『SS』 長門有希の焦燥 6

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長門、そのー、無事、じゃないよな………?」
 彼の声でわたしは自分の右腕が欠落していた事を思い出す。彼からすれば異様な光景だろう、前回朝倉涼子との戦闘時にも余計な負担を与えてしまった。
「問題無い。このインターフェイス体の再構成を後回しにしていただけ、今から再生する」
 言葉通りにわたしはインターフェイス体の再構成を実施する。右腕が再生し、その他のダメージも回復させた。身体データを再チェック、問題無し。
 これで彼には心配されなくて済む。そう、わたしは安堵して気付く。


 彼が存在する事にわたしは安堵している。
 彼を失ったと思い、絶望し、自分を捨てようとさえしたわたしの前に彼が立っている。


 彼に触れられる。声を聞ける。彼の事を思う時、彼は確かに存在してくれるのだ。
 理由無き思考。流れ出る記憶。エラーとは呼べない溢れ出るものの正体は何? わたしは静かに彼へと近づく。一歩、また一歩と。
 彼の目前に立ち、彼の顔を見上げる。体温の上昇は感じられないのに胸の奥が熱くなる、これはエラー? 違う、この温もりはバグやエラーなどではない。
「な、がと?」
 彼が驚いている。何故?
「どうしたんだ、お前……………」
 どうしたのだろう、わたしは。胸が熱く締め付けられる。込み上げてくる、わたしの中に存在しなかったはずの何かが。
 そしてそれは、わたしの涙腺を通して頬を伝わるのだ。そう、
「何でお前が泣いてるんだよ…………………?」
 何故? わたしは泣いているの? これが、涙というもの? わたしは頬を伝う涙を拭う事さえ忘れていた。ただ、あなたが生きていた。その事を認識するだけで、わたしの胸の奥から溢れるものが止まらない。
「おい長門、」
「……………よかった」
 あなたが生きていてくれて。わたしの前にいてくれて。何故そう感じるのかは分からない、けれどわたしは喜びといえる感情を確かにそこに感じているのだ。
 その安堵が、その喜びが、わたしに涙というものを与えてくれた。だからこの涙を止めることが出来ない。
「あなたが…………今ここにいる……………よかった…………」
 稚拙なまでに語彙が出て来ない。ただ同じ言葉を繰り返し、ただ涙を流すだけ。視界が制限され、彼の表情が見えない。それでもわたしは、
長門……………」
 彼が一瞬動きを止め、そしてわたしの肩に手を置いた。触れられた部分が熱くなる、熱源は不明。
「すまなかったな、俺達が気付くのが遅れてお前を傷付けちまった。これ以上お前には負担をかけたくないと思ってたのに、すまん!」
 わたしの肩に手を置いたまま、彼が深く頭を下げた。彼の手を介して慈しみの気持ちを感じた、気がした。
 あなたが謝罪する必要は無い。全てはわたしの油断だった。それなのにあなたを死なせてしまった、たとえ作られたこの世界でも。
 脳内で再生される度に襲い来る恐怖。わたしはもうあのような喪失感を味わいたくない。わたしは静かに首を振る。
「いい。あなたは確かにここにいる、生きて存在している。わたしは、それを喜んでいる」
 溢れる涙はその証。わたしはその喜びを行動で示した。彼の胸に飛び込み、彼を抱きしめる。
「な、長門?!」
 彼の体温。彼の心音。彼の呼吸音。彼の声。彼の匂い。全てが感触として確かめられる。エラーと呼ばれるものが、わたしの隙間を埋めてゆく。
「あ、あー、長門…………さん?」
 戸惑う彼の声。だがわたしには今離れる意志は無い。埋めた胸から顔も上げず、わたしは彼にしがみついた。行動を意識が制御出来ない、ただわたしはこうしたかったから。
「ふう、やれやれ……」
 聞き馴染んだ彼の口癖の後に、わたしの頭部に彼の手が置かれた。そして優しく髪を撫でられる。
「お前はよく頑張ったよ。えらいな、長門
 彼の手が触れる部分が温かい。彼の手の感触が心地良い。まるで別の次元へと導かれるように、わたしは彼の手の感触のみに意識を集中させていったのだった…………






