葉っぱのBlog「終わりある日常」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

05/05/26

[][]薔薇の蕾 薔薇の蕾を含むブックマーク 薔薇の蕾のブックマークコメント

市民ケーン [DVD]

このブログに“働くこと”についてのディレクトリーがないですね。別に労働ということで有償行為と限定しなくて、有償、無償を問わず“働く”ということにもっと意識的であっていいなぁと自省しています。それで、今日から[働くこと]を追加します。shohojiさんの日記に“なぜ仕事をするか”というエントリーがありました。内田樹ブログをロムして触発されたのです。*1

いつも覗くブログのひとつ、内田樹ブログを読んだ。

>15名のゼミ生のほとんど全員が実にきっぱりと「仕事というのは賃金を得るためのものではなく、仕事を通じて他者からの社会的承認を得るためのものである」という見解を述べていたので、びっくり。

ということが書いてあって、ほおっと興味深く思った。 ヨーロッパ化ですかね。 若い友人夫婦に去年秋、初めての赤ちゃんが生まれた。パパはルクセンブルグまで毎日仕事で往復。初めての赤ちゃんなので、ママの方はくたくたに疲れている感じ。しかも産休が終わり、ドゥミ・トン(demi temp)、つまり完全にではなく半分、医療秘書の仕事に復帰したのだけど、復帰していきなり職場で配置が変わったり、完全にパニックなのだ。仕事に出ると、赤ちゃんは託児所だし、自動車が1台余計にいる、服がいる、社交費も必要、食事も手抜き、などなど、結局半日働いたお給料なんて、全てそれで消えちゃう。しかも、2度と取り戻すことのできない赤ちゃんとの時間はなくなる。楽しんで仕事しているならともかく、精神状態もよくない。 立派な持ち家もあるし、彼はちゃんと仕事しているから、食べるに困ることは絶対ない。私なら仕事辞める。 だけど、彼女にはそうはいかないのだ。事をしていることで、自分が社会で認めてもらえていると確認できているのだから・・・。 そういう理由で、何がなんでも仕事をやめないぞ、という女性をいっぱい知っています。

社会と接点を持つ意味で、このブログを更新するのも広い意味での無償の働くこと、自治会のお手伝いもそうって、自己正当化の気味がありますが、書評投稿もそんな働くことという視点がないと多分、継続は出来ないでしょうね、中村びわさんはそのあたりのことに関しては自覚的ですが、僕ももっと自覚的であらねばならぬと、反省しています。びわさんの「母は働くべきであるな。有償無償に関係なく…。」は、ぎくっと胸に突き刺さりました。

ところで、会社の代表取締役のあがりをなすったのに、“働くこと”に拘って経営コンサルトントをなさっている相馬勝氏から下記のようなメールを頂戴しました。コピペします。

皆様

おしつけがましいですが・・・・5月23日、CoCo壱番屋(カレー屋チエーン)創業者の話しを聞きました。

「CoCo壱番屋」の創業者「宗次 徳二氏」のお話には感激致しました。氏はなんと孤児だったのです。その方がこの度 1,000店を達成する偉業を成し遂げた企業のトップなのです。なんとドラマチックなお話でしょう!

まだお若いのですが(昭和23年生まれ)、53歳で社長の座を全く血縁のない社員(現社長 浜島氏)に譲り、

(因みに浜島氏は19歳のときアルバイトで入社、その才能と人柄の立派さが、創業者夫妻の絶大な信頼を得る)

奥様は会長として残り、事実上辣腕を振るっておられるようですが、ご本人は「今までお世話になった世のため人のためにNPO特定非営利活動法人<イエロー・エンジェル>を立ち上げ、様々な分野で頑張る人を物心両面で応援したい」と創業者特別顧問という立場に引き下がりました。

この一年は100回も講師としてあちこちから招かれておられるようです。1時間半ほどの講演でしたが、身じろぎもせず聞き入りました。実に参考になり共鳴できるものがあったからです。小生も子供のころから経済的には随分苦労をして参りましたが、それでもレベルが違いすぎると思いました。

幼児期、養父はギャンブルに明け暮れ、電気は止められローソクで灯を灯し、食うものもなく、柿の実や野草などをとりながら何とかその日を過ごしたなど、そのようなエピソードは枚挙に暇がないようです。(マズローの欲求5段階説の生理的欲求、安全の欲求に匹敵するレベル?)

