食べることに飽きないために

 『飽食の時代』という言葉を時々耳にします。お金さえあれば何でもたらふく食べられる時代になった、という意味で一般的に使われています。物が豊かになったという世の中の一面を表しています。
 しかし、です。私の父も、祖父も、祖母も、亡くなる間際には食が細って、つまり、何も食べられなくなってこの世を去りました。そのことから、私は思いました。どんなに世の中が豊かになろうとも、個人の食生活そのものは、そうした世の中と共に充実したものになるとはかぎらないということです。
 毎日、誰でも普通に生活している人間である限り、食事をしないわけにはいきません。一日に三食か二食は、必ず食事をとるのが普通です。したがって、そのような食事の習慣が続けられることが、長生きをする秘訣の一つではないかと思うのです。
 例えば仕事が忙しすぎて、つい食べることを忘れてしまったり、食欲がわかなくなって食べなかったりすることは、誰でもあることです。それがこうじて、食事を準備するのも面倒になったり、食事をとることそのものも面倒くさくなったりすることを、人によっては少なからず経験することもあるでしょう。ひょっとしたら、食べることそのものが面倒になってしまう、いわゆる、食べることに飽きてしまうことになってしまうかもしれません。そうなっては大変です。
 ここ数年間の私は、人間の食物を生産する仕事をしていますが、灯台もと暗しでたまに自分自身が食べることを仕事中に忘れてしまうことがありました。そんな時、私は「食べることは生きることにつながるから、食べることに飽きちゃいけないんだな。」と思うようにしました。
 過酷な仕事のスケジュールで疲れて調理ができない、そんな時でも、上田市街の牛丼屋さんやラーメン屋さんやお蕎麦屋さんに行ったり、スーパーで惣菜パンや菓子パンを買って食べたりしています。
 仕事でお米を作っていると言うと、毎日ご飯ばかり食べていると思われがちですが、私の場合は少し違います。普段は、ご飯を食べていますが、ご飯を炊くのを忘れたりした場合や、気分転換が必要な場合は、即席ラーメンを調理したり、そうめん、うどん、蕎麦やパスタをゆでたりします。少々調理時間はかかりますが、小麦粉を水で溶いて、フライパンでうす焼きを作って食べる場合もあります。小麦粉を材料にした製品はご存知の通り安いので、お米を買うのが高いと思う人にはおすすめできます。最近は、スーパーなどの円高還元セールでいろんな形のパスタが少し安いので、つい買ってしまいます。ご飯を炊くよりも、パスタをゆでる方が早く食にありつけるので、時々利用しています。
 そうやって、ご飯を食べることに飽きないように、工夫をしています。私は、食べ物に好き嫌いがありません。何でも食べてしまいますが、自分で調理する場合は、あまり凝った調理はしません。ご飯ばかりでは変化が少ないので、それら麺類を工夫して取り入れているのです。
 そして、何よりも、たらふく食べなくてもいいから、食べることに飽きないように工夫することが重要です。食べることにひとたび苦痛を覚えてしまうと、生活のリズムも狂いがちになります。私は、40代を過ぎてから自炊を始めましたが、母が作った料理を食べる機会がすくなくなってから、心身共に若返ったようです。
 実は、私はおふくろの味というものを知りません。母はいますが、私の母の作ったものは、何故かはわかりませんが、私の口には合いません。しかし、一緒に暮している間は一言も母に文句を言うことができませんでした。私は子供の頃から、母の料理を我慢して食べていました。おかげで、忍耐力が養われて、何でも食べられるようになりました。信じられないことかもしれませんが、私の母ほど料理の下手な母親は珍しいと思います。私の母以上に、まずいものが作れる人物に、いまだ出会ったことがありません。
 このようなことは、一般的なことではないかもしれません。が、人生いろいろあると思っていただければ、私の立場を理解していただけると思います。食べることや調理することを私が、関心をもって工夫しよう考えるようになったのは、そんな母のおかげであったと思います。