「お楽しみのところ申し訳ありませんが、そろそろこの世界が崩壊しますので」
 喜緑江美里の冷静な声で彼が慌ててわたしを離した。彼の感触が離れる事だけで喪失感を覚えてしまう。
 だがこの世界は既に崩壊を始めていた。わたしは意識を空間からの脱出に向ける。
「元の次元への道は開いています、後は私達の能力で空間を移動後にこの世界を閉鎖すれば自然に崩壊してゆくでしょう」
 わたしの推測も同様、喜緑江美里の開いた空間の繋ぎ目は今だ残っている。そこからの脱出は容易だった。
「では行きましょう」
 喜緑江美里が手を差し伸べた。わたしも首肯して手を握る。我々二人分の能力を互いにブーストとして使用する事により、空間を脱しながら閉鎖してゆくのだ。
「………あなたも」
 わたしは彼に手を差し伸べた。喜緑江美里でも構わないのだろうが、彼の手を握るのはわたし。
「ああ、帰ろう。俺達の世界へ」
 わたし達は空間の綻びから脱出する。最後に何故かわたしは振り返り、この荒涼とした空間がわたしに何をもたらしたのか思考するのであった……











 その後の事を簡潔ながら報告する。わたし達が戻った空間はわたしのマンションの部屋であった。どうやらわたしは学校を欠席して自宅にて療養中という事になっていたらしい。
 そしてわたしは情報の交換により把握していたが、彼がまだ理解出来ていないだろう今回の一件の説明を喜緑江美里と共に行うのだった。
「きっかけは情報統合思念体の亜種とも言うべき存在がこの星を偶然発見したことでした」
 その能力は低く、情報統合思念体は影響が無いと判断した。
「思念体ってのはそんなに宇宙をうろついてるのかよ?」
 彼の疑問にわたしが答える。
「生命では無く思考する情報という点では宇宙空間には多数存在する。だが情報統合思念体や今回の敵のように思考がエネルギーとして存在するまでになるのは稀有」
「よく分からんがお前らの親玉の成り損ないってやつなのか?」
「むしろ幼生といった方が近いのかもしれませんね、思念と情報が混雑して形を形成するまでには至っていなかったので」
 そう、あの思念はまだ情報を思考として消化するまでには至らなかったのだ。
「えーと、そうなると只単に考えてるなーってのが浮いてるってことか? そんな誰の考えか分からんもんが、ふよふよ動くもんかよ」
 この辺りは彼、いや地球の有機生命体には理解出来ないであろう。生命では無く思考のみが存在して形成するという概念は肉体という器を持つ彼らがTPDDなどを開発してさえ全てを把握してはいないのだから。
 よって我々は話を続ける。
「思考体はより強固な存在となる為に大量の情報を欲しました。そこで狙われたのが、」
「わたし」
 そう、初めからターゲットはわたし。そしてその背後の情報統合思念体だったのだ。
「思考体は長門さんを介して情報統合思念体の能力を吸収しようとしたのです」
「つまりは長門を利用して親玉を乗っ取ろうとしたって訳か………」
 彼の表現は正しい。現に異世界での朝倉涼子及びに情報統合思念体はわたしのデータそのものであったのだから。
「異空間に長門さんを監禁して世界を変えたように操作し、長門さんから情報を奪った後で情報統合思念体にアクセスする、というのが思考体のプランであったものと思われます」
 その計画はほぼ完璧に推移していた。わたしは悪夢のような空間で徐々にその能力を削られていったのだった。しかもそれはわたしの記憶から作られたシナリオであり、わたしは疑う事さえ出来なかったのだ。朝倉涼子の能力の高さをわたしが評価していた事を逆手に取られた、という事なのだろう。
「それじゃ危機一髪だった訳だな、あのままなら長門は殺されてたって事か」
 たとえわたしが攻撃しなくとも最終的にはわたしは思考体に吸収されて今の自分では無くなったのだろう、むしろ能力が少しでも残っていた時点で攻撃したのは幸運だったのかもしれない。幸運? そのような不確定な確率をわたしが考慮するなどとは。
「待てよ? 情報が何たらって言うならハルヒが狙われなかったのは何でだ? あいつはお前らの親玉も注目する存在なんだろ?」
 彼の疑問は当然、だが返答も可能。喜緑江美里がそれに答えた。
「逆です。涼宮ハルヒの能力は情報統合思念体ですら理解出来ないものなのですから。我々が把握出来ないものを思考体が理解出来るはずがありません」
 現にあの空間内において涼宮ハルヒは能力を発揮する事は無かった。能力を使わなかったのではない、使えなかったのだ。あの世界における涼宮ハルヒは、わたしの記憶をトレースしただけの普通の少女だったのだから。たとえその能力をわたしが知っていたとしても、能力そのものをトレース出来てはいないのだから思考体も何も出来なかったのだろう。わたしはそこに違和感を感じたのであるから、涼宮ハルヒの能力は我々にはまだ手に負えないのかもしれない。