事業では「遅寝早起き」を実践、全てのエネルギーを仕事に費やし、一切の遊びとは無縁で休みなしの生活を送っているうちに会社が上手く軌道にのり、どんなに働いても肉体的には全く苦にならず、むしろ楽しくて仕方が無いという心境になったそうです。

平成8年、閏年 366日1日も休まず働いたことがあるそうです。(しかも朝早くから夜遅くまで)

(小生も昭和42年頃 330日働いた経験がありますが次元が違います。大宮店長時代仕事が好きで勝手に勤務)

尊敬する人物として結婚し支えてくれた奥様を挙げておられます。その一言でも分かるように夫婦が常に一体で懸命に努力する姿が、やがて社員、お客様、取引先、融資先の信頼を勝ち取ることに結びついて行かれたのですね。

成功の要諦はわりと身近なところに転がっているのかも知れません。(特に零細資本の創業期には絶対条件かも知れません)氏はそれを意識してやったわけではないのでしょうが、結果としてはそのような姿が人々に感銘を与え、融資先に融資をお願いし、一回も断られたことがないという事実・実績の裏付けになっていったのだと思います。

わりと最近、国税庁がいきなり査察に入ったそうです。その不遜な言動に受付嬢などは泣き出してしまうほどでしたが、それを取仕切ったのが奥様だそうです。何日間か(延べ45人の)査察官が徹底的に調査したそうですが、全く何も出ず、黙って引下ったと言います。「何も出なかったという証文でも置いていけ」と思わず言ってやったそうですが「何もない場合は何もおいて行きません」が彼等の回答だったとか。

それほど管理が完璧で、カレーパック一つ誤魔化すこともなく公私の峻別を行ってきた証左でもあります。「私は三流経営者、偉いのは家内」と講演中何度も謙遜されておられましたが、凄いことだと思います。

この5月19日、27年間にして1,000店を突破した記念パーティを帝国ホテルで挙行されたそうです。東証1部にも上場、カレー屋さん一筋でここまでこられたその素晴らしさには ただただ恐れ入るばかりです。

孤児の身であり、ギャンブル狂いの養父から養母は離れて行き、養父との生活ではどん底の生活を強いられながらも良くぞまっすぐに成長したものよと思わずにはいられません。小生だったら非行に走ってしまったでしょう。「父はそんな人だったが父が喜ぶことをしてあげたい」と常に思い続け、愛煙家の父のためにタバコ拾いまでされたそうです。養父に誉めて貰いたいという一心さからの行動でもあったのでしょう。涙腺の弱い小生は思わず涙、涙でした。

「高校に進学、卒業するまで友人宅の豆腐屋さんでアルバイトをしながら頑張った。18歳までで一生分の辛酸を舐めた。

それに比べれば今の苦労なんて」と、逆境をむしろバネにしてこられた不屈の精神、そのプラス発想が本当に素晴らしいと思いました。しかも外見は柔和で、そんな苦労をされたとは思えない「良家のお坊ちゃま育ち」という感じさえ致します。小生も老けるのは未だ早い、改めてこのような人物から学ばなければと痛感致した次第でございます。素晴らしい感動と勇気を戴きました!やはり実践してこられた人物のお話は説得力に富み、凄味がありますね!ご興味のある方,HPを記します。http://www.ichibanya.co.jp

PS

たった一人のご子息 弘章氏(25歳)が昨年プロゴルファーの資格を取得したそうです。

本人も不本意ながらどうしてもやむを得ない事情から41歳のときGOLFに手をだしたそうです。

そのことが唯一 一生の不覚だとおっしゃっておられました。未だに100を切ったことがないそうですが。

GOLFほど時間、お金がかかり無駄なものは無いと盛んに繰り返しておられました。

小生などは耳が痛かったですが、しかし、ご子息の手前今後は興味が倍化されるのでは?と推察致します。

僕より若い団塊の世代ですね、おしん物語はこれからのこの国で受け入れられる余地があるのかと問われれば返答に窮しますが、でも、かような“形振り構わぬ切実さ”は事を起こすには必要条件ではあるでしょうね。

生きることの実感は切実さに支えられている。その切実さの中に他者がいる。社会と無縁ではない。やっぱし、金だけでない何か、『市民ケーン』の最後の台詞「薔薇の蕾」が事を起こす駆動力になるのだと思う。勿論、その蕾の具体的な正体は認識されなくても、その何かに人は動かされるのだと思う。その人が思考停止していないかぎりは、金がすべてだと憎まれ口をたたいたホリエモンにしたところで、「薔薇の蕾」を秘していると思う。まあ、そんな風に信じたいものです。

内田樹さんのブログエントリーは是非とも相馬さんに読んでもらいたいです。

[…]おおかたの人は誤解しているが、NEETは資本主義社会から「脱落」している人々ではない。

資本主義社会を「追い越して」しまった人々なのである。

あらゆる人間関係を商取引の語法で理解し、「金で買えないものはない」という原理主義思考を幼児期から叩き込まれた人々のうちでさらに「私には別に欲しいものがない」というたいへん正直な人たちが資本主義の名において、論理の経済に従って「何かを金で買うための迂回としての学びと労働」を拒絶するに至ったのである。

だから、NEETの諸君にどれほど資本主義的な経済合理性を論拠に学習することや労働することの肝要であることを説いても、得るところはないだろう。[…]

 そう、金で買えない薔薇つくりの楽しさを語ればよいでしょうね。“働くこと”自体に何かがある。その何かが薔薇の蕾かもしれないし、造花かもしれない。でもチャレンジしてみてもいいではないか、何にもないかもしれない、でも、チャレンジした不細工さが残る。そのことでしか、生を味合うことが出来ない。それでいいではないか、ニートの人や引きこもりの人にこんな風にしか言えないですね。404 Not Found     

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050526/p1
Connection: close