなさ)く 含(ふふ)めらずして

 其蓋不知乎 每逢師走十二月 淡雪將零矣 梅花已然開一面 不待含苞急早咲

紀少鹿女郎 1648

此云,梅花咲於此時,蓋是不知沫雪將降?竟不含苞待放,俟雪過兮之擬人用法


1649 大伴宿禰家持雪梅歌一首

 今日零之 雪爾競而 我屋前之 冬木梅者 花開二家里

 今日降(けふふ)りし 雪(ゆき)に競(きほ)ひて 我(わ)が宿(やど)の 冬木梅(ふゆきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

 爭艷欲奪目 其與今日零雪競 吾人屋宿前 冬木之梅今綻放 咲花競雪開彌榮

大伴家持 1649

「雪(ゆき)に競(きほ)ひて」,凌駕於雪,不負於雪,「競(きほ)ひ」乃燃起對抗意識,常見於漢詩表現

1650 御在西池邊肆宴歌一首

 池邊乃 松之末葉爾 零雪者 五百重零敷 明日左倍母將見

 池邊(いけのへ)の 松末葉(まつのうらば)に 降(ふ)る雪(ゆき)は 五百重降敷(いほへふりし)け 明日(あす)さへも見(み)む

 池畔堤岸邊 松之末梢枝葉上 積降零雪矣 還願敷降五百重 明日仍欲復見矣

佚名 1650

 右一首,作者未詳。但豎子阿倍朝臣蟲麻呂傳誦之。

「西池」,位於平城宮內。今二條町佐紀池下層有遺構發現。按『續日本紀』亦有西池宮為設宴之場。

「五百重降敷(いほへふりし)け」,層層積降之意。

「豎子」,或云「內豎」。擔任天皇侍衛之令外官職。中國以宦官稱豎,而日本奈良潮初期以來以警護天皇隨身安全、傳達命令與奏上之臣作豎子。


1651 大伴坂上郎女歌一首

 沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南

 沫雪(あわゆき)の 此頃繼(このころつ)ぎて 如此降(かくふ)らば 梅初花(うめのはつはな) 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 淡薄沫雪矣 比日以來常相續 如此紛降者 吾恐白梅初花之 為雪摧凌早散矣

坂上郎女 1651

「如此降(かくふ)らば」,假定條件。觀看現在大雪紛降,若將來仍持續如此,則...之意。


1652 他田廣津娘子梅歌一首

 梅花 折毛不折毛 見都禮杼母 今夜能花爾 尚不如家利

 梅花(うめのはな) 折(を)りも折(を)らずも 見(み)つれども 今夜花(こよひのはな)に 尚及(なほし)かずけり

 暗香雪梅矣 無論折枝或不折 吾翫花雖多 然自往時所閱歷 尚無能及今夜者

他田廣津娘子 1652

「折(を)りも折(を)らずも」,無論折枝觀翫,或生於梅樹上所賞。折花或紅葉之枝,或表贈與心上人以令賞,或隱喻激情難耐肢衝動行為

「尚及(なほし)かずけり」,至今所見(梅花),皆遠不如今夜之梅美好。


1653 縣犬養娘子依梅發思歌一首

 如今 心乎常爾 念有者 先咲花乃 地爾將落八方

 今如(いまのごと) 心(こころ)を常(つね)に 思(おも)へらば 先咲(まづさ)く花(はな)の 地(つち)に落(お)ちめやも

 若我情念者 思慕如今比金堅 悠悠無所易 可猶早春先咲梅 落地空成徒花哉

縣犬養娘子 1653

「心(こころ)を常(つね)に 思(おも)へらば」,如果此情長久,永不變心的話。

「先咲(まづさ)く花(はな)の」,引出「地(つち)に落(お)ち」之序。此云搶在春天到來之前,早開於冬日之梅。

「地(つち)に落(お)ちめやも」,該不會如徒花落地,比喻愛情到頭來一場空。

1654 大伴坂上郎女雪歌一首

 松影乃 淺茅之上乃 白雪乎 不令消將置 言者可聞奈吉

 松蔭(まつかげ)の 淺茅上(あさぢのうへ)の 白雪(しらゆき)を 消(け)たずて置(お)かむ 事(こと)はかも無(な)き

 欲猶松蔭下 淺茅之上所積置 皓皓白雪矣 不令消熔存永遠 然歎世間無此事

坂上郎女 1654

「松蔭(まつかげ)」,松樹之木蔭。

「事(こと)はかも無(な)き」,原文「言者可聞奈吉」而「言」與「事」通,亦可解作「方法手段」。再者,「言者」或有咒言之意含。

希望事物永久,然無奈世間無常

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2017-06-02-金

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万葉集試訳

1609 丹比真人歌一首 【名闕。】

 宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻爾戀樂苦 我者不益

 宇陀野(うだのの)の 秋萩凌(あきはぎしの)ぎ 鳴鹿(なくしか)も 妻(つま)に戀(こ)ふらく 我(あれ)には益(ま)さじ

 縱令宇陀野 蹋破秋萩凌漫草 喚妻鳴鹿者 論諸慕人思妻情 豈勝吾人相思愁

丹比真人 1609

「秋萩凌(あきはぎしの)ぎ」,此「凌(しの)ぎ」表推開、蹋闢之狀。

1610 丹生女王大宰帥大伴卿歌一首

 高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壯香見 人之插頭師 瞿麦之花

 高圓(たかまと)の 秋野上(あきののうへ)の 撫子花(なでしこのはな) 衷若(うらわか)み 人髻首(ひとのかざ)しし 撫子花(なでしこのはな)

 寧樂高圓嶺 點落山間野上 所生石竹撫子花 以其丁稚故 伊人手折插頭上 髻首不離撫子花

丹生女王 1610

「撫子花(なでしこのはな)」,丹生女王之自喻。本歌乃回想過去大伴旅人所愛之比喻形式之作。

「衷若(うらわか)み」,當時旅人約六十五歲左右,而丹生女王年約卌五。回想內容則蓋女王十六、七年前之頃。

「人髻首(ひとのかざ)しし」,刻意以中性詞彙表第二人稱之用法

1611 笠縫女王歌一首 【六人部王之女,母曰田形皇女也。】

 足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末

 足引(あしひき)の 山下響(やましたとよ)め 鳴鹿(なくしか)の 言羨(こととも)しかも 我(わ)が心夫(こころつま)

 足曳是險峻 山麓之下亦響徹 鳴鹿呼妻聲 欲聞汝言猶鹿啼 吾心所寄夫君矣

笠縫女王 1611

山下響(やましたとよ)め」,此云鳴鹿喚妻聲響繚繞,於山麓亦然可聞。

「鳴鹿(なくしか)の」,以上乃引出「言羨(こととも)し」之序文

「羨(とも)し」,心靈為之吸引、期待之狀。


1612 石川賀係女郎歌一首

 神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭

 神(かむ)さぶと 否(いな)には非(あら)ず 秋草(あきくさ)の 結(むす)びし紐(ひも)を 解(と)くは悲(かな)しも

 非以禁業欲 齋戒不許汝願矣 吾念秋草兮 山盟海誓相結紐 一旦若解自悲哀

石川賀係女郎 1612

「神(かむ)さぶと」,與「神(かむ)さび」同,莊嚴如神。行動脫卻色戀煩惱,達到枯淡境界。「と」乃「とって」之意。

「否(いな)には非(あら)ず」,並非以此拒絕汝之邀約。「否(いな)」原文「不許」乃意訓。

「秋草(あきくさ)の」,「結(むす)ぶ」之枕詞。將繩紐、此草木枝葉相結,乃表契約禁忌之咒術之意。

「解(と)くは悲(かな)しも」,因喪夫或失戀之慟,而發誓決心堅守孤閨之意志


1613 賀茂女王歌一首 【長屋王之女,母曰阿倍朝臣也。】

 秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君爾 相有今夜香

 秋野(あきのの)を 朝行(あさゆ)く鹿(しか)の 跡(あと)も無(な)く 思(おも)ひし君(きみ)に 逢(あ)へる今夜(こよひ)か

 每逢朝旦時 鹿自秋野離隱去 徃山不知跡 念君猶鹿難捉摸 今夜終得相逢會

賀茂女王 1613

 右歌,或云:「椋橋部女王作。」或云:「笠縫女王作。」

「朝行(あさゆ)く鹿(しか)の」,以上,引出「跡(あと)も無(な)く」之序。鹿之習性,夜間卅卌成群,下諸山麓,搗亂稻田,黎明之際回歸深山,不知所去。所謂引鹿之習。

「跡(あと)も無(な)く 思(おも)ひし君(きみ)に」,此云男方飄渺不定,難以捉摸,難以依靠之意。

1614 遠江櫻井奉天皇歌一首

 九月之 其始鴈乃 便爾毛 念心者 可聞來奴鴨

 九月(ながつき)の 其初雁(そのはつかり)の 便(たよ)りにも 思(おも)ふ心(こころ)は 聞(き)こえ來(こ)ぬ哉(かも)

 九月初雁現 吾見彼鴈摧鄉愁 欲寄書繫足 如此切念我心者 吾君可不聞來哉

櫻井王 1614

櫻井王」,與聖武天皇乃從兄弟關係。

「其初雁(そのはつかり)の 便(たよ)りにも」,此引漢書蘇武傳故事,言其遭匈奴所囚,寄書雁足以令故國之其消息。「も」乃「なりとも」,與後文「ぬかも」之希求語氣呼應。

「思(おも)ふ心(こころ)は」,天皇思臣之情。


1615 天皇(聖武)賜報和御歌一首 【承前。】

 大浦之 其長濱爾 緣流浪 寛公乎 念比日【大浦者,遠江國之海濱名也。】

 大浦(おほのうら)の 其長濱(そのながはま)に 寄(よ)する波(なみ) (ゆた)けき君(きみ)を 思(おも)ふ此頃(このころ)【大浦(おほのうら)は、遠江國(とほたふみのくに)の海濱名(うみのはまのな)なり。】

 猶若遠江之 大浦長濱沖津處 寄岸浪所如 醉風流宜舉止 所念君姿比日矣【大浦者,遠江國之海濱名也。】

聖武天皇 1615

大浦(おほのうら)の 其長濱(そのながはま)に 寄(よ)する波(なみ)」,引出「(ゆた)けき」之序。大浦駿河磐田市附近之瀉湖。遠江國府跡之所在。蓋聖武天皇遙想櫻井王任地風光之所作

「(ゆた)けき君(きみ)」,此云櫻井王。按『藤原家傳』藤原武智麻呂傳,「風流侍從,有六人部王、長田王、門部王、狹井王、櫻井王、石川朝臣君子阿倍朝臣安麻呂、置始工等十餘人。」蓋其風姿、進退醉菊正后じ琉丙喻之。

1616 笠女郎贈大伴宿禰家持歌一首

 每朝 吾見屋戶乃 瞿麥之 花爾毛君波 有許世奴香裳

 朝每(あさごと)に 我(わ)が見(み)る宿(やど)の 撫子(なでしこ)の 花(はな)にも君(きみ)は 有(あ)りこせぬかも

 每日晨曦時 妾所望見屋戶間 瞿麥撫子花 還願相望彼石竹 是為吾君良人矣

笠郎女 1616

「花(はな)にも君(きみ)は 有(あ)りこせぬかも」,「欲得(ぬかも)」乃希求語句,呼應上句以「にも」襯托之對象「花」

不明前後順序,然家持贈坂上大孃0480「撫子が 其花にもが...」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0408 與後年大伴池主贈家持「...撫子が 花にもがもな...」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m17.htm#4010 所詠內容、素材相似。

1617 山口女王贈大伴宿禰家持歌一首

 秋芽子爾 置有露乃 風吹而 落淚者 留不勝都毛

 秋萩(あきはぎ)に 置(お)きたる露(つゆ)の 風吹(かぜふ)きて 落(お)つる淚(なみた)は 留兼(とどめか)ねつも

 秋萩芽子上 所置露霜白雫矣 風吹即零下 吾人愴然落淚者 猶彼珠露無所止

山口女王 1617

「風吹(かぜふ)きて」,以上乃用以帶出「落(お)つ」之序。

「留兼(とどめか)ねつも」,雖欲抑止卻無從阻止之狀。此云思慕泉湧,淚不能止。


1618 湯原王贈娘子歌一首

 玉爾貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇禮和和良葉爾 置有白露

 玉(たま)に貫(ぬ)き 消(け)たず賜(たば)らむ 秋萩(あきはぎ)の 末撓葉(うれわわらば)に 置(お)ける白露(しらつゆ)

 願貫作珠玉 不令消散賜我身 秋荻芽子之 枝頭末梢撓葉上 所置白露誠剔透

湯原王 1618

「玉(たま)に貫(ぬ)き 消(け)たず賜(たば)らむ」,此云希望能獲賜如珠鍊般串在荻梢之玉露,不令消散。

「撓葉(わわらば)」,有枝葉受自重撓曲之說,或植物繁盛群花亂咲之說。又『大寶戶籍』有載十七歲少女名「和和良賣(わわらめ)」。

1619 大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首

 玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見爾 出而曾吾來之

 玉桙(たまほこ)の 道(みち)は遠(とほ)けど 愛(は)しきやし 妹(いも)を相見(あひみ)に 出(いで)てそ我(あ)が來(こ)し

 玉桙石柱兮 沿途行道路雖遠 欲與親親之 所愛吾妹相見 不辭路遙吾來矣

大伴家持 1619

「道(みち)は遠(とほ)けど」,表路途雖遙,但為拜顏,不辭道遠。

「妹(いも)」,對親近女性之呼稱,一般用於戀人或妻子,此指其姑。

1620 大伴坂上郎女和歌一首 【承前。】

 荒玉之 月立左右二 來不益者 夢西見乍 思曾吾勢思

 新(あらた)まの 月立迄(つきたつまで)に 來坐(きま)さねば 夢(いめ)にし見(み)つつ 思(おも)ひそ我(あ)が為(せ)し

 日新月已異 直至新月已復始 汝仍未嘗來 故吾夜夢日所思 每宵慕會在邯鄲

坂上郎女 1620

 右二首,天平十一年己卯秋八月作。

「月立迄(つきたつまで)に」,此云新月騰空,曆亦月改。至於八月,仍盼不得伊人。按左注,作者蓋留居竹田庄至九月。

「思(おも)ひそ我(あ)が為(せ)し」,心中有所思惱。此與649同,表預知家持身邊有異。方時家持年廿二,六月亡妾,悲嘆度日。蓋至竹田庄訪郎女以療癒傷懷。727腳注云「離絕數年」,其後與坂上大孃復緣。


1621 巫部麻蘇娘子歌一首

 吾屋前之 芽子花咲有 見來益 今二日許 有者將落

 我(わ)が宿(やど)の 萩花咲(はぎはなさ)けり 見(み)に來坐(きま)せ 今二日許(いまふつかだみ) 有(あ)らば散(ち)りなむ

 吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 務必來觀之 自今以降二日許 其花盛過將散矣

巫部麻蘇娘子 1621

「今二日許(いまふつかだみ)」,「許(だみ)」乃「位(くらい)」、「許(ばかり)」之意,轉自上二段動詞「たむ」之名詞形。

1622 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌二首

 吾屋戶乃 秋之芽子開 夕影爾 今毛見師香 妹之光儀乎

 我(わ)が宿(やど)の 秋萩咲(あきのはぎさ)く 夕影(ゆふかげ)に 今(いま)も見(み)てしか 妹(いも)が姿(すがた)を

 吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 昏暗夕影間 誰彼不分矇矓時 今欲速見妹光儀

田村大孃 1622

「我(わ)が宿(やど)の」,今奈良四條大路一帶田村之里,即大伴田村大孃邸內。

「夕影(ゆふかげ)」,夕日斜陽黃昏時。

「今(いま)も見(み)てしか」,「てしか」乃表願望之終助詞。「今(いま)も」乃現今立刻。

「妹(いも)が姿(すがた)を」,妹乃田村大孃親妹坂上大孃。原文「光儀」乃漢籍用語,表美麗之身影。

1623 【承前。】

 吾屋戶爾 黃變蝦手 每見 妹乎懸管 不戀日者無

 我(わ)が宿(やど)に 黃變楓(もみつかへるて) 見(み)る每(ごと)に 妹(いも)を懸(か)けつつ 戀(こ)ひぬ日(ひ)は無(な)し

 吾宿屋庭間 楓葉褪色黃變矣 每見彼楓紅 睹物思人催傷感 無日不慕吾妹

田村大孃 1623

「黃變楓(もみつかへるて)」,「黃變(もみつ)」表樹葉轉紅之意。「楓(かへるて)」乃楓葉之意,以其葉形如蛙爪而來。原文「蝦手」之「蝦」為「蝦蟇」之略。「楓(かへるて)」中古時代訛作「「楓(かひるて)」」,『和名抄』云:「雞冠木,加比流提乃(かひるての)木。」

「妹(いも)を懸(か)けつつ」,「懸(か)く」表關聯。或許連想至坂上大孃易於臉紅之風貌哉。


1624 坂上大娘秋稻蘰贈大伴宿禰家持歌一首

 吾之業有 早田之穂立 造有 蘰曾見乍 師弩波世吾背

 我(わ)が業(なり)なる 早稻田穂立(わさだのほたち) 作(つく)りたる 蘰(かづら)そ見(み)つつ 偲(しの)はせ我(わ)が背(せ)

 吾之御業矣 躬取早稻田穂立 所作秋穂蘰 還冀吾夫子觀之 端詳褒賞妾此藝

坂上大孃 1624

「秋稻蘰」,以秋穂編織之飾物。

「我(わ)が業(なり)なる」,「業(なり)」與「業(なりはひ)」同,生業之謂也。多指農業而此處云其巧匠。


1625 大伴宿禰家持報贈歌一首 【承前。】

 吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞

 我妹子(わぎもこ)が 業(なり)と作(つく)れる 秋田(あきのた)の 早稻穂蘰(わさほのかづら) 見(み)れど飽(あ)かぬかも

 吾妻妹子之 天工巧業所作矣 秋穂蘰者也 觀彼秋田早稻穂蘰 賞翫百遍不厭倦

大伴家持 1625

「業(なり)と作(つく)れる」,此承前曲,云彼所作不負匠人。多少混有戲笑之情。

1626 又報脱著身衣贈家持歌一首 【承前。】

 秋風之 寒比日 下爾將服 妹之形見跡 可都毛思努播武

 秋風(あきかぜ)の 寒(さむ)き此頃(このころ) 下(した)に著(き)む 妹(いも)が形見(かたみ)と 且(かつ)も偲(しの)はむ

 秋風吹蕭瑟 寒涼沁骨此頃矣 吾以妹形見 著在下衣貼肌身 聊慰且解相思苦

大伴家持 1626

 右三首,天平十一年己卯秋九月徃來。

「脱著身衣贈家持」,將貼身一物贈與異性為格別深刻之愛情表現。古俗以為相愛男女離別之時,相互餽贈衣物,將之穿在身上,便能早日相逢。

「下(した)に著(き)む」,著之貼身,以外衣遮蓋,不為他人所見。

「且(かつ)も偲(しの)はむ」,「且」有不足之意。雖欲與佳人共寢,然相隔兩地,遂將對方一物著於肌身,以稍解相思之苦。


1627 大伴宿禰家持攀非時藤花并芽子黃葉二物,贈坂上大孃歌二首

 吾屋前之 非時藤之 目頰布 今毛見壯鹿 妹之咲容乎

 我(わ)が宿(やど)の 時(とき)じき藤(ふぢ)の 珍(めづ)らしく 今(いま)も見(み)てしか 妹(いも)が咲容(ゑまひ)を

 吾庭屋戶間 非時藤浪狂咲矣 稀奇且珍貴 如彼藤浪令人憐 吾欲立見妹咲容

大伴家持 1627

「非時藤花」,晚咲之夏藤。「非時」乃不合時節之意。

「我(わ)が宿(やど)の 時(とき)じき藤(ふぢ)の」,以上,引出「珍(めづ)らし」之序。

「珍(めづ)らしく」,承接上句有「稀少珍奇」之意,延續後句有「令人憐愛」之情。


1628 【承前。】

 吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曾毛美照

 我(わ)が宿(やど)の 萩下葉(はぎのしたば)は 秋風(あきかぜ)も 未吹(いまだふ)かねば 如此(かく)そ黃葉(もみ)てる

 吾庭屋戶間 秋荻芽子下葉者 時分仍尚早 分明秋風未吹拂 何以紅葉織如此

大伴家持 1628

 右二首,天平十二年庚辰夏六月徃來。

「秋風(あきかぜ)も 未吹(いまだふ)かねば」,「ねば」有「尚未...之間」之意。

天平十二年」,西元740年,家持廿三歲。

「夏六月」,相對陽曆七月,時值夏日卻錄於秋相聞者,蓋以荻花黃葉為題所故。

1629 大伴宿禰家持贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

 叮叮 物乎念者 將言為便 將為為便毛奈之 妹與吾 手攜而 旦者 庭爾出立 夕者 床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常爾有家類 足日木能 山鳥許曾婆 峯向爾 嬬問為云 打蟬乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曾痛 其故爾 情奈具夜登 高圓乃 山爾毛野爾母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 每見 益而所思 奈何為而 忘物曾 戀云物乎

 懃(ねもころ)に 物(もの)を思(おも)へば 言(い)はむ術(すべ) 為術(せむすべ)も無(な)し 妹(いも)と我(あれ)と 手攜(てたづさは)りて 朝(あした)には 庭(には)に出立(いでた)ち 夕(ゆふへ)には 床打拂(とこうちはら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖差交(そでさしかへ)て 小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける 足引(あしひき)の 山鳥(やまどり)こそば 峰向(をむかひ)に 妻問(つまど)ひすと云(い)へ 空蟬(うつせみ)の 人(ひと)なる我(あれ)や 何(なに)すとか 一日一夜(ひとひひとよ)も 離居(さかりゐ)て 嘆戀(なげきこ)ふらむ 此處思(ここおも)へば 胸(むね)こそ痛(いた)き 其處故(そこゆゑ)に 心和(こころなぐ)やと 高圓(たかまと)の 山(やま)にも野(の)にも 打行(うちゆ)きて 遊步(あそびある)けど 花(はな)のみに 匂(にほ)ひて有(あ)れば 見(み)る每(ごと)に (ま)して偲(しの)はゆ 如何(いか)にして 忘(わす)るる物(もの)そ 戀(こひ)と云(い)ふ物(もの)を

 叮嚀誠懇切 念茲在茲思物者 何以言無據 何以無措復無方 親親妹與吾 攜手相連與偕持 每逢朝晨時 出立庭中佇屋前 每逢夕暮時 打拂寢床去塵埃 素妙白栲兮 衣袖相交供纏綿 小寢相枕夜 豈曾恒常有之耶 足曳勢險峻 山鳥高飛徘徊者 雖隔巖峰在 得以越兮訪妻矣 空蟬憂世間 浮身匹夫我者矣 何以因孰故 縱令一日終一夜 離居相隔而 戀慕悲嘆不能止 每念於茲此處者 胸懷悲慟苦相思 以念其處故 欲慰吾心紓吾懷 寧樂高圓之 山間野間遍其地 策馬出行而 遊步其中迴山野 然望彼所者 唯有花咲匂一面 除此無他矣 每觀徒畫蠎転陝『苦焦吾身 此憂如何能忘懷 所謂依戀此情哉

大伴家持 1629

「懃(ねもころ)に」,誠心誠意。或本原文作「叩叩」,此依廣麕棔紀洲本作「叮叮」。『廣韻』注,「叮,叮嚀。」

「床打拂(とこうちはら)ひ」,拍打床鋪,拂去塵埃。準備打理等待男方造訪之狀。

「白栲(しろたへ)の」,「袖(そで)」之枕詞

「小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける」,豈有安眠相寢夜,反語表現。或為將 0804 山上憶良『哀世間難住歌』中「世間や 常に在け」、「小寢し夜の 幾許も有らねば」二句結合而來。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0804

山鳥(やまどり)こそば 峰向(をむかひ)に 妻問(つまど)ひすと云(い)へ」,此云山鳥縱然雌雄相別,仍可恣意相會。反觀人類,因諸事不得相逢。

「何(なに)すとか」,何故。

「一日一夜(ひとひひとよ)も」,縱然僅別離一日一夜,亦難以平復。然語意與「小寢(さね)し夜(よ)や 常(つね)に有(あり)ける」矛盾。本歌或援引諸多慣用語而成。

「此處思(ここおも)へば」,「此處(ここ)」指以上所述之事。

「其處故(そこゆゑ)に」,以其之故。關聯至後句「遊歩(あそびある)けど」。

「心和(こころなぐ)やと」,心安氣合之狀。

「打行(うちゆ)きて」,「打(う)ち」乃「鞭打(乘馬)」之意。

「遊歩(あそびある)けど」,四處巡迴。不儘限於步行,乘馬、乘船亦可用此句。

「花(はな)のみに 匂(にほ)ひて有(あ)れば」,「匂(にほ)ひ」乃花朵美麗綻放之狀。

「戀(こひ)と云(い)ふ物(もの)を」,倒置文之主格。此云戀者蓋當如此。

1630 反歌 【承前。】

 高圓之 野邊乃容花 面影爾 所見乍妹者 忘不勝裳

 高圓(たかまと)の 野邊顏花(のへのかほばな) 面影(おもかげ)に 見(み)えつつ妹(いも)は 忘(わす)れ兼(か)ねつも

 寧樂高圓之 野邊顏花之所如 一見面影 倩容繚繞此胸中 吾妹豈能得忘懷

大伴家持 1630

「顏花(かほばな)」,亦見於2288、3505,蓋為綻放川邊之花,未詳。『物類稱呼』云:「杜若,於常陸云顏花。」然此概為生息山地之草花哉。以上二句乃接續其後三句之比喻類序文


1631 大伴宿禰家持贈安倍女郎歌一首

 今造 久邇能京爾 秋夜乃 長爾獨 宿之苦左

 今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)に 秋夜(あきのよ)の 長(なが)きに一人(ひとり) 寢(ぬ)るが苦(くる)しさ

 方今所造營 恭仁新都久邇京 孤居此宮地 獨耐秋夜長戚戚 隻身單寢心甚苦

大伴家持 1631

安倍女郎」,傳未詳。『萬葉集』0269、0505、0514題詞亦見阿倍女郎安倍女郎,而時代過古,蓋為他人

「今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)に」,久邇(恭仁)都造營,後於天平十五年十二月中止。


1632 大伴宿禰家持從久邇京,贈留寧樂宅坂上大娘歌一首

 足日木乃 山邊爾居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曾念

 足引(あしひき)の 山邊(やまへ)に居(を)りて 秋風(あきかぜ)の 日(ひ)に異(け)に吹(ふ)けば 妹(いも)をしそ思(おも)ふ

 足曳勢險峻 山邊獨居形影單 其隨秋風之 日異甼拂冷冽 思妹之情更滿盈

大伴家持 1632

「山邊(やまへ)に居(を)りて」,此山邊與1602、0769所指並為久邇京北側海住山寺所在三上山之麓邊。

「日(ひ)に異(け)に吹(ふ)けば」,(風與情念皆)隨著日復一日而更為甼。


1633 或者贈尼歌二首

 手母須麻爾 殖之芽子爾也 還者 雖見不飽 情將盡

 手(て)も濟(す)まに 植(う)ゑし萩(はぎ)にや 還(かへ)りては 見(み)れども飽(あ)かず 心盡(こころつ)くさむ

 忙碌無所休 手植秋萩芽子矣 以其情深故 百見不厭難捨離 哀悔痛心情將盡

佚名 1633

「手(て)も濟(す)まに」,雙手忙碌不休,細心照顧備至之狀。

「植(う)ゑし萩(はぎ)にや」,萩乃年輕女性之比喻。蓋僧尼將少女接來養育。

「還(かへ)りては」,反而。與期待相反之發展。或云收養之女子歸家。

「心盡(こころつ)くさむ」,思惱諸事,痛心傷情。主語乃題詞之或者(某人)。

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2017-05-24-水

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万葉集試訳

1603 【承前。】

 頃者之 朝開爾聞者 足日木篦 山呼令響 狹尾壯鹿鳴哭

 此頃(このころ)の 朝明(あさけ)に聞(き)けば 足引(あしひき)の 山呼響(やまよびとよ)め 小雄鹿鳴(さをしかな)くも

 近日此頃之 晨曦朝明豎耳者 足曳勢險峻 山中呼妻響繚繞 雄鹿鳴泣聲可聞

大伴家持 1603

 右二首,天平十五年癸未八月十五日作。

「此頃(このころ)の」,原文「頃者」乃與「比日」同意漢語表現

「山呼響(やまよびとよ)め」,下二段「響(とよ)む」與「響(とよ)もす」同。

1604 大原真人今城傷惜寧樂故鄉歌一首

 秋去者 春日山之 黃葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛

 秋去(あきさ)れば 春日山(かすがのやま)の 黃葉見(もみちみ)る 奈良都(ならのみやこ)の 荒(あ)るらく惜(を)しも

 每逢秋至者 得見春日山添色 視彼紅葉而 心惋寧樂奈良都 日漸荒廢甚憐惜

大原今城 1604

大原真人今城」,原稱今城王。

「寧樂故郷」,奈良舊京。方時遷都久邇,故云。

奈良都(ならのみやこ)の 荒(あ)るらく惜(を)しも」,「荒(あ)るらく」乃「荒(あ)る」之く句法。聖武帝遷都久邇,詩人惋惜奈良京日益荒廢之曲,亦見於6-1044

