『日本最強場 秘められた血統』

日本最強馬 秘められた血統

日本最強馬 秘められた血統

最後の直線で大外から並ぶ間もなく先頭に立ったとき、誰もが確信したはずだ。「勝てる」。それほど脚色は違った。あとはどれだけ2着以下を突き放すのか。競馬の世界最高峰のレースのひとつである凱旋門賞。日本馬が挑み始めて43年。日本競馬界は悲願の頂に登ろうとしていた。その10秒後にまさか「ぐおおおおおおおお」と声にならない叫びをあげるとは今となっても信じられないが。

10月7日の午後11時25分(日本時間)。凱旋門賞がフランスのロンシャン競馬場で発走した。地上波(フジテレビ)で生中継があったことも注目の高さをうかがわせる。日本からは史上7頭目三冠馬で現役最強馬のオルフェーヴルが出走。見せ場は十分だったが、惜しくも先頭とは首差(約80センチメートル)の2着に敗れ、日本列島が絶叫の渦に包まれたのだ。

これまでも日本場の凱旋門賞での2着は2度あるが、本日の紹介本『日本最強馬』を読むと今回の2着の持つ意味が異なることがわかる。「下町に昔からある定食屋」に著者がなぞらえるオルフェーヴルの血統が最大の理由だ。何だかマニアックな香りがしてくるが、安心して欲しい。本書が面白いのはタイトルを見事に裏切り、単なる血統解説本ではないところだからだ。日本の競馬界が長らく「血」の幻想に縛られすぎていたことや、オルフェーヴルの活躍が内需が縮む中、日本の場産地が世界に飛び立つ希望になっていることを指摘している点にこそ本書の本質はある。競馬に詳しい方には「何を今更」の記述もあるかもしれないが、凱旋門賞をみて「オルなんちゃらって凄いのね」と興味を持った人にも気軽に読める内容になっている。

サラブレッドが血で走る動物であることは間違いない。競争力の高い血統は繁栄し、逆ならば廃れる。またしても朝からマニアックな話になってしまうので簡略化するが、オルフェーヴルは父親も母親も母の父親も内国産馬だ。つまり日本で生まれた馬だ。日本で培ってきた血であるからこそ関係者の胸にぐっと迫るものがあるのだ。「定食屋」は言い過ぎかもしれないが、超一流とは言い難い血統であるのは事実だ。父ステイゴールドは大人気種牡馬サンデーサイレンスの産駒だが、競争成績は超一流には届かなかった。香港でGⅠ(一番格が高いレース群)を勝利したのも引退レースとなる50戦目。国内でのGⅠ勝ちはゼロだ。母の父、メジロマックイーン天皇賞春を連覇するなどした歴史的名馬だが種牡馬になった時期がサンデーサイレンスの全盛期と重なり、十分な血脈を築く前に死亡する。そもそも日本古来の「古臭い」血統だ。実際、マックイーンを輩出したしたメジロ牧場は経営難ですでに40年以上の歴史に幕を閉じている。ただ、マックイーンはステイゴールドとの相性の良さで、母の父として再び注目を集めることになる。

本書によるとこれは戦後の競馬史を振り返れば何とも皮肉な話だという。二代(母方は三代以上)にわたり国内で育てた系譜が海外に打って出て好勝負を演じること自体が一昔前には考えられなかったことだからだ。というのも、前述のように日本では長らく「血」の劣等幻想に悩まされてきた時代があったからだ。つまり、「血統がダメだから勝てるわけがない。だから優秀な種牡馬を輸入しよう」を繰り返していた時期があったのだ。血統は確かに重要だが著者は、あまりにも血に原因を求めすぎたため内国産馬が冷遇される時代が長く続いたと嘆く。この極端の思想の背景には海外遠征での惨敗があった。

海外遠征の歴史は本書によると、1958年のハクチカラの米国遠征で実質的に始まる。惨敗が続いたが、59年に出走した重賞レースで米国の歴史的名馬ラウンドテーブルを負かしてしまうのだ。これに騒然としたのが日本の関係者。「勝てるんじゃない?」と遠征に火がつき62年に当時の天皇賞馬タカマガハラ、64年に宝塚記念有馬記念を勝ったリュウフォーレルと一流馬が米国遠征に挑むが相次ぎ惨敗。リュウフォーレルに至っては勝ち馬から30馬身(一馬身は約2・4メートル)も離された最下位に沈んだ。相次ぐ惨敗を受け、遠征熱が冷めたのもつかの間、欧州への遠征が69年に始まる。67年に米国遠征していたスピードシンボリが英国や仏国のレースに挑戦。凱旋門賞にも出走するが見せ場もなく24頭立ての11着以下(当時は11着以下は記録していないという)に終わる。

