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黒 田 国 男 の ブ ロ グ

2018-08-22

『走れメロス』の私見

17:22

 ”熱中症”についてもそうですが、どうも私たち現代人の多くは、解決しがたい問題を抱えて日々を生きているようです。そんなこともあって、私は、何らかの知恵を書いてみようと思い立ちました。

 先日のEテレで『100分de名著 For ティーンズ 第3回『走れメロス』』を私は視聴しました。この小説は、番組中で述べられていた通り、いろんな見方ができる小説です。だから、私が中学2年で国語の教科書で読んだ時から今日に至るまで、全く変わっていない私自身の見方は、その番組中で紹介されていた所見とはだいぶ違っていました。

 その違いがどういう理由で生じたのか、時代の流れなのか、それとも、世の中の意識の変化なのか、それ探るのは、それはそれで興味の尽きぬ題材だと思います。しかし、今回の私は、そのことに深掘りをいたしません。ただ、私が、太宰治さんの著作走れメロス』を読んで感じ取ったことを、文字にしてみたいだけなのです。

 まず、この小説の主人公は、メロスという人物一人であることに相違ないと思います。何となれば、メロスという一人の男を主人公にして、全て彼の視点から描かれた私小説であるとさえ言えます。つまり、作者である太宰治さんの分身となって、このメロスという主人公が作者の考えていることを代弁している、とこの小説の内容は考えられました。

 いきなり結論を申しますが、この小説の一番のテーマは、勇者メロスの正義でもなく、その勇気が邪悪な王様を改心させたことでもなく、メロスとその友人との無二の友情でもない、と私は思っていました。この小説を初めて読んだ中学2年(14歳)から今日(57歳)まで、私にとっては絶対に忘れてはならない考えがありました。

 それは、こういうことです。メロスのようにどんなに勇者であっても、すなわち、どんなに清く正しい正義の人であっても、どうしようもないことがあるということです。人間が人間として生きていく限りは、どうしても、人間としての弱さやガッカリな部分を公にさらしてしまうということなのです。そのことを小説という形で世の中に発信した意味において、作者である太宰治さんの功績は計り知れないと思いました。

 現代人は誰でも、こんなことは黙っておきたいものです。他人には知られたくない、自己の心の恥部と思われるかもしれません。しかし、作者である太宰治さんは、人間は誰しも、輝かしい希望や夢を持ってのみ生きていくものではなく、時には悲しみ汚れて、イヤな思いをして、それでも我慢をして生きていくから、本当に人間らしいのだと、述べているのです。

 この『走れメロス』という作品は、「メロスは激怒した。」で始まり、「勇者は、ひどく赤面した。」で終わっています。太宰治さんのお道化を借りて申せば、「勇者メロスが赤面したのは、公衆の面前でほとんど素っ裸だっただけではなく、ここまで読み進めてきた読者のみんなに彼の心の中が丸裸にされてしまったからなのだよ。」ということに尽きると思います。

 このような、清くて汚い人間の本質をわかっていれば、いじめを苦にする必要もないし、不幸だと言って生きることを放棄することもないのかもしれません。(けれど、本当は、誰の人生もままならないのかもしれません。当の太宰治さんは、自殺未遂自殺をしています。)

2018-08-12

避暑地の行為

01:52

 しばらくブログ記事を書くのを怠っていましたが、それにはワケがあります。ギネスブックに『世界一カロリーの低い果実』として認定されているキュウリの栽培に、どうしても専念しなければならなかったためです。今の私が、その実力で生計を立てるためには致し方ありませんでした。

 ギネスブックに『世界一カロリーの低い果実』として認定されているかぎり、キュウリを栽培する仕事なんて、「経済的に見て将来がない。」と誰もが思うかもしれません。それとも、経済的に裕福なお金持ちをターゲットにして、その仕事をしているのだろうと、思われているのかもしれません。でも、それらのことは皆さんの憶測にすぎません。この件に関しては、また日を改めて別のブログ記事で、真実を述べたいと思っています。

 今回のテーマは、避暑地の『恋』ではなくて避暑地の『行為』です。連日の猛暑の中で、私はテレビでこんなニュースを目にしました。日本の避暑地の一つと呼ばれる軽井沢へ行った人の話で、「日向(ひなた)の街の通りを歩ていて、ものすごく暑い。軽井沢は避暑地だと他人(ひと)から聞いていたのに、何だこの暑さは。これからの日本の国土はどうなっちゃうんだろう。」という話でした。