以下。當時禁五位以上者留居平城舊京,而今城時位正七位下,不相牴觸。

1605 大伴宿禰家持歌一首

 高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 曉露爾 開兼可聞

 高圓(たかまと)の 野邊秋萩(のへのあきはぎ) 此頃(このころ)の 曉露(あかときつゆ)に 咲(さ)きにけむ哉(かも)

 寧樂高圓山 也邊所生秋萩者 比日此頃之 蓋以秋爽曉露摧 花開一片滿咲哉

大伴家持 1605

「高圓(たかまと)の 野邊秋萩(のへのあきはぎ)」,坂上郎女別業在高圓山西北麓春日里。大原今城亦出身該地。本曲與前曲蓋今城至久邇京訪家持之際所唱和。

「曉露(あかときつゆ)」,凌晨之際,尚未消散之置露。


相聞

1606 額田王近江天皇作歌一首

 君待跡 吾戀居者 我屋戶乃 簾令動 秋之風吹

 君待(きみま)つと 我(あ)が戀居(こひを)れば 我(わ)が宿(やど)の 簾動(すだれうご)かし 秋風吹(あきのかぜふ)く

 待君來幸者 吾慕居宿長相思 屋戶簾蟹動 以為所歡來訪矣 竟是秋風吹蕭瑟

額田王 1606

#4-0488重出。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m04.htm#0488

1607 鏡王女作歌一首

 風乎谷 戀者乏 風乎谷 將來常思待者 何如將嘆

 風(かぜ)をだに 戀(こ)ふるは羨(とも)し 風(かぜ)をだに 來(こ)むとし待(ま)たば 何(なに)か嘆(な)げかむ

 縱為風吹簾 長相戀慕令人羨 汝可戀所歡 得待風來有望者 何以憂愁何將歎

鏡王女 1607

#4-0489重出。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m04.htm#0489

1608 弓削皇子御歌一首

 秋芽子之 上爾置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者

 秋萩(あきはぎ)の 上(うへ)に置(お)きたる 白露(しらつゆ)の 消(け)かもしな益(まし) 戀(こ)ひつつ有(あ)らずは

 不若猶秋萩 葉上所置白露之 消散不留蹤 一了百了絕命緒 勝過苦戀愁斷腸

弓削皇子 1608

白露(しらつゆ)の」,以上三句乃帶出「消(け)」字之序。

「消(け)かもしな益(まし)」,「しな」或云「死(な)」之未然形,或云「し(さ變)+な(ぬ之未然形)」。

「戀(こ)ひつつ有(あ)らずは」,「ずは」有相較於(長久受相思之苦煎熬)...不如之意。

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万葉集試訳

1582 【承前,十一第二。】

 希將見 人爾令見跡 黃葉乎 手折曾我來師 雨零久仁

 珍(めづら)しき 人(ひと)に見(み)せむと 黃葉(もみちば)を 手折(たを)りそ我(あ)が來(こ)し 雨降(あめのふ)らくに

 稀客遠方來 不亦樂乎我心歡 欲令其人見 故吾手折摘紅葉 縱令雨降不縮瑟

奈良麻呂 1582

 右二首,橘朝臣奈良麻呂。

「珍(めづら)しき」,此寓日久相逢之歡慶。「希將見」乃少見珍奇之義訓表記

「雨降(あめのふ)らくに」,「降(ふ)らく」乃「降(ふ)る」之「く」句法。

1583 【承前,十一第三。】

 黃葉乎 令落鍾禮爾 所沾而來而 君之黃葉乎 插頭鶴鴨

 黃葉(もみちば)を 散(ち)らす時雨(しぐれ)に 濡(ぬ)れて來(き)て 君(きみ)が黃葉(もみち)を 髻首(かざ)しつるかも

 秋紅葉舞散 摧落彼葉時雨零 君為所沾濡 冒雨所摘紅葉者 吾為髻首飾頭上

久米女王 1583

 右一首,久米女王

「君(きみ)が黃葉(もみち)を」,汝(奈良麻呂)所摘來之紅葉

感謝奈良麻呂好意之曲。

1584 【承前,十一第四。】

 希將見跡 吾念君者 秋山乃 始黃葉爾 似許曾有家

 珍(めづ)らしと 我(あ)が思君(おもふきみ)は 秋山(あきやま)の 初黃葉(はつもみちば)に 似(に)てこそありけれ

 稀客難常見 吾人思暮所念君 奈良麻呂矣 汝猶秋山紅葉 令人懷想見心懽

長娘 1584

 右一首,長忌寸娘。

「珍(めづ)らしと 我(あ)が思君(おもふきみ)」,此云奈良麻呂。

秋山(あきやま)の 初黃葉(はつもみちば)に」,按1591所誌日期,實景蓋難稱初紅。此當讚賞方年十七八歲之奈良麻呂之語。

長忌寸娘傳未詳,或云久米女王侍女


1585 【承前,十一第五。】

 平山乃 峯之黃葉 取者落 鍾禮能雨師 無間零良志

 奈良山(ならやま)の 嶺黃葉(みねのもみちば) 取(と)れば散(ち)る 時雨雨(しぐれのあめ)し 間無(まな)く降(ふ)るらし

 踏平草木兮 奈良山風紅葉者 欲摘則先落 蓋是時雨之雨零 綿綿無間摧葉故

縣犬養吉男 1585

 右一首,內舍人縣犬養宿禰吉男。

奈良山(ならやま)の」,原文「平山」乃借動詞「平(なら)す」語幹表記。『日本書紀崇神紀十年條:「時官軍屯聚,而蹢跙(ふみならす)草木。因以號其山曰那羅山。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki05.htm#sk05_03


1586 【承前,十一第六。】

 黃葉乎 落卷惜見 手折來而 今夜插頭津 何物可將念

 黃葉(もみちば)を 散(ち)らまく惜(を)しみ 手折來(たをりき)て 今夜髻首(こよひかざ)しつ 何(なに)か思(おも)はむ

 吾惜紅葉落 思其當折直須折 遂手摘來而 今夜插頭飾髻首 還復何思有念哉

縣犬養持男 1586

 右一首,縣犬養宿禰持男。

「何(なに)か思(おも)はむ」,豈有遺憾。已然滿足之意。

1587 【承前,十一第七。】

 足引乃 山之黃葉 今夜毛加 浮去良武 山河之鷦

 足引(あしひき)の 山黃葉(やまのもみちば) 今夜(こよひ)もか 浮行(うかびゆ)くらむ 山川(やまがはのせ)に

 足曳勢險峻 山上錦織紅葉者 今夜闌靜時 亦當舞落流行去 遍染山川渲鷙

大伴書持 1587

 右一首,大伴書持。

「浮行(うかびゆ)くらむ」,「らむ」乃現在推良語氣。眼見現今景色,推量夜闌人靜之時,紅葉悄悄散落,泛河流去之狀。


1588 【承前,十一第八。】

 平山乎 令丹黃葉 手折來而 今夜插頭都 落者雖落

 奈良山(ならやま)を 匂(にほ)はす黃葉(もみち) 手折來(たをりき)て 今夜髻首(こよひかざ)しつ 散(ち)らば散(ち)るとも

 蹢平草木兮 奈良山間萬葉紅 映山織朱錦 手折今夜來髻首 其後雖散不足惜

手代人名 1588

 右一首,三手代人名

「匂(にほ)はす」,染上美麗色彩之狀。染作赤色

「散(ち)らば散(ち)るとも」,其後省略代表放任之「よし」云云。

「三手代人名」,傳未詳。或本書「之手代」而此依神宮文庫本、細井本等作「三手代」。按『萬葉代匠記』,『續日本紀天平廿年條有「從五位夏大倭御手代連麻呂女。」云云。


1589 【承前,十一第九。】

 露霜爾 逢有黃葉乎 手折來而 妹插頭都 後者落十方

 露霜(つゆしも)に 遭(あ)へる黃葉(もみち)を 手折來(たをりき)て 妹(いも)は髻首(かざ)しつ 後(のち)は散(ち)るとも

 露霜降枝頭 置於梢上摧紅葉 吾今折彼枝 來令佳人髻其首 其後雖零不足惜

秦許遍麻呂 1589

 右一首,秦許遍麻呂。

「妹(いも)」,此云參加宴會之特定女性

「後(のち)は散(ち)るとも」,同樣為其後省略「よし」之放任語氣。

1590 【承前,十一第十。】

 十月 鍾禮爾相有 黃葉乃 吹者將落 風之隨

 十月(かみなづき) 時雨(しぐれ)に遭(あ)へる 黃葉(もみちば)の 吹(ふ)かば散(ち)りなむ 風隨(かぜのまにま)に

 十月秋風疾 時雨驟降摧黃葉 舞落散凋零 今顧吾身亦如是 隨風飄蕩落紛紛

大伴池主 1590

 右一首,大伴宿禰池主。

「黄葉(もみちば)の」,此「の」乃「のように」之意。

此歌與『古今和歌集』秋歌下286「秋風に 堪ず散りぬる 紅葉の 行方定めぬ 我ぞ悲しき」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk05.htm#286 皆以零落之紅葉比喻自身飄泊無處可歸之歎。本歌所作十九年後,大伴池主被視為橘奈良麻呂之變之首謀者之一,遭捕下獄,其後不詳。


1591 【承前,十一十一。】

 黃葉乃 過麻久惜美 思共 遊今夜者 不開毛有奴香

 黃葉(もみちば)の 過(す)ぎまく惜(を)しみ 思(おも)ふ共(どち) 遊(あそ)ぶ今夜(こよひ)は 明(あ)けずもあらぬか

 志同道相合 並惜紅葉徒凋零 欲為細賞翫 今夜與共伴相遊 還願此宵天莫明

大伴家持 1591

 右一首,內舍人大伴宿禰家持。以前,冬十月十七日,集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也。

「過(す)ぎまく惜(を)しみ」,「過(す)ぐ」表花或紅葉散落之意。

「明(あ)けずもあらぬか」,「ぬか」表冀求。

「舊宅」,所在未詳。蓋在奈良山近郊。

1592 大伴坂上郎女竹田庄作歌二首

 然不有 五百代小田乎 苅亂 田蘆爾居者 京師所念

 然(しか)と有(あ)らぬ 五百代小田(いほしろをだ)を 刈亂(かりみだ)り 田廬(たぶせ)に居(を)れば 都(みやこ)し思(おも)ほゆ

 幅員不甚廣 五百代之小田間 秋收苅亂矣 身居田廬生息時 不覺思都浸慕情

坂上郎女 1592

「然(しか)と有(あ)らぬ」,幅員不大之意。

「五百代小田(いほしろをだ)を」,代乃大化改新前所用之田積單位。五十代為一段,十段為一町。五百代蓋約一町,以貴族莊園而言規模不大。

「田廬(たぶせ)」,秋熟之際,戍守田中,防止豬鹿獸害之小屋

1593 【承前。】

 隱口乃 始鷸骸圈/付奴 鍾禮乃雨者 零爾家良思母

 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)は 色付(いろづ)きぬ 時雨雨(しぐれのあめ)は 降(ふ)りにけらしも

 盆底隱國兮 長谷三輪泊鷸魁〆始添秋色 蓋因時雨降紛紛 催熟紅葉化朱錦

坂上郎女 1593

 右,天平十一年己卯秋九月作。

「泊鷸(はつせのやま)」,蓋云三輪山、卷向山、弓月岳、穴師山之疇。此蓋指離竹田最近三輪山


1594 佛前唱歌一首

 思具禮能雨 無間莫零 紅爾 丹保敝流山之 落卷惜毛

 時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)く莫降(なふ)りそ 紅(くれなゐ)に 匂(にほ)へる山(やま)の 散(ち)らまく惜(を)しも

 時雨之雨矣 汝莫頻降繁如是 紛紛無間斷 吾憂染山化朱赭 紅葉凋散甚可惜

佚名 1594

 右,冬十月皇后宮之維摩講,終日供養大唐高麗等種種音樂,爾乃唱此歌詞。彈琴者,市原王、忍坂王。【後賜姓大原真人赤麻呂也。】歌子者,田口朝臣家守、河邊朝臣東人、置始連長谷等十數人也。

「匂(にほ)へる山(やま)の」,此云全山染作鮮豔赤色之意。

「散(ち)らまく惜(を)しも」,省略主語紅葉」。

皇后宮」,藤原不比等邸之跡地,蓋今法華寺一帶。

1595 大伴宿禰像見歌一首

 秋芽子乃 枝毛十尾二 降露乃 消者雖消 色出目八方

 秋萩(あきはぎ)の 枝(えだ)も撓(とをを)に 置露(おくつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬとも 色(いろ)に出(い)でめやも

 吾由秋萩之 撓枝置露之所如 虛渺不久長 消者雖散不留痕 豈顯於色令人察

大伴像見 1595

「枝(えだ)も撓(とをを)に」,枝葉因自重而撓屈之狀。

「置露(おくつゆ)の」,以上三句乃引出「消ぬ」之序。

「色(いろ)に出(い)で」,此云借言語、表情、行動而將秘藏心中之情感顯露於外。

本歌或當錄於秋相聞

1596 大伴宿禰家持到娘子門作歌一首

 妹家之 門田乎見跡 打出來之 情毛知久 照月夜鴨

 妹(いも)が家(いへ)の 門田(かどた)を見(み)むと 打出來(うちでこ)し 心(こころ)も著(しる)く 照(て)る月夜(つくよ)かも

 欲見妹妻之 居家宅邸門田故 出門遠道來 此心此情有所應 今宵照月寔宜哉

大伴家持 1596

「門田(かどた)を見(み)むと」,家門附近之田地。欲見心上人之藉口。


1597 大伴宿禰家持秋歌三首

 秋野爾 開流秋芽子 秋風爾 靡流上爾 秋露置有

 秋野(あきのの)に 咲(さ)ける秋萩(あきはぎ) 秋風(あきかぜ)に 靡(な)びける上(うへ)に 秋露置(あきのつゆお)けり

 蕭瑟秋野間 所咲秋萩綴其彩 冷冽秋風拂 芽子之花受風靡 晶瑩秋露置稍上

大伴家持 1597

「秋野(あきのの)に」,本歌五句之中,四句有秋字。蓋模詩中重復使用同字之手法

1598 【承前。】

 棹壯鹿之 朝立野邊乃 秋芽子爾 玉跡見左右 置有白露

 小雄鹿(さをしか)の 朝立(あさた)つ野邊(のへ)の 秋萩(あきはぎ)に 玉(たま)と見(み)る迄(まで) 置(お)ける白露(しらつゆ)

 以為牡雄鹿 朝立野邊秋荻上 所懸珠玉者 晶瑩剔透殆被欺 寔乃置梢白露

大伴家持 1598

「朝立(あさた)つ野邊(のへ)の」,「立(た)つ」乃「現身」之意。


1599 【承前。】

 狹尾壯鹿乃 胸別爾可毛 秋芽子乃 散過雞類 盛可毛行流

 小雄鹿(さをしか)の 胸別(むなわ)けに哉(かも) 秋萩(あきはぎ)の 散過(ちりす)ぎにける 盛(さか)りかも去(い)ぬる

 秋萩已凋零 散落一地是何因 蓋是雄鹿之 胸別押開闢路故 抑或盛過褪去哉

大伴家持 1599

 右,天平十五年癸未秋八月,見物色作。

「胸別(むなわ)け」,以胸元撥開草叢而前進之意。

「盛(さか)りかも去(い)ぬる」,對於秋荻散落之原因所提出之第二解。相對第一解,此為作者認定較接近現實者。

「物色」,自然之風物。


1600 內舍人石川朝臣廣成歌二首

 妻戀爾 鹿鳴山邊之 秋芽子者 露霜寒 盛須疑由君

 妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜寒(つゆしもさむ)み 盛過行(さかりすぎゆ)く

 心戀慕其妻 鹿鳴啼泣山邊之 秋萩芽子者 置梢露霜凍寒故 盛過轉俄既凋逝

石川廣成 1600

「鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)の」,此山邊與後曲(1603)所述同指京都相樂郡加茂町例幣之久邇京北側海住山寺所在三上山之麓邊。


1601 【承前。】

 目頰布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母

 珍(めづら)しき 君(きみ)が家(いへ)なる 花薄(はなすすき) 穂(ほ)に出(いづ)る秋(あき)の 過(す)ぐらく惜(を)しも

 愛也令人慕 君之屋戶宅邸間 所生花芒者 尾花出穗應風撓 其秋將過甚可惜

石川廣成 1601

「珍(めづら)しき 君(きみ)が家(いへ)なる」,此君指大伴家持

「花薄(はなすすき)」,或本作「はだすすき」,未詳。


1602 大伴宿禰家持鹿鳴歌二首

 山妣姑乃 相響左右 妻戀爾 鹿鳴山邊爾 獨耳為手

 山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで) 妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)に 獨(ひとり)のみして

 山彥妣姑之 木靈迴響之所如 鹿苦相思情 戀妻啼泣聲繚繞 獨佇山邊形影孤

大伴家持 1602

「山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで)」,山彥乃回音之擬人表現

「妻戀(つまご)ひに 鹿鳴(かな)く山邊(やまへ)に」,蓋承石川廣成1600前二句之表現

「獨(ひとり)のみして」,此「して」乃「ありて」之意,其下省略「寂しい」云云。當時家持身居久邇京,與其妻大孃相隔兩地。

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2017-04-25-火

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■『神社百景』のナレーション

其れ日本の伝統其れ日本人の心、

其れは古から受け継い、未来へと手渡す日本の宝。

神神が創るし、厳(おごそ)かなる悠遠な世界ヘ導かん、

神社百景、Grace of japan

山に、海に、町に、信仰ある所に社が鎮在し、我々を守り続けてきました。

日本が誇る四季折々の美しき自然、幾千年大切にしてきた気高き真秀ろばへとご案内します。

さぁ、心を静め、微風に、木々のさわめきに、浪の音色に、神々を感じましょう。

イザ、八百万の神々へに迎え。

其処にお鎮まりに成る神神が、私達の声を聞き、祈りを聞き、

何時でも安らぎを、勇気を、感謝する気持ちを、与えてくれます。

そうこの地は、千代に護りたい輝ける真秀らば、子々孫々愛され続ける日本人の心の故郷

神社百景、Grace of JAPAN

鳥居を潜れば、心清まる静寂な世界

差し込む木間陽射、鳥たちの歌声、踏みしめる玉砂利の音。

目を閉じれば動き出す古からの神々の物語、耳を澄ませば聞こえる未來永劫續く魂の調べ。

此處は、万物に宿る八百万の神々が鎮在する、私たち日本人の原点。

さぁ、ご一緒に參りましょう。

日本人が幾千年に渡り守り続けてきた神事の森へ、

八千代後世へと受け繼ぎたい、心の真秀ろばへ。



万葉集試訳

1558 【承前,第二。】

 鶉鳴 古鄉之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞

 鶉鳴(うづらな)く 古(ふ)りにし鄉(さと)の 秋萩(あきはぎ)を 思人共(おもふひとどち) 相見(あひみ)つるかも

 草深鶉鳥鳴 飛鳥舊京故鄉之 秋萩芽子矣 相思志同者與共 並見端翫賞其花

沙彌尼 1558

「鶉鳴(うづらな)く」,「古し」、「古る」之枕詞。以鶉習出沒草深荒漫之處而言。

「古(ふ)りにし鄉(さと)の」,故鄉。此云飛鳥舊京。

「思人共(おもふひとどち)」,志同道合之人。「共(どち)」乃表「與共」意思之連用修辭格。

1559 【承前,第三。】

 秋芽子者 盛過乎 徒爾 頭刺不插 還去牟跡哉

 秋萩(あきはぎ)は 盛過(さかりす)ぐるを 徒(いたづら)に 髻首(かざし)に插(さ)さず 歸(かへ)りなむと哉(や)

 芽花秋萩者 盛華之時既已過 是以徒來訪 不為髻首不插頭 無為歸去別離

沙彌尼 1559

 右二首,沙彌尼等。

「徒(いたづら)に」,空虛、無為

「髻首(かざし)」,以花插頭為飾,暗喻男女相交。

「歸(かへ)りなむと哉(や)」,誘引1557作者丹比國人等之語。


1560 大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首

 妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目

 妹(いも)が目(め)を 始見崎(みそめのさき)の 秋萩(あきはぎ)は 此月頃(このつきごろ)は 散(ちり)こす莫努(なゆめ)

 吾妹目睛兮 始見之崎秋萩者 欲令佳人觀 還冀今月此頃間 莫輙散華莫凋零

坂上郎女 1560

「妹(いも)が目(め)を」,「始見(みそめ)」之枕詞

「始見崎(みそめのさき)」,所在未詳。或書「跡見」者蓋訛。

「此月頃(このつきごろ)」,這陣子。時間感覺上較表最近數日之「此頃(このごろ)」更長。

「散(ちり)こす莫努(なゆめ)」,切莫急於散落。


1561 【承前。】

 吉名張乃 豬養山爾 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登聞思佐

 吉隱(よなばり)の 豬養山(ゐかひのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)を 聞(き)くが羨(とも)しさ

 初鶺誹之 豬養山間伏鹿矣 切切啼高鳴 吾聞彼鹿喚妻聲 不覺稱羨怨獨寢

坂上郎女 1561

「伏鹿(ふすしか)」,伏乃藏身之意。鹿之習性,白日匿身草叢之後。

「聞(き)くが羨(とも)しさ」,作者深居莊園孤寢,獨守空閨,想像伏鹿呼妻,自然稱羨。


1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首

 誰聞都 從此間鳴渡 鴈鳴乃 嬬呼音乃 乏知在乎

 誰聞(たれき)きつ 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る 雁(かり)が音(ね)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)の 羨(とも)しくもあるを

 誰人可曾聞 飛雁經此越鳴渡 所啼喚妻聲 吾聞彼聲響切切 不覺興感盼君來

巫部麻蘇娘子 1562

「誰聞(たれき)きつ」,此有「君可聞哉」之意。

「羨(とも)しくもあるか」,原文「乏知在乎」諸本作「之知左守」難訓,案『萬葉集略解』引本居宣長說則為「乏蜘在可」之訛。然詠嘆文末助詞「か」之主語連接詞採「の」者,稍微悖理。此從宣長說而將「守」視為「乎」之訛。又「知」乃「蜘」之省劃借訓。

此曲,借雁聲期待家持來訪,指謫其不來誂訕之歌。

1563 大伴家持和歌一首 【承前。】

 聞津哉登 妹之問勢流 鴈鳴者 真毛遠 雲隱奈利

 聞(き)きつやと 妹(いも)が問(と)はせる 雁(かり)が音(ね)は 真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)

 汝問可聞哉 鳴雁之音誠渺遠 十里霧之後 雲隱發鳴聲難辨 不知真心作何想

大伴家持 1563

「真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)」,相較前曲,此云雁聲渺遠不清,更匿雲端之後,難以分辨。承前之可聞雁聲之問,回答或嫌冷漠,然亦可解作家持難知麻蘇娘子真心,故怯步不前,不敢輕易造訪。


1564 日置長枝娘子歌一首

 秋付者 尾花我上爾 置露乃 應消毛吾者 所念香聞

 秋付(あきづ)けば 尾花(をばな)が上(うへ)に 置露(おくつゆ)の 消(け)ぬべくも我(あれ)は 思(おも)ほゆるかも

 每逢時值秋 尾花置露將消散 吾身猶水露 虛渺無常近毀滅 念君我心若刀割

日置長枝娘子 1564

「日置長枝娘子」,傳未詳。按『新撰姓氏錄』「日置朝臣」當『古事記』「幣岐君」。

「秋付(あきづ)けば」,秋色已添,表環鏡呈現秋日之樣貌。

「置露(おくつゆ)の」,以上乃引出「消」字之序文

「消(け)ぬべくも我(あれ)は」,心痛至極,寧願消亡之情。

類歌錄於2246秋相聞。文中有「消(け)ぬべく思(おも)ほゆ」者皆屬相聞曲。


1565 大伴家持和歌一首 【承前。】

 吾屋戶乃 一村芽子乎 念兒爾 不令見殆 令散都類香聞

 我(わ)が宿(やど)の 一群萩(ひとむらはぎ)を 思(おも)ふ兒(こ)に 見(み)せず殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも

 吾宿屋戶間 群簇秋萩芽子花 雖欲示伊人 未及令人翫見間 殆將零落盡消散

大伴家持 1565

「思(おも)ふ兒(こ)」,作者大伴家持思念之人,此云日置長枝娘子

「殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも」,期望在花散之前可令佳人觀看。或在散盡之前終於令人觀之。

1566 大伴家持秋歌四首

 久堅之 雨間毛不置 雲隱 鳴曾去奈流 早田鴈之哭

 久方(ひさかた)の 雨間(あまま)も置(お)かず 雲隱(くもがく)り 鳴(な)きそ行(ゆ)くなる 早稻田雁(わさだかり)が音(ね)

 遙遙久方兮 頻雨綿綿無息時 雲隱匿鳴去 早稻田雁發聲泣 朦朧渺遠苅田

大伴家持 1566

「早稻田雁(わさだかり)が音(ね)」,翱翔早稻田上之飛雁。「雁(かり)」與「苅(かり)」字雙關。


1567 【承前,第二。】

 雲隱 鳴奈流鴈乃 去而將居 秋田之穗立 繁之所念

 雲隱(くもがく)り 鳴(な)くなる雁(かり)の 行(ゆ)きて居(ゐ)む 秋田穗立(あきたのほたち) 繁(しげ)くし思(おも)ほゆ

 隱身匿雲後 啼鳴越虛飛雁者 去而將居之 秋田穗立繁所猶 吾念伊人頻如斯

大伴家持 1567

秋田穗立(あきたのほたち)」,豎於秋田中之稻穗。引出「繁」字之序。

「繁(しげ)くし思(おも)ほゆ」,此云思念伊人之濃情密密,頻繁無間斷之狀。


1568 【承前,第三。】

 雨隱 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利

 雨隱(あまごも)り 心欝悒(こころいぶせ)み 出見(いでみ)れば 春日山(かすがのやま)は 色付(いろづ)きにけり

 避雨隱家中 此心不快情欝悒 出門望見者 寧樂奈良春日山 既染秋色織錦紅

大伴家持 1568

「雨隱(あまごも)り」,因連雨不停,故滯居家中

「心欝悒(こころいぶせ)み」,鬱悶不快


1569 【承前,第四。】

 雨𣋠而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引

 雨晴(あめは)れて 清(きよ)く照(て)りたる 此月夜(このつくよ) 亦更(またさら)にして 雲莫棚引(くもなたなび)き

 久盼雨方晴 清冽照臨此月夜 吾惜彼宵景 還願叢雲能識趣 莫更棚引遮明月

大伴家持 1569

 右四首,天平八年丙子秋九月作。

「雨晴(あめは)れて」,「晴(は)れ」原文「𣋠」者,不見於漢籍。蓋混「霽」、「晴」而成。


1570 藤原朝臣八束歌二首

 此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曾乎流

 此間在(ここにあ)りて 春日(かすが)や何處(いづち) 雨障(あまつつ)み 出(いで)て行(ゆ)かねば 戀(こ)ひつつそ居(を)る

 身居在此間 春日山者在何方 雨障囚屋內 閉門戶中不得出 唯有思慕盡終日

藤原八束 1570

「此間(ここ)」,蓋指作者近於平城京之宅邸。此間乃漢籍俗語用法

春日(かすが)や何處(いづち)」,「何處(いづち)」乃有關方角之疑問代名詞春日山為雨雲遮蔽,不知在何方。

「雨障(あまつつ)み」,擔心被雨零濕而避居家中

「戀(こ)ひつつそ居(を)る」,對象語乃春日山景色

1571 【承前。】

 春日野爾 鍾禮零所見 明日從者 黃葉頭刺牟 高圓乃山

 春日野(かすがの)に 時雨降(しぐれふ)る見(み)ゆ 明日(あす)よりは 黃葉髻首(もみちかざ)さむ 高圓山(たかまとのやま)

