チーコと私の病床日誌(49)

4月13日(水)朝、班長が連絡で来て、春の川掃除に出ますか、と聞くので、老人は出ないほうが良い。怪我でもしたらかえって迷惑だからと、当日徴収する町費1万2千円のみを渡す。パンで朝食後、コーヒーと一緒に煙草を呑んでいたらひどくむせる。用心用心。
4月14日(木)9時半PLガスの点検。昼食後、外に布団を干し、松に梯子を掛けて、新芽を摘み、後、庭のカラスの豌豆を取るが、夏のような日差しに疲れ、2時に辞める。夜、9時26分震度4の地震。その後、40分ほどで同じ位の余震があり、その後も午前1時まで、強く弱く何度も揺れた。いずれも、熊本を震源とする地震だが、佐賀でこんなに揺れるのは珍しい。茨城、広島、高木瀬から心配する電話があったが、明治30年建築の建物はまだまだ現役だ。
4月15日〔金)東京の長男が夜11時帰宅。午前1時25分、震度5強地震で起こされる。同44分再び強い揺れで、花瓶などを台所の流し場に置く。朝7時ごろ携帯に次男から電話。10時半〜12時。長男が自転車でホームへ行く。ホームからは、おはぎや餅を妻に食べさせるのを止めて欲しいとのこと。
4月16日〔土〕長男は午後から外出。私は、鬱蒼となった庭の貝塚イブキの枝葉を剪定する。これは長男が生まれた時に植えたもので、幹は一抱えもある。脚立に乗って鋸で不要な枝を切り、垂直に伸びた葉を、剪定ばさみで切っていく。4時前、小雨が降り出したので、辞めて風呂に入る。帰宅した長男は、茶の間の食器棚が地震で倒れないよう金具で固定していた。