葉っぱのBlog「終わりある日常」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

07/10/31

kuriyamakouji2007-10-31

[]保坂さんの本と子猫のツーショット 保坂さんの本と子猫のツーショットを含むブックマーク 保坂さんの本と子猫のツーショットのブックマークコメント

 こちらは、保坂和志さんの新刊ですが、HPの画像が面白くて僕のブログにアップしたくなりました。それもあるのですが、勿論、新刊紹介がメインです。保坂さん自身が下記のようにご案内しています。それも引用コピペしました。http://www.k-hosaka.com/より

中身は、Web草思の連載の何回か分と、雑誌「風の旅人」の連載の何回か分で、他のところに書いたエッセイは今回、ひとつも入っていません。で、ひとつひとつのエッセイについては今回はかなり修正、加筆しました。連載のエッセイというのはどうしても締め切り間際に書いてしまうため、「ちょっと違うんだけど、、、、近似値としてはまあこういう意味だから、、、、」という感じで、初出時には、「これはやっぱり自分の考え(言葉)ではない」というのを、やむをえずそのまま出してしまうことがどうしてあるのです。

でも、「それもやっぱり自分の署名をして書いたことなんだから、そのままでいい」というのが、前回『途方に暮れて、人生論』のときのスタンスで、あれはあんまり書き直ししませんでしたが、今回は連載時の原稿に対する気持ちに変化があり、しかも原稿の最終的なまとめの時期が、あの、暑い暑い8月だったので、外に出る用事はいっさい入れず、原稿の手入れを珍しく熱心にやることにしました。

それでもまだ不満な箇所はあるのですが、その部分は、ある意味、エッセイという形式の限界か、とも思い、それぞれのエッセイに関しては、いちおう現時点ではベストは尽くした、という自負はあります。

というわけで、皆さん、どうぞ、ご購入のほど、よろしくお願い申し上げます。

2007年10月吉日 

 参照:♪「三十歳までなんか生きるな」404 Not Found♪♪「「神の視点」に立ってしまうことの危惧」404 Not Found

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

       

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07/10/30

[]お嫁さん募集 お嫁さん募集を含むブックマーク お嫁さん募集のブックマークコメント

本の通販ストア - 本、雑誌の通販ならhontobk1でもデータアップされましたね、ということは図書館でもリクエストが可能になったということです。取次は図書館流通センターですから)

追記:コメント欄が長くなりました。一番のお尻に書いていることを、ここに上げました。結局、銭をめぐる世界解釈の違い。ワシは広島の呉に生まれてすごしちょるけん、仁義なき戦いの菅原文太の台詞を紹介。「ワシ等うまいモン食うてよ、マブいスケ抱くために生きとるんじゃないの。ほいじゃが銭が無きゃ出来ゃせんのでぇ、 ほいじゃけ銭のために体張ろうゆうんがなんでいけんっちゅうんなら、おう!」

 赤木さんは、文太と同じく、この世は「ゼゼコ」で世界解釈しているわけで、リスクを負っている。いわば、仁義なき戦いを受け入れているわけ。僕はそこまで徹底できない軟弱なところがあるから、「関係性に拠り所」を求めているわけです。「仁義」を信じたいわけ。そこの違いがわかったから、それでいいではないかと思っている。これで、一応、僕の中で決着がつきました。

[rakuten:mammoth-video:10002755:detail]

希望は、戦争?blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜のコメント欄が熱く盛り上がっており、そちらに長文カキコするには気が引けるし、整理整頓しないと、アタマがぐちゃぐちゃになるし、僕なりにメモします。

◆僕が若い頃に、「ファンファン」とか「スターリン」とか呼ばれていた岡田真澄がパントマイムのヨネヤマママコと毎年契約更新する「契約結婚」なんてやって話題になったことがあります。すぐに離婚しましたけれど、結婚は色々なやりかたがあります。当時、僕自身も本屋のイベントで多少かかわったが、結婚式をネタにしたイベント屋○○女史なんかいて、毎週どこかの女性週刊誌の表紙(美容整形手術を確か5回ぐらいやって週刊誌にその記事を載せることで、手術台をペイしたわけ)を飾ったり記事を書いていたりしていた。そして、週刊誌的に話題になりそうな誰もやったことのない「結婚式」を企画してそれで、メディアを上手に泳ぎ抜いていた女傑なのです。テレビにもしょっちゅう登場していました。彼女にとってsmile smileさんが書いている「自分には、どのくらい高い結納金をふんどるかのゲームに見える。」という結婚に対する認識はなかったと思う。

ただ、それは70年代の話で、一過性のものとして、その女史の風変わりな結婚式のメニューは、この国の風土に根付かなかったということでしょう。この女史がスキャンダルを撒きながらやろうとしたことは、この国の伝統、しきたりを足蹴りにして人工的な「何か」を作りあげることだったと思う。でも結局、80年代に入ると、学校の入学式、卒業式、葬式であれ、結婚式であれ、より保守的なものに回帰した感じがしますね。少なくとも70年代では結納金はカタチだけのものであったと思う。土地や時代によってずいぶん違うと思うが、おおまかに言えば、60年代、70年代はしっちゃかめっちゃかのところがありましたね。

保坂和志『世界はこんなふうにも眺められる』のWEB草思で、「小説でも映画でも、ある表現をほめるときに「新しい」という言葉を使うけれど、社会がひたすら新しさに向かって突き進んでいた時代は、おそらく70年代前半で終わってしまったのだ。」と書いていたが、80年代、90年代そしていまだに、この国は流動化から固定化(保守化)に向かって流れているのだと思う。その沈殿が「既得権益」として腐臭を放ち始めたのではないか。

赤木さんのメディア登場はそのような右は勿論、左であっても「既得権益」を抱え込んで離そうとしない「保守化」の動きに対して「ノン」を突きつけたのでしょうが、だからと言って、60年代、70年代における、例えばSmile Smileさんの言う「自分的には、コミュニティには期待がある。狩猟採集民のバンドとか、ヒッピーコミューン、それにメキシコのコムニダなど。だけど、家族はほしくない。そういう関係性からフリーになりたい。そのためにベイシック・インカムを支持する。」というような60,70年代の僕を含めた(若者)達に共有されていたものに対する共感は一片もないような気がする。赤木さんの実像はスゴク保守的なものとして僕には感じられる。そのあたりは、Smile Smileさんとずいぶん隔たりがあると思う。

実際、同学年の今は紛争写真家になっている某氏は学校を卒業してからキブツに入ってしまった。藤原新也は世界を放浪するわけですが、とにかくこの国そのものを脱構築しようと、「人工家族」、「流動化」を核として「何か」を打ち立てようとしていたことは間違いない。しかし、就職氷河期世代と言われている赤木さん達のメッセージは、そのような60、70年代の若者達とは全然違うように思われる。それがなんであるか、僕ははっきりとつかまえていない。ただ、非常に保守的な心性があるなぁという実感はします。だからこそ、「革命」という言葉を選択しないで「戦争」という言葉になったのではないか、そんな気もするのです。

しかし、Smile Smileさんの

◆自分にとって「お嫁さん」って、家庭内派遣社員なんですよ。派遣元(実家)の家でも派遣先(嫁ぎ先)の家でも居場所がなくストレスだらけみたいなイメージ。自分が手にすることもできず、ほとんどが派遣元の家がピンはねする、たった数百万円ぽっちの結納金で家内労働力としての自分を売るのは、本当に嫌だと思う。それじゃ派遣社員と変わらないじゃないかって思うんです。

◆kuriyamakoujiさんは結婚は関係性の問題とおっしゃる。

自分には、どのくらい高い結納金をふんどるかのゲームに見える。赤木さんの「お嫁さん募集」というのは、世間体のほかに、家内奴隷が一匹ほしい、なるべく安く買いたいという欲求を上手にプレゼンしているのだと思う。自分のプライドのお守りをしてくれるロボットを求めているのでは? という印象を受ける。ただし、「丸山をひっぱたきたい」「戦争」と言うことによって、フリーター問題についてどこまでも無理解であろうとする世間に風穴を開けた。そこだけは応援しています。

成る程なぁと思いました。そしてこの視点は僕にもありますよ。Smile Smileさんの問いを暫く発酵致します。それはそうと、コメント欄にも書きましたが、一昨日、東京の就職氷河期世代の若者から長時間のケイタイがあって、「お嫁さんを見つけてくれ」っていうリクエストがありました。彼は高校中退の中卒で、長年フリーターをやっていたが、コンビニの配送運転手、量販店に商品を卸す営業の仕事を始めて、5,6年、営業主任として年収400万円あります。家賃7万円ちょいとの3DKのコーポに住んで車も一台あって、一人暮らしです。風貌は「さわやか系」です。

ただ、読書・映画などそのような文化的鑑賞の習慣はなく、ゲームもパソコンも興味がなく、長時間、鏡の前で身だしなみを整えたりする政治にも全く興味がないオシャレな青年です。先日、葬式で地方に行ってやはり就職氷河期世代の若者達に会いましたが、ネットショッピングで利用はするが、赤木さん達のようにブログ発信している若者たちは氷山の一角で、全然違った価値観を持っている就職氷河期世代の若者たちが沢山いるんじゃぁないかと思ったしだいです。では、東京の僕の友人に興味のある方はご一報下さい。

harutoharuto 2007/10/30 12:20 あちらでは、何やら「フェミ読まず、フェミ知らずのフェミ嫌い」の方たちと、お騒がせをして申し訳ありません。

しかし、私は赤木さんがそうした「フェミ読まず、フェミ知らずのフェミ嫌い」の方たちに支持されるところに、

>60年代、70年代における、例えばSmile Smileさんの言う「自分的には、コミュニティには期待がある。狩猟採集民のバンドとか、ヒッピーコミューン、それにメキシコのコムニダなど。だけど、家族はほしくない。そういう関係性からフリーになりたい。そのためにベイシック・インカムを支持する。」というような60,70年代の僕を含めた(若者)達に共有されていたものに対する共感は一片もないような気がする。赤木さんの実像はスゴク保守的なものとして僕には感じられる。

と kuriyamakouji さんがおっしゃる「保守性」があるんだと思います。

わかりやすくいえば、「男性ひとりで核家族、標準家族を経済的に支えなければならない」というモノガミーを前提としたジェンダー規範に、赤木さんはがんじがらめで逆ギレしてしまった。

たとえば、「男性ひとりで」の「ひとりで」をはずしたら、どうなるか、と、そういう社会的想像力、モノガミーによって固定化されている関係を「流動化」させる、という発想はない。smile slime さんの望みは、そうした「流動化」のひとつの例ですね。「稼ぎ頭モデル」を現状において支持する方たちは、モノガミーを死守したい、という欲望が無意識におそらくおありになり、それが「保守性」を感じさせる。

harutoharuto 2007/10/30 13:18 排他的なヘテロセクシュアル・モノガミーだけが、近代における個人の人間としての尊厳を保障する「関係性」ではないわけですね。また、そうであってはならない。

シングルのゲイが、老後の生活保障を受け、「核家族」「標準家族」ではない「家族」をもつことで、個人としての尊厳を保障されて、何の問題もないわけです。今市子の漫画の状況のように。

排他的なヘテロセクシュアル・モノガミーだけが、近代における個人の人間としての尊厳を保障する「関係性」である、という、無意識に根付く強固な思い込みと、それにより生じる「関係性の貧困」、たとえば smile slime さんの希望への共感の欠如、が、「保守性」を感じさせるんだと、私は思います。

harutoharuto 2007/10/30 13:38 >僕が若い頃に、「ファンファン」とか「スターリン」とか呼ばれていた岡田真澄

私は、世界史の教科書に掲載されたスターリンの肖像写真を見て、岡田真澄に似ているなあ、と思った世代だったりするんですが、浮名の流し方がドンファンよりすごいから「ファンファン」という以外のあだ名でそう呼ばれていたんですね。知りませんでした。

後年、岡田さんが舞台でスターリンを演じられた時には、やっぱりみんなそう思うのか、と思った次第。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/30 18:53 なんかあいかわらず、でたらめな「赤木智弘像」を喧伝することばかりに必死ですね。

私は「女性が稼いだっていい。ただし扶養という社会責任を果たせ」と言っているのです。
また、ホモだろうがヘテロだろうがかまいませんが、弱者男性にホモセクシャルを強要するようなあなたのやり口には、とてもではないけど、賛成はできません。

しょせん、フェミニズムなどという「女性優遇」社会を理想とするあなたには、男女平等の概念など、理解できないのでしょう。まぁ、今40代のバブル世代の男性が、当時に女性を優遇したのは、その女性が「若かったから」であって、そんなものはフェミニズムでもなんでもない、タダ下半身に率直だっただけですね。あなたの言うフェミニズムなんて、そんなものですね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/30 20:28 >シングルのゲイが、老後の生活保障を受け、「核家族」「標準家族」ではない「家族」をもつことで、個人としての尊厳を保障されて、何の問題もないわけです。

映画『メゾン・ド・ヒミコ』は、『ジョゼ虎』と同じ脚本(渡辺あや)なんだよね。良かった。harutoさんの言うように別に問題もないわけで、モノガミー(近代的一夫一婦制)もそうでない色々な組合せも問題がないわけで、それでいいのではないか。僕が赤木さんが「保守的だろう」と言ったのはそれによっていいとか悪いとか言っているわけではなくて、価値判断をしているわけではない。
>しょせん、フェミニズムなどという「女性優遇」社会を理想とするあなたには、

上の赤木さんの言い方は「油に火を注ぐ」ようなレスであるけれど、括弧付きの「赤木智弘像」、括弧付きの「haruto像」としてロムしています。どちらにせよ、どうして「フェミニズム」の問題になると、クールに論理的にやりとり出来ないのか、それが不思議でいまだによくわからない。harutoさんは、別段、「女性優遇」社会を理想としているわけでもないと思うし、赤木さんも「男性優遇」社会を理想としているわけではないと思う。
もし、そうなら、コミットメントする気がなくなってしまう。
「フェミニズム=女性優遇社会を理想」という考えを端からしていないから、フェミニズムに多少興味があるわけで、「男性優遇社会」を自明とし死守しようとしているわけではない、むしろフェミズムによって「男性優遇社会」が自明のものでなくなり、ジェンダーフリーとしての(男女平等)がシステムとして構築されれば、問題ないわけでしょう。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/30 21:10 そうそう、このことは大事なことです。
>「強者は弱者を養うべき」という「道徳的強要」

男であれ、女であれ、それは当然で、強要出来る問題ではない。当たり前の話で、赤木さんも希望を述べているに過ぎなくて、それによって実証・検証云々は赤木さんの中で引き出し整理するだけの話で、「はい、そうですか」とスルーすればいいだけの話でしょう。仮定の話で、もし、僕が強者女性であんな言い方で広報されたら、引いてしまうでしょうね。「えらそうに」で終わり(笑)。
だから、harutoさん、Smile smileさんの「腹立たしさ」はわかるのです。逆に弱者女性が強者男性に向かって言っても同じことでしょう。道徳強要の馴染まない問題なんで、スルーすればいい、赤木さんの言い方がharutoさんにとって「道徳強要」に感じられるなら、「アホ!」で返して無視すれば済むことでしょう。
ただ、僕は「男」であることによってであるかもしれないが、そこに、「道徳強要」があるとは感じなかった。鈍感かもしれないけれど、多分、赤木さんも意識として「道徳強要」を押し出したわけではないと思う。ただそれが無意識だらから、余計、質が悪いと言われると反論は出来ませんが、でも、赤木さんの具体的な提示は面白いと思ったことは事実です。一件でも応募があったかどうか知りたいです。

kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/30 21:17 映画『メゾン・ド・ヒミコ』は、よかったですね! とくに田中ミンがよかった。ところで、赤木クンは、贔屓目に見てもこの映画のような可能性というか感性はないように思う。どうですか>葉っぱさん。
harutoさんの論理的議論は、「反証可能性」を担保しているのでしょうか? 担保していないのであれば、単に反証できない自らの「信念」を語って赤木批判をしているに過ぎない。
また赤木氏の「 フェミニズムなどという「女性優遇」社会を理想とするあなたには」という発言は、およそフェミズム王道というか本質を「誤読」している。このような「誤読」が赤木さんの弱点だと思いますね!

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/30 22:18 どうも、久しぶりです。
>感性はないように思う。
開かれる感性だから、赤木さんを問わず、「道徳強要」ではなく、
自然と身につけたいし、もし「教育」というものが、これからも有効であり続けるためには、そのような感性を身につけさせることでしかないような気がします。
>「 フェミニズムなどという「女性優遇」社会を理想とするあなたには」

フェミニズムのやりとりはどうして不毛なやりとりになるのか、
いつも不思議に思います。どうやら、フェミニズムに関してそれぞれが、強い刷り込みがあり、「フェミニズム」という言葉を語っていながら「内実」は全く別のものとして偏読、誤読のすれ違いになっている。だからと言ってアカデミックに「フェミニズム学」を勉強した上でとなると、墓場まで持って行くしかない(笑)。
だから、僕は誤読を生む「フェミニズム」という言葉を使わないで、男と女の問題を語れないかと思っています。
第一、いまだに、僕は「フェミニズム」を語れるほどよくわからない。生半可に言っちゃうと、すぐに横やりが入りますからね。
色々なひとが色々言っているでしょう。
ただ、上に書いたように「フェミニズム」はジェンダーとしての「男と女」を解放してくれる思想であるだろうという理解はしています。そうであるなら、「フェミニズム」を信頼出来る。
男にとっても女にとっても大事なものだろうということです。
単に「女性優遇社会」を理想とするどうしようもない思想ではないと思う。もし、そうなら、そんなものは思想でもなんでもないでしょう。

kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/30 22:46 >単に「女性優遇社会」を理想とするどうしようもない思想ではないと思う。もし、そうなら、そんなものは思想でもなんでもないでしょう。

その通り。異議なし! 上野千鶴子は早い段階で、女性解放は「男並みの解放」ではないと、明確に宣言していますね! この場合の「男並み」というのは「強者の論理」という意味です。ですから、フェミニズムは「強者の論理」を求めない。ジェンダーに関係なく「共-存在」を目指す思想のはずですね。

harutoharuto 2007/10/30 22:57 著書を公表し「俗流若者論批判」を適切に行いうる力量のあるジャーナリストでないなら、別にある人物が個人的に「フェミ読まず、フェミ知らずのフェミ嫌い」であることは、それが政策決定などといったかたちで社会的影響を及ぼさない限りは、何の問題もない。

しかし、ある人物が社会評論するジャーナリストであるなら、自分は学者ではない、ということで「フェミ読まず、フェミ知らずのフェミ嫌い」でいつづけてはならないし、そうであっては、そのジャーナリストの書いたものを情報として受け取る読者が困る。フェミニズムは一枚岩ではなく、ネオリベラリズムに親和性の高いフェミニズムを批判するフェミニズムというのはあって、それも含めてフェミニズムの文献をきちんとサーベイしないと、フェミニズム批判はできないわけです。あと、問題は所得や雇用にかかわるわけだから、統計を用いて実態をきちんと提示するか、取材で聞き取り調査をして相手の言葉を解釈なしに自分の質問とともにそのまま載せるか、しないと、「イメージ」による社会批判で、そのどちらもなしでは「俗流若者論」と変わらない。

社会内と家族内における性別役割分業を解消し、「男も女も仕事も家庭も」を実現するというのが、kuronekobousyu さんのいうところのフェミニズム王道、本質で、家庭の外での労働時間だけでなく、家庭や地域で過ごす時間をもつ、しかもそれを「労働時間の残余としての余暇」としてでなく、むしろ、家庭や地域で過ごす時間を基本的人権として要求し、自分の背活、人生のモデルを構築する、というのが、「育時連」(「育児連」ではありません)の男性たちの活動で、これとフェミニズムは無縁ではないわけですね。

さらには、「父子の会」といったシングルファーザーの男性からなるグループへの聞き取り調査を通じた、男性性の男性に対する抑圧の研究も、すでに20年前にある。シングルマザーで母子家庭なら受けられる社会的サポートが、父子家庭だと、「働きなさいよ」ですまされる。中年、日雇いでパートナー女性の側から離縁され子どもを押し付けられた、近代が構造的につくりだすいわば「プロト弱者男性」たちがいる。

社会内の男性メンバーのなかで既存のメリトクラシーでの評価を通じて優劣が決まり、資源配分がなされると、下位メンバーに振り分けられた男性のアイデンティティは不安定になる。それをなんとか安定させてあげましょう、というのが近代のジェンダー規範で、それによって「男男格差」の存在は隠蔽されてきた。どんな男でも女よりまし、だったわけです。しかし、既存のメリトクラシーのなかで社会的下位にある男性メンバーにはルサンチマンがあって、それが別の既存のメリトクラシー、たとえば軍隊では体罰による暴力というかたちで現れもする。これが丸山のエピソードで、あれは、社会のなかに「学歴」とは別のメリトクラシーがありました、というだけのお話。戦後になって丸山が既存の既存のメリトクラシーのなかでどう評価されたかを考えてみれば、丸山個人にとってはエリートの自己批判のきっかけとなるということで意味のある体験でも、別にそれ以外の者にとってはどうでもいいお話なんですね。だから、丸山の評伝でしかとりあげない。その体験が丸山の思想や理論にどう影響を与えたか、ということを研究者が研究することはあるでしょう。

現在でも職人や芸人の世界では「学歴」は意味がありません。吉本興業のタレントになるのに「東大卒」というのはひとつの話題になりはしても、芸の才能がないなら、それだけで終わります。映画や料理の世界なんかもそうでしょう。あるいは、企業でだって職人的スキルの要求される業務ならそうだと思う。

確かに大卒でもコミュニケーション・スキルはなく、リテラシーも低い者はいて、それがただ大卒だというだけで企業で社会的に評価されているという、既存のメリトクラシーの問題点はあります。日本の場合、「報告書もろくに書けない」新入社員を OJT でなんとか使えるようにしてきたわけですね。福祉の面でも国家による社会福祉の提供の不十分さを企業福祉がカバーしてきたけれど、基礎教育と高等教育の不十分さもまた企業がカバーしてきた。そこのコストをもう企業は負えない。OJT でそれができないなら、どこかでそれを行うことが必要なのだけれど、それもまた「自己責任」にされてしまっており、コミュニケーション・スキルとリテラシーは、たとえば、大学受験で推薦入試やAO入試を受けたり、就職試験や面接を受けたりするまで、当人にもその欠如が自覚されていることはない。これはいわゆる教科の学力とはまた別の問題ですね。同程度のコミュニケーション・スキルとリテラシーなのに、どうして大卒だということでそちらが正社員として採用されるのか、という問題は確かにある。といっても、企業の人事というのが、どんな評価システムをもっているのかを個別に調査して、その問題点を明らかにしないと、これもまた「大卒が不当に優遇されている」という「イメージ」だけではすませられない問題なわけですね。

>harutoさんの論理的議論は、「反証可能性」を担保しているのでしょうか?

キャンペーン・ブログでは、私の言説には「私」がない、というご意見があるわけですが、それは語られていることが「私の信念」ではなく、私以外の誰がどこで語ってもよい言説であるから、普遍的に妥当する可能性をもつ言説であるからによります。それが「自分の言葉」という「言葉の占有」にこだわるひとには、抑圧的にうつる。私の言葉は、すでにこうした問題を考える時に誰かが語った言葉、あるいは、誰かが語るであろう言葉の反復、未生の言葉と死後の言葉の反復です。言葉、概念の論理的関係が私の身体より先にあって、その関係のなかで私の社会的身体がそのつど構築される。なので、「反証可能性」は同じように構築される他者の身体が存在する以上、担保されています。

言葉というのは私の思いのままになる道具ではない。言葉は、私より年かさで、私より長生きです。その言葉同士の関係としての論理は、私が生まれる前からあり、私が死んだあともある。いつどこでどんな言葉、論理と言語活動を通じて遭遇するか、これはどんな「他者の言葉」と出会い触発されるか、ということでもあるけれど、私は言葉を占有せず、分有可能なものとして扱う。責任の所在を明確にするために、言表行為において「私」という一人称は用いるけれど、言表の主体は「私」「私たち」ではなく、「あなたと私」になるように。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/30 22:59 >フェミニズムは「強者の論理」を求めない。ジェンダーに関係なく「共-存在」を目指す思想のはずですね。

で、無事女性が仕事についた結果、ハイパーガミー志向の強者女性は、強者男性との結婚を望み、結婚して子供を育てられるような人たちと、結婚すらできない人たちの格差が大きく拡大したわけです。

口先だけでは平等とも自由とも、なんとでもいえます。
しかし、現実をみれば、それは方便でしかないことは明確です。方便を賛美したって、現実問題の解決にはなりますまい。

harutoharuto 2007/10/30 23:14 >フェミニズムは「強者の論理」を求めない。ジェンダーに関係なく「共-存在」を目指す思想のはずですね。

その通りです。その実現が困難となっているのは、構造の問題で、そのなかで個人の選択が決定されている。あちらにも書いた基本的事実を引用しておくと、

高度成長期からバブル期までのあいだ、「男性稼ぎ頭モデル」という家計のあり方が選択されたのは、まず稼ぎが年齢とともに増えることが想定され、稼ぎ頭がいなくなるリスク、企業倒産、リストラ、過労死、が限りなく低かったからですね。

バブル崩壊から長期不況、景気がある程度戻ったといっても利益分配が給与所得ではなく株式配当に偏っている現状では、まず、賃金が継続的に上がる保証がなく、企業倒産、リストラ、過労死による稼ぎ手の消滅を考えなくてはならない。なので、「強者女性」のなかにはリスク分散を図るひとも少なくありません。「稼ぎ頭モデル」は「専業主婦」であれ「専業主夫」であれ、選択しない。リスク回避型の家計モデル選択というのが、行われる。

相手に不労所得があったり、資産があるというなら別でしょうが、給与所得を正社員として得ているひとたちほど、お互いが正社員でなくなるリスクというのを意識せざるをえない。その結果、どちらかがなんらかの原因で失職しても、リスクが分散できるようにしておこうとする。

「稼ぎ頭モデル」自体が、現在は継続が困難なリスクの高いモデルになってしまっている、それが年収のみによって定義される「強者女性」が年収のみによって定義される「弱者男性」を結婚相手として選択しない理由のなかで、第一の理由でしょう。「強者女性」は自らの「強者性」が不安定でもろいことを知っている。

これを超えて、「強者女性」にある種の「道徳」が欠けているのが問題だ、と主張するのであれば、それをしかるべき、政府統計や標本調査、あるいは、取材によって裏付ける必要がある。現在の状況では、「強者男性」が「弱者女性」と結婚するリスクも増大しているから、「強者男性」の側から「強者女性」を選んで結婚する傾向も、調査からわかるといった可能性も少なくないでしょう。「強者男性」だって自分ひとりで家計を支える自信はない、というのは、平均年収が毎年減少する傾向にある現状では、あるでしょうしね。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/30 23:14 >男であれ、女であれ、それは当然で、強要出来る問題ではない。当たり前の話で、赤木さんも希望を述べているに過ぎなくて、それによって実証・検証云々は赤木さんの中で引き出し整理するだけの話で、「はい、そうですか」とスルーすればいいだけの話でしょう。仮定の話で、もし、僕が強者女性であんな言い方で広報されたら、引いてしまうでしょうね。「えらそうに」で終わり(笑)。