 今見春日野 野間時雨降雰雰 蓋自明日起 紅葉髻首插頭飾 高圓山兮妝韓紅

藤原八束 1571

「黃葉髻首(もみちかざ)さむ」,主語乃高圓山。擬人句法。

1572 大伴家持白露歌一首

 吾屋戶乃 草花上之 白露乎 不令消而玉爾 貫物爾毛我

 我(わ)が宿(やど)の 尾花上(をばながうへ)の 白露(しらつゆ)を 消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが

 吾庭屋戶間 尾花上白露矣 願汝莫易散 珠玉晶瑩更剔透 冀能貫之作數珠

大伴家持 1572

白露(しらつゆ)を」,此乃「消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが」欲求之對象。此類句法多用「は」字,用「を」者唯1878與此曲爾。

1573 大伴利上歌一首

 秋之雨爾 所沾乍居者 雖賎 吾妹之屋戶志 所念香聞

 秋雨(あきのあめ)に 濡(ぬ)れつつ居(を)れば 賤(いや)しけど 我妹(わぎも)が宿(やど)し 思(おも)ほゆるかも

 秋雨降紛紛 萬物沾濡寂侘時 此心之所至 吾妹之宿雖卑賤 令人相思慕不止

大伴利上 1573

「大伴利上」,傳不詳。「利上」讀音有「としかみ」與「とかみ」等說,或云「大伴村上」之訛。

「濡(ぬ)れつつ居(を)れば」,此歌蓋幽居自宅所詠贈哉。

「賤(いや)しけど」,「賤(いや)しけ」乃形容詞「賤(いや)し」之已然形。此概引用對方謙遜之言。

「思(おも)ほゆるかも」,望能在戀人家中一同相過。

1574 右大臣橘家宴歌七首 【七首第一。】

 雲上爾 鳴奈流鴈之 雖遠 君將相跡 手迴來津

 雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の 遠(とほ)けども 君(きみ)に逢(あ)はむと 迂迴來(たもとりき)つ

 吾猶雲之上 所鳴越度飛雁矣 路途雖遙遠 為得拜眉與君逢 不辭曲折參來也

高橋安麻呂 1574

「雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の」,引出「遠(とほ)」之序。「なる」乃傳聞推定語「なり」。

「君(きみ)」,此云橘諸兄

「迂迴來(たもとりき)つ」,「迂迴(たもとり)」乃迂迴、停滯、難涉之意。

1575 【承前,七首第二。】

 雲上爾 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黃變可毛

 雲上(くものうへ)に 鳴(な)きつる雁(かり)の 寒(さむ)きなへ 萩下葉(はぎのしたば)は 黃變(もみち)ぬるかも

 吾聞雲之上 鳴雁飛度虛空間 其聲實冽寒 不覺秋芽萩下葉 已然黃變染韓紅

高橋安麻呂 1575

 右二首。【闕文。】

「鳴(な)きつる雁(かり)の」,此句「雁」有「雁が音」之意。

「黃變(もみち)ぬるかも」,「ぬ」乃表現象開始作用之語法。


1576 【承前,七首第三。】

 此岳爾 小壯鹿履起 宇加埿良比 可聞可聞為良久 君故爾許曾

 此岡(このをか)に 雄鹿踏起(をしかふみおこ)し 竊狙(うかねら)ひ 左右(かもか)もすらく 君故(きみゆゑ)にこそ

 此崗丘之上 踏蹴以驚雄鹿起 竊狙望聲色 如此奮努所以者 皆為慕君思汝故

巨曾倍津嶋 1576

 右一首,長門守巨曾倍朝臣津嶋。

「竊狙(うかねら)ひ」,埋伏等待獵物出現與時機到來。與「伺う」同源,注意觀察對方顏色、動向,以察其心意。以上乃引出「左右(かもか)もすらく」之序。

「左右(かもか)もすらく」,「左右(かもか)も」原文或作「可聞可開」,此依『萬葉代匠記』校之。


1577 【承前,七首第四。】

 秋野之 草花我末乎 押靡而 來之久毛知久 相流君可聞

 秋野(あきのの)の 尾花(をばな)が末(うれ)を 押靡(おしな)べて 來(こ)しくも著(しる)く 逢(あ)へる君(きみ)かも

 跋涉秋野間 押靡芒草尾花梢 翻山闢路來 不辭足勞有所報 得與君逢見紅顏

阿倍蟲麻呂 1577

「押靡(おしな)べて」,推開漫草,踏破闢路之狀。

「來(こ)しくも著(しる)く」,「著(しる)く」指努力有所回報、效驗。

1578 【承前,七首第五。】

 今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付爾家類

 今朝鳴(けさな)きて 行(ゆ)きし雁(かり)が音(ね) 寒(さむ)みかも 此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける

 蓋以今朝聞 鳴行大空飛雁音 其聲冷冽故 此野淺茅上秋妝 始著暮色褪黃變

阿倍蟲麻呂 1578

 右二首,阿倍朝臣蟲麻呂。

「此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける」,茅草於晚秋轉為赤褐色


1579 【承前,七首第六。】

 朝扉開而 物念時爾 白露乃 置有秋芽子 所見喚雞本名

 朝戶開(あさとあ)けて 物思(ものおも)ふ時(とき)に 白露(しらつゆ)の 置(お)ける秋萩(あきはぎ) 見(み)えつつ故無(もとな)

 晨曦開朝戶 沉浸物念憂思時 瞥見白玉露 所置秋萩入眼簾 矇矓無由令人惱

文馬養 1579

「見(み)えつつ故無(もとな)」,「故無(もとな)」表無故、無由,用於對對方不故本身感受而困惑表現。無論對象是人或景物,依觀者情緒有不識時務之感皆可使用。「つつ」原文「喚雞」乃借由呼雞之聲與朝戶相映之戲書表現

1580 【承前,七首第七。】

 棹壯鹿之 來立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎

 小壯鹿(さをしか)の 來立鳴(きたちな)く野(の)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜負(つゆしもお)ひて 散(ち)りにし物(もの)を

 小壯牡雄鹿 來佇喚妻啼鳴響 野間秋荻矣 其芽子花負露霜 不堪凋零散去也

文馬養 1580

 右二首,文忌寸馬養。

天平十年戊寅秋八月廿日。

「露霜(つゆしも)」,露之雅語。

「散(ち)りにし物(もの)を」,「物(もの)を」乃逆接接續助詞。或用於文末詠嘆,而此則用為接序上二句之氣氛。


1581 橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首 【十一第一。】

 不手折而 落者惜常 我念之 秋黃葉乎 插頭鶴鴨

 手折(たを)らずて 散(ち)りなば惜(を)しと 我(あ)が思(おも)ひし 秋黃葉(あきのもみち)を 髻首(かざし)つるかも

 吾常有所思 紅葉當折直須折 不手折之間 飄散零落令人惜 故攀秋紅以髻首

奈良麻呂 1581

「手折(たを)らずて」,此有與志同道合者共攀紅葉,設宴風流之意。

主人對來宴者招呼之曲。

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2017-04-12-水

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万葉集試訳

1543 三原王歌一首

 秋露者 移爾有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者

 秋露(あきのつゆ)は 移(うつ)しにありけり 水鳥(みづどり)の 青葉山(あをばのやま)の 色付(いろづ)く見(み)れば

 凝甘秋露矣 蓋是捺移染料哉 濃竸緜姿臓\塚嫻兄該黃變 遍染火紅望眼簾

三原王 1543

「移(うつ)し」,此云捺染之時所用之移染色紙之類。

「水鳥(みづどり)の」,「青葉」之枕詞。此以味鴨羽色濃兌來。

1544 湯原王七夕歌二首

 牽牛之 念座良武 從情 見吾辛苦 夜之更降去者

 彥星(ひこほし)の 思(おもひま)すらむ 心(こころ)より 見(み)る我苦(われくる)し 夜(よ)の更往(ふけゆ)けば

 雖知古昔話 較於惻隱彥星情 見彼牽牛星 吾人心苦逢鹵察^ダ望去夜將更

湯原王 1544

「見(み)る我苦(われくる)し」,「我」指身在地上,仰望銀河之作者。

雖知牛郎織女相離之故事,然較於對牛郎之同情,作者更苦於自身與戀人逢晤春宵之須臾。

1545 【承前。】

 織女之 袖續三更之 五更者 河麈慶畆圈”毀友吉

 織女(たなばた)の 袖繼(そでつ)ぐ夕(よひ)の 曉(あかとき)は 川鹹(かはせのたづ)は 鳴(な)かずとも良(よ)し

 織女繼其袖 相寢纏綿此宵之 逢鷂緜者 川麈慶疂慌譱福‘鯒鳴啼急報曉

湯原王 1545

「織女(たなばた)の 袖繼(そでつ)ぐ夕(よひ)の」,織女、牛郎交腕纏眠之狀。「夕(よひ)」,原文「三更」約子時之謂。

「川鹹(かはせのたづ)は 鳴(な)かずとも良(よ)し」,呼籲銀河川邊之鴨,莫急於報曉催人別離

1546 市原七夕歌一首

 妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類

 妹所(いもがり)と 我(わ)が行道(ゆくみち)の 川(かは)し有(あ)れば 付目結(つくめむす)ぶと 夜(よ)そ更(ふ)けにける

 欲往吾妹許 我所行道路途上 銀河阻其中 手結付目整楫間 不覺此夕夜將更

市原王 1546

「妹所(いもがり)と」,「所(がり)」表地點,「と」乃「とて」之意。

「我(わ)が行道(ゆくみち)の 川(かは)し有(あ)れば」,「の」乃同位格,亦及需越銀河方能與妻聚首。

「付目結(つくめむす)ぶと」,「付目(つくめ)」乃繫於船槳上以利手握之把柄。

雖說欲訪妻子居所,卻受天川阻隔。準備發船之間,夜以將更,心念春宵苦短,令人焦急如焚。擬牛郎一年只得一度相逢一度之情。

1547 藤原朝臣八束歌一首

 棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手爾將卷知布

 小雄鹿(さをしか)の 萩(はぎ)に貫置(ぬきお)ける 露白玉(つゆのしらたま) 輙爾(あふさわ)に 誰人(たれのひと)かも 手(て)に卷(ま)かむちふ

 見彼小雄鹿 貫置萩枝露白玉 晶瑩剔透耀含光 輒爾有所思 當贈誰人為手纏 形單影隻愁孤苦

藤原八束 1547

「萩(はぎ)に貫置(ぬきお)ける 露白玉(つゆのしらたま)」,以凝結萩枝之露珠,擬作美玉之鏈。又擬其為雄鹿所為

「輙爾(あふさわ)に」,輕易地、未深思熟慮之。醍醐寺三寶院藏『大毗盧遮那成佛經疏』,以「輙爾」訓「あふさわ」。

「ちふ」,「と云(い)ふ」之略。

旋頭歌格式。

1548 大伴坂上郎女晚芽子歌一首

 咲花毛 乎曾呂波猒 奧手有 長意爾 尚不如家里

 咲花(さくはな)も 早熟(をそろ)は厭(いとはし) 晚芽(おくて)なる 長心(ながきこころ)に 尚及(なほし)かずけり

 縱令咲花矣 早熟性急令人厭 尚不及晚芽 遲咲妍花寄風情 長心靜待更添趣

坂上郎女 1548

早熟(をそろ)は厭(いとはし)」,「早熟(をそろ)」乃性急之意。「厭(いとはし)」乃「厭(いと)ふ」之形容詞形。

「晚芽(おくて)」,遲咲、晚成種。

「長心(ながきこころ)に」,秋荻不疾不徐,靜待時機成熟之心。


1549 典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄作歌一首

 射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者將去 寧樂人之為

 射目立(いめた)てて 跡見岡邊(とみのをか)への 撫子花(なでしこがはな) 莖手折(ふさたを)り 我(あれ)は持(も)ちて行(い)く 奈良人(ならひと)の為(ため)

 屏息豎射目 匿身跡見岡邊之 瞿麦石竹撫子花 手折摘其莖 吾今取花將持去 奉為身居奈良

紀鹿人 1549

「典鑄正」,典鑄司長官,相當正六位上。典鑄司掌鑄造金銀銅鐵,製作玻璃,以及工人名籍等。

「衛門大尉」,衛門府第三等官,相當從六位下。衛門府掌宮門禁衛、取締出入、禮儀,定時巡檢。

「跡見庄」,大伴氏築於跡見之莊園。大伴稻公之姊坂上郎女於收穫農忙之時訪此地,詠歌贈其女大孃。

「射目立(いめた)てて」,地名「跡見(とみ)」之枕詞。射目乃獵人為射擊獵物,用以隱身之遮蔽物。跡見乃借動物足跡推測所在,或執行追跡者

「莖手折(ふさたを)り」,「莖(ふさ)」乃將花、實繫成一束之狀態。『東大寺諷誦文稿』云:「莖,ふさ。」


1550 湯原王鳴鹿歌一首

 秋芽之 落乃亂爾 呼立而 鳴奈流鹿之 音遙者

 秋萩(あきはぎ)の 散(ち)りの亂(まが)ひに 呼立(よびた)てて 鳴(な)くなる鹿(しか)の 聲遙(こゑのはる)けさ

 芽花秋萩之 零落紛亂此地間 喚妻誘其立 雄鹿鳴啼猶泣血 蕭瑟之聲遙可聞

湯原王 1550

「散(ち)りの亂(まが)ひに」,花草散落紛亂之之狀,或其場所

「呼立(よびた)てて」,呼喚雌鹿令其出立。引誘潛匿藪中之雌鹿出面。

1551 市原王歌一首

 待時而 落鍾禮能 雨零收 開朝香 山之將黃變

 時待(ときま)ちて 降(ふ)れる時雨(しぐれ)の 雨止(あめや)みぬ 明(あ)けむ朝(あした)か 山黃變(やまのもみ)たむ

 待時而機熟 零落時雨降甘霖 且今雨已止 明日之朝晨曦時 山亦黃變織錦紅

市原王 1551

「雨止(あめや)みぬ」,終止形,已止。原文零收,亦即雨停。

「山黃變(やまのもみ)たむ」,表青葉轉紅之四段活用形。


1552 湯原王蟋蟀歌一首

 暮月夜 心毛思努爾 白露乃 置此庭爾 蟋蟀鳴毛

 夕月夜(ゆふづくよ) 心(こころ)も繁(しの)に 白露(しらつゆ)の 置(お)く此庭(このには)に 蟋蟀鳴(こほろぎな)くも

 暮月晚夕夜 情意紊亂緒千頭 心煩悲物憂 白露降置此庭中 蟋蟀鳴兮聲蕭瑟

湯原王 1552

夕月夜(ゆふづくよ)」,夕月懸空之夜。

「心(こころ)も繁(しの)に」,「繁(しの)に」表繁盛無間隙之狀。無論耳聞何事、眼見何物,皆觸景生情,心煩意沉之狀。



1553 衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首

 鍾禮能雨 無間零者 三笠山 木末歷 色附爾家里

 時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)くし降(ふ)れば 三笠山(みかさやま) 木末遍(こぬれあまね)く 色付(いろづ)きにけり

 以其時雨者 無間不斷常零故 御蓋三笠山 木末樹梢無餘處 一一變色著韓紅

大伴稻公 1553

「木末遍(こぬれあまね)く」,在一定範圍內廣遍所及之狀。原文「歷」字乃「悉」之意。

1554 大伴家持和歌一首 【承前。】

 皇之 御笠乃山能 秋黃葉 今日之鍾禮爾 散香過奈牟

 大君(おほきみ)の 三笠山(みかさのやま)の 秋黃葉(あきもみち) 今日時雨(けふのしぐれ)に 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 吾皇大君之 乘輿御蓋三笠山 山間秋黃葉 身受今日時雨摧 蓋將零落散盡哉

大伴家持 1554

「大君(おほきみ)の」,「三笠(みかさ)」之枕詞,以三笠與御蓋同音之故。

「秋黃葉(あきもみち)」,或有「秋黃葉(あきのもみち)」與「秋黃葉(もみちばは,視秋為不讀字)」等說。


1555 安貴王歌一首

 秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母

 秋立(あきた)ちて 幾日(いくか)も有(あ)らねば 此寢(このね)ぬる 朝明風(あさけのかぜ)は 手本寒(たもとさむ)しも

 自立秋以來 未經幾日時不遠 此寢甚好眠 朝明之風帶清冽 呼嘯秋意手腕寒

安貴王 1555

「幾日(いくか)も有(あ)らねば」,未經幾時日未遠。

「此寢(このね)ぬる」,『古今和歌集』神遊歌有「水莖の 岡の屋形に 妹と我と 寢ての朝けの 霜の降りはも」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk20.htm#1072 『日葡辭書』云:「不在意時間恣意好眠。詩歌語。」

「手本(たもと)」,手腕。

1556 忌部首酲穗げ琉貅

 秋田苅 借蘆毛未 壞者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二

 秋田刈(あきたか)る 假廬(かりいほ)も未(いま)だ 壞(こほ)たねば 雁(かり)が音寒(ねさむ)し 霜(しも)も置(お)きぬがに

 秋田苅熟穗 所設假廬仍外壞 立秋時不久 雁音已寒喚淒涼 凍霜將置訴蕭瑟

忌部酲穗ぁ1556

「假廬(かりいほ)」,為耕作而臨時搭設之小屋

「壞(こほ)たねば」,一般收穫終了後,將拆解假廬。

「雁(かり)が音寒(ねさむ)し」,述鴈鳴寒者,多見於漢籍

1557 故鄉豐浦寺之尼私房宴歌三首

 明日香河 逝迴丘之 秋芽子者 今日零雨爾 落香過奈牟

 明日香川(あすかがは) 行迴(ゆきみ)る岡(をか)の 秋萩(あきはぎ)は 今日降(けふふ)る雨(あめ)に 散(ち)りか過(す)ぎなむ

 明日香之川 飛鳥河水所行迴 此岡秋萩者 今日雨降摧花落 蓋將凋零散盡歟

丹比國人 1557

 右一首,丹比真人國人。

「故鄉」,飛鳥舊都。

明日香川(あすかがは) 行迴(ゆきみ)る岡(をか)の」,蓋云甘橿丘。飛鳥川迂迴此丘,以逆L字形環繞之。『和州五郡神社神名帳大略注解』:「帳云,治田神社一座,在逝迴鄉小墾田村。」鄉名蓋自此地形而來。

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2017-03-28-火

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宮田登『ヒメの民俗学』 祭りと女の力

 福島市松川町金沢の羽山籠りの行事は、女人禁制で知られている。すべては羽山に住む神の意志で決せられるのである。その意志託宣によって人々に伝えられるので、その託宣を聞く機会が毎年旧十一月中旬に行なわれた。羽山籠りと呼ばれているように、お籠りが中心となる。この際、籠り屋の神聖な炉の火を囲んで、男達だけが集まっており、所謂お別火の生活に入る。その間の食事はすべて男性が行なうのである

 村の女性達は、男達が其処に籠っている間、近づく事を避けており、中で何が行なわれているのか預かり知らないのである。七、八年前に、偶々卒業論文のデーマにした東京女子大生が、羽山籠りの儀礼を実見したいと思い、申し入れたが勿論神の拒否に会ってしまった。そこで一計を案じて、其処に籠りをしている村の若者の一人に頼み込み、本人は外に待ちながら、情報を伝えて貰ったという。丁度冬の真最中とて、雪も降り始めていて寒い夜であったが、二時間置き位に、頼まれた若者がいるのだと教え、それを女子学生ノートした。勿論これが男子学生だったら、他の男たちと同様に、精進潔斎の生活を送る条件で、中に入れて貰えたのであろう。祭りの始めから、女は参加出来ないと、人々は永い間信じてきているのだが、ここにおかしいな事がある。

 それは、籠り屋に入っている男たちの夫々名称女性に対する呼称である事だ。例えば、お籠りの最中の実務を担当する責任者をオガッカア、その後見人をバッバァ、補佐役にワカオッカア、その下にヨメ等がいる。これらの呼称は、家の女性に対するものであるが、二十名近い男ばかりの集団生活の間中、男同士で「オガツカァ」とか、「バッバァ」と言い合っている訳だ。

 この事は一体何を意味しているのだろう。

 祭りに伴う物忌精進に於いては、不浄な女を近づげないという一方的原則を男性社会が取決めてはいるが、男だけではどうしても物事が成り立たないという祭りの仕方があったのではないか。霊的な力の役割男性側に委譲してしまった後でも、形骸化した姿であるけれど、女の役割を何所かに殘しているのである。羽山籠りでは、男が女の代行をさせられているようである。男が女言葉を使い、右往左往しながら食事を作ったり、演技をしたりりする背後には、強烈な女の力が働いているのではなかろうか。



万葉集試訳

1504 高安歌一首

 暇無 五月乎尚爾 吾妹兒我 花橘乎 不見可將過

 暇無(いとまな)み 五月(さつき)を尚(すら)に 我妹子(わぎもこ)が 花橘(はなたちばな)を 見(み)ずか過(す)ぎなむ

 忙碌苦無暇 五月時節尚不休 吾妹子宿間 端午花橘綻紛紛 無緣觀之而將過

高安王 1504

「五月(さつき)を尚(すら)に」,「すらに」表「尚連」,與『竹取物語』「行方そらも覺えず」之「そら」同源,具「空虛」之性詞。「を」字連接末句「過(す)ぐ」。


1505 大神女郎大伴家持歌一首

 霍公鳥 鳴之登時 君之家爾 徃跡追者 將至鴨

 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きし輙(すなは)ち 君(きみ)が家(いへ)に 行(ゆ)けと追(お)ひしは 至(いた)るらむ哉(かも)

 杜鵑霍公鳥 所啼發鳴之登時 吾命彼鳥之 徃去汝家而追行 如今蓋可將至哉

大神女郎 1505

「鳴(な)きし輙(すなは)ち」,「輙(すなは)ち」表即刻、當下。原文「登時」乃漢籍俗語之用法。

1506 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首

 古鄉之 奈良思乃岳能 霍公鳥 言告遣之 何如告寸八

 故鄉(ふるさと)の 奈良思岡(ならしのをか)の 霍公鳥(ほととぎす) 言告遣(ことつげや)りし 何如(いか)に告(つ)げきや

 飛鳥舊京之 故鄉奈良思之岡 杜鵑霍公鳥 吾遣彼鳥告傳言 口訊相遞遞如何

田村大孃 1506

「故鄉(ふるさと)の」,平城遷都後之飛鳥藤原舊京。

奈良思岡(ならしのをか)の」,所在未詳。或云與1466「毛無岡」同處。存疑。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1466

「何如(いか)に告(つ)げきや」,描述自身託言杜鵑,不知杜鵑如何傳言。「何如(いか)に」表以何種方式、何種內容。


1507 大伴家持橘花,贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

 伊加登伊可等 有吾屋前爾 百枝刺 於布流橘 玉爾貫 五月乎近美 安要奴我爾 花咲爾家里 朝爾食爾 出見毎 氣緒爾 吾念妹爾 銅鏡 清月夜爾 直一眼 令覩麻而爾波 落許須奈 由米登云管 幾許 吾守物乎 宇禮多伎也 志許霍公鳥 曉之 裏悲爾 雖追雖追 尚來鳴而 徒 地爾令散者 為便乎奈美 攀而手折都 見末世吾妹

 嚴(いか)と嚴(いか)と 在(あ)る我(わ)が宿(やど)に 百枝刺(ももえさ)し 生(お)ふる橘(たちばな) 玉(たま)に貫(ぬ)く 五月(さつき)を近(ちか)み 零(あ)えぬがに 花咲(はなさ)きにけり 朝(あさ)に日(け)に 出見(いでみ)る每(ごと)に 息緒(いきのを)に 我(あ)が思(おも)ふ妹(いも)に 真十鏡(まそかがみ) 清月夜(きよきつくよ)に 唯一目(ただひとめ) 見(み)する迄(まで)には 散(ち)りこす勿(な) 努(ゆめ)と言(い)ひつつ 幾許(ここだく)も 我(わ)が守(も)る物(もの)を 慨(うれた)きや 醜霍公鳥(しこほととぎす) 曉(あかとき)の 衷悲(うらがな)しきに 追(お)へど追(お)へど 尚(なほ)し來鳴(きな)きて 徒(いたづら)に 地(つち)に散(ち)らさば 術(すべ)を無(な)み 攀(よ)ぢて手折(たを)りつ 見(み)ませ我妹子(わぎもこ)

 莊嚴遼闊哉 廣大吾宿庭院間 百枝欣向榮 所生非時香橘矣 當以長命縷 貫作藥玉五月近 猶將零滿溢 橘花盛咲開一面 朝朝復晝晝 每每出見彼花者 賭命懸魂絮 吾所思慕妹子矣 澄鄂申酋澄≠白清淨月夜間 直至唯一目 得拜汝眉之日迄 嘮叨訴不停 只願莫散勿凋零 雖禱祈幾許 吾守呵護此物者 嗚呼慨嘆哉 嗟乎彼醜霍公鳥 晨曦天方曉 吾浸物憂衷悲時 雖逐追放逐幾度 其尚啼血更來鳴 悲響震虛空 徒令花謝散一地 舉手更無措 唯有攀引手折枝 留花令見吾妹

大伴家持 1507

「嚴(いか)と嚴(いか)と」,未詳。有「如何」與「莊嚴」二說。

「百枝刺(ももえさ)し」,「刺(さ)す」乃枝葉伸展之狀。

「玉(たま)に貫(ぬ)く」,此云趁橘果青澀之時以緒貫之。

「真十鏡(まそかがみ)」,「清月夜(きよきつくよ)に」之枕詞

「幾許(ここだく)も」,甚之如此。

「慨(うれた)きや」,憤慨對方所為形容詞

「醜霍公鳥(しこほととぎす)」,「醜」乃咒罵對象之語。

「徒(いたづら)に」,無益、虛無。


1508 反歌 【承前。】

 望降 清月夜爾 吾妹兒爾 令視常念之 屋前之橘

 望降(もちぐた)ち 清月夜(きよきつくよ)に 我妹子(わぎもこ)に 見(み)せむと思(おも)ひし 宿橘(やどのたちばな)

