Hatena::ブログ(Diary)

黒 田 国 男 の ブ ロ グ

2017-12-01

"Pearly Shells"の日本語カバーに挑戦する

23:24

 ハワイ民謡で英語の歌詞を付けた”Pearly Shells”は、日本では『真珠貝の歌』として知られています。今でも、ビリー・ヴォ―ン楽団の演奏は有名で、その音楽を聴いてみれば「どこかで聴いたことがある。」と思う人も多いと思います。

 私の記憶では、幼い頃(1960年代)に、家に同居していた当時高校生と中学生だった二人の叔母さんたちの部屋に行った時に、偶然その部屋にあったラジオから聞こえてきたのが、この曲でした。何の番組かは知りませんでしたが、夜にその番組の冒頭で必ず流れる音楽でした。

 『真珠貝の歌』という、この曲のタイトルは、私が中学生になってから知りました。ハワイアンフラダンスの一つだと知ったのも、その頃だったと思います。「パーリ―シェール」という言葉で始まる歌だということは、その頃には知っていましたが、それが英語の歌詞だったとは知りませんでした。

 そこで、今回は、その英語の歌詞を調べてみて、なるべく日本語として意味の通った歌詞に翻訳してみました。

 それについてですが、例えば”my heart tells me ”するのは”that I love you”ということで、それは”more than all the little pearly shells”だということです。以上の英語の歌詞をやや直訳っぽく訳すと、「小さくてかわいい真珠貝のすべてよりもあなたを愛しています、と私のハートは告げてくるのです。」となります。何かわかったような、わからないような、あやふやな感じの翻訳になってしまいます。

 しかし、この曲の主人公の思いが、そんなあやふやな感じだとは私には思えませんでした。浜辺に打ち上げられた多くの小さくてかわいい真珠貝を目にして、それらよりもずっと愛(いと)おしく想う人のことが、彼の心に浮かんだのは確かだと私は考えました。従って、私は、そういう方向性の日本語歌詞にしてみました。また、上に述べたそれぞれの英語表現は、私には何か艶(つや)っぽく感じられました。従って、日本語歌詞のほうも、何かしら艶っぽく感じられるような表現に敢えてしてみました。

 だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、この曲の英語の歌詞を翻訳するにあたっては、それほど難しい表現はありませんでした。よって、以下に日本語の歌詞に翻訳したものを示しますが、その翻訳の詳細は必要ないと考えられたので、今回は割愛させていただきました。


    『真珠貝の歌』


(*)

浜に届いた 沢山の真珠貝

かわいい真珠の貝がらに あの娘(こ)を想い出す


砂のつぶつぶ 君とのキスのこと

星のまたたき 想い出にあふれて


(* くりかえし)

2017-11-20

創造力・発想力は大切だけれども…

01:28

 近年、コンピュータによる人工知能は、私たち人間の頭脳ができる様々な活動に刻一刻と近づきつつあると言われています。そして、私たち人間のやってきた仕事を次々と、機械である人工知能が肩代わりしていき、私たち人間は失業してしまう、とも言われてきました。私たち人間に残されるであろう仕事は、より高度な頭脳労働、すなわち、創造力や発想力を生かすような仕事ばかりになってしまう、とまで言われてきています。

 確かに、そのような予測が現実となって来つつある、私たち人間の今の状況は、危機的と言ってよいのかもしれません。チェス囲碁将棋などのゲームの世界では、人工知能は、プロの名人たちにも勝てるようになってきました。自動車自動運転実用化も、時間の問題なのかもしれません。人工知能は、医療対話や芸術などの各分野でも、私たち人間がそれをするのと同等か、それ以上の実績をあげそうな気配がしています。

 そのように、私たち人間は、創造力や発想力を発揮していくしか生き残る道がなくなってしまう、そういった未来を受け入れるしかないと、言い聞かされています。けれども、本当にそうなってしまうのでしょうか。と、私はそのことに疑問を抱いています。そこで、私なりの意見を、そのことに関して今回は述べてみたいと思います。