まったく違いますね。
強者が弱者を救うことは、当たり前に道徳的に強要されるべきです。道徳がダメだというなら、法律的に強要されるべきです。
もし、それが「おかしい」というなら、それこそ「再配分」自体がおかしいということになります。夜警国家で十分ということになる。すべての社会福祉は否定されなければならない。
栗山さんは、「強者はすべて正しい、貧乏人は死ね」という、ネオリベ社会を希望しているのでしょうか?
そして「貧乏人も生きていける社会を」と要求することが「えらそうに」とあざ笑われる社会を希望しているのでしょうか?

harutoharuto 2007/10/30 23:23 「救いたくても救えない」という「強者」の側の事情をすべて偽りで、その「救いたくても救えない」を欺瞞である、とするのは、たとえば、leleleさんが赤木さんに安定雇用を供給できない、ということひとつをとっても、わかると思う。

構造的に「救いたくても救えない」ということが、どこまで事実であるのか、それをきちんとデータに即して考えないと。

kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/30 23:24 赤木さんは、
>口先だけでは平等とも自由とも、なんとでもいえます。
しかし、現実をみれば、それは方便でしかないことは明確です。方便を賛美したって、現実問題の解決にはなりますまい。

と書きましたが、僕は「賛美」はしておりません。「ジェンダーに関係なく「共-存在」を目指す思想のはずですね。」と含みを持たせて書いています。そのことは赤木さんが言うような実態はそうではないでないという「信憑」を想定してのことでした。だから、上で↑ harutoさんが説いているように、フェミニズムの言説が実態を裏切っていると赤木さんが反証しようと思うならば、そのようなデータを根拠に反論する必要がありますね! それがないと、単なる赤木さんの私的な「信憑」に基づくルサンチマンだと批判されてしまうわけですよ。

harutoharuto 2007/10/30 23:25 訂正

誤:「救いたくても救えない」という「強者」の側の事情をすべて偽りで、その「救いたくても救えない」を欺瞞である、とするのは

正:「救いたくても救えない」という「強者」の側の事情をすべて偽りで、その「救いたくても救えない」を欺瞞である、とするのが無理であり、変であるのは

赤木智弘赤木智弘 2007/10/30 23:26 >相手に不労所得があったり、資産があるというなら別でしょうが、給与所得を正社員として得ているひとたちほど、お互いが正社員でなくなるリスクというのを意識せざるをえない。その結果、どちらかがなんらかの原因で失職しても、リスクが分散できるようにしておこうとする。

正社員はリスクを分散して安心して生活する権利があるけど、弱者男性はリスクを全部抱え込んで勝手に死ねということですね。
どう考えても自己責任論です。ありがとうございました。

話は変わるけど、
妄想を発信するなら、人の議論に乗っかって他人を踏みつけながらするのではなくて、自分の責任で自分の言論として自分のサイトでやれよ。
結局、お前は自分の言論に責任を取る気がないんだろ? だから自分のサイトも作れないし、自分の立場もマトモに表明できない。ただひたすら他人の揚げ足をとっているだけ。
批判だけなら2ちゃんねらーのほうが面白い分だけ、マシだな。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/30 23:36 >上で↑ harutoさんが説いているように、フェミニズムの言説が実態を裏切っていると赤木さんが反証しようと思うならば、そのようなデータを根拠に反論する必要がありますね! それがないと、単なる赤木さんの私的な「信憑」に基づくルサンチマンだと批判されてしまうわけですよ。

 それはぜんぜん違いますね。
 仮にデータ上で「強者女性は、積極的に弱者男性と結婚している」ということが証明されたとしても、現実に結婚もできず、ひとりで生活できるだけの収入が得られない人にとっては、まったく関係のない話です。
 ルサンチマンであろうとなんであろうと、言論は言論です。データでしか言論が成り立たないと考えるのは、悪質な教養主義にすぎません。

harutoharuto 2007/10/30 23:45 ルサンチマンにしても、ルサンチマンか記述の客観的妥当性か、という二者択一ではなく、ルサンチマンそれ自体を記述の客観的妥当性に昇華するというのはあるわけですね。

ピエール・ブルデューというすでに亡くなったフランスの社会学者がいますが、彼は田舎からパリに出てきて、パリっ子である同級生たちのなまりのないフランス語で述べた意見の方が、なまりのある自分のフランス語で述べた意見よりも意見の内容にかかわらず評価されることに傷つけられた。その時のくやしさを忘れずに、彼は学習と研究に打ち込み、フランスの社会学を代表する社会学者となったわけです。彼の研究は、教育が社会につくりだし固定する格差の研究でした。

1998年に、コレージュ・ド・フランスの教授(日本でいえば、東京大学の名誉教授にあたる)ブルデューが野宿者を率いて母校の高等師範学校(エコール・ノルマル)を占拠したことは事件になりました。

ルサンチマンを調査の緻密さとか文献渉猟の執念深さとかにつなげて、記述の客観的妥当性を高める、ということがある。それは学者もジャーナリストも「物書き」なら同じことです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/30 23:50 いっぺんにコメントして下さっているのですが、取りあえずレス出来るものだけ

>強者が弱者を救うことは、当たり前に道徳的に強要されるべきです。道徳がダメだというなら、法律的に強要されるべきです。

僕は男と女の問題は道徳的強要なんて馴染まないって言っているわけで、下(しも)の問題を道徳で言ってもらいたくないし、法律なんて笑止千万でしょう。強者が弱者を救うのは当たり前で、そのことを自明として語っているので、勝手な巻き戻しはやらないで下さい。
だから、以下に続くこの一文は、
>もし、それが「おかしい」というなら、それこそ「再配分」自体がおかしいということになり(後略)

どうしてそんな飛躍をするのか、全くわからないです。
赤木さんの思考過程がトレース出来ない(汗)。
簡単なことではないのですか、恋愛による結婚はとんでもない、
すべて、行政が経済的原則によって、誰かと誰かを結婚させるシステムを強要させるということでいいのですか?赤木さんの考えは?
もし、そうなら、赤木さんは「人に惚れる」ということをどのように考えているのか、

kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/30 23:51 >仮にデータ上で「強者女性は、積極的に弱者男性と結婚している」ということが証明されたとしても、現実に結婚もできず、ひとりで生活できるだけの収入が得られない人にとっては、まったく関係のない話です。

それは、その通りですね! 赤木さんの実感なわけですから、否定のしようはない。

>ルサンチマンであろうとなんであろうと、言論は言論です。データでしか言論が成り立たないと考えるのは、悪質な教養主義にすぎません。

言論の自由もルサンチマン語ることもOKですが、それは「悪質な教養主義」ではなく「批評」足り得ていない、という一点が僕的には気になるところです。赤木さんが「批評」なんか目指していないというのなら、これまでの僕のコメントは無用ですから無視してください。

harutoharuto 2007/10/30 23:53 言論、言説にはそれに対する批判を受けとめる「責任者」は、その言論、言説の生産者、使用者としても存在しても、言論、言説の「所有者」はいない。だから、引用による批判というのが、すべてのひとに開かれている。「俺の著作」と法律で保護された「著作権」を主張するのは妥当でしょうが、「俺の言論」を踏み台にするな、というのは、プロの物書きとしてはダメですね。

harutoharuto 2007/10/31 00:16 >すべて、行政が経済的原則によって、誰かと誰かを結婚させるシステムを強要させるということでいいのですか?赤木さんの考えは?
もし、そうなら、赤木さんは「人に惚れる」ということをどのように考えているのか

これが「弱者性」が年収だけではなく、コミュニケーション・スキルの問題、kuriyamakoujiさんのお使いになる言葉でいえば「関係性」の問題でもある、というところにつながるお話ですね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 00:31 みなさんのコメントを整理してロムできない(悲鳴)。
僕は「自己責任」も「構造的貧困」もどちらも検証にあたいするが、
手っ取り早く、僕の出来ることは「関係性」なら何とか出来そうな気がするというだけの話です。開かれた感性を維持させたい、摩滅させたくないということです。とりあえず、オヤスミ、続きは明日です。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/31 03:58 >kuronekobousyu

>>仮にデータ上で「強者女性は、積極的に弱者男性と結婚している」ということが証明されたとしても、現実に結婚もできず、ひとりで生活できるだけの収入が得られない人にとっては、まったく関係のない話です。
>それは、その通りですね! 赤木さんの実感なわけですから、否定のしようはない。

私だけの実感ではなく、現実です。
ワーキングプア問題をみれば、私のほかにも、そのような人たちがいることは明白です。

>言論の自由もルサンチマン語ることもOKですが、それは「悪質な教養主義」ではなく「批評」足り得ていない、という一点が僕的には気になるところです。

 批評足りえてないのは、それをデータを引っ張って実証しろという側でしょう。
 私はすでに「現実に結婚もできず、ひとりで生活できるだけの収入が得られない人がいる」ということを証明しています。
 一方、harutoは「強者が、すべての弱者を救っている」ということをまったく証明していない。
 この問題では「現実に結婚もできず、ひとりで生活できるだけの収入が得られない人」が一人でもいる限り、平等や自由が達成されているなどという、強者側の言い訳は決して認められないのです。


>kuriyamakouji

>恋愛による結婚はとんでもない、すべて、行政が経済的原則によって、誰かと誰かを結婚させるシステムを強要させるということでいいのですか?赤木さんの考えは?

 恋愛が、強者にのみ供される自由である以上は、私は基本的平等の原則を守るためにも、自由恋愛による結婚など、認める必要はないと考えています。
 なぜ、強者にのみ仕事や恋愛や家庭を作る自由や、共働きでリスクヘッジする権利が与えられて、弱者にはそれがまったく与えられないのか。おかしいとは思いませんか?

 どうしても恋愛結婚したいというなら、どちらかが正社員であることを辞めて、強者と弱者として結婚すればいい。
 「恋も仕事もお金も」などと、全部を得られるような、強者同士のカップリングは、認められません。


>強者が弱者を救うのは当たり前で、そのことを自明として語っているので、勝手な巻き戻しはやらないで下さい。

 そうおっしゃいますが、強者同士の恋愛結婚という強者の自由を先に認める以上は「強者が弱者を救うのは当たり前」は、決して自明とはいえません。
 ましてや、強者同士の恋愛結婚で、世帯間格差が広がることは明白ですから、恋愛結婚の優先は、確実に「強者が弱者を救う」ことと真逆です。
 私が考える「強者が弱者を救う」というのは、強者がその利権を弱者に明け渡すことです。強者が自身の権利を守ったまま弱者を救うなどといったところで、それは単に「余った分を弱者に投げ渡す」という傲慢でしかありません。


>もし、そうなら、赤木さんは「人に惚れる」ということをどのように考えているのか

 別に「惚れる」ことは自由ですよ。
 恋愛でもなんでも勝手にやればいい。

 しかし、結婚によって格差が拡大するなら、それは認めるべきではありません。
 そしてそれを認めるならば、大企業が自分勝手に労働者の賃金を切り下げることも、法人税を安くするように政府に働きかけ、その代替を消費税に求めることも、再配分に反対し、福祉を切り捨てることも、当然、同じように認めることになります。「強者は自分の資産を使って、何をしても自由」なのですから。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 09:10 どうやら、強者/弱者のつかまえ方が違う見たい。
僕は数字上で現れる(経済的)強者・弱者という狭いところでしか、強者/弱者を捉えていない。「恋愛」だとかは、心の問題で強者/弱者とは別の位相でしょう。「恋愛資本主義」と言われる「恋愛」は別のものとして、僕はカウントしている。要するに、心の問題は権力だって、介入出来ないということです。もし、僕に守るべきものがあるなら、どんなことをしても「心の自由」だけは守りたい。それが道徳的強要であれ、法律的強要であれ、差し違えても守るでしょう。
>結婚によって格差が拡大するなら、それは認めるべきではありません。
あまりにも傲慢・不遜な言い方ですね。神の宣告だ。それ以前に実行可能性がない。赤木さんのやり方が実行可能性を得るには、宗教を持ち出すか、人には全員去勢、不妊手術をして、国連なり、国家で人口局を設置して、人工出産で子供を生産して、そうなれば、結婚というシステムでもそうでないシステムでもいいが、再配分の合理的な組合せを行政でやることができるでしょう。
◆しかし、結婚によって格差が拡大するなら、それは認めるべきではありません。
(上の文から何故下の文に結語になるのか、その説明が足りないと思います。僕が訊きたいのは、この間の文(中)なのです。例えばそれを認めても、それにもかかわらず、認めないことも出来るということで、何故、当然なのか、そこが説明不足なのです)
下の文……(省略)

>「強者は自分の資産を使って、何をしても自由」なのですから
え!本当なのって、この場合の強者は「神」なのですか、
どうも、再三くり返すようですが、赤木さんの思考回路が見えなくなりました。ここをロムしている人から僕宛に負け犬同士で噛み合って下さいとのメールが来ましたが(笑)、どうしてこんな風になってしまうのか、徒労感が残ります。
恐らく、強者/弱者を自明の道具概念と使っているが、その内実の掴まえが学者を含めてみんなバラバラなんだなぁと言うことが何となくわかっただけです。今日の強者は明日の強者でもないし、今日の弱者は明日の弱者でもない。まあ当たり前で、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす、か。
死は常に現実化されている、精々一瞬一瞬を精一杯生きたいものです。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/31 13:03 >どうやら、強者/弱者のつかまえ方が違う見たい。

 そうですね。私は以前から栗山さんは「弱者」という存在の捉え方が、あまりに理想主義的過ぎるというか、「弱者には弱者なりの幸せな生き方がある」などと考えているように思っています。
 つまり、強者と弱者では生き方のベクトルが違うだけで、生き方によっては弱者であっても幸福に暮せると考えているのではないですか?
 しかし、強者と弱者の違いは、生き方のベクトルではなく、数字そのものの大小なのです。強者のベクトルは極めて長く、弱者のベクトルの値は短い。たとえ矢印がどちらを向こうとも値の大小は決して変わることがありません。
 私が「弱者を救う」と言っているのは、決してベクトルをクルクル回して「幸せになれる方向を探すこと」ではなく、他人と同じような「矢印の長さ」を弱者にも与えることです。そしてそれが「金」です。


>「恋愛」だとかは、心の問題で強者/弱者とは別の位相でしょう。

 まったく別ではありませんよ。
 結婚を考えれば、恋愛自体も金に左右されるのは、ごく当たり前の認識です。中高校生の素朴な恋愛でもない限り、愛に金が絡まないなどということはありえない。恋愛と金の問題は不可分です。


>もし、僕に守るべきものがあるなら、どんなことをしても「心の自由」だけは守りたい。

 私も同感です。
 そして「心の自由」が結婚という形に成就しうるのは、強者だけですから、心の自由を守るためにも、金によって弱者を救わなければなりません。
 そして、弱者の自由が侵害され続けるかぎり、強者だけが心の自由を謳歌していいはずがありません。
 強者が自身の責任において、弱者の自由を救わないのなら、弱者が強者の自由を認める必要はどこにもありません。


>>結婚によって格差が拡大するなら、それは認めるべきではありません。
>あまりにも傲慢・不遜な言い方ですね。神の宣告だ。
>え!本当なのって、この場合の強者は「神」なのですか、

 強者は弱者との結婚を拒絶することができます。
 強者は弱者の自由を侵害することができます。
 ならば、強者はまさに神でしょうね。「金」という後ろ盾を持った神。
 格差の拡大とは、まさに神を一生神たらしめるための方策です。
 神はこれからも神であろうとするために、強者同士で結婚して、強者と結婚できなければ結婚自体をせずに、リスクを分散するわけです。

 栗山さんが徒労を感じているとして、しかしその徒労は弱者が感じている徒労でもあります。
 生きることすら認められない人たちにとって、「自分の言葉が通じない」「いくら働いてもどうにもならない」「人として認めてくれない」というのは、日常茶飯事のことです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 14:01 だいたい、赤木さんとどうしても超えがたい溝を確認しました。
僕のどこかに「たかが金、されど金まで徹底して世界を見ていない」ところがあるのに、赤木さんは、「たかが金、されど金」で徹底している。そこの違いなんだなぁ、これで矛を収めましょう。
いい、悪いの問題ではなくて、世界解釈の視点の問題だから、仕方がない。本が売れるように念じておきます。この際だから、上手な営業活動をやって下さい。あちらのブログにも書きましたが、本屋さんだけでなく、図書館にもプッシュすべきでしょうね。

terutellterutell 2007/10/31 14:08 赤木さんへ。現在は、独身で貧しい男性がたくさんいるのに、そういう人と結婚する、安定した収入のある女性が非常に少ないから、フェミニズムがある程度実現した、女性優遇社会だとおっしゃっているのでしょうか? 私は、独身で無収入で、ここ数年間、病身で、最近、やっと、息切れが治まり、立ったりすわったり歩いたりすることが苦しくなく、三年ぶりに電車に乗って外出し、ああ、昔は日常生活がこんなに楽だったんだなあ、と感激したものの、相変わらずの無収入ですが、こんな私は、強者女性なの? 弱者女性なの? もし、わたしが結婚相手を探すとすると、たとえば、ホームレスとか、ネットカフェをねぐらにしている男性を相手に選ばないと、女性優遇社会にあぐらをかいていることになるの?

terutellterutell 2007/10/31 14:11 あ、ごめんなさい。kuriyamakoujiさんが、もうこれで矛をおさめましょう、と書いていらっしゃったんですね。すみません。私の登校は、これも含めて、削除していただければありがたいです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 14:42 いいですよ、僕と赤木さんのやりとりに関してであって、
terutellさんや他の方達は遠慮なくコメントして下さい。
二番目の文だけ削除します。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/31 14:46 >terutell さん

>相変わらずの無収入ですが、こんな私は、強者女性なの? 弱者女性なの? もし、わたしが結婚相手を探すとすると、たとえば、ホームレスとか、ネットカフェをねぐらにしている男性を相手に選ばないと、女性優遇社会にあぐらをかいていることになるの?

どうしてそういう理解になるのでしょうか?
私はなんどもなんども「強者が弱者を救うべきだ」「お金のない人間が弱者だ」と繰り返しています。
ならば、当然お金のない女性は弱者であり、弱者女性は強者男性と結婚して、幸せになるべきなのです。

私は一度たりとも「女は強者だ」などと言っていません。「強者女性は強者だ」と言っているのです。
誰が印象を捻じ曲げているのかは知りませんが、私の論理を男女差別であるかのように、理解しないでください。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 14:56 >terutellさん、削除しない方が経緯がわかりやすいので、
削除しません。確かに僕の理解も赤木さんは、一度も「女は強者」だとは言っていないと思います。多分、僕も弱者、terutellさんも弱者として赤木さんはカウントしていますよ。ご安心下さい(笑)。矛を収めると言っても、別の問題だからいいでしょう。

harutoharuto 2007/10/31 16:10 kuriyamakouji さんのお知り合いである東京の青年は、中卒のフリーターという「弱者」から「強者」へと変化した。その意味でこの「強者」「弱者」の規定は個人のライフサイクルにおいて「相対的」ですね。何らかの原因により、彼が失職すればまた「弱者」になるかもしれない。

「弱者」から「強者」へ変化したのは彼の個人としての努力の成果ではなく、既存のメリトクラシーと経済システムを通じての赤木さんをはじめとする他の「弱者」からの不当な搾取によるものなのだから、かつて中卒のフリーターだった彼はいまや「強者」として「弱者を養うべき」である、といえるかどうか。

「強者男性」である彼が「強者女性」と結婚することは「弱者女性」にとって「道徳」に反した行為なのか。また、仮に彼は「弱者」から搾取しているとしても、「弱者女性」だけから搾取しているわけではないのだから、「強者」である彼には、「弱者男性」に対する「弱者を養うべき」という責任は発生しないのか。その責任の果たし方はどうして「結婚」でなければならないのか。

harutoharuto 2007/10/31 16:17 kuriyamakouji さんの東京の若い友人の方の現在のポジションについて、彼がそこにいられるのは「システムを通じての弱者からの不当な搾取」によるもので、「彼個人の努力の成果」ではない、というのは、やっぱり無理だと思うんですね。

スポーツや伝統芸能や伝統工芸と同じで努力を通じて身につけたスキルがあって、それが現在の彼を身体的に支えている。そのスキルがスキルアウトする可能性はゼロではないから、彼は自分の仕事で今のスキルを伸ばしたり別のスキルを獲得しようとしたり、意識的、無意識的にやっていると思う。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/31 18:23 >かつて中卒のフリーターだった彼はいまや「強者」として「弱者を養うべき」である、といえるかどうか。
赤木さんの立場なら言うでしょうね、言論の自由です、だけど、僕の友人は「あ、そう」でスルーするでしょう。その意味を理解しないでしょうね。それでいいではないか、ノートラブルです。
相手が強者か弱者の判定で彼は女の子と結婚しようと思っているわけではない、そんなややこしいことは念頭にないですよ。ただ、彼は結婚して家庭を持ちたいと思っているだけです。それでいいではないですか。
>harutoさん、もう赤木さんと噛み合わないみたいだから、ほっとけばいいのではないですか、何故、ここまで、自分の貴重な時間をさいてまでも、赤木さん?のために、あちらや、こちらに、精力的にカキコするのか、そのharutoさんの動機に興味がありますね。「何がそうさせるのか?」って言うことです。
僕の動機の一つは元書店員として、縁のある人の本が売れればいいと言うことです。
harutoさん、僕は気まぐれだから、長いコメント、多いコメントはロムしない場合がありますから、念のため。
一番、いいのは、harutoさんが自分のブログを立てて、日々更新すればいいと思う。いくらでも書けますよ。それともブログはもうあるのですか、それなら教えて下さい。僕の方からそちらにコメントしますよ。

terutellterutell 2007/10/31 19:29 赤木さん、kuriyamaさん、御指摘、および、削除せずに残すこと、ありがとうございます。それでまた、誤読しているといわれるかもしれないけど、赤木さんに質問なのですが。

経済的強者同士の結婚=経済的弱者への差別

と、赤木さんは考えていらっしゃるのですか。
仮にそうだとすると、

五体満足同士の結婚=五体不満足の人への差別
顔に障害のない人同士の結婚=顔に障害のない人への差別
内臓障害のない人同士の結婚=内臓障害のない人への差別

というようには、ならないでしょうか?

それから、経済的強者と経済的弱者の区別は、相対的なものだと思うのです。
現在の私の状況は、私自身、安定した収入のある人に対しては弱者だと思いますが、住む家の無い人に比べて、強者ではないかと考えています。だから、たとえば、生活保護申請をすると受理されないとかじゃないかな、と思います。
そうすると、どうなのでしょう。
経済的強者と結婚して幸せになる、ってなんか神話みたいな気もするし……

terutellterutell 2007/10/31 19:30 わー、書き間違いです!

仮にそうだとすると、

五体満足同士の結婚=五体不満足の人への差別
顔に障害のない人同士の結婚=顔に障害のある人への差別
内臓障害のない人同士の結婚=内臓障害のある人への差別

というようには、ならないでしょうか?

こうです。

harutoharuto 2007/10/31 21:08 kuriyamakouji さん

関西人である私の動機は「もったいない」の一言につきます。

「関係性の貧困」状況を断ち切り、ひととひとをつなげていけるだけのその「頭のよさ」を、どうして、ひととひととの関係を切断し分断する方向に使ってしまうのか。「もったいない」なあ、と思う。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/11/01 00:15 僕は広島の呉に生まれてすごしちょるけん、仁義なき戦いの菅原文太の台詞。
「ワシ等うまいモン食うてよ、マブいスケ抱くために
 生きとるんじゃないの。ほいじゃが銭が無きゃ出来ゃせんのでぇ、 ほいじゃけ銭のために体張ろうゆうんがなんでいけんっちゅうんなら、おう!」
 赤木さんは、文太と同じく、この世は「ゼゼ」で世界解釈しているわけで、リスクを負っている。いわば、仁義なき戦いを受け入れているわけ。
僕はそこまで徹底できない軟弱なところがあるから、「関係性に拠り所」を求めているわけです。「仁義」を信じているわけ。そこの違いがわかったから、それでいいではないかと思っている。

harutoharuto 2007/11/01 11:37 kuriyamakouji さん

>赤木さんは、文太と同じく、この世は「ゼゼ」で世界解釈しているわけで、リスクを負っている。いわば、仁義なき戦いを受け入れているわけ。

あと、これだけコメントさせてください。

私は赤木さんは現在の「仁義なき戦い」の「仁義のなさ」を理解できていないと思います。

私には年齢を問わず左翼の知人、友人も多いですが、グッドウィルにいる友人もいる。彼が企業の人事のことについてよく話すお話があります。それは「失敗」についてです。

ある人物が「失敗」をする。それ自体は問題ではない。しかし、その人物が「失敗」を自覚し同僚たちと協力しつつ「自らの努力」を通じて克服することができず、同じ「失敗」を繰り返し企業に損害を与えつづけるのであれば、その人物を評価しない。これが企業人事のお話であり、「仁義なき戦い」の「仁義のなさ」の一端です。

著書が出てこれまで以上に世の中の人々は「赤木智弘」のふるまいを通して「弱者男性」のイメージをつくります。「赤木智弘」がネオリベにつけいるすきを作れば、それは「赤木智弘」個人の問題にとどまりません。「弱者男性」の社会からの待遇に影響が出る可能性があります。これは「俗流若者論」よりも大変です。「生きた証拠」とされてしまうわけですから。「仁義なき戦い」では「攻撃は最大の防御」というだけでなく、「脇の甘さ」が命取りです。

私が使ったテクスト分析というのは技術ですから、それ自体は、一丁の銃が革命にも革命の阻止にも使えるように価値中立的です。ネオリベはこの武器の使い方を知らない、と考えるのは、映画「仁義なき戦い」の「仁義のなさ」を甘く見ていると思うわけです。

「赤木智弘」はかつて「自己否定」に苦しんでいて、「自己肯定」できる道を探そうとした。それはいい。だからといって、たとえば、文章を書くということにおいての自分の「失敗」を自分で対象化して「失敗」であると認識し自覚し、周囲にいるひとびとと協力しつつ克服する「努力」を怠り、同じ「失敗」を繰り返してしまうというふるまいを「赤木智弘」がしてみせれば、それはネオリベの思うつぼです。

「仁義なき戦い」であるからこそ、武器をもう一度確かめなさい、そして、あの映画の文太のように「頑固さ」と「素直さ」を両立させなさい、ということを私は言いたいだけです。別に「赤木智弘」のためでなく、彼とともに「仁義なき戦い」を戦っている、私も含めたひとたちのすべてに向けて。

そして「仁義」というのは「仁義なき戦い」のなかでこそ信じられるものだし、そうでなければならないものだ、と私は思います。kuriyamakouji さんは赤木さんとは戦線と戦略、戦術が異なるだけでしょう。

長々とコメント、失礼しました。以後、コメントは控えさせていただきます。

赤木智弘赤木智弘 2007/11/01 11:38 >terutell さん

>五体満足同士の結婚=五体不満足の人への差別
>顔に障害のない人同士の結婚=顔に障害のある人への差別
>内臓障害のない人同士の結婚=内臓障害のある人への差別
>
>というようには、ならないでしょうか?

