栗カメの散歩漫歩 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-10-01 山本嘉次郎監督の映画『綴方教室』

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10月は、監督脚本撮影美術など、スタッフとして日本映画を支えた広島ゆかり映画人の作品特集します。(10月プログラムより)


 「特集広島ゆかり映画人」から山本嘉次郎監督映画『綴方教室』(1938年、東宝映画、86分、白黒、35ミリ)を観る。

 出演、高峰秀子徳川夢声清川虹子滝沢修

 当時、ベストセラーになった作文集の映画化東京に住むブリキ職人一家主人公に、その日常生活子どもらしい素直な眼で捉えたエピソードが展開される。高峰秀子少女時代代表作の一つ。

 冒頭、タイトルが出てキャストスタッフの名前が出る箇所がとてもモダンでスマートな印象だ。

 撮影三村明である。スタッフの製作主任黒澤明の名前がある。

 小学六年生の正子役高峰秀子父親徳川夢声母親清川虹子が演じている。

 滝沢修は正子の担任先生役だ。綴り運動に熱心な若い教師を颯爽と演じている。

 路地で馬が引く荷馬車がぬかるみにはまり動けなくなった光景があるのだが、抜けるまでの一部始終を撮影している。

 通りがかりの人が集まり、荷馬車をぬかるみから抜け出すのを協力する。当時、主人公の住む葛飾はまだ荷馬車が使われていた。

 雨降りの日の家の中からまた外の路地を足早に歩く人々の流れなどの映像が印象的である。

 子どもの素直な目でありのままに書いた綴り文章が「赤い鳥」に掲載されたことで取り上げられた人が文章を見て侮辱されたと怒り、正子の父(徳川夢声)が仕事を失う。家族貧困におちいり、卒業もままならないが、担任支援もあって父も仕事を得て無事に正子は卒業していく。

2017-09-22 「広島・キューバ展」

平和公園のゲバラ

 「広島キューバ展」を「キューバ映画特集」の作品を観た後に訪れた。

 チェ・ゲバラが亡くなって今年で50年。遺族の協力のもと、広島撮影された未公開写真広島から家族に送った絵葉書広島で初公開する。

 旧日本銀行広島支店で開催中。16日から24日まで。1959年、来日したチェ・ゲバラ広島を訪問していた。

 家族へ書いた絵葉書が展示されている。

 10月に公開される阪本順治監督映画エルネスト』の広島キューバでの撮影風景写真も展示されている。

 昨年末に、林立雄著『ヒロシマのグウエーラ』が溪水社から出版されました。

 著者はゲバラ広島訪問の当時に新聞記者として唯一取材同行をした。映画エルネスト』に出演の記者は名前が森記者となっていますが・・・。

ヒロシマのグウエーラ

ヒロシマのグウエーラ

2017-09-21 キューバ映画から

キューバ映画特集

 「キューバ映画特集」から四作品を鑑賞する。

 フィルムは東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品

 「エル・メガノ」(1955年、キューバ、25分、白黒、35ミリ、日本語字幕)の監督はフリオ・ガルシアエスピノーサ、トマス・グティエレス・アレア

 沼地で木炭を採取する労働者悲惨生活を捉え、バチスタ政府から上映を禁止されたセミ・ドキュメント映画ルイス・ブニュエルの「種なき土地」の系譜にも連なる、革命後のキューバ映画を先導したエスピノーサとアレアの共同監督作品

 「われらの土地」(1959年、キューバ、19分、白黒、35ミリ)の監督トマス・グティエレス・アレア

 農民が初めて自分耕地を得て新しい村の建設を志す。革命最初期の記録映画で、アレアエスピノーサらは平行してキューバ国立映画芸術産業庁(ICAIC)の設立に携わった。

 「はじめて映画を見た日」(1967年、キューバ、10分、白黒、35ミリ)の監督はオクタビオ・コルタサル

 東部山岳地方を訪れた巡回映写班を追った記録で、チャップリンに見入る人々の表情が印象的。テレビ出身で、プラハで学んだコルタサル帰国第一作品

 「キューバアニメーション傑作集 フィルミヌートシリーズ」の監督マリオ・リバス、トゥリオ・ラッジ、ファンパドロン

 アニメーションによるミニ・ジョーク集で、政治風刺から男女関係のもつれまで大人向けのギャグが連発される。ややラテン的な吸血鬼サムライも度々登場して、品のある笑いを提供している。