 現代の私たちは、人工知能などの中核となるコンピュータ・システムについてどれほど理解していると言えるのでしょうか。そう私が問いかけるのには、それなりの理由があります。確かに、私たちは、一般的な知識としてそれをおおかた理解していると考えられます。これこれこういう機械の仕組みとして、コンピュータの動きをおおまかにわかっているのだと思います。

 また、オブジェクト指向という考えについても、コンピュータソフトウェア・システムを成り立たせる上で大事な知識や技術がまとめられています。現在のそうしたIT技術を実務としている若い人たちから見れば、「これからは俺たちの時代だ。」ときっと思っていることでしょう。

 もちろん、彼らは、日本の伝統世間一般に相変わらず根付いているタテ社会にいることもなく、横綱の地位にいる先輩から平手打ちを食らわされることもありません。それどころか、彼らは、人工知能にしても、オブジェクト指向にしても、ウェブ(WEB)の技術にしても、そして、スマホの技術にしても、そうしたIT技術が、最近ひょこっと現れた最先端のモノ、すなわち、数十年前の先輩たちが全く触れることのできなかったモノのように見ていると思います。

 今から30数年前に、20代の前半だった私も、今の若者と同じように、そんな『若さ』に浮かれていました。それで、会社の同じ部署の、面倒見の良くない先輩に、「今のコンピュータの技術って、呪文を唱えると何でもできる魔法みたいで凄いですね。」と言ってみたことがありました。すると、理工系大学出身のその先輩は、「こうした技術は、すべて過去の知識の蓄積に過ぎないよ。」と何の感動もなく平然と答えるのでした。けれども、当時のわたしには、コンピュータの技術が、その先輩の言う通りの、そんなつまらぬ知識の寄せ集めであるとは到底思えませんでした。コンピュータのために四苦八苦してきた過去の人々の努力や苦労なんかは、全く理解できませんでした。

 しかしながら、20代の後半を過ぎた私は、プログラマとしてはやや行き詰ってしまっていました。会社の実務に没頭しすぎたために、コンピュータに対する興味というものが薄らいでしまい、かつ、視野が狭くなってしまっていたのです。プログラムやシステムを開発することへの困難さばかりが目に付き始めて、こうしたIT技術全般に共通した根本的なことがわかっていませんでした。つまり、こうしたコンピュータプログラムやシステムを作るのに大切なことは、私たち人間に構成力があることだ、ということを完全に忘れていたのです。

 アセンブラやCやBASICなどのいかなるコンピュータ処理言語においても、共通なものがあります。それらのプログラミング言語には、いずれも種類が無限でない言葉(あるいは命令)が使われています。そうした種類の限られた言葉(あるいは命令)をどう組み合わせるか、あるいは、それらをどういう順番で並べるのか、名前の付いたメモリの領域をどういうふうに使うか、といった、コンピュータ上にあるモノを使ってもろもろのことを行うためには、創造力や発想力よりも、構成力のほうが大事だと言えます。

 コンピュータという機械は、いかなる人工知能AI)的な振る舞いをしようとも、それらのプログラミング言語によるコントロール(制御)が必要です。言い換えると、自律して動いているいかなるコンピュータであっても、私たち人間によるコントロールは必要だと言えます。また、そういったプログラムやシステムが誤動作した時は、私たち人間のコントロールによってそれを正しく動作するように直さなければなりません。つまり、そのプログラムやシステムが、正確に動こうと間違って動こうと、どちらにしても、私たち人間によるコントロールが何らかの形でかかわっていると言えます。もしも、自動運転のできる車の中で、私たち人間がハンドルから手を離せたとしても、ハンドルに代わるもっと効果的な制御方法(例えばテレパシーとか)を、私たち人間は獲得する必要があると思われます。

 一般的に、コンピュータという機械は、動いている途中で急に停止してしまうことよりも、正確にスムーズに理路整然と動くことが求められます。私たち人間が、コンピュータに抱くイメージは、正確無比でスムーズかつスピーディ、そして完全無欠なのです。航空システムや鉄道システムなどのコンピュータ・システムが、誤動作を起こしてダウンすると、「何てことだ!」と私たち人間は、怒ってしまいます。