 なりません。
 問題は金だけだからです。
 もちろん障碍の大きさによって、生活に必要な金が変わってきますから、その辺は考慮するべきですが、最終的には金でのみ強弱は決定されます。
片腕がない程度の年収1000万の人間なら、五体満足の年収100万円の人間よりも強者です。

ところが「障碍者は絶対的な弱者なのだ!」などといって、強者を弱者であるとごまかすような言論がまかりとおることがあります。
そのような言論が、本物の弱者を傷めつけてきたのです。

赤木智弘赤木智弘 2007/11/01 11:41 >h
>「関係性の貧困」状況を断ち切り、ひととひとをつなげていけるだけのその「頭のよさ」を、どうして、ひととひととの関係を切断し分断する方向に使ってしまうのか。「もったいない」なあ、と思う。

「盗人猛々しい」以上

terutellterutell 2007/11/01 13:00 >赤木さん
>問題は金だけだからです。
(中略)
>ところが「障碍者は絶対的な弱者なのだ!」などといって、強者を弱者であるとごまかすような言論がまかりとおることがあります。
>そのような言論が、本物の弱者を傷めつけてきたのです。

そう思っているのは、赤木さんが、五体不満足でもなく、顔に障害もなく、内臓にも障害がないからではありませんか?
五体不満足の人のなかには、五体不満足の人こそ本物の弱者なのに、金がない人こそ絶対的弱者だという主張によってわたしを痛めつける、と思う人がいるかもしれないし、顔に障害のある人のなかにも、内臓に障害のある人のなかにも、「わたしこそ本物の弱者なのに」と思う人がいるかもしれませんよ。わたしだったら、顔もからだも湿疹がひどいときに、全身の湿疹で苦しむ人間こそ本物の弱者だ……とは言いませんでしたが、テレビでどんな弱者を見ても平気だけど、わたしと同じようなこんなひどい湿疹の人間が出てくる姿だけは見たくない、つらすぎる、って思っていました。言葉や概念で本物の弱者とは思っていなくても、感情や態度では、そういうふうになってしまいます。だから、少なくとも主観的には、赤木さんの、「金がないのが本物の弱者」というお考えに対して、確かにそれも弱者だけど、他の条件でも「本物の」弱者になる、と思います。誰がその当事者に向かって、あなたは「本物の」弱者ではない、と言い切れるでしょうか? そして、わたしこそ「本物の」弱者だという人が、赤木さんと同じように、わたしと同じ病気や障害のない人たち同士の結婚は、わたしのような病気や障害のある人間に対する差別だ、と言ったときに、あなたはまちがっている、と言えるでしょうか。

lelelelelele 2007/11/01 14:24 harutoさん、

>たとえば、leleleさんが赤木さんに安定雇用を供給できない、ということひとつをとっても、わかると思う。

こちらの事情もわかってないのに、こういうことを書いてはいけません。家庭の事情などがあって企画が思うように進行せず、今年の出版点数が少ないので売上があがらず、定価の安い本を出すためにデザイナーや印刷所に無理を聞いてもらい、自身は1日の食費を1000円以内にしないと立ちいかないのが実態なんです。
それで上記のような、「出版社の人だから強者だ」などいう俗流な固定観念で物言いをされても、困るんですよね。出版社を経営してたって、生活がぎりぎりの人だっているんです。
あと、赤木さんが弱者の強者の差異を語るときに、お金を指標にするのは、それ以外の指標だと、どうしても「犠牲の累進性」みたいな話になってしまうからなんだと思うんですよね。「私はあなたより、こんなふうにたいへんだ」とか、「あなたの貧困よりも、カンボジアのスラム住人の貧困のほうが深刻だ。だからあなたは我慢しないさ」という議論になりがちだ、ということです。
それはそうですよ、人の抱える悩みは個別具体的なんですから。
お金を指標にすると、ぱっと見は乱暴で雑でクールな議論に思えますが、感情的になりがちな「犠牲の累進性」をある程度は除いたうえで議論ができるという意味では、「ひとつの考え方」として認めてもいいと思います。
お金以外の指標を持ち出すときには、抱える困難や問題をケースバイケースで議論するしかないでしょう。いろんな困難を持った人が、それぞれの自己主張に基づいて議論をすると、どうしても弱者同士で感情的な弱者合戦みたいなものを再生産するだけになってしまうのでは。

harutoharuto 2007/11/01 15:15 kuriyamakouji さん

leleleさんへのレスをお許しください。

leleleさん

>こちらの事情もわかってないのに、こういうことを書いてはいけません。家庭の事情などがあって企画が思うように進行せず、今年の出版点数が少ないので売上があがらず、定価の安い本を出すためにデザイナーや印刷所に無理を聞いてもらい、自身は1日の食費を1000円以内にしないと立ちいかないのが実態なんです。
それで上記のような、「出版社の人だから強者だ」などいう俗流な固定観念で物言いをされても、困るんですよね。出版社を経営してたって、生活がぎりぎりの人だっているんです。

そういう出版社の存在は私も知っています。では、端的におうかがいしますが、赤木さんの定義からして leleleさんは「強者」ですか「弱者」ですか。お答えになりたくなければ、この質問には答えてくださらなくて結構です。

また、「救いたくても救えない」という事情が「強者」の側にある、というお話は、leleleさんが仮に「弱者」であるとして、上の leleleさんのご事情についてのお話と矛盾しますか。これは、一見「強者」に見えても実情は、というお話ですよね。

>お金を指標にすると、ぱっと見は乱暴で雑でクールな議論に思えますが、感情的になりがちな「犠牲の累進性」をある程度は除いたうえで議論ができるという意味では、「ひとつの考え方」として認めてもいいと思います。

問題は赤木さんが「ひとつの考え方」ではなく、「唯一の考え方」であると考えているところにあるんじゃないでしょうか。このコメント欄を見ればおわかりになるように、それに対して、感情的ではないにしても、terutell さんの疑問が生じ、kuriyamakouji さんの諦念をともなった達観が生まれている。なので、

>どうしても弱者同士で感情的な弱者合戦みたいなものを再生産する

むしろ、これを触発しているのは、彼のブログの掲示板でもそうでしたが、赤木さんの「柔軟さ」との両立を欠いた「頑固さ」であると、私は思います。

November1November1 2007/11/01 18:03 お金の問題にフォーカスを絞って、そこから意地でも話を逸らさせないからこそ、赤木さんは信用が置ける。
自分はそう感じています。

harutoharuto 2007/11/01 21:39 >お金を指標にすると
>お金の問題にフォーカスを絞って

これは違うでしょう。それだけなら問題は何もない。
老若男女国籍人種民族学歴セクシュアリティetc.を問わない「強者」と「弱者」のあいだの所得再分配という「構造」のお話ですから。それなら「階級」という言葉でこれまでもされてきた。

そこに「男性」「女性」というジェンダーやセクシュアリティに関わる「関係性」の問題を持ち込んでいる。そこが問題です。むしろフォーカスが絞りきれていないのが問題。

kuriyamakouji さん

すみません、たびたび。これで本当にコメントは控えさせていただきます。別のところにコメントとして、ここのコメントに書いた「仁義のなさ」のお話の別バージョンを書きました。よかったらお読みください。それでは。

http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10053440342.html#c10074647533

November1November1 2007/11/01 21:50 みんななかよく の所でしたか。
そこと葉っぱの「歩行と記憶」と希望は、戦争?blogはいつも参考にさせてもらってます。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/11/02 00:30 みなさん、コメントありがとうございます。
日付は変わりましたが、昨日は病院の診察、天満橋の図書館、それから、ジュンク堂天満橋店で赤木さんの本を購入。社会学の棚にありましたね、でも、在庫は一冊だけでした。それから、ナンバの市民学習センターで生田武志のセミナーに出ました。会場で「フリーターズフリー」を販売していましたが、3000部刷って2500部以上売れば何とか第二号が出版出来るみたいですね。未購入の方は、是非ともご購入下さい。1500円です。
疲れましたので、じっくりやすみます。
コメントのレスは目が覚めてからですね、オヤスミなさい、
そうそう、31日付けの毎日新聞の夕刊の「雑誌を読む」の今月の担当は武田徹さんで、とても示唆に富む記事で赤木さんのことも触れていましたね。

赤木智弘赤木智弘 2007/11/02 09:30 terutell さん

 先に回答したのと、同じことを繰り返します。

「もちろん障碍の大きさによって、生活に必要な金が変わってきますから、その辺は考慮するべきですが、最終的には金でのみ強弱は決定されます。」

 誰かさんが「赤木は柔軟性がない」などと印象操作をしているようですが、私はいつでも柔軟性を担保したうえで、結論を述べています。そのことを確認してください。

ClossOverClossOver 2007/11/02 09:43 terutell さん

 では、こちらからお聞きしますが、障碍者の苦しさは、何によってフォローアップされるべきでしょうか?
 障碍者が不憫だからといって、障碍を簡単に治療することはできないし、一生障碍と付き合っていかなければならないこともある。
 そうしたときに障碍者の助けになるのは「金」です。
 金があれば、活動の一部を代替する器具を作ることもできるし、質のいい治療やケアを受けることができる。
 そしてなによりも、家族という個人に縛られない、人を雇っての介助などもできるようになる。
 私は、障碍をできるだけ金に換算して、分厚い補助を行うべきだと考えています。そのためにも強者は弱者に対して再配分を行う義務があります。
 私が「強者と弱者の結婚」というのは、結婚という一対一の関係性を変化させるだけで再配分が十分に完了するという「軽度」の格差に対する簡便な処置ですから、「重度」の格差に該当するような障碍に関しては、もっと厚い扶助を行う必要があります。

赤木智弘赤木智弘 2007/11/02 09:45 名前欄の変更を忘れてました。
ClossOver=赤木智弘です。

新刊本買いました新刊本買いました 2007/11/02 10:33 >「重度」の格差に該当するような障碍に関しては、もっと厚い扶助を行う必要があります
同意します。
誰が言っていたのかは失念しましたが、お金が十分以上にあれば実存の問題のほとんどは解決ないし軽減しますしね。

07/10/29

[]したたかと言われて久し栗をむく(中曽根康弘したたかと言われて久し栗をむく(中曽根康弘)を含むブックマーク したたかと言われて久し栗をむく(中曽根康弘)のブックマークコメント

 赤木コミュから、時には腹立たしく、時には考えさせられるリンクページが紹介されますが、そのうちの二つを公開します。

◆一個1500円のマグカップでコーヒー飲みながら護憲って いうわけです。

僕は学生時代の一時期、「茶道」をやっていたわけで、どうせなら、「九条護憲茶会」をやればいい。千利休時代は茶室でロビー活動を行っていたわけで、まあ、中曽根さんも茶室外交をやっていたか、「奥多摩の日の出山荘(記:御厨貴)」ですよね。僕の好きな山荘は丹下左膳大河内伝次郎が私財を注ぎこんで作庭した京都嵐山にある大河内山荘です。今の季節では紅葉に映えて庭が光っているだろうな、近々行ってみたい。

何故、護憲が「マグカップ」になるのか、「茶碗」にならないのか。そんなことを考えてしまった。

田中優子「何を持つのか、何を持たないのか」では、「戦争/自尊心/革命」がキーワードでしょう。一方が戦争に行き、他方が革命に行く分水嶺はなんなのか、「自尊心」、「アイデンティティ」は魔物です。そんな「自尊心」や「アイデンティティ」をアイロニカルにメタ化して、それでも「リアルな生」を生き得るとしたら、どんな「生」があり得るのか、予測不可能で、説明不可能でしょう。どこか、深いところで、実感という儚げな棒を大地らしきものに突き立てて歩くしかないのでしょう。

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07/10/28

kuriyamakouji2007-10-28

[]「自己責任的「貧困」/関係性「貧困」/構造的貧困」 「自己責任的「貧困」/関係性「貧困」/構造的貧困」を含むブックマーク 「自己責任的「貧困」/関係性「貧困」/構造的貧困」のブックマークコメント

 月刊誌『オルタ』の短期連載「PRIDE OF X」のコラムは毎回筆者が変わるが今回(10月号)は雑誌『フリーターズフリー』のメンバーでもある栗田隆子が『「構想的貧困」を本気で考えるために−−無力からの出発』という気になるコラムを書いている。僕は「自己責任的「貧困」/関係性「貧困」/構造的貧困」という関連がアタマにあって、簡単に自己責任には勿論、構造的なものにも還元出来ないところで新たな一歩の切り口を捜すしかないのではないか、それがどうやら、「関係性ではないか」と考えている僕としては、栗田さんのこの一文は腑に落ちるところがありました。

 一部を引用します。赤木さんは、「縦の連帯」、「横の連帯」という言葉を使っていましたが、縦も横も含む「縦横無尽」というイメージが「関係性」にはあると思われる。

 貧困を「自己責任」ではなく社会の「構造」として促えようと、「構造的貧困」という言葉も生まれている。その姿勢はとても重要だとは思う。しかし「構造」という言葉を「免責」のためだけに使用していったとしたら、それはひどくさみしい光景だ。私は、わるくない。そうだ、わるくない、わるくない、わるくない……。その光景から見えるものが結果として自分を責める「敵」か自分を許す「同志」だけであるならば、なんと世界の幅が狭くなってしまうことだろう。

 そうして、フリーター問題は流行(のよう)になり、流行が過ぎ、マス・メディアが取り上げなくなったとき、フリーター問題も解決されたと見なされるのではないか、半ば被害妄想気味に思ってしまうのだ。フリーター問題がただの「時流」と化した時、フリーターが、否、「仕事」からあらゆる形で馴染め得なかった(ように見える)人々が、フリーターとも、名指されず、ただの名指しに戻り、無関心という暴力に晒されていくのではないか、と。

 そのような無関心の暴力から、id:leleleさんが書いているように抹殺されない刃には成りうる一冊の本(赤木智弘著『若者を見殺しにする国』)としての編集者の強い思いの一端があったことは間違いない。

 とはいえ、この「不安定労働」という問題は「流行り」の問題では決してなかった。常に常に取り残されてきた。だからこそ形を変え、気味の悪い不死鳥、あるいは鵺のごとく、何度も何度も出現してくるように見える。

 それこそ元来は「構造的貧困」を考える立場であろう行政機関等が、「構造的貧困」を打撃するのではなく、常に「個人」としての「貧困者」を打撃しているのだから(公園に住んでいる路上生活者に対し、有無を言わせず「代執行」という名のもとに排除していく構図は、何度も繰り返されている)、この国では「構造的貧困」などというものを「認識」すること自体が難しいことなのかもしれない。それゆえ「構造」という言葉を自己免責のために使うだけでは、実に狭く、もったいない話なのではないだろうか。

 もっと言おう。フリーター達が自己責任だと思いたいというその背景には「自分にはこの事態を改善できる力がある」と思いたい、自分の力を信じたい、そういう切ない願いがあることを、無視したくない。その願いのなかに「構造」という言葉が入り込むことは、実はとってもとっても残酷なことなのだ。「社会人」などという恐ろしい言葉があるが、「仕事をする」ことが「社会人」になるということであれば、その「社会」に「構造」というものが存在しているのであれば、「自分」の力というものをどれだけ尽くし、足掻き、頑張っても、「お前は無力」と突きつけられることに等しい。自分がどんなに足掻いても「逃げ場はない」ということを、身をもって知らされることだ。

 関係性の中で人は生きるんだと、そこ以外の場所はどこにある?出家も一つの選択肢かもしれないけれど、そうでなければ、不断に他者を見いだし、関わって生きるしかない。そのことが「社会人になる」ということなら、それは結果に過ぎなくて、どろどろと「関係性の中で生きる」ことが、「自己責任」とか「構造」とかそんな賢しらな分析より大事なことかもしれない。

 だからこそ、私が働ける場を創りたい。正直私が働いた方が却って他人に対して迷惑となることもある。迷惑になるから働かないのではなく、だからこそ働きたいのだ。仕事における「迷惑」や「トラブル」のなかに潜む力を認めることが「無力」であること、そして関係を持つ「苦労」の出発点だ。そしてその力が「個」と「構造」の両方を変えていくのだと、時に投げやりに、時にマジメに信じながら、少しずつ、本当の意味で多様であること、そしてその面白さを具現化してゆきたいと思っている。

 そのような働ける場がこのうようなグローバル化が進展してゆく新自由主義システムの中で可能かどうかは、己の実存を摺り合わせて、いまあるこのシステムを(超資本主義社会と呼ぼうが無痛文明社会と呼ぼうが)メタ的に玩弄するぐらいに凝縮して<遊ぶ>(働く)になる余白を持つことだと思う。たかが、この「世の中」ではないか、怖れずに足らずでいいのだと思う。

 参照:書籍出版 双風舎

[]雨宮処凛プレカリアート雨宮処凛『プレカリアート』を含むブックマーク 雨宮処凛『プレカリアート』のブックマークコメント

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

 id:kanameさんが、赤木言及リンク集 その2をアップしてくれました。さっそく読み始めたのですが、『通勤者のためのブログ記事を探せ!(第4回)』は、大仰でない誠実な物言いなのに、とても痛いことを書いている。こういう大人もいるんだと嬉しくなります。他のリンクされた記事も追々読みます。

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07/10/27

[][]暴本の「暴」って、 暴本の「暴」って、を含むブックマーク 暴本の「暴」って、のブックマークコメント

 もう、旬ではないかも知れないが、図書館で借りたコミック、久世番子の『暴れん坊本屋さん 1・2・3卷』を一気に読みました。出版流通事情のオモシロ入門本としては、「よくぞ書きました」と合格点でしょう。でも、三巻で完結なのかなぁ、ちょいと欲求不満が残ります。まだまだ、本屋のオモシロ・エピソードはあるし、4・5・……、と続卷を出して欲しい。新中古書店、ネット書店、そして古本業界にも言及しないと、出版流通の流れが見えませんから、作者の筆力とユーモアセンスに期待して、何とか再販維持制度までアクセスして欲しいですね。再販維持制度がいいとか、悪いとかではなくて、「再版維持制度」ってナンダロウと「問い」を表に出すって言うことです。別段、僕は業界の「暴露本」の「暴本」を出して欲しいと言っているわけではなく、あくまで、『暴れん坊本屋さん』の「暴本」のセンスで描いて欲しいのです。

 ところで、『若者を見殺しにする国』は、地元の本屋さんには、まだ入っていません。梅田のジュンクとか紀伊国屋とか旭屋とかブックファーストのような大書店にはもう入荷しているのでしょうか、ところで、念のためネット書店bk1で検索したら、ヒットしなかったです。図書館流通センターにはまだ入荷していないのでしょうか。

暴れん坊本屋さん (1) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)暴れん坊本屋さん(2) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)暴れん坊本屋さん(3) (ウンポコ・エッセイ・コミックス3)若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

[]在野の書評家「古谷利裕」 在野の書評家「古谷利裕」を含むブックマーク 在野の書評家「古谷利裕」のブックマークコメント

 偽日記の古谷利裕さんが、文藝賞受賞作品磯崎憲一郎『肝心の子供』の書評を連日、アップしていますね。2007年10月23日、24日です。古谷さんのまとまった一文を読むには『風の旅人』の連載コラムがあるのですが、最近、『風の旅人』を購入するとまっさきに読む記事ですね。ところで、その古谷さんが、11月3日に中央大学の多摩キャンパスで保坂和志との対談講演会に出演ということですが、偽日記によると、保坂さんとの打ち合わせで映画『インランド・エンパイア』の話になりそうですね。映画好きの方には刺激的な講演会になると思います。勿論、小説の話もあるでしょう。

 ところで、古谷さんが、この講演会を紹介した読売新聞の記事に言及して、「作家の保坂和志さん、在野の書評家と対談」というタイトルになっており、いったい、「在野の書評家」ってなんだろう?と、07/10/25(金)に記事アップされている。

 このプロフィール問題に関して『風の旅人』は編集方針として、見事に肩書きを掲載しないですね。これも一つの見識です。例えば、保坂和志、茂木健一郎もここに連載コラムを書いていますが、作家だとか、脳科学者とか言った紹介はない。生まれ年と、出身県だけです。

 そう言えば、雑誌『オルタ・1月号』で書評を頼まれたおり、プロフィールを書けとの要請に困った記憶があります。かって、ある出身高校の紹介に「書評家」とあったので、「そんな、プロではないし、恥ずかしい」、「元書店員」と書き直してもらったことがありました。まあ、書評って、プロとアマの境界線があいまいなところで鬩ぎ合っているから面白いところがあるので、結構、ネットの書評を愛読しているわけです。

 同業者の書評って「中立公正」っていうような逃げがあるのか、それと実名という枷もあるのか、ある縛りを感じますが、匿名の中にとても面白い書評があることがある。勿論、90%以上はノイズですが、そのゴミ山に「熱くて痛い」書評を読むことが出来る場合がある。しかし、「在野の書評家」って考えましたね。

 『オルタ』のプロフィールでは、「書店員などを経て現在年金生活中」になりましたが、ある人から大笑いされました。「年金生活中」だなんて、だってそうとしか言いようがない。

brarybrary 2007/10/27 20:34 ごぶさたしています。『暴れん坊本屋さん』、迂闊にも知りませんでした。探して読んでみます。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/27 21:25 「ブ」にもあると思いますよ、作者は書店員兼漫画家なので、実体験のエピソードから、取次にも取材に行って、結構、出版流通業界に切り込んでいる。ただ、もっと、もっとネタはあるはず出し、三巻で終わりにしないで、続けて欲しいですね。オススメですよ。しかし、彼女のメジャーデビュー作が『少年愛の世界』で、B・L出身なのです(笑)。だから、そんなネタも出てきます。

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07/10/26

[]小説の誕生(又ひとつ) 小説の誕生(又ひとつ)を含むブックマーク 小説の誕生(又ひとつ)のブックマークコメント

文藝 2007年 11月号 [雑誌]

文藝 2007年 11月号 [雑誌]

 第44回文藝賞磯崎憲一郎『肝心の子供』、丹下健太『青色賛歌』に決まったが、丹下健太の小説は今時の若者、彼は就職氷河期世代にあたるのであろうけれど、小石を集めてキャプションって言うか、日記メモっていうか、そんなタグをつけて日々暮らす恋人と殆どセックレス状態であるけれど、何か満ちたりた、その恋人からせつかれて、束の間、同棲の恋人が可愛がっていた猫をビラまで作成して主人公はフリーター仕事の合間に街中を探し回るのですが、時たまその猫探しが「自分探し」みたいなものに重なる。

 あくまでユーモアたっぷりで、軽快なリズムがあって、主人公は正社員になってしまうのであるが、一方友人の一人は正社員であったのに、退職してフリーターであることを選ぶ、そんな往還を「あっち」と「こっち」という意味還元を厳密にしない言い方で、「あっち」と「こっち」を溶解させるフリーター/正社員小説とも読めるが、そんな窮屈な読み方はしない方がいいのでしょうね。

 フリーターとしてのアジテーションとかメッセージは赤木智弘の『若者を見殺しにする国』に任せますか、

 『肝心の子供』の選評は尋常ではなかったですね。特に選者の保坂和志は《選考委員は一読者として、「この小説を受け入れることができる能力を持っているか、そうでないか」という逆の、試される立場に立たされることになる。」》と言い切ってしまう。選者が試されているとは、怖るべき小説と言うしかない、作品が文学史上の「事件」になったというしかないでしょう。

 読了した感想は、勿論そこまで明確に書いていないが、逆進化論って言うか、輪廻転生とも違う。その前に僕が読んだ松浦理英子の『犬身』の余韻もあるかもしれないが、ひょっとしてブッタの孫は「人にあらざるもの」、保坂さんは、《ブッダの孫にあたるとされる男が猿になってしまった話》と読んだみたいですが、鷲でも鷹でも鳥になってしまったとも飛躍が出来る。それは猿→鳥という進化の逆まわり、逆まわりではなく、「人から猿」、「人から犬」、「人から猫」、「人から鳥」のような変換も進化ではないかという妄想みたいなものが僕の読後感にありましたね。

 輪廻転生とも違う、前世に善きことをしたから、ミミズになってもいいわけで、ピラミッド型の進化の階段を無化する妄想なんです。そんな思わぬことを考えさせてくれた小説でもありました。勿論、色々な読みがあるでしょう。読み手の深いところを刺激し、驚かせる小説に間違いない。

 生まれ変わって又「人間」になることがそんなに良きこととは思われないところがあります。勿論、「神」、「仏」にも、理英子さんは、「犬」ですが、僕はボードレールの自堕落な「猫」になりたい。理英子さんは「種同一障害」みたいな分析を試みていたが、『肝心の子供』はそういう精神分析を受けつけない。時空を超えて神話的な世界が立ち上がってくるのです。

 この作品がブッダの実話に材をとったかどうかということは、文章の強度・密度をみれば一目瞭然で、そんなこととは別次元にある。一文一文が未知で不確定な世界に分け入ってゆくこの作品の文章の強度は、まさに小説というフィクションでしか実現しえないものだ。30年以上にわたる歳月が強靱な消化力で飲み込まれるといえばいいか、非情な何物かの力によって押し流されるいえばいいか。目に見えるくらいの具体性を持った細部とボルヘスのような思弁が違和感なく接合され、自我や個人の生の一回性など楽々乗り越えられてゆく。この作者は素晴しい身体性を持ったボルヘスに違いない。−保坂和志『文藝賞選評』よりー

 磯崎氏自身が書いている小説論(ふたつの)の受賞の言葉も面白い。

 ひとつは、小説とは現実に先行するものでなければならないのではないか? ということ。――数年前までの私は、現実の過去のなかには記録されるべき場面が確実に存在するのだから、それを地道に描写することである程度まで保存できていれば、小説としては及第点なのではないか? と思っていた。つまり小説は現実の内側にある、と考えていたわけだが、いまではまったくその逆で、小説は現実に先立って、現実を引き寄せるようなものでなければならない、と考えている。事実として成立し得るかどうか? ではなく、書かれた瞬間に「もう、そうとしか思えない」ものとして成立してしまう、それこそが小説なのだろう、と。

 もうひとつは、小説という完成されたジャンルにおいては、無理に新しさを求めてはならないのではないか? ということ。――たとえばロックというのは、異常な速さで誕生から成熟・完成に至った音楽で、1950年代半ばに誕生して68年から72年頃にはジャンルとして完成している。ならば小説というジャンルが完成したのはいつごろなのか? と考えると、それはやはり1920年代なのではないか。完成されたジャンルにおいては、前衛的な要素はむしろ邪魔する。小説にもともと内在する力に寄り添って、その力に作者は身を任せなければならない。逆説的な言い方になるが、無理に小説に新しさを求めないことこそが小説を再生し続ける、ということなのかも知れない。

 『文藝・冬号』は笙野頼子特集で、笙野頼子の圧倒的な存在感が凝縮されたガイドブックにもなっていて、読み応えのある一冊ですね。

[]極私的(お葬式) 極私的(お葬式)を含むブックマーク 極私的(お葬式)のブックマークコメント

 咋日は一日中、縁者の葬式で瀬戸内の山と海に挟まれた記憶の村に出かけました。最新の映画『釣りバカ日誌』でロケハンされた場所でもありますね。

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07/10/24

kuriyamakouji2007-10-24

[]新刊情報♪諸々 新刊情報♪諸々を含むブックマーク 新刊情報♪諸々のブックマークコメント

 『オルタ 10月号〜〈特集〉韓国社会―改革/革新の10年〜』が発売されましたね。それと、赤木智弘著『若者を見殺しにする国』も双風舎情報では明日配本追記:一日配本が遅れるとのことです。)とのことです。ブログの方で配本日の当日に平積みで販売される可能性の高い書店(東京都内の情報のみですが)を広報しています。明日は親族の葬式があって、久しぶりに岡山に出かけるので、大阪を始め、これはという本屋さんを覗いてみます。

ところで、『オルタ5月号』に掲載された雨宮処凛×赤木智弘の対談が公開されています。http://www.parc-jp.org/main/a_alta/alta/2007/05/talk

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

hosonohosono 2007/10/24 20:51 5月号はもっと刷っておけばよかったです…。いつもありがとうございます!

