避暑地の行為

 しばらくブログ記事を書くのを怠っていましたが、それにはワケがあります。ギネスブックに『世界一カロリーの低い果実』として認定されているキュウリの栽培に、どうしても専念しなければならなかったためです。今の私が、その実力で生計を立てるためには致し方ありませんでした。
 ギネスブックに『世界一カロリーの低い果実』として認定されているかぎり、キュウリを栽培する仕事なんて、「経済的に見て将来がない。」と誰もが思うかもしれません。それとも、経済的に裕福なお金持ちをターゲットにして、その仕事をしているのだろうと、思われているのかもしれません。でも、それらのことは皆さんの憶測にすぎません。この件に関しては、また日を改めて別のブログ記事で、真実を述べたいと思っています。
 今回のテーマは、避暑地の『恋』ではなくて避暑地の『行為』です。連日の猛暑の中で、私はテレビでこんなニュースを目にしました。日本の避暑地の一つと呼ばれる軽井沢へ行った人の話で、「日向(ひなた)の街の通りを歩ていて、ものすごく暑い。軽井沢は避暑地だと他人(ひと)から聞いていたのに、何だこの暑さは。これからの日本の国土はどうなっちゃうんだろう。」という話でした。
 確かに温度計の数値は、これまでの夏の暑さを越えてしまっていることを示している、と言えましょう。しかしながら、失礼を承知で申し上げるならば、その人が避暑地でとった『ある行為や行動』に全く非がなかったとは言えません。
 子供の頃の私は、軽井沢と同じ長野県に在(あ)る長野市松代町へ、八月の旧盆になると、何度か行きました。そこが私の母の実家で、私の母の兄夫婦が住んでいました。ある日の天気の良い午前中、南向きの玄関のすぐ前で遊んでいると、親戚のおばさんの誰かに叱られました。「そんな太陽の下で遊んでいると、日射病になりますよ。家の中へ入りなさい。日陰で遊びなさい。」と言われました。
 つまり、こういうことです。一般に、長野県は、昼夜の温度差が大きい大陸性の気候なのです。朝晩は夏でも涼しいことが多い、その一方で、日中は東京などの都会よりも陽射しが強くて、危険な暑さなのです。私が叱られたこの話は、五十年近く昔の話です。つい最近の話ではありません。
 もちろん長野県の避暑地と呼ばれるところには、高原(こうげん)特有の地形で涼しい場所があるかもしれません。ただし、よく観察してみればわかると思いますが、本当に涼しい場所は、ギラギラと輝く太陽の下ではなく、建物の陰や木陰で風通しの良い場所であることがわかります。そして、そこは、電気エネルギーを必要としない、全くお金のかからない天然のクーラーがあたかもあるかのような場所です。(ただし、そうした場所は、ハエやクモや蚊などの人間以外の生物も暑さから避難してくるので、衛生状態は悪いかもしれませんが…。)
 特に、『避暑地』という言葉は、日本人にとって語弊を招くものなのかもしれません。(例えば軽井沢に遊びに行けるほど)ある程度、経済的に豊かになっていれば、その『避暑地』のメリットのみを享受できると考えるのは、私たちの思い上がりに過ぎないのかもしれません。