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05/03/31

kuriyamakouji2005-03-31

[]学問は博打?三色スミレ 学問は博打?三色スミレを含むブックマーク 学問は博打?三色スミレのブックマークコメント

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記大衆の反逆 (中公クラシックス)儲け方入門?100億稼ぐ思考法渋谷ではたらく社長の告白

三色スミレさんのブログを読むと、ユリイカの『特集・ブログ作法』をやっぱし購入したくなり、近場の新装なった街の本屋さんを覗いたら、棚に一冊ありました。これから、ゆっくり読みます。内容詳細はtatarさんのブログをクリックして下さい。それから下のエントリーで書いたように学研で発刊されている『500円でわかるシリーズ』の最新号『500円でわかるブログ』も棚にありました。そして、本文21頁に“千人印の歩行器”が紹介されていました。ちょいと、恥ずかしい。僕以外で紹介されているブログを貼り付けてみます。

[]三色スミレの成長日記 三色スミレの成長日記を含むブックマーク 三色スミレの成長日記のブックマークコメント

◆下の方で、“三色スミレの成長日記”のtatarさんが松沢呉一についてQがあり、3/28日のコメントで永江朗『批評の事情』(原書房)から引用したのですが、引き続いて読みたい方は本書でどうぞ、『ウンゲロ』の作者は批評精神旺盛なしたたかさを備えている。松沢呉一の視点は「小学生が大笑いするようなものからものごとを見てみよう」ということらしい。彼の『新宗教の素敵な神々』は読んでみたいです。『批評の事情』によると、ここ五年ほど使っている肩書きは「横町の性科学者」らしいが、、「ばかばかしいもので世界を撃つ」姿勢は変わらないでしょう。

◆本題です。tatarさんとの最初の接点は呉一でなくて、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』の保苅実さんです。*1プロフィールで保苅さんへの想いを綴っている。鎌倉にこだわって【自由大学・鎌倉アカデミア復興 】をやらかしたいという野望をも持っているらしい。アップされているテキスト量が多く中々全文ロムできないのですが、若者らしい熱い、熱過ぎるブログです。3/30アップの『茂木健一郎クオリア日記・インターネットという場所』を読んでいると、早速、tatarさんがコメントをつけている。「いやげコメント」とは面白いです。更新頻度も多く、本日朝一訪問したら、社会学者北田暁大氏の『試行空間』訪問記帳記とユリイカ4月号の『ブログ作法』の目次とコメントをつけてくれている。とても僕の興味ある記事なので、刺激を受けて目が覚めました。今朝はとてもいい天気です。保坂和志さんの掲示板情報では鎌倉も3/28付けでは桜の蕾も息苦しいぐらいにふくらんでいましたとありましたが、もう咲いたのでしょうか、僕もそろそろ、京都に出かけて桜見物と洒落たいです。

◆トップページのお題目:「学問は博打だ!」

  • 討議は香具師の口上の如く
  • ケンカは愚連隊の心意気や良し
  • 文芸、映画、音楽、学問、お遊びに放蕩する
  • 仁義の本義を弁える

今ひとつ、オヤジには理解不能ですが、面白そうな人だなぁとブックマークしてしまったのです。読書傾向も似ているみたいなので、色々と情報を三色スミレさんから仕入れたいと思っています。

[][]内田樹研究室 内田樹研究室を含むブックマーク 内田樹研究室のブックマークコメント

◆どうして「学ぶから降りる」ことが自己満足や自己肯定に結びつくのかその理路がわからないと、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』(有信堂)を頭にして論じているのですが、山田昌弘希望格差社会』といい、この十年近く、この国で進行しているのは、オルテガ『大衆の反逆』や、ニーチェが絶望的な筆致で記述した「大衆社会」がこれから本格的に始るのかも知れないと確信してしまいました。だって、僕の周りでも、マットーな本を読まないことを自慢げに語る若者は沢山いるし、ひきこもりでもなく、中学校から不登校で勉強する時間がムダだと、独立心旺盛でラーメン屋のあんちゃんになったが、彼は自己肯定感が旺盛でベンツを乗り回している。むしろ、「学ぶことから降りない」若者達の自己不全感が痛ましい。『希望格差社会』によると、「二十年後には、滞留したままラインに乗ることができない中年のフリーター博士が十万人を越える規模で出現すると私は予想する。」(167頁)と山田昌弘は予言する。そんな知的環境の外堀で、早々と学ぶことから降りるのは正解かもしれないと、戯言を言いたくなりました。⇒参照:Archives - 内田樹の研究室♪[bk1特設内田樹の思想]