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/24 22:06 雑誌は一回こっきりだから、刷り部数の判断は難しいでしょうね。
定期購読だけでなく浮動票(非定期購読)がどれくらい占めているのか、通販が原則の雑誌と店売りが原則のものと、全然違う刷り部数決定をするのでしょうね。

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07/10/23

[]長妻昭インタビュー記事(タケダジャーナル) 長妻昭インタビュー記事(タケダジャーナル)を含むブックマーク 長妻昭インタビュー記事(タケダジャーナル)のブックマークコメント

 NBonineのタケダジャーナル武田徹とネット、とメディアで長妻昭さんとのインタビュー記事が面白い。官僚から「本当の話」を聞き出す方法〜ミスター年金・長妻昭氏に聞く取材テクニック【前編】です。後編も早く聞きたいです。

[][]マンガ批評・漫画学 マンガ批評・漫画学を含むブックマーク マンガ批評・漫画学のブックマークコメント

KINO Vol.1KINO Vol.02 思考としての『ガンダム』KINO〈VOL.04〉KINO  Vol.3

 「ゲンダイモンダイ」さんが、前回に続き『日本の漫画論 後編』を音声アップしています。

 日本の漫画・アニメが輸出産業の重要なアイテムになっているとのアナウンスは麻生太郎の例をあげるまでもなく、ゲーム業界も含めてバブル崩壊以降の失われた10年においても、世の中不況を尻目に「漫画・アニメ・ゲーム」が海外で受け入れられもし、とうとう、その一つの決着として京都で国際マンガミュージアムが立ち上がったし、京都精華大学では、「マンガプロデュース学」なんて言うのも始まった。 でも、漫画そのものの売り上げが好調かと言えば、実際は新中古書店モンダイ、TSUTAYAの店の一部が漫画のレンタルを初めてみたり、海外の海賊版のモンダイなど、様々な要因が重なって、出版業界を支えていた特にマンガ雑誌の売り上げ部数が極端に減っている。だけど単行本は何とか持ちこたえて、雑誌の売り上げ減の穴埋めをしているのが現状でしょう。去年のテクストですが、確かに携帯と漫画雑誌は利用場所が似ているし、携帯ビジネスとも無縁ではないから、コンテンツとしての漫画・アニメの需要は国境を越えて伸びていることは間違いないと思う。

 一年半前に書いた僕のエントリー記事から一部引用します。

昨日の毎日新聞夕刊(’06年6月23日)で『マンガ市場 止まらない落ち込み』熊田正史氏の記事がありました。熊田さんは元週刊ヤングサンデーの編集長で、現在京都精華大学でマンガプロデュース学を講義する先生ですが、こういうキャリアを見るとマンガはもはやサブカルではなくてメインカルチャアなんだと、そのあたりの認識を精査しないで、熊田さんが言う「真の批評 不在の悲劇」と言っても、ぴんと来ませんね、昨年のマンガ単行本の売り上げは2602億円、マンガ雑誌の売り上げは2421億円で、昨年にはマンガ雑誌の総発売金額がはじめてマンガ単行本の発売金額を下回ってしまったということです。その差は200億円ですがその意味するものが大きいと警鐘を鳴らし、その最大の原因が「マンガ批評の不在」だと言うのです。

 そしてこの危機を乗り越えるために黒衣を脱ぎ捨てて編集者から真のマンガ批評家が生まれることを期待すると書いているわけです。熊田さんの見取りは、もし、雑誌の落ち込みがこのまま続くなら恐らく4,5年で日本のマンガ市場は崩壊するだろうということです。しかし、アニメ!アニメ!ニュース(http://animeanime.jp/news/archives/2005/12/2005106101231.html)によれば、アメリカで日本のマンガが売り上げを伸ばしているのですが、日本円にして200億円で、ヨーロッパ、アジアを含めた日本マンガの売上高、ブックオフを含めた新中古書店でのマンガの売り上げのデータを合算したマンガ売り上げは間違いなくマンガ雑誌の売り上げを大幅に越えているでしょう。

 問題はマンガ雑誌の落ち込みなのです。かって200万部も売っていたビッグコミックはたったの20万部で、週刊モーニングは30万部、まあ、それでも数十万部という数字は凄いと思いますが、数百万部の異常を体験した目から見れば、現在のマンガ市場が異常なんでしょう。その売り上げの低迷を生んだ一端が無知で愚かな批評だと言うのです。>>続くhttp://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060624/p2

 ゲンダイモンダイの西嶋さんは、何とか単なる印象批評ではない「漫画学」を立ち上げたいみたいなことを言っていましたが、それ以前に「マンガ批評」がもっと盛んに行われる土壌・市場が必要なのかもしれない。批評で鍛え上げられれば、自然と「漫画学」のようなものもカタチとなっていくと思います。放送中、西嶋さんに、このブログを紹介してもらったのは、嬉しい限りです。ありがとうございました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20071023

07/10/22

[]「他の処方箋は、ないです」って。 「他の処方箋は、ないです」って。を含むブックマーク 「他の処方箋は、ないです」って。のブックマークコメント

落層―野宿に生きる

落層―野宿に生きる

 前日のエントリーに触れたヨーロッパのホームレス事情ですが、編者森田洋司の『落層ー野宿に生きる』(日本経済新聞社)の座談会「野宿者とはだれか」の記事から引用します。ちなみにこの座談会に参加しているメンバーは岩田正美・木津川計・島和博・福原宏幸・水内俊雄・森田洋司・吉田薫です。

森田 フランスの野宿者には若い層が多いと聞いています。いま、日本の高卒者の無業者比率は2000年度で三割を超え、大卒・短大卒では四分の一を占めるに至っている。学校と企業が直結する社会ではなくなって、フリーターが増えている。

福田 フランスやドイツの平均失業率は10%、イギリスは4,5%です。ところが、若者だけで見ると25%にものぼっています。職にあぶれた若者の一部がホームレス化している。しかし、反対に中高年の路上生活者はほとんどいない。本人が路上で暮らすことを望まない限り、いないのです。

 その背景には日欧の労働慣行の違いがあります。解雇する時は若者からクビを切っていき、家族のいる者の雇用をなるべく保障している。解雇制限法もありますので、就業の入り口も狭くなっています。こうした状況は80年代から一貫して続いていますから、その時点で失業していた若者も、いまや30、40代になって仕事に就いていると考えられる。つまり、ヨーロッパ社会ではいずれ就労できるという希望が残されているのです。

 ホームレスはパリ、ロンドンなど大都市部に多く見かけますが、フランスは北部のリールやマルセイユなど南部の地方都市にも集中しています。いずれも外国労働者が多く、失業者も多い。しかし、多様な宿泊施設が整備されていて、そこに入って職業訓練を受け、それから仕事に就く仕組みができている。もちろん失業扶助の制度もあります。

木津川 日本の路上生活者が中高年で占められているのに対して、向こうは少ない

森田 日本は年を取るにつれて悲観的、絶望的になるのに対して、向こうは年を取るにつれて就労の見込みが出てくる。加齢に対する「文化の違い」ですね。

 このようにホームレスに関しては「若者中心のヨーロッパ型、中高年のアジア型」とコメントしているが、どうもにわかに信じがたいものが残る。まあ、データも古いのですが、傾向としては違和感が多少残るものの、こんなものだろうとは思う。ただ、日本の場合は65歳を超えれば、年金受給の対象にもなるし、生活保護の申請もスムーズに行く。問題は65歳までの中高年層だということになる。

 本日、leleleさんが、日テレの朝のニュースで辛坊さんが年金問題について解説していました。として、4つのデータを提示していましたね。

(1)「年収200万円以下、1千万人超える 民間給与統計」(2007年09月28日08時00分、asahi.com)に見られる所得格差のデータ。

(2)世代間の所得格差に関するもので、いかに若年世代の所得がが減っているのかを示すデータ。

(3)国民年金を受けとっている人たちの平均受給額が年間240万円前後であり、共済年金に加入していた人たちの受給額が、さらに2割増しであるというデータ。

(4)現在の国民年金の保険料についてのデータ。20歳以上60歳未満であれば、たとえ無職であっても保険料は一律で14,100円。この保険料は段階的に引き上げられ、2017年には16,900円前後になる予定。

辛坊さんは、公務員の夫婦が退職した場合の事例をあげていましたが、その場合の年金受給額は、ふたり合わせて600万円くらいあったりするわけですよ。そういう人たちを、年収180万円ちょっとの人たちが支えている。こうした「格差」はまずいと指摘したうえで、年金の財源を消費税にするなどして、低所得層の人たちからは年金をとらないような措置も考える必要がある、と辛坊さんはいっていました。

 辛坊さんのこの考えはそのとおりです。ぼくもこのブログで言い続けたことであります。だけど問題はleleleさんの言うように「ポイントは、若年世代と低所得層の人たちの政治参加へのモチベーションづくりなのかもしれませんが、幻滅しているものに希望を見いだせといっても、説得力がありません。」

 だけれども、処方箋は結局、若年世代と低所得層の人たちが、既得権益層より以上に政治に関心を持って政治参加するしかないでしょう。少なくとも1000万の票を持っているのだから。

 しかし、実際は、既得権益者の方が政治的関心が高い。民主主義という体制をこれからも取り続けるのなら、政治参加する人の意見が多数の方に政策が実施されるのは当然です。それに抗するには、1000万の票が死票にならないように政治的コミットをするしか処方箋はないでしょう。最終的には自分達で政治的に闘うしかないでしょう。身も蓋もないけれど、それ以外に処方箋があるだろうか、思い浮かばない。みんなばらばらで、他人事と思う心性から処方箋は生まれない。

 せめて、赤木智弘著『若者を見殺しにする国』が、この1000万人の人たちの多くが読んでくれればいいとは思いますが、もし、データがとれるものなら、(A)既得権益層(B)若年世代・低所得層と分けてどちらの層が、どんな割合で購入したか知りたいものです。まあ、データを取らなくとも予測はできますけれど、(B)層にいかに声が届くかということでしょう。

 データと言えば、今日、病院で前立腺特異抗原(PSA)の数値が1.220と上昇カーブになってしまった。ヤバイ。男性ホルモンを抑える薬が効かなくなったということす。正常なら性エネルギーが活発になったということで、よろこばなくてはいけないのに、癌細胞も成長するわけ。危険の上限値は4などで、ジタバタしないで、様子を見るしかない、担当医に他の処方箋はないのかと訊いたら、冷静に「ないです」って答えられてしまった。「アガリクスは?」、「う〜ん」、「そう言えば、最近、あまりアガリクスの話はきかないね」、これも「カスケード」の一種かな、よくない噂があるもんね、クスリ?まで、「上げて落とす」かぁ。

 去勢な日々を送ることが延命に繋がるというわけです。悩ましい問題です。でも、郭清手術、放射線、ホルモン注射、薬と、5年以上延命したのだから、治療としては成功としてカウントされるのでしょう。しかし、この去勢な日々は、心も滅多に騒ぐこともなく、静謐で、平和な日々でしたね。そうそう、松浦理英子の『犬身』(けんしん)を読了しました。主人公の房恵が犬になってしまったのですが、何と、牝犬ではなく、牡犬で、去勢手術をしてしまう。理英子さんは、何故こんな仕掛をしてしまったのかと考えてしまった。牝犬であっても、別段、物語は破綻しなかったのに…。

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07/10/21

[]何故、ヨーロッパでは、ヤングホームレス? 何故、ヨーロッパでは、ヤングホームレス?を含むブックマーク 何故、ヨーロッパでは、ヤングホームレス?のブックマークコメント

[rakuten:neowing-r:10035953:detail]

 隔月誌『風の旅人』を発刊しているかぜたびさんのところで、『イラストレーターソフト、使える人、募集』なんだって、年齢・学歴は問わないみたいですが、学歴はともかく、年齢は常識の線(特に日本では)があるでしょうね。

 先日、こちらの社会労働のコーナーにあった本で立ち読みしたので、書名もはっきりと確認していないのですが、この中の一冊に掲載されていたものですが、、日本のホームレスとヨーロッパのホームレスを対比して、ヨーロッパではヤングホームレスが多いというのです。そして、リストラの対象も未婚の若者たちが優先される。結婚して家庭を持った人には優先して職場が与えられる。赤木キャンペーンブログのコメント(RYUSUKE さん)が去年、「渡独したとき(06年3月)にリアルに見てしまって、驚いた経験があります」と書いていましたが、僕の知人からもそんなヤングホームレスの話を聞きました。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督のベルギー映画『ある子供』もそうでしょう。

 だから、日本の事情に事寄せて言えば、正社員になろうと思えば、まず結婚をすれば、就職の可能性が高くなる。そんな文化的社会システムが共有されているのでしょうかね。どうも新卒最優先の日本の労働市場は国際標準ではなく特殊のような気がしますね。そのような労働環境が大幅に変更になる可能性はあると思いますよ。人事の採用で結婚して家庭を持っている人だから、背水の陣をひいて地道にこつこつと、働いてくれるのではないかと言う蓋然性が高いと信じても不思議ではない。

 にもかかわらず、新卒優先の体制で定着率が悪くとも商慣習とか言いようのないやりかたで採用しているのでしょうが、これから、益々そんなやり方では数ヶ月、数年で辞めてしまう新卒のひとが増えれば、中途採用が主流になるかもしれない。

 ちなみに、人事の常識だと思いますが、中小企業であれ、ある会社に社員として10年以上勤めていた場合、その会社がちっちゃくとも、倒産した会社であろうとも、そこで「仕事のスキル」を身につけたとの判断が働いて、より大きな会社に社員として採用される可能性が高くなる。だから、中途で大きな会社に就職しようと戦略を練るのなら、まず、身内関係、友人関係でも、ちっちゃくてもいい、入れる会社に正社員(当初はアルバイトでも、人材派遣経由ではなく、正社員の道がある)と入社して、兎に角、仕事のスキルを磨く。十年近くかかるかもしれないが、その業界で通用する力を見に着ければ、自然と他の会社からも声がかかる。

 しかし、年とれば、就職の間口が広がる社会は未来に「希望」を感じさせますね。二十代では就職の間口が狭いくとも、色々と才能を確かめて冒険したり、金がなくともウロウロして、三十代になれば就職の間口が広がるという社会的コンセンサスが当たり前になれば、随分この世は住みやすくなるでしょうね。兎に角、新卒最優先っていう労働慣行のデメリットが拡大し、そんな採用をしていたら企業は生き残れないよとなると、中途採用があたりまえになるでしょうね。

[]よつばと!フィギュア? よつばと!フィギュア?を含むブックマーク よつばと!フィギュア?のブックマークコメント

よつばと! (1) (電撃コミックス)よつばと リボルテックリボルテック ダンボー

 今年の63歳の誕生日のお祝いに、何故か、『よつばと!』をご婦人方からプレゼントされたのですが、本日のトラカレさんのエントリーで紀伊国屋新宿店で『よつばと!』の見事なディスプレー(ここ、クリック!)がアップされている。迫力がありますね。

さわこさわこ 2007/10/21 12:16 7巻ゲットしました。貸し出しまで少々お待ちください(私がまだ読んでないものですから、笑)。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/21 12:54 ありがとうございます。
新宿紀伊国屋のよつばと人形は迫力がありますね。
大人よりデカイ!

yamazakurayamazakura 2007/10/21 20:27 栗山さんの日記に「よつばと!」が出てきたことにビックリしたのでした。63歳と言えばぼくの父と同い年なのに、ぼくより気持ちが若いなあ。
歳をとるほど就職の間口が広がるというのは歓迎しますね。若年フリーターが不安なのは「いまも就職無いけど歳取ったらもっと就職が難しくなるだろうから、一生フリーターで終わりそう」という理由があると思いますから、「歳を重ねればなんとかなるかも」という希望が持てるのは非常にありがたいです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/21 22:35 もう一度、図書館に行って確かめますが、そのホームレスに関する資料本によるとヨーロッパのホームレスは20代の若者が多いと指摘しており、30代が最も就職の窓口が広いっていう感じなのです。家庭人を支えるというのがコンセンサスになっているのでしょうかね。本を借りてきたら、ちゃんと引用します。
>「歳を重ねればなんとかなるかも」
このことが西欧型なら、断然支持しますね。
>よつばと
念のため、一巻をお父さんに読んでもらったら、多分受けると思います。ジジィ・ババにも支持される漫画だと思いますよ。

yamazakurayamazakura 2007/10/21 23:29 なるほど、一度読ませてみようかしらん。若者向けとか女性向けとかオタク向けとか、送り手が勝手にターゲットを想定してるものをそれ以外の人に見せたらいがいと好評だったりすることってあるでしょうね。

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07/10/20 【亀田騒動】希望は、猪木、いや、ジョゼ。

[]やっぱしジョゼだね、 やっぱしジョゼだね、を含むブックマーク やっぱしジョゼだね、のブックマークコメント

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 赤木本のキャンペーンブログで、『こんなコメント』を書いたけれど、映画『ジョゼと虎と魚たち』のジョゼ「池脇千鶴」がいいね、このミュージックビデオは、見事に編集している。全編をもう一度見た感じ。

[]マイミクさんのコラムを紹介 マイミクさんのコラムを紹介を含むブックマーク マイミクさんのコラムを紹介のブックマークコメント

猪木詩集「馬鹿になれ」

猪木詩集「馬鹿になれ」

 ミクシィで時々とても面白いコラムに会う時があります。そうすると、ミクシィだけでは「もったいない」って思ってしまうのです。そんなことで、マイミクさんの了承をもらって全文引用コピペします。

 コラムタイトルは【亀田騒動】希望は、猪木。です。

 「すみませんでした」大毅が内藤に頭下げた 。(http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=319832&media_id=30

 最終的には一国の首相までがコメントを発しなくてはならない程『祭り』が拡大してしまいましたが(ここまで拡大した要因としてのネットでの炎上現象については再考が必要ですね)こんな騒動がメディアを独占してしまって、他に国民が知るべき重要なニュースがあるんじゃないの、テロ特措法とか消費税増税とか、もっと重要な問題から国民の目をそらす為の陽動じゃないのと、ついつい陰謀論的な勘ぐりをしてしまうのがネット依存症の悪いクセなんですが、それは置いておいて、この騒動が終息に向かったのも、内藤の大人の対応っていうのが大きいですよね。外野がどう騒ごうが、実際にリング上で12ラウンド殴り合った二人のリアルには到底かなわない訳で、内藤が許すといえばそれで終わりですよね。内藤だって、亀田一家がいなければここまで注目を集める事はなかった訳だし、ファイトマネーもかなり上がっただろうからあんまり悪く言えないっていうのもあるんでしょうけどね。

 亀田大毅も、内藤という他者と出会い、自分を持ち上げていたメディアや視聴者が、まるで傑作映画『ブラックブック』のラストのように物の見事に手の平を返す光景をまざまざと見せつけられることで、色んな事を学んだと思うんですよね。そんな彼が良い方向に向かっていけるような社会を、僕たちは目指すべきなんじゃないかと思うんですよ。挫折したお調子者が一生這い上がれないような不寛容な社会って息苦しいと思うんですけどね。

 そういう意味でも重要なのは、エリカ様についての日記でも触れたように、通常の教育システムでは通用しない跳ねっ返りを『社会化』する機能があったはずの、芸能界だったり相撲界だったりボクシング界、そういった伝統的教育システムの機能不全の問題だと思うんですよね。繰り返しになっちゃうんで同じ事は言いませんが。

 そんな中、こんなmixiニュースを見つけました。猪木が亀田兄弟に提言「海外修行しろ」(http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=316412&media_id=8 )猪木のことですから、亀田騒動の利権にあやかって一儲けしようという腹黒い魂胆があるのは当然なんですが、同時に本気で亀田を更生させてやりたいとも思ってるはずなんですよ。猪木って表裏じゃなくて、良い部分と悪い部分が全部並列して表にある感じがするんですよね。だから憎めない。こういう清濁併せ持つトンデモ人物じゃなければ、亀田のような人間を更生させるのは無理じゃないかなぁなんて、ちょっと思うんですよ。

 亀田の反則なんて、猪木VSアクラム・ペールワン戦での猪木のサミング(目潰し)なんかに比べたら可愛いもんです。まあ、この戦いは噛み付き急所攻撃なんでもありのルールだったから目潰しは反則じゃないんだけど、この敗戦が元で、アクラム・ペールワンは後日自殺しちゃってますからね・・・。その猪木の子分でもある空手家ジェラルド・ゴルドーも、対戦相手である中井祐樹の右目を故意のサミングで失明させたりしているんで、そんなのに比べたら大毅の反則なんてちっちゃいちっちゃいです。

 そもそもお互いの体を破壊し合うってことが格闘技の本来の目的な訳で、目潰しや金的とか、たとえ反則でも、それを回避出来なかった方が未熟だっていう考え方もあるんですよ。極真空手の第五回世界大会で、止めがかかった後でフランシスコ・フィリォの上段回し蹴りを食らって失神したアンディ・フグに対して、かの大山倍達総裁が「止めがかかったとはいえ、その不意をつかれる者は勝者ではない」という判断で一本負けを宣告したのは格闘技好きなら知らない人はいない有名な話です。

 これはさすがに一般人には計り知れない無茶苦茶で恐ろしい感覚なんですが、こういう狂った側面も内包して成り立っているからこそ、普通の社会には到底馴染めないようなゴロツキでも、その世界で生きて行ける懐の深さがある、とも言えるんですよね。ヤクザ社会も同じ、自衛隊だって同じで、ヤクザなんて、自衛隊なんていらないっていう人は、こういう世界で自らの破壊衝動をようやくコントロール出来ているような人を、市街に野放しにでもするつもりなんでしょうか(笑)

 僕はこういう『グラップラー刃牙』的な格闘技の世界に危険な魅力を感じるし、憧れたりもするんで、デンジャラスな部分を完全にルール主義で割り切ってしまってスポーツライクになってしまうのはあんまり好きじゃないんですよね。

 少林寺、北京五輪に出場せず=競技武術と一線−中国 (http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-06X681.html )なんてニュースもありましたが、ジャッキー・チェンなんかを観てるとなんだか牧歌的にすら感じる中国武術(クンフー)も、本来はルール無用のえげつない殺し合いの技術の集大成な訳で、競技武術と相容れるはずが無いのです。僕のちょこっとかじっていた流派も、目潰しや金的を如何に効果的に狙うかっていうだけで凄い技術体系がありますからね、もちろん僕なんかには教えてもらえないレベルの話なんですけど。ここら辺の話はユニバーサルデザインとしての優しいグローバリゼーションと、危険だけれども魅力的な固有文化との軋轢、っていう側面でも語れますよね。民主化による画一化と軍事政権の元での固有文化の保護、っていうミャンマーの問題とも被ると思います。

 参照:軍事政権と民主主義の間(http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20071002

 とにかく、いまや独りで昭和プロレスの胡散臭さを体現して空回っている感のある猪木ですが、彼の胡散臭さは端から見ている分にはやっぱり嫌いになれません。近くにいると酷い目に合わされそうですが、そういうことも含めて、教育者としての猪木って案外イケてるんじゃないかって最近思ってます。弟子達が皆、途中で猪木を見限って独立しちゃったりしても全然気にしている様子が無いのも、亀田父子の『母子密着』よりは随分とマシな気がします。しかし、サミングとバックドロップって亀田大毅も猪木の弟子の資格十分だよなぁ(笑)

 ちなみに清濁併せ持つ『大人』として、幼少の頃の記憶に残っているのが、出崎統の傑作テレビアニメ『宝島』のジョン・シルバーという海賊なんです。シルバーは最初主人公の少年の仲間として登場して少年の憧れの存在になるんですが、途中で海賊の財宝を横取りする悪役に転身して主人公達と争うんですよ。それでも最後まで憎めない魅力的なキャラクターなんですよね。物事は敵味方、善悪では割り切れないってことを子供心にもちゃんと学ぶ事ができる素晴らしいアニメです。やはり日本アニメの黄金期は70年代後半から80年代前半だよなぁ。万が一自分にも子供が出来たら是非この『宝島』を見せたいです。まあ、たぶん一生そんなことは無いんでしょうが(涙)

http://www.tms-e.com/library/tokushu/takarajima/index.html

http://www.tms-e.com/library/tokushu/takarajima2/index.html

 ニコ動で検索したら、これから『宝島』をコツコツUPしようとしている勇者がいるみたいなんで期待大ですね(笑)ちなみに有料で良いならここでも観れるみたいです(Mac不可)

http://www.tms-e.com/online/lineup/takarajima/index.html

 こういうコラムを表でも読みたいと思う。何故、こんなにもマスメディアが劣化したのか、いい切っ掛けだから猛省して欲しいと思う。このようなレベルで書けるはずですよ。少なくともプロなんだから、別段、学者のような難しい言葉は使わなくても、本質的なモンダイまで降りたって問題点を摘出することが出来るはずです。わかっていて、単にやらないだけだと思いますね。互いにメディア論まで批評し合うところで侃々諤々すれば、自ずから、「中立」という名の何のメッセージを発信しない「だらしなさ」を脱して、それぞれのメディアがそれぞれの視点から色の違ったメッセージを、それこそ「自己責任」で発信できると思う。こういうときにこそ、自己責任っていう言葉を使うべきでしょう。同じような「カスケード」(集団行動)をメディアがやっちゃあいけない。あいつがああ言うなら、こっちはこう言おうというへそ曲がり的バランス感覚って、メディアにとって生命線でしょう。

参照:http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20071023

[]患者とは何者か 患者とは何者かを含むブックマーク 患者とは何者かのブックマークコメント

 田口ランディさんのブログ 「大阪でイベント」で知ったのですが、『患者とは何者か』という講演があるのですね、患者の一人として是非とも聞きたいものです。天満橋の「ドーンセンター」ですね。データ保存。

【患者とは何者か?】

患者-医療者間の「せつなさ」と「幸福な関係」

日時 2007年11月3日 12時30分〜

場所 ドーンセンター4階大会議室3  京阪天満駅下車5分

参加費 無料

問い合わせ先:特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権

http://www.mers.jp/ 電話06-6364-7677

第一部

医療に哲学は必要か? 西川 勝

医療に対する当事者の違和感 ヨシノユギ

医療、福祉、そして癒し 田口ランディ

第二部

パネルディスカッション「患者とは何者か?」

田口ランディ 西川勝 ヨシノユギ 日笠聡

[]これからどうなる日本の政治?(追加情報) これからどうなる日本の政治?(追加情報)を含むブックマーク これからどうなる日本の政治?(追加情報)のブックマークコメント

 今、ちょうど、市の白バラ講座で、ポスター貼りとチラシを配ってくれとの「ピンポン」が鳴ったので、ついでに、ここにも案内をします。でも、講師の山本孝氏についてはあんまり知らないのです。政治ジャーナリスト(元NHK解説委員)となっていますが、テーマは大きいですね。僕的には細かいテーマで、全体をそこかとなく浮かびあがさせる物言いが好きですけれどね。細部に神が宿るですよ。先ほど朝の読売テレビの辛坊さんがキャスター番組で中村哲医師が生出演していましたが、いつか中村さんの話を聞きたいものです。さて、天気がいいから運動がてら、ポスター貼りに出かけます。

テーマ:これからどうなる日本の政治

場所:枚方市民会館大ホール

日時:11月7日(水) 午後2時〜3時30分(午後1時30分開場予定)

主催:枚方市明るい選挙推進協議会 大阪府東部ブロック選挙管理委員会協議会

お問い合わせ:枚方市選挙管理委員会事務局 TEL072−841−1221(内線579)

 関心のある方は、遠慮なくお越し下さい。このホールはコンサートや映画会を行ったり、二階席もある大きなホールですので、充分、座れますよ。

 参照:http://www.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/kouhou/pdf/0710/24-29.pdf

アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)

アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)

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07/10/19 偶には、人間を越境して、犬、猫に

[]『犬身』を読み始めました。 『犬身』を読み始めました。を含むブックマーク 『犬身』を読み始めました。のブックマークコメント

犬身

犬身

 図書館でリクエストした松浦理英子の『犬身』を借りて帰り読み始めたのですが、やっぱし、理英子さんの小説は「いいなぁ…」種同一性障害者の妄想とも言える。僕は別段、犬になりたいとは思わないけれど、このリアリティが立ち上がってくる「魔」はスゴイ!

