『SS』 はじめてのチュウ
真っ暗にした部屋の中。ベッドに寝っ転がって何もない天井を見つめている。それだけなのに段々と顔が熱くなってくる。
少しだけ身体の向きを変える。枕にくっつけた耳が熱くってまた方向を変える。そんな事を繰り返していたら、段々と動きが激しくなってきた。
「ん〜! ん〜!」
何か言いたくなってきたんだけど、大きな声を出す訳にもいかないから布団を抱きしめるみたいな感じでベッドの上を転がっているあたしがいた。
ダメだ、どうやっても眠れない。眠れる気もしないけど。
だって。
だって、あいつが。
あいつのせいだからっ!
「もうっ!」
布団を頭から被って視界を遮っても、目を閉じて視覚を遮断しても全くの無駄。静かなはずの室内にはあたしの鼓動が響きわたっているみたい。
真っ暗なはずなのに、あたしの視界にはあいつの顔。さっき別れたばかりなのに、もう会いたくなる。会いたくなってる。会いたいから、思い浮かんでしまう顔。
「どうしてくれんのよ………あのバカ…………」
耳元が燃えているように熱くって。身体全体が真っ赤になってるような気がしてきて。同じ体勢でいることなんて出来ないから、ベッドの端から端まで何往復も転がっている。あ、眩暈が………そりゃ目も回しちゃうだろうけど。って何回転がってんのよ、あたし。
「ふう……」
目の前がグルグル回るのが落ち着くまで大人しくして、あたしはようやく息を吐く。アホな事をしたおかげなのか、気持ちも少しは和らいだのかもしれない。
和らいだのよね? そうなんだよね? なのに、あいつの顔はやっぱりあたしの前にあるのは何で? 今日初めて見た、柔らかいあいつの微笑みが頭から離れてくれない。離れて欲しくない。
「うふっ」
そんな顔出来たんだ。
「ふふふ………」
あたしにしか見せない顔なんだ。
「ふふ……へへ…………えへへぇ……………」
嬉しくって、恥ずかしくって、足をバタバタさせながら。布団を被ったり、顔を出したり、何度も繰り返したりしながら。
ずっと、あいつの笑顔が見たいから。
「んーっ! ふ、ふふ………くふぅ……っふ!」
笑い声を我慢するのがつらい。けど、絶対に親が起きちゃうだろうから必死に堪える。そうじゃないと、あたしは絶対にはしゃいでしまう。今だってベッドから飛び出して走り出しそうなんだもん! こんな気持ちになるなんて思いも寄らなかったもん!
だから無理矢理に近い感じで布団を抱きしめて。顔を押し付けて声を出さないようにして。
それでも漏れてくる笑い声が我ながら不気味だわ。でも、声そのものを止めることなんて出来っこないし。
「…………ん」
ふと思って自分の唇に指を当てる。
瞬間、あの場面が頭の中で一気に蘇ってきてしまって、
「うひゃあっ?!」
顔から炎が出てきたみたいに熱くなって、見えないけどきっとあたしは真っ赤になってる。顔だけじゃない、全身が茹でたみたいに真っ赤っかになってる。
だって、だって、だって! あいつが! あいつと!
やった! やっちゃった! やってやった! やられちゃった! って、もう! だからってもう! やったよ! やったのよっ!
ち、ち、ちう? ちゅう? チュー? キス? Kiss? 接吻! 口づけ! っていうか、ちゅう! しちゃったんだからっ!
「うわぁ……うへぇ……うひゃはぁ………」
なんかもう言葉にもならないんだけど。だって、ちゅうだよ?! ちゅうしちゃったんだよ、あたしたちっ!
「………うふぅ」
いや、あたしだって子供じゃないんだからキスの一つや二つは経験済みよ? …………夢の中でだけど。相手も同じなんだけど。
でもこれは違う! さっきのちゅうは現実だし! 夢の中みたいに変な空間とかじゃなくて公園だったけど。それでも唇の感触とかは夢と同じだったような。
どうしよう、こんなことになるなんて。
なんでだろう、こんな気持ちになるなんて。
あたしはもっと。もっとしっかりしていると思ってた。
はじめてのちゅう。
あいつとのちゅう。
なんでだろ、とっても恥ずかしい。
恥ずかしいはずなのに。
こんなにも胸が温かい。熱さとは違う、奥の奥から湧き上がってくるような温もり。
それを抱きしめるように。
あたしは自分の胸に手を当ててみる。
トクン、トクンッって聞こえる鼓動。あんなに興奮してたはずなのに、今はすっごく静かに聞こえる胸の音。
そのリズムが心地よくて。自分の鼓動に抱かれるように、あいつに抱きしめられた時のように。
優しくて、温かくて、嬉しい。
「……………あ、あれ?」
頬が温かい。溢れるモノが止まらない。いつの間にか分かんないけど、あたしは泣いていた。
「何で?」
分らない。けど、涙は止まらないし止めるつもりもなかった。この涙は大切なもの、意味は分からなくても感じるもの。
涙が流れていくたびに、心が優しくなっていく。
「………………そっか……」
あたしは今まで求めていたんだ。誰かを? いいえ、あいつを。
世界中であたしだけ、そんな想いが脆くも崩れ去った時。たった一人で、それでも何かを探し続けていた時。
寂しくて、悔しくて、自分自身も許せなくなりそうなあたしの前に現れたあいつ。
何にも分かってないくせに、あたしの中に勝手に入り込んできて。
あっという間にあたしの望むものを与えてくれたあいつ。
それでも、言えなかった言葉が。
それでも、伝えられなかった想いが。
やっと、今伝わった。その返事があのちゅうだった。
だから、あたしは泣いている。
嬉しくて。
幸せで。
たまらない気持ちが溢れ出た結果が涙になってるだけだから。
自分で自分を抱きしめながら、あたしは静かに目を閉じる。
明日も会える。それが嬉しい。
明日も笑える。それが嬉しい。
そうよ、明日はデートなんだから! あいつが決めたって言ってたんだから。
期待してあげないけど、楽しみにしといてあげる。だから。
ほんの少しだけ早起きして。
泣いた顔を洗ってから、あいつの為にお弁当も作んなきゃ。だから。
あたしは幸せな気持ちで眠りにつく。
今を想い、明日を想いながら。
そして、小さく呟いた。
明日のあたしが笑っていられるように…………
「おやすみ、キョン」