 確かに温度計の数値は、これまでの夏の暑さを越えてしまっていることを示している、と言えましょう。しかしながら、失礼を承知で申し上げるならば、その人が避暑地でとった『ある行為や行動』に全く非がなかったとは言えません。

 子供の頃の私は、軽井沢と同じ長野県に在(あ)る長野市松代町へ、八月の旧盆になると、何度か行きました。そこが私の母の実家で、私の母の兄夫婦が住んでいました。ある日の天気の良い午前中、南向きの玄関のすぐ前で遊んでいると、親戚のおばさんの誰かに叱られました。「そんな太陽の下で遊んでいると、日射病になりますよ。家の中へ入りなさい。日陰で遊びなさい。」と言われました。

 つまり、こういうことです。一般に、長野県は、昼夜の温度差が大きい大陸性の気候なのです。朝晩は夏でも涼しいことが多い、その一方で、日中は東京などの都会よりも陽射しが強くて、危険な暑さなのです。私が叱られたこの話は、五十年近く昔の話です。つい最近の話ではありません。

 もちろん長野県の避暑地と呼ばれるところには、高原(こうげん)特有の地形で涼しい場所があるかもしれません。ただし、よく観察してみればわかると思いますが、本当に涼しい場所は、ギラギラと輝く太陽の下ではなく、建物の陰や木陰で風通しの良い場所であることがわかります。そして、そこは、電気エネルギーを必要としない、全くお金のかからない天然のクーラーがあたかもあるかのような場所です。(ただし、そうした場所は、ハエやクモや蚊などの人間以外の生物も暑さから避難してくるので、衛生状態は悪いかもしれませんが…。)

 特に、『避暑地』という言葉は、日本人にとって語弊を招くものなのかもしれません。(例えば軽井沢に遊びに行けるほど)ある程度、経済的に豊かになっていれば、その『避暑地』のメリットのみを享受できると考えるのは、私たちの思い上がりに過ぎないのかもしれません。

2018-05-07

『基本的人権』とは何か?

14:20

 まず、私の手元にある国語辞典を引いてみましょう。すると、こういう意味だと書かれていました。「憲法にきめられている、いかなる権力にもおかされない、人間が当然にもつべき権利。人権。[個人の精神・身体の自由や、物質的生活手段の確保などを中心とする]」と、ありました。何だか、わけがわかったようなわからないような説明です。私たち日本人は、これと同じような説明をこれまでも何度か聞かされてきました。「へぇ〜。今の日本の憲法でそう決まっているのか。そういうものなんだな。」と納得しないと、時代に乗り遅れるように感じたり、今の世の中から取り残されてしまうような気持ちになってしまいます。

 だから、『基本的人権』という言葉の正体がつかめないまま、それをどうやって尊重したらいいのかわかりません。この言葉を読むことはできても、何度読んでもよくわからないから、知っているふりをしようというのが、これまでの私たちの本音だったと思います。

 「これからの世の中は、人は個人として尊重されるんだよ。」と他人から言われたりします。言うことをきかない我が子に手を上げてはいけない、と諭(さと)されたお父さんお母さんは一体どうしたらいいのか困り果ててしまいます。結局我が子を甘やかしてしまい、人として基本的なことを身につけさせてあげられなかったりします。

 だから、「日本人はこうあるべきだ。」とか「我々日本の社会、あるいは、世の中はこうあるべきだ。」とか「日本国はこうあるべきだ。」という理想を掲げることが大切だ、と考える人たちも増えているのです。それなのに、現行の日本国憲法にはどうして、このような日本人として、あるいは、人間として道義的に大切な理想が述べられていないのか。こんなことでは、日本人は、日本の社会、あるいは、日本国は、乱れていく一方である。全ての法律のおおもとである、憲法のこうした悪しき内容を変えて、戦後にわかに蔓延(はびこ)ってきたそうした悪しき状態から日本人や日本国を救わなければいけない。そうした使命感を持つ人たちが、そんなふうに考えていることは、無理からぬことと言えましょう。

