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葉っぱのBlog「終わりある日常」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

07/03/10

[]格差社会に関する文献

 雑誌『オルタ 2月号』のBOOK GUIDEで、西澤晃彦氏が『「格差社会論」を突き抜ける』というレビューを書いているのですが、「格差社会論」の変遷史を見通しよくまとめてくれている。

?「勝ち組」「負け組」を巡る道徳論→事実検証へとシフト 

?その成果の一冊として、『「ニート」って言うな!』(光文社新書

※「格差社会論争」の主要な論者は、経済学者であれ社会学者であれ、「個人の『能力』の有無が地位を決定する」というフレームは共有している。しかし、西澤さんは機会不平等が見いだされて批判されてきたが、個人の能力の有無が地位を決定しない現状を、イレギュラーな阻害要因と見なしていいのか、むしろ、それは周縁的なもので、「個人の『能力』の有無が地位を決定しない」ことが、社会のあるいは経済の常態ではないかと言う。「能力」以前の絶対的なメカニズムをこそ把握しなければならない。

その通りだと思う。

?佐藤俊樹『不平等社会日本ーさよなら総中流』(中公新書)、『00年代の格差ゲーム』(中公)において、地位の要因として『能力』を置く従来の階層論の「もっともらしさ」が、「総中流の物語」によって保証されたものでしかなく、それが今、崩れつつあると論述されているとする。そうであるなら、貧困のリアリティが多くの人々に共有され始めたとき、格差社会論を突き抜けた言葉が要請されることになる。そういう時代に生きているんだと西澤さんは書く。

?そのような成果の文献は『貧困と社会的排除』(ミネルヴァ)、『現代日本の「見えない貧困」』(明石書店)、『排除される若者たちーフリーターと不平等の再生産』(解放出版)であるとして、そこに「能力」以前の排除のメカニズムを抉りだすものだと紹介しているのですが、前日のエントリーで僕自身が言及した武田徹さんからの引用『徴』について僕の関心どころは伸びている。「徴」のない、「カテゴリーライズ」されない、「見えない」弱者とも言うべきものに対する排除のメカニズムなのです。

?で言及されている市野川容孝『社会』(岩波)はそのような拡がりをもったものかもしれない。

社会的排除について考えることは、異質とされて排除されたカテゴリーを再び「社会という拡がり」について想像することでもある。社会を、すでにあるものとしてではなく、たえず再構築されるべきものとして見る視点が求められる。(31頁)

「ニート」って言うな! (光文社新書)不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)貧困と社会的排除―福祉社会を蝕むもの (講座・福祉社会)現代日本の「見えない」貧困 (明石ライブラリー)排除される若者たち―フリーターと不平等の再生産社会 (思考のフロンティア)

 参照:ものすごいコピー:亡霊化 - フリーターが語る渡り奉公人事情補足:亡霊化 - フリーターが語る渡り奉公人事情

自分の軸を定めたい - 風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜

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