葉っぱのBlog「終わりある日常」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

07/09/01

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 赤木智弘粥川準二武田徹『JCcast8回」が更新されましたね、9月9日に町内会の社会見学で『福井県大飯原子力発電所』に行く予定なので、チャプター3の「先端科学技術との接し方 」は色々と勉強なりました。

 エネルギーの分散投資ですかね、

 チャプター2は「『週刊金曜日』の記事について 」で、佐高信丸山真男に対する強い想いについて、武田さんが興味ある視点を示してくれる。

 赤木さんは確かに戦後レジームを作り上げた丸山真男のリアルさは遠いものでしょうね、僕と同世代で、丸山ゼミ生と知り合いになったことがありましたが、その傾倒ぶりは尋常ではなかったです。その彼から丸山さんのサイン本をもらったことがあったのですが、残念なことに、もう、手元にないです。僕自身は怠惰な学生だったのですが、それでも、二、三冊読んでいましたね。

 それから、吉本隆明へと流れが変わって、僕が本屋の店頭にいたときは、吉本隆明全集(剄草書房)を全点平積みしましたからね、それぐらい良く売れたのです。

 サブプライム問題を発端として、金融不安が広がっていますが、「バブルがはじけて初めてバブルだとわかる」グリーンスパン)のような予測不可能なものが市場でもあるわけで、独立性と責任という言葉はそうなんだけど、むつかしいね。利上げのタイミングと言っても、マイナスの利下げもあり得るのだろうか、専門家に任せるしかないのだろうが、その専門家も当てにならないところがあるからなぁ…。

 チャプター1「『ラジオ・スターの悲劇』の受容史」は、主に粥川さんが音楽とメディアについて語っています。

 ◆追記です。

 ネオリベラリズムの透明性への幻想は(また安倍原理主義のような伝統的同一性を押しつける幻想も)、現実を無視して他者との同一性を押しつける暴力的なものでしかないだろう。

 他者への興味、未来への関心、存在への問い、他者への倫理などのない状態で、社会を考えることはできないだろう。ー樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』p308ー

 「底無し」で人間は生きられない。再帰性と恒常性のバランスで、「ぼくはあなた」、「あなたはぼく」、そして、それは他動的、解離的に戯れつつも、「でも、やっぱ、ぼくは、ぼく」、「あなたは、あなた」で、われわれまで、接続する大文字(不断に更新するが…)の幻想によって、支えられないと誇りを持って生き延びられないだろうなぁ…。

 そして、敵対や政治の代わりに、専門家が介入している。フリーター問題には、若者の雇用不足や労働条件の悪さといった政治的な原因があるのに、若者の無力といった個人化・心理学化がなされ、青少年の心理学の専門家がしゃしゃり出てくる。(略)

 一方で、具体的な社会構造や矛盾が指摘されずに政治がテクノクラートによって密室化されるので、現状に対する不満は、暴力的な現状破壊や現状改革への希求となり、政治は強いものへの、力への同化となってしまう。

 バックラッシュなどの政治的反動に見られるように、文化的に乏しい言説が力をもつのは、運命的な市場科学主義への幻想が揺らぎ始め、それを代補する幻想が社会内部に求められているからでもある。

 この意味で、新しい資本主義は、すでに別の新しい資本主義の精神ー幻想を必要とするような荒廃ー危機を招き寄せてしまっているともいえる。

 そうでありながら、現代社会においてすでに言説の力が弱体化しているため、求められ要請されるのは、乏しい妄想的言説かそれを補強する、純粋な力そのものとなる。ー樫村愛子 同書p309ー

 「暴力」が生々しさを持ち始めたという感触が確かにありますよ。

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