 ところが、最近、思いがけない事件が起きてしまいました。このことを話せば、若い人たちにも理解ができると思うので、ここであえて述べさせていただきます。昨年の、横綱日馬富士暴行事件です。その事件についての詳細は、ここでは割愛させていただきます。テレビを通じて私は、「これは、今の日本人と風習の違うモンゴル人同士が起こした暴力事件である。」ということと「日本の相撲協会の古い体質が、そうした暴行事件を内々のものとして隠蔽して、被害者の人権を侵害してしまう可能性があった。(注・日本相撲協会は、被害者の力士人権を実際には侵害してはおりません。私の前の記述では、そこを間違って受け取られる心配がありましたので、訂正いたしました。日本相撲協会様に、陳謝いたします。ファンの方々も安心してお相撲を観覧ください。)」ということを知りました。実は、こうしたニュースの背景には、語るのも恥ずかしい、私たち日本国の失敗と反省の歴史があると思うのです。

 「力士としてこうあるべきだ。」とし、後進を指導した元横綱日馬富士だった人は、後進が言うことをきいてくれないと判断して暴力的な指導をして、それがエスカレートしてしまいました。結果、後進の一人に大怪我を負わせて、世の中で大騒ぎになったことは周知のことです。実は、このようなことは戦前戦中における軍国主義の日本においては、日常茶飯事(さはんじ)でした。子供の頃に私は、両親や祖父母から、慰安婦のことは一度も聞いたことはありませんが、彼らの世代の多くの人々が、教育指導のもとに暴行を受けて、殴られたり引っ叩かれたりしたそうです。そして、その後遺症で、片目の視力が落ちたり、片耳が聞こえづらくなってしまったという話をよく聞かされました。

 教育や指導をする側の暴力というものは、DVなんかもそうですが、躾(しつけ)や教育や指導といった正当な理由があったとしても、相手が言うことをきいてくれないとわかるとエスカレートしたり、常習化してしまうものなのです。誰か止めにはいる人や言葉で注意する人がいないと、歯止めがきかなくなったり、罪の自覚が全くないということが多いのです。だから、後進を教育指導する立場の人は、注意しましょう。指導をする側の私たちが折角(せっかく)正しい志を持っていたとしても、相手にそれが伝わらず、迷惑をかけてしまうということになってしまうのです。

 さらに、精神的な影響力に関しても、注意が必要です。そのように教育や指導を、拷問や体罰などの暴力をともなって行うことによって、それなりの効果は期待できるかもしれません。拷問や体罰などで暴力を受けた側には、二度とそんなイヤな気分は味わいたくないと感じさせて、行動を改めさせやすいと言えます。しかし、それは同時に、暴力の肯定正当化を学ばせることになります。普段の規律さえ守っていれば、(身の危険を感じたなどの)自分勝手に正当化された理由によって、暴力や、殺人さえもしてよいということになるのです。これは、教育や指導をする側の盲点です。まさか教育指導をされる側がそんなことを感じて学んでいるなんて、これまでの常識では全く考えられないことだったと思います。

 過去の日本の歴史を振り返ってみても、道義的に正しいことをしていた人が、いきなり暗殺されたりする事件が時々あったりします。立場の違う人の恨みを買ったからだと、私たちは考えがちです。これまでは、それが全ての原因だったと、私たちは考えていたと思います。けれども、本当にそれだけだったのかな、と疑うことも、ひょっとしたら必要なのかもしれません。「日本人はこうあるべきだ。」と道義的に強く主張される人を、私は否定しませんが、慎重に述べて頂き、くれぐれも事故など起きて欲しくないなと祈るばかりです。

 さて、ここからは具体例に基づく話はやめにしましょう。学校のいじめの話もそうですが、人権にまつわる私たちの日常の経験を語りだすと、人権侵害の例などに話が及んで、際限なく身が沈んでいく泥沼のようになってしまうからです。それでは、いつまでたっても、らちがあかないと思います。もっと原理原則的に話を進めましょう。

 そもそも基本的人権』とは何か、と私たちは考えます。人権に基本的なものとそうでないものがあるのかな、と考えます。基本的な人権って何だろう、よくわからないから、私たちが理解しやすい言葉に変えて、『基本的人権』は削除しよう。誰だって、このように考えてしまうと思います。

 かつて私が学校でこの言葉を社会科で学んで覚えた時も、言葉の意味がよくわかりませんでした。しかも、大人になって、つい最近までの長い時間が流れても、いっこうにこの言葉の意味するところが理解できませんでした。だけど、世の中のみんなが「基本的人権は尊重しなければいけない。」と言っているので、みんなと同じようにそう思い込まないといけないと思っていました。でも、これでは民主主義ではなくて、宗教です。

 本当のことを申しましょう。私たちの世の中に、『基本的人権』という、そういう特別な人権があるわけではないのです。これは、法律の世界の中の言葉です。砕いて言えば、『人権』のことです。なぜ「基本的」とわざわざ形容しているのかと申しますと、以下の二つの意図、すなわち、先人の知恵が感じられます。

