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くりこのフランスの目

2015-03-08

Paris lumineux

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。


このキャッチコピーが時折ぐっと心に刺さる事がある。


人生はうれしい分悲しいし、つらい分楽しい。

不安な分期待があり得るし、安定は時折退屈にかわる。


この世界に「いいな、いいな」はありったけ存在していて、

そのひとつにでも近づければ、それは私個人のちいさくておおきい幸せ。



と思うようにしないと。


うれしい瞬間も楽しいこともあるけれど、

不安定な最中はそれも吹っ飛んでいく。

0か100、真逆なのに紙一重だよ。



何がしたいの?


つよい人になりたいとか思ってたけれど、

やっぱりすてきな人になりたい。

だめだだめだこのままだと。


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今日みた展覧会のHans Op de Beeckの映像作品、

衝撃的によかった。いや、本当によかった。

2015-01-11

Etre en deuil, sous le ciel de Paris.

メトロの改札をぬけて電車に乗り込む。

この日はパリ全域の交通機関が切符無しで解放されている。

そう、レピュブリックからナションに向けて歩く人々のためだ。


というのはあとで知ったのだが、ホームや車内は静かでただならぬ雰囲気だった。

みんな何か同じ目的でその場にいるような、緊迫したような、怖くて重たい空気を感じた、私だけだろうか。


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パリの街は喪に服している。


すべては7日に起きた事件からである。

私としては、まだ事件背景を深く理解していないので、自ら何かに参加するという事はしない。

それに、集団の中にまぎれて、同じものの中に入っていく事になじみがない。

ただ、ここにいて感じる事は、フランス人は個人の主張を外側に打ち明ける行為がものすごく自然であるという事。

みんながはっきり言葉にしていう。


その言葉を内側に閉まっておく事が自然である日本人の私には、私個人には、

それらの外に吐き出された言葉や行動に驚きを感じる。


そして、フランス人同士の結びつきが強まる事で、私はフランス国内にいながら外にいる感覚がする。

その深い傷はフランスの人にしか感じられない場所にあるのかもしれない。


今日はまったく違う目的でパリ中心にでたら、まさに大勢で歩く人々と同じ道に出た。

みんな同じ方向にただただ静かに歩いている。

時折始まる拍手が拍手を呼び、道中が静かな拍手でいっぱいになる。

自分がまさに渦中にいるような気がした、街が喪に服している。



事件が起きたCharlie Hebdoの新聞社。

これまでその存在も知らなかったけれど、聞けばその看板である風刺画は時折かなり過激なもののようだ。

これまで風刺画を嫌う気持ちはこれまで持った事はない。


ただ、表現の自由と、風刺画の掲載内容の自由の度合いを同時に考える時、

どこまでが表現者に許される方法なのかは議論があっていいと思った。

だから今日まで、フランス人がみんな新聞社の名前を掲げる事に違和感があった。


でも、そうでない事が今日少し分かった。

フランス人の友達に、あの新聞がフランス人にとってどういう存在なのか、

なぜ「私はシャルリ」をみんながかかげるのかを、聞いたから。


フランス人たちもみんながあの新聞を賞賛するのではない、表現も度を過ぎたものはいいとは思えない。

ただ、みんなが悲しいのは、描かれた表現を、武力によって否定された事。

紙の上のメッセージが、命を奪って返された事。

そして、そうされた事によって、フランス人として、フランス全部が否定されたような、悲しみや傷を負った事。

その象徴としての、「わたしはシャルリ」。

革命以来の大切な自由を、守られるべき表現の自由を願っての、「わたしはシャルリ」。

これだって一つの見方な訳だけれど、私は賛成する。


この緊迫した街中を歩いて、

待ち合わせを、外で銃撃があったからキャンセルするという異例の状況に遭遇して、

私は3月11日の東日本大震災の事について、考えずにはいられない。


あの時の本当の混乱や緊迫は、私は全部知らないんだって思い知らされた。

どんなにニュースを見ても、そこが自分の国でも、その時の緊迫感を肌で感じなかったんだって、今更知った。

日本人でありながら、あの大変な事態を共有できない、していない事に、今になって穴があいたみたいに感じた。

だからといって、後悔できるようなそういう事ではないのだけれど、何か遠いところに来てしまっているような感じがする。


そう思わせられるくらい、今日のパリは緊迫感があった。



ふと、いろいろ考えちゃったけれど、

明日は確実に来るし、その明日する事はごくありふれた日常的な事で、

まだまだ自分のことでいっぱいいっぱいな私がいる。

頑張らなくちゃといいきかせる。






写真は霧のヴェルサイユ

吸い込まれそうな、のみこまれそうなわたし。




頑張ることはできる。

でも頑張り続ける事は結構むずかしいな。

2015-01-08

Bonne année 2015.