 しかし、コンピュータという機械が、上に述べたように、あくまでも私たち人間のコントロールを反映させたプログラムで動くものであるとするならば、むしろその機械自体は不完全なモノとみなしたほうがいいように考えられます。したがって、そのプログラムやシステムは、私たち人間の手で正しく動くように直されなければなりません。そういった意味でも、他人と違った創作や発想をすることよりも、コンピュータ上の要素のつじつまを合わせる構成力のほうが役に立つということがわかると思います。

 実は、そのようなプログラムやシステムの一部を構成することは、コンピュータによる自動化が既に出来ています。コンピュータ処理言語のコンパイラやリンカーや仮想マシンなどは、その例の一部と言えましょう。ただし、そのようなプログラム全体やシステム全体を構成することを、コンピュータによって完全に自動化することはできません。どうやっても、それが無理であることを、ここで私は重ねて述べておきたいと思います。限られた数の言葉(あるいは命令)を組み合わせて、プログラムやシステムを作るためには、その全体を見渡してプログラムやシステムを構成することができる私たち人間の手がどうしても不可欠なのです。たとえ、その方法をコンピュータ模倣させることが出来たとしても、そのすべてを模倣に頼ることはやはりできないと思います。仮に、誤動作が起きたとして、それを自らの責任のもとに直せるのは、やはり私たち人間だけなのです。

 おそらく、今日までそうやって私たち人間が、コンピュータプログラムやシステムの不具合を一つ一つ全体の整合性に気をつけて直してきたのです。だからこそ、コンピュータは「速く正確に動く機械だ。」という信頼を勝ち得てきたのだと思います。もしも、このコンピュータという機械が、いつも故障だらけで、まともに動くことが少ないシステムだったのならば、今日これほど私たちが頼りにしているようなモノにはなっていなかったと思います。それを支えて来れたのは、やはり私たち人間が構成力というモノを発揮して、誤動作の少ないプログラムやシステムに直してきたからに他ならないと、私は思うのです。

2017-11-10

自称・コメ屋の言い分 第3回

23:50

 最近、私は、3年前の秋に収穫したものの、ある理由で売れなくなってしまった大量のおコメを、もみから精米して食べています。いわゆる古古古米です。これは、現在の私の経済状況をある意味反映していると言えます。が、別の意味では、今の仕事をこれからも続けていくための決意(と言うか、ポリシー)を反映しているとも言えます。なぜそんな言いわけをするのかと言いますと、こんな私を「家畜以下じゃないか。」と他人から思われたくないからです。

 今から3年前に、なぜそのおコメが売れなかったのか、その理由をこれから述べましょう。通常おコメは、地元の農協(JA)に出荷して、検査を受けます。ところが、私の場合は、収穫の時期が毎年遅れ気味で、検査の日時に間に合いません。そこで、地元の農業機械組合にもみすりを依頼しています。特にその年は、10月の収穫時期に季節外れの台風が来て、大雨と強風で、はぜかけで天日干しをしていた稲が全部、地面の上で水びだしになってしまいました。一応、国の農業政策では、9月上旬までの災害の被害届けは受け付けてくれますが、10月以降の稲の収穫は、栽培者の自己責任となっているようです。従って、その時の私は、一人で必死になって、倒壊したはぜかけを立て直して、2週間遅れで稲の収穫を終えたのでした。

 ところが、その秋から冬にかけて、そのお米を地元の小さな農産物直売所に出荷したところ、ある一人の年配のオバサンからクレームが上がって来ました。彼女は、店頭でおコメの入った5kgの袋の口をちょっと開けて、中身をチェックしていたのです。そして、私が出荷したおコメに『胴(どう)割れ』が多いことを指摘して、「胴割れが無かったら、おコメ買ってあげるのに…。」と、嫌みったらしく言うのです。当時の私は、そうしたお客さんに対して口答えができませんでした。おコメが胴割れして細かくなってしまっては、いかなる言い訳も通用しないという現実があったからです。たとえそれが、全体のおコメの2割か3割であっても、そうしたお客さんの前では、生産者は無力であることを、その時の私は知りました。私は、その年の直売所へのおコメの出荷を控えるようになってしまい、かなりの量の売れないおコメを、もみの付いたまま貯蔵場所に抱え込むこととなったのです。

