原発がなくなったら

 今日はむしむしして暑かった。明日で6月も終わりで1年の半分が過ぎてしまったことになる。未曾有の震災が起こったりして、時がたつのが早かったような、そうでもなかったような。暑かったせいで、午後3時から4時頃には電気予報が94%まで上がり、おちおちクーラーも付けられない。

 原発論争が盛んに繰り広げられている。いちばん驚いたのは、菅首相が「再生可能エネルギー特別措置法案」を採決するまで辞めないぞ! と宣言したこと、ではなく、朝日新聞が、ほとんど菅首相の味方をするような記事をトップで書いたことだった。この「電力の選択」という連載は、通産省(当時)と電力会社がいかに癒着して再生可能エネルギーの普及をじゃましてきたかという話になっている。

 菅首相が「再生可能エネルギー特別措置法案」を言い出したとき、そんな話を首相が考えていたことは聞いたこともない、単なる延命策だとみんな言っていたが(今も言われている)、そんななかで一人朝日新聞は、菅首相は実は自然エネルギーについて昔から考えていたのだと書き、全面的に援護している。ま、それで原発推進論者にメチャクチャ叩かれる羽目になっているが。

 原発論争のうち、反原発の立場の人々の中でも、いきなりすべての原発を即時停止しろと言っている人と、廃止する方向で進むべきであると考える人とでは温度差がある。民主党前原誠司菅首相自然エネルギー政策に対して、ポピュリスト的政治だと批判したが、発言を読むと、20年後に原発を廃止することには賛成だと述べているので、その意味では原発反対ぼちぼち派なのだ。

 私もぼちぼち派だ。いきなり30%の電源カットは無理だと思うが、だからといって前原さんのように20年後でOKというと、何かの本に書いてあったが、日本の官僚は、20年後までになんとかする、とは、20年後まで何もしないということなのだそうで、結局どうにもなりませんでした、ということになりかねない。原発全廃を決めたドイツは、2022年までに廃止することになっているので10年後だ。日本も10年後にとにかく原発をやめると法律で決めてしまわないと、結局ずるずるとその場しのぎに陥るだろう(いつものように)。

 それじゃ、原発がなくなったらエネルギーはどうするんだ、自然エネルギーなんてぜんぜんあてにならねえぞ! と、原発推進論者はいうかもしれない。確かに自然エネルギーは今のところあてにならない。10年後にあてになるという保証もない。それなら私が、こうしなさい、と答えを出せるといいのだが、世間でしている話を聞いていると、なにやらすでに答えは出ているようだ。

 ご存知の方も多いだろうが、天然ガスが次の当分のエネルギーであるという。当分のというのは、自然エネルギーがものになるまでつなぎのエネルギーになるという意味である。これまでも天然ガスは産出されてきたが、このところ急速に注目を浴びつつあるらしい。

原発を不要にするシェールガス革命」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5957)という記事によれば、熱量比で換算した天然ガスの価格はすでに原油を下回っているという。
────シェールガス革命とは、主に米国において従来は技術面およびコスト面で採掘が困難であった部分に埋蔵する天然ガスが、技術進歩とそれに伴うコストの低下で採掘が採算に合うようになり、その結果もたらされた米国産天然ガスの増加によって世界の天然ガス供給に生じている影響のことである。

 このシェールガスは掘削技術が向上して年々生産量が上がっており、埋蔵量も膨大なので枯渇する心配はまったくないらしい。福島原発事故が起きたときに、ロシアがいち早く日本に天然ガスの供給を持ち込んできたのも、天然ガスの価格が下がり気味で、なかなかヨーロッパに売れなくなってだぶついていたからだそうだ。

 前に紹介した原発推進論者のアルファブロガー池田信夫でさえ次のエネルギーは天然ガスだと述べるぐらいだ。
原発限界費用と外部性」池田信夫
────環境保護のためには再生可能エネルギー補助金なんか必要なく、原子力を推進することがもっとも経済的だ。再処理工場などに投じた固定費も大きいので、今後の限界費用だけを考えれば、おそらく化石燃料といい勝負だろう。だから今後のエネルギー政策としては、原発を温存しながら天然ガスの比重を徐々に上げ、再生可能エネルギー補助金は廃止することが望ましい。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51717207.html

 この人は、こういう事故が起こってもまだ原発が安上がりなんだと言い張っているお方です。そういう人でも天然ガスに徐々に移行すべしと言っているわけ。

 それにしても、福島の原発事故が起きるずっと前からシェールガス天然ガス)が有望なことはいわれていた。にもかかわらず、事故が起きなければ、エネルギーシステムが変わっていかないというのはどういうことなんだろうと、つくづく残念に思いますねえ。