 「猫」と言えば、僕の好きな小説家「保坂和志」さんですが、自明であると思われる人間を越境して犬や猫とまぐ合うのも、「クイアファミリー」なんだろうね。

 動画はイギー・ポップの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ドッグ」です。主人公の房恵が出入りするスナック<天狼>のマスターが房江のテーマ曲だという(笑)。

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[]敵は本能寺にアリ(藤原新也敵は本能寺にアリ(藤原新也)を含むブックマーク 敵は本能寺にアリ(藤原新也)のブックマークコメント

 亀田一家問題で、藤原新也さんが吠えている。そうだよね、今回の問題は、マスメディアの構造問題まで行き着かないと、何の問題解決になりやしない。ミクシィの方でも「亀田処分の是非を問う」アンケートのスレが立っていたが、そうではなくて、「TBS」を始めとした「持ち上げて落とす」というメディアのコロシアム(スペクタクル)的報道のあり方の「是非を問う」というスレを立ててもらいたいものです。

♪shinyaさんの「敵は本能寺にアリ」

[]ああいうのもたまにはいるさ ああいうのもたまにはいるさを含むブックマーク ああいうのもたまにはいるさのブックマークコメント

 今市子の『大人の問題』、『あしながおじさんたちの行方』を読む。クイアについて僕はなかなか理解していない部分があるが、確かに「クイアファミリー」の物語として捉えてもいいのかもしれない。読んでいても、読み終わっても、「幸福な気分」になれたのは何故だろう。

 子どもの頃は劇画で育った世代だから、手塚治虫でさえ、あまり縁がなかったですね。だから、更新された「ゲンダイモンダイ」の「日本の漫画論 前編」では、戦後の日本の漫画史を手塚治虫で始めているみたいですが、僕の個人史では、小学校の頃、学習塾と兼用の本屋さんが、貸本もやっており、授業が始まる前に、立ち読みするわけです。それが平田弘史であったり、白土三平であって、手塚治虫であった記憶がない。

 そんな僕だから、芳文社の「初音コミック」はもとより縁がなかったし、これからも縁がないだろうと思っていたが、同時共振っていうか、別方向から、「今市子」って面白いという声があって、偶々地元の図書館のコミック棚に『大人の問題』、『あしながおじさんの行方』があって読んだわけですが、錯綜する縦横無尽の性のクイアは不快ではなく、とても気持ちがいいのです。もっともっと、開かれた自由な発想をしてもいいんだと思う。

 赤木智弘深夜シマネコで、「横の連帯」「縦の連帯」 がエントリーされたが、「縦の連帯」っていう「ありえなさそう」な発想をしているが、着眼点は「お!」と思わせるものがある。それは立った今、読み終わった『あしながおじさん達の行方』の余韻かな。赤木さんが、「縦の連帯」をピックアップしたことは、ある種の開かれた風通しの良さに向かう余裕が生まれたことによる視界が広がったと好意的に解釈しますね。

 『大人の問題』のなんでもありを受け入れる鷹揚さと、『百鬼夜行抄』の、大人数ゆえの焦点のあいまいさ、という点が同質さを感じるのではないかな、と。 少数精鋭(?)の核家族では、関心も集中しがちだけれども、昔の大人数の一族の中では 「ああいうのもたまにはいるさ」みたいな容認のされ方もあったかな、と思うんですね。己のアイデンテティみたいなのを模索するときも、今の家族では親ぐらいしかモデルがないけれど、もっとゆるやかな結びつきの中にたくさんのモデルを持っていると、ああいうのもありか、という共感を得られることもあるのではないかと思ったりして。

 それを血族でやらなくても、規範によらぬゆるやかなむすびつきを得るモデルとして『大人の問題』はたいへん示唆に富んでいるような気がします。

 マイミクさんからの引用を一部アップしました。

西嶋西嶋 2007/10/19 22:07 どうも、ゲンダイモンダイの西嶋です。

いつも聴取いただきありがとうございます。貸本漫画と劇画ですが、次回冒頭で取り上げるつもりです。今回は、マンガ学の状況から、戦前のマンガそして手塚治虫という区切りでやったので、扱いきれなかったのですが、貸本ももちろん紹介しますよ。関西で隆盛した貸本漫画とさいとう・たかをとかの国分寺劇画村について触れようかと思っています。劇画もアンチ手塚として出てきた面もあるので、やはり順番的には手塚からふれておいたほうがいいと思いまして。

これからも、何かツッコミどころがあればどんどん書いてください。よろしくおねがいします。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/20 09:33 おはようございます。
民営化の問題もおもしろかったです。
お二人の引き出しの多さにいつも感心します。
いつか「貧困問題」も取り上げて欲しいですね。
先ほど、朝の読売テレビの辛坊さんの番組で、中村哲医師が出演していましたが、「テロリスト掃討」の問題は、「貧困問題」、「地球温暖化問題」の解決なくしてあり得ないと思いましたね。

貸本漫画は僕が16年(60年迄)間、高校一年まで育ったのは広島の呉で、横須賀に似た街でしたが、路地で遊ぶのはチャンバラで、そういう延長戦で平田弘史のような時代劇画だったわけです。
呉は映画「仁義なき戦い」の舞台でもあったし、朝鮮事変、60年安保、そして、ベトナム戦争という時代背景が身近に感じられた地でもあったわけです。
>劇画もアンチ手塚として出てきた面もあるので
僕は最近、先日少女コミックの延長戦上ですか、今市子のことをここで、取り上げましたが、この分野は例えば、高橋源一郎がよく取り上げてはいたが、僕自身、不案内なところがあるのです。
マイミクでもの凄く少女コミックに詳しい女の人がいて、その人のコメントが面白く、時々ここでも紹介しているのですが、少女コミックの分野って手塚治虫の系譜として捉えられるのかと思ってしまいます。だから、劇画(アンチ手塚)/少女コミック(手塚的ヒューマニズム)っていう思考実験は可能かと思えます。
来週のpodcastを楽しみにしています。

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07/10/18

[]「家族のために」 「家族のために」を含むブックマーク 「家族のために」のブックマークコメント

D

 昨夜から、『亀田父子 JBCに謝罪 大毅選手、無言の会見』を見せられたが、取りあえず、丸坊主、取りあえず謝罪で、こちら側に亀田親子の本音が届いていない、常にオール・オア・ナッシングの生き方を貫いているなら、最早、このボクシング業界から「ハイ・サイナラ」と三行半を下せばいいのに、その潔さもなくて、無様な自己防衛に終始している。だからと言って、俗世間と摺り合わせて世渡りするのが、イケナイと言っているわけではない、生き延びるための処方箋として、ついたり、ひいたりして「九勝六敗」の生き方は本当の勝負師だと色川武大(アサダテツヤ)も書いていたが、僕もそうだと思う。

 僕が一番、許せないと思ったのは、「切腹する」と言ったタメ口でした。1970年、三島由紀夫は割腹自殺したわけですが、あの事件がある数日前でしたか、本屋の同僚達と仕事が終えて三島由紀夫について喋っていたのです。(当時、三島由紀夫の本は必ず売れたから、いつもアンテナを拡げていたのです。)そこで、話題になったのは、カッパブックスから発売された三島の『葉隠入門』(1967年刊)でした。僕と誕生日が同じ(だからと言って、どうだと言うわけでもないんですが)の三島由紀夫にハマッていて、彼の本は愛読していたのです。でも、自衛隊に体験入学したり、「武士道」を声高に喋ったり、私兵をもったり、画像にあるような演説を聴いていたり、そのような流れで「ついてゆけないなぁ」と引き気味の喋りをみんなとしていたのです。

 そして、結局、行動を起こすしかないんじゃあ、ないのか、最早、あとに引けない、店頭でも従来の三島由紀夫のファンから戸惑いをうかがわせるものがあったし、ものスゴク悪い予感があったのです。

 それから、数日後、事件が起きたわけです。僕の感想では「やっぱし」でした。これで三島由紀夫は「生きた」と思いました。世間に刃をつきつけたわけですよ。

 おそらく、亀田大毅の「切腹」という言葉に不快を感じたのはそんな経緯もあるかもしれない。亀田一家にとって三島由紀夫は遠い存在で、名前さえしらないかもしれないですね。三島がとにかく「国のために」切腹して、落とし前をつけたことは間違いない。亀田一家は「家族のために」、どんな落とし前をつけようとしているのでしょうか。

 しかし、あの「取りあえず謝罪会見」は、「家族のために」なっていない。意外とあの父親はメタなパフォーマンスをしたわけではなく、マジだったんだろうね、武田徹オンライン日記で書いているように、誰か主役の仕掛人がいたわけではなく、マスメディアの構造の問題が底流にあると思う。勿論、世間も…、

情報操作を個人がマスメディアを使ってしているというような素朴な構図で現状を考えるべきではない。マスメディアシステムが個人の(本人がそう信じる)主体性や自発性をも内部に従えて展開する。そんな構図があるのであればぼくは個人を回復させる方法を考えてみたいと思う。沢尻や亀田一家は「個人」だし、この場合、マスメディアシステムとは放送局員ではなく、局員も「個人」である。彼等の主体性や自発性を回復させることは、やはりシステムに対して個人を屹立させるということに他ならない。

 武田さんのような主張はメディア(個)人が、「明日に死すとも可」という矜持をもつしかないと言っているのでしょう。

葉隠入門 (新潮文庫)[rakuten:book:11165389:image][rakuten:book:11173702:image][rakuten:book:11181471:image]ギャンブル人生論 (角川文庫 (5478))

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07/10/17 国際<貧困撲滅の日>

kuriyamakouji2007-10-17

[]国際<貧困撲滅の日>(10月17日) 国際<貧困撲滅の日>(10月17日)を含むブックマーク 国際<貧困撲滅の日>(10月17日)のブックマークコメント

 今日は、マイミクさんのお嬢さんが16歳のお誕生日だと言う。海を越えておめでとう!ところで、本日10月17日は国際<貧困撲滅の日>だと、マイミクさんが、そのお嬢さんから教わったという。*1さっそく、検索すると、本日19:00より、京都・烏丸御池の「新風館」で、イベントがありますね。id:hayaokidesuさんの『国際交流日記』から引用。

「STAND UP SPEAK OUT@新風館

【場所】新風館(京都市営地下鉄烏丸御池駅徒歩1分)

【日時】10月17日(水)19時きっかり

【内容】19時に、集まったみんなでStand Upし、

記念撮影を行います。Stand Upした人数を公式サイトに報告します。

※その後、周りの店でちょっとした交流をしたいと思っています。国際協力に関心があるひと同士、親睦を深めましょう!当日に参加希望者を募ります。

【主催】京都文化博覧会実行委員会

【問い合わせ】湯谷啓明(SAGE代表)

 主催は京都文化博覧会なんだ、知らなかった。近場の人は寄ってみたら如何ですか、どんな交流会なんだろうね、この近くに『京都国際マンガミュージアム』がありますよ。ところで、大阪情報総合プラザの図書館で『特集・貧困』の臨時コーナーが開催中です。

[]ブックフェア ブックフェアを含むブックマーク ブックフェアのブックマークコメント

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

 紀伊国屋新宿本店で、「情況を読む」フェアが開催中です。

■場所 : 紀伊國屋書店新宿本店3階 棚番号B-07

■会期 : 2007年10月1日(月)〜10月31日(水)

◆ 第二弾は「赤木智弘」フェアですか、11月1日(木)〜11月30日(金)♪テーマ:論客「赤木智弘」の登場とある。

論文「丸山眞男をひっぱたきたい」(「論座」2007年1月号)で大反響を呼んだ赤木智弘さんの初の単行本が出ます。その名も『若者を見殺しにする国』(発売元:双風舎。10月25日発売予定)。この新刊を中心に、若者論・労働論などの関連書をセレクトします。ご期待ください。

赤木智弘さんのブログ:深夜のシマネコ http://www.journalism.jp/t-akagi/

『若者を見殺しにする国』キャンペーンブログ:希望は、戦争?http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/

近場の人は覗いて見たら…♪

*1:ベルギー人の7人にひとりは貧困に苦しんでいるそうです。また、その貧困層の多くは、母子家庭やイタリア・トルコ・モロッコなどからの移民だそうで、そういう人々が<第4世界>を生きていると。貧しさに苦しむ国々を第3世界と呼びますが、国内の貧困層を第4世界と呼びます。こういう言い方、ニッポン語にもありましたっけ?

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07/10/16

[]ネタとしてのメディア ネタとしてのメディアを含むブックマーク ネタとしてのメディアのブックマークコメント

 武田徹オンライン日記の『オペレ−ション継続中』TBSラジオのアクセスで放送された話から関連したものであるけれど、システムに対して個人を屹立させるということは、一歩一歩愚直にやるしかないんだろうね。

 「演技しているつもりが演技させられている」というネタが一人歩きしてしまって、知らぬ間に悪酔いする。そして、覚めた時、嘔吐感が襲ってくる。そんな感じだろうね。ネタに振り回されないで、自分の欲望に対峙しようとしても、なかみが空洞としたら、ネタを仕込み、更新をくり返すしかない。

 参照:PHPウェブログシステム3/ネットマニア

[]「貧困特集」(毎日新聞の記事から) 「貧困特集」(毎日新聞の記事から)を含むブックマーク 「貧困特集」(毎日新聞の記事から)のブックマークコメント

 昨日の大阪版毎日新聞夕刊『読ん得』の記事は「格差とは」で、『どうする「貧困」』の記事で岩波新書『日本の経済格差』の著者橘俊詔氏が統計を駆使して色々と分析していました。厚生労働省「平成17年度所得再分配調査結果」を引用した『世帯主の年齢別ジ二係数』や、「豊かな社会の貧困」について、昨年OECD経済協力開発機構)が出した日本向けリポート(OECD加盟先進国のうちデータのそろう17ケ国の中で、日本の貧困率は米国に次いで2位となっている。)を資料に精査した結果、

 01年時点で、もっとも貧困率の高いのが母子家庭における53%、次いで高齢者単身世帯で43%。世帯主の年齢別で貧困率が高いのは29歳の若者(25.9%)と70歳以上の高齢者(25.3%)なのです。この統計を読むと、格差が固定し、若者を見殺しにするどころか、老人をも見殺しにする事態が進行しているということが読みとれる。*1

 そして、有効求人倍率にしても05年12月から1を越えているけれど、都道府県別に見ると、07年8月時点で、沖縄県0.44、青森県0.49を始め1未満の都道府県が26もある。一人当たりの県民所得(04年度)から見ると、東京都で約456万円、次いで愛知県の約344万円、最も低いのは沖縄県の約198万円、次いで青森県の約215万円など実に5県が東京都の半分以下しかない。(でも、この統計は一人当たりとすると多いね、一世帯当たりではないだろうか?、あとで調べます。)

 それはともかく、色々なところで格差は拡大している。内閣府が発行する今年の「経済財政白書」によると大企業が配当や役員報酬を大幅に増加させているのに、従業員給与は横ばいですね。70年代以降、従業員給与の2〜3倍だった役員報酬が02年から急に伸びて05年で4.8倍にまで膨れあがっている。「労働分配率」は低下し続けている。そう言う状況の中で正社員を中心とした安定雇用層がフリーターなどの非定期雇用者達に対して、機嫌良く分け前の一部を譲り渡すことは普通のやり方では確かに難しい。赤木和智キャンペーンブログで、kanameさんの「赤木の言う再配分とは、ボクの解釈では、中間層から下へ配分するべきて、一部の上が金持ってるのはある程度は仕方ないと言ってます。格差を条件付で肯定しているワケですね。ボクもそれでイイと思ってます。赤木は格差肯定論者です。」を受けて、僕はこんなことを書いたわけだが…。

kanameさんの上のエントリーの最後の段落は、赤木さんが繰り返し言っているのに、どうも、そのことをスルーして反応している方が多いみたいですね。(1)上、(2)中、(3)下の問題で彼は(1)と「(2)/(3)」の格差は肯定して、「(2)=(3)」で中と下を溶解(流動化)しようとしているわけですよ。

そこを起点として赤木さんはイシューしている。だから、論争するなら、(2)と(3)を=というか溶解することは、実行可能性があるのかどうか、北風と太陽ではないけれど、単に戦争というネタであれ、レトリックであれ、マジであれ、視線をこちらに向けさせる効果(警告)はあるけれど、(2)の人が「はい、わかりました」と、ポケットから(3)の人に素直に差し出すかどうかということでしょう。僕はそこが疑念で、まあ、粗っぽく言えば、赤木さんは、北風路線で、僕は太陽路線かな、かって僕のブログで紹介した「風の旅人」さんが北風と太陽について書いていましたが、僕は風の旅人さんの論考に賛成ですね、

 とにかく、kanameさんの上の最後の段落は赤木論考のキモで、そこを自明として「やりとり」をしないと、先に進まない感じがしますね。党派の問題ではないのです。

 赤木さんのマニフェスト(まあ、そんなもんでしょう)は右も左もどこも言っていない、だからこそ、誤読・誤配をされるのでしょう。とにかく、(1)の富裕層を脇に置いて、(2)と(3)の再分配について考えようと言っているわけ。もの凄く単純・明快な問いだと思いますよ。ただ、その問いが時として恫喝に聞こえるから反発を生む。もっと上手に優しく出来ないかなぁ、内発的に既得権益者が差し出す装置について僕は考えたいと思っているわけです。

この毎日新聞の記事を読むと、データ的にも(2)の安定層が余裕がなくなって来ていることは間違いない。 

*1:ここでいう貧困率とは、それぞれの国の平均的な所得(厳密には「中位所得」)の半分以下しか所得のない人を貧困者と定義し、国民のなかで割合を求めたもの。リポートは、18歳〜65歳を計算したもので、日本の貧困率は13.5%。米国の13.7%に次ぐ悪さなのです。

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07/10/15

[]30代フリーターで年収100万円。夢は? 30代フリーターで年収100万円。夢は?を含むブックマーク 30代フリーターで年収100万円。夢は?のブックマークコメント

 ◆前回のエントリーからの続きのようなものです。コメント欄で、pataさんが吉本隆明の過去の著作を読んでいて、僕も講演CDを聴きながら、あるズレを感じたのは、あの時代の吉本さんは「貧困」が視界になかったということでしょう。消費資本主義社会まで行き着いて、経済的には最早ほとんどやることがなくなった。確かにそうだったかもしれない。だけど21世紀になって、見えなかった「貧困」が突如として浮上したということでしょう。僕はミクシイの方でもコメントしたが、出来うるなら、赤木さんの『若者を見殺しにする国』の吉本さんのコメントを聞きたいものです。『論座』にも書いていましたが、この本の感想を聞きたいですね。

 ◆佐藤優は、確固たる「世界観」、「大きな物語」を持たないと政治は出来ないと吠えているのでしょう。そこが佐藤優の真骨頂だと思いますが、かような佐藤優を登場させたり、小沢一郎雨宮処凛と、論壇雑誌『世界』も面白くなりましたね。『論座』といい、今年になってから急に風が変わったのかなぁ、そう言えば、今年の1月号『論座』に赤木智弘の論考が掲載されたわけだ。

 山口二郎×佐藤優対談「なぜ安倍政権はメルトダウンしたか」より、『失われゆく「国土」「国民」』の佐藤さんのしゃべくりを引用します。

佐藤 9月5日、村上正邦さん(元労働大臣)が主宰する「一滴の会」の勉強会で、沖縄の集団自決に関する教科書検定に対して、いま沖縄が保守を含めて大変な状態になっていると私が話したら、村上さんは、「どうして歴史の真実をねじ曲げようとするのか。一般の住民が手榴弾を持つはずがないじゃないか。なぜ手榴弾を持つんだ。何かあった時には自決しろという意味だろう。手榴弾を渡したという事例さえあれば、その瞬間軍の強制性が証明される。なぜつまらない議論をするんだ」と言う。

 そして、この会にいつも出席していた右翼の理論家は、「それは大変なことだ。沖縄県と沖縄県以外のところでも世論がこれほど違う、温度差が出ているというのは、国民統合という意識において沖縄が外部になっているのではないか。それは拉致問題が選挙においても世論においても重要な問題になっていないのと同根だ」と言うのです。日本人が一人ひとりバラバラにされてしまって、自分のことしか考えない。つまりアトム(原子)的に分断されてしまったので、同胞についての想像力がものすごく狭い範囲しか及ばない。だから拉致問題は右側の、沖縄問題は左側の専権事項といったステレオタイプがあるのですが、その両方に対して一般に国民が関心を持たなくなっているのは、実は新自由主義を推し進めた必然の結果なのです。

 新自由主義と親和的なアトム的世界観が浸透することで日本の国民統合が内側から壊れかけている。ナショナリズムの観点から見ても、小泉、安倍両政権が進めた新自由主義的改革の結果、日本国家は明らかに弱くなっている。

 また、『週刊金曜日』に出ていた雨宮処凛さんと佐高信さんの対談が非常に面白いのですが、「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という寄稿をめぐる議論で、佐高さんが殴る相手が違うのではないかと発言すると、雨宮さんは、〈たとえば30代フリーターで年収100万円。夢は? と聞くと、「年収300万円になって結婚し家庭を持ちたい」と言う。そんなことが夢になってしまうのが今の現実なんです。そんなささやかな夢さえ保障できない国がおかしい。浮遊、不安定だけでなくて今の状況は貧困であって、生存ギリギリの状態なんです〉(雨宮処凛/佐高信「戦後民主主義に希望はないのか」『週刊金曜日』2007年8月10・17日合併号)と現状を解説する。恐るべき事態です。まさに1845年にエンゲルスが刊行した『イギリスにおける労働者階級の状態』に描かれた、プロレタリアートはその最底辺において家族の再生産すらできなくなるという状況が復元されているわけです。162年前にエンゲルスが書いたようなことが、いまの東京で起きている。

 社会階級、階層という縦の構造の観点からも国家は弱っている。横の広がりにおいても、拉致問題、沖縄、それから北方領土竹島問題は風化し、この国はこの6年の中でものすごく弱くなった、というのが客観的な事実です。

 個人的には、6年前に東京を引き上げ関西の郊外に逼塞したわけですが、それから僕のネット生活が始り、何とか5年以上の延命を勝ち取り、一応数字上は療養の成果が出たわけで、僕自身は何とか持ち堪えたわけですよ。本当にこの国は佐藤さんが言うように弱くなったのでしょうか、どうやら良くも悪くも曲がり角に来たのは間違いない。どんな目が出るのでしょうか、ただ言えることは佐藤さんが言うような、確固たる「世界観」、「大きな物語」を僕はいまだに手にしていない。でも、言葉にならない、見えないカタチでひょっとしたら裡に蔵しているかもしれないね。何かことが起きたとき、ひょこっと、飛び出してくるかもしれない。

こぼ from mixiこぼ from mixi 2007/10/15 01:03  日記のごく一部分に対してだけのコメントになってしまいますが、私はあんまり小沢先生が『世界』に登場することに違和感を感じないんですよね。参院選で前面に据えた年金・農業・子育ての骨格となる政策は90年代末の自由党時代には出来上がっていたものですし、また、27歳で初当選して以後、小沢後援会の季刊会報誌のタイトルは『暮らしと政治』であることからも分かるとおり、ずっと社民主義的な理念を織り込んで政治をしてきた彼を、タカ派だと罵倒してきた当の左派論壇誌がようやく正当に評価するようになっただけのことだと思います。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 21:10 社民主義的な理念と、経世会的なものと、理念は全く同じものなのか、ただそれが左側からのアクセス、右側からのアクセスの回路の違いであって、目指すものがほとんど変わらないとしたら、後は憲法九条の解釈問題だけになりますね。国連軍として武力行使が憲法上認められるか?ということになりますが、このことは、国会で徹底して論議を尽くす必要がありますね。
小沢さんが一貫して社民主義的(経世会的)なものを内政の根幹にしているなら、雨宮さん、赤木さん達が声を上げて、表に現れ始めた身も蓋もない「貧困」問題をどのように施策するのか、期待したいと思います。
ただ、僕がひっかかることは、社民主義的な理念、経世会的理念と言った方が馴染むのですが、既得権益そのものに手を付けて、それを流動化した上で再分配しなければ、「貧困問題」は解決しないと思う。赤木さんが今度出版する『若者を見殺しにする国』は、そのような問題意識があると思う。
まあ、これから出版されてちゃんと読んでから又、感想を書きますが…。

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07/10/14

[]何かが変わりつつある。 何かが変わりつつある。を含むブックマーク 何かが変わりつつある。のブックマークコメント

世界 2007年 11月号 [雑誌]

世界 2007年 11月号 [雑誌]