 ところが、そのお米をコイン精米所でもみすり精米して、3年ぶりに食べてみました。それを口にする前は、食べられるかどうか不安でした。けれども、ひとくち食べてみて全然問題がないことがわかりました。それもそのはずです。東京生まれで東京育ちの私は、東京の実家で毎日、別段美味しくもない古米や古古米を食べさせられていました。古古古米が、食べ物として傷んでいなければ、食べられないわけがなかったのです。しかも、3年前の検査官のようなオバサンが指摘していたような、おコメの『胴割れ』も見当たりませんでした。あの頃に『胴割れ』していたのは、3年前に収穫したおコメの一部分だったのです。そのことに今さら気づいて、損をした気がしました。3年前に収穫したおコメが何処にも売れないことは、わざわざ言わなくても明らかなことです。でも、私は、例えばそれを家畜のエサにはしたくはないのです。それをするくらいならば、私自身がそれを食べて、飢え死にしないことを選びます。

 その一方で、私は今年も、新しいおコメを収穫しました。その新米をなぜ私は食べないのかと、誰もが疑問に思うことでしょう。そこで、私は答えます。それは、お金を出して買ってくれるお客さんの物になるのです。それを、私が横取りしてはならないのです。

 そんなふうに書くと、さぞかし私がおコメで儲けていると思われるかもしれません。しかし、そんなことはありません。食べ物が人間の口あるいは胃袋に入るものである限り、その人間の弱みにつけこんで商品価格を吊り上げたりすることには大反対なのです。人間は誰しも、霞(かすみ)を食べて生きていくわけにはいきません。食べ物というものは、いかなる経済価値をも超えて、その価値がお客さんの胃袋の中へ消えていくものなのです。私たち人間の命の源は、実はそこにあるのですが、現代の人間社会は、そんな当たり前のことが理解できていない社会になりつつあると考えられます。だからこそ、私は、ギリギリの企業努力で売り値を上げも下げもせずに、ノーブランドのお米をお客さんに提供することを思いついたのです。

 こうした考え方は、日本の農業協同組合という『団体』(『企業』や『会社』ではありません。)の職員が、もともと持っていた考え方だったと思います。しかし、そのことを知らない、あるいは、お金が無いと一秒たりとも生きていけない都会の人々が多くなるにつれて、農業協同組合という『団体』のそうした理念や使命は、世間一般に理解されず、無条件で否定されてきました。

 しかし、私は、このことが世の中のあらゆる『人の命の問題』と関わっていると考えます。経験的に考えてみても、『食べること』と『生きること』は同じ方向性を持っていると思います。何も食べられなくなった老人が、ほどなく息をひきとることは、私たちが日常よく目にする、その一例と言えましょう。また、最近ニュースに取り上げられている若者の自殺願望にしても、何らかのつながりがあるように思えます。

 しかしながら、こうした問題点について、さらにいろいろと述べていくことは、自称・コメ屋の立場を脱線させてしまうので、この辺でやめておきましょう。

2017-10-29

私のプロフィール 人の気持ちは変わるもの

19:36

 以前Eテレの『ハーバード白熱教室』という番組で、マイケル・サンデル教授による政治哲学の講義を何回か視聴しました。その番組の大学の講義によると、ユーティリタリズム(功利主義)・リバタリアニズム個人自由主義)・コミュニタリアニズム共同体主義)の3つの政治哲学が考えられるのだそうです。それそれの詳細については、ここでは割愛させて頂きますが、当番組では、それらの歴史的説明の後に「あなたならどれを支持するか。」という問いかけがあったと思います。

