くろょろぐ

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ちょっと考えれば分かる

というのは、僕がかつて、あるいは今でも、しばしば好んで使う言葉だ。ちょっと考える、というのは、ちょっと先の事を想像する、という意味なのだが、いつかどこかで、「それは君ならではかもしれない」というような事を、某戯氏(笑)に言われた事があるように思う。はっきり思い出せないんだが、厳密には何て言ったんだっけ?>該当氏。
で、つい「ちょっと考えればわかるべや!」と言って人を責める事があるのだが、これを言われた人は、「『考える』のを『ちょっとの時間で』する」という意味に捉えてしまうらしくて、「お前は俺と違って頭いいかもしれないけど云々」などと、反発されてしまう事もあったように思う。
繰り返すが、「ちょっと考える」というのは、「ちょっと時計を進めたら何が起こるかを想像する」という意味だ。
横から車が来てる。そのままのスピードで歩いたら車に轢かれる。だから、歩みを遅くしよう、あるいは速くしよう。
これが「ちょっと考える」という事だ。特に思考に障害のない人なら誰でもできる事だ。というか、できるはずなのだ:今までそうして生きてきているはずなんだから。だから、経験が浅くて想像が行き届かないのは仕方が無いのだが、そういう人は「ちょっと考えれば分かるだろ?」と言われても、きっと「あ、なるほどね!」と言って手をポンと打つのだと思う。こうして小さな鱗がどんどん落ちて、それまで見えてなかったものが見えてくるのだ。

「守る」という事

法律や規則に従う事を「法律を守る」「規則を守る」と言うが、なぜ「従う」事を「守る」と言うのだろうか?…というような事を以前考えた事がある。
こういう話を、ある種の人に話すと、「それは、『守る』という言葉に『従う』という意味もあるからだよ」と一蹴されてしまいそうだ。しかし、ならば「彼に従って行動して下さい」と言う時に、「彼を守って行動して下さい」では意味が通じない理由を説明できない。いや、説明しようと思えばできないわけではないが、結局最初の疑問に戻るのだ。
それで考えてみた。法律や命令や規則は、それ自体は単なる言葉の集合羅列でしかない。それを守るには、それが「有意義なものとして残る」必要がある。有意義である、という事はその言葉が空振りしないという事だ。すなわち、書いてある通りに行動する、もしくは書いてある事に反しない行動をする、という事だ。これは「従う」事に他ならないのだ。