 「エル・メガノ」と「はじめて映画を見た日」が強く印象に残った。

 「エル・メガノ」は沼地の水底に眠る丸太を掘り起こしている人々がいる。人力で水底から丸太を岸へ引き揚げる。長い丸太は鋸(のこ)で切り、短くして引き揚げる。岸辺には水底から引き揚げた丸太が積み重なっている。黙々とその作業を続けている。

 それを集めて乾燥させて燃料として丸太を売って生活している人々だった。それを買い取る業者丸太の値段を安く買いたたいている。彼らは値上げを要求することさえ自由にできない境遇に置かれている。

 彼らが働いている沼地に町からやって来たボートが通り過ぎる。裕福な観光客は沼地をボートに乗って周遊しているのだった。「キューバ映画特集」の解説によると、バチスタ政権から上映を禁止された作品だという。

 「はじめて映画を見た日」は、山岳地帯巡回して山村の人々へ映画を観せる巡回映写隊の活動とその映画を観る山村の人々を撮影している。

 巡回映写隊の車は発電機や映写機やフィルムを積んで山道を進んで行く。一行は谷間の村に到着した。今夜の映写会を村の広場でする準備に取りかかる。村の子供映画を観たことがあるか、と質問している。

 子供大人映画を観たことがないと答えるが、大人の少数は町で観たことがあると言う。

 電気が村に来ていないので発電機で映写機を回す。

 いよいよ星空の下、上映会が始まった。赤ん坊も子供大人も全員が集まって広場に椅子を出して座って映画を観る。 

 生まれて初めて映画を観る子供の目が印象的だ。口を大きく開け驚きの目で見ている。

 人々は目を見張りスクリーンチャップリンの姿に笑い転げている。

2017-09-20 武田百合子著『あの頃』から

 今年の夏の読書単行本未収録エッセイ集の武田百合子著『あの頃』を読んだ。

 『あの頃』に収録されている「無口な人ーー原民喜さんの思い出」は、昭和二十三、四年頃の原民喜について書いている。

 《その頃(昭和二十三、四年頃)の私は、神田神保町酒場で働き、店の二階に寝起きして、三食を外食券食堂で食べていた。神保町能楽書林、丸岡明さんの家に下宿している原さんは、御近所の人なのだ。晩になると、丸岡さんが店にやってきて「今朝、泰淳さんと朝御飯食べてたんだって? 原さんがつんのめりそうな勢で帰ってきて報告しましたよ。あっちこっちに、いそいそと電話もかけてたよ」言った。  

 原さんが店にくるときは、いつも誰かと一緒だった。極度に無口な原さんは、連れの誰からもかわばれて、かわばれたまま、静かにきょとんと、お酒を飲んでいた。  104ページ》

 「今朝、泰淳さんと朝御飯食べてたんだって?」と丸岡明が原民喜から聞いて神田神保町酒場百合子さんに確かめに来たエピソードに注目しました。

 昭和二十三、四年頃の東京食事情が語られています。

 武田泰淳の「もの食う女」という小説の生まれるころの回想記としても興味深いエピソードであります。

 原民喜は当時、神保町能楽書林の丸岡明の家に下宿していたようですね。

 

2017-09-14 短編集2

 「日本アニメーション100年 アニメーション映画特集」から「短編集2」を鑑賞。


 「部屋」1967(昭和42)年、久里実験漫画工房、5分、カラー、35ミリ。演出久里洋二

 「二匹のサンマ」1968(昭和43)年、久里実験漫画工房、13分、カラー、35ミリ。演出久里洋二

 「メイド・イン・ジャパン」1972(昭和47)年、スタジオロータス、9分、カラー、35ミリ。演出・木下蓮三。

 「ピカドン」1978(昭和53)年、スタジオロータス、10分、カラー、35ミリ。演出・木下蓮三。

 「鬼」1972(昭和47)年、川本プロダクション、8分、カラー、35ミリ。演出川本喜八郎

 「詩人の生涯」1974(昭和49)年、川本プロダクション、19分、カラー、35ミリ。演出川本喜八郎

 「道成寺」1976(昭和51)年、川本プロダクション、19分、カラー、35ミリ。演出川本喜八郎


 山村浩二著『創作アニメーション入門』でも紹介された作品を鑑賞できた。

 久里洋二の「部屋」、「二匹のサンマ」が面白かった。

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