 講義内容が、日本の中学・高校レベルではなく、大学レベルであったので、日本の国政選挙地方選挙の投票などに役立つものではありませんでした。けれども、こうした政治的な哲学・思想は、別の目的で活用できそうな感じが、私にはしました。国家や地方の政治とは直接関係ないと考えられる、私たちにとって、もっと身近で日常的な気持ち、すなわち、生活意識を考えてみると、そうした3つの考え方のいずれかが、おおよそ当てはまるような気がしました。

 そこで、私自身のこれまで生きてきた人生がどんな生活意識に支えられてきたかを、上の3つの考え方に当てはめて考えてみることにしたというわけです。以下に、その変遷と功罪をなるだけ簡潔に述べていきましょう。

 まず、10代の頃ですが、ユーティリタリズム(功利主義)的な考え方のようでした。と言うよりも、エゴイズム(利己主義)的な生活意識のようでした。そんな私は、周りに他人がいてもいなくても、気持ちが寂しくて、孤独な少年でした。そして、他人と交わるよりも、一人で日記を書いたりすることが、好きな青年になっていました。気づいてみれば、私が日記の世界の中で遊ぶようになったのは、あの頃からだったのかもしれません。

 それから20代と30代の頃は、社会に出てサラリーマンとして働くようになりました。その頃は、兎にも角にも会社のために働いて、社会に貢献しようという考え方でした。そのために、がむしゃらになって仕事をしていたので、仕事に直接関係の無い他人のことを気にかける余裕がありませんでした。結果として、リバタリアニズム個人自由主義)的な生活意識に支えられていました。人一倍仕事はできるけれども、最終的には、他人から反感をかって、40代になる直前でサラリーマンを辞めなければならなくなりました。

 そして、40代と50代の頃になると、第2の人生などと言うと聞こえは良いですが、今までとは畑違いの仕事に就くこととなりました。東京でいくつか就職先をさがしたものの、年齢的なものや先方の条件とのミスマッチのために、働き口が見つかりませんでした。本当を言うと、就農を希望して1,2年間は、まだ体のほうが出来ておらず、農家さんにも「この人、就農してやっていけるのか。」と思われていたそうです。

 長野県の上田で就農して2年後に、そうした農家さんの一人に再会しましたが、私はこんなことを言われました。「それだけ体が出来ていれば、うちの娘と結婚させればよかった。」それを聞いて、私は耳を疑いました。なぜならば、私は、その農家さんに娘さんがいるのを知らなかったからです。実は、5ケ月間、私が農家研修に来る日だけ、その娘さんが私と出会わないように隠していたのです。その用心深さは、「流石は長野県人!」とほめててあげたいくらいでした。しかも皮肉なことに、私がその農家さんと再会したのは、私より若い農家研修生とその娘さんが結婚するというのいうので、その御呼ばれで行った折のことでした。

 私は、東京生まれで東京育ちですが、父母と祖父母は皆、長野県人です。東京の実家では、そこだけが陸の孤島長野県のような環境で育てられました。そうした家庭環境と、他県の血が全く入っていない私は、長野県の人たちにからはよそ者と見られてしまいましたが、実は、長野県人の気質や性格、つまり、彼らが心の底で何を考えているのかを、誰よりもよくわかっていました。

 仕事の基本は、依然としてリバタリアニズム個人自由主義)的な生活意識に支えられていましたが、それゆえに、とてもつらい思いをしました。そこで、孤立無援で独り者の私は、仕事以外の活動で、コミュニタリアニズム共同体主義)の生活意識になろうと考えたわけです。そんなわけで、皆が引き受けるのを敬遠していた、地域の活動の支部長を引き受けて、地域の活動に参加したりしています。地元のボランティア活動に参加したこともあります。

 これまでのリバタリアニズム個人自由主義)的な生活意識では、自らの生存や生活を守るために他人を蹴落とすことを良しとしていました。しかし、このことは、個人孤立化させたり、うつ病などの心の病に陥らせる原因となってしまうようです。そうした危機にさらされて、これまでの私は生きてきました。その不安定心理状態では、いつ犯罪者や自殺者になってもおかしくなかったかもしれません。