 望月既已過 皎白清淨月夜間 吾衷有所思 欲令吾妹之所見 所折其枝屋前橘 

大伴家持 1508

「望降(もちぐた)ち」,「望(もち)」指十五滿月之日。「降」表盛期已過。此歌蓋詠四月十六或十七日許。

1509 【承前。】

 妹之見而 後毛將鳴 霍公鳥 花橘乎 地爾落津

 妹(いも)が見(み)て 後(のち)も鳴(な)かなむ 霍公鳥(ほととぎす) 花橘(はなたちばな)を 地(つち)に散(ち)らしつ

 令妹見彼花 其後將鳴而可矣 嗚呼霍公鳥 我恨汝鳴震虛空 震得花橘謝零落

大伴家持 1509

「後(のち)も鳴(な)かなむ」,「なむ」類似「こそ」為希求助詞,而「なむ」多用於明知要求無理之場面。

1510 大伴家持贈紀女郎歌一首

 瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花爾有目八方

 撫子(なでしこ)は 咲(さ)きて散(ち)りぬと 人(ひと)は言(い)へど 我(わ)が標野(しめしの)の 花(はな)にあらめやも

 雖然人常道 瞿麥撫子色易褪 花開早謝散 吾度所指非吾誌 標野之內撫子花

大伴家持 1510

「我(わ)が標野(しめしの)の」,標示所有權,多用於獨佔女性之比喻。

「花(はな)にあらめやも」,主語乃撫子花。世人傳言女心易變,但信所云非己心上之人。


秋雜歌

1511 崗本(舒明)天皇御製歌一首

 暮去者 小倉乃山爾 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母

 夕去(ゆふさ)れば 小倉山(をぐらのやま)に 鳴鹿(なくしか)は 今夜(こよひ)は鳴(な)かず 寢(い)ねにけらしも

 每逢夕暮時 鳴泣呼妻小倉山 悲戚牡鹿者 今夜不聞其聲響 蓋是獲妻安寢哉

舒明天皇 1511

「寢(い)ねにけらしも」,古俗以為鹿以求偶喚妻,故而發鳴。此云今夜不聞鹿鳴,推測其求得良妻,與之安寢。『閑吟集』有「めぐる外山に鳴鹿は逢うた別れか、逢はぬ怨みか」之語。

1664有雄略帝所作異傳歌。

1512 大津皇子御歌一首

 經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黃葉爾 霜莫零

 經(たて)も無(な)く 緯(ぬき)も定(さだ)めず 娘子等(をとめら)が 織(お)る黃葉(もみちば)に 霜莫降(しもなふ)りそね

 經線莫有之 緯絮虛兮無定形 娘子以山機 所織紅葉華錦上 還願寒霜莫降矣

大津皇子 1512

「經(たて)も無(な)く 緯(ぬき)も定(さだ)めず」,經緯乃織機之縱絲、壹。紅葉之錦無所造作,故無井然之經緯。

「織(お)る黃葉(もみちば)に」,此以華錦比喻紅葉之美。

此歌蘊含漢詩表現,『懷風藻』大津皇子之詩有「山機霜杼織葉錦」之語。


1513 穗積皇子御歌二首

 今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黃葉家良思 吾情痛之

 今朝朝明(けさのあさけ) 雁(かり)が音聞(ねき)きつ 春日山(かすがやま) 黃葉(もみち)にけらし 我(あ)が心痛(こころいた)し

 今朝旦開時 鴈鳴之音聲可聞 顧思春日山 今當黃葉染秋紅 我心悲慟愁更愁

穗積皇子 1513

「雁(かり)が音聞(ねき)きつ」,雁音表雁之鳴聲。秋日,雁自北國飛來,故聞其音而可知秋。

春日山(かすがやま) 黃葉(もみち)にけらし」,推定表現。作者非直接目睹,乃聞雁音而推之。

與其後但馬皇女和銅元年薨)之曲並列,或為穗積皇子平城京邸,追慕皇女之歌。

1514 【承前。】

 秋芽者 可咲有良之 吾屋戶之 淺茅之花乃 散去見者

 秋萩(あきはぎ)は 咲(さ)きぬからし 我(わ)が宿(やど)の 淺茅(あさぢ)が花(はな)の 散(ち)りぬる見(み)れば

 吾度秋萩者 今蓋展顏盛咲哉 今觀吾宿之 淺茅之花散去者 可知時節當秋臨

穗積皇子 1514

「咲(さ)きぬからし」,「咲(さ)きぬべくあるらし」之略。此亦非親眼目睹之推測。

「淺茅(あさぢ)が花(はな)の」,綻於盛夏而凋於秋風。


1515 但馬皇女御歌一首 【一書云,子部王作。】

 事繁 里爾不住者 今朝鳴之 鴈爾副而 去益物乎【一云,國爾不有者。】

 言繁(ことしげ)き 里(さと)に住(す)まずは 今朝鳴(けさな)きし 雁(かり)に伴(たぐ)ひて 行(ゆ)か益物(ましもの)を【一云(またにいふ)、國(くに)に在(あ)らずは。】

 較於住里間 流言蜚語惹人煩 不若離人煙 往去今朝鳴鴈處 相伴山野享清痢 攬豈勝こ啀棲國中。】

但馬皇女 1515

「里(さと)に住(す)まずは」,「ずは」表「比起...」之意。

「雁(かり)に伴(たぐ)ひて」,「伴(たぐ)ひ」表隨之、相伴之意。

1516 山部王,惜秋葉歌一首

 秋山爾 黃反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世

 秋山(あきやま)に 黃變木葉(もみつこのは)の 移(うつ)りなば 更(さら)にや秋(あき)を 見(み)まく欲(ほ)りせむ

 時值秋山間 黃變木葉移去者 心惜秋葉落 更欲次秋早再臨 冀見紅葉再織錦

山部王 1516

「黃變木葉(もみつこのは)」,「黃變(もみつ)」原文「黃反」,反意與變同,冤寫黃、轉紅之意。

「移(うつ)りなば」,花與紅葉凋零之貌。

1517 長屋王歌一首

 味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黃葉乃 散莫惜毛

 味酒(うまさけ) 三輪祝(みわのはふり)が 山照(やまて)らす 秋黃葉(あきのもみち)の 散(ち)らまく惜(を)しも

 美酒彌醇矣 御諸三輪社祝齋 聖山神奈備 照耀彼山秋黃葉 散落凋零令人惜

長屋王 1517

「味酒(うまさけ)」,三輪枕詞

三輪祝(みわのはふり)が 山(やま)」,大神神社之社祝、神職所齋戒守護三輪山

1518 山上臣憶良七夕歌十二首 【十二第一。】

 天漢 相向立而 吾戀之 君來益奈利 紐解設奈 【一云,向河。】

 天川(あまのがは) 相向立(あひむきた)ちて 我(あ)が戀(こ)ひし 君來坐(きみきま)す也(なり) 紐解設(ひもときま)けな 【一云(またにいふ)、川(かは)に向(むか)ひて。】

 天漢銀河矣 相隔此川兩相望 吾之所慕戀 君將來訪在今夕 故吾解紐設香閨 【一云,向河阻隔兩相望。】

山上憶良 1518

 右,養老八年七月七日應令。

七夕」,中國古俗以為,七月七日夕,織女星渡銀漢,與牽牛星相會。日本亦於古早受此風俗,每逢七夕設宴吟詩。『懷風藻』可見藤原不比等五言詩,『萬葉集』亦有計百卅二曲。

「天川(あまのがは)」,銀河牽牛星於東、織女星於西,相隔銀漢,唯七日得渡相會。

「君來坐(きみきま)す也(なり)」,君乃織女對牛郎之呼稱。日本盛行訪妻婚,故與中國織女來會之說相反,多云彥星來會織女。「也(なり)」於此為聞船楫之音而推定來訪之語。

「紐解設(ひもときま)けな」,「設(ま)く」乃「設(ま)うく」之古形,此云準備同寢。

「應令」,此云奉皇太子(聖武帝)之命。

類歌2048。


1519 【承前,十二第二。】

 久方之 漢爾 船泛而 今夜可君之 我許來益武

 久方(ひさかた)の 天川(あまのがは)に 舟浮(ふねう)けて 今夜(こよひ)か君(きみ)が 我許來坐(わがりきま)さむ

 遙遙久方兮 天漢銀河水上 泛舟乘浮船 就在今宵我思君 將渡天川訪吾許

山上憶良 1519

 右,神龜元年七月七日夜左大臣宅。

「天川(あまのがは)に」,諸寫本原文作「漢爾」,『類聚古集』雖書「漢之川鷦ぁ廖こ鍵予訓而竄改之本文乎。

「我許來坐(わがりきま)さむ」,此乃臨摹織女心境之曲。

「左大臣」,長屋王。其宅或指『懷風藻』所見「作寶樓」,未詳。方時長屋王卌九歲,憶良六十五歲。

1520 【承前,十二第三。】

 牽牛者 織女等 天地之 別時由 伊奈牟之呂 河向立 思空 不安久爾 嘆空 不安久爾 青浪爾 望者多要奴 白雲爾 觴壟古曄’\Ъ也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纏之 真可伊毛我母【一云,小棹毛何毛。】 朝奈藝爾 伊可伎渡 夕鹽爾【一云,夕倍爾毛。】 伊許藝渡 久方之 天河原爾 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞【一云,伊毛左禰而師加。】 秋爾安良受登母【一云,秋不待登毛。】

 彥星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別(わか)れし時(とき)ゆ 稻筵(いなむしろ) 川(かは)に向立(むきた)ち 思(おも)ふ心地(そら) 安(やす)け無(な)くに 嘆(なげ)く心地(そら) 安(やす)け無(な)くに 青波(あをなみ)に 望(のぞ)みは絕(た)えぬ 白雲(しらくも)に 淚(なみた)は盡(つ)きぬ 如是(かく)のみや 息衝居(いきづきを)らむ 如是(かく)のみや 戀(こ)ひつつあらむ 小丹塗(さにぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉卷(たまま)きの 真櫂(まかい)もがも【一云(またにいふ)、小棹(をさを)もがも。】 朝凪(あさなぎ)に い搔渡(かきわた)り 夕潮(ゆふしほ)に【一云(またにいふ)、夕(ゆふべ)にも。】 い漕渡(こぎわた)り 久方(ひさかた)の 天川原(あまのかはら)に 天飛(あまとぶ)や 領巾片敷(ひれかたし)き 真玉手(またまで)の 玉手插交(たまでさしか)へ 數多夜(あまたよ)も 寐(い)ねてしかも【一云(またにいふ)、眠(い)もさ寢(ね)てしか。】 秋(あき)に非(あら)ずとも【一云(またにいふ)、秋待(あきま)たずとも。】

 彥星牛郎者 其與所戀機織女 早自天地之 初判之際兩相隔 稻筵藁席兮 銀漢天川對向立 所念方寸中 抑鬱忐忑無安平 所嘆胸懷間 哀愁滿溢莫安歇 清浪遮所見 還怨望斷不得眺 白雲蔽眼前 更恨淚盡涙已乾 唯有如此耶 日復一日終悲嘆 唯有如此耶 戀慕不息愁相思 欲得小丹塗 一葉扁舟不可得 玉得玉卷之 楫梶真櫂不可得【一云,楫梶小棹不可得。】 晨曦朝凪間 願得搔楫渡彼水 夕暮潮盈時【一云,夕暮黃昏時。】 冀得漕榜渡此川 遙遙久方兮 銀河天漢川原上 飛天隨風逸 領巾羽衣望披之 還願交汝纖玉手 幾多春宵夜 相交纏綿依不離【一云,相枕共寢覆雲雨。】 縱令此宵非七夕【一云,縱令不待秋來矣。】

山上憶良 1520

「彥星(ひこほし)」,牽牛星。3657書「比故保思」,與論島至今仍言「ぴくぷし」。

「織女(たなばたつめ)」,「織機(たなばた)」乃設棚坐以足踏之縫紉機器。獨以「たなばた」表「織機女(はたおりめ)」者,多半專指織女星而語牽牛相對。

「天地(あめつち)の 別(わか)れし時(とき)ゆ」,七夕傳説傳至日本,漸漸日化,蓋部分以為其與神代天地創造同期哉。

「稻筵(いなむしろ)」,川之枕詞。修飾方式未詳。

「思(おも)ふ心地(そら)」,「心地(そら)」表心情,專用於不安之心理。

「青波(あをなみ)に」,銀河之波濤。其色與白雲相對。

「望(のぞ)みは絕(た)えぬ」,漢語「望斷」之翻譯語,望指遠望。

「小丹塗(さにぬ)りの」,「小丹(さに)」乃稍帶黃色之赤。其與下句「玉卷(たまま)きの」皆表空想之裝飾。

「真櫂(まかい)もがも」,真乃合左右兩舷之接頭語。櫂乃划船之工具。

「天川原(あまのかはら)に」,天川之河原。此乃七夕傳說與日本神化融合之表現

「天飛(あまとぶ)や」,「領巾(ひれ)」之枕詞。蓋以領巾輕飄,視為非形自在之具。や乃間投助詞

「領巾片敷(ひれかたし)き」,於此在美化天上戀情之際,亦視之為飛行之句,與天衣、羽衣混同。「片敷」多與「衣袖」等語相接,表示孤寢之狀,而此言夫婦共寢堪屬異例。

「數多夜(あまたよ)も」,此云不滿足於ㄧ年只得一晚之情。

「寐(い)ねてしかも」,「てしかも」表願望。


1521 反歌 【承前,十二第四。】

 風雲者 二岸爾 可欲倍杼母 吾遠嬬之【一云,波之嬬乃。】 事曾不通

 風雲(かぜくも)は 二(ふた)つの岸(きし)に 通(かよ)へども 我(わ)が遠妻(とほづま)の【一云(またにいふ)、愛妻(はしつま)の。】 言(こと)そ通(かよ)はぬ

 風雲自在天 來回兩岸不受阻 雖然如此者 何奈吾人遠妻之【一云,何奈親親愛妻之。】 隻言片語不得通

山上憶良 1521

「遠妻(とほづま)」,此云織女星

「愛妻(はしつま)」,「愛(はし)」表可人憐愛之意。


1522 【承前,十二第五。】

 多夫手二毛 投越都倍吉 天漢 敝太而禮婆可母 安麻多須辨奈吉

 飛礫(たぶて)にも 投越(なげこ)しつべき 天川(あまのがは) 隔(へだ)てればかも 數多術無(あまたすべな)き

 若擲飛礫者 理宜投越不費勁 天川幅不廣 卻以其隔在途間 相會無方徒傷悲

山上憶良 1522

 右,天平元年七月七日夜,憶良仰觀天河。【一云,帥家作。】

飛礫(たぶて)」,投擲之飛石。

「投越(なげこ)しつべき」,「越(こ)す」乃「越(こ)ゆ」之他動詞態。此云銀河幅面不廣,但苦無由渡之。

「隔(へだ)てればかも」,疑問條件語。

天平元年七月七日」,按此時,大伴旅人山上億良並在太宰府

「帥」,此云太宰帥大伴旅人。其邸蓋在政廳周遭。

1523 【承前,十二第六。】

 秋風之 吹爾之日從 何時可登 吾待戀之 君曾來座流

 秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より 何時(いつ)しかと 我(あ)が待戀(まちこ)ひし 君(きみ)そ來坐(きませ)る

 夫自立秋之 秋風瑟瑟拂日起 衷念何時會 吾人朝暮引領盼 待慕之君今來也

山上憶良 1523

「秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より」,立秋以來。表七夕難待之常套句

「何時(いつ)しかと」,心急如焚,心頭每念何時能相逢云云。

1524 【承前,十二第七。】

 天漢 伊刀河浪者 多多禰杼母 伺候難之 近此鷂

 天川(あまのがは) 甚川波(いとかはなみ)は 立(た)たねども 伺候難(さもらひがた)し 近(ちか)き此(このせ)を

 銀漢天之川 雖彼川波不甚湧 俟候誠難矣 近在眼前莫得渡 嗚呼惱人此川

山上憶良 1524

「甚川波(いとかはなみ)は」,「甚(いと)」多用以修飾形容詞,此歌用以修飾「立つ」,堪稱異例。

「伺候難(さもらひがた)し」,「伺候(さもらひ)」表等待與戀人相逢之日。


1525 【承前,十二第八。】

 袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良禰波

 袖振(そでふ)らば 見(み)も交(かは)しつべく 近(ちか)けども 渡(わた)る術無(すべな)し 秋(あき)にしあらねば

 若振揮袖者 形姿歷歷可相見 所近雖如此 越渡無方更催愁 只因七夕日未至

山上憶良 1525

「見(み)も交(かは)しつべく」,幾乎可相見對方之容貌(般近)。

「近(ちか)けども」,原文「雖近」,或可訓「近(ちか)けれど」,而此採ども訓之。形容詞已然形活用語尾雖有「け」「けれ」二形,而後者極為罕見。

「秋(あき)」,此云七夕

1526 【承前,十二第九。】

 玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波

 玉限(たまかぎ)る 髣髴(ほのか)に見(み)えて 別(わか)れなば 元無(もとな)や戀(こ)ひむ 逢時迄(あふときまで)は

 玉極輝耀兮 髣髴之間所見爾 蓋在離別後 戀慕無故生油然 直至有朝再逢時

山上憶良 1526

 右,天平二年七月八日夜,帥太宰帥家集會。

「玉限(たまかぎ)る」,珠玉瞬間發出光耀之狀,「髣髴(ほのか)」之枕詞

「髣髴(ほのか)に見(み)えて」,稍微、倉促、不確定地會面。

「元無(もとな)」,無由。

「逢時迄(あふときまで)は」,原文「麻而」之用例,亦見於平城宮木簡「至流麻而爾(至るまでに)」。

1527 【承前,十二第十。】

 牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 天漢原爾 霧之立波

 彥星(ひこほし)し 妻迎(つまむか)へ舟(ぶね) 漕出(こぎづ)らし 天川原(あまのかはら)に 霧立(きりのた)てるは

 牛郎彥星之 迎妻織女扁舟者 今蓋榜出哉 見彼銀河川原 水沫化霧可知之

山上憶良 1527

「彥星(ひこほし)し 妻迎(つまむか)へ舟(ぶね)」,此云牛郎為迎接織女來訪所出之船。一般七夕傳說與日本訪妻制習合後,多為牛郎前往織女住處,而此歌不然。或以雙方出船,稱折衷形。

「霧立(きりのた)てるは」,此乃槳上雫滴化作霧雨之俗信。

1528 【承前,十二十一。】

 霞立 天河原爾 待君登 伊徃還爾 裳襴所沾

 霞立(かすみた)つ 天川原(あまのかはら)に 君待(きみま)つと い行返(ゆきかへ)るに 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ

 霞起霧瀰漫 天上銀河川原中 引領待君至 坐立徃還徘徊間 裳襴沾濕裾濡矣

山上憶良 1528

「霞立(かすみた)つ」,一般和歌以霞述春,以霧言秋,而該習慣於此時尚未成形。

「い行返(ゆきかへ)るに」,「い」乃接頭語。類聚古集、廣麕榲非仙覺本系統原文作「伊徃還爾」。仙覺本、神宮文庫本作「伊徃還程爾」者,蓋仙覺依古點「いかやふほとに」而加「程」字哉。

1529 【承前,十二十二。】

 天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母

 天川(あまのがは) 浮津波音(うきつのなみおと) 騒(さわ)く成(な)り 我(わ)が待(ま)つ君(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも

 銀河天之川 浮津淺橋船埠處 波音騒可聞 蓋是朝思復暮想 吾所待君榜舟出

山上憶良 1529

「浮津波音(うきつのなみおと)」,或為浮淺橋泛於水上之類,或因銀河而船埠渡口浮空之意象描述。

「騒(さわ)く成(な)り」,「なり」乃傳聞推定語。耳聞淺橋波音,以之為根據所立之推測。

以上三首,雖為山上憶良之作,然不明其所詠地點、緣由。


1530 大宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首

 娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代爾將見

 女郎花(をみなへし) 秋萩交(あきはぎまじ)る 蘆城野(あしきの)の 今日(けふ)を始(はじ)めて 萬世(よろづよ)に見(み)む

 妍哉女郎花 其與秋荻交爭艷 遍開蘆城野 始自今日翫其景 欲賞直至萬世後

佚名 1530

女郎花(をみなへし) 秋萩交(あきはぎまじ)る」,「女郎花」後蓋省略助詞「に」。


1531 【承前。】

 珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 將忘八方

 玉櫛笥(たまくしげ) 蘆城川(あしきのかは)を 今日見(けふみ)ては 萬代迄(よろづよまで)に 忘(わす)らえめやも

 珠匣玉櫛笥 太宰府邊蘆城川 今日見其景 餘韻不絕纏心頭 縱令萬代豈忘哉

佚名 1531

 右二首,作者未詳。

「玉櫛笥(たまくしげ)」,以「開(あ)く」之緣而為「蘆城(あしき)」之枕詞

以上二首,赴任太宰府之初,於蘆城川設宴歡迎之曲。


1532 笠朝臣金村伊香山作歌二首

 草枕 客行人毛 徃觸者 爾保比奴倍久毛 開流芽子香聞

 草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)も 行觸(ゆきふ)れば 匂(にほ)ひぬべくも 咲(さ)ける萩(はぎ)かも

 草枕在異地 漂泊他鄉旅行人 一旦徃觸者 艷色太過將匂染 如此盛開萩花

笠金村 1532

草枕(くさまくら)」,羈旅之際,以草為枕野宿在外,故為「旅」之枕詞

旅行人(たびゆくひと)も」,句末「も」字蓋為合其字數而至此,其意寔當「旅行人(たびゆくひと) 行觸(ゆきふ)れもせば」哉。

「匂(にほ)ひぬべくも」,「匂(にほ)ふ」於此乃赤色移染之狀。事實上萩花不適作為染料,但以其花盛開極度鮮豔,誇飾云好似將受其色所染云云。

1533 【承前。】

 伊香山 野邊爾開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念

 伊香山(いかごやま) 野邊(のへ)に咲(さ)きたる 萩見(はぎみ)れば 君(きみ)が家(いへ)なる 尾花(をばな)し思(おも)ほゆ

 淡海伊香山 野邊所咲萩花矣 見彼花開者 觸景生情發油然 思念君家尾花矣

笠金村 1533

「君(きみ)が家(いへ)なる」,此文君字不明所指孰人,或為同行友人。

「尾花(をばな)」,芒草之花穗。

1534 石川朝臣老夫歌一首

 娘部志 秋芽子折禮 玉桙乃 道去裹跡 為乞兒

 女郎花(をみなへし) 秋萩折(あきはぎを)れれ 玉桙(たまほこ)の 道行(みちゆ)き裹(づと)と 乞(こ)はむ兒(こ)が為(ため)

 當摘女郎花 復折秋萩納行囊 以為玉桙兮 道行羈旅裹土毛 獻予將乞娘子矣

石川老夫 1534

「秋萩折(あきはぎを)れれ」,「折(を)れれ」乃「折(を)れり」之命令形。作者指使從者之語。

「道行(みちゆ)き裹(づと)と」,句後省略表願望之終助詞「もが」。此云設想女子將討行旅之土產,而折枝以贈。

1535 藤原宇合卿歌一首

 我背兒乎 何時曾且今登 待苗爾 於毛也者將見 秋風吹

 我(わ)が背子(せこ)を 何時(いつ)そ今(いま)かと 待(ま)つなへに 面(おも)やは見(み)えむ 秋風吹(あきのかぜふ)く

 朝思暮所戀 引領盼吾兄子來 何時且今哉 焦待之間面將見 秋風吹報七夕

藤原宇合 1535

「何時(いつ)そ今(いま)かと」,「今(いま)か」原文「且今」同「且今且今(いまかいまか)」,表迫不及待之狀。

「面(おも)やは見(み)えむ」,蓋將見得心上人之一面哉。上代語將「やは」用於文中者,僅此一例。中古則或用於反語。此歌用為插入句。

「秋風吹(あきのかぜふ)く」,隨秋風吹起,預知男子將訪。蓋臨摹織女之情,所詠七夕之曲。

1536 緣達師歌一首

 暮相而 朝面羞 隱野乃 芽子者散去寸 黃葉早續也

 宵(よひ)に逢(あ)ひて 朝面無(あしたおもな)み 名張野(なばりの)の 萩(はぎ)は散(ち)りにき 黃葉早繼(もみちはやつ)げ

 昨夜渡春宵 朝日羞赧無顏對 隱兮名張野 荻花既散景色衰 還願紅葉早續之

緣達帥 1536

「宵(よひ)に逢(あ)ひて 朝面無(あしたおもな)み」,引出地名名張野(なばりの)」之序文。「名張」與「隱」同音,此以嬌羞不敢直視對方而為言。

「黃葉早繼(もみちはやつ)げ」,原文「早續也」乃命令詞。


1537 山上臣憶良詠秋野花歌二首

 秋野爾 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 【其一。】

 秋野(あきのの)に 咲(さ)きたる花(はな)を 指折(およびを)り 搔數(かきかぞ)ふれば 七種花(ななくさのはな) 【其一。】

 蕭瑟秋野間 所咲妍花綴色彩 屈指細數之 娓娓道來一一筭 其花計有七種矣

山上憶良 1537

「指(および)」,「指(ゆび)」之古語

「其一」,連歌題其一、其二者,仿『昭明文選』、『玉台新詠』等漢詩之例也。

1538 【承前。】

 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 【其二。】

 萩花(はぎのはな) 尾花葛花(をばなくずはな) 撫子花(なでしこのはな) 女郎花(をみなへし) 亦藤袴(またふぢばかま) 朝顏花(あさがほのはな) 【其二。】

 萩花秋之芽 芒草尾花又葛花 瞿麦石竹撫子花 嬌勝女郎花 復亦藤袴紫藤花 五芒桔梗朝顏花

山上憶良 1538

「葛花(くずはな)」,群開於秋分之際,呈紫紅色

藤袴(ふぢばかま)」,菊科多年草。初秋筒狀淡紫之花成群綻放,如袴似浪。

「朝顏花(あさがほのはな)」,有諸說。或云擬桔梗,或云乃牽牛、木槿、旋花之疇。

1539 天皇(聖武)御製歌二首

 秋日乃 穂田乎鴈之鳴 闇爾 夜之穂杼呂爾毛 鳴渡可聞

 秋日(あきのひ)の 穂田(ほた)を雁(か)りがね 暗(くら)けくに 夜時分(よのほどろ)にも 鳴渡(なきわた)るかも

 秋熟稔豐饒 晝苅穂田暮雁啼 六合沒闇間 夜之將更此時分 鳴渡大虛響終宵

聖武天皇 1539

「秋日(あきのひ)の 穂田(ほた)を」,借「苅(か)り」與「雁(かり)」同音之序。首句秋日與後文秋夜相對。

「夜時分(よのほどろ)にも」,夜中之意。

1540 【承前。】

 今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曾 色付丹來

 今朝朝明(けさのあさけ) 雁(かり)が音寒(ねさむ)く 聞(き)きしなへ 野邊淺茅(のへのあさぢ)そ 色付(いろづ)きにける

 今朝旦開時 鴈鳴淒涼音且寒 聞彼啼泣時 不覺野邊淺茅者 已然添色飾秋彩

聖武天皇 1540

「聞(き)きしなへ」,「なへ」同「なへに」,表與前動詞發生之同時之意。

紀州本於1539前無「天皇御製歌二首」,而於1540題「天皇御製哥一首」。『類聚古集』依然於1540題「天皇御製歌一首【可考】」,更於1539書山上憶良。則或視1538僅為秋妻草之羅列,不認其為一首。此姑從仙覺本,以俟後攷。

1541 大宰帥大伴旅人卿歌二首

 吾岳爾 棹壯鹿來鳴 先芽之 花嬬問爾 來鳴棹壯鹿

 我(わ)が岡(をか)に 小雄鹿來鳴(さをしかきな)く 初萩(はつはぎ)の 花妻問(はなつまど)ひに 來鳴(きな)く小壯鹿(さをしか)

 吾岡丘陵間 小雄牡鹿步來鳴 蓋以初萩之 萩花擬妻喚彼睞 故而來鳴小壯鹿

大伴旅人 1541

「花妻問(はなつまど)ひに」,古俗鹿鳴呼妻,此云視萩花為妻,欲問之而來鳴。

1542 【承前。】

 吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 將見人裳欲得

 我(わ)が岡(をか)の 秋萩花(あきはぎのはな) 風(かぜ)を疾(いた)み 散(ち)るべくなりぬ 見みむ人ひともがも

 吾岳丘陵間 秋萩之花盛一面 然恐風疾勁 懼彼萩花遭拂落 欲令人見散盡前

大伴旅人 1542

「散(ち)るべくなりぬ」,卷五追和梅花歌卅二首四曲之851有同句,故或有說以為該四首亦大伴旅人之作。

DD 2017/04/08 03:51 相変わらず古文に強いですね(笑)

kuonkizunakuonkizuna 2017/04/12 08:36 すみません、何方でしょうか?

