『SS』 月は確かにそこにある 15

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 気の休まらないままに午後の授業もいつの間にか終わっていて、俺は意識がはっきりとしない状態で放課後を告げるチャイムを聞く羽目になっていた。昼休みに別れた時の古泉の態度も気になるが、今は後ろのハルヒが、
「あんたは遅れてくること! あたしは先に行くから!」
 と昨日同様に俺を置いていってしまった事も気にかかる。なんとなくだがパターンは読めている、どうせコスプレがどうとかいった類なのだろう。だが対象が朝比奈さんでは無いということが問題なのであり(決して朝比奈さんだからいいというものでもないのだが)、それは俺以外の人間にとっては垂涎ものの状況であろう事は疑いようも無い。いや、事情さえ知らなければ俺だって嫌いじゃないはずなんだが。
 しかし俺の足は重くならざるを得ない。昼休みもあんな別れ方をしたにも関わらず、またも目的としては古泉に会わなくてはならない為にも部室までは行かなければならないのだから。ハルヒは張り切っていたが、余計なお世話だ。
 もう考えるのも嫌になっているのに、自然と部室の前までたどり着いてしまうのだから我ながら呆れてくるものだ。流石に長門や朝比奈さんに会うというのも理由としては些か弱くなってきていると思えてきた。諦めの境地に溜息だけが味方とばかりに大きく一息つくと、俺はドアをノックした。
「もういいわよ! 早く入んなさい!」
 ハルヒの声を聞いてドアを開けた俺は、即座にそれを閉じたくなった。完全に見たくも無いものを見せられたからだ。とはいえ開けっ放しは余計にまずい、仕方なく部屋に入ってからドアを閉めたのだが。
 なあ、本当にもう帰っていいか?
 目の前の光景はまさにカオスである。メイド服の先輩と、窓際の制服の少女。ふんぞり返っている団長閣下、そこまではいい。まだ普通だ。いや、十分おかしいのだがSOS団としては普通だと言うことでは正しく通常の光景であろう。
 問題は本日の着せ替え同級生であるところの古泉だ。確かに一昨日はメイド、昨日はナース服だった。この部室に存在するであろうコスプレの種類からすれば十分に予測出来たはずだった。むしろこいつの存在を忘れていた自分を責めるべきだったんだ。
「さっすが一姫さんよね! もうちょっと早くに衣装を買っておけば良かったって後悔しちゃったわ! そしたらビラ配りも手伝ってもらえたのにね」
 いや、朝比奈さんをトラウマのどん底に叩き落しておきながら、よくもまあ臆面も無くそんな事を言えたもんだ。それにビラを配った時にはまだ古泉は転校してなかったんじゃないか? 
「ああ、いえ、流石にこれは…………」
 身を縮めた古泉が弱々しく反論する。よく考えてみれば、この世界でのSOS団は古泉の転校がきっかけなのだった。というか、配ってたのか、ビラ。朝比奈さんの顔色が変わったところを見れば、これは規定事項となっていたようだ。
 まあ朝比奈さんには申し訳無いが、今はそれどころではない。何故ならばトラウマになりそうな奴が今目の前にいるからだ。
「あ、あの………あまり見ないで…………」
「何言ってんの、一姫さん! そんなプロポーションしといて見せないなんて損だわ!」
 お前の理屈だとそうだろうが、世間一般の女子(この際古泉を女子とカテゴライズするのはどうかと思うが)は、ほぼ拒絶するに決まっているのだ。 
 

