『SS』 ただ、すき 後編

前編はこちら

そこから先は特筆することは無い。ただ俺だけが声を聞き続けていただけの話だ。
『…………すき………』
これは誰の声だ? そして何故俺だけに聞こえる。
『………すき……』
誰が? 誰が誰を好きなんだ? それを何故俺に伝えようとするんだ? 
疑問は尽きることはない、何よりもこの状況そのものがおかしいんだからな。このSOS団に於いて俺だけが遭遇する不思議、そんな事がありえるだろうか?
『…………すき……』
なあ、誰だか知らないが俺には何の力もないぜ。そういうのが得意な奴は結構この部屋には居るんだからな、そいつらに言ってもらえればいいと思うぞ。
『………すき……』
だけどな、何となくは分かるんだ。俺にしか聞こえない言葉の意味が。
だからこそ俺はその声を聞きながら静かに時間が過ぎるのを待った。
パタンと本が閉じられ、
「さあ、帰るわよ!」
ハルヒの声が終了を告げる。俺と古泉は朝比奈さんの着替えが終わるまで部屋の外で待機となる。
『……………す………き………』
部室を出る瞬間、声が遠ざかる気がした。そしてその外では何も聞こえない。部室限定ってことなんだろうか?
「どうしたんですか?」
古泉の声に我に返る。そうだ、声に気を取られてばかりはいられない。
「……どうも何かあったようなのですが」
ああ、お前には聞こえてないんだろうな。かといってわざわざ言う類の話でもない気がする、何となくだが気付かないならその方がいいと思った。
「なんでもない、ちょっとばかりハルヒも落ち着いてるから暇なもんだと思っただけさ」
誤魔化してる訳じゃないが、ハルヒが落ち着いているのも確かだ。何よりこいつがバイトに行ってないんだから証明済みってもんだろう。古泉もそのニヤケ面はそのままに、
「そうですね、確かにここ最近の涼宮さんは安定しています。ただ何かある前にそろそろイベントの提供時期かもしれませんね」
あまり変な設定に拘らないでくれよ、遠出も正直勘弁だ。
「それは涼宮さんが何に興味を持つかで変わってきますね、僕らとしても戦々恐々ですけど」
上手い事やりやがれ、閉鎖空間よりはマシだろうよ。
「はい、出来れば近いうちにでも」
………あんまり近いうちは遠慮させてくれ。
ハンサム超能力者が肩をすくめた時に部室の扉が開く。
『………すき…』
あの声が解き放たれたように俺の耳朶を打つ。そうか、俺に聞かせたかったんだな。
「お待たせー、じゃあ帰るわね」
お前は邪魔しかして無いだろうが。まあそれでも最初に飛び出してくるのもハルヒだ。
『………すき…』
声はまるでそれに合わせるように聞こえる。
「あ、ごめんなさい…………お待たせしました」
いえいえ、あなたを待つのならば石の上にだって三年は軽いものですよ。制服姿の朝比奈さんもやはり可憐で清楚であらせられる。
『………すき…』
その間も声は俺の耳の中に入り込んでくる。
「………………」
結局最後はお前か、ここの本来の主である長門はいつもの表情で静かに部室を出てきた。
『………すき…』
その唇は結ばれたままだがな。こうして全員が部室を出て、
「では鍵をかけますね」
古泉が施錠して団活は終わりということだ。後は帰宅するだけだ、まったく持っていつも通りだったと言えるだろうな。
『………すき…』
ああ、この声さえなければ。そして部室限定だと思った声が今もなお聞こえているんだよ、この帰り道の中でさえ。
俺と古泉が並んで歩き、前方にはハルヒと朝比奈さん。
『………すき…』
そのすぐ後ろを長門が歩く。いつもと同じ風景。
『………すき…』
分かってるのか? この声の意味を。いや、この言葉の意味を。俺は自分でも考えてみる、そういう俺が分かっているのかってさ。
古泉の話に適当に相槌を打ちながら、俺は声の持ち主に呼びかけた。そいつが気付いているかは分からなかったが、今もって誰も話さないのだから本当に気付いていないのかもしれない。
そして駅前が近づき、
「それじゃまた明日ね!」
「またね、キョンくん」
「また明日お会いしましょう」
「…………また」
各自解散となって俺も自分の家へと帰る。
『………す……き…』
その声もまた遠く離れていくようだった。だが分かっているさ、俺が何をしなきゃいけないのかを。この声をどうにかできるのは俺一人なんだからな。
やれやれ、親への言い訳だけでも考えておくか…………



