自称・コメ屋の言い分 第1回

 最初に断(こと)わっておきますが、私はいわゆる日本のコメ農家ではありません。確かに、30アールの田んぼを、地元のJAを通じて地主さんから借りて、早くも6年が経ちます。けれども、毎年、必死になってイネを栽培して収穫しています。私は、40代後半になって初めておコメを作ることになりましたが、こんなに一人で命がけになって仕事をするようになるとは、全く想定していませんでした。
 30アールの田んぼは、手作業を一人でするには余りに広すぎます。そこで、高価な農業機械を借りるのですが、トラクターの運転免許(大型特殊、農耕機のみ)を習得している私にとっては、自然環境の中で数多くの危険にさらされていることを自覚してばかりいます。例えば、農業機械は、足場の柔らかい田んぼと、アスファルトや砂利道の硬い道路(公道)の、その境界を必ず越えなければなりません。その境界が、畦畔(けいはん)という坂道だと、そこを農業機械が転げ落ちる危険が必ず伴います。また、その境界が側溝すなわち水路だと、農業機械がそこにはまる危険が必ず伴います。こうした農業機械は、基本的には重い鉄の固まりなので、転倒したら大変なことになります。その転倒に、人間が巻き込まれたり、下敷きになったりしたら、100%生命が保証されません。(それでは、畦畔や側溝をつぶして平らにすれば、いいじゃないか。そうすれば危険はなくなる、という人がいるかもしれませんが、そもそも、そんなにうまくはいきません。土地の広さに関係なく、畦畔や側溝は、田んぼの治水のために絶対不可欠です。それらが無いと、田んぼとしての役割を果たせない土地環境になってしまいます。)
 このようなことから、農業機械を駆使するには、かなりの緊張が必要で(某メーカーに対する批判になってしまいますが)音楽を聴きながらルンルン気分でいることなど、とても怖くてできないのが現状です。そうした危険性を意識しながら作業をしていないと、いざ機械がひっくり返りそうになった時に反応できないと思います。例えは悪いかもしれませんが、そんな緊張感の無い仕事ぶりでは、誰かに銃の引き金を引かれそうになっていても何もできない自衛官と同じ目にあってしまうと思います。
 私の苦労は、それだけではありませんでした。農業機械さえあれば、田んぼの隅から隅まで、完全に作業できるわけではありません。機械でできない箇所には、どうしても人間の手作業が必要になるのです。例えば、今年私は、農業機械組合から、今まで使ったことのない最新式のオートマチック車の田植え機を借りました。ところが、その機械の操作に慣れていなくて、苗の植わらない箇所を多数つくってしまいました。そこで、その欠株の箇所にイネ苗の手植えをしていったら、田んぼの全面を時間をかけてやることになってしまいました。雨にぬれても、あたりが暗くなっても、その手作業を続けるハメとなってしまいました。(ただし、雑草を取ることを、そのついでにやったので、のちのち雑草に土の養分を横取りされることなく、イネの生育を阻害されずに済みましたが…。)
 また、農業機械は必ず壊れます。厳しい自然環境で使われることを想定して、もともと頑丈に作られている機械ではありますが、自然のチカラは時にそれを上回ってしまうものなのです。去年私は、一条刈りのイネ刈り機械を借りましたが、あちこちの方向に倒伏したイネの穂を刈っているうちに、機械の稲(いな)わら結束機構の大事な部分すなわち『爪』と呼ばれる部品を壊してしまいました。JAの農業機械センターへ持って行って診てもらったら、全治一週間で直してもらいました。その稲わら結束用の『爪』と呼ばれる部品の取り寄せに一週間ほどかかり、その交換部品代は3万円でした。その部品交換修理代に、6千円取られて、全体で3万6千円かかりました。その金額は、私にとって痛手でしたが、壊れたのがコンバインの結束用『爪』でなくて本当によかったと思いました。コンバインのその『爪』という交換部品は、部品だけで30万円もするからです。もし収穫したおコメが全部売れたとしても、大赤字を免れることはできません。このように、この仕事は、機械の便利さだけ見ようとすることは、命取りになりかねないのです。
 さらに思い返すと、一昨年の秋に、私はひどい目にあいました。季節外れの台風が来て、一人で二週間かけて稲刈り・はぜかけしたものを、たった1晩で全部倒されてしまったのです。農政局から通知されていた災害補てんの届けは、既に締め切られた後だったので、私は昼夜を徹して、はぜかけを復旧するしかありませんでした。まさに、"All or nothing"(『全てか、それとも、無か。』)でした。これは、笑い事では済まされませんでした。私は、雨と風で倒壊して水びだしになってしまったイネの束を全部はぜ棒にかけ直すのに、まるまる5日間を費やしました。その時期、誰にも助けられず、誰にもホメられずに、黙々と作業を一人で続けました。