 一つは、法律上で変えてはいけない基本的なものであることを示すためです。すなわち、人権とは、「(私たち人間が)変えてはいけない、あるいは、失くしてはいけない基本的なものであるところのもの」です。「そんなこと、わざわざ、法律に書いていなくてもわかっているじゃないか。人間として当たり前のことだ。言わなくてもわかる常識だ。」と、しばしば私たちは反発します。しかし、私たちは、時と場合に応じて、しばしば非人間的なことをしてしまいます。それが、私たち人間の現実なのです。それを法律や道徳で取り締まろうとします。けれども、それにも限界があります。それもまた、私たち人間の現実なのです。

 もう一つは、『人権』という言葉の濫用を防ぐためと考えられます。私の戯言(たわごと)にすぎないかもしれませんが、人権人権とただ繰り返すのは簡単なことです。あれも人権だ、これも人権だということになると、何でも人権だということになって際限がなくなります。しかるに、『基本的人権』と言わなければならないとすると、その言葉の扱いに重みが加わります。『人権』という言葉の意味することがたやすく用いられたり、軽々しく扱われることを防ぐことができると思うのです。

 したがって、「(人権を)尊重する」という言い回しの意味方向も、次のように考えることができると思います。その文言(もんごん)を言い換えるとするならば、「(人権を)軽んじない、軽視しない、あるいは、軽々しく扱わない」ということだと思います。

 そしてまた、「人権を守る」ではなくて「人権を尊重する」ということはどういうことなのかを考えましょう。「守る」というと、害がないように防ぐとか、決められた規則などに従わせるという、周りから何かを人に強制させないといけないようなイメージになってしまいます。しかし一方、「尊重する」となると、人権にかかわる双方が双方のことを認められるように、おのおの自発的に努力し、その意志を持つというイメージになると思います。強制的にではなくて自発的・自主的にという言葉のニュアンスが、「尊重する」という言葉の表現には含まれていると思います。

 最後に、ひと言ことわっておきます。TPOに合わせて的確に内容をとらえなければならない場合、日本語は難しいです。今までほとんど手伝ったことさえなかった農業を学ぶために、四十代の私は農家研修に行きました。そして、六十代の農家さんの「〇×△しろ。」という動詞だけの命令語がわからなくて、何をしていいかわかりませんでした。「お前は日本人なのに、日本語がわからないのか。」とその度に叱られて、頭を拳でゴツンと叩かれました。私はそのことに手向かいはしませんでしたが、その無抵抗はかえって、農家さんの暴力的な指導をさらにエスカレートさせてしまうこととなりました。

 私は、このような経験から、日本語を理解するためには、その背景となる予備知識(あるいは、先人の知恵)を知らないと上手くいかないことを知りました。現代の私たちは、新しいものに目を奪われがちですが、古いものを理解する力も無いといけない、ということです。学校で、古文や漢文などの古典や、世界史日本史などの歴史を学ぶのは、受験勉強のためばかりではなく、社会に出てからも必要な見方であり、かつ、必要な素養なのです。私はそう理解しています。

2018-05-03

日本国憲法風戯言案??

15:23

 あらかじめ断っておきますが、今回のブログ記事は、誰も見ていないことを前提にして書いてみたいと思います。私自身の主義主張というよりも、戯言(たわごと)に近いと思うからです。今日は、憲法記念日です。本当は、『基本的人権』について私の知っていることを述べてみたかったのですが、もう少し考えを練ってみる必要がありそうです。そういうわけで、『基本的人権』については、別の機会に述べてみたいと思っています。

 そのかわりに、ここのところ話題となっている、日本国憲法9条にもしも自衛隊について明記されるとしたならば、日本国民の一人にすぎない私にとって、どんな条文だったら気に入るだろうかと考えてみました。ただし、これは、あくまでも私の戯言(たわごと)ですので、その良し悪しを気にかけて議論などしないで、聞き流して頂いて結構です。私としても、ちょっと興味がわいただけなのです。

 さて、いきなり本題に入りましょう。いきなり、結論から入ります。憲法第9条3項として「ただし、自衛隊およびそれを定める法律は、国際平和および公共の福祉に反しないかぎり合憲とする。」という限定の条文を追加するといいと、私は思いました。「何だ。このまんまズバリじゃないか。」と、多くの人たちから批判を受けてしまうような文の内容です。