大敗に終わるが、この遠征がひとつの転換点になったという。これまでの米国遠征はほとんどが招待レース。費用は相手持ちだ。一方、スピードシンボリなどの欧州遠征は自腹。オーナや騎手が世界に追いつけと私費を投じて、国内で走らせておけば賞金が稼げるものの負け続けながらも海外遠征を続けた。シンボリの生産者兼オーナーの和田共広が欧州遠征時の会見で語った言葉にその思いは込められている。「国内だけで競馬をやっていても意味がない−中略―日本だけが取り残されている現実を残念に思う」。もちろん、遠征だけでなく、海外馬の強さを目の当たりにしたことで海外種牡馬も手当たり次第に買うようになるわけだ。

こうした種牡馬の積極輸入は現在の競走馬の確実な底上げにつながった面もあるが、皮肉なことに日本の血は劣っていないという証明も実は早い段階で証明されていたと著者は指摘する。一時期は世界一の高額賞金レースとなったジャパンカップ(JC)の創設だ。81年に始まり、最初の2年の惨敗を受け、「10年は勝てない」と言われたものの、83年の第3回で日本馬が2着に入り、84年にはカツラギエースが勝ってしまった。実際、JCの歴史を見れば、その後も、血統は一流とは言えず格下と思われていたオセアニア馬や香港馬が活躍したことが「血統で劣るから勝てない」が全てではないことを裏づけていると本書は指摘する。血も重要だが、輸送技術や調教、育成などのノウハウこそが足りないという認識が広まっていったわけだ。
ただ、「血」だけではないということがわかりつつも、80年代以降90年代半ばまでは海外遠征は下火になる。「海外で勝てない」という事実もあったが、それ以上に80年代末の日本競馬の予想外の盛り上がりが大きい。バブルの追い風もあり、日本の賞金が高額化。「リスクを負って海外に遠征する必要がない」と急速に「内向き」になる。

現在、多くの馬が再び海外遠征に出向くのは国内の賞金が下がったわけでも、「血が劣っていない」証明が済んだからでもない。関西のトップ調教師の一人である森秀行氏は海外遠征の意味を「外国に出向いて日本馬は強いんだなということを示し、日本の競馬に競走馬を送り込んでもそう簡単には勝てないことを、海外にアピールすることです」と語る。鎖国を続けた日本のレースも開放の圧力に晒されて徐々にではあるが海外に門戸を開き始めている。著者は競馬の自由化とともに海外遠征の意味がロマンではなく自らの生活を守るものへと変化しているのだと説く。そして今、海外に挑戦する意味はもう一つの意味も持つ。オルフェーヴルのような内国産馬が活躍すれば、日本の場産地にも海外から目が向く。これから国内の競馬産業が急成長を遂げることは考えにくいことを考えれば競走馬だけでなく、馬産地もデビュー前の馬の売買で今以上に海外を視野に入れるしかない。海外遠征の活発化は地盤沈下が進む馬産地の光明につながる可能性もあるという。

日本馬で初めて凱旋門賞に挑戦したスピードシンボリは24頭立ての11着以下に沈んだ。着差は不明だ。72年に挑んだメジロムサシは19頭立ての18着に終わり、着差は20馬身以上だったという。それから40年。内国産の星、オルフェーヴルは首差届かなかったものの、かつて詰めるのは難しいと見られていた20馬身の差をほぼ詰めた。本書を読めば読むほど熱きホースマンの情熱と無念が20馬身差を詰めたことがひしひしと伝わってくる。欧州優位の最高峰レースで内国産馬が「世界で戦う」だけでなく「世界に勝てる」ところまできているのだ。我々の「ぐおおおおおおおお!」が悲しみの絶叫から歓喜の雄叫びにかわる日も遠くない。