★本日のアクセス数(502)

tatartatar 2005/03/31 18:34 ご紹介に預かりましたtatarです。
「若者」と言うよりバカ者です。間違いなく。
「学問は博打だ」は社会学者の吉田民人さんの言葉らしく、この方は宮台真司さんや上野千鶴子さんの先生に当たる方なのです。
『戦争が遺したもの』(新曜社、鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二)を参照しました。博打はホイジンガあたり言わせれば「聖なるもの」と関係があります。神聖なものなのです。一か八かってところがあります故に。ドキドキしますし。
博徒、香具師、愚連隊、これがヤクザのシノギの棲み分けです。それを包括してみました。自分のこと、ヤクザとも標榜してますし・・・これからもよろしくどうぞ。

kagamikagami 2005/03/31 23:42 学ぶのは学ぶのが自発的に好きなだから学ぶべきで、金の為に学ぶというのは目的(学ぶこと)と手段(学ぶことの為に働く)が逆転していると思いますが…。私の周囲は学ぶ事自体が好きだから学んでいる人が多いのですが。マスターは肩書きであって、絶対的な印籠でもなんでもないものですしね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2005/04/01 00:37 kagamiさん、いらっしゃい、そりゃあ、学ぶことは楽しいって言う人は一杯います。tatarさんのブログを訪問しても、「学びの遊園地」か「学びの賭博場」っていうか、そんな場が必要なんだ、「学ぶこと」で自己肯定感を得る。そんな意志がひしひしと伝わります。
博打はオール・オア・ナッシングでしょう。本来、「学ぶ」は処世ではないでしょう。
ただ、内田さんが指摘しているように、「学ぶ」に関しても二極化が進行して、本来、「学ぶ」から早々に降りた人(大衆?)が負い目を感じて自己不全感を覚えるのが、教養主義が稼動していた近代であったのに、今ではそんな、殊勝な大衆は段々いなくなり、
むしろ、「金にならない悩むことに精出している」とせせら笑って自己肯定感を得ている。そんな構図が益々拡大してゆく状況ではないかと、いや〜な予感が山田さんにも、内田さんにもあるのではないでしょうか。
苅谷さんの本はまだ、未読なので何とも言えませんが、
tatarさんの鎌倉:自由大学構想はそんな大衆社会到来の流れに抗している度胸のあるバカ者の仕業かもしれません。でも、一方でラーメン屋のあんちゃんとして、ラーメン作りの技、知恵を身につけて自己肯定感を得る。そんな自己肯定感を得た大衆なら、「学ぶ人」に対してリスペクトすると思う。
「希望格差社会」は大いに問題がありますが、「意欲格差社会」は、どうなんだろう、まあ、本書を読んでからですね…。
宿題です。

tatartatar 2005/04/01 14:02 「tatarさんの鎌倉:自由大学構想はそんな大衆社会到来の流れに抗している度胸のあるバカ者の仕業」
まさにその通りです。オルタナティブ大学。「みえない大学」「サロン」そんな感じです。
何の条件もいらず、何かを学びたい者たちがお互いに教えあう。ただそれだけです。また、金銭的条件で本当は学びたい人が学べない状況に何度か立ちあい本当に悲しい想いをしたこともあります。そういう時は本当に悔しいです。
竹林の七賢を持ち出すのは傲慢ですが、そんな気持ちもあります。その人たちだって結局は高尚な話ししなならクサ決めてたんですからね。そんなノリでやりたいなと思っています。
やる必要を感じる手応えがあるのでやるのです。
実際には小さな勉強会レベルではやっていますし、もともと本拠地の小町通にある藝苑・遊吟舎(古書店&喫茶)では詩の朗読会などもやられています。また、鎌倉ペンクラブも動き出して遊吟舎でサロンみたいなものを開かれるようです。着実に「自由大学・鎌倉アカデミア」は成長しているのです。
よろしくどうぞ。

zakkizakki 2016/05/13 02:10 学ぶ者は永遠に自分よりも優れた者と出会うことになる。
私は完全であるとの自己肯定を出来るはずはない。
常に私はまだまだだと思い、過去から相続されたモノに対する
感謝によって、社会に義務を果たすようになる。しかし・・・
何故そうならなかったか?

現代の大衆とは誰のことか、それは階級としての
大衆ではなく、寧ろ永遠の成長を信じるエリートである。
エリートの反逆、クリストファーラッシュ著

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