けふという今日名月の御側(おそば)かな

 
 先日、街路樹のザクロの実がつやつやと色づいていた。まだ食べ頃ではなさそうだ。
 朝晩の風が肌寒くなった。
 8日、二十四節気のひとつ白露で、夜半の月が晴れた空に白く明るく輝いていた。
 澄み切った夜空に中秋の名月をじっくり眺める。月の明かりが地面に映るのは良い眺めだ。
 中秋とは、陰暦八月十五日のことをいう。

 「けふという今日名月の御側(おそば)かな
 小林一茶の俳句で、文化六年の句だ。
 前書きは、「久しく願ひけるに、北國日より定(さだ)めなくておもひはたさざるに、今年文化六年八月十五日、同行二人姥捨山(うばすてやま)に登る事を得(え)たり」
 一茶は、登りたいと前から思っていた月の名所の姥捨山に、今年(文化六年)の八月十五日に登ることができた。


 「群像」9月号の清水良典のデビュー小説論が第四回は高橋源一郎だった。
 「優雅で感傷的な見者――高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』」と題して、清水良典さんが論じている。
 年譜のこと、リチャード・ブローティガンのこと、文学をめぐる清水良典さんの見立てがなかなか読ませる力作だ。