 しかし、他人と普通に関わり、「他人が怖くなくなる」という精神状態になれれば、考えの違う他人と協調するという意識も生まれて、精神状態が安定します。何よりも、他人を馬鹿にしたり軽視したりすることがなくなります。気づいてみれば、他人から私自身がいじめられたり攻撃されたりすることもなくなっていました。

 このようにコミュニタリアニズム共同体主義)の考えやその意識は、私の場合は、若い頃は必要なかったかもしれませんが、いろんなことに限界が見えてきた現在では、私自身が生き延びていくために必要な考えやその意識となりました。単なるボランティアではなくて、あくまでも周りと協調していくことが大切と思われます。私が最近になって、学校時代の同級生に会うために、東京で開かれる同窓会に行くようになったのも、そうした考えやその意識の延長にあるのです。

 40年ぶりに会いに行く『昔の知り合い』であるかつての同級生は、男であっても女であっても、配偶者や子供や孫もいるわけです。未婚で、そうした家族を持たない私が、彼らに会うのを怖がらなくなったことには、それなりの理由があったと思います。それは、他人を横から眺めたり、斜めから見たりできるようになったからだと思います。長野県では、地域の活動に参加して、いろんな話や情報を取り入れつつ、考えの違う他人と協調して活動することを覚えてきました。このことが、そうした機会にも生かされているとみることができるのです。

2017-10-21

私の本業 決して運が良いわけではない!

18:23

 私が地元で借りている田んぼでの稲の栽培は、9月の中頃までは、倒伏もせず、見かけは順調に思われました。ところが、10月に入って、稲刈り→はぜかけ→脱穀(収穫)の手順を踏もうとした時に、難儀を強いられることとなりました。今年は、10月になってから、秋の長雨が始まってしまったのです。

 私は、毎年6月に田植えをするスケジュールなので、稲の収穫を10月になって行うのは、決して遅いわけではありません。しかし、油断してしまいました。稲刈りの真っ只中で、雨になってしまい、上の田んぼからの大量の雨水が入ってきて、私が借りている田んぼが水びだしになってしまったのです。そうなってしまわないように、今年の春にその田んぼ内に排水溝を掘っておいたのですが、いつの間にか周りの泥土で埋まってしまいました。稲刈りをする直前まで、そのことを全く気にかけていませんでした。なぜならば、毎年これまで、この時期には秋の長雨が終わって、はぜかけによる天日干しに都合の良い気候になっていたからです。

 私が地元で借りている田んぼは、いわゆる粘土質の土壌で、そこでコシヒカリ栽培すると、粘り気のある良質のお米が作れます。しかし、それは、諸刃の剣のようなもので、その収穫時の土壌が大雨などの水分を含んでいると、稲刈り機(バインダー)のタイヤにへばり付いて、機械のエンジンストップを引き起こします。私が借りている田んぼは30アールもあるため、その全ての稲を手刈りするのは不可能です。

 私は、誰かを雇って手伝ってもらえるほどのお金の余裕がありません。また、手伝ってくれる家族もいません。誰も助けてくれません。そんな状況で頼りになるのは、中古で、やっとのことで動いてくれる農業機械しかないわけです。

 でも、その機械が新品だったら、この状況は変わるでしょうか。いいえ、そうとも言えないようです。自然の力を甘く見てはいけません。田んぼのドロドロの土の中で、故障しにくい新品の農業機械を無理して使ったならば、そのエンジンに大きな負荷がかかって、焼き切れてしまうかもしれません。そんなことになれば、私の力だけでは機械の修理はできなくなります。農業機械の修理屋さんにみてもらって、高い修理代を取られて、修理の期間も長びいて、作業のスケジュールが大幅に遅れることとなります。