『チャイナジャッジ』

チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男

チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男

2月6日、前代未聞の事件が起きた。中国重慶市の副市長の王立軍がアメリカ領事館に逃げ込んだ。地方政府とはいえ共産党幹部がアメリカに助けを求めたのだ。それも、女装姿で他人に借りたジープを駆って。

薄熙来に殺される」。

ハリウッド映画もびっくりの展開だが、これは当時の重慶市のトップだった薄熙来とそのファミリーが世界を震撼させる序章に過ぎなかった。王立軍が薄熙来の不正蓄財や国家指導層まで対象とした盗聴、重慶市での冤罪事件の数々の証拠を抱えていたからだ。おまけに薄熙来の妻の谷開来が英国人二ール・ヘイウッドの殺人に関与している物証までも持参していた。
その後の展開は日本でも報じられたのでご存知だろう。公に出来ないことが多すぎるのか、話題は妻の殺人事件に集中。この殺人事件も真相は不明だが、「5000億円とも言われる不正蓄財のもつれで共産党幹部の妻がマネーロンダリングを委託していた英国人を殺した事件」という火曜サスペンス劇場もびっくりな陳腐なあらすじが用意されたため(実際、裁判はこの筋書き)、普段、中国の政治などスルーの日本でもワイドーショーが食いついたのは記憶に新しいはずだ。加えて、薄熙来と谷の息子でハーバード大学に留学中の瓜瓜が白人女性とたわむれるあられもない姿が世間を賑わし、その後、「中国の人気女優チャン・ツィイー薄熙来と一晩7500万円で援助交際」という出所不明の東スポ的報道も過熱するなど、「さすがにそれはないだろ」という醜聞も聞こえてきた。だが、本書を読むとそれら報道への感覚は一変するだろう。薄熙来なら「ありえる」と。いや、「もっとエグいことをしているのは間違いないね」と思えてしまう。それほど彼の行動はぶっ飛んでいる。

本書は殺人事件を解明するという無理難題に実は挑んでいる。謎解きは興味がないという方も、その前提としての「薄熙来とは何者か」に迫る終盤までは読んでいただきたい。純粋に読み物として面白いの一語なのだ。薄一族を取り巻く現実は小説よりも小説らしく、映画よりも映画らしいのだから。冗談としか思えないような現実がそこにあるのだ。

薄熙来を語るのに欠かせないのが60年代半ばから70年代半ばまで続いた文化大革命。幹部が若者に軒並みつるし上げられたわけだが、当時、共産党の要職にあった薄一波に馬乗りして、飛び上がって蹴りを食らわして肋骨3本をへし折ったのが革命に燃えた息子の 薄熙来だ。負傷した一波は骨折しながらもこう思ったという。「こいつはいずれ国を背負う大物になる」。肋骨でなく、頭を強打した間違いなのではと読みながら思ってしまったが、この骨折事件が薄一族の天下取りの始まりであり、悲劇の始まりでもあったのだ。

薄熙来と切っても切り離せない 父親の薄一波は元副総理で文化大革命後に長期にわたり訒小平と並ぶ権力を握った元老だ。本書が面白いのは 薄熙来の生涯を描きながら、文革後の中国政治を追体験できる点。薄一波と訒小平江沢民の中国の行く末を決める駆け引きは何ともしびれる。天安門事件につながる決断を訒小平に下させたのも一波。そしてその背後にあるのは「 共産党体制を何としても維持し、薄熙来をトップにすえる」という私情。2007年に99歳で死去するまで暗躍しつづける一波の姿にはあきれるというよりも感心してしまう。

実際、将来を見込んだ息子への親父の猛プッシュは凄い。薄熙来文革で収監されるが娑婆に戻っても、職がなく、何とか機械修理工場に就職する。工場でも特にモチベーションが高いわけでもなく燻った日々を過ごしていたが、父親が1978年に名誉回復して、79年に副総理にまで登り詰めると躍進が始まる。躍進と言っても単なる親父の引きだが、その引きが凄い。全く勉強していないのに78年に北京大学にいきなり入学するとたった1年で学士を習得。政府シンクタンク系の中国社会科学院修士課程に進学、2年後には中共中央書記に就を得る。

