葉っぱのBlog「終わりある日常」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

07/09/23

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◆月刊『オルタ』に収載されていた平井玄さんのエッセイ『22歳 洗濯屋。夢を持つ人びとを憎んだ日々』がオルタHP上にアップされました。

http://www.parc-jp.org/main/a_alta/alta/2007/07/pride

◆ミクシィコミュで、ある人が萱野稔人が学者の中で一番、赤木さんを理解しているのではないかというコメントに対する僕のメモ備忘録

萱野稔人はいいですね、萱野さんは社会的承認についての視点から赤木さんを見ていると思う。

僕は、最近、セカイ系ライトノベルのことを考えて、理屈ではなんとなくわかるけれど、出来上がった作品にシンクロできない。わからないんですよ、

マイミクさんが、PERFUMEを紹介してくれたのですが、広島萌え(カープファン)のオヤジでも、ついていけないわけ(笑)。

多分、そのわからなさは、マイミクさんらにとって親和性が高い「セカイ系」というキーワードでしょうが、

ライトノベルを含めてシンクロできないところがある。先日、読んだ、『新潮・10月号』収録東浩紀×桜坂洋のライトノベル?「キャラクターズ」はメタ小説として読んでもつまらなかったです。http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070911/p1

恐らく、僕の中に(1)ぼくときみ、(2)社会、(3)セカイ、という分類を試みると、(2)の社会的承認に力点を置く古い型の人間の部分が大きいと思う。

それで、赤木さんのことですが、本人が否定するかも知れないが、萱野さんの言うように(2)の社会的承認を欲望する濃度のが高いと思うのです。どうもセカイ系の若者達にシンクロされているようなところがあるみたいですが、赤木さんは、地域で承認され、普通に結婚し、普通に暮らし、子どもを沢山つくってどっしりと足が地についた暮らしをしたいという願望(無意識かもしれないが)が強いのだと思う。僕は萱野さんの赤木論考を、そのような視点から読み込んだのです。

セカイ系?というモンスターでもないし、(1)のぼくときみに耽溺する恋愛至上主義者でもない。

http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html

http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/8_a171.html

 ところで、『ゲンダイモンダイ』の放送予定は「ギートステイト」について喋るらしい。「キャラクターズの謎?」が少しでも解明されるかなぁ、チェック。

 セカイ系、ライトノベルって、ネタ、メタとして愉しもうと思っても、実際のところ、退屈なのです。感性の問題だからどうしようもないのですが、でもどんなことを喋るのか興味津々です。

 セカイ系についての基本知識はまっちゃんさんがリンクしてくれたところで、なんとなくわかることができましたよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF

http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050721

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-sekaikei.htm

http://iwatam-server.dyndns.org/kokoro/sekai.html

http://iwatam-server.dyndns.org/column/68/

ピロシピロシ 2007/09/23 21:29 >(1)ぼくときみ、(2)社会、(3)セカイ、という分類を試みると、(2)の社会的承認に力点を置く古い型の人間の部分が大きいと思う。 それで、赤木さんのことですが、本人が否定するかも知れないが、萱野さんの言うように(2)の社会的承認を欲望する濃度が高いと思うのです。どうもセカイ系の若者達にシンクロされているようなところがあるみたいですが、赤木さんは、地域で承認され、普通に結婚し、普通に暮らし、子どもを沢山つくってどっしりと足が地についた暮らしをしたいという願望(無意識かもしれないが)が強いのだと思う。

この指摘は東浩紀の『存在論的郵便的』とも重なるし、生田武志の『関係的貧困』とも繋がる。要はセカイ系っていうのは(2)の絶対的な貧困によって(1)と(3)がくっついてしまうことなんだと思いますが、藤原新也に何故赤木智弘が怒っているかというと、携帯電話を禁止すべきだと、まるでそのオルタナティブである『自然なコミュニケーション』が、藤原が子供の時には普通に存在していたように、今でも普通にあるんじゃないかと思い込んでいる鈍感さに対して怒っている。これは内田樹に対して怒っていた時も同じなんですよ。あの時子供が「つらいけど仕方が無い」っていったのは、他に何も無いからなんですよ。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061121
ただね、赤木氏は(2)が、自分達を取り巻く社会状況が変われば変わるんじゃ無いか、って思っている気がするんだけど、それはやっぱり甘いと思うんですよね。そりゃセカイ系にコミットしている奴らだって、(2)もある(3)もあるけどやっぱり(3)だな、とか選んでいる訳じゃなくて(3)しかないから(3)なんですよ。エヴァのテレビ版のラストに一瞬描かれる平凡な学園風景に何故感動してしまうのか、それはそんなもんが絶対手に入らないってことが分かってるからなんですよ。その欠落と絶望を赤木氏や僕は生きているから、平気な顔して「携帯を禁止しろ」っていう鈍感さに怒りを覚えてしまうんですよね。
宮台真司の『サイファ』における
http://mixi.jp/view_item.pl?id=633457