 もう一つ気をつけなければならないことは、こうした作業中に事故を起こして、私自身が怪我をしてしまうことです。怪我を治すためにお医者さんに通って、お金も時間もそれに費やされます。そんなことになったら、私の仕事は、仕事としての意味を失くしてしまうと思うのです。こうした危険は、鎌を使って手刈りをしたり、稲刈り機などの農業機械を使ったりしても、その危険度というものは余り変わらないと思います。

 とにかく私は、そうした事故やトラブルに巻き込まれないように、しかし一方では、作業効率が悪くなってしまう状況下で何とか作業を進めていきました。稲刈りで田んぼを一周すると、機械の駆動部分を止めてしまう泥土を、一生懸命に手でむしり取って、落としました。機械のハイテクを助けるために、人間の手というローテクを使ったわけです。それで通常の稲刈りの所要時間の倍かかったとしても、稲刈り作業中に泥土で機械がエンジンストップを起こして作業がたびたび中断するよりも、結果としては良いのです。前者のほうが、全体の作業が早く終わります。

 早ければ4日間で終わる稲刈り作業が、作業に入れない雨の日を間に挟んで、約10日間で終わり、これまた3日間くらいで終わるはぜかけ作業が、約5日間で終わりました。実は、毎日の午前中は、きゅうりの収穫と出荷と管理作業をしなければならず、田んぼの作業は、日中の午後から夜にかけて行われていました。しかし、昨今の『働き方改革』の影響で、「今日はもう夕方で定時だから、この作業は明日にしよう。」などと考えていたら大変なことになっていたことでしょう。事実、稲刈りとはぜかけの各作業を終えた翌日は、朝から大雨になっていました。もしも、そんな大雨の中で、それらの作業をしていたら、本当に命がいくつあって足りないくらい危険で、能率の上がらない労働になっていたと思われます。実際には、私は、それらの作業の最終日に、夜遅くまで作業をして終わらせました。(夜回りをしているお巡りさんに呼び止められて、今回の作業を中断させられなくて、本当に良かったと思いました。)

 しかしながら、私は、これまでのことを、決して運が良かったとは思っていません。秋の長雨は続いています。しかも、超大型の台風もこちらにやって来るようです。私は3年くらい前に、今と同じ田んぼで、台風ではぜかけ全部を倒された経験があります。最初に雨が降って、地盤がゆるんだ後に、強い西風が吹きました。真っ直ぐだった金属製のはぜ棒は、どれもひん曲がり、稲の束は、どれも田んぼの水の中に浸ってしまいました。私は、その後の5日間を、稲の束を再びはぜ棒にかける作業に費やしました。

 そうした私の苦労は、私だけが経験したことではなかったようです。昔の人もまた、同じような…、いいえ、私よりももっと過酷な経験をしていたかもしれません。

 台風が来る前に時間があれば、何とかできると思われるかもしれません。はぜかけした稲を、台風が来る前に脱穀して、お米を収穫すればいいじゃないか、と思われるかもしれません。けれども、それは、できません。なぜならば、ここのところの長雨で、天日干しができていないからです。天日干しができなければ、はぜかけをやった意味がありません。

 それでは、前にさかのぼって、9月にお米を収穫しておくべきだったんだよ、という意見があるかもしれません。しかし、それも、できなかったと思います。確かに、先月9月は晴天続きで気温の高い日も多かったのですが、肝心の稲が、まだ未熟で実っていませんでした。その状態で、稲刈り→はぜかけ→脱穀をしても、未熟米ばかりで、次のもみすりの段階で省かれてしまって、ちゃんと普通に食べられるお米があまり出来ません。そういう失敗が起きてしまった、と考えられます。

 このように、台風が来るとわかっていても、台風の被害が避けられるとはかぎらない、というようなことが世の中にはあるものです。露地で栽培しているズッキーニやきゅうりなどの野菜は、台風が来る前におおかた収穫してしまいました。このことから、私が決して『あきらめすぎる人間』でないことはわかって頂けると思います。しかし、この世の中には、人間がどうあがいても、どうすることもできないこともあるのです。私は、そのことに対しては、(たとえ納得できなくても)いつでも謙虚でいたいと、あるいは、謙虚であるべきだと思うのです。