私のプロフィール 新入社員のもらった辞令

 私は大学卒業後、あるソフトウェア開発会社(Wikipediaにも載っています。)に就職しました。当時のソフトウェア開発業界は、これから業務が増えるのに人手不足で広く人材を募集しなければなりませんでした。私もその一人として採用されました。大学4年の2月のことだったと思います。3月初めから、東京の本社でアルバイト見習いとして働き始めました。4月からは見習い新入社員になりました。4月いっぱいは、新入社員教育を受けて、5月に各部署へ新人として配属されました。
 そして、6月には、晴れて正社員となりました。忘れもしない6月12日に、辞令をもらいました。それは、辞令と書かれたたった1枚の紙切れであり、専務から一人一人に渡された儀式のようなものに過ぎませんでした。が、今になって思うと、このようなことは後にも先に私の人生で一回きりのことでした。
 6月というと一般では、梅雨とかジューン・ブライドとかを思い起こしますが、私の場合は会社から辞令という紙切れとそれを受け取った儀式でした。当時の私は若かったので、そのことで正規の給料がもらえるとか、そんなふうに勘定したりはしませんでした。ただ、ほっとしたというのがその当時の実感でした。
 二十歳でコンピュータ実習の授業を一年間受けてFORTRAN言語を覚えたとはいえ、それからあとの一年間アルバイトのお金で買ったポケット・コンピュータでBASIC言語を使っていたとはいえ、私はコンピュータのソフトウェアに関しては素人でした。当時のそのソフトウェア開発会社からは、「全くコンピュータ・プログラムを作ったことのない素人でも1から教えます。」と言われていました。本当はそんなことは無かったのですが、その言葉を信じて、社会人になった私は、学生時代よりももっと努力して、24時間コンピュータのことを知るために勉強しました。会社では業務でコンピュータのことばかりを考え、家に帰るとコンピュータをいじり、枕元にいつもコンピュータを置いて寝ていました。(その習慣の名残りは今でも続いていて、枕元にはいつもパソコンがあって、目が覚めるとすぐ目に入ります。)
 小型応用システム部に配属されたものの、私はそこで先輩たち(理工系大卒もしくは電子工学専門学校卒)に馬鹿にされて「そんなことも知らないのか。」「文学部じゃ、小説は書けても、コンピュータをプログラムで動かすのは無理じゃないかい。」とさえ言われました。コンピュータ専門学校卒の同期生と比較されて、マイコンの知識を学校で学んでいないために恥をかかされました。当時の私は、マイクロコンピュータの入出力ポート(I/Oポート)の扱い方を全く知りませんでした。
 でも、そんな先輩たちの中でも、親切な先輩がいて、私に「マイクロコンピュータ認定試験を受けてみないか。」とすすめてくれた一年上のパソコンマニアの先輩(専門学校卒の人でしたが、名前を忘れてしまいました。)や、「黒田君は知識の吸収が早いから(吸収力があるから)いいね。」と言われた三年先輩の中央大工学部卒の森田さん(最近ホームページを見つけました。)のおかげで、私はつぶれずに済みました。
 やがて私は、次のように考えることができるようになりました。この会社で社員としての辞令を受け取ったことは、私にとってはそれなりの意味がありました。正社員として認められただけでなく、技術者として採用されて、技術者として雇われていることを認められたことを意味していました。
 でも、同業他社へ転職するために『つぶし』がきくなどという、俗に言う打算的な意味はありませんでした。その当時はまだ定かではありませんでしたが、私が私自身の実力で本当に知りたかったこと、もしくは、やりたかったことのその片鱗(へんりん)に触れるきっかけができたのが、この時期であったのです。
 私は、その数年後一身上の事情があって、この会社をやめることになりました。でも、その頃から、コンピュータのソフトウェア技術者であったことの経験を生かしながらも、その実務ではできないことがあるのではないかと考えるようになりました。一種の負け惜しみととられるかもしれませんが、当時の私は人生の分岐点に立たされていました。
 ソフトウェア開発の実務にばかり関わっていると、仕事が忙しすぎて周りが見えなくなりました。コンピュータを使うクライアントの側(ユーザ側)の気持ちや考え方がわからなくなってくるのです。そして、プログラムを開発することの意義自体が見えなくなります。複雑なコンピュータ・プログラムが組めなくなって、できる仕事がなくなってしまうというプログラマ限界説に、将来に対する不安を抱えるようになりました。また、システム・エンジニアに昇格した会社の先輩たちの姿が、私にとっては無理なものに思えてきました。いくら給料が良くても、当時の若い私には背負いきれない責任を彼らの姿に見てしまいました。
 もちろん、会社をやめて別の仕事をさがすなどもったいない、という意見もありましたが、私は敢えて「名(肩書き)を捨てて、実(じつ)をとる」という道を選んだのです。(やっぱり、これは、一つの職業を続けていけなかったことへの負け惜しみに聞こえるかもしれません。)
 しかしながら、その結果として、現に私は、その会社を遥か昔にやめてその業界のコンピュータ技術者をやめた今でも、(いっさい収入にはならなくても)自分なりにコンピュータ・プログラムを組めますし、(大したことではないのですが)オブジェクト指向についてその考えを理解しています。私は、なぜ日本がIT大国になれず、ソフトウェアの開発技術が世界的にみて遅れをとってしまった理由の一つを知っています。それらことに関しては、このブログであとあと明らかにしていく予定です。