ヒロシマ、長崎

 一昨日、大阪では毎日テレビの三時間番組「戦後60年特別企画“ヒロシマ”を老母と一緒に見て色々と考えさせられた。あちらこちらのサイトに御邪魔してコメントを書き込みましたが、原爆を落とした男と被爆者との対話にやりきれなさを感じました。男は私の周りにも戦死した身内、友人が沢山いる。原爆によって死のうが、他の方法によって死のうが死にはかわりがない。と言っていましたよね。市民だって、庶民だって、あの戦争に何らかの責任があるんだ。「罪がない人」っと軽々しく言ってもらってはこまる。あの男は本音を言っていました。彼の文脈では子供も例外ではないのでしょう。
 謝罪する必要はない、でも、戦争には反対だ。平和を望む、そのことに了解はある。だが、“平和”のためなら、戦争は許される。正義のためなら戦争は致し方がないって言うことなんでしょう。そんな「戦争と平和」論でない別の位相で語れないのか、加害/被害、でない位相ってどんな位相なのか、でも「生と死」を語るとき、「生」は善、「死」は悪と短絡的に考えることにやましさをを感じるようになったことは事実です。それが年を取ることかもしれないが、少なくとも「死」というポジションで世界解釈をしたいという傾向が最近の僕には強くある。『風の旅人ー人間の命ー』(15号)でインドネシアのトラジャ族の準備期間だけで何年もかかる盛大な葬儀を写真と文で紹介しているが、彼らはまさに「死ぬために生きている」、その死生観は「死」を悪として隠蔽する僕たちの文明、文化に批評の矢を放つ。
 僕が今言えることは、「死」と真正面から対峙しない「平和語り」は信用出来ないということです。失うものがあっても平和を希求するそんな強い意志が要請される。そんな「死」のポジションでの「禁欲的な生」に耐え切れるか、
 核なり大量破壊兵器の使用は禁ずる。でも、他の兵器によるなら、戦争は許されるのか、ヒロシマ、長崎に何故落ちたのか、もし、ポツダム宣言を受諾したなら、原爆は落ちなかったのか、落ちなかったとして、戦争が終結して、戦後の冷戦構造の中で、核が一度も使用されないということがあり得たであろうか、どこかの国が被爆する可能性が無きにしも非ずではなかったか、ヒロシマ、長崎の人たちの死は、核抑止力として冷戦構造の暴発を防いだという名誉の死ではなかったか、そのようなことを色々考えさせられました。
参照:サブリミナル効果をめぐって : ウラゲツ☆ブログ