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2017-03-22-水

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補給物資

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伊勢神宮 現代に生きる神話

物流轉。歷史總道光陰流逝,無情如是。縱為世界聖域,莫得倖存。Parthenon聖殿,神靈喪亡。大金字塔,所留唯謎。

兼勞造形、精神文化,隨時風化。然神宮雖以木草所築,其神殿、祭禮,絲毫不變。

解此悖論之鍵,是為萬象復始之美學。大和民族不與光陰對抗,選擇寄祈託念,造替神殿之道。



万葉集試訳

1492 橘歌一首 【遊行女婦。】

 君家乃 花橘者 成爾家利 花有時爾 相益物乎

 君(きみ)が家(いへ)の 花橘(はなたちばな)は 成(な)りにけり 花(はな)なる時(とき)に 逢(あ)は益物(ましもの)を

 君業宅邸間 花橘盛後實已成 顧思花謝者 早知諸行不久長 當惜花時來相見

遊行女婦 1492

「成(な)りにけり」,此云花落而果實方結,尚仍青澀之時。

「花(はな)なる時(とき)に」,或本原文「花乃有時爾=花(はな)の盛(さか)りに」,蓋受『古今集』125春歌下「蛙鳴く 井手山吹 散りにけり 花の盛りに 逢は益物を」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk02.htm#125 之影響。

「逢(あ)は益物(ましもの)を」,此將橘花擬人化,以逢花為引,蘊含欲與君逢之意。

蓋與『萬葉集10-1969互為贈答。

1493 大伴村上橘歌一首

 吾屋前乃 花橘乎 霍公鳥 來鳴令動而 本爾令散都

 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)めて 本(もと)に散(ち)らしつ

 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 其來鳴響震花謝 散落凋零落根源

大伴村上 1493

「來鳴響(きなきとよ)めて」,此云橘花因聲音之振動而散落。

1494 大伴家持霍公鳥歌二首

 夏山之 木末乃繁爾 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遙佐

 夏山(なつやま)の 木末繁(こぬれのしげ)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴響(なきとよ)むなる 聲遙(こゑのはる)けさ

 盛暑夏山間 木梢枝末繁茂處 杜鵑霍公鳥 身踞枝頭啼鳴響 鳥囀之聲可遠聞

大伴家持 1494

「木末繁(こぬれのしげ)に」,「木末(こぬれ)」乃「木末(このうれ)」之略。末指草木之末端。

「鳴響(なきとよ)むなる」,「響(とよ)む」乃下二段活用。「なり」為傳聞推定語。


1495 【承前。】

 足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後將戀可聞

 足引(あしひき)の 木間立潛(このまたちく)く 霍公鳥(ほととぎす) 如此聞始(かくききそ)めて 後戀(のちこ)ひむ哉(かも)

 足曳勢險峻 山林木間所飛潛 穿梭霍公鳥 如是始聞其鳥囀 爾後念之發慕哉

大伴家持 1495

「足引(あしひき)の」,山之枕詞,此次借代為山之意,結合後句意指山之木間。

「木間立潛(このまたちく)く」,「潛(く)く」乃穿越狹窄之處。原文「八十一」乃借「九九(くく)八十一」之戲書用例。

1496 大伴家持石竹花歌一首

 吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母

 我(わ)が宿(やど)の 撫子花(なでしこのはな) 盛也(さかりなり) 手折(たを)りて一目(ひとめ) 見(み)せむ兒(こ)もがも

 吾宿屋戶前 所植瞿麥撫子花 方今正欣盛 欲得手折能令見 知心佳人共賞翫

大伴家持 1496

「石竹(なでしこ)」,唐撫子。時與撫子通用

「撫子花(なでしこのはな)」,撫子之借詞多用「が」字,此處用「の」為例外

「見(み)せむ兒(こ)もがも」,「もが」為欲得,表假想內容之願望。若有可以折枝贈送之對象當有多好,之意。

1497 惜不登筑波山歌一首

 筑波根爾 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

 筑波嶺(つくはね)に 我(わ)が行(ゆ)けりせば 霍公鳥(ほととぎす) 山彦響(やまびことよ)め 鳴(な)かましやそれ

 常陸筑波嶺 吾若得以行至者 杜鵑霍公鳥 可曾來鳴啼不斷 回響木靈山間

高橋蟲麻呂 1497

 右一首,高橋連蟲麻呂之歌中出。

「我(わ)が行(ゆ)けりせば」,「せば」乃反事實假定條件。對登筑波山聞杜鵑鳴者之回應。

「鳴(な)かましやそれ」,「まし」乃假想反語。以諧謔語氣稱,正因自身未登筑波岳,眾人方得聞霍公鳥之啼。若自已登山,或許杜鵑惜聲無響。


1498 大伴坂上郎女歌一首

 無暇 不來之君爾 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社

 暇無(いとまな)み 來(こ)ざりし君(きみ)に 霍公鳥(ほととぎす) 我如此戀(あれかくこ)ふと 行(ゆ)きて告(つ)げこそ

 其以無暇故 不來相會吾君矣 杜鵑霍公鳥 願汝翔往我君處 告吾焦戀戀如是

坂上郎女 1498

「暇無(いとまな)み」,「暇無(いとま)を無(な)みと」之略。

「行(ゆ)きて告(つ)げこそ」,「こそ」乃表希求之終助詞

1499 大伴四繩宴吟歌一首

 事繁 君者不來益 霍公鳥 汝太爾來鳴 朝戶將開

 言繁(ことしげ)み 君(きみ)は來坐(きま)さず 霍公鳥(ほととぎす) 汝(なれ)だに來鳴(きな)け 朝戶開(あさとひら)かむ

 流言蜚語繁 吾君避嫌不來會 杜鵑霍公鳥 但願汝至解吾寂 遂開朝戶盼來鳴

大伴四繩 1499

「言繁(ことしげ)み」,「人言を繁みと」之略。本歌蓋擬苦待男方之女性所作

「汝(なれ)だに來鳴(きな)け」,「だに」表「至少」。

1500 大伴坂上郎女歌一首

 夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曾

 夏野(なつのの)の 繁(しげ)みに咲(さ)ける 姫百合(ひめゆり)の 知(し)らえぬ戀(こひ)は 苦(くる)しき物(もの)そ

 夏野繁茂間 埋沒漫草匿咲之 妍花姬百合 單戀心中無人知 此情甚苦令人狂

坂上郎女 1500

「姫百合(ひめゆり)の」,以上以被埋沒於荒煙漫草中孤芳自賞之姫百合,帶出下文單戀之苦。

「知(し)らえぬ戀(こひ)は」,無法令對方知曉之戀情。

「苦(くる)しき物(もの)そ」,原文「苦物曾」或本云「苦物乎」。蓋曾字為古形。


1501 小治田朝臣廣耳歌一首

 霍公鳥 鳴峯乃上能 宇乃花之 猒事有哉 君之不來益

 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)く尾上(をのうへ)の 卯花(うのはな)の 憂事有(うきことあ)れや 君(きみ)が來坐(きま)さぬ

 杜鵑霍公鳥 所鳴稜線峰尾上 卯花綻憂容 蓋有猒事不快哉 所以君之不來晤

小治田廣耳 1501

「尾上(をのうへ)」,或云尾根,群山相連之稜線,山背。

「卯花(うのはな)の」,以上三句,以同音引出後文「憂」之序。

「憂事有(うきことあ)れや」,疑問條件語。不愉快,無幹勁之狀。

類歌1988,以女性立場所詠之曲。

1502 大伴坂上郎女歌一首

 五月之 花橘乎 為君 珠爾社貫 零巻惜美

 五月(さつき)の 花橘(はなたちばな)を 君(きみ)が為(ため) 玉(たま)にこそ貫(ぬ)け 散(ち)らまく惜(を)しみ

 五月端午之 花橘綻開將結實 欲執長命縷 為君貫以作藥玉 吾惜花散徒凋零

坂上郎女 1502

「玉(たま)にこそ貫(ぬ)け」,橘之開花、結實,並在五月。然待節實,則其花既落。蓋在含苞之時,先取其花,貫其花萼,爾後與實並穿於ㄧ縷。原文「珠爾社貫」,或本云「玉爾貫」則當訓「玉(たま)に貫(つらぬ)く」,但上代無此訓例,遂按京大本有「社」字訓之。


1503 紀朝臣豐河歌一首

 吾妹兒之 家乃垣內 佐由理花 由利登云者 不欲云二似

 我妹子(わぎもこ)が 家垣內(いへのかきつ)の 小百合花(さゆりばな) 後日(ゆり)と言(い)へるは 否(いな)と言(い)ふに似(に)る

 親親吾妹子 汝家垣內小百合 猶彼花之名 所應百合後日者 似於言否拒門前

紀豐河 1503

「垣內(かきつ)」,「垣處(かきと)」之轉。為牆垣所包圍之地。

「後日(ゆり)」,改天之意。

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2017-03-14-火

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万葉集試訳

1468 小治田廣鷁霍公鳥歌一首

 霍公鳥 音聞小野乃 秋風爾 芽開禮也 聲之乏寸

 霍公鳥(ほととぎす) 聲聞(こゑき)く小野(をの)の 秋風(あきかぜ)に 萩咲(はぎさ)きぬれや 聲(こゑ)の乏(とも)しき

 杜鵑霍公鳥 其聲可聞小野間 吾度秋風拂 萩咲時節未至耶 豈知鳥囀聲已乏

小治田廣鷁Α1468

「萩咲(はぎさ)きぬれや」,疑問條件語,有「明非秋荻當咲之時節」之寓意

「聲(こゑ)の乏(とも)しき」,「乏(とも)」乃稀疏、乏少之意。

1469 沙彌霍公鳥歌一首

 足引之 山霍公鳥 汝鳴者 家有妹 常所思

 足引(あしひき)の 山霍公鳥(やまほととぎす) 汝(な)が鳴(な)けば 家(いへ)なる妹(いも)し 常(つね)に偲(しの)はゆ

 足曳勢險峻 山霍公鳥不如歸 每逢汝鳴者 常偲居家吾妹子 更勾相思催憂情

沙彌 1469

「沙彌」,出家而未受具足戒之僧。或留髮帶妻,半僧半俗者。氏名未詳。

「山霍公鳥(やまほととぎす) 汝(な)が鳴(な)けば」,有呼籲、禁止之語氣。

1470 刀理宣令歌一首

 物部乃 石麈啓卩機$晃鳥 今毛鳴奴香 山之常影爾

 物部(もののふ)の 磐鷦(いはせのもり)の 霍公鳥(ほととぎす) 今(いま)も鳴(な)かぬか 山常蔭(やまのとかげ)に

 物部八十緒 磐麈啓卍端蘓后‥列ゐ晃鳥 冀汝速速發鳴啼 囀在山之常蔭間

刀理宣令 1470

物部(もののふ)の」,「磐(いはせ)」之枕詞。蓋以「「いはせ」」之「い」有表多數之「五十(い)」之意哉。

「今(いま)も鳴(な)かぬか」,「ぬか」表「希求」。原文作「今毛鳴奴」而依『萬葉代匠記』補「香」字。

「山常蔭(やまのとかげ)に」,「常蔭(とかげ)」乃「常蔭(とこかげ)」之略,恆久為日蔭之處。



1471 山部宿禰赤人歌一首

 戀之家婆 形見爾將為跡 吾屋戶爾 殖之藤浪 今開爾家里

 戀(こひ)しけば 形見(かたみ)に為(せ)むと 我(わ)が宿(やど)に 植(う)ゑし藤波(ふぢなみ) 今咲(いまさ)きにけり

 戀慕情生時 欲為形見緣物而 吾宿之所植 藤浪今日始展顏 隨風蕩漾咲一面

山部赤人 1471

「戀(こひ)しけば」,未然形條件語。若戀慕之情催生之際。

形見(かたみ)」,用以思念某人之信物。

藤波(ふぢなみ)」,藤之雅語。藤花滿開時,如簾似浪,故名。

1472 式部大輔石上堅魚朝臣歌一首

 霍公鳥 來鳴令響 宇乃花能 共也來之登 問麻思物乎

 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)もす 卯花(うのはな)の 共(とも)にや來(こ)しと 問(と)は益物(ましもの)を

 杜鵑霍公鳥 今來鳴響啼夏至 吾欲問汝鳥 蓋與卯花共來乎 可惜汝不能言語

石上堅魚 1472

 右,神龜五年戊辰,大宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉。于時,敕使式部大輔石上朝臣堅魚遣大宰府,弔喪并賜物也。其事既畢,驛使及府諸卿大夫等,共登記夷城而望遊之日,乃作此歌。

「式部大輔」,式部省次官,相當正五位下。式部省管轄中央地方文官名帳,司官人考選、論功封賞、朝廷儀式、學校官吏登用試驗等。

「卯花(うのはな)の 共(とも)にや來(こ)しと」,杜鵑鳴夏,同與卯花花期。

「問(と)は益物(ましもの)を」,杜鵑不能言語,故感遺憾

中古之世,視杜鵑為冥界之使,本文蓋為其先蹤。


1473 大宰帥大伴卿和歌一首

 橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曾多寸

 橘(たちばな)の 花散里(はなぢるさと)の 霍公鳥(ほととぎす) 片戀(かたこひ)しつつ 鳴日(なくひ)しそ多(おほ)き

 非時香菓兮 橘花飄零舞落里 杜鵑霍公鳥 孤戀啼血浸憂情 哀鳴之日寔多矣

大伴旅人 1473

「花散里(はなぢるさと)の 霍公鳥(ほととぎす)」,大伴旅人自喻己身。


1474 大伴坂上郎女筑紫大城山歌一首

 今毛可聞 大城乃山爾 霍公鳥 鳴令響良武 吾無禮杼毛

 今(いま)もかも 大城山(おほきのやま)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴響(なきとよ)むらむ 我無(われな)けれども

 時值至今日 筑紫國間大城山 杜鵑霍公鳥 蓋仍常鳴啼響哉 縱令吾人不在矣

坂上郎女 1474

「鳴響(なきとよ)むらむ」,皆續「鳴き」之「響(とよ)む」乃下活用,與「響(とよ)もす」同。

我無(われな)けれども」,原文「吾無禮杼毛」,就「けれども」之確例而言堪稱罕見。

作者於天平二年冬歸京,其歌蓋詠於翌三年後之夏日

1475 大伴坂上郎女霍公鳥歌一首

 何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曾益禮

 何(なに)しかも 幾許戀(ここだくこ)ふる 霍公鳥(ほととぎす) 鳴聲聞(なくこゑき)けば 戀(こひ)こそ(ま)され

 是為何由哉 何以慕戀甚幾許 每聞霍公鳥 杜鵑啼血心哀愁 徒慕情憂更甚

坂上郎女 1475

「何(なに)しかも 幾許戀(ここだくこ)ふる」,「戀(こ)ふる」表作者等待杜鵑來鳴之心情。自問何以戀慕如是。

「戀(こひ)こそ(ま)され」,此戀乃對人之情感。


1476 小治田朝臣廣耳歌一首

 獨居而 物念夕爾 霍公鳥 從此間鳴渡 心四有良思

 獨居(ひとりゐ)て 物思(ものおも)ふ夕(よひ)に 霍公鳥(ほととぎす) 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る 心(こころ)し有(あ)るらし

 隻身形影孤 憂思獨居黃昏夕 杜鵑霍公鳥 從此啼血悲鳴渡 汝蓋能知我心哉

小治田廣耳 1476

「此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る」,「此(こ)」表此場所,「ゆ」表經由點。

「心(こころ)し有(あ)るらし」,「有心、無心」之心代表思慮、分別之意。指杜鵑能解作者之情,而露安慰之貌。


1477 大伴家持霍公鳥歌一首

 宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 來鳴令響

 卯花(うのはな)も 未咲(いまださ)かねば 霍公鳥(ほととぎす) 佐保山邊(さほのやまへ)に 來鳴響(きなきとよ)もす

 人云杜鵑者 其與卯花與共來 豈知花未咲 佐保山邊霍公鳥 已然來鳴響山間

大伴家持 1477

「佐保山邊(さほのやまへ)」,佐保山周邊,大伴家持、坂上郎女等棲於此處。

1478 大伴家持橘歌一首

 吾屋前之 花橘乃 何時毛 珠貫倍久 其實成奈武

 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)の 何時(いつ)しかも 玉(たま)に貫(ぬ)くべく 其實成(そのみな)りなむ

 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 何時之間歟 已然結果成其實 可為五月藥玉貫

大伴家持 1478

「花橘(はなたちばな)の」,疑問係助詞「や」「か」之前,主革原則上用「の」、「が」而不用「は」字。中古以降,「何時(いつ)しか」之疑問性已然稀薄,然依此用「の」字,可推知上代「何時しか」疑問意味甚強。

「玉(たま)に貫(ぬ)くべく」,橘實碩大,可將之作為五月藥玉,以長命縷貫之。


1479 大伴家持晚蟬歌一首

 隱耳 居者欝悒 奈具左武登 出立聞者 來鳴日晚

 隱(こも)りのみ 居(を)れば欝悒(いぶせみ) 慰(なぐ)さむと 出立聞(いでたちき)けば 來鳴(きな)く晚蟬(ひぐらし)

 幽居隱家中 索然無味氣欝悒 為慰此寂情 出外漫步豎耳者 暮蟬來鳴可聽聞

大伴家持 1479

「晚蟬(ひぐらし)」,此有二解,或云夕暮發鳴之暮蟬,或云遲鳴之晚蟬。

「欝悒(いぶせみ)」,心情鬱悶不快之狀。


1480 大伴書持歌二首

 我屋戶爾 月押照有 霍公鳥 心有今夜 來鳴令響

 我(わ)が宿(やど)に 月押照(つきおして)れり 霍公鳥(ほととぎす) 心有(こころあ)れ今夜(こよひ) 來鳴響(きなきとよ)もせ

 吾宿屋戶前 月光押照霍公鳥 汝能察吾情 今夜來鳴啼聲響 滔滔代我辯心聲

大伴書持 1480

「心有(こころあ)れ今夜(こよひ)」,此云能查作者之心,並為其著想。

1481 【承前。】

 我屋戶前乃 花橘爾 霍公鳥 今社鳴米 友爾相流時

 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)に 霍公鳥(ほととぎす) 今(いま)こそ鳴(な)かめ 友(とも)に逢(あ)へる時(とき)

 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 汝今當鳴橘樹上 宣告與友相會時

大伴書持 1481

「今(いま)こそ鳴(な)かめ」,「こそ...め」乃勸誘對方作某事。


1482 大伴清繩歌一首

 皆人之 待師宇能花 雖落 奈久霍公鳥 吾將忘哉

 皆人(みなひと)の 待(ま)ちし卯花(うのはな) 散(ち)りぬとも 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす) 我忘(われわす)れめや

 縱令皆人之 引領所待卯花者 已然凋零落 吾憶來鳴霍公鳥 豈將輕易忘懷哉

大伴清繩 1482

「皆人(みなひと)」,同「人皆」。上代「皆人」、「人皆」混用(比率約一比二。本歌屬少數。),中古以降「皆人」為大宗。


1483 奄君諸立歌一首

 吾背子之 屋戶乃橘 花乎吉美 鳴霍公鳥 見曾吾來之

 我(わ)が背子(せこ)が 宿橘(やどのたちばな) 花(はな)を良(よ)み 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす) 見(み)にそ我(わ)が來(こ)し

 翫吾兄子之 屋戶所植橘花而 來鳴霍公鳥 我惜彼鳥不如歸 遂來見之訪此宿

奄君諸立 1483

「奄(あむ)君諸立」,傳未詳。『日本書紀』景行紀四年,「生,日向襲津彥皇子。是阿牟(あむ)君之始祖也。」

「我(わ)が背子(せこ)」,作者之友人。

「花(はな)を良(よ)み」,「良み」乃「良し」之み句法。此云杜鵑愛翫花橘兒來,作者則愛賞杜鵑而至。

1484 大伴坂上郎女歌一首

 霍公鳥 痛莫鳴 獨居而 寐乃不所宿 聞者苦毛

 霍公鳥(ほととぎす) 甚莫鳴(いたくなな)きそ 獨居(ひとりゐ)て 眠寢(いのね)ら得(え)ぬに 聞(き)けば苦(くる)しも

 嗚呼霍公鳥 汝莫甚鳴啼如此 形單影隻而 孤居就寢難眠時 聞汝悲鳴心更苦

坂上郎女 1484

「獨居(ひとりゐ)て」,獨居有居坐之意,或云失眠起身踞坐之狀。

「眠寢(いのね)ら得(え)ぬ」,「眠(い)」乃睡眠,らゆ乃可能助動詞

1485 大伴家持唐棣花歌一首

 夏儲而 開有波禰受 久方乃 雨打零者 將移香

 夏待(なつま)けて 咲(さ)きたる唐棣(はねず) 久方(ひさかた)の 雨打降(あめうちふ)らば 移(うつ)ろひなむか

 待夏時機熟 展顏始咲唐棣花 遙遙久方兮 天雨若零降紛紛 蓋將移落褪色哉

大伴家持 1485

「夏待(なつま)けて」,「待(ま)け」乃發自內心引領期待之時期。

「移(うつ)ろひなむか」,花之褪色、凋零之狀。如染色易褪,木花亦難以久長。


1486 大伴家持恨霍公鳥晚喧歌二首

 吾屋前之 花橘乎 霍公鳥 來不喧地爾 令落常香

 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴(きな)かず地(つち)に 散(ち)らしてむとか

 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 尚未來鳴已凋零 散落一地令人惋

大伴家持 1486

「散(ち)らしてむとか」,此句「散(ち)らす」表(杜鵑)放任其(花橘)散落之用法

若杜鵑來鳴而花橘凋零,則不為可惜。但怨杜鵑無情,任隨花橘零落。

1487 【承前。】

 霍公鳥 不念有寸 木晚乃 如此成左右爾 奈何不來喧

 霍公鳥(ほととぎす) 思(おも)はずありき 木暗(このくれ)の 如此成(かくな)る迄(まで)に 何(なに)か來鳴(きな)かぬ

 杜鵑霍公鳥 吾之不念何以哉 木蔭下闇之 暗成如是此時頃 奈何仍不來喧鳴

大伴家持 1487

「木暗(このくれ)」,初夏時分,木葉繁茂而樹蔭陰暗之狀。或云其場所、時期。

「何(なに)か來鳴(きな)かぬ」,第二句「思(おも)はずありき」於中古以降轉化為「思ひきや」,文末本當為「鳴(な)かざらむとは」而此採詰問形。

1488 大伴家持懽霍公鳥歌一首

 何處者 鳴毛思仁家武 霍公鳥 吾家乃里爾 今日耳曾鳴

 何處(いづく)には 鳴(な)きもしにけむ 霍公鳥(ほととぎす) 我家里(わぎへのさと)に 今日(けふ)のみそ鳴(な)く

 汝先在何處 啼夏發鳴不來哉 杜鵑霍公鳥 於此吾家鄉里間 萬喚今日始發鳴

大伴家持 1488

「何處(いづく)には」,此「何處(いづく)」非用於疑問,而漠然地指稱除此之外的餘所。


1489 大伴家持橘花歌一首

 吾屋前之 花橘者 落過而 珠爾可貫 實爾成二家利

 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)は 散過(ちりす)ぎて 玉(たま)に貫(ぬ)くべく 實(み)に成(な)りにけり

 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 橘花既凋零 其果得以長命縷 貫作藥玉實成矣

大伴家持 1489

「散過(ちりす)ぎて」,「過ぎ」指花朵凋謝不復存在

「玉(たま)に貫(ぬ)くべく 實(み)に成(な)りにけり」,此云所落之果實,以可貫作五月藥玉。


1490 大伴家持霍公鳥歌一首

 霍公鳥 雖待不來喧 蒲 玉爾貫日乎 未遠美香

 霍公鳥(ほととぎす) 待(ま)てど來鳴(きな)かず 菖蒲草(あやめぐさ) 玉(たま)に貫(ぬ)く日(ひ)を 未遠(いまだとほ)みか

 吾雖苦待久 霍公鳥兮不來鳴 蓋是菖蒲草 貫作藥玉長命縷 其日猶遠未近哉

大伴家持 1490

菖蒲草(あやめぐさ)」,花菖蒲,根莖皆發獨特香味,古俗以為可除邪氣、癒疫病,用於端午之節。以草自承之,乃中古以後之慣例。

「玉(たま)に貫(ぬ)く日(ひ)を」,此云五月五日


1491 大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首

 宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 從此間喧渡

 卯花(うのはな)の 過(す)ぎば惜(を)しみか 霍公鳥(ほととぎす) 雨間(あまま)も置(お)かず 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る

 蓋是惜卯花 凋零散落觸情傷 杜鵑霍公鳥 雨降之間莫所息 鳴渡此間喚啼血

大伴家持 1491

「雨間(あまま)も置(お)かず」,「雨間」云雨降稍歇之間。

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2017-02-22-水

[]真字萬葉集卷七、万葉集試訳 真字萬葉集卷七、万葉集試訳を含むブックマーク 真字萬葉集卷七、万葉集試訳のブックマークコメント

■真字萬葉集 卷第七 雜歌、譬喻歌、挽歌

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m07.htm



万葉集試訳

1418 志貴皇子懽御歌一首

 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春爾 成來鴨

 石走(いはばし)る 垂水上(たるみのうへ)の 早蕨(さわらび)の 萌出(もえいづ)る春(はる)に 成(なり)にける哉(かも)

 石走迸流水 飛瀧蘊勁垂水邊 所生早蕨者 已然萌出發新僉”夐春日既臨哉

志貴皇子 1418

「懽(よろこ)び」,與「歡」字同。蓋酒宴興感之曲。

「石走(いはばし)る」,流水觸石激越之狀。

「早蕨(さわらび)」,蕨類之新芽,羊齒狀。


1419 鏡王女歌一首

 神奈備乃 伊波麈擬卩掘ヾ子鳥 痛莫鳴 吾戀益

 神奈備(かむなび)の 磐鷦(いはせのもり)の 呼子鳥(よぶこどり) 甚(いた)く勿鳴(なな)きそ 我(あ)が戀(こひまさ)る

 三諸神奈備 磐麈啓卍端蘓后ヾ子鳥者也 汝莫甚鳴啼如此 觸吾心絃徒痍

鏡王女 1419

神奈備(かむなび)の」,神之居所,多指出雲系之國神。按『出雲風土記』有四所,而『出雲國造神賀詞』云:「大穴持命の申し給はく,皇御孫命の靜まり坐さむ大倭國と申して,

己命の和魂を八咫鏡に取り託けて倭大物主櫛嚴玉命と御名を称へて大御和の神奈備に坐せ,己命の御子,阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ,事代主命の御魂を宇奈提に坐せ,賀夜奈流美命の御魂を飛鳥神奈備に坐せ。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sinpaisi/haraekotoba03.htm#ryaku-okami01 此曲或指斑鳩龍田神奈備・三室山。

呼子鳥(よぶこどり)」,初夏渡來之侯鳥,或為郭公。『萬葉集』中,除1941外皆描述為春鳴之鳥。

「我(あ)が戀(こひまさ)る」,此云聞鳥啼則更發相思之情。

1420 駿河釆女歌一首

 沫雪香 薄太禮爾零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

 沫雪(あわゆき)か 斑(はだ)れに降(ふ)ると 見(み)る迄(まで)に 流(なが)らへ散(ち)るは 何花(なにのはな)そも

 舉目望之者 其猶沫雪降斑駁 散華甚繽紛 吹雪流散飄目眩 蓋是何物之花哉

駿河釆女 1420

「沫雪(あわゆき)」,春雪,零而隨即消散之雪。

「斑(はだ)れ」,雪霜之類輕微積置之狀。

「流(なが)らへ散(ち)るは」,落花如流雨、流水之狀。蓋此指梅花吹雪之景。

「何花(なにのはな)」,原文「何物」者乃漢籍俗語,與「何」字同。


1421 尾張連歌二首 【名闕】

 春山之 開乃乎為里爾 春菜採 妹之白紐 見九四與四門

 春山(はるやま)の 咲(さ)きの撓(をを)りに 春菜摘(はるなつ)む 妹(いも)が白紐(しらひも) 見(み)らくし良(よ)しも

 佐保春山間 百花爭艷亂咲裏 屈身摘春菜 親愛吾妻白紐者 見之我心清清焉

尾張連 1421

「咲(さ)きの撓(をを)りに」,群花亂咲,枝葉繁茂而屈折之狀。表示植物欣榮之狀。

「妹(いも)が白紐(しらひも)」,概上衣胸口所結之紐。

1422 【承前】

 打靡 春來良之 山際 遠木末乃 開徃見者

 打靡(うちなび)く 春來(はるきた)るらし 山際(やまのま)の 遠木末(とほきこぬれ)の 咲行(さきゆ)く見(み)れば

 搖曳隨風動 萬象更新春臨哉 今見山之端 遙遙遠方木末稍 木花漸咲可察矣

尾張連 1422

「打靡(うちなび)く」,植物隨風蕩漾之狀。

萬葉集』卷十1865有作者不詳異傳歌,其前後論及櫻花,此曲所詠概亦櫻花哉

1423 中納言阿倍廣庭卿歌一首

 去年春 伊許自而殖之 吾屋外之 若樹梅者 花咲爾家里

 去年春(こぞのはる) い掘(こ)じて植(う)ゑし 我(わ)が宿(やど)の 若木梅(わかきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