 赤木智弘本キャンペーンブログのコメント欄が結構盛り上がっています。まあ、いいことですけれど…)、

 どうも、赤木さんの雑誌掲載文のみならず、ネットで彼がコメントしたことを精査しないで、自分の文脈で勝手に誤読、、偏読して自分の言いたいことだけをイシューしているのは、又かと思ってロムするだけでも疲れてしまうw。

 荻上チキの『ウェブ炎上』に書かれていたことの具体的な例証が拝見できるだけでも感謝しなければならないのでしょう。

 chikiさんが本書で、それぞれ、みんなが変換を拒否する世界観(リベラリズムの語彙体系・フェミニズムの語彙体系・ヤンキー系語彙体系…、etc)に基づいた解釈を行う。誤読・誤配はあたりまえの事態だと踏まえた上で、2006年7月の人気お笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭一の事件で火がついたサイバーカスケードのケースを取り上げているのですが、

そのような場合、適度な解釈が行われない限り、今回の騒動のように一方通行的な罵詈雑言や、悲劇的なディスコミュニケーションが生じうることでしょう。

 もちろん、このような討議の場に、便利な翻訳ソフトは存在しません。では、ウェブを、討議における適切な翻訳装置を機能させるためにはどうすればいいのでしょうか、

 勿論、完全無欠な翻訳装置なんて存在しないのだから、せめて、受け取る側が発信する前に、ほとんど間違いなく誤読、偏読しているんだと、その批評点をまず自分自身に向けて、考え抜いた屈折度を加えたイシューをしたいものです。僕自身、最近とみに感じることですが、本を読んでいても、若い頃と違って自分自身の世界観がより強固(頑固)になっているためか、著者がこんな風にイシューしようとしているのに、それについて意識下に近いところでわかっているのに、あえて気付かない振りをして、自分の世界観で本を読んでいる傾向(濃度)が段々とひどくなりましたね。反省ですよ。

 話が飛びますが、憲法解釈は悩ましい問題です。pataさんのブログで「『世界』小沢論文について」に触発されて、記憶にないくらい、多分、何十年ぶりかで、「世界 11月号」を買って読みました。(図書館で時々は読んでいたから、別段買う必要はなかったのですが、本屋で中々手に入らなかったというpataさんのコメントがあったから、買っちゃえ!てなったのですw)。

 小沢の解釈は良し悪しの判断は置くとして明快です。

つまり、個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質なものであり、次元が異なるのです。国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたものです。したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含みものであっても、日本憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です。

 勿論、国連の要請ではなく、アメリカの要請なら違憲であるのは当然。イラク特措法の根拠とされている国連決議1483号(2003年5月採択)は、米英の治安維持を認めただけであり、多国籍軍の設置をオーソライズしたものではありませんとして、

私の主張は、国連の決議に基づいて参加する活動は日本憲法に抵触しないということですが、合憲ならなんでもやるということではありません。国連の決議があっても、実際に日本がその活動に参加するかは、その時の政府が総合的に政治判断することです。それは政治のイロハです。

 他の記事で、雨宮処凛が『ロストゼネレーションの仕組まれた生きづらさ』も面白かったです。雨宮さんの「生きさせろ!」は、立岩真也を拠点リーダーとして立ち上げた、アカデミックな『生存学』と接続すれば新しいダイナミズムの局面が生まれると思うがどうでしょうか?小沢論考にも≪紛争やテロの根底にあるのは貧困という人類の根本問題だ、≫と述べている。 病や、老い、障害などと不即不離に「貧困問題」がある。当然、生存学において「貧困」は避けて通れないものでしょう。

patapata 2007/10/14 21:21 土日は吉本さんの90年代前半の著作を読み直していたんですが、当時とまったく違っているのは、日本国内に貧困の問題が出てきたことかな、と思いました。当時は自分は中流と答えて人が91%だったんですよね。それと、同時に、憲法がどうだ、国際貢献がどうだという技術的な話を聞いていると、吉本さんが著作のタイトルにもした宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節を思い出してしまいます。

《みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる》

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/14 22:25 pataさん引用の徳間の「超資本主義」は友達から何年間も貸したままで、まだ返してもらっていない、再読を諦めました(笑)。
それで、講演DVDがあったので、紀伊国屋ホールでのボードリヤールとの講演・対談(95年)とか、88年、89年の頃の講演、「日本経済を考える」などをBGM代わりに聞いていると、消費資本主義が行き着くところまで行ってしまった。そこを起点として喋っている。確かに「貧困の問題」が表に出ていない。吉本さんの視界にも入っていない。そんなことを思いながら「世界」を読んでいたのです。そしたら、佐藤優が山口二郎との対談で、162年前にエンゲルスが書いたようなことが、いまの東京で起きていると、喋っている。まさに、「貧困」が表に出てきた。だからこそ、僕は吉本さんに赤木さんが提示した「貧困の問題」のコメントが聞きたいと思いましたね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/14 22:28 講演DVDではなく、講演CDです。この佐藤優さんの部分を追記引用します。

patapata 2007/10/15 00:13 ぼくは佐藤優というのはまったく評価しないんですよねぇ…。もってくるところが浅いというか、聖書でもマルクスでもエンゲルスでも本気で読んでいた人なら、そんな風に引用しないだろ、みたいことを感じてしまうんですよねw

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 00:41 pataさんの見識を尊重するとして、今のところ、佐藤優はキャラ立ちしていますね。一度ナマで見たいと思いますw。そうすれば、僕なりに感ずるものがあるかもしれないし、全く感じないかもしれない。こうご期待!

harutoharuto 2007/10/15 16:22 蓮實重彦が「吉本はフィリピン人女性をメイドとして雇うべきだと僕は本気で考えている。それで彼の理論のほとんどはつぶれます」と発言して物議をかもしたのは、ちょうどそのころ、今から20年ほど前のことですね。

吉本さんは赤木さんに対して、このままだと「スターリン」になっちゃうよ、と半ば自分にどこか似ている青年に好意的な忠告をしているけれど、「スターリン」という名前を出せるところは、往年の批評家として面目躍如といったところだと思いました。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 21:33 どこかの版元でお二人の対談企画をすればとのコメントをミクシィで書いたのですが、全然反応がなかったですねw。
話を持っていけば、吉本さんは受けると思うのですが…。
フィリピン人であれ、日本人であれ、アメリカ、フランス、どこの国であれ、女に限らず、男でも、メイドそのものが、カリスマとまで言われる具合に結構、奥の深いものだから、専門職としてカウントされてもおかしくない。日本では「家政婦さん」か、テレビドラマの主人公になっていましたね。

harutoharuto 2007/10/15 22:11 対談もいいんですが、先ごろ『未完のレーニン』 を上梓した白井聡さんと佐藤勝さんが対談したんで、その4人くらいでやってくれればな、と。女性がいないのでなんか黒々とした討議になりそうですが(笑)

個別の身体がグローバル資本によって植民地化されている現在、「レーニン」でどこまでいけるか、というお話でもしてくれれば。この4人にフェミニズムのお話は期待しません(笑)。

私は吉本さんと蓮實さんの対談も読みたいんですけど、これもどこも企画してくれない。どこかでやってくれませんかね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 22:42 白井聡さんは人気があるんですね。赤木ミクシィコミュの方でも、白井さんって言う声が多かったですよ。『未刊のレーニン』はそんなに面白いのですか、その前提になる基礎知識が僕にはあまりないから、敷居が高い気がしないでもないw。
>個別の身体がグローバル資本によって植民地化されている現在、「レーニン」でどこまでいけるか

スゴイ問題意識ですね。確かに脳も臓器の一種で、僕の身体はピースとしてあらゆる臓器の組合せで、バラバラにして、あの人、この人に贈与なり、売買なりすることは技術的に可能でしょう。それでいいのかという問いを立てたとき、上のharutoさんの問いと繋がるのかなぁ、白井さんの本は読んでいないので、いい機会なので、読んでみますよ。

harutoharuto 2007/10/16 00:39 >白井聡さんは人気があるんですね。赤木ミクシィコミュの方でも、白井さんって言う声が多かったですよ。

本人に伝えたら調子に乗っちゃいそうな気がしなくもないんですが(笑)、赤木ミクシィコミュでどんな話題が出たんでしょう?

harutoharuto 2007/10/17 12:36 現状に対する構造分析の不備から、分析のとどかない要因の連関のすべてをひとつの形象に押し込めて「責任を負うべき集団および個人としての他者」として形成され、「自己責任」ならぬ「他者責任」を「自己責任」として押し付けられたのが、「安定した労働者層」「強者女性」で、この2つのさらに構造分析を要する概念がないと「不幸の平等を実現してくれる希望としての戦争」も「専業主夫」も成り立たない、という「自己責任論」ならぬ「他者責任論」が赤木さんの今回の本では、おそらく展開されている。これまでの彼とのやりとりから考えて、「若者を見殺しにする国」の構造分析がどれくらい行われているかというと、そこはあまり期待できないし、kuriyamakouji さんは「若者を見殺しにする国」は「老人を見殺しにする国」でもある、とおっしゃるわけですが、「専業主夫」に関する最初のエントリでは、「女性」「高齢者」「被差別部落」「在日」は、もはや「弱者」ではない、というのが赤木さんの意見でしたから、その視点もあるのかどうか、微妙な気がします。

私は前に、「論座」の文章で、現状より英霊として靖国にまつられる方がまし、という赤木さんへのレスで、「そういうことなら、日本経済のためにグローバル資本に使い捨てられ死んだワーキングプアを靖国神社にまつる、でいいんじゃないのか」、という意味合いのことを書いたことがありますが、さて、これでいい、というワーキングプアはどれだけいるのか、疑問です。議論を起こすきっかけとしても、困窮が進みつつある中間層の不安をあおらない、「脅迫」とは別のやり方はあるはずです。「自己責任」でなければ「他者責任」といった単純なお話で、しかもその他者の設定はやつあたりで的はずれなうえに、その他者を脅迫して責任を取らせるのとは違ったやり方が。

なぜ、日本人の若者を見殺しにしてもシステムは大丈夫である、と考えられるのか、それはどこでどんなふうにどんな利潤が発生していて、そのような利潤を発生させる労働力の過剰供給と再生産がどうやって維持されているのか、といったことと関係がありますし、どうして見殺しにしないとシステムが維持できなくなったのか、ということは、日本政府が未公表の米国債の累積引き受け額や、企業の中心部門が営業から投資に移行した背景、郵政民営化の背景にある、産業の構造転換を考える必要がある。

そうしないと、「若者を見殺しにする国」と言っても、「そうですが、何か?」と切り返されて、終わり。kuriyamakouji さんもおっしゃるように、見殺しにされるのは若者だけではありませんしね。広井良典さんがすでに若者基礎年金制度を構想されていたりして、制度設計はないわけではない。「自己責任」でなければ「他者責任」と単純に考えていると、こうした構造分析にもとづいた制度設計はできない。

赤木さんはよく「安易な自己責任論ですか」と相手に食ってかかる。「安易な自己責任論ですか」と言って、話を切断する「他者責任論」者は、実は、無自覚な「安易な自己責任論」者にすぎません。構造分析をしない、できないところでは、「自己責任論者」も「他者責任論者」も「安易さ」においては同じです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/17 15:51 昨日のエントリーで、毎日新聞の記事から引用して、
>01年のデータで、世帯主の年齢別で貧困率が高いのは29歳の若者(25.9%)と70歳以上の高齢者(25.3%)なのです。この統計を読むと、格差が固定し、若者を見殺しにするどころか、老人をも見殺しにする事態が進行しているということが読みとれる。
と書きましたが、赤木さんも僕の過去エントリーのコメント欄で、
就職氷河期世代もいつか必ず、老人になるわけで、「若者を見殺しに国」は「老人をも結局、見殺しに国」になるのは当たり前で、そこは地続きで繋がっているのです。赤木さんもそうだとナットクしていましたが、別段ややこしいことではない、世代というトライブなら、固定化の問題がついてまわり、そこを流動化しようとする運動を赤木さんたちは引き起こそうとしているのでしょうが、単に、若者×老人なら、共通の基盤がある。だからこういう提示は迂回っていうか脇道ですが、これならば、赤木さんたちもナットク出来るわけです。多分、自己責任×他者責任って言う問題設定とは違う土俵(制度設計)でやりとりしないと確かに前に進まないでしょうね。

harutoharuto 2007/10/17 20:47 基本的なことを確認しておけば、階級というのは、国籍、民族、ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、学歴などとは別のカテゴリーですね。「貧困層」に、赤木さんが「もはや弱者ではない」と言った「女性」「高齢者」は含まれている。フリーターの定義では中高年は入らないけれど、ワーキングプアには確実に中高年はいる。その予備軍もいるでしょう。

「安定した労働者層」に自分たちをサポートする制度を設計することは、あなたたちをもこれから襲うかもしれない偶発的に発生する貧困リスクへの保険にもなるんだ、と誘惑し「情けはひとのためならず」と言うこともできるわけですね。「強者」に「道徳的強要」を課すといった脅迫的、恫喝的なやり方ではなく。

リスク化した貧困は、別に国籍、民族、ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、学歴などを選んでひとを襲わない。日本人のゲイで40代の東大卒のワーキングプアがいる、という想像力が、制度設計には必要ですし(要するに「階級」概念を理解することが必要)、ジャーナリストなら、実際にそうしたひとの生活を取材するといったことも必要なわけですね。

論座の今年1月号の特集にも当事者の取材はありましたが、あれはワーキングプアの紋切り型のイメージをなぞっただけのもので、制度設計に必要な想像力とイメージ批判を欠いている。日本にも「ゲイの老後を考える会」などがあるわけで、高齢者の多様性を考えることが必要なのと同じく、ワーキングプアの若者の多様性を考えることも必要なことです。「専業主夫」の提案の利己性は、そういう現状把握の不十分さの問題でもある。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/17 23:31 >「専業主夫」の提案の利己性は、そういう現状把握の不十分さの問題でもある。

このあたりの問題や、映画の件、「リスク化した貧困は、別に国籍、民族、ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、学歴などを選んでひとを襲わない。」など、赤木ブログにエントリーするテーマが沢山ありますね。あちらの本文に書いて下さいよ(笑)。
そうすれば、リンクを張ったり引用したりして、僕のブログにも紹介出来る。harutoさんのコメントは、それだけで、充分に本文そのものですけれど…。
そうそう、『大人の問題』を読みましたが予想以上に面白かった。

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07/10/13

[]家族法人、人工拡大家族 家族法人、人工拡大家族を含むブックマーク 家族法人、人工拡大家族のブックマークコメント

大人の問題 (花音コミックス)百鬼夜行抄 (1) (ソノラマコミック文庫)ヨコハマメリー [DVD]

 マイミクさんたちとちょいと赤木本の補助線のようなやりとりをしているので、『希望は、戦争?blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜』「Smile Slimeさんのエントリー」にコメントしたことを整理しながらまとめアップいたします。ちゃんとしたものは、赤木智弘の『若者を見殺しにする国』を読んでからになると思います。まずは助走ですね。

 少なくとも第六章 『「思いやりのある社会」への希望』において、最後にカート・ヴォネガットの『スラップスティック―または、もう孤独じゃない』 (ハヤカワ文庫 SF 528) を呼び出して赤木さんなりに具体的な施策の一例を出していますね。恐らくここから彼なりの続編が始まると思います。それを期待しているわけです。既得権益者を弾劾したり罵るのは簡単です。問題は機嫌良く?引き出してもらうわけでしょう。

 北風と太陽です。機嫌良くは難しいかもしれないね、イデオロギーとしての規範とか宗教に支えられた倫理を持ち出すのではなく、アーキテクチャー(装置)で問題解決の回路を社会設計する。ヴォネガットの小説では「ミドルネーム」という装置(内在規範としての法というより、装置に近いルール)です。同じミドルネーム同士は助け合わなくてはいけない。そういうことなんです。絵空事としてせせら笑いされるかもしれないが、とにかく、実行可能性はそれから検証すればいいのであって、どんどん、こうしたらいいんじゃあないって言う考えをアホみたいなものでも構わないから、恥ずかしがらないで出すべきだと思いますね。と言ってもなかなか賢明な知恵が浮かばないのですが…。

 ミドルネームによる人工家族も、そのマイミクさんから示唆されたものだったのです。僕自身のまわりにもあったことでもあるのですが、《知人が、縁の薄い親族や家族より、友人に財産を残したいからと、「家族法人」みたいなのが作れないかなあとぼやいていたことがあります。家族や地域に代わるものを作り出すって大事なことだと思いますが、それが肝心な場面では法律に阻まれてしまうことも多いですよね。》、戸籍法、相続法、贈与税の問題など、血縁の家族を骨格とした民法そのものを検証することになるとは思いますが、「家族法人」って少なくとも法的に馴染むから実行可能性があると思う。既得権益をwin−winの関係で相互に利用するシステムですか、赤木さんが、結婚による施策でせめて第二章『私は主夫になりたい!』において、「個人の平等から、世帯の平等へ」という提示もここにかかわってくると思うのです。

 僕は、血縁、地縁にこだわらない「養子縁組」が法的にも、文化的にもスムーズに受け入れられるシステムが構築されればずいぶんと違うと思う。嫡出子、非嫡出子だとか、血縁の足跡がトレース出来る戸籍法そのものも変えなくてはならないでしょうね。夫婦別姓どころか子ども達をも別姓にする。僕はアーキテクチャアとして国民ではない、国際総背番号制なんて言うある意味怖いこともアタマにあります。これは過激すぎるかなぁ(笑)。

 まあ、書籍コードと同じです。バーコードのチップか、生体認証による登録か、ところで、先日、美馬達哉×立岩真也とのトークイベントに参加したのですが、そこでもっとも気になることは脳も臓器の一つでしょう。そうすれば脳死の問題ですが、脳の臓器移植も考えられる。そうすると、僕の脳が誰かに移植されたとき、「僕って誰?」なんだろうね。

 国際総背番号制によるIDは脳を主人公にするのか身体を主人公にするのか、大雑把に言えば、僕のアタマで言えばわからなくなります。養老さんなら、「脳」だと言ってくれるのでしょうね。

 別のマイミクさんが、コミックで、今市子の代表作、『百鬼夜行抄』、『大人の問題』を紹介してくれましたが、どんな言葉が適当か、いまのところわからないが、血縁でない国境を越えた「人工大家族」についてもっと、もっと考えたいと思います。

 ところで、マイミクさんから中村高寛監督のドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』について、このようなコメントをもらいました。

このまえ、初めて「ヨコハマメリー」を見まして、永登元次郎さんとメリーさんが手をつないで歩いていく後姿にぐっときちゃいまして。血のつながりのない姉弟というか、彼らの場合はそういう性自認も超えちゃってますが、こういう関係をソフトに守り補完することができたらどんなにいいだろうかと、思ったんですよ。メリーさんがずっと横浜にお部屋を持って、そこから「街」へ出勤することができていたら……と。そのときも「家族法人」のことを思い出したのです。

 そういう地平からふと浮かんだ「家族法人」なんだなぁとナットクしました。この地点から赤木さんが提示した問題を考えたいと思います。

harutoharuto 2007/10/15 14:48 はじめまして。

とあるところで、赤木さんとはやりとりをしたことがありますが、私が彼にものたりなさを感じるのは、この今市子的な家族関係をつくる方向にお話がいかないところ、「標準家族」を規範化したまま、それをつくることを社会的承認を通じての自己の尊厳の獲得に短絡的につなげてしまうところなんですね。

ジェンダー批判がまったくできない。フェミニズム批判をしながら、たぶんまともに文献を読んだことはないと思われる。2ちゃんねるなんかによく見られるフェミニズムのイメージだけで、それを否定している。その結果、自分の議論の限界に気づけない。これはもったいない。いつか気づいてくれはしないものか、と気長に待っております。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 22:15 >haruto さん、はじめまして、よろしく、
>「標準家族」を規範化したまま、
それは、確かに言える、(笑)。
僕自身、思春期になって、(半世紀前の話かなぁ)最初に疑問を感じたのは、なんで一夫一婦制なのか、一妻多夫制、一夫多妻制、多妻多夫制などが社会システムとして同居してもいいのではないかということでした。
実際合理的に考えても、今のような一夫一婦制の近代的核家族は、様々な経済的ムダ、歪みを引き起こしている。大家族の方が合理的だと思います。勿論あえて合理性の面を強調しましたが、そのような文化があってもいいと思う。そこまで、大家族でありながら、戸籍上は一人一人が自立した国民ではない、国際総背番号制。そんな思考実験しています。
そう言えば、京都での地球温暖化の会合であるコミュニティの試みで、一人暮らしの人達が夕食を輪番制にして、確か一緒には食べないで給食だったと思いますが、ムダのない台所仕事をするわけです。そのような実験的な試みの報告がありましたね。
フェミニズム問題は僕もやけどをした痛い思いがありますから、
どのようにコメントしていいやらわからないのです。
どうしてもすれ違いになってしまうのが多いですね。
だから僕が言えるのは「ジェンダーとしての男」からの言葉でしかないよと注釈をつけてしか言えません。しかし、最近、不思議に思うことは「僕が言っていること」に共振してくれる人が「ジェンダーとしての女」の人が多いような気がすることです。知らぬ間に僕のジェンダーが不分明になっているのかと、そんな疑念がありますねw。まあ、気長に待つことが出来るなら、気長に待つことはいいことだと思う。

harutoharuto 2007/10/15 22:54 kuriyamakoujiさん

レスありがとうございます。

今市子さんは「百鬼」などのホラーも描いているし、「文鳥と私」のようなエッセイコミックもあるんですが、「大人の問題」は彼女の「やおい」(私は、BL 、ボーイズラブという言葉が好きではありません)ジャンルの傑作のひとつですね。私は彼女の雑誌デビュー以来のファンなんですが、ここで彼女の名前に遭遇するとは思いませんでした。

思うに、kuriyamayouji さんは「腐男子化」が進んでいるのかもしれません(笑)

私は19世紀半ばのフーリエたちの空想、『愛の新世界』やピエール・クロソフスキーの『生きた貨幣』『歓待の掟』といった、モノガミー批判の系譜を、とあるところで赤木さんのお話と接続したことがありますが、「流動化」させるなら、そこまでやってほしいかな、と思う。なので、ヴォネガットはいい補助線かな、と。あとはSFならティプトリーも。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/15 23:46 今市子については、マイミクさんが紹介してくれたのです。
引用します。
******************************************************
今活躍中の漫画家で誰を推す? と問われたならば、「今市子」
と迷わず答えるでしょう。
この人の作品はとても「なつかしい」感じがします。
それは、長いアシスタント歴でこの方がついていた山岸涼子、森久美、ささやななえなどという1980年代に活躍していた作家の影を感じるためでも(この事実を知らずに最初に今市子の作品を読んだときに「あ、この人、森久美かささやななえのプロアシしてたに違いない!」とビビッときましたもん)ありますが、彼女の作品には確かに「かつてあった」、私たちがかつて持っていた、なにかしらなつかしさを感じずにはいられない世界が描きだされているからでもあると思うのでした。
今市子の代表作、『百鬼夜行抄』は、その表題に違わず魑魅魍魎や妖怪が跋扈する内容でありながら、少しのおどろおどろしさも気味の悪さもなく、いや、それどころかなつかしさとやさしさをこそ感じる作品であります。
そこそこにある、実在とはいえないけれども、なんとはなしに気配としてあるもの、目に見えぬもの、とるに足らぬもの、けれどもそれは近代科学主義・合理主義によることによって、私たちが「見ないようになった」もの・ことども。
そういうものやことをすくい上げていっているのが『百鬼夜行抄』という作品なのだと思います。
今市子の作品ではたびたび見られるものなのですが、この『百鬼夜行抄』の主人公の少年(今は青年か?)の住んでいる家は古い日本家屋で、襖で仕切られた部屋部屋、そして蔵があり、巨木のある庭がある。「影」がそこらここらにあり、主人公はそれらと共に生活しているんですね。これらもまた「なつかしさ」の要因でありましょう。
そして、実はこれが今回本題だったりするのですが、この日本家屋に住まうのは、主人公の少年とその母、父(養子で実は今は妖怪)、祖母。母にはたくさんの兄弟がおり、主人公には従兄弟もたくさんおり、いろいろ出入りしている。かつてあった「大家族」の姿のまたここにはあるのでした。
一方で、今市子の作品中で実は私が一番感心した『大人の問題』では血の結びつきよらぬ、けれども戸籍上では結びついている、という人々が描かれております。
主人公(20才の男子大学生)の両親は主人公が幼少時に離婚。理由は父が「ゲイ」と気づいたから。その父が配偶者たる男性を紹介するところから話は始まるのですが。
父の配偶者は男性なので、パートナーということを戸籍上で実現するためには養子縁組というかたちをとらざるを得ない。と、すでに父の戸籍は抜けたとはいえ、義理の兄ができることになるんですね。
そうしているうちに、主人公の母が父のパートナーのエリートの兄とやりあっているうちになんだかんだで結婚。戸籍上これは主人公の父。であり、主人公の実父のパートナーの兄。さらに、この「継父」には離婚した妻と娘がいて‥‥。
主人公には義理の兄やら父やら妹やらが「戸籍上」できちゃう。これを今市子一流の笑いを交えた描写で淡々と描いてみせるところがこの作品の優れたところで。
そして、『百鬼夜行抄』の前近代的といっていい大家族的なあり方と、『大人の問題』の錯綜する人間関係は、全く有り様は逆のはずなのに、そうは感じないどころか、同じ質を感じるのはなぜなのか?と考えていたのですが。
ゆるやかさ。結びつきのゆるやかさ、曖昧さ。
『大人の問題』のなんでもありを受け入れる鷹揚さと、『百鬼夜行抄』の、大人数ゆえの焦点のあいまいさ、という点が同質さを感じるのではないかな、と。
少数精鋭(?)の核家族では、関心も集中しがちだけれども、昔の大人数の一族の中では 「ああいうのもたまにはいるさ」みたいな容認のされ方もあったかな、と思うんですね。
己のアイデンテティみたいなのを模索するときも、今の家族では親ぐらいしかモデルがないけれど、もっとゆるやかな結びつきの中にたくさんのモデルを持っていると、ああいうのもありか、という共感を得られることもあるのではないかと思ったりして。
それを血族でやらなくても、規範によらぬゆるやかなむすびつきを得るモデルとして『大人の問題』はたいへん示唆に富んでいるような気がします。
***********************************************************
と言うようにマイミクさんのエントリーをネタにしたのです。
>「腐男子化」
実際、前立腺の病気でホルモン療法をしているから、当たりかもしれない。
クロソフスキーの『ディアーナの水浴』は若い頃の愛読書でした。
ティプトリーですか、読んでいないのでチェックして置きます。
赤木さんが、最後にヴォネガットを出したことは、ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない(意味不明だなぁ)w。

harutoharuto 2007/10/16 00:17 kuriyamayoujiさん

>実際、前立腺の病気でホルモン療法をしているから、当たりかもしれない。

知人におそらく同じ病気で、今年手術したひとがいます。たぶん kuriyamakouji さんと同じくらいのお年かと。お大事になさってください。

『ディアーナの水浴』はクロソフスキーの作品のなかで、私が一番好きなものです。翻訳者の宮川淳と豊崎光一も好きなんですけれど。原書も拙いフランス語で読むくらい好きです。

