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08/10/01 一冊の本、必殺の本タマ

[][]中岡哲郎/「小さな図書館のプロフェッショナルな労働者たち」 中岡哲郎/「小さな図書館のプロフェッショナルな労働者たち」を含むブックマーク 中岡哲郎/「小さな図書館のプロフェッショナルな労働者たち」のブックマークコメント

朝一で、本屋さんのレジ前によく置かれている、一応定価100円だけど、朝日新聞出版のPR誌『一冊の本 10月号』をもらってきました。

巻頭随筆ー「一冊の本」で中岡哲郎先生が、『小さな図書館のプロフェッショナルな労働者たち』という大阪の橋下改革の逆風の中でへこたれないスタッフたちの働きぶりをドキュメントし、『大阪社会運動資料センター』、『労働情報プラザ』の10年に渡る経過について短文ながら熱いエッセイを書いている。

 「プラザ」の置かれている場所は「大阪府立労働センター」(通称エル大阪)の、南館二階であった。三階には大阪府総合労働事務所があり、職場のトラブル、仕事選び、能力形成、その他多様な相談窓口を開いている。その窓口を訪れた若者が、二階に下りてきて、問題解決に役立つ本を探す、本館八階にある労働委員会に来る弁護士や労使双方の関係者が労働判例集や参考資料を探しに来る、という風に、「労働センター」の機能と結びついた来館者が重要であることはすぐ分かった。直接来館者で多いのは、社会保険労務士や中小企業経営者による、労働判例集、府県統計書、企業経営実務書などの利用で、中小企業の町大阪で、資料購入予算のない企業人職業人に、「プラザ」の存在が貴重であることも知った。このように、彼らは来館者の社会的背景、それに固有の問題群を確認しつつ、その問題意識に応える本を揃え、配架を工夫し、検索システムを整え、大阪府の労働行政と市民を媒介し、問題解決を助ける「プラザ」を作っていったのである。特筆すべきは彼らがコンピューター処理能力を駆使して、「プラザ」を、ネットを介して利用者との間に恒常的情報交換のある図書館にしたことである。

 受託前年度の「プラザ」の年間利用者は3515人であった。受託後その人数が年々増え、2006年度には14051人と4倍になったのは、何より彼らの方針が正しかったことを示す。本館4階にある社運協資料室を改造して小さな閲覧スペースを作り、利用受付はプラザで行い、希望者を資料室に案内する形で念願の「大阪社会運動資料センター」を開設したのもこの年であった。こうした彼らの働き方をどう形容するか。私にはプロフェッショナルという言葉が浮かぶ。彼らのプロフェッショナルな労働が「プラザ」をお役所仕事から解放し、発展を導いた。

 これを書き写していると、急に怒りがこみ上げました。「本館4階にある社運協資料室を改造して小さな閲覧スペースを作り」の作業を僕はボランティアで参加したのです。引っ越し作業とレイアウトのお手伝いでしたが、それが橋下知事の蛮行でリセットボタンを押されたのです。砂場で折角、苦心して砂のお家を建てていたのに、近所の悪ガキが突然強襲してお家を足蹴りにしたというわけです。僕のあの肉体労働の汗はなんだったのかw。意味のない労働でも対価があればまだしも、対価のない労働で全く意味がないとしたら、それこそ刑に服した労役よりひどい!ひどすぎる。

 温厚なオレでも頭にくるのは当然です。

 まさにその時彼らは、「橋下プロジェクトチーム」から、「労働情報プラザ」は七月を以て廃止する。文書整理委託費、書籍廃棄委託費、物品廃棄委託費を支給するから、九月一杯でフロアを空にして立ち退くようにと通告されたのである。この「書籍廃棄」という文言は「焚書」ではないかという反撃に驚いて撤回されたが、それ以外は、四か月の反対運動によっても絶対に変更されなかった。そこに透けて見えるのは、図書館から本や閲覧施設を取り除くと、「経済価値」を持つ広いフロアになるという貧しい思想である。四人が八年間注ぎ込んだプロフェッショナルな労働が生んだ「価値」は、一顧だにされなかった。

 読み終わった労働関係、湯浅誠の『貧困襲来』や貧困問題、小熊英二の『<民主>と<愛国>』、森岡正博の『無痛文明論』とか、宮台真司大澤真幸仲正昌樹立岩真也上野千鶴子本田由紀内田樹中沢新一武田徹渋谷望」、萱野稔人大塚英志東浩紀など、僕や、スタッフが寄贈した本は沢山あります。福利厚生の意味も兼ねて「おたんこナース」や、「研修医なな子」や、「動物のお医者さん」とか、コミックや小説もありましたが、それらは全部、寄贈です。

 そして、今、それらの資料は分散している。それらの一部を僕はリサイクルで頂戴して、病院の図書室に寄贈しています。

 橋下知事批判の数々を連ねようとは思わない。知事が、成し遂げたい目標は、大阪府政の各部門をお役所仕事から解放し、プロフェッショナルな労働者の集団に育てることなしには実現できないと私は信じている。知事の第一歩が正反対であったのが残念だとだけ書く。

 知事の第一歩が明後日の方角だったら知事にとっても不幸だし府民にとっても不幸だと思う。善意の錯誤ほど怖いものはない。