『超越系』と『内在系』の対立ですが、『超越系』っていうのは常に「ここではないどこか」を志向するタイプで、『内在系』っていうのは、いまここでマッタリ生きる事が出来るタイプだっていう定義ですが、これは単純に、その人に(2)があるかどうか、『関係的貧困』に陥っているかどうかって違いに還元できちゃう問題なんですよ。これはいくらサラリーマンとして生きていても結婚していても、周囲に自分の居場所が無い奴なんて沢山いる訳で、果たして赤木氏が社会に帰還した際に『希望は結婚』と言ってしまえるのかどうかってことですね。

Perfumeのセカイ系は、ベタなセカイ系じゃなくて『再帰的』なセカイ系なんですよね。というのもセカイ系の意匠をこらされた彼女達自身が、広島という(2)に密着している地域出身だったりしていて、それがある意味ネタだっていうのが既に分かってしまっている。だからこそ、その不可能性、表層性がいいんですよ。だからこそ本気になれる。彼女達自身がマジでセカイ系だったらちょっとドン引きしちゃいますけどね。ラジオで彼女達は「テクノポップとか何が良いのか分からない」って言っているし。彼女達の存在がPerfumeなんじゃなくて、彼女達のパフォーマンスの中にだけ幻視的に刹那的に現れるビジョン、それが perfumeなんですよっ!!

perfumeの不可能性にマジになるって感覚、きっと右翼的な感覚に近いと思います。『美しい国』も、その不可能性を分かった上で、敢えてそれに殉ずる、みたいな奴が言っていたら、僕はコミットしていたかもしれませんね。対米追従による血塗られた国益を守るよりも、美学に殉じて共に貧乏になろうっ!!自由主義者の資本家共は国家がその権利を剥奪するっ!!とか言ってくれたら泣いちゃってたかもしれない(笑)

ちなみに『日中戦争下の日本』ようやく読みました。美学とか精神論で国を動かすと大変なことになってしまうっていうのが良くわかりました(笑?)

乱文失礼しました。余力があったら日記で、もうちょっとマトモな文章書こうかと思います。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/09/23 22:06 藤原新也さんが、久しぶりに更新している。
今回は「大人を一喝」しています(笑)。
元気だなぁ…、
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20070923

ピロシピロシ 2007/09/24 17:14 確かに80-90年代テレビ無しの生活をされていたら『セカイ系』やラノベにはコミット出来ないですよね(笑)テレビやマンガみたいなサブカルチャーによって人格形成されてきたような人間の最たるものが、オタクだったりしますからね。

ちなみに栗山さんは手塚治虫はお読みになっていますでしょうか?火の鳥なんて、かなりセカイ系だと思うんですけどね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/09/24 17:15  「僕は本屋で働いていた時、「がきデカ」と「鉄腕アトム」とが戦う図をPOPに書きましたが、懐かしいですね、30年以上前の話になりますか…。
まあ、戦うと言っても、仲良しごっこの構図でした。(笑)」というようなことを昔のエントリーにコメントしていました。
僕らのまわりで、手塚治虫を読んでいるのはいなかったですね、山上たつひこの『がきデカ』は人気がありました。後、白土三平ですね。
 先日、宮台真司さんと竹熊さんが、エヴァンゲリオンについて喋っていて、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』に言及していたが、日本で初翻訳されたとき、興奮して読みましたよ、SFは結構よんでいたのです。半村良の「太陽の世紀」かな、完結すると88卷で世界一の大長編になるつもりが、半村さんは、お亡くなりになった、残念です。こういうSFなら大好きなのです。それとライトノベルは、やっぱ違う気がする。
SFとセカイ系はどう違うのでしょうね。

