kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

学歴の固定化??

おととい、日本双生児学会というものに行ってきた。この学会は、双子研究をしているだけでなく、その養育の情報交換もしているのだけれど、僕は行動科学として興味がある。


なかで面白かったのは、慶応大学の敷島さんの発表。敷島先生は、このエリアでは有名な、慶応双子研究の主催者である安藤さんの研究室にいた人。

それは多くの社会学者の主張とは全く反対に、家族間に学歴は固定していないし、むしろ反対に流動化しているというものだ。

もし、よく言われるように、高学歴、高所得の家庭に育った子どもが高学歴になるのなら、時系列的に見て、親子の学歴相関は上がっているはずだ。

実際には、戦後、一貫して下がってきていて、戦前生まれでは0.7〜8もあり、戦後まもなくは0.6以上もある。それが80年代以降生まれの子どもについては、親も高学歴化してきているため、親の学歴と子供の学歴の平均の差があまりなくなってきているだけでなく、親子の相関は0,4を切ってきている。これは父と子どもでも、母と子どもでも同じ傾向だ。

もし家庭環境がそんなに大事なら、一卵性双子の学歴は兄弟や二卵性双生児とおなじになるはずだが、実際には大きく違う。つまり、個人の遺伝的なポテンシャルが、現代の豊かな社会ではますます重要になっている。養子と継父、継母にいたっては、なんの相関もない。これもヨーロッパの双子研究と全く同じだ。


これは、アメリカやヨーロッパの調査とも同じ傾向で、つまり豊かな社会というのは、家庭環境はあまり重要ではなくて、社会が多様であるために個人のもつ多様な個性を尊重される。だから、もし勉強が嫌いなり、他のことが好きなり、もっと才能があるなりの場合、家族がどうであれ、自分にあう友人とこうゆう環境を構築して、学歴を追求しなくなる。その反対もしかりで、親の学歴がなくても、自然と勉強をするやつは、そういった友人を選んで、キャリアを追求するということだ。

こういう話は行動遺伝学、その他の行動科学者の間ではよく話されているし、常識化している。しかしメディアではタブーとされてきたし、今もそれはあまり変わっていないように感じる。それはやはり現代のイデオロギーに反するからだろうけれども、なんというか、そういう風にウソが当然のこととして耳あたりがいいからと言って流通するのも、なんか疑問を感じる。

科学者は知っていることが、しかし人びとは知らないでもいいというのは、つまりアサンジュ反対、あるいはチュニジア、エジプトの反政府運動封殺、中国の反体制運動への封じ込めに繋がっているように感じてしまう。そうでなければ、いいのだけれど。