すっかり日が暮れた中で自転車を走らせる。まあそんなに急ぎでもないが、それでもどこか気が逸るのは仕方ないんだろう。
目的地は通いなれてるしな、いつもの駐輪場に自転車を止めると俺はそいつに会いに行った。予想通りなら声の主は一人だからな。
「……………」
いきなりの訪問にも表情を変えないんだな、お前は。それにしても、
『………すき…』
俺の予想が当たってて喜んでいいんだか。ここに来てからずっと聞いている声に苦笑せざるを得ない。
「なに?」
いいや、お前に話があって来ただけさ。無表情に湯飲みを俺の前に差し出した長門は俺が来ることを分かっているかのようだった。
「………あなたはわたしを見ていた」
『………すき…』
そうだな、声がお前から聞こえてたんだから仕方ないだろ。というか気付いてたのか?
「原因までは分からない」
『………すき…』
どうやら本当のようだ、あの長門がこんなつまらない嘘をつくとも思えない。しょうがない、少々照れるが説明せねばなるまい。
「……………わたしにはその声が聞こえない」
『………すき…』
そうだろうな、俺にも聞こえる理由が分からない。だがその声は確かに長門のものだ。
「わたしには理解出来ないエラーが?」
『………すき…』
どうだろう? それがエラーだとは俺には思えないんだが。いや、エラーじゃないだろ。
『………すき…』
「ではなに?」
『………すき…』
そう言われれば俺も答えに困る。こんな事を俺が言ってもいいのかどうか。
「わたしには分からない」
『………すき…』
俯く長門を見てふと気付く。いきなりこんな形で俺に言われて戸惑うのはこいつなんだって。だから俺は自分が思ったことを言う事にした、それが長門なら分かってくれるだろう。
「なあ長門、俺が聞こえている声ってのは幻聴かもしれん。だけどこう、なんというか嫌なもんじゃないんだ。少なくとも長門の心の中のような気がしたしな」
『………すき…』
「もちろん俺の勘違いかもしれないが、長門が感情というか心を持ってて、それが表に出ようとしているような気がしてな」
長門は黙って聞いてくれている。声だけは俺の耳に届くんだが。
「もしかしたら長門自身気付いてるけど分かってないのかもしれないぞ? それが声になって出ているのかもな」
俺は何を言ってるんだろう? だが長門の目を見ながら言葉を紡ぐ。
『………すき…』
その言葉の意味を長門が理解しているなら。
「ただ俺はその言葉が聞こえてはいるが、そういうのはやっぱ直接聞きたいとは思ってる」
『………すき…』
目の前の女の子の唇は動いてないから。
「もちろん俺なんかが聞いていいかは分からんがな」
それを長門が口に出せたらいいと思っただけさ。
「…………そう」
今まで黙っていた長門が答えた時。
『すき』
ただそれだけが聞こえて。

そして声は聞こえなくなった。

「…………わたしは」
長門は俺の目を見つめたまま話を始めた。
「あなたの言う事象を把握していなかった。故に全てを理解しているとは言えない」
その瞳は静かに黒く佇んでいた。
「だがわたしの中にある理解不能な何かはエラーでは無いとあなたが言ってくれた。その事に感謝したい」
言われるほどのもんでもないぞ? お前の言うエラーってのは俺らは当たり前に持ってる気がするぜ。
「……………待っていて欲しい」
ん? 何がだ? 黒い瞳に光が宿る。
「わたしが、その言葉を告げる時がくる時を」
そこに俺が映っていた、というと自惚れ過ぎだろうか。
「ああ、待ってるよ長門
俺はそう言って笑った。きっとこいつなら自分で答えを出すだろう、それは遠い話でもないはずだ。
もう声は聞こえないが、長門がそれを分かってくれればいいんだろうからな。







だからな? 俺が長門のマンションから帰るとき。
「…………すき」
俯いたあいつが小さく呟いた事は見逃しておくよ。
言っただろ? 俺は直接聞きたいって。
その時はあいつの瞳に俺が映っていて。
俺も自分なりに答えを持っているだろう。


それを楽しみにしておくさ、なあ長門