「そういうものなのか?」
 わたしは頷いた。少なくとも涼宮ハルヒには影響が無かったのだから事態は最悪では無かったと言える。
「そんな訳あるか! お前が狙われたんだぞ!」
 彼が怒鳴った。何故?
「いいか長門、お前だからいいなんて理屈はないんだ。ハルヒじゃなくたって、お前が危ない目に遭えば俺たちは全力で助けるからな!」
 お前も俺達の仲間なんだからな、そう言った彼の表情をわたしは何があっても忘れない。わたしは確かにわたしの居るべき世界へと戻ってきたのだと実感した。
「それでは私は情報統合思念体への報告もありますので、この辺りでお暇いたします」
 喜緑江美里が席を立つ。報告? それならばわたしが直接行ったほうが効率的では?
「あ、それなら俺も…」
 彼も立ち上がる。それは当たり前のはずなのに、
「あ………」
 何故わたしは手を伸ばそうとしたのだろう。彼を引き止めてどうしようというのか、わたしには分からないままなのに。
「申し訳ありませんが、あなたはもう少し長門さんについていてもらえませんか? やはり負担は大きかったと思いますので。長門さんもそれでよろしいですか?」
 すると喜緑江美里が意外な発言をした。彼も若干戸惑っている。
「え? いや、それはそうでしょうけど二人きりっていうのは…………」
「何かしちゃうんですか?」
「!!!!」
 わたしが驚愕してどうするのだ、彼は焦りながら何か言っているのに。それに、決して何かされたい訳ではないのに。
 わたしが益体も無い思考に捕らわれている内に、彼は定番の口癖を呟きながら再びわたしの正面に座った。喜緑江美里はどうやら彼を押し切って自分だけ帰宅したようだ。
 これは…………お節介といえばいいの? 喜緑江美里の微笑みは変わる事も無く、何故か情報は読み取れなかったから。
 それでも。彼が存在しているこの空間は暖かく、わたしは現在を幸福だと感じる。ならば喜緑江美里には感謝しよう。
「あー、長門?」
「………なに?」
 いつもの会話。当然ということの喜び。
「いや、本当に大丈夫なのかってな」
 声色から分かる、心配されている。大丈夫、そう言おうとしたはずのわたしの身体は自然に動き。
「お、おい?!」
 彼の横に座り、肩に頭部を預けて寄り添った。彼の体が硬直したが、決して離そうとはせずに、
「…………まあいいか、疲れてるんだろうしな」
 わたしが寄り添いやすいように姿勢を変えてくれた。彼の好意に素直に従う、わたしはより密着して彼にしがみついた。
「…………なあ、長門
「…………なに?」
「ごめんな、気付いてやれなくて」
 そんな事は無い。あなたはわたしを救ってくれた。
「お前がこっちの世界で倒れた時、俺と図書館にいたんだよ」
 記憶を探る。だが混同して定かではない。わたしが攻撃を受けた際に記憶中枢にダメージを受け、回復は不可能のようだった。
「それなのに俺が気付くよりも先に喜緑さんが駆けつけて…」
 彼の拳が硬く握られる。彼もまた後悔していたのだ、わたしが原因で。
「だから喜緑さんには無理言ってついていった、結局足手まといだったけどな」
 違う、あなたがいたからわたしは、
「朝倉も二回も殺させちまった……」
 それも違う。あれは朝倉涼子ではない。あなたが傷つく必要はない。
「すまん、俺なんかで何か出来る事があれば何でも言ってくれ」
 彼は………優しかった。わたしの語彙に不足がある、この思いを言語化出来ない。ただ、感謝を。彼に、わたしの思う感謝を。
「…………いい。ただお願いがある」
 わたしという個体が願うただ一つの事。
「今日だけでいい。このままでいて欲しい」
 あなたが生きているという感触をわたしに。
「………分かったよ、今日はずっといてやるからさ」
 彼はそう言ってわたしの髪を撫でる。
 その温かさに、その心地良さに。
 いつまでもこうしていたいという欲求に溺れながら、わたしは静かに目を閉じた………………









 あなたがいるという幸福を抱きしめて………


あとがきにかえて

今回はテーマとして「ヒーローものみたいな長門」というか熱血長門にしてみました。シャオさんからのリクエストをいつものように吹っ飛ばした解釈ですいません。
ただ朝倉が殺すという残酷な流れは上手く消化できたかなと。まあ定番なオチっぽいですけど。
セリフ回しに悩んだり、長門口調が乱れたりと色々ありましたけどアクションもチャレンジできたし満足は出来るかと。
こんな風になっちゃうのを覚悟するならリクエストも受けますよー。ただし時期はいつになるか分かりません、これだけは注意点としていっておきます。
それでは長々とお付き合いくださってありがとうございました。
イデア提供のシャオさんに感謝を込めてあとがきとさせていただきます。