 今回の問題は、「今のままでは自衛隊(および、それを規定する自衛隊法)が憲法違反(つまり、違憲)のままになってしまう。」ということにあると思います。憲法が取り締まるものは、人ではなく、法律です。憲法違反と判断される法律は、いずれ法律として認められなくなります。しかし、自衛隊法がなくなってしまうと、それが巡り巡って困ることになるのは私たち日本国民自身です。国のつくった組織が、国の法律で規定されていないなどということは、あってはならないことです。それは法治国家とは言えませんし、その組織が暴走した時に誰も止められない、ということになりかねません。

 しかも、自衛隊がたとえ違憲であっても、現在の自衛隊が無くてもいいと思っている日本国民は、ほとんどいないと思います。災害救助にしても、国際協力が必要な問題においても、自衛隊が必要であることは明らかです。しかも、今日までの自衛隊が、軍隊と同等の装備と武力を持ちながら、日本の国益を損なわないように慎重に行動してきたことも事実だと思います。

 日本国憲法の第9条2項に、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあります。だから、自衛隊は実質上軍隊であり、憲法違反であるということになります。しかし、現実に軍隊があることが即、憲法の条文内容とそぐわないから、違反していると決めつけてよいのかということが問題になると思います。そんなに物事が簡単に片付くのであれば、シビリアンコントロール文民統制)などというものは、そもそも不要なのではないか、とも考えられるのです。

 私は、中学と高校の地理の授業で、あの軍事的中立国のスイスのことを学びました。スイスの国は、中立国なのですが軍隊があります。すなわち、自らが武器を持って戦うことを、スイス国民は国民投票承認しています。彼らの軍隊は、国際紛争解決する手段のためにあるのではありません。ドイツフランスなどの近隣国の戦争に巻き込まれて、生活圏がおびやかされることから彼ら自身を守るために、それは歴史的にあるのです。

 日本国憲法は、70年くらい前に制定されたということもあって、日本の『戦争を全く知らない子供たち』にとって、全く予備知識がないために、その条文内容が理解しにくいものと言えるかもしれません。(私も戦後生まれなので、その一人かもしれませんが…。)中学と高校の公民の授業でその条文と内容を学んだ、私はこう考えます。これは、企業で言えば、始末書のようなものなのだ。日中戦争太平洋戦争において、日本が国家として書いた反省文なのだ、と私は感じていました。ただし、それは、ただの始末書や反省文に終わりませんでした。終戦後当時の日本が、これからどういうビジョンを持って、どういう方向に進んでいくのかを示した法律の条文でもあったのです。そういう意味では、今日までの日本国憲法は、世界無形文化遺産申請してもよいのかもしれません。

 なお、私が戯言(たわごと)として考えた3項の条文では、「国際平和および公共の福祉に反しない」そのかぎりにおいては、という縛り、すなわち、シビリアンコントロールみたいなものを入れてみました。国際平和および公共の福祉に反した場合には、自衛隊および自衛隊法違憲になり、法として無効になるとしてみました。そうならなければ、それらは合憲であり、日本の法律の定めるところによりその存在意義が公に(つまり、法的にも)認められるとしたわけです。本当のシビリアンコントロールは、国民主権のもとに、日本国民自身が責任をもって行うことに変わりはありません。

2018-05-01

私のプロフィール 受験勉強の奇跡

16:13

 以前私は、私自身のブログ記事で、高校入試数学の試験で、時間内に問題が解けなかったという大失敗をしてしまった、ということを書きました。今回は、それとは逆に、大学入試世界史の試験(選択科目の試験)で上手く解答できた、その経緯(いきさつ)について述べてみたいと思います。2012年10月21日付の私自身のブログ記事『主権在民について』で、そのことを簡単に書いていましたが、今回はもう少し詳しく述べてみましょう。

 ご存知のとおり、私の学校時代は、受験戦争と詰め込み教育の全盛期でした。大量に勉強の知識を記憶している人ほど、学校の勉強ができて、テストの成績が良くなって、良い学校の入試にも合格できるという時代でした。そのことの良否は別として、それが当時の私の直面していた現実だったのです。

 それにしても、高校二年の一年間の授業で週一、二時間学んでいた、青緑色の表紙カバーの世界史の教科書が分厚(ぶあつ)かったことは、この歳(とし)になった今でも忘れられません。学校の授業を学ぶのに使われた教科書の中で、当時のその世界史の教科書ほど厚みのある教科書は、他にはなかったと思います。高校三年の一年間の授業で同じく週一、二時間学ぶのに使っていた黄色の表紙カバーの日本史の教科書よりも、その厚みがずっとありました。

