栗カメの散歩漫歩 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-06-17 かしわ餅の葉について

カシワの葉

 柏(かしわ)の葉っぱが街路樹に見られた。

 説明板があり、「ドングリがなる木、葉は、柏餅を包むのに使われる。枯れた葉は、翌年まで残る。」

 実はドングリになり、葉は秋に落葉せず越年するようだ。

 若葉はかしわ餅(もち)に用いられるというのだが、家庭で作ったりするときは、サルトリイバラの葉っぱに包んで作ります。

 餅屋のかしわ餅もサルトリイバラの葉で包んで売っていますね。

 

 「本の窓」6月号の連載「画家のむだ歩き」(牧野伊三夫)を読んでいたら、初の料理書「かぼちゃを塩で煮る」という本が出ているようです。

 牧野さんの食事の支度に、七輪と火鉢に炭火をおこすところからはじめるそうだ。日が暮れて、七輪の傍らに座っている姿が目に浮かぶようです。

かぼちゃを塩で煮る

かぼちゃを塩で煮る

2017-06-15 蜥蜴出て遊ぶを見れば常の如し

アジサイの花

 雨が降らない梅雨入りであるが、アジサイの花が色づいて来ている。ちょうど花が見ごろの時期になりました。

 

ガクアジサイから日本で改良された園芸品種。高さ一〜一・五メートルの落葉低木。葉は大きな楕円形。初夏、淡青色から淡紫紅色に変わる萼(がく)のある小花が、球状に集まって咲く。庭木にする。しちへんげ。 『大辞泉

 

 「住み残す矢車草のみづあさぎ

 「蜥蜴出て遊ぶを見れば常の如し

 「蜘蛛の圍(い)やわれらよりかも新しく

 「假吊るの風鈴しげく鳴りにけり


 中村汀女俳句で、昭和十年(1935年)の句である。

 「六月大森三王に移る 四句」の前書きがあります。

2017-06-13 船影がつつじの上にふとくなる

ツツジの花

 ツツジの花がひっそり咲いていた。


 「船影がつつじの上にふとくなる

 「一株のつつじ隠れの船もあり

 「夏の蝶池の面に死ぬ水輪かな


 中村汀女俳句で、昭和八年(1933年)の句です。

 前書きは、「野毛山初夏 三句」とある。

 昭和七年夏より中村汀女大阪から横浜へ来た。

 西戸部の税関官舎から野毛山が近くて、夕刻までの小閑をよくひとりででかけた、という。

 小閑とは、すこしのあいた時間

 「汀女句集」の「港」の前書きの一節に、

 横浜の町はどこからも船が見え、私は船のある港の風景が好きだった。

2017-06-12 新聞書評欄から

 11日の日曜日の新聞各紙の書評欄で、気になった本を紹介していたのは飛び抜けて毎日新聞でした。

 高橋順子著「夫・車谷長吉」、松浦寿輝・選「この3冊」(カズオ・イシグロ著「わたしたちが孤児だったころ」、J・G・バラード著「太陽の帝国」、桐野夏生著「玉蘭」)といった本が目に留まった。

 「この3冊」の選者の松浦寿輝さんによると、「名誉恍惚」を執筆中に読み漁(あさ)った「上海小説」で、柄の大きな小説家の力作ばかりであるという。

夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

 

2017-06-10 「図書」6月号から

 「図書」6月号の川崎賢子田村泰次郎と彼女」が興味深かった。

 なにより田村の回想で興味深いのは、北京の彼女の家で「軍用電話を借り」ることができた、彼女が「軍用電話を借り」て、「山西省の陽泉」の彼のもとに長距離電話をかけたという証言である。彼女か、あるいは彼女の父・山口文雄は北京で「軍用電話」を使うことを許されていたのである。「軍用電話メディアアクセスできたとは、日中戦争下の通信事情を考えるなら、特別待遇というべきだろう。  35ページ

 北京での李香蘭といえば、瀬戸内晴美著『田村俊子』を思い出します。

 『田村俊子』を読むと、昭和十八年の秋、瀬戸内さんは結婚し、北京へ渡っていた。

 瀬戸内さんの新居は、北京王府井(わんふうちん)から横に入った三条胡同(さんてあほうとん)の入口に近い紅楼飯店(ほんろうふあんてん)の一室だった。

 

(前略)よく夫の友人たちのたまり場になっていた。ふささんのその話より、つい二、三日前、夫から、やはり私たちのその部屋に、嘘か本当か李香蘭が遊びに来たことがあるなど、聞かされて、ど肝をぬかれた矢先であったため、私は別段、佐藤俊子=田村俊子が、かつて私どもの部屋に立寄ったと聞いても驚かなかった。  『田村俊子』8ページ

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)

田村俊子―この女の一生 (角川文庫 緑 265-1)