>赤木さんが、最後にヴォネガットを出したことは、ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない(意味不明だなぁ)w

わかるひとにはわかればいいんじゃないでしょうか(笑)。ひょっとしてると私も思いますし(笑)。

harutoharuto 2007/10/16 00:27 あ、いけない、今さんの話が抜けた^^;

引用していただいた方のお話はよくわかります。やおいにも物語の構造転換がありまして、男性の同性愛が「標準家族」という規範と衝突し、悲劇の結末を迎える、といったところから、今さんのようなところへ変化したんですね、queer family もの、といえばいいのかな。今さんほどのリアリティをもって描けるひとはなかなかいませんが、今さん以外にも同様のテーマを描いている作家さんはいたりします。漫画だけでなく小説でもありますね。

>山岸涼子、森久美、ささやななえ

森久美じゃなくて、たぶん森川久美ですね。私も愛読していたひとたちです。って、山岸さんは今、テレプシコーラで大人気か。

harutoharuto 2007/10/16 11:09 kuriyamakouji さん

お名前を何度も間違えてしまいました。。。
すみません。あちらでは同じコメントのなかでも
間違えているという。。。。。。ひらにご容赦を。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/16 11:28 ホント!気がつかなかったです。
だいたい、こういう間違いは、僕の十八番で、
しょっちゅうやりますよ、(笑)。
先日もある人たちから、「又、やっちゃった」と笑われました。

harutoharuto 2007/10/17 19:21 世帯の平等というのであれば、シングル・マザーやシングル・ファーザーの家計補助を考えてもいい。

実際、安定成長期〜バブルの期間でも低賃金不安定労働、離婚暦あり、子どもあり、といったシングル・ファーザーがいて、父子の会をつくったりしていた。役所にサポートを求めても、働けるんだから働いてなんとかしろ、と言われるばかり、とか。今の若者と同じ状況です。

一足飛びに今市子的、やおい、801的クィア・ファミリーにいかなくても、まずは、低賃金不安定労働シングル家計で子育てができる環境を制度的に整える、といったことでもいいわけですよね。

ただ、ほかのところで、ある方が赤木さんの境遇に関して、

>そもそも1日8時間、週3日のバイトで「親が働けなくなったら生きていけない」っつうのがリアリティなさすぎ。

とおっしゃっていて、これは「可処分所得100パーセント」の身体、パラサイト・シングルの身体の問題だと思います。「可処分所得100パーセント」でゲームなどの文化消費にアディクトしている生活が基本にあるから、生活費プラスおこづかい10万円、と考えると、そこからどうにかしないと、ということはある。おこづかい10万円もらっている正社員男性は平均的な正社員男性ではないでしょう。おこづかい10万円で子育てしてる男性もまず平均ではない。

文化消費へのアディクションも、グローバル資本による身体の植民地化の一様相ですね。私は今の若者は「映画の無慈悲さを知らない身体」なのだと思う。取り返しのつかないことがこの世にあることを知らない。ここで見逃したらもう一生この映像を観る機会はないかもしれないと、必死にスクリーンに向かって動体視力を発揮し、瞳を凝らした経験がない。映像ソフトであとから見ることもでき、一時停止も巻戻しも早送りも自在にできる。取り返しのつかない何かがこの世にあり、その取り返しのつかなさが「自己責任」ならぬ「単独者責任」を自分に負わせる、という「一期一会」の感覚、歓待の感覚が、急速に失われている。これはコミュニケーション・スキルにも影響します。太陽ではなく北風になってしまうのには、理由があるということです。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/17 21:26 >「可処分所得100パーセント」
そうなんだよね、僕は正社員時代よりフリーターの頃の方が金回りが良かったこともあった。衣食住にほとんど金を使わなくてもいいからね、正社員時代はランチにしろ仕事を終えてからにしろ、おごってばかりしていたからねw。数年前そのおりの後輩に会ったら、あの当時、ほぼ毎日、ランチを奢ってくれたでしょう。「いい会社だと思いましたよ」って言われました。だけど、僕も上司に夕食をご馳走になっていたからね、そんな連鎖がありました。でも、無理するからね、給料以上の社交をやるわけですよ、まあ、それも楽しいけれど、金遣いは荒かった。それから、フリーター生活を始めると、東京都内でも捜せば安い物件があるから、それに合った衣食住を始めるわけ。夜勤(夜勤の場合は仮眠があって実労働は数時間)とか、夕方だけとか、とにかく一日数時間だけ働かなくても暮らしが立つように上手に工面するわけです。正社員時代よりはある意味、贅沢な日々を過ごしたと思う。殆ど毎日、図書館に行っていました。図書館はタダですからね。面白いことに、そのようなフリーターの頃、同じ職場の家庭を持って何とか暮らしている職場の正社員たちが、可処分所得が雀の涙程度でしょう。フリーターたちを仕切っていたその正社員によくお金を貸していましたね。僕が債権者、でも偶に一緒に飲みに行くときは、奢ってくれるわけ。多分、接待交際費で落としているかもしれないけれど。一応、協力社員(フリーターという)でもお客さん。僕は人材派遣会社経由で仕事をしていたわけです。
そして、例えばその社員がパチンコをして負けて二進も三進もゆかなくなると、「金、貸して」となる。
そんな遊びの余裕がないのに、やめらないのですね。どうしようもない。正社員たちの労働地獄は見聞きしましたね。過労死で亡くなったのは珍しくないし、労災認定は嫌いますからね、氷山の一角ですよ。職場で勤務時間中に首をつった正社員もいたし、サービス残業は常態です。
こんなことを書くと長くなるので、やめますが、問題は「可処分所得」でしょう。
>「映画の無慈悲さを知らない身体」
成る程、いい言葉すね。もう一生この映画を見る機会がないかもしれない。このライブの感動はこれっきり!、この人にもう会えないかもしれない、「これっきり」、「これっきり」「一期一会」です。
「明日にも死すとも可なり」ですか、
データベースで保存するように、パターン化した「標準の生」をインストールして、最適な生を取り出そうとしているのでしょうね。
ひょっとして「最悪」が驚きの生を与えてくれるかもしれないのに、「最適化」のみを計量して人生設計してしまう。
僕から見ると、サビシィーと思うのですが、かって、僕の若い友人が、「栗さん、希望とか絶望なんて、どこにもありません、栗さんの若い頃あったのなら、羨ましいというしかないです」
彼は30代後半の大企業の正社員です。そして、赤木さんが少なくとも、「希望」という言葉を使ったことが、ある種の新鮮さを感じさせてくれたことは事実です。「希望」はかすかでも太陽のエネルギーを呼び込みますよ。彼は赤木さんより近い年代ですが、全然違いますよ、でも、どちらの言い分も理屈が通っている。
問題はやっぱし「一期一会」の感覚なのでしょうか。
希望を欲したり、そんなものありやしないと決めつけたり
そんな未来系、過去系ではなく、「今」を生き抜くことでしょうね。未来も過去も「今」の中に包含しているものだから。

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07/10/12

[]ウェブ炎上(サイバーカスケード?) ウェブ炎上(サイバーカスケード?)を含むブックマーク ウェブ炎上(サイバーカスケード?)のブックマークコメント

ウェブ炎上 ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) [ 荻上チキ ]情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX)インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書][rakuten:book:10995836:image]CODE―インターネットの合法・違法・プライバシーマスメディアのリアリティ間メディア社会と“世論”形成―TV・ネット・劇場社会

 荻上チキさんの『ウェブ炎上』’ちくま新書)が昨日、地元の本屋さんに入荷していました、早速購入して読み始めましたが、サイバーカスケード(集団行動)についての考察で、ネットにおいてサイバーカスケードは「いいとか悪いとか」のモンダイではなくて、それはインターネットの長所でもあるわけで、単になくしてしまえという発想で片づく問題ではない、アーキテクチャーとしてのネット環境をクールに考察しようとする啓蒙書ですね。僕には知らないこと、知らない言葉が一杯ありました。大体、本書で最も重要なキーワード「サイバーカスケード」という言葉を知ったぐらいの蒙昧の徒だったので、タメになりますよ。もうじき、読了です。

 参照:2007-10-09 - Kawakita on the Web

07/10/11

[]トークイベント「保坂和志×古谷利裕」 トークイベント「保坂和志×古谷利裕」を含むブックマーク トークイベント「保坂和志×古谷利裕」のブックマークコメント

 ミクシィの保坂和志コミュで、講演会の案内がありました。偽日記の古谷さんと対談するのですね。主催は中央大学文学会(http://www.lili.jp/~bungakukai/index.html )ですか、

保坂和志講演会

『小説を“お話”“つくりごと”として現実から切り離さず、現実の一環として書くにはどうしたらいいのか(仮)』

開催日時>11月3日(土・祝) 開場13:30〜 開演14:00〜

開催場所>中央大学多摩キャンパス8号館8304教室

講師>  保坂和志

対談>   古谷利裕

尚、入場料金などは一切かかりませんのでどなたでもお気軽にお越し下さい。

 とのことです。近場の人は参加したらいかがですか、僕は無理ですけれど、残念。

 古谷さんは、隔月誌『風の旅人』にも連載記事を書いていますね。

[]桂枝雀 桂枝雀を含むブックマーク 桂枝雀のブックマークコメント

◆道具屋

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◆代書屋

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 枝雀は動画にぴったりだなぁ♪

◆上燗屋

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07/10/10

[]多様な選択肢を 多様な選択肢をを含むブックマーク 多様な選択肢をのブックマークコメント

 ♪「au新料金に総務省が激怒「1円端末」は自由競争の成果か? 欠陥か?」NBonline

 auのプリぺードを利用しているので、全く関係ないのですが、ケイタイ業界のこの記事は考えさせられます。僕のケイタイ料金は月千円ぐらいです。端末もサービスだったわけで、満足しています。カレンダー機能、メモ機能、カメラ機能、それで充分、ネット接続はPCでやっているので、全然支障がないのです。みなさん、どうして、このようなシステム体系にハマッてしまうのか、想像できないところがあります。余分の金で本を買うとか、美味しいものを食べたい。縮んでゆくジジィにとってプリペードでもお釣りが来るのです。そんな老後デス。

 参照:301 Moved Permanently

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kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/10 11:12 僕は現在、旧KDDIのケータイロングを使用しているのですが(これはよいサービスだった)、このサービスが来年の3月で終了するので、どこかに乗り換えなければなりません。今の最有力候補は、ソフトバンクです。僕のケータイ使用のほとんどが家族間ですので、最低月980円の基本料金だけで家族間電話やソフトバック同士が無料というのは魅力ですね!
ところでこの最低月980円の基本料金というのにはトリックがあって、他社携帯にメールをするには基本料金300円が上乗せされます。それにハード保険とかも薦められますので、その辺が要注意で彼らの収入源にもなっている模様。
葉っぱさんお遣いのプリケーも、他社へのメールはできませんね!

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/10 16:13 そうなんだよね、でも、メールを使っていないから、別段不都合ではないけれど、現役で働いている方は、ケイタイは必須なのでしょう。常岡さんが、武田さんのpodcastで言っていたように、ジャーナリストにとってシムロックを解除したメール機能は大事だと言っていましたね。
先日、妹に会ったら初孫を産んだ娘とテレビケイタイ電話で赤ん坊の声と映像を発信しながら喋っていたが、成る程便利がいいと思いました。でもテレビ電話の料金体系はどなっているのかなぁ。充電も持たないので長時間は無理ですね。ゲンダイモンダイという優れもののpodcastを聞いていたらデジカメとDVDがドッキングしたカメラが3万円代であるんですね、3時間も撮影出来る。充電器もそこのメーカーでなく、別のメーカーのをオプションで買えば安く手に入ると言う。便利なものがどんどん市場に出ているのですね。追いつかない(笑)。

kuronekobousyukuronekobousyu 2007/10/10 19:04 テレビケイタイ電話はパッケット送信でしょうから、パケット定額制を使えば料金は気にしなくてもいいのでは?
シムロックの問題は大きいですね! これをロックしているのも携帯会社の囲い込み戦略でしょう?

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/10 22:11 そうだよね、パケット送信。モンダイは充電かぁ、
シムロックに関しては解除の方向性になっているみたいですが、
上のニュースを見ると、簡単にことが運ばないみたいですね。

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07/10/09

[]由利徹トニー谷 由利徹/トニー谷を含むブックマーク 由利徹/トニー谷のブックマークコメント

さいざんす♪マンボ♪

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 宮沢章夫の『80年代地下文化論講義』を読んでいたら、由利徹の動画を見たくなったのですが、残念なことにヒットしなかった。本書の文脈では<身体的な人>ということで、由利徹、ビートたけし竹中直人、<身体性の薄い人>として、いとうせいこうタモリ、トニー谷…、という具合になっているわけです。

 由利徹のデタラメ芸は、YOUTUBEのフレームにぴったりだと思ったのですが残念、それで、トニー谷の動画をアップ。これが面白い!

 トニー谷の算盤芸が懐かしかったので、「算盤」で検索したら、何故か映画『バベル』(巴別塔)がヒットしました。

 『上帝的如意算盤再打不響』の算盤(そろばん)ですが、何て言う意味なんでしょうか?

D

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07/10/08

[]ナンバで、トークイベント ナンバで、トークイベントを含むブックマーク ナンバで、トークイベントのブックマークコメント

 ミクシイからの情報で知ったのですが、大阪難波で興味ある講座が開かれますね。そっくりコピペします。

このたび、『なんば市民セミナー「格差社会を生きる」 〜貧困化する若者たち〜』と題して、大阪市立難波市民学習センターで連続講座を開くことになりましたので、お知らせします。

講師には、雨宮処凛さん(&フリーター当事者)、生田武志さんなど、若者や日本社会が貧困化している実態を把握している方をお招きしております。現状の把握とともに活発な議論ができればと思います。

以下、案内です。ご家族ご近所ご友人、お知り合いなどお誘いあわせのうえお越しください。

なんば市民セミナー「格差社会を生きる」 〜貧困化する若者たち〜

日時・内容

1.2007年10月27日(土)14:00〜16:00

内容:「生きさせろ!格差社会における自己責任論をぶっ飛ばせ〜講師とフリーターの当事者との対談〜」

講師:雨宮処凛さん&はけん・パート関西労組のメンバー、内藤進夫さん(はけん・パート関西労組神戸office)

2.2007年11月1日(木)19:00〜21:00

内容:「不安定就労から野宿へ 野宿者問題とフリーター」

講師:生田武志さん

3.2007年11月9日(金)19:00〜21:00

内容:「どう生きぬくか〜企業と社会の利益の一致の可能性と、プレカリアートの創造性」

講師:渡邊太さん

会場 大阪市立難波市民学習センター(大阪市浪速区湊町1−4−1 OCATビル4階 06-6643-7010)

趣旨:経済がグローバル化する中で雇用における規制緩和が推進され、パート、アルバイト、派遣、契約、請負、期間工などの「非正規」雇用労働者が、被雇用者の3人に1人に増えました。特に15〜24歳の青年では、2人に1人は非正規です。派遣などで働くフリーターの半分の人が年収100万円以下、8割の人が200万円以下といわれ、ワーキングプアネットカフェ難民の問題など、若者が貧困化している実態が次々とあげられています。 格差社会の中で、フリーターやニートは個人の問題や自己責任とする風潮は、なぜ起こるのか。社会問題やシステムの問題とは何か。日本におけるセフティネットとは、等々。私たちは格差社会をどう生きるのかを、共に考えあうためのセミナーです。

※申し込みが必要です。

申込方法:

1.http://www.manabi.city.osaka.jp/Contents/lll/kouza/inview.asp?CONTENTNO=25252より申込

2.往復ハガキ(必着)、FAX(06-6643-7050)、来館など

3.定員に満たない場合は、締切日以降も受付していますので、電話にてお問合せ下さい。

記載事項: 氏名・住所・連絡先・年齢、希望日を記載し、「格差社会を生きる」係まで。

 全部の講座は無理かもしれないが、どれかに参加したいと思います。一緒にどうぞ…w、生田武志さんの講座は参加できると思う。

[]自分自身を他者と見ることのできる当事者主義 自分自身を他者と見ることのできる当事者主義を含むブックマーク 自分自身を他者と見ることのできる当事者主義のブックマークコメント

 id:demianさんがトラバしてくれた「これは脅迫のように思えるのですが・・・」のエントリーは、いっぺんに豪華メニューを並べられて、「さあ、心おきなく食べて下さい」って、供応の心遣いが身にしみて、一粒残らず食べようと思ったのですが、どうやら僕の胃袋の許容範囲を超えて、一度では消化しきれないですね。リンクしているテキストも読みこなせないと全体像が見えない。

 このエントリーの重要なところは、「杉田俊介×内藤朝雄」、「上山和樹×内藤朝雄」のやりとりを対比して、「当事者性の問題」を投げかけているところだと思う。上山さんの「自分自身を他者と見ることのできる当事者主義」には、大賛成です。多分、僕もそこに倫理点を置いている。

 こうやって、上山さんのテキストを再読すると、僕もこのような「当事者主義」を核として上山さんのまとまった倫理書を読みたい気になりました。前著の『「ひきこもり」だった僕から』の以降のテキストを集めたものと、オールニートニッポンのインタビュー(長時間の音声でしたが、何回も聞きました)、『ビックイシュー』での斎藤環との往復書簡を収録して、どこかの版元で単行本企画して欲しいですね。

 赤木さんについても言及している。

例えばラディカルな「希望は、戦争」という文章を書いた赤木智弘さんは、なぜそう書いたのかということを懸命に説明しています。それゆえに不安や憤りを覚えるよりもそこに誠実さや切実さを見出して耳を傾けたり共感し応援する人が現れてくるのだと思います。

 連日、トラバして下さったid:demianさんのエントリーを一人でも多くの人に読んでもらいたく、本文に上げました。考えるヒントがありすぎましたよ。まだ、消化不良、再読しなければ、まっとうなコメントが出来ない状態ですが…。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20071008

07/10/06

[]明日は「身体炎上」 明日は「身体炎上」を含むブックマーク 明日は「身体炎上」のブックマークコメント

 荻上チキさんの新刊『ウェブ炎上』が発売ですね。詳細な目次がブログにアップされており、読むと色々と想像が逞しくなる。明日、本屋さんを覗いてみよう。

 小谷野敦さんがコメントを書いていますね。

 そうか、10万人か、その中をぐるぐる回っている。そういうもんだろう。ちなみに僕の同年の友達で議論系のブログをやっているのはいないなぁ、知らぬ間にこんなカタチのブログになったわけで、最初からあるカタチがあったわけではない。若い人達からネット上で刺激を受けたり、ネットで知り合った人たちとオフでも会うようになったり、そのような新鮮な出会いが毎年あってそれで、このブログが続いたというだけの話です。

 だから、従来のリアル場の同年のジジ・ババと疎遠になって、人脈相関図のようなものが、変わりましたね。リアル場も大切にしなくっちゃあ、明日は町内会の運動会で、綱引きにエントリーされているので、出場して久しぶりに身体を動かし、汗をかくとします。

[]「オタク」と「サブカル」とは(1) 「オタク」と「サブカル」とは(1)を含むブックマーク 「オタク」と「サブカル」とは(1)のブックマークコメント

ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を (新風舎文庫)

ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を (新風舎文庫)

ポリリズム(初回限定盤)(DVD付)

ポリリズム(初回限定盤)(DVD付)

 先日のエントリー「僕の脳内もちょっぴりスッキリしました 」から飛び火して、マイミクさんとやりとりが始まったのですが、、どうも僕は「オタク」と「サブカル」を見当違いに理解している疑念がある。そのことをカキコしたら、日本における「オタク」と「サブカル」とういうテキストをマイミクさんに紹介してもらいました。

 今、現在流通している「オタク」と「サブカル」理解のズレがあるかもしれないが、僕自身が体験した(っと言っても、サブカル体験であって、オタク体験ではない)記憶と付き合わせても色々と腑に落ちることがありました。特にサブカルの表象として「ヴィレッジヴァンガード」を出してくれたことは、脳内スッキリしたわけですよ。

 「オタク」の表象として「コミケ」の登場もそうです。ノンポリ学生だった僕はヤングマンメーカーに就職して「アイビー」とか「コンチ」とかオシャレに関心度の高い若者だったわけで、1968年、ある日、ふらりと、大阪を飛び出して、新宿、横浜へとフーテンして「おもちゃ、ホビー・音楽と本」というコンセプトの本屋さんに就職するわけ。今から思うと、この本屋は「ヴレッジヴァンガード」の先駆けのような本屋さんだったわけで、ただ、書籍部門と玩具部門とかはっきりと分かれていて、同じ店内に本・コミック・CD・ホビーなどが混在したわけではない。ヴィレッジヴァンガードはごちゃ混ぜにしたわけです。越境して、「サブカル」という物語を商品化したということでしょう。

大雑把にまとめるならば、オタクは漫画、アニメ、ビデオゲームなど(およびその愛好家)であり、サブカルは文学、ポピュラー音楽、映画など(およびその愛好家)である。またオタクはファッションに無頓着で恋愛経験に乏しく、サブカルはファッションに敏感で異性と盛んに交際しているとされているが、これは通俗的なイメージにすぎない。しかしこのようなイメージが流通する程度には、オタクとサブカルのあいだにライフスタイルや雰囲気の違いがあるのは事実である。

 確かに粗いのですが、僕の仮枠に収まってしまう。その疑念のなさが問題ではあるのですが、

1986年に第一号店が開店し、その後は全国に支店を広げている「ヴィレッジヴァンガード」(Village Vanguard)が典型である。「ヴィレッジヴァンガード」の店内には、いかにもサブカルが好みそうな書籍、CD、雑貨が所狭しと並べられいる。たとえば漫画のコーナーでは、先に説明した「サブカル系」の作品が優先的に陳列されている。サブカルの話題作は、ヴィレッジヴァンガードに通っていれば手に入ると言ってもいい。しかしこの店に嫌悪を示す年長のサブカルは少なくない。「『サブカルとはこういうものである』と消費者を囲い込む経営方針が気に入らない。

 確かにそのような啓蒙臭さを嫌う人がいる。僕の周辺でも「専門書店」(セレクトショップ)として「やりたいこと」を前景化しても当初の目新しさが過ぎると、敷居の高い「うざったい本屋」さんとしてお客さんの足が遠のくことがあった。そのような啓蒙さを忌避する流れが段々と本流となって、オタクが勝利を収めましたということに相成ったのでしょう。

 そのあたりの経緯は本屋の店頭で記述した、いわば、ポストモダンの街の本屋のメッカでもあった80年代のリブロ池袋店の店長であった田口久美子の『書店風雲録』、そして、ライトノベルの音痴ぶりを発揮する第二作目のジュンク堂池袋店にリクルートされた田口久美子の90年代の『書店繁盛記』とを会わせて読むとその辺の事情がよくわかる。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070624/p1

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060228/p1

http://www.bk1.jp/product/02390206/reviewlist/

 特にみーちゃんさんのレビューで、《でまたまた私は田口の古さを感じるんですね。団塊の世代の匂い。ちなみに私は前作に「で、意外と田口って古いなあって思うのが、再販制に対する姿勢。(中略)少なくとも再販制に対する姿勢に関して言えば、日本の出版文化が将来にわたってどうあるべきかという視点が全く見えてこない。そういう意味で言えば、この本に欠けているのはユーモア(車谷長吉の部分は、車谷自身の凄さに負うところが大きいと思う)だろう。どうも田口が自分で全共闘世代と名乗るように、その枠を超え切れてはいない気がしてならない。」と言い切っています。》……、みーちゃんさんの視点はオタクの人がもし、「サブカル」を批評すれば多分、こんな物言いになると思うのですよね。僕も「サブカル・ジジィ」として批評されるだろうなぁ。

 長くなりそうなので、この続きは明日以降にします。

 そうそう、このテキストは外国に対しても発信していて、フランス語訳があります。(註:このエントリーはフランス人の読者を相手に、フランス語に訳されるのを前提にして書いたものです。日本語として不自然な表現や、まわりくどい説明があるのはそのためです。なおフランス語訳はL’ « otaku » et la « sabukalu » au Japon.になります)

 id:kinkiraboshiさんの「おたくとヴィレッジバンガード」の記事を読むと、おたくは「サブカル」(ヴィレッジヴァンガード)にバリアを感じるのだなあとナットクしました。

 しかし、久しぶりに画像の本をアップしたら、文庫になっており、何と「新風舎文庫」じゃあない、マイッタなぁ…。相変わらず協同(共同?)出版社は生き延びて頑張っているということか。出版業界全体の売り上げがそれで伸びるのなら、それもいいかも。後は自己責任で冷静に「自己表出」の間口の広いツールとして利用すればいい。ただ、広告塔でない出版の場合、それ相応の身銭を切ったリスクがあるということです。

 金より自己実現で、救済、癒されることもあるということでしょうか。

 共同出版社系のムーブメントと、ライトノベルを始めとした「オタク系」とどこかで繋がっているみたいだなぁ、そんな気がする。

 参照:http://blog.hibi.her.jp/?eid=264513

seijotcpseijotcp 2007/10/07 01:20 取り上げていただいてありがとうございます。ただ、まだ書店には配本されていません。書店に並ぶのは9日以降になります。小谷野さんが早く入手したのは、おそらく小谷野さんが筑摩の方に献本するよう依頼したのではないでしょうか。
ところで内容についてですが、まず「10万人説」が一人歩きする前に検証が必要だとは思います(一応、院生中心説も)。が、その前に小谷野さんの言う「チキが言うような現象に参加している」と書いていることが、どのように理解されているのかが気になります。個人的には、本書は「議論系のブログ」をしている人ばかりを取り上げたものではなく、ウェブ上の様々なシーンで応用可能な分析ツールを検討したものなので、そのように理解されてしまう(しかも読まずに)のはちょっと残念なのです。

kinkiraboshikinkiraboshi 2007/10/07 01:55 トラックバックありがとうございました。
 ヴィレッジバンガードに入れないおたくが本当に現在もいるのかどうかは少し疑問です。けれどバリアのようなものは感じます。自分の内側ではなく、外側の方に。
 例えばこちらの(僕の)ブログにはあまりディープなおたくネタを書くことに抵抗があるし、mixiではこちらのブログの存在を秘密にしています。
 しかしそれはおたくとサブカルの対立のせいではなくて、一人でブログを複数持つことも珍しくなくなったwebの世界がもたらした解離かもしれませんね。ひとつの趣味ごとにひとつのブログ、という感じで。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/07 08:12 >トラカレさん
今日はこれから運動会で、綱引きをします。汗をかきますよ。
連休明けなんでしょうね、でも、入荷ちょいと前に入荷していると思い、街の本屋さんに行き、問い合わせるとするでしょう。
そうすると本屋さんは、そのタイトルが気になって仕入重要商品になる。一人でなく複数の問い合わせがあれば、効果的です。
だから、今日は本屋さんになくても「ウェブ炎上って、ある?」って訊きます。(笑)
9日に手には入ったら、トラカレさん、小谷野さんの指摘の部分を念頭に読んでみます。楽しみです。では…、

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/07 08:26 >kinkiraboshiさん、
確か茂木健一郎さんが、多動症的と自己分析していましたが、
自分の中にもそのようなバリアがあるし、外部だけの問題ではないでしょうね、
ただ、おたく系/サブカル系には深くて越えがたい壁があるような気がします。そのあたりの問題にリンクして、宮沢章夫の『80年代地下文化論講義』を読み始めたところです。
上に紹介したトラカレさんの「ウェブ炎上」(ちくま新書)もそのあたりの問題に言及しているかもしれないですね。
成る程、一人の人が複数のブロガーになって複数の「再帰性」のバッチをつけて他動的にウェブ上を動き回る。そうか…。

seijotcpseijotcp 2007/10/07 10:26 >栗山さん
綱引きかー。懐かしいですね。あ、そうか、体育の日なんですね。よい汗をかいてください。
営業ありがとうございます(笑)。感想楽しみにしております。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/07 14:36 >トラカレさん
体育祭の昼休みに地元の本屋さんに行って問い合わせました。
勿論、店頭にないから端末で調べてもらったら、この本屋のデータにアップされているのですが、なんと「只今増刷中」注文してくだされば、二、三週間で届きますの表示なので、「これ、おかしいよ、新刊で、取次ぎから入荷していないはず、休み明けに新書だから、どんと入荷するはず。注文すれば、二、三週間でお取り寄せ、増刷中のデータは直した方がいいのではないか?って優しい注意を致しました。それにしても、出版流通のイロハがわからない書店員がいるのは致し方がないとは思いますが、新刊の未入荷の本が「増刷中」の端末表示では困りますね。端末だけでも正確な表示字をしてもらいたいものです。ちなみにここの取次ぎはN出版ですが、出版社=取次=書店で、書店員がすべての書籍情報を把握するのは無理なのだからせめて、PC端末で、正確な情報をアップするようなシステムを一日も早く構築してもらいたいですよ。特に新刊情報が弱いですね、「増刷中」なんて、笑ってしまう。だから説明しましたよ、多分、9日に入荷するよって、僕の予言は間違いないって(笑)。

07/10/05

[]南無阿弥陀仏・海蔵寺♪free burma 南無阿弥陀仏・海蔵寺♪free burmaを含むブックマーク 南無阿弥陀仏・海蔵寺♪free burmaのブックマークコメント

 栗山富夫監督の『釣りバカ日誌 18』に登場するお寺が、どうやら菩提寺でもあった天台宗のお寺さんだと言うことを聞きつけ、確認のため見に行ったのですが、やっぱし、南浦の「海蔵寺」だった。あの墓地も懐かしい。関西のこちらに分骨したけれど、墓石の引っ越しは大変だから、スーさんがお参りしていたあの墓地に先祖の墓があるのです。でも監督と同姓(朝原雄三監督になったんですね、失礼)であるけれど、つながりはない(笑)。鐘つき堂の鐘もつきました。毎年、少年時代、この海と山で夏休みを過ごしたし、小学校も一年間だけ転校したから、この、瀬戸内が一望出来る村には色々な思い出があるんです。恥ずかしくも感傷的な気分になってしまった。もう一度行きたいなぁ、(http://www.urban.ne.jp/home/tamatama/0d/burarisansaku/05.html

 その感傷を吹っ飛ばす意味でもこちらの画像をアップします。

Free Burma!