ピロシピロシ 2007/09/24 17:16 山上たつひこや白土三平と比べると、手塚治虫は圧倒的にセカイ系ですね(笑)おそらく白土三平なんかは、手塚のオタク臭さが嫌で、それに対するアンチだったんじゃないかと思います。

やはりジャンルそのものに対する拒否反応については、ジャンルが分化する以前の、過去に遡るにこした事は無いですね。鉄腕アトムと火の鳥では同じ手塚でも全く違うんで、是非チャレンジしてみてください(笑)

セカイ系とラノベに共通するのは『社会』であるとかリアルさに対する嫌悪でしょうかね。ラノベは僕もあんまり好きじゃないんで偉そうな事は言えないんですが。現実を参照項にして何かを作るということと、虚構を参照項にして何かを作ることの違いでしかないと思うんですけどね。

栗山さんがラノベに乗れないのは、やっぱりラノベが参照しているものに親和性が無いからで、藤原新也に赤木さんが怒るのは、藤原新也が批判する為に参照しているものに、親和性が無いからかもしれません。


SFとセカイ系って、どこが違うとかいう問題設定はあんまり意味が無いかもしれませんね。双方非常に広い概念なんで。ただ、SFじゃないセカイ系っていうのは想像出来ないんで、そういう意味では下位の概念なのかなぁ。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/09/24 17:18 そうか、ラノベの参照項が虚構、
セカイ系が現実…。
う〜ん、難しいね、
何を持って虚構か、現実かになるし、
ただ、そのような仮定のマッピングは
有効かもしれない。
向こうの要さんのところで、藤原新也についての言及は
面白かった。少し、考えて見ます。
ピロシさんも、キャンペーンブログに頭を書けばいいのに、
この藤原新也と赤木さんの分析は興味があります。

ピロシピロシ 2007/09/24 17:19 色々と散発的に考えていて、そのどれもが繋がっている感じがするんですが、それをまとまった文章としてまとめる力が無いんですよね・・・。

ピロシピロシ 2007/09/24 17:20 マイミクでアイドルに詳しい人がいて、
このテキストを紹介してくれました。
http://d.hatena.ne.jp/nanari/20070718#p1
正直、ここまで原理主義的にはなれないんですが(笑)
凄いなぁって思いました。
『アイドルという物語を信じることが困難になったとき、「物語の対概念としての現実」が担ぎだされてきた。しかし、大きな物語の犠牲を前提として、否定辞によって支えられているその「現実」もまた、ひとつのフィクションに違いない。ぼくは、「現実的」という言葉が、諦めの枕詞として呟かれるのが嫌いだ。文学や恋愛や政治の理想について、熱心に議論していた大人たちが、ふいに「美しすぎる童話に裏切られたような」顔つきをして、自分の白い頬をつまんでいた狐が馬から落ちたように、「現実的には」という言葉を合図に、「自嘲した風の微笑みで」とぼとぼと引き返していくのを見るのは、いつも耐え難いことだった。ぼくだって疲れているのはたしかだけれど、それでも、希望を成し遂げられないことだけが現実的なもののすべてであるなどと、まさか信じるものか。現実というのは、もう少し複雑なのだ。』
ここら辺は凄く共感しますね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/09/24 17:21 茂木健一郎の「クオリア」の問題にもつながると思うのですが
、双風舎の斎藤環さんとの往復書簡で、そこのところが少しは解明のヒント?が出来るかと期待しているのですが、
茂木さんの復書簡がまだですね、フレームは文脈でもあるのですが、クオリアはフレームをはみ出すもので、一回こっきり、
偶有なものでしょう。再現出来ない。フレーム内である限り、再帰性を持つものですが、クオリアは不可能性を内包するものでありながら、突然、出現するもので、あるらしい。「可能無限」って言われるとなかなか想像出来ないのです。斎藤環さんの応答があれば、茂木さんの「クオリア」が僕にでも見えるようになるかと期待しているのです…。
 紹介のリンクのアイドル論は、長文ですね。アイドル論で思い出したのは生命学の森岡正博さんが、紹介していたアイドル詩人の詩はまったくわからなかった。彼女のサイトがありますよ。今から捜してみます。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/09/24 17:24 三年前のデータがありました。
田中エリスですよ、
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20040925/p2
田中エリスの宣言文を読むと、
彼女は赤木論文を読んでいるでしょうね。
感想を聞きたい、でも鳥語で鳴かれると
お手上げだなぁ。
http://www.kinokopress.com/inko/jp/sengen.htm

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