あけましておめでとうございます。

少しおくれましたが、新年のごあいさつ。

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たくさんの方に支えられて、助けられて、なんとかここにいる一年。

不安も孤独も、大好きな場所にいる幸せと、

つながっている空に紛らわして、ちょこちょこやってきた一年。

今年も踏ん張って、広がって、ちょこちょこやります。

楽しい人生には今年だって楽しくないと。

帰国の機会がありましたら、今年こそは顔出しにいきます!

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。




年明け早々、パリは昨日から悲しい街。

メディアはCharlie Hebdoの銃乱射事件の事で一色。

起きてはならない事が起き、心も体も重たくなった。


こうしたイスラム過激派の動きが、

イスラム教徒全体に対する否定的な見方が強まるとすれば、

それはとても良くない事の始まりだと思う。


ここフランスにいるから、事件のほとぼりの冷めない渦中におり、

ここ自由を重要視する国で、人々の共通の関心事や、議論がおこるのは当然の事。

だって事件はまさにここで起きたのだから。


でも、同時に世界の別の場所では、内線・紛争の絶えない場所では、

毎日何百人もの人が想像を絶する環境の中死んでいる人がいるということ。

人の死は、規模や残酷性で比較されてはならないし、

たとえ、1人でも100人でも、その個人にはい一つの大切な人生があるという事なのだけれど、


どうも今現在起きている人間の行為は、世界は、

狂ってきているように思う。


宗教、人種、思想、皆違っていいと言いながら、その違いがもとになって争いが起きている。

この違いの穴埋めを、武器無しで、血をなくしてはできないのだろうか。


こんな大規模な話ではなく、私は個人的につらくなったり、逃げたくなったとき、

宇宙に浮かぶ地球が地軸を傾けて、回転して、公転している様を想像する。

すると、どんな悩みも地球の表面にみえるどんな点より小さく見えて、

悩みが消えてくような感覚がする。というか、自分が小さすぎて。


なんで、誰しもが望む平和は、こんなにも手に入らないのだろうか。

もっとたのしい方向にいきたいのになあ。





という訳で、あまり落ち着ける年明けではないけれど、

私はとりあえず元気です。

みなさま、今年もよろしくおねがいします。

2014-11-14 La sieste

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とても久しぶりに昼寝の隙間をみつけました。

温かい海に浮かんでいるような、

夢と現実が混沌とし、

ベットの裏側まで沈んでしまうような気持ちのよい昼寝だった。

私は昼寝がへたくそだけれど、今日は最高にうまくいった。

こんな昼寝が1年か2年に一度やってくる。

ここ一ヶ月体調のバランスを崩しているから、

隙間をみつけて昼寝しようと思う。

ああ、また今日みたいな海水に浸かりたい。

2014-09-19

Le changement va me donner des choses nouvelles.

フランスに戻ってきて3週間が経ちました。


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この間に、家探しがあり、展覧会がはじまり、引っ越しがあり、今日新しい学校がはじまりました。

学校といっても、学生になっても、気持ちは学生じゃないんですというのは言い訳ですが。


ヴェルサイユ市の美大の彫刻のアトリエに籍を入れてみました。

学校にいく度に、あのヴェルサイユ宮殿の前の大道路を渡るというちょっぴり非現実な日々になりそう。

幸運にもこの大通りを隔てた反対側に陶芸家アトリエをみつけ、家もアトリエも引っ越ししました。


不安をやる気にできるのかしら。

きっかけは自分で作る、届いたきっかけは受け止める。

不安なぶんだけ、頑張らなくちゃならない。


写真は今週の頭まで住んでいたアパートの裏庭。

ありがとう、みんなありがとう。大好きな人たち。