 去年春日間 所掘植之我宿中 稚嫩樹梅者 光陰飛逝一年過 庭梅花咲報春暖

阿倍廣庭 1423

「い掘(こ)じて植(う)ゑし」,「い」乃接頭語。按『古事記』『琴歌譜』有「根掘(ねこ)じに掘(こ)じて」之語。


1425 【承前,四首第二。】

 足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳

 足引(あしひき)の 山櫻花(やまさくらばな) 日並(ひなら)べて 如是咲(かくさ)きたらば 甚戀(はだこ)ひめやも

 足曳勢險峻 山櫻花開齊爭艷 若得並日久 長綻如是咲悠悠 豈將甚戀如是乎

山部赤人 1425

「日並(ひなら)べて」,持續數日。

「甚戀(はだこ)ひめやも」,「甚(は)だ」乃「甚(はまは)だ」之略,此乃反語語氣。若花期長久,豈會依戀如是。「甚」字尚可讀作「いと」「いた」「いたく」等音,此依1405

「波太古非米夜母」讀「はだ」。又文武・元明朝良吏船史秦勝(ふなのむらじはだかつ)者,或書「甚勝(はだかつ)」。

1426 【承前,四首第三。】

 吾勢子爾 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者

 我(わ)が背子(せこ)に 見(み)せむと思(おも)ひし 梅花(うめのはな) 其(それ)とも見(み)えず 雪降(ゆきのふ)れれば

 奉為吾兄子 欲折其枝令彼觀 然此梅花者 真贗難辨惑迷離 雪積梅枝混真華

山部赤人 1426

<<。

「我(わ)が背子(せこ)」,此云男性友人,或作者擬女性觀點指其夫君。

「其(それ)とも見(み)えず」,無以識別孰是。此云白雪降置白梅枝上,莫能區別。

「雪降(ゆきのふ)れれば」,「降(ふ)れり」表結果殘存,故表現在雪降已止,而積雪仍在之狀態。

1427 【承前,四首第四。】

 從明日者 春菜將採跡 標之野爾 昨日毛今日母 雪波布利管

 明日(あす)よりは 春菜摘(はるなつ)まむと 標野(しめしの)に 昨日(きのふ)も今日(けふ)も 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ

 欲自翌日起 將摘春菜採新僉/觴標野者 昨日零雪今復降 飄雪紛紛無息時

山部赤人 1427

明日(あす)」,此云標節之翌日,而非擁此歌之翌日。

以上四首,乃體現赤人歌境沒入自然之代表作。

1428 草香山歌一首

 忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晚爾 吾越來者 山毛世爾 咲有馬醉木乃 不惡 君乎何時 徃而早將見

 押照(おして)る 難波(なには)を過(す)ぎて 打靡(うちなび)く 草香山(くさかのやま)を 夕暮(ゆふぐれ)に 我(わ)が越來(こえく)れば 山(やま)も狹(せ)に 咲(さ)ける馬醉木(あしび)の 惡(あ)しからぬ 君(きみ)を何時(いつ)しか 行(ゆ)きて早見(はやみ)む

 日光押照兮 澪標難波國今已過 打靡撓搖曳 生駒西翼草香山 夕暮黃昏時 我越彼山而來者 山狹峰綿密 所咲一面馬醉木 不惡令人憐 心念何時與君會 催步冀早拜君眉

佚名 1428

 右一首,依作者微,不顯名字

「押照(おして)る」,難波枕詞

難波(なには)を過(す)ぎて」,此「過」表已然經過之意。

「打靡(うちなび)く」,花草受風搖曳低撓之狀,此為草香山之枕詞

「我(わ)が越來(こえく)れば」,遷都平城之後,人自難波就京多延大和川經龍田道迂迴而來,但亦有越生駒山直行者,此為後者

「山(やま)も狹(せ)に」,山勢狹窄,綿密眾多。

「咲(さ)ける馬醉木(あしび)の」,以上既為翻越生駒三山草香山之景色描寫,亦為引出下文「惡(あ)しからぬ」之序文。

「惡(あ)しからぬ」,令人難以憎恨,使人憐愛。概對女性之稱。http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eight/m1428.html

此歌無反歌,不復反歌長歌者,於『萬葉集』尚見於0936、1800、3239、3242。

左注表編纂者雖知作者之名,但依身分卑微,遂刻意不誌之。

1429 櫻花歌一首 【并短歌

 娍嬬等之 頭插乃多米爾 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖爾 開爾雞類 櫻花能 丹穗日波母安奈爾

 娘子等(をとめら)が 髻首為(かざしのため)に 風流士(みやびを)の 縵為(かづらのため)と 敷坐(しきま)せる 國端(くにのはた)てに 咲(さ)きにける 櫻花(さくらのはな)の 匂(にほ)ひはも妍哉(あな)に

 娍嬬娘子等 欲為插頭髻首之 風流雅士等 欲為花鬘飾冠之 八隅治天下 大君敷坐國之端 所咲木花矣 櫻花滿開遍眼前 爭艷妍哉不勝收

若宮年魚麻呂 1429

「娘子等(をとめら)が」,於此自格助詞「の」「が」中取「が」之例。

風流士(みやびを)の」,雅士。識得風流男子

「國端(くにのはた)てに」,「端(はた)て」表周緣區域。

「匂(にほ)ひはも妍哉(あな)に」,「匂(にほ)ふ」表花色鮮艷美麗之狀。「妍哉(あな)」乃感歎詞,其下省略「麗(うるは)しい」等語。

1430 反歌 【承前。】

 去年之春 相有之君爾 戀爾手師 櫻花者 迎來良之母

 去年春(こぞのはる) 逢(あ)へりし君(きみ)に 戀(こ)ひにてし 櫻花(さくらのはな)は 迎(むか)へけらしも

 蓋是木花戀 去年春日所逢君 依依不能忘 是以今日櫻滿開 爭艷來迎訴慕情

若宮年魚麻呂 1430

 右二首,若宮年魚麻呂誦之。

「逢(あ)へりし君(きみ)に」,將櫻花擬人之表現

「迎(むか)へけらしも」,「迎(むか)へけるらしも」之略。

「誦」,惑說暗誦、吟誦之意。


1431 山部宿禰赤人歌一首

 百濟野乃 芽古枝爾 待春跡 居之鶯 鳴爾雞鵡鴨

 百濟野(くだらの)の 萩古枝(はぎのふるえ)に 春待(はるま)つと 居(を)りし鶯(うぐひす) 鳴(な)きにけむ哉(かも)

 顧思大和國 葛城之地百濟野 萩木古枝上 停踞待春鶯鳥者 既報春暖發啼哉

山部赤人 1431

「百濟野(くだらの)」,奈良北葛城郡廣陵町一代,蓋與0199「百濟原」同。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m02.htm#0199 或云橿原市高殿町朝堂院跡附近東百濟、西百濟一帶。

「萩古枝(はぎのふるえ)」,古枝云新芽未發之舊枝。或云枯枝。

「鳴(な)きにけむ哉(かも)」,原文連取「雞鵡鴨(むかも)」三鳥旁之字並列,屬戲書表現

1432 大伴坂上郎女柳歌二首

 吾背兒我 見良牟佐保道乃 青柳乎 手折而谷裳 見緣欲得

 我(わ)が背子(せこ)が 見(み)らむ佐保道(さほぢ)の 青柳(あをやぎ)を 手折(たを)りてだにも 見由(みむよし)もがも

 親親吾兄子 所見大和佐保道 道間青柳矣 吾雖欲觀手折枝 然苦無緣遂此願

坂上郎女 1432

「我(わ)が背子(せこ)が」,此指居於都城男子。未詳孰人。

「見(み)らむ」,此云作者居於大宰府之遠僻之地,或雖位居京都卻在跡見、竹田等遠隔都城中心之處所詠。

「佐保道(さほぢ)の」,通過今奈良市街北郊佐保地之路。大伴宅邸座落於茲。

「手折(たを)りてだにも」,此云至少能取得青柳之折枝以慰相思之情。

「見由(みむよし)もがも」,或文或書「見綵欲得」,此依『萬葉代匠記』校為「見緣欲得」。「由(よし)」乃機緣之意。


1433 【承前。】

 打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成爾雞類鴨

 打上(うちのぼ)る 佐保川原(さほのかはら)の 青柳(あをやぎ)は 今(いま)は春(はる)へと 成(な)りにけるかも

 沿岸溯上兮 佐保之川河原邊 所生青柳者 今披新兢盎然 已換春裝報年新

坂上郎女 1433

「打上(うちのぼ)る」,蓋云佐保地形,沿佐保川溯上之謂。

「春(はる)へ」,此云春柳新葉生長向榮,如換上春裝一般。

此歌雖錄柳歌,乃於佐保所作,詠時、所在地皆與前曲迥異。


1435 厚見王歌一首

 河津鳴 甘南備河爾 陰所見而 今香開良武 山振乃花

 蛙鳴(かはづな)く 神奈備川(かむなびかは)に 影見(かげみ)えて 今(いま)か咲(さ)くらむ 山吹花(やまぶきのはな)

 河蛙田雞鳴 飛鳥神奈備川間 倒影映可見 此時蓋已咲爭艷 妍哉山吹花者也

厚見王 1435

神奈備川(かむなびかは)」,流經神奈備之川。此概指飛鳥神奈備山之飛鳥川。

山吹花(やまぶきのはな)」,薔薇科落葉低木。春日開花,其色金黃。野生種五瓣,栽培種八重咲開徒花而不結實。


1436 大伴宿禰村上梅歌二首

 含有常 言之梅我枝 今旦零四 沫雪二相而 將開可聞

 含(ふふ)めりと 言(い)ひし梅(うめ)が枝(え) 今朝降(けさふ)りし 沫雪(あわゆき)に逢(あ)ひて 咲(さ)きぬらむ哉(かも)

 汝云其蕾裹 含苞待放梅枝者 蓋與今朝旦 所零沫雪兩相逢 故而將開始咲哉

大伴村上 1436

「含(ふふ)めりと 言(い)ひし梅(うめ)が枝(え)」,「言(い)ひし」之主語蓋為坂上郎女。1437蓋接本歌之後。又天平勝寶六年,大伴家持邸所催賀宴,有大伴村上詠4299之曲,或與之應答。

「沫雪(あわゆき)に逢(あ)ひて」,或云沫雪相遇,或云沫雪似花。

女方雖云梅花未咲,男子欲以賞花為藉口欲訪女方之曲。

1437 【承前。】

 霞立 春日之里 梅花 山下風爾 落許須莫湯目

 霞立(かすみた)つ 春日里(かすがのさと)の 梅花(うめのはな) 山嵐(やまのあらし)に 散(ち)りこす勿努(なゆめ)

 霧霞層湧兮 春日里間梅花矣 可憐此梅花 還冀汝能咲長久 莫為山嵐吹零落

「霞立(かすみた)つ」,敘述實景以修飾春日里之枕詞。亦有「霞(かすみ)」、「春日(かすが)」疊音之興。此語亦見於次曲,其作者駿河麻呂於卷三譬喻歌亦用「春霞 春日里」之相近表現。或許大伴村上駿河麻呂同獲坂上郎女之邀而造訪春日里哉。

本曲若與次曲相關,則可解作祈願坂上郎女之女兒幸福之意。


1438 大伴宿禰駿河丸歌一首

 霞立 春日里之 梅花 波奈爾將問常 吾念奈久爾

 霞立(かすみた)つ 春日里(かすがのさと)の 梅花(うめのはな) 花(はな)に問(と)はむと 我(わ)が思(おも)は無(な)くに

 霧霞層湧兮 春日里間梅花矣 吾之所訪者 豈猶徒花不結實 所念真誠情不輕

大伴駿河麻呂 1438

「霞立(かすみた)つ 春日里(かすがのさと)の 梅花(うめのはな)」,蓋喻坂上二孃。春日里乃坂上郎女別業之所在,而駿河麻於0407向坂上二孃求婚,於0402與坂上郎女唱和。此歌雖錄雜歌之中,寔近譬喻之疇。或與卷三0400詠梅者為同時之作。以上乃引出第四句「花(はな)に問(と)はむと」之序。

「花(はな)に問(と)はむと」,造訪乃發字真誠,不若徒花之終不結實。


1439 中臣朝臣武良自歌一首

 時者今者 春爾成跡 三雪零 遠山邊爾 霞多奈婢久

 時(とき)は今(いま) 春(はる)に成(な)りぬと 御雪降(みゆきふ)る 遠山邊(とほやまのへ)に 霞棚引(かすみたなび)く

 時者今者矣 春日臨來萬象新 御雪所紛降 遙遙彼方遠山邊 春霞棚引報年新

中臣武良自 1439

「時(とき)は今(いま)」,現在便是時機。原文「時者今者」文莫者字乃助字。

「春(はる)に成(な)りぬと」,と乃「とて」。以春霞湧立為報春之徵。

1440 河邊朝臣東人歌一首

 春雨乃 敷布零爾 高圓 山能櫻者 何如有良武

 春雨(はるさめ)の 頻頻降(しくしくふ)るに 高圓(たかまと)の 山櫻(やまのさくら)は 何如(いか)にかあるらむ

 顧思春雨之 頻頻紛降無歇時 不知寧樂之 高圓山間山櫻者 今時雨零作何如

河邊東人 1440

「春雨(はるさめ)の 頻頻降(しくしくふ)るに」,「に」表「之時」。「頻頻」表頻繁重複。


1441 大伴宿禰家持鶯歌一首

 打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑爾 鶯鳴裳

 打霧(うちき)らひ 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ 然(しか)すがに 我家園(わぎへのその)に 鶯鳴(うぐひすな)くも

 零雪降不止 雪霧瀰漫翳六合 雖然不能見 然吾宅邸庭院中 鳴鶯報方指家向

大伴家持 1441

「打霧(うちき)らひ」,曇霧瀰漫,籠罩天際之狀。

「然(しか)すがに」,雖然如此。

1442 大藏少輔丹比屋主真人歌一首

 難波邊爾 人之行禮波 後居而 春菜採兒乎 見之悲也

 難波邊(なにはへ)に 人(ひと)の行(ゆ)ければ 後居(おくれゐ)て 春菜摘(はるなつ)む兒(こ)を 見(み)るが悲(かな)しさ

 樂浪難波邊 人之行去離家後 留居在此地 屈身摘取春菜兒 見之悲由方寸來

丹比屋主 1442

「大藏少輔」,大藏省次官。少輔乃次官大輔之輔佐,相當從五位下。大藏省管理國庫糴糶、調庸收納、錢貨、物價、度量衡等事。

「人(ひと)の行(ゆ)ければ」,此「人」指後句「春菜摘(はるなつ)む兒(こ)」之丈夫。

「後居(おくれゐ)て」,他人離去後,留居之人。

「見(み)るが悲(かな)しさ」,原文「見之悲也」末尾「也」乃助字。

1443 丹比真人乙麻呂歌一首 【屋主真人之第二子也。】

 霞立 野上乃方爾 行之可波 鸎鳴都 春爾成良思

 霞立(かすみた)つ 野上方(ののうへのかた)に 行(ゆ)きしかば 鶯鳴(うぐひすな)きつ 春(はる)に成(な)るらし

 霞霧層湧兮 低丘野上之方矣 行之所見者 黃鶯出谷報年新 儼然春日既臨矣

丹比乙麻呂 1443

野上(ののうへ)」,低山或台地周遭。

「行(ゆ)きしかば」,「行き」乃作者之動作,「しかば」乃敘述偶然發生事件之確定條件詞。

「鶯鳴(うぐひすな)きつ」,「鳴(な)く」可接「ぬ」・「つ」修飾,「鳴きぬ」表持續或習慣事實,「鳴きつ」則為即時、瞬時之事實。


1444 高田女王歌一首 【高安之女也。】

 山振之 咲有野邊乃 都保須美禮 此春之雨爾 盛奈里雞利

 山吹(やまぶき)の 咲(さ)きたる野邊(のへ)の 壺菫(つほすみれ) 此春雨(このはるのあめ)に 盛(さか)りなりけり

 棣棠山吹之 所咲一面野邊間 墨斗壺菫矣 在此春雨綿綿中 欣欣向榮真盛也

高田女王 1444

高安(たかやす)」,大原真人高安。1504題詞亦見此略稱。

「壺菫(つほすみれ)」,蓋與「菫(すみれ)」同。古語「菫(すみれ)」乃「墨入(すみい)れ」之略,取其花形猶墨壺之故。世異時移,人忘此原意,重以壺字冠之。或云,立壺菫之略。又『新撰字鏡』云「墨斗,すみつも。」


1445 大伴坂上郎女歌一首

 風交 雪者雖零 實爾不成 吾宅之梅乎 花爾令落莫

 風交(かぜまじ)り 雪(ゆき)は降(ふ)るとも 實(み)に成(な)らぬ 我家梅(わぎへのうめ)を 花(はな)に散(ち)らす莫(な)

 雖然天候險 風雪交雜霰亂零 尚未結實之 吾宅庭苑所植梅 莫唯徒花輙零散

坂上郎女 1445

「風交(かぜまじ)り」,蓋「風(かぜ)に交(まじ)り」之略。

「實(み)に成(な)らぬ」,明指雖開花而未結實之稚梅,暗喻大伴坂上郎女女兒坂上二孃。

「花(はな)に散(ち)らす莫(な)」,莫令其未結果之前而散落,勿使其終於徒花而已。

1446 大伴宿禰家持春鴙歌一首

 春野爾 安佐留鴙乃 妻戀爾 己我當乎 人爾令知管

 春野(はるのの)に 漁(あさ)る雉(きぎし)の 妻戀(つまご)ひに 己(おの)が當(あたり)を 人(ひと)に知(し)れつつ

 春日原野間 徘徊覓餌雄稚矣 戀妻不能禁 搏羽鳴啼喚聲響 發露己所令人知

大伴家持 1446

「春鴙(きぎし)」,卷十春雜歌1866有「雉鳴く高圓邊」之曲。其第一句原文作「春鴙名」,故可合訓「春鴙」二字作「きぎし」。

「漁(あさ)る」,探求食物。

「雉(きぎし)」,「雉(きじ)」之古名。雉棲息於低山性丘陵,繁殖期為春,期間高鳴、搏羽,以吸引異性注意。

「己(おの)が當(あたり)を」,己表雉自身。

「人(ひと)に知(し)れつつ」,「知(し)れ」乃「令知」之意。

1447 大伴坂上郎女歌一首

 尋常 聞者苦寸 喚子鳥 音奈都炊 時庭成奴

 世常(よのつね)に 聞(き)けば苦(くる)しき 呼子鳥(よぶこどり) 聲懷(こゑなつ)かしき 時(とき)には成(な)りぬ

 尋常聞彼聲 意所不快喚子鳥 不知幾時間 久不聞音反戀慕 至於如此時節矣

坂上郎女 1447

 右一首,天平四年三月一日佐保宅作。

「世常(よのつね)」,世之常理,一般而言,尋常

呼子鳥(よぶこどり)」,多半指郭公。於此或指五位鷺,聲似烏鴉,叫聲令人不快

「聲懷(こゑなつ)かしき」,令人懷念、渴望其聲。原文「炊」字乃依「蒸(かしく)」連用詞態之借訓。

春相聞

1448 大伴宿禰家持贈坂上家之大孃歌一首

 吾屋外爾 蒔之瞿麥 何時毛 花爾咲奈武 名蘇經乍見武

 我(わ)が宿(やど)に 蒔(ま)きし撫子(なでしこ) 何時(いつ)しかも 花(はな)に咲(さ)きなむ 擬(なそ)へつつ見(み)む

 吾人屋戶外 所蒔瞿麥撫子矣 不知至何時 方得開花展咲顏 擬作汝命常端詳

大伴家持 1448

「撫子(なでしこ)」,河原撫子。秋草七種之一。春日播種,夏秋開花。家持多有詠撫子之曲。

「何時(いつ)しかも」,切望撫子早日開花之情。

「擬(なそ)へ」,將花視為坂上大孃之倩影。

伊勢物語』異九,錄有異歌。

1449 大伴田村家之大孃與妹坂上大孃歌一首

 茅花拔 淺茅之原乃 都保須美禮 今盛有 吾戀苦波

 茅花拔(つばなぬ)く 淺茅(あさぢ)が原(はら)の 壺菫(つほすみれ) 今盛(いまさか)り成(な)り 我(あ)が戀(こ)ふらくは

 摘取拔茅花 淺茅之原所生息 墨斗壺菫矣 我戀正如彼壺菫 方今正盛情不盡

田村大孃 1449

「大孃與妹坂上大孃」,『萬葉集』中受餽者居下位時多半用「與」字,上位時用「贈」字。家持視坂上大孃為家族,故採謙讓表現

「茅花(つばな)」,茅之花穗。

「壺菫(つほすみれ)」,以上乃引出「今盛(いまさか)り」之序。


1450 大伴宿禰坂上郎女歌一首

 情具伎 物爾曾有雞類 春霞 多奈引時爾 戀乃繁者

 心(こころ)ぐき 物(もの)にそ在(あり)ける 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く時(とき)に 戀繁(こひのしげ)きは

 鬱悶情憂苦 如此之事寔有之 春霞繫天際 棚引不去滯虛時 徒引戀繁憂甚矣

坂上郎女 1450

「大伴宿禰坂上郎女」,正式呼稱身分高貴女性時,須連姓(かばね)稱之。

「心(こころ)ぐき」,心情鬱悶不快。本歌與0735同以景色誘發鬱悶之情。

「戀繁(こひのしげ)きは」,『萬葉集』中之「戀」,往往表示對異性情慾或思慕之愛情。無論是正當或背者皆用之。


1451 笠女郎大伴家持歌一首

 水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞

 水鳥(みづどり)の 鴨羽色(かものはいろ)の 春山(はるやま)の 覺束無(おほつかな)くも 思(おも)ほゆるかも

 游弋水鳥兮 鴨之羽色耀濃僉―媚廓圭蠻 〔貸托渺無覺束 所念忐忑憑鯑

笠郎女 1451

「水鳥(みづどり)の」,「鴨」之枕詞

「鴨羽色(かものはいろ)の 春山(はるやま)の」,雄性真鴨,頭、頸乃帶光澤之濃僉ね稻鰲儻。故為新兔媚廓携喻。

「覺束無(おほつかな)くも」,景色為霧所籠罩,導致無法特定形狀,朦朧不清。此比喻笠女郎不安於家持之情意曖昧


1452 紀女郎歌一首 【名曰小鹿也。】

 闇夜有者 宇倍毛不來座 梅花 開月夜爾 伊而麻左自常屋

 闇(やみ)ならば 宜(うべ)も來坐(きま)さじ 梅花(うめのはな) 咲(さ)ける月夜(つくよ)に 出坐(いでま)さじとや

 闇夜之也者 理宜不來吾悉知 然觀梅花咲 暗香浮動此月夜 汝寔不出訪來耶

紀小鹿 1452

「闇(やみ)ならば」,原文「闇夜」表無月光之夜晚,特別是二十日之後之夜。

「出坐(いでま)さじとや」,「出坐(いでま)す」乃來訪之敬語

蓋與1661同時所作,並為贈與家持之曲。


1453 天平五年癸酉春閏三月,笠朝臣金村贈入唐使歌一首 【并短歌。】

 玉手次 不懸時無 氣緒爾 吾念公者 虛蟬之 世人有者 大王之 命恐 夕去者 鶴之妻喚 難波方 三津埼從 大舶爾 二梶繁貫 白浪乃 高荒海乎 嶋傳 伊別徃者 留有 吾者幣引 齋乍 公乎者將往 早還萬世

 玉襷(たまだすき) 懸(か)けぬ時無(ときな)く 息緒(いきのを)に 我(あ)が思(おも)ふ君(きみ)は 空蟬(うつせみ)の 世人(よのひと)なれば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 夕去(ゆふさ)れば 鶴(たづ)が妻呼(つまよ)ぶ 難波潟(なにはがた) 三津崎(みつのさき)より 大船(おほぶね)に 真梶繁貫(まかぢしじぬ)き 白波(しらなみ)の 高(たか)き荒海(あるみ)を 島傳(しまづた)ひ い別行(わかれゆ)かば 留(とど)まれる 我(われ)は幣引(ぬさひ)き 齋(いは)ひつつ 君(きみ)をば遣(や)らむ 早歸坐(はやかへりま)せ

 玉襷懸頸上 無時卸解莫忘懷 賭命此息緒 吾所寄情念君者 空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 每逢夕陽斜 鶴之呼妻啼哀鳴 澪標難波潟 港灣御湊三津崎 大船自此發 真梶繁貫列楫槳 白波湧驚心 駭浪濤天此荒海 傳島跳嶼而 一一別兮航行去 留守居故土 吾人奉齋執幣帛 祈好去好來 戍此還冀君無事 但願早歸來復命

笠金村 1453

「入唐使」,第十次遣唐使。大使多治比真人廣成。三月廿ㄧ日朝拜,閏三月廿六日賜節刀,四月三日自難波津發向。山上億良「好去好來歌」、卷九1790、卷十九4245亦為此時所作。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0894

「玉襷(たまだすき)」,修飾動詞「懸(か)く」之枕詞

「懸(か)けぬ時無(ときな)く」,無時忘懷,時時掛念於心。

「息緒(いきのを)」,性命。

「空蟬(うつせみ)の」,無常世人之比喻,「世」、「人」、「命」之枕詞。諸本原文「虛蟬之 命恐」,而按『萬葉代匠記』其間脫「世人有者 大王之」。概早期書寫者誤以空蟬為命之枕詞而漏簡哉。

「幣(ぬさ)」,祭神之供品。

「齋(いは)ひつつ」,淨身潔齋,不令穢惡沾染。留守之人,齋戒以祈禱行旅者平安無事。按『魏志倭人傳』,「其行來渡海詣中國,恆使一人,不梳頭,不去蟣蝨,衣服垢污,不食肉,不近婦人,如喪人。名之為持衰。」


1454 反歌 【承前。】

 波上從 所見兒嶋之 雲隱 空氣衝之 相別去者

 波上(なみのうへ)ゆ 見(み)ゆる小島(こしま)の 雲隱(くもがく)り 痛息衝(あないきづ)かし 相別(あひわか)れなば

 滄溟波濤上 所觀遠去小島之 雲隱匿不見 嗚呼哀歎痛惜矣 惋思將別相去者

笠金村 1454

「雲隱(くもがく)り」,以上三句,表示至今所見漸漸遁隱不可視不安之情,引出「息衝(いきづ)かし」之序文。

「痛息衝(あないきづ)かし」,嘆息之狀。「痛(あな)」原文「空」者,依類聚古集而來也。


1455 【承前。】

 玉切 命向 戀從者 公之三船乃 梶柄母我

 靈剋(たまきは)る 命(いのち)に向(むか)ひ 戀(こひ)むゆは 君(きみ)が御船(みふね)の 梶柄(かぢから)にもが

 靈剋魂極矣 不顧身命若飛矢 直向戀慕者 還欲為君御船上 梶柄之疇常相伴

笠金村 1455

「命(いのち)に向(むか)ひ」,以命為射箭之的。

「梶柄(かぢから)にもが」,「梶柄(かぢから)」乃船槳手握之部分。「にもが」,乃欲得,希望成為之意。表示祈望成為遣唐史船之部品而常時相伴。


1456 藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首

 此花乃 一與能內爾 百種乃 言曾隱有 於保呂可爾為莫

 此花(このはな)の 一節內(ひとよのうち)に 百種(ももくさ)の 言(こと)そ隱(こも)れる 凡(おほろ)かにす莫(な)