一波の権力を考えれば、容易いことだろうが、面白いのはそれほど力があっても、その後の薄熙来の出世が早くなかった点だ。むしろ遅い。なぜかといえば、身勝手で偉そうなため周囲に嫌われ続けるのである。経歴を見れば明らかだが、北京のエリートコースから遼寧省の片田舎に突如派遣されたのだがそれっきり遼寧省に20年もいる。その背景にあるのが離婚。工場勤務時代に北京市書記を務めた共産党幹部である李雪峰の娘と結婚したが、薄熙来は親父の復権とともに自分が引き上げられると現在の妻の谷と浮気。「離婚したい」と言い出すのである。妻と李雪峰は当然激怒するわけだが、ここでも一波が司法に手を回して勝手に離婚を成立させてしまう。李は「おれの目の黒い内はあいつはゆるさん」とぶち切れ、さすがの一波もほとぼりが冷めるまでと息子を、遼寧省に配置したわけだ。ところが恨みは怖い。李は97歳まで生きてしまう。そのため、2004年まで帰れないという笑えない状況に陥るのである。

いきなり挫折しかかる薄一族の野望だが、薄熙来には人望のなさを補うだけの行動力があったから厄介だ。遼寧省に行っても「あいつとは口をきくな」と村八分状態に追い込まれるが、ヤクザに接近し、経済開発に走り、大連を「北の香港」と呼ばれるまでに発展させる。80年代末に当時の総書記の趙紫陽がゴルフが好きと聞けば、趙紫陽の名前が入ったゴルフ場を作るし、趙紫陽が失脚するや何の恥じらいもなく名前を変える。時の最高指導者の江沢民が何を考えているか気になって気になって仕方がなくなると、「そうだ」と思いつき盗聴する。単純というか大胆というか。

薄熙来は父親とは切り離せないが、本領を発揮するのは実は死後。北京に呼び戻され、商務部長(大臣)に抜擢され、本人は副総理の座が見えたと喜ぶが重慶市に飛ばされる。こいつは何をしでかすかわからないと薄々感じていた最高指導部が不正の洗い出しに動いており、証拠がどっさりあったからだ。
それでもへこたれないのが 薄熙来。直近にオヤジという後ろ盾がなくなり、一発逆転というか破れかぶれで、取り組んだのが、「唱紅運動」。毛沢東を讃える革命歌(紅歌)を歌おうという運動だ。貧富の差が拡大する中、「あの頃はみな平等で良かった」という大衆層に馬鹿受け。最高指導部の「個人崇拝は絶対に許さない。でも毛沢東は否定できない」という盲点をつき、3・5兆円もの金をつぎ込み、重慶市をまっかかに染めたのだ。もちろん、予算はなくなるので資産家から金を取り上げるのである。この間に600人の経営者を冤罪で逮捕。資産を没収して数兆円の金を巻き上げる。政敵も次々と逮捕、場合によっては死刑にする。「俺は毛沢東になるんだ!!!!」。暴走する薄熙来とそのファミリーだが実は本人たちも気づかない落とし穴があった・・・。

冒頭にも書いたが、著者が最後まで疑問を持つのは薄熙来の妻の殺人動機。一族の個人資産だけで1兆円を軽く超える上に、いくらでも金を生み出す仕組みがある中、些末な金をけちって殺人を犯すのか。本書の終盤では一次情報や中文、英文ニュース、自らの取材をもとに、薄一族が中国では決して超えていけない一線を意図せずに越えてしまったのではないかと疑問を投げかける。ここではあえてその答えは明示しないが、それが中国のトップを目指していた薄の妻が殺人に手を染めてしまった理由であり、薄熙来が全ての公職を解かれる「チャイナジャッジ」を受けた真の理由ではないかと推測する。共産党幹部ならば不正蓄財は多かれ少なかれあるものだし、政敵をつぶすことなど朝飯前。「唱紅運動」は問題はあったが、政権交代前のごたごたを差し引いてもここまで厳しい処分はくだらないはずではないかと。最後の著者の仮説が正しいかは不明だが、今年上半期の話題を不思議な形で集めた薄熙来を通じて中国の政治原理を学ぶだけでも読む価値はある。出世のために、周りに嫌われても、時の最高権力者に気に入られることだけを目的に生き続けた薄熙来に焦点を当てることは暗部も含めた中国政治そのものなのだから。