 私は、普通科の高校へ通っていましたが、地理世界史日本史公民という区分けで社会科の各科目を学ばされていました。高校一年で地理、高校二年で世界史、高校三年で日本史公民の授業があって、各学年でそれらの科目の単位を取得しました。高校時代の私は、個人的に世界文学に興味を持っていたので、大学で外国文学を勉強したいと思っていました。その一方で、数学や物理では、興味はあったものの、その授業や試験や通信添削などで数多くの挫折を経験していました。とてもじゃないけれど得意科目とは言えませんでした。当時の大学入試では、選択テスト科目として、社会科か理科の系統の得意科目を最低一つ作っておかなくてはなりませんでした。したがって、高校三年では、受験勉強のために世界史を勉強することを、私は選ぶこととなりました。

 ところが、ここで、当時の私は、世界史をどうやって勉強しようかと考えることになりました。高校二年の一年間に授業で勉強したものの、その実際に学んだ事柄は、教科書上では飛び飛びで、しかも、その分厚い教科書の内容の三分の一は、授業で学ぶ時間がありませんでした。世界史参考書を買って、目を通したものの、教科書よりも沢山覚える事柄が書かれていて、さらに勉強が困難になってしまいました。このまま受験勉強のために、予備校に行ったとしても、通信添削を利用したとしても、頭に詰め込む知識が増えるばかりで上手くいかないと、私は一人勝手に考えていました。

 そこで、「急がば回れ。」というか、少々時間はかかっても一番ケチな方法を考案することとなりました。「読書百遍、意おのずから通ず。」という諺(ことわざ)にもあるように、どんなに理解が困難な文章や書物の内容であっても、何遍(なんべん)も読めば、その意味内容が自然にハッキリとわかって理解や記憶ができてくるものだ、と当時すでに私はそう考えていました。そこで、世界史の教科書を、受験シーズンが来る前に、最初のページから最後のページまで、最低三回は読んでおこうと決めました。

 また、中学時代に私は、NHK総合テレビで毎日夕方になると『新八犬伝』という人形劇を観ていました。その劇中で、「因果は巡る糸車。」という、今は亡き坂本九さんの語りをよく聴きました。その通り、そうです。人間の歴史は、日本であろうと、世界であろうと、今であろう、昔であろうと、「因果は巡る糸車。」なのです。数字の細かい年号の暗記なんか、関係ないのです。何世紀ごろあたりのことだとわかっていればいいとわかったので、その『分厚い』世界史の教科書のみを三回読み込んで、その記述内容を理解するという勉強を実際にやってみました。

 H大学の入試で、世界史選択しました。すると、いくつかの選択肢型の設問に続いて、記述式の設問がありました。「イギリスからのキリスト教布教と、中国アヘン戦争について80文字以内で述べよ。」という設問でした。高校で受けた世界史の授業では、全く学んでいない箇所でした。しかし、当時の私にとっては、全く焦(あせ)りが感じられませんでした。あの分厚い世界史の教科書の全ページを読んでいたので、何を書いたらいいかはすぐわかりました。今になってみると、その書いた内容は全く覚えていません。けれども、私自身が教科書を読んで記憶したことの5W1Hは、ちゃんと記述できたと思います。しかも、80文字目のマス目に「。」を入れて、ぴったりと解答できたことが、私の心の中では一番の自慢でした。

 結局、後にその大学入試に合格したことを知りましたが、そうやってH大学に入学できたことは、私には思ってもみなかったことでした。ほぼ独学みたいな受験勉強の仕方で、世界史の試験がうまくいったことは、その後の私自身の人生に大きな自信と影響を与えてくれたと思います。

 よく、受験勉強なんて、学校の受験の時にしか役に立たない、若い時にしか役に立たない。大人として生活していくのに、何の役にも立たない。あんな勉強の知識など、出世につながらなければ、やるだけムダじゃないかと、世間一般は言うかもしれません。ある意味、それはその通りです。そんな余計な学問や教養を身につけなくても、立派に一人前の生活を営んでいる人は、世の中には沢山います。

 だから、私はこう考えます。何をどれだけ勉強したかが重要なのではなく、本当は、どのように勉強したのか、あるいは、どのように苦労したのかが重要なのかもしれない。その結果として、思いもよらない奇跡みたいなことが可能となるのかもしれない。そんなふうに、私は、考えています。