私は山から帰るとき
シキミがあればを頂いて帰ります。
それは我が家に祀った
祭壇に供えるためのものです。
◆手向けのため
そこには2005年に辿り着いた
チベットの聖山「カイラース」と
天の頂に登られた山のお父さん。
そして山に散った友人達を祀っています。
◆忘れないため
この世に生きるもの全てに
次の朝が保障されているわけでなく
確実なのは「いつか死ぬ」ということ。
「あぁ無事朝が来たんだな
今日も一日がんばるぞ!」
その有り難い気持ちを起こしてくれる
祭壇に居る神様と仏様に手を合わす。
山は生きて帰ってこそ意義がある。
その学びを頂いた人たちに感謝するため
シキビを一枝頂いて帰っています。
有り難い。有り難い。
人の世に咲きて樒の花かすか 高木石子