『SS』 ごちゃまぜ恋愛症候群 34

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34−α
 先程までの勢いもなく呆然と突っ立っている俺に朝比奈さん(♂)は真剣な顔を崩し、
「驚きますよね? キョンくんは僕が時空の壁に飛ばされたところまでしか見てませんから」
 少しだけ苦笑いをしながら申し訳無さそうに頭を下げた。こっちとしては戸惑うしかない、目の前にいるのは本当に俺の知っている朝比奈みつるさんなのだろうか?
「はい、僕はキョンくんの知る朝比奈みつるで間違いはありません。多少時間軸にずれは生じていますが、それはあくまでこちら側の感覚であってキョンくんには直接関係の無い事なんです」
 よくは分からないが朝比奈さん(♂)が無事で良かった。単純に胸を撫で下ろすが、そんな気持ちは一瞬にして冷める。
「でもどうやって助かったんですか? それに何故ここに?」
 訊きたい事が多すぎる、俺はこの過去の世界に来てから何も知らされていないのだから。朝比奈さん(大)も何もヒントはくれず、ただ時間だけが過ぎ去っていっただけだった。いや、今回は誰に頼まれた訳でも無く、単にそうせざるを得なかっただけなのだが。
 ただ朝比奈さん(♂)が無事だったのは正直嬉しかった。朝比奈さんの言った通りならばこの人はどの時空に飛ばされていてもおかしくはなかったのだからな。いや? それならば何故ここに朝比奈さん(♂)が居なければならなくなったんだ? もし何らかの方法で助けられたとしても俺と朝比奈さんを送り届ける事には成功したのだから後は任せる事も出来たはずだ。
 考えられる事態としてはまず援軍としての参加なのだろうが、元々の時代ではない現状において下手に人間が多いとハルヒに疑いの眼差しを向けさせる結果になりかねない。
 それ以外の可能性としては朝比奈さん(♂)がこの時間に来る新たな事態が発生したということだ。つまりは事件に事件が重なったのであって、それは混乱を加速させる事実にすぎない。そんな事よりも俺はハルヒが気になっていたから自然と口調が厳しくなる。
「とにかく俺はこの時空に来た目的を果たします。ハルヒはこの先で悩んでいる、それを俺は助けてやらないといけないんです」
 その為に俺と朝比奈さん、いや目の前の朝比奈さん(♂)だって死ぬような思いをしてここにいる。それは全部、とは言わないがハルヒ、あいつの為なんだ。
 にも関わらず朝比奈さん(大)は俺を足止めした。それが規定だと言われても納得出来る筈が無い。
「分かっています、僕も涼宮さんの為に来たようなものでしょうから」
 だったらそこをどいてもらえますか? 俺は朝比奈さん(♂)の横を通り抜けようとして、
「すいません、一つお願いがあるんです」
 何だ? まだ何かあるのかと足を止める。話を聞こうと振り向くや、
「一発、殴らせてください」
 なっ?! 言葉と同時に腰の入ったパンチが顔面を捉え、俺は吹っ飛ばされた。
「何しやがるっ?!」
 立ち上がった俺は朝比奈さん(♂)に掴みかかる。こんな事してる場合じゃねえのに! 何を考えてんだ、こいつは!
 だが朝比奈さん(♂)は冷静な口調で、
「そのくらいで済ませてあげます。早く彼女のところに行ってください」
 俺の手を払うと振り向くこともなく歩き始めた。
「僕は朝比奈みくるさんの元に行きます。まだ彼女は眠っているはずですから」
 反論など出来そうもない口調だった。
「…………くそっ」
 何故殴られたのか、なんてもうどうでもいい。俺は走り出していた。
 早く、ハルヒの元へ。
 まだ俺は自分の事しか考えていなかったということなのだろう。ハルヒの事だけしか考えていなかったのだから。