 此花一節內 千言萬語蘊其間 百種言難盡 隱含其間名狀難 莫輙視之以為凡

藤原廣嗣 1456

「一節(ひとよ)」,未詳。蓋「枝(え)」之轉,「え・よ」相通之例,可見於金比羅山竈跡出土須惠器書江沼郡作「與野評」等。或云花瓣之古語

「百種(ももくさ)の 言(こと)」,欲語汝訴說之千言萬語。


1457 娘子和歌一首 【承前。】

 此花乃 一與能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也

 此花(このはな)の 一節內(ひとよのうち)は 百種(ももくさ)の 言持兼(こともちか)ねて 折(を)らえけらずや

 此花一節內 千言萬語蘊其間 蓋不勝百種 千斤萬念荷甚重 遂而枝折故也哉

娘子 1457

此花(このはな)の 一節內(ひとよのうち)は」,承前曲廣嗣之作。

「折(を)らえけらずや」,向對方求證事實之語法。

相對廣嗣誇大情念之作,以風趣迂迴之語法所返之歌。

1458 厚見王贈久米女郎歌一首

 室戶在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地爾落良武

 宿(やど)に在(あ)る 櫻花(さくらのはな)は 今(いま)もかも 松風早(まつかぜはや)み 地(つち)に散(ち)るらむ

 汝宅室戶間 庭苑所植櫻花者 在於今時頃 蓋為松風吹勁疾 虛零徒散遍地哉

厚見王 1458

「宿(やど)」,此云久米女郎之邸。

「地(つち)に散(ち)るらむ」,此云無法與對方一同觀看而虛無地零落一地之狀。


1459 久米女郎報贈歌一首 【承前。】

 世間毛 常爾師不有者 室戶爾有 櫻花乃 不所比日可聞

 世間(よのなか)も 常(つね)にしあらねば 宿(やど)に在(あ)る 櫻花(さくらのはな)の 散(ち)れる頃(ころ)かも

 浮生憂世間 諸行無常如此矣 故觀室戶間 庭苑所植櫻花者 今當零落散頃哉

久米女郎 1459

「世間(よのなか)」,一生之中,或解作男女之仲。

「常(つね)」,恆久不變。

此曲承前,厚見王之歌云遺憾無暇相見,久米女郎則訴人心與櫻花易變,難以久長。


1460 紀女郎贈大伴宿禰家持歌二首

 戲奴【變云,和氣。】之為 吾手母須麻爾 春野爾 拔流茅花曾 御食而肥座

 戲奴(わけ)【變云(かへにいふ)、わけ。】が為(ため) 我(あ)が手(て)も濟(す)まに 春野(はるのの)に 拔(ぬ)ける茅花(つばな)そ 召(め)して肥(こ)えませ

 此乃為戲奴 吾手寔繁無停歇 身踞春野間 為汝所拔茅花矣 速速食之果腹肥

女郎 1460

「戲奴(わけ)」,與「若(わか)し」同,揶揄年輕人之呼稱,或自認不夠成熟者之自稱詞。用此詞之曲,多含戲笑性質。

「變(かへ)」,此與「反(反切)」字同。表發音之注記。

「我(あ)が手(て)も濟(す)まに」,無暇停下手上之事。「濟(す)む」乃休息之意而「に」為取消助動詞連用形

1461 【承前。】

 晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳將見哉 和氣佐倍爾見代

 晝(ひる)は咲(さ)き 夜(よる)は戀寢(こひぬ)る 合歡木花(ねぶのはな) 君(きみ)のみ見(み)めや 戲奴(わけ)さへに見(み)よ

 晝者咲開而 入夜閉合戀寢矣 合歡木之花 汝唯關注主君哉 還願亦見戲奴矣

女郎 1461

 右,折攀合歡花并茅花贈也。

「合歡木花(ねぶのはな)」,自生山野之豆科落葉高木夏日群開淡紅牡丹刷毛狀之花。以其葉者,葉間閉合而眠,故日文稱「寢(ね)ぶ」,漢籍則多用之隱喻男女交合,遂稱之合歡。

「君(きみ)」,一般為對男性之敬稱,此則為紀女郎戲笑自身為戲奴之主。

「戲奴(わけ)さへに見(み)よ」,「さへ」原文「副」,此有「亦」之意。「に」表資格

作者以ねぶ漢名「合歡」興感,入謎此歌,贈於家持,促其來訪。


1462 大伴家持和歌二首 【承前。】

 吾君爾 戲奴者戀良思 給有 茅花手雖喫 彌瘦爾夜須

 我(あ)が君(きみ)に 戲奴(わけ)は戀(こ)ふらし 賜(たば)りたる 茅花(つばな)を食(は)めど 彌瘦(いやや)せに瘦(や)す

 愛也吾君矣 戲奴戀慕獻真情 所賜茅花者 吾雖喫之憂難忘 瘦之彌瘦更憔悴

大伴家持 1462

大伴家持」,以下書家持之文,未冠宿禰之姓。其他如書持、清繩、村上等大伴一族之人,亦略其姓。或云,此乃卷八為大伴家持私撰之一證。

「戲奴(わけ)」,此為一人稱自謙詞。

「賜(たば)りたる」,「賜(たば)る」乃「賜(たまは)る」之略,而謙讓度稍低。

「彌瘦(いやや)せに瘦(や)す」,雖食女方所贈茅花,卻因苦於戀憂,形影更為消瘦。

1463 【承前。】

 吾妹子之 形見乃合歡木者 花耳爾 咲而盖 實爾不成鴨

 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)の合歡木(ねぶ)は 花(はな)のみに 咲(さ)きて蓋(けだ)しく 實(み)に成(な)らじ哉(かも)

 親親吾妹子 所贈形見合歡木 吾觀彼木花 蓋為徒花唯咲而 不成結實無所終

大伴家持 1463

「蓋(けだ)しく」,意同「蓋(けだ)し」。蓋藉形容詞副詞形活用語尾所成之類推形。

「實(み)に成(な)らじ哉(かも)」,「じ哉(かも)」強調否定之推量語尾。

寓含「該不會擬對我的感情不過是一時的而已吧」之曲。

1464 大伴家持贈坂上大孃歌一首

 春霞 輕引山乃 隔者 妹爾不相而 月曾經去來

 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く山(やま)の 隔(へな)れれば 妹(いも)に逢(あ)はずて 月(つき)そ經(へ)にける

 春霞棚引之 奈良鹿脊連山並 以彼所隔者 令我無由與妹逢 徒經日月募相思

大伴家持 1464

 右,從久邇京贈寧樂宅。

「春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く山(やま)の」,此山者隔於平城京、久邇京間之奈良、鹿脊山地

「隔(へな)」,「隔(へ)になる」之略。

「月(つき)そ經(へ)にける」,前月已去而新月來兮。

天平十二年,藤原廣嗣起事,朝廷動盪。十二月九日,聖武天皇忽起乘輿,巡幸東國,歷伊賀伊勢美濃近江,至久邇之地,以為新京,達三年許。當時,家持隨幸,而家族仍居平城。期間,家持戀留居之妻・大孃,作0765~0768, 0770, 1032, 1036等歌。


夏雜歌

1465 藤原夫人歌一首 【明日香清御原宮御宇(天武)天皇之夫人也。字曰,大原大刀自,即新田皇子之母也。】

 霍公鳥 痛莫鳴 汝音乎 五月玉爾 相貫左右二

 霍公鳥(ほととぎす) 甚莫鳴(いたくなな)きそ 汝(な)が聲(こゑ)を 五月玉(さつきのたま)に 相貫(あへぬ)く迄(まで)に

 杜鵑霍公鳥 汝莫甚啼四月中 吾惜汝之音 願待五月貫藥玉 結作長命縷日止

藤原大原大刀自 1465

「夫人」,后宮職員。第位次於皇族出身之妃,而高於嬪。定員三名。

「甚莫鳴(いたくなな)きそ」,杜鵑多半鳴於五月,此於四月聞其聲,還恐五月之時已乏新鮮感。期望其保留其聲,至於五月時節。

「五月玉(さつきのたま)」,五月五日端午節句,以菖蒲、蓬、菊花等貫絲鎖成之藥玉。來自中國長命縷之習俗,將麝香、沉香等相藥置於錦袋,以五色絲飾之。

「相貫(あへぬ)く迄(まで)に」,「相(あへ)」乃相合之意。古俗有將五月要玉與杜鵑啼聲交貫欣賞之趣。

1466 志貴皇子御歌一首

 神名火乃 磐麈啓卩掘$晃鳥 毛無乃岳爾 何時來將鳴

 神奈備(かむなび)の 磐鷦(いはせのもり)の 霍公鳥(ほととぎす) 毛無岡(けなしのをか)に 何時(いつ)か來鳴(きな)かむ

 三諸神奈備 磐麈啓卍端蘓后$晃鳥者也 何時得來毛無岡 啼鳴禿丘報夏至

志貴皇子 1466

「毛無岡(けなしのをか)」,所在未詳。或云奈良生駒郡三鄉町信貴山西,其東北法隆寺法隆寺北有毛無池,或該處之丘陵。一般土攘貧瘠,無草木生長之枯山,以毛無山稱之。全國所在多有。

1467 弓削皇子御歌一首

 霍公鳥 無流國爾毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母

 霍公鳥(ほととぎす) 無(な)かる國(くに)にも 行(ゆ)きてしか 其鳴聲(そのなくこゑ)を 聞(き)けば苦(くる)しも

 吾願離此地 去無霍公鳥之國 此心焦如焚 杜鵑鳴聲勾思愁 每聞其鳴盛戀苦

弓削皇子 1467

「無(な)かる國(くに)にも」,「無(な)かる」乃「無(な)くある」之略。「國」乃漠然地只某個地域。「も」與後句之願望表現呼應。

「行(ゆ)きてしか」,「てしか」乃表願望之終助詞

「聞(き)けば苦(くる)しも」,作者弓削皇子伴持統天皇隨幸吉野,作歌111「古に戀ふる鳥かも」贈與留守明日香額田王。此歌亦云不願聞鳥鳴,實則聞之憶及過往回憶,更發相思之苦。

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2017-02-17-金

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補給物資

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万葉集試訳

1399 【承前,五首第二。】

 百傳 八十之嶋迴乎 榜船爾 乘爾志情 忘不得裳

 百傳(ももづた)ふ 八十島迴(やそのしまみ)を 漕船(こぐふね)に 乘(の)りにし心(こころ) 忘兼(わすれか)ねつも

 百傳數繁兮 八十嶋迴榜船間 所乘之情矣 汝寄信鰒畍禺圈吾妻之心不得忘

佚名 1399

「百傳(ももづた)ふ」,連數至百,「八十」、「五十」之枕詞


1400 【承前,五首第三。】

 嶋傳 足速乃小舟 風守 年者也經南 相常齒無二

 島傳(しまづた)ふ 足速小舟(あばやのをぶね) 風守(かぜまも)り 年(とし)はや經(へ)なむ 逢(あ)ふとは無(な)しに

  繼島越嶼兮 足速小舟疾舸矣 俟風待時間 不覺年者早經去 馬齒徒長未得逢

佚名 1400

「島傳(しまづた)ふ」,接二連三巡航數島之間。島不僅指海島,亦指海上所見之陸地。

「足速小舟(あばやのをぶね)」,巡弋速度飛快之機敏小舟。男子自詡機敏果敢具行動力乎。

「風守(かぜまも)」,等待風向轉至適合發船。

類歌1390。男子自詡行事積極,卻唯獨對戀情保守怯足,錯失良機之曲。

1401 【承前,五首第四。】

 水霧相 奧津小嶋爾 風乎疾見 船緣金都 心者念杼

 水霧(みなぎ)らふ 沖小島(おきつこしま)に 風(かぜ)を疾(いた)み 船寄兼(ふねよせか)ねつ 心(こころ)は思(おも)へど

 水霧瀰漫兮 沖瀛奧津小島矣 逆風疾且勁 船以駭浪難緣近 心雖常念無所遂

佚名 1401

「水霧(みなぎ)らふ」,為水煙瀰漫所籠罩。

「沖小島(おきつこしま)に」,比喻可遠觀而無以接近之女性

「風(かぜ)を疾(いた)み」,比喻有妨礙兩者戀情之仁


1402 【承前,五首第五。】

 殊放者 奧從酒嘗 湊自 邊著經時爾 可放鬼香

 殊放(ことさ)けば 沖(おき)ゆ放(さ)けなむ 湊(みなと)より 邊付(へつ)かふ時(とき)に 放(さ)くべき物(もの)か

 若將疏離者 當自沖瀛疏離矣 如今既經湊 將緣邊岸欲泊時 相避疏遠豈宜哉

佚名 1402

「殊放(ことさ)けば」,「殊(こと)」字與「如(ごと)」同,表同一、同類之用。「放(さ)け」表離放、疏遠。

「沖(おき)ゆ放(さ)けなむ」,反事實希求用語。遠洋・沖比喻不為他人察覺,或自身尚未陷入之狀態。

「湊(みなと)より」,湊表河口,而「より」表經由。

「邊付(へつ)かふ時(とき)に」,船靠岸之際。

「放(さ)くべき物(もの)か」,責怪對方言行之語調。

憤慨對象在即將結婚前毀約之曲。

1403 旋頭歌

 三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴

 御幣取(みぬさと)り 三輪祝(みわのはふり)が 齋(いは)ふ杉原(すぎはら) 薪伐(たきぎこ)り 殆(ほとほと)しくに 手斧取(てをのと)らえぬ

 恭執奉御幣 御諸三輪社祝所 鎮齋大神杉原矣 伐薪樵夫者 殆將犯禁入神域 揮動手斧伐之矣

佚名 1403

「御幣取(みぬさと)り」,「幣(ぬさ)」乃奉獻予神之品物。

三輪祝(みわのはふり)が」,三輪指座落三輪山麓之大神神社,祝乃下級神官

「齋(いは)ふ杉原(すぎはら)」,細心潔齋鎮護,不令染穢之神杉

「薪伐(たきぎこ)り」,取材之樵夫。比喻向深窗令孃搭訕之己身。

「殆(ほとほと)しく」,怠將。

手斧(てをの)」,山鉈等工具。

此云犯禁接近深窗之女性,差點便將鑄下大禍。


挽歌

1404 雜挽 【十二第一。】

 鏡成 吾見之君乎 阿婆乃野之 花橘之 珠爾拾都

 鏡成(かがみな)す 我(わ)が見(み)し君(きみ)を 阿婆野(あばのの)の 花橘(はなたちばな)の 玉(たま)に拾(ひり)ひつ

 明鏡之所如 吾之日日所常見 君姿不復在 我今屈身阿婆野 拾撿花橘珠玉

佚名 1404

挽歌」,哀悼人死之曲。

「鏡成(かがみな)す」,如鏡一般時時觀看親近之人物

「阿婆野(あばのの)の」,所在未詳。

「花橘(はなたちばな)の 玉(たま)」,花橘乃橘樹開花時之稱。花橘之珠比喻火葬後之骨灰。


1405 【承前,十二第二。】

 蜻野叫 人之懸者 朝蒔 君之所思而 嗟齒不病

 秋津野(あきづの)を 人懸(ひとのか)くれば 朝撒(あさま)きし 君(きみ)が思(おも)ほえて 嘆(なげ)きは止(や)まず

 每逢聞人言 大和蜻蜓秋津野 吾憶君往時 朝日野中撒灰景 哀愁歎息不能止

佚名 1405

秋津野(あきづの)を」,秋津所在未詳。或大和之美稱。

「人懸(ひとのか)くれば」,「懸(か)く」乃揚言,說出口之意。

「朝撒(あさま)きし」,火葬翌朝,散撒骨灰。當時庶民普遍不造墓,而有散骨習俗

1406 【承前,十二第三。】

 秋津野爾 朝居雲之 失去者 前裳今裳 無人所念

 秋津野(あきづの)に 朝居(あさゐ)る雲(くも)の 失去(うせゆ)けば 昨日(きのふ)も今日(けふ)も 亡人思(なきひとおも)ほゆ

 每見秋津野 朝日居雲消散去 憶彼煙雲者 無論昨日或今日 皆念故人方寸悲

佚名 1406

「朝居(あさゐ)る雲(くも)の」,此云作者見朝雲連想比時近親火化之煙雲。

1407 【承前,十二第四。】

 隱口乃 泊鷸骸ぁ_睥 棚引雲者 妹爾鴨在武

 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)に 霞立(かすみた)ち 棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ

 盆底隱國兮 長谷泊鷸劃詐紂〕霞漫天邊 流連棚引之雲者 可是吾妻所化哉

佚名 1407

「棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ」,0482有柿本人麻呂火葬土形娘子泊鷸鎧歌「隱國の 初鷸海痢〇該櫃法〕頴雲は 妹にかもあらむ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0428

1408 【承前,十二第五。】

 狂語香 逆言哉 隱口乃 泊鷸骸ぁ」為云

 狂言(たはこと)か 逆言(およづれこと)か 隱國(こもりく)の 泊鷸(はつせのやま)に 廬為(いほりせ)りと云(い)ふ

 狂言妖語哉 亦或逆言惑眾哉 人云汝結盧 盆底隱國泊鷸魁〇擬永眠豈寔哉

佚名 1408

狂言(たはこと)」,誑語,或精神異常者所述之言。『新撰字鏡』云:「誑,くちばしる。又たはこと、又くるひてもの云。」

「逆言(およづれこと)」,妖言,惑眾之語。『天武紀』云:「有人登宮東岳,妖言(およづれこと)而自刎死之。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki29.htm#sk29_02 於此,並用狂言、逆言之語,表示不願相信人死噩耗之狀。

「廬為(いほりせ)りと云(い)ふ」,此將下葬山野之事以宿於羈旅之形述之。

1409 【承前,十二第六。】

 秋山 黃葉𢘟怜 浦觸而 入西妹者 待不來

 秋山(あきやま)の 黃葉憐(もみちあは)れと 衷觸(うらぶ)れて 入(い)りにし妹(いも)は 待(ま)てど來坐(きま)さず

 汝云秋山之 黃葉繽紛令人憐 神貌黯然而 迷入山中吾妻矣 雖久待之不來歸

佚名 1409

「黃葉憐(もみちあは)れと」,雖云紅葉可人憐愛。古俗以為,人死之後,其魂紛入山野。常見和歌以尋求紅葉迷失山林為死亡之隱喻。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m02.htm#0208

「衷觸(うらぶ)れ」,死者往赴冥界之黯然表情。『萬葉集』3303「川鵑髻ー建渡りて 衷觸れて 夫は逢ひきと 人そ告げつる」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m13.htm#3303

1410 【承前,十二第七。】

 世間者 信二代者 不徃有之 過妹爾 不相念者

 世間(よのなか)は 誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし 過(す)ぎにし妹(いも)に 逢(あ)は無(な)く思(おも)へば

 浮生世間者 一旦徃去莫復來 今思吾愛妻 撒手人間離世後 無由相逢可知之

佚名 1410

「誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし」,人生莫有二度。「行(ゆ)く」表經過。

「過(す)ぎにし妹(いも)に」,「過(す)ぐ」乃死亡之敬避表現

1411 【承前,十二第八。】

 福 何有人香 鉐之 白成左右 妹之音乎聞

 幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か 鉐(くろかみ)の 白(しろ)く成(な)る迄(まで) 妹(いも)が聲(こゑ)を聞(き)く

 何幸之有者 得以至福如此矣 鉐執其手 與之偕老化白髮 尚得日日聞妻聲

佚名 1411

「幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か」,何等幸福之人,方能...之意。「か」字乃連接助詞,故文末為連體中止形。

本曲不直述喪妻之慟,以稱羨他人得以白頭偕老,間接哀歎喪偶之悲。


1412 【承前,十二第九。】

 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向爾宿之久 今思悔裳

 我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと 辟竹(さきたけ)の 背向(そがひ)に寢(ね)しく 今(いま)し悔(くや)しも

 親親吾夫子 莫知汝命何處去 早知如此者 憶及過往如辟竹 背向而寢今甚悔

佚名 1412

「我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと」,吾夫不知身去何方。隱諱表示天人永隔之狀。

「辟竹(さきたけ)の」,「背向」之枕詞。劈裂竹子之後,往表背相疊,無以同向相對。

後悔未能在夫君生前把握春宵纏綿之曲。類歌3577,而男女立場相反。

1413 【承前,十二第十。】

 庭津鳥 可雞乃垂尾乃 亂尾乃 長心毛 不念鴨

 庭鳥(にはつとり) 雞垂尾(かけのたりを)の 亂尾(みだれを)の 長心(ながきこころ)も 思(おも)ほえぬかも

 庭鳥常鳴鳥 雞之垂尾亂尾矣 吾不如彼尾 能持悠心垂且長 哀切心焚殆毀滅

佚名 1413

「庭鳥(にはつとり)」,雞之枕詞。當時家雞形似野雞,飼作報時之用。

「雞垂尾(かけのたりを)の」,「雞(かけ)」字來自雞名之音。

「亂尾(みだれを)の」,以上乃引出「長」字之序。

「長心(ながきこころ)」,悠長之心境。

喪偶悲慟之曲。


1414 【承前,十二十一。】

 薦枕 相卷之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責

 薦枕(こもまくら) 相枕(あひまき)し子(こ)も 在(あ)らばこそ 夜更(よのふ)くらくも 我(あ)が惜(を)しみせめ

 若有佳人在 得以相枕與共者 方惜春宵短 今後孤枕無人伴 何恨夜更惜天明

佚名 1414

「薦枕(こもまくら)」,以菰薦所製之麤枕。

「相枕(あひまき)し子(こ)も」,相枕之妻子。

此云,妻子在世,方惜春宵苦短,今日天人永隔,唯恨秋夜之長。

1415 【承前,十二十二。】

 玉梓能 妹者珠氈 足冰木乃 清山邊 蒔散漆

 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は玉哉(たまかも) 足引(あしひき)の 清山邊(きよきやまへ)に 撒(ま)けば散(ち)りぬる

 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶玉珠 足曳峻嶮清山邊 掬之蒔撒散紛紛

佚名 1415

「玉梓(たまづさ)」,妹之枕詞。本指信使所攜之杖,引申為互通信息之用。

「妹(いも)は玉哉(たまかも)」,昔日書信往來之妻子,今日化作珠玉一般。骨灰之隱喻。

「撒(ま)けば散(ち)りぬる」,散骨行為之描寫。

1416 或本歌曰

 玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影爾 麻氣者失留

 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は花哉(はなかも) 足引(あしひき)の 此山蔭(このやまかげ)に 撒(ま)けば失(う)せぬる

 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶木花 足曳峻嶮此山蔭 掬之蒔撒逝消零

佚名 1416

「妹(いも)は花哉(はなかも)」,其云妻子如花般凋落消散。

蓋1415之異傳。


1417 羈旅歌

 名兒乃海乎 朝榜來者 海中爾 鹿子曾鳴成 𢘟怜其水手

 名兒海(なこのうみ)を 朝漕來(あさこぎく)れば 海中(わたなか)に 鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる 憐(あは)れ其鹿子(そのかこ)

 朝渡名兒海 榜船而見滄溟間 牡鹿不勝戀 渡海呼妻鳴蕭瑟 嗚呼可憐其鹿子

佚名 1417

「名兒海(なこのうみ)」,所在未詳,或與1153「住吉の 名兒の濱邊」同。

「鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる」,鹿子表小鹿,又隱身為水手。按『攝津國風土記逸文:「牡鹿不勝感戀,復渡野嶋。海中遇逢行船,終為射死。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun01.htm播磨風土記』餝磨郡:「大牝鹿,泳海到就嶋」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/harima/harima01.htm#sikama

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2017-01-29-日

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■GARM WARS

ガルム戦記の名詞及び意味を並んでみる

  • ウィド WYDD 知識
  • カラ KHARA 浮舟
  • スケリグ SKELLIG 山・岩
  • ナシャン NASCIEN 再生誕生
  • デルガ 死色之赤
  • カレハ 時間
  • ブレク 虛偽
  • スカアハ SCATHÁCH 影
  • ヌァダ 幸運

GARM WARS MAIN THEME

雷の鳴る空に 鳥は舞う

精靈の宿る森に 巨人眠る

新たなる大地に 神々が降臨

やがて新世紀は 訪れる


神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る


神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る



雷鳴虛空中 群鳥舞翱翔

精靈宿森間 巨人陷沉眠

新大地上 諸神群降臨

是以新世紀 於今揭序幕


悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠


悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠


万葉集試訳

1354 寄木 【六首第一。】

 白菅之 真野榛原 心從毛 不念吾之 衣爾揩

 白菅(しらすげ)の 真野榛原(まののはりはら) 心(こころ)ゆも 思(おも)はぬ我(われ)し 衣(ころも)に摺(す)りつ

 茫茫白菅之 真野榛原寔渺遠 縱令幻夢中 未曾奢望有所念 不覺我衣漬摺染

佚名 1354

「白菅(しらすげ)の」,以真野地帶常見植披所成之冠詞

「思(おも)はぬ我(われ)し 衣(ころも)に摺(す)りつ」,惑為男性流於氣氛與女性發生關係,進而道歉之曲。又仙覺本等有「不念君之」之異本,則為女方原諒男性衝動行為之曲。

1355 【承前,六首第二。】

 真木柱 作蘇麻人 伊左佐目丹 借廬之為跡 造計米八方

 真木柱(まきばしら) 作(つく)る杣人(そまびと) 率(いささ)めに 假廬(かりいほ)の為(ため)と 作(つく)りけめやも

 偉哉真木柱 所作杣人樵夫矣 所以製此柱 豈為率性設假廬 而費心思作柱哉

佚名 1355

「真木柱(まきばしら)」,以檜杉等良材所制之柱。

「杣人(そまびと)」,伐木之人,作者之自喻。杣乃造林之山。

「率(いささ)めに」,輕率之情感。

此曲乃家長辛苦養育女兒,希願其與有望之人結婚,而女兒卻與無所事事者相交,故而責備之曲。

1356 【承前,六首第三。】

 向峯爾 立有桃樹 將成哉等 人曾耳言焉 汝情勤

 向峰(むかつを)に 立(た)てる桃木(もものき) 成(な)らめやと 人(ひと)そ囁(ささや)く 汝(な)が心(こころ)ゆめ

 對面向峯上 所立桃樹生欣榮 人云將成實 汝雖聞人囁如此 莫令內心甚浮躁

佚名 1356

「成(な)らめやと」,描述果時成熟愛情成就

「人(ひと)そ囁(ささや)く」,諸本原文作「人曾耳言為」,蓋「人曾耳言焉」之訛。

「汝(な)が心(こころ)ゆめ」,蓋為「汝(な)が心(こころ)莫盪漾(なたゆたひ)ゆめ」之略。

1357 【承前,六首第四。】

 足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣爾 著常云物乎

 垂乳根(たらちね)の 母(はは)が其業(そのな)る 桑(くは)すらに 願(ねが)へば衣(きぬ)に 著(き)ると云物(いふもの)を

 育恩垂乳根 母之御業桑蠶矣 縱令桑葉疇 願者紡織化衣裳 得以著之何難有

佚名 1357

垂乳根(たらちね)の」,母之枕詞。「垂(た)ら」有「足」之意,讚美豐足之乳房

「母(はは)が其業(そのな)る」,「業(な)る」表生業古代務農者,男子耕種女子蠶桑。『ひふみ祓』有「男田畠耘,女蠶続織。」云云。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sinpaisi/haraekotoba03.htm#hifumi02

「桑(くは)すらに」,「すら」乃「連...」之意。此云,若誠有心,無事不成。戀愛雖難,一旦決心,當可成就

1358 【承前,六首第五。】

 波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方

 愛(は)しきやし 我家毛桃(わぎへのけもも) 本繁(もとしげ)み 花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らざらめやも

 可愛令人憐 吾家庭中毛桃矣 本繁發新枝 泉思汩汩自方寸 豈徒開花不結實

佚名 1358

「毛桃(けもも)」,蓋為桃之品種形容果實上有如產毛密生者。

「本繁(もとしげ)み」,接近根本之處芽生許多小枝。比喻思念源自內心泉泉湧出之狀。

「花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らざらめやも」,豈有徒開花而不結實之理。表示將戀愛成就之決心。

