2010-02-09
■[時事]アフリカに不要品を送ることは世界から評価されるのか?

さっきテレビを見ていたら、デパートで古着や靴を引き取って、それをアフリカの子どもたちに送るのだといっていた。画面には、裸足でかけまわるアフリカの子どもたちの姿が映し出され、彼らは裸足でいなくてはならないので、足から寄生虫が入り込んで病気にかかるのだと訴える。デパートに古着や不要になった靴を持ち込んだ人は、アフリカの子どもたちのためになれば嬉しいといい、テレビはこの運動は世界から高く評価されているとコメントする。
世界から高く評価されているという「世界」とは、いったいどの人を指すのだろうか。「世界から信用されない」とか「世界から孤立する」とか「世界の笑い物」などとコメントされるとき、その「世界」とは、どこの誰のことなのか具体的に示されることはまずないが、いったい世界のどこの誰がそういう評価をしているのだろう。
自分たちがいらなくなった服や靴を、アフリカの子どもたちのプレゼントするということが、それほどえらいことなのか。評価されるべきことなのか、私には理解しがたい。そもそもプレゼントした人は、アフリカのどこで服が足りず、なぜ靴がなく、自分のプレゼントがどこに行くのか、おそらく知ることはないだろうし、もしかしたら関心すらないかもしれない。テレビでは、こういう報道をしておきながら、漠然とアフリカとしかいわないのだ。いったいアフリカのどこなんだ? なぜ具体的にいわないのだ。これではまるでアフリカ人はみんな靴がないほど貧しく、服も買えないほど餓えているようじゃないか。ワールドカップを開催するような国もあれば、ダイヤモンドがざくざく採掘されるような国もあるのに。
アフリカの貧しい国に、不要になった服や靴を、みんなの手に届くようにどんどん送るとしよう。もちろん、それを無料で配布された人は嬉しいかもしれない。そうすると、それまで服をつくり、その服を仕入れて売っていた洋服屋さんはどうなるだろうか。もちろん売れなくなる。特に、安い衣料品を、貧乏人に向けて細々と売っているような商店はひとたまりもない。店はつぶれる。そして、そういう地域から洋服屋さんがなくなる。地元で服もつくられなくなる。そうやって基幹産業である繊維産業が衰退していく。そうなる頃には、善意の服や靴は破れ、替えがきかなくなり、彼らは再び裸足に戻る。
それはいけない。また古靴をアフリカへ送ろう。着古した服をアフリカの子どもたちに届けなくちゃ。古い自転車を修理してアフリカへ送ると、アフリカの自転車産業が消滅し、自転車が壊れたら直せないまま捨てられる。それぐらいだったら、すぐ壊れても安く手に入る中国製が店に並んでいる方がまだましだ。本当は自転車なんかに乗らなくたって困らない生活が存在することを、私たちは知らないだけなのだ。なぜ私たちは物を恵むという発想しかわかないのだろう。アフリカ人は乞食じゃないのだ。

寄付などを募るのなら、その主催者がそういったこと(どの場所にどんな問題があり、どんな人々に寄付がどのように生かされるのか)を知らせるべきだと思いますが、文中にあったデパートのイベントは、「各家庭のタンス内のスペースを寄付によって空けさせて、そのスペースを埋めるべく消費者が新たに服を買うことを促す」ことが目的あり、アフリカへの寄付は「私たちはいいことしてる」的な宣伝のための味付けにすぎないのでそうなるのでしょう。
mixyでハイチに千羽鶴を送る呼びかけをしている人が最近話題になっていましたが、海外に縁があまりない人にとって、受け取る人の状況をある程度でも理解するというのは、(自分のことも含めて)簡単ではないかもしれないと思います。
海外旅行は日本と違う生活を少しだけ垣間見るいい機会だと思うんですけどね…。
1.その国内の産業の成長を阻害する、2.援助物資が必要な人に届かない
タリバン政権崩壊後の2003年にアフガニスタンを旅行していた時、各国から援助されたであろう物資が道端の露天でタダみたいな値段で叩き売られていたのをみて、悲しい気分になりました。。。
↓でChikirinさんがおもしろい記事を書いています。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20050406
ちょうどエコキャップについて自分のブログに同じような事を書きました。
今回の日記を引用させていただいてもいいでしょうか?
私はドイツに住んでいるのですが、ドイツでもよく小学校でアフリカやアジアの子供たちのために募金や古着などを集めたりしています。
しかしアフリカの各地で続く内紛の残酷さや難民生活の苦しさは伝えられても、なぜそれが起こったのか、については触れられません。募金を一生懸命集める子供たちの何代か前の人間たちが、アフリカをケーキかチーズかのように切り取ってわけ、植民地にしたり人を捕まえてよそで働かせたりしたのだ、ということは絶対に出てきません。私は機会があればその話を周りの子供たちにしてやるのですが。。テレビに出てこないといまいち実感がわかないみたいです。
バングラデシュの援助に携わってきたドイツ人?の本を
読んだ事があります。
バンウラデシュは首都ダッカには二階建てバスがはしり、
鉄道車両もインドより小ぎれいです。
みんな援助ですね。おかげで国内の産業が育たないとか・・・
日本や欧米で技術を学んできたエリートは、現場に出ることを嫌い
オフィス・ワークばっかりで技術の伝達ができないとか・・・
日本の某地方自治体から、衣料品の受け入れを行ったことがあるのですが、
ケニア政府が通関に神経を尖らせていました。ケニアには、(インド人経営とはいえ)
軽工業があり、近隣国(タンザニア、ウガンダ、ブルンジ、ルワンダ等)に輸出
しています。そんなところに、無料の衣料品が入ってきたら、衣料品の市場が崩れ、
数少ない働き口(衣料品工場)が経ち行かなくなってしまう。
援助を行うことに酔ってしまい、援助がどういう影響を与えるか理解しないと
いけないし、そのことを広く社会に発信してゆかないといけないと
思いました。
話が飛びますが、災害医療援助の原則に、現地医療の枠を超えない
というのがあります。災害の場合、現地の医療機関も損害を受けて
いるのですから、援助は必用なのですが、現地医療水準以上の医療を
行えば、現地の医療システムを破壊してしまいます。
援助はあくまで援助であって、被援助地域の経済や社会システム
の破壊であってはならないはすです。
乱文失礼いたしました
これがまた問題。
というのはバングラデシュの相当の地域の岩盤は砒素をふくんでいて
井戸水は砒素に汚染されている。
従って一見きれいな井戸水を飲んで砒素中毒になる人が多い。
それより天水を浄化したほうがいいそうです。
ある日本の中小企業の社長が水の浄化剤を開発し
安くバングラデシュで売っています。
こっちの方が優れている。
「援助に酔う」、自分らはいい事をしていると思っても
現地の実情に合わない事もある!