 俺の目前にいる古泉は麗しいまでのバニースタイルだったのだから。 


 はっきり言って目の毒だ、分かっていても目線が外せない。どこが? などとは愚問だろう、全身がもう反則そのものだ。朝比奈さんの場合に比べると生々しいというか、ハルヒと比べてさえ正直いやらしい。バニースーツがフィットしすぎていて、スタイルの良さが際立っている。ハルヒ達よりも背が高い分だけ迫力が増したと言ってもいい、おまけにそれが足の長さで分かるのだから女性から見ても羨ましがられるに違いないだろう。現に朝比奈さんなどは尊敬に近い目で古泉を見ているんだからな。
 かと言って俺から見れば気の毒としか言い様が無い。この格好をしているのは古泉一樹であって、そいつは紛れも無く男性なのだから。どうしても同情と若干の軽蔑というか、言いなりになっている古泉がアホかと思わなくは無い。
 よって俺の反応が今一つなのを見逃すようなハルヒではなかった。まるで自分の事のように憮然として、
「何よ、一姫さんを見て何も思わない訳? あんた不能じゃないの? それとも本当に同性愛とか…」
 冗談にもなっていない事をこいつは分かってるのだろうか? 間違いなく俺が古泉を賞賛すれば同性愛なのだ。なのに同性愛を肯定するような行為が同性愛の否定に繋がるというこの反比例な状況をいかにして打破すればいいんだ? 俺のちっぽけなプライドさえ踏み躙らなければ満足しないのか、ハルヒ? それともこうして俺を馬鹿にするのが目的なのだとしたら怒りを通り越して呆れてくる。
 大体古泉が女にさせられたのも理由が分からないし、それでもハルヒの機嫌を取ろうとした古泉にだって腹が立つ。朝比奈さんや長門は部外者を決め込んでる(ように見える)だけだから実質俺の味方はいないということになる。どうなってるんだ、これは俺を虚仮にするためにハルヒが望んだ世界だっていうのか?!
 流石に限界だ、頭にきたのでハルヒに怒鳴ろうとした瞬間だった。俺の目を引くように古泉が動いた。単に少し身をよじらせただけなのだが、そちらに目を向けて古泉をみてしまった。そしてあいつの目を見ちまったんだ。
 あのなあ、そういうのは反則だと思うぞ? まるで長門だ、何も言わなくても会話になるのは。そうやって目で語るのはやめてくれ、俺も何故分かっちまうんだか。だからな? 長門でもやらない潤んだ瞳は尚も俺を止めようとしていたのだから。
 お前はこんな姿になってもまだハルヒの機嫌を優先するというのか、そんなにまで大事なものなのか? 世界の平和ってやつはよ。俺ならとっくに世界の崩壊を呼んでしまいそうなのに、古泉の精神力の強さはまだ理性を保ち続けている。『機関』での訓練の成果なのか、それともこいつ自身の強さなのかは分からないが尊敬に近い気持ちが生まれそうになった。何故こいつは毎回割りを食ってるんだってな。
 もう俺には何も言えない、少なくともハルヒへ不満をぶつけるのはやめておこう。その不満は溜息の中に押し隠し、
「いや、正直言って目のやり場に困っただけだ。あまりジロジロ見るのは失礼だし、かといって視線を外せる自信も無い。だから着替えてもらった方が助かる、一応健康的な男子なんでな」
 ここまで持ち上げるのもどうかと思うが半分は本音だ。正直な感想を言えば古泉だと分からなければ情熱を持て余すだろうな、今冷静な自分を褒めてやりたいくらいだ。
 すると古泉はここまで言われると思っていなかったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。恥かしげに体を隠そうと両腕で胸を隠そうとしているが、逆にそのポーズは強調されるからやめてくれ。どう見ても谷間を見せようとしているようにしか思えん。結局目を逸らすしかなかった俺に、
「ふーん、そういうもんなんだ…………………でも今日一日は一姫さんはその格好でいてもらうから! 何だったら写真も撮っておこうかしら?」
 などとハルヒが言い出したので写真だけは勘弁してやれと諭すのに時間がかかってしまった。朝比奈さんもトラウマが蘇ったのか、この時ばかりは完全に俺の味方をしてくれたしな。
「仕方ないわね、そんなにあんたが一姫さんのバニーを他の男に見せたくないっていうなら勘弁してあげるわよ」
 渋々ながら諦めた(不穏な言葉が入っていたのは気にしない事にする)ハルヒだが古泉の衣装だけは譲る気がないようで、うやむやのままバニーさんは俺の前にパイプ椅子を用意せざるを得なかったのである。
 ニヤニヤしながら見ているハルヒに言いたくはないが、これはもうイジメだ。俺だけにじゃない、古泉にだってそうだ。目の前にいるバニーは手を膝に置いたまま何も出来ずにただひたすら俯いて固まっている。だからそのポーズは胸元が強調されてしまうんだけど気付いてないのか?
 朝比奈さんも困っているし、俺も目のやり場が無い。ちなみにこんな時でも長門は読書を止めないけどな。まあそんなことより古泉だ、ちょっと可哀想じゃないか。
 先程までの健気な姿を見れば仏心の一つも湧いてくるというものだ、俺は机の上に無造作に置いていたカバン、の横に置いていたスポーツバックからジャージを取り出した。偶然体育があって、たまたまジャージを持ってきたなんて都合のいい事この上ないのだが、まさかこれもハルヒがっていうのは考えすぎだな。
「ほら、これで少しはマシだろ」
 とりあえず無いよりはいいはずだ、俺はジャージを古泉の肩にかけてやった。
「あ、ありがとうございます」
 気にすんな。だから顔を赤くするな、俯くな、そんなに大事そうに人のジャージを掴むんじゃない。いいから普通に着ててくれ。
「ふわぁぁ〜、キョ、キョンくん優しいんですねぇ〜」
 いや、そんなに大したことはしていませんけど。だから何故朝比奈さんまで顔が赤いんですか? そんなに見ちゃいけないものを見てしまったような顔をされても。長門は顔を上げもしてないんだぜ?
「………………ふ〜ん」
 そしてその目は何なんだ、お前が悪いんじゃねえか。俺と古泉を交互に見比べたハルヒは途端に口元を歪ませて、そのままだんまりを決め込んだのだった。
 自業自得のはずなのに、自己中心なハルヒは自分勝手に機嫌を悪くしている。こんな奴に命運を握られている世界の理不尽を嘆こうとも、ハルヒの気分一つでこの世界は終わりかねないのである。たとえこの世界が俺の居た世界とは別物だとしても、ここに俺が居る以上は世界が変われば俺もどうなるか分からないのであって、それだけは断固として阻止をせねばならない。
 せっかく機嫌が良かったようだったのに本当に意味が分からない、何がハルヒのスイッチになってるんだ? ただこの状態になると一番焦る奴がいるので謝罪の一つでも入れておこうと思ったのだが。
 そんな俺の心配は杞憂に終わったようだった。古泉を見れば嫌でも分かる。もちろん携帯電話も鳴っていない。
 しかし俺の気分は重くなる一方だった。理由は当然、この馬鹿超能力者が原因である。俺の仏心はどうやら広すぎたらしいな、神様よりも仏が勝ったってことなのか?
 ハルヒの不機嫌など無かったかのように肩から羽織ったジャージに顔を埋め、至福の表情で優しく微笑んでいる同級生の元男性、現美少女を見て、俺は間違いに気付いて大きく溜息をついたのだった。
 どうなっちまったんだ、そしてどうなっちまうんだ? 答えは未だ見つからないままで放課後の時間は確実に無くなっていき、俺は胃の重さに耐えかねて机に伏せるしかなかった。
 長門、頼むから早く本を閉じてくれ。俺はそれだけを願い続けた。