1359 【承前,六首第六。】

 向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間爾 嘆鶴鴨

 向峰(むかつを)の 若桂木(わかかつらのき) 下枝取(しづえと)り 花待(はなま)つい間(ま)に 嘆(なげ)きつるかも

 對面向峯上 所生稚嫩若桂木 吾取彼下枝 悠悠待花俟之間 不覺嘆息漏噓唏

佚名 1359

「若桂木(わかかつらのき)」,落葉高木春日發葉之前,先生紅色小花少女之比喻。

「花待(はなま)つい間(ま)に」,等待少女成長之間。「い」乃連體格下所接間投助詞


1360 寄花 【六首第一。】

 氣緒爾 念有吾乎 山治左能 花爾香公之 移奴良武

 息緒(いきのを)に 思(おも)へる我(あれ)を 山齊墩果(やまぢさ)の 花(はな)にか君(きみ)が 移(うつ)ろひぬらむ

 吾愛汝花者 不惜身命賭息緒 然汝徒花哉 山齊墩果之所如 散華心變無結實

佚名 1360

「息緒(いきのを)に 思(おも)へる我(あれ)を」,作者賭上性命去愛對方,卻...之意。「息緒」乃繫留生命之綱繩。

「山齊墩果(やまぢさ)」斉墩果、萵苣,自生山野之落葉小高木,五月時許生出白色花房。

「花(はな)にか」,比喻此花一時花開絢爛,卻無實意。

「移(うつ)ろひぬらむ」,以花落比喻愛情消退。

1361 【承前,六首第二。】

 墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣爾揩著 將衣日不知毛

 住吉(すみのえ)の 淺澤小野(あささはをの)の 杜若花(かきつはた) 衣(きぬ)に摺付(すりつ)け 著(き)む日知(ひし)らずも

 墨江住吉之 淺澤小野間所生 杜若花者也 不知何日能折枝 摺染衣裳著此身

佚名 1361

「淺澤小野(あささはをの)」,『日葡辭書』:「詩歌語。極度水淺之川鵝」

感歎何時得與所戀慕之女性相接之曲。

1362 【承前,六首第三。】

 秋去者 影毛將為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟

 秋去(あきさ)らば 移(うつ)しも為(せ)むと 我(わ)が蒔(ま)きし 韓藍花(からあゐのはな)を 誰(たれ)か摘(つ)みけむ

 夫待秋至者 將欲取作染料而 吾所蒔種之 韓藍雞頭之花者 誰人先採折去乎

佚名 1362

「移(うつ)し」,移染。沁入草木花葉之汁,用以為捺染之紙。或云染色之行為。此乃後者。原文「影」字,取水中映入倒影之意。

「韓藍花(からあゐのはな)」,雞頭花,或書雞冠草。花汁可為染料。其種子須於春日播種,不得移植。此比喻暗戀之女性

哀歎所戀慕之女性為人捷足先登之曲。

1363 【承前,六首第四。】

 春日野爾 咲有芽子者 片枝者 未含有 言勿絕行年

 春日野(かすがの)に 咲(さ)きたる萩(はぎ)は 片枝(かたえだ)は 未含(いまだふふ)めり 言勿絕(ことなた)えそね

 寧樂春日野 野間綻放秋萩矣 唯以此片枝 含苞待放未及咲 還願音訊無絕時

佚名 1363

「片枝(かたえだ)は 未含(いまだふふ)めり」,含苞未放之蕾,比喻女兒雖然已婷婷玉立,但還不至適婚之齡。

「言勿絕(ことなた)えそね」,請勿斷絕音訊。

女方家長男子呼籲之曲。

1364 【承前,六首第五。】

 欲見 戀管待之 秋芽子者 花耳開而 不成可毛將有

 見(み)まく欲(ほ)り 戀(こ)ひつつ待(ま)ちし 秋萩(あきはぎ)は 花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らずかもあらむ

 欲見其形影 朝思暮想苦待之 嗚呼此秋荻 莫非徒花唯空咲 虛無不得成實哉

佚名 1364

「花(はな)のみ咲(さ)きて 成(な)らずかもあらむ」,擔心雙方不過是一時之關係,而無法結婚

1365 【承前,六首第六。】

 吾妹子之 屋前之秋芽子 自花者 實成而許曾 戀益家禮

 我妹子(わぎもこ)が 宿秋萩(やどのあきはぎ) 花(はな)よりは 實(み)に成(な)りてこそ 戀(こひまさ)りけれ

 親親吾妹子 所宿庭院間秋萩 相較花開時 今日成實結其果 吾人戀慕彌更

佚名 1365

「花(はな)よりは 實(み)に成(な)りてこそ 戀(こひまさ)りけれ」,一般戀慕多指心上人不在眼前之相思之苦,而此則強調兩者結婚取居與共,卻更發愛情

讚詠結婚之後,沉浸幸福之間之曲。


1366 寄鳥

 明日香川 七麈敬垤埃ぁ―残嗣咫^嬪社 波不立目

 明日香川(あすかがは) 七麝(ななせのよど)に 棲鳥(すむとり)も 心有(こころあ)れこそ 波立(なみた)てざらめ

 寧樂飛鳥川 明日香河七麝筺〕箚崟劃纂圈\軌其鳥有情意 是以戒慎不起波

佚名 1366

「心有(こころあ)れこそ」,正因有心。「有(あ)れこそ」與「有(あ)ればこそ」同。

男子解釋正因真心愛著女子,才在表面上故作鎮定不令他人唇舌。

1367 寄獸

 三國山 木末爾住歷 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟將瘦

 三國山(みくにやま) 木末(こぬれ)に住(す)まふ 鼯鼠(むささび)の 鳥待(とりま)つ如(ごと)く 我待瘦(あれまちや)せむ

 三國山森內 木末樹梢棲鼯鼠 待鳥之所如 吾人苦俟日長久 身形消瘦面憔悴

佚名 1367

「三國山」,所在未詳。或云若狭三國町一帶,或云三國國境之山名

「木末(こぬれ)」,「木末(このうれ)」之音略。

「鼯鼠(むささび)の 鳥待(とりま)つ如(ごと)く」,慢慢等待女方心情好轉。人云鼯鼠取食木葉、果實、樹皮,卻無捕食鳥類之例。


1368 寄雲

 石倉之 小野秋津爾 發渡 雲西裳在哉 時乎思將待

 岩倉(いはくら)の 小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に 立渡(たちわた)る 雲(くも)にしもあれや 時(とき)をし待(ま)たむ

 起石倉小野  迄於秋津所發渡 天雲之所如 汝雖非雲何相似 悠悠久待俟時哉

佚名 1368

岩倉(いはくら)の 小野(をの)」,所在未詳。或云吉野宮西北一帶。亦有紀洲田邊秋津町之說。

「雲(くも)にしもあれや 時(とき)をし待(ま)たむ」,「あれや」乃疑問條件。

女方探問男方是否如雲般漫漫等待時機到來之語。

1369 寄雷

 天雲 近走而 響神之 見者恐 不見者悲毛

 天雲(あまくも)に 近(ちか)く走(はし)りて 鳴神(なるかみ)の 見(み)れば恐(かし)こし 見(み)ねば悲(かな)しも

 天雲之近處 鳴神雷迸發虺虺 其光赫赫矣 見之畏恐心惶懼 不見悲寂心憂苦

佚名 1369

「近(ちか)く走(はし)り」,諸本作「近光而」,此依紀洲本校為「近走而」。「走」乃爆發、炸裂之意。

「鳴神(なるかみ)の」,以上乃下句「恐畏」之序。恐自有「惶恐」、「害怕」兩意。

身分高貴男性所愛之女性之曲。親近之則惶恐身分懸殊,遠之則憂於相思之苦。

1370 寄雨

 甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知

 甚多(はなはだ)も 降(ふ)らぬ雨故(あめゆゑ) 庭潦(にはたつみ) 甚(いた)く莫行(なゆ)きそ 人(ひと)の知(し)るべく

 雨零非甚多 還願庭潦積水者 莫甚行如此 庭潦水流激幾許 將致密情令人知

佚名 1370

「庭潦(にはたつみ)」,積於庭中滿溢之流水。

哀歎稍稍幽會,即流言紛傳之曲。

1371 【承前。】

 久堅之 雨爾波不著乎 恠毛 吾袖者 乾時無香

 久方(ひさかた)の 雨(あめ)には著(き)ぬを 恠(あやし)くも 我(わ)が衣手(ころもで)は 乾(ふ)る時無(ときな)きか

 遙遙久方兮 天雨之下未著之 奇也恠也哉 何以吾袖沾襟濕 漬濡衣手無乾時

佚名 1371

「久方(ひさかた)の」,天、雨之枕詞

「雨(あめ)には著(き)ぬを 恠(あやし)くも 我(わ)が衣手(ころもで)は 乾(ふ)る時無(ときな)きか」,未著其服於雨天外出,何以濕濡不乾。淚水沾襟之比喻。


1372 寄月 【四首第一。】

 三空徃 月讀壯士 夕不去 目庭雖見 因緣毛無

 御空行(みそらゆ)く 月讀壯士(つくよみをとこ) 夕去(ゆふさ)らず 目(め)には見(み)れども 寄由(よるよし)も無(な)し

 御空劃渡兮 月讀壯士太陰矣 每夕復每宵 縱雖舉目便可見 天地懸殊無由近

佚名 1372

「月讀壯士(つくよみをとこ)」,月之別名。此比喻身分懸殊之男性

「夕去(ゆふさ)らず」,每夕無闕。

1373 【承前,四首第二。】

 春日山 山高有良之 石上 菅根將見爾 月待難

 春日山(かすがやま) 山高(やまたか)からし 岩上(いはのうへ)の 菅根見(すがのねみ)むに 月待難(つきまちがた)し

 足曳春日山 蓋以彼山高峻乎 蔽月阻其光 岩上菅根雖欲見 明月難待遍常闇

佚名 1373

「山高(やまたか)からし」,「山高(やまたか)くあるらし」之略。哀歎東山高聳,蔽月遲出。

「菅根(すがのね)」,此指菅本身。

寓意不明,蓋欲與戀人相逢,卻遭阻礙之曲。

1374 【承前,四首第三。】

 闇夜者 辛苦物乎 何時跡 吾待月毛 早毛照奴賀

 闇夜(やみのよ)は 苦(くる)しき物(もの)を 何時(いつ)しかと 我(あ)が待月(まつつき)も 早(はや)も照(て)らぬか

 闇夜令人苦 獨守空閨總辛酸 心盼何時昇 吾所待月每遲出 還願早臨照地明

佚名 1374

「闇夜(やみのよ)」,比喻無法與戀人相逢之不安

「早(はや)も照(て)らぬか」,「ぬか」表希求,其對象多與「も」自相接。本曲有「待月」、「早照」兩處。

以月比喻戀人,等待其來訪之曲。

1375 【承前,四首第四。】

 朝霜之 消安命 為誰 千歳毛欲得跡 吾念莫國

 朝霜(あさしも)の 消易(けやす)き命(いのち) 誰(た)が為(ため)に 千歲(ちとせ)もがもと 我(わ)が思(おも)は無(な)くに

 朝霜晨露兮 儚渺易消此命矣 若除汝之外 為誰欲得千齡壽 唯汝不作他人

佚名 1375

 右一首者,不有譬喻歌類也。但闇夜歌人所心之故,並作此歌。因以此歌,載於此次。

「朝霜(あさしも)の」,「消、散」之枕詞

「誰(た)が為(ため)に」,除汝之外還為誰之意。「為(ため)」表目的利益,「故(ゆゑ)」表原因、理由

「千歲(ちとせ)もがもと」,「もがも」表願望。

「不有」,非也。「所心」,所思也。此等皆和習之疇。

本歌非譬喻歌,而依與前曲同人所詠,故置於茲。

1376 寄赤土

 山跡之 宇陁乃真赤土 左丹著者 曾許裳香人之 吾乎言將成

 大和(やまと)の 宇陀真埴(うだのまはに)の 小丹付(さにつ)かば 其(そ)こもか人(ひと)の 我(わ)を言(こと)なさむ

 蜻蛉大和國 宇陀秀埴真赤土 吾頰染丹紅 他人察我色如此 將傳蜚語道吾言

佚名 1376

「赤土」,用於顏料之赤土、赭土之類,此指辰砂。

「宇陀真埴(うだのまはに)」,宇陀以丹生著名。真字雖為接頭語,蓋有辰砂含量極高之意。

「小丹付(さにつ)かば」,染紅,比喻戀情顯於面容之上。

「其(そ)こ」,「其事(そのこと)」之略。

「我(わ)を言(こと)なさむ」,「我(わ)」乃複數,人將流傳吾等之謠言、慮譟


1377 寄神

 木綿懸而 祭三諸乃 神佐備而 齋爾波不在 人目多見許曾

 木綿懸(ゆふか)けて 祭(まつ)る三諸(みもろ)の 神(かむ)さびて 齋(いは)ふには非(あら)ず 人目多(ひとめおほ)みこそ

 謹懸真木綿 所祭三諸神奈備 嚴神宮所如 其非齋戒禁業欲 唯憚人目多所以

佚名 1377

「木綿懸(ゆふか)けて」,木綿乃剝裂桑科落葉低木楮之樹皮,採集纖維乾燥之物。此乃懸掛榊枝之上,以為神靈憑座之祭具。

「三諸(みもろ)」,神之居所、祭神之齋場。

「神(かむ)さびて」,莊嚴如神。行動脫卻色戀煩惱,達到枯淡境界

「齋(いは)ふ」,潔身齋戒,恪守禁忌

「人目多(ひとめおほ)みこそ」,此云不與女方相見,並非愛情有減,乃是畏懼耳目眾多。

1378 【承前。】

 木綿懸而 齋此神社 可超 所念可毛 戀之繁爾

 木綿懸(ゆふか)けて 齋(いは)ふ此社(このもり) 越(こ)えぬべく 思(おも)ほゆるかも 戀繁(こひのしげ)きに

 縱雖懸木綿 莊嚴祭齋此神社 可越不忌顧 吾之所念迫如此 相思慕苦焦戀繁

佚名 1378

「越(こ)えぬべく」,奮不顧身,縱為神域玉垣禁足之地,亦可不憚闖入之情。焦於戀苦,欲與戀人相逢,而知求神無驗之時,縱令冒瀆嚴神亦無所不惜。

類歌2663。

1379 寄河 【六首第一。】

 不絕逝 明日香川之 不逝有者 故霜有如 人之見國

 絕(た)えず行(ゆ)く 明日香川(あすかのかは)の 淀(よど)めらば 故(ゆゑ)しも有(あ)る如(ごと) 人見(ひとのみ)まくに

 逝者如斯夫 不捨晝夜飛鳥川 日日通無止 若逢川淀足絕者 人必視之有其故

佚名 1379

「淀(よど)めらば」,流水停滯之狀。比喻每日造訪之人,忽然止足不行。

「人見(ひとのみ)まくに」,人必作此想。以下省略「汝不念茲乎?」

類歌『古今集』戀四720「絕えず逝く 明日香川の 淀みなば 心有とや 人の思はむ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk14.htm#720


1380 【承前,六首第二。】

 明日香川 湍鷦ざ盟者 雖生有 四賀良美有者 靡不相

 明日香川(あすかがは) 齲(せぜ)に玉藻(たまも)は 生(お)ひたれど 柵有(しがらみあ)れば 靡相(なびきあ)へ無(な)くに

 明日香之川 湍麈郡峩盟者 雖然生向榮 卻遭水柵受阻絕 無由相靡不相依

佚名 1380

「柵(しがらみ)」,抑止川流之水柵。比喻妨礙他人戀情之人。

「靡相(なびきあ)へ無(な)くに」,「靡(なび)く」本為草木受風吹水流屈撓之狀,此為人心受他人吸引,相依之情。其後接取消語詞表不可能

1381 【承前,六首第三。】

 廣鷁蓮‖犠弋 淺乎也 心深目手 吾念有良武

 廣鸚(ひろせがは) 袖漬(そでつ)く許(ばか)り 淺(あさ)きをや 心深(こころふか)めて 我(あ)が思(おも)へるらむ

 葛城廣鸚遏/繃涉溪可漬袖 不知其淺也 吾人念之情深切 孰知薄情至如此

佚名 1381

「袖漬(そでつ)く許(ばか)り」,不捲起衣袖則將沾濕,此云水淺可涉渡。

「淺(あさ)きをや」,比喻對方薄情之狀。

天平六年朱雀門天覽歌垣有「廣鷆福彷刑遏ぐ榛_慮叩

1382 【承前,六首第四。】

 泊鸚遏[水沫之 絕者許曾 吾念心 不遂登思齒目

 泊鸚(はつせがは) 流(なが)る水沫(みなわ)の 絕(た)えばこそ 我(あ)が思心(おもふこころ) 遂(とげ)じと思(おも)はめ

 隱國泊鸚遏×彩逝水如斯夫 水沫無絕時 吾之念情無盡窮 除非一朝沫已時

佚名 1382

「流(なが)る水沫(みなわ)の」,蓋為「流るる水沫の」之略,依七音而轉終止形作連體格用之。

「絕(た)えばこそ」,以當為永久不變之自然現象異變,作為誓言情比金堅。如海枯石爛之用法

1383 【承前,六首第五。】

 名毛伎世婆 人可知見 山川之 瀧情乎 塞敢而有鴨

 嘆(なげ)きせば 人知(ひとし)りぬべみ 山川(やまがは)の 激心(たぎつこころ)を 塞(せ)かへてあるかも

 若嘆息於外 此情將為人所知 故如山川之 塞堰激流止其澪 忍隱吾心抑激情

佚名 1383

「激心(たぎつこころ)を」,以磅渤激流比喻高昂之激情

「塞(せ)かへてあるかも」,「塞(せ)かへ」乃「塞(せ)きあへ」之略。「あへ」有抵抗之意。

1384 【承前,六首第六。】

 水隱爾 氣衝餘 早川之 鷦堽友 人二將言八方

 水隱(みごも)りに 息衝餘(いきづきあま)り 早川(はやかは)の (せ)には立(た)つとも 人(ひと)に言(い)はめやも

 潛匿隱水下 息苦衝餘氣不繼 今雖勢險迫 立於早川川鷓檗′液鴉言語人知

佚名 1384

「水隱(みごも)り」,潛水。比喻隱藏心思,不令人知

「息衝餘(いきづきあま)り」,難以憋氣而...之意。

「(せ)には立(た)つとも」,立於危險局面之際。比喻女姓為母親逼問與男子之關係時。

1385 寄埋木

 真鉇持 弓削河原之 埋木之 不可顯 事爾不有君

 真鉋持(まかなも)ち 弓削川原(ゆげのかはら)の 埋木(うもれぎ)の 顯(あら)はるましじ 事(こと)に有(あ)ら無(な)くに

 手持真鉋兮 弓削川原埋木矣 吾可猶埋木 隱匿泥間不顯哉 此事寔難事將露

佚名 1385

「埋木」,長期埋沒水中淺泥之下,化石狀碳化之木。

「真鉋持(まかなも)ち」,弓削枕詞

「顯(あら)はるましじ」,否定終止形。此云雖欲如埋木般隱忍戀情不欲人之,卻難以自已。


1386 寄海 【六首第一。】

 大船爾 真梶繁貫 水手出去之 奧者將深 潮者干去友

 大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 漕出(こぎで)なば 沖(おき)は深(ふか)けむ 潮(しほ)は干(ひ)ぬとも

 身乘大船間 真梶繁貫刺叢槳 榜出滄溟者 瀛津水深不可測 縱令時逢退潮許

佚名 1386

「真楫繁貫(まかぢしじぬ)き」,備妥梶楫,作好出航準備。此乃下定決心與相戀男子逢鵝

「沖(おき)は深(ふか)けむ 潮(しほ)は干(ひ)ぬとも」,表情比金堅,縱令局勢險惡亦無所阻。

1387 【承前,六首第二。】

 伏超從 去益物乎 間守爾 所打沾 浪不數為而

 伏越(ふしごえ)ゆ 行(ゆ)か益物(ましもの)を 守(まも)らふに 打濡(うちぬ)らさえぬ 波數(なみよ)まずして

 早知如此者 近路雖險當行矣 迂迴守之間 漬濡衣裳令人知 不計浪數而為也

佚名 1387

「守(まも)らふ」,守護之持續態。

「波數(なみよ)まず」,「よむ」於此同「月讀」之讀,乃計數之意。

寓意不明。蓋云雖然路險,當取近道。自以為小心謹慎,迂迴之間通過人目眾多之處,而為天下所之。


1388 【承前,六首第三。】

 石灑 岸之浦迴爾 緣浪 邊爾來依者香 言之將繁

 石濯(いはそそ)き 岸浦迴(きしのうらみ)に 寄(よ)する波(なみ) 邊(へ)に來寄(きよ)らばか 言繁(ことのしげ)けむ

 濯石拍岸激 岸之浦迴浪所寄 吾人猶此波 近緣心繫邊岸者 蜚言不止人語繁

佚名 1388

「石濯(いはそそ)き」,浪濤拍打沿岸,如浪花濯岩。或云原文「灑」與「激」同。

「邊(へ)に來寄(きよ)らばか」,若接近女方身邊,將招致他人流言蜚語。來字乃立於女方位置,表造訪婚通之意。


1389 【承前,六首第四。】

 礒之浦爾 來依白浪 反乍 過不勝者 誰爾絕多倍

 礒浦(いそのうら)に 來寄(きよ)る白波(しらなみ) 返(かへ)りつつ 過克無(すぎかてな)くは 誰(たれ)に搖盪(たゆた)へ

 礒岸浦迴間 來寄青波白浪者 反復緣岸而 何以流連無克過 可知搖盪為孰哉

佚名 1382

「返(かへ)りつつ」,幾度皆回至原點。

「過克無(すぎかてな)く」,「克無く」乃「克(かて)ず」之く句法。

「誰(たれ)に搖盪(たゆた)へ」,比喻如汝之外無人可令我搖盪留連如此。

1390 【承前,六首第五。】

 淡海之海 浪恐登 風守 年者也將經去 榜者無二

 近江海(あふみのうみ) 波畏(なみかしこ)みと 風守(かぜまも)り 年(とし)はや經(へ)なむ 漕(こ)ぐとは無(な)しに

 淡海近江海 畏其波濤懼駭浪 戍守俟風間 年華經去光陰逝 馬齒徒長莫榜出

佚名 1390

「波畏(なみかしこ)みと」,み句法+と乃「因為...而」之意。

「風守(かぜまも)」,等待風向轉至適合發船。

男子後悔不積極行動,一昧等待事態好轉而一事無成。類歌1400。

1391 【承前,六首第六。】

 朝奈藝爾 來依白浪 欲見 吾雖為 風許疉堽甍

 朝凪(あさなぎ)に 來寄(きよ)る白波(しらなみ) 見(み)まく欲(ほ)り 我(われ)は為(す)れども 風(かぜ)こそ寄(よ)せね

 晨曦朝凪時 來依白浪吾欲見 雖然引頸盼 發自方寸思如此 何以天不令風依

佚名 1391

以白浪比喻戀人,雖欲與之相會,無奈海風不吹,無由相逢。

1392 寄浦沙

 紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香將成

 紫(むらさき)の 名高浦(なだかのうら)の 真砂地(まなごつち) 袖(そで)のみ觸(ふ)れて 寢(ね)ずか成(なり)なむ

 窮極貴紫兮 名高之浦真砂地 愛子令人憐 此袖衣手梢觸而 輾轉難眠無所寐

佚名 1392

「紫(むらさき)の」,「名高(なだか)」之枕詞古代諸色以紫為貴,故名。

真砂地(まなごつち)」,細沙之地。而「真砂(まなご)」與「愛子(まなご)」同音,比喻可愛之少女

此云羈旅之間,逢會佳人,稍稍邂逅而掛念心頭,輾轉難眠。


1393 【承前。】

 豐國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如將嘆

 豐國(とよくに)の 企救濱邊(きくのはまへ)の 真砂地(まなごつち) 真直(まなほ)にしあらば 何(なに)か嘆(なげ)かむ

 豐國企救濱 濱邊愛子真砂地 此情若如明 真直尋常之有者 何如憂嘆至此哉

佚名 1393

「豐國(とよくに)」,豐前、豐後二國之總稱。

真砂地(まなごつち)」,以上三句乃藉類音引出「真直(まなほ)」之序。

「真直(まなほ)にしあらば」,若對方尋常、真直。蓋云對方容易變心或古靈精怪,作為託付未來之伴侶難以信鮗有所不安


1394 寄藻 【四首第一。】

 鹽滿者 入流礒之 草有哉 見良久少 戀良久乃太寸

 潮滿(しほみ)てば 入(いり)ぬる礒(いそ)の 草(くさ)なれや 見(み)らく少(すく)なく 戀(こ)ふらくの多(おほ)き

 漲潮滿盈時 入水隱匿荒礒上 叢草之所如 所見雖少數寔繁 此戀惱煩無盡藏

佚名 1394

「潮滿(しほみ)てば 入(いり)ぬる礒(いそ)の」,漲潮時沒於水下,退潮時顯出之暗礁

「草(くさ)なれや」,在疑問條件形中,冠以斷定助動詞「なり」,更轉作「なれや」而凸顯反語性。有明明並非,卻如之云云之意。

『歌經標式』作鹽燒王歌,第三句以下錄為「草ならし 見る日少なく 戀ふる夜多み」。

1395 【承前,四首第二。】

 奧浪 依流荒礒之 名告藻者 心中爾 疾跡成有

 沖波(おきつなみ) 寄(よ)する荒磯(ありそ)の 勿告藻(なのりそ)は 心中(こころのうち)に 疾(やま)ひとなれり

 瀛津沖奧浪 波波來寄荒磯間 勿告藻者也 鬱悶心中不得發 終將成疾羸吾情

佚名 1395


1396 【承前,四首第三。】

 紫之 名高浦乃 名告藻之 於礒將靡 時待吾乎

 紫(むらさき)の 名高浦(なだかのうら)の 勿告藻(なのりそ)の 磯(いそ)に靡(なび)かむ 時待(ときま)つ我(われ)を

 窮極貴紫兮 名高之浦勿告藻 漂靡將寄岸 吾人戍守俟磯邊 靜待浮藻來時矣

佚名 1396

「磯(いそ)に靡(なび)かむ 時待(ときま)つ我(われ)を」,沿岸之磯與沙岸之濱相對。男子等待女性心向自身之時。

1397 【承前,四首第四。】

 荒礒超 浪者恐 然為蟹 海之玉藻之 憎者不有手

 荒礒越(ありそこ)す 波(なみ)は恐(かしこ)し 然(しか)すがに 海玉藻(うみのたまも)の 憎(にく)くは非(あら)ずて

 所越荒礒之 濤天駭浪令人恐 雖然畏如此 吾人心寄海玉藻 莫憎唯有更相思

佚名 1397

「荒礒越(ありそこ)す 波(なみ)は恐(かしこ)し」,比喻女性雙親嚴辧と腎兩人交往,警戒森嚴之狀。

「然(しか)すがに」,縱然如此,然而...逆接接續詞。

「海玉藻(うみのたまも)の」,比喻所愛之女性

「憎(にく)くは非(あら)ずて」,其下蓋省略「如何にも為む」。雖然雙親激烈反對而令人生懼,仍心愛對方,無論如何仍欲與之結為連理。

1398 寄船 【五首第一。】

 神樂聲浪乃 四賀津之浦能 船乘爾 乘西意 常不所忘

 樂浪(ささなみ)の 志賀津浦(しがつのうら)の 船乘(ふなの)りに 乘(の)りにし心(こころ) 常忘(つねわす)らえず

 碎波樂浪之 近江淡海志賀津 猶於彼浦間 安心乘船寄信髻吾妻之情未嘗忘

佚名 1398

「樂浪(ささなみ)の」,原文「神樂聲浪」者,演奏神樂之時,以「ささ」為囃子之詞,故此。「樂浪」蓋「神樂聲浪」之略。

「船乘(ふなの)りに」,猶如乘坐大船般,放心信鰌方之語。

「乘(の)りにし心(こころ)」,此云戀人信自身之心。由此可知作者為男性

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