07/10/04

[]アスカ&シンジそして、仲正昌樹 アスカ&シンジそして、仲正昌樹を含むブックマーク アスカ&シンジそして、仲正昌樹のブックマークコメント

 こう言うことを書くと、赤木さんに「おもちゃにして」(再帰性)って怒られるかもしれないが、前日にエントリーしたashibumiさんのテキストと、ニートホープさんが紹介している。僕も読んでいるピロシさんの江尻エリカについて、「正に『エヴァンゲリオン』のアスカちゃん状態じゃないですか。 」って書いていたが、ひょっとしたら、シンジ君は赤木さんでもあり得るのかなぁと思ったりもしました。でも、そのような再帰的迂回の言説は有効だと思うのです。まあ、赤木さん自身が「赤木智弘」を再帰的に取り扱ってみる作業をしてくれれば、いいのでしょうが、そんな「暇つぶしに付き合いたくないと、どなられるのでしょうか、でも、ネタとしてもみくちゃにされないと、強度として耐えうるベタなものは生まれないと思うわけ。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=580365706&owner_id=64795&comment_count=30

 ◆仲正昌樹さんが、赤木キャンペーンブログにコメントを書いています。

赤木くんの問題提起にポジティヴに答えるためには、右派左派にかかわりなく、労働政策や職業教育政策における公正さを求める議論をするしかないと思います。ー

http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071004/1191470579よりー

 このことは非常によくわかる。僕の身近な若者にせめてジョブカフェに行ってみたらとすすめるのですが、動こうとしない。何でもいいから焦点化した具体的なアクションをって言っているわけです。その前提の情報収集ぐらいはしてもらいたいです。まあ、その若者は特殊かもしれませんが…。

 (本質主義的思考はやめよう・脱構築的に発想し、実践はプラグマティックに)

http://www.bund.org/opinion/1083-5.htm

http://www.bund.org/opinion/1084-5.htm

 ◆新宿紀伊国屋で、『若者を見殺しにする国』のフェアがあります。

http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071005/1191518126

◆ 情況を読む@新宿extra 第二弾早くも決定! ◆

場 所 : 紀伊國屋書店新宿本店3階

開催期間 : 11月1日(木)〜11月30日(金)

テーマ : 論客「赤木智弘」の登場

 論文「丸山眞男をひっぱたきたい」(「論座」2007年1月号)で大反響を呼んだ赤木智弘さんの初の単行本が出ます。その名も『若者を見殺しにする国』(発売元:双風舎。10月25日発売予定)。この新刊を中心に、若者論・労働論などの関連書をセレクトします。ご期待ください。

赤木智弘さんのブログ:深夜のシマネコ http://www.journalism.jp/t-akagi/

『若者を見殺しにする国』キャンペーンブログ:希望は、戦争?http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/

テーマ・期間等は予告なく変更することがございます。何卒ご容赦くださいませ。

紀伊國屋書店のウェブページ http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jyoukyou/jyoukyou-extra.htm

 参照:ミクシィだけど、♪http://mixi.jp/view_diary.pl?id=582341688&owner_id=588908

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20071004

07/10/03

[]人材派遣も海外へ 人材派遣も海外へを含むブックマーク 人材派遣も海外へのブックマークコメント

 id:eireneさん経由で知ったのですが、明日のクローズアップ現代「“就職氷河期世代”夢はつかめるか」ですか、先日の民放の年金特番で、老後の年金生活は「マレーシア」に移住でリッチにやりましょうという放送があったが、海外で仕事をやらせてもらうか、暮らしも海外でと、余程、お金の蓄えがあるか、企業福祉の完備した正社員、公務員でないと日本ではマットウに暮らせないってこと?そんな敷居の高い国つくりはまずいんではないの…、

[]僕の脳内もちょっぴりスッキリしました 僕の脳内もちょっぴりスッキリしましたを含むブックマーク 僕の脳内もちょっぴりスッキリしましたのブックマークコメント

 id:ashibumi68さんのエントリー『〈究極の流動性としての戦争〉についての覚え書き(2)』を読みました。前回の『〈究極の流動性としての戦争〉についての覚え書き(1)』に続く長文の論述なのですが、腑に落ちることが沢山ありました。とくに「下からのネオコン」と「<セカイ系>的想像力」とつなげて、「戦闘美少女」を呼び出して、

〈セカイ系〉の物語では、男の子の代わりに戦って世界を救ってくれるのは、トラウマを抱えたため、だめな主人公を予定調和的に必要とせざるを得ない「戦闘美少女」になるのだが、そうであるならば、赤木氏が求める、全面戦争状態の只中で皆を庇護して、生活の安定をもたらしてくれる〈強者〉というものもまた、そのように都合よく各人の面倒を見てくれると同時に、荒々しい戦場で代わりに必死に戦ってくれる、慈愛に満ちた存在となるのではなかろうか(彼の専業主夫志向の根底には、そういう「戦闘美少女」への願望が控えているのかも知れない)。多分、イメージされている〈強者〉がそのように女性的で〈弱者〉には優しい存在だったからこそ、〈下からのネオコン〉などという、〈弱者〉である貧者自らが戦争の全面化を期待し、しかも、そこで自分のために(代わりに)勇ましく戦ってくれる〈強者〉を待望してやまないような、新しい形態が可能となったのだろう。

 かように書くのですが、僕は思わず、心の底から笑って(共感の…)しまった。《この種の〈セカイ系〉の物語は、傷つかないために戦うのを回避した「95年の思想」と、対照的に勝ち負けの戦いに耽溺する「ゼロ年代決断主義」との間に存在した、あくまで過渡的な形態でしかないそうだ。》

雨宮処凛赤木智弘を対比して検証すると色々な面が浮かび上がるでしょうね。

この世代は戦うことにすぐに足を掬われてしまい、それを実効性が何もない、単なる勝ち負けや、互いを排除し合うだけのゲームに矮小化してしまうからだ。赤木氏が抱え込む過剰な情念は、決してそういう矮小化されたゲームのうちには解消されないと思われる。そしてこの点をめぐってすぐに思い出されるのは、彼と同年齢の雨宮処凛氏のスタンスだ。彼女は本来、非政治的なメンヘル的情念の持ち主だと思われるが、現在は、そういう情念をすべて戦うことのうちに、しかも一番地に足がついた戦い方である、実際の権利保障の獲得や、法制度の具体的な改善のための闘争(現実的な社民政治)のうちに注ぎ込もうと努めてやまないでいる。多分、そういうところに注ぎ込めきれない過剰な情念を、赤木氏が体現しているのだろう。

 id:ashibumi68さんなりに、〈快楽−政治〉の中心問題(d:id:ashibumi68:20070807#1186522027)に絶えずアクセスせざるを得なくなるだろうという回路を用意してくれているのですが、僕なりの宿題として考えてみます。

 アタマ、スッキリ♪「あしぶみ」カプセル

赤木智弘赤木智弘 2007/10/04 00:22 その「セカイ系」の話が腑に落ちやすいのは、それが「男は仕事、女は家庭」という、性役割を肯定する男尊女卑の思想に過ぎないからです。
そして、弱者に「戦うこと」を強制する考え方は、弱者批難の基本です。

そうした偏見と差別の立場に強者として立つことが「すっきり」なのは、当たり前のことですね。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/04 09:39 ashibumiさんの全体を読めば、男尊女卑の思想は感じられないし、
弱者に戦うことを強制していない。ただ戦わないこと(目で見えない戦い)をも戦うことにカウントしている気がするが、そのような空隙のところで、論を展開しているから、いわば、asibumiさんは、「すっきりを断念」した誠実さというか、悩みを継続しているから、そこのところで、僕は「すっきり」したと言っているわけで、強者としてasibumiさんは立っていないと思う。
それとも、上の赤木さんのコメントを誤読しているのかな?
なんか、ashibumiテキストを全く違う読みをしている気がします。
まあ、ashibumiさんは、赤木さんの本をまだ読んでいないから、彼のブログで言及しているように、これ以上は、読んでから語るようなことを書いていますから、発売されてからの彼の言及が楽しみです。
でも、僕はashibumiさんのテキストが赤木さんについて書いたものの中で最も誠実な、よく考え抜かれたものだと思う。
彼の言い回しは微妙なもので、部分を取り出して強い反応をすれば、誤読を誘うが、全体としてもの凄く、僕より以上に赤木像を肯定的にシンクロしていると思う。勿論、実際の赤木さんと違うと思うけれど、彼の語る赤木像はとても説得力がある。文体の問題でもあるかもしれないが、今回、赤木さんが脱稿したテキストを読んで、彼のテキストを読んで初めて、赤木さんのテキストが僕なりに深く理解出来たところがありましたね。そう言う意味で、彼のテキストは赤木論考の見事な補強になっている。そういうことを感じました。まるで、赤木本の解説文のような気がしたくらいです。
特に最新の(2)のエントリーは…。

ClossOverClossOver 2007/10/04 11:56 最初のコメントの「男尊女卑」は間違いでした、「女尊男卑」が正解です。
女性に一家の大黒柱になってもらうことを否定するなら、専業主婦だって否定されなければならない。
というと、「今、専業主婦になれる女性は少ない」なんてことを言う人がいるわけですが、別に今の女性に批判の範囲を限る必要はまったくない。少なくとも、バブル崩壊までは専業主婦は少なくなかったし、パート程度で生活できる主婦だって、専業主婦とみなしていいでしょう。

 で、男性が女性に収入を頼ることがセカイ系だというなら、女性が男性に収入を頼るのだってセカイ系だろうと。
 彼が「セカイ系」とか「戦闘美少女」というオタク的ワードを使ってやっているのは、単なる「弱者男性批判」です。そして弱者男性批判は「女性だって同じことをやっているではないか」という批判で簡単に崩壊するのです。

こうした弱者男性批判を、彼は誤読とはいえない範囲でやっています。第一「セカイ系」とか「戦闘美少女」というのは、確実に男性オタクだけを批判する用語ですから、そもそもそういう単語を使う時点でアウトなのです。

それ以外の部分についても、「安定した生活」と「戦争」を私がちゃんと優先順位をつけているのにもかかわらず、それを無視して並列に語ったりなど、まったく私の文章の表面すら読めていない。
ただ、彼自身の男性弱者に対する偏見に、もっともらしい(新進気鋭の若手社会学者が喜んで使いそうな)単語というスパイスを混ぜて、放り投げているに過ぎません。

彼の書いたものは、単に私の文章をオモチャにしているだけのものです。なんら読むべき内容なんかありません。

赤木智弘赤木智弘 2007/10/04 11:57 名前欄の修正を忘れてました。
ClossOver=赤木智弘 です。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/04 21:21 >赤木さん、
「女尊男卑」でしたか、オカシイと思ったんだよね(笑)。
今日は昼間、病院に行って栗山富夫監督の『釣りバカ日誌 18』を見ました。普通見ない映画なのに、何故、見たかというと、
小学校の頃、一年間転校した瀬戸内の村の菩提寺『海潮寺』がロケされていたからです。そこで、そのお寺さんの大黒さん役の星由里子が重要な役どころなんですが、上で赤木さんが大黒柱なんて懐かしい言葉を使うもんだから、そうだ、お寺にあっては、おかみさんを「大黒さん」だと言うんだと、その懐かしい響きに、「鐘をつきたい気分」になりました。
東京から蒸発した三國連太郎がふと立ち寄ったのが「海潮寺」なのです。そこで、鐘をつく場面があるのです。見事な海が一望できる素晴らしいところで、夏休みの都度、ここの浜で磯あそび、海遊びをしたものです。僕はここで、鐘もつきました。いや〜あ、懐かしかった。三國連太郎がそこで墓参りする場面があるのですが、
うちの先祖の墓もそこにあるので、なにやら不思議な感じがしました。この村で、幟を立てて坂道をあるく葬列にも参加したことがあります。南無阿弥陀仏…。
◆ashibumiさんに関しては赤木本が上梓されて、それを読んだ上で、コメントを発信してくれると思います。恐らく、僕の受信装置と赤木さんの受信装置は違うものであろうが、それは仕方がないことです。赤木さんが持っている問題意識と僕が持っている問題意識はズレているだろうけれど、それは当然だという前提が僕にはある。その上での僕の発言です。
ず〜と感じていることは、赤木さんだけではなく、他のところでもよく言及されている、特に「当事者」、「弱者」という言葉のわからなさです。濃度・グラデーションとしてとらえるのならわかるのですが、完全無欠な当事者、弱者なんてのは、どこにもいない、もし居たとしたら、その人は「神」であり、「強者」であろう。
「働く」ということも単なる生産点で考えるのではなく、例えば、寝たきり老人がおむつをとりかえる時、なんとかお尻をあげる動きも「働く」ことだと考えたい。
僕の関心どころは、今、そういうところに向かっています。
まあ、赤木さんは、頑固な方向性を持続する(それが、僕に時には見えなくなりますが)何らかの信念があるので、その何らかを出来る限り誤読・誤配を生まないような、言葉を生み出して下さい。
説得ではなく共振だと言うかもしれませんが、説得する言葉ってやはり大事だと思う。特にものかきにとっては…。

kuriyamakoujikuriyamakouji 2007/10/05 00:29 私事に属するようなことなのですが、上の菩提寺は「海蔵寺」です。「海潮寺」は萩にあって、宗派が違います。
映画の場所の設定は瀬戸内市なのですが、こちらのお寺さんだけは、僕が子ども時代過ごしたところだと思う。

07/10/02

[]ぴぴさんのブログ再開 ぴぴさんのブログ再開を含むブックマーク ぴぴさんのブログ再開のブックマークコメント

 長らくオヤスミになっていたぴぴさんのブログが再開しましたね。コメントレスをズルしても構わないから、

 ゆっくりと、マイペースで継続して下さい。

 ♪http://blog.goo.ne.jp/ginyucinema

[]福岡伸一動的平衡 福岡伸一♪動的平衡を含むブックマーク 福岡伸一♪動的平衡のブックマークコメント

D

 マイミクさんが『生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一のトークライブ(ABC)に行ってきて、そのコメントを読んだら、朱肉でサインしてくれたんだって、そこに、

動的平衡と書かれていた。この言葉は僕も大好きで、ハチマキか、はっぴか、Tシャツ、バッチにしたいくらい。

 今晩、23時のNHK爆笑問題に福岡さん、出演しますね。

 今、見終わりました。最高!福岡さんて、くいだおれ人形?に似ているって、冒頭太田光が言っちゃったが、本当だぁ、先週の金曜日に道頓堀でお目にかかり、記念撮影を撮ったばかりなのです(笑)。

 しかし、話は哲学、宗教、科学と深く、多岐に渡り、それらは結局、「文体の問題」だと言う。エントロピーの増大に抗う生命現象は、破壊に向かうどんずまりに一歩先んじて、自らを破壊さすことによって一回こっきりの秩序を得る。その時、その場で現れるもの、もし、ヒットラーのクローン人間を作り出しても、今、この場では、パチンコのオヤジとして出現するかもしれない。そんなことを太田光は言っていましたね。

 この番組は面白い、まさに、知は人を自由にさせてくれる。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

[]大阪発LLPとは? 大阪発LLPとは?を含むブックマーク 大阪発LLPとは?のブックマークコメント

毎日新聞大阪本社の一面の今朝の記事に『ニート自立支援ネット 大阪府NPO、企業と連携』があったので、ネット検索したら、日経ネット関西版がヒットして、2007/09/15配信となっている。遅いじゃ〜あん。

しかし、《働かず、学校にも通わず、職業訓練も受けていない「ニート」と呼ばれる若者たちの個性や隠れた能力を生かせる職場をネットワークを使って探し出し、就職につなげる事業として大阪府が全国で初めて有限責任事業組合(LLP)に運営を委託して行う。》というような記事をですが、「LLP」が、よくわからない。

 勿論、創刊なった『フリーターズフリー 01号』は、有限責任事業組合フリーターズフリーが編集・発行したものですが、実際、当事者として実務をしないと、イメージとしてつかまえることが出来ない。これから、様々な人たちが、このシステムを利用することで、問題点も浮かび上がり、商慣習も出来上がって行くのでしょう。

 最初期のメンバーが集まったのは四年前でした。はじめはただ雑誌を協同で発行するつもりでした。でも、具体的に何かを試みる必要があるのではないかと考え直し、タイミングよく新会社法が施行されたこともあって、有限責任事業組合(LLP)として登記しました。どうしてこのようなかたちを選んだのかは巻頭セッションでお話しします。もちろん「権利要求だけする甘えた奴らだ」と言わせたくなかったということもあります。とにかく、これで、わたしたちは『組合員』として、協同事業を行う選択をしたわけです。

 予定されていた原稿の内容も組合員によっては大きく変わりました。残念なことですが参加者の脱退もありました。当初は四人の組合員のうち三人が二十代の後半でしたが、その三人も今はみんな三十代です。もはや客観的に「若年労働問題」の当事者とは言えません。でも相変わらず不安定な雇用形態で働いているのも事実です。

 それから正直に話しますが組合員はみんな大卒です。不安定労働の問題はずっと昔からあって、それが「問題」として語られはじめたのは、大卒のフリーターが増えてきたからです。実際に今「仕事がない」のは高卒者なのに。でも、もっと言えば、高卒の就職が安定していたときは、不安定労働を担っていたのは女性でした(もちろん、今だって女性の不安定労働者はたくさんいます、あまり「問題」として語られないけれど)。ようするに、「男の大卒フリーター」が発生してはじめて、フリーター問題は「問題」として認知されたわけです。そんなわけで、わたしたちは、自分たちこそがフリーターの代表である、と主張するつもりはまったくありません。むしろ、そのように語ることが、複雑で多様な現実を見えなくさせてしまうと考えています。

 巻頭セッションで、三段組みという大容量のやりとりをしています。大澤さんによると、株式会社のメリットと民法組合のメリットを併せ持つシステムで、「有限責任」、「内部自治」、「構成員課税」で成り立っている。具体的には本書で確認して下さい。

[]編集者の思い♪ 編集者の思い♪を含むブックマーク 編集者の思い♪のブックマークコメント

 赤木智弘『若者を見殺しにする国』(双風舎)を刊行するleleleさんが、何故、この本を出版するようになったかを二回に渡って書いています。

『一回目』

『二回目』

 ◆『風の旅人』の最新28号も発売されましたね、雑誌であるけれど、編集長の思いは、そのまま消費されて捨てられることを断念した「いわゆる雑誌つくり」ではなく、残して行きたいという強い思いを感じる。まあ、本屋さんでは雑誌コーナーに並べられているけれど、コードは書籍ですね。いまだにヴィレッジヴァンガードあたりで、バックナンバーが陳列されているのがわかります。読みたい方はこちらの図書館にどうぞ!取りあえず20号までですが、追ってバックが揃います。

そして、「風の旅人」を通じて紹介していきたい写真は、現代の「聖画」になりうるものなのだと思った。上手いか下手か、モダンかオールドか、現代風かそうでないか、キッチュか正当か等々、写真に関する評価は様々にあるが、私はそんなことどうでもいい。唯一つ、現代の「聖画」であると自分が信じられるものかどうか、ということを軸にしたいと改めて思った。これまでは、「聖画」という概念はなく、自分の感覚を大事にして写真を選んでいたのだが、その選び方に言葉を与えるとしたら、たぶんそういうことなのだろう。

しみじみとうまく、しみじみとさみしい - 風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜より

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07/10/01

[]介護の家 介護の家を含むブックマーク 介護の家のブックマークコメント

[rakuten:book:11293896:image]ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死 (中公文庫)僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由 (文春文庫)おひとりさまの老後

 成る程、こういう介護ビジネスもあるんだ。

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格安スマホのおすすめ 価格以外に比較すべき7つの重要項目

 参照:死に花 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

 2005年10月14日付けでこんなことを書いていました。

 西澤隆で編著『人口減少時代の資産形成』(東洋経済新報社)を贈呈されました。

 話は結構多岐に渡りましたが、有識者やマスコミ、政治家がタブー視してあまり言わなかったことで、僕がこのブログでもよく言っていた少子化問題の解決策の一つに

 【1】外国人労働者導入の積極的受け入れを講師も言っていました。要するに「出稼ぎ型」でなく「定住型」で、それによる経済効果一つにしても税収でなく、社会保険料を考慮すれば十年度で約三倍の増収が期待できるとするわけ。国民年金は二十五年掛けなければならないから、二十五年間、国のため働いてくれるわけです。勿論、国籍法、戸籍、様々な法整備が必要でしょうが、経済的な面でなく、外交、文化面でのメリットは沢山ある。要するに様々な人種を受け入れる開かれたジャパンになるわけです。

 少子高齢化社会が避けることの出来ない災いとしてと捉えるのは間違っている。何でそのことに不安になるのか、それによって人口が減少して税収、年金保険料が減るということでしょう。その前提に労働人口が減るということがある。でも果たしてそうであろうか、

 【2】未だ50%未満に留まる女性の労働人口比率を5%アップすることで今後20年間は充足することが可能。しかし、「女性の社会進出」は出生率を下げるとの神話があるが、データを検証するとそれとの因果関係は全くない。逆に諸外国を見ると、「女性の働きやすい国、活躍する国は出生率も高い」というデータになっている。何の問題もないのです。ただそのためには必要な施策がある。

 2020年までにやることは、[A]保育所の増設★必要施設 2万ケ所、★必要保育スタッフ 44〜48万人[B]特別養護老人ホームの増設★必要施設 5581戸、★必要スタッフ 21万人、こういう施策にこそ国はどんどん、予算をつけるべきです。後で充分、還元されるのですから…。

 【3】フリーターの増加 大体フリーターの平均年収は140万円、正社員の年収、コストを比較して4倍ぐらいでしょう。でも税収は4人のフリーターからゼロ、一人の正社員からのみ徴収という構図になる国民年金保険料も事情は似ている。僕は外国人労働者、女性労働問題よりフリータ、ニートの問題は解答が難しいと思う。140万円以下でもきちんと税金を取るか、何らかの収入があれば必ず何%かは徴収される。それで、やっていけなければ、公的扶助のかたちで還流させる。要は税収入を増やす施策でしょう、直接税が無理なら消費税となるのですが、僕の昔からの持論は直接税を廃止して消費税でまかなえっていうことです。もっとも公平は税負担だと思うからです。講師の試算は2013年で消費税率は26%になる。

 まあ、2003年末の個人金融資産は1403兆円で土地や住宅を含んだ総資産は2500兆円ぐらいになる。そんな土俵の中でハッピーな老後を送るための最大なコストは「頭を使わなくてはならない」と言うことなのです。「アタマ、アタマ♪、アタマがないと、お金が逃げる」って言う身も蓋もない話ですね。

 このことと、赤木智弘氏が提示した問題と繋げてみたい。しかし、この講師の消費税26%の思いきった提案にはびっくりしましたね。でも、EUでやっているのだから、出来なくはない。一昨日、会ったベルギーの人の話では、教育、医療は無料、日々使う食材の消費税は6%ぐらい、贅沢品は26%と、差をつける。それで、いいじゃあない。要は、この国の人々が生活のインフラのセーフティネットの構築のためには、税金が高くてもいいよという行政・政治に対する信頼を持てるかということでしょう。

 そんなインフラがあれば、○○○兆円?の個人資産を若者のために出来るだけ吐き出してもいいという気分に年よりはなるかもしれない。政治に対する信頼がないから、先行き不安で、ジジ・ババが「頼りになるのはおカネだけ」と、手放さない関係性の貧困の底なし沼に陥ってしまう。そういう関係は若者にとっても年寄りにとっても不幸せな関係でしょう。

 独居死は自然死なのか、孤独死と独居死は、どう違う?

 土曜日の美馬達哉×立岩真也のトークイベントで、確か、立岩さんは「孤独死は自然死か?」って言っていたよね。家族・友人に看取られるのが、「社会死」か。いや、病院なら、それも「社会死」であろう。

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