bk1に書評をアップ。

黒岩比佐子の「パンとペン」について相変わらず書評と言ってもいいか筆者の僕が一番疑問な偽的書評をbk1に投稿しました。
タイトルは『「パン」をメタに「ペン」をマジに』
http://www.bk1.jp/review/488533
よろしかったらご覧下さい。投票もねぇ

 教科書的に堺利彦と「平民社」は幸徳秋水大杉栄荒畑寒村達の文脈で知っていたが、「売文社」のことは寡聞にして知らなかった。
 平民社の週刊「平民新聞」が創刊されたのが、1903年11月で「自由・平等・博愛」を旗幟として、社会主義を宣言、日露開戦にも反対、共産党宣言の邦訳を掲載するなどして、とうとう1905年1月発禁となる。
 その後、日刊「平民新聞」として発刊されるが(1907年1月)、4月に発禁。そうした流れのなかで危機感を持った国策捜査で1910年の大逆事件が起こり、幸徳秋水らが一斉検挙される。
 年開けて1月24日、25日に12人が処刑される。入獄していたがために大逆事件連座を免れた出獄して間もない堺利彦らは秋水らの死体の引き取りと火葬を行う。
 そんなタイトな時代背景、個人的にも疾風怒濤の中で入獄中に「売文」をビジネスモデルにした「編集・出版プロダクション」の構想を練り出獄して今で言う「ベンチャー企業」を立ち上げたわけです。
 明治・大正のホリエモンか、出版と映画などメディア戦略で駆け抜けた角川春樹、「太った豚より痩せたソクラテスになれ」と東京オリンピックの年、東大の卒業式で大河内一男総長が言ったとされるリンクで妄想すれば、現在のマスメディアで働く人々は堺利彦らと比べて果たして「自由」である覚悟の哲学を持っているか心許ない。
 多分、「パンとペン」どころか、パンをメタと処理するどころか、マジに「パンのために就活」する。「ペンはメタに過ぎない」と、その孤立した無縁社会では「孤立の自由」しかない。博愛はルサンチマンに変色し、平等は死語で格差が益々実体化する。
 恰好良く言えば、堺利彦の「売文社」の「パンとペン」は絶妙なバランスに立った「パンをメタにペンをマジに」の強かな処世であり、「孤立した個」ではなく、「孤独の個」を受け入れた個人主義の基底の元に他者とどこまでもつながるダイナミックな生き方だったと思う。
 だからこそ、普遍性を信じる哲学、思想があったし、「言葉の戦い」があった。何ものにも替えがたいものが「言葉」であるだろうし、色んなものに替えることが出来るものが「お金」のお金たる所以だし、お金で買えない「言葉」はある。
 そんな言葉を僕らは「詩」と言って聖域に祭り上げる。「思想」もそうだ。投げ銭されても、それはお賽銭。
 売文社のビジネスモデルは翻訳、出版企画、演説原稿、大学卒業論文やレポートの代行、ゴーストライターなど、「或る女から或る男への手切れ金請求の手紙」まで代筆している。足袋屋の広告文、自殺しようとする男の遺言の草稿を真面目に引きうけ要求通りの文案をつくったりもする。
 作者は「神は細部に宿る」とばかり、微に入り細にわたって堺利彦にまつわるエピソードを渉猟する。
 内容もさることながら、他書に類を見ない本書の特長の一つに本文中でも巻末でも引用されている膨大な参考資料にあると思う。
 例えば、あまりに堺の逸脱するキャパの広さに同時代のジャーナリスト宮武外骨を思い出したが、 案の定、作者はこんなことを書いてくれている。
 《また、この翌年の『日本一』七月号と八月号にも、宮武外骨堺利彦のコンビで「奇想凡想 ハガキ問答」が掲載されている。これは、同誌編集部のからの依頼で始まったそうだが、まるで漫才のように面白い。ただし、伏せ字だらけの上、その筋の圧力を受けて、残念ながら二回で中止になった。(p387)》
 この雑誌を読んでみたくなったが、手に入れるのは大変でしょう。
 『古書の森 逍遥-明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』を上梓している黒岩さんならではのこだわりであり、国会図書館にも蔵書のない資料も沢山ある。古書会館で資料集め、古本渉猟、本書を上梓するまでの作者の全身全力投球ぶりが伺え、「書き下ろし」の筆圧に圧倒される思いでした。
 聞くところによると、作者が最初に編集者デビューした出版社は色んなことをこなす「売文」社のようなところだったらしい。そんな作者の編集者体験が「平民社」の堺利彦ではなく「売文社」の堺利彦に感染してフォーカスしたのか。
 でも、残念なことに本書が店頭に並び、サイン会、トークイベントもやられ盛況だったのに黒岩さんは11月17日に旅立ってしまった。あまりにも信じられないあっけなさでした。1933年1月23日、堺利彦永眠。


今朝からケア入院。病棟は11階です。
だけど、抗がん剤はメタ処理出来るクールさを僕は持ち合わせていない。
ただ、ただ、マジに平伏すばかり、だって抗がん剤は「最後の女」みたいな他の選択肢のない「宿命のクスリ」ですからねぇ。
哀しいかなぁ僕にとって抗がん剤はペンより強し。
だけど黒岩比佐子の『パンとペン』においては、
間違いなく「ペンは抗がん剤より強し」と言う奇蹟が起こったと言って良い。