 そして、ハルヒと会った時。俺は朝比奈さん(♂)に殴られた理由を知る。苦い思いと共に。





34−β
 突きつけられた銃口が鈍く光っているのをあたしは冷静に見る事が出来た。いや、あまりの事態に逆に落ち着きすぎてしまったのかもしれない。
 だって、あの古泉が。古泉一姫があたしに銃を向けているなんて。信じられない、信じたくも無い。
「どう……して…………」
 舌が痺れている。声が出ない。今まで見てきた何よりも非現実的じゃないの、こんなのテレビでしか見たことなかったのに。
 友達に、少なくとも友人だと思っていた相手に銃を突きつけられるなんて。
「ねえ、どうして?!」
「あなたのせいですよ」
 あたしの叫びは無常な声にかき消された。揺らぐことのない銃口の向こうで古泉は笑みを浮かべたまま、
「今のあなたは世界の敵なのです。あなたの言動で何度大規模な閉鎖空間が起こったのか教えてあげたいくらいですね。絶望しか感じないとは思いますけど」
 冷酷な声にあたしの体が凍りつく。そんな、閉鎖空間なんて。
「だって、ハルヒコはハルヒを追っかけてたんじゃないの…………あたしが原因だなんて、そんな、」
 古泉の目が細まった。射抜くような視線に勝手に足が後ろに下がろうとする。
「何故ですか?」
「え……?」
「あなたに涼宮くんの何が分かったというのか、と訊いているのですよ」
 それはあたしの知る古泉じゃなかった。笑顔のまま人でも殺せそうな、凄まじいほどの迫力であたしに銃を突きつけるそれは。
 今まで見せた事の無い、『機関』のエージェントとしての古泉一姫。そうだ、こいつは閉鎖空間の中で戦う超能力者であり、『機関』で訓練された戦士なんだ。
 見たくもなかった現実がそこにある。あたしは怯えて後退りするしかなかった。
「だって、ハルヒコはハルヒに……」
 駄目だ、言えない。ジョン=スミスはあたしの持つ唯一の切り札だ。それに多分、古泉が言いたいことはそういうことじゃない。
「彼女に好意を抱いている、そうあなたは言いたいのですよね? 実際に我々もそう仕向けましたし、『機関』は成功を確信していました」
 そうだ、古泉はハルヒコを焚きつけていた。それを見たキョンを見るのがあたしは嫌だった。でも、もしもハルヒの関心がハルヒコに向けば、キョンの気持ちがあたしに向くかもしれないなんて思ったりもしたのだから。それが何故古泉はあたしに銃を突きつけるようになったんだ?
「表面上は上手くいっていた。けれど、私は涼宮くんの心が分かる。分かってしまったといえばいいのでしょうか……」
 古泉の笑みは皮肉に歪んでいた。いつものインチキ臭い微笑みではない、凄絶なまでに凍りついた笑顔。
「あなたの言った通りですよ。涼宮くんは涼宮ハルヒの力などに引きずられなかったのです。彼が求めたのはあくまでも同レベルで話せる友人であった、それだけなんですよ」
「そ……れ………って…………」
 古泉の言葉が本当なら。ハルヒコがハルヒに対して思う気持ちが友人程度なのだとしたら。
 あたしの、キョンの考えが根本で間違っていたのだとしたら。
涼宮ハルヒの想いなど知るよしもありませんがね。ですが、涼宮くんは何一つ歪む事はありませんでした。それは私が保証しますよ」
 残念ながら、と言いましょうか。古泉はそう言って地面を蹴る。忌々しげに。
「結果として残ったのは閉鎖空間だけでしたよ………………あなたの煮え切らない態度のせいでね! あなたが彼に惹かれていく姿を見せられている、それを止めることも出来ない自分の感情すらコントロール出来ないただの子供ですよ、彼は!」
 仮面を外した古泉一姫が見せた感情。それは怒りだった。あたしはその叫びを聞いて青ざめるしかない。
「そんな、だって、だって!」
「しかし、『機関』はまだ涼宮ハルヒの力を諦めていません。涼宮ハルヒコを越える能力、その制御が可能ならば世界は安定し続ける事が出来るからです」
「なっ?!」
「その為の最大の弊害。それがあなたです、キョン子さん。涼宮ハルヒコの精神を乱し、涼宮ハルヒとの接触を妨害するあなたこそ世界の敵だと『機関』は判断しました」
 冷酷な宣言だった。あたしが世界の敵? 話の大きさに頭がついて行かない、それどころか古泉の迫力に何も言えないままなんだ。
 こんな顔をした古泉なんて、あたしは知らない。いや、ハルヒコの気持ちにだって気付く事も出来なかった。キョンハルヒと話すハルヒコを見た時のように、あたしと話すキョンを見てどう思っていたのかなんて知ろうともしなかった。
 あいつが苛々している理由なんて、聞こうともしなかったんじゃないか! あたしは、ただ自分勝手にキョンばかりを追いかけて、ハルヒコを見ようともしなかった。それがどういうことなのか理解もしないままに。
「あ……あ…………」
「さようなら、キョン子さん。あなたとこのような別れになるなんて残念です」
 待って! まだあたしは何も言ってない! ハルヒにも、キョンにも、ハルヒコにも! あたしはまだ何も!
 だけど、古泉の指は銃の引鉄にかかっていて。それがゆっくりと引かれるのまで見えたのに。


パンッ!


 乾いた音が校庭に響いた。






 結局俺は自分のことしか考えてなかったんだ。後悔なんてする資格もないほどに。
 結局あたしは何も見ていなかったんだ。それを後悔するまでもないほどに。