『SS』 月は確かにそこにある 31

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 一日に何度も往復などしたくもない登り坂を重い足取りで登る。おかしい、帰れるはずなのに何故ここまで気が重いんだ? というのも隣を歩く女が先程までとは打って変わったように無口になっているからなのかもしれない。
 黙々と坂を登れば校門前に四人の人物が待ち構えていた。あからさまに雰囲気が違うので学校から出てくる生徒達が避けるようにして歩いている。その中の一人が俺たちを確認して手を挙げた。こっちにも注目を集めてしまうので勘弁してもらいたいが呼んだのは俺だ。しかし電話をして時間はそこまで経っていないのに全員俺達よりも先に来ているというのが不思議だな。
 まるで不思議探索を彷彿とさせるように最後に北校に着いた俺と古泉はいきなりの罵声に迎えられた。
「おい、これはどういう事だね? 何故我々が北校まで来なくてはならなくなったのか、君から説明してもらえると聞いたのだが?」
 この中では唯一状況を理解していないであろう光陽園の生徒会長である。喜緑さんが何らかの説明をしてくれたのかと思ったがそこまで甘くはないようだ。
「すいません、後は中に入ってから説明させてもらいます。ここだと人目が多いのでとりあえずは俺についてきてください」
 会長は尚も何か言いたそうだったのだが喜緑さんが率先して俺の後を追ったので仕方なくついてくるようだった。とはいえ保護者とは思えない森さんと新川さんに他校の生徒の喜緑さんと会長、それに俺と古泉である。否応無く目立つと思うのだが幸いな事に生徒たちはほとんど下校していたし教師達に見つかる事も詮索される事も無く目的地に着く事が出来たのだった。
「何だここは?」
 何だと言われても見たままだ。それよりも隣が職員室なので少し静かにしてもらいたい。実際鍵を用意するだけでも大変だったんだ、古泉が成績優秀な生徒で生徒会に興味があるという理由がよく通用したものだと今でも思う。
 そう、ここは北高の生徒会室だ。ここに本来居る連中はとっくに帰ってしまっている。目の前にいる会長がここに居た時はもっと活動していたような感じだが、今の生徒会はそこまでの情熱は持っていないようだった。その方が都合もいいのだけどな。
「さて、これでどうなるんですか?」
 全員が疑問に思っているだろう事を真っ先に切り出したのは森さんだった。どうやら見た目よりも気が短いタイプだというのはここ数日の接触により判明した新しい事実だ、しかも圧倒的な圧力をかけて話しかけてくる。『機関』での森さんの立場や役割などは分からないが、俺などが知る由も無い修羅場をくぐってきたのだろう。
「まだ分かりません、だけど正解ではあるはずなんです」
 SOS団以外で俺と古泉、特に古泉に縁の深い人物と言えば森さんと新川さん、それと会長と喜緑さんだ。そして文芸部室以外でこのメンバーがいて違和感のない部屋と言えば『機関』が用意した会長が居座るここ生徒会室しかない。これが俺の出した結論だった。
 後はあの時と同じならば。
 俺はその時を待った。
「どういうことかね? 喜緑くんも一体何を考えて、」
 会長がしびれを切らせた時に。
 その時はやってきたのだった。



 ピポ



 生徒会室のパソコンが一人でに起動する。やはりこれか。
「何だ?」
「これは?!」
 説明する時間も説明出来る自信もない俺は急いでパソコンのモニターを覗きこんだ。
 ダークグレイのディスプレイ上に音もなく文字が流れていく。こんなとこまで同じにしなくてもいいのにな。

EMIRI.K>見えていますか?

 ええ、見えてますよ。呆然とする周囲をよそに画面を流れる文字を読んでいく。

EMIRI.K>このメッセージが表示されたということはそこにわたし、キョン、森、新川、会長、が存在しているはずです。

 ああ、全員いる。しかしこの時俺は気付かなければならなかった。名前の表記の違和感に。
 そして気付いた時には既に遅く、俺は後悔するのだがこの時点で気付く事は不可能だったのだ。焦っていたのかもしれないし予想通りの反応に油断していたのかもしれない。
 とにかく次を、その先を読まないことには話は進まない。それしか考えられなかった。

EMIRI.K>それが鍵になります。あなたは正解を見つけ出しました。

 そうか、やはり鍵はこのメンバーだったのだ。この世界にある違和感、それはあるべき場所にあるべきものがない事にある。ハルヒ長門に変わりがないのならば原因は別のところにあるはずなのだから。

EMIRI.K>これは緊急脱出プログラムです。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合をそれ以外のキーを選択してください。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る事が出来ます。ただし成功の保障は出来ません。また帰還できる保障もありません。

 分かってる、そして答えも一つしかない。

EMIRI.K>このプログラムが起動するのは一度きりです。実行ののち、消去されます。非実行の場合も自動的に消去されます。Ready? 

 そしてカーソルは点滅する。何から何まであの時と同じだ、それならば俺の行動も同じでしかない。
 これで帰れる、その後は今は何も考えられない。
「よし、帰るぞ古泉!」
 説明などしてもこちら側の人間には理解出来ないだろう、だったら何も言わずに早く行動した方がいい。そう思った俺は振り返って古泉を呼んだ。
 そして愕然とする。
 古泉は両腕を抱え、震えていた。青ざめた顔、絶望した瞳。まるで恐怖に慄くように。
「ど、どうした古泉?」
「…………いやだ」
 何があったのかと伸ばした手を避けるように古泉が後ずさる。俺がまるで地獄へと誘う悪魔だと言わんばかりに。
「早くしろ古泉! エンターを押すから俺に掴まれ!」
「いやだっ!」
 突然古泉が叫んだのだ、泣きながら。
「いやだいやだいやだいやだ! 私は、私はまだ…………」
 泣きながら蹲る古泉。何だ、何が起こってる? どうしたんだこいつは、帰れるんだぞ?! しかし古泉は震えて自分を抱え込んでいるだけで。
 この馬鹿、何考えてやがるんだ! 焦る俺に追い討ちをかけるように、
「おい、文字が消えるぞ!」
 会長の声に振り向いて愕然とする。モニターの点滅が薄くなってきている、このままでは時間切れってことなのかよ?!
「チクショウ! 消えさせてたまるかよっ!」
 古泉に構ってる場合じゃない、とにかくエンターキーを! 俺はパソコンに飛びつくようにエンターキーに指を伸ばした。
 その時、喜緑さんが思い出したかのように、
「いけない! それはあなたの役目じゃないんです!」
 叫んだと同時に俺の指はエンターキーを押さえていた。何だって? 俺の役目じゃないってどういう、
「キャアーッ!!」
 古泉が叫んだ、と思ったらパソコンの画面が白くフラッシュして。
「プログラムが暴走してます! あなた達は避難を!」
 喜緑さんが森さんに叫んだのだけは分かったのだが。








 そこから俺の意識は途絶えた。