成瀬巳喜男「めし」

めし [DVD]めし (新潮文庫)
図書館にあったビデオを借りる。(DVDでありません)
DVDも置いているのですが、ビデオの方が面白いものがあるのです。
解説文にある「山根貞男のお楽しみゼミナール」をチョイス。

 成瀬巳喜男はある時期、"ヤルセナキオ"と仇名されていたという。1940年代、つまり戦中から戦後にかけての頃で、年齢では三十後半から四十代にかけてである。
 当時、成瀬巳喜男は、実生活においても、どん底の状態にあった。結婚生活に破れて離婚し、戦争一色の時代のなか、戦意昂揚映画をつくらないゆえ、時勢から取り残され、戦後になったらなったで、民主主義映画をただちにつくるわけでもなく、やがて再婚はするものの、めぼしい作品を生み出せない。ひとり黙々と酒を飲む日々がつづいた。
 だれが言ったか知らないが"ヤルセナキオ"とは、なるほど、うまい仇名であるともいえる。
 そんな成瀬巳喜男が、しかし、スランプから脱して、みごとな映画を撮った。「めし」がそれである。(後略)

昭和26年度の作品で、観光バスに乗るシーンもあり、北浜、天満橋大阪城、道頓堀など、結構、復興して僕の記憶にある昭和30年代の街の風景とそんなに違いがなかったです。
くいだおれ太郎」もチンドンやっていました。撮影した時期と「くいだおれ太郎」誕生とそんなにズレがなかったんですねぇ。
映画の中のキャバレー・ダンスホールは「ダンスホールメトロ」なのかなぁ。「ダンスホール富士」なら数回行ったことがあったけれど、昭和40年頃か、1960年代ですよ。「めし」の時代は1950年代の入口ですよ。