「特別でないただの一日」②瞳子
祐巳と瞳子の不思議な関係
祥子から25分間の許可を得て祐巳が瞳子を学園祭の見物に連れ出して駆け出すとき、瞳子が手をギュッと握り返したというシーンはとても印象的でした。懐かしいような、少し切ないような気分になりました。
松平瞳子像を考えつつ、なぜこのシーンが印象的なのか、「特別でないただの一日」では瞳子像がどう変容してきているのかを考えてみようと思います。
祐巳と瞳子の関係は、例外的で特異な部分を含みながら、マリみてで中心的に描かれる関係に沿っているのではないかと思います。
マリみてで軸となる物語
原則的な関係として、ランゲージダイアリーさまの今野緒雪『マリア様がみてる』17冊一気読了まとめ感想で、乃梨子と志摩子、祐巳と祥子などについて三段階に分けて当てはめつつ述べられています。
異なる人間同士の相互理解の物語が、マリみての中心部分なのかと思います。相互理解に至るまでの関係性の発展に段階があって、
第一段階:お互いをお互いのイメージでしか知り得ていない段階
第二段階:お互いがお互いを知ってるがゆえに依存し合ってしまう段階
第三段階:お互いに自立しながら助け合える段階
って感じで段階を登る様を描いているのだと思います。
簡にして要を得た、分かりやすいモデルだと思います。祥子が「涼風さつさつ」で明確に述べていた、外見は人の絆のきっかけにはなるけれどもそれはきっかけに過ぎず、心が触れ合うことが重要なのだという主題に重なるものとも言えます。
なお、卒業した三薔薇については、互いに距離を測るようにしながら次第に友情関係を築いてゆく様子が「いとしき歳月」などで回顧して述べられています。共通した点を見出して同調してゆくのではなく、自らと異なる点に注意を向け興味をひかれていく様子が、抑えた筆致の中に実に細やかに描かれていました。そして、上で言う「第二段階」がほとんど無い「第三段階」にある状態で祐巳たちの前に現れています。大変成熟した先輩に見える理由の一つであり、葛藤を経ながらも納得感を得て共に卒業してゆく姿には、気高さすら漂っていました。それでは、祐巳と瞳子はどのような状態にあるのか、どのような状態に向かっているのかということを考えてゆくのも興味深いと思います。[▽続きます]