 本来、野菜の栽培に利用するために、大量のイネの藁(わら)を作り出すのが目的だった(つまり、ワラさえ得られればよかった)のですが、自然の絶対的なチカラに打ちのめされたことで、私の意識は変わりました。イネの藁(わら)だけでなく、その穂先に付いたおコメもなるだけ救い出して、何とか販売して、わずかでもお金にしようと考えました。農薬や肥料などの材料費や、機械利用料などのコストがかかっていました。だから、自然災害のせいで収益がゼロになり、赤字になってしまうことは、どうしても避けなければなりませんでした。
 それまでの私は、地元の直売所に、その年ごとに収穫したおコメを出荷して、売れなくてもそんなに気にしていませんでした。なぜならば、地元には、田んぼがあちこちにあって、おコメを自給している人が多くいらしたからです。直売所におコメを出しても、売れるわけがありません。東京へ持って行っても、私の実家にいる家族は、それほどおコメを食べません。それに、東京で売ろうとしても、おコメ屋さんの縄張りがあって、うまくいきません。JAに出荷しても、コメ余りの世の中の現状では、出荷したおコメが本当に消費者の胃袋に収まってくれているのか見えなくて不安です。民間会社の尺度で言えば、実質賃金が見えないということだと思います。
 以前から、私は、常にこのような現状に置かれていることを知ってはいました。おコメは、販売を考えると、そのように八方ふさがりなのです。なのに、毎年、過酷なお天気や、農業機械の危険にさらされているうちに、私は、いつしかそんなコメ作りを避けるどころか、こともあろうに、それに執着するようになってしまったのです。
 おコメを栽培して売ることは、それほど儲かりません。けれども、もともとそうした悪条件だったから、それが今までの常識だったからこそ、私は、それに抵抗し、反発したくなったのだと思います。
 実は、おコメは、普通の農産物とは少し扱いが違います。おコメ自体には、精米から一カ月くらいの賞味期限(おいしく食べられる期限)があるので、生鮮食品として見られる側面があります。けれども、籾摺(もみす)りや精米をした、玄米や白米は、それを収(おさ)めた袋にJAS表示をしないと、おコメとしてお店で売れません。大豆なんかもそうですが、JAS表示の記載が必要なのです。つまり、消費者が店頭で目にするおコメは、加工食品として見られる側面もあるのです。日本では、おコメは野菜や果物とは同じに扱われず、主に、おコメ屋さんが扱うものと相場が決まっています。
 よって、私は、地元の農産物直売所におコメを出荷する時は、コメ農家という生産者としてではなく、自称・コメ屋となって、一般のおコメ屋さんと同じような手続きを踏んで、おコメを消費者に提供しています。そうすることによって、一般企業が取り組んでいるコスト削減と同じことをして、良質のおコメを少しでも安く買ってもらうように努力しています。
 でも、このことは、コメ農家を自称する生産者Xさんから良く思われていません。彼によって、金額表示のバーコードを製品からはがされたことが、過去に何度かあります。私の節約的な企業努力が、そうした生産者Xさんには認めてもらえないのです。
 一時私はそのことを苦にして、直売所におコメを出荷することを断念しましたが、最近また気をとり直しました。私は、JASの表示に明記しているように、ノーブランドでおコメを出荷しています。JAから買ったコシヒカリの種を栽培しても、収穫後にJAの検査を受けないおコメは、コシヒカリであることを名乗ることはできません。『国内産の未検査米』と、JASの表示には明記しなければいけません。世間一般が、ブランド米として地元で生産したおコメを少しでも高く売ろうとしているのと、全く逆の動きを私は採(と)っています。つまり、私がノーブランドにこだわっているのは、良質のおコメを消費者に安く買って食べてもらいたい、という私なりのコンセプト(構想)があるからなのです。
 そして、TPPで輸入されてくる外国米と対等に(つまり、フェアに)戦いたいのです。そのために、あえてノーブランドで勝負しているのです。それほど沢山生産しているわけではないので、ブランド名に頼らずに直接食べてもらって気に入ってくれたお客さんがいれば、それでいいと思っています。
 そんな私の反骨精神など、現代の経済偏重社会には不要だと言われればそれまででしょう。しかし、以上のような幾多の困難を乗り越えてきたことは、決してムダではないと思います。まずは、他人を非難することより、そうした困難を自ら受け入れてきたことの方が、ずっと人間らしいと考えるべきだと思っています。
 これが、私が自称・コメ屋となった経緯(いきさつ)ですが、次回はもっと、現在の日本のおコメがかかえている大問題に切り込んでみたいと思っています。もちろん、それは、自称・コメ屋としての視点からです。ご期待ください。