くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ウンベルトD」「狂った夜」「積木の箱」

kurawan2017-04-25

ウンベルトD
30年ぶりくらいに見直しましたが、これは良い映画でした。こういう素朴な感情に訴える映画を作れる監督が本当に少なくなった気がします。画面の構図が美しいし、物語がとにかくシンプルでピュア。人間の心に迫るような物語にいつの間にかどんどん引き込まれてしまいます。監督は巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。さすがです。

イタリアの街、時は戦争が迫る中のインフレの真っ只中で、職にあぶれた人々が政府に窮状を訴える顔、顔、顔のシーンから映画が始まる。このオープニングからまずすごいと思う。

愛犬のフライクと暮らすウンベルト。アパートの家賃も払えず、なけなしの品物を売って支払おうとするが、家主はたまったもの全部払い終えないと出て行ってくれと言う。その日の生活にも困るウンベルトは、しばし救済病院に入って急場をしのぐが戻って見ると、フライクがいない

危うく処分されるところを連れ戻したウンベルトだが、生活はますます窮乏を極めて行く。街で物乞いに立とうとするが、どうにも踏ん切りが付かない。知り合いに会うのだが、窮状を訴えられないままにアパートに戻ると、すでに自分の部屋は改装が進んでいて居場所もない。

自殺しようと下を見下ろすが、フライクを残しておけないので、あきらめる。街に出て、預かり所にフライクを預けて去ろうかと思うが、あまりの環境の悪さに断念。知り合いの子供に与えようとするが拒まれ、一緒に列車に飛び込もうとするがすんでのところでフライクが逃げ出して、一命を取り留める。

この辺りの畳み掛ける展開が実にうまく、バッチリ決まった美しい画面が映画の質の高さを見せつけてくる

一時はウンベルトから距離を置くフライクをなんとかなだめ、一緒に遊びながら彼方に消えて行くウンベルトとフライクのシーンから子供達が画面を遮ってエンディング
これが名作である。これが一流監督の映画作りである。素晴らしかった。


「狂った夜」
ピエル・パオロ・パゾリーニの脚本を元に、若者たちの一晩の無軌道な行動を描いた作品で、自由奔放な姿が、その行動の中心に金を配置した構図で生々しく描かれる様は、当時のイタリア映画らしい空気を感じさせる一本でした。
監督はマウロ・ボロニーニです。

地面に散らばった、ゴミなのかなんなのか、雑然とした画面から映画が始まり、まるでそれがこれから映し出される若者たちの姿のごとく物語が被ってくる

二人の娼婦らしい女が路上に立っているカットから映画が始まり、そこに通りかかるいかにもな若者たちの車。罵声を浴びせながら、物語はそのまま本編へ流れて行く。

ろくに金もないにもかかわらず、金持ちの人間への異常な執着と嫉妬を露骨に見せながら、好き放題に夜の街をあばれ回る若者たち。

ふとしたことで大金を手に入れ、それをばらまいて、ひと時の享楽に浸ったのち、やがて女たちと別れ、夜明けの街に消えて行く。冒頭のカットになってエンディング。

突っ走るようなストーリー展開で、好き放題に生きる若者たちの虚無感がなんとも言えない侘しさを感じさせてくれる。

イタリア映画らしい独特の空気感が、作品のクオリティと相まった完成度で楽しめる一本でした。


「積木の箱」
さすがに主人公が思春期の少年となると、さすがに女を描く増村保造としては、どこかちぐはぐでグダグダになった感じがします。確かに、物語の骨子は女の情念とはいえ、いつものような濃厚さを出すに至らず、中途半端なエロスだけで止まった感じの映画でした。

妾と一緒に住む父と母と生活する中学生の少年一郎は、父に反抗して家で食事を摂らず近所のパン屋によるうちにそこの女主人久代に惚れてしまう。しかし、久代もまた父に手篭めにされ、その上子供を産んだ女と知り、ますます女に対し、そして家族に対し嫌悪感を深めて行く。

そして、その腹いせに、担任の先生の宿直の日に学校に放火する。しかし、その時久代の息子も泊まっていて、やけどを負わせてしまう。

一度は逃げた一郎だが、病院で無邪気に語りかける久代の息子の姿に、自首することを決意、両親の前で警察に電話をして物語は終わる。

唐突なエンディングで締めくくるが、妾、ふしだらな姉、世間体だけで生きる母、金だけに頼る父と、ドロドロの舞台設定なのにいつもの息苦しさは出ていない。増村保造作品としては凡作の一本でした。