聖娼伝説

kuriyamakouji2005-02-27

白いメリ-さん (講談社文庫)天国と地獄 [DVD]
ヨコハマの本屋には様々なお客様がいらっしゃったが、何十年経ってもいまだに未解決の不思議モードで時々思い出すのは港のメリー(ヨコハマメリー)さんです。六十年代後半のヨコハマはまだ、戦後の臭みが残っていた。ギリシャ船員達、立ちん坊、有象無象が集まる大衆食堂・酒場もその一つで、ステージがあって生バンドも入っているが、前もって声をかければ飛び入りでカラオケみたいに舞台に上って歌うことも出来るし、ダンスも大丈夫、それでいて、注文を聞きにくるのは白い割烹着を着たおばちゃんで、何と、興に乗ると、別にホステスでないのに、傍らに座ってお酒の酌もする。支配人は片腕のないどすの利いた低音で接客する強面。そうです。黒沢明の映画『天国と地獄』のロケとして使われた歌って踊れる魔窟でもある大衆食堂「根岸屋」です。勤めを終えて晩飯を食いによく寄ったもんです。
『港のメリー』は、伝説の聖娼でした。色々文学者たちにもとりあげられました。横浜で街娼を終戦後から死ぬるまで、確か1980年代まで外人の袖をひいたらしい。ぼくの居た本屋さんの常連さんで、いつも昼間、店にきて文庫を買って、夜、街に立つのです。しかし、日本人は相手にしません。あくまで、外人専用なのです。話し方がこれぞ、山の手言葉なのかと、その品の良い立ち振る舞い、言葉使いに、別の常連の元町の旦那に訊いたら、知る人ぞ知る、港のメリーさんだったのです。
横浜に進駐軍がやってきたとき、自ら街娼の道を選んで、日本人は絶対に相手にしない。とにかく、ちょいと名前が失念しましたが、有名な女流作家で、「港のメリー」についてのエッセイを読んだことがあるが、彼女の存在感、オーラーの凄さにタジタジとなったと書いていた。ぼくの店に来て本を買ってくれるときは、本当にこの本が好きで好きで堪らないといった風情で、必ず、「ありがとうございました」と丁寧に挨拶してくれるのです。新しいところでは、そのメリーさんをモチーフに都市伝説小説『白いメリーさん』を故中島らもが書いていますね。 “彼女の写真”もあります。 2003年、4/13、横浜赤レンガ倉庫にて五大路子がメリーさんに扮して映画も上映されました。全身に白いドーランを塗って、街角に立ったという。でも最期まで、毅然とした態度だったらしい。彼女が亡くなったとき、各週刊誌が取り上げましたが、横浜の人なら、「港のメリー」についてよく知っているとおもいます。ちょうど、それに関するブログがありましたので、貼り付けます。⇒ 『港のマリー』 。でも僕の中のメリーさんは化粧っけのない上品な素顔の年増婦人で、本好きな美しい言葉を喋るひとでした。だから、彼女が亡くなってから雑誌でみたり、本で読んだり、風聞を聴いたりした伝説のメリーさんとのギャップに戸惑ったのです。

/四つ角の、どの方角からも何十人もの白い人影が私たちへ向かって進んできていた。/それはいずれも、白ずくめの白髪の、顔をまっ白に塗りたくった女たちだった。/八十近いような老婆もいれば、四十代、五十代らしき女もいるし、中には小さな少女もいる。/白い人影は、私たちまで二メートルほどのところで円を描いて立ち止まった。/その中の一人、八十くらいの白いメリーさんが、一歩進み出て、由加に手をさしのべた。/由加は歩み寄ると、その手を取った。しわがれた声が聞こえた。/「いっしょに行こう。白く白くなろうね」/「はい」/由加が答えた。/「いかん。もどるんだ、由加」/私の叫びは声にはならなかった。/次の瞬間、由加を含めてすべての白い影が消えた。/そして、今年初めての雪が降り始めた。−中島らも白いメリーさん』よりー

ネタ元は旧ブログです。保坂和志さんの掲示板でも書いたことがあるので、もうすでにご存知のネタで又かと思いますが、巻き助さんの♪朝起きたら、一面の雪景色。ぼうっと青く光ってました。 - マシーン日記♪の画像で、白いメリーさんがやってきたのです。

  • 追伸:下に旧ブログのコメントを転載しました。まだ、中島らもはご存命だったのです。らもさんとメリーさんがあちらで、雪見酒をやってりるかも…(合掌)

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